2017年2月22日水曜日

2017.02.22 わが友に贈る

仕事等で忙しい時こそ
智恵と勇気を出し
連携を取ろう!
呼吸を合わせる努力から
拡大の波動は生まれる!

松野殿御返事 P1383
『何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし、例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし』

☆女性に贈ることば 二月二十二日
人生は戦いである。それが生命の法則である。戦いを避けることは、それ自体、敗北である。
幸福は勝ち取るものだ。

☆今日のことば365 二月二十二日
立派な少年は
 必ず立派な 青年となる
立派な少年は
 必ず立派な 社会人と
 なることができる
希望にもえて
前進する少年は 
 必ず良い 社会の指導者と
 なることができる

☆弟子の道−小説『新・人間革命』に学ぶ (上)
小説『新・人間革命』「大山」の章の連載が、本年の元旦から始まりました。「恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の 『弟子の道』を書き残さなければならない」(同小説「はじめに」から)との思いが込められた池田大作先生の執筆闘争も、いよいよ第30巻となり、"総仕上げ"を迎えています。青年部の一人一人が、師匠の心の奥底に迫り、師弟の精神を深める時は"今"です。
新企画「弟子の道−−小説『新・人間革命』に学ぶ」では、今後、各巻の特集を掲載していきます。
今回と次回(3月1 日付予定)は、そのプロローグとして、戸田城聖先生の小説『人間革命』、池田先生の小説『人間革命』『新・人間革命』に紡がれた"師弟の絆、思想の展開"について学びます。また、池田 主任副会長へのインタビューを2回にわたって掲載します。

◇戸田先生の「人間革命」 連載:1951年〜54年
先師・牧ロ先生と弟子の悟達

池田先生が小説を書こうと決意したきっかけは、恩師・戸田先生が小説『人間革命』を執筆したことにあります。
「妙悟空」というペンネームを用いた戸田先生の小説は、1951年4月20日付の聖教新聞創刊号から、約3年にわたり連載されました。
主人公は「巌九十翁」。牧ロ常三郎先生を師匠とし、心がすさんだ貧しい生活から、見事に蘇生していく姿が痛快に描かれています。 前半は小説を意識したフィクションですが、後半は、主人公に戸田先生の実体験が重ねられ、貴重な "真実の記録"となつています。

軍部政府の暴走が進むにつれて、信教の自由はむしばまれていきます。その中で、創価の師・牧ロ先生は、「仏法の力によつ て、日本を栄えさせてこそ、大聖人 はお喜びになるのではないか!」 と、「国家諫暁」を決断。多くの弟子たちは、保身の心から恐れを抱きますが、巌さんは、真正の弟子として続きます。「ぼくは牧ロ先生の弟子さ」「一大折伏戦に入ろうではないか!」と。
やがて牧ロ先生と巌さんは投獄。牢獄の中で巌さんが、自身が 「地涌の菩薩」であると悟り、広宣流布に生き抜く決意を定める場面で、物語は幕を閉じます。
ここでは、牧ロ先生の獄中での逝去は描かれていません。しかし、 日本のために正法流布に挺身した師を、獄死に至らしめた時の権力への怒り、そして、師の仇討ちを誓った戸田先生の思いは、主人公の「巌九十翁」に託されています。

54年、牧ロ先生の十回忌法要の折に、戸田先生は語りました。
「あれほど悲しいこと(牧口先生の獄死)は、私の一生涯になかつ た。そのとき、私は『よし、いまにみよ!先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、 先生にお返ししよう』と決心した」
戸田先生は、自身の分身である 小説の主人公を、名作『モンテ・クリスト伯』の「巌窟王」になぞらえ、「巌九十翁」と命名したのです。

戸田先生の小説『人間革命』の執筆には、池田先生も携わっていました。戸田先生は折々、途中まで書いた原稿を池田先生に渡したといいます。「後は君が書いておけ。また、直したいところは、好きなように直してよい」。

池田先生は当時を「ありがたき師の訓練」だったと振り返っています。 師弟の共戦で完成された小説 『人間革命』は、57年7月3日、 単行本として出版されます。この日、池田先生は、選挙違反という無実の罪を晴らすため、自ら大阪府警察本部に出頭し、逮捕・勾留 されました(大阪事件)。先生は、羽田の空港で師匠から贈られ た小説を抱き、権力の魔性との闘争を開始したのです。
戸田先生の小説『人間革命』下巻には、「人間革命の真髄」と題した「あとがき」が掲載されています。その中で戸田先生は、巌さんや同志たちの経済的な蘇生のド ラマなどに触れて、「真の人間革命はまだまだこれからである」。
そして「三類の強敵と闘い抜き、三障四魔を断破して、真の大利益、人間革命の真髄を把握されんことを希望する」と記しています。
その後の巌さん、つまり戸田先生が率いる草創の同志の"真実の闘い"を、弟子・池田先生は書き記していくことになります。

