インフルエンザが猛威!
熱が出ないケースも。
手洗い・うがいを励行し
加湿等の対策も万全に。
賢く健康管理を!
大悪大善御書 P1300
『上行菩薩の大地よりいで給いしにはをどりてこそいで給いしか』
☆女性に贈ることば 二月八日
世問は矛盾だらけである。正しき眼をもっていないともいえる。問題は、その矛盾を突き抜け、大きく乗り越えて、どう揺るぎない自分自身をつくりあげるかである。
☆今日のことば365 二月八日
人間は、自分の心を自由にすることができると錯覚しているが、いざ事に当たったとき、自分の心さえ自由にできないのが常である。心を支配するものこそ、生命の働きなのだが、人は生命に関する意識の不充分さから、これに気づかないのである。
☆第42回「SGIの日」記念提言� 池田大作 2017年1月26日
「希望の暁鐘 青年の大連帯」
米ロ首脳会談を早期に開催し、緊張緩和と核軍縮の流れを
続いて、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」が目指す"平和で公正かつ包摂的な社会"の実現に向け、�核兵器の禁止と廃絶、�難民問題への対応、�「人権文化」の建設、の三つの課題について具体的な提案を行いたい。
第一のテーマは、核兵器の禁止と廃絶です。
先月、国連総会で歴史的な決議が採択されました。核兵器禁止条約を交渉する会議の開催が決定したのです。
3月末と、6月中旬から7月にかけて国連で討議を行い、早期締結に向けて最善を尽くすことが呼び掛けられています。
いまだ世界には、1万5000発以上の核弾頭が存在しています。核軍縮の停滞に加え、核戦力を強化する近代化計画も進み、脅威の解消どころか、脅威を増幅しかねない方向に向かいつつあります。
かつてアメリカのケネディ大統領が、古代ギリシャの"ダモクレスの剣"=注4=の故事を通して警告した、人類と地球の生態系が常に壊滅の危機にさらされる事態は、決して過去の話ではありません。
むしろ、国連総会での決議で強調しているように、核問題の解決は「いっそう緊急のものとなっている」のです。
◇世界で今も続く高度警戒態勢
そこで私は、いくつか提案をしたい。
一つ目は、アメリカとロシアの首脳会談をできるだけ早く開催し、核軍縮の機運を再び高めることです。
両国の指導者には、地球上の人々の生命を脅かし、人類がこれまで築いてきた文明を灰燼に帰しかねないほどの大量の核兵器を保有している責任が、重くのしかかっているからです。
3年前にウクライナ情勢を巡って緊張状態に陥って以来、両国の関係は"新冷戦"といわれるほど厳しく冷え込みました。
核軍縮交渉も、2011年に新戦略兵器削減条約(新START)が発効したのを最後に進んでおらず、この条約が削減の達成期限としている来年以降の先行きは、不透明なままになっています。
今月20日に就任したアメリカのトランプ新大統領は、当選決定後にロシアのプーチン大統領と行った電話会談で、両国の関係改善を目指すことで意見の一致をみています。世界の核兵器の9割以上を保有する両国が緊張緩和を図り、核兵器の問題についても真摯に話し合うことを、私は強く願ってやみません。
冷戦終結から四半世紀が経つ今もなお、核抑止政策が続く中で、世界では約1800発もの核兵器が、即座に発射できる「高度警戒態勢」に置かれています。
その状態は一体、何を意味するのか——。
ウィリアム・ペリー元米国防長官は、カーター政権下で国防次官を務めていた頃(1977年)、真夜中に戦略空軍の当直将校から「ソ連のミサイル200発がアメリカに向けて飛来中」との緊急電話を受けた時の衝撃が忘れられないと述懐しています。
すぐに誤作動が原因とわかったものの、それが正しい情報であれば、核兵器で即座に反撃するかどうか、究極の判断が大統領に迫られる事態だったからです。
核戦争など決して望んでいなくても、他国からの核攻撃を阻むには、"いつでも応酬する準備がある"との意思を示す必要がある。しかし、それが言葉だけではないことを証明するには、即座に発射できる態勢を維持せねばならず、片時も安心できないばかりか、結果的に、核戦争の危機を常に背負い込む状態から逃れることができない——。
実のところ、それが冷戦時代から現在まで続く、核抑止の実態なのです。
◇戸田会長が宣言で訴えかけたもの
思い返せば、私の師である戸田第2代会長が「原水爆禁止宣言」を発表したのは、核抑止態勢の基盤が実質的に完成をみた時期にほかなりませんでした。
当時、アメリカとソ連が水爆実験を行い、威力の増大を図る競争がエスカレートする一方、核開発の焦点は核兵器を爆撃機で投下する方式から、核弾頭を誘導兵器に取り付ける方式に移行しつつありました。
宣言発表の前月(57年8月)には、ソ連が大陸間弾道弾(ICBM)の実験に成功し、地球のどこにでも核兵器を発射できる状況が現実となったのです。
また、9月に入ると、国連の枠組みの下で半年近く続けられてきた、原水爆の削減と禁止などをめぐる軍縮交渉が決裂するという事態が生じました。
アメリカ、イギリス、フランス、ソ連に、カナダを加えた5カ国が集中的に討議を重ねたものの、意見が一致せず、無期休会という形で幕を閉じたのです。
実にそれは、宣言発表の2日前のことでした。
そうした事態を前にして、戸田会長は、核兵器の存在が人類の破滅に直結しているにもかかわらず、軍拡競争が一向にやまない理由は、核抑止論にあると洞察しました。
核兵器が抑止力となり、平和が維持されるといった、核保有を正当化する論理が目を向けているのは、"相手の攻撃を阻止すること"や"自国を守ること"だけであって、その奥底には、目的のために人類の大半を犠牲にすることも辞さない冷酷な思想が横たわっているのではないか——。
