御聖訓「例には他を
引くべからず」。
リーダーが率先垂範を!
そこに真の団結と
前進の勢いが生まれる。
妙一尼御前御消息 P1253
『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』
☆女性に贈ることば 三月二十八日
智慧は慈悲から生まれる。
慈悲は勇気から生まれる。
勇気が慈悲に通じ、さらに智慧に通ずるのだ。
☆今日のことば365 三月二十八日
優柔不断を 包容と錯覚してはならぬ
卓越した決断力が
そこにあってこそ
独自の光輝を発するからだ
☆大学は平和の門 第6回 王立プノンペン大学 2017年3月16日
◇創価大学との交流15周年 響き合う「生命尊厳」の哲学
30年近く続いた内戦を越え、近年、経済成長を続けているカンボジア。産業の多様化を図る一方で、それを支える人材が渇望され、教育の充実が求められている。
それはまた、ポル・ポト政権時代の闇と決別する、"復興"への道程でもある。1975年4月からの約4年間の圧政により、教員などの知識人を含む200万人以上が命を落としたといわれる。学校は次々に破壊され、教材は焼き捨てられた。その爪痕は今も癒えてはいない。79年に同政権が倒れ、翌年に壊滅的な状況から復活を遂げた大学がある。
その名は、王立プノンペン大学。60年に創立された、カンボジア最高峰の総合大学である。同大学は、内戦で荒廃した祖国の再建をリードし続けてきた。
2002年3月、当時のプッ・チャムナン学長(現在は教育・青少年・スポーツ省長官)が創価大学を訪問した。創大創立者の池田先生に、王立プノンペン大学の第1号の「名誉教授」称号を授与するためである。
創大で、学長は語った。「長く内戦に苦しんできたカンボジアの国民にとって、一番必要なのは本当の平和です。平和の哲学です。だから、池田先生に学びたいのです」
生命を守る教育の重要性を知悉する学長だからこそ、池田先生の「生命尊厳」の哲学と国際的な教育交流に共感を寄せ、創大との学術交流に期待を抱いたのである。
今月19日、両大学の学術交流は、15周年を迎える。プノンペン大学からは10人の交換留学生が創大へ。プノンペン大学で学んだ創大生の中からも、カンボジアと日本の友好に貢献する人材が誕生している。
★カンボジア日本人材開発センター 非常勤講師 オク・ソッケンさん
◇圧政に耐えた両親の思い
カンボジアの高校・大学進学率は、"15%未満"ともいわれています。要因の多くは貧困で、地方には、小学校の卒業さえ断念する子も少なくありません。
そうした中で、私が学業に専念してこれたのは、奨学金制度のおかげです。プノンペン大学を成績優秀奨学生として卒業しました。
このことを誰よりも喜んでくれたのは、両親です。
祖父がフランス語の教師だったため、知識人が次々に粛清されたポル・ポト政権下で、私の家族は激しい弾圧を受けました。何とか命は助かりましたが、当時まだ幼かった両親まで強制労働をさせられ、母の体には今も、その際に負った傷痕が残っています。
満足な教育を受けられなかった両親は、「できることなら大学に行きなさい。悔いのないように勉強するんだよ」と、私を励まし続けてくれました。
両親の期待に応えるため、そして、大学に行けなかった同胞のためにも、学問に徹し、祖国カンボジアの平和と発展に貢献しようと決心したのです。
日本語を専攻した私は、大学3年次、カンボジアで開かれた、日本語スピーチコンテストの全国大会で、最優秀賞を受賞することができました。その直後には、念願だった創価大学への交換留学も実現し、創立者・池田先生の指針に多くを学びました。
「大学に来たのは学問をするために来たのだ。学問をおろそかにする人は来る必要はない」
「社会のためにも人々のためにも、力ある丈夫でなければ何の奉仕もできない。弱き観念の人生であっては断じてならない」
この池田先生の言葉が、今も印象に残っています。また、先生の指針を胸に学ぶ創大生の向学心の強さにも触発を受けました。
私は今、「カンボジア日本人材開発センター」で、日本語の非常勤講師を務めています。そして、来月からは、国費留学生として再び日本に渡り、国立大学の研究生となります。
「学ばずは卑し」との池田先生の教えを忘れず、自身を高めていきます。
★留学経験者 創価大学33期 菅野 江里香さん
◇現地で働く先輩の姿に感銘
私が、創価大学の東南アジア研究会の一員として、カンボジアを訪れたのは、大学3年次の2月。毎年行われている、研究会の海外研修に参加したのです。
現地で、研修のガイドをしてくださったのは、創大を卒業した先輩方でした。「池田先生の平和の信念を継ぎ、カンボジアに骨をうずめる覚悟で来ています」と語る先輩たち。クメール語を自在に使い、地雷撤去会社の社員やJICAの職員として、社会に貢献する姿に感銘を受けました。
高級車が走り、デパートやレストランが並ぶ首都の市街地。しかし、一方で、"ゴミ山"やスラム街も存在します。耐えがたい悪臭が漂うゴミ山では、数え切れないほどの子どもや大人たちが、危険を顧みず、お金になる鉄くずを拾い集めていたのです。その光景はあまりに衝撃的でした。
もっと深くカンボジアについて学ぼうと思い、プノンペン大学付属語学学校への留学を決意しました。
池田先生が名誉教授称号を受章されたプノンペン大学。両親は、「池田先生が開いてくださった道だね。頑張ってくるんだよ」と背中を押してくれました。
池田先生から、「元気で行ってらっしゃい」との伝言を受け、カンボジアへ。私は、再びゴミ山を訪れました。付近に住むご婦人に「今、一番欲しいものは何ですか」と伺うと、「子どもたちが元気でいてくれれば、それで十分です」と。母の願いは"世界共通"なのだと感激しました。
カンボジアの人々と交流し、最も印象に残ったのは、「笑顔の輝き」です。過酷な環境の中にあっても、人々は常に希望を抱いていたのです。現地の小学校を訪問した際も、子どもたちは瞳を輝かせ、将来の夢を語ってくれました。
相手に何かを施そうとする前に、謙虚に相手の長所に学び、相手を理解していくことこそ、友好の第一歩であると実感しました。
今、東京都内の小学校で教員をしています。カンボジアの子どもたちの様子を語り、異文化交流の大切さを伝えたいと思います。