人生は強気でいけ!
信心とは
不屈の楽観主義だ。
「私は勝つ!」と
前へ、また前へ!
二乗作仏事 P594
『師子身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず多く我が仏法を壊りて大罪過を得ん』
☆女性に贈ることば 三日十二日
女性の場合、決して、いわゆる青春時代のみが花なのではない。若い時代にどんなに華やかであっても、その幸福は浅いものだし、また一生続く保証もない。
長い目で見た時には、心にしっかりした芯をもっている人は、時とともに、輝いていくものだ。
☆今日のことば365 三月十二日
人の悪口、批判……。
する場合もある。される場合もある。
互いに人格を尊重していくべきだ。常に自己を磨くことだ。
自己を磨くことを忘れての悪口は、批判は、互いに愚かである。
☆四季の励まし 滔々たる人材の流れを 2017年3月4日
未来の一切は、
後継者で決まる。
若い人が
命を継いで立ち上がってくれれば、
将来も
永遠に勝ち続けることができる。
滔々たる
人材の流れをつくった人が、
本当の勝利者である。
"後継"と
"後続"とは異なる。
後方の安全地帯に身を置き、
開拓の労苦も知らず、
ただ後に続く
"後続の人"に、
"後継"の責任を果たすことなど
できようはずがない。
"後継の人"とは、
勝利の旗を打ち立てる
"先駆の人"でなければならない。
世間には
浅薄な人間関係で
よしとする風潮があろうが、
学会は違う。
あらゆる機会をとらえて、
語り合うのだ。
耳を傾け、励ますのだ。
共に悩み、共に祈るのだ。
共に動き、共に戦うのだ。
その人を知れば知るほど、
「必ず広布の人材にしていこう!」
「必ず師匠に縁させていこう!」と
祈りは深まる。
この深き祈りこそ、
「人材・拡大」の原動力である。
「師弟」に生きる人は強い。
断じて、勝っていける。
私は、師弟の道に徹しゆく
本物の「師子」をつくりたい。
一騎当千の
力のある師子を育てたい。
いかなる嵐にも微動だにしない、
正義の師子を、
一人でも多く
育てていきたいのだ。
それが今の私の願いである。
まばゆい緑の中を進むと、そそり立つ岩壁から清らかな流れがほとばしっていた。青森県十和田市の奥入瀬渓流にある「九段の滝」。1994年(平成6年)8月、池田大作先生がカメラに収めた。
先生は同月、市内の東北研修道場を訪問。諸行事の合間を縫って、近くにある奥入瀬渓流のほとりを、同志と共に歩いた。
水は、よどみなく流れるからこそ、清流となる。人もまた、励まし続けてくれる存在がいるからこそ、勇気と挑戦の心が湧き、力ある人材へと成長することができる。
広布後継の3月。
まず、自らが一人立つ。そして人材を育て、共に進みゆこう。その"共戦のドラマ"が、新たな広布の未来を開く。
☆世界広布新時代第24回本部幹部会 全国壮年部幹部会 新生・東北総会から(要旨) 原田稔会長 2017年3月11日
"私が道を開く!"心を決めれば力は無限
勇気と執念の対話を共々に
一、「世界広布新時代第24回本部幹部会」「全国壮年部幹部会」、そして「新生・東北総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
また本日は、11カ国・地域から、105人のSGIメンバーも参加されています。遠いところ、ようこそお越しくださいました。心より歓迎申し上げます。
一、「滝の如く 激しく/滝の如く 撓まず/滝の如く 恐れず/滝の如く 朗らかに/滝の如く 堂々と/男は 王者の風格を持て」
15世紀に誕生したスコットランドの名門中の名門・グラスゴー大学の荘厳なホールに響き渡ったのは、かつて池田先生が、青森・奥入瀬の滝に寄せて詠んだ詩でした。
声の主はマンロー博士。博士は、この滝の詩が、池田先生の人物像と深く一致していると結論され、詠み上げられたのであります。
そして博士は、高らかに宣言します。
「総長に申し上げます。大学評議会が推挙する池田大作氏に対して、名誉博士の学位授与を要請いたします」
私もその場におりましたが、あの凜然たる響きは今も耳から離れません。一幅の名画のごとき感動的な一瞬でした。
