後継の友を育てよう!
青年を大切にしよう!
わが地域の勝利は
人材の成長で決まる。
共々に躍進の日々を!
富木殿御返事 P962
『但生涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又遺恨無し諸の悪人は又善知識なり』
☆女性に贈ることば 三月八日
雨が降ろうが、風が吹こうが、寒さにふるえようが、または傷つき敗れても、家庭に帰って、母の温かい生命に触れさえすれば、心身の傷は癒える。
☆今日のことば365 三月八日
ほんとうの世界平和は、政治家同士が、結ぶ条約、経済人同士の提携によって、もたらされるのではない。生命と生命との間に結ばれた、信頼のきずなによってこそ、実現されるものだ。
☆3月度男子部「御書活動者会」研さんのために 御義口伝 2017年2月25日
◇勇気凜々と正義を語れ! 友の仏性を信じ抜く
3月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「御義口伝」の一節を研さん。全ての人に具わる仏性を信じ、「自他共の幸福」のために行動し続ける大切さを学ぶ。
◇御文
『不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり』(御書769ページ)
◇通解
不軽菩薩が四衆を礼拝すれば、増上慢の四衆の仏性もまた同時に不軽菩薩を礼拝するのである。これはちょうど鏡に向かって礼拝をする時、そこに映っている自分の影もまた、自分を礼拝するのと同じ原理である。
◇背景と大意
「御義口伝」は、日蓮大聖人が身延の地で法華経の要文を講義された内容を、日興上人が筆録し、大聖人の許可を得て完成したものと伝えられている。
それぞれの項目では、法華経の一節を挙げ、それに関する天台大師、妙楽大師等の釈を引用した上で、「御義口伝に云く……」と、末法の御本仏のお立場から法華経解釈を展開されている。
今回の研さん範囲は、「常不軽品三十箇の大事」の「第廿九 法界礼拝住処の事」の中の一節。不軽菩薩は法華経常不軽品第20に説かれる菩薩である。釈尊の過去世の姿で、威音王仏の像法時代の末に、万人を礼拝した。慢心の人々から迫害を受けたが、礼拝行を貫き通し、その修行が因となって成仏した。
こうした不軽菩薩の実践を通し、相手を仏のごとく尊敬していった時に、相手の仏性も必ず自分を礼拝すると教えられている。
◇解説
不軽菩薩は「(人を)軽んじない」との名のごとく、一切衆生に仏性があると信じ抜いた。
そして、会う人ごとに「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」(法華経557ページ)との「二十四文字の法華経」を唱えて礼拝した。
無理解の大衆は不軽菩薩を悪口罵詈し、杖で打ち、瓦や石を投げて迫害した。
それでもなお、礼拝行を続けた不軽菩薩は「六根清浄」の功徳を得る。一方、不軽菩薩を迫害した増上慢の人々も、最後には、みな不軽菩薩に信伏随従したのだ。
友に仏法を語り、仮に反発されたとしても、相手の幸せを信じて祈り抜き、対話を続けていくならば、必ず相手の仏性を呼び覚まし、共に幸福の軌道に入っていくことができる。それはあたかも、"鏡に向かっておじぎをした時、その鏡に映る自分も、こちらに向かっておじぎするようなもの"であることを、拝読御文は示している。
大聖人は別の御書で、法華経の修行の肝心は、不軽品(=常不軽菩薩品)にあるとされ、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と仰せである。
仏法者として大切なのは、他者の仏性をどこまでも信じ抜くことであり、それは万人に対する尊敬の振る舞いとして表れる。
これこそ、私たちが日々の学会活動の中で実践している「一人を大切にする」行動にほかならない。
友人や同志の幸福を祈り、その人にしかない使命を信じ抜き、直接、会って励ましを送る。たとえ相手が心を開いてくれなくても、誠実に語り抜く。その地道な取り組みの中で、信頼の輪も広がっていくのだ。
池田先生は、つづっている。
「他者の尊厳を知って大切にしてこそ、自身の尊厳も輝くのです」「たとえ『法華経を持たざる者』であっても、その外面的なことによって排斥しない。いかなる人であれ、『もしかしたら持つかもしれない。本来、仏性があるのだから』と見るのが、不軽菩薩のまなざしです」と。
現代において、この万人尊敬の実践を貫き、世界192カ国・地域に太陽の仏法を広めたのが、創価三代の師弟である。
広布後継の3月、私たち男子部は、友の仏性を信じ抜く仏法対話に勇気凜々と先駆していきたい。