2017年3月16日木曜日

2017.03.16 わが友に贈る

進学や就職等で
転入・転出する友に
真心の励ましを!
新天地での活躍を
皆で暖かく応援しよう!

諸法実相抄 P1360
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』

☆女性に贈ることば 三月十六日
師弟というのは、師匠に弟子が仕えきっていくことだ。弟子が力をつけ、立派になり、偉くなって、師匠にお応えするのだ。
そして師匠に勝利を報告するのだ。

☆今日のことば365 三月十六日
友情は、善悪共に通ずることも知らなくてはならない。悪友は得やすく、善友は得がたい。ほんとうの善友とは、ときに自分の欠陥や、誤りを、厳しく指摘してくれる人である。偽り親しむのは、かえって身を滅ぼす悪友である。

☆誓いの天地 和歌山市 2017年2月28日
◇ここが私の輝く場所と 心に燃える「烈風魂」
「万葉集」にも詠まれた風光明媚な和歌山市。江戸時代には、徳川御三家の一つである紀州藩の城下町として栄えた。
テーマパークや海水浴場、白亜の天守閣がそびえる和歌山城など、多彩な魅力にあふれる街は、多くの観光客でにぎわう。
和歌山青年部に、"地元の好きなところは"と尋ねると、ほとんどの友から、「豊かな自然」との答えが返ってきた。
池田先生も、和歌山の自然をたたえる。「和歌山に住んでみたい」と語ったこともある。師が愛する天地を駆ける誉れを胸に、自身の使命の舞台で活躍する多くの青年がいる。
中山良平さん(常勝和歌山圏、男子地区リーダー)も、その一人。弁護士として奮闘する。
もともとは、飛行機のパイロットを志望していた。だが、創価大学教育学部に在学中、視力の低下などから、夢を断念。自分が進むべき道を模索し、真剣に祈り、出した結論が「弁護士」だった。
一からの再出発だったものの、猛勉強を重ね、大阪の法科大学院へ。模試では最低評価の時もあったが、1回目の司法試験で合格。師に"「正義の法律家」となり、子どもたちを守り抜きます"と誓った。
借金、離婚、相続……。これまで司法の場で、さまざまな人間模様を見てきた。その一つ一つに真正面から向き合い、最善の解決策を探してきた。
弁護士として東奔西走しながら、虐待などで行き場のない子ども(概ね15歳以上)に、一時的な居場所を提供する"子どもシェルター"の運営にも携わる。また、中学・高校などで、法律に関する講演も行ってきた。
「"生まれ育った地域に、恩返しができれば"との思いで、こうした活動に取り組んでいます」
多忙な中でも、時間を見つけては、学会活動にも挑戦。創価班の一員として任務にも就く。昨年12月には弘教を実らせた。
「"正義の法律家に"との誓いを忘れず、さらに力をつけ、目の前の一人に尽くしていきます」

「和歌山が大好きなんです」——満面の笑みを浮かべつつ語る中西りささん(和歌の浦圏、圏女子部長)。
その胸に、"和歌山愛"が芽生えたのは、創価大学に合格した時のことだ。
進路で悩んでいた折、地域の婦人部が「創価大学で学び、大きく羽ばたいてほしい」と期待を寄せてくれた。
創価大学に入学後も、帰省するたびに、地域の壮年・婦人部の友が、中西さんの成長した姿を喜び、励まし続けた。
就職では、希望していた会社から、内定を勝ち取った。だが、それ以上に、"自分を支えてくれた和歌山で頑張りたい"との思いから、地元の銀行で働くことに。
銀行に入った直後は、仕事がうまくいかず、先輩から叱られ、落ち込んだこともあった。
そうした局面に立つたび、"人間革命の時"と決め、学会活動に全力を注いできた。仕事でも、一つ一つの業務に、それまで以上に真剣に取り組み、信頼を広げてきた。
2年前の「11・18」に、圏女子部長の任命を受け、「一人の励まし」に徹してきた。先月から開催してきた「ロマン総会」では、新たなメンバーが続々と参加。幸の連帯を拡大した。
昨日、2・27「和歌山女子部の日」を迎えた。
「ここが『私の輝く場所』と決めて、"原点の日"から、誓い新たに自身の人間革命に挑戦していきます」——再び、中西さんの笑顔がはじけた。