ゆえに戸田会長は宣言で、核保有を正当化する論理に対し、「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」(『戸田城聖全集』第4巻)と、その思想の克服を強く呼び掛けたのです。
当時、米ソ両国が対峙する構図を、"瓶の中の2匹のサソリ"に譬えた議論がありました。
しかし、その瓶には、核保有国だけでなく多くの国が存在し、数十億もの民衆が暮らしていることが忘れ去られていました。
また、刺すか刺されるかといった対峙の構図に目が奪われ、互いが手にしているのが、通常兵器とは明らかに一線を画した絶滅兵器であるという事実が捨象されていました。
この核抑止論が生み出す幻影を打ち払うべく、戸田会長は、「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております」(同)と訴え、その権利を脅かす行為は、どの国も許されず、いかなる理由があろうと核兵器の使用は絶対にあってはならないと宣言したのです。
◇"核の傘"にひそむ重大な非人道性
抑止が働くことだけを信じ、それが破綻した場合の壊滅的な結末を思考から切り離してしまう。また、偶発的な事故による核爆発は、抑止に関係なく常に起こりうるという現実を考えないようにする——。
こうした思考停止は、"核の傘"においても同様に懸念される問題です。
実のところ、"核の傘"は、その一本一本が核兵器という"ダモクレスの剣"で構成されたものにほかならず、自国を守るためには、広島と長崎で起きたような惨劇が他国で繰り返されても構わないという前提に立った、極めて非人道的な安全保障観であることを忘れてはなりません。
ひとたび発射ボタンが押され、核の応酬が始まってしまえば、紛争当事国だけでなく、周辺国や地球全体に取り返しのつかない大惨事を招く——そこではまさに、「自国の安全保障」と「大勢の民衆の生命や地球の生態系」とが天秤にかけられているのです。
この問題を、前半で言及した経済学者のセン博士の正義を巡る議論に敷衍してみるならば、核抑止政策や"核の傘"で他国からの核攻撃を防ぎ、自国を守るという安全保障は、目的の正当性を重視する「ニーティ」的な正義に立つものといえましょう。
しかし、結果の正当性、つまり、実際に人々の身に起こることに焦点を当てる「ニヤーヤ」的正義に照らしてみれば、多くの民衆の犠牲と地球の生態系の破壊もやむなしとする、核依存の安全保障が許される余地は、どこにも残されていないのではないでしょうか。
武力攻撃に対して自国を守る権利は国連憲章でも認められており、国際法上、「ニーティ」的な観点に立つ安全保障は一律には否定されないとしても、自国を守る方法が果たして"核兵器を必須とするもの"であり続けるしかないのか、その一点が問われていると、私は強調したいのです。
◇武器を持つことで生じる恐怖と不安
そもそも抑止の考え方は、長い歴史を通じて多くの国が武器を保持し増強する際に用いてきた論理ですが、戦争に次ぐ戦争の歴史が物語るように、抑止が破綻し、衝突に至った史実は枚挙に暇がありません。
それが、核兵器に限って抑止が破綻しないと、なぜ断言できるのか——。
核問題の専門家であるウォード・ウィルソン氏は、『核兵器をめぐる5つの神話』と題する著作で、このことを問いかけました。
ウィルソン氏は、集団的暴力や戦争をめぐる人類の歴史は6000年に及んでおり、第2次世界大戦以降の60年だけを切り取って論じることは、「データの1%を基にして、ある傾向を見つけた、と主張するに等しい」(広瀬訓監訳、法律文化社)と指摘しています。
この問題を考えるには、数千年に及ぶ文明の盛衰を俯瞰して洞察を深めた歴史家のトインビー博士のような眼差しが不可欠であり、「とりわけ、人間の本質に深く根付いた現象を扱うにおいて、これは無謀といえるのではないだろうか」(同)と強調するのです。
まったく同感であり、抑止が「人間の本質に深く根付いた現象」であるとの急所をしっかり踏まえた上で、核抑止論の奥にひそむ重大な危険性を見つめる必要があると考えます。
そこで私は、「人間の本質」を深く掘り下げる中で生命尊厳の思想を打ち立てた仏教の視座から、一つの問題提起をしたい。
釈尊の言葉に、「殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである」(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店)とあります。
これは、二つの部族の間で水をめぐる争いが起きた時に、釈尊が述べたものと伝えられています。
私が着目するのは、釈尊が対峙する人々の心の動きを見定める中で、"相手に対する恐怖があったから武器を手にした"のではなく、"武器を手にしたことによって恐怖が生じた"と洞察している点です。
つまり、武器を手にするまでは、自分たちの水を奪おうとする相手への激しい怒りがあったとしても、そこに恐怖の影はなかった。しかし、ひとたび武器を手にし、何かあれば相手を打ちのめそうと思った瞬間に、人々の心に恐怖が宿ったというのです。
◇構築が検討された自動制御の核反撃
翻って冷戦時代においても、恐怖に支配された心理が究極の悪夢を生み出そうとしていた事実を、長年、「ワシントン・ポスト」紙で記者を務めたデイヴィッド・E・ホフマン氏が浮き彫りにしています。
——1980年代初め、ソ連の指導部はある計画を検討し始めた。核攻撃を受け、「"すべての"指導者が失われ、正規軍の"すべての"指揮命令系統が破壊されても、依然として機能するシステム」である。
