◇今週のことば
新しい人に
光を当てよう!
新しい青年を
大いに伸ばそう!
ここに地涌の勝ち鬨が。
2017年11月20日
四条金吾殿御返事 P1170
『真実一切衆生色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり』
☆女性に贈ることば 十一月二十日
自らの人生経験を生かしながら、なお日々新たに成長していく人こそ、人生の達人であろう。
☆今日のことば365 十一月二十日
人間が本来持つべき価値観とは、偏狭なものであってはならない。つまり自分の利欲さえ満足させればという極端な利己主義は当然のこと、一集団、一国家、一民族、ひとつのイデオロギーのためのものであってもならないのである。偏狭な価値観こそ、過去において戦争を引き起こし、また社会の矛盾と不合理を形成してきた元凶であったことを忘れてはならない。
☆希望航路 池田先生と進む人生旅 タイ3 2017年11月9日
◇喜び満ちる常楽の軌道を
タイのあいさつに、胸の前で手を合わせる「ワイ」と呼ばれる合掌の礼がある。
法華経に登場する不軽菩薩は、どんな人間にも仏の生命があることを信じ、人々を敬う礼拝行を貫いた。
その不軽菩薩の実践に重ね、池田先生はタイの友との出会いを振り返っている。
「仏法上、『礼拝』には深い意義があります。この心を込めて、私もタイでお会いする方々と、こちらから合掌して、あいさつをしました。目の前の、この子も、あの青年も、どんな使命をもった人なのか計りしれない。そう思うと、自然に胸の前で掌が合わさりました」
5度目のタイ訪問となった1992年1月31日。ソムポン・サンチャイシリクンさん(副壮年部長)は、先生の宿舎で役員として運営に当たっていた。
従業員が宿舎に到着した先生を迎えると、先生は胸元で手を合わせ、一人一人に「サワディークラップ!(こんにちは!)」「ありがとう!」と。
ある従業員がソムポンさんに尋ねた。
「この方はどなたですか? これほど慈悲に満ちた振る舞いをされた方は初めてです。誰一人、分け隔てなく、声を掛けてくださいました」
ソムポンさんは、先生が創価学会の指導者であり、世界の友の幸福を願い、行動を続けていることを語った。
「威風堂々としたお姿でありながら、この上なく謙虚な物腰でした。あいさつ一つで、これほど信心の偉大さを伝えられるのかと衝撃を受けました」
当時、ソムポンさんは牙城会の委員長。4年ぶりとなったプーミポン国王陛下への表敬をはじめ、国連の事務次長との会見や会合等の合間を縫い、激励を重ねる先生の姿を命に焼き付けた。
同行の幹部らが、頻繁に先生のもとを訪れる様子を目の当たりにし、ソムポンさんは「世界広布の中心におられる先生は、想像を絶する勢いで指揮を執られている。先生は常に全世界の同志を胸中に入れてくださっていると実感しました」。
ある朝、先輩と任務に就いていると、カメラを手にした先生に呼び止められ、促されるまま写真に納まった。「通訳もいなかったのですが、先生はカメラを通じて私たちに原点を築いてくださいました。シャッターを切る音が今も鮮明です。たった一瞬でしたが、この一瞬で私の人生は変わりました」
この時、24歳だったソムポンさん。経済的に困窮する中での任務だった。その後も仕事や家庭の悩みで悪戦苦闘を重ねた。「苦しい時はレンズ越しの激励を思い起こしました。先生が見てくださっている——そう思うと、反射的に力が湧き、一つ一つ乗り越えてくることができました」
ソムポンさんは、8年前に発足したタイ壮年部・王城会の初代委員長に就任。社会でも実証を示し、師に学んだ振る舞いを自らの行動で伝えている。
現在、王城会のメンバーは全国で1000人。会合の運営等に尽力し、タイ広布を力強く支えている。
92年2月5日、タイ広布31周年を記念する総会で、先生はタイに伝わる格言を引いた。
——カエルは蓮華の下に生まれ住むが、蓮華の花の蜜の味を知ることはない。しかし、ハチは遠くから飛んできて蜜を味わう。
この格言に触れ、先生は呼び掛けた。
