2017年2月27日月曜日

2017.02.27 わが友に贈る

◇今週のことば
「師子王とは前三後一」
小事にも油断しない。
奮迅の祈りと勢いから
道は劇的に開ける。
いざ師子王の心で勝て!
2017年2月27日

船守弥三郎許御書 P1445
『法華経を行ぜん者をば諸天善神等或はをとことなり或は女となり形をかへさまざまに供養してたすくべし』

☆女性に贈ることば 二月二十七日
いつも自然に振舞うこと、なごやかな雰囲気をつくること、笑顔を絶やさないことー一緒にいて、ありがたいなと思うのは、こうした妻の姿である。

☆今日のことば365 二月二十七日
青年時代の理想を一生もちつづけて実践する人が、人間としてもっとも価値ある人である。

☆小説「新・人間革命」連載6000回特集 「新・人間革命」と私 2017年2月18日
池田先生が「法悟空」のペンネームでつづる小説『新・人間革命』が、本日付の「大山」40で連載6000回を迎えた。第30巻に入った大長編は、人類の未来を開く希望の大叙事詩である。2面では、「『新・人間革命』と私」とのテーマで代表の友の声を紹介。3面では、「『新・人間革命』とその時代」と題し、執筆時の時代状況を振り返りつつ、渾身のペンの闘争をたどる。

◇主任副会長・総九州長 山本武
池田先生は、いわゆる"小説家"ではない。『新・人間革命』は、世界広宣流布の指揮を執る中での執筆である。その激闘は、余人の想像を絶する。
79回を数える九州指導の中でも、激闘の間隙を縫って口述したテープを、東京に送られたことがあった。誰もが後々の随筆で初めて知ったことだ。
「文章はペンで書くものではなく、命の筆先に血をつけて描く」(川端康成『新文章読本』)と。だが、先生の執筆は、文豪の思惟の範疇を超える。
卒寿を前にした今日なお続く、『新・人間革命』の執筆。永遠の師匠である牧口先生、戸田先生、池田先生の「創価三代の師弟の真実」を記し残してくださっている。
広宣流布という未聞の革命。三障四魔、三類の強敵に立ち向かい、尊い地涌の菩薩を守り抜く——その深慮は先生にしか分からない。私たちが心して学ぶべきは、その先生の心にこそあると思う。
忘れられないのは、1980年(昭和55年)8月10日、2年間にわたって休載を余儀なくされていた『人間革命』の第11巻が開始された日だ。早朝、自宅に届いた新聞を、あの時ほど焦がれる思いで開いたことはない。
当日の新聞には、題字下に小さく「小説『人間革命』第11巻 きょうから連載」とあるだけだった。しかし、私たちの心には、その活字が何倍にも大きく映った。
当時、私は大分県にいた。宗門事件の嵐が吹き荒れていた。休載中に、先生が第3代会長を辞任。厚い暗雲に覆われ、広布の視界は闇だった。
その日から皆で『人間革命』を読み合った。脱会者が出た地区でも、同様だった。
どこまでも弟子を思う先生の深い心に涙した。やがて反転攻勢の大波が、日本全土を包んでいった。
広宣流布は、仏と魔との間断なき闘争である。魔の狙いは永遠に一つ。「師弟の分断」である。
今、「大山」の章を学ぶ中で、先生がどれほどの思いをもって、永遠なる創価の未来を切り開いてこられたかを知り、粛然と襟を正す。
私たちは『人間革命』『新・人間革命』を何度も何度も読み深め、師の心を常に自らの指標にしていかねばならないと、自らに問うしかない。
宿命転換の信心の姿勢、目指すべき広布のリーダー像、勝利への指揮の執り方、組織発展の方程式、世界広布の方軌——一切が『人間革命』『新・人間革命』にある。
「根深ければ枝繁し」。今を生きる私たち一人一人の弟子の生きざまが、その地の師弟の精神の伝統をつくる。先生と共に、総仕上げの時を生きる私たちの使命と責任と福運は、限りなく大きい。
九州は3年前から「人間革命池田塾」と銘打ち、月ごとに巻を定め、研さんを重ねてきた。これまで『人間革命』全12巻、そして『新・人間革命』は11巻までを学んできた。
うれしいのは、研さんを通し、新しい人材が目覚ましく成長していることである。
"先生からの金文字の手紙"を、人生と広布の現場で戦いながら学び、師の精神を鑑に、自らの人間革命に挑戦することを誓うのみである。
「石に金をかへ糞に米をかうる」(御書910ページ)との思いで——。