「反撃のチャンスを逸すること」を何よりも恐れ、「完全に自動化され、コンピューターによって動かされる報復システム」を本気で考えたのだった。
しかし、計画の途中で、修正が入る。
「いかなる人間的要素も一切関与しないまま機能する」システムへの抵抗感が拭えず、核ミサイル発射の判断を、深深度の地下壕に生き残った当直士官が下す方法に最終的に改められた——と(『死神の報復(上)』平賀秀明訳、白水社を引用・参照)。
かくして冷戦末期、人間の意思では止められない核反撃のシステムが構築されかけたのです。構想に終わったとはいえ、武器(核兵器)を手にしているために強く感じる恐怖が、渦を巻いて生み出そうとした"抑止の最終形態"だったのではないでしょうか。
昨年は、冷戦終結の扉を開く契機となった、レイキャビクでの米ソ首脳会談(86年10月)から30周年にあたりました。
米ソの中間にあるアイスランドの首都で会談を行うことを提案した、ソ連のゴルバチョフ書記長の脳裏には、その半年前のチェルノブイリでの原発事故を通して実感した、核戦争への深刻な懸念がありました。
一方のアメリカのレーガン大統領にも、核兵器による大量殺戮の脅しをもって平和を維持しようとする状態には耐えられないとの思いがあったといいます。
その深刻な懸念を両者が共に抱いていたからこそ、核全廃の合意にあと少しで手が届く所まで話し合いが進んだといえましょう。
最終合意には至らなかったものの、翌87年に中距離核戦力(INF)全廃条約が締結され、核軍縮の歯車が回り始めたのです。
今一度、アメリカとロシアがレイキャビクの精神を踏まえ、世界平和のために歩み寄るべき時を迎えているのではないでしょうか。
3月から始まる国連での交渉会議では、検討すべき課題の一つとして、事故や過誤などによる核兵器爆発の危険性を低下させ、除外するための措置が挙げられています。
冷戦時代からその危険性を何度も感じてきた米ロ両国が、首脳同士の対話を重ね、「高度警戒態勢」の段階的な解除とともに、大幅な核軍縮に向けて新たな一歩を踏み出すことを、強く呼び掛けたいのです。
◇広島と長崎の強い願いを共有
続く二つ目の提案は、唯一の戦争被爆国である日本が、その歴史的な使命と責任を深く自覚し、核保有国や他の核依存国を含めた多くの国々に、国連の交渉会議への参加を粘り強く働きかけることです。
近年、被爆地での外交会議の開催や、各国の要人の被爆地への訪問が相次ぐ中、核兵器の問題に関する重要なメッセージが繰り返し発信されてきました。
2014年4月、広島で行われた軍縮・不拡散イニシアチブの会合では、核依存国のオーストラリア、ドイツ、オランダなどの外相が被爆者の体験に耳を傾ける機会も設けられる中、核兵器の非人道的影響に関する議論は「核兵器のない世界という目標に向けた国際社会の結束した行動のための触媒であるべき」との宣言が発表されました。
また昨年4月には、広島でG7(主要7カ国)外相会合が開催されました。アメリカ、イギリス、フランスの核保有国と、ドイツ、イタリア、カナダ、日本の核依存国の外相らがそろって原爆ドームに足を運び、「核兵器は二度と使われてはならないという広島及び長崎の人々の心からの強い願いを共にしている」との宣言を採択しました。
そして昨年5月には、オバマ大統領が、現職の米大統領として初めて広島訪問を果たし、「私の国のように核を保有する国々は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければなりません」(朝日新聞取材班『ヒロシマに来た大統領』筑摩書房)と、演説を行ったのです。
私は、被爆地で議論を共に重ねてきた国々をはじめ、できるだけ多くの国々に、日本が核兵器禁止条約の交渉会議への参加を呼び掛けるよう訴えたい。
2年前の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、核保有国と非保有国との溝が埋まらず、最終文書の採択が見送られたように、今回の交渉会議も難航が予想されます。
しかし、NPTの重要性と、核兵器がもたらす壊滅的な結末への懸念は、どの国にも基本的に共有されたものであるはずです。
私は、その共通認識を足場に、核兵器を巡る議論の再構築を行うことが肝要ではないかと考えます。
この点、温暖化防止対策の転換点となったパリ協定の交渉の教訓は、重要な示唆を与えるものです。
パリ協定の交渉では、温暖化の原因や対応に関する責任論に終始するのではなく、どの国にとっても望ましい未来像となる「低炭素社会」のビジョンを掲げて、共にその実現を目指すことに照準を合わせる努力が行われました。そうした中で、合意への突破口が開かれたのです。
核兵器の問題についても同様に、生産や移転、威嚇や使用などを規制する条約づくりを、どの国にも核兵器による惨劇を絶対に引き起こさないための"地球的な共同作業"と位置づけ、そのビジョンに基づく歩み寄りを真摯に模索すべきではないでしょうか。
◇NPTの討議と連動性の確保を
NPTは、前文にある通り、核戦争は全人類に惨害をもたらすとの認識に立って、「諸国民の安全を守る措置」の必要性に基づき、制定されたものです。
この本旨に照らせば、交渉会議で討議される核兵器禁止条約と、立脚点に違いはありません。
核兵器禁止条約はNPTに取って代わるものではなく、完全な核軍縮に向けて誠実に交渉を行うことを定めたNPT第6条を具体化し、NPTの強化につながるものなのです。
