わが心を変革すれば
環境は劇的に変わる。
逆風を飛翔の力に!
悩みを躍進のバネに!
"今いる場所"で勝て!
辧殿御消息 P1225
『おのおのは随分の日蓮がかたうどなり、しかるをなづきをくだきていのるにいままでしるしのなきはこの中に心のひるがへる人の有るとをぼへ候ぞ、をもいあわぬ人をいのるは水の上に火をたき空にいゑをつくるなり』
☆女性に贈ることば 二月三日
挑戦なきところに青春はない。あくなき挑戦の気概にこそ、青春は脈動する。
☆今日のことば365 二月三日
思想や人生観は、その人の人生行路を決定づける。容姿とか、財産とか、家庭の境遇とかに自信をなくして、卑屈な人生観を持てば、すべて世のなかが、ゆがんだ鏡に映されるように、曲がってみえてしまうものだ。
☆仏法の教え 「教学部教授講座」のために 2017年1月24日
社会の繁栄と平和を築く信仰
人々の胸中に「人間主義の哲学」を
共感と希望広げる対話を粘り強く
◇「立正安国論」について
「立正安国論」は、日蓮大聖人が文応元年(1260年)7月16日、鎌倉幕府の実質的な最高権力者、北条時頼に提出された国主諫暁の書です。
「立正安国」とは、「正を立て、国を安んず」と読みます。人々の心に正法を確立し(立正)、社会の繁栄と平和を築く(安国)との意味であり、客(北条時頼を想定)と主人(大聖人を想定)との十問九答の問答形式で記されています。
災難の根本原因が、正法に背く「謗法」にあることを明かし、このまま謗法が続けば、三災七難のうち、まだ起きていない「自界叛逆難」(内乱)と「他国侵逼難」(外国の侵略)の二難が必ず起こると警告され、「実乗の一善」に帰依するよう促されています。
最後に客が、謗法の教えを捨て、正法に帰依することを誓い、その言葉が本書全体の結論となっています。
◇第1段〜第8段の大意
第1段(御書17ページ1行目〜14行目)
相次いで起こる天災や疫病。なすすべもなく人々が苦しむ世の中を客は嘆き、その原因がどこにあるのかと主人に尋ねる。主人は、世の人が皆、正法に背き悪法を信じているために、国土を守護すべき善神が去り、その後に悪鬼、魔神が入り、それが災難を引き起こしているのであると「災難の根源」を明かし、「神天上の法門」を説く。
第2段(同17ページ15行目〜20ページ13行目)
先の答えに対する根拠を求めた客に対して、主人は四経(金光明経、大集経、仁王経、薬師経)を引いて説明する。
第3段(同20ページ14行目〜21ページ16行目)
客が、当時の仏教が隆盛する姿を示して反論する。主人は、当時の僧侶が実は、正法に背く悪侶であることを、経文を示しながら説く。
第4段(同21ページ17行目〜24ページ4行目)
悪侶とは誰のことを指しているのか、客が問う。主人は、法然を名指しし、法然の著した『選択集』こそが、正法誹謗の邪説であることを明らかにしていく。
第5段(同24ページ5行目〜25ページ18行目)
法然を悪侶とした主人に対し、客は憤る。法然の念仏も釈尊の経典から生まれたものに変わりはなく、主人が釈尊に背いていると指摘し、帰ろうとする。
対して主人は笑みを浮かべて客をとどめ、まず、仮の教えを尊ぶ誤りを指摘。中国と日本の例を現証として挙げ、法然の法華経誹謗の罪を説いていく。
第6段(同26ページ1行目〜12行目)
客は主人の言葉を聞き、少し態度を和らげる。しかし、これまで高僧が多くいたが、念仏を禁じる説を誰も言い出したことはなく、低い身分の主人がそう言うのは僭越だと語る。
主人は謗法呵責の教えを語り、過去に念仏を禁止する勘状(意見書)が出された事実も述べる。
第7段(同26ページ13行目〜30ページ7行目)
客が災難を治める具体的な方法を問う。主人は、涅槃経・仁王経等を挙げながら、謗法の人を戒めて正法を行じる人を重んじれば、国家は安穏になると述べ、国中の謗法を断つように勧める。
第8段(同30ページ8行目〜18行目)
"謗法の輩を断ぜよ"との主人の言葉に客は、斬罪は仏法の教えに反しないかと問う。主人は、涅槃経等では斬罪が説かれているが、それは釈尊以前の事例であり、釈尊以後は、謗法への布施を止めることがそれに通じると述べる。
◇第9段(同31ページ1行目〜32ページ17行目)
●大意
これまでの疑いや迷いが晴れた客は、主人が言った通りに謗法に対する供養を止め、正法を行じる僧を重んじていくとの決意を表明する。
主人はその申し出を喜んだ上で、七難のうち、まだ現実のものとなっていない他国侵逼難、自界叛逆難の二難が起こらないように、速やかにその決意を実行するよう訴える。
汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し(御書32ページ14行目〜17行目、編年体御書170ページ15行目〜17行目)
●通解
あなたは早速ささやかな信仰の心を改めて、速やかに、本当に成仏へ至らせる教えである唯一の善い法に帰依しなさい。
そうすれば三界は皆、仏国である。仏国であるなら、どうして衰微することがあるだろうか。
十方の国土は、ことごとく宝土である。宝土であるなら、どうして破壊されることがあるだろうか。こうして国土が衰微することなく破壊されることもなければ、身は安全であり、心は動揺せず安定しているだろう。これらの一言一句を信じて敬わなければならない。
◇池田先生の指導から
「実乗の一善」とは、実大乗教たる法華経であり、一切衆生は本来、仏なりと教える、最高の人間尊厳の大法である。そして、一人ひとりの人間が、この妙法に則って、胸中の仏の生命を開いていく時、その人の住む場所も、仏国土と輝いていくのである。
つまり、時代、社会の創造の主体である、一人ひとりの人間の内発性の勝利を打ち立て、社会の繁栄と平和を創造していこうとするのが日蓮仏法である。そして、その原理を説き明かしたのが、この「立正安国論」であった。
衆生に仏を見る仏法は、すべての人間に絶対の尊厳性と無限の可能性を見いだす。それは、揺るがざる民主の基盤を形成する哲理となるにちがいない。また、自らに内在する仏の生命を顕していくということは、他者への慈悲の心を育むことでもある。
いわば、「実乗の一善に帰せよ」とは、「偏頗な生命観、人間観を排して、生命の尊厳に立ち返れ」「エゴを破り、慈悲を生き方の規範にせよ」「真実の人間主義に立脚せよ」との指南といってよい。ここに、人類の繁栄と世界の平和のための、普遍の哲理がある。
(小説『新・人間革命』第4巻「立正安国」の章)
◇第10段(同32ページ18行目〜33ページ4行目)
●大意
客は自らの謗法を速やかに改めることを決意するとともに、自分と同じように邪義に惑わされている世の多くの人々を覚醒させる実践に励むことを誓う。
弥よ貴公の慈誨を仰ぎ益愚客の癡心を開けり、速に対治を回して早く泰平を致し先ず生前を安じて更に没後を扶けん、唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ(御書33ページ3行目〜4行目、編年体御書171ページ3行目〜5行目)
●通解
あなた(主人)の慈悲あふれる訓戒を、いよいよ仰ぎ、ますます自分の愚かな心が開いていこう。速やかに謗法を滅する方策をめぐらせて、早く天下泰平を実現し、まず生前を安穏なものとして、さらに没後も救われるものにしていきたいと思う。
ただ自分一人が信じるだけではなく、他の人々の誤りをも制止していこう。
◇池田先生の指導から
仏教経典の多くが対話や問答によって成立しているように、「立正安国論」も、権力者と仏法者という立場の異なる両者が対話を通じて議論を深めていく形となっています。
最初は、杖を携えて旅をする客人(権力者)が主人(仏法者)のもとを訪れ、天変地異が相次ぐ世相を嘆く場面から始まります。
しかし二人は、災難をただ嘆き悲しんでいるのではない。災難が繰り返される状況を何としても食い止めたいとの「憂い」を共有しており、そこに立場の違いを超えての"対話の糸口"が生まれます。
そして始まった対話では、両者が互いの信念に基づいた主張を真剣に交わしていく。その中で、客人が示す怒りや戸惑いに対して、主人がその疑念を一つずつ解きほぐしながら議論を深めるという、魂と魂とのぶつかり合いが織り成す生命のドラマを経て、最後は心からの納得を得た客人が、「唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ」(御書33ページ)と決意を披歴する形で、主人と「誓いの共有」を果たす場面で終わっています。
では、対話を通じて両者が見いだした結論は何か。それは、仏典の精髄である「法華経」で説かれた"全ての人間に等しく備わる無限の可能性"を信じ抜くことの大切さでした。
つまり、人間は誰しも無限の可能性を内在しており、かけがえのない尊厳を自ら輝かすことのできる力が備わっている。その尊厳の光が苦悩に沈む人々の心に希望をともし、立ち上がった人がまた他の人に希望をともすといったように、蘇生から蘇生への展転が広がっていく中で、やがて社会を覆う混迷の闇を打ち払う力となっていく——との確信であります。
(2012・1・26付、第37回「SGIの日」記念提言)