◇今週のことば
"一は万の母"なり。
春を呼ぶ声の響きで
一人一人に励ましを!
一人一人を味方に!
そこから希望の万波が。
2017年2月20日
四条金吾殿御返事 P1185
『今度の命たすかり候は偏に釈迦仏の貴辺の身に入り替らせ給いて御たすけ候か』
☆女性に贈ることば 二月二十日
人間の最も美しい姿のひとつは、真剣に仕事に打ち込んでいる姿である。
仕事に着任をもって、はつらつと取り組んでいる女性は、若さを失わない。
☆今日のことば365 二月二十日
大自然は、つぶさに観察すれば、するほど、その精巧さに驚嘆せずにはいられないような、複雑、微妙で、しかも壮大な生命の環を構成している。まさしく、宇宙の大芸術であるといってよい。昔から、人間の英知は、自らがその環のひとつであることを察知し、巧みに生きる術を考え出してきた。
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 佐渡御書(上) 2017年2月11日
◇法のための行動が、わが境涯を開く
今月から2回にわたり、「佐渡御書」を学びます。
第2代会長・戸田城聖先生はかつて、論文「佐渡御書を拝して」に次のように記されました。「この御抄を拝して、深く胸打たれるものは、大聖人御自身のお命もあやうく、かつはご生活も逼迫しているときにもかかわらず、弟子らをわが子のごとく慈しむ愛情が、ひしひしとあらわれていることである。春の海に毅然たる大岩が海中にそびえ立ち、その巌のもとに、陽光をおびた小波があまえている風景にも似ているような感がある」
佐渡流罪という大難の中、弟子の勝利を願って不惜身命の信心を貫くよう励まされた日蓮大聖人の御精神を拝していきましょう。(今回の拝読範囲は、御書956ページ冒頭〜同958ページ7行目)
◇本抄について
本抄は、文永9年(1272年)3月、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地の佐渡・塚原から、門下一同に宛てて認められたお手紙です。
前年の竜の口の法難以降、迫害の手は大聖人だけでなく門下にも及び、弟子たちは投獄・所領没収などの処罰を受けました。こうした中、弾圧を恐れて退転する者が相次いだのです。大聖人は、難に動揺する弟子たちを案じられ、文永9年2月、御自身が末法の御本仏であることを示された「開目抄」を門下一同に与えられました。
この2月には、大聖人が「立正安国論」で予言された自界叛逆難の的中を意味する「二月騒動(北条一族の内乱)」が起こりました。その知らせを受けて認められたのが本抄です。
◇御文
世間の法にも重恩をば命を捨て報ずるなるべし又主君の為に命を捨る人はすくなきやうなれども其数多し男子ははぢに命をすて女人は男の為に命をすつ、魚は命を惜む故に池にすむに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむしかれどもゑにばかされて釣をのむ鳥は木にすむ木のひきき事をおじて木の上枝にすむしかれどもゑにばかされて網にかかる、人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし
(御書956ページ8行目〜同957ページ1行目)
◇通解
世間の道理でも、重き恩に対しては命を捨てて報いるものである。また、主君のために命を捨てる人は少ないように思われるけれども、その数は多い。男は名誉のために命を捨て、女は男のために命を捨てる。
魚は、命を惜しむため、すみかとしている池が浅いことを嘆いて、池の底に穴を掘って棲んでいる。しかし、餌にだまされて釣り針を呑んでしまう。
鳥は、すみかとしている木が低いことを恐れて、木の上の枝に棲んでいる。しかし、餌にだまされて網にかかってしまう。
人もまた、これと同じである。
世間の浅いことのために命を失うことはあっても、大事な仏法のためには身命を捨てることが難しい。それゆえ、仏になる人もいないのである。
〈解説〉不惜身命の心で勇んで広布へ
本抄で日蓮大聖人は門下に、「世間の浅き事」のために命を捨てるのではなく、「大事の仏法」のために使っていくべきであると教えられています。
本抄の御執筆当時は、門下にも迫害の嵐が吹き荒れ、さらに二月騒動が起こるなど、騒然とした状況でした。だからこそ大聖人は、冒頭から"何のために、わが命を使うのか"という信仰者としての根本目的を教えられていると拝されます。
掲げた御文では、男性が自身の名誉のために命を懸け、女性が男性のために献身した当時の事例が挙げられています。
これは、当時、人々が世間の倫理観、価値観に従って自らの命を捨てることも少なくなかったということです。
また、大聖人は、魚や鳥が、餌にだまされて捕まり、命を落としてしまう習性に譬えて、目先のことにとらわれる、こうした愚かさが人にもあることを示されます。
これらのことを通して大聖人は、「世間の浅き事」のために命を捨ててしまうゆえに仏になる人もいないと教えられます。「大事の仏法」のために身命を惜しまぬ実践を貫いてこそ仏の境涯を開くことができるのです。まさに、大難に直面する門下への厳愛の御指導です。
では、大切な自身の命を「大事の仏法」のために使うとは、私たちの実践でいえば、どうすることなのでしょうか。
それは、日々、題目を唱え、広宣流布のために全力で行動することに当たります。具体的には、縁する友の幸福を祈り、真心をもって語ること。悩んでいる目の前の友の声に耳を傾け、励ましを送ること。自身の殻を破る勇気の一歩を踏み出すこと——信心を根本に、こうした身近な行動を続ける中に不惜身命の姿勢があるのです。
この最も尊く、価値ある生き方を教えてくださったのが、創価三代の師弟です。池田先生は「仏法のために尊い生涯を捧げるならば、生々世々、功徳と幸福に包まれた人生を歩んでいけることは絶対に間違いありません」と述べています。
本年は、池田先生が、師・戸田先生の願業である75万世帯の実現のために拡大の突破口を開かれた二月闘争から65周年の佳節です。今この時に、師匠と共に最高の青春を歩める喜びを胸に、報恩の心で勇気の対話を広げていきましょう。
◇池田先生の講義から
「佐渡御書」は、いわば「創価学会の御書」と申し上げても、過言ではありません。大聖人が、燃え上がる正義の炎で綴り遺され、弟子たちの心に打ち込まれたこの御書を、学会の三代の師弟は不惜身命の信心で、色読してきたからです。
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大難によってこそ、人間の境涯は限りなく開かれる。その極理を教えてくださるのが仏法の師匠です。師匠とは何とありがたい存在でしょうか。この師恩に報いてこそ「弟子の道」です。本抄はまさしく、「師弟不二」という信仰の奥義が凝結した「誓願の一書」であると拝したい。
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「三世の生命観」「永遠の幸福観」に目覚めることこそが、人生と社会のさまざまな問題を打開するための根本的な転換点となるのです。正しき生死観を持てば、人類の境涯も高まります。生死観の浅深を見極めていくことが、二十一世紀の文明を開く哲学の急所であるといってよい。(いずれも『勝利の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
◇研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第1巻、「佐渡御書」(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第2巻、「佐渡流罪」上下(同)