実践の教学が学会魂だ。
行き詰まった時こそ
御書を拝そう!
希望と勇気と智慧は
無限に湧き出てくる!
船守弥三郎許御書 P1445
『法華経を行ぜん者をば諸天善神等或はをとことなり或は女となり形をかへさまざまに供養してたすくべし』
☆女性に贈ることば 二月二十八日
自分の心が変わり、使命感が変われば、すべてが変わっていく。
人のために、と行動していくなかに、最も光り輝いていく生命の軌道がある。
☆今日のことば365 二月二十八日
押し潰されるような
いやな時があったならば
朝早くすがすがしい散歩でもする余裕を
持ってくれ給えと
私は 君に激励しておきたいのだ
☆小説「新・人間革命」連載6000回特集 「新・人間革命」とその時代 2017年2月18日
「真実の師弟の道を示し、人類の幸福と平和のために、広宣流布の流れを永遠ならしめたい。
そして、その原動力たる創価学会を恒久化する方程式を明確に残さんと、今日も私はペンを執り続けている」
池田先生は、日々、『新・人間革命』をつづる真情をそう語ったことがある。
1993年(平成5年)8月6日、「広島原爆の日」に、恩師との思い出深き長野の地で執筆は始まった。同日、会見していたのがインド・ガンジー記念館のラダクリシュナン館長(当時)である。
この時、池田先生は65歳。連載に当たって、「はじめに」で、こう述べている。
「完結までに三十巻を予定している。その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない」。そして、「まだまだ若い」と。
同年11月18日に新聞連載が開始され、短期の休載を除いて、足かけ25年にわたってペンの闘争は続く。
池田先生は記した。
「できることなら、全同志の皆さま、お一人お一人にあてて、感謝と励ましの手紙を差し上げたい。しかし、身は一つである。そこで、毎日、手紙をつづる思いで、小説『新・人間革命』の執筆に取り組んでいる」
真実の師弟の道を永遠に刻み残すとともに、同時代を生きる庶民に、平和と人生勝利の指針を贈る。
そこに、新聞連載の意義があろう。
◇1993年8月6日に執筆開始
●混沌とする冷戦後の世界へ 仏法ヒューマニズムの光を送る
『新・人間革命』第1巻は、60年(昭和35年)10月2日、山本伸一が初の海外歴訪に旅立つ情景から始まる。
「はじめに」には、こうある。
「日蓮大聖人の仏法のヒューマニズムの光をもって世界を包み、新たなる人類の歴史を開く創価ルネサンスの民衆の凱歌の姿を描くことになる」
執筆が開始された93年は、宗門の鉄鎖を断った「魂の独立」から2年。同志は、新たな世界広布の道標を求めていた。
冷戦後の当時は、イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)の和平協定(93年9月)、欧州連合の発足(同年11月)などの平和と統合への動きと、ボスニア紛争、ルワンダ虐殺などの戦乱と分断の動きが相半ばしていた。新たな時代哲学への渇仰は、人類全体もまた同じであった。
池田先生は、執筆開始の翌9月に訪米し、ハーバード大学で「21世紀文明と大乗仏教」と題し、2度目の講演を行ってもいる。
世界を縦横に巡り、指導者、識者と文明間の対話を繰り広げつつ、『新・人間革命』のペンを握り、世界平和の基をなす、仏教の慈悲と寛容の哲学を発信していくのである。
◇2001年 対話こそ人間結合の力
●9月11日 米同時多発テロ
●10月11日から文明間対話を描く(第12巻)
2001年(平成13年)9月11日、アメリカで同時多発テロ事件が起こった時、『新・人間革命』は、第12巻「天舞」の章を連載中であった。
暴力の連鎖に懸念が強まる中、同章では、10月11日付から、欧州統合の父クーデンホーフ・カレルギー伯爵との文明間対話(1967年〈昭和42年〉)を描いていった。
「対話には、人間と人間を結び合う、結合の力がある」「人間の幸福、救済をめざす思想、宗教には、本来、人間を尊重するという共通項があります。それがある限り、必ず通じ合い、共感し合うはずであり、相互理解は可能であると思います」
「現代社会の不幸の元凶は、人間生命が尊厳なる存在であるという、本源的な考えが欠如していることだ」
アメリカSGIのストラウス理事長は語る。「先生は同じ第12巻(『新緑』の章)で、ニューヨーク訪問の模様を紹介してくださっていました。私たちはあの惨事の後、日々、小説の一節一節を読み返しながら、新たな平和と広布の建設へ進んでいったのです」
同国SGIでは現在、壮年部や婦人部の人材グループ等で、小説を学び合っている。
◇2011年 新生の春を告げよう!
●3月11日 東日本大震災
●9月1日から「福光」の章(第25巻)
「春を告げよう! 新生の春を告げよう!」——2011年(平成23年)3月11日の東日本大震災から半年。第25巻「福光」の章は9月1日付から始まった。
「冒頭の詩の一節が目に飛び込んだ時、身震いするほどの感動を覚えました」と盛島東北長が語る。「復興の指標として、心のど真ん中に据えたのが『福光』の章です」
津波で4人の子を失った宮城・女川町の婦人部の友は、「福光」の章から、小説をノートに書き写し続けた。すると「心に少しずつ光が差し込んだ」。
写し続ける中、ある言葉に出あう。「生きて信心に励める人には、他界した法友の志を受け継ぎ、戦う使命がある。それが故人への最高の回向となるのだ」(第26巻「厚田」の章)。題目で子らとつながっていることを確信できたという。
福島では冒頭の詩の暗唱運動が青年部を中心に始まり、この詩とともに、苦難を越えてきた。福島文化会館には、詩の銘板がある。
また同県の壮年部「正義大学校」、婦人部・女子部「うつくしま人間革命大学校」、青森の壮年部「勇将会」、婦人部・女子部「人材の森大学校」など、東北各地に小説研さんの波が広がる。
◇新聞連載回数で日本一
●「人間革命」と合わせ7509回
小説『新・人間革命』は日本の新聞小説史上、最多の連載回数を更新し続けている。2011年11月3日付で連載は4726回となり、山岡荘八氏の『徳川家康』の4725回(余話も含む)を超え、日本一に。
連載は、1509回にわたる小説『人間革命』と合わせると、きょうで7509回になる。
『新・人間革命』第1巻の「あとがき」に池田先生はつづっている。「生命の続く限り、私は書き続ける。正しい仏法とは何か。正しい人生とは何か。そして、何が歴史の『真実』か。人間にとって『正義』の戦いとは何かを。そこに、人類の未来を開く、一筋の道があるからだ」
◇23カ国地域・13言語で出版
●世界が学ぶ 幸福への指針
小説『新・人間革命』は、各国語に翻訳、出版されている。
初の外国語版は1995年(平成7年)1月、アメリカで発刊された、第1巻の英語版である。以来、スペイン語、デンマーク語、韓国語、インドネシア語、イタリア語など13言語、23カ国・地域で出版。本年1月15日には、同書の中国語版(繁体字)第27巻が新たに発刊された。
「『真実』を明確に書き残すことが、未来の人びとの明鏡となる。真実は、語らなければ残らない」。この思いで池田先生がつづる同書は、世界の友に幸福への指針を贈り、世界広布の方途を示し続けている。
◇朗読ラジオ番組は12年間
●励ましの声は電波に乗って
小説『新・人間革命』は、朗読ラジオ番組として、2003年(平成15年)4月から15年(同27年)3月まで、文化放送をキー局に、全国ネットで3123回にわたって放送された。
朗読を担当したのは、声優の小野田英一さんと沢田敏子さん。「歴史に残る最高の朗読番組を」との思いを込めた声に、多くの反響が寄せられてきた。
なお、ラジオ放送とは異なるが、聖教新聞社の公式ホームページ「SEIKYO online(セイキョウオンライン)」では、「音声配信サービス」で『新・人間革命』の音声ファイルをダウンロードして聴くことができる。
2017年2月28日火曜日
2017年2月27日月曜日
2017.02.27 わが友に贈る
◇今週のことば
「師子王とは前三後一」
小事にも油断しない。
奮迅の祈りと勢いから
道は劇的に開ける。
いざ師子王の心で勝て!
2017年2月27日
船守弥三郎許御書 P1445
『法華経を行ぜん者をば諸天善神等或はをとことなり或は女となり形をかへさまざまに供養してたすくべし』
☆女性に贈ることば 二月二十七日
いつも自然に振舞うこと、なごやかな雰囲気をつくること、笑顔を絶やさないことー一緒にいて、ありがたいなと思うのは、こうした妻の姿である。
☆今日のことば365 二月二十七日
青年時代の理想を一生もちつづけて実践する人が、人間としてもっとも価値ある人である。
☆小説「新・人間革命」連載6000回特集 「新・人間革命」と私 2017年2月18日
池田先生が「法悟空」のペンネームでつづる小説『新・人間革命』が、本日付の「大山」40で連載6000回を迎えた。第30巻に入った大長編は、人類の未来を開く希望の大叙事詩である。2面では、「『新・人間革命』と私」とのテーマで代表の友の声を紹介。3面では、「『新・人間革命』とその時代」と題し、執筆時の時代状況を振り返りつつ、渾身のペンの闘争をたどる。
◇主任副会長・総九州長 山本武
池田先生は、いわゆる"小説家"ではない。『新・人間革命』は、世界広宣流布の指揮を執る中での執筆である。その激闘は、余人の想像を絶する。
79回を数える九州指導の中でも、激闘の間隙を縫って口述したテープを、東京に送られたことがあった。誰もが後々の随筆で初めて知ったことだ。
「文章はペンで書くものではなく、命の筆先に血をつけて描く」(川端康成『新文章読本』)と。だが、先生の執筆は、文豪の思惟の範疇を超える。
卒寿を前にした今日なお続く、『新・人間革命』の執筆。永遠の師匠である牧口先生、戸田先生、池田先生の「創価三代の師弟の真実」を記し残してくださっている。
広宣流布という未聞の革命。三障四魔、三類の強敵に立ち向かい、尊い地涌の菩薩を守り抜く——その深慮は先生にしか分からない。私たちが心して学ぶべきは、その先生の心にこそあると思う。
忘れられないのは、1980年(昭和55年)8月10日、2年間にわたって休載を余儀なくされていた『人間革命』の第11巻が開始された日だ。早朝、自宅に届いた新聞を、あの時ほど焦がれる思いで開いたことはない。
当日の新聞には、題字下に小さく「小説『人間革命』第11巻 きょうから連載」とあるだけだった。しかし、私たちの心には、その活字が何倍にも大きく映った。
当時、私は大分県にいた。宗門事件の嵐が吹き荒れていた。休載中に、先生が第3代会長を辞任。厚い暗雲に覆われ、広布の視界は闇だった。
その日から皆で『人間革命』を読み合った。脱会者が出た地区でも、同様だった。
どこまでも弟子を思う先生の深い心に涙した。やがて反転攻勢の大波が、日本全土を包んでいった。
広宣流布は、仏と魔との間断なき闘争である。魔の狙いは永遠に一つ。「師弟の分断」である。
今、「大山」の章を学ぶ中で、先生がどれほどの思いをもって、永遠なる創価の未来を切り開いてこられたかを知り、粛然と襟を正す。
私たちは『人間革命』『新・人間革命』を何度も何度も読み深め、師の心を常に自らの指標にしていかねばならないと、自らに問うしかない。
宿命転換の信心の姿勢、目指すべき広布のリーダー像、勝利への指揮の執り方、組織発展の方程式、世界広布の方軌——一切が『人間革命』『新・人間革命』にある。
「根深ければ枝繁し」。今を生きる私たち一人一人の弟子の生きざまが、その地の師弟の精神の伝統をつくる。先生と共に、総仕上げの時を生きる私たちの使命と責任と福運は、限りなく大きい。
九州は3年前から「人間革命池田塾」と銘打ち、月ごとに巻を定め、研さんを重ねてきた。これまで『人間革命』全12巻、そして『新・人間革命』は11巻までを学んできた。
うれしいのは、研さんを通し、新しい人材が目覚ましく成長していることである。
"先生からの金文字の手紙"を、人生と広布の現場で戦いながら学び、師の精神を鑑に、自らの人間革命に挑戦することを誓うのみである。
「石に金をかへ糞に米をかうる」(御書910ページ)との思いで——。
◇第2総東京婦人部長 橋口美雪
『新・人間革命』連載6000回の大偉業に、尽きせぬ感謝の思いでいっぱいです。池田先生は人知れず、構想を練られ、1993年(平成5年)8月6日に長野の地で執筆を開始されました。その「時」「場所」は、先生の深いお考えのもとにあり、戸田先生を常に胸中に抱かれながらの闘争であったことに心が震えます。
また、この年は、八王子市に東京牧口記念会館が完成した年でもありました。先生は、同会館を"本陣"として各国の要人らとの対話を展開されるなど、世界広布の指揮を執られ、その大激闘の中で『新・人間革命』を執筆くださっていたことは、第2総東京の誇りです。
第28巻「広宣譜」の章では78年(昭和53年)、山本伸一が各部や方面・県などに、次々に学会歌を作る場面が描かれています。
その頃、私は創価女子高校(現・関西創価高校)の1年生でした。新たな歌の譜面が聖教新聞に掲載されるたびに、うれしくて全国から集った高等部の仲間と歌いました。
当時、学会を取り巻く状況など知る由もなく、あらためて、一つ一つの歌に込められた先生の万感の思いに胸が熱くなりました。
「大道」の章では、東京の歌「ああ感激の同志あり」の意義をつづってくださっています。東京への期待に触れ、日々「感激」の命で前進を誓いました。
そして現在、連載中の「大山」の章。79年(同54年)、先生がどれほど命を削り、学会を守り、同志を守り、今日の世界広布の大潮流を起こしてこられたことか。当時、先生は立川文化会館を反転攻勢の闘争の舞台とされ、壮絶な攻防戦の真っただ中にありながら、会館を訪れた同志を直接、激励してくださいました。その日々は、弟子として申し訳なくも、宝の歴史です。
第2総東京婦人部・女子部では15年ほど前から『新・人間革命』を学び合う「コスモス平和大学校」を開講しています。
受講生はのべ15万人を数え、そのうち1割以上が友人です。今や地域に根付いた運動として広く親しまれています。友人からは、次のような感想が寄せられています。
「小説のタイトルの通り、より良い人生を生きるための教科書、手引きです」「小説を読む中で、学会の真実の歴史を知り、たくさんの方の苦労や努力によって今日の学会が築き上げられたことに驚きを隠せません」「コスモス平和大学校は、人間革命号という大型客船に乗って、時間を超え、哲学・真理・人生を学ぶ世界旅のようです」
社会に希望の光を送り、世界を分断から調和へと導くメッセージ、励ましの力で一人の友が蘇生しゆく宿命転換のドラマ、そして私たちが幸せになるために「どう生きるべきか」を示す指針——先生が『新・人間革命』でつづられる言々句々が会員のみならず、どれほど、多くの読者の心を照らしているか計り知れません。
私自身、学会の永遠性を確立する今この時に『新・人間革命』を真剣に学び、"先生なら、どうされるか"と常に師と対話する思いで、弟子の道を貫き、"東京凱歌の年"を勝ち開いていきます。
◇インド男子部長 ゴーラブ・サブー
19歳の私は、貧困や不平等を解決する道を探し求めていました。
ある時、大学の友人が持つ本が目に入りました。タイトルは『人間革命』。「読ませてほしい」と言うと、彼は「これはメンバーのためのものだ」と。
インド創価学会(BSG)に入会し、私の新たな人生が始まりました。小説『人間革命』を初めて開いた日、本を閉じることができずに朝を迎えたことを覚えています。バスや電車でも、食事の時さえも手放さず、一気に読みました。
"一人の人間における偉大な人間革命は、全人類の宿命の転換をも可能にする"——この哲学を知り、私の疑問は晴れました。
以来、15年がたちます。『人間革命』を学び抜き、"池田大学"の一員として人生の確信をつかんだことが、私の最大の誇りです。
『新・人間革命』第3巻には、1961年2月、池田先生がインドのブッダガヤで"出でよ! 幾万、幾十万の山本伸一よ"と願われた場面が描かれています。私たちBSGにとって「山本伸一」は、広布の全責任を担い立つことを意味します。
最も重要なのは、伸一が常に師を心にとどめ、師に喜びをもたらし、師の期待に応えようとすることです。今日、BSG青年部は、「私は山本伸一だ!」と皆が誇らしく宣言します。これが、私たちの先生への誓いです。
2015年、私は『人間革命』第11巻「大阪」の章を根本に戦いを起こしました。その結果、55人の地区の座談会に、111人の友人が参加。それが波動となって、多くの地区が座談会に100人以上の友人を誘うことができました。
BSGは同年8月に10万の連帯を実現し、「11・18」には11万1111人に拡大。そして昨年、二月闘争を研さんする中で、15万5000人の地涌のスクラムを築くことができたのです。
池田先生は89歳の今も、執筆を通し、一人一人に手を差し伸べてくださっています。先生のお心を知るには、『人間革命』を学ぶ以外にありません。
毎週、地区ごとに研さんの集いを実施。携帯やタブレットで『人間革命』を学ぶ青年部も多くいます。『人間革命』を持ち歩くことが、先生と一緒にいるということなのです。
『新・人間革命』第5巻「勝利」の章に、「国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」とあります。師の構想を実現された先生のごとく、本年、BSG青年部は「10万の青年の連帯」という金字塔を打ち立てます。
「師子王とは前三後一」
小事にも油断しない。
奮迅の祈りと勢いから
道は劇的に開ける。
いざ師子王の心で勝て!
2017年2月27日
船守弥三郎許御書 P1445
『法華経を行ぜん者をば諸天善神等或はをとことなり或は女となり形をかへさまざまに供養してたすくべし』
☆女性に贈ることば 二月二十七日
いつも自然に振舞うこと、なごやかな雰囲気をつくること、笑顔を絶やさないことー一緒にいて、ありがたいなと思うのは、こうした妻の姿である。
☆今日のことば365 二月二十七日
青年時代の理想を一生もちつづけて実践する人が、人間としてもっとも価値ある人である。
☆小説「新・人間革命」連載6000回特集 「新・人間革命」と私 2017年2月18日
池田先生が「法悟空」のペンネームでつづる小説『新・人間革命』が、本日付の「大山」40で連載6000回を迎えた。第30巻に入った大長編は、人類の未来を開く希望の大叙事詩である。2面では、「『新・人間革命』と私」とのテーマで代表の友の声を紹介。3面では、「『新・人間革命』とその時代」と題し、執筆時の時代状況を振り返りつつ、渾身のペンの闘争をたどる。
◇主任副会長・総九州長 山本武
池田先生は、いわゆる"小説家"ではない。『新・人間革命』は、世界広宣流布の指揮を執る中での執筆である。その激闘は、余人の想像を絶する。
79回を数える九州指導の中でも、激闘の間隙を縫って口述したテープを、東京に送られたことがあった。誰もが後々の随筆で初めて知ったことだ。
「文章はペンで書くものではなく、命の筆先に血をつけて描く」(川端康成『新文章読本』)と。だが、先生の執筆は、文豪の思惟の範疇を超える。
卒寿を前にした今日なお続く、『新・人間革命』の執筆。永遠の師匠である牧口先生、戸田先生、池田先生の「創価三代の師弟の真実」を記し残してくださっている。
広宣流布という未聞の革命。三障四魔、三類の強敵に立ち向かい、尊い地涌の菩薩を守り抜く——その深慮は先生にしか分からない。私たちが心して学ぶべきは、その先生の心にこそあると思う。
忘れられないのは、1980年(昭和55年)8月10日、2年間にわたって休載を余儀なくされていた『人間革命』の第11巻が開始された日だ。早朝、自宅に届いた新聞を、あの時ほど焦がれる思いで開いたことはない。
当日の新聞には、題字下に小さく「小説『人間革命』第11巻 きょうから連載」とあるだけだった。しかし、私たちの心には、その活字が何倍にも大きく映った。
当時、私は大分県にいた。宗門事件の嵐が吹き荒れていた。休載中に、先生が第3代会長を辞任。厚い暗雲に覆われ、広布の視界は闇だった。
その日から皆で『人間革命』を読み合った。脱会者が出た地区でも、同様だった。
どこまでも弟子を思う先生の深い心に涙した。やがて反転攻勢の大波が、日本全土を包んでいった。
広宣流布は、仏と魔との間断なき闘争である。魔の狙いは永遠に一つ。「師弟の分断」である。
今、「大山」の章を学ぶ中で、先生がどれほどの思いをもって、永遠なる創価の未来を切り開いてこられたかを知り、粛然と襟を正す。
私たちは『人間革命』『新・人間革命』を何度も何度も読み深め、師の心を常に自らの指標にしていかねばならないと、自らに問うしかない。
宿命転換の信心の姿勢、目指すべき広布のリーダー像、勝利への指揮の執り方、組織発展の方程式、世界広布の方軌——一切が『人間革命』『新・人間革命』にある。
「根深ければ枝繁し」。今を生きる私たち一人一人の弟子の生きざまが、その地の師弟の精神の伝統をつくる。先生と共に、総仕上げの時を生きる私たちの使命と責任と福運は、限りなく大きい。
九州は3年前から「人間革命池田塾」と銘打ち、月ごとに巻を定め、研さんを重ねてきた。これまで『人間革命』全12巻、そして『新・人間革命』は11巻までを学んできた。
うれしいのは、研さんを通し、新しい人材が目覚ましく成長していることである。
"先生からの金文字の手紙"を、人生と広布の現場で戦いながら学び、師の精神を鑑に、自らの人間革命に挑戦することを誓うのみである。
「石に金をかへ糞に米をかうる」(御書910ページ)との思いで——。
◇第2総東京婦人部長 橋口美雪
『新・人間革命』連載6000回の大偉業に、尽きせぬ感謝の思いでいっぱいです。池田先生は人知れず、構想を練られ、1993年(平成5年)8月6日に長野の地で執筆を開始されました。その「時」「場所」は、先生の深いお考えのもとにあり、戸田先生を常に胸中に抱かれながらの闘争であったことに心が震えます。
また、この年は、八王子市に東京牧口記念会館が完成した年でもありました。先生は、同会館を"本陣"として各国の要人らとの対話を展開されるなど、世界広布の指揮を執られ、その大激闘の中で『新・人間革命』を執筆くださっていたことは、第2総東京の誇りです。
第28巻「広宣譜」の章では78年(昭和53年)、山本伸一が各部や方面・県などに、次々に学会歌を作る場面が描かれています。
その頃、私は創価女子高校(現・関西創価高校)の1年生でした。新たな歌の譜面が聖教新聞に掲載されるたびに、うれしくて全国から集った高等部の仲間と歌いました。
当時、学会を取り巻く状況など知る由もなく、あらためて、一つ一つの歌に込められた先生の万感の思いに胸が熱くなりました。
「大道」の章では、東京の歌「ああ感激の同志あり」の意義をつづってくださっています。東京への期待に触れ、日々「感激」の命で前進を誓いました。
そして現在、連載中の「大山」の章。79年(同54年)、先生がどれほど命を削り、学会を守り、同志を守り、今日の世界広布の大潮流を起こしてこられたことか。当時、先生は立川文化会館を反転攻勢の闘争の舞台とされ、壮絶な攻防戦の真っただ中にありながら、会館を訪れた同志を直接、激励してくださいました。その日々は、弟子として申し訳なくも、宝の歴史です。
第2総東京婦人部・女子部では15年ほど前から『新・人間革命』を学び合う「コスモス平和大学校」を開講しています。
受講生はのべ15万人を数え、そのうち1割以上が友人です。今や地域に根付いた運動として広く親しまれています。友人からは、次のような感想が寄せられています。
「小説のタイトルの通り、より良い人生を生きるための教科書、手引きです」「小説を読む中で、学会の真実の歴史を知り、たくさんの方の苦労や努力によって今日の学会が築き上げられたことに驚きを隠せません」「コスモス平和大学校は、人間革命号という大型客船に乗って、時間を超え、哲学・真理・人生を学ぶ世界旅のようです」
社会に希望の光を送り、世界を分断から調和へと導くメッセージ、励ましの力で一人の友が蘇生しゆく宿命転換のドラマ、そして私たちが幸せになるために「どう生きるべきか」を示す指針——先生が『新・人間革命』でつづられる言々句々が会員のみならず、どれほど、多くの読者の心を照らしているか計り知れません。
私自身、学会の永遠性を確立する今この時に『新・人間革命』を真剣に学び、"先生なら、どうされるか"と常に師と対話する思いで、弟子の道を貫き、"東京凱歌の年"を勝ち開いていきます。
◇インド男子部長 ゴーラブ・サブー
19歳の私は、貧困や不平等を解決する道を探し求めていました。
ある時、大学の友人が持つ本が目に入りました。タイトルは『人間革命』。「読ませてほしい」と言うと、彼は「これはメンバーのためのものだ」と。
インド創価学会(BSG)に入会し、私の新たな人生が始まりました。小説『人間革命』を初めて開いた日、本を閉じることができずに朝を迎えたことを覚えています。バスや電車でも、食事の時さえも手放さず、一気に読みました。
"一人の人間における偉大な人間革命は、全人類の宿命の転換をも可能にする"——この哲学を知り、私の疑問は晴れました。
以来、15年がたちます。『人間革命』を学び抜き、"池田大学"の一員として人生の確信をつかんだことが、私の最大の誇りです。
『新・人間革命』第3巻には、1961年2月、池田先生がインドのブッダガヤで"出でよ! 幾万、幾十万の山本伸一よ"と願われた場面が描かれています。私たちBSGにとって「山本伸一」は、広布の全責任を担い立つことを意味します。
最も重要なのは、伸一が常に師を心にとどめ、師に喜びをもたらし、師の期待に応えようとすることです。今日、BSG青年部は、「私は山本伸一だ!」と皆が誇らしく宣言します。これが、私たちの先生への誓いです。
2015年、私は『人間革命』第11巻「大阪」の章を根本に戦いを起こしました。その結果、55人の地区の座談会に、111人の友人が参加。それが波動となって、多くの地区が座談会に100人以上の友人を誘うことができました。
BSGは同年8月に10万の連帯を実現し、「11・18」には11万1111人に拡大。そして昨年、二月闘争を研さんする中で、15万5000人の地涌のスクラムを築くことができたのです。
池田先生は89歳の今も、執筆を通し、一人一人に手を差し伸べてくださっています。先生のお心を知るには、『人間革命』を学ぶ以外にありません。
毎週、地区ごとに研さんの集いを実施。携帯やタブレットで『人間革命』を学ぶ青年部も多くいます。『人間革命』を持ち歩くことが、先生と一緒にいるということなのです。
『新・人間革命』第5巻「勝利」の章に、「国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである」とあります。師の構想を実現された先生のごとく、本年、BSG青年部は「10万の青年の連帯」という金字塔を打ち立てます。
2017年2月26日日曜日
2017.02.26 わが友に贈る
勇気を出せば
一切が楽しくなる!
全てに勝っていける!
題目を唱え抜き
勇猛精進の日々を!
四条金吾御書 P1176
『又御をととどもには常はふびんのよしあるべし、つねにゆせにざうりのあたいなんど心あるべし、もしやの事のあらむにはかたきはゆるさじ、我がためにいのちをうしなはんずる者ぞかしとをぼして、とがありともせうせうの失をばしらぬやうにてあるべし』
☆女性に贈ることば 二月二十六日
栄誉に輝いた友をほめたたえ、ともに喜ぶ人は、その心に福徳が積まれていく。反対に、妬んだり、たいしたことはないと見くだしたりする人は、自身の福徳を消してしまう。
わが友を幸福にしゆく女性が、幸福の博士なのである。
☆今日のことば365 二月二十六日
人には、ほめられて、ますますそれを実践してよくなっていく人、ほめられたが途中から叱られて、よくなっていく人、また叱られてのびていく人、それから叱られてもなかなかよくならない人と四種類ある。ほめられて成長していくという人はごく少ない。ほんとうに叱ってくれる人がいるということは、ありがたいことであり、幸福なことだ。
☆仏法の教え 大聖人直結 2017年2月14日
◇御本仏の御金言を創価学会が実現!
2月16日は日蓮大聖人御聖誕の日。創価学会はこれまで、大聖人に直結して広宣流布を進め、末法の御本仏の御金言を現実のものとしてきました。今回は御書を拝しながら、「大聖人直結」について学んでいきます。
〈Q〉信心を貫く上で、大事な姿勢とは何でしょうか?
〈A〉「日蓮が如く」との一念で、一歩も退かないことです。
総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし(四菩薩造立抄、御書989ページ)
創価学会第2代会長の戸田城聖先生は、「信心は大聖人の時代に還れ」と語られていました。学会は、この言葉の通りに御書を拝し、御書の仰せのままに実践してきました。
特に、第3代会長の池田大作先生のもと、「御本尊根本」「御書根本」の広布の勢いは一段と加速。学会は世界192カ国・地域に発展したのです。
大聖人は「総じて日蓮の弟子といって法華経を修行する人々は、日蓮のようにしなさい。そうするならば、釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、十羅刹女も必ず守護されるであろう」(御書989ページ、通解)と仰せです。また、「日蓮と同意」(同1360ページ)など、大聖人と同じ決意に立つ重要性を訴えられています。
大聖人は立宗宣言以来、あらゆる迫害や大難を勝ち越えて、妙法流布に生き抜かれました。そして自ら広布の先頭に立つとともに、弟子にも"私と同じように戦いなさい!"と呼び掛けられました。
大聖人と同じ心で、さまざまな障魔の嵐にも、一歩も引くことなく戦い抜いてきたのが創価三代の会長であり、学会員です。この「戦う心」こそ、私たちが継承していく信心の根本姿勢です。
〈Q〉大聖人と同じ決意に立つには、どうすればよいですか?
〈A〉自身に具わる「師子王の心」を取り出して、戦い抜くことです。
強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし(佐渡御書、御書957ページ)
大聖人は「強敵を倒して、はじめて、力ある者であると分かる。悪王が正法を破ろうとし、邪法の僧らがその味方をして、智者を亡き者にしようとする時は、師子王の心を持つ者が必ず仏になるのである」(御書a957ページ、通解)と断言されています。
御書には、「師子」「師子王」という言葉が多く見られます。師子が吼えれば百獣が従うように、仏の教説は人々の魂を揺さぶります。逆境に直面している時こそ、自らが師子となって、「師子王の心」で戦うことで、逆境を変えていくことができると説くのが、日蓮大聖人の仏法です。
別の御書で大聖人は、「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」(同1190ページ)とも述べられています。
「師子王の心」とは「勇気」と言い換えることもできます。また、「各各」と呼び掛けられているとおり、「師子王の心」は万人の胸中に存在します。それを取り出すための要諦こそ、師弟不二の強盛な信心の実践にほかなりません。
大聖人が勇気ある信心の実践を門下に促したように、私たちもまた、一人一人が「師子王の心」を取り出して、「覚悟の信心」を実践していくことが重要なのです。
〈Q〉なぜ、学会は世界広宣流布を実現できたのですか?
〈A〉御書根本に、目覚めた一人が目の前の友を激励してきたからです。
衆流あつまりて大海となる微塵つもりて須弥山となれり、日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一�・一微塵のごとし
(撰時抄、御書288ページ)
目覚めた一人が、次なる一人を呼び覚まし、拡大していくのが広布の方程式です。
大聖人も「多くの川の流れが集まって大海となり、小さな塵が積もって須弥山となったのである。日蓮が法華経を信じ始めたのは、日本国にとっては、一滴の水、一粒の塵のようなものである」(御書288ページ、通解)と語られています。
そして、「やがて法華経の題目を、二人、三人、十人、百千万億人と、唱え伝えていくならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるであろう」(同ページ、通解)と宣言されています。
学会は御本仏の仰せの通りに、目の前の一人を励まし、蘇生させてきました。その先頭に立ってきたのが創価三代の会長です。
池田先生は語られています。
「法華経は万人を目覚めさせる教えです。一人一人の無明を力強く打ち破って、法性の生命を呼び覚ます力がある。一人の『法華経の行者』が行動を起こせば、太陽の如く周囲の闇を照らし、晴らしていくことができます」と。
「御本仏の仰せを決して虚妄にしない!」と立ち上がった一人の強盛な信心が次々に伝播することで、世界広宣流布は成し遂げられてきたのです。
◇智慧の扉 「実践の教学」の伝統
大聖人は、「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」(御書1361ページ)と仰せです。戸田先生は「信は理を求め、求めたる理は信を深からしむ」と語っていました。
一人一人が御書を学ぶことで、信が深まり、深まった信は、おのずと行動へとつながります。また、一つ一つの御金言を自身に当てはめ、人生を支える指針としていくならば、どんな事態に直面しても御本尊根本に立ち向かっていくことができます。
学会員は「行学の二道」に徹する中で確固たる信心を確立してきました。この「実践の教学」こそ学会の伝統なのです。
一切が楽しくなる!
全てに勝っていける!
題目を唱え抜き
勇猛精進の日々を!
四条金吾御書 P1176
『又御をととどもには常はふびんのよしあるべし、つねにゆせにざうりのあたいなんど心あるべし、もしやの事のあらむにはかたきはゆるさじ、我がためにいのちをうしなはんずる者ぞかしとをぼして、とがありともせうせうの失をばしらぬやうにてあるべし』
☆女性に贈ることば 二月二十六日
栄誉に輝いた友をほめたたえ、ともに喜ぶ人は、その心に福徳が積まれていく。反対に、妬んだり、たいしたことはないと見くだしたりする人は、自身の福徳を消してしまう。
わが友を幸福にしゆく女性が、幸福の博士なのである。
☆今日のことば365 二月二十六日
人には、ほめられて、ますますそれを実践してよくなっていく人、ほめられたが途中から叱られて、よくなっていく人、また叱られてのびていく人、それから叱られてもなかなかよくならない人と四種類ある。ほめられて成長していくという人はごく少ない。ほんとうに叱ってくれる人がいるということは、ありがたいことであり、幸福なことだ。
☆仏法の教え 大聖人直結 2017年2月14日
◇御本仏の御金言を創価学会が実現!
2月16日は日蓮大聖人御聖誕の日。創価学会はこれまで、大聖人に直結して広宣流布を進め、末法の御本仏の御金言を現実のものとしてきました。今回は御書を拝しながら、「大聖人直結」について学んでいきます。
〈Q〉信心を貫く上で、大事な姿勢とは何でしょうか?
〈A〉「日蓮が如く」との一念で、一歩も退かないことです。
総じて日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし(四菩薩造立抄、御書989ページ)
創価学会第2代会長の戸田城聖先生は、「信心は大聖人の時代に還れ」と語られていました。学会は、この言葉の通りに御書を拝し、御書の仰せのままに実践してきました。
特に、第3代会長の池田大作先生のもと、「御本尊根本」「御書根本」の広布の勢いは一段と加速。学会は世界192カ国・地域に発展したのです。
大聖人は「総じて日蓮の弟子といって法華経を修行する人々は、日蓮のようにしなさい。そうするならば、釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、十羅刹女も必ず守護されるであろう」(御書989ページ、通解)と仰せです。また、「日蓮と同意」(同1360ページ)など、大聖人と同じ決意に立つ重要性を訴えられています。
大聖人は立宗宣言以来、あらゆる迫害や大難を勝ち越えて、妙法流布に生き抜かれました。そして自ら広布の先頭に立つとともに、弟子にも"私と同じように戦いなさい!"と呼び掛けられました。
大聖人と同じ心で、さまざまな障魔の嵐にも、一歩も引くことなく戦い抜いてきたのが創価三代の会長であり、学会員です。この「戦う心」こそ、私たちが継承していく信心の根本姿勢です。
〈Q〉大聖人と同じ決意に立つには、どうすればよいですか?
〈A〉自身に具わる「師子王の心」を取り出して、戦い抜くことです。
強敵を伏して始て力士をしる、悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし(佐渡御書、御書957ページ)
大聖人は「強敵を倒して、はじめて、力ある者であると分かる。悪王が正法を破ろうとし、邪法の僧らがその味方をして、智者を亡き者にしようとする時は、師子王の心を持つ者が必ず仏になるのである」(御書a957ページ、通解)と断言されています。
御書には、「師子」「師子王」という言葉が多く見られます。師子が吼えれば百獣が従うように、仏の教説は人々の魂を揺さぶります。逆境に直面している時こそ、自らが師子となって、「師子王の心」で戦うことで、逆境を変えていくことができると説くのが、日蓮大聖人の仏法です。
別の御書で大聖人は、「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」(同1190ページ)とも述べられています。
「師子王の心」とは「勇気」と言い換えることもできます。また、「各各」と呼び掛けられているとおり、「師子王の心」は万人の胸中に存在します。それを取り出すための要諦こそ、師弟不二の強盛な信心の実践にほかなりません。
大聖人が勇気ある信心の実践を門下に促したように、私たちもまた、一人一人が「師子王の心」を取り出して、「覚悟の信心」を実践していくことが重要なのです。
〈Q〉なぜ、学会は世界広宣流布を実現できたのですか?
〈A〉御書根本に、目覚めた一人が目の前の友を激励してきたからです。
衆流あつまりて大海となる微塵つもりて須弥山となれり、日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一�・一微塵のごとし
(撰時抄、御書288ページ)
目覚めた一人が、次なる一人を呼び覚まし、拡大していくのが広布の方程式です。
大聖人も「多くの川の流れが集まって大海となり、小さな塵が積もって須弥山となったのである。日蓮が法華経を信じ始めたのは、日本国にとっては、一滴の水、一粒の塵のようなものである」(御書288ページ、通解)と語られています。
そして、「やがて法華経の題目を、二人、三人、十人、百千万億人と、唱え伝えていくならば、妙覚の須弥山ともなり、大涅槃の大海ともなるであろう」(同ページ、通解)と宣言されています。
学会は御本仏の仰せの通りに、目の前の一人を励まし、蘇生させてきました。その先頭に立ってきたのが創価三代の会長です。
池田先生は語られています。
「法華経は万人を目覚めさせる教えです。一人一人の無明を力強く打ち破って、法性の生命を呼び覚ます力がある。一人の『法華経の行者』が行動を起こせば、太陽の如く周囲の闇を照らし、晴らしていくことができます」と。
「御本仏の仰せを決して虚妄にしない!」と立ち上がった一人の強盛な信心が次々に伝播することで、世界広宣流布は成し遂げられてきたのです。
◇智慧の扉 「実践の教学」の伝統
大聖人は、「行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず」(御書1361ページ)と仰せです。戸田先生は「信は理を求め、求めたる理は信を深からしむ」と語っていました。
一人一人が御書を学ぶことで、信が深まり、深まった信は、おのずと行動へとつながります。また、一つ一つの御金言を自身に当てはめ、人生を支える指針としていくならば、どんな事態に直面しても御本尊根本に立ち向かっていくことができます。
学会員は「行学の二道」に徹する中で確固たる信心を確立してきました。この「実践の教学」こそ学会の伝統なのです。
2017年2月25日土曜日
2017.02.25 わが友に贈る
さあ二月闘争の
総仕上げの拡大を!
激しい寒暖差に注意し
健康第一、唱題第一で
新たな歴史を築こう!
四条金吾御書 P1176
『又御をととどもには常はふびんのよしあるべし、つねにゆせにざうりのあたいなんど心あるべし、もしやの事のあらむにはかたきはゆるさじ、我がためにいのちをうしなはんずる者ぞかしとをぼして、とがありともせうせうの失をばしらぬやうにてあるべし』
☆女性に贈ることば 二月二十五日
赤ちゃんが初めて自分を見つめて笑ってくれた時、片言のことばでしゃべった時。初めて自分の足で歩き始めた時 −。毎日が驚きと感動の日々だったと思います。
子どもがだんだん大きくなると、そうした感動を感じることは少なくなるかもしれませんが、子どもたちは変わることなく成長を続けているのです。その子どもの成長を温かく見守りながら、自分もともに成長する母親であり、教育者であってほしいと思います。
☆今日のことば365 二月二十五日
真の勝利は勇気と執念の連続によってのみ得られる
見栄をすて 外聞をすてて
体当たりで栄光の道を切り拓いてゆこう
☆御書と歩む 第53回 生命の宝塔を林立させよ 2017年2月16日
『末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり』(阿仏房御書、1304ページ)
◇通解
末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのである。もしそうであれば、身分の貴さや賤しさ、立場の上と下は関係なく、南無妙法蓮華経と唱える人は、その人自身が宝塔であり、また、その人自身が多宝如来なのである。
◇同志への指針
"あなたの生命こそ最極の宝塔なり"と御本仏は語り掛けられた。妙法は、生命を蹂躙する魔性を打ち破り、宝塔を自他共に輝かせる哲理だ。
65年前、東西冷戦の渦中、二月闘争に走りゆく私たち青年に、恩師は「地球民族主義」を提唱された。開かれた対話で差異を超え、生命の宝塔を林立させていく。地道にして最も力強く、幸と平和の連帯を拡大する道が、ここにある。
総仕上げの拡大を!
