2017年2月5日日曜日

2017.02.05 わが友に贈る

「青年」とは
「希望」の異名だ!
青年の心で
青年と共に歩む人も
断じて行き詰まらない!

弥三郎殿御返事 P1451
『但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』

☆女性に贈ることば 二月五日
親や周囲が、思春期の特徴をよく理解することだ。子どもの言うことをよぐ聞いてあげる。子どもをありのまま受け入れる。さらに子どもがほっとする居心地のいい家庭をつくる。そういう努力をはらいながら、思春期は勇気をもって耐える期間であると受け止めて、接していってはどうだろうか。

☆今日のことば365 二月五日
主義主張に戦う者は、生涯、駒を進めることを瞬時も忘れてはならない。自己の使命を強く決意した、崇高なる戦いほど強力なものはない。いかなることも、逞しく建設していけるものだ。もし使命に目覚めないならば、人間ほど弱く脆く汚いものはないだろう。

☆誓いの天地 東京・北区 2017年1月20日
◇わが町に光る 希望の北極星
◇"喜び多き"勝利の道を
「『半平』の明かりが見えるとほっとする。王子に帰ってきた気がしてね」と常連客は言う。
JR王子駅で降りると目に飛び込む「半平」の看板。旬の食材を生かした釜飯やすき焼きが大好評の、駅前を象徴する食事処だ。
4代目店主として店を切り盛りするのが、藤原一郎さん(喜多創価区、男子部副本部長)。
創業70年。終戦後、"若い人にご飯をおなかいっぱい食べさせてあげたい"と祖母らが開業した。
北区は戦後の高度成長期に人口が急増し、集団就職で上京する若者も多かった。祖母は、身寄りのない女性を引き取り、一緒に職を探して面倒を見たこともあった。
半平のすぐそばにある王子百貨店では、たびたび戸田先生の講義が行われていた。「婦人訓」が発表されたのも、この会場である。
ある時、祖母は知人に誘われて講義へ。女性を最大に尊敬する戸田先生の心に触れ、入会を決めた。
以来、藤原さん一家は、広布の会場として自宅を提供してきた。
円高や大手チェーン店の進出などで、経営が苦しくなる時もあった。座談会に集う友を笑顔で迎えながら、"この座談会が最後か"と覚悟したことも、一度や二度ではない。だが、そのたびに家族一丸となって広布拡大に挑み、経営難や家族の病等の一切の困難を、信心で乗り越えてきた。
藤原さんは毎年のように弘教を実らせ、これまで15人を入会に導いた。牙城会の区大学校団長としても模範の人材育成に取り組む。
半平は近年、寄席やジャズといったイベントの会場としても親しまれ、地域の祭りでは休憩所に。老若男女が心を通わせる、交流の場としてにぎわう。
「"楽しいひととき"を送り続け、王子の発展に尽くしたい」。創業100周年のその先を見つめつつ、藤原さんは力を込める。

荒川を挟んで埼玉県と接する北区は、桜の名所である飛鳥山公園など、情緒豊かな景観が広がる。
JRの駅の数は23区で最も多く、区内のほぼ全域が駅から徒歩10分圏内。都心へのアクセスも良く、子育ての環境も充実している。
中でも区の北西端の浮間はマンション建設が進み、転入する青年世代も多い。
浮間本部で女子部本部長を務める磯夢月さん(喜多池田区)は、創価女子短期大学を卒業後、大手都市銀行に勤務する。
信心の原点は、富士中学生合唱団での活動。ゴルバチョフ元ソ連大統領をはじめ、池田先生との会見のために訪れる識者を、歌声と笑顔で歓迎した。一つの出会いに全精力を注ぐ先生の姿を目の当たりにし、磯さんは"私の師匠は先生だ。生涯、先生の弟子として広布に生き抜こう"と誓った。
銀行に入った直後、仕事が思うようにいかず、苦しい日々が続いた。祈りを重ねては、先生の指導を学んで奮起した。職場で"なくてはならない存在"になろうと決め、猛勉強。4期連続で支店長表彰を受け、常務賞にも選ばれた。
そうした磯さんの姿に、職場の先輩が入会を決意するなど、信頼が着実に広がっている。
「信心の確信を築かせていただいた職場に、感謝の毎日です。短大出身の誇りを胸に、後輩の模範となっていきたい」
夜空に光り、真北を示す北極星のように、創価の青年が希望の輝きを放っている。