◇栄光の共戦譜
和歌山は、池田先生が魂魄をとどめた常勝の師弟城である。
その第一歩は、1956年(昭和31年)10月20日。直前の18日に、1回目の「山口開拓指導」を終えたばかりの強行軍である。
2地区合同の大会に臨んだ先生は、"広宣流布の牙城を、この和歌山の地に、必ず築いてください"と念願した。
以降、先生の和歌山訪問は18回を数える。なかでも、69年(同44年)12月21日は、「烈風魂」の原点として、友の心に刻まれる。
この日、先生は高熱を押して、県立体育館で行われた和歌山県幹部会に参加。マイクを手に、16回のシュプレヒコールを。
その後、24分間の烈々たる気迫の指導を終えると、最後は参加者の要望に応えて、「武田節」を舞った。
師が全精魂を込めた「12・21」は今、「和歌山の日」に。友が「魂の原点」に立ち返り、師弟共戦の決意を新たにする日となっている。

渾身の激励から5年が経過した74年(同49年)10月20日、第1回の県総会が開催された。
先生は、「丈夫の心」(御書310ページ)を"信心の核"にと強調。"和歌山発展のために明るく、賢明に前進を"と訴えた。
丸田佳代さん(和歌山大城県、県婦人部長)は、鼓笛隊の一員として、総会に出演した。
この半年前、最愛の母・寿子さんが交通事故で亡くなった。悲嘆の中での初の出会いだった。
師の温かな姿、力強い言葉に、生きる勇気が湧いてきた。
「"自分が一家の太陽と輝こう"と誓いました」
その後も数々の激励を受けた。
84年(同59年)6月には、和歌山女子部の人材グループ「清流グループ第2期」が結成され、丸田さんは師のもとに集った。
先生は、"生涯、学会と共に"と。この指針を胸に、丸田さんは信心一筋の人生を進んできた。
一昨年、県婦人部長の任命を受けた。今、"婦女一体"の励まし運動に全力を注ぐ。3人の子も、創価の庭で成長している。
第1回の県総会の折、「和歌山未来会」が結成された。山本博司さん(和歌山王者県、副圏長)は、その一員に。
"未来会"の友は、自分たちの名前を記した色紙を、先生に届けた。すると、先生は、その色紙に句をしたためた。
「三十年 君たちありての 広布かな」。日付も30年後の「二千四年十月二十日」となっていた。
この原点を胸に、30年後を目指し、自身を鍛え、学会活動にも励んだ。職場でも信用を勝ち取ってきた。
96年(平成8年)3月20日、先生が和歌山文化会館を初訪問。その場に、山本さんも駆け付けた。
先生は、居合わせた青年部の一人一人に声を掛け、「信心を貫きなさい」と。その言葉を、山本さんは心に深く刻んだ。
そうして迎えた2004年。これまでの感謝と、これからの決意を、師への手紙につづり、新たな出発を切った。
長年、未来部の育成に携わってきた。長女は全国女子未来部長を務めた。山本さんは、「後継の育成に、全力を注ぎます」と誓う。

81年(昭和56年)11月17日、第1次宗門事件の反転攻勢を開始した最中、先生は南和歌山文化会館へ。18日には、「和歌山大会」が開催され、県愛唱歌「和歌山愛さむ」が発表された。
席上、先生は"学会は人生の安全地帯である"と強調。不退転の信心を呼び掛け、ピアノで"大楠公"など4曲を演奏した。
翌19日、南和歌山文化会館を出発。その折、出口保子さん(和歌山王者県、支部副婦人部長)は、初めての出会いを結んだ。
「会館のそばにいた私たちの前で、先生は車を止められ、『これを子どもさんに』と、みかんをくださいました。先生の優しい眼差しが忘れられません」
夫・義則さんとの死別など、数々の宿命の嵐があった。だが、師の励ましを胸に、全て信心で乗り越えてきた。
旧習深い地域で、無認識の悪口を浴びせられることもあった。それでも、信心の偉大さを語り抜いてきた。
今、地域では学会理解の輪が大きく広がる。出口さんは「さらに、仏法の素晴らしさを伝えていきたい」と声を弾ませる。
69年12月21日、和歌山県幹部会の折、先生は詠んだ。
「和歌山の 友に 魂とどめむと 熱き生命の 舞の歴史は」
和歌山の同志は、忘れない。師が命を削り、舞った歴史を。
「連戦連勝」——それが、師から託された和歌山の使命である。