激しい寒暖差に注意し
健康第一、唱題第一で
新たな歴史を築こう!
四条金吾御書 P1176
『又御をととどもには常はふびんのよしあるべし、つねにゆせにざうりのあたいなんど心あるべし、もしやの事のあらむにはかたきはゆるさじ、我がためにいのちをうしなはんずる者ぞかしとをぼして、とがありともせうせうの失をばしらぬやうにてあるべし』
☆女性に贈ることば 二月二十五日
赤ちゃんが初めて自分を見つめて笑ってくれた時、片言のことばでしゃべった時。初めて自分の足で歩き始めた時 −。毎日が驚きと感動の日々だったと思います。
子どもがだんだん大きくなると、そうした感動を感じることは少なくなるかもしれませんが、子どもたちは変わることなく成長を続けているのです。その子どもの成長を温かく見守りながら、自分もともに成長する母親であり、教育者であってほしいと思います。
☆今日のことば365 二月二十五日
真の勝利は勇気と執念の連続によってのみ得られる
見栄をすて 外聞をすてて
体当たりで栄光の道を切り拓いてゆこう
☆御書と歩む 第53回 生命の宝塔を林立させよ 2017年2月16日
『末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賤上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり』(阿仏房御書、1304ページ)
◇通解
末法に入って、法華経を持つ男女の姿よりほかには宝塔はないのである。もしそうであれば、身分の貴さや賤しさ、立場の上と下は関係なく、南無妙法蓮華経と唱える人は、その人自身が宝塔であり、また、その人自身が多宝如来なのである。
◇同志への指針
"あなたの生命こそ最極の宝塔なり"と御本仏は語り掛けられた。妙法は、生命を蹂躙する魔性を打ち破り、宝塔を自他共に輝かせる哲理だ。
65年前、東西冷戦の渦中、二月闘争に走りゆく私たち青年に、恩師は「地球民族主義」を提唱された。開かれた対話で差異を超え、生命の宝塔を林立させていく。地道にして最も力強く、幸と平和の連帯を拡大する道が、ここにある。
2017年2月24日金曜日
2017.02.24 わが友に贈る
広布とは「声」の戦いだ。
真実を叫ぶのも声。
人を励ますのも声だ。
「心の思いを響かして」
誠実に朗らかに語れ!
持妙法華問答抄 P466
『生涯幾くならず思へば一夜のかりの宿を忘れて幾くの名利をか得ん、又得たりとも是れ夢の中の栄へ珍しからぬ楽みなり』
☆女性に贈ることば 二月二十四日
なんでも聞こう、学ぼう。友人を広げよう。こういう姿勢の人は、自身の可能性を大きく伸ばすことができる。
☆今日のことば365 二月二十四日
汝よ 汝は いかにして
そんなに苦しむのか
汝よ 汝は いかにして
そんなに泣くのか
汝よ 汝は いかにして
そんなに悩むのか
苦しむがよい
若芽が 大地の殻を打ち破って
伸びゆくために
泣くがよい
梅雨の、彼方の、太陽を仰ぎ見る日まで
已むを得まい
悩むがよい
暗い 深夜を過ぎずして
尊厳なる 曙の空を望むことはできないからだ
☆四季の励まし 感謝の心で人生は輝く 2017年2月12日
感謝がある人は幸福である。
心には豊かさがあふれ、
喜びに満ち、
生き生きとして明るい。
福徳が輝く。
感謝のない人は不幸である。
いつも、不平と不満、
嫉妬と恨みと愚痴の
暗雲が渦巻いている。
だから、人も離れていく。
わが人生を輝かせゆく源泉は、
報恩感謝の一念にこそあるのだ。
誰のどのような行いによって
今の自分があるのか。
そのことを深く知り
感謝することで、
自己を最も強く肯定し、
自分自身の存在の基盤を
確立することができる。
自身の基盤を確立することは、
自分自身の大いなる
発展の土台となるのである。
報恩とは、
自身の可能性を最大に開いていく
「人間革命」の挑戦なのだ。
大文豪ゲーテは言う。
「感謝しなければならぬ人と
出あいながら、
感謝をわすれていることが、
どんなにしばしばだろう」
その通りである。
陰で支えてくれた方々に、
感謝の声を掛けていくことだ。
決して
当たり前と思ってはならない。
声一つ、言葉一つで、
人間の心は動く。
その心が一切を決める根本だ。
感謝を忘れず、
報恩に徹すれば、
自ずから
為すべき行動は定まる。
必ず無限の勇気と智慧が、
滾々と
湧き起こってくるのだ。
感謝の人は光る。
報恩の世界は栄える。
沿道には、池田大作先生の訪問を心待ちにしていた同志の姿があった。1988年(昭和63年)2月のシンガポール。感謝の思いを込めて、先生は車内からシャッターを切った。
感謝のない人は、自分のために人が何かをしてくれても「当たり前」だと思う。この「当たり前」を「ありがとう」の言葉に置き換えれば、どれだけの人が笑顔になるだろうか。地域へ、社会へ、笑顔を広げゆく感謝の人でありたい。
真実を叫ぶのも声。
人を励ますのも声だ。
「心の思いを響かして」
誠実に朗らかに語れ!
持妙法華問答抄 P466
『生涯幾くならず思へば一夜のかりの宿を忘れて幾くの名利をか得ん、又得たりとも是れ夢の中の栄へ珍しからぬ楽みなり』
☆女性に贈ることば 二月二十四日
なんでも聞こう、学ぼう。友人を広げよう。こういう姿勢の人は、自身の可能性を大きく伸ばすことができる。
☆今日のことば365 二月二十四日
汝よ 汝は いかにして
そんなに苦しむのか
汝よ 汝は いかにして
そんなに泣くのか
汝よ 汝は いかにして
そんなに悩むのか
苦しむがよい
若芽が 大地の殻を打ち破って
伸びゆくために
泣くがよい
梅雨の、彼方の、太陽を仰ぎ見る日まで
已むを得まい
悩むがよい
暗い 深夜を過ぎずして
尊厳なる 曙の空を望むことはできないからだ
☆四季の励まし 感謝の心で人生は輝く 2017年2月12日
感謝がある人は幸福である。
心には豊かさがあふれ、
喜びに満ち、
生き生きとして明るい。
福徳が輝く。
感謝のない人は不幸である。
いつも、不平と不満、
嫉妬と恨みと愚痴の
暗雲が渦巻いている。
だから、人も離れていく。
わが人生を輝かせゆく源泉は、
報恩感謝の一念にこそあるのだ。
誰のどのような行いによって
今の自分があるのか。
そのことを深く知り
感謝することで、
自己を最も強く肯定し、
自分自身の存在の基盤を
確立することができる。
自身の基盤を確立することは、
自分自身の大いなる
発展の土台となるのである。
報恩とは、
自身の可能性を最大に開いていく
「人間革命」の挑戦なのだ。
大文豪ゲーテは言う。
「感謝しなければならぬ人と
出あいながら、
感謝をわすれていることが、
どんなにしばしばだろう」
その通りである。
陰で支えてくれた方々に、
感謝の声を掛けていくことだ。
決して
当たり前と思ってはならない。
声一つ、言葉一つで、
人間の心は動く。
その心が一切を決める根本だ。
感謝を忘れず、
報恩に徹すれば、
自ずから
為すべき行動は定まる。
必ず無限の勇気と智慧が、
滾々と
湧き起こってくるのだ。
感謝の人は光る。
報恩の世界は栄える。
沿道には、池田大作先生の訪問を心待ちにしていた同志の姿があった。1988年(昭和63年)2月のシンガポール。感謝の思いを込めて、先生は車内からシャッターを切った。
感謝のない人は、自分のために人が何かをしてくれても「当たり前」だと思う。この「当たり前」を「ありがとう」の言葉に置き換えれば、どれだけの人が笑顔になるだろうか。地域へ、社会へ、笑顔を広げゆく感謝の人でありたい。
2017年2月23日木曜日
2017.02.23 わが友に贈る
他者に尽くす行動が
小さなエゴの殻を破り
境涯を大きく広げる!
学会と共に 同志と共に
人間革命の山を登れ!
法華初心成仏抄 P557
『譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ』
☆女性に贈ることば 二月二十三日
人間として、たしかな目的をもって生き抜く人こそ、偉大であり、幸福です。
☆今日のことば365 二月二十三日
"遊ぶのはよいが、遊ばれてはいけない"とよくいわれる。遊びを楽しめることが必要なのであって、けじめつかずに流されてはいけないという意味らしい。虚無的な遊びは、結局、疲労と悔恨、そして悲哀がのこる場合が多いだろう。仕事にせよ、"遊ぶ"にせよ、もっとも生き甲斐を感ずるのは、人間らしい知恵を発揮して、何かを創造していく時であるらしい。
☆弟子の道−小説『新・人間革命』に学ぶ (下)
◇池田先生の「人間革命」 連載:1964年〜92年
学会再建に立った戸田先生
先生!伸一は征きます。先生がおっしゃった、わが舞台である 世界の広宣流布の大道を開き続けてまいります!弟子の敢闘をご覧ください。
(小説『新・人間革命』=第29巻「源流」から)
池田先生は小説『人間革命』第12巻「あとがき」に、こう記しています。
「恩師の真実を伝える伝記を書き残すことは、私の青春時代からの誓いであった」
先生が戸田先生の小説の"続編"を記そうと思い立つたのは、 恩師の小説が新聞掲載される前、「小説を書いたよ」と原稿をポケットに入れ、うれしそうに話す師 を見た時でした。
1954年8月 には、戸田先生と共に、恩師の故郷、北海道の厚田村(当時)を訪問。 その思いを、さらに深めます。
執筆の決意が不動のものとなつたのは、長野軽井沢での、戸田先生との語らいの直後、57年8月14日でした。恩師の最後の夏であり、師弟の出会いから満10周年を迎える、まさにその日。池田先生は、恩師の生涯と精神を後世に伝えゆくことを、「不二の弟子とし ての私の使命」と誓ったのです。
「戦争ほど、残酷なものはない」。
池田先生が小説『人間革命』の執筆を沖縄の地で開始したのは、164年12月2日。戦争の爪痕が深く刻まれた地で、人間主義の平和の哲理を記し始めました。
先生が「最も頭を悩ませた」と語る小説の冒頭は、「地涌の菩薩」の使命を自覚した、戸田先生の出獄の場面から始まります。
第1章のタイトルは「黎明」。 後年、池田先生は随筆で「『人間革命』とは、人間の、そして人類の平和と幸福の『黎明』を開きゆく闘争である」とつづっています。出獄した戸田先生の心中にともされた、広布誓願の炎こそ、まさに、新しき時代を開く人類の黎明でした。
全12卷の小説『人間革命』は、 戸田先生が第2代会長となり、生涯の願業「75万世帯」を成し遂げ、弟子に広布のバトンを託すストリーになつています。その中で、山本伸一との出会いと、師弟不二のドラマが描かれています。
戸田先生の小説の「巌さん」と 同じく、「山本伸一」もまた、絶体絶命の苦境の中で、師弟の道を貫きました。第4巻「秋霜」の章では、戸田先生が、事業の破綻によって学会の理事長を辞任。多くの人たちがののしり、去る中で、 伸はただ一人、戸田先生こそが永遠の人生の師であると定め、次の和歌を、恩師に贈ります。
「古の奇しき縁に仕へしを 人は変れどわれは変らじ」
池田先生の小説『人間革命』の 執筆は、体調が優れない時にはロ述をテープに吹き込み、また時には、香峯子夫人の代筆により、続けられてきました。第10巻の連載が終了した78年8月からは約2年間、休載となり、その間、第1次 宗門事件によって、先生は79年4 月に会長を辞任。
80年09月、第11 巻「転機」の章から再開し、その後、世界広布の本格的な展開のためにカ走を重ね、10年半にわたる休載もありましたが、92年11月、 全12卷の執筆が完結。そして93年2月11日に連載を終了します。
当初、小説『人間革命』は、戸田先生の逝去をもって筆を置く予定でした。しかし、池田先生は、 伸一が第3代会長に就任するまでを描いた「新・黎明」の章を加えます。伸一の心に燃え上がる"弟子の一念"が、世界広布の黎明を告げたところで結んだのです。
◇池田先生の「新・人間革命」 連載:1993年〜
池田先生の世界広布の軌跡
「平和ほど、尊きものはない」 1993年8月6日、広島に原爆が投下されて48年に当たるこの日、恩師との思い出の地・長野の軽井沢で、池田先生は小説『新・人間革命』の執筆を始めました。
同年10月には、八王子市に東京牧ロ記念会館が誕生。学会創立記念日の11月18日から、聖教新聞での連載がスタートしました。
池田先生は、かつて随筆でつづっています。「弟子が師匠の誓願を受け継ぎ、その構想を実現する。広宣流布を事実のうえで伸展させる、この師弟不二という、 まことの後継の弟子の戦いを書き記さなければ、戸田先生、さらには牧口先生の本当の偉大さを宣揚することはできない」と。
第1巻の「はじめに」では、すでに、"完結までに30巻を予定"と明記されています。それは、弟子たちが織り成す後継の遥かなる道を描き抜く、人生を懸けた闘争宣言でした。
第1巻の冒頭は、山本伸一が、 第3代会長就任から5カ月後の3月2日、世界への第一歩を踏み出すシーンです。出発の日は、戸田先生の月命日である2日。アメリ 力、カナダ、ブラジルの3力国を歴訪する伸一の胸ポケットには、 恩師の写真が収めてありました。
池田先生にとって、『新・人間 革命』の執筆もまた、激務に次ぐ激務の中での闘争でした。先生は 「海外の旅先で、夜更けて原稿に向かった時もあった。地方指導の旅の車中で、構想を練り上げることも珍しくなかつた」と振り返っています。
池田先生の『人間革命』と『新・人間革命』。その共通テーマ は、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」という哲理にあります。それこそが、「戸田先生が示された平和建設の原理」なのです。
戸田先生の小説のペンネームが「妙悟空」だつたのに対し、池田先生は「法悟空」という名を用いています。この対比について、池田先生は『新・人間革命』第1巻の単行本の「あとがき」で、詳しく説明しています。
もともと「妙悟空」は、『西遊記』の「孫悟空」をもじったものであり、生前、戸田先生は、「孫」には"小さなもの"の意味があり、この名は仏法で説く"空"の概念をわずかに悟ったことを表していると語りました。
それに対し、「妙悟空」の「妙」 は"妙法"を表しており、牢獄の中で生命の本質を悟つたことを示すペンネームになつています。
戸田先生と池田先生のペンネームを合わせると、「妙法」となります。池田先生は記しています。
「仏法では『妙』は本源、『法』 は現象。『妙』は仏界、『法』は九界」「いわば、『妙』は師、『法』 は弟子ということになる」と。
戸田先生の『人間革命』、池田先生の『人間革命』『新・人間革命』をひもとくと、その執筆の歴史、小説の内容の全てが、金剛不壊の"師弟の物語"そのものであることが明白になります。
「師弟して 人間革命 光あれ」
この池田先生の句の精神を胸に、日々の『新・人間革命』の連載を学び深めながら、自分自身の人間革命の大叙事詩をつづり残していきましょう。
小さなエゴの殻を破り
境涯を大きく広げる!
学会と共に 同志と共に
人間革命の山を登れ!
法華初心成仏抄 P557
『譬えば篭の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ』
☆女性に贈ることば 二月二十三日
人間として、たしかな目的をもって生き抜く人こそ、偉大であり、幸福です。
☆今日のことば365 二月二十三日
"遊ぶのはよいが、遊ばれてはいけない"とよくいわれる。遊びを楽しめることが必要なのであって、けじめつかずに流されてはいけないという意味らしい。虚無的な遊びは、結局、疲労と悔恨、そして悲哀がのこる場合が多いだろう。仕事にせよ、"遊ぶ"にせよ、もっとも生き甲斐を感ずるのは、人間らしい知恵を発揮して、何かを創造していく時であるらしい。
☆弟子の道−小説『新・人間革命』に学ぶ (下)
◇池田先生の「人間革命」 連載:1964年〜92年
学会再建に立った戸田先生
先生!伸一は征きます。先生がおっしゃった、わが舞台である 世界の広宣流布の大道を開き続けてまいります!弟子の敢闘をご覧ください。
(小説『新・人間革命』=第29巻「源流」から)
池田先生は小説『人間革命』第12巻「あとがき」に、こう記しています。
「恩師の真実を伝える伝記を書き残すことは、私の青春時代からの誓いであった」
先生が戸田先生の小説の"続編"を記そうと思い立つたのは、 恩師の小説が新聞掲載される前、「小説を書いたよ」と原稿をポケットに入れ、うれしそうに話す師 を見た時でした。
1954年8月 には、戸田先生と共に、恩師の故郷、北海道の厚田村(当時)を訪問。 その思いを、さらに深めます。
執筆の決意が不動のものとなつたのは、長野軽井沢での、戸田先生との語らいの直後、57年8月14日でした。恩師の最後の夏であり、師弟の出会いから満10周年を迎える、まさにその日。池田先生は、恩師の生涯と精神を後世に伝えゆくことを、「不二の弟子とし ての私の使命」と誓ったのです。
「戦争ほど、残酷なものはない」。
池田先生が小説『人間革命』の執筆を沖縄の地で開始したのは、164年12月2日。戦争の爪痕が深く刻まれた地で、人間主義の平和の哲理を記し始めました。
先生が「最も頭を悩ませた」と語る小説の冒頭は、「地涌の菩薩」の使命を自覚した、戸田先生の出獄の場面から始まります。
第1章のタイトルは「黎明」。 後年、池田先生は随筆で「『人間革命』とは、人間の、そして人類の平和と幸福の『黎明』を開きゆく闘争である」とつづっています。出獄した戸田先生の心中にともされた、広布誓願の炎こそ、まさに、新しき時代を開く人類の黎明でした。
全12卷の小説『人間革命』は、 戸田先生が第2代会長となり、生涯の願業「75万世帯」を成し遂げ、弟子に広布のバトンを託すストリーになつています。その中で、山本伸一との出会いと、師弟不二のドラマが描かれています。
戸田先生の小説の「巌さん」と 同じく、「山本伸一」もまた、絶体絶命の苦境の中で、師弟の道を貫きました。第4巻「秋霜」の章では、戸田先生が、事業の破綻によって学会の理事長を辞任。多くの人たちがののしり、去る中で、 伸はただ一人、戸田先生こそが永遠の人生の師であると定め、次の和歌を、恩師に贈ります。
「古の奇しき縁に仕へしを 人は変れどわれは変らじ」
池田先生の小説『人間革命』の 執筆は、体調が優れない時にはロ述をテープに吹き込み、また時には、香峯子夫人の代筆により、続けられてきました。第10巻の連載が終了した78年8月からは約2年間、休載となり、その間、第1次 宗門事件によって、先生は79年4 月に会長を辞任。
80年09月、第11 巻「転機」の章から再開し、その後、世界広布の本格的な展開のためにカ走を重ね、10年半にわたる休載もありましたが、92年11月、 全12卷の執筆が完結。そして93年2月11日に連載を終了します。
当初、小説『人間革命』は、戸田先生の逝去をもって筆を置く予定でした。しかし、池田先生は、 伸一が第3代会長に就任するまでを描いた「新・黎明」の章を加えます。伸一の心に燃え上がる"弟子の一念"が、世界広布の黎明を告げたところで結んだのです。
◇池田先生の「新・人間革命」 連載:1993年〜
池田先生の世界広布の軌跡
「平和ほど、尊きものはない」 1993年8月6日、広島に原爆が投下されて48年に当たるこの日、恩師との思い出の地・長野の軽井沢で、池田先生は小説『新・人間革命』の執筆を始めました。
同年10月には、八王子市に東京牧ロ記念会館が誕生。学会創立記念日の11月18日から、聖教新聞での連載がスタートしました。
池田先生は、かつて随筆でつづっています。「弟子が師匠の誓願を受け継ぎ、その構想を実現する。広宣流布を事実のうえで伸展させる、この師弟不二という、 まことの後継の弟子の戦いを書き記さなければ、戸田先生、さらには牧口先生の本当の偉大さを宣揚することはできない」と。
第1巻の「はじめに」では、すでに、"完結までに30巻を予定"と明記されています。それは、弟子たちが織り成す後継の遥かなる道を描き抜く、人生を懸けた闘争宣言でした。
第1巻の冒頭は、山本伸一が、 第3代会長就任から5カ月後の3月2日、世界への第一歩を踏み出すシーンです。出発の日は、戸田先生の月命日である2日。アメリ 力、カナダ、ブラジルの3力国を歴訪する伸一の胸ポケットには、 恩師の写真が収めてありました。
池田先生にとって、『新・人間 革命』の執筆もまた、激務に次ぐ激務の中での闘争でした。先生は 「海外の旅先で、夜更けて原稿に向かった時もあった。地方指導の旅の車中で、構想を練り上げることも珍しくなかつた」と振り返っています。
池田先生の『人間革命』と『新・人間革命』。その共通テーマ は、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」という哲理にあります。それこそが、「戸田先生が示された平和建設の原理」なのです。
戸田先生の小説のペンネームが「妙悟空」だつたのに対し、池田先生は「法悟空」という名を用いています。この対比について、池田先生は『新・人間革命』第1巻の単行本の「あとがき」で、詳しく説明しています。
もともと「妙悟空」は、『西遊記』の「孫悟空」をもじったものであり、生前、戸田先生は、「孫」には"小さなもの"の意味があり、この名は仏法で説く"空"の概念をわずかに悟ったことを表していると語りました。
それに対し、「妙悟空」の「妙」 は"妙法"を表しており、牢獄の中で生命の本質を悟つたことを示すペンネームになつています。
戸田先生と池田先生のペンネームを合わせると、「妙法」となります。池田先生は記しています。
「仏法では『妙』は本源、『法』 は現象。『妙』は仏界、『法』は九界」「いわば、『妙』は師、『法』 は弟子ということになる」と。
戸田先生の『人間革命』、池田先生の『人間革命』『新・人間革命』をひもとくと、その執筆の歴史、小説の内容の全てが、金剛不壊の"師弟の物語"そのものであることが明白になります。
「師弟して 人間革命 光あれ」
この池田先生の句の精神を胸に、日々の『新・人間革命』の連載を学び深めながら、自分自身の人間革命の大叙事詩をつづり残していきましょう。
2017年2月22日水曜日
2017.02.22 わが友に贈る
仕事等で忙しい時こそ
智恵と勇気を出し
連携を取ろう!
呼吸を合わせる努力から
拡大の波動は生まれる!
松野殿御返事 P1383
『何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし、例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし』
☆女性に贈ることば 二月二十二日
人生は戦いである。それが生命の法則である。戦いを避けることは、それ自体、敗北である。
幸福は勝ち取るものだ。
☆今日のことば365 二月二十二日
立派な少年は
必ず立派な 青年となる
立派な少年は
必ず立派な 社会人と
なることができる
希望にもえて
前進する少年は
必ず良い 社会の指導者と
なることができる
☆弟子の道−小説『新・人間革命』に学ぶ (上)
小説『新・人間革命』「大山」の章の連載が、本年の元旦から始まりました。「恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の 『弟子の道』を書き残さなければならない」(同小説「はじめに」から)との思いが込められた池田大作先生の執筆闘争も、いよいよ第30巻となり、"総仕上げ"を迎えています。青年部の一人一人が、師匠の心の奥底に迫り、師弟の精神を深める時は"今"です。
新企画「弟子の道−−小説『新・人間革命』に学ぶ」では、今後、各巻の特集を掲載していきます。
今回と次回(3月1 日付予定)は、そのプロローグとして、戸田城聖先生の小説『人間革命』、池田先生の小説『人間革命』『新・人間革命』に紡がれた"師弟の絆、思想の展開"について学びます。また、池田 主任副会長へのインタビューを2回にわたって掲載します。
◇戸田先生の「人間革命」 連載:1951年〜54年
先師・牧ロ先生と弟子の悟達
池田先生が小説を書こうと決意したきっかけは、恩師・戸田先生が小説『人間革命』を執筆したことにあります。
「妙悟空」というペンネームを用いた戸田先生の小説は、1951年4月20日付の聖教新聞創刊号から、約3年にわたり連載されました。
主人公は「巌九十翁」。牧ロ常三郎先生を師匠とし、心がすさんだ貧しい生活から、見事に蘇生していく姿が痛快に描かれています。 前半は小説を意識したフィクションですが、後半は、主人公に戸田先生の実体験が重ねられ、貴重な "真実の記録"となつています。
軍部政府の暴走が進むにつれて、信教の自由はむしばまれていきます。その中で、創価の師・牧ロ先生は、「仏法の力によつ て、日本を栄えさせてこそ、大聖人 はお喜びになるのではないか!」 と、「国家諫暁」を決断。多くの弟子たちは、保身の心から恐れを抱きますが、巌さんは、真正の弟子として続きます。「ぼくは牧ロ先生の弟子さ」「一大折伏戦に入ろうではないか!」と。
やがて牧ロ先生と巌さんは投獄。牢獄の中で巌さんが、自身が 「地涌の菩薩」であると悟り、広宣流布に生き抜く決意を定める場面で、物語は幕を閉じます。
ここでは、牧ロ先生の獄中での逝去は描かれていません。しかし、 日本のために正法流布に挺身した師を、獄死に至らしめた時の権力への怒り、そして、師の仇討ちを誓った戸田先生の思いは、主人公の「巌九十翁」に託されています。
54年、牧ロ先生の十回忌法要の折に、戸田先生は語りました。
「あれほど悲しいこと(牧口先生の獄死)は、私の一生涯になかつ た。そのとき、私は『よし、いまにみよ!先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、 先生にお返ししよう』と決心した」
戸田先生は、自身の分身である 小説の主人公を、名作『モンテ・クリスト伯』の「巌窟王」になぞらえ、「巌九十翁」と命名したのです。
戸田先生の小説『人間革命』の執筆には、池田先生も携わっていました。戸田先生は折々、途中まで書いた原稿を池田先生に渡したといいます。「後は君が書いておけ。また、直したいところは、好きなように直してよい」。
池田先生は当時を「ありがたき師の訓練」だったと振り返っています。 師弟の共戦で完成された小説 『人間革命』は、57年7月3日、 単行本として出版されます。この日、池田先生は、選挙違反という無実の罪を晴らすため、自ら大阪府警察本部に出頭し、逮捕・勾留 されました(大阪事件)。先生は、羽田の空港で師匠から贈られ た小説を抱き、権力の魔性との闘争を開始したのです。
戸田先生の小説『人間革命』下巻には、「人間革命の真髄」と題した「あとがき」が掲載されています。その中で戸田先生は、巌さんや同志たちの経済的な蘇生のド ラマなどに触れて、「真の人間革命はまだまだこれからである」。
そして「三類の強敵と闘い抜き、三障四魔を断破して、真の大利益、人間革命の真髄を把握されんことを希望する」と記しています。
その後の巌さん、つまり戸田先生が率いる草創の同志の"真実の闘い"を、弟子・池田先生は書き記していくことになります。
先生、戸田は命をかけて戦います。何がどうなろうと、 戸田は、どこまでも先生のお供をさせていただきます。 (小説『人間革命』第1巻「一人立つ」から)
◇池田 主任副会長へのインタビュー
師の人生を "追体験" 誰もが「山本伸一」に
池田先生は、小説『新・人間革命』第1巻の「はじめに」で、"完結までに30巻を予定"と書かれています。 ついに、その第30巻の連載が、本年の元日から始まりました。
昨年夏、池田先生が『新・人間革命』の執筆を開始された軽井沢の長野研修道場を訪れました。研修道場には、最初の執筆の日に記された「全30冊の予定なり」との直筆原稿が展示されていました。
当時、先生は65歳。ー般的には、"定年"を過ぎ、退職 という人生の一区切りの年齢でもあります。その時点で、 先生は全30巻での完結という壮大な目標を目指し、新たな挑戦を宣言されたのです。
前書き(「はじめに」)には、小説の執筆は「限りある 命の時間との、壮絶な闘争となる」と記されています。
先生は、『新・人間革命』の執筆こそ、人生で果たすべき使命であると定められていると感じます。連載を待ってくれている読者、後継の弟子たちに、何を伝え残していくか。 そこに、先生の人生を懸けた戦いがあるのだと思います。
池田先生が小説を書いた直接的なきっかけは、戸田 先生の小説『人間革命』にあります。その意味で、池田先生の『人間革命』『新・人間 革命』は、"師弟の物語の続編"と言えるのでしょうか。
戸田先生は、逝去の8力月前、軽井沢の地で、池田先生に語りました。「牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、恥ずかしさが先に立つて、できないということだよ」と。この時、池田先生は、恩師の真実を残すために、"続編"を執筆することを固く決意されています。
一方、『新・人間革命』 は、戸田先生の理想を、弟子山本伸一がどう実現していくかということに力点が置かれている。また、伸一と共に、世界の後継の弟子たちが、どのように戦つたかということに光を当てています。
池田先生は『新・人間革命』の前書きで、「(戸田) 先生亡き後の広宣流布の世界への広がりこそが、恩師の本当の偉大さの証明になると考えた」と記しています。
半世紀にわたる『人間革命』『新・人間革命』の執筆は、全国、海外各地を駆け巡る激務の中で続けられてきました。先生は、日々の連載を通して、今の同志への激励や指針を贈っています。毎日、 戦いながら書き、同志を励ましていく。先生にとって小説の執筆は、"人生の大きな 柱"だと言っても過言ではありません。
なぜ『続・人間革命』ではなく、『新・人間革命』というタイ卜ルにされたのでしようか。
池田先生の『人間革命』の結びは、戸田先生が逝去された後、山本伸一が創価学会の会長に就任する場面で終わります。一方、『新・人間革命』の冒頭は、伸一の会長就任から5力月後、海外初訪問のシーンから始まっています。
これは、『新・人間革命』 が、単に歴史的事実を追うものでなく、「世界広布」を主題としているからではないでしょぅか。戸田先生から託された広宣流布の壮大な構想を、弟子がいかに実現していくか。いかに新たな時代に、人間革命の哲学と実践を展開していくか。そこに「新」と いう一字の意義があると言えるかもしれません。
創価の師弟の歴史をつづるに当たり、「小説」の形態を取つた理由とは?
池田先生は『新・人間革命』の前書きで、「私の足跡を記せる人はいても、私の心までは描けない。私でなければわからない真実の学会の歴史がある」と書かれています。小説は、人の心を描くには、一番適した形であると思います。
そして小説だからこそ、!! 者は、主人公の人生を「追体験」できます。
「山本伸一」は、あくまで仮名です。もちろん池田先生 の生涯そのものですが、弟子の戦いが凝縮されたモデルとも言える。つまり、誰もが 「山本伸一」として生きる可能性を持っている。「山本伸一」の人生、心の奥底を追体験し、先生の思いに自分の思 いを重ね合わせながら、共戦の道を歩むことができるのです。
大発展するインド創価学会のメンバーの合言葉は、「アイアムシンイチ・ヤマモト(私は山本伸一だ)」で す。先生の『新・人間革命』 を読み、インド広布に一人立った伸一の思いと行動を追体験しながら、"今こそ、自分が山本伸一の精神で戦おぅ" と立ち上がっています。
現在の第30巻の連載は、海外でも大きな反響を呼んでいると聞いています。
各国・地域のSGIメンバーからは、連日、連載中の 「大山」の章を、"即日で翻訳してほしい"という要望を たくさんいただいているようです。池田先生の今の思いを "同時共有したい"というのが、海外の同志の率直な思いです。
先生の日々の連載を、日本語でリアルタイムで学ぶことができる私たちは、求道の心 を燃やして真剣に拝していきたい。今はまさに"黄金の時"です。 (次回に続く)
智恵と勇気を出し
連携を取ろう!
呼吸を合わせる努力から
拡大の波動は生まれる!
松野殿御返事 P1383
『何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば仏の如く互に敬うべし、例せば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし』
☆女性に贈ることば 二月二十二日
人生は戦いである。それが生命の法則である。戦いを避けることは、それ自体、敗北である。
幸福は勝ち取るものだ。
☆今日のことば365 二月二十二日
立派な少年は
必ず立派な 青年となる
立派な少年は
必ず立派な 社会人と
なることができる
希望にもえて
前進する少年は
必ず良い 社会の指導者と
なることができる
☆弟子の道−小説『新・人間革命』に学ぶ (上)
小説『新・人間革命』「大山」の章の連載が、本年の元旦から始まりました。「恩師の精神を未来永遠に伝えゆくには、後継の 『弟子の道』を書き残さなければならない」(同小説「はじめに」から)との思いが込められた池田大作先生の執筆闘争も、いよいよ第30巻となり、"総仕上げ"を迎えています。青年部の一人一人が、師匠の心の奥底に迫り、師弟の精神を深める時は"今"です。
新企画「弟子の道−−小説『新・人間革命』に学ぶ」では、今後、各巻の特集を掲載していきます。
今回と次回(3月1 日付予定)は、そのプロローグとして、戸田城聖先生の小説『人間革命』、池田先生の小説『人間革命』『新・人間革命』に紡がれた"師弟の絆、思想の展開"について学びます。また、池田 主任副会長へのインタビューを2回にわたって掲載します。
◇戸田先生の「人間革命」 連載:1951年〜54年
先師・牧ロ先生と弟子の悟達
池田先生が小説を書こうと決意したきっかけは、恩師・戸田先生が小説『人間革命』を執筆したことにあります。
「妙悟空」というペンネームを用いた戸田先生の小説は、1951年4月20日付の聖教新聞創刊号から、約3年にわたり連載されました。
主人公は「巌九十翁」。牧ロ常三郎先生を師匠とし、心がすさんだ貧しい生活から、見事に蘇生していく姿が痛快に描かれています。 前半は小説を意識したフィクションですが、後半は、主人公に戸田先生の実体験が重ねられ、貴重な "真実の記録"となつています。
軍部政府の暴走が進むにつれて、信教の自由はむしばまれていきます。その中で、創価の師・牧ロ先生は、「仏法の力によつ て、日本を栄えさせてこそ、大聖人 はお喜びになるのではないか!」 と、「国家諫暁」を決断。多くの弟子たちは、保身の心から恐れを抱きますが、巌さんは、真正の弟子として続きます。「ぼくは牧ロ先生の弟子さ」「一大折伏戦に入ろうではないか!」と。
やがて牧ロ先生と巌さんは投獄。牢獄の中で巌さんが、自身が 「地涌の菩薩」であると悟り、広宣流布に生き抜く決意を定める場面で、物語は幕を閉じます。
ここでは、牧ロ先生の獄中での逝去は描かれていません。しかし、 日本のために正法流布に挺身した師を、獄死に至らしめた時の権力への怒り、そして、師の仇討ちを誓った戸田先生の思いは、主人公の「巌九十翁」に託されています。
54年、牧ロ先生の十回忌法要の折に、戸田先生は語りました。
「あれほど悲しいこと(牧口先生の獄死)は、私の一生涯になかつ た。そのとき、私は『よし、いまにみよ!先生が正しいか、正しくないか、証明してやる。もし自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って、なにか大仕事をして、 先生にお返ししよう』と決心した」
戸田先生は、自身の分身である 小説の主人公を、名作『モンテ・クリスト伯』の「巌窟王」になぞらえ、「巌九十翁」と命名したのです。
戸田先生の小説『人間革命』の執筆には、池田先生も携わっていました。戸田先生は折々、途中まで書いた原稿を池田先生に渡したといいます。「後は君が書いておけ。また、直したいところは、好きなように直してよい」。
池田先生は当時を「ありがたき師の訓練」だったと振り返っています。 師弟の共戦で完成された小説 『人間革命』は、57年7月3日、 単行本として出版されます。この日、池田先生は、選挙違反という無実の罪を晴らすため、自ら大阪府警察本部に出頭し、逮捕・勾留 されました(大阪事件)。先生は、羽田の空港で師匠から贈られ た小説を抱き、権力の魔性との闘争を開始したのです。
戸田先生の小説『人間革命』下巻には、「人間革命の真髄」と題した「あとがき」が掲載されています。その中で戸田先生は、巌さんや同志たちの経済的な蘇生のド ラマなどに触れて、「真の人間革命はまだまだこれからである」。
そして「三類の強敵と闘い抜き、三障四魔を断破して、真の大利益、人間革命の真髄を把握されんことを希望する」と記しています。
その後の巌さん、つまり戸田先生が率いる草創の同志の"真実の闘い"を、弟子・池田先生は書き記していくことになります。
先生、戸田は命をかけて戦います。何がどうなろうと、 戸田は、どこまでも先生のお供をさせていただきます。 (小説『人間革命』第1巻「一人立つ」から)
◇池田 主任副会長へのインタビュー
師の人生を "追体験" 誰もが「山本伸一」に
池田先生は、小説『新・人間革命』第1巻の「はじめに」で、"完結までに30巻を予定"と書かれています。 ついに、その第30巻の連載が、本年の元日から始まりました。
昨年夏、池田先生が『新・人間革命』の執筆を開始された軽井沢の長野研修道場を訪れました。研修道場には、最初の執筆の日に記された「全30冊の予定なり」との直筆原稿が展示されていました。
当時、先生は65歳。ー般的には、"定年"を過ぎ、退職 という人生の一区切りの年齢でもあります。その時点で、 先生は全30巻での完結という壮大な目標を目指し、新たな挑戦を宣言されたのです。
前書き(「はじめに」)には、小説の執筆は「限りある 命の時間との、壮絶な闘争となる」と記されています。
先生は、『新・人間革命』の執筆こそ、人生で果たすべき使命であると定められていると感じます。連載を待ってくれている読者、後継の弟子たちに、何を伝え残していくか。 そこに、先生の人生を懸けた戦いがあるのだと思います。
池田先生が小説を書いた直接的なきっかけは、戸田 先生の小説『人間革命』にあります。その意味で、池田先生の『人間革命』『新・人間 革命』は、"師弟の物語の続編"と言えるのでしょうか。
戸田先生は、逝去の8力月前、軽井沢の地で、池田先生に語りました。「牧口先生のことは書けても、自分のことを一から十まで書き表すことなど、恥ずかしさが先に立つて、できないということだよ」と。この時、池田先生は、恩師の真実を残すために、"続編"を執筆することを固く決意されています。
一方、『新・人間革命』 は、戸田先生の理想を、弟子山本伸一がどう実現していくかということに力点が置かれている。また、伸一と共に、世界の後継の弟子たちが、どのように戦つたかということに光を当てています。
池田先生は『新・人間革命』の前書きで、「(戸田) 先生亡き後の広宣流布の世界への広がりこそが、恩師の本当の偉大さの証明になると考えた」と記しています。
半世紀にわたる『人間革命』『新・人間革命』の執筆は、全国、海外各地を駆け巡る激務の中で続けられてきました。先生は、日々の連載を通して、今の同志への激励や指針を贈っています。毎日、 戦いながら書き、同志を励ましていく。先生にとって小説の執筆は、"人生の大きな 柱"だと言っても過言ではありません。
なぜ『続・人間革命』ではなく、『新・人間革命』というタイ卜ルにされたのでしようか。
池田先生の『人間革命』の結びは、戸田先生が逝去された後、山本伸一が創価学会の会長に就任する場面で終わります。一方、『新・人間革命』の冒頭は、伸一の会長就任から5力月後、海外初訪問のシーンから始まっています。
これは、『新・人間革命』 が、単に歴史的事実を追うものでなく、「世界広布」を主題としているからではないでしょぅか。戸田先生から託された広宣流布の壮大な構想を、弟子がいかに実現していくか。いかに新たな時代に、人間革命の哲学と実践を展開していくか。そこに「新」と いう一字の意義があると言えるかもしれません。
創価の師弟の歴史をつづるに当たり、「小説」の形態を取つた理由とは?
