人生は悩みとの戦いだ!
何でも相談できる
信心の先輩を持とう!
共に祈り 動けば
必ず道は開ける!
四条金吾殿御返事 P1169
『日蓮は少より今生のいのりなし只仏にならんとをもふ計りなり、されども殿の御事をばひまなく法華経釈迦仏日天に申すなり其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり』
☆女性に贈ることば 三月三十一日
子どもたちへの無関心は、放任に通じる。
親同士も声をかけあい、互いに子どもたちの成長を見守るように心がけたい。
☆今日のことば365 三月三十一日
純粋に、利害も捨て、名誉も捨てて進む、青年のみが、私は大好きだ。ここにのみ、建設の源泉がある。
☆青年SGI ドミニカ共和国 2017年3月18日
どんな環境にも左右されない
確たる自分をつくる
世界各国に広がるSGI。仏法の哲学は、それぞれの国の人々にどのように受け入れられ、青年たちにどのような影響を与えているのか——。今回は、池田先生の訪問30周年を迎えた、中米・ドミニカ共和国SGIの青年部の代表に話を聞いた。
——本年は、池田先生がドミニカ共和国を訪問して30周年の佳節です。先月5日には記念総会が盛大に行われ、約4300人が参加しました。来賓の方々も、青年部の役員や出演者の姿にとても感動していました。
マサエ・コマツ女子部長 総会は、壮年・婦人部の多大な応援をいただき、青年部が一丸となってつくり上げました。参加者の半数以上は、未入会家族や友人たちです。出演者の中にも、メンバーに誘われて一緒にステージに立った友人も多く、練習などを通じて、信心への理解が深まりました。
総会に向けた弘教拡大も、全土で大きく進みました。
エイジ・ニシオ青年部長 ドミニカ共和国は今、貧富の差に加えて、若者が希望を持ちにくいという問題を抱えています。
わが国の社会は、一般的に若者を信頼するという風潮が希薄なように感じます。就職一つにしても、経験の浅い若い人には、雇用の機会はほとんどありません。いざ働いても重要な仕事は任されず、失業する人もいます。
結果、多くの若者たちがやる気をなくし、人生を短絡的に考え、できるだけ楽な生き方を選択してしまうのです。
簡単にお金を稼ぐために、窃盗などの犯罪に走る若者の増加が社会問題となり、さらなる信用失墜を招いています。特に貧困地域では、そうした若者が多く見られます。
ラモン・オソリオ男子部長 ただし、ドミニカの人々は陽気ですから、どんなに貧しくても、生活が厳しくても、楽しさを見いだすのは得意です(笑い)。
しかし、「陽気さ」と「楽観主義」は、明るく見える点で似ているように思えますが、全く異なります。「陽気さ」は、何にも縛られない自由な生き方、勝手気ままな生き方になりがちです。モラルや社会的規範さえ、軽視してしまう傾向があります。「自分のためなら、少々のルール違反はかまわない」と。例えば、車の運転だけ見ても、「われ先に」と交差点に進入してくるので、道路はいつも渋滞です。また、常態化している汚職の問題も深刻です。
——そうした若者に対し、SGIはどのような影響を与えていますか。
青年部長 信心で変わったメンバーを紹介したいと思います。
治安の悪さが有名な地域で、かつてギャングの一員だった男子部員がいます。知り合いである男子部の友から「自分が変わることで周囲を変えていけるんだ」と、たびたび信心の話を聞かされていたそうです。
そんなある日、彼は罪を犯し、刑務所に収容されてしまいます。そこで自らの過ちを悔い、心から反省しました。
出所後は、ギャング仲間と距離を置き、社会復帰を目指すことを決意。後に紹介者となる男子部メンバーが激励に通い続け、唱題を実践するようになりました。その中で、警察が彼に対し、"犯罪をする危険性はない"との証明書を発行したのです。これは、とても異例なことでした。
男子部長 彼は、会館で行われたSGIの会合に初めて参加した時、伏し目がちで暗い表情でした。でも、皆に大歓迎されて、「今まで、こんな風に接してもらったことはない」と、大感動していました。
現在では、御本尊を受持し、創価班の一員としても頑張っています。趣味で歌手もやっていて、去年の文化祭にも出演しました。誰もが彼の変化に驚いています。
女子部長 女子部では、貧困地域で生まれ育ったメンバーがいます。彼女は親から信心を教わりました。学会の庭で真っすぐに成長した彼女は、周りの悪縁に紛動されることはありませんでした。
学校でも模範の生徒として表彰され、奨学金を得て、名門私立大学の医学部に進学。学業で忙しい中、鼓笛部長として奮闘しています。練習がない日であっても、練習したいというメンバーが一人でもいれば、時間をこじ開けて励ましの声を掛けてくれています。そんな彼女の姿が、地域の"希望の光"になっています。
——ドミニカ青年部では、学会精神や仏法哲学を、どのように学んでいるのですか。
女子部長 最も重要なのは、人材グループの活動です。女子部は白蓮グループと鼓笛隊出身者が、中核のリーダーへと成長しています。鼓笛隊では『青春対話』を学び、練習に励んでいます。白蓮グループは会合の着任を通して、「自発の心」を培っています。
社会には、"自分さえよければいい"という人が多くいますが、そうした中で「人のために」と、献身的に行動する女子部の存在は、周囲を明るくします。
女子部世代の友は、人間関係で悩んでいる人が多いです。また、日常に空虚感を感じている人もいて、何か精神的な充足を求めています。他者の幸せを祈り、行動できる人に成長することで、そうした悩みを解決しているメンバーがたくさんいます。
青年部長 男子部では、創価班と音楽隊に力を入れています。特に、創価班の任務を通じて「会員厳護」の精神を鍛えています。
人材グループの活動で何より大切にしているのは、「師弟」の生き方を学ぶことです。
「師弟」といっても、言葉では説明できません。「池田先生の著作や指導を学び、自分自身の課題に挑戦する」ことを確認し、先輩が後輩に模範を示しながら、一人一人が自らの生活で実践するしかないのです。
男子部長 仕事の悩みをもつメンバーも多く、「信心は一人前、仕事は三人前」との学会精神や、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)の御文を拝しつつ、社会で勝てる一人一人になろうと励ましています。
池田先生が常々、青年が信頼を勝ち取るために重要な点として訴えてこられた"実直であれ""対応はスピードが大事だ"などの指導も、とても重要です。
会合では、いつも体験を発表し合うのですが、仕事で実証を示した喜びを語る男子部員が増えています。彼らは口々に"池田先生の言葉が支えになった""先生の生き方に勇気をもらった"と言っています。
——今後の決意を教えてください。
青年部長 ドミニカ広布は、日本からの移住者によって始まりました。今の未来部には学会4世のメンバーもいます。
師匠の心をわが心とし、この国で広布の道なき道を切り開いてくださった草創の方々の開拓精神を受け継ぎ、次の30年への大河の流れを勝ち広げてまいります。
2017年3月31日金曜日
2017年3月30日木曜日
2017.03.30 わが友に贈る
新天地で出発する友よ
信頼を結ぶ第一歩は
「さわやかな挨拶」だ。
誠実と笑顔の対応で
周囲を照らす太陽に!
上野殿御返事 P1556
『権宗の人人無量にいひくるふともただほうろく千につち一つなるべし、法華折伏破権門理とはこれなり、尤もいみじく秘奥なる法門なり』
☆女性に贈ることば 三月三十日
若き日の悲運を耐え抜いて、人の何倍も苦労を重ねた分、人の何倍も豊かな人生を送ることができる。
☆今日のことば365 三月三十日
社会には、勝つ人もいる。敗れる人もいる。運、不運は計りしれない。しかれども、勝っても、永久にその歓びは続くものではない。一時負けても、自覚のある人は、勝者以上に、より高く、広く、深く、将来の、偉大さを、築きゆけるものだ。永久に、敗れざる限り、次への一歩一歩の、勝利を確信して生きぬくことだ。
☆創価大学・女子短大卒業式への池田先生のメッセージ 2017年3月19日
君らこそ黄金時代を開いた旗手
世界を照らす光たれ!
一、今、我らの創価教育は、新たな黄金時代を迎えております。
この黄金時代を先頭に立って開き築いてくれた旗手たちこそ、きょう巣立ちゆく卒業生の皆さんです。
晴れやかな門出を迎えた、創価大学43期生の皆さん、創価女子短期大学31期生の皆さん!
共に誇り高き世界市民の青春を乱舞した最優秀の留学生の皆さん、また、深き探究の歴史を刻んだ大学院生の皆さん、そして、尊き「学の光」に輝く通信教育部の皆さん! ご卒業、本当におめでとう!
私の心は、皆さん一人一人に学位記を手渡しながら、健闘を讃え、祝福する思いで、式典に臨んでおります。
わが創大・わが短大は「人間教育の最高学府」であります。ゆえに、本学からの卒業証書は、誰よりも苦労を重ねて皆さんを育み、大学まで送り出してくださった父上や母上方に、感謝と報恩の決意を込めて捧げていただきたいと、私は願っております。ご家族の方々、誠に誠におめでとうございます(大拍手)。
本日は、タイ王国の名門・国立タマサート大学評議会議長のノーラニット博士ご夫妻をはじめ、世界の一流の知性の先生方に見守っていただき、これにまさる光栄はございません。
ご来賓の諸先生方、本当にありがとうございます。
また、教員の先生方、職員の方々の薫陶に、心より御礼を申し上げます。
◇「民衆の大地」に希望と正義を!
一、いよいよ社会の本舞台で「創価の大光」を放ちゆく皆さんの出発に当たり、三つの「光」を確認し合い、はなむけとさせていただきたい。
第一に、「民衆の大地を照らす希望と正義の光たれ」ということであります。私は皆さんの創立者として、世界各国の大学を訪問し、友情を結んで、教育・学術交流の道を開いてきました。
今、その道に皆さんが続いてくれ、相互の留学生の往来などが明るく賑やかに広がっていることは、何よりの希望です。
ここにこそ、地道でありながら、いかなる分断も越えて、世界の青年と青年、また民衆と民衆の心をつなぎ、未来の平和を創造しゆく最も確実な軌道があると信ずるからであります。
その中でも、1994年の2月、バンコクを潤す母なるチャオプラヤー河の畔に広がる、タマサート大学の麗しいキャンパスを表敬し、ここにご臨席のノーラニット博士に温かく歓迎いただいたことは、ひときわ忘れ得ぬ歴史であります。
私の命に鮮烈に刻まれて離れない、タマサート大学の精神があります。
それは、正義の言論の力で民衆に貢献したタマサート大学の卒業生が語り、脈々と受け継がれてきた信条であります。
すなわち、「私はタマサート大学を愛する。なぜなら、タマサート大学が私に民衆を愛することを教えてくれたからである」と。
何と素晴らしい、何と我ら創価教育の魂と一致する母校愛でありましょうか。
ここで、最大の敬意と連帯を込めて、大拍手を送りたいと思うが、どうだろうか!(大拍手)
皆さんもまた、「私は創大を愛する。短大を愛する。なぜなら、私に民衆を愛することを教えてくれたからである」と胸を張っていただきたい。
そして、皆さんの活躍と栄光を、わが喜びとして祈ってくれている日本中、世界中の善意の父母たちに応えながら、民衆の大地を照らす「希望の光」「正義の光」を、いやまして赫々と強めていただきたいのであります。
◇生命尊厳の世紀 告げる先駆と
一、第二に申し上げたいのは、「生命尊厳の世紀を告げる先駆の光たれ」ということです。
今回は、わが看護学部の栄光の一期生も羽ばたいていきます。先駆の誉れを胸に、立派な模範を示してくれました。本当にありがとう!(大拍手)
創価教育の父・牧口常三郎先生は、一切の価値の根本基準を「生命」と定めました。
その意味において、「生命の尊厳」を探究し、「生きる力」を引き出しながら、「共に勝利の人生」を開きゆく、新たな看護の人材群が躍り出ることを、牧口先生も、いかばかりお喜びくださるか。
私は感無量であります。
空前の少子高齢社会を迎えて、病気や老い、さらに死という根源的な苦悩にどう立ち向かうかが、ますます切実な課題となっております。
わが創大・短大は、看護学部はもとより、大学を挙げて「生命尊厳」の智慧と慈愛を育む「平和のフォートレス」であります。ゆえに、このキャンパスに学んだ創価同窓こそ、「生老病死」の打開に挑みゆく先駆の連帯なりと、私は宣言したいのであります。
「生涯学習」「生涯青春」の鑑である通信教育部の皆さんも、その頼もしき要の存在であります。
本日は、イギリスの誇る「私学の雄」バッキンガム大学のジョン・ドリュー先生もお越しくださっております。
イギリスが生んだ近代看護の母・ナイチンゲールは、「私たちが共に生きているかぎりは、お互いの幸せのために生きていこうではありませんか」(湯槇ます監修・薄井坦子他編訳『ナイチンゲール著作集 第三巻』現代社)と語っておりました。
さらに、自らの仕事を「ひろがりのある大きな仕事」(同)と意義づけて、団結を築いていくことを呼び掛けております。
皆さんも、これから取り組む一つ一つの仕事、また縁する一人一人を大切にしていってください。
そして、自他共に「生命」に秘められた無限の力を信じ、解き放ち、結び合いながら、幸福と平和のスクラムを、自らが立つその場所から拡大していっていただきたいのであります。
◇一度、倒れても再び立ち上がれ
一、第三に、「不屈の勝利を飾る黄金の光たれ!」と申し上げたい。
この四年間、また二年間、皆さん方をずっと見守ってきて、私が感動を禁じ得ないのは、一人一人が試練に負けず、「苦難は宝」とたゆみない努力を貫き通し、目を瞠る大成長を遂げてくれたことです。
本日は、ドイツの六百年余の伝統輝くライプチヒ大学のバーバラ・ドリンク教授も参加してくださっています。ライプチヒ大学は、大文豪ゲーテの母校でもあります。
私の大好きなゲーテの言葉に、「理想においてはすべてが躍動(elans)に、現実においてはすべてがねばり強さにかかっている」(岩崎英二郎・関楠生訳『ゲーテ全集13』潮出版社)とあります。
人生は、マラソンにも、そして駅伝にも譬えられる長い戦いです。風雪もある。険しい坂もあれば、予期せぬ波乱もある。
ひとたびは力尽きて倒れることもあるかもしれない。しかし、転んでもまた立ち上がる。母校での誉れの青春の原点を思い起こし、再び生命を躍動させ、ただただ粘り強く、前へ前へ進み抜いていく以外にありません。その先にのみ、栄光があり、勝利があるからです。
東洋の大先哲の至言に、「石は焼けば灰となる。金(金)は焼けば真金となる」とあります。
創価に学んだ皆さんは、一人ももれなく「金」の若人です。
焼き尽くされるような艱難にあっても、断じて負けない。
いな、それをチャンスとして断固と勝ち切り、黄金の光を世界の友へ、未来の友へと贈りゆく大使命の人なのです。
どうか、労多きことを、むしろ誇りとして、天下一の友情で励まし合いながら、朗らかに勇敢に、不屈の挑戦、そして不屈の勝利の劇を飾っていただきたいのであります。
私は創立者として、いつでも、どんな時でも、皆さんの青春の力走に、人生の熱闘に、力の限り大声援を送り続けています。
愛する君たち、貴女たちの健康と和楽と凱歌を、一生涯、祈り抜いていきます。
結びに——
わが君に
平和の襷
託さなむ
黄金の光を
世界の民へと
と贈り、私のメッセージとさせていただきます。
皆さん、お元気で! きょうは、本当におめでとう!(大拍手)
信頼を結ぶ第一歩は
「さわやかな挨拶」だ。
誠実と笑顔の対応で
周囲を照らす太陽に!
上野殿御返事 P1556
『権宗の人人無量にいひくるふともただほうろく千につち一つなるべし、法華折伏破権門理とはこれなり、尤もいみじく秘奥なる法門なり』
☆女性に贈ることば 三月三十日
若き日の悲運を耐え抜いて、人の何倍も苦労を重ねた分、人の何倍も豊かな人生を送ることができる。
☆今日のことば365 三月三十日
社会には、勝つ人もいる。敗れる人もいる。運、不運は計りしれない。しかれども、勝っても、永久にその歓びは続くものではない。一時負けても、自覚のある人は、勝者以上に、より高く、広く、深く、将来の、偉大さを、築きゆけるものだ。永久に、敗れざる限り、次への一歩一歩の、勝利を確信して生きぬくことだ。
☆創価大学・女子短大卒業式への池田先生のメッセージ 2017年3月19日
君らこそ黄金時代を開いた旗手
世界を照らす光たれ!
一、今、我らの創価教育は、新たな黄金時代を迎えております。
この黄金時代を先頭に立って開き築いてくれた旗手たちこそ、きょう巣立ちゆく卒業生の皆さんです。
晴れやかな門出を迎えた、創価大学43期生の皆さん、創価女子短期大学31期生の皆さん!
共に誇り高き世界市民の青春を乱舞した最優秀の留学生の皆さん、また、深き探究の歴史を刻んだ大学院生の皆さん、そして、尊き「学の光」に輝く通信教育部の皆さん! ご卒業、本当におめでとう!
私の心は、皆さん一人一人に学位記を手渡しながら、健闘を讃え、祝福する思いで、式典に臨んでおります。
わが創大・わが短大は「人間教育の最高学府」であります。ゆえに、本学からの卒業証書は、誰よりも苦労を重ねて皆さんを育み、大学まで送り出してくださった父上や母上方に、感謝と報恩の決意を込めて捧げていただきたいと、私は願っております。ご家族の方々、誠に誠におめでとうございます(大拍手)。
本日は、タイ王国の名門・国立タマサート大学評議会議長のノーラニット博士ご夫妻をはじめ、世界の一流の知性の先生方に見守っていただき、これにまさる光栄はございません。
ご来賓の諸先生方、本当にありがとうございます。
また、教員の先生方、職員の方々の薫陶に、心より御礼を申し上げます。
◇「民衆の大地」に希望と正義を!
一、いよいよ社会の本舞台で「創価の大光」を放ちゆく皆さんの出発に当たり、三つの「光」を確認し合い、はなむけとさせていただきたい。
第一に、「民衆の大地を照らす希望と正義の光たれ」ということであります。私は皆さんの創立者として、世界各国の大学を訪問し、友情を結んで、教育・学術交流の道を開いてきました。
今、その道に皆さんが続いてくれ、相互の留学生の往来などが明るく賑やかに広がっていることは、何よりの希望です。
ここにこそ、地道でありながら、いかなる分断も越えて、世界の青年と青年、また民衆と民衆の心をつなぎ、未来の平和を創造しゆく最も確実な軌道があると信ずるからであります。
その中でも、1994年の2月、バンコクを潤す母なるチャオプラヤー河の畔に広がる、タマサート大学の麗しいキャンパスを表敬し、ここにご臨席のノーラニット博士に温かく歓迎いただいたことは、ひときわ忘れ得ぬ歴史であります。
私の命に鮮烈に刻まれて離れない、タマサート大学の精神があります。
それは、正義の言論の力で民衆に貢献したタマサート大学の卒業生が語り、脈々と受け継がれてきた信条であります。
すなわち、「私はタマサート大学を愛する。なぜなら、タマサート大学が私に民衆を愛することを教えてくれたからである」と。
何と素晴らしい、何と我ら創価教育の魂と一致する母校愛でありましょうか。
ここで、最大の敬意と連帯を込めて、大拍手を送りたいと思うが、どうだろうか!(大拍手)
皆さんもまた、「私は創大を愛する。短大を愛する。なぜなら、私に民衆を愛することを教えてくれたからである」と胸を張っていただきたい。
そして、皆さんの活躍と栄光を、わが喜びとして祈ってくれている日本中、世界中の善意の父母たちに応えながら、民衆の大地を照らす「希望の光」「正義の光」を、いやまして赫々と強めていただきたいのであります。
◇生命尊厳の世紀 告げる先駆と
一、第二に申し上げたいのは、「生命尊厳の世紀を告げる先駆の光たれ」ということです。
今回は、わが看護学部の栄光の一期生も羽ばたいていきます。先駆の誉れを胸に、立派な模範を示してくれました。本当にありがとう!(大拍手)
創価教育の父・牧口常三郎先生は、一切の価値の根本基準を「生命」と定めました。
その意味において、「生命の尊厳」を探究し、「生きる力」を引き出しながら、「共に勝利の人生」を開きゆく、新たな看護の人材群が躍り出ることを、牧口先生も、いかばかりお喜びくださるか。
私は感無量であります。
空前の少子高齢社会を迎えて、病気や老い、さらに死という根源的な苦悩にどう立ち向かうかが、ますます切実な課題となっております。
わが創大・短大は、看護学部はもとより、大学を挙げて「生命尊厳」の智慧と慈愛を育む「平和のフォートレス」であります。ゆえに、このキャンパスに学んだ創価同窓こそ、「生老病死」の打開に挑みゆく先駆の連帯なりと、私は宣言したいのであります。
「生涯学習」「生涯青春」の鑑である通信教育部の皆さんも、その頼もしき要の存在であります。
本日は、イギリスの誇る「私学の雄」バッキンガム大学のジョン・ドリュー先生もお越しくださっております。
イギリスが生んだ近代看護の母・ナイチンゲールは、「私たちが共に生きているかぎりは、お互いの幸せのために生きていこうではありませんか」(湯槇ます監修・薄井坦子他編訳『ナイチンゲール著作集 第三巻』現代社)と語っておりました。
さらに、自らの仕事を「ひろがりのある大きな仕事」(同)と意義づけて、団結を築いていくことを呼び掛けております。
皆さんも、これから取り組む一つ一つの仕事、また縁する一人一人を大切にしていってください。
そして、自他共に「生命」に秘められた無限の力を信じ、解き放ち、結び合いながら、幸福と平和のスクラムを、自らが立つその場所から拡大していっていただきたいのであります。
◇一度、倒れても再び立ち上がれ
一、第三に、「不屈の勝利を飾る黄金の光たれ!」と申し上げたい。
この四年間、また二年間、皆さん方をずっと見守ってきて、私が感動を禁じ得ないのは、一人一人が試練に負けず、「苦難は宝」とたゆみない努力を貫き通し、目を瞠る大成長を遂げてくれたことです。
本日は、ドイツの六百年余の伝統輝くライプチヒ大学のバーバラ・ドリンク教授も参加してくださっています。ライプチヒ大学は、大文豪ゲーテの母校でもあります。
私の大好きなゲーテの言葉に、「理想においてはすべてが躍動(elans)に、現実においてはすべてがねばり強さにかかっている」(岩崎英二郎・関楠生訳『ゲーテ全集13』潮出版社)とあります。
人生は、マラソンにも、そして駅伝にも譬えられる長い戦いです。風雪もある。険しい坂もあれば、予期せぬ波乱もある。
ひとたびは力尽きて倒れることもあるかもしれない。しかし、転んでもまた立ち上がる。母校での誉れの青春の原点を思い起こし、再び生命を躍動させ、ただただ粘り強く、前へ前へ進み抜いていく以外にありません。その先にのみ、栄光があり、勝利があるからです。
東洋の大先哲の至言に、「石は焼けば灰となる。金(金)は焼けば真金となる」とあります。
創価に学んだ皆さんは、一人ももれなく「金」の若人です。
焼き尽くされるような艱難にあっても、断じて負けない。
いな、それをチャンスとして断固と勝ち切り、黄金の光を世界の友へ、未来の友へと贈りゆく大使命の人なのです。
どうか、労多きことを、むしろ誇りとして、天下一の友情で励まし合いながら、朗らかに勇敢に、不屈の挑戦、そして不屈の勝利の劇を飾っていただきたいのであります。
私は創立者として、いつでも、どんな時でも、皆さんの青春の力走に、人生の熱闘に、力の限り大声援を送り続けています。
愛する君たち、貴女たちの健康と和楽と凱歌を、一生涯、祈り抜いていきます。
結びに——
わが君に
平和の襷
託さなむ
黄金の光を
世界の民へと
と贈り、私のメッセージとさせていただきます。
皆さん、お元気で! きょうは、本当におめでとう!(大拍手)
2017年3月29日水曜日
2017.03.29 わが友に贈る
後継の友を育む
未来部担当者に感謝!
人の何倍も忙しい毎日を
その万倍の喜びと福徳で
輝かせていく長者なり!
道妙禅門御書 P1242
『祈祷に於ては顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈祷有りと雖も只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候』
☆女性に贈ることば 三月二十九日
人生はまず、「どんな困難も乗り越えてみせる」「小さな自分の殻を破ってみせる」という気概をもつことだ。そこから、いつさいが開けていく。
☆今日のことば365 三月二十九日
君のとつとつとした
真実の雄弁は
誰人もほめることはないだろうが
胸を打たずにはおかない
☆創価学園卒業式への池田先生のメッセージ 2017年3月17日
英知の世界市民と光れ
幸福の花勝利の花を自分らしく
友情こそ嵐を越えゆく力
「理想の旗」高らかに進め
一、深く結ばれた心と心に距離はありません。私の心はきょうも、わが学園生と一緒です。
栄えある卒業生の皆さん、よく通い、よく学び、よく鍛え、よく頑張り抜いてくれました。私は、一人一人とがっちり命の握手を交わしながら、ねぎらい、讃えたい。
そして、きょうの日を誰よりも喜び見つめておられる、お父さん、お母さん、ご家族の方々に、心よりお祝いを申し上げます。
見違えるほどに成長した卒業生の晴れ姿こそ、ご一家の勝利の春の象徴です。
教員の先生方、職員の方々も、本当にありがとうございます。また、陰に陽にお世話になってきた、すべての方々に、創立者として深く御礼を申し上げます。
創価学園が創立されて50年——。この佳節に旅立つ皆さんが、これから10年、20年、30年、さらに50年先の学園創立100周年のその時、いかに偉大なリーダーとなって活躍してくれていることか。
君たち、貴女たちの無限に輝きわたる希望の未来に思いをはせながら、はなむけの言葉を贈ります。
◇失敗から学び前へ
一、きょうは、あらためて三つの「負けじ魂」を確認し合いたい。
第一に申し上げたいのは、「失敗から学ぶ勇気の負けじ魂を!」ということです。
青春時代は、なかなか、うまくいかないことや思うようにならないことの連続です。
しかし、偉大な前進をしている人は、実は皆、何度も壁にぶつかっている。失敗することも多い。それは常に勇敢に挑戦しているからです。ゆえに、決してへこたれない。むしろ、試練や失敗から学んで、いよいよ大きく進歩し続けていくのです。
私が共に2冊の対談集を発刊した韓国の大教育者・趙文富博士(済州大学元総長)も苦難をバネに学び抜いた方です。
博士は、経済的な理由から小学校を卒業すると進学せず、すぐに働かざるを得ませんでした。落胆する中で、朝、ふと目に留まる光景がありました。セメントで固められた垣根の隙間から伸びる一本の草でした。暗がりから太陽の光を求めて、伸びよう伸びようとしています。
若き趙博士は不屈の生命力に感動しました。
「その偉大な力があるかぎり、この草もやがて花を咲かせ、実を結ばないはずがない」「私も、太陽に向かって、人生の固く困難な垣根を打ち破ってみせよう」と。
それから、趙博士は仕事の合間をぬって猛勉強を開始しました。念願かなって夜間中学へ進み、さらに学びに学んで、偉大な社会貢献の力を鍛え上げていかれたのです。
学ぶ勇気、学び抜く負けじ魂は、何ものにも屈しない太陽です。
どんな逆境にあろうとも、また、どんな失敗があろうとも、そこから、わが生命を光らせて道を開き、たくましく朗らかに価値を創造していく皆さんであってください。
◇生命の劇をつづれ
一、第二に、「嵐の時こそ負けじ魂の絆を強く深く!」と贈りたい。
わが学園生は、かけがえのない私の後継です。その学園生に受け継いでもらいたい宝があります。それは「友情」です。創価学園の五原則にも、「友情の深さ・一生涯の友情」とある通りです。
私の人生は波瀾万丈の使命の大闘争でした。嵐に次ぐ嵐の連続であったといっても過言ではありません。しかし、どんな時にも揺るがない信頼で苦楽を分かち合う友人がいました。同志がいました。
この誉れ高き友情の叙事詩を、私は小説『新・人間革命』に書き残しています。
思えば、フランスを代表する2人の大文豪、ビクトル・ユゴーとアレクサンドル・デュマも、誠実なる友情で結ばれていました。それは、迫害の真っ只中にあっても、いささかも変わらなかった。
この負けじ魂の絆があればこそ、『レ・ミゼラブル』『モンテ・クリスト伯』などの大傑作も生まれたのです。
わが学園で育まれた皆さん方の友情から、いかなる嵐も越えて、どれほど麗しく、どれほど壮大な生命のドラマが生まれていくか、私は何よりの楽しみとしています。
◇人間革命の哲学
一、第三に、「人類の宿命をも転換する負けじ魂の挑戦を!」と申し上げます。
今、時代は大きく揺れ動いております。その中で、いよいよ真価を発揮するのが、わが東西の学園キャンパスに漲る「生命尊厳」の精神です。世界平和への大情熱です。
パグウォッシュ会議の創設者で、核兵器の廃絶に生涯を捧げられたロートブラット博士も、創価教育に絶大なる期待を寄せてくださいました。
博士は青年たちに、自分を起点として、家族へ、地域へ、社会へ、国家へ、さらには人類全体へ、変革の波を起こしていこうと呼び掛けられました。
ロートブラット博士をはじめ、マンデラ氏、ゴルバチョフ氏、ローザ・パークスさん、マータイ博士、エスキベル博士等々、私の世界の友人たちは、平和、人権、人道、平等、環境、共生など、理想の旗を高らかに掲げて、人類史の変革に挑んできました。
いずれの変革にあっても、その中心に立つのは自分自身です。ゆえに自分が変われば、世界も変えていくことができる。これが、創価の「人間革命」の哲学であります。
ゆえに皆さんも、今いる場所で、自分にできることから変えていくことです。まずは学び、力をつける。一番身近な、お父さんやお母さんを大切にして親孝行をする。
そして、一日また一日、世界市民として開かれた英知と人格を磨き、やがて人類の宿命をも転換しゆく負けじ魂の挑戦を、断固と貫いていただきたいのであります。
◇母校の誇りを胸に
一、ともあれ、わが学園生の可能性は無限大です。どうか、われらの武蔵野の大地、また交野の大地、さらに枚方の大地から、冬を勝ち越えて萌え出ずる春の花のごとく、伸び伸びと自分らしく、桜梅桃李の幸福の花、勝利の花を咲き薫らせていってください。
愛する学園生に、健康あれ! 福徳あれ! 栄光あれ! そして、世界一の母校と世界一の学友を誇りに、胸を張って前進を! と祈りつつ、一首を贈ります。
打ち鳴らせ
希望の暁鐘を
この地球に
若き創価の
英知と勇気で
いつもいつも、見守っています。皆さん、お元気で! 学園生、万歳!(大拍手)
☆創価学園で卒業式 2017年3月17日
創価学園の卒業式が16日、東京・関西の各キャンパスを音声と映像でつなぎ、晴れやかに開催された。学園最高顧問である原田会長は関西創価中学・高校での卒業式に出席。創立者の池田大作先生が和歌(別掲)とメッセージを贈り、希望の未来に向かって、伸び伸びと自分らしく、桜梅桃李の勝利の花を咲き薫らせていってほしいと念願した。同日、札幌創価幼稚園の卒園式も行われた。
打ち鳴らせ
希望の暁鐘を
この地球に
若き創価の
英知と勇気で
負けじ魂——学園愛唱歌の名に冠したその言葉を、入学以来、何度、口にしたことだろう。
「もう、ダメか」とうつむいた時、自分に向かって訴えるようにつぶやくと、不思議と勇気が湧いてきた。
どんなに大変な状況にあっても、学友と語り、その言葉が互いの耳に心に入るたび、強い絆で一つになれた。
父母のため、世界のため、大きな理想へと挑戦する自分になれたのも、その言葉を抱き締めてきたからだ。
創価の負けじ魂は、わが胸の中にあり!
「きょうは、あらためて三つの『負けじ魂』を確認し合いたい」
創立者・池田先生は学園卒業式に寄せたメッセージの中で、そう呼び掛けた。
「失敗から学ぶ勇気の負けじ魂を!」
「嵐の時こそ負けじ魂の絆を強く深く!」
「人類の宿命をも転換する負けじ魂の挑戦を!」
卒業生一人一人の胸に、"父子一体"で歩んだ黄金の日々がよみがえる。東西の卒業生1347人の3年分、6年分、12年分の思いが凝縮した卒業式典。
その最後に、創立者からの伝言が届いた。
「大晴天の卒業式、おめでとう! ずっと見守っていました。みんな立派になって、うれしいよ。最後に、一緒に『負けじ魂ここにあり』を歌おう!」
呼応して、卒業生と在校生が一斉に立ち上がった。
♪学べ勝ち抜け
世界まで
負けじ魂
朗らかに……
大好きな学園から巣立っていく高校卒業生の感慨は、ひとしおであったに違いない。
今年度から文部科学省の「スーパーグローバルハイスクール(SGH)」に指定された創価高校、SGH2年目に突入した関西創価高校の友は、国内外のフィールドワークや国際会議への参加に挑戦してきた。英検1級をはじめとする語学の習得、海外の大学への進学も相次ぐ。
東京の男子卒業生はフィールドワークで原爆被爆者の声に耳を傾けた。痛感したのは命の重み。折しも、父はがんと闘病中だった。
父は、わが子の不安を打ち消すように言った。「何があっても、創立者のつくられた大学に行くんだよ」と。「負けじ魂ここにあり」を歌いながら、勉強を重ね、アメリカ創価大学への進学を勝ち取った。その報に病床で接した父が、強くうなずいてくれた姿を、忘れることはできない。
父は今月、その尊き命を燃焼し尽くした。新たな生へと旅立った父に、使命の舞台へと旅立つ子は誓う。「地球科学の大学教授になって、世界平和に尽くす人生を歩むからね」
今回、妹も創価中学校を卒業した。
ある関西の女子卒業生の原点は2年次の創価大学研修。実行委員長として創立者との出会いを刻んだ。そこで皆と共に歌った「負けじ魂ここにあり」に、「21世紀を平和の世紀にします」との誓いを乗せた。
模擬国連部の部長として国際大会に出場。さらに学年全員が参加しての模擬国連を実現させ、教育関係者から高い評価を得た。英検1級の合格、TOEICでも935点を獲得し、海外の大学に進む。「苦しい時、ずっと激励してくださった創立者をはじめ教職員の方々、両親に、心から感謝を伝えたいです」
◇
伝統の「英知」「栄光」「情熱」の日を記念する三大行事を中心に、卒業生たちは創立者の精神について研さんを重ねてきた。
創価高校ではテーマを掲げ、創立者の著作等を学習。創価中学校では、対話を通して団結を深めた。
関西創価高校は創立者への誓いを確認。関西創価中学校では創立者の指針を胸に、「学びの道」を歩んだ。
創立者の小説『新・人間革命』「若芽」の章などを読み、勇気の大切さを学んだ東京創価小学校や、真の平和を築く世界市民の心を磨いた関西創価小学校の取り組みも光った。
また、卒業生は、クラブや諸活動でも大いに力を発揮。ディベートや英語ディベート、英語弁論、英字新聞コンテスト、絵画、書道、書道パフォーマンス、作文、小説、吹奏楽、合唱、箏曲、ダンス、鼓笛、野球、空手、合気道、囲碁、ゴルフ、山岳競技等の全国レベルの舞台で活躍し、中には世界大会に出場する友もいた。
昨秋、池田先生は卒業指針を贈った。
中学・高校生に「学は無限の希望なり 学は平和の源泉なり 君よ! 不屈の負けじ魂で 『勝利の未来』を 創りゆけ!!」と。
小学生には「無限の可能性を 持つ君よ! 自分のため 父母のため 友のため 世界のため 今日も 学びの挑戦を! 勇気で 英知で 勝利の歌を 響かせよ!!」と。
卒業生たちの晴れの姿は、創立50周年から次の50年へ船出する学園の、洋々たる前途を象徴していた。
◇
学園卒業式では創価高校の森岡大我さんと玉川直美さん、関西創価高校の青山裕二さんと辻岡美和さんが、創立者賞を受賞。また創立者栄冠賞、魯迅青少年文学賞、冰心青少年文学賞、牧口賞、創価池田女子大学賞、セトゥ・バスカラ学園賞、ガンジー平和賞、マカオ大学最優秀賞が代表に贈られた。
原田学園理事長が、創立者のメッセージを紹介。学園最高顧問である原田会長は、人間教育の城で学んだ誇りを胸に、生涯、父子の誓いの道を歩み抜こうと訴えた。
創価高校・中学校(東京・小平市)の卒業式(ともに47期)では塩田中学校校長の開式の辞などの後、木下高校校長が民衆を守りゆく力ある世界市民にと念願し、中川東京学園長が祝福した。
関西創価高校・中学校(大阪・交野市)の卒業式(ともに42期)では、松浦中学校校長による開式の辞などに続き、中西高校校長が平和の世紀を実現する希望の人材にと念願。武田関西学園長があいさつした。
東京創価小学校(小平市、国分寺市)の卒業式(36期)では、片桐校長が友情を深め、未来のために学び抜こうと望んだ。関西創価小学校(大阪・枚方市)の式典(34期)では、松井校長が「創立者との金の思い出を胸に、一人ももれなく後継の道を」と呼び掛けた。
未来部担当者に感謝!
人の何倍も忙しい毎日を
その万倍の喜びと福徳で
輝かせていく長者なり!
道妙禅門御書 P1242
『祈祷に於ては顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈祷有りと雖も只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候』
☆女性に贈ることば 三月二十九日
人生はまず、「どんな困難も乗り越えてみせる」「小さな自分の殻を破ってみせる」という気概をもつことだ。そこから、いつさいが開けていく。
☆今日のことば365 三月二十九日
君のとつとつとした
真実の雄弁は
誰人もほめることはないだろうが
胸を打たずにはおかない
☆創価学園卒業式への池田先生のメッセージ 2017年3月17日
英知の世界市民と光れ
幸福の花勝利の花を自分らしく
友情こそ嵐を越えゆく力
「理想の旗」高らかに進め
一、深く結ばれた心と心に距離はありません。私の心はきょうも、わが学園生と一緒です。
栄えある卒業生の皆さん、よく通い、よく学び、よく鍛え、よく頑張り抜いてくれました。私は、一人一人とがっちり命の握手を交わしながら、ねぎらい、讃えたい。
そして、きょうの日を誰よりも喜び見つめておられる、お父さん、お母さん、ご家族の方々に、心よりお祝いを申し上げます。
見違えるほどに成長した卒業生の晴れ姿こそ、ご一家の勝利の春の象徴です。
教員の先生方、職員の方々も、本当にありがとうございます。また、陰に陽にお世話になってきた、すべての方々に、創立者として深く御礼を申し上げます。
創価学園が創立されて50年——。この佳節に旅立つ皆さんが、これから10年、20年、30年、さらに50年先の学園創立100周年のその時、いかに偉大なリーダーとなって活躍してくれていることか。
君たち、貴女たちの無限に輝きわたる希望の未来に思いをはせながら、はなむけの言葉を贈ります。
◇失敗から学び前へ
一、きょうは、あらためて三つの「負けじ魂」を確認し合いたい。
第一に申し上げたいのは、「失敗から学ぶ勇気の負けじ魂を!」ということです。
青春時代は、なかなか、うまくいかないことや思うようにならないことの連続です。
しかし、偉大な前進をしている人は、実は皆、何度も壁にぶつかっている。失敗することも多い。それは常に勇敢に挑戦しているからです。ゆえに、決してへこたれない。むしろ、試練や失敗から学んで、いよいよ大きく進歩し続けていくのです。
私が共に2冊の対談集を発刊した韓国の大教育者・趙文富博士(済州大学元総長)も苦難をバネに学び抜いた方です。
博士は、経済的な理由から小学校を卒業すると進学せず、すぐに働かざるを得ませんでした。落胆する中で、朝、ふと目に留まる光景がありました。セメントで固められた垣根の隙間から伸びる一本の草でした。暗がりから太陽の光を求めて、伸びよう伸びようとしています。
若き趙博士は不屈の生命力に感動しました。
「その偉大な力があるかぎり、この草もやがて花を咲かせ、実を結ばないはずがない」「私も、太陽に向かって、人生の固く困難な垣根を打ち破ってみせよう」と。
それから、趙博士は仕事の合間をぬって猛勉強を開始しました。念願かなって夜間中学へ進み、さらに学びに学んで、偉大な社会貢献の力を鍛え上げていかれたのです。
学ぶ勇気、学び抜く負けじ魂は、何ものにも屈しない太陽です。
どんな逆境にあろうとも、また、どんな失敗があろうとも、そこから、わが生命を光らせて道を開き、たくましく朗らかに価値を創造していく皆さんであってください。
◇生命の劇をつづれ
一、第二に、「嵐の時こそ負けじ魂の絆を強く深く!」と贈りたい。
わが学園生は、かけがえのない私の後継です。その学園生に受け継いでもらいたい宝があります。それは「友情」です。創価学園の五原則にも、「友情の深さ・一生涯の友情」とある通りです。
私の人生は波瀾万丈の使命の大闘争でした。嵐に次ぐ嵐の連続であったといっても過言ではありません。しかし、どんな時にも揺るがない信頼で苦楽を分かち合う友人がいました。同志がいました。
この誉れ高き友情の叙事詩を、私は小説『新・人間革命』に書き残しています。
思えば、フランスを代表する2人の大文豪、ビクトル・ユゴーとアレクサンドル・デュマも、誠実なる友情で結ばれていました。それは、迫害の真っ只中にあっても、いささかも変わらなかった。
この負けじ魂の絆があればこそ、『レ・ミゼラブル』『モンテ・クリスト伯』などの大傑作も生まれたのです。
わが学園で育まれた皆さん方の友情から、いかなる嵐も越えて、どれほど麗しく、どれほど壮大な生命のドラマが生まれていくか、私は何よりの楽しみとしています。
◇人間革命の哲学
一、第三に、「人類の宿命をも転換する負けじ魂の挑戦を!」と申し上げます。
今、時代は大きく揺れ動いております。その中で、いよいよ真価を発揮するのが、わが東西の学園キャンパスに漲る「生命尊厳」の精神です。世界平和への大情熱です。
パグウォッシュ会議の創設者で、核兵器の廃絶に生涯を捧げられたロートブラット博士も、創価教育に絶大なる期待を寄せてくださいました。
博士は青年たちに、自分を起点として、家族へ、地域へ、社会へ、国家へ、さらには人類全体へ、変革の波を起こしていこうと呼び掛けられました。
ロートブラット博士をはじめ、マンデラ氏、ゴルバチョフ氏、ローザ・パークスさん、マータイ博士、エスキベル博士等々、私の世界の友人たちは、平和、人権、人道、平等、環境、共生など、理想の旗を高らかに掲げて、人類史の変革に挑んできました。
いずれの変革にあっても、その中心に立つのは自分自身です。ゆえに自分が変われば、世界も変えていくことができる。これが、創価の「人間革命」の哲学であります。
ゆえに皆さんも、今いる場所で、自分にできることから変えていくことです。まずは学び、力をつける。一番身近な、お父さんやお母さんを大切にして親孝行をする。
そして、一日また一日、世界市民として開かれた英知と人格を磨き、やがて人類の宿命をも転換しゆく負けじ魂の挑戦を、断固と貫いていただきたいのであります。
◇母校の誇りを胸に
一、ともあれ、わが学園生の可能性は無限大です。どうか、われらの武蔵野の大地、また交野の大地、さらに枚方の大地から、冬を勝ち越えて萌え出ずる春の花のごとく、伸び伸びと自分らしく、桜梅桃李の幸福の花、勝利の花を咲き薫らせていってください。
愛する学園生に、健康あれ! 福徳あれ! 栄光あれ! そして、世界一の母校と世界一の学友を誇りに、胸を張って前進を! と祈りつつ、一首を贈ります。
打ち鳴らせ
希望の暁鐘を
この地球に
若き創価の
英知と勇気で
いつもいつも、見守っています。皆さん、お元気で! 学園生、万歳!(大拍手)
☆創価学園で卒業式 2017年3月17日
創価学園の卒業式が16日、東京・関西の各キャンパスを音声と映像でつなぎ、晴れやかに開催された。学園最高顧問である原田会長は関西創価中学・高校での卒業式に出席。創立者の池田大作先生が和歌(別掲)とメッセージを贈り、希望の未来に向かって、伸び伸びと自分らしく、桜梅桃李の勝利の花を咲き薫らせていってほしいと念願した。同日、札幌創価幼稚園の卒園式も行われた。
打ち鳴らせ
希望の暁鐘を
この地球に
若き創価の
英知と勇気で
負けじ魂——学園愛唱歌の名に冠したその言葉を、入学以来、何度、口にしたことだろう。
「もう、ダメか」とうつむいた時、自分に向かって訴えるようにつぶやくと、不思議と勇気が湧いてきた。
どんなに大変な状況にあっても、学友と語り、その言葉が互いの耳に心に入るたび、強い絆で一つになれた。
父母のため、世界のため、大きな理想へと挑戦する自分になれたのも、その言葉を抱き締めてきたからだ。
創価の負けじ魂は、わが胸の中にあり!