その意味で大切なのは、それぞれの国が抱えている"安全保障上の懸念や防衛上の課題"と、"核兵器のない世界を実現するための方途"が交差する点はどこにあるのかを、より多くの国の参加による議論を通じて浮かび上がらせていくことだと思います。
5月には、2020年のNPT再検討会議に向けた第1回準備委員会が、ウィーンで開催されます。
準備委員会でNPT第6条の核軍縮義務に焦点を合わせた討議を行う中で、互いの国が抱える安全保障上の懸念に向き合い、懸念を共に取り除くにはどんな行動が必要となるのかについて意見を交換していく。
その上で、6月以降の核兵器禁止条約の交渉会議での議論につなげていくことが、どの国にとっても有益ではないでしょうか。
NPTの討議との連動性を確保し、立場が異なる国の間の溝を埋める努力を重ねてこそ、禁止条約の交渉は建設的なものになるに違いないと思うのです。
核兵器の問題は、国連創設当時から70年来の重要課題であり、いよいよ始まる禁止条約の交渉もかなりの困難が予想されます。
しかし、こうした真摯な対話を粘り強く続けていけば、「核兵器のない世界」への流れを後戻りできない確かなものへと押し上げていくことができると、私は信じてやみません。
交渉会議の後には、来年までに国連で「核軍縮に関するハイレベル会合」を開催することも決まっています。
核兵器禁止条約を何としても締結に導き、大幅な核軍縮、さらには核廃絶へのプロセスを始動させる機運を高めていくべきではないでしょうか。
◇集団の論理を離れ人間の思いに立脚
次に、三つ目の提案として述べたいのは、交渉会議に向けて市民社会で多くの声明を出し合い、それらを「核なき世界の民衆宣言」として核兵器禁止条約の礎石にしていくことです。
市民社会の役割——それは、国境を超えて全ての人々に深く関わる性質を持ちながらも、国家単位の政策議論にとどまりがちな課題に対し、その議論を"人間化"して問題の所在を浮き彫りにし、グローバルな行動の連帯を力強く形づくることにあります。
核兵器の問題では、1955年7月に科学者らが発表した「ラッセル=アインシュタイン宣言」=注5=が、その嚆矢でした。
「私たちは、一つの集団に対し、他の集団に対するよりも強く訴えるような言葉は、一言も使わないようにこころがけよう」
「私たちは、人類として、人類にむかって訴える——あなたがたの人間性を心にとどめ、そしてその他のことを忘れよ、と」(久野収編『核の傘に覆われた世界』平凡社)
この一節が象徴するように、宣言を貫くのは国家や民族などの"集団の論理"ではなく、"人間としての思い"でした。
ゆえに、核兵器を国ごとの問題とするのではなく、「自分自身や子どもや孫たち」に直接関わる問題として提起したのです。
96年7月に国際司法裁判所で、核兵器の威嚇と使用に関する勧告的意見が示されたのも、「世界法廷プロジェクト」のような市民社会の強い働きかけがあったからでした。
審理にあたり、40の言語、約400万人による「市民の良心宣言」が提出される中、核兵器の威嚇と使用は国際法に一般的に違反するとした上で、全ての面での核軍縮を導く交渉を誠実に行い、完結させる義務があると明記した勧告的意見が示されたのです。
時を経て、核兵器禁止条約の交渉会議の開催が決定した今、会議を力強く支持する市民社会の声を届け、禁止条約を"民衆の主導による国際法"として確立する流れをつくり出すべきではないでしょうか。
◇人類に意味と活力を与える力
今回の国連での交渉会議は、核問題の解決を求める国々の外交努力もさることながら、広島と長崎の被爆者をはじめとする世界のヒバクシャ、科学者や医師、法律家や教育者、また宗教者など、さまざまな分野の人々と団体が行動を積み重ねる中で、実現への道が開かれたものでした。
こうした人々や団体の思いを、それぞれ声明にし、会議に寄せる形で「核なき世界の民衆宣言」の裾野を広げる。また、核兵器禁止条約の意義を草の根レベルで語り合う機会を設け、賛同の輪を拡大する——。
その行動の一つ一つが、国連決議が呼び掛ける「市民社会代表の参加と貢献」につながり、禁止条約の礎石になると思うのです。
核保有国や核依存国を含め、各国の民衆の間で、核兵器のない世界を求める声が根強い状況を目に見える形で示すことは、禁止条約の実効性と普遍性を高める"かけがえのない支え"になるに違いありません。
そうした民衆の声は、決して少なくないはずです。
例えば、核廃絶を求める「平和首長会議」に加盟する都市は、162カ国・地域、7200以上に及び、核保有国や核依存国の都市も多く含まれています。
かつて広島市に自らの彫刻を寄贈した人権活動家のエスキベル博士が、平和とは「人類に意味と活力を与える力」であらねばならないと、強調していたことを思い起こします(『人権の世紀へのメッセージ』東洋哲学研究所)。
果たして、核兵器に依存しなければ維持できないといった安全保障に、その力が宿っているといえるでしょうか。
「人類に意味と活力を与える力」は、"あらゆる差異を超えて生命の尊厳を共に守り合う世界を築く"という民衆の誓いが生み出す平和にこそ、力強く脈打つと確信するのです。
私どもSGIは、戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」を原点に平和運動を進める中、2007年から「核兵器廃絶への民衆行動の10年」と題する活動を展開してきました。
核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)と共同制作した「核兵器なき世界への連帯——勇気と希望の選択」展を各国で開催してきたほか、核軍縮の誠実な履行を求める運動「ニュークリア・ゼロ」に賛同し、2014年に500万を超える署名を集めました。