◇第2総東京婦人部長 橋口美雪
『新・人間革命』連載6000回の大偉業に、尽きせぬ感謝の思いでいっぱいです。池田先生は人知れず、構想を練られ、1993年(平成5年)8月6日に長野の地で執筆を開始されました。その「時」「場所」は、先生の深いお考えのもとにあり、戸田先生を常に胸中に抱かれながらの闘争であったことに心が震えます。
また、この年は、八王子市に東京牧口記念会館が完成した年でもありました。先生は、同会館を"本陣"として各国の要人らとの対話を展開されるなど、世界広布の指揮を執られ、その大激闘の中で『新・人間革命』を執筆くださっていたことは、第2総東京の誇りです。
第28巻「広宣譜」の章では78年(昭和53年)、山本伸一が各部や方面・県などに、次々に学会歌を作る場面が描かれています。
その頃、私は創価女子高校(現・関西創価高校)の1年生でした。新たな歌の譜面が聖教新聞に掲載されるたびに、うれしくて全国から集った高等部の仲間と歌いました。
当時、学会を取り巻く状況など知る由もなく、あらためて、一つ一つの歌に込められた先生の万感の思いに胸が熱くなりました。
「大道」の章では、東京の歌「ああ感激の同志あり」の意義をつづってくださっています。東京への期待に触れ、日々「感激」の命で前進を誓いました。
そして現在、連載中の「大山」の章。79年(同54年)、先生がどれほど命を削り、学会を守り、同志を守り、今日の世界広布の大潮流を起こしてこられたことか。当時、先生は立川文化会館を反転攻勢の闘争の舞台とされ、壮絶な攻防戦の真っただ中にありながら、会館を訪れた同志を直接、激励してくださいました。その日々は、弟子として申し訳なくも、宝の歴史です。
第2総東京婦人部・女子部では15年ほど前から『新・人間革命』を学び合う「コスモス平和大学校」を開講しています。
受講生はのべ15万人を数え、そのうち1割以上が友人です。今や地域に根付いた運動として広く親しまれています。友人からは、次のような感想が寄せられています。
「小説のタイトルの通り、より良い人生を生きるための教科書、手引きです」「小説を読む中で、学会の真実の歴史を知り、たくさんの方の苦労や努力によって今日の学会が築き上げられたことに驚きを隠せません」「コスモス平和大学校は、人間革命号という大型客船に乗って、時間を超え、哲学・真理・人生を学ぶ世界旅のようです」
社会に希望の光を送り、世界を分断から調和へと導くメッセージ、励ましの力で一人の友が蘇生しゆく宿命転換のドラマ、そして私たちが幸せになるために「どう生きるべきか」を示す指針——先生が『新・人間革命』でつづられる言々句々が会員のみならず、どれほど、多くの読者の心を照らしているか計り知れません。
私自身、学会の永遠性を確立する今この時に『新・人間革命』を真剣に学び、"先生なら、どうされるか"と常に師と対話する思いで、弟子の道を貫き、"東京凱歌の年"を勝ち開いていきます。

◇インド男子部長 ゴーラブ・サブー
19歳の私は、貧困や不平等を解決する道を探し求めていました。
ある時、大学の友人が持つ本が目に入りました。タイトルは『人間革命』。「読ませてほしい」と言うと、彼は「これはメンバーのためのものだ」と。
インド創価学会(BSG)に入会し、私の新たな人生が始まりました。小説『人間革命』を初めて開いた日、本を閉じることができずに朝を迎えたことを覚えています。バスや電車でも、食事の時さえも手放さず、一気に読みました。
"一人の人間における偉大な人間革命は、全人類の宿命の転換をも可能にする"——この哲学を知り、私の疑問は晴れました。
以来、15年がたちます。『人間革命』を学び抜き、"池田大学"の一員として人生の確信をつかんだことが、私の最大の誇りです。
『新・人間革命』第3巻には、1961年2月、池田先生がインドのブッダガヤで"出でよ! 幾万、幾十万の山本伸一よ"と願われた場面が描かれています。私たちBSGにとって「山本伸一」は、広布の全責任を担い立つことを意味します。
最も重要なのは、伸一が常に師を心にとどめ、師に喜びをもたらし、師の期待に応えようとすることです。今日、BSG青年部は、「私は山本伸一だ!」と皆が誇らしく宣言します。これが、私たちの先生への誓いです。
2015年、私は『人間革命』第11巻「大阪」の章を根本に戦いを起こしました。その結果、55人の地区の座談会に、111人の友人が参加。それが波動となって、多くの地区が座談会に100人以上の友人を誘うことができました。
BSGは同年8月に10万の連帯を実現し、「11・18」には11万1111人に拡大。そして昨年、二月闘争を研さんする中で、15万5000人の地涌のスクラムを築くことができたのです。
池田先生は89歳の今も、執筆を通し、一人一人に手を差し伸べてくださっています。先生のお心を知るには、『人間革命』を学ぶ以外にありません。
毎週、地区ごとに研さんの集いを実施。携帯やタブレットで『人間革命』を学ぶ青年部も多くいます。『人間革命』を持ち歩くことが、先生と一緒にいるということなのです。
『新・人間革命』第5巻「勝利」の章に、「国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」とあります。師の構想を実現された先生のごとく、本年、BSG青年部は「10万の青年の連帯」という金字塔を打ち立てます。