「きょうは、あらためて三つの『負けじ魂』を確認し合いたい」
創立者・池田先生は学園卒業式に寄せたメッセージの中で、そう呼び掛けた。
「失敗から学ぶ勇気の負けじ魂を!」
「嵐の時こそ負けじ魂の絆を強く深く!」
「人類の宿命をも転換する負けじ魂の挑戦を!」
卒業生一人一人の胸に、"父子一体"で歩んだ黄金の日々がよみがえる。東西の卒業生1347人の3年分、6年分、12年分の思いが凝縮した卒業式典。
その最後に、創立者からの伝言が届いた。
「大晴天の卒業式、おめでとう! ずっと見守っていました。みんな立派になって、うれしいよ。最後に、一緒に『負けじ魂ここにあり』を歌おう!」
呼応して、卒業生と在校生が一斉に立ち上がった。
♪学べ勝ち抜け
世界まで
負けじ魂
朗らかに……
大好きな学園から巣立っていく高校卒業生の感慨は、ひとしおであったに違いない。
今年度から文部科学省の「スーパーグローバルハイスクール(SGH)」に指定された創価高校、SGH2年目に突入した関西創価高校の友は、国内外のフィールドワークや国際会議への参加に挑戦してきた。英検1級をはじめとする語学の習得、海外の大学への進学も相次ぐ。
東京の男子卒業生はフィールドワークで原爆被爆者の声に耳を傾けた。痛感したのは命の重み。折しも、父はがんと闘病中だった。
父は、わが子の不安を打ち消すように言った。「何があっても、創立者のつくられた大学に行くんだよ」と。「負けじ魂ここにあり」を歌いながら、勉強を重ね、アメリカ創価大学への進学を勝ち取った。その報に病床で接した父が、強くうなずいてくれた姿を、忘れることはできない。
父は今月、その尊き命を燃焼し尽くした。新たな生へと旅立った父に、使命の舞台へと旅立つ子は誓う。「地球科学の大学教授になって、世界平和に尽くす人生を歩むからね」
今回、妹も創価中学校を卒業した。
ある関西の女子卒業生の原点は2年次の創価大学研修。実行委員長として創立者との出会いを刻んだ。そこで皆と共に歌った「負けじ魂ここにあり」に、「21世紀を平和の世紀にします」との誓いを乗せた。
模擬国連部の部長として国際大会に出場。さらに学年全員が参加しての模擬国連を実現させ、教育関係者から高い評価を得た。英検1級の合格、TOEICでも935点を獲得し、海外の大学に進む。「苦しい時、ずっと激励してくださった創立者をはじめ教職員の方々、両親に、心から感謝を伝えたいです」
◇
伝統の「英知」「栄光」「情熱」の日を記念する三大行事を中心に、卒業生たちは創立者の精神について研さんを重ねてきた。
創価高校ではテーマを掲げ、創立者の著作等を学習。創価中学校では、対話を通して団結を深めた。
関西創価高校は創立者への誓いを確認。関西創価中学校では創立者の指針を胸に、「学びの道」を歩んだ。
創立者の小説『新・人間革命』「若芽」の章などを読み、勇気の大切さを学んだ東京創価小学校や、真の平和を築く世界市民の心を磨いた関西創価小学校の取り組みも光った。
また、卒業生は、クラブや諸活動でも大いに力を発揮。ディベートや英語ディベート、英語弁論、英字新聞コンテスト、絵画、書道、書道パフォーマンス、作文、小説、吹奏楽、合唱、箏曲、ダンス、鼓笛、野球、空手、合気道、囲碁、ゴルフ、山岳競技等の全国レベルの舞台で活躍し、中には世界大会に出場する友もいた。
昨秋、池田先生は卒業指針を贈った。
中学・高校生に「学は無限の希望なり 学は平和の源泉なり 君よ! 不屈の負けじ魂で 『勝利の未来』を 創りゆけ!!」と。
小学生には「無限の可能性を 持つ君よ! 自分のため 父母のため 友のため 世界のため 今日も 学びの挑戦を! 勇気で 英知で 勝利の歌を 響かせよ!!」と。
卒業生たちの晴れの姿は、創立50周年から次の50年へ船出する学園の、洋々たる前途を象徴していた。
◇
学園卒業式では創価高校の森岡大我さんと玉川直美さん、関西創価高校の青山裕二さんと辻岡美和さんが、創立者賞を受賞。また創立者栄冠賞、魯迅青少年文学賞、冰心青少年文学賞、牧口賞、創価池田女子大学賞、セトゥ・バスカラ学園賞、ガンジー平和賞、マカオ大学最優秀賞が代表に贈られた。
原田学園理事長が、創立者のメッセージを紹介。学園最高顧問である原田会長は、人間教育の城で学んだ誇りを胸に、生涯、父子の誓いの道を歩み抜こうと訴えた。
創価高校・中学校(東京・小平市)の卒業式(ともに47期)では塩田中学校校長の開式の辞などの後、木下高校校長が民衆を守りゆく力ある世界市民にと念願し、中川東京学園長が祝福した。
関西創価高校・中学校(大阪・交野市)の卒業式(ともに42期)では、松浦中学校校長による開式の辞などに続き、中西高校校長が平和の世紀を実現する希望の人材にと念願。武田関西学園長があいさつした。
東京創価小学校(小平市、国分寺市)の卒業式(36期)では、片桐校長が友情を深め、未来のために学び抜こうと望んだ。関西創価小学校(大阪・枚方市)の式典(34期)では、松井校長が「創立者との金の思い出を胸に、一人ももれなく後継の道を」と呼び掛けた。
2017年3月28日火曜日
2017.03.28 わが友に贈る
御聖訓「例には他を
引くべからず」。
リーダーが率先垂範を!
そこに真の団結と
前進の勢いが生まれる。
妙一尼御前御消息 P1253
『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』
☆女性に贈ることば 三月二十八日
智慧は慈悲から生まれる。
慈悲は勇気から生まれる。
勇気が慈悲に通じ、さらに智慧に通ずるのだ。
☆今日のことば365 三月二十八日
優柔不断を 包容と錯覚してはならぬ
卓越した決断力が
そこにあってこそ
独自の光輝を発するからだ
☆大学は平和の門 第6回 王立プノンペン大学 2017年3月16日
◇創価大学との交流15周年 響き合う「生命尊厳」の哲学
30年近く続いた内戦を越え、近年、経済成長を続けているカンボジア。産業の多様化を図る一方で、それを支える人材が渇望され、教育の充実が求められている。
それはまた、ポル・ポト政権時代の闇と決別する、"復興"への道程でもある。1975年4月からの約4年間の圧政により、教員などの知識人を含む200万人以上が命を落としたといわれる。学校は次々に破壊され、教材は焼き捨てられた。その爪痕は今も癒えてはいない。79年に同政権が倒れ、翌年に壊滅的な状況から復活を遂げた大学がある。
その名は、王立プノンペン大学。60年に創立された、カンボジア最高峰の総合大学である。同大学は、内戦で荒廃した祖国の再建をリードし続けてきた。
2002年3月、当時のプッ・チャムナン学長(現在は教育・青少年・スポーツ省長官)が創価大学を訪問した。創大創立者の池田先生に、王立プノンペン大学の第1号の「名誉教授」称号を授与するためである。
創大で、学長は語った。「長く内戦に苦しんできたカンボジアの国民にとって、一番必要なのは本当の平和です。平和の哲学です。だから、池田先生に学びたいのです」
生命を守る教育の重要性を知悉する学長だからこそ、池田先生の「生命尊厳」の哲学と国際的な教育交流に共感を寄せ、創大との学術交流に期待を抱いたのである。
今月19日、両大学の学術交流は、15周年を迎える。プノンペン大学からは10人の交換留学生が創大へ。プノンペン大学で学んだ創大生の中からも、カンボジアと日本の友好に貢献する人材が誕生している。
★カンボジア日本人材開発センター 非常勤講師 オク・ソッケンさん
◇圧政に耐えた両親の思い
カンボジアの高校・大学進学率は、"15%未満"ともいわれています。要因の多くは貧困で、地方には、小学校の卒業さえ断念する子も少なくありません。
そうした中で、私が学業に専念してこれたのは、奨学金制度のおかげです。プノンペン大学を成績優秀奨学生として卒業しました。
このことを誰よりも喜んでくれたのは、両親です。
祖父がフランス語の教師だったため、知識人が次々に粛清されたポル・ポト政権下で、私の家族は激しい弾圧を受けました。何とか命は助かりましたが、当時まだ幼かった両親まで強制労働をさせられ、母の体には今も、その際に負った傷痕が残っています。
満足な教育を受けられなかった両親は、「できることなら大学に行きなさい。悔いのないように勉強するんだよ」と、私を励まし続けてくれました。
両親の期待に応えるため、そして、大学に行けなかった同胞のためにも、学問に徹し、祖国カンボジアの平和と発展に貢献しようと決心したのです。
日本語を専攻した私は、大学3年次、カンボジアで開かれた、日本語スピーチコンテストの全国大会で、最優秀賞を受賞することができました。その直後には、念願だった創価大学への交換留学も実現し、創立者・池田先生の指針に多くを学びました。
「大学に来たのは学問をするために来たのだ。学問をおろそかにする人は来る必要はない」
「社会のためにも人々のためにも、力ある丈夫でなければ何の奉仕もできない。弱き観念の人生であっては断じてならない」
この池田先生の言葉が、今も印象に残っています。また、先生の指針を胸に学ぶ創大生の向学心の強さにも触発を受けました。
私は今、「カンボジア日本人材開発センター」で、日本語の非常勤講師を務めています。そして、来月からは、国費留学生として再び日本に渡り、国立大学の研究生となります。
「学ばずは卑し」との池田先生の教えを忘れず、自身を高めていきます。
★留学経験者 創価大学33期 菅野 江里香さん
◇現地で働く先輩の姿に感銘
私が、創価大学の東南アジア研究会の一員として、カンボジアを訪れたのは、大学3年次の2月。毎年行われている、研究会の海外研修に参加したのです。
現地で、研修のガイドをしてくださったのは、創大を卒業した先輩方でした。「池田先生の平和の信念を継ぎ、カンボジアに骨をうずめる覚悟で来ています」と語る先輩たち。クメール語を自在に使い、地雷撤去会社の社員やJICAの職員として、社会に貢献する姿に感銘を受けました。
高級車が走り、デパートやレストランが並ぶ首都の市街地。しかし、一方で、"ゴミ山"やスラム街も存在します。耐えがたい悪臭が漂うゴミ山では、数え切れないほどの子どもや大人たちが、危険を顧みず、お金になる鉄くずを拾い集めていたのです。その光景はあまりに衝撃的でした。
もっと深くカンボジアについて学ぼうと思い、プノンペン大学付属語学学校への留学を決意しました。
池田先生が名誉教授称号を受章されたプノンペン大学。両親は、「池田先生が開いてくださった道だね。頑張ってくるんだよ」と背中を押してくれました。
池田先生から、「元気で行ってらっしゃい」との伝言を受け、カンボジアへ。私は、再びゴミ山を訪れました。付近に住むご婦人に「今、一番欲しいものは何ですか」と伺うと、「子どもたちが元気でいてくれれば、それで十分です」と。母の願いは"世界共通"なのだと感激しました。
カンボジアの人々と交流し、最も印象に残ったのは、「笑顔の輝き」です。過酷な環境の中にあっても、人々は常に希望を抱いていたのです。現地の小学校を訪問した際も、子どもたちは瞳を輝かせ、将来の夢を語ってくれました。
相手に何かを施そうとする前に、謙虚に相手の長所に学び、相手を理解していくことこそ、友好の第一歩であると実感しました。
今、東京都内の小学校で教員をしています。カンボジアの子どもたちの様子を語り、異文化交流の大切さを伝えたいと思います。
引くべからず」。
リーダーが率先垂範を!
そこに真の団結と
前進の勢いが生まれる。
妙一尼御前御消息 P1253
『法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる』
☆女性に贈ることば 三月二十八日
智慧は慈悲から生まれる。
慈悲は勇気から生まれる。
勇気が慈悲に通じ、さらに智慧に通ずるのだ。
☆今日のことば365 三月二十八日
優柔不断を 包容と錯覚してはならぬ
卓越した決断力が
そこにあってこそ
独自の光輝を発するからだ
☆大学は平和の門 第6回 王立プノンペン大学 2017年3月16日
◇創価大学との交流15周年 響き合う「生命尊厳」の哲学
30年近く続いた内戦を越え、近年、経済成長を続けているカンボジア。産業の多様化を図る一方で、それを支える人材が渇望され、教育の充実が求められている。
それはまた、ポル・ポト政権時代の闇と決別する、"復興"への道程でもある。1975年4月からの約4年間の圧政により、教員などの知識人を含む200万人以上が命を落としたといわれる。学校は次々に破壊され、教材は焼き捨てられた。その爪痕は今も癒えてはいない。79年に同政権が倒れ、翌年に壊滅的な状況から復活を遂げた大学がある。
その名は、王立プノンペン大学。60年に創立された、カンボジア最高峰の総合大学である。同大学は、内戦で荒廃した祖国の再建をリードし続けてきた。
2002年3月、当時のプッ・チャムナン学長(現在は教育・青少年・スポーツ省長官)が創価大学を訪問した。創大創立者の池田先生に、王立プノンペン大学の第1号の「名誉教授」称号を授与するためである。
創大で、学長は語った。「長く内戦に苦しんできたカンボジアの国民にとって、一番必要なのは本当の平和です。平和の哲学です。だから、池田先生に学びたいのです」
生命を守る教育の重要性を知悉する学長だからこそ、池田先生の「生命尊厳」の哲学と国際的な教育交流に共感を寄せ、創大との学術交流に期待を抱いたのである。
今月19日、両大学の学術交流は、15周年を迎える。プノンペン大学からは10人の交換留学生が創大へ。プノンペン大学で学んだ創大生の中からも、カンボジアと日本の友好に貢献する人材が誕生している。
★カンボジア日本人材開発センター 非常勤講師 オク・ソッケンさん
◇圧政に耐えた両親の思い
カンボジアの高校・大学進学率は、"15%未満"ともいわれています。要因の多くは貧困で、地方には、小学校の卒業さえ断念する子も少なくありません。
そうした中で、私が学業に専念してこれたのは、奨学金制度のおかげです。プノンペン大学を成績優秀奨学生として卒業しました。
このことを誰よりも喜んでくれたのは、両親です。
祖父がフランス語の教師だったため、知識人が次々に粛清されたポル・ポト政権下で、私の家族は激しい弾圧を受けました。何とか命は助かりましたが、当時まだ幼かった両親まで強制労働をさせられ、母の体には今も、その際に負った傷痕が残っています。
満足な教育を受けられなかった両親は、「できることなら大学に行きなさい。悔いのないように勉強するんだよ」と、私を励まし続けてくれました。
両親の期待に応えるため、そして、大学に行けなかった同胞のためにも、学問に徹し、祖国カンボジアの平和と発展に貢献しようと決心したのです。
日本語を専攻した私は、大学3年次、カンボジアで開かれた、日本語スピーチコンテストの全国大会で、最優秀賞を受賞することができました。その直後には、念願だった創価大学への交換留学も実現し、創立者・池田先生の指針に多くを学びました。
「大学に来たのは学問をするために来たのだ。学問をおろそかにする人は来る必要はない」
「社会のためにも人々のためにも、力ある丈夫でなければ何の奉仕もできない。弱き観念の人生であっては断じてならない」
この池田先生の言葉が、今も印象に残っています。また、先生の指針を胸に学ぶ創大生の向学心の強さにも触発を受けました。
私は今、「カンボジア日本人材開発センター」で、日本語の非常勤講師を務めています。そして、来月からは、国費留学生として再び日本に渡り、国立大学の研究生となります。
「学ばずは卑し」との池田先生の教えを忘れず、自身を高めていきます。
★留学経験者 創価大学33期 菅野 江里香さん
◇現地で働く先輩の姿に感銘
私が、創価大学の東南アジア研究会の一員として、カンボジアを訪れたのは、大学3年次の2月。毎年行われている、研究会の海外研修に参加したのです。
現地で、研修のガイドをしてくださったのは、創大を卒業した先輩方でした。「池田先生の平和の信念を継ぎ、カンボジアに骨をうずめる覚悟で来ています」と語る先輩たち。クメール語を自在に使い、地雷撤去会社の社員やJICAの職員として、社会に貢献する姿に感銘を受けました。
高級車が走り、デパートやレストランが並ぶ首都の市街地。しかし、一方で、"ゴミ山"やスラム街も存在します。耐えがたい悪臭が漂うゴミ山では、数え切れないほどの子どもや大人たちが、危険を顧みず、お金になる鉄くずを拾い集めていたのです。その光景はあまりに衝撃的でした。
もっと深くカンボジアについて学ぼうと思い、プノンペン大学付属語学学校への留学を決意しました。
池田先生が名誉教授称号を受章されたプノンペン大学。両親は、「池田先生が開いてくださった道だね。頑張ってくるんだよ」と背中を押してくれました。
池田先生から、「元気で行ってらっしゃい」との伝言を受け、カンボジアへ。私は、再びゴミ山を訪れました。付近に住むご婦人に「今、一番欲しいものは何ですか」と伺うと、「子どもたちが元気でいてくれれば、それで十分です」と。母の願いは"世界共通"なのだと感激しました。
カンボジアの人々と交流し、最も印象に残ったのは、「笑顔の輝き」です。過酷な環境の中にあっても、人々は常に希望を抱いていたのです。現地の小学校を訪問した際も、子どもたちは瞳を輝かせ、将来の夢を語ってくれました。
相手に何かを施そうとする前に、謙虚に相手の長所に学び、相手を理解していくことこそ、友好の第一歩であると実感しました。
今、東京都内の小学校で教員をしています。カンボジアの子どもたちの様子を語り、異文化交流の大切さを伝えたいと思います。
2017年3月27日月曜日
2017.03.27 わが友に贈る
◇今週のことば
「先んずれば人を制す」
スピードが勝負だ。
さあ新年度へ
祈りは明確に 具体的に。
師子奮迅のダッシュを!
2017年3月27日
諸法実相抄 P1361
『不思議なる契約なるか、六万恒沙の上首上行等の四菩薩の変化か、さだめてゆへあらん、総じて日蓮が身に当ての法門わたしまいらせ候ぞ、日蓮もしや六万恒沙の地涌の菩薩の眷属にもやあるらん、南無妙法蓮華経と唱へて日本国の男女をみちびかんとおもへばなり、経に云く一名上行乃至唱導之師とは説かれ候はぬか、まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う』
☆女性に贈ることば 三月二十七日
地上にひとつの太陽が昇れば、万物はエネルギーを受けることができる。
同じように、家族のなかで、自分が太陽となれば、その光で周囲を照らしていくことができる。
☆今日のことば365 三月二十七日
人間の奥行きと広がり、これを別の観方からいえば、その人の世界といい得るであろう。その人の持ち合わせている世界の境界線が、どれほどの奥行きと、広がりをもっているか----ここに人間の魅力の最も根本的な要因があるように思われるのである。
☆新時代を進む第6回 未来部は宝 青年こそ希望 2017年3月16日
「3・16」のこの日を、全世界の青年部・未来部のはつらつたる前進の息吹で迎え、うれしい限りだ。
先日の日曜日(12日)、東京・新宿区の大久保会館と若松会館を視察した。朝から男女青年部がそれぞれに元気に集い合い、未来部の卒業部員会も、ご家族や担当者の方々の見守る中、楽しく行われていた。
厳護する牙城会の友も、凜々しく頼もしかった。
未来部は宝だ。
青年こそ希望だ。
わが学会の庭で、躍動する地涌の若人たちの晴れ姿を見てくれ給え!と、私は胸を張って叫びたい。
— ◇ —
日蓮大聖人は、青年・南条時光に仰せになられた。
「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561ページ)
広宣流布とは、仏が抱く究極の大願である。ゆえに、この大願を起こす時、青年の生命は仏に等しく、最も気高く、最も雄渾になる。昇りゆく旭日のように、鮮烈な光を放ち始めるのだ。
1958年(昭和33年)のきょう、恩師・戸田先生はご自身が命を賭して貫かれた広布の大願を、「いざ!」と馳せ参じた6000人の青年部代表に託された。
皆、無名無冠なれど、心は師弟の誓いに燃えていた。
ただ師と共に! 広布のために! この戦う心で、我ら創価の青年は道なき道を勝ち開いてきた。
— ◇ —
戸田先生は宣言された。「創価学会は、宗教界の王者として、社会のあらゆる分野に、真に優れた人物を送り出していくのだ」と。この先生の願いの通り、今、社会貢献の人材が、日本中、世界中で乱舞している。
イタリアの同志が各界から、これほど深い信頼を寄せられているのは、なぜか。
36年前、私と出会いを結んだ尊き求道の青年たちが先頭に立って、「信心即生活」「仏法即社会」の模範を誠実に示してくれた。いかなる苦難も団結して乗り越え、後輩を大切に育てながら、一人一人が偉大な人間革命の勝利の実証を重ねてくれたからに他ならない。
世界広布の原動力は、永遠に青年だ。
いよいよ全国各地で創価青年大会も始まる。
壁を破り、決然と一人立つ青年が一切を変える。試練を越えて、永遠の土台ができる。全ては仏になる修行であり、訓練なのだ。
何より、我らには「法華経の兵法」がある。
「題目」で進もう!
「励まし」で開こう!
そして、「団結」で勝とうではないか!
「先んずれば人を制す」
スピードが勝負だ。
さあ新年度へ
祈りは明確に 具体的に。
師子奮迅のダッシュを!
2017年3月27日
諸法実相抄 P1361
『不思議なる契約なるか、六万恒沙の上首上行等の四菩薩の変化か、さだめてゆへあらん、総じて日蓮が身に当ての法門わたしまいらせ候ぞ、日蓮もしや六万恒沙の地涌の菩薩の眷属にもやあるらん、南無妙法蓮華経と唱へて日本国の男女をみちびかんとおもへばなり、経に云く一名上行乃至唱導之師とは説かれ候はぬか、まことに宿縁のをふところ予が弟子となり給う』
☆女性に贈ることば 三月二十七日
地上にひとつの太陽が昇れば、万物はエネルギーを受けることができる。
同じように、家族のなかで、自分が太陽となれば、その光で周囲を照らしていくことができる。
☆今日のことば365 三月二十七日
人間の奥行きと広がり、これを別の観方からいえば、その人の世界といい得るであろう。その人の持ち合わせている世界の境界線が、どれほどの奥行きと、広がりをもっているか----ここに人間の魅力の最も根本的な要因があるように思われるのである。
☆新時代を進む第6回 未来部は宝 青年こそ希望 2017年3月16日
「3・16」のこの日を、全世界の青年部・未来部のはつらつたる前進の息吹で迎え、うれしい限りだ。
先日の日曜日(12日)、東京・新宿区の大久保会館と若松会館を視察した。朝から男女青年部がそれぞれに元気に集い合い、未来部の卒業部員会も、ご家族や担当者の方々の見守る中、楽しく行われていた。
厳護する牙城会の友も、凜々しく頼もしかった。
未来部は宝だ。
青年こそ希望だ。
わが学会の庭で、躍動する地涌の若人たちの晴れ姿を見てくれ給え!と、私は胸を張って叫びたい。
— ◇ —
日蓮大聖人は、青年・南条時光に仰せになられた。
「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561ページ)
広宣流布とは、仏が抱く究極の大願である。ゆえに、この大願を起こす時、青年の生命は仏に等しく、最も気高く、最も雄渾になる。昇りゆく旭日のように、鮮烈な光を放ち始めるのだ。
1958年(昭和33年)のきょう、恩師・戸田先生はご自身が命を賭して貫かれた広布の大願を、「いざ!」と馳せ参じた6000人の青年部代表に託された。
皆、無名無冠なれど、心は師弟の誓いに燃えていた。
ただ師と共に! 広布のために! この戦う心で、我ら創価の青年は道なき道を勝ち開いてきた。
— ◇ —
戸田先生は宣言された。「創価学会は、宗教界の王者として、社会のあらゆる分野に、真に優れた人物を送り出していくのだ」と。この先生の願いの通り、今、社会貢献の人材が、日本中、世界中で乱舞している。
イタリアの同志が各界から、これほど深い信頼を寄せられているのは、なぜか。
36年前、私と出会いを結んだ尊き求道の青年たちが先頭に立って、「信心即生活」「仏法即社会」の模範を誠実に示してくれた。いかなる苦難も団結して乗り越え、後輩を大切に育てながら、一人一人が偉大な人間革命の勝利の実証を重ねてくれたからに他ならない。
世界広布の原動力は、永遠に青年だ。
いよいよ全国各地で創価青年大会も始まる。
壁を破り、決然と一人立つ青年が一切を変える。試練を越えて、永遠の土台ができる。全ては仏になる修行であり、訓練なのだ。
何より、我らには「法華経の兵法」がある。
「題目」で進もう!
「励まし」で開こう!
そして、「団結」で勝とうではないか!
2017年3月26日日曜日
2017.03.26 わが友に贈る
「いつかやろう」では
永遠に「時」は来ない。
「よし今、やろう!」
決意即行動の人が
栄光への突破口を開く!
御衣並単衣御書 P971
『物たねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり』
☆女性に贈ることば 三月二十六日
恩を知り、恩に報いていくことが、人間の歩むべき道である。
親を愛し、親に心の底から感謝できるようになっていくことが、人間としての深まりであり、成長の証と言ってよい。
そのように人間として成長していってこそ、自らもよい親となり、和楽の家庭を築いていける。そうした心が、子育てにも大きな影響を与えていく。
☆今日のことば365 三月二十六日
たとえ苦手な科目があったとしても、自分の輝かしい未来を築くための勉強、財産だと思って、真剣に取り組んでいくことが大切です。
☆ワールドリポート 中米・ハイチを訪ねて(下) 2017年3月15日
◇愛する天地に平和と繁栄を
カリブ海に浮かぶ中米・ハイチ共和国。そこには、多くの社会的な課題にも負けず、妙法を抱き締めて闘う同志の姿があった。この国を、平和と繁栄の楽土に!——開拓精神を燃やし、生活革命や境涯革命に挑むメンバーの声を紹介する。
◇人に尽くした分 目の前が明るく
私は3児の母です。現在は、システムエンジニアをしています。
信心を始めたのは2007年。その頃、私は、大学で情報工学を学んでいました。しかし、経済的な理由から、仕事を探さなければならなくなりました。育児をしながら働き口を見つけるのは容易ではありませんでしたが、公共事業運輸通信省に会計担当として就職することができました。
平日は地方で働き、週末は首都ポルトープランスの家に戻るという生活でした。そんな中、働き始めて3カ月後に、大好きだった母が急性虫垂炎で倒れ、手術の末に他界。心にぽっかりと穴が空いてしまいました。
同時期に、仕事では、職場の人から妬まれ、嫌がらせを受けるように。仕事で評価を上げた私を陥れようとする動きが起きたのです。
度重なる苦難に押しつぶされそうになっていた時、職場の同僚から信心を教わりました。その日から少しずつ題目を唱え始めました。
母を亡くして以来、不安な日々を歩んできましたが、SGIの会合に参加するようになり、新たな"人生の道しるべ"を得ることができました。
ともすれば足を引っ張り合うような競争社会だからこそ、「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(1598ページ)との御書の一節を胸に、友人のために尽くしていこうと決めています。
信心を教えてくれた同僚のように、私も友人の幸せを願い、仏法を語ってきました。今では、二つのグループができるまでにメンバーを拡大。4年前に家を建てて、広布の会場として提供しています! 苦しかった職場環境も改善されました。
常に励ましを送ってくださる池田先生への感謝を胸に、これからも頑張っていきます。
(カティア・フランソワさん)
◇自宅で仏法の勉強会を開催
私は、電気工事士をしながら、大学で経済学を勉強しています。
以前は、他の宗教をやっていたことがありますが、自分の変化を感じることはありませんでした。しかし、この信心を実践するようになって、周囲への思いやりや感謝の心を持てるようになりました。こうした精神的な変化が、私にとって一番の功徳だと思っています。
"友達にも仏法の魅力を知ってほしい"と、信心を始めた3年前から継続して、自宅で仏法の勉強会を開いてきました。最初は6、7人からスタートし、今では15人ほどが集まるようになりました! そのうち3人は御本尊を受持して頑張っています。
(ピーターソン・セヴェールさん)
◇今いる場所で幸福の花を!
小さい頃、母から信心の話を聞き、私も始めました。真剣に題目をあげて臨んだ学校の卒業試験で、優秀な成績を得られたことが、最初の信心の確信になりました。
私は父を11歳で亡くし、母が女手一つで育ててくれました。
少しでも早く働きたいと祈り、2009年に赤十字に入社。同時に大学にも入学することになり、午前中は働き、午後は勉強という生活がスタートしました。
経営学部を卒業した現在は、コミュニケーション学部でさらに勉強をしています。広宣流布のために、この思想をたくさんの人に分かりやすく伝えていく力を磨きたいと思っています。
高等教育を受けたハイチの若者は、外国に行きたがる傾向があります。その方が仕事もあり、家族を養っていけるからです。
しかし私は、ここで働き、ここで幸せになることが大切だと思っています。この場所を仏国土に変えていくのが私たちの使命ですから。
池田先生はたびたび、創価の女性を"花"に例えて励ましを送ってくださいます。風雪に耐えて咲く花が野原を美しく彩るように、私自身が幸福の花を咲かせることで、ハイチの大地を変えていきます。
(カティアナ・ジュールさん)
◇信心を始めて夢ができた!
14歳の時、病気で母を亡くしました。父や弟と暮らしてきましたが、心の傷は癒やされませんでした。家族との確執などから大学を中退。母を失ったことで、どんどん自信をなくしていった私は、昨年4月に信心と出あい、12月に御本尊を受持しました。
この信心を始めて変わったところは、夢を持てたことです!
これまでは、事務や調理場など、さまざまな仕事に挑戦するも、長続きしませんでした。
SGIの先輩の温かな励ましを受け、共に祈る中、自分を見つめることができました。繊細で傷つきやすい性格が、実は人に寄り添える長所なのだと気付き、ジャーナリストになるという夢が見えてきたのです。
目標を決めて祈ると、私の人生は大きく転換していきました。
まず奨学金の試験に合格し、語学の学校に通えるようになりました。また、ボランティアでラジオ番組のパーソナリティーも務めています。
希望が見えず、学ぶことを諦めた私が、目標を持って再び学校に通うようになるなんて、思ってもみませんでした。
今、私は本当に幸せです! 何より、自分の生き方に誇りを持てるようになりました。
SGIでは、自身の人間革命によって環境を変えていけることを学びました。長年、弟といがみ合ってきましたが、今は弟ではなく、自分が変わることで解決しようと祈っています。
ハイチの若い女性は多くの問題に直面しています。そうした人たちにこの人間革命の哲学を語っていきたいです。
(タフィカ・ポリカさん)
◇強き祈りで会社の経営が軌道に
首都ポルトープランスで知り合った人に折伏されました。その日から早速、唱題を開始し、数カ月後に御本尊をお受けしました。
当時の課題は、仕事がなかったこと。信心に励む中で、妻と共にカルフール市で会社を立ち上げることができました。
先輩から"実際に働く姿をイメージして祈るんだよ"と言われ、実践してみたところ、その2週間後に会社に投資をしたいという人が現れ、経営を軌道に乗せることができたのです!
仕事を持てたことで、4人の子を養いながら、学校に通って語学を学べるようになりました。
生活で葛藤することも多くありますが、池田先生の書籍を読んで祈りを深めています。
目標は、ハイチ一のビジネスマンになることです!
(フィリップ・デルファンさん)
永遠に「時」は来ない。
「よし今、やろう!」
決意即行動の人が
栄光への突破口を開く!
御衣並単衣御書 P971
『物たねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり』
☆女性に贈ることば 三月二十六日
恩を知り、恩に報いていくことが、人間の歩むべき道である。
親を愛し、親に心の底から感謝できるようになっていくことが、人間としての深まりであり、成長の証と言ってよい。
そのように人間として成長していってこそ、自らもよい親となり、和楽の家庭を築いていける。そうした心が、子育てにも大きな影響を与えていく。
☆今日のことば365 三月二十六日
たとえ苦手な科目があったとしても、自分の輝かしい未来を築くための勉強、財産だと思って、真剣に取り組んでいくことが大切です。
☆ワールドリポート 中米・ハイチを訪ねて(下) 2017年3月15日
◇愛する天地に平和と繁栄を
カリブ海に浮かぶ中米・ハイチ共和国。そこには、多くの社会的な課題にも負けず、妙法を抱き締めて闘う同志の姿があった。この国を、平和と繁栄の楽土に!——開拓精神を燃やし、生活革命や境涯革命に挑むメンバーの声を紹介する。
◇人に尽くした分 目の前が明るく
私は3児の母です。現在は、システムエンジニアをしています。
信心を始めたのは2007年。その頃、私は、大学で情報工学を学んでいました。しかし、経済的な理由から、仕事を探さなければならなくなりました。育児をしながら働き口を見つけるのは容易ではありませんでしたが、公共事業運輸通信省に会計担当として就職することができました。
平日は地方で働き、週末は首都ポルトープランスの家に戻るという生活でした。そんな中、働き始めて3カ月後に、大好きだった母が急性虫垂炎で倒れ、手術の末に他界。心にぽっかりと穴が空いてしまいました。
同時期に、仕事では、職場の人から妬まれ、嫌がらせを受けるように。仕事で評価を上げた私を陥れようとする動きが起きたのです。
度重なる苦難に押しつぶされそうになっていた時、職場の同僚から信心を教わりました。その日から少しずつ題目を唱え始めました。
母を亡くして以来、不安な日々を歩んできましたが、SGIの会合に参加するようになり、新たな"人生の道しるべ"を得ることができました。
ともすれば足を引っ張り合うような競争社会だからこそ、「人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし」(1598ページ)との御書の一節を胸に、友人のために尽くしていこうと決めています。
信心を教えてくれた同僚のように、私も友人の幸せを願い、仏法を語ってきました。今では、二つのグループができるまでにメンバーを拡大。4年前に家を建てて、広布の会場として提供しています! 苦しかった職場環境も改善されました。
常に励ましを送ってくださる池田先生への感謝を胸に、これからも頑張っていきます。
(カティア・フランソワさん)
◇自宅で仏法の勉強会を開催
私は、電気工事士をしながら、大学で経済学を勉強しています。
以前は、他の宗教をやっていたことがありますが、自分の変化を感じることはありませんでした。しかし、この信心を実践するようになって、周囲への思いやりや感謝の心を持てるようになりました。こうした精神的な変化が、私にとって一番の功徳だと思っています。
"友達にも仏法の魅力を知ってほしい"と、信心を始めた3年前から継続して、自宅で仏法の勉強会を開いてきました。最初は6、7人からスタートし、今では15人ほどが集まるようになりました! そのうち3人は御本尊を受持して頑張っています。
(ピーターソン・セヴェールさん)
◇今いる場所で幸福の花を!
小さい頃、母から信心の話を聞き、私も始めました。真剣に題目をあげて臨んだ学校の卒業試験で、優秀な成績を得られたことが、最初の信心の確信になりました。
私は父を11歳で亡くし、母が女手一つで育ててくれました。
少しでも早く働きたいと祈り、2009年に赤十字に入社。同時に大学にも入学することになり、午前中は働き、午後は勉強という生活がスタートしました。
経営学部を卒業した現在は、コミュニケーション学部でさらに勉強をしています。広宣流布のために、この思想をたくさんの人に分かりやすく伝えていく力を磨きたいと思っています。
高等教育を受けたハイチの若者は、外国に行きたがる傾向があります。その方が仕事もあり、家族を養っていけるからです。
しかし私は、ここで働き、ここで幸せになることが大切だと思っています。この場所を仏国土に変えていくのが私たちの使命ですから。
池田先生はたびたび、創価の女性を"花"に例えて励ましを送ってくださいます。風雪に耐えて咲く花が野原を美しく彩るように、私自身が幸福の花を咲かせることで、ハイチの大地を変えていきます。
(カティアナ・ジュールさん)
◇信心を始めて夢ができた!
14歳の時、病気で母を亡くしました。父や弟と暮らしてきましたが、心の傷は癒やされませんでした。家族との確執などから大学を中退。母を失ったことで、どんどん自信をなくしていった私は、昨年4月に信心と出あい、12月に御本尊を受持しました。
この信心を始めて変わったところは、夢を持てたことです!
これまでは、事務や調理場など、さまざまな仕事に挑戦するも、長続きしませんでした。
SGIの先輩の温かな励ましを受け、共に祈る中、自分を見つめることができました。繊細で傷つきやすい性格が、実は人に寄り添える長所なのだと気付き、ジャーナリストになるという夢が見えてきたのです。
目標を決めて祈ると、私の人生は大きく転換していきました。
まず奨学金の試験に合格し、語学の学校に通えるようになりました。また、ボランティアでラジオ番組のパーソナリティーも務めています。
希望が見えず、学ぶことを諦めた私が、目標を持って再び学校に通うようになるなんて、思ってもみませんでした。
今、私は本当に幸せです! 何より、自分の生き方に誇りを持てるようになりました。
SGIでは、自身の人間革命によって環境を変えていけることを学びました。長年、弟といがみ合ってきましたが、今は弟ではなく、自分が変わることで解決しようと祈っています。
ハイチの若い女性は多くの問題に直面しています。そうした人たちにこの人間革命の哲学を語っていきたいです。
(タフィカ・ポリカさん)
◇強き祈りで会社の経営が軌道に
首都ポルトープランスで知り合った人に折伏されました。その日から早速、唱題を開始し、数カ月後に御本尊をお受けしました。
当時の課題は、仕事がなかったこと。信心に励む中で、妻と共にカルフール市で会社を立ち上げることができました。
先輩から"実際に働く姿をイメージして祈るんだよ"と言われ、実践してみたところ、その2週間後に会社に投資をしたいという人が現れ、経営を軌道に乗せることができたのです!
仕事を持てたことで、4人の子を養いながら、学校に通って語学を学べるようになりました。
生活で葛藤することも多くありますが、池田先生の書籍を読んで祈りを深めています。
目標は、ハイチ一のビジネスマンになることです!
(フィリップ・デルファンさん)
2017.03.25 わが友に贈る
さあ 対話の春だ!
相手の幸福を祈り
情熱を込めて語ろう!
「声も惜まず」
随力弘通の実践を!