また、昨年の核軍縮に関する国連公開作業部会に寄せた「核兵器の非人道性を憂慮する宗教コミュニティー」の共同声明の作成に協力するとともに、国連総会第1委員会にも、同コミュニティーとしての共同声明を提出しました。
2015年8月には、他の団体と協力して「核兵器廃絶のための世界青年サミット」を広島で開催し、それを機に、核廃絶を求める世界の青年の国際ネットワーク「アンプリファイ」が昨年発足しています。
そして今年は「原水爆禁止宣言」60周年を記念し、宣言発表の地・神奈川で「青年不戦サミット」を行うことになっています。
こうした10年にわたる一連の取り組みを支えてきた思いは、SGIが国連公開作業部会に提出し、国連文書となった作業文書の次の言葉に凝縮しています。
「核兵器は、人間生命を無意味なものとし、希望をもって未来に目を向けるという、私たちの能力の発揮を妨げている」
「核兵器の根源的な問題は、他者を徹底的に否定するところにある。それは、人間性の否定であり、平等であるはずの幸福への権利や、生命への権利の否定でもある」
「核軍縮への挑戦は、核保有国だけでなく、全ての国家を含みつつ、市民社会の十分な関与を得た上での、地球的な共同作業でなければならない」
3月から国連で始まる交渉会議を「地球的な共同作業」を生み出す場とするために、他の団体と協力し、市民社会の声の結集に全力で取り組むことを固く決意するものです。
◇家族を守るために日々迫られる選択
続く第二のテーマは、難民の人々が生きる希望を取り戻すための支援です。
近年、紛争や迫害によって生まれ故郷や住み慣れた場所を追われる人々が急増し、その数は6530万人にのぼります。
中でも、6年に及ぶシリアでの紛争に伴う人道危機は極めて深刻です。30万人以上が命を失い、恐怖と欠乏のために人口の半数以上が避難生活を強いられ、480万人が国外に逃れざるを得ませんでした。
こうした中、国連のグテーレス事務総長は、就任前の昨年10月、国連で最も対応に急を要する優先課題は「平和に関するものになる」とし、「人間の苦難をあらゆる次元で和らげる最善の方法は、平和のための外交の活性化である」と訴えました(国連広報センターのウェブサイト)。
先月30日、シリア全土での停戦合意が発効し、国連安全保障理事会も支持する決議を採択して停戦の順守を呼び掛けましたが、このまま内戦が鎮静化するかどうか、予断を許さない状況が続いています。
国連の支援で来月に開催予定の和平協議の場などを通じて、難民高等弁務官を長らく務めたグテーレス事務総長が率いる国連と、関係国が連携し、シリア紛争を一日も早く終結させることを願ってやみません。
この外交努力と並んで、グテーレス事務総長が重要課題と位置づけているのが、「恐ろしい紛争を逃れ、保護を必要としている人々との全面的な連帯を確保すること」(同)です。
昨年5月にトルコのイスタンブールで行われた国連の世界人道サミットで焦点となったのも、このテーマでした。
開幕式でも提起されていたように、紛争によって突然、生活を破壊された人々は、来る日も来る日も厳しい選択を迫られていることに、思いをはせる必要があります。
爆撃の危険を常に感じる中で住み慣れた場所の近くにとどまるのか、それとも、家族を引き連れて長い道のりを移動し続けるのか。
海を渡る途中で命を落とす恐れがあるのを承知の上で、一縷の望みを託して船に乗るのか、それとも踏みとどまるのか。
避難生活の中で子どもが病気になった時、限られた所持金の中で家族のための食料を買うのか、子どもの薬を買うのか——。
先の見えない苦境に立たされているのは、生まれ育った環境や歩んできた人生は違っても、私たちと変わらない人間であることを忘れてはならないのです。
◇レジリエンスを共に高める活動
市民社会の代表も数多く参加した世界人道サミットでは、人道と開発の取り組みを切り離さずに進めることや、難民の人々と受け入れ地域のレジリエンス(困難を乗り越える力)を高める重要性などが確認されました。
レジリエンスの強化は、私どもSGIが、「誰も置き去りにしない」世界を築くための柱として考えるもので、サミットで初開催した人道展「人間の復興——一人一人がつくる未来」でも強調した点です。
そこで私は、受け入れ地域のレジリエンスを向上させるために、難民の人々がSDGsの課題に関わる仕事などに共に携わることのできる道を開く「人道と尊厳のためのパートナーシップ」の枠組みを設け、国連を中心に推進することを提案したいと思います。
現在、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が支援する難民の86%は、紛争地域の周辺にある途上国に集中しています。
そうした国々は、貧困や保健衛生をはじめとするSDGsの課題に直面する一方、難民の受け入れに伴う問題も抱え、厳しい状況に置かれています。その打開には、サミットで確認されたように、人道と開発の取り組みを包括的に進めることが重要になります。
国連開発計画(UNDP)がエチオピアで進めてきたプロジェクトは、その一例ともいえましょう。
エチオピアでは、周辺国での相次ぐ紛争の影響で73万人もの難民を受け入れる中で、昨年、30年に一度といわれるほどの最悪の干ばつに見舞われました。そこでプロジェクトでは、自然資源の管理やインフラの復旧支援とともに、地域住民と難民との共存を図る活動に力を入れ、危機の悪化を防いできたのです。
難民が増加の一途をたどる状況下で、受け入れ国の安定と発展なくして、難民の人々の生活を安定させることはできません。
また、SDGsの課題を抱える点では、先進国や新興国も同じです。
