仏法は「桜梅桃李」。
人と比べる必要はない。
焦らず着実に進もう!
どこまでも自分らしく
使命の花を咲かせゆけ!
衆生身心御書 P1590
『法華経と申すは随自意と申して仏の御心をとかせ給う、仏の御心はよき心なるゆへにたといしらざる人も此の経をよみたてまつれば利益はかりなし』
☆女性に贈ることば 三月二十四日
子どもは本来、伸びよう、成長しよう、という生命の勢いをもっている。何かのきっかけで、ぐんぐん伸びていくときの子どもの成長の速さは、まことに目覚ましい。
子育てとは、基本的には、この子どもの生命力の流れを正しく導き、成長をはばむものを取り除いてあげることではないだろうか。
☆今日のことば365 三月二十四日
公平な人になりたい。いや、陰の人、淋しい人、悲しんでいる人の味方でありたい。
☆3・16記念 イタリア青年部総会 2017年3月14日
世界広布は青年の手で! 師と共に、同志と共に!!——3・16「広宣流布記念の日」を祝賀するイタリアSGI(創価学会インタナショナル)の青年部総会が12日(現地時間)、フィレンツェ市のイタリア文化会館で晴れやかに行われた。これには池田博正SGI副会長、寺崎SGI平和運動総局長らSGIイタリア派遣団をはじめ、欧州のタカハシ議長、プリチャード女性部長らが出席。池田大作先生は祝福のメッセージを贈り、「学会創立100周年をめざし、共々に勇敢に楽しく、栄光の広宣流布の山の登攀をしていこう」と呼び掛けた。
青年たちは、歓喜に沸いていた。
前日(11日)に行われたフィレンツェ市から池田先生への「名誉市民」称号授与式の、感動さめやらぬ中での青年部総会だったからである。総会会場のイタリア文化会館の立つ場所が、ほかでもないフィレンツェであることも、喜びを二重にさせたのだろう。
「今こそ、池田門下が社会に信頼を広げていく時だ」「私がその一人に」「僕が先駆者に」——皆が口々に決意を語り、会場に熱気をもたらしていた。
青年よ一人立て!
これが、池田先生がフィレンツェを初訪問した1981年から変わらない、イタリア青年部の心意気である。
同年5月30日、先生は青年に訴えた。「太陽が昇れば、地球は明るくなる。『太陽の仏法』を受持した人が、その一家に、その社会に、一人存在することで、太陽のごとく、すべての人を救える」
◇センセイ! 広宣流布は私たちがやります
青年には、未来があり、希望がある。だからこそ、その一人を育てるために、先生は心を尽くした。一人一人に励ましを送った。
1981年、先生はフィレンツェに滞在した5月28日から6月2日までの6日間、諸行事の合間を縫って、常に青年たちと行動を共にした。ミケランジェロ広場で、ベルベデーレ要塞で、ボーボリ庭園で、ヴェッキオ宮殿で……。
フィエゾレの丘では市街を眺望しながら、「今、ここから見える一つ一つの窓の中に、将来、御本尊を持った同志がいることを想像してごらん」と語り、必ず広宣流布はできるとの確信を与えた。
市内の公園にある石造りの野外円形劇場では「いつの日か、イタリアにも大きな会館を建てて、皆で記念の総会をやろうね」と、ロマンを分かち合った。
◇
先生は92年、94年にも同市へ。それは青年たちにとって、金の思い出となっている。
男子部のシンイチ・カネダさんも当時、師との出会いを結んだ一人だ。92年、先生がイタリア文化会館を訪問した折に声を掛けられた。「将来、創価大学にいらっしゃい」と。
当時10歳だったシンイチさんは即答した。
「行きます!」
このやりとりを、今も鮮明に覚えている。
「実は私の両親は日本語を話せるのに私は話せなくて悩んでいたんです。創価大学に行くためには、日本語を習得しなければならない。そのためのきっかけと勇気を先生は与えてくださったのです」
シンイチさんは出会いから11年後、創価大学の別科生に。師との約束を果たした。
その後、経営学部を卒業し、今は母国の有名ブランド企業で働きながら、イタリア広布に走る。
シンイチさんは力強く語った。「フィレンツェは、自分が育った街。何より、先生との原点を築いた街。この地で生涯、誓いを貫きます!」
イタリアSGIの強さ。それは、青年部が拡大をリードしていることだ。
昨年1年間に実った弘教は2000世帯。今年は9000世帯の目標を掲げている。
拡大を果たし、また拡大を誓う「3・16」記念の青年部総会。
皆が自身の課題に挑み、皆が戦い勝って集い合った。総会運営の中心を担ったルカ・リッチョーニ副男子部長も、3カ月前に弘教を実らせている。
◇
晴れの総会では、サンティ男子部長、バッティスティーニ女子部長があいさつ。
続いてジャスミーナ・チプリアーニ副女子部長が活動報告した。ジャスミーナさんは両親の別居などの悲しみを経験。思春期を迎えてからは心の隙間を埋めるために悪友と付き合い、道を外れ、町の住民からも偏見の目で見られるようになっていったという。
結局、高校を中退。だが2000年に父親が入会したことで転機が訪れる。ジャスミーナさんも題目をあげ始めると、心が前向きになり、ずっと現実から逃げてきた"自分の弱さ"と決別することができた。そして05年、入会。同じ日に、ジャスミーナさんの変化に触発された母も入会したのである。
学会活動に懸命に励む中、一つの"夢"が芽生える。それは教師になること。
"かつての私がそうであったように、悩み苦しんでいる若者を救っていくことを、私の使命にしたい"と。
最終学歴は中学校卒業。だが諦めない。働きながら勉強し、夜間高校を卒業した。奨学金で大学にも進学し、先月、見事に卒業を果たす。「どんな状況であっても、人生は変えられる。その喜びを多くの人々に伝えたい」と胸を張った。
チュッロ青年部長は「自他共の幸せを祈り抜き、その実現に行動しゆくのが青年部の使命です」と強調した。
池田SGI副会長は、池田先生の第3代会長辞任から2年後の81年に実現した先生のイタリア訪問を述懐。その意義は、世界広布の新たな大河を築くためにあったと語った。そして、この誉れの歴史を胸に、イタリア青年部から人材拡大の波動をと望んだ。