四条金吾御書 P1175
『なによりも承りてすずしく候事はいくばくの御にくまれの人の御出仕に人かずにめしぐせられさせ給いて、一日二日ならず御ひまもなきよしうれしさ申すばかりなし』
☆女性に贈ることば 三月二十五日
大事なのは、忙しさに負けないこと。心が負けないことです。
☆今日のことば365 三月二十五日
独創的才能をもち、無限の英知をもつことができたとしても、身体が健康でなかったならば、その人生は無に帰してしまう。未来のどんな苦難にも耐えうる、怒濤を越え山をも抜くだけの身体を鍛えてもらいたい。
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 佐渡御書(下) 2017年3月14日
◇師弟の大道歩む"幸福人生"を
今月は、「佐渡御書」の後半を学びます。池田先生は本抄の講義の中で、次のように述べました。
「師弟の魂を受け継ぐ限り、学会は永遠に勝ち栄えていく。このことを、わが門下、なかんずく直系の弟子である青年部の諸君に、私は強く語っておきたい。『師子王の心』の師に続け! 『師子王の心』で、弟子よ勝て! これこそが『佐渡御書』を身読する、創価の師弟の常勝の叫びなのです」
弟子の勝利を願い、師子王の心で正義を叫ばれた日蓮大聖人の御精神を拝し、師弟不二の大道を歩んでいきましょう。(拝読範囲は、御書958ページ8行目〜961ページ末尾)
◇本抄について
本抄は、文永9年(1272年)3月、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地の佐渡・塚原から、門下一同に宛てて認められたお手紙です。
前年の竜の口の法難以降、迫害の手は大聖人だけでなく門下にも及び、弟子たちは投獄・所領没収などの処罰を受けました。こうした中、弾圧を恐れて退転する者が相次いだのです。大聖人は、難に動揺する弟子たちを案じられ、文永9年2月、御自身が末法の御本仏であることを示された「開目抄」を門下一同に与えられました。
この2月には、大聖人が「立正安国論」で予言された自界叛逆難の的中を意味する「二月騒動(北条一族の内乱)」が起こりました。その知らせを受けて認められたのが本抄です。
◇御文
『日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし(中略)日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻�が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし』
(御書960ページ17行目〜961ページ3行目)
◇通解
日蓮を信じているようであった者たちが、日蓮がこのような身になると疑いを起こして法華経を捨てるだけでなく、かえって日蓮を教え諭して、自分は賢いと思っている。こうした愚か者たちが、念仏者よりも長く阿鼻地獄にいるであろうことは不憫としか言いようがない。(中略)
「日蓮御房は師匠ではいらっしゃるがあまりにも強引だ。私たちは柔らかに法華経を弘めよう」などと言っているのは、螢火が太陽や月を笑い、蟻塚が華山を見下し、井戸や川が大河や海を侮り、鵲が鸞鳳を笑うようなものである。笑うようなものである。
◇解説 「師子王の心」で勇気の前進
日蓮大聖人は、正法を弘めれば難に遭うことは法華経の経文通りであり、その中で信心を貫けば必ず宿命転換できることを教えられてきました。
しかし、本抄御執筆の当時、"正法を持っているのに、なぜ迫害に遭うのか。なぜ諸天善神の加護がないのか"と、信心に疑いを起こし、退転する門下が相次ぎました。
掲げた御文で大聖人は、"一度は大聖人門下となりながら、大聖人に激しい迫害が加えられると心を翻し、大聖人を教え諭して「我賢し」と思い上がる者は、正法を誹謗する念仏者よりはるかに罪は重い"と断言されています。
こうした人々の本性は慢心であり、そこには師匠をないがしろにする心があります。
彼らは、"大聖人が難に遭うのは、弘教のあり方が、あまりに強引だからだ"と非難し、"自分たちは、もっと柔らかに法華経を弘めよう"と自分勝手な主張をします。
末法の民衆を救うために命懸けで広宣流布を進めようとする師匠の心が分からず、大聖人から心が離れていった人々。こうした人々のことを、大聖人は、「僻人」(愚か者)と喝破されます。そして、僻人が、いくら主張しようと、それは"螢火が太陽や月を笑い、蟻塚が華山を見下し、井戸や川が大河や海を侮り、鵲が鸞鳳を笑うようなものである"と断じられます。
このように大聖人が弟子たちを厳しく戒められているのは、断じて弟子を退転させまいとする大慈悲からだと拝されます。
広布を前進させる要諦は、"師弟の魂"です。師弟に生き抜けば、いかなる悩みや苦難も必ず乗り越えていくことができます。ゆえに大聖人は本抄で、"私と共に師子王の心で進め"と、門下に渾身の激励をされているのです。
この大聖人の御精神を受け継ぎ、あらゆる大難を勝ち越えてきたのが創価三代の師弟です。
池田先生は、「師匠と『同じ誓願』『同じ理想』『同じ行動』を貫くならば、必ず師匠と同じ境涯に達することができる」と述べています。
師弟誓願の月・3月。師匠の大願と行動を受け継ぎ、今いる場所から世界広布の勝利の門を開いていきましょう。
◇池田先生の講義から
「人生の師匠」に出会い、「師弟の道」に徹しゆくことほど、誇り高い人生はない。
日蓮仏法は「師子王の宗教」です。大聖人は「佐渡御書」で弟子たちに、一生涯、「師弟の大道」に生き抜くべきことを教えられています。
——師匠は、師子の境涯で戦い抜いた。弟子もまた、「師子王の心」で戦えば、必ず、仏になれる。"この大難の中でこそ、偉大な宿命転換ができる。成仏は間違いない。ゆえに、わが宿業転換の闘争を見よ! 範とせよ!"——「佐渡御書」は、どこまでも、弟子の身を案じていく「師匠の心」が、全編に漲っています。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
◇ ◆ ◇
創価の師弟は師子王の陣列です。
我らは軽薄な誹謗など痛烈に笑い飛ばしながら、そして、昇りゆく太陽の如く明るく朗らかに「師子王の心」で威風も堂々と進むのです。(2016年7月号「大白蓮華」、「世界を照らす太陽の仏法」)
相手の幸福を祈り
情熱を込めて語ろう!
「声も惜まず」
随力弘通の実践を!
四条金吾御書 P1175
『なによりも承りてすずしく候事はいくばくの御にくまれの人の御出仕に人かずにめしぐせられさせ給いて、一日二日ならず御ひまもなきよしうれしさ申すばかりなし』
☆女性に贈ることば 三月二十五日
大事なのは、忙しさに負けないこと。心が負けないことです。
☆今日のことば365 三月二十五日
独創的才能をもち、無限の英知をもつことができたとしても、身体が健康でなかったならば、その人生は無に帰してしまう。未来のどんな苦難にも耐えうる、怒濤を越え山をも抜くだけの身体を鍛えてもらいたい。
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 佐渡御書(下) 2017年3月14日
◇師弟の大道歩む"幸福人生"を
今月は、「佐渡御書」の後半を学びます。池田先生は本抄の講義の中で、次のように述べました。
「師弟の魂を受け継ぐ限り、学会は永遠に勝ち栄えていく。このことを、わが門下、なかんずく直系の弟子である青年部の諸君に、私は強く語っておきたい。『師子王の心』の師に続け! 『師子王の心』で、弟子よ勝て! これこそが『佐渡御書』を身読する、創価の師弟の常勝の叫びなのです」
弟子の勝利を願い、師子王の心で正義を叫ばれた日蓮大聖人の御精神を拝し、師弟不二の大道を歩んでいきましょう。(拝読範囲は、御書958ページ8行目〜961ページ末尾)
◇本抄について
本抄は、文永9年(1272年)3月、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地の佐渡・塚原から、門下一同に宛てて認められたお手紙です。
前年の竜の口の法難以降、迫害の手は大聖人だけでなく門下にも及び、弟子たちは投獄・所領没収などの処罰を受けました。こうした中、弾圧を恐れて退転する者が相次いだのです。大聖人は、難に動揺する弟子たちを案じられ、文永9年2月、御自身が末法の御本仏であることを示された「開目抄」を門下一同に与えられました。
この2月には、大聖人が「立正安国論」で予言された自界叛逆難の的中を意味する「二月騒動(北条一族の内乱)」が起こりました。その知らせを受けて認められたのが本抄です。
◇御文
『日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし(中略)日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻�が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし』
(御書960ページ17行目〜961ページ3行目)
◇通解
日蓮を信じているようであった者たちが、日蓮がこのような身になると疑いを起こして法華経を捨てるだけでなく、かえって日蓮を教え諭して、自分は賢いと思っている。こうした愚か者たちが、念仏者よりも長く阿鼻地獄にいるであろうことは不憫としか言いようがない。(中略)
「日蓮御房は師匠ではいらっしゃるがあまりにも強引だ。私たちは柔らかに法華経を弘めよう」などと言っているのは、螢火が太陽や月を笑い、蟻塚が華山を見下し、井戸や川が大河や海を侮り、鵲が鸞鳳を笑うようなものである。笑うようなものである。
◇解説 「師子王の心」で勇気の前進
日蓮大聖人は、正法を弘めれば難に遭うことは法華経の経文通りであり、その中で信心を貫けば必ず宿命転換できることを教えられてきました。
しかし、本抄御執筆の当時、"正法を持っているのに、なぜ迫害に遭うのか。なぜ諸天善神の加護がないのか"と、信心に疑いを起こし、退転する門下が相次ぎました。
掲げた御文で大聖人は、"一度は大聖人門下となりながら、大聖人に激しい迫害が加えられると心を翻し、大聖人を教え諭して「我賢し」と思い上がる者は、正法を誹謗する念仏者よりはるかに罪は重い"と断言されています。
こうした人々の本性は慢心であり、そこには師匠をないがしろにする心があります。
彼らは、"大聖人が難に遭うのは、弘教のあり方が、あまりに強引だからだ"と非難し、"自分たちは、もっと柔らかに法華経を弘めよう"と自分勝手な主張をします。
末法の民衆を救うために命懸けで広宣流布を進めようとする師匠の心が分からず、大聖人から心が離れていった人々。こうした人々のことを、大聖人は、「僻人」(愚か者)と喝破されます。そして、僻人が、いくら主張しようと、それは"螢火が太陽や月を笑い、蟻塚が華山を見下し、井戸や川が大河や海を侮り、鵲が鸞鳳を笑うようなものである"と断じられます。
このように大聖人が弟子たちを厳しく戒められているのは、断じて弟子を退転させまいとする大慈悲からだと拝されます。
広布を前進させる要諦は、"師弟の魂"です。師弟に生き抜けば、いかなる悩みや苦難も必ず乗り越えていくことができます。ゆえに大聖人は本抄で、"私と共に師子王の心で進め"と、門下に渾身の激励をされているのです。
この大聖人の御精神を受け継ぎ、あらゆる大難を勝ち越えてきたのが創価三代の師弟です。
池田先生は、「師匠と『同じ誓願』『同じ理想』『同じ行動』を貫くならば、必ず師匠と同じ境涯に達することができる」と述べています。
師弟誓願の月・3月。師匠の大願と行動を受け継ぎ、今いる場所から世界広布の勝利の門を開いていきましょう。
◇池田先生の講義から
「人生の師匠」に出会い、「師弟の道」に徹しゆくことほど、誇り高い人生はない。
日蓮仏法は「師子王の宗教」です。大聖人は「佐渡御書」で弟子たちに、一生涯、「師弟の大道」に生き抜くべきことを教えられています。
——師匠は、師子の境涯で戦い抜いた。弟子もまた、「師子王の心」で戦えば、必ず、仏になれる。"この大難の中でこそ、偉大な宿命転換ができる。成仏は間違いない。ゆえに、わが宿業転換の闘争を見よ! 範とせよ!"——「佐渡御書」は、どこまでも、弟子の身を案じていく「師匠の心」が、全編に漲っています。(『勝利の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
◇ ◆ ◇
創価の師弟は師子王の陣列です。
我らは軽薄な誹謗など痛烈に笑い飛ばしながら、そして、昇りゆく太陽の如く明るく朗らかに「師子王の心」で威風も堂々と進むのです。(2016年7月号「大白蓮華」、「世界を照らす太陽の仏法」)
2017年3月24日金曜日
2017.03.24 わが友に贈る
仏法は「桜梅桃李」。
人と比べる必要はない。
焦らず着実に進もう!
どこまでも自分らしく
使命の花を咲かせゆけ!
衆生身心御書 P1590
『法華経と申すは随自意と申して仏の御心をとかせ給う、仏の御心はよき心なるゆへにたといしらざる人も此の経をよみたてまつれば利益はかりなし』
☆女性に贈ることば 三月二十四日
子どもは本来、伸びよう、成長しよう、という生命の勢いをもっている。何かのきっかけで、ぐんぐん伸びていくときの子どもの成長の速さは、まことに目覚ましい。
子育てとは、基本的には、この子どもの生命力の流れを正しく導き、成長をはばむものを取り除いてあげることではないだろうか。
☆今日のことば365 三月二十四日
公平な人になりたい。いや、陰の人、淋しい人、悲しんでいる人の味方でありたい。
☆3・16記念 イタリア青年部総会 2017年3月14日
世界広布は青年の手で! 師と共に、同志と共に!!——3・16「広宣流布記念の日」を祝賀するイタリアSGI(創価学会インタナショナル)の青年部総会が12日(現地時間)、フィレンツェ市のイタリア文化会館で晴れやかに行われた。これには池田博正SGI副会長、寺崎SGI平和運動総局長らSGIイタリア派遣団をはじめ、欧州のタカハシ議長、プリチャード女性部長らが出席。池田大作先生は祝福のメッセージを贈り、「学会創立100周年をめざし、共々に勇敢に楽しく、栄光の広宣流布の山の登攀をしていこう」と呼び掛けた。
青年たちは、歓喜に沸いていた。
前日(11日)に行われたフィレンツェ市から池田先生への「名誉市民」称号授与式の、感動さめやらぬ中での青年部総会だったからである。総会会場のイタリア文化会館の立つ場所が、ほかでもないフィレンツェであることも、喜びを二重にさせたのだろう。
「今こそ、池田門下が社会に信頼を広げていく時だ」「私がその一人に」「僕が先駆者に」——皆が口々に決意を語り、会場に熱気をもたらしていた。
青年よ一人立て!
これが、池田先生がフィレンツェを初訪問した1981年から変わらない、イタリア青年部の心意気である。
同年5月30日、先生は青年に訴えた。「太陽が昇れば、地球は明るくなる。『太陽の仏法』を受持した人が、その一家に、その社会に、一人存在することで、太陽のごとく、すべての人を救える」
◇センセイ! 広宣流布は私たちがやります
青年には、未来があり、希望がある。だからこそ、その一人を育てるために、先生は心を尽くした。一人一人に励ましを送った。
1981年、先生はフィレンツェに滞在した5月28日から6月2日までの6日間、諸行事の合間を縫って、常に青年たちと行動を共にした。ミケランジェロ広場で、ベルベデーレ要塞で、ボーボリ庭園で、ヴェッキオ宮殿で……。
フィエゾレの丘では市街を眺望しながら、「今、ここから見える一つ一つの窓の中に、将来、御本尊を持った同志がいることを想像してごらん」と語り、必ず広宣流布はできるとの確信を与えた。
市内の公園にある石造りの野外円形劇場では「いつの日か、イタリアにも大きな会館を建てて、皆で記念の総会をやろうね」と、ロマンを分かち合った。
◇
先生は92年、94年にも同市へ。それは青年たちにとって、金の思い出となっている。
男子部のシンイチ・カネダさんも当時、師との出会いを結んだ一人だ。92年、先生がイタリア文化会館を訪問した折に声を掛けられた。「将来、創価大学にいらっしゃい」と。
当時10歳だったシンイチさんは即答した。
「行きます!」
このやりとりを、今も鮮明に覚えている。
「実は私の両親は日本語を話せるのに私は話せなくて悩んでいたんです。創価大学に行くためには、日本語を習得しなければならない。そのためのきっかけと勇気を先生は与えてくださったのです」
シンイチさんは出会いから11年後、創価大学の別科生に。師との約束を果たした。
その後、経営学部を卒業し、今は母国の有名ブランド企業で働きながら、イタリア広布に走る。
シンイチさんは力強く語った。「フィレンツェは、自分が育った街。何より、先生との原点を築いた街。この地で生涯、誓いを貫きます!」
イタリアSGIの強さ。それは、青年部が拡大をリードしていることだ。
昨年1年間に実った弘教は2000世帯。今年は9000世帯の目標を掲げている。
拡大を果たし、また拡大を誓う「3・16」記念の青年部総会。
皆が自身の課題に挑み、皆が戦い勝って集い合った。総会運営の中心を担ったルカ・リッチョーニ副男子部長も、3カ月前に弘教を実らせている。
◇
晴れの総会では、サンティ男子部長、バッティスティーニ女子部長があいさつ。
続いてジャスミーナ・チプリアーニ副女子部長が活動報告した。ジャスミーナさんは両親の別居などの悲しみを経験。思春期を迎えてからは心の隙間を埋めるために悪友と付き合い、道を外れ、町の住民からも偏見の目で見られるようになっていったという。
結局、高校を中退。だが2000年に父親が入会したことで転機が訪れる。ジャスミーナさんも題目をあげ始めると、心が前向きになり、ずっと現実から逃げてきた"自分の弱さ"と決別することができた。そして05年、入会。同じ日に、ジャスミーナさんの変化に触発された母も入会したのである。
学会活動に懸命に励む中、一つの"夢"が芽生える。それは教師になること。
"かつての私がそうであったように、悩み苦しんでいる若者を救っていくことを、私の使命にしたい"と。
最終学歴は中学校卒業。だが諦めない。働きながら勉強し、夜間高校を卒業した。奨学金で大学にも進学し、先月、見事に卒業を果たす。「どんな状況であっても、人生は変えられる。その喜びを多くの人々に伝えたい」と胸を張った。
チュッロ青年部長は「自他共の幸せを祈り抜き、その実現に行動しゆくのが青年部の使命です」と強調した。
池田SGI副会長は、池田先生の第3代会長辞任から2年後の81年に実現した先生のイタリア訪問を述懐。その意義は、世界広布の新たな大河を築くためにあったと語った。そして、この誉れの歴史を胸に、イタリア青年部から人材拡大の波動をと望んだ。
人と比べる必要はない。
焦らず着実に進もう!
どこまでも自分らしく
使命の花を咲かせゆけ!
衆生身心御書 P1590
『法華経と申すは随自意と申して仏の御心をとかせ給う、仏の御心はよき心なるゆへにたといしらざる人も此の経をよみたてまつれば利益はかりなし』
☆女性に贈ることば 三月二十四日
子どもは本来、伸びよう、成長しよう、という生命の勢いをもっている。何かのきっかけで、ぐんぐん伸びていくときの子どもの成長の速さは、まことに目覚ましい。
子育てとは、基本的には、この子どもの生命力の流れを正しく導き、成長をはばむものを取り除いてあげることではないだろうか。
☆今日のことば365 三月二十四日
公平な人になりたい。いや、陰の人、淋しい人、悲しんでいる人の味方でありたい。
☆3・16記念 イタリア青年部総会 2017年3月14日
世界広布は青年の手で! 師と共に、同志と共に!!——3・16「広宣流布記念の日」を祝賀するイタリアSGI(創価学会インタナショナル)の青年部総会が12日(現地時間)、フィレンツェ市のイタリア文化会館で晴れやかに行われた。これには池田博正SGI副会長、寺崎SGI平和運動総局長らSGIイタリア派遣団をはじめ、欧州のタカハシ議長、プリチャード女性部長らが出席。池田大作先生は祝福のメッセージを贈り、「学会創立100周年をめざし、共々に勇敢に楽しく、栄光の広宣流布の山の登攀をしていこう」と呼び掛けた。
青年たちは、歓喜に沸いていた。
前日(11日)に行われたフィレンツェ市から池田先生への「名誉市民」称号授与式の、感動さめやらぬ中での青年部総会だったからである。総会会場のイタリア文化会館の立つ場所が、ほかでもないフィレンツェであることも、喜びを二重にさせたのだろう。
「今こそ、池田門下が社会に信頼を広げていく時だ」「私がその一人に」「僕が先駆者に」——皆が口々に決意を語り、会場に熱気をもたらしていた。
青年よ一人立て!
これが、池田先生がフィレンツェを初訪問した1981年から変わらない、イタリア青年部の心意気である。
同年5月30日、先生は青年に訴えた。「太陽が昇れば、地球は明るくなる。『太陽の仏法』を受持した人が、その一家に、その社会に、一人存在することで、太陽のごとく、すべての人を救える」
◇センセイ! 広宣流布は私たちがやります
青年には、未来があり、希望がある。だからこそ、その一人を育てるために、先生は心を尽くした。一人一人に励ましを送った。
1981年、先生はフィレンツェに滞在した5月28日から6月2日までの6日間、諸行事の合間を縫って、常に青年たちと行動を共にした。ミケランジェロ広場で、ベルベデーレ要塞で、ボーボリ庭園で、ヴェッキオ宮殿で……。
フィエゾレの丘では市街を眺望しながら、「今、ここから見える一つ一つの窓の中に、将来、御本尊を持った同志がいることを想像してごらん」と語り、必ず広宣流布はできるとの確信を与えた。
市内の公園にある石造りの野外円形劇場では「いつの日か、イタリアにも大きな会館を建てて、皆で記念の総会をやろうね」と、ロマンを分かち合った。
◇
先生は92年、94年にも同市へ。それは青年たちにとって、金の思い出となっている。
男子部のシンイチ・カネダさんも当時、師との出会いを結んだ一人だ。92年、先生がイタリア文化会館を訪問した折に声を掛けられた。「将来、創価大学にいらっしゃい」と。
当時10歳だったシンイチさんは即答した。
「行きます!」
このやりとりを、今も鮮明に覚えている。
「実は私の両親は日本語を話せるのに私は話せなくて悩んでいたんです。創価大学に行くためには、日本語を習得しなければならない。そのためのきっかけと勇気を先生は与えてくださったのです」
シンイチさんは出会いから11年後、創価大学の別科生に。師との約束を果たした。
その後、経営学部を卒業し、今は母国の有名ブランド企業で働きながら、イタリア広布に走る。
シンイチさんは力強く語った。「フィレンツェは、自分が育った街。何より、先生との原点を築いた街。この地で生涯、誓いを貫きます!」
イタリアSGIの強さ。それは、青年部が拡大をリードしていることだ。
昨年1年間に実った弘教は2000世帯。今年は9000世帯の目標を掲げている。
拡大を果たし、また拡大を誓う「3・16」記念の青年部総会。
皆が自身の課題に挑み、皆が戦い勝って集い合った。総会運営の中心を担ったルカ・リッチョーニ副男子部長も、3カ月前に弘教を実らせている。
◇
晴れの総会では、サンティ男子部長、バッティスティーニ女子部長があいさつ。
続いてジャスミーナ・チプリアーニ副女子部長が活動報告した。ジャスミーナさんは両親の別居などの悲しみを経験。思春期を迎えてからは心の隙間を埋めるために悪友と付き合い、道を外れ、町の住民からも偏見の目で見られるようになっていったという。
結局、高校を中退。だが2000年に父親が入会したことで転機が訪れる。ジャスミーナさんも題目をあげ始めると、心が前向きになり、ずっと現実から逃げてきた"自分の弱さ"と決別することができた。そして05年、入会。同じ日に、ジャスミーナさんの変化に触発された母も入会したのである。
学会活動に懸命に励む中、一つの"夢"が芽生える。それは教師になること。
"かつての私がそうであったように、悩み苦しんでいる若者を救っていくことを、私の使命にしたい"と。
最終学歴は中学校卒業。だが諦めない。働きながら勉強し、夜間高校を卒業した。奨学金で大学にも進学し、先月、見事に卒業を果たす。「どんな状況であっても、人生は変えられる。その喜びを多くの人々に伝えたい」と胸を張った。
チュッロ青年部長は「自他共の幸せを祈り抜き、その実現に行動しゆくのが青年部の使命です」と強調した。
池田SGI副会長は、池田先生の第3代会長辞任から2年後の81年に実現した先生のイタリア訪問を述懐。その意義は、世界広布の新たな大河を築くためにあったと語った。そして、この誉れの歴史を胸に、イタリア青年部から人材拡大の波動をと望んだ。
2017年3月23日木曜日
2017.03.23 わが友に贈る
一番大変なところに
真っ先に駆け付ける!
一番苦しんでいる人に
真っ先に励ましを送る!
迅速こそ信頼の源だ!
報恩抄 P293
『仏教をならはん者父母師匠国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか』
☆女性に贈ることば 三月二十三日
意欲的に社会生活に参加している人は、年齢よりはるかに若々しい。また、ささいなことにも感謝の心をもてる人、人のために尽くそうとする人は、すがすがしく若々しい。
☆今日のことば365 三月二十三日
青春は人生の華である。若さの躍動であり、清純さの結晶である。激流のごとき熱情、未来をかける夢、絶対に妥協を許さぬ潔癖性----青春とはなんと魅力にあふれていることか。またなんと光輝に満ちみちていることか。限りなき未来を包む青春、一生は青春のなかにその花を開き、また生涯を飾りゆく基盤ができあがる。
☆御書と歩む 第56回 後継の魂を明々と燃やせ 2017年3月14日
『ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず』(四条金吾殿御返事、P1143)
◇通解
ただ、世間の種々の難が襲ってきても、とりあってはいけない。賢人や聖人であっても、このことは逃れられないからである。
◇同志への指針
偉大な使命の青春なればこそ、苦難は大きい。悪口罵詈は正義の誉れである。
地涌の若人として、労苦をいとわず誓願を貫く一日一日は、最も誇り高い。
試練が偉大な生命を鍛える。「苦楽ともに思い合せて」題目を唱え、強く朗らかに進むのだ。必ず道は開ける。
「3・16」は、永遠に青年の出発の日だ。恐れなく、わが最高峰へ挑みゆけ!
真っ先に駆け付ける!
一番苦しんでいる人に
真っ先に励ましを送る!
迅速こそ信頼の源だ!
報恩抄 P293
『仏教をならはん者父母師匠国恩をわするべしや、此の大恩をほうぜんには必ず仏法をならひきはめ智者とならで叶うべきか』
☆女性に贈ることば 三月二十三日
意欲的に社会生活に参加している人は、年齢よりはるかに若々しい。また、ささいなことにも感謝の心をもてる人、人のために尽くそうとする人は、すがすがしく若々しい。
☆今日のことば365 三月二十三日
青春は人生の華である。若さの躍動であり、清純さの結晶である。激流のごとき熱情、未来をかける夢、絶対に妥協を許さぬ潔癖性----青春とはなんと魅力にあふれていることか。またなんと光輝に満ちみちていることか。限りなき未来を包む青春、一生は青春のなかにその花を開き、また生涯を飾りゆく基盤ができあがる。
☆御書と歩む 第56回 後継の魂を明々と燃やせ 2017年3月14日
『ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず』(四条金吾殿御返事、P1143)
◇通解
ただ、世間の種々の難が襲ってきても、とりあってはいけない。賢人や聖人であっても、このことは逃れられないからである。
◇同志への指針
偉大な使命の青春なればこそ、苦難は大きい。悪口罵詈は正義の誉れである。
地涌の若人として、労苦をいとわず誓願を貫く一日一日は、最も誇り高い。
試練が偉大な生命を鍛える。「苦楽ともに思い合せて」題目を唱え、強く朗らかに進むのだ。必ず道は開ける。
「3・16」は、永遠に青年の出発の日だ。恐れなく、わが最高峰へ挑みゆけ!
2017年3月22日水曜日
2017.03.22 わが友に贈る
生涯求道の賢者たる
太陽会・敢闘会の皆様
いつもありがとう!
いよいよの心意気で
黄金の自分史を共に!
持妙法華問答抄p466
命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり
☆女性に贈ることば 三月二十二日
部屋を片付けないと「なんて、だらしのない子!」 と言う。言うたびに、そういう否定的な自画像が子どもに刷りこまれてしまう場合がある。むしろ、「あなたなら、きれいにできるよ」と励ましてあげたい。
☆今日のことば365 三月二十二日
第一にも確信
第二にも確信
第三にも確信をもって
朗らかに逞しく すべてを建設していこう
☆フィレンツェ市の「名誉市民」称号授与式から 池田先生の謝辞 2017年3月13日
◇ルネサンスの都から人間主義の花園を地球社会へ
一、私が、日々折々に見つめている写真があります。青年たちと訪れたミケランジェロ広場から収めた、アルノ川のほとりに広がるフィレンツェの5月の街並みです。
人類の宝と薫る「ルネサンスの花の都」に思いをはせれば、わが生命は生き生きとよみがえり、尽きることなく創造の活力が漲ってくるのであります。
今も私の心はフィレンツェへ飛び、荘厳なる五百人広間での式典に臨ませていただいております。
ここに満腔の感謝と感動をもって、最高に意義深き貴フィレンツェ市からの名誉市民の称号を拝受いたします。
ナルデッラ市長をはじめ、全ての市議会議員の先生方、ならびにご関係の皆さま方に、心より御礼申し上げます。
本日の光栄を、私は何よりも、イタリアSGIの友と分かち合わせていただきます。
この栄誉は、良き市民、良き国民として社会と国家に貢献しゆく、わが友への信頼の証しに他ならないからであります。
とともに私は、この栄誉を、第2次世界大戦中、日本の軍国主義による2年間の投獄にも屈せず、戦後、「人間革命」、また「地球民族主義」の理念を掲げ、平和と人道の民衆運動を開始した、わが師匠・戸田城聖先生に、捧げさせていただきたいのであります。
今年は、この恩師に私が師事してより70年。
さらに恩師が、世界の民衆の生存の権利を謳い上げる「原水爆禁止宣言」を発表してから60年を迎えます。
貴国、なかんずくフィレンツェを舞台とした偉大なるルネサンスの歴史に師弟で学びつつ、青年の創造的生命の開花と連帯を目指し、新時代の文化交流を展望したことも、忘れ得ぬ思い出です。
◇多彩なる文化が融合する十字路
一、ここに、光輝満つる「花の都」の一員とさせていただいた私は、貴国をはじめ世界192カ国・地域の信頼する青年たちと共に、ここフィレンツェから人間主義の花園を、いやまして地球社会の未来へ咲き薫らせていきたいと、決意しております。
その第一は、「平和と共生の花園」です。
国際社会が深刻な分断に引き裂かれた東西冷戦の最中、世界各界の指導層に対話を呼び掛けて、平和への雄渾なるリーダーシップを執られた都市が、貴フィレンツェ市であったのであります。
当時のジョルジョ・ラ・ピーラ市長は、緊迫した情勢のただ中で、多様な宗教や文明の懸け橋となられました。
1955年には、世界の都市の首長たちを、ここフィレンツェに招き、核兵器の脅威と平和への連帯を訴える、歴史的な国際会議を開催されております。
人類の生存と、人間の尊厳性を断固として守りゆく、平和と人道の都市外交を、全世界に先駆けて展開された金字塔であります。
ラ・ピーラ市長が厳然と叫ばれたごとく、都市の生存の権利は「誰人も、いかなる理由があろうとも、破壊する権利はなく、侵すことはできない」のであります。
この崇高なる信念を受け継がれ、異なる民族や文化を心開かれた対話で結び、世界市民の「善の連帯」を創り広げてこられたのが、若き英邁なるナルデッラ市長であられます。
2015年秋、市長の卓越したビジョンのもと、50カ国60都市が参加して「多様性の中の調和」を掲げて開催された国際会議が、世界に大いなる未来図を示したことも、記憶に新しいところであります。
多彩な文化が融合し、新たな光を放つ「平和の十字路」として、貴市は創造的リーダーシップを、いやまして赫々と世界に示されているのであります。
東洋の美しい譬喩に「桜梅桃李」とあります。桜も梅も桃も李も、それぞれに自分らしく咲き誇りながら、麗しく大地を彩っていきます。
それと同じように、人間も、都市も、文明も、まさしく「多様性の中の調和」を織り成していくことを促しております。
その希望のモデルたる貴市の皆さま方とご一緒に、「平和共生の花園」を地球社会に広げていけることは、私どもSGIにとって、最高の誉れであり、喜びであります。
◇芸術の交流通し創造性を薫発
一、第二に申し上げたいのは、「文化創造の花園」です。
東京富士美術館も、フィレンツェ市と重ねてきた文化・芸術交流を、最高の誇りとしております。
とりわけ、貴イタリア共和国政府と、貴市のご厚意によって実現した、「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」は、2015年以来、日本の各地で巡回され、大きな反響を呼んでおります。
昨年は、2011年の東日本大震災によって甚大な被害を受けた東北でも開催され、「心の復興」を進めゆく友へ限りない勇気を贈っていただきました。
折しも、きょう(11日)は大震災より6年のその日です。
この展覧会の開催に当たり、ご尽力を賜りました、市長をはじめ、関係者の皆さま方のひとかたならぬ信頼と友情に、重ねて御礼を申し上げます(大拍手)。
この4月からも、フィレンツェの誇るウフィツィ美術館をはじめ多くの方々のご尽力をいただき、日本各地で「遙かなるルネサンス展」の開催が予定されております。
こうした文化芸術の交流をたゆまず積み重ねながら、一段と民衆の心と心を結合するとともに、新たな人類の創造性を薫発していきたいと、願ってやみません。
◇壮大な建設が力を合わせれば
一、最後に、「青年連帯の花園を」と申し上げたい。
フィレンツェは、若人の生命が躍動する青年の都です。36年前、私が初訪問した折に迎えてくれたのも、多くの若人たちでした。
その太陽のように輝く瞳と陽気な笑顔、真剣で情熱あふれる生命の息吹に触れて、私自身、世界の未来は明るいと計り知れない希望を見いだしたのであります。
そして今、当時、語り合った青年たちが、皆、素晴らしいリーダーと大成して、社会に世界に目覚ましい貢献を果たしゆく晴れ姿ほど、うれしいものはありません。
かの偉大なるラ・ピーラ市長は「人間に戻るのだ。人間の偉大さと苦労に」(アンジェリーナ・ヴォルペ著『20世紀の聖者』ドン・ボスコ社)と獅子吼されました。
我らのフィレンツェは、まさに偉大な「人間の都」であります。一人の人間の生命が、どれほど偉大な智慧と不屈の勇気を秘めているか。そして、皆で力を合わせた時に、どれほど壮大な建設を成し遂げることができるか。
フィレンツェこそ、青年の魂に、その目覚めをもたらす「永遠の希望の都」なのであります。
親愛なるフィレンツェの全ての友人の皆さま方。
きょうより私は、誉れも高きフィレンツェ市民の一人として、皆さま方と手を携えながら、「誰も置き去りにされることのない」平和と人道の地球社会の創造へ、共に進みゆくことを、ここに固くお誓い申し上げます。
最後に、貴フィレンツェ市のますますの栄光と無窮の発展、ご参加の皆さま方の健勝とご一家の繁栄を心よりお祈り申し上げ、私の御礼とさせていただきます(大拍手)。
太陽会・敢闘会の皆様
いつもありがとう!
いよいよの心意気で
黄金の自分史を共に!
持妙法華問答抄p466
命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり
☆女性に贈ることば 三月二十二日
部屋を片付けないと「なんて、だらしのない子!」 と言う。言うたびに、そういう否定的な自画像が子どもに刷りこまれてしまう場合がある。むしろ、「あなたなら、きれいにできるよ」と励ましてあげたい。
☆今日のことば365 三月二十二日
第一にも確信
第二にも確信
第三にも確信をもって
朗らかに逞しく すべてを建設していこう
☆フィレンツェ市の「名誉市民」称号授与式から 池田先生の謝辞 2017年3月13日
◇ルネサンスの都から人間主義の花園を地球社会へ
一、私が、日々折々に見つめている写真があります。青年たちと訪れたミケランジェロ広場から収めた、アルノ川のほとりに広がるフィレンツェの5月の街並みです。
人類の宝と薫る「ルネサンスの花の都」に思いをはせれば、わが生命は生き生きとよみがえり、尽きることなく創造の活力が漲ってくるのであります。
今も私の心はフィレンツェへ飛び、荘厳なる五百人広間での式典に臨ませていただいております。
ここに満腔の感謝と感動をもって、最高に意義深き貴フィレンツェ市からの名誉市民の称号を拝受いたします。
ナルデッラ市長をはじめ、全ての市議会議員の先生方、ならびにご関係の皆さま方に、心より御礼申し上げます。
本日の光栄を、私は何よりも、イタリアSGIの友と分かち合わせていただきます。
この栄誉は、良き市民、良き国民として社会と国家に貢献しゆく、わが友への信頼の証しに他ならないからであります。
とともに私は、この栄誉を、第2次世界大戦中、日本の軍国主義による2年間の投獄にも屈せず、戦後、「人間革命」、また「地球民族主義」の理念を掲げ、平和と人道の民衆運動を開始した、わが師匠・戸田城聖先生に、捧げさせていただきたいのであります。
今年は、この恩師に私が師事してより70年。
さらに恩師が、世界の民衆の生存の権利を謳い上げる「原水爆禁止宣言」を発表してから60年を迎えます。
貴国、なかんずくフィレンツェを舞台とした偉大なるルネサンスの歴史に師弟で学びつつ、青年の創造的生命の開花と連帯を目指し、新時代の文化交流を展望したことも、忘れ得ぬ思い出です。
◇多彩なる文化が融合する十字路
一、ここに、光輝満つる「花の都」の一員とさせていただいた私は、貴国をはじめ世界192カ国・地域の信頼する青年たちと共に、ここフィレンツェから人間主義の花園を、いやまして地球社会の未来へ咲き薫らせていきたいと、決意しております。
その第一は、「平和と共生の花園」です。
国際社会が深刻な分断に引き裂かれた東西冷戦の最中、世界各界の指導層に対話を呼び掛けて、平和への雄渾なるリーダーシップを執られた都市が、貴フィレンツェ市であったのであります。
当時のジョルジョ・ラ・ピーラ市長は、緊迫した情勢のただ中で、多様な宗教や文明の懸け橋となられました。
1955年には、世界の都市の首長たちを、ここフィレンツェに招き、核兵器の脅威と平和への連帯を訴える、歴史的な国際会議を開催されております。
人類の生存と、人間の尊厳性を断固として守りゆく、平和と人道の都市外交を、全世界に先駆けて展開された金字塔であります。
ラ・ピーラ市長が厳然と叫ばれたごとく、都市の生存の権利は「誰人も、いかなる理由があろうとも、破壊する権利はなく、侵すことはできない」のであります。
この崇高なる信念を受け継がれ、異なる民族や文化を心開かれた対話で結び、世界市民の「善の連帯」を創り広げてこられたのが、若き英邁なるナルデッラ市長であられます。
2015年秋、市長の卓越したビジョンのもと、50カ国60都市が参加して「多様性の中の調和」を掲げて開催された国際会議が、世界に大いなる未来図を示したことも、記憶に新しいところであります。
多彩な文化が融合し、新たな光を放つ「平和の十字路」として、貴市は創造的リーダーシップを、いやまして赫々と世界に示されているのであります。
東洋の美しい譬喩に「桜梅桃李」とあります。桜も梅も桃も李も、それぞれに自分らしく咲き誇りながら、麗しく大地を彩っていきます。
それと同じように、人間も、都市も、文明も、まさしく「多様性の中の調和」を織り成していくことを促しております。
その希望のモデルたる貴市の皆さま方とご一緒に、「平和共生の花園」を地球社会に広げていけることは、私どもSGIにとって、最高の誉れであり、喜びであります。
◇芸術の交流通し創造性を薫発
一、第二に申し上げたいのは、「文化創造の花園」です。
東京富士美術館も、フィレンツェ市と重ねてきた文化・芸術交流を、最高の誇りとしております。
とりわけ、貴イタリア共和国政府と、貴市のご厚意によって実現した、「レオナルド・ダ・ヴィンチと『アンギアーリの戦い』展」は、2015年以来、日本の各地で巡回され、大きな反響を呼んでおります。
昨年は、2011年の東日本大震災によって甚大な被害を受けた東北でも開催され、「心の復興」を進めゆく友へ限りない勇気を贈っていただきました。
折しも、きょう(11日)は大震災より6年のその日です。
この展覧会の開催に当たり、ご尽力を賜りました、市長をはじめ、関係者の皆さま方のひとかたならぬ信頼と友情に、重ねて御礼を申し上げます(大拍手)。
この4月からも、フィレンツェの誇るウフィツィ美術館をはじめ多くの方々のご尽力をいただき、日本各地で「遙かなるルネサンス展」の開催が予定されております。
こうした文化芸術の交流をたゆまず積み重ねながら、一段と民衆の心と心を結合するとともに、新たな人類の創造性を薫発していきたいと、願ってやみません。
◇壮大な建設が力を合わせれば
一、最後に、「青年連帯の花園を」と申し上げたい。
フィレンツェは、若人の生命が躍動する青年の都です。36年前、私が初訪問した折に迎えてくれたのも、多くの若人たちでした。
その太陽のように輝く瞳と陽気な笑顔、真剣で情熱あふれる生命の息吹に触れて、私自身、世界の未来は明るいと計り知れない希望を見いだしたのであります。
そして今、当時、語り合った青年たちが、皆、素晴らしいリーダーと大成して、社会に世界に目覚ましい貢献を果たしゆく晴れ姿ほど、うれしいものはありません。
かの偉大なるラ・ピーラ市長は「人間に戻るのだ。人間の偉大さと苦労に」(アンジェリーナ・ヴォルペ著『20世紀の聖者』ドン・ボスコ社)と獅子吼されました。
我らのフィレンツェは、まさに偉大な「人間の都」であります。一人の人間の生命が、どれほど偉大な智慧と不屈の勇気を秘めているか。そして、皆で力を合わせた時に、どれほど壮大な建設を成し遂げることができるか。
フィレンツェこそ、青年の魂に、その目覚めをもたらす「永遠の希望の都」なのであります。
親愛なるフィレンツェの全ての友人の皆さま方。
きょうより私は、誉れも高きフィレンツェ市民の一人として、皆さま方と手を携えながら、「誰も置き去りにされることのない」平和と人道の地球社会の創造へ、共に進みゆくことを、ここに固くお誓い申し上げます。
最後に、貴フィレンツェ市のますますの栄光と無窮の発展、ご参加の皆さま方の健勝とご一家の繁栄を心よりお祈り申し上げ、私の御礼とさせていただきます(大拍手)。
2017年3月21日火曜日
2017.03.21 わが友に贈る
病と闘う友やその家族に
真心の励ましを!
「妙とは蘇生の義なり」と
大確信の唱題を共に!
健康長寿の信心なれば!
三沢抄 P1487
『仏法をがくする者は大地微塵よりをほけれどもまことに仏になる人は爪の上の土よりもすくなし』
☆女性に贈ることば 三月二十一日
前へ! また断固として、前へ進むのだ! 眼前の現実に勇敢に挑みゆくのだ!
その人が、最高の勝利の人である。尊き女性なのである。
誰がなんと言おうが、誰人がなんと思おうが!
☆今日のことば365 三月二十一日
余裕ある行動
自信ある行動
そして 明朗なる行動たれ
☆女子部に清新なリーダーが誕生 2017年3月9日
華陽のスクラム広げ「誓春」を舞いゆけ!
◇伊藤樹美女子部長
「華陽姉妹と共に、対話・友情・人材拡大の"青春の劇"を勝ち飾っていきます!」
女子部長に就任した伊藤樹美さんは、清新な決意を語る。
本陣・東京の北区出身。幼い頃から、何度も母親の仏法対話の場に同席。未来部時代に信仰の確信を深めた。
慶応大学に入学した翌月、"幸の宝城"である創価女子会館が信濃町にオープンした。
「拡大の結果でお祝いしたい」。伊藤さんは、3世帯の弘教を結実させて、開館の日を晴れやかに迎えた。
「"師と共に"との強い一念で折伏に挑む中で、幸福の門を開くことができます」との言葉に説得力がある。
父のリウマチや自身のぜんそく等、学生時代、次々に一家を襲った宿命の嵐。しかし、師弟誓願の祈りと挑戦の中で、全てを乗り越えてきた。
3年次には、思いがけず学会本部で、池田先生とのかけがえのない出会いを刻んだ。師の温かなまなざし、万感の期待に触れ、「生涯、報恩の道を」と決意。誓いのままに、在学中、100人以上の学友らに仏法対話を。友情と信頼の花を爛漫と咲き薫らせた。
卒業後、学会本部職員に。女子学生部書記長、北総区女子部長、女子部書記長などを歴任。どんな立場でも、率先の対話拡大に挑戦し続けてきた。
3年前には、親戚一家4人が入会。
一昨年の11月には、近隣の友が教学部任用試験を受験。仏法への理解を深める中、人間主義の哲学を求めて御本尊を受持。現在、広布の第一線で奮闘する。
「目の前の一人を大切にすることから、世界広布は始まります。一人から次の一人へ、"幸福の連鎖"は幾重にも広がります」と、喜びを語る伊藤さん。
社会人2年目の時に弘教した友人は、信仰に励む中、職場での苦境を打開。その姿に感動した母らが、後に入会した。
伊藤さんは、これまで7世帯11人に弘教を実らせている。
「女子部の前進こそ、世界の希望です。仲良き異体同心の団結で、華陽の連帯を広げていきます!」
◇山本幸恵書記長
新書記長に就任した山本幸恵さんは、学会3世。"烈風魂"脈打つ和歌山の地で、信心強盛な両親のもと、生まれ育った。
小・中学校時代は、バスケットボールとテニスに全力投球。信仰に抵抗を感じた時期もあったが、温かな創価家族と触れ合う中で、"中途半端ではなく、徹底して励もう"と一念発起。創価の哲学を求めて、関西創価高校へ進学した。
入学直前の3月から本紙で、『新・人間革命』「希望」の章の連載がスタート。
前身の創価女子学園を設立した時の、創立者の思いに触れ、"成長した姿で池田先生にお応えしたい"と誓った。
白ゆり寮の1期生として3年間、かけがえのない宝の友と学園生活を過ごす。
在学中、関西創価学園に、池田先生が来学する機会はなかった。しかし、高校卒業後、先生から"私の心をわが心として、新たな黄金時代を築いてくれた"と万感の伝言が。
その時、大切なのは池田先生との"距離"ではなく、正しい道を求める側の"求道の一念"である、との確信を一層強くする。
創価大学に進学し、創春寮に1期生として入寮。3年次には全寮代表を務め、友人との対話にも奔走した。
卒業後、学会本部職員となり、女子学生部副書記長、女子未来部長などを歴任。後継の人材育成に全力を注ぐとともに、分区女子部長としての活動にも、一歩も引かずに挑戦した。"先生に勝利をお届けしたい"と祈る中で、自身の友人が入会を決意。東京で模範の拡大の結果を示した。
現在、板橋総区女子部長を兼任する。
山本さんは誓う。「女子部全員が歓喜と希望の青春を歩めるよう、伊藤女子部長と共に、一人一人に尽くし抜いてまいります!」
◇清水優子総合女子部長
新体制を支える清水優子総合女子部長は、「新任の2人と団結して、朗らかに広布の門を開きます!」と新たな決意にあふれる。
女子部のスローガンは「行学の翼で青春勝利の大空へ! 歓喜の華陽スクラムで世界へ希望の虹を!」。この誓いを胸に、宝の華陽姉妹が、"誓いの春"を舞い、青春凱歌の世紀を開きゆく!