SDGsの達成に向け、食糧危機を防ぐための持続可能な農業をはじめ、再生可能エネルギーの導入に関わる仕事や、医療と保健衛生に携わる仕事など、さまざまな仕事が必要になると見込まれています。
国際労働機関(ILO)のガイ・ライダー事務局長は昨年、難民の人々にとっての仕事の重要性を踏まえて、難民のための「ニューディール」の考案を呼び掛けました。
私は、その一つの形として人道と開発をつなげ、難民の人々がSDGsに関わる仕事に携われるよう、国連と各国が協力し、技能習得や就労研修の機会を積極的に設けていってはどうかと提案したいのです。
◇受け入れ国での経験を復興の糧に
人間にとって仕事は、生活を支える経済的な糧となる大切なものです。そして同時に、生きがいの源泉となり、自分が生きている証しを社会に刻む営みでもあります。
仕事の確保は「社会正義の実現」に不可欠の要素と訴える、シドニー平和財団のスチュアート・リース前理事長も、私との対談で、こう強調していました。
仕事がない状態は、「何かを達成する満足を感じながら、もしくは社会に貢献しながら自身の生計を立てるという人間的感覚」を否定し、「人間の尊厳を根源から脅かす問題」になる、と(『平和の哲学と詩心を語る』第三文明社)。
その際、話題になったのが、1929年の世界恐慌による大量失業を解決するために、アメリカのルーズベルト大統領が始めたニューディール政策でした。
そこでは、ダムの建設事業に加え、国立公園の保全や植林をする市民保全部隊も結成され、部隊には約10年間で延べ300万人もの若者が従事しました。
20億本以上の木が植えられたほか、各地の国立公園の整備が進んだのです。
その仕事は、多くの若者にとって、社会や人々のために役立っているという"手応え"や"誇り"に直結するものでした。それだけでなく、整備された国立公園や森林は、現在にいたるまで生物多様性や生態系の保全に貢献し、温室効果ガスの吸収などの面でも役立っているのです。
こうした事例なども踏まえながら、難民の人々が仕事の機会をより多く得ることができ、SDGsの前進も後押しするような枠組みを検討すべきではないでしょうか。
「多様性」と「尊厳」守り合う社会へ
◇人権教育に関する条約を制定
何より、難民の人々は多くの苦しみや悲しみを味わってきたからこそ、さまざまな問題に苦しむ人々の力になれる存在です。
また、紛争が終結して帰国を果たせた時には、受け入れ国でのSDGsに関わる仕事の経験が、生まれ育った国の復興と再建の大きな原動力になっていくに違いありません。
折しも昨年9月、難民と移民に関する国連サミットで、「難民に関するグローバル・コンパクト」という新たな規範を来年に採択することが合意されました。
過去最大の人道危機となった難民問題の解決なくして、世界の平和と安定はなく、「誰も置き去りにしない」とのビジョンを掲げるSDGsを本格的に進めることもできません。
先のエチオピアでのプロジェクトなどを支援してきた日本が、国連が重視する「人道と開発をつなぐ活動」に今後も力を入れていくことの意義は大きいのではないでしょうか。
国連サミットの翌日に、オバマ大統領が主催したリーダーズ・サミットで、日本は、紛争の影響を受けた約100万人に教育支援や職業訓練を実施するほか、今後5年間で最大150人のシリア人留学生を受け入れることを表明しました。
そうした取り組みを基盤に、SDGsの推進につながる技能習得や就労研修の機会を設けるなど、「人道と尊厳のためのパートナーシップ」の先駆けとなる活動を積極的に進めてほしいと念願するものです。
◇大学の社会的使命
また、これに関連し、世界の大学が国連と連携して、難民の若者たちが教育機会を少しでも得られるよう、さまざまな形で後押しすることを呼び掛けたい。
7年前に始まった国連と世界の大学を結ぶ「国連アカデミック・インパクト」の取り組みには、120カ国以上の1000に及ぶ大学が加盟しています。
それらの大学が研究するテーマは、地球的な課題のほとんどを網羅しており、こうした世界の大学が持つ力を人類益のために発揮することが期待されます。
歴史を振り返れば、前半で触れた、貧困に苦しむ人々のためのトインビー・ホールの活動を担ったのも、移民が尊厳を取り戻す支えとなったハル・ハウスで教育活動を行ったのも、大学の関係者たちでした。
大学には、社会の"希望と安心の港"としての力が宿っているのです。
その意味で、世界の大学が地球的な課題をめぐる研究での貢献とともに、出張講義や通信教育を含め、難民の若者の教育機会をさまざまな形で支えていくことの意義は、極めて大きいと思えてなりません。
私が創立した創価大学も、昨年5月、UNHCRと「難民高等教育プログラム」の協定を結び、今春から難民の留学生を受け入れることになっています。
昨年のリオデジャネイロ・オリンピックに出場した難民選手団の一員で、シリア出身のユスラ・マルディニ選手は、同じ難民の人たちに向けて次のような言葉を語っています。
「どんな困難も、嵐のような辛い日々も、いつかは落ち着く日が来る。難民になっても、夢や、やりたいと願っていたことをあきらめないで欲しい」(UNHCR駐日事務所のウェブサイト)
紛争のために住み慣れた家を離れざるを得なくなり、見知らぬ場所で暮らすことになった難民の人々にとって、人間らしい生活の実感や、生きる希望の手応えを感じられるのは、仕事に就くことや教育の機会を得ることを通してではないでしょうか。
国連が採択を目指す「難民に関するグローバル・コンパクト」では、この仕事や教育の重要性を踏まえた内容を盛り込むことが大切ではないかと思います。