池田先生は『新・人間革命』の前書きで、「私の足跡を記せる人はいても、私の心までは描けない。私でなければわからない真実の学会の歴史がある」と書かれています。小説は、人の心を描くには、一番適した形であると思います。
そして小説だからこそ、!! 者は、主人公の人生を「追体験」できます。
「山本伸一」は、あくまで仮名です。もちろん池田先生 の生涯そのものですが、弟子の戦いが凝縮されたモデルとも言える。つまり、誰もが 「山本伸一」として生きる可能性を持っている。「山本伸一」の人生、心の奥底を追体験し、先生の思いに自分の思 いを重ね合わせながら、共戦の道を歩むことができるのです。
大発展するインド創価学会のメンバーの合言葉は、「アイアムシンイチ・ヤマモト(私は山本伸一だ)」で す。先生の『新・人間革命』 を読み、インド広布に一人立った伸一の思いと行動を追体験しながら、"今こそ、自分が山本伸一の精神で戦おぅ" と立ち上がっています。
現在の第30巻の連載は、海外でも大きな反響を呼んでいると聞いています。
各国・地域のSGIメンバーからは、連日、連載中の 「大山」の章を、"即日で翻訳してほしい"という要望を たくさんいただいているようです。池田先生の今の思いを "同時共有したい"というのが、海外の同志の率直な思いです。
先生の日々の連載を、日本語でリアルタイムで学ぶことができる私たちは、求道の心 を燃やして真剣に拝していきたい。今はまさに"黄金の時"です。 (次回に続く)
2017年2月21日火曜日
2017.02.21 わが友に贈る
後継の育成こそ
広宣流布の命脈だ。
皆で新しい人を
どんどん伸ばそう!
個性輝く人材城を築け!
治病大小権実違目 P997
『元品の法性は梵天帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり、善神は悪人をあだむ悪鬼は善人をあだむ、末法に入りぬれば自然に悪鬼は国中に充満せり』
☆女性に贈ることば 二月二十一日
一流の人格の人は、友情を徹底して大切にする。信義を重んじる。
☆今日のことば365 二月二十一日
私はテレビ文化そのものを、否定しているのでは毛頭ない。ただ、その相対として、活字文化が軽視されるのを悲しむのである。テレビの楽しさを享受しつつも、それに埋没してはいけない。一人一人が主体性をもち、逆にテレビ文化を支配していくとき、初めてテレビ文化を超えたといいうるであろう。"家に本なきは、人に魂なきがごとし"と私は思うのである。
☆誓いの天地 東京・中野区 2017年2月2日
◇信心の歓喜広がる青年の街 「今」を勝ち「ここ」で勝つ!
JR中央線で新宿駅から4分。
中野区は、中野駅を中心に、北は西武新宿線、南は地下鉄丸ノ内線が走る交通至便の町である。
特に近年は、中野駅周辺の整備が進み、北口の西側に「中野四季の都市」が誕生。区民が憩う「中野四季の森公園」を囲むように、オフィスビルや3つの大学などが立ち並び、新たなにぎわいを見せている。
中野駅北口から真っすぐに延びる中野サンモール商店街に向かうと、まず目に飛び込んでくるのが、おやき処「れふ亭」——今川焼きの名店である。
多彩なメニューに、庶民的な価格。何より、その確かな"味"を求めて、客足は絶えない。一番人気は小倉あんこだという。
「区内だけでなく各地から、遠くは韓国にも常連のお客さまがいます」と語るのは、千葉拓雄さん(中野戸田区、男子部本部長)。1984年(昭和59年)に父・公毅さん(同区、地区幹事)が始めた同店の経営を、専務として任されている。店長の林正樹さん(同区、男子部副部長)との息もぴったりだ。
千葉さんは生粋の"中野っ子"。青春時代はスポーツに汗を流し、高校では卓球の東日本大会で優勝した経験も。しかし、その後は一転、荒れた生活を送るように。
転機は22歳の時。男子部の先輩の激励と妻・美智子さん(同区、白ゆり長)との出会い、さらには"宿命に苦しむ友人を救いたい"と初めての折伏に挑んだことが、発心のきっかけになった。
以来、3年連続で弘教を達成。2004年9月26日には「21世紀中野兄弟会」の一員として、「『中野兄弟』栄光の集い」で、師匠・池田先生との原点を刻んだ。
分区の牙城会委員長も兼務。人材育成に奔走する傍ら、特技を生かし、60人以上が所属する卓球サークルで友好を拡大。商店街の2代目たちとも交流を深める。
社長の父と母・富江さん(同区、地区副婦人部長)が信心で築いた店を守り発展させようと、誠実第一の接客を心掛ける千葉さん。
「あまりにも 日本一かな 今川の 焼きたて見つめて 同志らは笑顔に」——池田先生から贈られた和歌を胸に、きょうも来店客との一瞬の出会いに真心を込める。
都心へのアクセスがよく、若者に人気のエリアとなっている西武新宿線沿線。その一つ、野方駅周辺の地域で女子部本部長を務めるのは、白藤啓子さん(中野牧口区)。訪問介護の事業所に勤める多忙な毎日の中、「楽しく朗らかに」をモットーに、はつらつと学会活動に励む。21世紀中野兄弟会のメンバーでもある。
将来への夢がなく、仕事で悩んでいた時、介護施設で働く親友の職場を見学。人と触れ合う仕事に魅力を感じ、かつて同じ業界にいた母・由美子さん(同区、支部副婦人部長)の勧めもあって、現在の会社に入社した。
だが、しばらくすると、経営方針の変更により、同僚が次々と退社していった。慢性的な人手不足が続く介護の世界。白藤さんは意を決し、上司に"皆が働きやすい環境づくりを"と直訴する。その分、周囲の2倍、3倍の努力を重ね、懸命に信頼を広げた。
そうした姿が認められ、4年前からは事業所の最年少管理者に。社内表彰も2度受賞し、模範の実証を示してきた。「利用される方々全員に満足していただきたい。『ありがとう』と言われるたびにやりがいを感じ、この仕事が大好きになります」
家族の事故や病、経済苦などの困難を、信心で乗り越えてきた白藤さん。生まれ育った中野では、中学の同窓会の幹事となって、卒業後も友情を大切にしている。
本部の女子部の活動者も増加。"楽しいところに人は集まる"との師の指導のままに、広布と社会の女性リーダーとして、縁する全ての人たちに希望を送り続ける。
◇栄光の共戦譜
中野は池田先生が手塩にかけて育てた、妙法の人材山脈である。
来る2月4日は「中野の日」。
1973年のこの日、先生は中野駅近くの中野体育館へ。「中野・青少年スポーツの集い」に出席し、参加者と記念撮影を行った。
先生は男子部・女子部・学生部・未来部のメンバーを「中野兄弟会」と命名し、ある提案をする。
一つは「将来の希望をメモに書いて、提出すること」。もう一つは「30年間、2月4日を中心にして、毎年集まること」であった。
「一流のジャーナリスト」と記した上田康晴さん(中野牧口区、副本部長)は当時、大学4年生。学会が権力から弾圧を受けた言論問題の後であり、胸中には正義の炎が赤々と燃えていた。
当初はアルバイトだった大手出版社で正社員採用を勝ち取り、漫画雑誌の編集部では担当した連載作品が大ヒット。「社内一の売り上げ」という目標を達成し、編集長、編集本部長に抜てきされる。
50代で取締役、常務取締役となり、学会組織では支部長に就任。唱題根本に病魔も克服し、信心の功力を深く実感してきた。
だが4年前、試練に襲われる。社内での意見の相違から、退社を余儀なくされてしまったのだ。
収入もなくなり、妻の香代子さん(同区総合婦人部長)と共に、ただ祈るしかなかった。折れそうになる心を支えたのは、師匠への誓いであり、欠かさずに参加してきた中野兄弟会の誇りだった。
1年後、フリーの編集者として新出発することに。かつての実績が高く評価され、企画編集の依頼が次々と舞い込むようになった。
「池田先生を範として、『一流のジャーナリスト』の道を追求していきたい」。上田さんは生涯、信念のペンを振るい続ける。
「大実業家」と書いたのは、学生部だった金子裕次さん(中野池田区、副支部長)。あの日、卓球の試合に"参戦"した先生の慈顔が、目に焼き付いて離れない。
大学を卒業し、父が営む工務店に就職。しかし2年後、父が亡くなると、潮が引くように取引先が去っていった。
題目を唱える中、リフォーム業を手掛けることを決意。最初は全く仕事が入らなかったが、具体的な目標を掲げ、祈り動いた。
経営は徐々に軌道に乗り、28歳で「金子外装工事」を設立。入会時はバラック小屋だった実家に、広布の拠点となる4階建ての会社兼自宅を新築した。妻・裕美さん(同区、婦人部副本部長)との間に誕生した3人の子は皆、21世紀中野兄弟会。夫婦で大病も乗り越え、報恩の道を一筋に歩む。
中野総区の団地部女性部長として、近隣友好に尽くす佐藤通子さん(総区副婦人部長)は振り返る。「記念撮影の折、清掃役員だった私に、池田先生は『風邪を引かないように。ありがとう』と、温かく声を掛けてくださいました」。夫の文孝さん(中野戸田区、副区長)は中野兄弟会である。
佐藤さんには忘れられない場面がある。85年6月15日。中野牧口区の中野北会館を訪れた先生ご夫妻と、中野駅南口近くで、ばったり出会ったのだ。先生は不登校になった小学1年生の長女・範子さん(蒲田広宣区、地区婦人部長)の両肩に手を置き、力強く激励。長男・伸孝さん(中野戸田区、男子部副部長)の前にしゃがみ、優しく頭をなでた。「また会おう!」。その後、範子さんは元気に学校へ通えるように。二人が21世紀中野兄弟会の一員となったことが佐藤さんの最大の誉れだ。
両兄弟会をはじめ、中野の隅々で綴られた師弟の共戦譜。池田先生は93年6月3日、中野池田区の中野南文化会館を車で視察。昨年5月25日には、中野戸田区の中野文化会館を写真に収めた。
何より中野は、戸田先生が学会再建の一歩を踏み出し、池田先生が中野駅から入信の儀式の場へと向かった広布誓願の天地。
「仏法の勝負は、常に『今』であり、『ここ』である。だから、『今』を勝つのだ! 『ここ』で勝つのだ!」——厳寒の冬から、躍進の春、栄光の夏へ、仲良き中野は先生と共に、新時代の凱歌の扉を、さっそうと開きゆく。
広宣流布の命脈だ。
皆で新しい人を
どんどん伸ばそう!
個性輝く人材城を築け!
治病大小権実違目 P997
『元品の法性は梵天帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり、善神は悪人をあだむ悪鬼は善人をあだむ、末法に入りぬれば自然に悪鬼は国中に充満せり』
☆女性に贈ることば 二月二十一日
一流の人格の人は、友情を徹底して大切にする。信義を重んじる。
☆今日のことば365 二月二十一日
私はテレビ文化そのものを、否定しているのでは毛頭ない。ただ、その相対として、活字文化が軽視されるのを悲しむのである。テレビの楽しさを享受しつつも、それに埋没してはいけない。一人一人が主体性をもち、逆にテレビ文化を支配していくとき、初めてテレビ文化を超えたといいうるであろう。"家に本なきは、人に魂なきがごとし"と私は思うのである。
☆誓いの天地 東京・中野区 2017年2月2日
◇信心の歓喜広がる青年の街 「今」を勝ち「ここ」で勝つ!
JR中央線で新宿駅から4分。
中野区は、中野駅を中心に、北は西武新宿線、南は地下鉄丸ノ内線が走る交通至便の町である。
特に近年は、中野駅周辺の整備が進み、北口の西側に「中野四季の都市」が誕生。区民が憩う「中野四季の森公園」を囲むように、オフィスビルや3つの大学などが立ち並び、新たなにぎわいを見せている。
中野駅北口から真っすぐに延びる中野サンモール商店街に向かうと、まず目に飛び込んでくるのが、おやき処「れふ亭」——今川焼きの名店である。
多彩なメニューに、庶民的な価格。何より、その確かな"味"を求めて、客足は絶えない。一番人気は小倉あんこだという。
「区内だけでなく各地から、遠くは韓国にも常連のお客さまがいます」と語るのは、千葉拓雄さん(中野戸田区、男子部本部長)。1984年(昭和59年)に父・公毅さん(同区、地区幹事)が始めた同店の経営を、専務として任されている。店長の林正樹さん(同区、男子部副部長)との息もぴったりだ。
千葉さんは生粋の"中野っ子"。青春時代はスポーツに汗を流し、高校では卓球の東日本大会で優勝した経験も。しかし、その後は一転、荒れた生活を送るように。
転機は22歳の時。男子部の先輩の激励と妻・美智子さん(同区、白ゆり長)との出会い、さらには"宿命に苦しむ友人を救いたい"と初めての折伏に挑んだことが、発心のきっかけになった。
以来、3年連続で弘教を達成。2004年9月26日には「21世紀中野兄弟会」の一員として、「『中野兄弟』栄光の集い」で、師匠・池田先生との原点を刻んだ。
分区の牙城会委員長も兼務。人材育成に奔走する傍ら、特技を生かし、60人以上が所属する卓球サークルで友好を拡大。商店街の2代目たちとも交流を深める。
社長の父と母・富江さん(同区、地区副婦人部長)が信心で築いた店を守り発展させようと、誠実第一の接客を心掛ける千葉さん。
「あまりにも 日本一かな 今川の 焼きたて見つめて 同志らは笑顔に」——池田先生から贈られた和歌を胸に、きょうも来店客との一瞬の出会いに真心を込める。
都心へのアクセスがよく、若者に人気のエリアとなっている西武新宿線沿線。その一つ、野方駅周辺の地域で女子部本部長を務めるのは、白藤啓子さん(中野牧口区)。訪問介護の事業所に勤める多忙な毎日の中、「楽しく朗らかに」をモットーに、はつらつと学会活動に励む。21世紀中野兄弟会のメンバーでもある。
将来への夢がなく、仕事で悩んでいた時、介護施設で働く親友の職場を見学。人と触れ合う仕事に魅力を感じ、かつて同じ業界にいた母・由美子さん(同区、支部副婦人部長)の勧めもあって、現在の会社に入社した。
だが、しばらくすると、経営方針の変更により、同僚が次々と退社していった。慢性的な人手不足が続く介護の世界。白藤さんは意を決し、上司に"皆が働きやすい環境づくりを"と直訴する。その分、周囲の2倍、3倍の努力を重ね、懸命に信頼を広げた。
そうした姿が認められ、4年前からは事業所の最年少管理者に。社内表彰も2度受賞し、模範の実証を示してきた。「利用される方々全員に満足していただきたい。『ありがとう』と言われるたびにやりがいを感じ、この仕事が大好きになります」
家族の事故や病、経済苦などの困難を、信心で乗り越えてきた白藤さん。生まれ育った中野では、中学の同窓会の幹事となって、卒業後も友情を大切にしている。
本部の女子部の活動者も増加。"楽しいところに人は集まる"との師の指導のままに、広布と社会の女性リーダーとして、縁する全ての人たちに希望を送り続ける。
◇栄光の共戦譜
中野は池田先生が手塩にかけて育てた、妙法の人材山脈である。
来る2月4日は「中野の日」。
1973年のこの日、先生は中野駅近くの中野体育館へ。「中野・青少年スポーツの集い」に出席し、参加者と記念撮影を行った。
先生は男子部・女子部・学生部・未来部のメンバーを「中野兄弟会」と命名し、ある提案をする。
一つは「将来の希望をメモに書いて、提出すること」。もう一つは「30年間、2月4日を中心にして、毎年集まること」であった。
「一流のジャーナリスト」と記した上田康晴さん(中野牧口区、副本部長)は当時、大学4年生。学会が権力から弾圧を受けた言論問題の後であり、胸中には正義の炎が赤々と燃えていた。
当初はアルバイトだった大手出版社で正社員採用を勝ち取り、漫画雑誌の編集部では担当した連載作品が大ヒット。「社内一の売り上げ」という目標を達成し、編集長、編集本部長に抜てきされる。
50代で取締役、常務取締役となり、学会組織では支部長に就任。唱題根本に病魔も克服し、信心の功力を深く実感してきた。
だが4年前、試練に襲われる。社内での意見の相違から、退社を余儀なくされてしまったのだ。
収入もなくなり、妻の香代子さん(同区総合婦人部長)と共に、ただ祈るしかなかった。折れそうになる心を支えたのは、師匠への誓いであり、欠かさずに参加してきた中野兄弟会の誇りだった。
1年後、フリーの編集者として新出発することに。かつての実績が高く評価され、企画編集の依頼が次々と舞い込むようになった。
「池田先生を範として、『一流のジャーナリスト』の道を追求していきたい」。上田さんは生涯、信念のペンを振るい続ける。
「大実業家」と書いたのは、学生部だった金子裕次さん(中野池田区、副支部長)。あの日、卓球の試合に"参戦"した先生の慈顔が、目に焼き付いて離れない。
大学を卒業し、父が営む工務店に就職。しかし2年後、父が亡くなると、潮が引くように取引先が去っていった。
題目を唱える中、リフォーム業を手掛けることを決意。最初は全く仕事が入らなかったが、具体的な目標を掲げ、祈り動いた。
経営は徐々に軌道に乗り、28歳で「金子外装工事」を設立。入会時はバラック小屋だった実家に、広布の拠点となる4階建ての会社兼自宅を新築した。妻・裕美さん(同区、婦人部副本部長)との間に誕生した3人の子は皆、21世紀中野兄弟会。夫婦で大病も乗り越え、報恩の道を一筋に歩む。
中野総区の団地部女性部長として、近隣友好に尽くす佐藤通子さん(総区副婦人部長)は振り返る。「記念撮影の折、清掃役員だった私に、池田先生は『風邪を引かないように。ありがとう』と、温かく声を掛けてくださいました」。夫の文孝さん(中野戸田区、副区長)は中野兄弟会である。
佐藤さんには忘れられない場面がある。85年6月15日。中野牧口区の中野北会館を訪れた先生ご夫妻と、中野駅南口近くで、ばったり出会ったのだ。先生は不登校になった小学1年生の長女・範子さん(蒲田広宣区、地区婦人部長)の両肩に手を置き、力強く激励。長男・伸孝さん(中野戸田区、男子部副部長)の前にしゃがみ、優しく頭をなでた。「また会おう!」。その後、範子さんは元気に学校へ通えるように。二人が21世紀中野兄弟会の一員となったことが佐藤さんの最大の誉れだ。
両兄弟会をはじめ、中野の隅々で綴られた師弟の共戦譜。池田先生は93年6月3日、中野池田区の中野南文化会館を車で視察。昨年5月25日には、中野戸田区の中野文化会館を写真に収めた。
何より中野は、戸田先生が学会再建の一歩を踏み出し、池田先生が中野駅から入信の儀式の場へと向かった広布誓願の天地。
「仏法の勝負は、常に『今』であり、『ここ』である。だから、『今』を勝つのだ! 『ここ』で勝つのだ!」——厳寒の冬から、躍進の春、栄光の夏へ、仲良き中野は先生と共に、新時代の凱歌の扉を、さっそうと開きゆく。
2017年2月20日月曜日
2017.02.20 わが友に贈る
◇今週のことば
"一は万の母"なり。
春を呼ぶ声の響きで
一人一人に励ましを!
一人一人を味方に!
そこから希望の万波が。
2017年2月20日
四条金吾殿御返事 P1185
『今度の命たすかり候は偏に釈迦仏の貴辺の身に入り替らせ給いて御たすけ候か』
☆女性に贈ることば 二月二十日
人間の最も美しい姿のひとつは、真剣に仕事に打ち込んでいる姿である。
仕事に着任をもって、はつらつと取り組んでいる女性は、若さを失わない。
☆今日のことば365 二月二十日
大自然は、つぶさに観察すれば、するほど、その精巧さに驚嘆せずにはいられないような、複雑、微妙で、しかも壮大な生命の環を構成している。まさしく、宇宙の大芸術であるといってよい。昔から、人間の英知は、自らがその環のひとつであることを察知し、巧みに生きる術を考え出してきた。
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 佐渡御書(上) 2017年2月11日
◇法のための行動が、わが境涯を開く
今月から2回にわたり、「佐渡御書」を学びます。
第2代会長・戸田城聖先生はかつて、論文「佐渡御書を拝して」に次のように記されました。「この御抄を拝して、深く胸打たれるものは、大聖人御自身のお命もあやうく、かつはご生活も逼迫しているときにもかかわらず、弟子らをわが子のごとく慈しむ愛情が、ひしひしとあらわれていることである。春の海に毅然たる大岩が海中にそびえ立ち、その巌のもとに、陽光をおびた小波があまえている風景にも似ているような感がある」
佐渡流罪という大難の中、弟子の勝利を願って不惜身命の信心を貫くよう励まされた日蓮大聖人の御精神を拝していきましょう。(今回の拝読範囲は、御書956ページ冒頭〜同958ページ7行目)
◇本抄について
本抄は、文永9年(1272年)3月、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地の佐渡・塚原から、門下一同に宛てて認められたお手紙です。
前年の竜の口の法難以降、迫害の手は大聖人だけでなく門下にも及び、弟子たちは投獄・所領没収などの処罰を受けました。こうした中、弾圧を恐れて退転する者が相次いだのです。大聖人は、難に動揺する弟子たちを案じられ、文永9年2月、御自身が末法の御本仏であることを示された「開目抄」を門下一同に与えられました。
この2月には、大聖人が「立正安国論」で予言された自界叛逆難の的中を意味する「二月騒動(北条一族の内乱)」が起こりました。その知らせを受けて認められたのが本抄です。
◇御文
世間の法にも重恩をば命を捨て報ずるなるべし又主君の為に命を捨る人はすくなきやうなれども其数多し男子ははぢに命をすて女人は男の為に命をすつ、魚は命を惜む故に池にすむに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむしかれどもゑにばかされて釣をのむ鳥は木にすむ木のひきき事をおじて木の上枝にすむしかれどもゑにばかされて網にかかる、人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし
(御書956ページ8行目〜同957ページ1行目)
◇通解
世間の道理でも、重き恩に対しては命を捨てて報いるものである。また、主君のために命を捨てる人は少ないように思われるけれども、その数は多い。男は名誉のために命を捨て、女は男のために命を捨てる。
魚は、命を惜しむため、すみかとしている池が浅いことを嘆いて、池の底に穴を掘って棲んでいる。しかし、餌にだまされて釣り針を呑んでしまう。
鳥は、すみかとしている木が低いことを恐れて、木の上の枝に棲んでいる。しかし、餌にだまされて網にかかってしまう。
人もまた、これと同じである。
世間の浅いことのために命を失うことはあっても、大事な仏法のためには身命を捨てることが難しい。それゆえ、仏になる人もいないのである。
〈解説〉不惜身命の心で勇んで広布へ
本抄で日蓮大聖人は門下に、「世間の浅き事」のために命を捨てるのではなく、「大事の仏法」のために使っていくべきであると教えられています。
本抄の御執筆当時は、門下にも迫害の嵐が吹き荒れ、さらに二月騒動が起こるなど、騒然とした状況でした。だからこそ大聖人は、冒頭から"何のために、わが命を使うのか"という信仰者としての根本目的を教えられていると拝されます。
掲げた御文では、男性が自身の名誉のために命を懸け、女性が男性のために献身した当時の事例が挙げられています。
これは、当時、人々が世間の倫理観、価値観に従って自らの命を捨てることも少なくなかったということです。
また、大聖人は、魚や鳥が、餌にだまされて捕まり、命を落としてしまう習性に譬えて、目先のことにとらわれる、こうした愚かさが人にもあることを示されます。
これらのことを通して大聖人は、「世間の浅き事」のために命を捨ててしまうゆえに仏になる人もいないと教えられます。「大事の仏法」のために身命を惜しまぬ実践を貫いてこそ仏の境涯を開くことができるのです。まさに、大難に直面する門下への厳愛の御指導です。
では、大切な自身の命を「大事の仏法」のために使うとは、私たちの実践でいえば、どうすることなのでしょうか。
それは、日々、題目を唱え、広宣流布のために全力で行動することに当たります。具体的には、縁する友の幸福を祈り、真心をもって語ること。悩んでいる目の前の友の声に耳を傾け、励ましを送ること。自身の殻を破る勇気の一歩を踏み出すこと——信心を根本に、こうした身近な行動を続ける中に不惜身命の姿勢があるのです。
この最も尊く、価値ある生き方を教えてくださったのが、創価三代の師弟です。池田先生は「仏法のために尊い生涯を捧げるならば、生々世々、功徳と幸福に包まれた人生を歩んでいけることは絶対に間違いありません」と述べています。
本年は、池田先生が、師・戸田先生の願業である75万世帯の実現のために拡大の突破口を開かれた二月闘争から65周年の佳節です。今この時に、師匠と共に最高の青春を歩める喜びを胸に、報恩の心で勇気の対話を広げていきましょう。
◇池田先生の講義から
「佐渡御書」は、いわば「創価学会の御書」と申し上げても、過言ではありません。大聖人が、燃え上がる正義の炎で綴り遺され、弟子たちの心に打ち込まれたこの御書を、学会の三代の師弟は不惜身命の信心で、色読してきたからです。
◇ ◆ ◇
大難によってこそ、人間の境涯は限りなく開かれる。その極理を教えてくださるのが仏法の師匠です。師匠とは何とありがたい存在でしょうか。この師恩に報いてこそ「弟子の道」です。本抄はまさしく、「師弟不二」という信仰の奥義が凝結した「誓願の一書」であると拝したい。
◇ ◆ ◇
「三世の生命観」「永遠の幸福観」に目覚めることこそが、人生と社会のさまざまな問題を打開するための根本的な転換点となるのです。正しき生死観を持てば、人類の境涯も高まります。生死観の浅深を見極めていくことが、二十一世紀の文明を開く哲学の急所であるといってよい。(いずれも『勝利の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
◇研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第1巻、「佐渡御書」(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第2巻、「佐渡流罪」上下(同)
"一は万の母"なり。
春を呼ぶ声の響きで
一人一人に励ましを!
一人一人を味方に!
そこから希望の万波が。
2017年2月20日
四条金吾殿御返事 P1185
『今度の命たすかり候は偏に釈迦仏の貴辺の身に入り替らせ給いて御たすけ候か』
☆女性に贈ることば 二月二十日
人間の最も美しい姿のひとつは、真剣に仕事に打ち込んでいる姿である。
仕事に着任をもって、はつらつと取り組んでいる女性は、若さを失わない。
☆今日のことば365 二月二十日
大自然は、つぶさに観察すれば、するほど、その精巧さに驚嘆せずにはいられないような、複雑、微妙で、しかも壮大な生命の環を構成している。まさしく、宇宙の大芸術であるといってよい。昔から、人間の英知は、自らがその環のひとつであることを察知し、巧みに生きる術を考え出してきた。
☆池田華陽会御書30編に学ぶ 佐渡御書(上) 2017年2月11日
◇法のための行動が、わが境涯を開く
今月から2回にわたり、「佐渡御書」を学びます。
第2代会長・戸田城聖先生はかつて、論文「佐渡御書を拝して」に次のように記されました。「この御抄を拝して、深く胸打たれるものは、大聖人御自身のお命もあやうく、かつはご生活も逼迫しているときにもかかわらず、弟子らをわが子のごとく慈しむ愛情が、ひしひしとあらわれていることである。春の海に毅然たる大岩が海中にそびえ立ち、その巌のもとに、陽光をおびた小波があまえている風景にも似ているような感がある」
佐渡流罪という大難の中、弟子の勝利を願って不惜身命の信心を貫くよう励まされた日蓮大聖人の御精神を拝していきましょう。(今回の拝読範囲は、御書956ページ冒頭〜同958ページ7行目)
◇本抄について
本抄は、文永9年(1272年)3月、日蓮大聖人が51歳の時、流罪地の佐渡・塚原から、門下一同に宛てて認められたお手紙です。
前年の竜の口の法難以降、迫害の手は大聖人だけでなく門下にも及び、弟子たちは投獄・所領没収などの処罰を受けました。こうした中、弾圧を恐れて退転する者が相次いだのです。大聖人は、難に動揺する弟子たちを案じられ、文永9年2月、御自身が末法の御本仏であることを示された「開目抄」を門下一同に与えられました。
この2月には、大聖人が「立正安国論」で予言された自界叛逆難の的中を意味する「二月騒動(北条一族の内乱)」が起こりました。その知らせを受けて認められたのが本抄です。
◇御文
世間の法にも重恩をば命を捨て報ずるなるべし又主君の為に命を捨る人はすくなきやうなれども其数多し男子ははぢに命をすて女人は男の為に命をすつ、魚は命を惜む故に池にすむに池の浅き事を歎きて池の底に穴をほりてすむしかれどもゑにばかされて釣をのむ鳥は木にすむ木のひきき事をおじて木の上枝にすむしかれどもゑにばかされて網にかかる、人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし
(御書956ページ8行目〜同957ページ1行目)
◇通解
世間の道理でも、重き恩に対しては命を捨てて報いるものである。また、主君のために命を捨てる人は少ないように思われるけれども、その数は多い。男は名誉のために命を捨て、女は男のために命を捨てる。
魚は、命を惜しむため、すみかとしている池が浅いことを嘆いて、池の底に穴を掘って棲んでいる。しかし、餌にだまされて釣り針を呑んでしまう。
鳥は、すみかとしている木が低いことを恐れて、木の上の枝に棲んでいる。しかし、餌にだまされて網にかかってしまう。
人もまた、これと同じである。
世間の浅いことのために命を失うことはあっても、大事な仏法のためには身命を捨てることが難しい。それゆえ、仏になる人もいないのである。
〈解説〉不惜身命の心で勇んで広布へ
本抄で日蓮大聖人は門下に、「世間の浅き事」のために命を捨てるのではなく、「大事の仏法」のために使っていくべきであると教えられています。
本抄の御執筆当時は、門下にも迫害の嵐が吹き荒れ、さらに二月騒動が起こるなど、騒然とした状況でした。だからこそ大聖人は、冒頭から"何のために、わが命を使うのか"という信仰者としての根本目的を教えられていると拝されます。
掲げた御文では、男性が自身の名誉のために命を懸け、女性が男性のために献身した当時の事例が挙げられています。
これは、当時、人々が世間の倫理観、価値観に従って自らの命を捨てることも少なくなかったということです。
また、大聖人は、魚や鳥が、餌にだまされて捕まり、命を落としてしまう習性に譬えて、目先のことにとらわれる、こうした愚かさが人にもあることを示されます。
これらのことを通して大聖人は、「世間の浅き事」のために命を捨ててしまうゆえに仏になる人もいないと教えられます。「大事の仏法」のために身命を惜しまぬ実践を貫いてこそ仏の境涯を開くことができるのです。まさに、大難に直面する門下への厳愛の御指導です。
では、大切な自身の命を「大事の仏法」のために使うとは、私たちの実践でいえば、どうすることなのでしょうか。
それは、日々、題目を唱え、広宣流布のために全力で行動することに当たります。具体的には、縁する友の幸福を祈り、真心をもって語ること。悩んでいる目の前の友の声に耳を傾け、励ましを送ること。自身の殻を破る勇気の一歩を踏み出すこと——信心を根本に、こうした身近な行動を続ける中に不惜身命の姿勢があるのです。
この最も尊く、価値ある生き方を教えてくださったのが、創価三代の師弟です。池田先生は「仏法のために尊い生涯を捧げるならば、生々世々、功徳と幸福に包まれた人生を歩んでいけることは絶対に間違いありません」と述べています。
本年は、池田先生が、師・戸田先生の願業である75万世帯の実現のために拡大の突破口を開かれた二月闘争から65周年の佳節です。今この時に、師匠と共に最高の青春を歩める喜びを胸に、報恩の心で勇気の対話を広げていきましょう。
◇池田先生の講義から
「佐渡御書」は、いわば「創価学会の御書」と申し上げても、過言ではありません。大聖人が、燃え上がる正義の炎で綴り遺され、弟子たちの心に打ち込まれたこの御書を、学会の三代の師弟は不惜身命の信心で、色読してきたからです。
◇ ◆ ◇
大難によってこそ、人間の境涯は限りなく開かれる。その極理を教えてくださるのが仏法の師匠です。師匠とは何とありがたい存在でしょうか。この師恩に報いてこそ「弟子の道」です。本抄はまさしく、「師弟不二」という信仰の奥義が凝結した「誓願の一書」であると拝したい。
◇ ◆ ◇
「三世の生命観」「永遠の幸福観」に目覚めることこそが、人生と社会のさまざまな問題を打開するための根本的な転換点となるのです。正しき生死観を持てば、人類の境涯も高まります。生死観の浅深を見極めていくことが、二十一世紀の文明を開く哲学の急所であるといってよい。(いずれも『勝利の経典「御書」に学ぶ』第1巻)
◇研さんのために
○…『勝利の経典「御書」に学ぶ』第1巻、「佐渡御書」(聖教新聞社)
○…『御書の世界』第2巻、「佐渡流罪」上下(同)
2017年2月19日日曜日
2017.02.19 わが友に贈る
楽しく明るい所に
人々は喜び集う。
歓喜と感謝の心に
福徳は いや増す。
皆で幸の楽土の建設を!
妙心尼御前御返事 P1479
『病あれば死ぬべしといふ事不定なり』
☆女性に贈ることば 二月十九日
子どもが起こす問題行動は、何か意味がある。子どもの心が発するシグナルです。
心のどこかがおかしくても、子どもは、それをうまく表現できない。また、自分でもよくわからないのが実際でしょう。
子どもの行動の意味を理解し、対応してあげることが必要なのです。子どものシグナルに気づくためには、心が子どもの方を向いていなくてはいけません。
☆今日のことば365 二月十九日
人生は最後の一瞬まで、建設の連続でありたい。
この心構えを生涯持ちつづけたかどうかが、その人の人生の価値を決定するといっても過言ではない。
☆仏法の教え みんなで学ぶ教学〜新会員教室〜第2回 広宣流布 2017年2月4日
◇"自他共の幸せ"の連帯を世界に広げよう
池田先生は、今年の年頭に「"青年拡大の年"なれば、共々に若々しく張り切って『一生成仏』『人間革命』という自転と、『広宣流布』『立正安国』という公転を、たゆまず進めてまいりたい」とつづられました。今回の「みんなで学ぶ教学」は、前回の「一生成仏」に続いて、「広宣流布」をテーマに学びます。
◇勤行の御祈念文にも
——創価学会の方々が、人のために尽くす姿に胸を打たれて入会しました。
仏法では、万人に本来具わっている仏の生命を開いていくことで、全ての人が幸福になれると説いています。
学会員は皆、この仏法の広宣流布を目指して学会活動に取り組み、縁する人々に励ましを送っているのです。
——「コウセンルフ」? どういう意味ですか。
「広宣流布」という言葉は、釈尊が説いた法華経の中に出てきます。
「私(釈尊)が亡くなった後、末法において、全世界に正法を広宣流布して、断絶させてはならない」(法華経601ページ、趣意)
「広宣」には「広く宣べる」との意味が、「流布」には「布のように布き広げていく」との意味があります。略して「広布」と言うこともあります。国や言語、文化土壌などの、あらゆる差異を超えて、万人成仏の妙法を広め、伝えていくことを指します。
御書に「大願とは法華弘通なり」(736ページ)とある通り、広宣流布こそ日蓮仏法の根本精神です。
——勤行の御祈念文にも「世界広宣流布大願成就」とありますね。
私たちの信心の大切な目的だから日々、祈るのです。
前回(1月10日付)学んだ「一生成仏」は、いうならば「個人の幸福」を願うものでした。
それに対して、世界平和や社会の繁栄を意味する「広宣流布」は、「万人の幸福」の実現を目指しています。
大聖人は「喜とは自他共に喜ぶ事なり」「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(御書761ページ)と仰せです。
「自分の幸福」だけを願う姿勢は、エゴ、利己主義であり、他方、「他人の幸福」を声高に叫ぶばかりでは、"偽善"に陥ってしまいかねません。
「一生成仏」と「広宣流布」双方の実現——つまり「自他共の幸せ」を目指して信心の実践に励むことが大切なのです。
◇仏意仏勅の創価学会
——創価学会の会合で、「広布」「広宣流布」という言葉を耳にする理由がよく分かりました。
先に引用した法華経の経文の後には、広宣流布を阻む障魔の働きを予見する言葉が続きます。事実、大聖人は末法の悪世にあって、命に及ぶ大難を忍ばれて、南無妙法蓮華経の大法を弘通されました。
この大聖人の死身弘法の精神に連なり、妙法を広め、広宣流布を進めてきたのが創価学会です。
大聖人の御入滅から700年、誰も妙法を世界に広めることはできませんでした。創価学会が、釈尊と大聖人の未来記(予言)を現実のものにしたのです。学会こそが「仏意仏勅」「大聖人直結」の教団である理由がここにあります。
広宣流布の担い手は、特別な聖職者ではなく、庶民である学会員でした。その尊き広布のバトンを受け継ぐ私たち一人一人も、創価学会の深き使命を自覚して、幸せの連帯を広げていきたいですね。
◇永遠に続く"流れ"
——「全員が学会員になれば、広宣流布は達成する」と考えていいのでしょうか?
世の中は絶えず変化し、その時代が抱える課題や人々の悩みも千変万化します。形式的に人数が増えることだけが広宣流布ではありません。「これで、広宣流布は終わり」という時もありません。
大聖人は、「日蓮の慈悲が広大であるならば、南無妙法蓮華経は万年のほか未来までも流布するであろう」(同329ページ、通解)と仰せです。
広宣流布とは、妙法を広めた先の到達点ではなく、妙法を広めゆく流れそのものといえます。
終わりのない運動ですから、私たちも常に未来を見据えて信心に励み、後に続く人を大切にしていきたいですね。
——私にできることは何でしょうか?
家族や友人の幸福を「祈る」ことから始めてみてはどうでしょう。そうした祈り自体が、広宣流布に通じる立派な実践です。
また、御本尊への祈りを根本に、より良い自分に変わっていく——こうした人間革命の実証を通じて、周囲に信心の素晴らしさを伝えていくことも大切です。
池田先生は語られました。
「広宣流布のために働き、広宣流布のために『信心の勝利』の実証を示そうと立ち上がるとき、言うに言われぬ大功徳が身にあふれてくるのです」
多くの学会員が、"広布のために"と奮闘する中で、自身にしか果たせない使命を見いだし、想像すらできなかったような幸福境涯を築いてきました。広布の使命に生き抜く中で、歓喜の人生を勝ち開いていきましょう。
人々は喜び集う。
歓喜と感謝の心に
福徳は いや増す。
皆で幸の楽土の建設を!