真心の励ましを!
「妙とは蘇生の義なり」と
大確信の唱題を共に!
健康長寿の信心なれば!
三沢抄 P1487
『仏法をがくする者は大地微塵よりをほけれどもまことに仏になる人は爪の上の土よりもすくなし』
☆女性に贈ることば 三月二十一日
前へ! また断固として、前へ進むのだ! 眼前の現実に勇敢に挑みゆくのだ!
その人が、最高の勝利の人である。尊き女性なのである。
誰がなんと言おうが、誰人がなんと思おうが!
☆今日のことば365 三月二十一日
余裕ある行動
自信ある行動
そして 明朗なる行動たれ
☆女子部に清新なリーダーが誕生 2017年3月9日
華陽のスクラム広げ「誓春」を舞いゆけ!
◇伊藤樹美女子部長
「華陽姉妹と共に、対話・友情・人材拡大の"青春の劇"を勝ち飾っていきます!」
女子部長に就任した伊藤樹美さんは、清新な決意を語る。
本陣・東京の北区出身。幼い頃から、何度も母親の仏法対話の場に同席。未来部時代に信仰の確信を深めた。
慶応大学に入学した翌月、"幸の宝城"である創価女子会館が信濃町にオープンした。
「拡大の結果でお祝いしたい」。伊藤さんは、3世帯の弘教を結実させて、開館の日を晴れやかに迎えた。
「"師と共に"との強い一念で折伏に挑む中で、幸福の門を開くことができます」との言葉に説得力がある。
父のリウマチや自身のぜんそく等、学生時代、次々に一家を襲った宿命の嵐。しかし、師弟誓願の祈りと挑戦の中で、全てを乗り越えてきた。
3年次には、思いがけず学会本部で、池田先生とのかけがえのない出会いを刻んだ。師の温かなまなざし、万感の期待に触れ、「生涯、報恩の道を」と決意。誓いのままに、在学中、100人以上の学友らに仏法対話を。友情と信頼の花を爛漫と咲き薫らせた。
卒業後、学会本部職員に。女子学生部書記長、北総区女子部長、女子部書記長などを歴任。どんな立場でも、率先の対話拡大に挑戦し続けてきた。
3年前には、親戚一家4人が入会。
一昨年の11月には、近隣の友が教学部任用試験を受験。仏法への理解を深める中、人間主義の哲学を求めて御本尊を受持。現在、広布の第一線で奮闘する。
「目の前の一人を大切にすることから、世界広布は始まります。一人から次の一人へ、"幸福の連鎖"は幾重にも広がります」と、喜びを語る伊藤さん。
社会人2年目の時に弘教した友人は、信仰に励む中、職場での苦境を打開。その姿に感動した母らが、後に入会した。
伊藤さんは、これまで7世帯11人に弘教を実らせている。
「女子部の前進こそ、世界の希望です。仲良き異体同心の団結で、華陽の連帯を広げていきます!」
◇山本幸恵書記長
新書記長に就任した山本幸恵さんは、学会3世。"烈風魂"脈打つ和歌山の地で、信心強盛な両親のもと、生まれ育った。
小・中学校時代は、バスケットボールとテニスに全力投球。信仰に抵抗を感じた時期もあったが、温かな創価家族と触れ合う中で、"中途半端ではなく、徹底して励もう"と一念発起。創価の哲学を求めて、関西創価高校へ進学した。
入学直前の3月から本紙で、『新・人間革命』「希望」の章の連載がスタート。
前身の創価女子学園を設立した時の、創立者の思いに触れ、"成長した姿で池田先生にお応えしたい"と誓った。
白ゆり寮の1期生として3年間、かけがえのない宝の友と学園生活を過ごす。
在学中、関西創価学園に、池田先生が来学する機会はなかった。しかし、高校卒業後、先生から"私の心をわが心として、新たな黄金時代を築いてくれた"と万感の伝言が。
その時、大切なのは池田先生との"距離"ではなく、正しい道を求める側の"求道の一念"である、との確信を一層強くする。
創価大学に進学し、創春寮に1期生として入寮。3年次には全寮代表を務め、友人との対話にも奔走した。
卒業後、学会本部職員となり、女子学生部副書記長、女子未来部長などを歴任。後継の人材育成に全力を注ぐとともに、分区女子部長としての活動にも、一歩も引かずに挑戦した。"先生に勝利をお届けしたい"と祈る中で、自身の友人が入会を決意。東京で模範の拡大の結果を示した。
現在、板橋総区女子部長を兼任する。
山本さんは誓う。「女子部全員が歓喜と希望の青春を歩めるよう、伊藤女子部長と共に、一人一人に尽くし抜いてまいります!」
◇清水優子総合女子部長
新体制を支える清水優子総合女子部長は、「新任の2人と団結して、朗らかに広布の門を開きます!」と新たな決意にあふれる。
女子部のスローガンは「行学の翼で青春勝利の大空へ! 歓喜の華陽スクラムで世界へ希望の虹を!」。この誓いを胸に、宝の華陽姉妹が、"誓いの春"を舞い、青春凱歌の世紀を開きゆく!
2017年3月20日月曜日
2017.03.20 わが友に贈る
◇今週のことば
自行化他の題目こそ
真の追善なり。
「生も歓喜、死も歓喜」
広布に走る生命から
常楽我浄の春風が!
2017年3月20日
撰時抄 P265
『法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云、されば日蓮は当帝の父母念仏者禅衆真言師等が師範なり又主君なり』
☆女性に贈ることば 三月二十日
家庭がつねに明るく健康であるためには、たゆまざる価値創造が必要だと思う。一曲の音楽が、家庭を楽しい音楽会場にもするし、子どもの描いた一枚の絵が、家庭を美しい展覧会場にもする。
☆今日のことば365 三月二十日
宗教は、単に個人の「心」の枠に閉じ込められたものではない。広く社会に流布した宗教は、それ自体、すでに社会の基盤を形成しているのだ。
☆世界写真紀行 第11回 キューバ・ハバナの街並み 2017年3月8日
◇行動の人が時代を創る
歴史を感じさせる街並み。だが、建物の鮮やかな色彩からは、強い個性や生命力が発散されているように思えてならない。
キューバの首都ハバナ。スペイン統治時代の面影を残す旧市街の一角だ。
地元の人々や観光客など一日中、往来が絶えない。街のあちこちから、ルンバ、マンボ、サルサなど、軽快な音楽が聞こえてくる。
アメリカのフロリダ半島から南に145キロ。キューバ島と周囲の島々に1100万人が暮らす。「カリブ海の真珠」といわれる憧れの天地だ。
池田大作先生がキューバを訪れたのは、1996年6月。その頃の同国は、最大の苦境にあった。
59年の「キューバ革命」以来、アメリカの経済封鎖が続いていた。加えて91年にソ連が崩壊。多大な援助が途絶え、経済はどん底に。マイナス70%の経済成長率という"国家崩壊の危機"となる。極度のモノ不足の一方で、強まる"キューバたたき"の論調。"キューバは終わりだ"と冷笑する人も多かった。
だからこそ、行こう!——池田先生は、アメリカでキッシンジャー元国務長官と会見した後、バハマを経てキューバ入りする。
"仏法者には反米も反キューバもない。互いが「平和のため」という一点に立てば、対話の橋は架けられる"との信念だった。
先生の滞在は3日間。ホセ・マルティ像への献花、ハバナ市の「最高賓客」称号授章式、フェリックス・バレラ勲章勲一等の叙勲式、国立ハバナ大学の「名誉人文学博士号」の授与式、フィデル・カストロ国家評議会議長との会見と、友好の歴史を刻む行事が続いた。
先生は、キューバを離れる直前までハルト文化大臣らと会談し、平和の道をさらに開くため、今後の文化・民衆交流について語り合っている。
先生は力を込めた。
「私の恩師(戸田城聖先生)は『200年後を見つめて進め』と私に教えました。また『同志が全世界に散らばって、全人類を結べ。連帯させよ』と教えました。
この言葉通りに、私は進んでいるつもりです。この偉大な哲学をもつゆえに、皮相的な目先のことなど眼中にありません。どこまでも、各国の民衆に尽くすだけです」
当時、現地のSGIメンバーは7世帯。先生は滞在中、友の代表と会い、抱きかかえるように励ました。その後も、折に触れて伝言を送るなど、キューバの友を温かく見守り続けた。
友は、座談会を活動の中心に置き、仏法の哲理を語りに語った。学会理解は広がり、広布の水かさは着実に増していった。そして2007年、キューバ創価学会が国内の仏教団体で唯一の「宗教法人」に認可されたのである。平和のスクラムは、この20年で1000人へと拡大した。
一昨年の7月、キューバとアメリカの国交が54年ぶりに回復。最近では、アメリカからの渡航者が大幅に増えているという。かつては考えられなかった時代が到来した。
時代は動いている。だがその波に翻弄され、変化に右往左往するのではなく、はるかな未来を見つめて、信念の行動を貫くことだ。その人が新しい時代を創る。
自行化他の題目こそ
真の追善なり。
「生も歓喜、死も歓喜」
広布に走る生命から
常楽我浄の春風が!
2017年3月20日
撰時抄 P265
『法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云、されば日蓮は当帝の父母念仏者禅衆真言師等が師範なり又主君なり』
☆女性に贈ることば 三月二十日
家庭がつねに明るく健康であるためには、たゆまざる価値創造が必要だと思う。一曲の音楽が、家庭を楽しい音楽会場にもするし、子どもの描いた一枚の絵が、家庭を美しい展覧会場にもする。
☆今日のことば365 三月二十日
宗教は、単に個人の「心」の枠に閉じ込められたものではない。広く社会に流布した宗教は、それ自体、すでに社会の基盤を形成しているのだ。
☆世界写真紀行 第11回 キューバ・ハバナの街並み 2017年3月8日
◇行動の人が時代を創る
歴史を感じさせる街並み。だが、建物の鮮やかな色彩からは、強い個性や生命力が発散されているように思えてならない。
キューバの首都ハバナ。スペイン統治時代の面影を残す旧市街の一角だ。
地元の人々や観光客など一日中、往来が絶えない。街のあちこちから、ルンバ、マンボ、サルサなど、軽快な音楽が聞こえてくる。
アメリカのフロリダ半島から南に145キロ。キューバ島と周囲の島々に1100万人が暮らす。「カリブ海の真珠」といわれる憧れの天地だ。
池田大作先生がキューバを訪れたのは、1996年6月。その頃の同国は、最大の苦境にあった。
59年の「キューバ革命」以来、アメリカの経済封鎖が続いていた。加えて91年にソ連が崩壊。多大な援助が途絶え、経済はどん底に。マイナス70%の経済成長率という"国家崩壊の危機"となる。極度のモノ不足の一方で、強まる"キューバたたき"の論調。"キューバは終わりだ"と冷笑する人も多かった。
だからこそ、行こう!——池田先生は、アメリカでキッシンジャー元国務長官と会見した後、バハマを経てキューバ入りする。
"仏法者には反米も反キューバもない。互いが「平和のため」という一点に立てば、対話の橋は架けられる"との信念だった。
先生の滞在は3日間。ホセ・マルティ像への献花、ハバナ市の「最高賓客」称号授章式、フェリックス・バレラ勲章勲一等の叙勲式、国立ハバナ大学の「名誉人文学博士号」の授与式、フィデル・カストロ国家評議会議長との会見と、友好の歴史を刻む行事が続いた。
先生は、キューバを離れる直前までハルト文化大臣らと会談し、平和の道をさらに開くため、今後の文化・民衆交流について語り合っている。
先生は力を込めた。
「私の恩師(戸田城聖先生)は『200年後を見つめて進め』と私に教えました。また『同志が全世界に散らばって、全人類を結べ。連帯させよ』と教えました。
この言葉通りに、私は進んでいるつもりです。この偉大な哲学をもつゆえに、皮相的な目先のことなど眼中にありません。どこまでも、各国の民衆に尽くすだけです」
当時、現地のSGIメンバーは7世帯。先生は滞在中、友の代表と会い、抱きかかえるように励ました。その後も、折に触れて伝言を送るなど、キューバの友を温かく見守り続けた。
友は、座談会を活動の中心に置き、仏法の哲理を語りに語った。学会理解は広がり、広布の水かさは着実に増していった。そして2007年、キューバ創価学会が国内の仏教団体で唯一の「宗教法人」に認可されたのである。平和のスクラムは、この20年で1000人へと拡大した。
一昨年の7月、キューバとアメリカの国交が54年ぶりに回復。最近では、アメリカからの渡航者が大幅に増えているという。かつては考えられなかった時代が到来した。
時代は動いている。だがその波に翻弄され、変化に右往左往するのではなく、はるかな未来を見つめて、信念の行動を貫くことだ。その人が新しい時代を創る。
2017年3月19日日曜日
2017.03.19 わが友に贈る
偉大な事業は
一日にして成らず。
今できることから
一歩一歩 挑み抜け!
結果は必ずついてくる。
御義口伝巻上 P718
『疵を蔵くし徳を揚ぐは上慢を釈す、自ら省ること能わざるは我慢を釈す』
☆女性に贈ることば 三月十九日
観念だけでは、真に人間を育てることはできません。実際に体を動かし、汗を流し、ともに泣き、ともに笑い−−そうした人間同士の打ちあいのなかでこそ、人は磨かれていくものです。
☆今日のことば365 三月十九日
物事がわけがわからなくなったときには、原点にもどって、素朴に素朴にと考えれば、意外と本質が明らかになるものです。それを入れ物の小さい頭で、溢れているのも気づかずに、更に詰め込んで考えようとするから、みんな問題の本質がどこかへ逃げていってしまうのだ。
☆誓いの天地 東京・江東区 2017年3月9日
◇発展する街 伸びゆく青年 東京一の誇りも高く
2020年に行われる東京五輪・パラリンピック。江東区の臨海地域(有明、辰巳・夢の島、中央防波堤埋め立て地)では、多くの競技が実施される予定だ。
亀戸や木場など人情味あふれる下町と、開発が進む未来都市の側面を併せもつ。その注目度は高く、"平成22年から同47年までの間で、江東区は最も人口が増加する"と都は予測している。
鈴木英明さん(江東創価区、男子部部長)が住む北砂は、下町の地域。「とにかく、おせっかいな人が多いんです。ちょっと"うざい"時もあるけど(笑い)、そのあったかさが良いところです」
昨年から、北砂1丁目の青年会副会長を務める。防火・防犯のために近隣を回る夜警や盆踊りの太鼓演奏の指導などを行っている。
また、3年前からは自主防災組織である災害協力隊の一員に。避難訓練の運営に関わってきた。
生まれも育ちも江東区。多くの人に、お世話になった。地域活動に励むのも、そうした方々への感謝の思いからだ。
鈴木さんが9歳の時、母・直子さん(白ゆり長)が再婚。2人の弟が生まれた。だが、中学2年の時、再び離婚。再婚相手の金遣いの荒さが原因だった。
それでも、母は明るさを失わず、昼は保険の外交員、夜は清掃の仕事で働き、家族を養った。
"母の恩に報いよう"と、鈴木さんは大学院で政治学を学んだ後、インターネットのショッピングサイトを運営する会社に就職した。仕事に全力投球したが、逆に自分を追い詰めてしまった。
退職し、ふさぎ込む鈴木さんに、多くの同志が励ましを送り続けた。その間、鈴木さんは懸命に祈り、仏法対話にも励んだ。
その後、叔父が経営する葬儀社で働くように。今、地域に愛される会社を目指し、奮闘を重ねる。
「家族、学会同志への感謝を胸に、これからも地域に尽くしていきます」
◇
針谷由美子さん(江東池田区、女子部本部長)が活動の舞台とするのは、臨海エリアだ。
大観覧車がシンボルのアミューズメント施設「パレットタウン」など、多彩なスポットがある。
高層マンションの建設が進み、子育て世帯も増加。この地で、針谷さんは保育士として働く。
「幼稚園の時の先生が優しくて。"あの先生みたいになりたい"と、いつも思っていました」
保育士になって2年目の時。聞く耳を持たず、遊び回る子どもたちに、言うことを聞かせようと、注意することが増えていた。
そんな時だった。先輩から「子どものことを見てる? まずは、子どもたちと信頼関係を築かないと」と指摘された。悩み続けていた折、教育部の会合に参加した。そこで、「子どもたちの成長を祈る」ことの大切さを学んだ。
朝の祈りの姿勢が変わった。"一人一人の子の良さを褒めていこう"と接するようになった。今では職場での信頼も厚い。
妹の慶子さん(同、女子部副本部長)も保育士。体調を崩した時期もあったが、家族や同志の祈りに包まれ、再び保育の現場に立てるようになった。
子育てを取り巻く環境は今、大きく変化している。「だからこそ、"妙法の保育士"との使命に燃え、姉妹で前進していきます」と針谷さんは朗らかに語る。
池田先生はかつて、江東青年部に和歌を贈った。
「君もまた 創価の英雄 貴女まで 広布の女王 諸天は讃えむ」
師が「創価の英雄」「広布の女王」と期待する後継の青年たちが、発展する街を駆けている。
◇栄光の共戦譜
江東は墨田、江戸川などとともに、池田先生が男子部の第1部隊長として指揮を執った師弟の縁深き地である。
間もなく迎える3月25日は、江東の「師弟勝利の原点の日」「婦人部の日」。
1980年(昭和55年)のこの日、先生は落成したばかりの江東文化会館を初訪問。集った友と勤行を行い、ピアノを演奏し、励ましを送った。
当時は、第1次宗門事件の渦中。師弟の絆を断ち切ろうとする退転・反逆者らの謀略が渦巻いていた。その中での師との出会いに、友の喜びは爆発した。
以降、88年(同63年)まで9年連続で、先生は江東区へ。その間、江東男子部は毎年、「日本一の弘教」という金字塔を打ち立てた。広布拡大の実証で、師の真心に応えたのである。
◇
材木店を経営する日向輝夫さん(江東牧口区、区主事)は、先生の同会館初訪問に駆け付けた。師との出会いを機に、対話の勢いは、加速度を増した。
80年12月22日、先生が同会館に3度目の訪問。この直前、日向さんは先輩から"銘木を持って来てほしい"と連絡を受けた。
当日、先生との懇談会に参加。その後、生涯、忘れられない場面に出会う。日向さんが準備した銘木に、皆の要請で、先生が揮毫を始めたのだ。
「創価山桜」「丈夫乃譜」「福運山桜」と次々に筆を走らせた。
「江東同志を思う先生の深い深い慈愛に、"拡大の結果でお応えしてみせる"と誓いました」
81年(同56年)4月12日、夢の島総合運動場で開催した東京家族友好総会で、江東男子部は六段円塔を達成。日向さんは、演目の副責任者だった。六段円塔は、「世界初の快挙」として、ギネスブックにも掲載された。
壮年部に進出してからも、懸命な挑戦を重ねた。本部長を務めていた2002年(平成14年)には、本部として1年間で、196世帯の弘教という圧倒的な拡大を成し遂げた。
現在も、本紙の購読推進に率先する日向さん。「学会の永遠性を確立する今この時、先生と共に戦える喜びを胸に、東京凱歌の歴史を築いていきます」と誓う。
近藤豊嗣さん(江東太陽区、副区長)は、先生が同会館に初めて訪れた折、役員として参加した。
「いかなる障魔が競い起ころうとも、大聖人の仰せの通り、広布を進める学会を守り抜こうと決意しました」
波瀾万丈の人生を歩んできた。生後7カ月で母が亡くなり、小学校入学まで施設で育った。
その後も、3畳一間に家族6人が暮らす貧乏のどん底だった。1959年(昭和34年)、育ての母が信心の話を聞き、一家で入会。父母は、折伏に駆け回った。
72年(同47年)、父が発電設備の設置工事を請け負う会社を始め、近藤さんも会社を手伝うように。
その後、一定以上の規模の建築物に「非常用発電機」の設置が義務付けられ、会社は一挙に活況を呈するようになった。これまで、114の特許を取得している。
6年前の東日本大震災の時には、大型発電機4台をトラックに載せ、被災地へ。その後も、"少しでも復興の力になれば"との思いで、発電機を送り続けた。
町会副会長を23年、地元商店会の会長を5年務めるなど、地域活動にも尽力する。
「これからも愛する地域に尽くし、信頼の輪を広げていきます」と声を弾ませる近藤さん。4人の娘も、後継の道を進む。
◇
五十嵐清美さん(江東戸田区、婦人部副書記長、総区婦人部総合長兼任)は83年(同58年)、江東区女子部長の任命を受けた。"女子部も拡大で、先生にお応えしよう"と出発。86年(同61年)には、かつてない弘教を達成した。
先生の9年連続の江東区訪問で、数々の励ましを受けた。なかでも、84年(同59年)1月21日は、"宝の歴史"として心に刻む。
この日、江東会館を訪れた先生は、役員だった五十嵐さんに、家族や仕事のことなどを尋ねた。そして、「幸せになるんだよ」と優しく語った。
結婚後、五十嵐さんは流産、死産を経験した。だが、「幸せになるんだよ」との師の言葉が、悲哀を乗り越える力になった。
その後、2人の子どもに恵まれた。師への感謝を胸に、夫・義裕さんと共に、広布に駆けてきた。
2年前、義裕さんは霊山へ。最後まで、師を求め続けた"師弟一筋"の心は、長女の恵さん(女子部部長)、長男の未来さん(ニュー・リーダー)に受け継がれる。
「わが家は、先生、同志に支えられてきました」と五十嵐さん。今、自らの体験を語りつつ、友の激励に全力を注ぐ。その心は、"生涯、師恩に報いる弟子の道を"との誓いにあふれている。
——2002年(平成14年)5月、先生は詠んだ。
「前進を 合言葉の 江東区 東京一なる 誇りも高くと」
東京凱歌を轟かせゆく「日本一の師弟の陣列」——その名を「江東」という。
一日にして成らず。
今できることから
一歩一歩 挑み抜け!
結果は必ずついてくる。
御義口伝巻上 P718
『疵を蔵くし徳を揚ぐは上慢を釈す、自ら省ること能わざるは我慢を釈す』
☆女性に贈ることば 三月十九日
観念だけでは、真に人間を育てることはできません。実際に体を動かし、汗を流し、ともに泣き、ともに笑い−−そうした人間同士の打ちあいのなかでこそ、人は磨かれていくものです。
☆今日のことば365 三月十九日
物事がわけがわからなくなったときには、原点にもどって、素朴に素朴にと考えれば、意外と本質が明らかになるものです。それを入れ物の小さい頭で、溢れているのも気づかずに、更に詰め込んで考えようとするから、みんな問題の本質がどこかへ逃げていってしまうのだ。
☆誓いの天地 東京・江東区 2017年3月9日
◇発展する街 伸びゆく青年 東京一の誇りも高く
2020年に行われる東京五輪・パラリンピック。江東区の臨海地域(有明、辰巳・夢の島、中央防波堤埋め立て地)では、多くの競技が実施される予定だ。
亀戸や木場など人情味あふれる下町と、開発が進む未来都市の側面を併せもつ。その注目度は高く、"平成22年から同47年までの間で、江東区は最も人口が増加する"と都は予測している。
鈴木英明さん(江東創価区、男子部部長)が住む北砂は、下町の地域。「とにかく、おせっかいな人が多いんです。ちょっと"うざい"時もあるけど(笑い)、そのあったかさが良いところです」
昨年から、北砂1丁目の青年会副会長を務める。防火・防犯のために近隣を回る夜警や盆踊りの太鼓演奏の指導などを行っている。
また、3年前からは自主防災組織である災害協力隊の一員に。避難訓練の運営に関わってきた。
生まれも育ちも江東区。多くの人に、お世話になった。地域活動に励むのも、そうした方々への感謝の思いからだ。
鈴木さんが9歳の時、母・直子さん(白ゆり長)が再婚。2人の弟が生まれた。だが、中学2年の時、再び離婚。再婚相手の金遣いの荒さが原因だった。
それでも、母は明るさを失わず、昼は保険の外交員、夜は清掃の仕事で働き、家族を養った。
"母の恩に報いよう"と、鈴木さんは大学院で政治学を学んだ後、インターネットのショッピングサイトを運営する会社に就職した。仕事に全力投球したが、逆に自分を追い詰めてしまった。
退職し、ふさぎ込む鈴木さんに、多くの同志が励ましを送り続けた。その間、鈴木さんは懸命に祈り、仏法対話にも励んだ。
その後、叔父が経営する葬儀社で働くように。今、地域に愛される会社を目指し、奮闘を重ねる。
「家族、学会同志への感謝を胸に、これからも地域に尽くしていきます」
◇
針谷由美子さん(江東池田区、女子部本部長)が活動の舞台とするのは、臨海エリアだ。
大観覧車がシンボルのアミューズメント施設「パレットタウン」など、多彩なスポットがある。
高層マンションの建設が進み、子育て世帯も増加。この地で、針谷さんは保育士として働く。
「幼稚園の時の先生が優しくて。"あの先生みたいになりたい"と、いつも思っていました」
保育士になって2年目の時。聞く耳を持たず、遊び回る子どもたちに、言うことを聞かせようと、注意することが増えていた。
そんな時だった。先輩から「子どものことを見てる? まずは、子どもたちと信頼関係を築かないと」と指摘された。悩み続けていた折、教育部の会合に参加した。そこで、「子どもたちの成長を祈る」ことの大切さを学んだ。
朝の祈りの姿勢が変わった。"一人一人の子の良さを褒めていこう"と接するようになった。今では職場での信頼も厚い。
妹の慶子さん(同、女子部副本部長)も保育士。体調を崩した時期もあったが、家族や同志の祈りに包まれ、再び保育の現場に立てるようになった。
子育てを取り巻く環境は今、大きく変化している。「だからこそ、"妙法の保育士"との使命に燃え、姉妹で前進していきます」と針谷さんは朗らかに語る。
池田先生はかつて、江東青年部に和歌を贈った。
「君もまた 創価の英雄 貴女まで 広布の女王 諸天は讃えむ」
師が「創価の英雄」「広布の女王」と期待する後継の青年たちが、発展する街を駆けている。
◇栄光の共戦譜
江東は墨田、江戸川などとともに、池田先生が男子部の第1部隊長として指揮を執った師弟の縁深き地である。
間もなく迎える3月25日は、江東の「師弟勝利の原点の日」「婦人部の日」。
1980年(昭和55年)のこの日、先生は落成したばかりの江東文化会館を初訪問。集った友と勤行を行い、ピアノを演奏し、励ましを送った。
当時は、第1次宗門事件の渦中。師弟の絆を断ち切ろうとする退転・反逆者らの謀略が渦巻いていた。その中での師との出会いに、友の喜びは爆発した。
以降、88年(同63年)まで9年連続で、先生は江東区へ。その間、江東男子部は毎年、「日本一の弘教」という金字塔を打ち立てた。広布拡大の実証で、師の真心に応えたのである。
◇
材木店を経営する日向輝夫さん(江東牧口区、区主事)は、先生の同会館初訪問に駆け付けた。師との出会いを機に、対話の勢いは、加速度を増した。
80年12月22日、先生が同会館に3度目の訪問。この直前、日向さんは先輩から"銘木を持って来てほしい"と連絡を受けた。
当日、先生との懇談会に参加。その後、生涯、忘れられない場面に出会う。日向さんが準備した銘木に、皆の要請で、先生が揮毫を始めたのだ。
「創価山桜」「丈夫乃譜」「福運山桜」と次々に筆を走らせた。
「江東同志を思う先生の深い深い慈愛に、"拡大の結果でお応えしてみせる"と誓いました」
81年(同56年)4月12日、夢の島総合運動場で開催した東京家族友好総会で、江東男子部は六段円塔を達成。日向さんは、演目の副責任者だった。六段円塔は、「世界初の快挙」として、ギネスブックにも掲載された。
壮年部に進出してからも、懸命な挑戦を重ねた。本部長を務めていた2002年(平成14年)には、本部として1年間で、196世帯の弘教という圧倒的な拡大を成し遂げた。
現在も、本紙の購読推進に率先する日向さん。「学会の永遠性を確立する今この時、先生と共に戦える喜びを胸に、東京凱歌の歴史を築いていきます」と誓う。
近藤豊嗣さん(江東太陽区、副区長)は、先生が同会館に初めて訪れた折、役員として参加した。
「いかなる障魔が競い起ころうとも、大聖人の仰せの通り、広布を進める学会を守り抜こうと決意しました」
波瀾万丈の人生を歩んできた。生後7カ月で母が亡くなり、小学校入学まで施設で育った。
その後も、3畳一間に家族6人が暮らす貧乏のどん底だった。1959年(昭和34年)、育ての母が信心の話を聞き、一家で入会。父母は、折伏に駆け回った。
72年(同47年)、父が発電設備の設置工事を請け負う会社を始め、近藤さんも会社を手伝うように。
その後、一定以上の規模の建築物に「非常用発電機」の設置が義務付けられ、会社は一挙に活況を呈するようになった。これまで、114の特許を取得している。
6年前の東日本大震災の時には、大型発電機4台をトラックに載せ、被災地へ。その後も、"少しでも復興の力になれば"との思いで、発電機を送り続けた。
町会副会長を23年、地元商店会の会長を5年務めるなど、地域活動にも尽力する。
「これからも愛する地域に尽くし、信頼の輪を広げていきます」と声を弾ませる近藤さん。4人の娘も、後継の道を進む。
◇
五十嵐清美さん(江東戸田区、婦人部副書記長、総区婦人部総合長兼任)は83年(同58年)、江東区女子部長の任命を受けた。"女子部も拡大で、先生にお応えしよう"と出発。86年(同61年)には、かつてない弘教を達成した。
先生の9年連続の江東区訪問で、数々の励ましを受けた。なかでも、84年(同59年)1月21日は、"宝の歴史"として心に刻む。
この日、江東会館を訪れた先生は、役員だった五十嵐さんに、家族や仕事のことなどを尋ねた。そして、「幸せになるんだよ」と優しく語った。
結婚後、五十嵐さんは流産、死産を経験した。だが、「幸せになるんだよ」との師の言葉が、悲哀を乗り越える力になった。
その後、2人の子どもに恵まれた。師への感謝を胸に、夫・義裕さんと共に、広布に駆けてきた。
2年前、義裕さんは霊山へ。最後まで、師を求め続けた"師弟一筋"の心は、長女の恵さん(女子部部長)、長男の未来さん(ニュー・リーダー)に受け継がれる。
「わが家は、先生、同志に支えられてきました」と五十嵐さん。今、自らの体験を語りつつ、友の激励に全力を注ぐ。その心は、"生涯、師恩に報いる弟子の道を"との誓いにあふれている。
——2002年(平成14年)5月、先生は詠んだ。
「前進を 合言葉の 江東区 東京一なる 誇りも高くと」
東京凱歌を轟かせゆく「日本一の師弟の陣列」——その名を「江東」という。
2017年3月18日土曜日
2017.03.18 わが友に贈る
若き君よ親孝行であれ!
感謝の心があれば
限りなく向上できる。
報恩の人生に
行き詰まりはない!
四条金吾女房御書 P1109
『たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれどもわるびれたる人のためには何かせん』
☆女性に贈ることば 三月十八日
岩にさえぎられた苗木は、まっすぐに伸びることはできない。かといって、温室で育てたものは、早く生長するが、風雪に対する抵抗力が弱いものである。
伸び伸びと、自由な空気のなかで、しかも、自然な試練のなかに、鍛えられていくことが、子どもにとつて幸せな道ではないだろうか。
☆今日のことば365 三月十八日
今日の目標は
その日のうちに必ず達成することだ
それがまた
明日の戦いへの勝利の因である
☆全国学生部総会から 2017年3月5日
◇君よ永遠に勝利の光源であれ
全国学生部総会に、各地から喜々として集い合った俊英たち。広布に駆ける友の活躍を紹介する。
東京・練馬総区の関谷諒介さんは先月、父を入会に導いた。
両親が離婚し、母と妹の3人で暮らしてきた関谷さん。家族を支えるために懸命に働き、御本尊に向かう母の背中を見るたびに誓った。"俺が一家の柱として家族を守る!"
大学に入学し、家計も苦しかったが、"今こそ宿命転換の時"と決め、学会活動に歩きながら、通学時間などを使って猛勉強した。その結果、学科で最優秀の成績を修め、特待生として奨学金を取得。信心の確信を深めた。
「学生部結成60周年に、境涯を大きく開きたい」
真剣に祈る中で、頭に浮かんだのは、何年も連絡を絶っていた父の存在。勇気を出して会い、真正面からあふれる思いをぶつけた。
「お父さん、一緒に幸せになろう!」
思いは届いた。
関谷さんは語る。
「今までの経験を誇りに、親孝行の人生を歩み抜いていきます!」
◇
「つらかった時、いつも同志が寄り添ってくれたから、今の自分があります」と振り返るのは、大阪・北摂総県の玉井敦司さん。
昨年3月、玉井さんの運転するバイクが車に追突した。すぐさま病院に搬送され、緊急手術を。一命は取り留めたものの、10日間の入院とリハビリ生活を余儀なくされた。その間、地域の同志は、毎日のように見舞いに来て、温かな励ましを送ってくれた。
ここまでしてくれるのか——感動で心が震えた玉井さんに、ある思いが芽生えた。「励ましを送れる側になろう。それがみんなへの恩返しだ」
退院後は、学会活動に積極的に参加。昨年の12月には、悩みを打ち明けてくれた友人に、人生初の弘教を実らせることができた。
先月、学生部の部長の任命を受け、訪問激励に奮闘する玉井さんは、力を込めた。「結成60周年の6・30へ、創価の励ましのスクラムを、より一層広げ、強くしてみせます!」
◇
満面の笑みで会場に集ったのは、長崎総県の岩本寛希さん。求道の心に燃え、元気いっぱいの姿が印象的な岩本さんだが、昨年は悲しみを抑えきれない出来事が起こった。母に、がんが見つかったのだ。
しかし母は気丈だった。強盛な祈りで病魔に立ち向かっていた。その母の姿や周囲の同志の励ましに支えられ、岩本さんは立ち上がった。"自分の戦った福運で母を治してみせる!"
唱題をあげては勇気を奮い立たせ、友人に語った。断られる度に、一層強く祈り、再び対話に挑戦した。
「この信心で幸せになろう!」。岩本さんの熱意が伝わり、友人は先月、晴れやかに入会した。
対話に挑む中で、母の病も徐々に回復。昨年受けた手術も見事に成功した。
岩本さんは語った。
「同志の励ましが前進の活力になりました。報恩の思いで、後輩の模範になれるよう成長していきます」
◇
国際色豊かな大学院で、神経生物学の研究に当たる沖縄総県の平良正和さん。世界への雄飛を誓って大学に入ったものの、入学当初は環境の変化や授業のレベルの高さに行き詰まった。
そんな時、いつも思い出す曲があった。創価学園の愛唱歌「負けじ魂ここにあり」である。池田先生が新たに5番の歌詞を作詞し、学園生に贈ったのは、2009年3月。当時、平良さんは創価中学生だった。
「学べ勝ち抜け 世界まで……」。愛唱歌を口ずさみながら勉学に励んだ。
また、悩みと向き合いながらも懸命に戦う同志の姿に触れ、決意が深まった。
「俺も負けられない。研究でも活動でも必ず勝つ」
学会活動に走りながら、研究に打ち込む日々。先月は県内の11の大学や高等教育機関に通う学生が集い、一つのテーマをもとに議論し交流を深める「沖縄学生サミット」に、大学の代表として参加。企画・運営にも携わり、成功に導いた。
平良さんの決意は固い。「将来は、世界に通用する脳科学者となって、先生にお応えしていきます!」
感謝の心があれば
限りなく向上できる。
報恩の人生に
行き詰まりはない!
四条金吾女房御書 P1109
『たとへば秘薬なりとも毒を入れぬれば薬の用すくなし、つるぎなれどもわるびれたる人のためには何かせん』
☆女性に贈ることば 三月十八日
岩にさえぎられた苗木は、まっすぐに伸びることはできない。かといって、温室で育てたものは、早く生長するが、風雪に対する抵抗力が弱いものである。
伸び伸びと、自由な空気のなかで、しかも、自然な試練のなかに、鍛えられていくことが、子どもにとつて幸せな道ではないだろうか。
☆今日のことば365 三月十八日
今日の目標は
その日のうちに必ず達成することだ
それがまた
明日の戦いへの勝利の因である
☆全国学生部総会から 2017年3月5日
◇君よ永遠に勝利の光源であれ
全国学生部総会に、各地から喜々として集い合った俊英たち。広布に駆ける友の活躍を紹介する。
東京・練馬総区の関谷諒介さんは先月、父を入会に導いた。
両親が離婚し、母と妹の3人で暮らしてきた関谷さん。家族を支えるために懸命に働き、御本尊に向かう母の背中を見るたびに誓った。"俺が一家の柱として家族を守る!"
大学に入学し、家計も苦しかったが、"今こそ宿命転換の時"と決め、学会活動に歩きながら、通学時間などを使って猛勉強した。その結果、学科で最優秀の成績を修め、特待生として奨学金を取得。信心の確信を深めた。
「学生部結成60周年に、境涯を大きく開きたい」
真剣に祈る中で、頭に浮かんだのは、何年も連絡を絶っていた父の存在。勇気を出して会い、真正面からあふれる思いをぶつけた。
「お父さん、一緒に幸せになろう!」
思いは届いた。
関谷さんは語る。
「今までの経験を誇りに、親孝行の人生を歩み抜いていきます!」
◇
「つらかった時、いつも同志が寄り添ってくれたから、今の自分があります」と振り返るのは、大阪・北摂総県の玉井敦司さん。
昨年3月、玉井さんの運転するバイクが車に追突した。すぐさま病院に搬送され、緊急手術を。一命は取り留めたものの、10日間の入院とリハビリ生活を余儀なくされた。その間、地域の同志は、毎日のように見舞いに来て、温かな励ましを送ってくれた。
ここまでしてくれるのか——感動で心が震えた玉井さんに、ある思いが芽生えた。「励ましを送れる側になろう。それがみんなへの恩返しだ」
退院後は、学会活動に積極的に参加。昨年の12月には、悩みを打ち明けてくれた友人に、人生初の弘教を実らせることができた。
先月、学生部の部長の任命を受け、訪問激励に奮闘する玉井さんは、力を込めた。「結成60周年の6・30へ、創価の励ましのスクラムを、より一層広げ、強くしてみせます!」
◇
満面の笑みで会場に集ったのは、長崎総県の岩本寛希さん。求道の心に燃え、元気いっぱいの姿が印象的な岩本さんだが、昨年は悲しみを抑えきれない出来事が起こった。母に、がんが見つかったのだ。
しかし母は気丈だった。強盛な祈りで病魔に立ち向かっていた。その母の姿や周囲の同志の励ましに支えられ、岩本さんは立ち上がった。"自分の戦った福運で母を治してみせる!"
唱題をあげては勇気を奮い立たせ、友人に語った。断られる度に、一層強く祈り、再び対話に挑戦した。
「この信心で幸せになろう!」。岩本さんの熱意が伝わり、友人は先月、晴れやかに入会した。
対話に挑む中で、母の病も徐々に回復。昨年受けた手術も見事に成功した。
岩本さんは語った。
「同志の励ましが前進の活力になりました。報恩の思いで、後輩の模範になれるよう成長していきます」
◇
国際色豊かな大学院で、神経生物学の研究に当たる沖縄総県の平良正和さん。世界への雄飛を誓って大学に入ったものの、入学当初は環境の変化や授業のレベルの高さに行き詰まった。
そんな時、いつも思い出す曲があった。創価学園の愛唱歌「負けじ魂ここにあり」である。池田先生が新たに5番の歌詞を作詞し、学園生に贈ったのは、2009年3月。当時、平良さんは創価中学生だった。
「学べ勝ち抜け 世界まで……」。愛唱歌を口ずさみながら勉学に励んだ。
また、悩みと向き合いながらも懸命に戦う同志の姿に触れ、決意が深まった。
「俺も負けられない。研究でも活動でも必ず勝つ」
学会活動に走りながら、研究に打ち込む日々。先月は県内の11の大学や高等教育機関に通う学生が集い、一つのテーマをもとに議論し交流を深める「沖縄学生サミット」に、大学の代表として参加。企画・運営にも携わり、成功に導いた。
平良さんの決意は固い。「将来は、世界に通用する脳科学者となって、先生にお応えしていきます!」
2017年3月17日金曜日
2017.03.17 わが友に贈る
動けば動くほど
語れば語るほど
広布は無限に広がる。
いよいよの信心で
わが新記録へ挑め!