「どんなに御本尊の近くにいても『信心』がなくなり、狂ってしまえば、もはや、全く功徳はない。反対に、仮にどんなに離れていても『信心』があれば功徳は無限である。皆さま方は、さらに、その偉大な実証を示していっていただきたい」
どこまでも「信心」が根本であり、妙法を唱える限り、胸中には永遠に希望の太陽が昇ると訴えたのである。
先生と初めての出会いを結んだワンナー・パンローンさん(婦人部本部長)は、この指導を、本当にその通りだと実感していた。
洋服の仕立業で生計を立てていたが、客足は遠のくばかり。膨らむ借金に夜逃げを考えた。"これ以上、迷惑を掛けるくらいなら死を選んだ方が……"。
ワンナーさんが人生最後と決めていたその日、近隣の学会員から声を掛けられた。自宅に招かれ、短い時間だったが、御本尊の前で真剣に手を合わせた。
店に戻ると、思いがけなく大口の依頼が舞い込んだ。しかも先払いでいいという。「祈り始めた日をきっかけに、まるで客層が一変したかのようでした」
数々の体験を積み、ワンナーさんは87年に御本尊を受持した。
「以前は悩みがあるたび、"あれが悪い、これが悪い"と、ひたすら原因探し。今は、まず自分が変わることで問題を解決できる確信があります。何事にも希望を見いだせるようになりました」
92年の先生との出会いは、ワンナーさんにとって父を亡くしたばかりでもあり、先生の慈愛が、まるで父のように感じられた。
「希望の仏法を教えてくださった先生に、どうしたらご恩を返せるか——祈るほどにその思いが強まります」
ワンナーさんはタイで最も面積が広いナコーンラーチャシーマー県で対話に歩き、これまで40人以上に弘教を実らせてきた。
悩みに真正面から立ち向かい、勝ち開いた体験を耳にするたび、地涌の使命に感謝を深める日々だ。
「どこかに涼やかな河が流れていれば、旅人たちが必ず寄ってくる。彼らは河のほとりで水を浴びたり、飲んだり、安心してくつろぎ、楽しむ。誠実な良き人はこの川のようである」
古来、タイの人々を潤してきたチャオプラヤー川を題材に、ある詩人は詠んだ。
92年の記念総会で池田先生はこの言葉を紹介。タイの同志こそ、"涼やかな河"とうたわれる誠実な一人一人であるとたたえた。
そして先生は、一次元から言えば、釈尊が「良き人」であったがゆえに、仏教もあらゆる人々から慕われ、広まっていったと言及。「さらに『人格』を磨きつつ、チャオプラヤー川の流れのごとく、タイの人々に限りない『安らぎ』と『潤い』を贈りゆく"希望の大河"となっていただきたい」と念願した。
当時、鼓笛隊の一員だったノンワディー・タニンマーンさん(婦人部員)は、94年2月6日、先生を歓迎演奏で迎えている。
「先生がこんなに間近で激励してくださるとは思わなくて、バトンを落とさないように必死でした。三色旗を振られて、『ありがとう』と優しく声を掛けてくださいました」
この時、ノンワディーさんはタマサート大学で学んでいたが、成績が振るわず、退学寸前まで追い込まれていた。「国際経済の単位が取れなくて。でも、鼓笛隊の練習に一歩も引かず、猛勉強しました。今の仕事はまさにその分野なんです」
卒業を果たし、イギリスの大学院に留学したノンワディーさん。帰国後は経済・政治番組のコメンテーターとして、多数のテレビに出演。司会やリポーター、ラジオのパーソナリティーも務める。
収録だけでなく、ノンワディーさんは企画段階から編集作業まで携わる。鼓笛隊・未来部時代に司会や案内、清掃等、それぞれの役員を経験したことで、各部門に配慮ができ、多くの人の協力で成り立つ番組作りを円滑に進められるようになったと振り返る。
最初は番組の進行で悩む場面もあったが、今は難しい内容を視聴者に分かりやすく伝えつつ、まるで家族との雑談のようにリラックスして番組をリードできるようになった。
「番組にもたくさんの反響があり、まるでこの仕事をするために私は生まれてきたようです」と、充実を語るノンワディーさん。
「何事にも深い意味があると感じます。悩みは全て、やがて誰かを勇気づけるためのものですし、それが宿命を使命に変えるという戦いだと思います」
仕事や生活での実証を通し、人生の苦難と闘う中で磨き上げられた人格の輝きが、チャオプラヤー川の流れのようにタイの隅々にまで広がっている。