妙心尼御前御返事 P1479
『病あれば死ぬべしといふ事不定なり』
☆女性に贈ることば 二月十九日
子どもが起こす問題行動は、何か意味がある。子どもの心が発するシグナルです。
心のどこかがおかしくても、子どもは、それをうまく表現できない。また、自分でもよくわからないのが実際でしょう。
子どもの行動の意味を理解し、対応してあげることが必要なのです。子どものシグナルに気づくためには、心が子どもの方を向いていなくてはいけません。
☆今日のことば365 二月十九日
人生は最後の一瞬まで、建設の連続でありたい。
この心構えを生涯持ちつづけたかどうかが、その人の人生の価値を決定するといっても過言ではない。
☆仏法の教え みんなで学ぶ教学〜新会員教室〜第2回 広宣流布 2017年2月4日
◇"自他共の幸せ"の連帯を世界に広げよう
池田先生は、今年の年頭に「"青年拡大の年"なれば、共々に若々しく張り切って『一生成仏』『人間革命』という自転と、『広宣流布』『立正安国』という公転を、たゆまず進めてまいりたい」とつづられました。今回の「みんなで学ぶ教学」は、前回の「一生成仏」に続いて、「広宣流布」をテーマに学びます。
◇勤行の御祈念文にも
——創価学会の方々が、人のために尽くす姿に胸を打たれて入会しました。
仏法では、万人に本来具わっている仏の生命を開いていくことで、全ての人が幸福になれると説いています。
学会員は皆、この仏法の広宣流布を目指して学会活動に取り組み、縁する人々に励ましを送っているのです。
——「コウセンルフ」? どういう意味ですか。
「広宣流布」という言葉は、釈尊が説いた法華経の中に出てきます。
「私(釈尊)が亡くなった後、末法において、全世界に正法を広宣流布して、断絶させてはならない」(法華経601ページ、趣意)
「広宣」には「広く宣べる」との意味が、「流布」には「布のように布き広げていく」との意味があります。略して「広布」と言うこともあります。国や言語、文化土壌などの、あらゆる差異を超えて、万人成仏の妙法を広め、伝えていくことを指します。
御書に「大願とは法華弘通なり」(736ページ)とある通り、広宣流布こそ日蓮仏法の根本精神です。
——勤行の御祈念文にも「世界広宣流布大願成就」とありますね。
私たちの信心の大切な目的だから日々、祈るのです。
前回(1月10日付)学んだ「一生成仏」は、いうならば「個人の幸福」を願うものでした。
それに対して、世界平和や社会の繁栄を意味する「広宣流布」は、「万人の幸福」の実現を目指しています。
大聖人は「喜とは自他共に喜ぶ事なり」「自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(御書761ページ)と仰せです。
「自分の幸福」だけを願う姿勢は、エゴ、利己主義であり、他方、「他人の幸福」を声高に叫ぶばかりでは、"偽善"に陥ってしまいかねません。
「一生成仏」と「広宣流布」双方の実現——つまり「自他共の幸せ」を目指して信心の実践に励むことが大切なのです。
◇仏意仏勅の創価学会
——創価学会の会合で、「広布」「広宣流布」という言葉を耳にする理由がよく分かりました。
先に引用した法華経の経文の後には、広宣流布を阻む障魔の働きを予見する言葉が続きます。事実、大聖人は末法の悪世にあって、命に及ぶ大難を忍ばれて、南無妙法蓮華経の大法を弘通されました。
この大聖人の死身弘法の精神に連なり、妙法を広め、広宣流布を進めてきたのが創価学会です。
大聖人の御入滅から700年、誰も妙法を世界に広めることはできませんでした。創価学会が、釈尊と大聖人の未来記(予言)を現実のものにしたのです。学会こそが「仏意仏勅」「大聖人直結」の教団である理由がここにあります。
広宣流布の担い手は、特別な聖職者ではなく、庶民である学会員でした。その尊き広布のバトンを受け継ぐ私たち一人一人も、創価学会の深き使命を自覚して、幸せの連帯を広げていきたいですね。
◇永遠に続く"流れ"
——「全員が学会員になれば、広宣流布は達成する」と考えていいのでしょうか?
世の中は絶えず変化し、その時代が抱える課題や人々の悩みも千変万化します。形式的に人数が増えることだけが広宣流布ではありません。「これで、広宣流布は終わり」という時もありません。
大聖人は、「日蓮の慈悲が広大であるならば、南無妙法蓮華経は万年のほか未来までも流布するであろう」(同329ページ、通解)と仰せです。
広宣流布とは、妙法を広めた先の到達点ではなく、妙法を広めゆく流れそのものといえます。
終わりのない運動ですから、私たちも常に未来を見据えて信心に励み、後に続く人を大切にしていきたいですね。
——私にできることは何でしょうか?
家族や友人の幸福を「祈る」ことから始めてみてはどうでしょう。そうした祈り自体が、広宣流布に通じる立派な実践です。
また、御本尊への祈りを根本に、より良い自分に変わっていく——こうした人間革命の実証を通じて、周囲に信心の素晴らしさを伝えていくことも大切です。
池田先生は語られました。
「広宣流布のために働き、広宣流布のために『信心の勝利』の実証を示そうと立ち上がるとき、言うに言われぬ大功徳が身にあふれてくるのです」
多くの学会員が、"広布のために"と奮闘する中で、自身にしか果たせない使命を見いだし、想像すらできなかったような幸福境涯を築いてきました。広布の使命に生き抜く中で、歓喜の人生を勝ち開いていきましょう。
2017年2月18日土曜日
2017.02.18 わが友に贈る
今日の課題に勝て!
今日の自分に勝て!
この信心即生活の
たゆみなき挑戦の中に
偉大な未来は築かれる!
下山御消息 P350
『此等の経文の亀鏡をもて両火房が身に指し当て見よ少もくもりなからん、一には名は持戒ときこゆれども実には放逸なるか二には慳貪なるか三には嫉妬なるか四には邪見なるか五には婬乱なるか此の五にはすぐべからず』
☆女性に贈ることば 二月十八日
年齢ではない。環境でもない。心である。
人生は心ひとつで、いつでも、どこでも、最高に輝かせることができる。
☆今日のことば365 二月十八日
女性にとって、若いということは、それだけで、すばらしい宝石をもっているようなものだ。みずみずしいというか、ういういしいというか、若い女性は、なにも飾らずとも、それだけで美しいものである。
☆未来部育成のページ 池田先生の指針 2017年2月7日
北国育ちの大教育者であられた、師・戸田城聖先生は、少年少女に呼びかけられた。
「冬に鍛えよ!」と。
この季節は、寒風にも、雪にも負けず、真剣に、受験に挑戦している友も多い。
頑張れ! 強い心で!
卒業、進学、進級——未来部の友にとって、青春時代の大事な成長の節目だ。
天高く青空へ昇るには、風や雲を突き抜けねばならぬ。
十八世紀フランスの思想家ルソーは言っている。
「わたしたちは、強くなるように生まれついているのだ。苦しいことなしに強くなれると思っているのだろうか」(『エミール』上、今野一雄訳、岩波文庫)
強くなれ!
徹して断じて、強くなれ! 苦しいこと、つらいことも、全部、強くなるための試練なのだ。
二月十六日の御聖誕であられる日蓮大聖人は、「金は・やけば真金となる」(御書1083ページ)と仰せだ。
本物は鍛えられて、ますます輝く。これが、人間の魂の成長の法則である。
〈『池田大作全集』第138巻、「世界の希望の宝・未来部」(上)〉
私たちの一切の奮闘努力も、結論すれば、ただ後継の友のため、未来永遠に続く道を開くためである。
御書には、「紹継」(974ページ等)という言葉が記されている。
「継承」と同じく「受け継ぐ」という意義である。
「伝持の人」すなわち後継者がいなければ、やがて未来は閉ざされてしまう。
広宣流布とは、滔々たる大河の流れの如く、仏法の人間主義の精神を次の世代へ、未来へ継承していくことであり、正義の魂のバトンを受け継ぐリレーなのである。
ゆえに、未来部の前進が、広布の前進だ。未来部の勝利が、師弟の勝利だ。
わが創価の宝であり、家庭の宝、地域の宝、社会の宝、そして人類の宝である未来部の友を、私たちは最大に護り、励まし、育んでいきたい。
〈2013年5月6日付本紙「随筆 我らの勝利の大道」〉
未来部員の一人ひとりが広宣流布の宝である。
御聖訓に「八歳の竜女は大海より来って経力を刹那に示し」(同465ページ)と仰せの如く、法華経の会座において、即身成仏、万人成仏の実証を示したのは、年若い竜女であった。
七歳の時に日蓮大聖人にお会いしたとされる南条時光は十六歳から、師のもとで直々の薫陶を受けた。
大聖人は、亡き父の信心を立派に継承する時光の姿を讃えられ、こう仰せになられた。
「あわれ人はよき子はもつべかりけるものかなと、なみだかきあえずこそ候いし」(同1507ページ)と。
門下の子弟を皆、わが子の如く慈しみ、育んでくださる。これが大聖人の御心であられた。
わが家、そして、わが地域の、かけがえのない使命を持った宝の未来部員に、温かな声をかけ、真剣に育て上げていくことは、大聖人が最も喜んでくださる"仏の仕事"なのである。
〈『随筆 対話の大道』「青年学会の希望の黎明(上)」〉
今日の自分に勝て!
この信心即生活の
たゆみなき挑戦の中に
偉大な未来は築かれる!
下山御消息 P350
『此等の経文の亀鏡をもて両火房が身に指し当て見よ少もくもりなからん、一には名は持戒ときこゆれども実には放逸なるか二には慳貪なるか三には嫉妬なるか四には邪見なるか五には婬乱なるか此の五にはすぐべからず』
☆女性に贈ることば 二月十八日
年齢ではない。環境でもない。心である。
人生は心ひとつで、いつでも、どこでも、最高に輝かせることができる。
☆今日のことば365 二月十八日
女性にとって、若いということは、それだけで、すばらしい宝石をもっているようなものだ。みずみずしいというか、ういういしいというか、若い女性は、なにも飾らずとも、それだけで美しいものである。
☆未来部育成のページ 池田先生の指針 2017年2月7日
北国育ちの大教育者であられた、師・戸田城聖先生は、少年少女に呼びかけられた。
「冬に鍛えよ!」と。
この季節は、寒風にも、雪にも負けず、真剣に、受験に挑戦している友も多い。
頑張れ! 強い心で!
卒業、進学、進級——未来部の友にとって、青春時代の大事な成長の節目だ。
天高く青空へ昇るには、風や雲を突き抜けねばならぬ。
十八世紀フランスの思想家ルソーは言っている。
「わたしたちは、強くなるように生まれついているのだ。苦しいことなしに強くなれると思っているのだろうか」(『エミール』上、今野一雄訳、岩波文庫)
強くなれ!
徹して断じて、強くなれ! 苦しいこと、つらいことも、全部、強くなるための試練なのだ。
二月十六日の御聖誕であられる日蓮大聖人は、「金は・やけば真金となる」(御書1083ページ)と仰せだ。
本物は鍛えられて、ますます輝く。これが、人間の魂の成長の法則である。
〈『池田大作全集』第138巻、「世界の希望の宝・未来部」(上)〉
私たちの一切の奮闘努力も、結論すれば、ただ後継の友のため、未来永遠に続く道を開くためである。
御書には、「紹継」(974ページ等)という言葉が記されている。
「継承」と同じく「受け継ぐ」という意義である。
「伝持の人」すなわち後継者がいなければ、やがて未来は閉ざされてしまう。
広宣流布とは、滔々たる大河の流れの如く、仏法の人間主義の精神を次の世代へ、未来へ継承していくことであり、正義の魂のバトンを受け継ぐリレーなのである。
ゆえに、未来部の前進が、広布の前進だ。未来部の勝利が、師弟の勝利だ。
わが創価の宝であり、家庭の宝、地域の宝、社会の宝、そして人類の宝である未来部の友を、私たちは最大に護り、励まし、育んでいきたい。
〈2013年5月6日付本紙「随筆 我らの勝利の大道」〉
未来部員の一人ひとりが広宣流布の宝である。
御聖訓に「八歳の竜女は大海より来って経力を刹那に示し」(同465ページ)と仰せの如く、法華経の会座において、即身成仏、万人成仏の実証を示したのは、年若い竜女であった。
七歳の時に日蓮大聖人にお会いしたとされる南条時光は十六歳から、師のもとで直々の薫陶を受けた。
大聖人は、亡き父の信心を立派に継承する時光の姿を讃えられ、こう仰せになられた。
「あわれ人はよき子はもつべかりけるものかなと、なみだかきあえずこそ候いし」(同1507ページ)と。
門下の子弟を皆、わが子の如く慈しみ、育んでくださる。これが大聖人の御心であられた。
わが家、そして、わが地域の、かけがえのない使命を持った宝の未来部員に、温かな声をかけ、真剣に育て上げていくことは、大聖人が最も喜んでくださる"仏の仕事"なのである。
〈『随筆 対話の大道』「青年学会の希望の黎明(上)」〉
2017年2月17日金曜日
2017.02.17 わが友に贈る
会場提供のご家族に
心からの感謝の言葉を!
時間厳守や節電・節水
近隣への配慮を忘れず
地域の宝城を皆で守れ!
妙密上人御消息 P1237
『人に食を施すに三の功徳あり一には命をつぎ二には色をまし三には力を授く』
☆女性に贈ることば 二月十七日
かけがえのない一生である。大切な、尊き自分自身である。将来に悔いや、心のかげりを残すような青春であってもらいたくない。
最後の最後に「私は幸福になった」「私は本当に満足だ。勝った」と笑顔で言える人生のための青春時代であっていただきたい。
☆今日のことば365 二月十七日
自分の幸福を犠牲にして、他人のため、社会のために尽くしていくのは、確かに美しい行為ではあるが、自分を失ってしまったならば、それは、単なるお人好しで終わってしまう。
☆新時代を進む 第4回 ああ感激の同志あり!
全国各地の大雪、暴風雪による被害にお見舞いを申し上げます。農作物への影響なども案じております。
いまだ寒さも厳しく、わが宝友の健康・長寿、なかんずく、聖教新聞を配達してくださっている「無冠の友」の皆さま方の絶対無事故を、さらに強盛に祈ります。
— ◇ —
戸田城聖先生の生誕の日(2月11日)に当たり、恩師記念会館で報恩感謝の勤行を行った(10日)。
「報恩抄」の文段には、「若し法を伝えて衆生を利せば、畢竟、恩を報ずるなり」と示されている。
師恩に報いる最上の道は、妙法を語り、一人でも多くの友と仏縁を結び、幸福の人生へ導くことである。
戸田先生は、広宣流布の拡大、立正安国の進展を何より願われた折伏の大師匠であられる。青年部を先頭に、新たな二月闘争が、日本中、世界中で繰り広げられていることを、最も喜んでくださるに違いない。
— ◇ —
恩師は、1900年(明治33年)の生まれ。文字通り、20世紀に輝きわたる不滅のご生涯であられた。
それからまさに百年の時を経て誕生したのが、今の未来部のメンバーである。
先生が呼び出された地涌の人材群は、もはや何ものも押しとどめることのできない潮流となった。
恩師記念会館には、少年少女希望絵画展の作品が展示されていた。皆、本当に上手であり、若き価値創造の生命が生き生きと、また伸び伸びと躍動している。
創価後継の若人たちが、21世紀を限りなく照らし晴らしゆく未来へ、私の心は限りなく広がる。
会館には、我ら東京の歌「ああ感激の同志あり」の歌詞も掲げられていた。
戸田先生にお聞かせする思いで、妻と口ずさんだ。
♪おお東天に 祈りあり
元初の生命の 曙は
春の桜の 匂うごと
喜び勝たなん 力あり
総本部の桜も、寒風に負けず蕾を膨らませている。
功徳満開の創価の大桜を、今年も恩師に捧げたいと祈る日々である。
心からの感謝の言葉を!
時間厳守や節電・節水
近隣への配慮を忘れず
地域の宝城を皆で守れ!
妙密上人御消息 P1237
『人に食を施すに三の功徳あり一には命をつぎ二には色をまし三には力を授く』
☆女性に贈ることば 二月十七日
かけがえのない一生である。大切な、尊き自分自身である。将来に悔いや、心のかげりを残すような青春であってもらいたくない。
最後の最後に「私は幸福になった」「私は本当に満足だ。勝った」と笑顔で言える人生のための青春時代であっていただきたい。
☆今日のことば365 二月十七日
自分の幸福を犠牲にして、他人のため、社会のために尽くしていくのは、確かに美しい行為ではあるが、自分を失ってしまったならば、それは、単なるお人好しで終わってしまう。
☆新時代を進む 第4回 ああ感激の同志あり!
全国各地の大雪、暴風雪による被害にお見舞いを申し上げます。農作物への影響なども案じております。
いまだ寒さも厳しく、わが宝友の健康・長寿、なかんずく、聖教新聞を配達してくださっている「無冠の友」の皆さま方の絶対無事故を、さらに強盛に祈ります。
— ◇ —
戸田城聖先生の生誕の日(2月11日)に当たり、恩師記念会館で報恩感謝の勤行を行った(10日)。
「報恩抄」の文段には、「若し法を伝えて衆生を利せば、畢竟、恩を報ずるなり」と示されている。
師恩に報いる最上の道は、妙法を語り、一人でも多くの友と仏縁を結び、幸福の人生へ導くことである。
戸田先生は、広宣流布の拡大、立正安国の進展を何より願われた折伏の大師匠であられる。青年部を先頭に、新たな二月闘争が、日本中、世界中で繰り広げられていることを、最も喜んでくださるに違いない。
— ◇ —
恩師は、1900年(明治33年)の生まれ。文字通り、20世紀に輝きわたる不滅のご生涯であられた。
それからまさに百年の時を経て誕生したのが、今の未来部のメンバーである。
先生が呼び出された地涌の人材群は、もはや何ものも押しとどめることのできない潮流となった。
恩師記念会館には、少年少女希望絵画展の作品が展示されていた。皆、本当に上手であり、若き価値創造の生命が生き生きと、また伸び伸びと躍動している。
創価後継の若人たちが、21世紀を限りなく照らし晴らしゆく未来へ、私の心は限りなく広がる。
会館には、我ら東京の歌「ああ感激の同志あり」の歌詞も掲げられていた。
戸田先生にお聞かせする思いで、妻と口ずさんだ。
♪おお東天に 祈りあり
元初の生命の 曙は
春の桜の 匂うごと
喜び勝たなん 力あり
総本部の桜も、寒風に負けず蕾を膨らませている。
功徳満開の創価の大桜を、今年も恩師に捧げたいと祈る日々である。
2017年2月16日木曜日
2017.02.16 わが友に贈る
一日の命の尊さは
全宇宙の財宝にも勝る。
かけがえのない今日を
存分に喜び生きよう!
大生命力を燃やして!
御講聞書 P819
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者、無上宝聚不求自得の長者に非ずや』
☆女性に贈ることば 二月十六日
本当に自分のことを理解してくれる人がいるかぎり、安心して力を出すことができる − それぐらい、心の絆は重要です。
親子の絆、教師と生徒の絆、師弟の鮮と、さまざまな鮮があるが、人生の年給を重ねれば重ねるほど、そのありがたみがわかるようになる。
☆今日のことば365 二月十六日
怜悧な、利害打算の多い世の中にあって、もっと無償の行為があってよいのではないかと思う。だまされまいとするあまり、人間らしい善意の芽ばえすらつみ取ってしまっては、味気なさすぎる。
☆御書と歩む 第52回 家族を照らす「太陽」に 2017年2月9日
『浄蔵・浄眼は父の妙荘厳王・外道の法に著して仏法に背き給いしかども二人の太子は父の命に背いて雲雷音王仏の御弟子となり終に父を導いて沙羅樹王仏と申す仏になし申されける』(聖愚問答抄、492ページ)
◇通解
浄蔵・浄眼は、父の妙荘厳王が外道の法に執着して仏法に背かれていた。けれどもこの二人の王子は、父の命に背いて雲雷音王仏の御弟子となり、ついに父を導いて沙羅樹王仏という仏に成したのである。
◇同志への指針
法華経に説かれる浄蔵・浄眼の二人の王子は、仏法で得た歓喜の功徳の姿を見せることで父親を正法に導いた。まさしく「人間革命」の力だ。
一人の「希望の太陽」が昇れば、必ず一家和楽を実現できる。妙法を持った人間性の輝きが、皆を明るく照らし、幸福家族を創るのだ。焦る必要はない。日々、太陽の如く、わが使命の軌道を朗らかに進み抜こう、勝利の春へ!
全宇宙の財宝にも勝る。
かけがえのない今日を
存分に喜び生きよう!
大生命力を燃やして!
御講聞書 P819
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者、無上宝聚不求自得の長者に非ずや』
☆女性に贈ることば 二月十六日
本当に自分のことを理解してくれる人がいるかぎり、安心して力を出すことができる − それぐらい、心の絆は重要です。
親子の絆、教師と生徒の絆、師弟の鮮と、さまざまな鮮があるが、人生の年給を重ねれば重ねるほど、そのありがたみがわかるようになる。
☆今日のことば365 二月十六日
怜悧な、利害打算の多い世の中にあって、もっと無償の行為があってよいのではないかと思う。だまされまいとするあまり、人間らしい善意の芽ばえすらつみ取ってしまっては、味気なさすぎる。
☆御書と歩む 第52回 家族を照らす「太陽」に 2017年2月9日
『浄蔵・浄眼は父の妙荘厳王・外道の法に著して仏法に背き給いしかども二人の太子は父の命に背いて雲雷音王仏の御弟子となり終に父を導いて沙羅樹王仏と申す仏になし申されける』(聖愚問答抄、492ページ)
◇通解
浄蔵・浄眼は、父の妙荘厳王が外道の法に執着して仏法に背かれていた。けれどもこの二人の王子は、父の命に背いて雲雷音王仏の御弟子となり、ついに父を導いて沙羅樹王仏という仏に成したのである。
◇同志への指針
法華経に説かれる浄蔵・浄眼の二人の王子は、仏法で得た歓喜の功徳の姿を見せることで父親を正法に導いた。まさしく「人間革命」の力だ。
一人の「希望の太陽」が昇れば、必ず一家和楽を実現できる。妙法を持った人間性の輝きが、皆を明るく照らし、幸福家族を創るのだ。焦る必要はない。日々、太陽の如く、わが使命の軌道を朗らかに進み抜こう、勝利の春へ!
2017年2月15日水曜日
2017.02.15 わが友に贈る
勝利の智恵は
組織の最前線にあり。
リーダーは喜び勇んで
同志の輪に飛び込み
現場の声を生かせ!
一昨日御書 P183
『彼の太公が殷の国に入りしは西伯の礼に依り張良が秦朝を量りしは漢王の誠を感ずればなり、是れ皆時に当つて賞を得謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり』
☆女性に贈ることば 二月十五日
世界の人びととの友好も大事であるが、隣近所との友好はもつと大事である。友好・友情こそ、人生の宝である。
☆今日のことば365 二月十五日
青春は一生の土台を築く時代である。土台が、立派に仕上がっていなければ、その上に何を積み重ねても崩れてしまう。将来の、大きな花を咲かせるために、その土台を建設している時代だと思えば、勉強も、仕事も、すべてが有意義にならないわけがない。
利己主義のみでなく、つねに社会に目を開き、社会のなかで、自分を大きく成長させようという人生は、もっとも充実した、青春といえよう。
☆池田先生ご夫妻の女子部ロマン総会へのメッセージ 2017年2月8日
◇人類の宝の華陽姉妹よ朗らかな幸福の劇を!
「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)——この明るい希望の哲学の光を広げ、うるわしい友情の花を咲かせゆく「ロマン総会」、誠におめでとうございます!
世界192カ国・地域の友も、皆さんの青春満開の語らいを熱く見つめ、声援を送っています。私と妻の心も、若き日に戻って、皆さんの輪の中に飛び込む思いで、けなげな活躍を讃えております。
日蓮大聖人は、「喜ぶということは、自分も他者も共に喜ぶことである」「自他共に智慧と慈悲を持っていることが、本当の喜びなのである」(同761ページ、趣意)と仰せになられました。
その通りの仲良く聡明な女性の連帯から、どれほど生きる喜びが湧き出ずることか。皆さんの智慧と慈悲のスクラムこそ、地球の平和の尽きることのない泉なのです。
ともあれ、皆さんの生命には、最高の幸福の宮殿があります。ゆえに、自信をなくしたり、弱気になったりする必要はありません。
どうか、世界第一の生命哲学とともに、また、心から信頼し合える創価家族とともに、誇りを持って、気高く、青春を走り抜いていってください。
私と妻は、皆さんが一人ももれなく、桜梅桃李の生命を自分らしく輝かせながら、朗らかな幸福勝利の劇を飾りゆかれんことを、強盛に祈り、見守ってまいります。
人類の宝の華陽姉妹よ、健康と福智の青春凱歌を共々に!
組織の最前線にあり。
リーダーは喜び勇んで
同志の輪に飛び込み
現場の声を生かせ!
一昨日御書 P183
『彼の太公が殷の国に入りしは西伯の礼に依り張良が秦朝を量りしは漢王の誠を感ずればなり、是れ皆時に当つて賞を得謀を帷帳の中に回らし勝つことを千里の外に決せし者なり』
☆女性に贈ることば 二月十五日
世界の人びととの友好も大事であるが、隣近所との友好はもつと大事である。友好・友情こそ、人生の宝である。
☆今日のことば365 二月十五日
青春は一生の土台を築く時代である。土台が、立派に仕上がっていなければ、その上に何を積み重ねても崩れてしまう。将来の、大きな花を咲かせるために、その土台を建設している時代だと思えば、勉強も、仕事も、すべてが有意義にならないわけがない。
利己主義のみでなく、つねに社会に目を開き、社会のなかで、自分を大きく成長させようという人生は、もっとも充実した、青春といえよう。
☆池田先生ご夫妻の女子部ロマン総会へのメッセージ 2017年2月8日
◇人類の宝の華陽姉妹よ朗らかな幸福の劇を!
「冬は必ず春となる」(御書1253ページ)——この明るい希望の哲学の光を広げ、うるわしい友情の花を咲かせゆく「ロマン総会」、誠におめでとうございます!
世界192カ国・地域の友も、皆さんの青春満開の語らいを熱く見つめ、声援を送っています。私と妻の心も、若き日に戻って、皆さんの輪の中に飛び込む思いで、けなげな活躍を讃えております。
日蓮大聖人は、「喜ぶということは、自分も他者も共に喜ぶことである」「自他共に智慧と慈悲を持っていることが、本当の喜びなのである」(同761ページ、趣意)と仰せになられました。
その通りの仲良く聡明な女性の連帯から、どれほど生きる喜びが湧き出ずることか。皆さんの智慧と慈悲のスクラムこそ、地球の平和の尽きることのない泉なのです。
ともあれ、皆さんの生命には、最高の幸福の宮殿があります。ゆえに、自信をなくしたり、弱気になったりする必要はありません。
どうか、世界第一の生命哲学とともに、また、心から信頼し合える創価家族とともに、誇りを持って、気高く、青春を走り抜いていってください。
私と妻は、皆さんが一人ももれなく、桜梅桃李の生命を自分らしく輝かせながら、朗らかな幸福勝利の劇を飾りゆかれんことを、強盛に祈り、見守ってまいります。
人類の宝の華陽姉妹よ、健康と福智の青春凱歌を共々に!
2017年2月14日火曜日
2017.02.14 わが友に贈る
誓願と感謝の
勤行・唱題から
一日を出発しよう!
「苦楽ともに思い合せて」
生命練磨の日々を!
生死一大事血脈抄 P1338
『相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ』
☆女性に贈ることば 二月十四日
人間は自分一人で生まれてくることはできない。また附して、たった一人で一人前の人間になれるものでもない。家族のなかに生まれ、家族のなかで育ち、やがて一個の人間として成長していく。夫婦も、親子も、兄弟姉妹も、日に見えぬひとつの法則で結ばれているともいえる。その心の絆こそ、真の家族の結晶であるに違いない。
☆今日のことば365 二月十四日
高山を征服しようという意欲はあっても、登山の技術をもたなければ、暴挙にすぎなくなってしまう。それと同じく、人生のあらゆる障害も、それを克服するには、どうすれば、もっとも確実に、価値的に目的を達成できるかを知らなければなるまい。
☆2月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 椎地四郎殿御書 2017年1月28日
嵐にも揺るがぬ信心を!
"行き詰まりの壁"を破れ
2月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「椎地四郎殿御書」を研さん。大難に直面しても、強盛な信心を起こして喜び勇んで戦っていくのが「法華経の行者」であることを学ぶ。
◇御文
『末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや』(御書1448ページ)
◇通解
末法には法華経の行者が必ず出現する。ただし大難が起こったならば、強盛の信心で、いよいよ喜んでいくのである。火に薪を加えれば、燃え盛らないことがあろうか。
◇背景と大意
本抄は、椎地四郎に与えられたお手紙で、弘長元年(1261年)4月の御執筆と伝えられるが、詳細は不明である。
四条金吾や富木常忍に宛てた御書に、椎地四郎の名があることから、同志と共に地道に弘教に励んできた人物だと考えられる。
本抄で大聖人は、大難を受けることは「法華経の行者」の証しであると述べられた後、法華経を一文一句でも説き語る人は「如来の使」であり、椎地四郎自身も、その最高に尊い使命に生きる人であると称賛されている。
また、法華経を一文一句でも魂に染め抜いた人は、苦悩の生死の大海を越える「妙法蓮華経の船」に乗った人であり、大聖人の門下こそ、その人であると教えられている。
◇解説
拝読御文の冒頭で大聖人は、「末法には法華経の行者必ず出来すべし」と仰せである。
釈尊が"末法に必ず出現する"と予見した「法華経の行者」とは誰か——。それは五濁悪世の時代に妙法を流布し、民衆救済の実践に立ち上がる人のこと。具体的には、あらゆる大難を勝ち越え、末法万年の正法流布の道を切り開いた大聖人であり、その大聖人の尊き御精神のままに、現実の上で世界広布を進める、私たち創価学会員にほかならない。
同じ御書で「大難なくば法華経の行者にはあらじ」(1448ページ)と仰せのように、法華経の行者に大難が起こるのは、必定である。
ゆえに大聖人は拝読御文で、難が起こった時こそ、強き信心を奮い起こし、喜び勇んで進んでいくべきであると教えられている。
また、大難に挑む法華経の行者の境涯を「火」に、大難を「薪」に譬えられ、火に薪をくべれば火の勢いが盛んになるように、難が起これば、信心の炎はいやまして燃え上がり、法華経の行者としての自覚と確信も強固になっていくことを示されている。
かつて池田先生は、この御聖訓を通して、次のようにつづられた。
「人生は、どこまでいっても、行き詰まりとの戦いです。(中略)一つ一つ行き詰まりを、喜び勇んで打開しながら、一歩また一歩と、粘り強く仏の境涯を開いていく。これが、私たちの『発迹顕本』です」
私たちにとっての「大難」とは、人生のさまざまな場面で直面する"行き詰まりの壁"と言い換えることもできる。仕事、家庭、病気、経済苦、人間関係……。人生の途上には時に、幾多の"壁"が立ちはだかる。
また、末法の現代において友に仏法を語れば、偏見や無理解による中傷、悪口を受けることも少なくない。
しかし、その時にこそ"信心で、絶対に乗り越えられる!"との大確信に立ち、「強盛の信心」を奮い起こして進んでいきたい。その人は、どんな逆境も自身の成長への原動力としていける。また、難との戦いがあればこそ、嵐に揺るがぬ信心を築くことができる。
間もなく"伝統の2月"。1952年(昭和27年)1月29日、蒲田支部の緊急組長会で、24歳の池田先生は力強く訴えた。
「戸田先生の指導があって、今の私たちがあります。ご恩返しをするには、広宣流布の戦いしかない。戸田先生の52回目の誕生の月を、なんとしても歴史的金字塔で荘厳しましょう!」と。
"青年拡大の年"の本年、池田門下の私たちも、報恩の決意で拡大の突破口を開いていきたい。あらゆる苦難や試練にも負けず、一人一人が「新時代の二月闘争」に断じて勝利していこう!
勤行・唱題から
一日を出発しよう!
「苦楽ともに思い合せて」
生命練磨の日々を!
生死一大事血脈抄 P1338
『相構え相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ』
☆女性に贈ることば 二月十四日
人間は自分一人で生まれてくることはできない。また附して、たった一人で一人前の人間になれるものでもない。家族のなかに生まれ、家族のなかで育ち、やがて一個の人間として成長していく。夫婦も、親子も、兄弟姉妹も、日に見えぬひとつの法則で結ばれているともいえる。その心の絆こそ、真の家族の結晶であるに違いない。
☆今日のことば365 二月十四日
高山を征服しようという意欲はあっても、登山の技術をもたなければ、暴挙にすぎなくなってしまう。それと同じく、人生のあらゆる障害も、それを克服するには、どうすれば、もっとも確実に、価値的に目的を達成できるかを知らなければなるまい。
☆2月度 男子部「御書活動者会」研さんのために 椎地四郎殿御書 2017年1月28日
嵐にも揺るがぬ信心を!
"行き詰まりの壁"を破れ
2月度の男子部「御書活動者会(御書活)」では、「椎地四郎殿御書」を研さん。大難に直面しても、強盛な信心を起こして喜び勇んで戦っていくのが「法華経の行者」であることを学ぶ。
◇御文
『末法には法華経の行者必ず出来すべし、但し大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし、火に薪をくわへんにさかんなる事なかるべしや』(御書1448ページ)
◇通解
末法には法華経の行者が必ず出現する。ただし大難が起こったならば、強盛の信心で、いよいよ喜んでいくのである。火に薪を加えれば、燃え盛らないことがあろうか。
◇背景と大意
本抄は、椎地四郎に与えられたお手紙で、弘長元年(1261年)4月の御執筆と伝えられるが、詳細は不明である。
四条金吾や富木常忍に宛てた御書に、椎地四郎の名があることから、同志と共に地道に弘教に励んできた人物だと考えられる。
本抄で大聖人は、大難を受けることは「法華経の行者」の証しであると述べられた後、法華経を一文一句でも説き語る人は「如来の使」であり、椎地四郎自身も、その最高に尊い使命に生きる人であると称賛されている。
また、法華経を一文一句でも魂に染め抜いた人は、苦悩の生死の大海を越える「妙法蓮華経の船」に乗った人であり、大聖人の門下こそ、その人であると教えられている。
◇解説
拝読御文の冒頭で大聖人は、「末法には法華経の行者必ず出来すべし」と仰せである。
釈尊が"末法に必ず出現する"と予見した「法華経の行者」とは誰か——。それは五濁悪世の時代に妙法を流布し、民衆救済の実践に立ち上がる人のこと。具体的には、あらゆる大難を勝ち越え、末法万年の正法流布の道を切り開いた大聖人であり、その大聖人の尊き御精神のままに、現実の上で世界広布を進める、私たち創価学会員にほかならない。
同じ御書で「大難なくば法華経の行者にはあらじ」(1448ページ)と仰せのように、法華経の行者に大難が起こるのは、必定である。
ゆえに大聖人は拝読御文で、難が起こった時こそ、強き信心を奮い起こし、喜び勇んで進んでいくべきであると教えられている。
また、大難に挑む法華経の行者の境涯を「火」に、大難を「薪」に譬えられ、火に薪をくべれば火の勢いが盛んになるように、難が起これば、信心の炎はいやまして燃え上がり、法華経の行者としての自覚と確信も強固になっていくことを示されている。
かつて池田先生は、この御聖訓を通して、次のようにつづられた。
「人生は、どこまでいっても、行き詰まりとの戦いです。(中略)一つ一つ行き詰まりを、喜び勇んで打開しながら、一歩また一歩と、粘り強く仏の境涯を開いていく。これが、私たちの『発迹顕本』です」
私たちにとっての「大難」とは、人生のさまざまな場面で直面する"行き詰まりの壁"と言い換えることもできる。仕事、家庭、病気、経済苦、人間関係……。人生の途上には時に、幾多の"壁"が立ちはだかる。
また、末法の現代において友に仏法を語れば、偏見や無理解による中傷、悪口を受けることも少なくない。
しかし、その時にこそ"信心で、絶対に乗り越えられる!"との大確信に立ち、「強盛の信心」を奮い起こして進んでいきたい。その人は、どんな逆境も自身の成長への原動力としていける。また、難との戦いがあればこそ、嵐に揺るがぬ信心を築くことができる。
間もなく"伝統の2月"。1952年(昭和27年)1月29日、蒲田支部の緊急組長会で、24歳の池田先生は力強く訴えた。
「戸田先生の指導があって、今の私たちがあります。ご恩返しをするには、広宣流布の戦いしかない。戸田先生の52回目の誕生の月を、なんとしても歴史的金字塔で荘厳しましょう!」と。
"青年拡大の年"の本年、池田門下の私たちも、報恩の決意で拡大の突破口を開いていきたい。あらゆる苦難や試練にも負けず、一人一人が「新時代の二月闘争」に断じて勝利していこう!
2017年2月13日月曜日
2017.02.13 わが友に贈る
新聞休刊日
種種御振舞御書 P911
『わづかの小島のぬしらがをどさんををぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき、仏の御使となのりながらをくせんは無下の人人なり』
☆女性に贈ることば 二月十三日
時間がたくさんあるからといって、いい子育てができるわけではない。
たとえ時間が限られていても、聡明な心があれば、子どもとの凝結した触れあいはつくれるものでしょう。
☆今日のことば365 二月十三日
青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ。この人生で実現できるのは、自分の考えの何分の一かだ。初めから、望みが小さいようでは、なにもできないで終わる。
☆御書の解説 教学TALK 十界論� 2017年1月28日
Q イライラしてしまいます
A 自身の境涯で、捉え方が変わる
信心の素朴な疑問に答える「教学TALK」。今回も、「十界論」をテーマに語らいを広げる。新井男子部本部長が、牙城会大学校生の斉藤くんの自宅を訪れ、激励しています。
【登場人物】
●新井男子部本部長
学会3世の36歳。20代半ばまで学会活動をしていなかったらしい。
●斉藤くん
24歳。今月から牙城会大学校生に。職場では、新入社員の育成を任されている。
新井男子部本部長 なんだか元気がないようだね。一体、どうしたんだい?
斉藤くん 職場の上司が怒りっぽくて、困っているんです。普段から、ちょっとしたことで怒鳴ったり、部下を頭ごなしに大声でしかりつけたり……。
新井 ヘコむなあ。
斉藤 職場の雰囲気も悪くて、そのせいか僕もついイライラして、後輩への当たりがキツくなってしまって。悪循環ですよね。
新井 なるほど、それで元気がなかったんだね。もしかして斉藤くんは、その上司がいなくなれば環境が良くなると思ってないかい?
斉藤 えっ? 何で分かるんですか(笑い)。
新井 昔、僕も、しょっちゅうイライラしては、上司や同僚が変わってほしいって思っていたんだ。だから、斉藤くんの気持ちはよく分かるよ。今思えば、当時は「地獄界」の境涯だったのかもしれない。
斉藤 新井さんにもそんな時期があったんですね。「地獄界」は、教学部任用試験を受ける時に勉強しました。「瞋るは地獄」(御書241ページ)ですよね。
新井 「瞋る」って、自分に苦しみをもたらすものへの「瞋り」だよね。やっかいなのは、その不幸をもたらす原因が、決して自分にあるとは捉えられない点だ。池田先生は「そうとらえるだけの生命力がない」と語られている。
斉藤 ちょ、ちょっと待ってください。上司が悪いんじゃなくて、僕に原因があるってことですか?
新井 そう捉えられるかどうかが、境涯だといえるね。日蓮大聖人は、浄土でも穢れた地でも、それは「只我等が心の善悪によると見えたり」(同384ページ)と教えられている。つまり、自分自身の境涯によって、同じ環境でも捉え方、感じ方が異なってくるんだ。
斉藤 う〜ん。職場が嫌だと感じていたのは、僕自身が地獄界の生命に引っ張られていたということですか。
新井 僕は自己中心的な傾向が強かったけど、学会活動のおかげで、人に尽くし、相手の立場に立って物事を考える喜びを教えてもらったと思っている。上司から怒られた時に、「駄目なところを教えてもらえたから、もっと成長できる」って捉え、もっと頑張ろうと感じられるようになった。気付いたら職場に行くのが楽しくなっていたんだよ。
斉藤 会社に行くのが楽しいだなんて、すごいですね! 正直、僕は、会社に行くのが今つらいですから。
新井 仕事どころか、池田先生は「信心を貫けば、生きていること自体が楽しいという人生になる」と指導されている。さあ、境涯を大きく広げる学会活動に一緒に挑戦していこう!
