2017年2月19日日曜日

2017.02.19 わが友に贈る

楽しく明るい所に
人々は喜び集う。
歓喜と感謝の心に
福徳は いや増す。
皆で幸の楽土の建設を!

妙心尼御前御返事 P1479
『病あれば死ぬべしといふ事不定なり』

☆女性に贈ることば 二月十九日
子どもが起こす問題行動は、何か意味がある。子どもの心が発するシグナルです。
心のどこかがおかしくても、子どもは、それをうまく表現できない。また、自分でもよくわからないのが実際でしょう。
子どもの行動の意味を理解し、対応してあげることが必要なのです。子どものシグナルに気づくためには、心が子どもの方を向いていなくてはいけません。

☆今日のことば365 二月十九日
人生は最後の一瞬まで、建設の連続でありたい。
この心構えを生涯持ちつづけたかどうかが、その人の人生の価値を決定するといっても過言ではない。

☆仏法の教え みんなで学ぶ教学〜新会員教室〜第2回 広宣流布 2017年2月4日
◇"自他共の幸せ"の連帯を世界に広げよう
池田先生は、今年の年頭に「"青年拡大の年"なれば、共々に若々しく張り切って『一生成仏』『人間革命』という自転と、『広宣流布』『立正安国』という公転を、たゆまず進めてまいりたい」とつづられました。今回の「みんなで学ぶ教学」は、前回の「一生成仏」に続いて、「広宣流布」をテーマに学びます。

◇勤行の御祈念文にも
——創価学会の方々が、人のために尽くす姿に胸を打たれて入会しました。

仏法では、万人に本来具わっている仏の生命を開いていくことで、全ての人が幸福になれると説いています。
学会員は皆、この仏法の広宣流布を目指して学会活動に取り組み、縁する人々に励ましを送っているのです。

——「コウセンルフ」? どういう意味ですか。

「広宣流布」という言葉は、釈尊が説いた法華経の中に出てきます。
「私(釈尊)が亡くなった後、末法において、全世界に正法を広宣流布して、断絶させてはならない」(法華経601ページ、趣意)
「広宣」には「広く宣べる」との意味が、「流布」には「布のように布き広げていく」との意味があります。略して「広布」と言うこともあります。国や言語、文化土壌などの、あらゆる差異を超えて、万人成仏の妙法を広め、伝えていくことを指します。
御書に「大願とは法華弘通なり」(736ページ)とある通り、広宣流布こそ日蓮仏法の根本精神です。

——勤行の御祈念文にも「世界広宣流布大願成就」とありますね。

私たちの信心の大切な目的だから日々、祈るのです。
前回(1月10日付)学んだ「一生成仏」は、いうならば「個人の幸福」を願うものでした。
それに対して、世界平和や社会の繁栄を意味する「広宣流布」は、「万人の幸福」の実現を目指しています。
大聖人は「喜とは自他共に喜ぶ事なり」「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(御書761ページ)と仰せです。
「自分の幸福」だけを願う姿勢は、エゴ、利己主義であり、他方、「他人の幸福」を声高に叫ぶばかりでは、"偽善"に陥ってしまいかねません。
「一生成仏」と「広宣流布」双方の実現——つまり「自他共の幸せ」を目指して信心の実践に励むことが大切なのです。

◇仏意仏勅の創価学会
——創価学会の会合で、「広布」「広宣流布」という言葉を耳にする理由がよく分かりました。

先に引用した法華経の経文の後には、広宣流布を阻む障魔の働きを予見する言葉が続きます。事実、大聖人は末法の悪世にあって、命に及ぶ大難を忍ばれて、南無妙法蓮華経の大法を弘通されました。
この大聖人の死身弘法の精神に連なり、妙法を広め、広宣流布を進めてきたのが創価学会です。
大聖人の御入滅から700年、誰も妙法を世界に広めることはできませんでした。創価学会が、釈尊と大聖人の未来記(予言)を現実のものにしたのです。学会こそが「仏意仏勅」「大聖人直結」の教団である理由がここにあります。
広宣流布の担い手は、特別な聖職者ではなく、庶民である学会員でした。その尊き広布のバトンを受け継ぐ私たち一人一人も、創価学会の深き使命を自覚して、幸せの連帯を広げていきたいですね。

◇永遠に続く"流れ"
——「全員が学会員になれば、広宣流布は達成する」と考えていいのでしょうか?

世の中は絶えず変化し、その時代が抱える課題や人々の悩みも千変万化します。形式的に人数が増えることだけが広宣流布ではありません。「これで、広宣流布は終わり」という時もありません。
大聖人は、「日蓮の慈悲が広大であるならば、南無妙法蓮華経は万年のほか未来までも流布するであろう」(同329ページ、通解)と仰せです。
広宣流布とは、妙法を広めた先の到達点ではなく、妙法を広めゆく流れそのものといえます。
終わりのない運動ですから、私たちも常に未来を見据えて信心に励み、後に続く人を大切にしていきたいですね。

——私にできることは何でしょうか?

家族や友人の幸福を「祈る」ことから始めてみてはどうでしょう。そうした祈り自体が、広宣流布に通じる立派な実践です。
また、御本尊への祈りを根本に、より良い自分に変わっていく——こうした人間革命の実証を通じて、周囲に信心の素晴らしさを伝えていくことも大切です。
池田先生は語られました。
「広宣流布のために働き、広宣流布のために『信心の勝利』の実証を示そうと立ち上がるとき、言うに言われぬ大功徳が身にあふれてくるのです」
多くの学会員が、"広布のために"と奮闘する中で、自身にしか果たせない使命を見いだし、想像すらできなかったような幸福境涯を築いてきました。広布の使命に生き抜く中で、歓喜の人生を勝ち開いていきましょう。