◇今週のことば
「法華の題目は
獅子の吼ゆるが如く」
たゆまぬ勤行・唱題で
大生命力を出せ!
栄光は基本の持続から。
2017年11月12日
千日尼御前御返事 P1311
『但法華経計りこそ女人成仏悲母の恩を報ずる実の報恩経にて候へと見候いしかば悲母の恩を報ぜんために此の経の題目を一切の女人に唱えさせんと願す』
☆女性に贈ることば 十一月十二日
欲しいものが、すぐ手に入るのが幸福ではない。悩みがないのが幸福なのではない。甘やかされては、卑しく、心の貧しい、わがままな人間になってしまう。
たとえ今は苦しくとも、希望を見つめ、苦労の坂を一歩一歩、上っていく。少しずつ、自分の力で自分の夢を実現していく。その人こそ、本当の深い喜びを知る人である。また、ここに、人間としての美しい人生がある。
☆今日のことば365 十一月十二日
長所は常にその裏に短所をはらんでいる。いかなる良薬であっても用い方ひとつで毒にもなる。問題は、せっかくの特質をどのようにして長所として生かしていくかである。そこに優れた英知の必要性があるわけだ。
☆明日を求めて 池田先生の対話録�第45回 リサール協会元会長 キアンバオ氏 2017年11月3日
◇「歩んだ道に悔いはない」この英雄の生き方を未来へ
「先生、お久しぶりです!」
目を輝かせたキアンバオ氏が、うれしそうに池田先生のもとへ。2008年10月11日、創価大学で行われた、先生への市立マニラ大学「名誉人文学博士号」の授与式に、氏が出席した折のこと。
先生は遠来の労に感謝し、「いつまでも健康で、長生きで! 私は貴殿を『英雄』とたたえます!」。
2年ぶりの再会。フィリピンと日本で、会見は10度を超えていた。そのたびに、フィリピンの国民的英雄リサールの生涯などを巡り、語らいは尽きなかった。
氏は先生を、敬愛の念を込めて「センセイ」と呼ぶ。
「池田先生は、リサールだけでなく、世界のあらゆることについて豊富な知識をお持ちです。私は先生の"弟子"と思っています」
先生もまた、氏のことを「私たちの永遠の兄弟です。永遠の同志です」と。
初会見は1996年11月8日。リサールの没後100年の年であった。氏は、自らが会長を務める「リサール協会」の最高栄誉である「リサール大十字勲章」を、先生に贈るために来日した。
東京牧口記念会館に氏を迎えた先生は、リサールにささげる自作の長編詩「暁の光を のぞみて」を手渡した。
そして会見を終えると、先生は氏が乗り込む車のドアを自ら開けて、丁重に見送った。
当時のことを、氏は「たくさんの指導者にお会いしましたが、ここまでする指導者はいませんでした」と、感慨深く回想した。
◇
ホセ・リサール。フィリピンでその名を知らない人はいない。
作家や詩人としてのみならず、哲学者、教育者、医学者、農学者等としても活躍し、20以上の言語に通じた。
300年以上続いていたフィリピンの植民地状態に、彼は「ペンの力」で立ち向かった。
「私は民衆を深い眠りから目覚めさせたい」(『暁よ紅に』)
「知恵と心を表現する一番効果的な手段はペンである」(同)
この熱烈な信念で、長編小説『ノリ・メ・タンヘレ(我に触れるな)』『エル・フィリブステリスモ(反逆・暴力・革命)』等を著し、忍従を強いられた祖国の姿を克明に描いていく。
政府当局は彼を危険視し、"反乱を扇動する者"として逮捕、流刑にした。そして1896年、彼を革命の「首謀者」と決め付け、35歳の若さで死刑に処した。
銃弾は、リサールの命を奪ったが、その精神を消し去ることはできなかった。彼の死は、正義を求める民衆の感情を沸き立たせた。フィリピンが独立を宣言したのは、その2年後であった。
民衆愛を貫いた"独立の父"の魂は、今なお人々の胸の内に生きている。
フィリピンには、彼の名を冠する団体が多くある。中でも大きな影響力を持つのが、1911年に設立されたリサール協会である。
リサールの行動と理念を、世界に伝えることを使命とするリサール協会。96年から4年間、同協会会長を務めたキアンバオ氏は、学生時代にリサールの本を読み、その人生を本格的に学び始めた。
リサールの精神を体現する人物を宣揚することが、彼の心を現代によみがえらせることになる——氏が先生との友情を大切にし、同協会からの栄誉をもってたたえ続けてきた理由も、そこにあるといえよう。
2度目の出会いは、98年2月8日だった。殉難の地にあるマニラのリサール公園を訪れた先生を、氏が迎えた。
同公園には、「ホセ・リサールの像」がある。軍楽隊の演奏が響く中、氏に導かれて、先生はゆっくりと歩み、像に献花した。
この訪問の折、リサール協会の「リサール国際平和賞」の授賞式がフィリピン国際会議場で行われ、第1号となる同賞が、ラモス大統領から先生に贈られた。
キアンバオ氏は述べた。
「(池田先生は)文化と教育の力で、人々を結び、平和を築こうと行動されている——これは、フィリピンの国家英雄リサール博士の行動と完全に一致します」
真心に深く感謝しつつ、先生はこう語った。「世界に、『戦争の英雄』の像は多い。しかし、『平和の英雄』『人道の英雄』を顕彰する像は、あまりにも少ない。だからこそ私は、リサール博士の精神を、全世界に広め、新世紀へ受け継いでいくことが、『平和』と『人道』の拡大につながると確信するのであります」
◇
この言葉通りに、先生は折に触れ、リサールの生涯や言葉を通して、全世界の友を励ましてきた。
そして二人の友情は、初会見から20年以上が経った今も、年を重ねるごとに輝きを増す。
"未来に平和の「種」をまきましょう"——そう約し合った二人にとっての喜びは、海を超えて育まれる青年同士の絆であろう。
創大では現在、国立フィリピン大学をはじめ、フィリピンの8大学と教育交流を進めている。
氏も毎年のように、先生の誕生日である1月2日には、近隣の子どもたちや創大からの留学生らを自宅に招き、"友情の集い"を行うなど、未来を担う若人の成長を見守り続ける。
民衆の幸福のために生き抜いたリサール——殉難を覚悟していた頃、彼はこうつづり残した。
「私は、自分の歩んできた道を後悔していない。もし、いままた一から始めたとしても、私は同じことをするだろう。なぜならば、それが私の使命だからである」
二人が深く願うのも、こうした平和と正義の精神を継ぎ、自らの使命の舞台に羽ばたく人材が、陸続と躍り出ることである。
ロヘリオ・キアンバオ 1940年、フィリピン・マニラ生まれ。イースト大学法学部修士課程修了。ケソン市やマニラでバランガイ(日本の「村」にあたる最小の行政単位)代表会議議長を歴任。バランガイを代表して国会議員も務めた。96年から4年間、ホセ・リサールの精神を継承し、宣揚する「リサール協会」の会長を務め、現在も国内外で活動している。同協会からは池田先生に「リサール大十字勲章」「国際平和賞」「国際青年平和賞」等が贈られている。