◎今日明日と千葉県の高校入試、受験生のみんな全力で頑張れ(^^♪
種種御振舞御書 P911
『わづかの小島のぬしらがをどさんををぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき、仏の御使となのりながらをくせんは無下の人人なり』
☆女性に贈ることば 二月十三日
時間がたくさんあるからといって、いい子育てができるわけではない。
たとえ時間が限られていても、聡明な心があれば、子どもとの凝結した触れあいはつくれるものでしょう。
☆今日のことば365 二月十三日
青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ。この人生で実現できるのは、自分の考えの何分の一かだ。初めから、望みが小さいようでは、なにもできないで終わる。
☆御書の解説 教学TALK 十界論� 2017年1月28日
Q イライラしてしまいます
A 自身の境涯で、捉え方が変わる
信心の素朴な疑問に答える「教学TALK」。今回も、「十界論」をテーマに語らいを広げる。新井男子部本部長が、牙城会大学校生の斉藤くんの自宅を訪れ、激励しています。
【登場人物】
●新井男子部本部長
学会3世の36歳。20代半ばまで学会活動をしていなかったらしい。
●斉藤くん
24歳。今月から牙城会大学校生に。職場では、新入社員の育成を任されている。
新井男子部本部長 なんだか元気がないようだね。一体、どうしたんだい?
斉藤くん 職場の上司が怒りっぽくて、困っているんです。普段から、ちょっとしたことで怒鳴ったり、部下を頭ごなしに大声でしかりつけたり……。
新井 ヘコむなあ。
斉藤 職場の雰囲気も悪くて、そのせいか僕もついイライラして、後輩への当たりがキツくなってしまって。悪循環ですよね。
新井 なるほど、それで元気がなかったんだね。もしかして斉藤くんは、その上司がいなくなれば環境が良くなると思ってないかい?
斉藤 えっ? 何で分かるんですか(笑い)。
新井 昔、僕も、しょっちゅうイライラしては、上司や同僚が変わってほしいって思っていたんだ。だから、斉藤くんの気持ちはよく分かるよ。今思えば、当時は「地獄界」の境涯だったのかもしれない。
斉藤 新井さんにもそんな時期があったんですね。「地獄界」は、教学部任用試験を受ける時に勉強しました。「瞋るは地獄」(御書241ページ)ですよね。
新井 「瞋る」って、自分に苦しみをもたらすものへの「瞋り」だよね。やっかいなのは、その不幸をもたらす原因が、決して自分にあるとは捉えられない点だ。池田先生は「そうとらえるだけの生命力がない」と語られている。
斉藤 ちょ、ちょっと待ってください。上司が悪いんじゃなくて、僕に原因があるってことですか?
新井 そう捉えられるかどうかが、境涯だといえるね。日蓮大聖人は、浄土でも穢れた地でも、それは「只我等が心の善悪によると見えたり」(同384ページ)と教えられている。つまり、自分自身の境涯によって、同じ環境でも捉え方、感じ方が異なってくるんだ。
斉藤 う〜ん。職場が嫌だと感じていたのは、僕自身が地獄界の生命に引っ張られていたということですか。
新井 僕は自己中心的な傾向が強かったけど、学会活動のおかげで、人に尽くし、相手の立場に立って物事を考える喜びを教えてもらったと思っている。上司から怒られた時に、「駄目なところを教えてもらえたから、もっと成長できる」って捉え、もっと頑張ろうと感じられるようになった。気付いたら職場に行くのが楽しくなっていたんだよ。
斉藤 会社に行くのが楽しいだなんて、すごいですね! 正直、僕は、会社に行くのが今つらいですから。
新井 仕事どころか、池田先生は「信心を貫けば、生きていること自体が楽しいという人生になる」と指導されている。さあ、境涯を大きく広げる学会活動に一緒に挑戦していこう!
◎今日明日と千葉県の高校入試、受験生のみんな全力で頑張れ(^^♪
2017年2月12日日曜日
2017.02.12 わが友に贈る
◇今週のことば
体験に勝る雄弁なし。
信仰の喜び弾ける
明るい座談会を!
「冬は必ず春となる」
朗らかに希望を語れ!
2017年2月12日
兄弟抄 P1086
『未来までのものがたりなに事かこれにすぎ候べき』
☆女性に贈ることば 二月十二日
どんな時代の変化にあっても、つねに変わることがないのが、真の友情である。何かあると、すぐに変わってしまうような友情は本物ではない。むしろ、試練にあえばあうほど、真の友情はより強く、深く、結びあっていく。
☆今日のことば365 二月十二日
未来を論ずる人は多い
しかし 未来を考える人は余りにも少ない
☆2月度座談会拝読御書 妙一尼御前御消息
◇本抄について
本抄は、建治元年(1275年)5月、日蓮大聖人が54歳の時に身延で著され、鎌倉に住む妙一尼に与えられたお手紙です。
大聖人が、竜の口の法難、佐渡流罪という迫害に遭われ、多くの門下が退転する中にあっても、妙一尼は夫と共に法華経の信仰を貫き通しました。
ところが、そのために夫は、所領を没収されるなどの難に遭い、しかも大聖人が佐渡流罪を許される前に亡くなりました。
残された妙一尼は、自身も体が強くないうえに、病気の子らを抱える中、佐渡へ身延へと従者を送り、大聖人にお仕えさせたのです。
◇拝読御文
法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候
◇難を乗り越える信心
"法華経を持つ"人が難を避けることはできません。「法華経を信ずる人は冬のごとし」との仰せの通りです。拝読御文は「難を乗り越える信心」を教えています。
まず大切なことは、私たちが地道に信仰を持続する中で、いかなる難にも崩されない強盛な信心を確立していくことです。
では、正しい法(正法)を持った人が、なぜ難に遭うのでしょうか。
正法を信じ行じて、成仏の境涯を目指すということは、自身の生命を根底から変革させていくことです。
どんな変革にあってもそうですが、仏道修行においても、その変革を起こさせまいとする働きが、自身の生命自体や、あるいは周囲の人間関係の中に生じます。ちょうど、船が進む時に、抵抗で波が起こるようなものです。
成仏を目指す仏道修行の途上に起こる、このような障害に「三障四魔」があります。
また、法華経には、末法濁悪の世に法華経を弘める「法華経の行者」に対して「三類の強敵」が現れ、迫害することが説かれています。これは、釈尊入滅後の悪世において、一切衆生の成仏を願って、法華経を広宣流布しようとする実践のあるところに起こってくる迫害です。
信心の途上で、こうした難を受ける意味について、個々人の宿業という観点から捉えれば、難は「宿命転換」の好機となります。正法を行ずる功徳によって、自身の生命に刻まれた悪業の報いを現世で現し、消していくことができるのです。
創価学会では草創以来、「難を乗り越える信心」に励んできました。現在、「難を乗り越える信心」は、「一家和楽の信心」「幸福をつかむ信心」「健康長寿の信心」「絶対勝利の信心」と共に、創価学会の永遠の五指針の一つとなっています。
◇万人成仏
拝読御文に、「若有聞法者無一不成仏」との法華経方便品第2の文が引用されています。この経文は、法華経を聞いた人は、一人ももれなく成仏するとの意味です。
法華経には、一切衆生の成仏、万人成仏の教えが示されています。それは、あらゆる生命に「仏界の生命」が具わっているという法理です。言い換えれば、万人に「仏性」(仏の性分)があるということです。
例えば、法華経方便品では、あらゆる仏は衆生に仏の智慧を開かせ、清浄な境涯を得させたいと思うゆえに、この世に出現したと述べられています(法華経121ページ、趣旨)。これは、衆生の生命に本来、仏の智慧が具わることを意味します。
法華経以外の経典では、例えば二乗(声聞界・縁覚界の衆生)は絶対に成仏できないと強調されたり、あるいは女性や悪人は仏になれないと説かれるなど、"誰もが皆、成仏できる"とは述べられていません。
法華経の万人成仏の法理は、その後、中国の天台大師によって、「十界互具」「一念三千」の法理として展開されました。
そして、末法において日蓮大聖人が不惜身命で大難と戦う中、御自身の胸中に仏界を現し、妙法と一体の御自身の生命を御本尊に顕されました。この御本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱題する時、自身の仏界が呼び起こされます。末法のあらゆる人々が仏に成る道を、大聖人が開いてくださったのです。
◇妙一尼への励まし
本抄は、夫に先立たれて心細くなることもあったであろう妙一尼への励ましの心にあふれています。
本抄で日蓮大聖人は例えば、"法華経のために所領を没収されたあなたのご主人は、不惜身命の実践をした雪山童子や薬王菩薩と同じ功徳があるのです。月の中か、太陽の中か、天の鏡に妻子の姿を浮かべて、一日中、見守っておられることでしょう"(御書1253ページ、趣旨)と述べられています。
大聖人は妙一尼に対し、何も心配する必要はなく、必ず霊山にいる故人が守ってくれることを伝え、安堵させようとされているのです。
さらに、大聖人は、"もし私が、力のある身となりましたなら、幼いご子息たちのことは見守っていきましょう"(同1254ページ、趣旨)とまで心を配っておられます。
妙一尼の不安を払拭しようとされる大聖人の心情がにじみ出た仰せです。
佐渡や身延へと従者を遣わし、師・大聖人への真心を尽くした妙一尼。
信心を根本に何としても苦境を乗り越えてほしいと願われた大聖人の深い慈愛を、本抄から拝することができます。
◇池田先生の指針から 真っすぐに幸福の軌道を
「妙一尼御前御消息」は、徹底した励ましの一書です。本抄を送られた時点で、妙一尼自身が、健気に信仰を貫き通していることは間違いありません。佐渡流罪、蒙古襲来という、教団も社会も激動の変化を続ける中、妙一尼が一点のぶれもなく大聖人とともに純真に信心に励んできたことは、御消息の文面からも推察されます。
しかし、その置かれている環境は、まさしく冬のような逆境でした。大聖人は妙一尼に「絶対に幸せになってほしい」「必ず成仏してほしい」との思いから、妙一尼の心に潜む悲哀や不安を一掃させようと、本抄で入魂の激励を重ねられていると拝察されます。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第2巻)
◇ ◆ ◇
「法華経を信ずる人は冬のごとし」——それは、一切の宿命と戦い、乗り越え、「成仏への厳然たる軌道」を歩んでいきなさいとの厳父の慈言と拝することができます。
その成仏への軌道を「冬は必ず春となる」と示されているのです。
冬は春となる。秋に逆戻りすることはない——。これは誰も動かすことのできない自然の法則です。同じように、成仏の大法である妙法を受持しきった人が仏になれず、まして、凡夫の迷いのままで終わるはずがない。妙法を聞いて信受した人は「無一不成仏」——一人ももれなく成仏する。これが法華経に説かれた仏のお約束です。生命の大法則です。
仏の眼から見れば、誰人にも幸福になる権利がある。誰もが、歓喜踊躍の人生を送ることができる。いわんや胸中の妙法を涌現する方途を知っているのが、日蓮仏法を持った私たちです。ゆえに私たちには、幸福になる権利があるだけでなく、真の幸福を万人に開いていく大いなる使命もあるのです。
「冬は必ず春となる」とは、「信心の試練を勝ち越えた凡夫は必ず仏となる」ということです。本来、誰もが胸中に仏の生命をもっています。それを開き現していく人生の軌道に入った大聖人門下が成仏できないわけがない、との師子吼が轟いてきます。
体験に勝る雄弁なし。
信仰の喜び弾ける
明るい座談会を!
「冬は必ず春となる」
朗らかに希望を語れ!
2017年2月12日
兄弟抄 P1086
『未来までのものがたりなに事かこれにすぎ候べき』
☆女性に贈ることば 二月十二日
どんな時代の変化にあっても、つねに変わることがないのが、真の友情である。何かあると、すぐに変わってしまうような友情は本物ではない。むしろ、試練にあえばあうほど、真の友情はより強く、深く、結びあっていく。
☆今日のことば365 二月十二日
未来を論ずる人は多い
しかし 未来を考える人は余りにも少ない
☆2月度座談会拝読御書 妙一尼御前御消息
◇本抄について
本抄は、建治元年(1275年)5月、日蓮大聖人が54歳の時に身延で著され、鎌倉に住む妙一尼に与えられたお手紙です。
大聖人が、竜の口の法難、佐渡流罪という迫害に遭われ、多くの門下が退転する中にあっても、妙一尼は夫と共に法華経の信仰を貫き通しました。
ところが、そのために夫は、所領を没収されるなどの難に遭い、しかも大聖人が佐渡流罪を許される前に亡くなりました。
残された妙一尼は、自身も体が強くないうえに、病気の子らを抱える中、佐渡へ身延へと従者を送り、大聖人にお仕えさせたのです。
◇拝読御文
法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候
◇難を乗り越える信心
"法華経を持つ"人が難を避けることはできません。「法華経を信ずる人は冬のごとし」との仰せの通りです。拝読御文は「難を乗り越える信心」を教えています。
まず大切なことは、私たちが地道に信仰を持続する中で、いかなる難にも崩されない強盛な信心を確立していくことです。
では、正しい法(正法)を持った人が、なぜ難に遭うのでしょうか。
正法を信じ行じて、成仏の境涯を目指すということは、自身の生命を根底から変革させていくことです。
どんな変革にあってもそうですが、仏道修行においても、その変革を起こさせまいとする働きが、自身の生命自体や、あるいは周囲の人間関係の中に生じます。ちょうど、船が進む時に、抵抗で波が起こるようなものです。
成仏を目指す仏道修行の途上に起こる、このような障害に「三障四魔」があります。
また、法華経には、末法濁悪の世に法華経を弘める「法華経の行者」に対して「三類の強敵」が現れ、迫害することが説かれています。これは、釈尊入滅後の悪世において、一切衆生の成仏を願って、法華経を広宣流布しようとする実践のあるところに起こってくる迫害です。
信心の途上で、こうした難を受ける意味について、個々人の宿業という観点から捉えれば、難は「宿命転換」の好機となります。正法を行ずる功徳によって、自身の生命に刻まれた悪業の報いを現世で現し、消していくことができるのです。
創価学会では草創以来、「難を乗り越える信心」に励んできました。現在、「難を乗り越える信心」は、「一家和楽の信心」「幸福をつかむ信心」「健康長寿の信心」「絶対勝利の信心」と共に、創価学会の永遠の五指針の一つとなっています。
◇万人成仏
拝読御文に、「若有聞法者無一不成仏」との法華経方便品第2の文が引用されています。この経文は、法華経を聞いた人は、一人ももれなく成仏するとの意味です。
法華経には、一切衆生の成仏、万人成仏の教えが示されています。それは、あらゆる生命に「仏界の生命」が具わっているという法理です。言い換えれば、万人に「仏性」(仏の性分)があるということです。
例えば、法華経方便品では、あらゆる仏は衆生に仏の智慧を開かせ、清浄な境涯を得させたいと思うゆえに、この世に出現したと述べられています(法華経121ページ、趣旨)。これは、衆生の生命に本来、仏の智慧が具わることを意味します。
法華経以外の経典では、例えば二乗(声聞界・縁覚界の衆生)は絶対に成仏できないと強調されたり、あるいは女性や悪人は仏になれないと説かれるなど、"誰もが皆、成仏できる"とは述べられていません。
法華経の万人成仏の法理は、その後、中国の天台大師によって、「十界互具」「一念三千」の法理として展開されました。
そして、末法において日蓮大聖人が不惜身命で大難と戦う中、御自身の胸中に仏界を現し、妙法と一体の御自身の生命を御本尊に顕されました。この御本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱題する時、自身の仏界が呼び起こされます。末法のあらゆる人々が仏に成る道を、大聖人が開いてくださったのです。
◇妙一尼への励まし
本抄は、夫に先立たれて心細くなることもあったであろう妙一尼への励ましの心にあふれています。
本抄で日蓮大聖人は例えば、"法華経のために所領を没収されたあなたのご主人は、不惜身命の実践をした雪山童子や薬王菩薩と同じ功徳があるのです。月の中か、太陽の中か、天の鏡に妻子の姿を浮かべて、一日中、見守っておられることでしょう"(御書1253ページ、趣旨)と述べられています。
大聖人は妙一尼に対し、何も心配する必要はなく、必ず霊山にいる故人が守ってくれることを伝え、安堵させようとされているのです。
さらに、大聖人は、"もし私が、力のある身となりましたなら、幼いご子息たちのことは見守っていきましょう"(同1254ページ、趣旨)とまで心を配っておられます。
妙一尼の不安を払拭しようとされる大聖人の心情がにじみ出た仰せです。
佐渡や身延へと従者を遣わし、師・大聖人への真心を尽くした妙一尼。
信心を根本に何としても苦境を乗り越えてほしいと願われた大聖人の深い慈愛を、本抄から拝することができます。
◇池田先生の指針から 真っすぐに幸福の軌道を
「妙一尼御前御消息」は、徹底した励ましの一書です。本抄を送られた時点で、妙一尼自身が、健気に信仰を貫き通していることは間違いありません。佐渡流罪、蒙古襲来という、教団も社会も激動の変化を続ける中、妙一尼が一点のぶれもなく大聖人とともに純真に信心に励んできたことは、御消息の文面からも推察されます。
しかし、その置かれている環境は、まさしく冬のような逆境でした。大聖人は妙一尼に「絶対に幸せになってほしい」「必ず成仏してほしい」との思いから、妙一尼の心に潜む悲哀や不安を一掃させようと、本抄で入魂の激励を重ねられていると拝察されます。(『希望の経典「御書」に学ぶ』第2巻)
◇ ◆ ◇
「法華経を信ずる人は冬のごとし」——それは、一切の宿命と戦い、乗り越え、「成仏への厳然たる軌道」を歩んでいきなさいとの厳父の慈言と拝することができます。
その成仏への軌道を「冬は必ず春となる」と示されているのです。
冬は春となる。秋に逆戻りすることはない——。これは誰も動かすことのできない自然の法則です。同じように、成仏の大法である妙法を受持しきった人が仏になれず、まして、凡夫の迷いのままで終わるはずがない。妙法を聞いて信受した人は「無一不成仏」——一人ももれなく成仏する。これが法華経に説かれた仏のお約束です。生命の大法則です。
仏の眼から見れば、誰人にも幸福になる権利がある。誰もが、歓喜踊躍の人生を送ることができる。いわんや胸中の妙法を涌現する方途を知っているのが、日蓮仏法を持った私たちです。ゆえに私たちには、幸福になる権利があるだけでなく、真の幸福を万人に開いていく大いなる使命もあるのです。
「冬は必ず春となる」とは、「信心の試練を勝ち越えた凡夫は必ず仏となる」ということです。本来、誰もが胸中に仏の生命をもっています。それを開き現していく人生の軌道に入った大聖人門下が成仏できないわけがない、との師子吼が轟いてきます。
2017年2月11日土曜日
2017.02.11 わが友に贈る
創価の師弟の精神こそ
前進と勝利の力だ!
報恩の戦いと実証で
二月闘争を荘厳し
青年拡大の大潮流を!
一代五時鶏図 P631
有縁の者何ぞ来らざるを得ん譬えば百川の海に潮す応須が如し縁に牽れて応生すること亦復是くの如し
☆女性に贈ることば 二月十一日
恩師・戸田先生が最後の誕生日(昭和三十三年二月十一日)に、私の妻に贈ってくださった和歌がある。
「月光の やさしき姿に 妙法の 強き心を ふくみ持てかし」
戸田先生から薫陶していただいた、この強き心を、女性の皆さんに伝えられることを、妻は深い喜びとしている。
☆今日のことば365 二月十一日
よき友を持つこと
よき先輩を持つこと
これは 人生の至上の幸運であり
誇るべき宝であるといっても過言ではなかろう
☆新時代を進む 第3回 勇気・誠実・団結で勝て!
暦の上で「立春」とはいえ、まだまだ寒い日が続く中、創価の宝友が新たな二月闘争に挑んでくれている。
日蓮大聖人は、地涌の菩薩を「大地の底にかくしをきたる真の弟子」(御書905ページ)とも明かされた。
世界広布新時代の今この時、躍り出た地涌の若人が、どれほど深い使命と宿縁を帯びていることか。
創価班、牙城会をはじめ、頼もしき男子部の皆さん!
白蓮グループをはじめ、清々しい女子部の皆さん!
そして、結成60周年へ走りゆく凜々しき男女学生部の皆さん!
未来の凱歌は、伸びゆく君たち、貴女たちのスクラムにある。
「青年を呼ぶのは、青年である。青年の心を揺さぶるものは、青年の叫びである」——恩師と同じ心で、私は皆さん方を絶対に信頼し、一切を見守っている。
また受験や卒業の季節であり、宝の未来部の友、一人一人に、温かくこまやかな励ましを送っていきたい。
— ◇ —
御聖訓には、「夫れ須弥山の始を尋ぬれば一塵なり・大海の初は一露なり・一を重ぬれば二となり・二を重ぬれば三・乃至十・百・千・万・億・阿僧祇の母は唯・一なるべし」(同1237ページ)とある。
全ては、一人から始まる。
一人を激励し、育てる。一人と対話し、仏縁を結ぶ。
地道にして粘り強い、この執念の積み重ねこそが、創価の大勝利山を築き、広布の大海原を開くのだ。
大聖人は「日蓮さきがけしたり」(同910ページ)と仰せになられた。御本仏に直結する「先駆」の学会精神で戦い進む皆さん方を、諸天が護らないわけがない。
わが学会の誇りは、大変であればあるほど、一人立つ勇者が、いずこにも光っていることだ。
御書に照らし、先駆の労は、三世十方の全ての仏を供養したのと同じ、無量無辺の大功徳に包まれることを確信していただきたい。
— ◇ —
勝利の方程式は、常に変わらない。
一人一人の「勇気ある信心」で勝つ!
一日一日の「誠実なる振る舞い」で勝つ!
そして、「異体同心の団結」で勝つ!
我ら創価家族は、不屈の負けじ魂で前進だ。
「青年拡大」へ、いよいよ仲良く、明るく、朗らかに、若き地涌の友を呼び出していこうではないか!
前進と勝利の力だ!
報恩の戦いと実証で
二月闘争を荘厳し
青年拡大の大潮流を!
一代五時鶏図 P631
有縁の者何ぞ来らざるを得ん譬えば百川の海に潮す応須が如し縁に牽れて応生すること亦復是くの如し
☆女性に贈ることば 二月十一日
恩師・戸田先生が最後の誕生日(昭和三十三年二月十一日)に、私の妻に贈ってくださった和歌がある。
「月光の やさしき姿に 妙法の 強き心を ふくみ持てかし」
戸田先生から薫陶していただいた、この強き心を、女性の皆さんに伝えられることを、妻は深い喜びとしている。
☆今日のことば365 二月十一日
よき友を持つこと
よき先輩を持つこと
これは 人生の至上の幸運であり
誇るべき宝であるといっても過言ではなかろう
☆新時代を進む 第3回 勇気・誠実・団結で勝て!
暦の上で「立春」とはいえ、まだまだ寒い日が続く中、創価の宝友が新たな二月闘争に挑んでくれている。
日蓮大聖人は、地涌の菩薩を「大地の底にかくしをきたる真の弟子」(御書905ページ)とも明かされた。
世界広布新時代の今この時、躍り出た地涌の若人が、どれほど深い使命と宿縁を帯びていることか。
創価班、牙城会をはじめ、頼もしき男子部の皆さん!
白蓮グループをはじめ、清々しい女子部の皆さん!
そして、結成60周年へ走りゆく凜々しき男女学生部の皆さん!
未来の凱歌は、伸びゆく君たち、貴女たちのスクラムにある。
「青年を呼ぶのは、青年である。青年の心を揺さぶるものは、青年の叫びである」——恩師と同じ心で、私は皆さん方を絶対に信頼し、一切を見守っている。
また受験や卒業の季節であり、宝の未来部の友、一人一人に、温かくこまやかな励ましを送っていきたい。
— ◇ —
御聖訓には、「夫れ須弥山の始を尋ぬれば一塵なり・大海の初は一露なり・一を重ぬれば二となり・二を重ぬれば三・乃至十・百・千・万・億・阿僧祇の母は唯・一なるべし」(同1237ページ)とある。
全ては、一人から始まる。
一人を激励し、育てる。一人と対話し、仏縁を結ぶ。
地道にして粘り強い、この執念の積み重ねこそが、創価の大勝利山を築き、広布の大海原を開くのだ。
大聖人は「日蓮さきがけしたり」(同910ページ)と仰せになられた。御本仏に直結する「先駆」の学会精神で戦い進む皆さん方を、諸天が護らないわけがない。
わが学会の誇りは、大変であればあるほど、一人立つ勇者が、いずこにも光っていることだ。
御書に照らし、先駆の労は、三世十方の全ての仏を供養したのと同じ、無量無辺の大功徳に包まれることを確信していただきたい。
— ◇ —
勝利の方程式は、常に変わらない。
一人一人の「勇気ある信心」で勝つ!
一日一日の「誠実なる振る舞い」で勝つ!
そして、「異体同心の団結」で勝つ!
我ら創価家族は、不屈の負けじ魂で前進だ。
「青年拡大」へ、いよいよ仲良く、明るく、朗らかに、若き地涌の友を呼び出していこうではないか!
2017年2月10日金曜日
2017.02.10 わが友に贈る
リーダーの本領は
励ましのスピードだ!
時を逃さぬ真剣さだ!
報告・連絡を綿密に
電光石火で友の元へ!
撰時抄 P291
『若し爾らば法華経を経のごとくに持つ人は梵王にもすぐれ帝釈にもこえたり、修羅を随へば須弥山をもになひぬべし竜をせめつかはば大海をもくみほしぬべし』
☆女性に贈ることば 二月十日
家庭教育へのアドバイス−−
○子どもと交流する日々の工夫を
○父と母が争う姿を見せない
○父と母が同時には叱らない
○公平に。ほかの子と比較しない
○親の信念の生き方を伝えよう
☆今日のことば365 二月十日
新しい事業の建設には、希望があり、未来がある。だが、その完成へ向かって、どこまで努力と研究と忍耐がつづけられるかによって、その事業が真実に進展し具体化されるか、あるいは夢想と化して消滅していくかが決定されるのである。
☆御書と歩む 第51回 仏縁の拡大は幸福の拡大
『されば此の経文をよみて見候へば此の経をきく人は一人もかけず仏になると申す文なり』(千日尼御返事、P1319)
◇通解
(法華経の一字一句を読めば、一切経を読むことになる)それゆえ、この経文(方便品の「若有聞法者 無一不成仏」)を読んでみると、この法華経を聞く人は、一人も欠けることなく仏になるという文なのである。
◇同志への指針
一字一句でも耳にした人は一人も残らず成仏に至る——これが法華経の偉大な力だ。
妙法を聞いた人が、すぐに発心しなくても、決して落胆することはない。妙法を語れば、必ず仏縁は結ばれ、相手の生命の仏性は、既に揺り動かされているからだ。
私たちが対話した分だけ、幸と希望のスクラムは大きく広がる。さあ、勇気凜々と行動を! 楽しく朗らかに!
励ましのスピードだ!
時を逃さぬ真剣さだ!
報告・連絡を綿密に
電光石火で友の元へ!
撰時抄 P291
『若し爾らば法華経を経のごとくに持つ人は梵王にもすぐれ帝釈にもこえたり、修羅を随へば須弥山をもになひぬべし竜をせめつかはば大海をもくみほしぬべし』
☆女性に贈ることば 二月十日
家庭教育へのアドバイス−−
○子どもと交流する日々の工夫を
○父と母が争う姿を見せない
○父と母が同時には叱らない
○公平に。ほかの子と比較しない
○親の信念の生き方を伝えよう
☆今日のことば365 二月十日
新しい事業の建設には、希望があり、未来がある。だが、その完成へ向かって、どこまで努力と研究と忍耐がつづけられるかによって、その事業が真実に進展し具体化されるか、あるいは夢想と化して消滅していくかが決定されるのである。
☆御書と歩む 第51回 仏縁の拡大は幸福の拡大
『されば此の経文をよみて見候へば此の経をきく人は一人もかけず仏になると申す文なり』(千日尼御返事、P1319)
◇通解
(法華経の一字一句を読めば、一切経を読むことになる)それゆえ、この経文(方便品の「若有聞法者 無一不成仏」)を読んでみると、この法華経を聞く人は、一人も欠けることなく仏になるという文なのである。
◇同志への指針
一字一句でも耳にした人は一人も残らず成仏に至る——これが法華経の偉大な力だ。
妙法を聞いた人が、すぐに発心しなくても、決して落胆することはない。妙法を語れば、必ず仏縁は結ばれ、相手の生命の仏性は、既に揺り動かされているからだ。
私たちが対話した分だけ、幸と希望のスクラムは大きく広がる。さあ、勇気凜々と行動を! 楽しく朗らかに!
2017年2月9日木曜日
2017.02.09わが友に贈る
限界とは
自らが作り出すものだ。
「もう5分 頑張ろう」
心の壁を打ち破るのは
その小さな一歩から!
法華経題目抄 P944
『六万九千三百八十四字一一の字の下に一の妙あり総じて六万九千三百八十四の妙あり、妙とは天竺には薩と云い漢土には妙と云う妙とは具の義なり具とは円満の義なり、法華経の一一の文字一字一字に余の六万九千三百八十四字を納めたり、譬えば大海の一?の水に一切の河の水を納め一の如意宝珠の芥子計りなるが一切の如意宝珠の財を雨らすが如し』
☆女性に贈ることば 二月九日
人生は、ひとつひとつが戦いである。途中に何があろうと、必ず、幸福の花を咲かせゆく戦いだ。
☆今日のことば365 二月九日
宇宙の奏でるリズムというものに人間も一体になって協和し、自然も、世のなかも、自分も歩調を揃えて新しい年に変わるという感情----そこに測り知れない安堵感と、一種の快い緊張感がある。
☆御書と歩む 第49回 真剣と行動の人を仏天は守る 2017年1月21日
『たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞ・かたにかけせなかにをふべきぞ』(諸法実相抄、1359ページ)
◇通解
(末法の法華経の行者には「三類の強敵」による大難が起こるが)この難に耐えて法華経を弘める者を、釈迦仏は衣をもって覆ってくださり、諸天は供養をし、あるいは肩に担い、背に負うて守るであろう。
◇同志への指針
大聖人の仰せ通り、我らはいかなる苦難にも耐え抜き、広宣流布に戦い続けている。ゆえに、仏天が厳然と守らないわけがない。真剣な祈りに、諸仏も応えてくださる。勇敢な行動に、諸天も動き働くのだ。仏法は道理である。
大誠実の人が、最後は必ず勝つ。正法正義の人は、宇宙まで味方にできる。信心とは、大満足の人生を勝ち開く絶対の大法則なのだ。
☆御書と歩む 第50回 未来を開く人材の流れを 2017年1月28日
『「令法久住・故来至此」等云云、三仏の未来に法華経を弘めて未来の一切の仏子にあたえんと・おぼしめす御心の中をすいするに父母の一子の大苦に値うを見るよりも強盛にこそ・みへたる』(開目抄、236ページ)
◇通解
(宝塔品に)「法を永久に存続させるために、ここにやって来た」とある。三仏が未来に法華経を弘めて、未来の一切の仏子たちに与えようとされたお心のうちを推察すると、わが子が大きな苦しみにあっているのを見る父母よりも、何としてでも救わずにはおかないとの思いが強く盛んであったと思われる。
◇同志への指針
未来の一切衆生を救いゆく平和と幸福の大建設——これが広宣流布であり、令法久住である。ゆえに、わが未来部の成長こそ、無限の希望となる。
宝の一人一人を誠実に励ましてくれる担当者の方々の尊き献身に心から感謝したい。
本格的な受験シーズンが到来した。試験に挑む友と、ご家族にエールを送りたい。
世界へ、未来へ、滔々たる人材の流れを創りゆこう!
☆四季の励まし 二月闘争65周年 心の壁を打ち破れ 2017年1月29日
新たな歴史は
一人の挑戦から始まる。
偉大な勝利は
一人の戦いから始まる。
状況を嘆いたり、
人任せにしてばかりいては、
何も変わらない。
自分が変われば、
その分、世界が変わる。
「妙法」に、
行き詰まりは絶対にない。
あるのは、自分の一念に巣くう、
臆病や諦めの壁だ。
己心の壁を打ち破れ!
あらゆる障害を乗り越え、
無限に前進する力が
信心だからである。
「限界を破ろう!」——
そう決めた時、
実は自分の心の限界を、
すでに一歩、破っている。
その時点で、理想や目標も、
半ば達成されているとさえ
言ってよい。
実践あるところには
ドラマがある。
ドラマがあるところに
感動が生まれる。
当然、失敗もあろう。
それでも、めげずに挑み抜いた
体験にこそ、共感が広がるのだ。
苦闘を勝ち越えた体験談は、
"自分には、とてもできない"と
弱気になっている同志の、
心の壁を打ち破る
勇気の起爆剤となる。
人の心を動かし、捉えるものは、
策でもなければ、技術でもない。
ただ誠実と熱意によるのである。
"いかなる人も、広宣流布の味方に
変えてみせる!"——
この烈々たる
祈りと勇気と勢いで、
栄光の歴史を開くのだ。
「これは地球が吠える声か。地球のうなり声か。地球が笑う歓呼の声か。聞こえてきたのは、水音ではなかった。雷鳴だった」——。カナダを訪れていた池田大作先生は、メンバーと共に「ナイアガラの滝」へ赴き、カメラを向けた。1981年(昭和56年)6月のことである。
轟然と落下する膨大な水流。もうもうと立ちのぼる水煙。ナイアガラ瀑布は、約1万2000年前の氷河期に誕生したという。一瞬の停滞もなく、ほとばしる光景は、見る者を圧倒する。
本年は、若き池田先生が広布拡大の突破口を開いた「二月闘争」から65周年。我らも満々たる生命力で、怒濤の前進を! 滝のごとく、激しく、たゆまず、堂々と!
自らが作り出すものだ。
「もう5分 頑張ろう」
心の壁を打ち破るのは
その小さな一歩から!
法華経題目抄 P944
『六万九千三百八十四字一一の字の下に一の妙あり総じて六万九千三百八十四の妙あり、妙とは天竺には薩と云い漢土には妙と云う妙とは具の義なり具とは円満の義なり、法華経の一一の文字一字一字に余の六万九千三百八十四字を納めたり、譬えば大海の一?の水に一切の河の水を納め一の如意宝珠の芥子計りなるが一切の如意宝珠の財を雨らすが如し』
☆女性に贈ることば 二月九日
人生は、ひとつひとつが戦いである。途中に何があろうと、必ず、幸福の花を咲かせゆく戦いだ。
☆今日のことば365 二月九日
宇宙の奏でるリズムというものに人間も一体になって協和し、自然も、世のなかも、自分も歩調を揃えて新しい年に変わるという感情----そこに測り知れない安堵感と、一種の快い緊張感がある。
☆御書と歩む 第49回 真剣と行動の人を仏天は守る 2017年1月21日
『たえて弘めん者をば衣を以て釈迦仏をほひ給うべきぞ、諸天は供養をいたすべきぞ・かたにかけせなかにをふべきぞ』(諸法実相抄、1359ページ)
◇通解
(末法の法華経の行者には「三類の強敵」による大難が起こるが)この難に耐えて法華経を弘める者を、釈迦仏は衣をもって覆ってくださり、諸天は供養をし、あるいは肩に担い、背に負うて守るであろう。
◇同志への指針
大聖人の仰せ通り、我らはいかなる苦難にも耐え抜き、広宣流布に戦い続けている。ゆえに、仏天が厳然と守らないわけがない。真剣な祈りに、諸仏も応えてくださる。勇敢な行動に、諸天も動き働くのだ。仏法は道理である。
大誠実の人が、最後は必ず勝つ。正法正義の人は、宇宙まで味方にできる。信心とは、大満足の人生を勝ち開く絶対の大法則なのだ。
☆御書と歩む 第50回 未来を開く人材の流れを 2017年1月28日
『「令法久住・故来至此」等云云、三仏の未来に法華経を弘めて未来の一切の仏子にあたえんと・おぼしめす御心の中をすいするに父母の一子の大苦に値うを見るよりも強盛にこそ・みへたる』(開目抄、236ページ)
◇通解
(宝塔品に)「法を永久に存続させるために、ここにやって来た」とある。三仏が未来に法華経を弘めて、未来の一切の仏子たちに与えようとされたお心のうちを推察すると、わが子が大きな苦しみにあっているのを見る父母よりも、何としてでも救わずにはおかないとの思いが強く盛んであったと思われる。
◇同志への指針
未来の一切衆生を救いゆく平和と幸福の大建設——これが広宣流布であり、令法久住である。ゆえに、わが未来部の成長こそ、無限の希望となる。
宝の一人一人を誠実に励ましてくれる担当者の方々の尊き献身に心から感謝したい。
本格的な受験シーズンが到来した。試験に挑む友と、ご家族にエールを送りたい。
世界へ、未来へ、滔々たる人材の流れを創りゆこう!
☆四季の励まし 二月闘争65周年 心の壁を打ち破れ 2017年1月29日
新たな歴史は
一人の挑戦から始まる。
偉大な勝利は
一人の戦いから始まる。
状況を嘆いたり、
人任せにしてばかりいては、
何も変わらない。
自分が変われば、
その分、世界が変わる。
「妙法」に、
行き詰まりは絶対にない。
あるのは、自分の一念に巣くう、
臆病や諦めの壁だ。
己心の壁を打ち破れ!
あらゆる障害を乗り越え、
無限に前進する力が
信心だからである。
「限界を破ろう!」——
そう決めた時、
実は自分の心の限界を、
すでに一歩、破っている。
その時点で、理想や目標も、
半ば達成されているとさえ
言ってよい。
実践あるところには
ドラマがある。
ドラマがあるところに
感動が生まれる。
当然、失敗もあろう。
それでも、めげずに挑み抜いた
体験にこそ、共感が広がるのだ。
苦闘を勝ち越えた体験談は、
"自分には、とてもできない"と
弱気になっている同志の、
心の壁を打ち破る
勇気の起爆剤となる。
人の心を動かし、捉えるものは、
策でもなければ、技術でもない。
ただ誠実と熱意によるのである。
"いかなる人も、広宣流布の味方に
変えてみせる!"——
この烈々たる
祈りと勇気と勢いで、
栄光の歴史を開くのだ。
「これは地球が吠える声か。地球のうなり声か。地球が笑う歓呼の声か。聞こえてきたのは、水音ではなかった。雷鳴だった」——。カナダを訪れていた池田大作先生は、メンバーと共に「ナイアガラの滝」へ赴き、カメラを向けた。1981年(昭和56年)6月のことである。
轟然と落下する膨大な水流。もうもうと立ちのぼる水煙。ナイアガラ瀑布は、約1万2000年前の氷河期に誕生したという。一瞬の停滞もなく、ほとばしる光景は、見る者を圧倒する。
本年は、若き池田先生が広布拡大の突破口を開いた「二月闘争」から65周年。我らも満々たる生命力で、怒濤の前進を! 滝のごとく、激しく、たゆまず、堂々と!
2017年2月8日水曜日
2017.02.08わが友に贈る
インフルエンザが猛威!
熱が出ないケースも。
手洗い・うがいを励行し
加湿等の対策も万全に。
賢く健康管理を!