先生、戸田は命をかけて戦います。何がどうなろうと、 戸田は、どこまでも先生のお供をさせていただきます。 (小説『人間革命』第1巻「一人立つ」から)

◇池田 主任副会長へのインタビュー
師の人生を "追体験" 誰もが「山本伸一」に

池田先生は、小説『新・人間革命』第1巻の「はじめに」で、"完結までに30巻を予定"と書かれています。 ついに、その第30巻の連載が、本年の元日から始まりました。
昨年夏、池田先生が『新・人間革命』の執筆を開始された軽井沢の長野研修道場を訪れました。研修道場には、最初の執筆の日に記された「全30冊の予定なり」との直筆原稿が展示されていました。
当時、先生は65歳。ー般的には、"定年"を過ぎ、退職 という人生の一区切りの年齢でもあります。その時点で、 先生は全30巻での完結という壮大な目標を目指し、新たな挑戦を宣言されたのです。
前書き(「はじめに」)には、小説の執筆は「限りある 命の時間との、壮絶な闘争となる」と記されています。

先生は、『新・人間革命』の執筆こそ、人生で果たすべき使命であると定められていると感じます。連載を待ってくれている読者、後継の弟子たちに、何を伝え残していくか。 そこに、先生の人生を懸けた戦いがあるのだと思います。

池田先生が小説を書いた直接的なきっかけは、戸田 先生の小説『人間革命』にあります。その意味で、池田先生の『人間革命』『新・人間 革命』は、"師弟の物語の続編"と言えるのでしょうか。

戸田先生は、逝去の8力月前、軽井沢の地で、池田先生に語りました。「牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、恥ずかしさが先に立つて、できないということだよ」と。この時、池田先生は、恩師の真実を残すために、"続編"を執筆することを固く決意されています。
一方、『新・人間革命』 は、戸田先生の理想を、弟子山本伸一がどう実現していくかということに力点が置かれている。また、伸一と共に、世界の後継の弟子たちが、どのように戦つたかということに光を当てています。
池田先生は『新・人間革命』の前書きで、「(戸田) 先生亡き後の広宣流布の世界への広がりこそが、恩師の本当の偉大さの証明になると考えた」と記しています。

半世紀にわたる『人間革命』『新・人間革命』の執筆は、全国、海外各地を駆け巡る激務の中で続けられてきました。先生は、日々の連載を通して、今の同志への激励や指針を贈っています。毎日、 戦いながら書き、同志を励ましていく。先生にとって小説の執筆は、"人生の大きな 柱"だと言っても過言ではありません。

なぜ『続・人間革命』ではなく、『新・人間革命』というタイ卜ルにされたのでしようか。

池田先生の『人間革命』の結びは、戸田先生が逝去された後、山本伸一が創価学会の会長に就任する場面で終わります。一方、『新・人間革命』の冒頭は、伸一の会長就任から5力月後、海外初訪問のシーンから始まっています。

これは、『新・人間革命』 が、単に歴史的事実を追うものでなく、「世界広布」を主題としているからではないでしょぅか。戸田先生から託された広宣流布の壮大な構想を、弟子がいかに実現していくか。いかに新たな時代に、人間革命の哲学と実践を展開していくか。そこに「新」と いう一字の意義があると言えるかもしれません。

創価の師弟の歴史をつづるに当たり、「小説」の形態を取つた理由とは?

池田先生は『新・人間革命』の前書きで、「私の足跡を記せる人はいても、私の心までは描けない。私でなければわからない真実の学会の歴史がある」と書かれています。小説は、人の心を描くには、一番適した形であると思います。
そして小説だからこそ、!! 者は、主人公の人生を「追体験」できます。

「山本伸一」は、あくまで仮名です。もちろん池田先生 の生涯そのものですが、弟子の戦いが凝縮されたモデルとも言える。つまり、誰もが 「山本伸一」として生きる可能性を持っている。「山本伸一」の人生、心の奥底を追体験し、先生の思いに自分の思 いを重ね合わせながら、共戦の道を歩むことができるのです。
大発展するインド創価学会のメンバーの合言葉は、「アイアムシンイチ・ヤマモト(私は山本伸一だ)」で す。先生の『新・人間革命』 を読み、インド広布に一人立った伸一の思いと行動を追体験しながら、"今こそ、自分が山本伸一の精神で戦おぅ" と立ち上がっています。

現在の第30巻の連載は、海外でも大きな反響を呼んでいると聞いています。

各国・地域のSGIメンバーからは、連日、連載中の 「大山」の章を、"即日で翻訳してほしい"という要望を たくさんいただいているようです。池田先生の今の思いを "同時共有したい"というのが、海外の同志の率直な思いです。
先生の日々の連載を、日本語でリアルタイムで学ぶことができる私たちは、求道の心 を燃やして真剣に拝していきたい。今はまさに"黄金の時"です。 (次回に続く)