わが生命には
宿命を使命に変える
無限の力がある!
この歓喜と確信で
堂々と今日を勝とう!
千日尼御前御返事 P1316
『譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり』
☆女性に贈ることば 十一月十四日
子どもは大きくなれば、親の手を次第に離れていくものだが、その大事な離陸の時が、小学校低学年の時期です。この時期こそ、お母さんが心して子どもと向きあうべき時です。
☆今日のことば365 十一月十四日
基礎づくりの時は、背広でなく作業服が必要だ。
見栄坊では、完全なるものはできまい。
☆希望航路 池田先生と進む人生旅 タイ2 2017年11月5日
◇友を潤す慈愛の大河たれ
昨年10月、タイのプーミポン国王が88歳で崩御され、国葬が先月25日から29日まで営まれた。
在位70年にあって、プーミポン国王は国民の絶大な尊敬を集め、タイの発展と国民の融和の要となってきた。
池田先生はプーミポン国王を3度、表敬している。その最初の会見は、1988年2月3日。24年ぶりのタイ訪問の折だった。
心から敬愛するプーミポン国王と人生の師匠である池田先生の出会い。それは同志が待ち望んだ瞬間だった。
語らいは1時間に及び、日タイの交流、文化、平和、芸術など多岐にわたった。
先生は国王御撮影の写真展を、日本やアメリカなどで開催することを提案。翌89年、国王御撮影の特別写真展が実現する。
会見の模様は、国営放送のトップニュースで放映された。
タイでは、創価学会の活動に対して誤解や偏見を持つ人もいた。このプーミポン国王との会見によって、学会がタイの発展と平和を願い、そのために貢献する団体であることが正しく認識されていったのである。
スリー・イアムウィリヤポンさん(副婦人部長)は、この会見の直前に池田先生から激励を受けた。
「タイでの行事が全て大成功することをお祈りしています」——スリーさんがそう伝えると、先生は「ありがとう。偉いね」と。諸行事の運営役員として陰で奔走するスリーさんを励ましてくれた。
「タイ中の同志が心を合わせ、訪問の大成功を祈っていました。タイの広宣流布を永遠に盤石たらしめる原点になる。そう確信していました」
当時、スリーさんはタイの女子部長。前年(87年)5月、日本で先生と出会いを結び、「先生をお迎えできるように、タイの女子部は頑張っています!」と決意を伝えていた。
スリーさんは幼少の時から、原因不明の体調不良に悩んできた。どの病院でも、医師の答えは同じだった。
近所の顔見知りから信心を勧められた。教えられるままに題目を唱えると、体の不調が消えた。実証を得て、13歳で入会した。
その後、女子部長に就任したスリーさんはタイ全土を駆け、師と歩む充実の青春を訴えた。88年の先生の訪問時には、5000人が集うまでに発展。見事に拡大の誓いを果たすことができた。
この訪問から明年で30年。タイでは、広宣流布大誓堂完成5周年の明2018年へ向けて、タイ語版の御書発刊に取り組んでいる。
スリーさんは2010年から翻訳グループの責任者を務める。21人の委員が、毎週、英語版と中国語版を参考に、丸1日がかりで翻訳を進める。
「今、立正安国論や観心本尊抄、一生成仏抄の翻訳をチェックしています。大聖人の御精神が後世に伝わるよう、一字一句を慎重に検討しています」
仏教国のタイでは、信心を語る際に日蓮仏法への深い理解が欠かせない。教学の研鑽に重きが置かれ、先生の教学著作も数多くのタイ語版が発刊。今、御書の完成が待望されている。
スリーさんは語る。
「今年5月には"法華経展"が開催され、タイの広宣流布が新たな段階に入ったことを感じます。最高の御書を出版するために、池田先生の近年の御書講義もしっかりと学び、全員が広布に戦い切って臨んでいます」
「やっと、皆さま方が待ちに待ってくださった、わが愛する花と緑の美しき心のタイの国を訪れることができました」——88年2月4日、先生はタイの代表者の集いに出席。
27年前の同国初訪問の思い出を述懐し、あらぬ誤解や中傷に屈することなく、広布の歩みを進めてきた同志に感謝を伝えた。
「さまざまな逆境の激しい嵐も、全て自身の成長への糧として、大いなる信心の『結実』をたくましく目指されている。その強き信心の姿を、日蓮大聖人はいかばかりか賛嘆してくださるに違いない」
「『一生成仏』の信心である。一生の最後の最後まで信心を貫き通してこそ、『成仏』という、人間として最極の『結実』を得ることができる」
滞在中、先生は行事を支えた役員、創価大学からの留学生や卒業生、タイの学生部と記念撮影を行っている。
ピチャイ・ポンサーサオワパークさん(副本部長)は、この出会いを原点に、人生の冬を春に変えてきた。
11人きょうだいの9番目に生まれたピチャイさん。家族を養うため、小学校を卒業すると働きに出た。
79年、知人から折伏を受け、両親と共に入会する。経済革命を果たし、一家が余裕を持って暮らせる家に転居することができた。
その後、ピチャイさんはデザイン関係の会社を設立。順調な経営を続けていたが、2008年、依頼主が行方をくらまし、多額の借金を背負ってしまう。
金策に奔走するが、ピチャイさんは体調を崩し、歩行も困難に。さらに帯状疱疹などを発症してしまう。
「先生はあの時、必ず乗り越えられると断言された。その思いを裏切るわけにはいかない」——ピチャイさんは、"かつてない悩みは、かつてない祈りで解決してみせる"と決めた。別の事業を立ち上げ、2年がかりで借金を返済。体調も元に戻すことができた。
画廊のリノベーションをきっかけに、ピチャイさんは、幼い頃に抱いていた絵の道を志す。難関の大学院に合格し、仕事を続けながら美術を専攻。講師よりも年上だったが、同期の中で一番早く卒業することができた。
これまで450の作品を手掛け、国内外で賞に輝いている。
「一番の教えを信じれば、その人も一番になる。まさに大聖人が示された通りでした。冬の厳しさや苦しみを知るからこそ、絵に込められる思いがあります」とピチャイさん。
「感謝を忘れず、勇気の信心を続けていきたい」と絵筆を握る。
88年の滞在で、池田先生はタイ到着とともに「微笑の国 豊饒の大地」と題する長編詩の制作に取り掛かり、同志に贈っている。
おお 愛する 愛するタイの友よ
チャオプラヤーはいま
燦たる旭日を浴び
金の帯となって
黄金の稲穂実る沃野を流れゆく
あなたたちもまた
平和と文化と友誼の
母なるチャオプラヤーとなって
友を 社会を潤してくれ給え
師の期待を力に、友は自らの人間革命の挑戦で、広布の滔々たる流れを広げていく。