祈祷抄 P1345
『あやしの畜生なんども恩をば報ずる事に候ぞかし、かりと申す鳥あり必ず母の死なんとする時孝をなす、狐は塚を跡にせず畜生猶此くの如し況や人類をや』
☆女性に贈ることば 三月十七日
学歴や財産は、それ自体、人生の目的ではない。ゆえに、そのことで人をうらやんだり、自分を卑下したりするのは愚かである。
貴女自身がすべての宝であることを忘れないで、毅然と生き抜くことだ。
☆今日のことば365 三月十七日
「人生とは、闘争の異名なり」と、叫んだ哲人がいる。まさしく、人生は、戦争の如く、厳しく、目まぐるしい感を抱く。何も知らなかった少年時代が、懐かしい。だが、一歩も、退くことは、許されぬ。
☆世界写真紀行 第10回 トルコ・イスタンブール 2017年3月3日
◇対話の力で"友情の海"を
一つの都市の中に、アジアとヨーロッパが存在する——この何とも不思議な光景は、地球上、ここでしか見ることはできない。
トルコ最大の都市・イスタンブール。
町の中央にあるのは"世界で最も混雑する航路"といわれるボスポラス海峡。この東側がアジア、西側がヨーロッパになる。海峡の幅は広くても2・5キロ、狭いところでは700メートル程度なので、日々、橋や船を使って"アジア"と"ヨーロッパ"を行き来する人も多い。
この東西交流の要地を巡って、古くから大国の興亡が繰り返されてきた。
古代の名は、ビザンチウム。4世紀末からは、東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルとして栄えた。15世紀にはオスマン帝国の首都となり、やがてイスタンブールと呼ばれるようになる。昔も今も、多様な民族と文化が往来する、国際色豊かな都市だ。
著名な地理学者でもあった初代会長・牧口常三郎先生は、自著『人生地理学』の中で、イスタンブールを"社会、文化、経済における、世界に開かれた一大中心地"として注目している。
池田大作先生は、この地を2度訪れている。初訪問は1962年2月だ。
現地の案内人と共に、先生の一行は、ビザンツ建築の傑作といわれる「アヤ・ソフィア博物館」などを見学。数千の店が軒を連ねるグランド・バザールを歩いた。出会う人たちは「ジャポン(日本人)!」と、笑顔で歓迎してくれた。
この時の訪問の様子が、小説『新・人間革命』第6巻「遠路」の章につづられている。
山本伸一の一行は、小高い丘へ上り、日本とトルコの友好の歴史を語り合った。
さらに話は、両国の"友情の原点"ともいうべき史実に及んだ。「エルトゥールル号の遭難事故」である。
——1890年9月、トルコの使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が、和歌山沖で台風に遭遇して沈没。同艦には650人余が乗っていたが、ほとんどが生命を失う大惨事となった。
その中で、ごく少数の人が自力で海岸にたどり着き、大島(現・串本町)の人々が事故の発生を知る。
すぐに村長はじめ村人たちが駆け付け、生存者の救援活動に当たった。さらに嵐の後、村人たちは遺体を手厚く葬った——。
山本伸一は言う。
「苦しんでいる人に手を差し伸べ、胸を痛める人間の心に国境はありません」
「根本はこの"民衆次元"の交流であることを忘れてはならないと私は思います。
民衆は海です。海が穏やかであれば、たくさんの船が往来できます。同じように、民衆同士がしっかりと友情で結ばれていれば、信頼が生まれ、平和が生まれる。そして、その平和の海を、あらゆる次元の友好交流の船が渡っていけます。
私たち創価学会がやろうとしていることは、世界を結ぶ"人間の海""友情の海"をつくるということなんです」
新しい出会いから、新しい価値が生まれる。だからこそ一人また一人と友情を結びたい。誠実な対話で、どこまでも粘り強く。それが、やがて"友情の海"になる。
語れば語るほど
広布は無限に広がる。
いよいよの信心で
わが新記録へ挑め!
祈祷抄 P1345
『あやしの畜生なんども恩をば報ずる事に候ぞかし、かりと申す鳥あり必ず母の死なんとする時孝をなす、狐は塚を跡にせず畜生猶此くの如し況や人類をや』
☆女性に贈ることば 三月十七日
学歴や財産は、それ自体、人生の目的ではない。ゆえに、そのことで人をうらやんだり、自分を卑下したりするのは愚かである。
貴女自身がすべての宝であることを忘れないで、毅然と生き抜くことだ。
☆今日のことば365 三月十七日
「人生とは、闘争の異名なり」と、叫んだ哲人がいる。まさしく、人生は、戦争の如く、厳しく、目まぐるしい感を抱く。何も知らなかった少年時代が、懐かしい。だが、一歩も、退くことは、許されぬ。
☆世界写真紀行 第10回 トルコ・イスタンブール 2017年3月3日
◇対話の力で"友情の海"を
一つの都市の中に、アジアとヨーロッパが存在する——この何とも不思議な光景は、地球上、ここでしか見ることはできない。
トルコ最大の都市・イスタンブール。
町の中央にあるのは"世界で最も混雑する航路"といわれるボスポラス海峡。この東側がアジア、西側がヨーロッパになる。海峡の幅は広くても2・5キロ、狭いところでは700メートル程度なので、日々、橋や船を使って"アジア"と"ヨーロッパ"を行き来する人も多い。
この東西交流の要地を巡って、古くから大国の興亡が繰り返されてきた。
古代の名は、ビザンチウム。4世紀末からは、東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルとして栄えた。15世紀にはオスマン帝国の首都となり、やがてイスタンブールと呼ばれるようになる。昔も今も、多様な民族と文化が往来する、国際色豊かな都市だ。
著名な地理学者でもあった初代会長・牧口常三郎先生は、自著『人生地理学』の中で、イスタンブールを"社会、文化、経済における、世界に開かれた一大中心地"として注目している。
池田大作先生は、この地を2度訪れている。初訪問は1962年2月だ。
現地の案内人と共に、先生の一行は、ビザンツ建築の傑作といわれる「アヤ・ソフィア博物館」などを見学。数千の店が軒を連ねるグランド・バザールを歩いた。出会う人たちは「ジャポン(日本人)!」と、笑顔で歓迎してくれた。
この時の訪問の様子が、小説『新・人間革命』第6巻「遠路」の章につづられている。
山本伸一の一行は、小高い丘へ上り、日本とトルコの友好の歴史を語り合った。
さらに話は、両国の"友情の原点"ともいうべき史実に及んだ。「エルトゥールル号の遭難事故」である。
——1890年9月、トルコの使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が、和歌山沖で台風に遭遇して沈没。同艦には650人余が乗っていたが、ほとんどが生命を失う大惨事となった。
その中で、ごく少数の人が自力で海岸にたどり着き、大島(現・串本町)の人々が事故の発生を知る。
すぐに村長はじめ村人たちが駆け付け、生存者の救援活動に当たった。さらに嵐の後、村人たちは遺体を手厚く葬った——。
山本伸一は言う。
「苦しんでいる人に手を差し伸べ、胸を痛める人間の心に国境はありません」
「根本はこの"民衆次元"の交流であることを忘れてはならないと私は思います。
民衆は海です。海が穏やかであれば、たくさんの船が往来できます。同じように、民衆同士がしっかりと友情で結ばれていれば、信頼が生まれ、平和が生まれる。そして、その平和の海を、あらゆる次元の友好交流の船が渡っていけます。
私たち創価学会がやろうとしていることは、世界を結ぶ"人間の海""友情の海"をつくるということなんです」
新しい出会いから、新しい価値が生まれる。だからこそ一人また一人と友情を結びたい。誠実な対話で、どこまでも粘り強く。それが、やがて"友情の海"になる。
2017年3月16日木曜日
2017.03.16 わが友に贈る
進学や就職等で
転入・転出する友に
真心の励ましを!
新天地での活躍を
皆で暖かく応援しよう!
諸法実相抄 P1360
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』
☆女性に贈ることば 三月十六日
師弟というのは、師匠に弟子が仕えきっていくことだ。弟子が力をつけ、立派になり、偉くなって、師匠にお応えするのだ。
そして師匠に勝利を報告するのだ。
☆今日のことば365 三月十六日
友情は、善悪共に通ずることも知らなくてはならない。悪友は得やすく、善友は得がたい。ほんとうの善友とは、ときに自分の欠陥や、誤りを、厳しく指摘してくれる人である。偽り親しむのは、かえって身を滅ぼす悪友である。
☆誓いの天地 和歌山市 2017年2月28日
◇ここが私の輝く場所と 心に燃える「烈風魂」
「万葉集」にも詠まれた風光明媚な和歌山市。江戸時代には、徳川御三家の一つである紀州藩の城下町として栄えた。
テーマパークや海水浴場、白亜の天守閣がそびえる和歌山城など、多彩な魅力にあふれる街は、多くの観光客でにぎわう。
和歌山青年部に、"地元の好きなところは"と尋ねると、ほとんどの友から、「豊かな自然」との答えが返ってきた。
池田先生も、和歌山の自然をたたえる。「和歌山に住んでみたい」と語ったこともある。師が愛する天地を駆ける誉れを胸に、自身の使命の舞台で活躍する多くの青年がいる。
中山良平さん(常勝和歌山圏、男子地区リーダー)も、その一人。弁護士として奮闘する。
もともとは、飛行機のパイロットを志望していた。だが、創価大学教育学部に在学中、視力の低下などから、夢を断念。自分が進むべき道を模索し、真剣に祈り、出した結論が「弁護士」だった。
一からの再出発だったものの、猛勉強を重ね、大阪の法科大学院へ。模試では最低評価の時もあったが、1回目の司法試験で合格。師に"「正義の法律家」となり、子どもたちを守り抜きます"と誓った。
借金、離婚、相続……。これまで司法の場で、さまざまな人間模様を見てきた。その一つ一つに真正面から向き合い、最善の解決策を探してきた。
弁護士として東奔西走しながら、虐待などで行き場のない子ども(概ね15歳以上)に、一時的な居場所を提供する"子どもシェルター"の運営にも携わる。また、中学・高校などで、法律に関する講演も行ってきた。
「"生まれ育った地域に、恩返しができれば"との思いで、こうした活動に取り組んでいます」
多忙な中でも、時間を見つけては、学会活動にも挑戦。創価班の一員として任務にも就く。昨年12月には弘教を実らせた。
「"正義の法律家に"との誓いを忘れず、さらに力をつけ、目の前の一人に尽くしていきます」
◇
「和歌山が大好きなんです」——満面の笑みを浮かべつつ語る中西りささん(和歌の浦圏、圏女子部長)。
その胸に、"和歌山愛"が芽生えたのは、創価大学に合格した時のことだ。
進路で悩んでいた折、地域の婦人部が「創価大学で学び、大きく羽ばたいてほしい」と期待を寄せてくれた。
創価大学に入学後も、帰省するたびに、地域の壮年・婦人部の友が、中西さんの成長した姿を喜び、励まし続けた。
就職では、希望していた会社から、内定を勝ち取った。だが、それ以上に、"自分を支えてくれた和歌山で頑張りたい"との思いから、地元の銀行で働くことに。
銀行に入った直後は、仕事がうまくいかず、先輩から叱られ、落ち込んだこともあった。
そうした局面に立つたび、"人間革命の時"と決め、学会活動に全力を注いできた。仕事でも、一つ一つの業務に、それまで以上に真剣に取り組み、信頼を広げてきた。
2年前の「11・18」に、圏女子部長の任命を受け、「一人の励まし」に徹してきた。先月から開催してきた「ロマン総会」では、新たなメンバーが続々と参加。幸の連帯を拡大した。
昨日、2・27「和歌山女子部の日」を迎えた。
「ここが『私の輝く場所』と決めて、"原点の日"から、誓い新たに自身の人間革命に挑戦していきます」——再び、中西さんの笑顔がはじけた。
◇栄光の共戦譜
和歌山は、池田先生が魂魄をとどめた常勝の師弟城である。
その第一歩は、1956年(昭和31年)10月20日。直前の18日に、1回目の「山口開拓指導」を終えたばかりの強行軍である。
2地区合同の大会に臨んだ先生は、"広宣流布の牙城を、この和歌山の地に、必ず築いてください"と念願した。
以降、先生の和歌山訪問は18回を数える。なかでも、69年(同44年)12月21日は、「烈風魂」の原点として、友の心に刻まれる。
この日、先生は高熱を押して、県立体育館で行われた和歌山県幹部会に参加。マイクを手に、16回のシュプレヒコールを。
その後、24分間の烈々たる気迫の指導を終えると、最後は参加者の要望に応えて、「武田節」を舞った。
師が全精魂を込めた「12・21」は今、「和歌山の日」に。友が「魂の原点」に立ち返り、師弟共戦の決意を新たにする日となっている。
◇
渾身の激励から5年が経過した74年(同49年)10月20日、第1回の県総会が開催された。
先生は、「丈夫の心」(御書310ページ)を"信心の核"にと強調。"和歌山発展のために明るく、賢明に前進を"と訴えた。
丸田佳代さん(和歌山大城県、県婦人部長)は、鼓笛隊の一員として、総会に出演した。
この半年前、最愛の母・寿子さんが交通事故で亡くなった。悲嘆の中での初の出会いだった。
師の温かな姿、力強い言葉に、生きる勇気が湧いてきた。
「"自分が一家の太陽と輝こう"と誓いました」
その後も数々の激励を受けた。
84年(同59年)6月には、和歌山女子部の人材グループ「清流グループ第2期」が結成され、丸田さんは師のもとに集った。
先生は、"生涯、学会と共に"と。この指針を胸に、丸田さんは信心一筋の人生を進んできた。
一昨年、県婦人部長の任命を受けた。今、"婦女一体"の励まし運動に全力を注ぐ。3人の子も、創価の庭で成長している。
第1回の県総会の折、「和歌山未来会」が結成された。山本博司さん(和歌山王者県、副圏長)は、その一員に。
"未来会"の友は、自分たちの名前を記した色紙を、先生に届けた。すると、先生は、その色紙に句をしたためた。
「三十年 君たちありての 広布かな」。日付も30年後の「二千四年十月二十日」となっていた。
この原点を胸に、30年後を目指し、自身を鍛え、学会活動にも励んだ。職場でも信用を勝ち取ってきた。
96年(平成8年)3月20日、先生が和歌山文化会館を初訪問。その場に、山本さんも駆け付けた。
先生は、居合わせた青年部の一人一人に声を掛け、「信心を貫きなさい」と。その言葉を、山本さんは心に深く刻んだ。
そうして迎えた2004年。これまでの感謝と、これからの決意を、師への手紙につづり、新たな出発を切った。
長年、未来部の育成に携わってきた。長女は全国女子未来部長を務めた。山本さんは、「後継の育成に、全力を注ぎます」と誓う。
◇
81年(昭和56年)11月17日、第1次宗門事件の反転攻勢を開始した最中、先生は南和歌山文化会館へ。18日には、「和歌山大会」が開催され、県愛唱歌「和歌山愛さむ」が発表された。
席上、先生は"学会は人生の安全地帯である"と強調。不退転の信心を呼び掛け、ピアノで"大楠公"など4曲を演奏した。
翌19日、南和歌山文化会館を出発。その折、出口保子さん(和歌山王者県、支部副婦人部長)は、初めての出会いを結んだ。
「会館のそばにいた私たちの前で、先生は車を止められ、『これを子どもさんに』と、みかんをくださいました。先生の優しい眼差しが忘れられません」
夫・義則さんとの死別など、数々の宿命の嵐があった。だが、師の励ましを胸に、全て信心で乗り越えてきた。
旧習深い地域で、無認識の悪口を浴びせられることもあった。それでも、信心の偉大さを語り抜いてきた。
今、地域では学会理解の輪が大きく広がる。出口さんは「さらに、仏法の素晴らしさを伝えていきたい」と声を弾ませる。
69年12月21日、和歌山県幹部会の折、先生は詠んだ。
「和歌山の 友に 魂とどめむと 熱き生命の 舞の歴史は」
和歌山の同志は、忘れない。師が命を削り、舞った歴史を。
「連戦連勝」——それが、師から託された和歌山の使命である。
転入・転出する友に
真心の励ましを!
新天地での活躍を
皆で暖かく応援しよう!
諸法実相抄 P1360
『日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』
☆女性に贈ることば 三月十六日
師弟というのは、師匠に弟子が仕えきっていくことだ。弟子が力をつけ、立派になり、偉くなって、師匠にお応えするのだ。
そして師匠に勝利を報告するのだ。
☆今日のことば365 三月十六日
友情は、善悪共に通ずることも知らなくてはならない。悪友は得やすく、善友は得がたい。ほんとうの善友とは、ときに自分の欠陥や、誤りを、厳しく指摘してくれる人である。偽り親しむのは、かえって身を滅ぼす悪友である。
☆誓いの天地 和歌山市 2017年2月28日
◇ここが私の輝く場所と 心に燃える「烈風魂」
「万葉集」にも詠まれた風光明媚な和歌山市。江戸時代には、徳川御三家の一つである紀州藩の城下町として栄えた。
テーマパークや海水浴場、白亜の天守閣がそびえる和歌山城など、多彩な魅力にあふれる街は、多くの観光客でにぎわう。
和歌山青年部に、"地元の好きなところは"と尋ねると、ほとんどの友から、「豊かな自然」との答えが返ってきた。
池田先生も、和歌山の自然をたたえる。「和歌山に住んでみたい」と語ったこともある。師が愛する天地を駆ける誉れを胸に、自身の使命の舞台で活躍する多くの青年がいる。
中山良平さん(常勝和歌山圏、男子地区リーダー)も、その一人。弁護士として奮闘する。
もともとは、飛行機のパイロットを志望していた。だが、創価大学教育学部に在学中、視力の低下などから、夢を断念。自分が進むべき道を模索し、真剣に祈り、出した結論が「弁護士」だった。
一からの再出発だったものの、猛勉強を重ね、大阪の法科大学院へ。模試では最低評価の時もあったが、1回目の司法試験で合格。師に"「正義の法律家」となり、子どもたちを守り抜きます"と誓った。
借金、離婚、相続……。これまで司法の場で、さまざまな人間模様を見てきた。その一つ一つに真正面から向き合い、最善の解決策を探してきた。
弁護士として東奔西走しながら、虐待などで行き場のない子ども(概ね15歳以上)に、一時的な居場所を提供する"子どもシェルター"の運営にも携わる。また、中学・高校などで、法律に関する講演も行ってきた。
「"生まれ育った地域に、恩返しができれば"との思いで、こうした活動に取り組んでいます」
多忙な中でも、時間を見つけては、学会活動にも挑戦。創価班の一員として任務にも就く。昨年12月には弘教を実らせた。
「"正義の法律家に"との誓いを忘れず、さらに力をつけ、目の前の一人に尽くしていきます」
◇
「和歌山が大好きなんです」——満面の笑みを浮かべつつ語る中西りささん(和歌の浦圏、圏女子部長)。
その胸に、"和歌山愛"が芽生えたのは、創価大学に合格した時のことだ。
進路で悩んでいた折、地域の婦人部が「創価大学で学び、大きく羽ばたいてほしい」と期待を寄せてくれた。
創価大学に入学後も、帰省するたびに、地域の壮年・婦人部の友が、中西さんの成長した姿を喜び、励まし続けた。
就職では、希望していた会社から、内定を勝ち取った。だが、それ以上に、"自分を支えてくれた和歌山で頑張りたい"との思いから、地元の銀行で働くことに。
銀行に入った直後は、仕事がうまくいかず、先輩から叱られ、落ち込んだこともあった。
そうした局面に立つたび、"人間革命の時"と決め、学会活動に全力を注いできた。仕事でも、一つ一つの業務に、それまで以上に真剣に取り組み、信頼を広げてきた。
2年前の「11・18」に、圏女子部長の任命を受け、「一人の励まし」に徹してきた。先月から開催してきた「ロマン総会」では、新たなメンバーが続々と参加。幸の連帯を拡大した。
昨日、2・27「和歌山女子部の日」を迎えた。
「ここが『私の輝く場所』と決めて、"原点の日"から、誓い新たに自身の人間革命に挑戦していきます」——再び、中西さんの笑顔がはじけた。
◇栄光の共戦譜
和歌山は、池田先生が魂魄をとどめた常勝の師弟城である。
その第一歩は、1956年(昭和31年)10月20日。直前の18日に、1回目の「山口開拓指導」を終えたばかりの強行軍である。
2地区合同の大会に臨んだ先生は、"広宣流布の牙城を、この和歌山の地に、必ず築いてください"と念願した。
以降、先生の和歌山訪問は18回を数える。なかでも、69年(同44年)12月21日は、「烈風魂」の原点として、友の心に刻まれる。
この日、先生は高熱を押して、県立体育館で行われた和歌山県幹部会に参加。マイクを手に、16回のシュプレヒコールを。
その後、24分間の烈々たる気迫の指導を終えると、最後は参加者の要望に応えて、「武田節」を舞った。
師が全精魂を込めた「12・21」は今、「和歌山の日」に。友が「魂の原点」に立ち返り、師弟共戦の決意を新たにする日となっている。
◇
渾身の激励から5年が経過した74年(同49年)10月20日、第1回の県総会が開催された。
先生は、「丈夫の心」(御書310ページ)を"信心の核"にと強調。"和歌山発展のために明るく、賢明に前進を"と訴えた。
丸田佳代さん(和歌山大城県、県婦人部長)は、鼓笛隊の一員として、総会に出演した。
この半年前、最愛の母・寿子さんが交通事故で亡くなった。悲嘆の中での初の出会いだった。
師の温かな姿、力強い言葉に、生きる勇気が湧いてきた。
「"自分が一家の太陽と輝こう"と誓いました」
その後も数々の激励を受けた。
84年(同59年)6月には、和歌山女子部の人材グループ「清流グループ第2期」が結成され、丸田さんは師のもとに集った。
先生は、"生涯、学会と共に"と。この指針を胸に、丸田さんは信心一筋の人生を進んできた。
一昨年、県婦人部長の任命を受けた。今、"婦女一体"の励まし運動に全力を注ぐ。3人の子も、創価の庭で成長している。
第1回の県総会の折、「和歌山未来会」が結成された。山本博司さん(和歌山王者県、副圏長)は、その一員に。
"未来会"の友は、自分たちの名前を記した色紙を、先生に届けた。すると、先生は、その色紙に句をしたためた。
「三十年 君たちありての 広布かな」。日付も30年後の「二千四年十月二十日」となっていた。
この原点を胸に、30年後を目指し、自身を鍛え、学会活動にも励んだ。職場でも信用を勝ち取ってきた。
96年(平成8年)3月20日、先生が和歌山文化会館を初訪問。その場に、山本さんも駆け付けた。
先生は、居合わせた青年部の一人一人に声を掛け、「信心を貫きなさい」と。その言葉を、山本さんは心に深く刻んだ。
そうして迎えた2004年。これまでの感謝と、これからの決意を、師への手紙につづり、新たな出発を切った。
長年、未来部の育成に携わってきた。長女は全国女子未来部長を務めた。山本さんは、「後継の育成に、全力を注ぎます」と誓う。
◇
81年(昭和56年)11月17日、第1次宗門事件の反転攻勢を開始した最中、先生は南和歌山文化会館へ。18日には、「和歌山大会」が開催され、県愛唱歌「和歌山愛さむ」が発表された。
席上、先生は"学会は人生の安全地帯である"と強調。不退転の信心を呼び掛け、ピアノで"大楠公"など4曲を演奏した。
翌19日、南和歌山文化会館を出発。その折、出口保子さん(和歌山王者県、支部副婦人部長)は、初めての出会いを結んだ。
「会館のそばにいた私たちの前で、先生は車を止められ、『これを子どもさんに』と、みかんをくださいました。先生の優しい眼差しが忘れられません」
夫・義則さんとの死別など、数々の宿命の嵐があった。だが、師の励ましを胸に、全て信心で乗り越えてきた。
旧習深い地域で、無認識の悪口を浴びせられることもあった。それでも、信心の偉大さを語り抜いてきた。
今、地域では学会理解の輪が大きく広がる。出口さんは「さらに、仏法の素晴らしさを伝えていきたい」と声を弾ませる。
69年12月21日、和歌山県幹部会の折、先生は詠んだ。
「和歌山の 友に 魂とどめむと 熱き生命の 舞の歴史は」
和歌山の同志は、忘れない。師が命を削り、舞った歴史を。
「連戦連勝」——それが、師から託された和歌山の使命である。
2017年3月15日水曜日
2017.03.15 わが友に贈る
信仰とは
諦めない勇気の異名だ。
「現状は変えられる!」
確信の祈りと行動で
宿命転換の勝利劇を!
新池御書 P1440
『始より終りまで弥信心をいたすべしさなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき』
☆女性に贈ることば 三月十五日
子どもは、いつか、独り立ちしていかなくてはならない。
「子どもを『幸福にすること』と『甘やかすこと』を混同してはいけない」とはフランスの思想家ルソーの言葉です。
子どもを幸福にするために大切なのは、どんな試練にあっても、それに負けない強さと勇気を育んでいくことではないでしょうか。
☆今日のことば365 三月十五日
絶望といい、不幸といい、それをそうと決めるのは、所詮、その人の心のしわざである。してみれば、希望というものは、まず自分自身の悲哀を克服したところに生まれるものだ。
☆魂のバトンを君に 池田先生と後継の友 中部 2017年2月27日
◇いざや築け!堅塁の金の城を
後継の友の輝く未来を信じ、共に祈り、共に語り、共に進む——各方面に刻まれた池田先生の青年部への激励行を追う新企画「魂のバトンを君に」。第1回は、中部を紹介する。
いざや起て
いざや築けと
金の城
中部の堅塁
丈夫勇みて
60年前の2月、池田先生は詠んだ。
戦いには急所がある。その舞台こそ、天下分け目の関ケ原があり、日本の中心に位置する中部であった。
中部に人材の堅き城が築かれてこそ、日本の広宣流布も盤石となる。それが先生の確信であった。
愛知、三重、岐阜——100回を超える中部への足跡。その一回一回を通し、先生は、中部の使命を語り、未来を託す青年たちを育ててきた。
◆◇◆
「青年部が前に来なさい」
1981年(昭和56年)11月27日。岐阜文化会館で、池田先生は語った。前方に座った青年たち。その一人一人の出身地などを尋ねながら、スピーチした。
「青年部は純粋だ。青年には未来がある」
翌28日にも、中部青年部の代表100人と2時間にわたり懇談。"文化祭を開催したい"との青年たちの熱意に、こう応じた。
「分かった。やろう! 君たち青年部が、一切を担って立つんだ」
当時、岐阜の男子部長だった石津泰伸さん(名古屋牧口総県主事)。「第1次宗門事件の渦中でした。池田門下が躍動する文化祭を通し、学会と先生の正義を示したかった」と振り返る。
その5カ月後。82年(同57年)4月29日に、第1回「中部青年平和文化祭」が岐阜県営陸上競技場(当時)で開催され、7万人の若人たちが乱舞した。
圧巻は、男子部3000人の組み体操。そこで、一つのドラマが生まれた。
5基のうち、中央の五段円塔が完成直前に崩れた。
観衆が息をのんで見守る中、不屈の心で再挑戦し、見事に完成させた。
その模様は、岐阜放送で実況中継され、学会青年部の心意気を満天下に示す文化祭となった。
やり切った!——誰もが満足感にひたったが、最後にあいさつした先生は、こう提案した。
"第2回の文化祭を開こう"。後日、その真意を語っている。
「倒れても立ち上がる不屈の精神、それが堅塁中部の魂なんだ」「一度で満足してはいけない。二度繰り返して本物になるんだ」
文化祭に、徒手体操で出演した飯沼研二さん(西濃圏、副圏長)。「"もう一度"との先生の提案に、青年を鍛えようとされる真剣さが伝わってきました」
「池田先生はすごい人だ、すごい師匠だ」。子どもたちにも常々、こう伝えてきた研二さんには、忘れられない光景があった。
77年(同52年)4月29日、中部第1総合研修所(現・三重研修道場)で行われた岐阜の青年部集会。先生は真心の激励を送った後も、バスで帰路に就く青年たちに手を振って見送った。「愛する青年たちのために、どこまでも心を砕く。これが先生なんだと胸が熱くなりました」
◆◇◆
第1回の文化祭から第2回までは、5カ月余り。次の会場は、三重の四日市市陸上競技場(当時)であった。
「短期間の準備であっても、同じ演目では意味がありません。あの頃は、新しいものを生み出そうと、真剣に語り合う姿が各所で見られました」。中部男子部主任部長だった中本好昭さん(中部参事)は言う。
当時、青年部の合言葉は「鍛錬」。弘教拡大に挑みながら、練習を重ねた。
迎えた82年(同57年)10月3日の第2回文化祭。体操やダンス、力強い行進などが披露され、フィナーレでは、3万3000人の若人による中部歌「この道の歌」の歓喜の歌声が、会場の空にこだました。
固く手を握り、肩を抱き合う友、涙を拭う友、拳を突き上げる友……。
感動さめやらぬ会場に、池田先生から伝言が届く。
「本当によかった。大、大成功おめでとう」
この日、福冨あけみさん(鈴鹿常勝圏、支部副婦人部長)は、文化祭の生中継をテレビで見ていた。のちに夫となる栄さん(同圏、圏副本部長)が、役員として支えていた。
「夫から信心の話を聞いてはいましたが、『私はやらない』と壁をつくっていました。でも、テレビを見て、それまでの"宗教"のイメージが一変しました。若者たちの迫力に圧倒されました」
あけみさんは、この3カ月後に入会した。
◆◇◆
岐阜、三重と、1年に2回の文化祭を成功させた中部青年部。翌83年(同58年)4月、池田先生が中部を訪問した折には、さらなる構想が発表された。
愛知での「世界青年平和文化祭」の開催である。それは、3年後の86年(同61年)と決まった。
次なる目標へ、先生の励ましは続いた。
85年(同60年)10月7日は、三重研修道場内に中部青年部が築いた「三重池田青年塾」の開所式に出席。「これからが若き諸君の本舞台だ」と。
翌8日には、「道が大事だ。真っ直ぐに進むんだ。道を間違えては駄目だ」と、「道」などの書を揮毫。「さっき青年塾で書いてきたよ」と、代表の友に披露した。
86年(同61年)9月には、群馬の文化祭に中部青年部の代表を招待。終わると、すぐに伝言を伝えた。
「一緒に帰ろう」
同乗した上越新幹線では、青年たちのもとに、次々と激励が届いた。
今こそ、堅塁の底力を!
君たちの手で新時代を!
後継の成長を願う心が、ひしひしと伝わってきた。
そして同年10月5日。愛知県体育館で、「世界青年平和文化祭」が開かれた。
「この明るさ、この色、いいね」
文化祭では、一つ一つの演技に拍手を送り、その模様をカメラに収めた。
当時、長野耕三さん(副中部長)は、中部青年部長として、先生に演目の説明をしていた。「演技の合間にも、出演者に気を配り、電光石火で励ましの手を打たれていました」
長野さん自身も、激励の当事者となった。教員をしていた頃の教え子が、ミュージカルに出演していることを報告すると、すぐに"皆に紹介してあげよう"。頑張っている人を一人も励まさずにはおかない、という気迫がみなぎっていた。
「岐阜、三重、そして愛知での文化祭。その全てに出演する中で、先生に原点を築いていただきました」とは、音楽隊のフラッグ隊を務めた加藤英知さん(中川王者区、支部長)。
愛知の文化祭の前年、音楽隊員としてハワイへ。その折、先生は提案した。
"お父さん、お母さんを亡くした人は植樹を"
中学1年の時、母親を失っていた英知さんも、植樹に参加した。「先生が目の前で見守ってくださる中、植樹をしました。"全部、分かってくださっている"。そう実感しました」
師弟に生きる英知さんのもとで育った3人の子どもたちは今、男子部・女子部・学生部のリーダーとして、後継の道を歩む。
◆◇◆
87年(同62年)9月20日、池田先生は、中部文化会館(現・中部池田記念会館)を訪れた。
70年前後の"言論問題"では最も厳しい風雪に耐え、80年代にも宗門事件の嵐が吹き荒れた中部。しかし烈風の中で断固と勝ち抜き、岐阜、三重、愛知の文化祭を節に、凜々しく成長した青年たちの顔があった。
先生は、中部の同志を前に、高らかに宣言した。
「よくぞ、ここまで戦い抜かれた」
「皆さま方の今日までのご苦労をたたえ、中部の『大勝利宣言』としたい」
「堅塁」——その「堅」の一字には、どんな試練にも揺るがぬ「堅固」という意味がある。どんな苦難をも耐え抜く「堅忍」という意味がある。そして、どんな変化にも勝ち抜く「堅実」という意味がある。
本年4月に愛知、三重、岐阜の各県で行われる創価青年大会に向け、青春の汗を流す中部青年部。堅塁の新たな時代を開く後継たちの挑戦が始まっている。
諦めない勇気の異名だ。
「現状は変えられる!」
確信の祈りと行動で
宿命転換の勝利劇を!
新池御書 P1440
『始より終りまで弥信心をいたすべしさなくして後悔やあらんずらん、譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩をはこびて今一日に成りて歩をさしをきては何として都の月をば詠め候べき』
☆女性に贈ることば 三月十五日
子どもは、いつか、独り立ちしていかなくてはならない。
「子どもを『幸福にすること』と『甘やかすこと』を混同してはいけない」とはフランスの思想家ルソーの言葉です。
子どもを幸福にするために大切なのは、どんな試練にあっても、それに負けない強さと勇気を育んでいくことではないでしょうか。
☆今日のことば365 三月十五日
絶望といい、不幸といい、それをそうと決めるのは、所詮、その人の心のしわざである。してみれば、希望というものは、まず自分自身の悲哀を克服したところに生まれるものだ。
☆魂のバトンを君に 池田先生と後継の友 中部 2017年2月27日
◇いざや築け!堅塁の金の城を
後継の友の輝く未来を信じ、共に祈り、共に語り、共に進む——各方面に刻まれた池田先生の青年部への激励行を追う新企画「魂のバトンを君に」。第1回は、中部を紹介する。
いざや起て
いざや築けと
金の城
中部の堅塁
丈夫勇みて
60年前の2月、池田先生は詠んだ。
戦いには急所がある。その舞台こそ、天下分け目の関ケ原があり、日本の中心に位置する中部であった。
中部に人材の堅き城が築かれてこそ、日本の広宣流布も盤石となる。それが先生の確信であった。
愛知、三重、岐阜——100回を超える中部への足跡。その一回一回を通し、先生は、中部の使命を語り、未来を託す青年たちを育ててきた。
◆◇◆
「青年部が前に来なさい」
1981年(昭和56年)11月27日。岐阜文化会館で、池田先生は語った。前方に座った青年たち。その一人一人の出身地などを尋ねながら、スピーチした。
「青年部は純粋だ。青年には未来がある」
翌28日にも、中部青年部の代表100人と2時間にわたり懇談。"文化祭を開催したい"との青年たちの熱意に、こう応じた。
「分かった。やろう! 君たち青年部が、一切を担って立つんだ」
当時、岐阜の男子部長だった石津泰伸さん(名古屋牧口総県主事)。「第1次宗門事件の渦中でした。池田門下が躍動する文化祭を通し、学会と先生の正義を示したかった」と振り返る。
その5カ月後。82年(同57年)4月29日に、第1回「中部青年平和文化祭」が岐阜県営陸上競技場(当時)で開催され、7万人の若人たちが乱舞した。
圧巻は、男子部3000人の組み体操。そこで、一つのドラマが生まれた。
5基のうち、中央の五段円塔が完成直前に崩れた。
観衆が息をのんで見守る中、不屈の心で再挑戦し、見事に完成させた。
その模様は、岐阜放送で実況中継され、学会青年部の心意気を満天下に示す文化祭となった。
やり切った!——誰もが満足感にひたったが、最後にあいさつした先生は、こう提案した。
"第2回の文化祭を開こう"。後日、その真意を語っている。
「倒れても立ち上がる不屈の精神、それが堅塁中部の魂なんだ」「一度で満足してはいけない。二度繰り返して本物になるんだ」
文化祭に、徒手体操で出演した飯沼研二さん(西濃圏、副圏長)。「"もう一度"との先生の提案に、青年を鍛えようとされる真剣さが伝わってきました」
「池田先生はすごい人だ、すごい師匠だ」。子どもたちにも常々、こう伝えてきた研二さんには、忘れられない光景があった。
77年(同52年)4月29日、中部第1総合研修所(現・三重研修道場)で行われた岐阜の青年部集会。先生は真心の激励を送った後も、バスで帰路に就く青年たちに手を振って見送った。「愛する青年たちのために、どこまでも心を砕く。これが先生なんだと胸が熱くなりました」
◆◇◆
第1回の文化祭から第2回までは、5カ月余り。次の会場は、三重の四日市市陸上競技場(当時)であった。
「短期間の準備であっても、同じ演目では意味がありません。あの頃は、新しいものを生み出そうと、真剣に語り合う姿が各所で見られました」。中部男子部主任部長だった中本好昭さん(中部参事)は言う。
当時、青年部の合言葉は「鍛錬」。弘教拡大に挑みながら、練習を重ねた。
迎えた82年(同57年)10月3日の第2回文化祭。体操やダンス、力強い行進などが披露され、フィナーレでは、3万3000人の若人による中部歌「この道の歌」の歓喜の歌声が、会場の空にこだました。
固く手を握り、肩を抱き合う友、涙を拭う友、拳を突き上げる友……。
感動さめやらぬ会場に、池田先生から伝言が届く。
「本当によかった。大、大成功おめでとう」
この日、福冨あけみさん(鈴鹿常勝圏、支部副婦人部長)は、文化祭の生中継をテレビで見ていた。のちに夫となる栄さん(同圏、圏副本部長)が、役員として支えていた。
「夫から信心の話を聞いてはいましたが、『私はやらない』と壁をつくっていました。でも、テレビを見て、それまでの"宗教"のイメージが一変しました。若者たちの迫力に圧倒されました」
あけみさんは、この3カ月後に入会した。
◆◇◆
岐阜、三重と、1年に2回の文化祭を成功させた中部青年部。翌83年(同58年)4月、池田先生が中部を訪問した折には、さらなる構想が発表された。
愛知での「世界青年平和文化祭」の開催である。それは、3年後の86年(同61年)と決まった。
次なる目標へ、先生の励ましは続いた。
85年(同60年)10月7日は、三重研修道場内に中部青年部が築いた「三重池田青年塾」の開所式に出席。「これからが若き諸君の本舞台だ」と。
翌8日には、「道が大事だ。真っ直ぐに進むんだ。道を間違えては駄目だ」と、「道」などの書を揮毫。「さっき青年塾で書いてきたよ」と、代表の友に披露した。
86年(同61年)9月には、群馬の文化祭に中部青年部の代表を招待。終わると、すぐに伝言を伝えた。
「一緒に帰ろう」
同乗した上越新幹線では、青年たちのもとに、次々と激励が届いた。
今こそ、堅塁の底力を!
君たちの手で新時代を!
後継の成長を願う心が、ひしひしと伝わってきた。
そして同年10月5日。愛知県体育館で、「世界青年平和文化祭」が開かれた。
「この明るさ、この色、いいね」
文化祭では、一つ一つの演技に拍手を送り、その模様をカメラに収めた。
当時、長野耕三さん(副中部長)は、中部青年部長として、先生に演目の説明をしていた。「演技の合間にも、出演者に気を配り、電光石火で励ましの手を打たれていました」
長野さん自身も、激励の当事者となった。教員をしていた頃の教え子が、ミュージカルに出演していることを報告すると、すぐに"皆に紹介してあげよう"。頑張っている人を一人も励まさずにはおかない、という気迫がみなぎっていた。
「岐阜、三重、そして愛知での文化祭。その全てに出演する中で、先生に原点を築いていただきました」とは、音楽隊のフラッグ隊を務めた加藤英知さん(中川王者区、支部長)。
愛知の文化祭の前年、音楽隊員としてハワイへ。その折、先生は提案した。
"お父さん、お母さんを亡くした人は植樹を"
中学1年の時、母親を失っていた英知さんも、植樹に参加した。「先生が目の前で見守ってくださる中、植樹をしました。"全部、分かってくださっている"。そう実感しました」
師弟に生きる英知さんのもとで育った3人の子どもたちは今、男子部・女子部・学生部のリーダーとして、後継の道を歩む。
◆◇◆
87年(同62年)9月20日、池田先生は、中部文化会館(現・中部池田記念会館)を訪れた。
70年前後の"言論問題"では最も厳しい風雪に耐え、80年代にも宗門事件の嵐が吹き荒れた中部。しかし烈風の中で断固と勝ち抜き、岐阜、三重、愛知の文化祭を節に、凜々しく成長した青年たちの顔があった。
先生は、中部の同志を前に、高らかに宣言した。
「よくぞ、ここまで戦い抜かれた」
「皆さま方の今日までのご苦労をたたえ、中部の『大勝利宣言』としたい」
「堅塁」——その「堅」の一字には、どんな試練にも揺るがぬ「堅固」という意味がある。どんな苦難をも耐え抜く「堅忍」という意味がある。そして、どんな変化にも勝ち抜く「堅実」という意味がある。
本年4月に愛知、三重、岐阜の各県で行われる創価青年大会に向け、青春の汗を流す中部青年部。堅塁の新たな時代を開く後継たちの挑戦が始まっている。
2017年3月14日火曜日
2017.03.14 わが友に贈る
真のリーダーとは
励ましと率先の人だ。
「皆に喜んでもらおう」
「自分がまず動こう」
同志の信頼の灯台たれ!
法蓮抄 P1050
『我をば誰とか思食す我は是れ汝が子息法蓮が毎朝誦する所の法華経の自我偈の文字なり、此の文字は汝が眼とならん耳とならん足とならん手とならん』
☆女性に贈ることば 三月十四日
勇んで労苦を引き受け、友と同苦し、人びとに、社会に、奉任しゆく人生であれ!
大きく悩んだ牢光きし郵猷が郎がる。
☆今日のことば365 三月十四日
文明は権力 武力を用いず
幸せへ民衆を化す運動である
☆全国学生部総会への池田先生のメッセージ 2017年3月5日
◇民衆凱歌の世紀開く勇敢なる師子吼を!
凜々しき学生部の結成60周年の総会、誠におめでとう! 全国各地から、皆、やりくりして、本当によく集ってくれました。
今、私の心も、創価大学にあります。「先駆の誇り」に燃える君たちと、共に歌い、共に舞い、共に出陣の太鼓を乱打する思いで、すべてを見守っています。
先頭に立って準備を重ねてきた出演者・登壇者の諸君、また、陰で一切を支えてくれている役員の諸君、本当にありがとう!
そして、今日を目指し、知勇兼備の学生部が、自身の限界に挑戦して、広宣流布のため、立正安国のために、歴史に残る大拡大を成し遂げてくれたことは、全部、伺っています。これほど嬉しい、これほど頼もしいことはない。
戸田先生は常に200年先を見据えて指揮を執られていた。その戸田先生と私の手づくりの学生部が結成100周年を迎える時、今ここに集い合った君たちは60代前後、最も円熟し、最も責任ある年代になっている。その時、世界広宣流布が、いかなる壮大な展開をしているか、楽しみでならない。君たちを中核とする地涌の陣列が、創価の世界宗教の新時代を、すべて牽引していくのである。
ゆえに、私は、「いかなる嵐にも勝ち抜く正義の師子王たれ!」と託したい。
私が、学生部と共に学んできた「御義口伝」では、師子吼の意義について、「師とは師匠授くる所の妙法 子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書748ページ)と仰せである。
不二の弟子たる、愛する君たちが勇敢に正義の師子吼を貫くならば、一切の障魔を打ち破って、創価の師弟は必ずや平和と人道の大連帯を勝ち広げていくことができると、私は確信しています。
現在の青春の日々は、悪戦苦闘の連続であろう。しかし、だからこそ、負けない自分が鍛えられる。何があろうと、久遠からの誓願をもって、今この時に出現してきた地涌の菩薩の自覚と自負を、断じて忘れてはならない。
学生部の真価が大きく光るのは、いよいよ、これからだ。
この混迷の世に、一人また一人と、友を糾合しながら、絶対勝利の信心の大道を前進し、「民衆凱歌の世紀」を創り開いていってくれ給え!
