2017年2月2日木曜日

2017.02.02 わが友に贈る

笑顔を絶やさない人は
どんな時も負けない。
笑い合えば心が通う。
互いに元気になる。
溌剌と広布の劇を!

千日尼御前御返事 P1313
『天此の国を罰すゆへに此の疫病出現せり』

☆女性に贈ることば 二月二日
物事を、目先だけで見る人がいる。
たえず目先のことに紛動され、一喜一憂する生き方には、真の幸福も、真の向上もない。
一生涯を見据えて生きる忍耐が、永遠の幸福への種子になっていくのだ。

☆今日のことば365 二月二日
一度や、二度の失敗でくじけることはまことに愚かだ。人生は、長い長い旅路である。途中で、いかにすばらしい、華やかな人生を歩んでも、最後に不幸な、敗れた人生と化してしまったならば、これほどみじめなことはない。

☆誓いの天地 東京・新宿 2017年1月14日
◇今いる場所で輝く人に
◇決意ではなく「実証」を
東京23区の中央に位置する新宿区。江戸時代、五街道の一つ・甲州街道に「新しい宿」が設けられたことから、その名が付いた。
交通の中心である新宿駅には、JR・私鉄・地下鉄の5社が乗り入れ、1日の平均乗降者数は世界一。まさに日本の"心臓"だ。
天を突く高層ビルが並ぶ駅周辺から足を延ばせば、「美しい日本の歴史的風土100選」に選ばれた神楽坂、神田川沿いの「水とみどりの散歩道」など、情緒豊かな景色が広がる。
池田先生は、新宿の友に呼び掛けた。「自分のいるその場所を、『本有常住の常寂光土』と輝かせ、地域社会に貢献していくのが、仏法だ」と。その師の指針のままに、今、青年を先頭に、地域に信頼を広げている。
島名伸章さん(新宿本陣区、男子部副本部長〈部長兼任〉)は、新宿1丁目で「cocochiyo cafe」を経営している。
友人と共に行くカフェの、心安らぐ雰囲気が好きだったという島名さん。創価大学卒業後に菓子作りを学び、都内のカフェでメニュー開発を手掛けた。
「何度も試作を繰り返す中で、現在の技術の基礎ができました。とともに、学会活動で"人間力"を鍛えました」と島名さん。
大手コーヒーチェーン店で働いていた頃、全国で最も売り上げが低い店舗の店長に就いた。そこで気付いたのは、従業員の意欲の低さだった。
島名さんは一人一人と懇談の場を設け、調理や接客の基礎を徹底するとともに、皆が主体的に仕事に励めるよう、心を砕いた。
当時、時間をこじ開けて学会活動に取り組んでいた島名さん。広布の目標に、皆が喜びを感じて取り組めば、壁は破れると実感していた。その確信で、従業員にも対話を重ねる中、店の雰囲気が変わっていく。店長の3年間で、客の満足度評価は全国の上位に上がった。
「cocochiyo cafe」のオープンから2年3カ月。カフェ・喫茶店の激戦地域にあって、淹れたてのコーヒーとバラエティーに富んだ食事・デザートのメニュー、そして心和むひとときを求めて、常連客も増え続けている。

タイ式ヨガのインストラクターとして活躍する伊藤真由美さん(新宿常勝区、女子部部長)は、「お客さまの健康の悩みを解決できるよう、自分を磨く毎日です」と語る。
今は健康そのものだが、幼い頃は病弱で、よく風邪をひいていた。"元気になりたい"との思いで運動を始め、中学・高校ではバスケットボール部、大学ではラクロス部で汗を流す。
ラクロス部では、早くからチームの中心的存在となった。人間関係に悩んだ時、"皆のために"と心を決めて祈ると、チーム内に団結が生まれた。自分が変われば周囲が変わる。この確信を語り、在学中に2人に弘教を実らせた。
卒業後は大手ホテルで、スパのインストラクターとして就職。仕事は充実していたが、既存のメニューだけでは、客の要望には十分に応えられないと感じてもいた。
「職場の第一人者に!」と奮起し、上司に頼み込んでタイへ。そこで、本場のマッサージと整体法を学んだ。
帰国後、タイ式ストレッチの提供を開始。評判が評判を呼び、ホテルの全インストラクターが学ぶプログラムになった。
今、伊藤さんはインストラクターとして独立し、活動の幅を広げる。心掛けているのは「誠実」。心を込めて施術した分だけ、笑顔が返ってくると実感している。
多忙でも、毎週の活動者会を欠かさず開き、女子部員を励ます。気軽にできる"健康法"を教えることも。伊藤さんの行くところ、笑顔の輪が広がっている。