難民問題を解決する道は、難民の人々が安心と希望と尊厳を取り戻す中でこそ、大きく開いていくことができるからです。
◇暴力的過激主義をどう食い止めるか
最後に第三のテーマとして、「人権文化」の建設に関する提案を行いたい。
世界で今、長引く紛争や内戦に加えて、深刻な脅威となっているのが、相次ぐテロや暴力的過激主義の高まりです。
生きる意味や人生の希望を見いだせなくなった若者たちが、暴力的過激主義に引き込まれてしまう状況もみられます。
私が創立した戸田記念国際平和研究所は昨年11月、こうした暴力的過激主義の蔓延を防ぐための研究会議を、アメリカのイースタン・メノナイト大学で開催しました。
「処罰こそ暴力を防ぐ手段」との認識が各国で広がる中で、その有効性や課題について各地の事例を通して検証するとともに、緊張が続く地域で平和構築を進めるには何が必要かを探る会議となりました。
そこで焦点となったのは、暴力的過激主義が広がる背景に目を向け、予防に力を注ぐこと——つまり、人々の意識を暴力的な手段によらない問題解決の方向へ向ける努力を、社会に組み込むことの重要性です。
私は、その鍵を握るのが、人権教育の推進だと考えます。
昨年は、「人権教育および研修に関する国連宣言」の採択5周年にあたりました。
人権教育の国際基準を初めて定めた宣言で、SGIも起草段階から市民社会の声を届け、制定の支援をしてきたものです。
昨年9月に国連人権理事会で、宣言の採択5周年を記念する政府間会議が行われた際には、SGIの代表も参加しました。
席上、国連のケイト・ギルモア人権副高等弁務官は、各地で憎しみや暴力が広がる一方で、人権教育を通し、人々の行動を鼓舞する動きが見え始めていることは良いニュースであるとし、こう訴えました。
「人権教育は、私たちの個々の多様性を超えて、私たちの共通の人間性を育みます。それはオプションの追加でも、習慣化された義務でもありません。人間にとって根源的なことを教えてくれるものなのです」
人権教育の真価がどこにあるかを物語る言葉であり、私も深く共感します。
◇18億人の若者の大きな潜在力
政府間会議では、人権教育を通して一人の少女の身に起こった変化などの事例が紹介されました。
——一人の少女が、学校で人権教育を受け、自分の尊厳について深く考えるようになった。
以来、彼女の心に、自分の未来に対する自信と強さが宿り、周囲の状況に左右されることなく、彼女自身が変わっていった。
人権を踏みにじられる犠牲者ではなく、周りの人々の人権を守る存在になりたいと願うようになった——という話です。
ギルモア副高等弁務官は、こうした少女の姿こそ「人権意識の驚くべき力」を示すものであり、「教育こそ変革の促進剤」と強調しました。人権教育には、限りない力と可能性が秘められているのです。
私は、この変革の波をあらゆる場所で広げるために、人権教育に関する宣言を基盤に、「人権教育と研修に関する条約」の制定を目指し、実施手段の強化を図ることを提案したい。
世界人権宣言の採択から70周年を迎える来年を機に、例えば、「人権教育に関する国連と市民社会フォーラム」のような場を設けるなどして、条約制定に向けての議論を高めていってはどうでしょうか。
世界には、10歳から24歳までの若い世代が、18億人いるといわれています。
こうした若い世代が、暴力や争いではなく、人権を守る方向へと心を向けていくことができれば、人権教育に関する宣言が掲げる「多元的で誰も排除されない社会」への道は、大きく開けていくはずです。
その原動力となる人権教育を、各国で持続的に進めるためには、法律や教育プログラムを整備した上で、実施状況を定期的に評価し、改善する制度を設ける必要があります。
政府間会議で私どもSGIが、市民社会ネットワーク「人権教育2020」を代表する形で訴えたのも、その点でした。
世界人権宣言に始まる国際的な人権保障は、人権の規範設定や保護規定に続き、人権侵害の救済制度に力が注がれてきました。
そして今、焦点となっているのが、互いの多様性を大切にし合い、互いの尊厳を共に守り抜く「人権文化」を、社会に根付かせていくことです。
SGIでは、国連機関や関係団体の協力を得て、2月末からの国連人権理事会の会期にあわせて、新しい人権教育展示を開催する予定です。
この新展示などを通し、市民社会の側から「人権文化」建設の輪を力強く広げていきたい。そして、他のNGOと連携し、「人権教育と研修に関する条約」の制定に向け、国際世論を喚起したいと思います。
◇安保理で起きた歴史的な大転換
結びに、「人権文化」の建設に深く関わる、ジェンダー平等の重要性について論じたいと思います。
ジェンダー平等とは、男女の差別なく、平等な権利、責任、機会を保障することです。国連機関のUNウィメンが強調するように、その主眼は、多様性を認識し、女性と男性の双方の関心やニーズを共に大切にする社会を築く取り組みにあります。
SDGsでは、ジェンダー平等を達成し、あらゆる場所における、あらゆる形態の差別を撤廃するとの目標を打ち出しています。
その重要性への認識の広がりを裏付けるように、ジェンダー平等が焦点となった昨年3月の「国連女性の地位委員会」には、過去最多となる80カ国以上の大臣と約4100人の市民社会の代表が集いました。
私どもSGIでも、代表が参加するとともに、並行行事として「SDGs達成への道を開く女性のリーダーシップ」と題するフォーラムを開催しました。
そこで確認したのは、ジェンダー平等が重要な人権問題であると同時に、その取り組みの前進がSDGsの全ての目標の前進につながるとの認識です。つまり、前半で言及した、SDGsの取り組みを包括的に進める「ネクサス(関係)アプローチ」の中軸を担うのが、ジェンダー平等であるということです。