大悪大善御書 P1300
『上行菩薩の大地よりいで給いしにはをどりてこそいで給いしか』
☆女性に贈ることば 二月八日
世問は矛盾だらけである。正しき眼をもっていないともいえる。問題は、その矛盾を突き抜け、大きく乗り越えて、どう揺るぎない自分自身をつくりあげるかである。
☆今日のことば365 二月八日
人間は、自分の心を自由にすることができると錯覚しているが、いざ事に当たったとき、自分の心さえ自由にできないのが常である。心を支配するものこそ、生命の働きなのだが、人は生命に関する意識の不充分さから、これに気づかないのである。
☆第42回「SGIの日」記念提言� 池田大作 2017年1月26日
「希望の暁鐘 青年の大連帯」
米ロ首脳会談を早期に開催し、緊張緩和と核軍縮の流れを
続いて、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」が目指す"平和で公正かつ包摂的な社会"の実現に向け、�核兵器の禁止と廃絶、�難民問題への対応、�「人権文化」の建設、の三つの課題について具体的な提案を行いたい。
第一のテーマは、核兵器の禁止と廃絶です。
先月、国連総会で歴史的な決議が採択されました。核兵器禁止条約を交渉する会議の開催が決定したのです。
3月末と、6月中旬から7月にかけて国連で討議を行い、早期締結に向けて最善を尽くすことが呼び掛けられています。
いまだ世界には、1万5000発以上の核弾頭が存在しています。核軍縮の停滞に加え、核戦力を強化する近代化計画も進み、脅威の解消どころか、脅威を増幅しかねない方向に向かいつつあります。
かつてアメリカのケネディ大統領が、古代ギリシャの"ダモクレスの剣"=注4=の故事を通して警告した、人類と地球の生態系が常に壊滅の危機にさらされる事態は、決して過去の話ではありません。
むしろ、国連総会での決議で強調しているように、核問題の解決は「いっそう緊急のものとなっている」のです。
◇世界で今も続く高度警戒態勢
そこで私は、いくつか提案をしたい。
一つ目は、アメリカとロシアの首脳会談をできるだけ早く開催し、核軍縮の機運を再び高めることです。
両国の指導者には、地球上の人々の生命を脅かし、人類がこれまで築いてきた文明を灰燼に帰しかねないほどの大量の核兵器を保有している責任が、重くのしかかっているからです。
3年前にウクライナ情勢を巡って緊張状態に陥って以来、両国の関係は"新冷戦"といわれるほど厳しく冷え込みました。
核軍縮交渉も、2011年に新戦略兵器削減条約(新START)が発効したのを最後に進んでおらず、この条約が削減の達成期限としている来年以降の先行きは、不透明なままになっています。
今月20日に就任したアメリカのトランプ新大統領は、当選決定後にロシアのプーチン大統領と行った電話会談で、両国の関係改善を目指すことで意見の一致をみています。世界の核兵器の9割以上を保有する両国が緊張緩和を図り、核兵器の問題についても真摯に話し合うことを、私は強く願ってやみません。
冷戦終結から四半世紀が経つ今もなお、核抑止政策が続く中で、世界では約1800発もの核兵器が、即座に発射できる「高度警戒態勢」に置かれています。
その状態は一体、何を意味するのか——。
ウィリアム・ペリー元米国防長官は、カーター政権下で国防次官を務めていた頃(1977年)、真夜中に戦略空軍の当直将校から「ソ連のミサイル200発がアメリカに向けて飛来中」との緊急電話を受けた時の衝撃が忘れられないと述懐しています。
すぐに誤作動が原因とわかったものの、それが正しい情報であれば、核兵器で即座に反撃するかどうか、究極の判断が大統領に迫られる事態だったからです。
核戦争など決して望んでいなくても、他国からの核攻撃を阻むには、"いつでも応酬する準備がある"との意思を示す必要がある。しかし、それが言葉だけではないことを証明するには、即座に発射できる態勢を維持せねばならず、片時も安心できないばかりか、結果的に、核戦争の危機を常に背負い込む状態から逃れることができない——。
実のところ、それが冷戦時代から現在まで続く、核抑止の実態なのです。
◇戸田会長が宣言で訴えかけたもの
思い返せば、私の師である戸田第2代会長が「原水爆禁止宣言」を発表したのは、核抑止態勢の基盤が実質的に完成をみた時期にほかなりませんでした。
当時、アメリカとソ連が水爆実験を行い、威力の増大を図る競争がエスカレートする一方、核開発の焦点は核兵器を爆撃機で投下する方式から、核弾頭を誘導兵器に取り付ける方式に移行しつつありました。
宣言発表の前月(57年8月)には、ソ連が大陸間弾道弾(ICBM)の実験に成功し、地球のどこにでも核兵器を発射できる状況が現実となったのです。
また、9月に入ると、国連の枠組みの下で半年近く続けられてきた、原水爆の削減と禁止などをめぐる軍縮交渉が決裂するという事態が生じました。
アメリカ、イギリス、フランス、ソ連に、カナダを加えた5カ国が集中的に討議を重ねたものの、意見が一致せず、無期休会という形で幕を閉じたのです。
実にそれは、宣言発表の2日前のことでした。
そうした事態を前にして、戸田会長は、核兵器の存在が人類の破滅に直結しているにもかかわらず、軍拡競争が一向にやまない理由は、核抑止論にあると洞察しました。
核兵器が抑止力となり、平和が維持されるといった、核保有を正当化する論理が目を向けているのは、"相手の攻撃を阻止すること"や"自国を守ること"だけであって、その奥底には、目的のために人類の大半を犠牲にすることも辞さない冷酷な思想が横たわっているのではないか——。
ゆえに戸田会長は宣言で、核保有を正当化する論理に対し、「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」(『戸田城聖全集』第4巻)と、その思想の克服を強く呼び掛けたのです。
当時、米ソ両国が対峙する構図を、"瓶の中の2匹のサソリ"に譬えた議論がありました。
しかし、その瓶には、核保有国だけでなく多くの国が存在し、数十億もの民衆が暮らしていることが忘れ去られていました。
また、刺すか刺されるかといった対峙の構図に目が奪われ、互いが手にしているのが、通常兵器とは明らかに一線を画した絶滅兵器であるという事実が捨象されていました。
この核抑止論が生み出す幻影を打ち払うべく、戸田会長は、「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております」(同)と訴え、その権利を脅かす行為は、どの国も許されず、いかなる理由があろうと核兵器の使用は絶対にあってはならないと宣言したのです。
◇"核の傘"にひそむ重大な非人道性
抑止が働くことだけを信じ、それが破綻した場合の壊滅的な結末を思考から切り離してしまう。また、偶発的な事故による核爆発は、抑止に関係なく常に起こりうるという現実を考えないようにする——。
こうした思考停止は、"核の傘"においても同様に懸念される問題です。
実のところ、"核の傘"は、その一本一本が核兵器という"ダモクレスの剣"で構成されたものにほかならず、自国を守るためには、広島と長崎で起きたような惨劇が他国で繰り返されても構わないという前提に立った、極めて非人道的な安全保障観であることを忘れてはなりません。
ひとたび発射ボタンが押され、核の応酬が始まってしまえば、紛争当事国だけでなく、周辺国や地球全体に取り返しのつかない大惨事を招く——そこではまさに、「自国の安全保障」と「大勢の民衆の生命や地球の生態系」とが天秤にかけられているのです。
この問題を、前半で言及した経済学者のセン博士の正義を巡る議論に敷衍してみるならば、核抑止政策や"核の傘"で他国からの核攻撃を防ぎ、自国を守るという安全保障は、目的の正当性を重視する「ニーティ」的な正義に立つものといえましょう。
しかし、結果の正当性、つまり、実際に人々の身に起こることに焦点を当てる「ニヤーヤ」的正義に照らしてみれば、多くの民衆の犠牲と地球の生態系の破壊もやむなしとする、核依存の安全保障が許される余地は、どこにも残されていないのではないでしょうか。
武力攻撃に対して自国を守る権利は国連憲章でも認められており、国際法上、「ニーティ」的な観点に立つ安全保障は一律には否定されないとしても、自国を守る方法が果たして"核兵器を必須とするもの"であり続けるしかないのか、その一点が問われていると、私は強調したいのです。
◇武器を持つことで生じる恐怖と不安
そもそも抑止の考え方は、長い歴史を通じて多くの国が武器を保持し増強する際に用いてきた論理ですが、戦争に次ぐ戦争の歴史が物語るように、抑止が破綻し、衝突に至った史実は枚挙に暇がありません。
それが、核兵器に限って抑止が破綻しないと、なぜ断言できるのか——。
核問題の専門家であるウォード・ウィルソン氏は、『核兵器をめぐる5つの神話』と題する著作で、このことを問いかけました。
ウィルソン氏は、集団的暴力や戦争をめぐる人類の歴史は6000年に及んでおり、第2次世界大戦以降の60年だけを切り取って論じることは、「データの1%を基にして、ある傾向を見つけた、と主張するに等しい」(広瀬訓監訳、法律文化社)と指摘しています。
この問題を考えるには、数千年に及ぶ文明の盛衰を俯瞰して洞察を深めた歴史家のトインビー博士のような眼差しが不可欠であり、「とりわけ、人間の本質に深く根付いた現象を扱うにおいて、これは無謀といえるのではないだろうか」(同)と強調するのです。
まったく同感であり、抑止が「人間の本質に深く根付いた現象」であるとの急所をしっかり踏まえた上で、核抑止論の奥にひそむ重大な危険性を見つめる必要があると考えます。
そこで私は、「人間の本質」を深く掘り下げる中で生命尊厳の思想を打ち立てた仏教の視座から、一つの問題提起をしたい。
釈尊の言葉に、「殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである」(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店)とあります。
これは、二つの部族の間で水をめぐる争いが起きた時に、釈尊が述べたものと伝えられています。
私が着目するのは、釈尊が対峙する人々の心の動きを見定める中で、"相手に対する恐怖があったから武器を手にした"のではなく、"武器を手にしたことによって恐怖が生じた"と洞察している点です。
つまり、武器を手にするまでは、自分たちの水を奪おうとする相手への激しい怒りがあったとしても、そこに恐怖の影はなかった。しかし、ひとたび武器を手にし、何かあれば相手を打ちのめそうと思った瞬間に、人々の心に恐怖が宿ったというのです。
◇構築が検討された自動制御の核反撃
翻って冷戦時代においても、恐怖に支配された心理が究極の悪夢を生み出そうとしていた事実を、長年、「ワシントン・ポスト」紙で記者を務めたデイヴィッド・E・ホフマン氏が浮き彫りにしています。
——1980年代初め、ソ連の指導部はある計画を検討し始めた。核攻撃を受け、「"すべての"指導者が失われ、正規軍の"すべての"指揮命令系統が破壊されても、依然として機能するシステム」である。
「反撃のチャンスを逸すること」を何よりも恐れ、「完全に自動化され、コンピューターによって動かされる報復システム」を本気で考えたのだった。
しかし、計画の途中で、修正が入る。
「いかなる人間的要素も一切関与しないまま機能する」システムへの抵抗感が拭えず、核ミサイル発射の判断を、深深度の地下壕に生き残った当直士官が下す方法に最終的に改められた——と(『死神の報復(上)』平賀秀明訳、白水社を引用・参照)。
かくして冷戦末期、人間の意思では止められない核反撃のシステムが構築されかけたのです。構想に終わったとはいえ、武器(核兵器)を手にしているために強く感じる恐怖が、渦を巻いて生み出そうとした"抑止の最終形態"だったのではないでしょうか。
昨年は、冷戦終結の扉を開く契機となった、レイキャビクでの米ソ首脳会談(86年10月)から30周年にあたりました。
米ソの中間にあるアイスランドの首都で会談を行うことを提案した、ソ連のゴルバチョフ書記長の脳裏には、その半年前のチェルノブイリでの原発事故を通して実感した、核戦争への深刻な懸念がありました。
一方のアメリカのレーガン大統領にも、核兵器による大量殺戮の脅しをもって平和を維持しようとする状態には耐えられないとの思いがあったといいます。
その深刻な懸念を両者が共に抱いていたからこそ、核全廃の合意にあと少しで手が届く所まで話し合いが進んだといえましょう。
最終合意には至らなかったものの、翌87年に中距離核戦力(INF)全廃条約が締結され、核軍縮の歯車が回り始めたのです。
今一度、アメリカとロシアがレイキャビクの精神を踏まえ、世界平和のために歩み寄るべき時を迎えているのではないでしょうか。
3月から始まる国連での交渉会議では、検討すべき課題の一つとして、事故や過誤などによる核兵器爆発の危険性を低下させ、除外するための措置が挙げられています。
冷戦時代からその危険性を何度も感じてきた米ロ両国が、首脳同士の対話を重ね、「高度警戒態勢」の段階的な解除とともに、大幅な核軍縮に向けて新たな一歩を踏み出すことを、強く呼び掛けたいのです。
◇広島と長崎の強い願いを共有
続く二つ目の提案は、唯一の戦争被爆国である日本が、その歴史的な使命と責任を深く自覚し、核保有国や他の核依存国を含めた多くの国々に、国連の交渉会議への参加を粘り強く働きかけることです。
近年、被爆地での外交会議の開催や、各国の要人の被爆地への訪問が相次ぐ中、核兵器の問題に関する重要なメッセージが繰り返し発信されてきました。
2014年4月、広島で行われた軍縮・不拡散イニシアチブの会合では、核依存国のオーストラリア、ドイツ、オランダなどの外相が被爆者の体験に耳を傾ける機会も設けられる中、核兵器の非人道的影響に関する議論は「核兵器のない世界という目標に向けた国際社会の結束した行動のための触媒であるべき」との宣言が発表されました。
また昨年4月には、広島でG7(主要7カ国)外相会合が開催されました。アメリカ、イギリス、フランスの核保有国と、ドイツ、イタリア、カナダ、日本の核依存国の外相らがそろって原爆ドームに足を運び、「核兵器は二度と使われてはならないという広島及び長崎の人々の心からの強い願いを共にしている」との宣言を採択しました。
そして昨年5月には、オバマ大統領が、現職の米大統領として初めて広島訪問を果たし、「私の国のように核を保有する国々は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければなりません」(朝日新聞取材班『ヒロシマに来た大統領』筑摩書房)と、演説を行ったのです。
私は、被爆地で議論を共に重ねてきた国々をはじめ、できるだけ多くの国々に、日本が核兵器禁止条約の交渉会議への参加を呼び掛けるよう訴えたい。
2年前の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、核保有国と非保有国との溝が埋まらず、最終文書の採択が見送られたように、今回の交渉会議も難航が予想されます。
しかし、NPTの重要性と、核兵器がもたらす壊滅的な結末への懸念は、どの国にも基本的に共有されたものであるはずです。
私は、その共通認識を足場に、核兵器を巡る議論の再構築を行うことが肝要ではないかと考えます。
この点、温暖化防止対策の転換点となったパリ協定の交渉の教訓は、重要な示唆を与えるものです。
パリ協定の交渉では、温暖化の原因や対応に関する責任論に終始するのではなく、どの国にとっても望ましい未来像となる「低炭素社会」のビジョンを掲げて、共にその実現を目指すことに照準を合わせる努力が行われました。そうした中で、合意への突破口が開かれたのです。
核兵器の問題についても同様に、生産や移転、威嚇や使用などを規制する条約づくりを、どの国にも核兵器による惨劇を絶対に引き起こさないための"地球的な共同作業"と位置づけ、そのビジョンに基づく歩み寄りを真摯に模索すべきではないでしょうか。
◇NPTの討議と連動性の確保を
NPTは、前文にある通り、核戦争は全人類に惨害をもたらすとの認識に立って、「諸国民の安全を守る措置」の必要性に基づき、制定されたものです。
この本旨に照らせば、交渉会議で討議される核兵器禁止条約と、立脚点に違いはありません。
核兵器禁止条約はNPTに取って代わるものではなく、完全な核軍縮に向けて誠実に交渉を行うことを定めたNPT第6条を具体化し、NPTの強化につながるものなのです。
その意味で大切なのは、それぞれの国が抱えている"安全保障上の懸念や防衛上の課題"と、"核兵器のない世界を実現するための方途"が交差する点はどこにあるのかを、より多くの国の参加による議論を通じて浮かび上がらせていくことだと思います。
5月には、2020年のNPT再検討会議に向けた第1回準備委員会が、ウィーンで開催されます。
準備委員会でNPT第6条の核軍縮義務に焦点を合わせた討議を行う中で、互いの国が抱える安全保障上の懸念に向き合い、懸念を共に取り除くにはどんな行動が必要となるのかについて意見を交換していく。
その上で、6月以降の核兵器禁止条約の交渉会議での議論につなげていくことが、どの国にとっても有益ではないでしょうか。
NPTの討議との連動性を確保し、立場が異なる国の間の溝を埋める努力を重ねてこそ、禁止条約の交渉は建設的なものになるに違いないと思うのです。
核兵器の問題は、国連創設当時から70年来の重要課題であり、いよいよ始まる禁止条約の交渉もかなりの困難が予想されます。
しかし、こうした真摯な対話を粘り強く続けていけば、「核兵器のない世界」への流れを後戻りできない確かなものへと押し上げていくことができると、私は信じてやみません。
交渉会議の後には、来年までに国連で「核軍縮に関するハイレベル会合」を開催することも決まっています。
核兵器禁止条約を何としても締結に導き、大幅な核軍縮、さらには核廃絶へのプロセスを始動させる機運を高めていくべきではないでしょうか。
◇集団の論理を離れ人間の思いに立脚
次に、三つ目の提案として述べたいのは、交渉会議に向けて市民社会で多くの声明を出し合い、それらを「核なき世界の民衆宣言」として核兵器禁止条約の礎石にしていくことです。
市民社会の役割——それは、国境を超えて全ての人々に深く関わる性質を持ちながらも、国家単位の政策議論にとどまりがちな課題に対し、その議論を"人間化"して問題の所在を浮き彫りにし、グローバルな行動の連帯を力強く形づくることにあります。
核兵器の問題では、1955年7月に科学者らが発表した「ラッセル=アインシュタイン宣言」=注5=が、その嚆矢でした。
「私たちは、一つの集団に対し、他の集団に対するよりも強く訴えるような言葉は、一言も使わないようにこころがけよう」
「私たちは、人類として、人類にむかって訴える——あなたがたの人間性を心にとどめ、そしてその他のことを忘れよ、と」(久野収編『核の傘に覆われた世界』平凡社)
この一節が象徴するように、宣言を貫くのは国家や民族などの"集団の論理"ではなく、"人間としての思い"でした。
ゆえに、核兵器を国ごとの問題とするのではなく、「自分自身や子どもや孫たち」に直接関わる問題として提起したのです。
96年7月に国際司法裁判所で、核兵器の威嚇と使用に関する勧告的意見が示されたのも、「世界法廷プロジェクト」のような市民社会の強い働きかけがあったからでした。
審理にあたり、40の言語、約400万人による「市民の良心宣言」が提出される中、核兵器の威嚇と使用は国際法に一般的に違反するとした上で、全ての面での核軍縮を導く交渉を誠実に行い、完結させる義務があると明記した勧告的意見が示されたのです。
時を経て、核兵器禁止条約の交渉会議の開催が決定した今、会議を力強く支持する市民社会の声を届け、禁止条約を"民衆の主導による国際法"として確立する流れをつくり出すべきではないでしょうか。
◇人類に意味と活力を与える力
今回の国連での交渉会議は、核問題の解決を求める国々の外交努力もさることながら、広島と長崎の被爆者をはじめとする世界のヒバクシャ、科学者や医師、法律家や教育者、また宗教者など、さまざまな分野の人々と団体が行動を積み重ねる中で、実現への道が開かれたものでした。
こうした人々や団体の思いを、それぞれ声明にし、会議に寄せる形で「核なき世界の民衆宣言」の裾野を広げる。また、核兵器禁止条約の意義を草の根レベルで語り合う機会を設け、賛同の輪を拡大する——。
その行動の一つ一つが、国連決議が呼び掛ける「市民社会代表の参加と貢献」につながり、禁止条約の礎石になると思うのです。
核保有国や核依存国を含め、各国の民衆の間で、核兵器のない世界を求める声が根強い状況を目に見える形で示すことは、禁止条約の実効性と普遍性を高める"かけがえのない支え"になるに違いありません。
そうした民衆の声は、決して少なくないはずです。
例えば、核廃絶を求める「平和首長会議」に加盟する都市は、162カ国・地域、7200以上に及び、核保有国や核依存国の都市も多く含まれています。
かつて広島市に自らの彫刻を寄贈した人権活動家のエスキベル博士が、平和とは「人類に意味と活力を与える力」であらねばならないと、強調していたことを思い起こします(『人権の世紀へのメッセージ』東洋哲学研究所)。
果たして、核兵器に依存しなければ維持できないといった安全保障に、その力が宿っているといえるでしょうか。
「人類に意味と活力を与える力」は、"あらゆる差異を超えて生命の尊厳を共に守り合う世界を築く"という民衆の誓いが生み出す平和にこそ、力強く脈打つと確信するのです。
私どもSGIは、戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」を原点に平和運動を進める中、2007年から「核兵器廃絶への民衆行動の10年」と題する活動を展開してきました。
核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)と共同制作した「核兵器なき世界への連帯——勇気と希望の選択」展を各国で開催してきたほか、核軍縮の誠実な履行を求める運動「ニュークリア・ゼロ」に賛同し、2014年に500万を超える署名を集めました。
また、昨年の核軍縮に関する国連公開作業部会に寄せた「核兵器の非人道性を憂慮する宗教コミュニティー」の共同声明の作成に協力するとともに、国連総会第1委員会にも、同コミュニティーとしての共同声明を提出しました。
2015年8月には、他の団体と協力して「核兵器廃絶のための世界青年サミット」を広島で開催し、それを機に、核廃絶を求める世界の青年の国際ネットワーク「アンプリファイ」が昨年発足しています。
そして今年は「原水爆禁止宣言」60周年を記念し、宣言発表の地・神奈川で「青年不戦サミット」を行うことになっています。
こうした10年にわたる一連の取り組みを支えてきた思いは、SGIが国連公開作業部会に提出し、国連文書となった作業文書の次の言葉に凝縮しています。
「核兵器は、人間生命を無意味なものとし、希望をもって未来に目を向けるという、私たちの能力の発揮を妨げている」
「核兵器の根源的な問題は、他者を徹底的に否定するところにある。それは、人間性の否定であり、平等であるはずの幸福への権利や、生命への権利の否定でもある」
「核軍縮への挑戦は、核保有国だけでなく、全ての国家を含みつつ、市民社会の十分な関与を得た上での、地球的な共同作業でなければならない」
3月から国連で始まる交渉会議を「地球的な共同作業」を生み出す場とするために、他の団体と協力し、市民社会の声の結集に全力で取り組むことを固く決意するものです。
◇家族を守るために日々迫られる選択
続く第二のテーマは、難民の人々が生きる希望を取り戻すための支援です。
近年、紛争や迫害によって生まれ故郷や住み慣れた場所を追われる人々が急増し、その数は6530万人にのぼります。
中でも、6年に及ぶシリアでの紛争に伴う人道危機は極めて深刻です。30万人以上が命を失い、恐怖と欠乏のために人口の半数以上が避難生活を強いられ、480万人が国外に逃れざるを得ませんでした。
こうした中、国連のグテーレス事務総長は、就任前の昨年10月、国連で最も対応に急を要する優先課題は「平和に関するものになる」とし、「人間の苦難をあらゆる次元で和らげる最善の方法は、平和のための外交の活性化である」と訴えました(国連広報センターのウェブサイト)。
先月30日、シリア全土での停戦合意が発効し、国連安全保障理事会も支持する決議を採択して停戦の順守を呼び掛けましたが、このまま内戦が鎮静化するかどうか、予断を許さない状況が続いています。
国連の支援で来月に開催予定の和平協議の場などを通じて、難民高等弁務官を長らく務めたグテーレス事務総長が率いる国連と、関係国が連携し、シリア紛争を一日も早く終結させることを願ってやみません。
この外交努力と並んで、グテーレス事務総長が重要課題と位置づけているのが、「恐ろしい紛争を逃れ、保護を必要としている人々との全面的な連帯を確保すること」(同)です。
昨年5月にトルコのイスタンブールで行われた国連の世界人道サミットで焦点となったのも、このテーマでした。
開幕式でも提起されていたように、紛争によって突然、生活を破壊された人々は、来る日も来る日も厳しい選択を迫られていることに、思いをはせる必要があります。
爆撃の危険を常に感じる中で住み慣れた場所の近くにとどまるのか、それとも、家族を引き連れて長い道のりを移動し続けるのか。
海を渡る途中で命を落とす恐れがあるのを承知の上で、一縷の望みを託して船に乗るのか、それとも踏みとどまるのか。
避難生活の中で子どもが病気になった時、限られた所持金の中で家族のための食料を買うのか、子どもの薬を買うのか——。
先の見えない苦境に立たされているのは、生まれ育った環境や歩んできた人生は違っても、私たちと変わらない人間であることを忘れてはならないのです。
◇レジリエンスを共に高める活動
市民社会の代表も数多く参加した世界人道サミットでは、人道と開発の取り組みを切り離さずに進めることや、難民の人々と受け入れ地域のレジリエンス(困難を乗り越える力)を高める重要性などが確認されました。
レジリエンスの強化は、私どもSGIが、「誰も置き去りにしない」世界を築くための柱として考えるもので、サミットで初開催した人道展「人間の復興——一人一人がつくる未来」でも強調した点です。
そこで私は、受け入れ地域のレジリエンスを向上させるために、難民の人々がSDGsの課題に関わる仕事などに共に携わることのできる道を開く「人道と尊厳のためのパートナーシップ」の枠組みを設け、国連を中心に推進することを提案したいと思います。
現在、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が支援する難民の86%は、紛争地域の周辺にある途上国に集中しています。
そうした国々は、貧困や保健衛生をはじめとするSDGsの課題に直面する一方、難民の受け入れに伴う問題も抱え、厳しい状況に置かれています。その打開には、サミットで確認されたように、人道と開発の取り組みを包括的に進めることが重要になります。
国連開発計画(UNDP)がエチオピアで進めてきたプロジェクトは、その一例ともいえましょう。
エチオピアでは、周辺国での相次ぐ紛争の影響で73万人もの難民を受け入れる中で、昨年、30年に一度といわれるほどの最悪の干ばつに見舞われました。そこでプロジェクトでは、自然資源の管理やインフラの復旧支援とともに、地域住民と難民との共存を図る活動に力を入れ、危機の悪化を防いできたのです。
難民が増加の一途をたどる状況下で、受け入れ国の安定と発展なくして、難民の人々の生活を安定させることはできません。
また、SDGsの課題を抱える点では、先進国や新興国も同じです。
SDGsの達成に向け、食糧危機を防ぐための持続可能な農業をはじめ、再生可能エネルギーの導入に関わる仕事や、医療と保健衛生に携わる仕事など、さまざまな仕事が必要になると見込まれています。
国際労働機関(ILO)のガイ・ライダー事務局長は昨年、難民の人々にとっての仕事の重要性を踏まえて、難民のための「ニューディール」の考案を呼び掛けました。
私は、その一つの形として人道と開発をつなげ、難民の人々がSDGsに関わる仕事に携われるよう、国連と各国が協力し、技能習得や就労研修の機会を積極的に設けていってはどうかと提案したいのです。
◇受け入れ国での経験を復興の糧に
人間にとって仕事は、生活を支える経済的な糧となる大切なものです。そして同時に、生きがいの源泉となり、自分が生きている証しを社会に刻む営みでもあります。
仕事の確保は「社会正義の実現」に不可欠の要素と訴える、シドニー平和財団のスチュアート・リース前理事長も、私との対談で、こう強調していました。
仕事がない状態は、「何かを達成する満足を感じながら、もしくは社会に貢献しながら自身の生計を立てるという人間的感覚」を否定し、「人間の尊厳を根源から脅かす問題」になる、と(『平和の哲学と詩心を語る』第三文明社)。
その際、話題になったのが、1929年の世界恐慌による大量失業を解決するために、アメリカのルーズベルト大統領が始めたニューディール政策でした。
そこでは、ダムの建設事業に加え、国立公園の保全や植林をする市民保全部隊も結成され、部隊には約10年間で延べ300万人もの若者が従事しました。
20億本以上の木が植えられたほか、各地の国立公園の整備が進んだのです。
その仕事は、多くの若者にとって、社会や人々のために役立っているという"手応え"や"誇り"に直結するものでした。それだけでなく、整備された国立公園や森林は、現在にいたるまで生物多様性や生態系の保全に貢献し、温室効果ガスの吸収などの面でも役立っているのです。
こうした事例なども踏まえながら、難民の人々が仕事の機会をより多く得ることができ、SDGsの前進も後押しするような枠組みを検討すべきではないでしょうか。
「多様性」と「尊厳」守り合う社会へ
◇人権教育に関する条約を制定
何より、難民の人々は多くの苦しみや悲しみを味わってきたからこそ、さまざまな問題に苦しむ人々の力になれる存在です。
また、紛争が終結して帰国を果たせた時には、受け入れ国でのSDGsに関わる仕事の経験が、生まれ育った国の復興と再建の大きな原動力になっていくに違いありません。
折しも昨年9月、難民と移民に関する国連サミットで、「難民に関するグローバル・コンパクト」という新たな規範を来年に採択することが合意されました。
過去最大の人道危機となった難民問題の解決なくして、世界の平和と安定はなく、「誰も置き去りにしない」とのビジョンを掲げるSDGsを本格的に進めることもできません。
先のエチオピアでのプロジェクトなどを支援してきた日本が、国連が重視する「人道と開発をつなぐ活動」に今後も力を入れていくことの意義は大きいのではないでしょうか。
国連サミットの翌日に、オバマ大統領が主催したリーダーズ・サミットで、日本は、紛争の影響を受けた約100万人に教育支援や職業訓練を実施するほか、今後5年間で最大150人のシリア人留学生を受け入れることを表明しました。
そうした取り組みを基盤に、SDGsの推進につながる技能習得や就労研修の機会を設けるなど、「人道と尊厳のためのパートナーシップ」の先駆けとなる活動を積極的に進めてほしいと念願するものです。
◇大学の社会的使命
また、これに関連し、世界の大学が国連と連携して、難民の若者たちが教育機会を少しでも得られるよう、さまざまな形で後押しすることを呼び掛けたい。
7年前に始まった国連と世界の大学を結ぶ「国連アカデミック・インパクト」の取り組みには、120カ国以上の1000に及ぶ大学が加盟しています。
それらの大学が研究するテーマは、地球的な課題のほとんどを網羅しており、こうした世界の大学が持つ力を人類益のために発揮することが期待されます。
歴史を振り返れば、前半で触れた、貧困に苦しむ人々のためのトインビー・ホールの活動を担ったのも、移民が尊厳を取り戻す支えとなったハル・ハウスで教育活動を行ったのも、大学の関係者たちでした。
大学には、社会の"希望と安心の港"としての力が宿っているのです。
その意味で、世界の大学が地球的な課題をめぐる研究での貢献とともに、出張講義や通信教育を含め、難民の若者の教育機会をさまざまな形で支えていくことの意義は、極めて大きいと思えてなりません。
私が創立した創価大学も、昨年5月、UNHCRと「難民高等教育プログラム」の協定を結び、今春から難民の留学生を受け入れることになっています。
昨年のリオデジャネイロ・オリンピックに出場した難民選手団の一員で、シリア出身のユスラ・マルディニ選手は、同じ難民の人たちに向けて次のような言葉を語っています。
「どんな困難も、嵐のような辛い日々も、いつかは落ち着く日が来る。難民になっても、夢や、やりたいと願っていたことをあきらめないで欲しい」(UNHCR駐日事務所のウェブサイト)
紛争のために住み慣れた家を離れざるを得なくなり、見知らぬ場所で暮らすことになった難民の人々にとって、人間らしい生活の実感や、生きる希望の手応えを感じられるのは、仕事に就くことや教育の機会を得ることを通してではないでしょうか。
国連が採択を目指す「難民に関するグローバル・コンパクト」では、この仕事や教育の重要性を踏まえた内容を盛り込むことが大切ではないかと思います。
難民問題を解決する道は、難民の人々が安心と希望と尊厳を取り戻す中でこそ、大きく開いていくことができるからです。
◇暴力的過激主義をどう食い止めるか
最後に第三のテーマとして、「人権文化」の建設に関する提案を行いたい。
世界で今、長引く紛争や内戦に加えて、深刻な脅威となっているのが、相次ぐテロや暴力的過激主義の高まりです。
生きる意味や人生の希望を見いだせなくなった若者たちが、暴力的過激主義に引き込まれてしまう状況もみられます。
私が創立した戸田記念国際平和研究所は昨年11月、こうした暴力的過激主義の蔓延を防ぐための研究会議を、アメリカのイースタン・メノナイト大学で開催しました。
「処罰こそ暴力を防ぐ手段」との認識が各国で広がる中で、その有効性や課題について各地の事例を通して検証するとともに、緊張が続く地域で平和構築を進めるには何が必要かを探る会議となりました。
そこで焦点となったのは、暴力的過激主義が広がる背景に目を向け、予防に力を注ぐこと——つまり、人々の意識を暴力的な手段によらない問題解決の方向へ向ける努力を、社会に組み込むことの重要性です。
私は、その鍵を握るのが、人権教育の推進だと考えます。
昨年は、「人権教育および研修に関する国連宣言」の採択5周年にあたりました。
人権教育の国際基準を初めて定めた宣言で、SGIも起草段階から市民社会の声を届け、制定の支援をしてきたものです。
昨年9月に国連人権理事会で、宣言の採択5周年を記念する政府間会議が行われた際には、SGIの代表も参加しました。
席上、国連のケイト・ギルモア人権副高等弁務官は、各地で憎しみや暴力が広がる一方で、人権教育を通し、人々の行動を鼓舞する動きが見え始めていることは良いニュースであるとし、こう訴えました。
「人権教育は、私たちの個々の多様性を超えて、私たちの共通の人間性を育みます。それはオプションの追加でも、習慣化された義務でもありません。人間にとって根源的なことを教えてくれるものなのです」
人権教育の真価がどこにあるかを物語る言葉であり、私も深く共感します。
◇18億人の若者の大きな潜在力
政府間会議では、人権教育を通して一人の少女の身に起こった変化などの事例が紹介されました。
——一人の少女が、学校で人権教育を受け、自分の尊厳について深く考えるようになった。
以来、彼女の心に、自分の未来に対する自信と強さが宿り、周囲の状況に左右されることなく、彼女自身が変わっていった。
人権を踏みにじられる犠牲者ではなく、周りの人々の人権を守る存在になりたいと願うようになった——という話です。
ギルモア副高等弁務官は、こうした少女の姿こそ「人権意識の驚くべき力」を示すものであり、「教育こそ変革の促進剤」と強調しました。人権教育には、限りない力と可能性が秘められているのです。
私は、この変革の波をあらゆる場所で広げるために、人権教育に関する宣言を基盤に、「人権教育と研修に関する条約」の制定を目指し、実施手段の強化を図ることを提案したい。
世界人権宣言の採択から70周年を迎える来年を機に、例えば、「人権教育に関する国連と市民社会フォーラム」のような場を設けるなどして、条約制定に向けての議論を高めていってはどうでしょうか。
世界には、10歳から24歳までの若い世代が、18億人いるといわれています。
こうした若い世代が、暴力や争いではなく、人権を守る方向へと心を向けていくことができれば、人権教育に関する宣言が掲げる「多元的で誰も排除されない社会」への道は、大きく開けていくはずです。
その原動力となる人権教育を、各国で持続的に進めるためには、法律や教育プログラムを整備した上で、実施状況を定期的に評価し、改善する制度を設ける必要があります。
政府間会議で私どもSGIが、市民社会ネットワーク「人権教育2020」を代表する形で訴えたのも、その点でした。
世界人権宣言に始まる国際的な人権保障は、人権の規範設定や保護規定に続き、人権侵害の救済制度に力が注がれてきました。
そして今、焦点となっているのが、互いの多様性を大切にし合い、互いの尊厳を共に守り抜く「人権文化」を、社会に根付かせていくことです。
SGIでは、国連機関や関係団体の協力を得て、2月末からの国連人権理事会の会期にあわせて、新しい人権教育展示を開催する予定です。
この新展示などを通し、市民社会の側から「人権文化」建設の輪を力強く広げていきたい。そして、他のNGOと連携し、「人権教育と研修に関する条約」の制定に向け、国際世論を喚起したいと思います。
◇安保理で起きた歴史的な大転換
結びに、「人権文化」の建設に深く関わる、ジェンダー平等の重要性について論じたいと思います。
ジェンダー平等とは、男女の差別なく、平等な権利、責任、機会を保障することです。国連機関のUNウィメンが強調するように、その主眼は、多様性を認識し、女性と男性の双方の関心やニーズを共に大切にする社会を築く取り組みにあります。
SDGsでは、ジェンダー平等を達成し、あらゆる場所における、あらゆる形態の差別を撤廃するとの目標を打ち出しています。
その重要性への認識の広がりを裏付けるように、ジェンダー平等が焦点となった昨年3月の「国連女性の地位委員会」には、過去最多となる80カ国以上の大臣と約4100人の市民社会の代表が集いました。
私どもSGIでも、代表が参加するとともに、並行行事として「SDGs達成への道を開く女性のリーダーシップ」と題するフォーラムを開催しました。
そこで確認したのは、ジェンダー平等が重要な人権問題であると同時に、その取り組みの前進がSDGsの全ての目標の前進につながるとの認識です。つまり、前半で言及した、SDGsの取り組みを包括的に進める「ネクサス(関係)アプローチ」の中軸を担うのが、ジェンダー平等であるということです。
各国がジェンダー平等の重要性に対する認識で一致をみたのは、1995年の第4回世界女性会議にさかのぼります。その後、転機となったのが、2000年10月に国連安全保障理事会で採択された「1325決議」=注6=でした。
平和と安全保障に関わる取り組みに女性が平等かつ全面的に参加できるよう、具体的な措置をとることを促した決議です。
採択に尽力したアンワルル・チョウドリ元国連事務次長が語っていましたが、決議を実現に導いた背景には、女性の役割に関する「概念的、政治的大転換」があったといいます。
同年3月の国際女性デーに安保理が出した声明で、平和とジェンダー平等が不可分の関係にあると明記されたことで、「戦争や紛争の無力な被害者」とみなされてきた女性に対し、「平和と安全保障の維持と推進には不可欠」との認識の転換が図られた、と(『新しき地球社会の創造へ』潮出版社)。
そして、この転換が「1325決議」として結実し、和平プロセスなどに女性が参加する道が明確に開かれたのです。
◇国連憲章を巡って女性が上げた声
2年前には、決議の実行状況を振り返った国連の文書が発表されました。
女性が関わった和平交渉は合意に達しやすく、持続性も高いことが明らかになったほか、国連の平和維持活動でも女性要員が現地の人々の信頼を得る上で重要な存在になっていることが報告されています。
現在、SDGsの達成に向け、各国でジェンダー平等に関する政策の検討や実施が始まっていますが、大切なのは、「1325決議」を導いた認識の転換を顧みること——つまり、女性は無力な存在ではなく、その力の発揮が欠かせないとの認識に基づき、社会を組み直していく視点ではないでしょうか。
この点、エマソン協会元会長で女性学に造詣が深いサーラ・ワイダー博士も、「いかなる人であれ、人の下座に置かれることを強いられてはなりません。誰もが"隣り合わせ"に座り、耳を傾け、語り合い、互いの持てる力や存在を尊重し合うべきではないでしょうか」(『母への讃歌』潮出版社)と、私との対談で強調していました。
最近の研究で、国連の誕生時において、国連憲章に人権保障の中核をなす一節を組み入れる貢献をしたのが、女性たちだったことが浮き彫りにされています。
1945年、サンフランシスコで国連憲章の制定会議が開かれた時、各国の代表団から、人権に関する規定を盛り込むことを求める意見が相次ぎました。その際、単なる"人間の権利"といった表現では不十分であると声を上げたのが、中南米諸国などから参加していた女性たちでした。
こうした中で、憲章前文での男女同権への言及や、性による差別なく人権を尊重する規定(第1条3項)に加えて、国連の全機関で男女が平等に参加する資格があること(第8条)が明記されたのです。
◇法華経に描かれた竜女の尊極の姿
このような国連誕生時のエピソードを知るにつけ、胸に浮かぶのは、仏教の精髄である法華経で「万人の尊厳」を説く中、それを現実のものにした具体的な姿として「女性の尊厳」が描かれていることです。
——釈尊が、いかなる人々にも尊極の生命が具わっているとの「万人の尊厳」の法理を説き明かし、重要な話は聞き終えたと思った智積菩薩が、その場から去ろうとした。
釈尊の勧めで、文殊師利菩薩と対話をすることになった智積は、わずか8歳の少女(竜女)が尊極の生命を輝かせて、人々に対する深い慈愛の念を持っているとの話を聞かされる。
にわかに信じられずにいた智積の前に、竜女が姿を現すが、釈尊の弟子である舎利弗も、まだ幼い彼女の姿を見て、本当にそんなことができるのかとの思いを拭えなかった。
竜女は尊極の生命の証しである宝珠を釈尊に手渡した上で、舎利弗に対し、自分の本当の生命の輝きを見てほしいと叫ぶ。
そして、竜女が人々のために尽くす姿を実際に目にした舎利弗と智積は、文殊の話が真実であると確信するにいたった——と。
私は、この場面には、「万人の尊厳」といっても、抽象的な理解だけでは完結しえないことが示されていると感じます。
また日蓮大聖人が、竜女の叫びの核心は、「舎利弗竜女が成仏と思うが僻事なり、我が成仏ぞと観ぜよ」(御書747ページ)との思いにあると強調したように、竜女の尊厳と舎利弗の尊厳は、決して別のものではありません。竜女の尊厳(女性の尊厳)に照らされて、その実感を通し、舎利弗の尊厳(男性の尊厳)も浮かび上がっているのです。
つまり法華経では、「女性の尊厳」が現実に示されたことで、「万人の尊厳」が真に内実を伴うものとして結晶しています。
現代の人権についても、女性の権利の重要性が国連憲章に刻まれたからこそ、国連に人権の精神が鮮明な形で宿るようになったのではないでしょうか。
国連憲章の制定会議で声を上げた女性たちの思いも、女性の権利を大切にしなければ、"人間の権利"を大切にする社会は築けないとの一点にあったに違いないと思うのです。
UNウィメンでは現在、ジェンダー平等の推進の輪に、積極的に男性も加わることを呼び掛ける、「HeForShe(ヒー・フォー・シー)」のキャンペーンを進めています。
自由と権利を得られずにいてよい人間などなく、自由と権利を求める行動において差異による区別を設けてはならないはずです。
ジェンダー平等の目的——それは男女を問わず、全ての人々が尊厳の光を自分らしく輝かせていける道を、皆で大きく広げていくことにあるのです。
私どもSGIは青年を中心に「人権文化」を担う民衆の連帯を強めながら、「誰も置き去りにしない」世界を築く希望の暁鐘を、力強く打ち鳴らしていきたいと思います。
熱が出ないケースも。
手洗い・うがいを励行し
加湿等の対策も万全に。
賢く健康管理を!