全員が、学業でも進路・就職でも、断固、負けるな! 父母を大切に!
今日明日と、楽しく有意義に、生涯の共戦の同志と、友情と連帯を深めていってください。
君たちを送り出してくれたご家族の皆さん、地域の同志の皆さんに、よろしくお伝えください。私は、いつも君たち一人一人に題目を送り続けていきます。
世界第一の平和と正義の学生城、万歳!
学生部は、永遠に広宣流布の「勝利の光源」であれ!
励ましと率先の人だ。
「皆に喜んでもらおう」
「自分がまず動こう」
同志の信頼の灯台たれ!
法蓮抄 P1050
『我をば誰とか思食す我は是れ汝が子息法蓮が毎朝誦する所の法華経の自我偈の文字なり、此の文字は汝が眼とならん耳とならん足とならん手とならん』
☆女性に贈ることば 三月十四日
勇んで労苦を引き受け、友と同苦し、人びとに、社会に、奉任しゆく人生であれ!
大きく悩んだ牢光きし郵猷が郎がる。
☆今日のことば365 三月十四日
文明は権力 武力を用いず
幸せへ民衆を化す運動である
☆全国学生部総会への池田先生のメッセージ 2017年3月5日
◇民衆凱歌の世紀開く勇敢なる師子吼を!
凜々しき学生部の結成60周年の総会、誠におめでとう! 全国各地から、皆、やりくりして、本当によく集ってくれました。
今、私の心も、創価大学にあります。「先駆の誇り」に燃える君たちと、共に歌い、共に舞い、共に出陣の太鼓を乱打する思いで、すべてを見守っています。
先頭に立って準備を重ねてきた出演者・登壇者の諸君、また、陰で一切を支えてくれている役員の諸君、本当にありがとう!
そして、今日を目指し、知勇兼備の学生部が、自身の限界に挑戦して、広宣流布のため、立正安国のために、歴史に残る大拡大を成し遂げてくれたことは、全部、伺っています。これほど嬉しい、これほど頼もしいことはない。
戸田先生は常に200年先を見据えて指揮を執られていた。その戸田先生と私の手づくりの学生部が結成100周年を迎える時、今ここに集い合った君たちは60代前後、最も円熟し、最も責任ある年代になっている。その時、世界広宣流布が、いかなる壮大な展開をしているか、楽しみでならない。君たちを中核とする地涌の陣列が、創価の世界宗教の新時代を、すべて牽引していくのである。
ゆえに、私は、「いかなる嵐にも勝ち抜く正義の師子王たれ!」と託したい。
私が、学生部と共に学んできた「御義口伝」では、師子吼の意義について、「師とは師匠授くる所の妙法 子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所の音声なり」(御書748ページ)と仰せである。
不二の弟子たる、愛する君たちが勇敢に正義の師子吼を貫くならば、一切の障魔を打ち破って、創価の師弟は必ずや平和と人道の大連帯を勝ち広げていくことができると、私は確信しています。
現在の青春の日々は、悪戦苦闘の連続であろう。しかし、だからこそ、負けない自分が鍛えられる。何があろうと、久遠からの誓願をもって、今この時に出現してきた地涌の菩薩の自覚と自負を、断じて忘れてはならない。
学生部の真価が大きく光るのは、いよいよ、これからだ。
この混迷の世に、一人また一人と、友を糾合しながら、絶対勝利の信心の大道を前進し、「民衆凱歌の世紀」を創り開いていってくれ給え!
全員が、学業でも進路・就職でも、断固、負けるな! 父母を大切に!
今日明日と、楽しく有意義に、生涯の共戦の同志と、友情と連帯を深めていってください。
君たちを送り出してくれたご家族の皆さん、地域の同志の皆さんに、よろしくお伝えください。私は、いつも君たち一人一人に題目を送り続けていきます。
世界第一の平和と正義の学生城、万歳!
学生部は、永遠に広宣流布の「勝利の光源」であれ!
2017年3月13日月曜日
2017.03.13 わが友に贈る
◇今週のことば
藍より青く
いよいよ前進!
これが創価の心だ。
後継の若人を大切に
希望と躍動の座談会を!
2017年3月13日
法華経題目抄 P944
『譬えば秋冬枯れたる草木の春夏の日に値うて枝葉華菓出来するが如し』
☆女性に贈ることば 三月十三日
こうすれば、どう見られるか、どうなるか−−そういうことだけを考えて、人によく思われるように、うまく泳いでいく。それは楽なように見えて、あまりにもわびしい生き方である。状況に翻弄され、なんの価値も残さず、時代とともに色あせていく人生であってはならない。
わが人生は、自分自身への最高の贈り物なのである。
☆今日のことば365 三月十三日
自分は死を恐れない
という人を聞くが
私は そんな人間になりたくない
死を恐れるが故に
生きることへの歓びが深まり
野蛮と文明との 分岐点があるからだ
☆御書と歩む 第55回 「師子王の心」で勝ち進め!
『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ』(閻浮提中御書、1589ページ)
◇通解
願わくは、わが弟子等は師子王の子となって、群狐に笑われることがあってはならない。
◇同志への指針
師子王は百獣を恐れない。
大聖人の正統として、我ら壮年部は広宣流布と立正安国の誓願に走り抜いている。「師子王の心」を取り出せないわけがない。いかなる険難も悠然と乗り越えゆくのだ。
信頼する勇猛精進のわが戦友よ、厳然と皆を守りゆく創価家族の父たちよ、「忍辱の鎧」をまとい、混迷の社会に断固と勝利の大道を開きゆこうではないか!
☆世界広布新時代第24回本部幹部会 全国壮年部幹部会 新生・東北総会から(要旨) 伊藤樹美女子部長 2017年3月11日
◇誓い果たし勝利の春を
一、3月3日「ひな祭り」の日に、池田先生・奥さまが創価女子会館へお越しくださり、婦人部・女子部の代表でごあいさつをさせていただき、女子部の新出発に対し、大激励を頂戴しました。
昨年も3月3日、創価女子会館をご訪問くださり、先生・奥さまに大きく見守っていただき、心からの感謝でいっぱいです。
そして大変うれしいことに、この3月3日が、永遠に輝く師弟の原点の日として、このたび、「華陽姉妹 誓春の日」と制定されました(拍手)。
"誓いの春"と書いて"誓春"です。女子部は全員が先生との"誓い"を果たし抜き、勝利の"春"を開いていきます。
一、私は東京・北区で生まれ育ちました。
信心強盛な母は、いつも折伏の場に私を連れていってくれました。
私が中学1年の時、母が再婚しましたが、なかなか父に心を開けず、悩んだ時がありました。
そんな時、手にとった『青春対話』に、「もがきながら、題目をあげ、一ミリでも二ミリでもいいから、前へ進む」「苦しんだ分だけ(中略)深い人生となっている」とあり、絶対に意味があると決め、題目をあげ続けました。
高校3年の時、その父が右手にリウマチを発症。建築の一人親方として、腕一つで仕事をしてきた父にとって、致命的な病でした。痛みにうずくまる父の背中を見て、気付けば御本尊の前に座っていました。
「父が、わが家の宿命を担ってくれているんだ」と感謝があふれ、「父の病気が治りますように」と真剣に祈れる自分に変わっていきました。
大学1年の時には、幼少の頃に一度、治ったはずのぜんそくが再発。夜通し続く発作に、通学がままならない時期もありました。
そんな時、女子学生部の代表として、先生から「伊藤さんの健康と幸福を祈りつつ」との言葉が記されたレターヘッドを頂き、「先生は一学生のことを、これほどまでに思ってくださるのだ」と涙があふれました。
そして「広宣流布のお役に立てる、健康な体になりたい」と祈る中、女子部の先輩から「宿命転換の一番の近道は折伏だよ」と教えていただき、大学時代、100人以上の友人に仏法対話。婦人部の方に応援をいただき、3人の友人を入会に導くことができました(拍手)。また、ぜんそくも大学4年の春、完治することができました。
父も病を克服することができ、2013年には、一職人として広宣流布大誓堂の建設工事にも携わらせていただき、今では皆で信心に励む一家和楽の家庭へと変われたことに、感謝の思いでいっぱいです。
その後も報恩の心で対話し、これまで7世帯11人に折伏を実らせることができました(拍手)。
友の幸せを祈り、対話に挑戦する中で、自分の心が強くなる。折伏に挑む中で、幸福の門を開くことができる。心から、そう実感します。
一、女子部は今、婦人部の皆さんと一緒に「サン?フラワー キャンペーン」で前進しています。
岩手宝光県では、21歳の女子部メンバーが、婦人部の多宝会の大先輩に折あるごとに悩みを聞いていただいていました。その温かな励ましを受けて華陽リーダーに成長した彼女は、大先輩の「私が一緒に話してあげるからセミナーに誘ってみたら」との激励で親友への対話にも挑戦。一緒に対話する中で先月、見事、人生初の折伏を実らせることができました。
婦人部の皆さんの大確信と、女子部の清新な行動があれば、幸福と歓喜は大きく広がります。
女子部は全員が、"何があっても負けない"大歓喜の青春を歩んでいけるよう、徹して一人を大切に真心の励ましを送り、明るく、にぎやかに広布の門を開いていきます(拍手)。
藍より青く
いよいよ前進!
これが創価の心だ。
後継の若人を大切に
希望と躍動の座談会を!
2017年3月13日
法華経題目抄 P944
『譬えば秋冬枯れたる草木の春夏の日に値うて枝葉華菓出来するが如し』
☆女性に贈ることば 三月十三日
こうすれば、どう見られるか、どうなるか−−そういうことだけを考えて、人によく思われるように、うまく泳いでいく。それは楽なように見えて、あまりにもわびしい生き方である。状況に翻弄され、なんの価値も残さず、時代とともに色あせていく人生であってはならない。
わが人生は、自分自身への最高の贈り物なのである。
☆今日のことば365 三月十三日
自分は死を恐れない
という人を聞くが
私は そんな人間になりたくない
死を恐れるが故に
生きることへの歓びが深まり
野蛮と文明との 分岐点があるからだ
☆御書と歩む 第55回 「師子王の心」で勝ち進め!
『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ』(閻浮提中御書、1589ページ)
◇通解
願わくは、わが弟子等は師子王の子となって、群狐に笑われることがあってはならない。
◇同志への指針
師子王は百獣を恐れない。
大聖人の正統として、我ら壮年部は広宣流布と立正安国の誓願に走り抜いている。「師子王の心」を取り出せないわけがない。いかなる険難も悠然と乗り越えゆくのだ。
信頼する勇猛精進のわが戦友よ、厳然と皆を守りゆく創価家族の父たちよ、「忍辱の鎧」をまとい、混迷の社会に断固と勝利の大道を開きゆこうではないか!
☆世界広布新時代第24回本部幹部会 全国壮年部幹部会 新生・東北総会から(要旨) 伊藤樹美女子部長 2017年3月11日
◇誓い果たし勝利の春を
一、3月3日「ひな祭り」の日に、池田先生・奥さまが創価女子会館へお越しくださり、婦人部・女子部の代表でごあいさつをさせていただき、女子部の新出発に対し、大激励を頂戴しました。
昨年も3月3日、創価女子会館をご訪問くださり、先生・奥さまに大きく見守っていただき、心からの感謝でいっぱいです。
そして大変うれしいことに、この3月3日が、永遠に輝く師弟の原点の日として、このたび、「華陽姉妹 誓春の日」と制定されました(拍手)。
"誓いの春"と書いて"誓春"です。女子部は全員が先生との"誓い"を果たし抜き、勝利の"春"を開いていきます。
一、私は東京・北区で生まれ育ちました。
信心強盛な母は、いつも折伏の場に私を連れていってくれました。
私が中学1年の時、母が再婚しましたが、なかなか父に心を開けず、悩んだ時がありました。
そんな時、手にとった『青春対話』に、「もがきながら、題目をあげ、一ミリでも二ミリでもいいから、前へ進む」「苦しんだ分だけ(中略)深い人生となっている」とあり、絶対に意味があると決め、題目をあげ続けました。
高校3年の時、その父が右手にリウマチを発症。建築の一人親方として、腕一つで仕事をしてきた父にとって、致命的な病でした。痛みにうずくまる父の背中を見て、気付けば御本尊の前に座っていました。
「父が、わが家の宿命を担ってくれているんだ」と感謝があふれ、「父の病気が治りますように」と真剣に祈れる自分に変わっていきました。
大学1年の時には、幼少の頃に一度、治ったはずのぜんそくが再発。夜通し続く発作に、通学がままならない時期もありました。
そんな時、女子学生部の代表として、先生から「伊藤さんの健康と幸福を祈りつつ」との言葉が記されたレターヘッドを頂き、「先生は一学生のことを、これほどまでに思ってくださるのだ」と涙があふれました。
そして「広宣流布のお役に立てる、健康な体になりたい」と祈る中、女子部の先輩から「宿命転換の一番の近道は折伏だよ」と教えていただき、大学時代、100人以上の友人に仏法対話。婦人部の方に応援をいただき、3人の友人を入会に導くことができました(拍手)。また、ぜんそくも大学4年の春、完治することができました。
父も病を克服することができ、2013年には、一職人として広宣流布大誓堂の建設工事にも携わらせていただき、今では皆で信心に励む一家和楽の家庭へと変われたことに、感謝の思いでいっぱいです。
その後も報恩の心で対話し、これまで7世帯11人に折伏を実らせることができました(拍手)。
友の幸せを祈り、対話に挑戦する中で、自分の心が強くなる。折伏に挑む中で、幸福の門を開くことができる。心から、そう実感します。
一、女子部は今、婦人部の皆さんと一緒に「サン?フラワー キャンペーン」で前進しています。
岩手宝光県では、21歳の女子部メンバーが、婦人部の多宝会の大先輩に折あるごとに悩みを聞いていただいていました。その温かな励ましを受けて華陽リーダーに成長した彼女は、大先輩の「私が一緒に話してあげるからセミナーに誘ってみたら」との激励で親友への対話にも挑戦。一緒に対話する中で先月、見事、人生初の折伏を実らせることができました。
婦人部の皆さんの大確信と、女子部の清新な行動があれば、幸福と歓喜は大きく広がります。
女子部は全員が、"何があっても負けない"大歓喜の青春を歩んでいけるよう、徹して一人を大切に真心の励ましを送り、明るく、にぎやかに広布の門を開いていきます(拍手)。
2017.03.12 わが友に贈る
人生は強気でいけ!
信心とは
不屈の楽観主義だ。
「私は勝つ!」と
前へ、また前へ!
二乗作仏事 P594
『師子身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず多く我が仏法を壊りて大罪過を得ん』
☆女性に贈ることば 三日十二日
女性の場合、決して、いわゆる青春時代のみが花なのではない。若い時代にどんなに華やかであっても、その幸福は浅いものだし、また一生続く保証もない。
長い目で見た時には、心にしっかりした芯をもっている人は、時とともに、輝いていくものだ。
☆今日のことば365 三月十二日
人の悪口、批判……。
する場合もある。される場合もある。
互いに人格を尊重していくべきだ。常に自己を磨くことだ。
自己を磨くことを忘れての悪口は、批判は、互いに愚かである。
☆四季の励まし 滔々たる人材の流れを 2017年3月4日
未来の一切は、
後継者で決まる。
若い人が
命を継いで立ち上がってくれれば、
将来も
永遠に勝ち続けることができる。
滔々たる
人材の流れをつくった人が、
本当の勝利者である。
"後継"と
"後続"とは異なる。
後方の安全地帯に身を置き、
開拓の労苦も知らず、
ただ後に続く
"後続の人"に、
"後継"の責任を果たすことなど
できようはずがない。
"後継の人"とは、
勝利の旗を打ち立てる
"先駆の人"でなければならない。
世間には
浅薄な人間関係で
よしとする風潮があろうが、
学会は違う。
あらゆる機会をとらえて、
語り合うのだ。
耳を傾け、励ますのだ。
共に悩み、共に祈るのだ。
共に動き、共に戦うのだ。
その人を知れば知るほど、
「必ず広布の人材にしていこう!」
「必ず師匠に縁させていこう!」と
祈りは深まる。
この深き祈りこそ、
「人材・拡大」の原動力である。
「師弟」に生きる人は強い。
断じて、勝っていける。
私は、師弟の道に徹しゆく
本物の「師子」をつくりたい。
一騎当千の
力のある師子を育てたい。
いかなる嵐にも微動だにしない、
正義の師子を、
一人でも多く
育てていきたいのだ。
それが今の私の願いである。
まばゆい緑の中を進むと、そそり立つ岩壁から清らかな流れがほとばしっていた。青森県十和田市の奥入瀬渓流にある「九段の滝」。1994年(平成6年)8月、池田大作先生がカメラに収めた。
先生は同月、市内の東北研修道場を訪問。諸行事の合間を縫って、近くにある奥入瀬渓流のほとりを、同志と共に歩いた。
水は、よどみなく流れるからこそ、清流となる。人もまた、励まし続けてくれる存在がいるからこそ、勇気と挑戦の心が湧き、力ある人材へと成長することができる。
広布後継の3月。
まず、自らが一人立つ。そして人材を育て、共に進みゆこう。その"共戦のドラマ"が、新たな広布の未来を開く。
☆世界広布新時代第24回本部幹部会 全国壮年部幹部会 新生・東北総会から(要旨) 原田稔会長 2017年3月11日
"私が道を開く!"心を決めれば力は無限
勇気と執念の対話を共々に
一、「世界広布新時代第24回本部幹部会」「全国壮年部幹部会」、そして「新生・東北総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
また本日は、11カ国・地域から、105人のSGIメンバーも参加されています。遠いところ、ようこそお越しくださいました。心より歓迎申し上げます。
一、「滝の如く 激しく/滝の如く 撓まず/滝の如く 恐れず/滝の如く 朗らかに/滝の如く 堂々と/男は 王者の風格を持て」
15世紀に誕生したスコットランドの名門中の名門・グラスゴー大学の荘厳なホールに響き渡ったのは、かつて池田先生が、青森・奥入瀬の滝に寄せて詠んだ詩でした。
声の主はマンロー博士。博士は、この滝の詩が、池田先生の人物像と深く一致していると結論され、詠み上げられたのであります。
そして博士は、高らかに宣言します。
「総長に申し上げます。大学評議会が推挙する池田大作氏に対して、名誉博士の学位授与を要請いたします」
私もその場におりましたが、あの凜然たる響きは今も耳から離れません。一幅の名画のごとき感動的な一瞬でした。
1990年に初来日されたマンロー博士は、創価大学や学会本部を訪問され、関西で講演もされました。そして日本をたつ際、見送る関係者に空港で、こう言われています。
「私がお会いした創価学会の方々は、だれもが、平和を愛する立派な人々でした。しかし学会は常に中傷されています。事実に反する不当な評価に、どうして抗議しないのですか。私は行動します。私の見た事実をもとに」と。
そして4年後、グラスゴー大学で最も権威ある大学評議会において、議長だったマンロー博士から、"国際的な教育・文化交流への池田先生の貢献を正しく顕彰したい"と名誉博士への推挙があり、諮問委員会等での厳正な審査を経て、評議会の満場一致で決定され、先生に授与されたのであります。
信義には信義を、誠実には誠実で——。この人間性の極致ともいうべきマンロー博士の生き方、行動に、私は感動を禁じ得ない一人であります。とともに、いわんや池田先生の「弟子」ならば、なおいっそう師弟不二の行動で師弟勝利の実証を厳然と示しゆかねばならない。こう深く決意せずにはいられません。
「滝の如く」——それはまさに、復興に立ち上がった東北同志の姿であり、厳しき乱世を戦う我ら壮年部の姿そのものであります。
王者の東北、王者の壮年部こそが、断じて創価完勝の旗を打ち立てていきましょう(拍手)。
◇師弟の月・7月へ連戦連勝を
一、今、全国で、折伏・弘教、友好交流と対話拡大の旋風が巻き起こっています。
いかなる戦いにおいても、大切なことは「わが一念を定めること」であり、言い換えれば「自身の使命を自覚すること」です。
かつて池田先生は、小説『新・人間革命』第18巻「飛躍」の章に、つづられました。
日本から香港に渡って草創期を戦い、自分も中国名を名乗りたいと決意するメンバーに対し、「香港の人になりきろうというんだね。いいじゃないか。大事なことだ。"腰掛け"のつもりでいたのでは、その地域の広宣流布を本当に担うことなどできない。骨を埋める覚悟がなければ、力は出せないものだ」と。
人生いっときは、努力しても思い通りにならないことや、"祈ってきたのになぜ?"と思いたくなることもあります。しかし仏法に偶然はありません。住む場所も、働く職場も、出会った人々も、仏法の眼から見れば一切が過去世からの約束であり、必然です。
御義口伝には「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と仰せです。
かなたに寂光土を求めるのではなく、「この地域を広宣流布するのは、私しかいない」——こう決心してこそ、地涌の底力が発揮される。
人間関係の濃淡でもなく、人任せでもなく、「この人を幸せにするのは、私しかいない」——こう覚悟してこそ、あらゆる人との出会いを大切にし、その仏性を信じて、勇気と執念をもって語り抜く不軽菩薩の実践を貫ける。わが使命の大地を踏みしめ、立ち上がるところに、自身の宿命転換もあるのです。
「池田先生、どうかご安心ください。私は全てに勝利しました。こんなに幸せになりました」と、こう言い切れる戦いを、「3・16」から「4・2」「5・3」、そして「師弟の月・7月」へ連戦連勝で飾っていきたい(拍手)。
◇哲学深き学会には幾多の青年が
一、戸田先生は、東北のラジオ局のインタビューに、次のように応じられました。
「創価学会に青年が多いのはなぜか」。戸田先生は即答されました。「学会に青年が多いのは、哲学が深いからです」
先生は、その理由を語られます。
「若い青年は、それ(哲学)を究めようとする。究めようとすれば、ますます山が高くなってくる。だんだんと山に登りますから、楽しみも増えるというわけです。ですから、青年は、ついたら離れないのです」と。
そして、さらに戸田先生は続けます。
「私も、自分自身も、その道を歩んでいるのです。ただ一歩先か、二歩先かの問題です。"山を究めた"と言っているのではないのです。"山をめざして一緒に歩こう"と言っているのです」
これぞ創価の師弟の精神であり、創価家族の団結であり、創価青年学会の心です。
私どもは、皆で、仲良く励まし合いながら、「生涯青春」「生涯一青年」で、ともどもに広布の山を登はんしていきましょう(拍手)。
信心とは
不屈の楽観主義だ。
「私は勝つ!」と
前へ、また前へ!
二乗作仏事 P594
『師子身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず多く我が仏法を壊りて大罪過を得ん』
☆女性に贈ることば 三日十二日
女性の場合、決して、いわゆる青春時代のみが花なのではない。若い時代にどんなに華やかであっても、その幸福は浅いものだし、また一生続く保証もない。
長い目で見た時には、心にしっかりした芯をもっている人は、時とともに、輝いていくものだ。
☆今日のことば365 三月十二日
人の悪口、批判……。
する場合もある。される場合もある。
互いに人格を尊重していくべきだ。常に自己を磨くことだ。
自己を磨くことを忘れての悪口は、批判は、互いに愚かである。
☆四季の励まし 滔々たる人材の流れを 2017年3月4日
未来の一切は、
後継者で決まる。
若い人が
命を継いで立ち上がってくれれば、
将来も
永遠に勝ち続けることができる。
滔々たる
人材の流れをつくった人が、
本当の勝利者である。
"後継"と
"後続"とは異なる。
後方の安全地帯に身を置き、
開拓の労苦も知らず、
ただ後に続く
"後続の人"に、
"後継"の責任を果たすことなど
できようはずがない。
"後継の人"とは、
勝利の旗を打ち立てる
"先駆の人"でなければならない。
世間には
浅薄な人間関係で
よしとする風潮があろうが、
学会は違う。
あらゆる機会をとらえて、
語り合うのだ。
耳を傾け、励ますのだ。
共に悩み、共に祈るのだ。
共に動き、共に戦うのだ。
その人を知れば知るほど、
「必ず広布の人材にしていこう!」
「必ず師匠に縁させていこう!」と
祈りは深まる。
この深き祈りこそ、
「人材・拡大」の原動力である。
「師弟」に生きる人は強い。
断じて、勝っていける。
私は、師弟の道に徹しゆく
本物の「師子」をつくりたい。
一騎当千の
力のある師子を育てたい。
いかなる嵐にも微動だにしない、
正義の師子を、
一人でも多く
育てていきたいのだ。
それが今の私の願いである。
まばゆい緑の中を進むと、そそり立つ岩壁から清らかな流れがほとばしっていた。青森県十和田市の奥入瀬渓流にある「九段の滝」。1994年(平成6年)8月、池田大作先生がカメラに収めた。
先生は同月、市内の東北研修道場を訪問。諸行事の合間を縫って、近くにある奥入瀬渓流のほとりを、同志と共に歩いた。
水は、よどみなく流れるからこそ、清流となる。人もまた、励まし続けてくれる存在がいるからこそ、勇気と挑戦の心が湧き、力ある人材へと成長することができる。
広布後継の3月。
まず、自らが一人立つ。そして人材を育て、共に進みゆこう。その"共戦のドラマ"が、新たな広布の未来を開く。
☆世界広布新時代第24回本部幹部会 全国壮年部幹部会 新生・東北総会から(要旨) 原田稔会長 2017年3月11日
"私が道を開く!"心を決めれば力は無限
勇気と執念の対話を共々に
一、「世界広布新時代第24回本部幹部会」「全国壮年部幹部会」、そして「新生・東北総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
また本日は、11カ国・地域から、105人のSGIメンバーも参加されています。遠いところ、ようこそお越しくださいました。心より歓迎申し上げます。
一、「滝の如く 激しく/滝の如く 撓まず/滝の如く 恐れず/滝の如く 朗らかに/滝の如く 堂々と/男は 王者の風格を持て」
15世紀に誕生したスコットランドの名門中の名門・グラスゴー大学の荘厳なホールに響き渡ったのは、かつて池田先生が、青森・奥入瀬の滝に寄せて詠んだ詩でした。
声の主はマンロー博士。博士は、この滝の詩が、池田先生の人物像と深く一致していると結論され、詠み上げられたのであります。
そして博士は、高らかに宣言します。
「総長に申し上げます。大学評議会が推挙する池田大作氏に対して、名誉博士の学位授与を要請いたします」
私もその場におりましたが、あの凜然たる響きは今も耳から離れません。一幅の名画のごとき感動的な一瞬でした。
1990年に初来日されたマンロー博士は、創価大学や学会本部を訪問され、関西で講演もされました。そして日本をたつ際、見送る関係者に空港で、こう言われています。
「私がお会いした創価学会の方々は、だれもが、平和を愛する立派な人々でした。しかし学会は常に中傷されています。事実に反する不当な評価に、どうして抗議しないのですか。私は行動します。私の見た事実をもとに」と。
そして4年後、グラスゴー大学で最も権威ある大学評議会において、議長だったマンロー博士から、"国際的な教育・文化交流への池田先生の貢献を正しく顕彰したい"と名誉博士への推挙があり、諮問委員会等での厳正な審査を経て、評議会の満場一致で決定され、先生に授与されたのであります。
信義には信義を、誠実には誠実で——。この人間性の極致ともいうべきマンロー博士の生き方、行動に、私は感動を禁じ得ない一人であります。とともに、いわんや池田先生の「弟子」ならば、なおいっそう師弟不二の行動で師弟勝利の実証を厳然と示しゆかねばならない。こう深く決意せずにはいられません。
「滝の如く」——それはまさに、復興に立ち上がった東北同志の姿であり、厳しき乱世を戦う我ら壮年部の姿そのものであります。
王者の東北、王者の壮年部こそが、断じて創価完勝の旗を打ち立てていきましょう(拍手)。
◇師弟の月・7月へ連戦連勝を
一、今、全国で、折伏・弘教、友好交流と対話拡大の旋風が巻き起こっています。
いかなる戦いにおいても、大切なことは「わが一念を定めること」であり、言い換えれば「自身の使命を自覚すること」です。
かつて池田先生は、小説『新・人間革命』第18巻「飛躍」の章に、つづられました。
日本から香港に渡って草創期を戦い、自分も中国名を名乗りたいと決意するメンバーに対し、「香港の人になりきろうというんだね。いいじゃないか。大事なことだ。"腰掛け"のつもりでいたのでは、その地域の広宣流布を本当に担うことなどできない。骨を埋める覚悟がなければ、力は出せないものだ」と。
人生いっときは、努力しても思い通りにならないことや、"祈ってきたのになぜ?"と思いたくなることもあります。しかし仏法に偶然はありません。住む場所も、働く職場も、出会った人々も、仏法の眼から見れば一切が過去世からの約束であり、必然です。
御義口伝には「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と仰せです。
かなたに寂光土を求めるのではなく、「この地域を広宣流布するのは、私しかいない」——こう決心してこそ、地涌の底力が発揮される。
人間関係の濃淡でもなく、人任せでもなく、「この人を幸せにするのは、私しかいない」——こう覚悟してこそ、あらゆる人との出会いを大切にし、その仏性を信じて、勇気と執念をもって語り抜く不軽菩薩の実践を貫ける。わが使命の大地を踏みしめ、立ち上がるところに、自身の宿命転換もあるのです。
「池田先生、どうかご安心ください。私は全てに勝利しました。こんなに幸せになりました」と、こう言い切れる戦いを、「3・16」から「4・2」「5・3」、そして「師弟の月・7月」へ連戦連勝で飾っていきたい(拍手)。
◇哲学深き学会には幾多の青年が
一、戸田先生は、東北のラジオ局のインタビューに、次のように応じられました。
「創価学会に青年が多いのはなぜか」。戸田先生は即答されました。「学会に青年が多いのは、哲学が深いからです」
先生は、その理由を語られます。
「若い青年は、それ(哲学)を究めようとする。究めようとすれば、ますます山が高くなってくる。だんだんと山に登りますから、楽しみも増えるというわけです。ですから、青年は、ついたら離れないのです」と。
そして、さらに戸田先生は続けます。
「私も、自分自身も、その道を歩んでいるのです。ただ一歩先か、二歩先かの問題です。"山を究めた"と言っているのではないのです。"山をめざして一緒に歩こう"と言っているのです」
これぞ創価の師弟の精神であり、創価家族の団結であり、創価青年学会の心です。
私どもは、皆で、仲良く励まし合いながら、「生涯青春」「生涯一青年」で、ともどもに広布の山を登はんしていきましょう(拍手)。
2017年3月11日土曜日
2017.03.11 わが友に贈る
妙法の絆は永遠だ。
広宣流布の題目こそ
最高の追善回向となる。
不撓不屈の同志と共に
三世に輝く福徳の道を!
最蓮房御返事 P1340
『此の経釈を案ずるに過去無量劫より已来師弟の契約有りしか、我等末法濁世に於て生を南閻浮提大日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事是れ偏に過去の宿習なるか』
☆女性に贈ることば 三月十一日
自己の成長を願わず、目先の楽しみだけを追い求める人生の、どこが幸福であろうか。
「成長しよう」と努力する女性は、人生のどんな時をも、最高に輝かせていける。
☆今日のことば365 三月十一日
夢を実現し、理想を達成するために、最も大事なことは、自己との厳しい対決に勝っていくことである。つまり、自分が今やらねばならぬことに、全能力、全情熱を、傾けていくことこそ、未来に生きる人生の、真実偉大な姿なのである。
☆四季の励まし 女性の力は社会の希望 2017年2月26日
新たな社会の希望の活力は、
女性のソフト・パワーである。
女性の知恵が発揮されれば、
職場であれ、地域であれ、
創造性が漲り、
調和が図られていく。
女性が安心して
伸びやかに働ける社会を
皆で作っていくことが大切である。
働くこと、子を育てること、
妻であること。また娘であること、
地域の一員であること、
学ぶこと——
それらが互いにぶつかりあい、
悩みながらも、
なおすべてを
自分の成長の糧にしようと
心が定まった時、
初めて、
女性は一個の太陽になれる。
母の楽観主義の光は、
地域の太陽となり、
世界平和の太陽として、
昇り輝いている。
私たちは、
この健気な母を幸福にする
「責任」がある。
いな「使命」がある。
これが「人生」だ。
この平凡にして偉大な母を
幸福にしていくことこそが、
全世界の
平和への第一歩なのだ。
本当に強い人とは、
「心の強い人」である。
ゆえに、永遠にして
宇宙大の妙法を強盛に信じぬく、
婦人部・女子部の皆さんは、
最も強い人である。
どんな宿命にも、どんな困難にも、
負けるわけがない。必ず勝てる。
必ず乗り越えていける。
皆が仰ぎ見るような、
晴ればれとした勝利の大境涯を、
必ずや開いていけるのである。
陽光に照らされる南国の花・ブーゲンビレア。赤や橙の彩りの向こうには、木々の緑が映え、ビルが林立していた。1988年(昭和63年)2月、池田大作先生がタイの首都バンコクで撮った1枚である。
まぶしく輝く花は、周囲に生き生きと喜びの対話を広げる、創価の女性のよう——。
法華経には「如蓮華在水(蓮華の水に在るが如し)」との言葉がある。蓮華は泥水の中にあって、汚れに染まることなく、美しい花を咲かせる。同様に、妙法を持った人は、どんなに厳しい現実社会にあっても、見事な"使命の花"を咲かせていく。
ブーゲンビレアの花言葉の一つに「情熱」と。広布への情熱を赤々と燃やしながら、社会や地域に"使命の花"を爛漫と咲かせゆこう!
広宣流布の題目こそ
最高の追善回向となる。
不撓不屈の同志と共に
三世に輝く福徳の道を!
最蓮房御返事 P1340
『此の経釈を案ずるに過去無量劫より已来師弟の契約有りしか、我等末法濁世に於て生を南閻浮提大日本国にうけ忝くも諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を口に唱へ心に信じ身に持ち手に翫ぶ事是れ偏に過去の宿習なるか』
☆女性に贈ることば 三月十一日
自己の成長を願わず、目先の楽しみだけを追い求める人生の、どこが幸福であろうか。
「成長しよう」と努力する女性は、人生のどんな時をも、最高に輝かせていける。
☆今日のことば365 三月十一日
夢を実現し、理想を達成するために、最も大事なことは、自己との厳しい対決に勝っていくことである。つまり、自分が今やらねばならぬことに、全能力、全情熱を、傾けていくことこそ、未来に生きる人生の、真実偉大な姿なのである。
☆四季の励まし 女性の力は社会の希望 2017年2月26日
新たな社会の希望の活力は、
女性のソフト・パワーである。
女性の知恵が発揮されれば、
職場であれ、地域であれ、
創造性が漲り、
調和が図られていく。
女性が安心して
伸びやかに働ける社会を
皆で作っていくことが大切である。
働くこと、子を育てること、
妻であること。また娘であること、
地域の一員であること、
学ぶこと——
それらが互いにぶつかりあい、
悩みながらも、
なおすべてを
自分の成長の糧にしようと
心が定まった時、
初めて、
女性は一個の太陽になれる。
母の楽観主義の光は、
地域の太陽となり、
世界平和の太陽として、
昇り輝いている。
私たちは、
この健気な母を幸福にする
「責任」がある。
いな「使命」がある。
これが「人生」だ。
この平凡にして偉大な母を
幸福にしていくことこそが、
全世界の
平和への第一歩なのだ。
本当に強い人とは、
「心の強い人」である。
ゆえに、永遠にして
宇宙大の妙法を強盛に信じぬく、
婦人部・女子部の皆さんは、
最も強い人である。
どんな宿命にも、どんな困難にも、
負けるわけがない。必ず勝てる。
必ず乗り越えていける。
皆が仰ぎ見るような、
晴ればれとした勝利の大境涯を、
必ずや開いていけるのである。
陽光に照らされる南国の花・ブーゲンビレア。赤や橙の彩りの向こうには、木々の緑が映え、ビルが林立していた。1988年(昭和63年)2月、池田大作先生がタイの首都バンコクで撮った1枚である。
まぶしく輝く花は、周囲に生き生きと喜びの対話を広げる、創価の女性のよう——。
法華経には「如蓮華在水(蓮華の水に在るが如し)」との言葉がある。蓮華は泥水の中にあって、汚れに染まることなく、美しい花を咲かせる。同様に、妙法を持った人は、どんなに厳しい現実社会にあっても、見事な"使命の花"を咲かせていく。
ブーゲンビレアの花言葉の一つに「情熱」と。広布への情熱を赤々と燃やしながら、社会や地域に"使命の花"を爛漫と咲かせゆこう!
2017年3月10日金曜日
2017.03.10 わが友に贈る
寒暖の差が
激しくなる時期。
1枚羽織るなど
体調管理を懸命に。
油断なく健康人生を!
星名五郎太郎殿御返事 P1209
『今此の善導法然等は種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし如来の正法を滅す』
☆女性に贈ることば 三月十日
生きることは戦いである。人生は、自分自身との戦いである。負ければ、この人生を存分に生きたとの喜びはない。悔いと苦悩と不幸を残すだけである。
私は、私らしく勝ったと、自分に胸を張れる人生でありたい。
☆今日のことば365 三月十日
瞬間々々 時は流れる
過去 現在 未来へと----
創造と建設
敗退と惰性
その人 その国に
さまざまな運命 歴史を
渦巻きながら----
☆新時代を進む 第5回 我らの宝城から幸福勝利の光 2017年2月27日
待望の新会館が各地に誕生し、心からお祝いしたい。
わが学会の会館は、希望と幸福の宝処であり、平和と文化の大城である。
新時代の「二月闘争」で意気軒高の東京・大田区の友からは、中心の文化会館が完成以来27年で来館者が延べ600万人になったと喜びの報告があった。
恩師の事業が苦境にあった渦中に、私はお約束した。「広宣流布の立派な城を日本中、世界中に建てますから、ご安心ください」と。
今、各会館に喜々として集い来る創価の宝友たちを戸田先生は、会心の笑顔で見守られているであろう。
— ◇ —
寒い日々も、広布の道場を厳然と守ってくださる、創価班、牙城会、白蓮グループをはじめ、会館守る会、婦人部の香城会、一日会館長の創価宝城会など、尊き陰徳の方々に感謝は尽きない。無量の陽報に包まれゆくことを深く確信する。
とりわけ、3月5日の壮年部の結成記念日を前に、王城会の皆さん方の奮闘に厚く御礼を申し上げたい。
多忙な中、懸命にやりくりしての厳護の着任とともに、澎湃と躍り出る地涌の勇士の先陣を切る大活躍も、よく伺っている。
「王城会」——何と誇り高き名前であろうか。
日蓮大聖人は、「王」の意義について「天・地・人を貫きて少しも傾かざるを王とは名けたり」(御書1422ページ)と仰せになられた。
何ものにも揺るがず、正義の学会を支え抜く「黄金柱」と合致する力用である。
わが信頼する王城会の盟友たちよ! 民衆に尽くし、民衆から仰がれ慕われゆく真正の「人間王者」として、一人ももれなく、健康で大勝利の人生を、威風堂々と飾ってくれたまえ!
— ◇ —
地域の宝の個人会場、個人会館を提供くださっているご家庭に、皆で深謝したい。心して大切に礼儀正しく、使わせていただこう。
牧口先生は、座談会の折々、会場のご家族に丁重に挨拶をなされていた。私の妻も、大田区の実家で、幼き日に命に刻んだ牧口先生の振る舞いを、たゆまぬ前進の力としている。
御聖訓には「かかる濁世には互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」(同965ページ)と仰せである。
創価の城は、皆が永遠の幸福を開く宝城だ。この城と共に地域も栄える。この城から、勝利の人材を一段と送り出そうではないか!
激しくなる時期。
1枚羽織るなど
体調管理を懸命に。
油断なく健康人生を!
星名五郎太郎殿御返事 P1209
『今此の善導法然等は種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし如来の正法を滅す』
☆女性に贈ることば 三月十日
生きることは戦いである。人生は、自分自身との戦いである。負ければ、この人生を存分に生きたとの喜びはない。悔いと苦悩と不幸を残すだけである。
私は、私らしく勝ったと、自分に胸を張れる人生でありたい。
☆今日のことば365 三月十日
瞬間々々 時は流れる
過去 現在 未来へと----
創造と建設
敗退と惰性
その人 その国に
さまざまな運命 歴史を
渦巻きながら----
☆新時代を進む 第5回 我らの宝城から幸福勝利の光 2017年2月27日
待望の新会館が各地に誕生し、心からお祝いしたい。
わが学会の会館は、希望と幸福の宝処であり、平和と文化の大城である。
新時代の「二月闘争」で意気軒高の東京・大田区の友からは、中心の文化会館が完成以来27年で来館者が延べ600万人になったと喜びの報告があった。
恩師の事業が苦境にあった渦中に、私はお約束した。「広宣流布の立派な城を日本中、世界中に建てますから、ご安心ください」と。
今、各会館に喜々として集い来る創価の宝友たちを戸田先生は、会心の笑顔で見守られているであろう。
— ◇ —
寒い日々も、広布の道場を厳然と守ってくださる、創価班、牙城会、白蓮グループをはじめ、会館守る会、婦人部の香城会、一日会館長の創価宝城会など、尊き陰徳の方々に感謝は尽きない。無量の陽報に包まれゆくことを深く確信する。
とりわけ、3月5日の壮年部の結成記念日を前に、王城会の皆さん方の奮闘に厚く御礼を申し上げたい。
多忙な中、懸命にやりくりしての厳護の着任とともに、澎湃と躍り出る地涌の勇士の先陣を切る大活躍も、よく伺っている。
「王城会」——何と誇り高き名前であろうか。
日蓮大聖人は、「王」の意義について「天・地・人を貫きて少しも傾かざるを王とは名けたり」(御書1422ページ)と仰せになられた。
何ものにも揺るがず、正義の学会を支え抜く「黄金柱」と合致する力用である。
わが信頼する王城会の盟友たちよ! 民衆に尽くし、民衆から仰がれ慕われゆく真正の「人間王者」として、一人ももれなく、健康で大勝利の人生を、威風堂々と飾ってくれたまえ!
— ◇ —
地域の宝の個人会場、個人会館を提供くださっているご家庭に、皆で深謝したい。心して大切に礼儀正しく、使わせていただこう。
牧口先生は、座談会の折々、会場のご家族に丁重に挨拶をなされていた。私の妻も、大田区の実家で、幼き日に命に刻んだ牧口先生の振る舞いを、たゆまぬ前進の力としている。
御聖訓には「かかる濁世には互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」(同965ページ)と仰せである。
創価の城は、皆が永遠の幸福を開く宝城だ。この城と共に地域も栄える。この城から、勝利の人材を一段と送り出そうではないか!
2017年3月9日木曜日
2017.03.09 わが友に贈る
何のための信仰か。
何のための人生か。
わが使命を自覚した時
計り知れない力が出る。
信念の道を朗らかに!