各国がジェンダー平等の重要性に対する認識で一致をみたのは、1995年の第4回世界女性会議にさかのぼります。その後、転機となったのが、2000年10月に国連安全保障理事会で採択された「1325決議」=注6=でした。
平和と安全保障に関わる取り組みに女性が平等かつ全面的に参加できるよう、具体的な措置をとることを促した決議です。
採択に尽力したアンワルル・チョウドリ元国連事務次長が語っていましたが、決議を実現に導いた背景には、女性の役割に関する「概念的、政治的大転換」があったといいます。
同年3月の国際女性デーに安保理が出した声明で、平和とジェンダー平等が不可分の関係にあると明記されたことで、「戦争や紛争の無力な被害者」とみなされてきた女性に対し、「平和と安全保障の維持と推進には不可欠」との認識の転換が図られた、と(『新しき地球社会の創造へ』潮出版社)。
そして、この転換が「1325決議」として結実し、和平プロセスなどに女性が参加する道が明確に開かれたのです。
◇国連憲章を巡って女性が上げた声
2年前には、決議の実行状況を振り返った国連の文書が発表されました。
女性が関わった和平交渉は合意に達しやすく、持続性も高いことが明らかになったほか、国連の平和維持活動でも女性要員が現地の人々の信頼を得る上で重要な存在になっていることが報告されています。
現在、SDGsの達成に向け、各国でジェンダー平等に関する政策の検討や実施が始まっていますが、大切なのは、「1325決議」を導いた認識の転換を顧みること——つまり、女性は無力な存在ではなく、その力の発揮が欠かせないとの認識に基づき、社会を組み直していく視点ではないでしょうか。
この点、エマソン協会元会長で女性学に造詣が深いサーラ・ワイダー博士も、「いかなる人であれ、人の下座に置かれることを強いられてはなりません。誰もが"隣り合わせ"に座り、耳を傾け、語り合い、互いの持てる力や存在を尊重し合うべきではないでしょうか」(『母への讃歌』潮出版社)と、私との対談で強調していました。
最近の研究で、国連の誕生時において、国連憲章に人権保障の中核をなす一節を組み入れる貢献をしたのが、女性たちだったことが浮き彫りにされています。
1945年、サンフランシスコで国連憲章の制定会議が開かれた時、各国の代表団から、人権に関する規定を盛り込むことを求める意見が相次ぎました。その際、単なる"人間の権利"といった表現では不十分であると声を上げたのが、中南米諸国などから参加していた女性たちでした。
こうした中で、憲章前文での男女同権への言及や、性による差別なく人権を尊重する規定(第1条3項)に加えて、国連の全機関で男女が平等に参加する資格があること(第8条)が明記されたのです。
◇法華経に描かれた竜女の尊極の姿
このような国連誕生時のエピソードを知るにつけ、胸に浮かぶのは、仏教の精髄である法華経で「万人の尊厳」を説く中、それを現実のものにした具体的な姿として「女性の尊厳」が描かれていることです。
——釈尊が、いかなる人々にも尊極の生命が具わっているとの「万人の尊厳」の法理を説き明かし、重要な話は聞き終えたと思った智積菩薩が、その場から去ろうとした。
釈尊の勧めで、文殊師利菩薩と対話をすることになった智積は、わずか8歳の少女(竜女)が尊極の生命を輝かせて、人々に対する深い慈愛の念を持っているとの話を聞かされる。
にわかに信じられずにいた智積の前に、竜女が姿を現すが、釈尊の弟子である舎利弗も、まだ幼い彼女の姿を見て、本当にそんなことができるのかとの思いを拭えなかった。
竜女は尊極の生命の証しである宝珠を釈尊に手渡した上で、舎利弗に対し、自分の本当の生命の輝きを見てほしいと叫ぶ。
そして、竜女が人々のために尽くす姿を実際に目にした舎利弗と智積は、文殊の話が真実であると確信するにいたった——と。
私は、この場面には、「万人の尊厳」といっても、抽象的な理解だけでは完結しえないことが示されていると感じます。
また日蓮大聖人が、竜女の叫びの核心は、「舎利弗竜女が成仏と思うが僻事なり、我が成仏ぞと観ぜよ」(御書747ページ)との思いにあると強調したように、竜女の尊厳と舎利弗の尊厳は、決して別のものではありません。竜女の尊厳(女性の尊厳)に照らされて、その実感を通し、舎利弗の尊厳(男性の尊厳)も浮かび上がっているのです。
つまり法華経では、「女性の尊厳」が現実に示されたことで、「万人の尊厳」が真に内実を伴うものとして結晶しています。
現代の人権についても、女性の権利の重要性が国連憲章に刻まれたからこそ、国連に人権の精神が鮮明な形で宿るようになったのではないでしょうか。
国連憲章の制定会議で声を上げた女性たちの思いも、女性の権利を大切にしなければ、"人間の権利"を大切にする社会は築けないとの一点にあったに違いないと思うのです。
UNウィメンでは現在、ジェンダー平等の推進の輪に、積極的に男性も加わることを呼び掛ける、「HeForShe(ヒー・フォー・シー)」のキャンペーンを進めています。
自由と権利を得られずにいてよい人間などなく、自由と権利を求める行動において差異による区別を設けてはならないはずです。
ジェンダー平等の目的——それは男女を問わず、全ての人々が尊厳の光を自分らしく輝かせていける道を、皆で大きく広げていくことにあるのです。
私どもSGIは青年を中心に「人権文化」を担う民衆の連帯を強めながら、「誰も置き去りにしない」世界を築く希望の暁鐘を、力強く打ち鳴らしていきたいと思います。