2017年11月9日木曜日

2017.11.09 わが友に贈る

座右の書を見つけよう!
読書は「心の栄養源」
「生涯の財産」だ。
一冊の良書には
人生を変える力がある。

上野殿母尼御前御返事 P1515
『止観第五の事正月一日辰の時此れをよみはじめ候、明年は世間怱怱なるべきよし皆人申すあひだ一向後生のために十五日まで止観を談ぜんとし候が、文あまた候はず候御計らい候べきか』

☆女性に贈ることば 十一月九日
宿命を真正面から見据えて、その本質の意味に立ち返れば、いかなる宿命も自身の人生を深めるための試練である。
そして、宿命と戦う自分の姿が、多くの人の鏡となっていくことを忘れまい。

☆今日のことば365 十一月九日
太平洋の広さの如き、境涯で、一生を送りたいものだ。
太平洋の怒濤の如き、生命力で、一生を戦いたいものだ。
太平洋の黒潮の如き、情熱で、一生をはつらつと送りたいものだ。

☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生第5回 札幌創価幼稚園 1976〜78年度 2017年10月24日
◇世界一の幼児教育の城を!それが私の夢です。根本は不幸な人を出さないことだ。
「あっ、池田先生だ!」
真新しい園舎に、王子・王女たちの声が響く。
1976年4月16日。札幌創価幼稚園(札幌市豊平区)で、晴れの第1回入園式が行われた。
創立者の池田先生は、新入生を出迎えるため、式典の1時間以上前から玄関で待っていた。
「入園おめでとう!」
「よく来たね」
一人一人、頭をなで、頬をさすり、抱きかかえて歓迎する。
北海道は、恩師・戸田先生の故郷である。
また札幌は、創価教育の父・牧口先生が学んだ北海道尋常師範学校(当時)や、教師として初めて教壇に立った同校の付属小学校があった場所だった。
"この地にいつか創価教育の城を"——池田先生は、創価学園の設立構想の段階から一人、心に期していた。
小説『新・人間革命』には、その真情を綴っている。
「札幌に、創価一貫教育の最初の門となる幼稚園をつくり、日本一、世界一の幼児教育の城にしたい。それが、私の夢だ」

◇21世紀の指導者を
先生は入園式の前日から、札幌幼稚園を訪れている。準備に奔走する教職員をねぎらいつつ、未来を展望して語った。
「この幼稚園を、日本一、世界一にしたいね。日本一、世界一ということの根本要件は、何よりも、この幼稚園からは、一人も不幸な人間を出さないということです。札幌創価幼稚園は、創価教育の出発点となります。目標は、21世紀の人間主義の指導者を育てることです」
年少1クラス、年長3クラスの合計155人からのスタート。
入園式で先生は、子どもたちの輪に飛び込み、自ら人間教育の範を示していった。
ピアノで「さくら」を演奏し、園児と記念撮影や植樹を。式典が終わった後も、握手やハイタッチをして、一人一人と交流し、忘れ得ぬ思い出を刻んだ。
さらに先生は、さくら組の三浦啓禎さん(1期卒園)に、自身が着けていた白バラの胸章を手渡した。
「池田先生を間近に見て、うれしさと恥ずかしさでいっぱいでした」と三浦さん。
幼い頃から体が弱く、クラスでも背が低い方だったが、1年間、元気に通い続けた。
小学校に上がると、体調を崩して休みがちに。勉強が追い付かず、悩んだこともあった。それでも、不屈の負けじ魂で地元の中学・高校を卒業。社会人となった。
だが、やがて過労で体が悲鳴を上げ、退職と入院を余儀なくされてしまう。その後も入退院を繰り返し、思うように働けない日々が続いた。
そんな三浦さんの支えになったのは、家族や創陽会(卒園生の集い)の仲間たちの存在だった。
何より、苦しい時はいつも先生から贈られた胸章を手に取って、自分を奮い立たせてきた。
——あの日、入園式から帰った三浦さんは、先生からの胸章を制服に着けて写真を撮った。
そこには、白い大きな花を胸に、誇らしげな表情を浮かべる姿が写っている。
"絶対に負けない! 必ず自分の使命の人生を開いてみせる!"
根気強く治療に励み、三浦さんは10年以上の歳月を経て、社会復帰を果たした。
現在は、児童福祉施設に勤めている。
「どんな子にも、自信を持って生きてもらいたい。先生が私を励まし続けてくださったように、今度は私が子どもたちの支えになっていきたいと決意しています」