◇栄光の共戦譜
「創価学会の本陣」——池田先生は、新宿への期待を語った。
学会本部が、西神田から現在の信濃町に移転したのは1953年(昭和28年)。以来、新宿は、全国、全世界の広布前進の「模範」の使命を担い続ける。
「我ら新宿家族」——先生は、万感を込めて呼び掛けた。
66年(同41年)、先生ご一家は大田区から信濃町に転居。"私も新宿の一員です"と、先生自らが先頭に立って、同志を励まし、近隣友好のために汗を流した。
根本勤一さん(新宿本陣区、副本部長)は、そうした先生の振る舞いに触れた一人である。
小学生の頃に入会した根本さん。中学に入ると、新聞配達のアルバイトで家計を支えた。
信濃町も担当区域。当時、学会本部の新しい建物が建設中だったと根本さんは記憶する。
「建設現場を視察する池田先生を、よく見かけました。会員や近隣の方々に、先生は、丁寧に挨拶されていました」
ある日の配達中、根本さんは先生から声を掛けられた。「ご苦労さま。君に本をあげるから、明日、聖教新聞社にいらっしゃい」と。
翌日、聖教新聞社の受付に、書籍が託されていた。その中には、「君が成長を祈らん」と揮毫が。
まだ墨も乾ききっていない本を手に取り、「生涯、学会、先生と共に生き抜こうと誓いました」。
その後も、先生の自宅で開かれた勤行会に地元の男子部の代表として参加するなど、幾度となく、師との原点を刻んだ。
感謝を胸に、今、広布に走りながら、町会の役員などで地域の発展に力を尽くす。

あす15日は「新宿の日」。72年(同47年)、新宿区体育館(当時)で、池田先生と新宿の同志の記念撮影会が行われた日である。
当日は、みぞれまじりの雨だった。大学3年生だった舟越八重子さん(新宿常勝区、婦人部副本部長)は役員の一人。晴天を祈ってきただけに、"雨を降らせてしまった……"と落胆していた。
同志の心を晴らしたのは先生だった。記念撮影が始まると、先生は"天気を残念に思う必要はありません。これで空気も湿って、火災も少なくなるでしょう。私も風邪で喉を痛めていましたが、おかげで楽になりました"と。
「参加者を励まさずにはおかないという、先生の慈愛が心に染みました」。舟越さんは振り返る。
この日、彼女は約30人の同志と共に編さんした「新宿郷土史」を先生に届けた。直後、携わったメンバーに先生からの書籍が。その全てに、一人一人への指針が認められていた。舟越さんには「健康と成長を祈りつつ」と。
その日を原点に、女子学生部、女子部の活動に奔走。地区婦人部長、支部婦人部長も歴任した。
団地に住んで35年。「世界で一番、先生の近くで広布に励む喜びを伝えたい」と、一軒また一軒、同志の励ましに歩く。

池田先生との撮影は、まず婦人部、次に男子部の順で行われた。
男子部を前に、先生は言った。「今日、参加した青年部で、『1・15グループ』を結成してはどうだろうか」と。そして毎年、この日を中心に集い、成長を確認し合おうと呼び掛けたのである。
男子部のリーダーとして参加していた福澤栄二さん(新宿池田区、副区長)。「思いがけないご提案に、皆が歓喜し、満場の拍手で応えました」
また席上、「新宿成人会」が結成。以降、毎年結成されてきた新宿伝統の人材グループである。
この提案通りに、1・15グループの最初の会合が行われたのは翌73年(同48年)1月7日。
男子部は、広布への決意を実践項目にまとめていた。会合で代表がそれを読み上げようとした時、先生は言った。「決意ではなく、実証を見せてもらいたい。君たちの実践の証しを、私は祈り待っているんだよ」と。厳愛の指導だった。
さらに85年(同60年)1月、「新宿の日」記念総会に出席した先生は、『三国志』の諸葛孔明の生涯を通して訴えた。座して待つよりも、打って出よ——と。
師の励ましに、新宿の友は奮い立った。翌86年から3年連続で、「日本一」の弘教を果たす。
そして地域に貢献することを、新宿の同志は約し合ってきた。福澤さん自身、地元の町会長を務めて今年で6年目となる。
今、総本部がある新宿へ、世界の友が集い来る。"広布と社会で断じて勝利の実証を"。その誓いの前進の先頭に立つのが、幸の城・新宿の同志である。