御聖訓「日夜朝暮に
又懈らず磨くべし」
一日一日が勝負だ。
たゆまぬ題目の実践で
心の財を築きゆけ!
上野尼御前御返事 P1580
『法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り口に唱ふれば其の口即仏なり』
☆女性に贈ることば 十一月二十六日
家庭のあり方は、必ずしも同じではない。家庭というのが夫婦二人で奏でる音楽ならば、つくられる曲は家庭によって、自ずと異なる。それぞれの家庭が、それぞれに美しい曲を奏でる−−そこに社会の平和と安定もあるといえよう。
☆今日のことば365 十一月二十六日
本当の仕事のよろこびは、自己の血と汗の苦闘によってかちとられたものであり、そこに男の真価があるといえまいか。虚栄や虚偽のなかには、生命の輝きはない。人生の真実の勝利もない。自分がそこに全力を打ちこんでいける仕事こそ、生涯の生きがいであり、そしてまた、勝利であると確信すべきである。
☆11・18「創価学会創立記念日」特集(上) 平和
インタビュー 国際政治学者 武者小路公秀氏
原水爆禁止宣言 生存の権利訴えた先見
痛みに寄り添う民衆運動に期待
11・18「創価学会創立記念日」特集�のテーマは「平和」。本年は国連で核兵器禁止条約が採択され、軍縮の歴史に大きな一ページが刻まれた。明年「世界人権宣言」70周年を迎える今、世界平和の実現に尽くす創価の民衆運動の意義について、国連大学元副学長で国際政治学者の武者小路公秀氏に話を聞いた。(聞き手=南秀一)
——本年7月、核兵器禁止条約が採択されました。創価学会としても、本年は、平和運動の原点である第2代会長・戸田城聖先生の「原水爆禁止宣言」(1957年9月8日)発表から60周年の節目であり、同条約の実現は大きな喜びです。
冷戦の真っただ中にあった60年前に、人類の「生存の権利」に着目した先見にこそ宣言の大きな意義があります。現代に通じる戸田先生の普遍的な指摘は、政治的な計算を含まない、完全に倫理的な立場からの発言でありました。私はその点に深く感動しています。しかし、実は政治的な観点からいっても、倫理的な立場で核兵器廃絶に取り組むことは重要です。
それ以外の形では、結局は核戦略の問題になり、"どこから減らしていくのか"という軍備規制の対象になってしまうからです。
また、核兵器を禁止する立場は、核保有国だけに保持を許すNPT(核拡散防止条約)体制に対する、有力な対案といえます。
今、北朝鮮の核軍備を巡って緊張が高まっています。もし紛争になってしまえば、日本も原子力発電所などへの攻撃により、大変な被害が発生することも考えられます。北朝鮮に核実験をやめさせるためには、他の核保有国に対しても核兵器を廃止することを同時に求めていかなくては、説得力のある論理にならないと私は考えます。
その上で、現在、行われている北朝鮮への経済制裁については、戦略核部隊の核実験の手段を奪うという効果以外に、食糧など生活物資の輸入を止めて国民の人間らしい生活を不可能にするという側面もあるといわざるをえません。私は、人道的な観点からみれば、核兵器を禁止するための正当な手段とは言い切れないと思います。
◇核兵器禁止条約の意義
そうした人道的な観点からいっても、戸田先生の原水爆禁止宣言において重要なのは、人々の生活に根差し、現実の苦しみに寄り添う精神が脈打っていることです。
1980年代に"核の冬"という研究が報告されました。核爆発で生じた大量の煤煙や塵埃が太陽光線を吸収して、地球が冷却化し、世界中の農業に損害を与える。ゆえに核兵器は被爆者だけの問題ではないと専門家が立証した。それ自体は、その通りの研究成果でありました。しかしそこには、被爆者が経験した「痛み」や、遺された者たちが抱え続ける目に見えない「苦しみ」という視点は感じにくいものでした。
倫理といっても、抽象的な倫理ではなく、痛みを実感した生身の人間に寄り添う姿勢が最も大切です。戸田先生が人類の「生存の権利」を訴えられ、その後を継いだ池田先生が推進してきた創価の民衆運動の特徴も、人間の現実の「痛み」に同苦する倫理観にあるといえるでしょう。
核兵器禁止条約の実現においても、交渉会議での被爆者による証言が大きな影響を及ぼしましたが、「被爆者の苦しみ」が中心になったことが大切であると思います。生存の権利という発想からすれば、今回の禁止条約も核兵器にとどまるのではなく、生物・化学兵器や通常兵器も含めて考え直す出発点としていかなければ、本質的な意義をもつ条約にはならないと思います。
◇反戦出版・反核展示を展開
——人の痛みに寄り添うとともに、民衆自身が行動を起こすことも重要であると思います。学会は婦人や青年が主体となって被爆・戦争体験を聞き取って出版したほか、世界各地で"核の脅威展"などの展示運動を実施し、市民の声を世界に届けてきました。