顕仏未来記 P508
『月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く』
☆女性に贈ることば 三月九日
幸福というも、地獄というも、骨、自分自身の胸のなかにある。心のなかにある。
☆今日のことば365 三月九日
人生には反省も必要であろう。反省のない人に向上はあり得ない。だからといって、反省が自己嫌悪になっては無価値となる。それはあくまでも、明日への向上のためのものでなければならないのだ。
☆御書と歩む 第54回 一遍の唱題に無量の福徳
『釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う』(観心本尊抄、246ページ)
◇通解
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足している。私たちは、この妙法蓮華経の五字を受持すれば自然に釈尊の因果の功徳を譲り与えられるのである。
◇同志への指針
私たちの唱える題目の力は無量無辺である。釈尊はじめ一切の仏の修行の功徳も、仏の威徳も、全部この妙法五字に具わっている。
ただ一遍の唱題でも、功徳力は絶対である。ましてや、自行化他にわたる誓願の唱題行の福徳は、三世永遠に、わが生命とわが眷属を包んでいくのだ。「歓喜の中の大歓喜」の題目を、今日も朗々と唱えゆこう!
☆親が子に語る物語 人々を敬い続けたフキョー 2017年2月26日
◇一人ももれなく尊い存在
はるかとおいむかし、ダイジョーという国がありました。立派な仏様がいらっしゃって、人々はその教えを守り、豊かに、仲良く暮らしていました。
仏様がなくなると、国は、だんだんすたれていきました。人々は仏様の教えを忘れ、おたがいのことを信じられず、いさかいがたえません。
「おい、うちの畑から野菜を盗んだろう!」
「知らないね。おまえこそ、うちの鶏小屋から卵を盗んだろう!」
そんなとき、ひとりの若者があらわれて、ふたりの男に合掌し、ふかくこうべをたれて、こう、いいました。
「わたしは、あなたがたを軽んじません。尊敬します。なぜなら、やがて仏になられるからです」
ふたりは、拍子抜けしていさかいをやめました。
「なんだ、こいつ」
「へんなやつだな」
若者は、誰に会っても、「あなたを軽んじません」と、いうので、いつかフキョー(不軽)と呼ばれるようになりました。
フキョーは、毎日、町をいく人に声をかけました。
「わたしは、あなたを軽んじません。尊敬します。なぜなら、やがて仏になられるからです」
すると、ひとりのひげをはやした大男が、立ち止まって怒りました。
「おまえは、なんのつもりで、そういうことをいうんだ? 仏でもないのに、おれの未来を予言するのか?」
大男は、たずさえていた、つえをふりおろしました。
すると、フキョーは、身をかわして、つえのとどかないところから、同じことをいいました。
「なまいきな!」
大男が、足元に落ちていた石をひろって投げようとしたら、フキョーは、走り去り、遠くから大きな声でいいました。
「わたしは、あなたを軽んじません!」
フキョーが人々をうやまう礼拝行をするようになって、長い歳月がすぎました。
若者だったかれも、年をとって、髪が白くなっていました。もう、誰もフキョーのことを気にせず、町の風景のひとつになっていました。
ある日のこと。
「わたしは、あなたを軽んじません」と、フキョーがいいかけたとき、空から仏様の声が、きこえてきました。
「フキョーよ、あなたは仏になる。なぜなら、あなたは仏のすることをおこなってきたからだ」
フキョーは、見るからに威厳のある、立派な仏様になりました。かれをさげすんでいた人々は、びっくりしました。
「おい、フキョーが仏になったぞ」
「おれも礼拝行をするぞ」
フキョーのおかげで、ダイジョーは、人々が、おたがいを信じて、尊敬しあう豊かな国になりました。
◆ ◇ ◆
ぶん・村上政彦
え ・三浦哲
おうちの方へ
今回の「人々を敬い続けたフキョー」は、法華経常不軽菩薩品第20に説かれる「不軽菩薩」の話が基になっています。不軽菩薩は、釈尊が過去世において修行していた時の姿の一つです。
——威音王仏の像法時代の末に出現した不軽菩薩は、「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」(法華経557ページ)という、「二十四文字の法華経」を唱えながら、会う人ごとに礼拝を行じました。
慢心の人々からは悪口罵詈や杖木瓦石の迫害を受けましたが、不軽菩薩は、この礼拝行を貫き通したことが因となって、「六根清浄」の功徳を得ます。不軽菩薩を迫害してきた人々も、一度は不軽を軽んじた罪の報いを受けますが、やがて罪障消滅し、再び不軽菩薩に巡り合って救われたのです——。
日蓮大聖人は、「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と、釈尊がこの世に生まれてきた目的が、"不軽菩薩のように万人を尊敬する生き方"を説くことにあったと述べられています。
誰もが尊い存在であるとの思想を、私たちは子どもたちに伝え、相手を敬う心を育んでいきたいものです。
何のための人生か。
わが使命を自覚した時
計り知れない力が出る。
信念の道を朗らかに!
顕仏未来記 P508
『月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く』
☆女性に贈ることば 三月九日
幸福というも、地獄というも、骨、自分自身の胸のなかにある。心のなかにある。
☆今日のことば365 三月九日
人生には反省も必要であろう。反省のない人に向上はあり得ない。だからといって、反省が自己嫌悪になっては無価値となる。それはあくまでも、明日への向上のためのものでなければならないのだ。
☆御書と歩む 第54回 一遍の唱題に無量の福徳
『釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う』(観心本尊抄、246ページ)
◇通解
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足している。私たちは、この妙法蓮華経の五字を受持すれば自然に釈尊の因果の功徳を譲り与えられるのである。
◇同志への指針
私たちの唱える題目の力は無量無辺である。釈尊はじめ一切の仏の修行の功徳も、仏の威徳も、全部この妙法五字に具わっている。
ただ一遍の唱題でも、功徳力は絶対である。ましてや、自行化他にわたる誓願の唱題行の福徳は、三世永遠に、わが生命とわが眷属を包んでいくのだ。「歓喜の中の大歓喜」の題目を、今日も朗々と唱えゆこう!
☆親が子に語る物語 人々を敬い続けたフキョー 2017年2月26日
◇一人ももれなく尊い存在
はるかとおいむかし、ダイジョーという国がありました。立派な仏様がいらっしゃって、人々はその教えを守り、豊かに、仲良く暮らしていました。
仏様がなくなると、国は、だんだんすたれていきました。人々は仏様の教えを忘れ、おたがいのことを信じられず、いさかいがたえません。
「おい、うちの畑から野菜を盗んだろう!」
「知らないね。おまえこそ、うちの鶏小屋から卵を盗んだろう!」
そんなとき、ひとりの若者があらわれて、ふたりの男に合掌し、ふかくこうべをたれて、こう、いいました。
「わたしは、あなたがたを軽んじません。尊敬します。なぜなら、やがて仏になられるからです」
ふたりは、拍子抜けしていさかいをやめました。
「なんだ、こいつ」
「へんなやつだな」
若者は、誰に会っても、「あなたを軽んじません」と、いうので、いつかフキョー(不軽)と呼ばれるようになりました。
フキョーは、毎日、町をいく人に声をかけました。
「わたしは、あなたを軽んじません。尊敬します。なぜなら、やがて仏になられるからです」
すると、ひとりのひげをはやした大男が、立ち止まって怒りました。
「おまえは、なんのつもりで、そういうことをいうんだ? 仏でもないのに、おれの未来を予言するのか?」
大男は、たずさえていた、つえをふりおろしました。
すると、フキョーは、身をかわして、つえのとどかないところから、同じことをいいました。
「なまいきな!」
大男が、足元に落ちていた石をひろって投げようとしたら、フキョーは、走り去り、遠くから大きな声でいいました。
「わたしは、あなたを軽んじません!」
フキョーが人々をうやまう礼拝行をするようになって、長い歳月がすぎました。
若者だったかれも、年をとって、髪が白くなっていました。もう、誰もフキョーのことを気にせず、町の風景のひとつになっていました。
ある日のこと。
「わたしは、あなたを軽んじません」と、フキョーがいいかけたとき、空から仏様の声が、きこえてきました。
「フキョーよ、あなたは仏になる。なぜなら、あなたは仏のすることをおこなってきたからだ」
フキョーは、見るからに威厳のある、立派な仏様になりました。かれをさげすんでいた人々は、びっくりしました。
「おい、フキョーが仏になったぞ」
「おれも礼拝行をするぞ」
フキョーのおかげで、ダイジョーは、人々が、おたがいを信じて、尊敬しあう豊かな国になりました。
◆ ◇ ◆
ぶん・村上政彦
え ・三浦哲
おうちの方へ
今回の「人々を敬い続けたフキョー」は、法華経常不軽菩薩品第20に説かれる「不軽菩薩」の話が基になっています。不軽菩薩は、釈尊が過去世において修行していた時の姿の一つです。
——威音王仏の像法時代の末に出現した不軽菩薩は、「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」(法華経557ページ)という、「二十四文字の法華経」を唱えながら、会う人ごとに礼拝を行じました。
慢心の人々からは悪口罵詈や杖木瓦石の迫害を受けましたが、不軽菩薩は、この礼拝行を貫き通したことが因となって、「六根清浄」の功徳を得ます。不軽菩薩を迫害してきた人々も、一度は不軽を軽んじた罪の報いを受けますが、やがて罪障消滅し、再び不軽菩薩に巡り合って救われたのです——。
日蓮大聖人は、「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と、釈尊がこの世に生まれてきた目的が、"不軽菩薩のように万人を尊敬する生き方"を説くことにあったと述べられています。
誰もが尊い存在であるとの思想を、私たちは子どもたちに伝え、相手を敬う心を育んでいきたいものです。
2017年3月8日水曜日
2017.03.08 わが友に贈る
後継の友を育てよう!
青年を大切にしよう!
わが地域の勝利は
人材の成長で決まる。
共々に躍進の日々を!
富木殿御返事 P962
『但生涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又遺恨無し諸の悪人は又善知識なり』
☆女性に贈ることば 三月八日
雨が降ろうが、風が吹こうが、寒さにふるえようが、または傷つき敗れても、家庭に帰って、母の温かい生命に触れさえすれば、心身の傷は癒える。
☆今日のことば365 三月八日
ほんとうの世界平和は、政治家同士が、結ぶ条約、経済人同士の提携によって、もたらされるのではない。生命と生命との間に結ばれた、信頼のきずなによってこそ、実現されるものだ。
☆3月度男子部「御書活動者会」研さんのために 御義口伝 2017年2月25日
◇勇気凜々と正義を語れ! 友の仏性を信じ抜く
3月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「御義口伝」の一節を研さん。全ての人に具わる仏性を信じ、「自他共の幸福」のために行動し続ける大切さを学ぶ。
◇御文
『不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり』(御書769ページ)
◇通解
不軽菩薩が四衆を礼拝すれば、増上慢の四衆の仏性もまた同時に不軽菩薩を礼拝するのである。これはちょうど鏡に向かって礼拝をする時、そこに映っている自分の影もまた、自分を礼拝するのと同じ原理である。
◇背景と大意
「御義口伝」は、日蓮大聖人が身延の地で法華経の要文を講義された内容を、日興上人が筆録し、大聖人の許可を得て完成したものと伝えられている。
それぞれの項目では、法華経の一節を挙げ、それに関する天台大師、妙楽大師等の釈を引用した上で、「御義口伝に云く……」と、末法の御本仏のお立場から法華経解釈を展開されている。
今回の研さん範囲は、「常不軽品三十箇の大事」の「第廿九 法界礼拝住処の事」の中の一節。不軽菩薩は法華経常不軽品第20に説かれる菩薩である。釈尊の過去世の姿で、威音王仏の像法時代の末に、万人を礼拝した。慢心の人々から迫害を受けたが、礼拝行を貫き通し、その修行が因となって成仏した。
こうした不軽菩薩の実践を通し、相手を仏のごとく尊敬していった時に、相手の仏性も必ず自分を礼拝すると教えられている。
◇解説
不軽菩薩は「(人を)軽んじない」との名のごとく、一切衆生に仏性があると信じ抜いた。
そして、会う人ごとに「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」(法華経557ページ)との「二十四文字の法華経」を唱えて礼拝した。
無理解の大衆は不軽菩薩を悪口罵詈し、杖で打ち、瓦や石を投げて迫害した。
それでもなお、礼拝行を続けた不軽菩薩は「六根清浄」の功徳を得る。一方、不軽菩薩を迫害した増上慢の人々も、最後には、みな不軽菩薩に信伏随従したのだ。
友に仏法を語り、仮に反発されたとしても、相手の幸せを信じて祈り抜き、対話を続けていくならば、必ず相手の仏性を呼び覚まし、共に幸福の軌道に入っていくことができる。それはあたかも、"鏡に向かっておじぎをした時、その鏡に映る自分も、こちらに向かっておじぎするようなもの"であることを、拝読御文は示している。
大聖人は別の御書で、法華経の修行の肝心は、不軽品(=常不軽菩薩品)にあるとされ、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と仰せである。
仏法者として大切なのは、他者の仏性をどこまでも信じ抜くことであり、それは万人に対する尊敬の振る舞いとして表れる。
これこそ、私たちが日々の学会活動の中で実践している「一人を大切にする」行動にほかならない。
友人や同志の幸福を祈り、その人にしかない使命を信じ抜き、直接、会って励ましを送る。たとえ相手が心を開いてくれなくても、誠実に語り抜く。その地道な取り組みの中で、信頼の輪も広がっていくのだ。
池田先生は、つづっている。
「他者の尊厳を知って大切にしてこそ、自身の尊厳も輝くのです」「たとえ『法華経を持たざる者』であっても、その外面的なことによって排斥しない。いかなる人であれ、『もしかしたら持つかもしれない。本来、仏性があるのだから』と見るのが、不軽菩薩のまなざしです」と。
現代において、この万人尊敬の実践を貫き、世界192カ国・地域に太陽の仏法を広めたのが、創価三代の師弟である。
広布後継の3月、私たち男子部は、友の仏性を信じ抜く仏法対話に勇気凜々と先駆していきたい。
青年を大切にしよう!
わが地域の勝利は
人材の成長で決まる。
共々に躍進の日々を!
富木殿御返事 P962
『但生涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又遺恨無し諸の悪人は又善知識なり』
☆女性に贈ることば 三月八日
雨が降ろうが、風が吹こうが、寒さにふるえようが、または傷つき敗れても、家庭に帰って、母の温かい生命に触れさえすれば、心身の傷は癒える。
☆今日のことば365 三月八日
ほんとうの世界平和は、政治家同士が、結ぶ条約、経済人同士の提携によって、もたらされるのではない。生命と生命との間に結ばれた、信頼のきずなによってこそ、実現されるものだ。
☆3月度男子部「御書活動者会」研さんのために 御義口伝 2017年2月25日
◇勇気凜々と正義を語れ! 友の仏性を信じ抜く
3月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「御義口伝」の一節を研さん。全ての人に具わる仏性を信じ、「自他共の幸福」のために行動し続ける大切さを学ぶ。
◇御文
『不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向って礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり』(御書769ページ)
◇通解
不軽菩薩が四衆を礼拝すれば、増上慢の四衆の仏性もまた同時に不軽菩薩を礼拝するのである。これはちょうど鏡に向かって礼拝をする時、そこに映っている自分の影もまた、自分を礼拝するのと同じ原理である。
◇背景と大意
「御義口伝」は、日蓮大聖人が身延の地で法華経の要文を講義された内容を、日興上人が筆録し、大聖人の許可を得て完成したものと伝えられている。
それぞれの項目では、法華経の一節を挙げ、それに関する天台大師、妙楽大師等の釈を引用した上で、「御義口伝に云く……」と、末法の御本仏のお立場から法華経解釈を展開されている。
今回の研さん範囲は、「常不軽品三十箇の大事」の「第廿九 法界礼拝住処の事」の中の一節。不軽菩薩は法華経常不軽品第20に説かれる菩薩である。釈尊の過去世の姿で、威音王仏の像法時代の末に、万人を礼拝した。慢心の人々から迫害を受けたが、礼拝行を貫き通し、その修行が因となって成仏した。
こうした不軽菩薩の実践を通し、相手を仏のごとく尊敬していった時に、相手の仏性も必ず自分を礼拝すると教えられている。
◇解説
不軽菩薩は「(人を)軽んじない」との名のごとく、一切衆生に仏性があると信じ抜いた。
そして、会う人ごとに「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」(法華経557ページ)との「二十四文字の法華経」を唱えて礼拝した。
無理解の大衆は不軽菩薩を悪口罵詈し、杖で打ち、瓦や石を投げて迫害した。
それでもなお、礼拝行を続けた不軽菩薩は「六根清浄」の功徳を得る。一方、不軽菩薩を迫害した増上慢の人々も、最後には、みな不軽菩薩に信伏随従したのだ。
友に仏法を語り、仮に反発されたとしても、相手の幸せを信じて祈り抜き、対話を続けていくならば、必ず相手の仏性を呼び覚まし、共に幸福の軌道に入っていくことができる。それはあたかも、"鏡に向かっておじぎをした時、その鏡に映る自分も、こちらに向かっておじぎするようなもの"であることを、拝読御文は示している。
大聖人は別の御書で、法華経の修行の肝心は、不軽品(=常不軽菩薩品)にあるとされ、「教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)と仰せである。
仏法者として大切なのは、他者の仏性をどこまでも信じ抜くことであり、それは万人に対する尊敬の振る舞いとして表れる。
これこそ、私たちが日々の学会活動の中で実践している「一人を大切にする」行動にほかならない。
友人や同志の幸福を祈り、その人にしかない使命を信じ抜き、直接、会って励ましを送る。たとえ相手が心を開いてくれなくても、誠実に語り抜く。その地道な取り組みの中で、信頼の輪も広がっていくのだ。
池田先生は、つづっている。
「他者の尊厳を知って大切にしてこそ、自身の尊厳も輝くのです」「たとえ『法華経を持たざる者』であっても、その外面的なことによって排斥しない。いかなる人であれ、『もしかしたら持つかもしれない。本来、仏性があるのだから』と見るのが、不軽菩薩のまなざしです」と。
現代において、この万人尊敬の実践を貫き、世界192カ国・地域に太陽の仏法を広めたのが、創価三代の師弟である。
広布後継の3月、私たち男子部は、友の仏性を信じ抜く仏法対話に勇気凜々と先駆していきたい。
2017年3月7日火曜日
2017.03.07 わが友に贈る
経験豊かな
副役職の友の活躍が
団結と前進の力だ!
リーダーと心一つに
磐石なる組織を築け!
日女御前御返事 P1244
『曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり』
☆女性に贈ることば 三月七日
強くあれ!
強くなれ!
希望は未来の勝利の旭日
幸福は自分自身の権利なり
☆今日のことば365 三月七日
諸君は今、はなばなしいことはできないかもしれない。コツコツ勉強しなさい。遊んでもいい。何をやってもいい。青年らしく少年らしく、自由奔放にやっていけばいい。
☆世界広布新時代第24回本部幹部会への池田先生のメッセージ 2017年3月6日
◇不撓不屈の前進と団結は希望輝く「未来までの物語」
一、初めに、明るい女子部の新出発、おめでとう!
ひな祭りの日に創価女子会館で、婦人部・女子部の代表の皆さんにお会いした。みんな元気で、何よりもうれしい。創価の仲良き母娘の幸福勝利を、妻と祈っています。
尊きSGIのリーダーの皆さん方を、師弟の凱歌が轟く、新・東北文化会館にお迎えすることができ、私は感無量です。本当にありがとう!
私の心も、今、海外の不二の愛弟子たちと共に、この希望の大殿堂にあります。そして、大勝利の笑顔が光る東北6県の誉れの全同志と一緒に晴れ晴れと、恩師・戸田城聖先生にご報告したいのであります。
「先生、ご覧ください。未曽有の大震災の苦難にも断じて屈しなかった『地涌の正義の旗頭』たちによって、先生が願われた通り、日本中、世界中が仰ぎ見る人材の城が、我らの東北に堂々と聳え立っております」と。
全世界の創価家族が祝福し、諸天も喝采する新生・東北総会、並びに本部幹部会、さらに全国壮年部幹部会、誠に誠におめでとう!
◇冬の嵐の中で「心の財」は積まれる
一、風雪をものともせず、男女青年部を先頭に全地区が成し遂げた見事な大折伏も、壮年部・婦人部を中心に東北家族の勇気で勝ち取った日本一の聖教新聞の大拡大も、御本仏・日蓮大聖人は、いかばかり喜ばれ、讃えてくださることでありましょうか。
今日は福光の春を勝ち取った東北家族の皆さんと、どうしても拝読しておきたい御聖訓があります。
すなわち——
「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には『若有聞法者無一不成仏(=もし法を聞くこと有らば一人として成仏せざること無けん)』ととかれて候」(御書1253ページ)
この御書を頂いたのは、佐渡流罪の大難の中で、所領を没収されても、正義の信仰を勇敢に貫き通したご一家です。大聖人の流罪赦免をひたぶるに祈っていた父は、師匠の凱旋を見届けることができないまま亡くなった。しかし、毅然たる母は、その志を受け継ぎ、病気の子らを抱きかかえつつ、いよいよ強盛に師弟不二の信心を燃え上がらせていったのです。
私には、そのまま、健気な東北家族への仰せと拝されてなりません。
荒れ狂う試練の吹雪にも、絶対に「心の財」は壊せない。いな、冬の嵐の真っ只中でこそ、「心の財」は無量無辺に積まれていくのです。
どれほど言い知れぬ悲しみにあろうと、それでも自行化他の題目を唱え抜く。どれほど打ちのめされる逆境にあろうと、それでも広宣流布の誓願に立ち上がる。この負けじ魂の信心で、東北の宝友たちは、わが生命に「元初の太陽」を赫々と昇らせました。そして、「冬は必ず春となる」という大歓喜の勝利の体験を示し切ってくれているのであります。
この6年にわたる東北創価の不撓不屈の前進と団結は、人類に希望を贈り続ける「未来までの物語」であります。一人一人が、いかなる闇も照らし晴らす「元初の太陽」なりと、お互いに讃え合おうではありませんか!
◇体験を語る分だけ人間革命の花が
一、ともあれ、信心の体験ほど、雄弁なものはありません。
66年前、私も、青年部結成の月に第一歩を刻んだ東北の座談会で、結核を克服した自らの信仰体験を、朗らかに確信を込めて語りました。確か8人の新来者の方が次々と入会を希望してくれ、東北青年部の大拡大の突破口になったと記憶しております。
大聖人が「もし法を聞くこと有らば一人として成仏せざること無けん」と教えてくださっているように、私たちが語った分だけ仏縁が結ばれます。それは必ず幸福の種となって自他共に心の大地に蒔かれ、いつの日か爛漫と人間革命の花を咲かせ、一生成仏の実を結んでいくでありましょう。
私たちが、一日また一日、「一人ももれなく幸福に!」と祈り、誠実に忍耐強く重ねゆく「広宣流布」と「立正安国」の対話こそ、地球社会に平和と人道と共生の春を呼ぶ先駆の連帯なのであります。
一、今朝、私は大好きな東北の歌「青葉の誓い」とともに、東北で生まれた懐かしい「新世紀の歌」を妻と口ずさみ、忘れ得ぬ功労の同志たちを偲びました。
この歌には、「地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(同1310ページ)との大聖人直結の折伏精神が、誇りも高く謳い上げられております。これが、永遠の学会精神です。
さあ我らは、若鷲のごとく、師子王のごとく、何ものも恐れず、颯爽と戦い進もう! そして日本の柱、民衆の柱、青年の柱、平和の柱として、異体同心のスクラムで一切を勝ち越えていこうではありませんか!
終わりに——
いざ昇れ
元初の太陽
燦々と
冬は必ず
春の福光を
と贈り、私のメッセージといたします。皆さん、どうか、お元気で!
副役職の友の活躍が
団結と前進の力だ!
リーダーと心一つに
磐石なる組織を築け!
日女御前御返事 P1244
『曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり』
☆女性に贈ることば 三月七日
強くあれ!
強くなれ!
希望は未来の勝利の旭日
幸福は自分自身の権利なり
☆今日のことば365 三月七日
諸君は今、はなばなしいことはできないかもしれない。コツコツ勉強しなさい。遊んでもいい。何をやってもいい。青年らしく少年らしく、自由奔放にやっていけばいい。
☆世界広布新時代第24回本部幹部会への池田先生のメッセージ 2017年3月6日
◇不撓不屈の前進と団結は希望輝く「未来までの物語」
一、初めに、明るい女子部の新出発、おめでとう!
ひな祭りの日に創価女子会館で、婦人部・女子部の代表の皆さんにお会いした。みんな元気で、何よりもうれしい。創価の仲良き母娘の幸福勝利を、妻と祈っています。
尊きSGIのリーダーの皆さん方を、師弟の凱歌が轟く、新・東北文化会館にお迎えすることができ、私は感無量です。本当にありがとう!
私の心も、今、海外の不二の愛弟子たちと共に、この希望の大殿堂にあります。そして、大勝利の笑顔が光る東北6県の誉れの全同志と一緒に晴れ晴れと、恩師・戸田城聖先生にご報告したいのであります。
「先生、ご覧ください。未曽有の大震災の苦難にも断じて屈しなかった『地涌の正義の旗頭』たちによって、先生が願われた通り、日本中、世界中が仰ぎ見る人材の城が、我らの東北に堂々と聳え立っております」と。
全世界の創価家族が祝福し、諸天も喝采する新生・東北総会、並びに本部幹部会、さらに全国壮年部幹部会、誠に誠におめでとう!
◇冬の嵐の中で「心の財」は積まれる
一、風雪をものともせず、男女青年部を先頭に全地区が成し遂げた見事な大折伏も、壮年部・婦人部を中心に東北家族の勇気で勝ち取った日本一の聖教新聞の大拡大も、御本仏・日蓮大聖人は、いかばかり喜ばれ、讃えてくださることでありましょうか。
今日は福光の春を勝ち取った東北家族の皆さんと、どうしても拝読しておきたい御聖訓があります。
すなわち——
「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には『若有聞法者無一不成仏(=もし法を聞くこと有らば一人として成仏せざること無けん)』ととかれて候」(御書1253ページ)
この御書を頂いたのは、佐渡流罪の大難の中で、所領を没収されても、正義の信仰を勇敢に貫き通したご一家です。大聖人の流罪赦免をひたぶるに祈っていた父は、師匠の凱旋を見届けることができないまま亡くなった。しかし、毅然たる母は、その志を受け継ぎ、病気の子らを抱きかかえつつ、いよいよ強盛に師弟不二の信心を燃え上がらせていったのです。
私には、そのまま、健気な東北家族への仰せと拝されてなりません。
荒れ狂う試練の吹雪にも、絶対に「心の財」は壊せない。いな、冬の嵐の真っ只中でこそ、「心の財」は無量無辺に積まれていくのです。
どれほど言い知れぬ悲しみにあろうと、それでも自行化他の題目を唱え抜く。どれほど打ちのめされる逆境にあろうと、それでも広宣流布の誓願に立ち上がる。この負けじ魂の信心で、東北の宝友たちは、わが生命に「元初の太陽」を赫々と昇らせました。そして、「冬は必ず春となる」という大歓喜の勝利の体験を示し切ってくれているのであります。
この6年にわたる東北創価の不撓不屈の前進と団結は、人類に希望を贈り続ける「未来までの物語」であります。一人一人が、いかなる闇も照らし晴らす「元初の太陽」なりと、お互いに讃え合おうではありませんか!
◇体験を語る分だけ人間革命の花が
一、ともあれ、信心の体験ほど、雄弁なものはありません。
66年前、私も、青年部結成の月に第一歩を刻んだ東北の座談会で、結核を克服した自らの信仰体験を、朗らかに確信を込めて語りました。確か8人の新来者の方が次々と入会を希望してくれ、東北青年部の大拡大の突破口になったと記憶しております。
大聖人が「もし法を聞くこと有らば一人として成仏せざること無けん」と教えてくださっているように、私たちが語った分だけ仏縁が結ばれます。それは必ず幸福の種となって自他共に心の大地に蒔かれ、いつの日か爛漫と人間革命の花を咲かせ、一生成仏の実を結んでいくでありましょう。
私たちが、一日また一日、「一人ももれなく幸福に!」と祈り、誠実に忍耐強く重ねゆく「広宣流布」と「立正安国」の対話こそ、地球社会に平和と人道と共生の春を呼ぶ先駆の連帯なのであります。
一、今朝、私は大好きな東北の歌「青葉の誓い」とともに、東北で生まれた懐かしい「新世紀の歌」を妻と口ずさみ、忘れ得ぬ功労の同志たちを偲びました。
この歌には、「地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし」(同1310ページ)との大聖人直結の折伏精神が、誇りも高く謳い上げられております。これが、永遠の学会精神です。
さあ我らは、若鷲のごとく、師子王のごとく、何ものも恐れず、颯爽と戦い進もう! そして日本の柱、民衆の柱、青年の柱、平和の柱として、異体同心のスクラムで一切を勝ち越えていこうではありませんか!
終わりに——
いざ昇れ
元初の太陽
燦々と
冬は必ず
春の福光を
と贈り、私のメッセージといたします。皆さん、どうか、お元気で!
2017年3月6日月曜日
2017.03.06 わが友に贈る
◇今週のことば
一番 苦労した人が
一番 幸せになる。
これが妙法の大功力だ。
「陰徳あれば陽報あり」
きょうも「心の財」を!
2017年3月6日
王日女殿御返事 P1263
『仏は真に尊くして物によらず、昔の得勝童子は沙の餅を仏に供養し奉りて阿育大王と生れて一閻浮提の主たりき、貧女の我がかしらをおろして油と成せしが須弥山を吹きぬきし風も此の火をけさず』
☆女性に贈ることば 三月六日
正義に生きる女性の魂ほど、尊く強く美しく、不滅のものはない。
☆今日のことば365 三月六日
獅子は猛獣に立ち向かっても、蟻の子一匹に向かっても、変わることなく猛然と三歩前進しては一歩退き、しかる後に決然と満身の力で獲物に襲いかかっていくという。それは絶対に過つことがない動作だ。
◇真心の声掛けで心の距離縮める
福井の友が大切にしていることがある。それは、メンバー一人一人と心を通わせること。「『一人』を徹底して大切にしていくことである」との師匠の指針を、どうすれば実現できるのかと、リーダーは日々心を砕きながら活動に突き進んでいる。
若狭勝利県若狭圏・東小浜常勝部の平田信一部長もその一人。地区部長、地区婦人部長との連携も密にし、メンバーに何かあると聞けば、すぐに激励に駆け付けてきた。
昨年の秋、地域の同志から「男子部の林和也さんに会ってほしい」との連絡を受けた平田さんは、林さんのもとへ。
話してみると、同年、母親を亡くしたことが心の傷になっていることを知る。平田さんは父子家庭で育った自身の体験を伝えながら、「信心で乗り越えてほしい」と励まし、信心の確信をつかむためにも教学部任用試験(仏法入門)の受験を、と勧めると林さんは受験を決意した。
週1回の勉強会で、平田さんは林さんと心を通わせることを大切にした。これまでの状況などに耳を傾けながら、信心の確信や信仰体験などを伝え続けた。やがて林さんは、学会活動から遠ざかっていた時の思いなども語るようになった。
勉強会にもより真剣に取り組む中で、林さんは試験に合格。こうした関わりがきっかけとなり、林さんは、さらに成長したいと、今年から牙城会大学校生となった。
昨年の任用試験には福井総県男子部の友が多く受験したが、その陰には、受験の推進はもとより、勉強会を通して、"信心の確信を伝えていこう""メンバーと心の距離を縮めていこう"とのリーダーの戦いがあった。
吉岡伸広圏男子部長は語る。
「この信心で幸せになってもらいたい。その思いだけなんです」
その一念が任用試験を通して形となり、今年も部1人の大学校生の輩出につながったのだ。
◇悩みを共有し共に祈り戦う
越前武生圏(越前大光県)の集いでは、リーダーが自身の苦い人生経験とともに、発心・入会動機を語る光景がよく見られる。それは、"どうすれば、メンバー同士が心を通わせられるようになるのか"との思いの中で出てきた一つの形。
「プライドとか見えを捨てて、自分の弱さまでもさらけ出す。そうすることで、皆、安心して話せるんですよ」と、高木清紀圏男子部長(県男子部長兼任)は笑顔で語る。
圏の集いは必ず大学校の指導会の直後に開催するため、大学校生は毎回参加。男子部の先輩たちの飾らない話や、悩みを真剣に聞こうとする姿勢——そうした真心に触れ、「実は自分も……」と悩みを打ち明ける大学校生もいる。また、部や本部を越えて、悩んでいるメンバーにアドバイスすることも珍しくない。
悩みを共有し、その克服のために共に祈り、共に戦う。そうした中で、メンバー同士の仲の良さ、団結が自然と生まれた。
圏の指導会と圏の集い、この1時間ほどの会合が大学校生をはじめ、一人一人にとって確かな成長の節となってきた。
中には、皆の前で、悩みを打ち明けられない友もいる。そうしたメンバーを見つけると、リーダーはすぐに話し掛け、個別に話を聴くように心掛けている。
◇壮婦の大声援が前進の原動力に
「常勝関西の北の砦」——福井にはその誇りがある。さらに、師弟の道を貫く生き方を、青年たちへ伝えていこうとする、壮年・婦人部の惜しみない声援がある。
青年部の活動を応援するのみならず、大学校生が研修として会館に着任していると聞けば駆け付け、「ありがとう」「応援しているからね」と、積極的に声を掛ける。大学校生からは、「会員の皆さんを会館に迎え入れる役割の私たちが、逆に励まされているようでした」と感謝の声も。
こうした何げない日々の関わりも、メンバーが一歩前進する原動力となっている。
昨年、創価班大学校を卒業したあるメンバーは、「先輩方が、どんな思いで広布のために戦っていたのかを知り、自分もその精神を受け継ごうと思ったのです」と、仕事も学会活動にも一歩も引かずに挑戦する。
一人を大切にする。一人に皆で関わる。その伝統が生きる福井総県では、人口減少が進む中にあって、ほぼ全ての地域で、部長が立ち、若いリーダーも続々と誕生している。
藤本和紀総県男子部長は力説する。
「メンバー同士の心を、そして何より先生とメンバーの心をつなげることを常に意識しています。壮年・婦人部の先輩方から教わった、人間としての絆が福井男子部の誇りです」
心通う創価家族の中でこそ、世界広布を担う人材は育っていく。
一番 苦労した人が
一番 幸せになる。
これが妙法の大功力だ。
「陰徳あれば陽報あり」
きょうも「心の財」を!
2017年3月6日
王日女殿御返事 P1263
『仏は真に尊くして物によらず、昔の得勝童子は沙の餅を仏に供養し奉りて阿育大王と生れて一閻浮提の主たりき、貧女の我がかしらをおろして油と成せしが須弥山を吹きぬきし風も此の火をけさず』
☆女性に贈ることば 三月六日
正義に生きる女性の魂ほど、尊く強く美しく、不滅のものはない。
☆今日のことば365 三月六日
獅子は猛獣に立ち向かっても、蟻の子一匹に向かっても、変わることなく猛然と三歩前進しては一歩退き、しかる後に決然と満身の力で獲物に襲いかかっていくという。それは絶対に過つことがない動作だ。
◇真心の声掛けで心の距離縮める
福井の友が大切にしていることがある。それは、メンバー一人一人と心を通わせること。「『一人』を徹底して大切にしていくことである」との師匠の指針を、どうすれば実現できるのかと、リーダーは日々心を砕きながら活動に突き進んでいる。
若狭勝利県若狭圏・東小浜常勝部の平田信一部長もその一人。地区部長、地区婦人部長との連携も密にし、メンバーに何かあると聞けば、すぐに激励に駆け付けてきた。
昨年の秋、地域の同志から「男子部の林和也さんに会ってほしい」との連絡を受けた平田さんは、林さんのもとへ。
話してみると、同年、母親を亡くしたことが心の傷になっていることを知る。平田さんは父子家庭で育った自身の体験を伝えながら、「信心で乗り越えてほしい」と励まし、信心の確信をつかむためにも教学部任用試験(仏法入門)の受験を、と勧めると林さんは受験を決意した。
週1回の勉強会で、平田さんは林さんと心を通わせることを大切にした。これまでの状況などに耳を傾けながら、信心の確信や信仰体験などを伝え続けた。やがて林さんは、学会活動から遠ざかっていた時の思いなども語るようになった。
勉強会にもより真剣に取り組む中で、林さんは試験に合格。こうした関わりがきっかけとなり、林さんは、さらに成長したいと、今年から牙城会大学校生となった。
昨年の任用試験には福井総県男子部の友が多く受験したが、その陰には、受験の推進はもとより、勉強会を通して、"信心の確信を伝えていこう""メンバーと心の距離を縮めていこう"とのリーダーの戦いがあった。
吉岡伸広圏男子部長は語る。
「この信心で幸せになってもらいたい。その思いだけなんです」
その一念が任用試験を通して形となり、今年も部1人の大学校生の輩出につながったのだ。
◇悩みを共有し共に祈り戦う
越前武生圏(越前大光県)の集いでは、リーダーが自身の苦い人生経験とともに、発心・入会動機を語る光景がよく見られる。それは、"どうすれば、メンバー同士が心を通わせられるようになるのか"との思いの中で出てきた一つの形。
「プライドとか見えを捨てて、自分の弱さまでもさらけ出す。そうすることで、皆、安心して話せるんですよ」と、高木清紀圏男子部長(県男子部長兼任)は笑顔で語る。
圏の集いは必ず大学校の指導会の直後に開催するため、大学校生は毎回参加。男子部の先輩たちの飾らない話や、悩みを真剣に聞こうとする姿勢——そうした真心に触れ、「実は自分も……」と悩みを打ち明ける大学校生もいる。また、部や本部を越えて、悩んでいるメンバーにアドバイスすることも珍しくない。
悩みを共有し、その克服のために共に祈り、共に戦う。そうした中で、メンバー同士の仲の良さ、団結が自然と生まれた。
圏の指導会と圏の集い、この1時間ほどの会合が大学校生をはじめ、一人一人にとって確かな成長の節となってきた。
中には、皆の前で、悩みを打ち明けられない友もいる。そうしたメンバーを見つけると、リーダーはすぐに話し掛け、個別に話を聴くように心掛けている。
◇壮婦の大声援が前進の原動力に
「常勝関西の北の砦」——福井にはその誇りがある。さらに、師弟の道を貫く生き方を、青年たちへ伝えていこうとする、壮年・婦人部の惜しみない声援がある。
青年部の活動を応援するのみならず、大学校生が研修として会館に着任していると聞けば駆け付け、「ありがとう」「応援しているからね」と、積極的に声を掛ける。大学校生からは、「会員の皆さんを会館に迎え入れる役割の私たちが、逆に励まされているようでした」と感謝の声も。
こうした何げない日々の関わりも、メンバーが一歩前進する原動力となっている。
昨年、創価班大学校を卒業したあるメンバーは、「先輩方が、どんな思いで広布のために戦っていたのかを知り、自分もその精神を受け継ごうと思ったのです」と、仕事も学会活動にも一歩も引かずに挑戦する。
一人を大切にする。一人に皆で関わる。その伝統が生きる福井総県では、人口減少が進む中にあって、ほぼ全ての地域で、部長が立ち、若いリーダーも続々と誕生している。
藤本和紀総県男子部長は力説する。
「メンバー同士の心を、そして何より先生とメンバーの心をつなげることを常に意識しています。壮年・婦人部の先輩方から教わった、人間としての絆が福井男子部の誇りです」
心通う創価家族の中でこそ、世界広布を担う人材は育っていく。
2017.03.05 わが友に贈る
変化の激しい時代。
さまざまな兆候を捉え
時を逃さず対処する。
これが発展の急所だ。
深き祈りで名指揮を!
四条金吾御書 P1176
『とがありともせうせうの失をばしらぬやうにてあるべし、又女るひはいかなる失ありとも一向に御けうくんまでもあるべからず』
☆女性に贈ることば 三月五日
命にはかぎりがある。だからこそ、何に命を使うかが重要です。
人間を育てることは、最高に尊いことではないだろうか。
☆今日のことば365 三月五日
友よ 強く雄々しく立てよ
僕が信ずる 君が心を
苦しい仕事 深夜の勉強
これも修行だ 苦は楽し
君が信念 情熱を
仏は じっとみているぞ
友よ 負けるな希望を高く
僕が信ずる 君が心を
努力 努力 また努力
あの日の誓い忘れるな
君の意気と若さとで
断じて進め あくまでも
友よ 忘るな微笑を
僕が信ずる 君が心を
清らかに 夢みつつ
進みゆく君が心の美しさ
ああ わが友よ強く
君が友よ
☆青年部のページ 励ましの対話が未来を開く 山口圏女子部 2017年2月21日
◇"婦女一体"で活動者が増加
昨年の7月以降、山口圏では女子部員の会合参加者が3倍以上になった。「折伏チャレンジャー」も増え、新任のリーダーも育っている。その理由を聞くと、皆が「"すずらん"が……」と口にする。何が起きているのか? 山口圏女子部の取り組みを追った。
◇「気付き」のある週1回の交流
「実は、母が病で……」
ある女子部員が漏らした言葉に、婦人部員が寄り添う。
「大丈夫。皆で祈ろうね。諦めないで」
その隣では別の女子部員と婦人部員が喜びに包まれていた。
「友人に聖教拡大できたんです!」
「すごーい! おめでとう」(拍手)
昨年7月から毎週1度、圏で行われている婦人・女子部の「すずらん唱題会」での一こま。皆で祈った後に、グループに分かれて「信心の原点」や「折伏で大切なこと」など、毎回異なるテーマでディスカッションをしている。
そこでは、女子部員から家庭や仕事での悩み、勇気の対話拡大の報告といった発言が。
その一つ一つに婦人部員が耳を傾け、苦しみや喜びを分かち合い、自らの体験を伝えながら確信の声で励ます。
「やっぱり信心ってすごい!」「悩みを乗り越えてみせる!」「私の人生はこれからだ!」——そんな"気付き"がここにはある。
今は、30人ほどの女子部員と本部や支部の婦人部リーダーたちで、にぎわうが、半年ほど前までは皆、想像もしなかったという。
◇勇気の一歩から歓喜が広がる
昨年10月は、若き日の池田先生が指揮を執った「山口開拓指導」から60周年の佳節だった。
対話拡大で荘厳しようと、圏女子部長の神田莉佳さんは年頭から心に深く決めていた。
しかし、婦女一体の取り組みで月1度の「すずらん唱題会」を始めても、女子部の参加者は10人程度。婦人部の方が多かった。
「婦人部の皆さんに申し訳なくて、悩んだこともありました。でも、"婦女一体の拡大で、先生に勝利の報告をする"という誓いは、絶対に捨てませんでした」
7月のある日、圏婦人部長の沖本万須美さんから提案があった。
「折伏といっても、まずは祈りから。毎週、皆で集まりましょう」
その後、女子部の「折伏チャレンジャー」一人一人に、婦人部の担当者を付けることにもなった。
神田さんは"拡大のチャンス到来"と思ったが正直、不安もあった。
人生経験が豊富な婦人部のアドバイスをプレッシャーに感じる女子部員もいるからだ。
「でも、女子部の皆には、婦人部の先輩方から、山口広布の歴史や先生の励ましの戦いを吸収して、女子部の使命を自覚してほしいと思ったんです」
神田さん自身、以前は婦人部と心の距離を感じることもあった。だが、折伏に行き詰まった時に、体当たりで応援してくれる姿に感動し、拡大への思いを強くした。
"婦人部の先輩と一緒なら壁を破れる"
その後、女子部メンバーには「悩みがあったら婦人部に相談してみよう!」と力強く声を掛けるようになった。
◇拡大の要因は報恩感謝の思い
「山口開拓指導」60周年の10月に向け、皆の絆は強くなっていった。
華陽リーダーの楢松淑子さんは対話を続けてきた先輩がいた。だが、平行線をたどるばかり。なぜか——。ある日、ディスカッションでの婦人部の言葉が心に刺さった。
「心を決めんと! 今しかないよ」
相手の幸福を真剣に祈る中、先輩は10月に入会。楢松さんは土木関係の家業を継ごうと、仕事にも精を出すようになった。同月には女子部部長の加藤万里子さんや松永律子さんも相次いで御本尊流布を成就。
「何年かかっても諦めない」「動かんと何も変わらんよ」——婦人部の真剣さに、女子部メンバーも本気で動き始めた。
女子部本部長(部長兼任)の坂本和子さんは、婦人部員に誘われて折伏の対話の場に飛び入り参加。喜びの中、入会した友の姿にさらに勇気が湧き、自らの友人2人に仏法対話をし、学会理解を広げた。
"婦人部の皆さんは本気で友人のことも私たちのことも思ってくれている"——メンバーに感謝の思いがあふれる中、気兼ねなく何でも相談できるようになり、いっそう「すずらん唱題会」が楽しくなった。
対話の勢いは増し、圏の女子部で"部1"に迫る弘教を達成した。
より多くの女子部員が「すずらん唱題会」に参加するリズムも生まれた。
女子部副本部長の今田妙子さんは、案内用紙や入場整理券を作り、メンバーに会合の魅力を話していった。参加するようになった池田由香里さんは昨年、今田さんの後任の部長に。先日は、対話した友人が入会を決意した。
以前は女子部への関わり方を模索していた婦人部員も、毎週の婦女の集まりを活動の軸にすることで、女子部員を訪ねては対話を重ね、新たなメンバーが会合に参加するようになった。
「婦人部の皆さんが大好きです! 力を合わせて青年拡大の新しい歴史を築いていきます」——にっこりと神田さんは語る。
婦女一体の「サン?フラワー キャンペーン」で山口から歓喜と勇気のドラマが繰り広げられていく。
さまざまな兆候を捉え
時を逃さず対処する。
これが発展の急所だ。
深き祈りで名指揮を!