大悪大善御書 P1300
『上行菩薩の大地よりいで給いしにはをどりてこそいで給いしか』
☆女性に贈ることば 二月八日
世問は矛盾だらけである。正しき眼をもっていないともいえる。問題は、その矛盾を突き抜け、大きく乗り越えて、どう揺るぎない自分自身をつくりあげるかである。
☆今日のことば365 二月八日
人間は、自分の心を自由にすることができると錯覚しているが、いざ事に当たったとき、自分の心さえ自由にできないのが常である。心を支配するものこそ、生命の働きなのだが、人は生命に関する意識の不充分さから、これに気づかないのである。
☆第42回「SGIの日」記念提言� 池田大作 2017年1月26日
「希望の暁鐘 青年の大連帯」
米ロ首脳会談を早期に開催し、緊張緩和と核軍縮の流れを
続いて、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」が目指す"平和で公正かつ包摂的な社会"の実現に向け、�核兵器の禁止と廃絶、�難民問題への対応、�「人権文化」の建設、の三つの課題について具体的な提案を行いたい。
第一のテーマは、核兵器の禁止と廃絶です。
先月、国連総会で歴史的な決議が採択されました。核兵器禁止条約を交渉する会議の開催が決定したのです。
3月末と、6月中旬から7月にかけて国連で討議を行い、早期締結に向けて最善を尽くすことが呼び掛けられています。
いまだ世界には、1万5000発以上の核弾頭が存在しています。核軍縮の停滞に加え、核戦力を強化する近代化計画も進み、脅威の解消どころか、脅威を増幅しかねない方向に向かいつつあります。
かつてアメリカのケネディ大統領が、古代ギリシャの"ダモクレスの剣"=注4=の故事を通して警告した、人類と地球の生態系が常に壊滅の危機にさらされる事態は、決して過去の話ではありません。
むしろ、国連総会での決議で強調しているように、核問題の解決は「いっそう緊急のものとなっている」のです。
◇世界で今も続く高度警戒態勢
そこで私は、いくつか提案をしたい。
一つ目は、アメリカとロシアの首脳会談をできるだけ早く開催し、核軍縮の機運を再び高めることです。
両国の指導者には、地球上の人々の生命を脅かし、人類がこれまで築いてきた文明を灰燼に帰しかねないほどの大量の核兵器を保有している責任が、重くのしかかっているからです。
3年前にウクライナ情勢を巡って緊張状態に陥って以来、両国の関係は"新冷戦"といわれるほど厳しく冷え込みました。
核軍縮交渉も、2011年に新戦略兵器削減条約(新START)が発効したのを最後に進んでおらず、この条約が削減の達成期限としている来年以降の先行きは、不透明なままになっています。
今月20日に就任したアメリカのトランプ新大統領は、当選決定後にロシアのプーチン大統領と行った電話会談で、両国の関係改善を目指すことで意見の一致をみています。世界の核兵器の9割以上を保有する両国が緊張緩和を図り、核兵器の問題についても真摯に話し合うことを、私は強く願ってやみません。
冷戦終結から四半世紀が経つ今もなお、核抑止政策が続く中で、世界では約1800発もの核兵器が、即座に発射できる「高度警戒態勢」に置かれています。
その状態は一体、何を意味するのか——。
ウィリアム・ペリー元米国防長官は、カーター政権下で国防次官を務めていた頃(1977年)、真夜中に戦略空軍の当直将校から「ソ連のミサイル200発がアメリカに向けて飛来中」との緊急電話を受けた時の衝撃が忘れられないと述懐しています。
すぐに誤作動が原因とわかったものの、それが正しい情報であれば、核兵器で即座に反撃するかどうか、究極の判断が大統領に迫られる事態だったからです。
核戦争など決して望んでいなくても、他国からの核攻撃を阻むには、"いつでも応酬する準備がある"との意思を示す必要がある。しかし、それが言葉だけではないことを証明するには、即座に発射できる態勢を維持せねばならず、片時も安心できないばかりか、結果的に、核戦争の危機を常に背負い込む状態から逃れることができない——。
実のところ、それが冷戦時代から現在まで続く、核抑止の実態なのです。
◇戸田会長が宣言で訴えかけたもの
思い返せば、私の師である戸田第2代会長が「原水爆禁止宣言」を発表したのは、核抑止態勢の基盤が実質的に完成をみた時期にほかなりませんでした。
当時、アメリカとソ連が水爆実験を行い、威力の増大を図る競争がエスカレートする一方、核開発の焦点は核兵器を爆撃機で投下する方式から、核弾頭を誘導兵器に取り付ける方式に移行しつつありました。
宣言発表の前月(57年8月)には、ソ連が大陸間弾道弾(ICBM)の実験に成功し、地球のどこにでも核兵器を発射できる状況が現実となったのです。
また、9月に入ると、国連の枠組みの下で半年近く続けられてきた、原水爆の削減と禁止などをめぐる軍縮交渉が決裂するという事態が生じました。
アメリカ、イギリス、フランス、ソ連に、カナダを加えた5カ国が集中的に討議を重ねたものの、意見が一致せず、無期休会という形で幕を閉じたのです。
実にそれは、宣言発表の2日前のことでした。
そうした事態を前にして、戸田会長は、核兵器の存在が人類の破滅に直結しているにもかかわらず、軍拡競争が一向にやまない理由は、核抑止論にあると洞察しました。
核兵器が抑止力となり、平和が維持されるといった、核保有を正当化する論理が目を向けているのは、"相手の攻撃を阻止すること"や"自国を守ること"だけであって、その奥底には、目的のために人類の大半を犠牲にすることも辞さない冷酷な思想が横たわっているのではないか——。
ゆえに戸田会長は宣言で、核保有を正当化する論理に対し、「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」(『戸田城聖全集』第4巻)と、その思想の克服を強く呼び掛けたのです。
当時、米ソ両国が対峙する構図を、"瓶の中の2匹のサソリ"に譬えた議論がありました。
しかし、その瓶には、核保有国だけでなく多くの国が存在し、数十億もの民衆が暮らしていることが忘れ去られていました。
また、刺すか刺されるかといった対峙の構図に目が奪われ、互いが手にしているのが、通常兵器とは明らかに一線を画した絶滅兵器であるという事実が捨象されていました。
この核抑止論が生み出す幻影を打ち払うべく、戸田会長は、「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております」(同)と訴え、その権利を脅かす行為は、どの国も許されず、いかなる理由があろうと核兵器の使用は絶対にあってはならないと宣言したのです。
◇"核の傘"にひそむ重大な非人道性
抑止が働くことだけを信じ、それが破綻した場合の壊滅的な結末を思考から切り離してしまう。また、偶発的な事故による核爆発は、抑止に関係なく常に起こりうるという現実を考えないようにする——。
こうした思考停止は、"核の傘"においても同様に懸念される問題です。
実のところ、"核の傘"は、その一本一本が核兵器という"ダモクレスの剣"で構成されたものにほかならず、自国を守るためには、広島と長崎で起きたような惨劇が他国で繰り返されても構わないという前提に立った、極めて非人道的な安全保障観であることを忘れてはなりません。
ひとたび発射ボタンが押され、核の応酬が始まってしまえば、紛争当事国だけでなく、周辺国や地球全体に取り返しのつかない大惨事を招く——そこではまさに、「自国の安全保障」と「大勢の民衆の生命や地球の生態系」とが天秤にかけられているのです。
この問題を、前半で言及した経済学者のセン博士の正義を巡る議論に敷衍してみるならば、核抑止政策や"核の傘"で他国からの核攻撃を防ぎ、自国を守るという安全保障は、目的の正当性を重視する「ニーティ」的な正義に立つものといえましょう。
しかし、結果の正当性、つまり、実際に人々の身に起こることに焦点を当てる「ニヤーヤ」的正義に照らしてみれば、多くの民衆の犠牲と地球の生態系の破壊もやむなしとする、核依存の安全保障が許される余地は、どこにも残されていないのではないでしょうか。
武力攻撃に対して自国を守る権利は国連憲章でも認められており、国際法上、「ニーティ」的な観点に立つ安全保障は一律には否定されないとしても、自国を守る方法が果たして"核兵器を必須とするもの"であり続けるしかないのか、その一点が問われていると、私は強調したいのです。
◇武器を持つことで生じる恐怖と不安
そもそも抑止の考え方は、長い歴史を通じて多くの国が武器を保持し増強する際に用いてきた論理ですが、戦争に次ぐ戦争の歴史が物語るように、抑止が破綻し、衝突に至った史実は枚挙に暇がありません。
それが、核兵器に限って抑止が破綻しないと、なぜ断言できるのか——。
核問題の専門家であるウォード・ウィルソン氏は、『核兵器をめぐる5つの神話』と題する著作で、このことを問いかけました。
ウィルソン氏は、集団的暴力や戦争をめぐる人類の歴史は6000年に及んでおり、第2次世界大戦以降の60年だけを切り取って論じることは、「データの1%を基にして、ある傾向を見つけた、と主張するに等しい」(広瀬訓監訳、法律文化社)と指摘しています。
この問題を考えるには、数千年に及ぶ文明の盛衰を俯瞰して洞察を深めた歴史家のトインビー博士のような眼差しが不可欠であり、「とりわけ、人間の本質に深く根付いた現象を扱うにおいて、これは無謀といえるのではないだろうか」(同)と強調するのです。
まったく同感であり、抑止が「人間の本質に深く根付いた現象」であるとの急所をしっかり踏まえた上で、核抑止論の奥にひそむ重大な危険性を見つめる必要があると考えます。
そこで私は、「人間の本質」を深く掘り下げる中で生命尊厳の思想を打ち立てた仏教の視座から、一つの問題提起をしたい。
釈尊の言葉に、「殺そうと争闘する人々を見よ。武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである」(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店)とあります。
これは、二つの部族の間で水をめぐる争いが起きた時に、釈尊が述べたものと伝えられています。
私が着目するのは、釈尊が対峙する人々の心の動きを見定める中で、"相手に対する恐怖があったから武器を手にした"のではなく、"武器を手にしたことによって恐怖が生じた"と洞察している点です。
つまり、武器を手にするまでは、自分たちの水を奪おうとする相手への激しい怒りがあったとしても、そこに恐怖の影はなかった。しかし、ひとたび武器を手にし、何かあれば相手を打ちのめそうと思った瞬間に、人々の心に恐怖が宿ったというのです。
◇構築が検討された自動制御の核反撃
翻って冷戦時代においても、恐怖に支配された心理が究極の悪夢を生み出そうとしていた事実を、長年、「ワシントン・ポスト」紙で記者を務めたデイヴィッド・E・ホフマン氏が浮き彫りにしています。
——1980年代初め、ソ連の指導部はある計画を検討し始めた。核攻撃を受け、「"すべての"指導者が失われ、正規軍の"すべての"指揮命令系統が破壊されても、依然として機能するシステム」である。
「反撃のチャンスを逸すること」を何よりも恐れ、「完全に自動化され、コンピューターによって動かされる報復システム」を本気で考えたのだった。
しかし、計画の途中で、修正が入る。
「いかなる人間的要素も一切関与しないまま機能する」システムへの抵抗感が拭えず、核ミサイル発射の判断を、深深度の地下壕に生き残った当直士官が下す方法に最終的に改められた——と(『死神の報復(上)』平賀秀明訳、白水社を引用・参照)。
かくして冷戦末期、人間の意思では止められない核反撃のシステムが構築されかけたのです。構想に終わったとはいえ、武器(核兵器)を手にしているために強く感じる恐怖が、渦を巻いて生み出そうとした"抑止の最終形態"だったのではないでしょうか。
昨年は、冷戦終結の扉を開く契機となった、レイキャビクでの米ソ首脳会談(86年10月)から30周年にあたりました。
米ソの中間にあるアイスランドの首都で会談を行うことを提案した、ソ連のゴルバチョフ書記長の脳裏には、その半年前のチェルノブイリでの原発事故を通して実感した、核戦争への深刻な懸念がありました。
一方のアメリカのレーガン大統領にも、核兵器による大量殺戮の脅しをもって平和を維持しようとする状態には耐えられないとの思いがあったといいます。
その深刻な懸念を両者が共に抱いていたからこそ、核全廃の合意にあと少しで手が届く所まで話し合いが進んだといえましょう。
最終合意には至らなかったものの、翌87年に中距離核戦力(INF)全廃条約が締結され、核軍縮の歯車が回り始めたのです。
今一度、アメリカとロシアがレイキャビクの精神を踏まえ、世界平和のために歩み寄るべき時を迎えているのではないでしょうか。
3月から始まる国連での交渉会議では、検討すべき課題の一つとして、事故や過誤などによる核兵器爆発の危険性を低下させ、除外するための措置が挙げられています。
冷戦時代からその危険性を何度も感じてきた米ロ両国が、首脳同士の対話を重ね、「高度警戒態勢」の段階的な解除とともに、大幅な核軍縮に向けて新たな一歩を踏み出すことを、強く呼び掛けたいのです。
◇広島と長崎の強い願いを共有
続く二つ目の提案は、唯一の戦争被爆国である日本が、その歴史的な使命と責任を深く自覚し、核保有国や他の核依存国を含めた多くの国々に、国連の交渉会議への参加を粘り強く働きかけることです。
近年、被爆地での外交会議の開催や、各国の要人の被爆地への訪問が相次ぐ中、核兵器の問題に関する重要なメッセージが繰り返し発信されてきました。
2014年4月、広島で行われた軍縮・不拡散イニシアチブの会合では、核依存国のオーストラリア、ドイツ、オランダなどの外相が被爆者の体験に耳を傾ける機会も設けられる中、核兵器の非人道的影響に関する議論は「核兵器のない世界という目標に向けた国際社会の結束した行動のための触媒であるべき」との宣言が発表されました。
また昨年4月には、広島でG7(主要7カ国)外相会合が開催されました。アメリカ、イギリス、フランスの核保有国と、ドイツ、イタリア、カナダ、日本の核依存国の外相らがそろって原爆ドームに足を運び、「核兵器は二度と使われてはならないという広島及び長崎の人々の心からの強い願いを共にしている」との宣言を採択しました。
そして昨年5月には、オバマ大統領が、現職の米大統領として初めて広島訪問を果たし、「私の国のように核を保有する国々は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければなりません」(朝日新聞取材班『ヒロシマに来た大統領』筑摩書房)と、演説を行ったのです。
私は、被爆地で議論を共に重ねてきた国々をはじめ、できるだけ多くの国々に、日本が核兵器禁止条約の交渉会議への参加を呼び掛けるよう訴えたい。
2年前の核拡散防止条約(NPT)再検討会議で、核保有国と非保有国との溝が埋まらず、最終文書の採択が見送られたように、今回の交渉会議も難航が予想されます。
しかし、NPTの重要性と、核兵器がもたらす壊滅的な結末への懸念は、どの国にも基本的に共有されたものであるはずです。
私は、その共通認識を足場に、核兵器を巡る議論の再構築を行うことが肝要ではないかと考えます。
この点、温暖化防止対策の転換点となったパリ協定の交渉の教訓は、重要な示唆を与えるものです。
パリ協定の交渉では、温暖化の原因や対応に関する責任論に終始するのではなく、どの国にとっても望ましい未来像となる「低炭素社会」のビジョンを掲げて、共にその実現を目指すことに照準を合わせる努力が行われました。そうした中で、合意への突破口が開かれたのです。
核兵器の問題についても同様に、生産や移転、威嚇や使用などを規制する条約づくりを、どの国にも核兵器による惨劇を絶対に引き起こさないための"地球的な共同作業"と位置づけ、そのビジョンに基づく歩み寄りを真摯に模索すべきではないでしょうか。
◇NPTの討議と連動性の確保を
NPTは、前文にある通り、核戦争は全人類に惨害をもたらすとの認識に立って、「諸国民の安全を守る措置」の必要性に基づき、制定されたものです。
この本旨に照らせば、交渉会議で討議される核兵器禁止条約と、立脚点に違いはありません。
核兵器禁止条約はNPTに取って代わるものではなく、完全な核軍縮に向けて誠実に交渉を行うことを定めたNPT第6条を具体化し、NPTの強化につながるものなのです。
その意味で大切なのは、それぞれの国が抱えている"安全保障上の懸念や防衛上の課題"と、"核兵器のない世界を実現するための方途"が交差する点はどこにあるのかを、より多くの国の参加による議論を通じて浮かび上がらせていくことだと思います。
5月には、2020年のNPT再検討会議に向けた第1回準備委員会が、ウィーンで開催されます。
準備委員会でNPT第6条の核軍縮義務に焦点を合わせた討議を行う中で、互いの国が抱える安全保障上の懸念に向き合い、懸念を共に取り除くにはどんな行動が必要となるのかについて意見を交換していく。
その上で、6月以降の核兵器禁止条約の交渉会議での議論につなげていくことが、どの国にとっても有益ではないでしょうか。
NPTの討議との連動性を確保し、立場が異なる国の間の溝を埋める努力を重ねてこそ、禁止条約の交渉は建設的なものになるに違いないと思うのです。
核兵器の問題は、国連創設当時から70年来の重要課題であり、いよいよ始まる禁止条約の交渉もかなりの困難が予想されます。
しかし、こうした真摯な対話を粘り強く続けていけば、「核兵器のない世界」への流れを後戻りできない確かなものへと押し上げていくことができると、私は信じてやみません。
交渉会議の後には、来年までに国連で「核軍縮に関するハイレベル会合」を開催することも決まっています。
核兵器禁止条約を何としても締結に導き、大幅な核軍縮、さらには核廃絶へのプロセスを始動させる機運を高めていくべきではないでしょうか。
◇集団の論理を離れ人間の思いに立脚
次に、三つ目の提案として述べたいのは、交渉会議に向けて市民社会で多くの声明を出し合い、それらを「核なき世界の民衆宣言」として核兵器禁止条約の礎石にしていくことです。
市民社会の役割——それは、国境を超えて全ての人々に深く関わる性質を持ちながらも、国家単位の政策議論にとどまりがちな課題に対し、その議論を"人間化"して問題の所在を浮き彫りにし、グローバルな行動の連帯を力強く形づくることにあります。
核兵器の問題では、1955年7月に科学者らが発表した「ラッセル=アインシュタイン宣言」=注5=が、その嚆矢でした。
「私たちは、一つの集団に対し、他の集団に対するよりも強く訴えるような言葉は、一言も使わないようにこころがけよう」
「私たちは、人類として、人類にむかって訴える——あなたがたの人間性を心にとどめ、そしてその他のことを忘れよ、と」(久野収編『核の傘に覆われた世界』平凡社)
この一節が象徴するように、宣言を貫くのは国家や民族などの"集団の論理"ではなく、"人間としての思い"でした。
ゆえに、核兵器を国ごとの問題とするのではなく、「自分自身や子どもや孫たち」に直接関わる問題として提起したのです。
96年7月に国際司法裁判所で、核兵器の威嚇と使用に関する勧告的意見が示されたのも、「世界法廷プロジェクト」のような市民社会の強い働きかけがあったからでした。
審理にあたり、40の言語、約400万人による「市民の良心宣言」が提出される中、核兵器の威嚇と使用は国際法に一般的に違反するとした上で、全ての面での核軍縮を導く交渉を誠実に行い、完結させる義務があると明記した勧告的意見が示されたのです。
時を経て、核兵器禁止条約の交渉会議の開催が決定した今、会議を力強く支持する市民社会の声を届け、禁止条約を"民衆の主導による国際法"として確立する流れをつくり出すべきではないでしょうか。
◇人類に意味と活力を与える力
今回の国連での交渉会議は、核問題の解決を求める国々の外交努力もさることながら、広島と長崎の被爆者をはじめとする世界のヒバクシャ、科学者や医師、法律家や教育者、また宗教者など、さまざまな分野の人々と団体が行動を積み重ねる中で、実現への道が開かれたものでした。
こうした人々や団体の思いを、それぞれ声明にし、会議に寄せる形で「核なき世界の民衆宣言」の裾野を広げる。また、核兵器禁止条約の意義を草の根レベルで語り合う機会を設け、賛同の輪を拡大する——。
その行動の一つ一つが、国連決議が呼び掛ける「市民社会代表の参加と貢献」につながり、禁止条約の礎石になると思うのです。
核保有国や核依存国を含め、各国の民衆の間で、核兵器のない世界を求める声が根強い状況を目に見える形で示すことは、禁止条約の実効性と普遍性を高める"かけがえのない支え"になるに違いありません。
そうした民衆の声は、決して少なくないはずです。
例えば、核廃絶を求める「平和首長会議」に加盟する都市は、162カ国・地域、7200以上に及び、核保有国や核依存国の都市も多く含まれています。
かつて広島市に自らの彫刻を寄贈した人権活動家のエスキベル博士が、平和とは「人類に意味と活力を与える力」であらねばならないと、強調していたことを思い起こします(『人権の世紀へのメッセージ』東洋哲学研究所)。
果たして、核兵器に依存しなければ維持できないといった安全保障に、その力が宿っているといえるでしょうか。
「人類に意味と活力を与える力」は、"あらゆる差異を超えて生命の尊厳を共に守り合う世界を築く"という民衆の誓いが生み出す平和にこそ、力強く脈打つと確信するのです。
私どもSGIは、戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」を原点に平和運動を進める中、2007年から「核兵器廃絶への民衆行動の10年」と題する活動を展開してきました。
核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)と共同制作した「核兵器なき世界への連帯——勇気と希望の選択」展を各国で開催してきたほか、核軍縮の誠実な履行を求める運動「ニュークリア・ゼロ」に賛同し、2014年に500万を超える署名を集めました。
また、昨年の核軍縮に関する国連公開作業部会に寄せた「核兵器の非人道性を憂慮する宗教コミュニティー」の共同声明の作成に協力するとともに、国連総会第1委員会にも、同コミュニティーとしての共同声明を提出しました。
2015年8月には、他の団体と協力して「核兵器廃絶のための世界青年サミット」を広島で開催し、それを機に、核廃絶を求める世界の青年の国際ネットワーク「アンプリファイ」が昨年発足しています。
そして今年は「原水爆禁止宣言」60周年を記念し、宣言発表の地・神奈川で「青年不戦サミット」を行うことになっています。
こうした10年にわたる一連の取り組みを支えてきた思いは、SGIが国連公開作業部会に提出し、国連文書となった作業文書の次の言葉に凝縮しています。
「核兵器は、人間生命を無意味なものとし、希望をもって未来に目を向けるという、私たちの能力の発揮を妨げている」
「核兵器の根源的な問題は、他者を徹底的に否定するところにある。それは、人間性の否定であり、平等であるはずの幸福への権利や、生命への権利の否定でもある」
「核軍縮への挑戦は、核保有国だけでなく、全ての国家を含みつつ、市民社会の十分な関与を得た上での、地球的な共同作業でなければならない」
3月から国連で始まる交渉会議を「地球的な共同作業」を生み出す場とするために、他の団体と協力し、市民社会の声の結集に全力で取り組むことを固く決意するものです。
◇家族を守るために日々迫られる選択
続く第二のテーマは、難民の人々が生きる希望を取り戻すための支援です。
近年、紛争や迫害によって生まれ故郷や住み慣れた場所を追われる人々が急増し、その数は6530万人にのぼります。
中でも、6年に及ぶシリアでの紛争に伴う人道危機は極めて深刻です。30万人以上が命を失い、恐怖と欠乏のために人口の半数以上が避難生活を強いられ、480万人が国外に逃れざるを得ませんでした。
こうした中、国連のグテーレス事務総長は、就任前の昨年10月、国連で最も対応に急を要する優先課題は「平和に関するものになる」とし、「人間の苦難をあらゆる次元で和らげる最善の方法は、平和のための外交の活性化である」と訴えました(国連広報センターのウェブサイト)。
先月30日、シリア全土での停戦合意が発効し、国連安全保障理事会も支持する決議を採択して停戦の順守を呼び掛けましたが、このまま内戦が鎮静化するかどうか、予断を許さない状況が続いています。
国連の支援で来月に開催予定の和平協議の場などを通じて、難民高等弁務官を長らく務めたグテーレス事務総長が率いる国連と、関係国が連携し、シリア紛争を一日も早く終結させることを願ってやみません。
この外交努力と並んで、グテーレス事務総長が重要課題と位置づけているのが、「恐ろしい紛争を逃れ、保護を必要としている人々との全面的な連帯を確保すること」(同)です。
昨年5月にトルコのイスタンブールで行われた国連の世界人道サミットで焦点となったのも、このテーマでした。
開幕式でも提起されていたように、紛争によって突然、生活を破壊された人々は、来る日も来る日も厳しい選択を迫られていることに、思いをはせる必要があります。
爆撃の危険を常に感じる中で住み慣れた場所の近くにとどまるのか、それとも、家族を引き連れて長い道のりを移動し続けるのか。
海を渡る途中で命を落とす恐れがあるのを承知の上で、一縷の望みを託して船に乗るのか、それとも踏みとどまるのか。
避難生活の中で子どもが病気になった時、限られた所持金の中で家族のための食料を買うのか、子どもの薬を買うのか——。
先の見えない苦境に立たされているのは、生まれ育った環境や歩んできた人生は違っても、私たちと変わらない人間であることを忘れてはならないのです。
◇レジリエンスを共に高める活動
市民社会の代表も数多く参加した世界人道サミットでは、人道と開発の取り組みを切り離さずに進めることや、難民の人々と受け入れ地域のレジリエンス(困難を乗り越える力)を高める重要性などが確認されました。
レジリエンスの強化は、私どもSGIが、「誰も置き去りにしない」世界を築くための柱として考えるもので、サミットで初開催した人道展「人間の復興——一人一人がつくる未来」でも強調した点です。
そこで私は、受け入れ地域のレジリエンスを向上させるために、難民の人々がSDGsの課題に関わる仕事などに共に携わることのできる道を開く「人道と尊厳のためのパートナーシップ」の枠組みを設け、国連を中心に推進することを提案したいと思います。
現在、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が支援する難民の86%は、紛争地域の周辺にある途上国に集中しています。
そうした国々は、貧困や保健衛生をはじめとするSDGsの課題に直面する一方、難民の受け入れに伴う問題も抱え、厳しい状況に置かれています。その打開には、サミットで確認されたように、人道と開発の取り組みを包括的に進めることが重要になります。
国連開発計画(UNDP)がエチオピアで進めてきたプロジェクトは、その一例ともいえましょう。
エチオピアでは、周辺国での相次ぐ紛争の影響で73万人もの難民を受け入れる中で、昨年、30年に一度といわれるほどの最悪の干ばつに見舞われました。そこでプロジェクトでは、自然資源の管理やインフラの復旧支援とともに、地域住民と難民との共存を図る活動に力を入れ、危機の悪化を防いできたのです。
難民が増加の一途をたどる状況下で、受け入れ国の安定と発展なくして、難民の人々の生活を安定させることはできません。
また、SDGsの課題を抱える点では、先進国や新興国も同じです。
SDGsの達成に向け、食糧危機を防ぐための持続可能な農業をはじめ、再生可能エネルギーの導入に関わる仕事や、医療と保健衛生に携わる仕事など、さまざまな仕事が必要になると見込まれています。
国際労働機関(ILO)のガイ・ライダー事務局長は昨年、難民の人々にとっての仕事の重要性を踏まえて、難民のための「ニューディール」の考案を呼び掛けました。
私は、その一つの形として人道と開発をつなげ、難民の人々がSDGsに関わる仕事に携われるよう、国連と各国が協力し、技能習得や就労研修の機会を積極的に設けていってはどうかと提案したいのです。
◇受け入れ国での経験を復興の糧に
人間にとって仕事は、生活を支える経済的な糧となる大切なものです。そして同時に、生きがいの源泉となり、自分が生きている証しを社会に刻む営みでもあります。
仕事の確保は「社会正義の実現」に不可欠の要素と訴える、シドニー平和財団のスチュアート・リース前理事長も、私との対談で、こう強調していました。
仕事がない状態は、「何かを達成する満足を感じながら、もしくは社会に貢献しながら自身の生計を立てるという人間的感覚」を否定し、「人間の尊厳を根源から脅かす問題」になる、と(『平和の哲学と詩心を語る』第三文明社)。
その際、話題になったのが、1929年の世界恐慌による大量失業を解決するために、アメリカのルーズベルト大統領が始めたニューディール政策でした。
そこでは、ダムの建設事業に加え、国立公園の保全や植林をする市民保全部隊も結成され、部隊には約10年間で延べ300万人もの若者が従事しました。
20億本以上の木が植えられたほか、各地の国立公園の整備が進んだのです。
その仕事は、多くの若者にとって、社会や人々のために役立っているという"手応え"や"誇り"に直結するものでした。それだけでなく、整備された国立公園や森林は、現在にいたるまで生物多様性や生態系の保全に貢献し、温室効果ガスの吸収などの面でも役立っているのです。
こうした事例なども踏まえながら、難民の人々が仕事の機会をより多く得ることができ、SDGsの前進も後押しするような枠組みを検討すべきではないでしょうか。
「多様性」と「尊厳」守り合う社会へ
◇人権教育に関する条約を制定
何より、難民の人々は多くの苦しみや悲しみを味わってきたからこそ、さまざまな問題に苦しむ人々の力になれる存在です。
また、紛争が終結して帰国を果たせた時には、受け入れ国でのSDGsに関わる仕事の経験が、生まれ育った国の復興と再建の大きな原動力になっていくに違いありません。
折しも昨年9月、難民と移民に関する国連サミットで、「難民に関するグローバル・コンパクト」という新たな規範を来年に採択することが合意されました。
過去最大の人道危機となった難民問題の解決なくして、世界の平和と安定はなく、「誰も置き去りにしない」とのビジョンを掲げるSDGsを本格的に進めることもできません。
先のエチオピアでのプロジェクトなどを支援してきた日本が、国連が重視する「人道と開発をつなぐ活動」に今後も力を入れていくことの意義は大きいのではないでしょうか。
国連サミットの翌日に、オバマ大統領が主催したリーダーズ・サミットで、日本は、紛争の影響を受けた約100万人に教育支援や職業訓練を実施するほか、今後5年間で最大150人のシリア人留学生を受け入れることを表明しました。
そうした取り組みを基盤に、SDGsの推進につながる技能習得や就労研修の機会を設けるなど、「人道と尊厳のためのパートナーシップ」の先駆けとなる活動を積極的に進めてほしいと念願するものです。
◇大学の社会的使命
また、これに関連し、世界の大学が国連と連携して、難民の若者たちが教育機会を少しでも得られるよう、さまざまな形で後押しすることを呼び掛けたい。
7年前に始まった国連と世界の大学を結ぶ「国連アカデミック・インパクト」の取り組みには、120カ国以上の1000に及ぶ大学が加盟しています。
それらの大学が研究するテーマは、地球的な課題のほとんどを網羅しており、こうした世界の大学が持つ力を人類益のために発揮することが期待されます。
歴史を振り返れば、前半で触れた、貧困に苦しむ人々のためのトインビー・ホールの活動を担ったのも、移民が尊厳を取り戻す支えとなったハル・ハウスで教育活動を行ったのも、大学の関係者たちでした。
大学には、社会の"希望と安心の港"としての力が宿っているのです。
その意味で、世界の大学が地球的な課題をめぐる研究での貢献とともに、出張講義や通信教育を含め、難民の若者の教育機会をさまざまな形で支えていくことの意義は、極めて大きいと思えてなりません。
私が創立した創価大学も、昨年5月、UNHCRと「難民高等教育プログラム」の協定を結び、今春から難民の留学生を受け入れることになっています。
昨年のリオデジャネイロ・オリンピックに出場した難民選手団の一員で、シリア出身のユスラ・マルディニ選手は、同じ難民の人たちに向けて次のような言葉を語っています。
「どんな困難も、嵐のような辛い日々も、いつかは落ち着く日が来る。難民になっても、夢や、やりたいと願っていたことをあきらめないで欲しい」(UNHCR駐日事務所のウェブサイト)
紛争のために住み慣れた家を離れざるを得なくなり、見知らぬ場所で暮らすことになった難民の人々にとって、人間らしい生活の実感や、生きる希望の手応えを感じられるのは、仕事に就くことや教育の機会を得ることを通してではないでしょうか。
国連が採択を目指す「難民に関するグローバル・コンパクト」では、この仕事や教育の重要性を踏まえた内容を盛り込むことが大切ではないかと思います。
難民問題を解決する道は、難民の人々が安心と希望と尊厳を取り戻す中でこそ、大きく開いていくことができるからです。
◇暴力的過激主義をどう食い止めるか
最後に第三のテーマとして、「人権文化」の建設に関する提案を行いたい。
世界で今、長引く紛争や内戦に加えて、深刻な脅威となっているのが、相次ぐテロや暴力的過激主義の高まりです。
生きる意味や人生の希望を見いだせなくなった若者たちが、暴力的過激主義に引き込まれてしまう状況もみられます。
私が創立した戸田記念国際平和研究所は昨年11月、こうした暴力的過激主義の蔓延を防ぐための研究会議を、アメリカのイースタン・メノナイト大学で開催しました。
「処罰こそ暴力を防ぐ手段」との認識が各国で広がる中で、その有効性や課題について各地の事例を通して検証するとともに、緊張が続く地域で平和構築を進めるには何が必要かを探る会議となりました。
そこで焦点となったのは、暴力的過激主義が広がる背景に目を向け、予防に力を注ぐこと——つまり、人々の意識を暴力的な手段によらない問題解決の方向へ向ける努力を、社会に組み込むことの重要性です。
私は、その鍵を握るのが、人権教育の推進だと考えます。
昨年は、「人権教育および研修に関する国連宣言」の採択5周年にあたりました。
人権教育の国際基準を初めて定めた宣言で、SGIも起草段階から市民社会の声を届け、制定の支援をしてきたものです。
昨年9月に国連人権理事会で、宣言の採択5周年を記念する政府間会議が行われた際には、SGIの代表も参加しました。
席上、国連のケイト・ギルモア人権副高等弁務官は、各地で憎しみや暴力が広がる一方で、人権教育を通し、人々の行動を鼓舞する動きが見え始めていることは良いニュースであるとし、こう訴えました。
「人権教育は、私たちの個々の多様性を超えて、私たちの共通の人間性を育みます。それはオプションの追加でも、習慣化された義務でもありません。人間にとって根源的なことを教えてくれるものなのです」
人権教育の真価がどこにあるかを物語る言葉であり、私も深く共感します。
◇18億人の若者の大きな潜在力
政府間会議では、人権教育を通して一人の少女の身に起こった変化などの事例が紹介されました。
——一人の少女が、学校で人権教育を受け、自分の尊厳について深く考えるようになった。
以来、彼女の心に、自分の未来に対する自信と強さが宿り、周囲の状況に左右されることなく、彼女自身が変わっていった。
人権を踏みにじられる犠牲者ではなく、周りの人々の人権を守る存在になりたいと願うようになった——という話です。
ギルモア副高等弁務官は、こうした少女の姿こそ「人権意識の驚くべき力」を示すものであり、「教育こそ変革の促進剤」と強調しました。人権教育には、限りない力と可能性が秘められているのです。
私は、この変革の波をあらゆる場所で広げるために、人権教育に関する宣言を基盤に、「人権教育と研修に関する条約」の制定を目指し、実施手段の強化を図ることを提案したい。
世界人権宣言の採択から70周年を迎える来年を機に、例えば、「人権教育に関する国連と市民社会フォーラム」のような場を設けるなどして、条約制定に向けての議論を高めていってはどうでしょうか。
世界には、10歳から24歳までの若い世代が、18億人いるといわれています。
こうした若い世代が、暴力や争いではなく、人権を守る方向へと心を向けていくことができれば、人権教育に関する宣言が掲げる「多元的で誰も排除されない社会」への道は、大きく開けていくはずです。
その原動力となる人権教育を、各国で持続的に進めるためには、法律や教育プログラムを整備した上で、実施状況を定期的に評価し、改善する制度を設ける必要があります。
政府間会議で私どもSGIが、市民社会ネットワーク「人権教育2020」を代表する形で訴えたのも、その点でした。
世界人権宣言に始まる国際的な人権保障は、人権の規範設定や保護規定に続き、人権侵害の救済制度に力が注がれてきました。
そして今、焦点となっているのが、互いの多様性を大切にし合い、互いの尊厳を共に守り抜く「人権文化」を、社会に根付かせていくことです。
SGIでは、国連機関や関係団体の協力を得て、2月末からの国連人権理事会の会期にあわせて、新しい人権教育展示を開催する予定です。
この新展示などを通し、市民社会の側から「人権文化」建設の輪を力強く広げていきたい。そして、他のNGOと連携し、「人権教育と研修に関する条約」の制定に向け、国際世論を喚起したいと思います。
◇安保理で起きた歴史的な大転換
結びに、「人権文化」の建設に深く関わる、ジェンダー平等の重要性について論じたいと思います。
ジェンダー平等とは、男女の差別なく、平等な権利、責任、機会を保障することです。国連機関のUNウィメンが強調するように、その主眼は、多様性を認識し、女性と男性の双方の関心やニーズを共に大切にする社会を築く取り組みにあります。
SDGsでは、ジェンダー平等を達成し、あらゆる場所における、あらゆる形態の差別を撤廃するとの目標を打ち出しています。
その重要性への認識の広がりを裏付けるように、ジェンダー平等が焦点となった昨年3月の「国連女性の地位委員会」には、過去最多となる80カ国以上の大臣と約4100人の市民社会の代表が集いました。
私どもSGIでも、代表が参加するとともに、並行行事として「SDGs達成への道を開く女性のリーダーシップ」と題するフォーラムを開催しました。
そこで確認したのは、ジェンダー平等が重要な人権問題であると同時に、その取り組みの前進がSDGsの全ての目標の前進につながるとの認識です。つまり、前半で言及した、SDGsの取り組みを包括的に進める「ネクサス(関係)アプローチ」の中軸を担うのが、ジェンダー平等であるということです。
各国がジェンダー平等の重要性に対する認識で一致をみたのは、1995年の第4回世界女性会議にさかのぼります。その後、転機となったのが、2000年10月に国連安全保障理事会で採択された「1325決議」=注6=でした。
平和と安全保障に関わる取り組みに女性が平等かつ全面的に参加できるよう、具体的な措置をとることを促した決議です。
採択に尽力したアンワルル・チョウドリ元国連事務次長が語っていましたが、決議を実現に導いた背景には、女性の役割に関する「概念的、政治的大転換」があったといいます。
同年3月の国際女性デーに安保理が出した声明で、平和とジェンダー平等が不可分の関係にあると明記されたことで、「戦争や紛争の無力な被害者」とみなされてきた女性に対し、「平和と安全保障の維持と推進には不可欠」との認識の転換が図られた、と(『新しき地球社会の創造へ』潮出版社)。
そして、この転換が「1325決議」として結実し、和平プロセスなどに女性が参加する道が明確に開かれたのです。
◇国連憲章を巡って女性が上げた声
2年前には、決議の実行状況を振り返った国連の文書が発表されました。
女性が関わった和平交渉は合意に達しやすく、持続性も高いことが明らかになったほか、国連の平和維持活動でも女性要員が現地の人々の信頼を得る上で重要な存在になっていることが報告されています。
現在、SDGsの達成に向け、各国でジェンダー平等に関する政策の検討や実施が始まっていますが、大切なのは、「1325決議」を導いた認識の転換を顧みること——つまり、女性は無力な存在ではなく、その力の発揮が欠かせないとの認識に基づき、社会を組み直していく視点ではないでしょうか。
この点、エマソン協会元会長で女性学に造詣が深いサーラ・ワイダー博士も、「いかなる人であれ、人の下座に置かれることを強いられてはなりません。誰もが"隣り合わせ"に座り、耳を傾け、語り合い、互いの持てる力や存在を尊重し合うべきではないでしょうか」(『母への讃歌』潮出版社)と、私との対談で強調していました。
最近の研究で、国連の誕生時において、国連憲章に人権保障の中核をなす一節を組み入れる貢献をしたのが、女性たちだったことが浮き彫りにされています。
1945年、サンフランシスコで国連憲章の制定会議が開かれた時、各国の代表団から、人権に関する規定を盛り込むことを求める意見が相次ぎました。その際、単なる"人間の権利"といった表現では不十分であると声を上げたのが、中南米諸国などから参加していた女性たちでした。
こうした中で、憲章前文での男女同権への言及や、性による差別なく人権を尊重する規定(第1条3項)に加えて、国連の全機関で男女が平等に参加する資格があること(第8条)が明記されたのです。
◇法華経に描かれた竜女の尊極の姿
このような国連誕生時のエピソードを知るにつけ、胸に浮かぶのは、仏教の精髄である法華経で「万人の尊厳」を説く中、それを現実のものにした具体的な姿として「女性の尊厳」が描かれていることです。
——釈尊が、いかなる人々にも尊極の生命が具わっているとの「万人の尊厳」の法理を説き明かし、重要な話は聞き終えたと思った智積菩薩が、その場から去ろうとした。
釈尊の勧めで、文殊師利菩薩と対話をすることになった智積は、わずか8歳の少女(竜女)が尊極の生命を輝かせて、人々に対する深い慈愛の念を持っているとの話を聞かされる。
にわかに信じられずにいた智積の前に、竜女が姿を現すが、釈尊の弟子である舎利弗も、まだ幼い彼女の姿を見て、本当にそんなことができるのかとの思いを拭えなかった。
竜女は尊極の生命の証しである宝珠を釈尊に手渡した上で、舎利弗に対し、自分の本当の生命の輝きを見てほしいと叫ぶ。
そして、竜女が人々のために尽くす姿を実際に目にした舎利弗と智積は、文殊の話が真実であると確信するにいたった——と。
私は、この場面には、「万人の尊厳」といっても、抽象的な理解だけでは完結しえないことが示されていると感じます。
また日蓮大聖人が、竜女の叫びの核心は、「舎利弗竜女が成仏と思うが僻事なり、我が成仏ぞと観ぜよ」(御書747ページ)との思いにあると強調したように、竜女の尊厳と舎利弗の尊厳は、決して別のものではありません。竜女の尊厳(女性の尊厳)に照らされて、その実感を通し、舎利弗の尊厳(男性の尊厳)も浮かび上がっているのです。
つまり法華経では、「女性の尊厳」が現実に示されたことで、「万人の尊厳」が真に内実を伴うものとして結晶しています。
現代の人権についても、女性の権利の重要性が国連憲章に刻まれたからこそ、国連に人権の精神が鮮明な形で宿るようになったのではないでしょうか。
国連憲章の制定会議で声を上げた女性たちの思いも、女性の権利を大切にしなければ、"人間の権利"を大切にする社会は築けないとの一点にあったに違いないと思うのです。
UNウィメンでは現在、ジェンダー平等の推進の輪に、積極的に男性も加わることを呼び掛ける、「HeForShe(ヒー・フォー・シー)」のキャンペーンを進めています。
自由と権利を得られずにいてよい人間などなく、自由と権利を求める行動において差異による区別を設けてはならないはずです。
ジェンダー平等の目的——それは男女を問わず、全ての人々が尊厳の光を自分らしく輝かせていける道を、皆で大きく広げていくことにあるのです。
私どもSGIは青年を中心に「人権文化」を担う民衆の連帯を強めながら、「誰も置き去りにしない」世界を築く希望の暁鐘を、力強く打ち鳴らしていきたいと思います。
2017年2月7日火曜日
2017.02.07 わが友に贈る
いかなる労苦も喜びに!