◇将来は創大へ
入園式当日、子どもたちは「通園バス」に興味津々の様子だった。
それを見た先生は、試運転することを提案。共にバスに乗り、園児たちを送り届けた。
翌日(17日)にも、一緒にバスへ。車内は、先生を囲む"触れ合いの広場"となった。
ある園児が「大きな羽を2枚つけて飛ぶもの、なーんだ?」とクイズを出す。「チョウチョウ」と答えた先生に、「当たりー」と笑いかけた。
そうしたやりとりの中で先生が「一生懸命に勉強して、大きくなったら創価大学にもおいでね」と呼び掛けると、「はーい!」と元気な声が返ってきた。
年少クラスだった舟生日出男さん(2期卒園)も、その場にいた一人だ。
入園の折、優しく迎えてくれた先生の姿は、今も心に焼き付いている。後年、先生の教育に懸ける思いを知り、大学教員の道を志した。
受験で一度は不合格になるも、1浪して特待生で創大の教育学部へ。先生との約束を果たした。
卒業後は、東京工業大学と東京理科大学の大学院を経て、大学教員に。先進の学習支援システムを研究する。
「学生たちが、共に深く学び合い、着実に成長できる学習環境を整えたい」と、母校・創大で教育に尽くす毎日だ。

◇忘れていないよ
開園2年目の77年。この年、池田先生が初めて幼稚園を訪問したのは、9月生まれの園児たちのお誕生会だった。
会場となる遊戯室に入った先生ご夫妻は、皆を見守るように、場内後方に座った。
「きょうは、創価幼稚園に来てくださって、どうもありがとうございます!」
園児の代表2人が、先生と香峯子夫人に歓迎の花束を贈呈。各クラスによる発表が始まった。
鼓笛隊として見事なステージを披露したのは、すみれ組。年長の中で唯一の2年保育のクラスである。入園から1年半の成長を見てもらおうと、皆で張り切って練習してきた。
舞台では、大小の太鼓や鉄琴、鍵盤ハーモニカを手に合奏を。その前では、リズムに合わせてバトンを回す子も。演奏が終わると、先生は満面の笑みで拍手を送った。
最後に全員で先生が作詞した「厚田村」を合唱し、催しは幕を閉じた。
この日、先生は、懸命に頑張る園児や教員の様子をカメラに収め、後に写真を贈っている。
すみれ組の担任だった鈴木郁子さんには、ピアノ伴奏をしている姿を。「"いつも見守っているからね"との、先生の温かな心を感じました」と振り返る。
先生は会場を後にすると、居合わせた教職員に言った。
「本当に成長した。1年であんなに立派になるとは思わなかった。札幌の幼稚園から偉い人がどんどん出るよ!」
ご夫妻に花束を渡したのは、宮田正靖さんと久保美奈子さん(共に3期卒園)である。
宮田さんは東京・創価高校に進んだ後、東京大学、同大大学院に学び、札幌幼稚園初の「工学博士」に。大手電機メーカーに研究員として勤務する。
久保さんは創大を卒業し、現在は東京・創価学園がある小平市で2児の母として奮闘。長女を東京創価小学校に送り出している。
"お誕生会の原点"から40年の節を刻んだ本年9月、2人は近況を記した手紙とバラの花束を先生に届けた。
すると先生は、全卒園生への思いも込めて、真心の伝言を寄せた。
「ありがとう。本当にうれしい。札幌創価幼稚園、万歳だ! みんな、忘れていないよ」