四条金吾御書 P1176
『とがありともせうせうの失をばしらぬやうにてあるべし、又女るひはいかなる失ありとも一向に御けうくんまでもあるべからず』
☆女性に贈ることば 三月五日
命にはかぎりがある。だからこそ、何に命を使うかが重要です。
人間を育てることは、最高に尊いことではないだろうか。
☆今日のことば365 三月五日
友よ 強く雄々しく立てよ
僕が信ずる 君が心を
苦しい仕事 深夜の勉強
これも修行だ 苦は楽し
君が信念 情熱を
仏は じっとみているぞ
友よ 負けるな希望を高く
僕が信ずる 君が心を
努力 努力 また努力
あの日の誓い忘れるな
君の意気と若さとで
断じて進め あくまでも
友よ 忘るな微笑を
僕が信ずる 君が心を
清らかに 夢みつつ
進みゆく君が心の美しさ
ああ わが友よ強く
君が友よ
☆青年部のページ 励ましの対話が未来を開く 山口圏女子部 2017年2月21日
◇"婦女一体"で活動者が増加
昨年の7月以降、山口圏では女子部員の会合参加者が3倍以上になった。「折伏チャレンジャー」も増え、新任のリーダーも育っている。その理由を聞くと、皆が「"すずらん"が……」と口にする。何が起きているのか? 山口圏女子部の取り組みを追った。
◇「気付き」のある週1回の交流
「実は、母が病で……」
ある女子部員が漏らした言葉に、婦人部員が寄り添う。
「大丈夫。皆で祈ろうね。諦めないで」
その隣では別の女子部員と婦人部員が喜びに包まれていた。
「友人に聖教拡大できたんです!」
「すごーい! おめでとう」(拍手)
昨年7月から毎週1度、圏で行われている婦人・女子部の「すずらん唱題会」での一こま。皆で祈った後に、グループに分かれて「信心の原点」や「折伏で大切なこと」など、毎回異なるテーマでディスカッションをしている。
そこでは、女子部員から家庭や仕事での悩み、勇気の対話拡大の報告といった発言が。
その一つ一つに婦人部員が耳を傾け、苦しみや喜びを分かち合い、自らの体験を伝えながら確信の声で励ます。
「やっぱり信心ってすごい!」「悩みを乗り越えてみせる!」「私の人生はこれからだ!」——そんな"気付き"がここにはある。
今は、30人ほどの女子部員と本部や支部の婦人部リーダーたちで、にぎわうが、半年ほど前までは皆、想像もしなかったという。
◇勇気の一歩から歓喜が広がる
昨年10月は、若き日の池田先生が指揮を執った「山口開拓指導」から60周年の佳節だった。
対話拡大で荘厳しようと、圏女子部長の神田莉佳さんは年頭から心に深く決めていた。
しかし、婦女一体の取り組みで月1度の「すずらん唱題会」を始めても、女子部の参加者は10人程度。婦人部の方が多かった。
「婦人部の皆さんに申し訳なくて、悩んだこともありました。でも、"婦女一体の拡大で、先生に勝利の報告をする"という誓いは、絶対に捨てませんでした」
7月のある日、圏婦人部長の沖本万須美さんから提案があった。
「折伏といっても、まずは祈りから。毎週、皆で集まりましょう」
その後、女子部の「折伏チャレンジャー」一人一人に、婦人部の担当者を付けることにもなった。
神田さんは"拡大のチャンス到来"と思ったが正直、不安もあった。
人生経験が豊富な婦人部のアドバイスをプレッシャーに感じる女子部員もいるからだ。
「でも、女子部の皆には、婦人部の先輩方から、山口広布の歴史や先生の励ましの戦いを吸収して、女子部の使命を自覚してほしいと思ったんです」
神田さん自身、以前は婦人部と心の距離を感じることもあった。だが、折伏に行き詰まった時に、体当たりで応援してくれる姿に感動し、拡大への思いを強くした。
"婦人部の先輩と一緒なら壁を破れる"
その後、女子部メンバーには「悩みがあったら婦人部に相談してみよう!」と力強く声を掛けるようになった。
◇拡大の要因は報恩感謝の思い
「山口開拓指導」60周年の10月に向け、皆の絆は強くなっていった。
華陽リーダーの楢松淑子さんは対話を続けてきた先輩がいた。だが、平行線をたどるばかり。なぜか——。ある日、ディスカッションでの婦人部の言葉が心に刺さった。
「心を決めんと! 今しかないよ」
相手の幸福を真剣に祈る中、先輩は10月に入会。楢松さんは土木関係の家業を継ごうと、仕事にも精を出すようになった。同月には女子部部長の加藤万里子さんや松永律子さんも相次いで御本尊流布を成就。
「何年かかっても諦めない」「動かんと何も変わらんよ」——婦人部の真剣さに、女子部メンバーも本気で動き始めた。
女子部本部長(部長兼任)の坂本和子さんは、婦人部員に誘われて折伏の対話の場に飛び入り参加。喜びの中、入会した友の姿にさらに勇気が湧き、自らの友人2人に仏法対話をし、学会理解を広げた。
"婦人部の皆さんは本気で友人のことも私たちのことも思ってくれている"——メンバーに感謝の思いがあふれる中、気兼ねなく何でも相談できるようになり、いっそう「すずらん唱題会」が楽しくなった。
対話の勢いは増し、圏の女子部で"部1"に迫る弘教を達成した。
より多くの女子部員が「すずらん唱題会」に参加するリズムも生まれた。
女子部副本部長の今田妙子さんは、案内用紙や入場整理券を作り、メンバーに会合の魅力を話していった。参加するようになった池田由香里さんは昨年、今田さんの後任の部長に。先日は、対話した友人が入会を決意した。
以前は女子部への関わり方を模索していた婦人部員も、毎週の婦女の集まりを活動の軸にすることで、女子部員を訪ねては対話を重ね、新たなメンバーが会合に参加するようになった。
「婦人部の皆さんが大好きです! 力を合わせて青年拡大の新しい歴史を築いていきます」——にっこりと神田さんは語る。
婦女一体の「サン?フラワー キャンペーン」で山口から歓喜と勇気のドラマが繰り広げられていく。
2017年3月4日土曜日
2017.03.04 わが友に贈る
かけがえのない人生。
同じ生きるなら
何かで歴史を残すのだ。
「あの人を見よ」と
皆に仰がれる生き方を!
聖愚問答抄上 P499
『大智舎利弗も法華経には信を以て入る其の智分の力にはあらず況や自余の声聞をや』
☆女性に贈ることば 三月四日
大切なことは、相手に同情する−−あわれむ−−ということではなくて、わかってあげることです。理解することです。人問は、自分のことをわかってくれる人がいる、それだけで生きる力がわいてくるものです。
☆今日のことば365 三月四日
最後の勝利者が
真の勝利者というならば
君の今日の労苦は
栄光の第一歩と思うことだ
☆青年部のページ 池田先生の指針 2017年2月21日
世界平和のための、わが人生である。戸田先生に捧げきった、この生命である。
20代の時も、30代も、40代も、その後も、どんな機会も逃さず、私は人と会ってきた。
世界中、どの地でも、時間の許す限り、「会う」ことで学会の味方を増やした。「会う」ことで学会を強くしてきた。
「もう、会う人がいない」というくらい、会って会って会いまくる。ここに学会の強さがあるのだ。
御本尊を持ち、平和と幸福の大法を弘めゆく我らには、何も恐れるものはない。
「会う」ことが「世界を変える」ことにつながる。「民衆を守る」道を開く。
(2009年9月30日付本紙・全国代表幹部会でのスピーチから)
◇◆◇
戸田先生は力を込めて言われた。
「広宣流布に戦う以外に信心はない。こう覚悟することだ」
何の信仰も哲学も持たない生き方は、気楽なようだが、永遠性の幸福はつかめない。
皆さん方は、仏になる修行をしている。仏界という無上の境涯を開いているのだ。
永遠に、最大の功徳に包まれる。永遠に、生死不二の、最高の生命の状態が貫かれていく。そのための信心なのである。
さらに先生は、「一万人と対話するぐらいの気迫を持て!」とも叫ばれた。
対話で心をつかむには、まず祈りだ。確信だ。生命力である。
烈々たる気迫の声で、新たな時代を切り開くのだ。
◇
戸田先生は、こうも言われていた。
「信頼や友好を結ぶのは、簡単なことではない。しかし、人間として、誠実に、人の三倍の努力をすれば、必ず心は通じる。その地道な戦いこそが、最も堅実な勝利の道なのである」
友情こそ、人生の宝である。自分から心を開いていくのだ。
気取らず、飾らず、どこまでも誠実に、信頼の心を通わせていくことである。
◇
どうせ戦うならば、日本中がびっくりするような、正義と勇気の大対話運動を巻き起こし、民衆が輝く新時代を開くのだ。
やってみよう! 対立から調和へ、平和の連帯を大きく広げるのだ。世界を、あっと言わせよう!
時は来た。大勢の同志もいる。ここで躊躇し、臆しては、後世の人々に笑われる。
戸田先生は教えてくださった。
「今は乱世である。非情な戦いが、乱世の原理というものだ。
ゆえに、我が身を惜しまず、厳しい使命の実現に骨身を削る以外にない。そこに、勝利が開かれる」
乱世をもチャンスに変えて、強気、強気で進むのだ。
(2010年1月31日付本紙・「SGIの日」記念協議会でのスピーチから)
同じ生きるなら
何かで歴史を残すのだ。
「あの人を見よ」と
皆に仰がれる生き方を!
聖愚問答抄上 P499
『大智舎利弗も法華経には信を以て入る其の智分の力にはあらず況や自余の声聞をや』
☆女性に贈ることば 三月四日
大切なことは、相手に同情する−−あわれむ−−ということではなくて、わかってあげることです。理解することです。人問は、自分のことをわかってくれる人がいる、それだけで生きる力がわいてくるものです。
☆今日のことば365 三月四日
最後の勝利者が
真の勝利者というならば
君の今日の労苦は
栄光の第一歩と思うことだ
☆青年部のページ 池田先生の指針 2017年2月21日
世界平和のための、わが人生である。戸田先生に捧げきった、この生命である。
20代の時も、30代も、40代も、その後も、どんな機会も逃さず、私は人と会ってきた。
世界中、どの地でも、時間の許す限り、「会う」ことで学会の味方を増やした。「会う」ことで学会を強くしてきた。
「もう、会う人がいない」というくらい、会って会って会いまくる。ここに学会の強さがあるのだ。
御本尊を持ち、平和と幸福の大法を弘めゆく我らには、何も恐れるものはない。
「会う」ことが「世界を変える」ことにつながる。「民衆を守る」道を開く。
(2009年9月30日付本紙・全国代表幹部会でのスピーチから)
◇◆◇
戸田先生は力を込めて言われた。
「広宣流布に戦う以外に信心はない。こう覚悟することだ」
何の信仰も哲学も持たない生き方は、気楽なようだが、永遠性の幸福はつかめない。
皆さん方は、仏になる修行をしている。仏界という無上の境涯を開いているのだ。
永遠に、最大の功徳に包まれる。永遠に、生死不二の、最高の生命の状態が貫かれていく。そのための信心なのである。
さらに先生は、「一万人と対話するぐらいの気迫を持て!」とも叫ばれた。
対話で心をつかむには、まず祈りだ。確信だ。生命力である。
烈々たる気迫の声で、新たな時代を切り開くのだ。
◇
戸田先生は、こうも言われていた。
「信頼や友好を結ぶのは、簡単なことではない。しかし、人間として、誠実に、人の三倍の努力をすれば、必ず心は通じる。その地道な戦いこそが、最も堅実な勝利の道なのである」
友情こそ、人生の宝である。自分から心を開いていくのだ。
気取らず、飾らず、どこまでも誠実に、信頼の心を通わせていくことである。
◇
どうせ戦うならば、日本中がびっくりするような、正義と勇気の大対話運動を巻き起こし、民衆が輝く新時代を開くのだ。
やってみよう! 対立から調和へ、平和の連帯を大きく広げるのだ。世界を、あっと言わせよう!
時は来た。大勢の同志もいる。ここで躊躇し、臆しては、後世の人々に笑われる。
戸田先生は教えてくださった。
「今は乱世である。非情な戦いが、乱世の原理というものだ。
ゆえに、我が身を惜しまず、厳しい使命の実現に骨身を削る以外にない。そこに、勝利が開かれる」
乱世をもチャンスに変えて、強気、強気で進むのだ。
(2010年1月31日付本紙・「SGIの日」記念協議会でのスピーチから)
2017年3月3日金曜日
2017.03.03 わが友に贈る
尊き婦人部・女子部の
皆様に感謝と賛嘆を!
聡明な女性の声が
友の内なる力を引き出し
平和の世紀をつくる。
三三蔵祈雨事富木殿御書 P969
『夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬればたうれず、本より生いて候木なれども根の弱きはたうれぬ、甲斐無き者なれどもたすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちにはたうれぬ』
☆女性に贈ることば 三月三日
躾や教育に、こうでなければならないという決めつけは禁物である。
「桜梅桃李」−−桜は桜、梅は梅の言葉通りに、それぞれの子どもの長所を伸ばし、特性に合った生き方を選ばせてあげられるような環境を、できるかぎり用意してあげたいものである。
☆今日のことば365 三月三日
美しい女性の本質は、個性よりにじみ出た品格にある。また、言葉をかえると、清楚な化粧と、心豊かな価値創造に富む教養をそなえた女性に最大の美を感ずる。
☆随筆 永遠なれ創価の大城 第16回 青年の息吹で春へ
◇咲かせよう! 対話と友情の花
負けない力は北風に踏み出す勇気から
二月は、日蓮大聖人の御聖誕の月であり、わが師・戸田城聖先生の誕生の月である。
東京・大田の蒲田支部での二月闘争をはじめ、師弟で綴った広宣流布の拡大の歴史は「今生人界の思出」と輝いている。
一九五六年(昭和三十一年)の二月は、関西の目を見張る大前進で、恩師の誕生日を飾った。
この折、私は、先生へ「関西に 今築きゆく 錦州城 永遠に崩すな 魔軍抑えて」と誓いの一首を献じた。
先生からは一気呵成に「我が弟子が 折伏行で 築きたる 錦州城を 仰ぐうれしさ」との万感の返歌を賜った。忘れ得ぬ師弟の劇である。
なお、私が捧げた和歌には、後年、"常勝関西の大城は永久不滅なり"との意義を込めて、「永遠に崩れぬ」と手を入れ、あらためて同志に贈った。
今再び、関西をはじめ全国、全世界で、新たな青年錦州城が築かれゆくことを、大聖人が、そして恩師も、さぞかし喜んでおられるに違いない。
◇
厳寒の佐渡で認められた「開目抄」の一節に、「一華を見て春を推せよ」(御書二二二ページ)と仰せである。
寒風に咲き誇る花は、ただ一輪でも「春遠からじ」と告げてくれる。
わが愛する創価家族が対話の花、友情の花、信頼の花を、一輪また一輪と咲かせるため、どれほどの祈りと苦労を尽くされていることか。その積み重ねによって、功徳満開の春は開かれるのだ。尊き健闘に、私は妻と題目を送っている。
◇「凱歌の人生」を
今月の座談会で全同志が生命に刻んだ御書に、こう仰せである。
「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(同一二五三ページ)
誰人たりとも、「生老病死」の苦悩を避けることはできない。誰もが厳しい冬を耐え、戦わねばならぬ運命にあるともいえよう。だが、冬があればこそ、本当の春を知ることができる。御本尊を持った人は、人生の闘争の誉れの勇者なのだ。
たとえ今、試練の冬にあろうとも、心は閉じこもりはしない。一歩、北風に踏み出す勇気に、戦う力、負けない力が湧き上がる。その心には、もう勝利の春が始まっているのだ。「冬の中に春を生む」梅花のように。
梅の花で、懐かしく思い出すのは、一九八二年(昭和五十七年)二月の茨城訪問である。
同志を苦しめた悪逆な迫害を断固とはね返す、いわゆる反転攻勢の一つの総仕上げでもあった。
前年の秋から、四国、関西、中部、九州の大分・熊本・福岡、神奈川、年明けには東北の秋田と走り、念願叶って茨城へ向かったのである。
この時、戸田先生の生誕八十二周年(二月十一日)に寄せ、茨城の友は八十二個の鉢植えの梅を飾ってくださった。
法難の嵐を勝ち越えた同志と歌った、茨城の歌「凱歌の人生」の響きは耳朶から離れない。
私は長年、多くの人生を見てきた結論として申し上げた。
「信心、また人間としての勝利は、愚直のごとき求道の人、また、着実にして地道なる信心、生活を築き上げた人が、凱歌をあげている」と。
以来三十五星霜——。当時、共に記念撮影した男女青年部により結成された「茨城二〇〇〇年会」(現・茨城新世紀大城会)の友からも、故郷や全国各地で広布に乱舞する様子を伺っている。
この間、東日本大震災や豪雨災害など打ち続いた苦難にも、わが茨城の同志は懸命に耐え抜き、不退の負けじ魂で乗り越えてこられた。
心の絆を結んだ宝友たちが、後継の眷属と共に「凱歌の人生」を歩む晴れ姿こそ、創価の正義の勝利劇なりと、私は誇り高く宣揚したいのだ。
◇心は若くあれ!
「新時代の二月闘争」に勇んで先駆する、わが男女青年部も、何と凜々しく頼もしいことか。
男子部では、先月から今月にかけて、創価班大学校、牙城会新世紀大学校の気鋭の友らが、全国各地で意気軒昂に入卒式を行っている。
「ロマン総会」を大成功に終えた女子部においても、白蓮グループの入卒式がたけなわだ。
結成六十周年に胸を張る男女学生部の俊英も、才媛も、はつらつと使命の言論戦に挑んでいる。
君たちの努力と開拓こそが、広布の勝利だ。
貴女方の成長と幸福こそが、創価の希望だ。
文豪ゲーテは言った。
「偉大なことをなしとげるには、若くなくてはいけない」と。
若さは、いかなる苦難も悩みも失敗も、前進の力に変えていける。
若さには、人生の至宝の勇気と情熱がある。誠実と真剣さがある。
ゆえに、勇敢なる信心で偉大な誓願に立つ人は皆、青年といってよい。
「春に遇って栄え華さく」(御書四九四ページ)である。忍耐強く春を待ち力を蓄え、その開花の時に、自分らしい「挑戦の花」を咲かせることだ。
我らには「生老病死」の四苦を、「常楽我浄」の四徳へ転ずる生命の哲理がある。年代を超えて支え合い、励まし合う「異体同心」のスクラムがある。
◇我らは実践第一
思えば、先師・牧口常三郎先生は、晩年まで「われわれ青年は!」と叫び、「暦の年じゃない。つねに伸びていくのだ」と言われていた。
牧口先生が、青年の青年たる所以とされていたのは「実践」であり、なかんずく「大善」を行うことであった。
すなわち、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を持ち、日蓮大聖人の立正安国の教えを実践し、弘めゆく「大善」である。広宣流布という菩薩の行に生き抜く中に、自他共の幸福が、そして社会の平和と繁栄があると、先師は訴えられたのだ。
牧口先生が創立以来の伝統の座談会を、「大善生活法実証座談会」と銘打たれたのは、七十五年前の一九四二年(昭和十七年)の二月であった。
当時の創価教育学会の機関紙「価値創造」には、東京の大塚支部、池袋支部、中野支部、北多摩支部など各地で、活発に実証座談会が行われていたことがうかがえる。
牧口先生自ら蒲田支部等の座談会に足を運び、同志の悩みに耳を傾けながら励ましを送られたという記録も残っている。
この年の二月十一日、つまり戸田先生の誕生日に、牧口先生は青年部の会合に出席し、明治維新の立役者が二十代の若者だったことを通して激励された。"広宣流布は、青年のリーダーシップによらねばならない"と。それは、戸田先生が常に語られた言葉でもある。
聖教新聞掲載の「東京凱歌の青年城」をはじめ、日本中、世界中で躍動する若人の英姿を、牧口、戸田両先生と同じ気持ちで、私も見守っている。
◇師弟勝利の物語
お陰様で、小説『新・人間革命』の連載が六千回を重ねた。小説『人間革命』の執筆開始から数えると、足かけ五十四年、連載回数の合計は七千五百回を超える。
同志の皆様方の題目と応援に励まされ、"師弟の凱歌の物語"を元気に綴りゆくことができる。誠にありがたい限りだ。
「私は書くのを止めることは出来ません。私が汽車で旅をしようが、何をしていようが、私の脳は間断なく働くのです」——こう言ったのは、スウェーデンの作家ストリンドベリである。
私も、さらに書き続けていく決心である。ただ未来のため、未来を生きる青年たちのために!
信仰とは何か、正義とは何か、そして師弟とは何か——。その真髄を、日本はもちろん全世界の後継の友と、小説の執筆を通して対話できる日々は、何と幸せか。
世界に発信する翻訳に取り組んでくださる方々にも、感謝は尽きない。
◇いよいよ励めや
先日、九州の同志が、先駆の心意気で総本部へ熊本産の早咲きの「てんすい桜」を届けてくれた。熊本・大分の地震から一年となる四月には、全国男子部幹部会と九州女子部総会が熊本で行われる予定である。
春を告げる真心の桜に合掌しつつ、全同志の健康と無事安穏を、そして不撓不屈の大行進を、私は真剣に祈った。
ともあれ、私の心は、いつも青年と共にある。君たち、貴女たちが、勝利また勝利へ創価桜を咲かせゆく未来を信じ、ただただ道を開いていく。弥生三月も、日に日に近づく。さあ生き生きと進もう。伸びゆく青年の心で、青年と共に!
寒風も
はじきて芳し
師弟花
いよいよ励めや
冬を勝ち越え
皆様に感謝と賛嘆を!
聡明な女性の声が
友の内なる力を引き出し
平和の世紀をつくる。
三三蔵祈雨事富木殿御書 P969
『夫れ木をうえ候には大風吹き候へどもつよきすけをかひぬればたうれず、本より生いて候木なれども根の弱きはたうれぬ、甲斐無き者なれどもたすくる者強ければたうれず、すこし健の者も独なれば悪しきみちにはたうれぬ』
☆女性に贈ることば 三月三日
躾や教育に、こうでなければならないという決めつけは禁物である。
「桜梅桃李」−−桜は桜、梅は梅の言葉通りに、それぞれの子どもの長所を伸ばし、特性に合った生き方を選ばせてあげられるような環境を、できるかぎり用意してあげたいものである。
☆今日のことば365 三月三日
美しい女性の本質は、個性よりにじみ出た品格にある。また、言葉をかえると、清楚な化粧と、心豊かな価値創造に富む教養をそなえた女性に最大の美を感ずる。
☆随筆 永遠なれ創価の大城 第16回 青年の息吹で春へ
◇咲かせよう! 対話と友情の花
負けない力は北風に踏み出す勇気から
二月は、日蓮大聖人の御聖誕の月であり、わが師・戸田城聖先生の誕生の月である。
東京・大田の蒲田支部での二月闘争をはじめ、師弟で綴った広宣流布の拡大の歴史は「今生人界の思出」と輝いている。
一九五六年(昭和三十一年)の二月は、関西の目を見張る大前進で、恩師の誕生日を飾った。
この折、私は、先生へ「関西に 今築きゆく 錦州城 永遠に崩すな 魔軍抑えて」と誓いの一首を献じた。
先生からは一気呵成に「我が弟子が 折伏行で 築きたる 錦州城を 仰ぐうれしさ」との万感の返歌を賜った。忘れ得ぬ師弟の劇である。
なお、私が捧げた和歌には、後年、"常勝関西の大城は永久不滅なり"との意義を込めて、「永遠に崩れぬ」と手を入れ、あらためて同志に贈った。
今再び、関西をはじめ全国、全世界で、新たな青年錦州城が築かれゆくことを、大聖人が、そして恩師も、さぞかし喜んでおられるに違いない。
◇
厳寒の佐渡で認められた「開目抄」の一節に、「一華を見て春を推せよ」(御書二二二ページ)と仰せである。
寒風に咲き誇る花は、ただ一輪でも「春遠からじ」と告げてくれる。
わが愛する創価家族が対話の花、友情の花、信頼の花を、一輪また一輪と咲かせるため、どれほどの祈りと苦労を尽くされていることか。その積み重ねによって、功徳満開の春は開かれるのだ。尊き健闘に、私は妻と題目を送っている。
◇「凱歌の人生」を
今月の座談会で全同志が生命に刻んだ御書に、こう仰せである。
「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」(同一二五三ページ)
誰人たりとも、「生老病死」の苦悩を避けることはできない。誰もが厳しい冬を耐え、戦わねばならぬ運命にあるともいえよう。だが、冬があればこそ、本当の春を知ることができる。御本尊を持った人は、人生の闘争の誉れの勇者なのだ。
たとえ今、試練の冬にあろうとも、心は閉じこもりはしない。一歩、北風に踏み出す勇気に、戦う力、負けない力が湧き上がる。その心には、もう勝利の春が始まっているのだ。「冬の中に春を生む」梅花のように。
梅の花で、懐かしく思い出すのは、一九八二年(昭和五十七年)二月の茨城訪問である。
同志を苦しめた悪逆な迫害を断固とはね返す、いわゆる反転攻勢の一つの総仕上げでもあった。
前年の秋から、四国、関西、中部、九州の大分・熊本・福岡、神奈川、年明けには東北の秋田と走り、念願叶って茨城へ向かったのである。
この時、戸田先生の生誕八十二周年(二月十一日)に寄せ、茨城の友は八十二個の鉢植えの梅を飾ってくださった。
法難の嵐を勝ち越えた同志と歌った、茨城の歌「凱歌の人生」の響きは耳朶から離れない。
私は長年、多くの人生を見てきた結論として申し上げた。
「信心、また人間としての勝利は、愚直のごとき求道の人、また、着実にして地道なる信心、生活を築き上げた人が、凱歌をあげている」と。
以来三十五星霜——。当時、共に記念撮影した男女青年部により結成された「茨城二〇〇〇年会」(現・茨城新世紀大城会)の友からも、故郷や全国各地で広布に乱舞する様子を伺っている。
この間、東日本大震災や豪雨災害など打ち続いた苦難にも、わが茨城の同志は懸命に耐え抜き、不退の負けじ魂で乗り越えてこられた。
心の絆を結んだ宝友たちが、後継の眷属と共に「凱歌の人生」を歩む晴れ姿こそ、創価の正義の勝利劇なりと、私は誇り高く宣揚したいのだ。
◇心は若くあれ!
「新時代の二月闘争」に勇んで先駆する、わが男女青年部も、何と凜々しく頼もしいことか。
男子部では、先月から今月にかけて、創価班大学校、牙城会新世紀大学校の気鋭の友らが、全国各地で意気軒昂に入卒式を行っている。
「ロマン総会」を大成功に終えた女子部においても、白蓮グループの入卒式がたけなわだ。
結成六十周年に胸を張る男女学生部の俊英も、才媛も、はつらつと使命の言論戦に挑んでいる。
君たちの努力と開拓こそが、広布の勝利だ。
貴女方の成長と幸福こそが、創価の希望だ。
文豪ゲーテは言った。
「偉大なことをなしとげるには、若くなくてはいけない」と。
若さは、いかなる苦難も悩みも失敗も、前進の力に変えていける。
若さには、人生の至宝の勇気と情熱がある。誠実と真剣さがある。
ゆえに、勇敢なる信心で偉大な誓願に立つ人は皆、青年といってよい。
「春に遇って栄え華さく」(御書四九四ページ)である。忍耐強く春を待ち力を蓄え、その開花の時に、自分らしい「挑戦の花」を咲かせることだ。
我らには「生老病死」の四苦を、「常楽我浄」の四徳へ転ずる生命の哲理がある。年代を超えて支え合い、励まし合う「異体同心」のスクラムがある。
◇我らは実践第一
思えば、先師・牧口常三郎先生は、晩年まで「われわれ青年は!」と叫び、「暦の年じゃない。つねに伸びていくのだ」と言われていた。
牧口先生が、青年の青年たる所以とされていたのは「実践」であり、なかんずく「大善」を行うことであった。
すなわち、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を持ち、日蓮大聖人の立正安国の教えを実践し、弘めゆく「大善」である。広宣流布という菩薩の行に生き抜く中に、自他共の幸福が、そして社会の平和と繁栄があると、先師は訴えられたのだ。
牧口先生が創立以来の伝統の座談会を、「大善生活法実証座談会」と銘打たれたのは、七十五年前の一九四二年(昭和十七年)の二月であった。
当時の創価教育学会の機関紙「価値創造」には、東京の大塚支部、池袋支部、中野支部、北多摩支部など各地で、活発に実証座談会が行われていたことがうかがえる。
牧口先生自ら蒲田支部等の座談会に足を運び、同志の悩みに耳を傾けながら励ましを送られたという記録も残っている。
この年の二月十一日、つまり戸田先生の誕生日に、牧口先生は青年部の会合に出席し、明治維新の立役者が二十代の若者だったことを通して激励された。"広宣流布は、青年のリーダーシップによらねばならない"と。それは、戸田先生が常に語られた言葉でもある。
聖教新聞掲載の「東京凱歌の青年城」をはじめ、日本中、世界中で躍動する若人の英姿を、牧口、戸田両先生と同じ気持ちで、私も見守っている。
◇師弟勝利の物語
お陰様で、小説『新・人間革命』の連載が六千回を重ねた。小説『人間革命』の執筆開始から数えると、足かけ五十四年、連載回数の合計は七千五百回を超える。
同志の皆様方の題目と応援に励まされ、"師弟の凱歌の物語"を元気に綴りゆくことができる。誠にありがたい限りだ。
「私は書くのを止めることは出来ません。私が汽車で旅をしようが、何をしていようが、私の脳は間断なく働くのです」——こう言ったのは、スウェーデンの作家ストリンドベリである。
私も、さらに書き続けていく決心である。ただ未来のため、未来を生きる青年たちのために!
信仰とは何か、正義とは何か、そして師弟とは何か——。その真髄を、日本はもちろん全世界の後継の友と、小説の執筆を通して対話できる日々は、何と幸せか。
世界に発信する翻訳に取り組んでくださる方々にも、感謝は尽きない。
◇いよいよ励めや
先日、九州の同志が、先駆の心意気で総本部へ熊本産の早咲きの「てんすい桜」を届けてくれた。熊本・大分の地震から一年となる四月には、全国男子部幹部会と九州女子部総会が熊本で行われる予定である。
春を告げる真心の桜に合掌しつつ、全同志の健康と無事安穏を、そして不撓不屈の大行進を、私は真剣に祈った。
ともあれ、私の心は、いつも青年と共にある。君たち、貴女たちが、勝利また勝利へ創価桜を咲かせゆく未来を信じ、ただただ道を開いていく。弥生三月も、日に日に近づく。さあ生き生きと進もう。伸びゆく青年の心で、青年と共に!
寒風も
はじきて芳し
師弟花
いよいよ励めや
冬を勝ち越え
2017年3月2日木曜日
2017.03.02 わが友に贈る
「継続」こそ力なり。
三日坊主も10回やれば
1ヶ月やったことに。
諦めの心に打ち勝ち
朗らかに歩み続けよう!
富木殿御書 P969
『夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く』
☆女性に贈ることば 三月二日
母は、わが家の太陽である。いな、世界の太陽である。
いかに暗く厳しい状況になっても、母がいれば、笑顔満開の光が消えることはない。
☆今日のことば365 三月二日
家庭の平和は、千金に勝る。一国の指導者というものは、家庭の幸福を築き、与えてゆくものでなくては、その資格はない。
☆希望の羅針盤 時間革命
◇(仕事と学会活動の両立に果敢に挑む友へ)私は伝言を託した。
『一生懸命、仕事をすること、それも仏法だから、悔いなく仕事をしていきなさい。学会活動をしようという思いは忘れず、焦らずに前進を!』と。
生活は即、信心であり、
仏法は即、社会である。
一人の青年として、持てる力を最大に出し切って、職場で、なくてはならぬ存在として光っていくのだ。そこに信仰の本領がある。
◇伸一は、会合などの行事と行事の間の時間こそが勝負であると思っていた。地方などを訪問した場合、幹部との打ち合わせも、個人指導も、決済書類に目を通すことも、原稿の執筆も、この時間内に行われなければならなかったからである。
彼にとっては、皆が"空き時間"と思う時間もまた、真剣勝負の激闘であった。
わずかな時間をも無駄にせず、
いかに有効に使うか。
いかに見えざる努力をするか
—そこに、一切の勝敗の
分かれ目がある。
また、見えないところで、黙々と頑張る人こそが人材なのである。
◇多忙ななかで、
いかに時間をつくりだすかが
既に戦いなんです。
少しでも早く、見事に仕事を仕上げて活動に出ようと、必死に努力することから、仏道修行は始まっています。自分の生命が鍛えられているんです。この挑戦を重ねていけば、凝縮された時間の使い方、生き方ができるようになります。
(中略)
『とにかく仕事が忙しいと、"いつか暇になったら、学会活動に励もう"と考えてしまいがちです。しかし、それは間違いです。
どんなに多忙であっても、
自分のできることを
精いっぱいやっていくんです。
というのは、信心が後退すれば、仕事の面でも、行き詰まりが生じてしまうからです』
◇事前の準備が大切である。座談会や折伏に行く場合でも、仕事に行く場合でも、
すべて『早く準備した』人が
勝つ。
最も大切にして根本の準備は、勤行・唱題である。『絶対に勝つ!』と強く決意し、御本尊に祈ることが『最高の準備』となる。
祈りもなく、準備もなく、行き当たりばったりで、その場で要領よく戦おうとしても、確実な勝利はつかめない。
◇一日一日の充実には、
朝の出発こそが肝要である。
朝の勝利は、一日の勝利となり、やがて人生の大勝利へと結実していく。
『最高の祈りで、悔いなき一日を!』
三日坊主も10回やれば
1ヶ月やったことに。
諦めの心に打ち勝ち
朗らかに歩み続けよう!
富木殿御書 P969
『夫れ賢人は安きに居て危きを歎き佞人は危きに居て安きを歎く』
☆女性に贈ることば 三月二日
母は、わが家の太陽である。いな、世界の太陽である。
いかに暗く厳しい状況になっても、母がいれば、笑顔満開の光が消えることはない。
☆今日のことば365 三月二日
家庭の平和は、千金に勝る。一国の指導者というものは、家庭の幸福を築き、与えてゆくものでなくては、その資格はない。
☆希望の羅針盤 時間革命
◇(仕事と学会活動の両立に果敢に挑む友へ)私は伝言を託した。
『一生懸命、仕事をすること、それも仏法だから、悔いなく仕事をしていきなさい。学会活動をしようという思いは忘れず、焦らずに前進を!』と。
生活は即、信心であり、
仏法は即、社会である。
一人の青年として、持てる力を最大に出し切って、職場で、なくてはならぬ存在として光っていくのだ。そこに信仰の本領がある。
◇伸一は、会合などの行事と行事の間の時間こそが勝負であると思っていた。地方などを訪問した場合、幹部との打ち合わせも、個人指導も、決済書類に目を通すことも、原稿の執筆も、この時間内に行われなければならなかったからである。
彼にとっては、皆が"空き時間"と思う時間もまた、真剣勝負の激闘であった。
わずかな時間をも無駄にせず、
いかに有効に使うか。
いかに見えざる努力をするか
—そこに、一切の勝敗の
分かれ目がある。
また、見えないところで、黙々と頑張る人こそが人材なのである。
◇多忙ななかで、
いかに時間をつくりだすかが
既に戦いなんです。
少しでも早く、見事に仕事を仕上げて活動に出ようと、必死に努力することから、仏道修行は始まっています。自分の生命が鍛えられているんです。この挑戦を重ねていけば、凝縮された時間の使い方、生き方ができるようになります。
(中略)
『とにかく仕事が忙しいと、"いつか暇になったら、学会活動に励もう"と考えてしまいがちです。しかし、それは間違いです。
どんなに多忙であっても、
自分のできることを
精いっぱいやっていくんです。
というのは、信心が後退すれば、仕事の面でも、行き詰まりが生じてしまうからです』
◇事前の準備が大切である。座談会や折伏に行く場合でも、仕事に行く場合でも、
すべて『早く準備した』人が
勝つ。
最も大切にして根本の準備は、勤行・唱題である。『絶対に勝つ!』と強く決意し、御本尊に祈ることが『最高の準備』となる。
祈りもなく、準備もなく、行き当たりばったりで、その場で要領よく戦おうとしても、確実な勝利はつかめない。
◇一日一日の充実には、
朝の出発こそが肝要である。
朝の勝利は、一日の勝利となり、やがて人生の大勝利へと結実していく。
『最高の祈りで、悔いなき一日を!』
2017年3月1日水曜日
2017.03.01 わが友に贈る
偉大な目標を定め
努力する人生ほど
尊く強いものはない。
失敗を恐れず挑む人が
最後に勝利をつかむ!
十章抄 P1274
『日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなへさすべし、名は必ず体にいたる徳あり』
☆女性に贈ることば 三月一日
若い時に安逸を余り、苦労しないのは、不幸な青春である。
自分では自由なつもりでいて、結局、最後は不自由な敗北者となってしまう。
苦労すべき時に苦労し、勉強すべき時に勉強するのが、幸福な青春である。それが、一生涯の幸福の礎となる。
☆今日のことば365 三月一日
いかなる場合でも積極的に発言すべきである。そう明にして要をえた言々は、黄金であり沈黙は銀である。
☆青春勝利の大道 第10回 仲良く桜梅桃李の人華を
◇同じ目的へ、同じ心で
広宣流布は、皆が主役である。創価の青年は、一人ももれなく、尊き地涌の菩薩である。
日蓮大聖人は、『法華経を持つ者は必ず皆仏なら仏を毀りては罪を得るなり』(御書P1382)と仰せになられた。
同志を尊敬し、大事にする。ここに、仏法の魂があり、学会精神がある。
広布の目的に向かって、仲良く学び、支え合う。その心が、充実した人生を開き、平和の連帯を広げるのだ。
戸田先生は、『異体同心の『心』は、信心の心である』と教えられた。
異体同心の信心で進めば、破れぬ壁など断じてない。
◇励ましから生命は開花
先輩は後輩を、弟・妹のように大切にし、安心と自信を持たせていただきたい。温かな言葉で労い、讃えることだ。
御聖訓には、『桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの特質を改めることなく、そのままの姿で無作三身の仏であると開き見ていくのである』(P784 通解)と仰せだ。
誰もが自分にしか成し得ない無限の可能性をもっている。
それを伸びやかに開花させゆく"芸術"が、励ましである。
励ましの滋養を送り続ければ、生命の大輪は必ず開く。
我らの地域の青年スクラムに、桜梅桃李の人華を、爛漫と咲かせゆこう!
努力する人生ほど
尊く強いものはない。
失敗を恐れず挑む人が
最後に勝利をつかむ!
十章抄 P1274
『日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなへさすべし、名は必ず体にいたる徳あり』
☆女性に贈ることば 三月一日
若い時に安逸を余り、苦労しないのは、不幸な青春である。
自分では自由なつもりでいて、結局、最後は不自由な敗北者となってしまう。
苦労すべき時に苦労し、勉強すべき時に勉強するのが、幸福な青春である。それが、一生涯の幸福の礎となる。
☆今日のことば365 三月一日
いかなる場合でも積極的に発言すべきである。そう明にして要をえた言々は、黄金であり沈黙は銀である。
☆青春勝利の大道 第10回 仲良く桜梅桃李の人華を
◇同じ目的へ、同じ心で
広宣流布は、皆が主役である。創価の青年は、一人ももれなく、尊き地涌の菩薩である。
日蓮大聖人は、『法華経を持つ者は必ず皆仏なら仏を毀りては罪を得るなり』(御書P1382)と仰せになられた。
同志を尊敬し、大事にする。ここに、仏法の魂があり、学会精神がある。
広布の目的に向かって、仲良く学び、支え合う。その心が、充実した人生を開き、平和の連帯を広げるのだ。
戸田先生は、『異体同心の『心』は、信心の心である』と教えられた。
異体同心の信心で進めば、破れぬ壁など断じてない。
◇励ましから生命は開花
先輩は後輩を、弟・妹のように大切にし、安心と自信を持たせていただきたい。温かな言葉で労い、讃えることだ。
御聖訓には、『桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの特質を改めることなく、そのままの姿で無作三身の仏であると開き見ていくのである』(P784 通解)と仰せだ。
誰もが自分にしか成し得ない無限の可能性をもっている。
それを伸びやかに開花させゆく"芸術"が、励ましである。
励ましの滋養を送り続ければ、生命の大輪は必ず開く。
我らの地域の青年スクラムに、桜梅桃李の人華を、爛漫と咲かせゆこう!
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