30年、40年以上にわたるそうした学会の皆さんの活動が今、実を結んできているのではないでしょうか。展示や証言集を通し、広島や長崎について、原爆が落ちたという事実だけではなくて、どれほど悲惨な状況になったのかを世界中の人たちに伝えてこられた。
特に私が重要だと思うのは、展示パネルの内容を専門家ではない一市民が説明し、来場者と対話してきたことです。核兵器の非人道性を、理屈だけでなく、目で見せて、あるいは対話をする中で理解することは、非常に大切なことです。そういった地道な取り組みを、ラテンアメリカやヨーロッパなど世界中の会員が倫理的な運動として支えてこられたという点に、歴史的な意味があると思う。そうした積み重ねが禁止条約の採択を支える土台になったのです。
——武者小路さんご自身は、国連大学の副学長として、文明の差異を超えた「対話」に取り組まれてきました。
国連大学はウ・タント(ミャンマーの政治家)国連事務総長が、在任中に設立を提唱したのですが、当時の国連は、大国のはざまで最も無力感に苛まれた時期でした。
そこでウ・タントが注目したのが、若者でした。1960年代から70年代にかけ、若者たちは中国では紅衛兵になり、アメリカではベトナム反戦運動を展開し、フランスでは五月革命を起こしていた。
アメリカやヨーロッパ中心の国連をいわば"解体"し、それぞれの文明の良い点を持ち寄って、より平等な新しい世界を築くための国連をつくる——そのためにウ・タントは、それぞれの文明の既成概念にとらわれずに立ち上がった若者を国連大学に呼び入れて、国連を変えていこうとしたのです。
私の役割はそのためのネットワーク作りであり、国連大学で"世直しのための対話"の重要性を痛感しました。
学会の皆さんが実践されている対話の運動も、お互いを知るということだけにとどまらず、人類的課題を解決していく"世直しのための市民による対話"といえます。その点に私は注目しています。
◇明年「世界人権宣言」70周年へ
——明年は「世界人権宣言」が採択されて70周年です。"世直しのための対話"という話がありましたが、武者小路さんは人権啓発の活動にも取り組んでこられました。
私が反差別の運動に携わっているのは、差別はいけないとか、差別された人が気の毒だからという理由だけではありません。その人たちこそが、世直しの中心になっていくと考えるからです。
イスラム世界の英知といわれるイブン・ハルドゥーンは、歴史を動かす力として「アサビーヤ」に着目しました。
アサビーヤとは集団における連帯意識を指します。都市に住んでいる人たちは、分業体制になって仕事をしますが、全体に貢献するという意識が薄い。ところが砂漠に住んでいる民は、社会的分業ができないので、皆が集団のために尽くす。このアサビーヤがある砂漠の民は、いざとなると結束して都市に立ち向かうのです。
都市の人々は雇い兵に守りを任せているから弱い。こうして新しい王朝ができていく。しかし新しい王朝も2世代、3世代たつと都会生活に慣れ、別のアサビーヤを持った人たちに敗れる。
ハルドゥーンは、世直しというのは、アサビーヤをもった、最も軽蔑されている人たちがするのだと主張するのです。
——創価学会も草創の頃、"貧乏人と病人の集まり"と揶揄されましたが、"現実の不幸を幸福に変える力がある"と、むしろ誇りにしてきたという歴史があります。仏法を基調として、平和・文化・教育の連帯を一段と広げていきたいと思います。
日本の国際的な活動において、創価学会は非常に大きな役割を果たしています。
私が特に啓発を受けるのは、学会の方々がそうした活動を、いわゆる平和運動としてではなく、日々の生活の一環として取り組まれている。信仰を深めながら、市民レベルで運動を支えているという点です。
私の親友で、フィリピン大学総長を務めたホセ・アブエバと、池田先生は対談集(『マリンロードの曙——共生の世紀を見つめて』=第三文明社刊)を発刊されています。その中で「ノンキリング(不殺生)」について語り合われていることに感銘を受けました。
アブエバは、国連大学時代の同僚の中で私が最も尊敬していた人物ですが、自分の両親を日本軍に殺されています。子どもたちが"祖父母を殺した日本には絶対に行かない"と言ったことに対しアブエバは、"そういうことを乗り越えるために国連大学に仕事に行くのだから、一緒に来てほしい"と言って、子どもたちを連れて日本に来た。その彼は、和解と不殺生を柱に掲げた大学(カラヤアン大学)をフィリピンに創立しています。
平和をつくることは大変な作業であり、必ずしも未来が明るいとは限りません。それでも、やらなければならないことがあります。今は、まさに変革の時ではないでしょうか。
その意味でも、創価学会の民衆運動が果たす役割は大きいと期待しています。