勇気を出せば
一切が楽しくなる!
全てに勝っていける!
題目を唱え抜き
勇猛精進の日々を!
四条金吾御書 P1176
『又御をととどもには常はふびんのよしあるべし、つねにゆせにざうりのあたいなんど心あるべし、もしやの事のあらむにはかたきはゆるさじ、我がためにいのちをうしなはんずる者ぞかしとをぼして、とがありともせうせうの失をばしらぬやうにてあるべし』
☆女性に贈ることば 二月二十六日
栄誉に輝いた友をほめたたえ、ともに喜ぶ人は、その心に福徳が積まれていく。反対に、妬んだり、たいしたことはないと見くだしたりする人は、自身の福徳を消してしまう。
わが友を幸福にしゆく女性が、幸福の博士なのである。
☆今日のことば365 二月二十六日
人には、ほめられて、ますますそれを実践してよくなっていく人、ほめられたが途中から叱られて、よくなっていく人、また叱られてのびていく人、それから叱られてもなかなかよくならない人と四種類ある。ほめられて成長していくという人はごく少ない。ほんとうに叱ってくれる人がいるということは、ありがたいことであり、幸福なことだ。
☆仏法の教え 大聖人直結 2017年2月14日
◇御本仏の御金言を創価学会が実現!
2月16日は日蓮大聖人御聖誕の日。創価学会はこれまで、大聖人に直結して広宣流布を進め、末法の御本仏の御金言を現実のものとしてきました。今回は御書を拝しながら、「大聖人直結」について学んでいきます。
〈Q〉信心を貫く上で、大事な姿勢とは何でしょうか?
〈A〉「日蓮が如く」との一念で、一歩も退かないことです。
総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし(四菩薩造立抄、御書989ページ)
創価学会第2代会長の戸田城聖先生は、「信心は大聖人の時代に還れ」と語られていました。学会は、この言葉の通りに御書を拝し、御書の仰せのままに実践してきました。
特に、第3代会長の池田大作先生のもと、「御本尊根本」「御書根本」の広布の勢いは一段と加速。学会は世界192カ国・地域に発展したのです。
大聖人は「総じて日蓮の弟子といって法華経を修行する人々は、日蓮のようにしなさい。そうするならば、釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、十羅刹女も必ず守護されるであろう」(御書989ページ、通解)と仰せです。また、「日蓮と同意」(同1360ページ)など、大聖人と同じ決意に立つ重要性を訴えられています。
大聖人は立宗宣言以来、あらゆる迫害や大難を勝ち越えて、妙法流布に生き抜かれました。そして自ら広布の先頭に立つとともに、弟子にも"私と同じように戦いなさい!"と呼び掛けられました。
大聖人と同じ心で、さまざまな障魔の嵐にも、一歩も引くことなく戦い抜いてきたのが創価三代の会長であり、学会員です。この「戦う心」こそ、私たちが継承していく信心の根本姿勢です。
〈Q〉大聖人と同じ決意に立つには、どうすればよいですか?
〈A〉自身に具わる「師子王の心」を取り出して、戦い抜くことです。
強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし(佐渡御書、御書957ページ)
大聖人は「強敵を倒して、はじめて、力ある者であると分かる。悪王が正法を破ろうとし、邪法の僧らがその味方をして、智者を亡き者にしようとする時は、師子王の心を持つ者が必ず仏になるのである」(御書a957ページ、通解)と断言されています。
御書には、「師子」「師子王」という言葉が多く見られます。師子が吼えれば百獣が従うように、仏の教説は人々の魂を揺さぶります。逆境に直面している時こそ、自らが師子となって、「師子王の心」で戦うことで、逆境を変えていくことができると説くのが、日蓮大聖人の仏法です。
別の御書で大聖人は、「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」(同1190ページ)とも述べられています。
「師子王の心」とは「勇気」と言い換えることもできます。また、「各各」と呼び掛けられているとおり、「師子王の心」は万人の胸中に存在します。それを取り出すための要諦こそ、師弟不二の強盛な信心の実践にほかなりません。
大聖人が勇気ある信心の実践を門下に促したように、私たちもまた、一人一人が「師子王の心」を取り出して、「覚悟の信心」を実践していくことが重要なのです。
〈Q〉なぜ、学会は世界広宣流布を実現できたのですか?
〈A〉御書根本に、目覚めた一人が目の前の友を激励してきたからです。
衆流あつまりて大海となる微塵つもりて須弥山となれり、日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一�・一微塵のごとし
(撰時抄、御書288ページ)
目覚めた一人が、次なる一人を呼び覚まし、拡大していくのが広布の方程式です。
大聖人も「多くの川の流れが集まって大海となり、小さな塵が積もって須弥山となったのである。日蓮が法華経を信じ始めたのは、日本国にとっては、一滴の水、一粒の塵のようなものである」(御書288ページ、通解)と語られています。
そして、「やがて法華経の題目を、二人、三人、十人、百千万億人と、唱え伝えていくならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるであろう」(同ページ、通解)と宣言されています。
学会は御本仏の仰せの通りに、目の前の一人を励まし、蘇生させてきました。その先頭に立ってきたのが創価三代の会長です。
池田先生は語られています。
「法華経は万人を目覚めさせる教えです。一人一人の無明を力強く打ち破って、法性の生命を呼び覚ます力がある。一人の『法華経の行者』が行動を起こせば、太陽の如く周囲の闇を照らし、晴らしていくことができます」と。
「御本仏の仰せを決して虚妄にしない!」と立ち上がった一人の強盛な信心が次々に伝播することで、世界広宣流布は成し遂げられてきたのです。
◇智慧の扉 「実践の教学」の伝統
大聖人は、「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」(御書1361ページ)と仰せです。戸田先生は「信は理を求め、求めたる理は信を深からしむ」と語っていました。
一人一人が御書を学ぶことで、信が深まり、深まった信は、おのずと行動へとつながります。また、一つ一つの御金言を自身に当てはめ、人生を支える指針としていくならば、どんな事態に直面しても御本尊根本に立ち向かっていくことができます。
学会員は「行学の二道」に徹する中で確固たる信心を確立してきました。この「実践の教学」こそ学会の伝統なのです。