1990年に初来日されたマンロー博士は、創価大学や学会本部を訪問され、関西で講演もされました。そして日本をたつ際、見送る関係者に空港で、こう言われています。
「私がお会いした創価学会の方々は、だれもが、平和を愛する立派な人々でした。しかし学会は常に中傷されています。事実に反する不当な評価に、どうして抗議しないのですか。私は行動します。私の見た事実をもとに」と。
そして4年後、グラスゴー大学で最も権威ある大学評議会において、議長だったマンロー博士から、"国際的な教育・文化交流への池田先生の貢献を正しく顕彰したい"と名誉博士への推挙があり、諮問委員会等での厳正な審査を経て、評議会の満場一致で決定され、先生に授与されたのであります。
信義には信義を、誠実には誠実で——。この人間性の極致ともいうべきマンロー博士の生き方、行動に、私は感動を禁じ得ない一人であります。とともに、いわんや池田先生の「弟子」ならば、なおいっそう師弟不二の行動で師弟勝利の実証を厳然と示しゆかねばならない。こう深く決意せずにはいられません。
「滝の如く」——それはまさに、復興に立ち上がった東北同志の姿であり、厳しき乱世を戦う我ら壮年部の姿そのものであります。
王者の東北、王者の壮年部こそが、断じて創価完勝の旗を打ち立てていきましょう(拍手)。
◇師弟の月・7月へ連戦連勝を
一、今、全国で、折伏・弘教、友好交流と対話拡大の旋風が巻き起こっています。
いかなる戦いにおいても、大切なことは「わが一念を定めること」であり、言い換えれば「自身の使命を自覚すること」です。
かつて池田先生は、小説『新・人間革命』第18巻「飛躍」の章に、つづられました。
日本から香港に渡って草創期を戦い、自分も中国名を名乗りたいと決意するメンバーに対し、「香港の人になりきろうというんだね。いいじゃないか。大事なことだ。"腰掛け"のつもりでいたのでは、その地域の広宣流布を本当に担うことなどできない。骨を埋める覚悟がなければ、力は出せないものだ」と。
人生いっときは、努力しても思い通りにならないことや、"祈ってきたのになぜ?"と思いたくなることもあります。しかし仏法に偶然はありません。住む場所も、働く職場も、出会った人々も、仏法の眼から見れば一切が過去世からの約束であり、必然です。
御義口伝には「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と仰せです。
かなたに寂光土を求めるのではなく、「この地域を広宣流布するのは、私しかいない」——こう決心してこそ、地涌の底力が発揮される。
人間関係の濃淡でもなく、人任せでもなく、「この人を幸せにするのは、私しかいない」——こう覚悟してこそ、あらゆる人との出会いを大切にし、その仏性を信じて、勇気と執念をもって語り抜く不軽菩薩の実践を貫ける。わが使命の大地を踏みしめ、立ち上がるところに、自身の宿命転換もあるのです。
「池田先生、どうかご安心ください。私は全てに勝利しました。こんなに幸せになりました」と、こう言い切れる戦いを、「3・16」から「4・2」「5・3」、そして「師弟の月・7月」へ連戦連勝で飾っていきたい(拍手)。
◇哲学深き学会には幾多の青年が
一、戸田先生は、東北のラジオ局のインタビューに、次のように応じられました。
「創価学会に青年が多いのはなぜか」。戸田先生は即答されました。「学会に青年が多いのは、哲学が深いからです」
先生は、その理由を語られます。
「若い青年は、それ(哲学)を究めようとする。究めようとすれば、ますます山が高くなってくる。だんだんと山に登りますから、楽しみも増えるというわけです。ですから、青年は、ついたら離れないのです」と。
そして、さらに戸田先生は続けます。
「私も、自分自身も、その道を歩んでいるのです。ただ一歩先か、二歩先かの問題です。"山を究めた"と言っているのではないのです。"山をめざして一緒に歩こう"と言っているのです」
これぞ創価の師弟の精神であり、創価家族の団結であり、創価青年学会の心です。
私どもは、皆で、仲良く励まし合いながら、「生涯青春」「生涯一青年」で、ともどもに広布の山を登はんしていきましょう(拍手)。