◇栄光の共戦譜
「大東京の難攻不落の『北の砦』こそ、わが誉れの北区創価学会」——池田先生が北総区の友に寄せる期待は、一貫して変わらない。
1984年(昭和59年)8月18日、先生は懇談会で、北区を拠点に名を轟かせた室町時代の名将・太田道灌を通し、「北の砦」の使命を語った。
さらに「北」は「喜多」に通ずると語り、「喜び多き喜多区でいこう!」と、人生勝利の要諦を打ち込んだのである。
先生自らが範を示し、北区の共戦の歴史は織り成されてきた。
本部幹部会で"座談会に全力を"と訴えた先生は、即座に最前線へ。東十条支部北地区の座談会(68年10月19日)では自ら司会を務めた。
参加者の質問や悩みに誠実に答え、先生は「生涯、強盛な信心を貫いていくならば、必ず幸福になります」「本当に強い人というのは、自分に負けない人のことなのです」と。その場で、新来者4人が入会を決意している。
JR田端駅近くに立つ北文化会館を池田先生が訪れたのは、1992年(平成4年)1月17日。
先生は、全同志の健康、長寿を祈念し、「強い人間は幸福です。勝った人は幸福です」「『北区ここにあり!』の思いで戦っていきなさい」と万感の期待を語った。
関口和子さん(喜多創価区、婦人部副本部長)は、長女の聖子さん(女子部副本部長)が前年12月から入院し、途方に暮れていた。
そのことを近藤ヨシ子さん(総区婦人部主事)が報告すると、先生は、"病気になったことで、幸福の因を積んだことになるんだよ""御本尊に全て任せて祈っていくんだよ"と心からの伝言を。
さらに、関口さん一家に寄り添う近藤さんにも、"人のために祈る。それはすでに仏です。仏の所作です。人のために尽くす。その功徳は生々世々に伝わっていく"と、ねぎらいの言葉を掛けた。
医師からは厳しい見通しが告げられた。時を同じくして、夫の金型加工会社の経営が悪化し、工場を閉鎖。多額の借金がのしかかる。
「でも、気持ちは負けませんでした。"池田先生が御本尊にお任せするんだとおっしゃっているんだから、その通りにお応えしていこう!"って」と和子さん。
病院の個室や屋上で「今日も元気で」を口ずさみ、自らを鼓舞。祈りを重ねた。一進一退の闘病の末、病状は好転。7年をかけ、聖子さんは見事に病を克服する。
2012年、今度は和子さんが病魔に襲われた。進行性の乳がんでステージ3。しかし、つかんだ確信が揺らぐことはなかった。
1年8カ月の抗がん剤治療等を経て、主治医は「前例がないほど薬が効きました。完全奏効です」と。現在まで再発はない。
長年、自宅を広布の会場に提供してきた関口さん一家。父と同居するために新居を探していた昨年1月17日、不動産会社から連絡があり、破格の条件で転居が決まる。
新居の詳細を知って和子さんは驚いた。かつて御祈念帳に書き連ねたが、いつしか忘れていた些細な点までも、全てが希望にかなっていた。工場の借金も完済できた。
「池田先生と広布に生きる感謝でいっぱいです」と、和子さんは喜びをかみしめる。
原点の「1・17」から25年。友の表情には充実と満足が光る。
荻野修さん(喜多戸田区、区主事)は、"北区は、いい人がいっぱいいるね"との、先生の慈愛の一言が忘れられないと振り返る。
19歳で入会した荻野さん。独立して卸売りを手掛けていた、入会30年の節目の時だった。
「先生の期待にお応えしたい。その一点で全てを勝ち開いてきました」。社会で実証を示し、第一線で激励に走る荻野さんの姿は、友の信心の模範となっている。
西川よしのさん(喜多牧口区、区婦人部主事)も、「1・17」に激励を受けた一人だ。

すばらしき
 北区は喜多区と
  うたわなむ
 大東京を
  四方に見つめて

この折に先生が詠んだ和歌を、西川さんは心に抱きしめてきた。
夫の事業の苦闘や子の病。その全てを勝ち越え、自治会などの責任者として地域に尽くしてきた。
池田先生はつづっている。
「仏法は勝負であり、人生もまた勝負である。この厳しき闘争のなかで、断固として、勝ち続ける! そこに、最も『喜び多い』痛快なる人生があるのだ」
歓喜の勝ちどきへ、「北の砦」の友は金剛の団結で驀進する。