全てプラスに転じるのが
信仰者の生き方だ。
その原動力こそ信心だ。
"朗らか王"で進もう!
日女御前御返事 P1244
『此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり』
☆女性に贈ることば 二月七日
失敗しても、叱るより「今回は、あなたらしくなかったね」と言ったほうがいい。
壁を乗り越える自信と、乗り越える喜びを伝えてあげたい。
☆今日のことば365 二月七日
一冊の本のなかに、ひとつの世界があり、いろんな人生があります。人間一人が、実際に、自分で体験できる人生は、ひとつしかありませんが、読書は、あらゆる人生体験を教えてくれるのです。人は、一冊の本を読むごとに、人生を、より豊かにしていくことができるのです。
☆第42回「SGIの日」記念提言� 池田大作 2017年1月26日
私の師である創価学会の戸田城聖第2代会長が、「原水爆禁止宣言」を発表してから、今年で60周年になります。
牧口常三郎初代会長と共に、平和と人道のために戦い抜いた戸田会長の思想の柱は、仏法が説く生命尊厳の哲学に根差した「地球民族主義」にありました。
どの国で生まれ、どの民族に属そうと、誰一人、差別したり、踏み台にしたり、犠牲にすることがあってはならない——。
それは今思えば、「誰も置き去りにしない」という、国連が現在、国際社会を挙げて成し遂げようと呼び掛けているビジョンとも響き合う思想にほかなりませんでした。
その強い思いがあればこそ、戸田会長は、世界の民衆の生存権を根源から脅かす核兵器を"絶対悪"であるとし、核兵器禁止の潮流を民衆の連帯で築き上げることを、訴えずにはいられなかったのです。
1957年9月8日、台風一過の秋空の下、横浜・三ツ沢の競技場で5万人の青年らを前に叫ばれた、「いやしくも私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」(『戸田城聖全集』第4巻)との言葉は、今も耳朶を離れることはありません。
以来、私どもは、志を同じくする人々や団体と連携しながら、核兵器の禁止と廃絶を求める運動を重ねてきました。
時を経て、核兵器の非人道性に対する認識が国際社会で幅広く共有される中、先月の国連総会で、核兵器禁止条約の交渉開始を求める歴史的な決議が採択されました。
3月からニューヨークの国連本部で始まる交渉会議を通し、核時代に終止符を打つ道が開かれることを強く願ってやみません。
世界では今、こうした核兵器の問題をはじめ、相次ぐ紛争や急増する難民など、多くの課題が山積しています。
しかし私は、人類の行く末を悲観する必要はないと考えます。
なぜなら、青年の数だけ希望があり、未来があると固く信じるからです。
確かに、昨年からスタートした国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」において、最も配慮すべき存在の筆頭に、子どもと若者が挙げられているように、その多くが貧困や格差などの厳しい状況に直面している現実があります。
しかし一方で、平和構築における青年の役割を強調した安全保障理事会の「2250決議」をはじめ、若い世代の力に着目した動きが国連で相次いでいます。
SDGsを定めた国連の「持続可能な開発のための2030アジェンダ」では、若者を"変革のための重要な主体"と位置づけ、その力の発揮に期待を寄せていますが、まさに私の確信もそこにあるのです。
青年の存在と活躍こそ、地球的問題群を解決する原動力であり、2030年に向けた国連の挑戦の生命線である——と。
そこで今回は、「青年」に焦点を当てながら、SDGsが目指す"平和で公正かつ包摂的な社会"を築くための方途について論じたいと思います。
◇地球温暖化防止の「パリ協定」が発効
第一の柱は、「同じ地球で共に生きる」との思いに立った連帯を、青年を中心に広げることです。
昨年11月、地球温暖化防止の新たな国際枠組みとなるパリ協定=注1=が発効しました。
4月の署名式で175カ国・地域が一斉に調印を果たす中、協定の採択(2015年12月)から1年たらずで発効するという画期的なスピードです。長らく不可能と言われてきたことが、今では世界中の国々で協力して臨もうとする流れに変わってきたのです。
潮目の変化が生じたのは、異常気象や海面上昇など、気候変動の影響が次々と目に見える形で現れ、どの国にとっても喫緊の課題であるとの「認識の共有」が進んだことが大きかったと思われます。
貧困の解消をはじめとする17の分野、169項目に及ぶSDGsの目標を前進させるには、温暖化防止対策のような「認識の共有」に基づく行動の連帯を、あらゆる分野で築いていかねばなりません。
SDGsの多岐にわたる目標を前にして、達成を危ぶむ声もあります。
しかし、目標の数の多さは、それだけ大勢の人が深刻な問題に直面していることの証左であり、どれ一つとしてそのままにしてよいものではないはずです。紛争にしても災害にしても、直接的な被害に加えて人々を苦しめるのは、"自分たちのことが見過ごされているのではないか"との思いではないでしょうか。
焦眉の難民問題についても、昨年5月の世界人道サミットに続き、難民と移民に関する国連サミットが9月に行われましたが、国際協力は思うように進んでいません。
その現状に対し、国連のアントニオ・グテーレス新事務総長は就任決定直後(昨年10月)のインタビューでこう述べました。
「こうした動きを逆転させ、難民保護を本来のグローバルな責任として受け入れてもらえるよう、全力を尽くしていきます。それは単に、難民条約に盛り込まれているだけではありません。全世界のあらゆる文化や宗教にも深く根づいた理念です。イスラム教にも、キリスト教にも、アフリカを含む各地にも、そして仏教やヒンズー教にも、難民を保護するという強い意識が見られます」(国連広報センターのウェブサイト)
グテーレス事務総長が訴える通り、難民問題への対応を強化することが急務であり、しかも、そのための精神的な基盤は、さまざまな形で世界に息づいているものなのです。
ゆえに大切なのは、どれだけ問題が大きく、解決が困難であろうと、互いに連帯しながら、人々のためにできることを積み上げていくアプローチではないでしょうか。
◇釈尊の教えを貫く応病与薬の励まし
仏教の出発点も、人々の苦しみを一緒になって乗り越えることにありました。
釈尊は、後に八万法蔵と呼ばれるほどの多くの教えを残しましたが、その大半は、目の前にいる人々の悩みや苦しみと向き合う中で語られたものでした。
釈尊は、教えを説く対象を限定することなく、「われは万人の友である。万人のなかまである」(『仏弟子の告白』中村元訳、岩波書店)との信念のままに、行く先々で出会ったさまざまな人々に法を説いたのです。
釈尊の評伝を綴った哲学者カール・ヤスパースも、「仏陀の出現は知識の教師としてではなく、救済の道の告知者としてなのである」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)と記しています。
「救済の道」との表現はインド医学の用語を踏まえたものであるとヤスパースは述べていますが、まさに釈尊の説法の底流にあったのは、病気になった人に最も適した薬を施すような"応病与薬"の励ましだったといえましょう。
釈尊は、仲間になった弟子にも、「比丘たちよ、遊行せよ、多くの人々の福利のために、多くの人々の安楽のために」(『原始仏典』第1巻、畝部俊英ほか訳、講談社)と、声をかけました。
民族や社会的階層の隔てなく、悩める人々の所に足を運ぶ実践を重ねた釈尊と弟子たちは、「四方の人」と呼ばれたのです。
釈尊には、生命の尊厳に対する深い確信がありました。全ての人に尊極の生命が具わっており、厳しい環境にあっても生命に具わる可能性を開花させることができるとの確信です。
当時の社会では、自分の今の姿や未来は、過去からの宿命で一切が定められ、変えることはできないと説く「宿命論」が支配的である一方で、人間生活の出来事には特別な原因や条件はないとする「偶然論」の思想も説かれていました。
「宿命論」の思想は、どれだけ努力しても運命は変えられず、自分の境遇をただ受け入れるしかないとのあきらめを植え付け、人間の心から希望を奪い去るものでした。
また「偶然論」も、どんな行いをしようと結果には関係ないと考えるために、人生を無軌道にしてしまうばかりか、他の人々を傷つけても意に介さない状態を招きました。
釈尊は、こうした呪縛や悪弊などから人々を解き放つため、「生れを問うことなかれ。行いを問え。火は実にあらゆる薪から生ずる」(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店)と呼び掛けました。
人生は全て動かし難いものと決定づけられているのではなく、今この瞬間の「行い」で切り開くことができると説いたのです。
仏教では、自らの一念の変革によって、未来の結果(果)につながる今現在の状態(因)そのものを変えることができると訴えるとともに、原因と結果の関係を方向づける「縁」の重要性を提起しています。
つまり、「因」が同じでも、そこにどのような「縁」が結びつくかによって、一人一人に現れる「果」は異なってくる、と。
この視座に立って、生命の尊厳と可能性への確信を抱きながら、生きる希望を失いかけた人に寄り添い、共に前へ進もうと励ます生き方を、仏教は促しているのです。
◇内なる力引き出すエンパワーメント
大乗仏教では、自他共の幸福を目指す生き方を「菩薩」と名付け、維摩経には、その精神を象徴する言葉が記されています。
「疾病の(多い)中劫にあっては、彼は良質の薬となり、それによって人々は解脱し、諸病もなく幸福になる。
飢饉の(多い)中劫にあっては、食物や飲み物となり、飢えと渇きとを除いて、人々に法を説く。
武器の中劫にあっては、彼らは慈愛心を修め、多くの衆生、幾百幾万の衆生を、憎悪のないところへおちつける」(長尾雅人訳、『大乗仏典7 維摩経・首楞厳三昧経』所収、中央公論新社)と。
「四苦」と呼ばれる生老病死の悩みを抱える人々への励ましはもとより、社会で深刻な問題が起きた時、「一切衆生の病を以て是の故に我病む」との維摩経の文のごとく、脅威が自分に及んでいようといまいと、同苦の心で、今いる場所から行動を起こしていく。
その行動は、維摩経の「無尽燈」の法門=注2=のように、目の前の一人を希望の光で照らすだけでなく、尽きることのない輝きをもって周囲や社会をも明るく照らし出していくと、仏教は説きます。
私どもSGIが、国連の活動を支援し、地球的問題群の解決を目指す行動を続けてきた基底にあるのも、この「菩薩」の精神にほかなりません。
これまで難民救援活動の支援や、災害時の復興支援などにも取り組んできましたが、活動の柱として最も重視してきたのは、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント(内発的な力の開花)」です。
エンパワーメントが引き出す内発的な力こそが、「無尽燈」のように、尽きることのない変革のエネルギーとなり、希望の光明になると信じるからです。
◇「化城宝処」の譬え
釈尊の教えの精髄である法華経には、「化城宝処」という譬えがあります。
——ある隊商の一行が、険路をよく知る導師の案内で、砂漠を進んでいた。しかし途中で疲労の極みに達し、これ以上、前に進めないとあきらめかけた。
ここで引き返しては、皆の苦労が無駄になると考えた導師は、神通力を用いて前方に城をつくり、あの場所まで進もうと励ます。
元気を取り戻した隊商の一行は、城にたどりつき、休息することができた。
疲れが癒えたのを見届けた導師は、これは皆のために現した幻の城(化城)であると明かす。そして、本当の目的地(宝処)は近くにあり、共にそこまで進んでいこうと声をかけた——という話です。
釈尊が重ねてその意味を述べた偈において「宝所」と言葉は変わっていますが、この話を貫く主題は、「共に宝所に至るべし」との一節にあります。
それは、どれだけつらく絶望しそうになっても、手を携えて前に進もうと自他共の幸福を求め抜く、人間精神の大宣言ともいうべき輝きを放っているのです。
また、先ほどの因果の関係から捉え直せば、砂漠で疲労困憊し(因)、本来は立ち止まってしまうところ(果)を、励ましの言葉を得て(縁)、目的地にたどりつけた(異なる果)とも位置づけられましょう。
法華経の精神を根幹に、13世紀の日本で仏法を展開した日蓮大聖人は、ここでいう化城と宝処は決して別々のものではなく、「化城即宝処」(御書732ページ)であると説きました。
宝処にたどりつくという結果もさることながら、「共に宝所に至るべし」との心で、一緒に進む過程そのものが尊い、と。
人々の苦しみとそれに対する励ましが因縁和合して、前に踏み出す一歩一歩が「念念の化城」と現れるだけでなく、それがそのまま、自他共に尊極の生命が輝く「念念の宝処」となっていくと強調したのです。
◇エスキベル博士が培ってきた信念
私は以前、SDGsに先立つ形で、2015年まで推進された国連のミレニアム開発目標について、「目標の達成はもとより、悲劇に苦しむ一人一人が笑顔を取り戻すことを最優先の課題とすることを忘れてはなりません」と呼び掛けたことがあります。
数値的な改善ばかりに目を奪われると、苦境に置かれた人々への配慮が後回しにされ、また、目標達成への息吹を長続きさせることも難しくなってしまうと考えたからです。
この点、アルゼンチンの人権活動家であるアドルフォ・ペレス=エスキベル博士が語っていた言葉が思い起こされます。
「人間は、人間としての共通の目的を目指して進むとき、自由や平和を志向しているとき、尋常ではない能力を発揮する」(『人権の世紀へのメッセージ』東洋哲学研究所)
こうした信念は、厳しい社会情勢が続いても、未来への希望を決して手放さなかった中南米諸国の民衆と連帯を深める中で、博士が培ってきたものでした。
博士は、民衆の行動をたたえながら、こう述べています。
「民衆の生活をさらに踏み込んで見てみると、老若男女を問わず、民衆は、英雄になろうなどとは思っていません。ただ、奇跡が起きて『一輪の花』が咲くことを日々求めているだけなのです。その開花は、日常生活という戦いのなかにあります。つまり、人生に対して子どもが見せる笑顔のなかに咲き、希望を創り出し、希望の光で道を照らすなかに咲きます。『すべての努力は、自分たちの解放のためなのだ』と気づく瞬間のなかに咲いていくのです」(同)
非常に味わい深い言葉だと思います。
SDGsの目標達成は、いずれも容易ならざる挑戦です。
しかし、苦しんでいる人々に寄り添い、エンパワーメントの波を起こす中で、自分たちの身の回りから「一輪の花」を咲かせることはできるはずです。
そして、その何よりの担い手となりうるのが青年ではないでしょうか。
冒頭で触れた国連安保理の「2250決議」が、平和構築に青年が参画する重要性を呼び掛けたのと同様に、あらゆる分野で青年が活躍の機会を得ることができれば、そこから突破口が開けるはずです。
◇難民選手団の決意
昨年8月、ブラジルのリオデジャネイロで行われたオリンピックに、難民選手団が初出場し、感動の輪を広げました。
出場にあたり、選手が口々に語っていた決意は、胸に深く残りました。
「オリンピックの舞台で走ることで、自分と同じ境遇にある難民に、人生は変えられるというメッセージを送りたい」
「これまでの人生を思い返し、それを自分の強さに変えたい。難民がより良い人生を送れるように願って、私は走りたい」(UNHCR駐日事務所のウェブサイト)
これらの言葉が象徴するように、青年の青年たる真骨頂は、過去の姿でも、未来の姿にあるのでもない。
自分自身の"今の姿"をもって、同じ時代を生きる人たちの力になりたいという心にこそ、輝くのではないでしょうか。
SDGsが掲げる「誰も置き去りにしない」とのビジョンは、青年にとって、遠く離れた場所にある指標でも、いつか成し遂げるべき未来のゴールでもないと思います。
それは、「同じ人間として同じ地球で共に生きる」ことと同義であり、日々の行動を通して「生きる喜びを分かち合う社会」を築く生き方に等しいものなのです。
青年が、今いる場所で一隅を照らす存在になろうと立ち上がった時、そこから、周囲の人々が希望と生きる力を取り戻す足場となる、安心の空間が形づくられていきます。
その安心の空間に灯された「共に生きる」という思いが、そのまま、国連が目指す「誰も置き去りにしない」地球社会の縮図としての輝きを放ち、同じような問題に苦しむ他の地域の人々を勇気づける光明となっていくに違いないと、確信するのです。
◇苦しむ人々の立場に身を置く
私は3年前の提言で、SDGsの達成を図る上で、青年たちが「最も影響力のある存在」になると強調しました。
また、青年の限りない力を引き出す世界市民教育を、国連と市民社会との協働によって推進することを提案しました。
それだけに、韓国で昨年行われた国連広報局/NGO(非政府組織)年次会議で、「世界市民教育——SDGsを共に達成しよう」がテーマに掲げられ、青年が数多く参加する中、世界市民教育の推進を約し合う「慶州行動計画」が採択されたことを、心から歓迎するものです。
国家や社会の真価は、軍事力でも経済力でもなく、"最も苦しんでいる人のために何ができるか"の一点にこそ現れます。
教育には、そうした社会のベクトルを形づくる働きを持続的に生み出す力があります。
中でも世界市民教育は、どんな場所で起きた出来事にも、同じ人間としての眼差しをもって向かい直す「縁」となり、問題解決への行動の連帯を育む「縁」となるものです。それは、グローバルな課題を人間一人一人の生き方に引き寄せながら、その人自身が持つ可能性を開花させていく源泉にほかなりません。
この世界市民教育の推進を通し、�苦しむ人々の立場に自分の身を置く経験を重ね、�共に生きる社会を築くために何が必要かを見いだし、�皆で力を合わせて足元から「安心の空間」をつくり出していく——。
私は、こうした教育による「縁」の波動を広げ、青年の力を引き出す中で、時代変革の潮流は勢いを増すと信じるものです。
◇多くの国で強まる排他主義の動き
第二の柱は、分断や格差の拡大を乗り越える社会の土壌づくりです。
グローバル化が急速に進む中、生まれ育った国を離れて他国に移り住む人が増加の一途をたどっており、世界全体で2億4400万人に及んでいます。
21世紀に入ってから、その数は4割も増えました。
世界経済の長引く停滞と相まって、排他主義の動きが強まり、移民とその家族に対する風当たりが厳しくなっています。
「ヨーロッパのほとんどの諸国は、移民や亡命者、そのほか抱えている問題に直面すると、連帯意識が低下します。ほぼ全ての政治指導者たちが、選挙運動となると『外国からの貧しい人々との連帯意識よ、さようなら』と悲しくも言うことを、私は報告せざるを得ません」(ジェレミー・ローゼン編『世界はなぜ争うのか』渥美桂子訳、朝倉書店)
これは、オーストリアのフランツ・フラニツキ元首相が、3年前にウィーンで開催された宗教間対話の会議で述べた言葉です。
近年、ヨーロッパに限らず、世界の多くの国で、憎悪に基づき差別を扇動するヘイトスピーチや、排他的な政治主張が顕著になってきていることが懸念されてなりません。
国連では、昨年9月に行われた難民と移民に関する国連サミットを機に、国際的な人の移動の拡大が引き起こす社会の不安を希望に変えるためのキャンペーンを立ち上げました。
この現実と向き合うにあたって、受け入れ国で広がる不安を考慮しなければ、解決が遠のいてしまうことは否めません。
しかし、その上で大切になるのは、国連のキャンペーンが呼び掛けるように、正当な懸念を踏まえつつも、排他主義への傾斜を克服する道を模索することであり、難民や移民の人々を巡る議論を人間的なものにしていく共通の努力ではないでしょうか。
◇平和を望むなら平和の準備を!
かつてフラニツキ元首相とお会いした時(1989年10月)、文化交流や青年交流の重要性を巡って、「ジェット機で何時間とかの距離よりも、『心の距離』が大切です」と語っておられたことを思い出します。
その折、元首相のご両親が、第2次世界大戦中に、迫害されたユダヤ人を自宅にかくまった話にも話題が及びました。
緊迫した状況下にあって、宗教や民族の違いなど一切関係なく、人間としての道を貫き、行き場を失った人々を守ったのです。
こうした戦時中の体験を振り返った会談の最後で、元首相は次のように述べられました。
「『平和を望むなら、戦争の準備をせよ』というラテン語の格言があります。しかし、これを私は、こう置き換えて行動しているのです。『平和を望むなら、平和の準備をせよ』と」
その信念を伺ったのは、ベルリンの壁が崩壊する1カ月前のことでした。
フラニツキ元首相が89年2月に、オーストリアとハンガリーの国境にあった鉄条網の撤去に合意したことで、9月には東側の国から西側へ移動できる道が開かれました。
この国境開放が、ベルリンの壁の崩壊にもつながっていったのです。
ベルリンの壁について、統一ドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー初代大統領は、「人間性を拒否する政治が石となった」(加藤常昭『ヴァイツゼッカー』清水書院)と指摘していましたが、こうした深刻な分断を21世紀の世界で繰り返すようなことがあってはならないと思います。
民族や文化を同じくする人が周りにいることが、大きな安心感につながるとしても、社会で緊張が高まった時に、その集団意識が他の人々への激しい差別や敵対心に転化しかねないことに、十分留意しなければなりません。
先に私は、「生れを問うことなかれ。行いを問え」との釈尊の言葉を引きましたが、人間を一つの属性だけで色分けして差別をすることは誤りというだけでなく、社会を蝕む分断の温床となってしまうのです。
また、現在の世界の状況を考えるにつけ、排他主義の動きにひそむ危険と"同根"のように感じてならない問題があります。
それは、多くの国が経済の停滞に直面する中、市場原理に基づく経済的合理性を最優先する風潮が強まり、そのしわ寄せが、弱い立場に置かれた人々をさらに深刻な状態に追い込む傾向がみられることです。
確かに、経済的合理性の追求が、成長や発展への活力を生んできた面はあります。しかしそれは、あくまでも一つの要素であって、全てではないはずです。
そのことが見失われ、経済的合理性を何よりも優先する時流が強まっていけば、重要な判断が半ば機械的に下され、社会で生きる多くの人々の思いが介在する余地が狭められてしまう恐れはないでしょうか。
排他主義が善悪二元論的な思想によって突き動かされる時、わずかなためらいも心から締め出されてしまうのと同じように、経済的合理性の追求において、人間性という胸にとどめるべき判断の伴侶が不要とされるならば、どんな犠牲も顧慮しない冷酷な心情が暴走しかねないと思うのです。
◇公正さに関するセン博士の議論
この問題を考えるにあたって重要な示唆を与えると思うのが、経済学者のアマルティア・セン博士が提起した、社会正義における公正さを巡る議論です(以下、『正義のアイデア』池本幸生訳、明石書店を引用・参照)。
考察を進める上で、博士が手がかりとして着目したのは、倫理と法に関する古典的なサンスクリット文献において、正義を表す「ニーティ」と「ニヤーヤ」の二つの言葉が区別して用いられていることでした。
博士は、ニーティが「制度、規則、組織」の正しさに関心を向けるのに対し、ニヤーヤは「実際に何がどのように起こるのか」という結果、特に「人々が実際に送ることのできる暮らし」に焦点を当てるものだったと指摘します。
その上で、「制度、規則、組織の役割は、それ自体重要ではあるが、単に我々が持つに至った制度や規則だけではなく、実際に現れた世界と不可避的に結びついた、より広く、より包括的なニヤーヤの視点から評価されなければならない」と強調しました。
またセン博士は、二つの概念の違いが実際の政治に現れた例として、古代インドのアショカ王と宰相カウティリヤの治政を、次のように対比させています。
——紀元前4世紀に『実利論』を著したカウティリヤは、アショカ王の祖父に宰相として仕えた人物で、その最大の関心は「政治上の成功」と、経済効率の高い成果を生み出す「制度の役割」に注がれていた。
一方、アショカ王の治政は専ら「人々の行為」に焦点を合わせたものだった。
アショカ王の思想には、「社会の豊かさは、力によって強制されるのではなく、人々の自発的な良い行ないを通して達成することができる」との確信が含まれていた——と。
◇偏見や暴走に流されない楔
こうしたアショカ王の思いは、自らが率いた他国への侵略が惨劇を引き起こしたことに対し、激しい悔恨の念にさいなまれ、仏教への信仰を深める中で培われたものでした。
仏教の根幹には「中道」という思想があります。「ニヤーヤ」の概念に敷衍して言えば、一切の基準を人間の幸不幸に置き、自分の行動の影響が及ぶ人々の姿を思い浮かべながら、それが道に適ったものなのか、どこまでも心を砕く思想というべきものです。
一方の「ニーティ」的な思想は、セン博士が「今日の多くの経済学者は、金で動かされる人間観をカウティリヤと共有している」と懸念の言葉を述べているように、現代の社会でも大きな位置を占めています。
しかし、そこで何よりも重視されるのは、成長率や利潤の最大化といった数値的なアップであって、数字に換算しにくいために軽視されがちな弱い立場の人々の存在が、切り捨てられてしまう恐れがあります。
同様に、ヘイトスピーチに象徴される排他主義は、「自分たち」と「他の集団に属する人々」との対を、一切の例外なく、「善」と「悪」との対に置き換えてしまうものです。
では、分断をもたらす排他主義や、犠牲を顧みない経済的合理性の追求に抗する、社会の楔となるものは何か——。
私は、一人一人の顔といった具体的な像をもって心に立ち現れる「友情」のような、確固たる結びつきではないかと考えます。
「私の経験では、伝統的な偏見を徐々になくしてゆくのは、個人的な付き合いであった。どんな宗教、国籍、あるいは人種の人とでも、その人と個人的に付き合えば、かならずその人が自分と同じ人間であることがわかるものである」(『交遊録』長谷川松治訳、社会思想社)
かつて対談した歴史家のアーノルド・J・トインビー博士の言葉です。
友情のかけがえのなさは、私自身、世界の人々と交流を重ねる中で身をもって実感してきたものでした。80点近くに及ぶ対談集の一つ一つも、歩んできた人生や信仰は違っても「平和を願う心情」に変わりはないことの証しであり、「次の世代に歴史の教訓を伝え残したい」との互いの思いが相まった"友情の結晶"にほかなりません。
◇移民たちを支えたアダムズの活動
移民の人々を取り巻く状況についても、ジョン・デューイ協会のジム・ガリソン元会長とラリー・ヒックマン元会長とのてい談で、語り合ったことがあります。
その際、アメリカで先駆的な社会活動を行った、ジェーン・アダムズの取り組みが話題になりました。
トインビー博士の叔父の名を冠した、ロンドンにある福祉施設のトインビー・ホール=注3=を訪問し、感銘を受けたアダムズが、自分も同様の活動を行いたいと始めたものです。
19世紀末、アダムズが施設を開設したシカゴの貧困地域に暮らしていたのは、大半が移民でした。
アダムズの評伝によると、経済的な困窮と劣悪な環境に苦しむ移民にとって、ハル・ハウスと呼ばれたこの施設は「自由に息ができる唯一の避難場所」になったといいます。
そこでは、「自分たちの言語を話し、音楽を奏で、自分たちの文化を生きることができた」と(アンゲリーカ・U・ロイッター/アンネ・リュッファー『ピース ウーマン』松野泰子・上浦倫人訳、英治出版を引用・参照)。
こうして移民の人々は、アダムズらの手助けを得ながら、アメリカでの新しい生活の基盤を固めていくことができたのです。
また、"人類を結びつけることは分離させることよりも価値がある"との信念で行動したアダムズに影響を受けた若者たちが、社会科学者やソーシャルワーカーの第一世代になっていきました。彼らの粘り強い研究と調査によって、移民をはじめ貧困に苦しむ人々を救う法律の改正も進んでいったのです。
ヒックマン元会長は、アダムズらの活動は、「ますますグローバル化(地球一体化)する世界と向き合う私たちにとって、重要な教訓を与えてくれます」(『人間教育への新しき潮流』第三文明社)と述べていましたが、私も深く同意します。
◇当時、活動を支えた人々は語っています。
「ハル・ハウスで働いていた私たちは、世界じゅうを善くするなどという大それた望みは持ちませんでした。ただ、自分たちのまわりのさびしい人々の友だちになりたいと、それだけをいつも考えていました」(ジャッドソン『ジェーン・アダムスの生涯』村岡花子訳、岩波書店)と。
それは、アダムズ自身の信条とも重なり合っていました。
「わたくしたちは、友だちになり隣人になることができます。あの人たちから、人間の暮らしのほんとうの姿をおしえてもらい、わたくしたちの誇る『文明』のどこに、たりない点があるかを知ることができます」(同)というのが、彼女の思いだったからです。
このように、互いの思いを通わせ合う中で、人間の心を深部で揺り動かすものこそ、一対一の友情ではないでしょうか。
インドネシアのアブドゥルラフマン・ワヒド元大統領も、社会で声高に叫ばれる対立の構図に流されないよう、警鐘を鳴らしていたことを思い起こします。
イスラム団体の指導者を長らく務めたワヒド元大統領は、「文明と文明との間にみられる差異は、本来、"衝突するか否か"の問題ではない」(『平和の哲学 寛容の智慧』潮出版社)とし、他者への無理解や偏見を克服することが一番の課題になると強調していたのです。
その上で、何度も友情の大切さを訴えつつ、自らの留学経験に触れ、「青年には、自身の利益だけを考える人ではなく、社会の利益を考える人、世界の平和共存のために行動する人になってもらいたい」(同)と、青年交流への強い期待を寄せていました。
私も、宗教や文化的背景の異なる世界の人たちと友情の絆を一つ一つ結ぶ中で、平和のための連帯を築いてきただけに、ワヒド元大統領の言葉が深く胸に染みます。
戸田第2代会長の「地球民族主義」や「原水爆禁止宣言」を基盤に、私が1996年に戸田記念国際平和研究所を創立した際、初代所長にイラン出身の平和学者のマジッド・テヘラニアン博士に就任していただいたのも、そうした友情が機縁となったものでした。
◇「不戦の世代」を築き上げる挑戦
世界は、単なる国の集まりでもなければ、宗教や文明だけで構成されているものでもありません。
固有の背景を持ちながらも"誰一人として同じではない人間"の営みが織り成す中で、世界は息づいています。
民族や宗教といった枠組みに基づいて、他の人々を一律に判断するのは、本来は限りなく豊かな一人一人の人間の実像をゆがめる結果を招いてしまう。
そうではなく、一対一の友情を通し、互いの存在のかけがえのなさを心の底から感じた時に、民族や宗教といった差異も、友の姿によって照らし出された多様性の輝きに包まれていくのではないでしょうか。
その友情という磁場があればこそ、自分の生き方に迷った時には"羅針盤"となって、進むべき道を見いだすことができる。
また、社会が誤った方向に傾きかけた時には、その傾斜を立て直す方途を浮かび上がらせる"映し鏡"ともなっていきます。
私どもSGIが、一貫して民間交流の裾野を広げる努力を続け、特に青年交流に力を入れる中で、顔と顔とが向き合う一対一の友情を大切に育んできた理由もそこにあります。
国と国が緊張関係に陥った時や、宗教対立が深まった時でも、友情の絆を足場に、憎悪の扇動に押し流されない。一人一人の顔を思い浮かべながら、友が悲しむような社会にしては断じてならないと、対立から共存への流れを自分の足元からつくり出す——。
暴力の連鎖を断ち切り、友好を深め合う「不戦の世代」をグローバルに築き上げることに、その眼目はあるのです。
何より、友との語らいには喜びが宿っています。言葉を交わすこと自体が楽しく、互いの存在が励みになるのが友情です。
であればこそ友情は、困難な課題に立ち向かう勇気の支えとなるのです。
若い世代の間で、友情の水嵩が増していけばいくほど、社会は必ず大きく変わっていきます。
いかなる分断の濁流も押し返す、多様性の尊重に基づいた「平和の文化」のうねりは、青年たちの友情から力強く巻き起こっていくと、私は期待してやまないのです。
◇包括的に解決を図るアプローチ
最後に、第三の柱として挙げたいのは、どんな困難に直面しても、状況を好転させる力を地域で高めていくことです。
SDGsには、以前のミレニアム開発目標と比べて多くの違いがありますが、特に重要だと思うのは、市民社会の声を十分に踏まえる形で採択された点です。
国連では制定作業にあたり、女性や若者をはじめ、さまざまな人たちとの対話を進めたほか、重点的に取り組んでほしい課題を投票する調査を行い、700万人以上が参加しました。
30歳未満の若者が参加者の7割以上を占める中、調査で上位となった、教育、保健、雇用など多くの項目が、SDGsに盛り込まれました。
こうした経緯を踏まえて、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」には、次の一文が記されています。
「すでに幾百万もの人々が、このアジェンダに関わり、自分のものにしようとしている。これは『民衆の民衆による民衆のためのアジェンダ』であり、その一点がアジェンダを成功に導くと、我々は信じる」
このような"民衆のアジェンダ"という骨格を据えることは、私が5年前、SDGsを制定する出発点となった「リオ+20」(国連持続可能な開発会議)に寄せた提言で、強く呼び掛けた点でもありました。
多くの人が自分に関わる課題として、行動を起こしていかなければ、どんな目標も力を得ることは難しいと考えたからです。
"民衆のアジェンダ"であるSDGsには、もう一つの特徴があります。
貧困や飢餓といったテーマごとの前進を図ったミレニアム開発目標とは異なり、全ての課題は相互に深く関連し包括的に解決を進める必要があるとの認識に立って、新たなアプローチが志向されていることです。
つまり、個々の取り組みを連動させる形で、他の多くの目標も前進させる"好循環"を生み出すことが目指されているのです。
例えば、安全な水の確保が進んでいけば(SDGsにおける目標6)、病気や感染症に苦しむ人が減り(目標3)、毎日、長時間の水くみをしてきた女性の負担が軽減し、仕事に就く道も開かれ(目標5)、極度の貧困から脱することができ(目標1)、子どもたちも学校に通えるようになる(目標4)——といったプラスの連鎖です。
これは、「ネクサス(関係)アプローチ」と呼ばれ、SDGsの開始前から、国連大学の研究所で研究が進められてきたほか、実際に各地で試みられてきたものでした。
SDGsには17分野にわたる169の項目がありますが、多岐に及ぶ課題の関連性を見いだしながら、同時進行的に解決を図っていくアプローチといえます。
気候変動や格差の拡大など、ミレニアム開発目標では対象となっていなかった課題がSDGsに多く追加されています。
しかし、いずれも元をたどれば、人間がつくり出したものである以上、人間の手で解決できないはずはない。行動を起こし、一つでも問題解決の足がかりを築ければ、そこから一点突破で、他の問題も解決に導く歯車を回すことができるのではないでしょうか。
◇関係性の網に自分の糸を紡ぐ
大乗仏教には、この問題解決のダイナミズムを示唆するような「煩悩即菩提」の法理が説かれています。
人間の幸福は、悩みや苦しみをもたらす煩悩をなくすことや、そこから離れることで得られるのではなく、悩みや苦しみを抱える自分自身の生命にこそ、菩提(人生を切り開く智慧や力)が秘められているとする、"視座の逆転"を提示した法理です。
問題は、煩悩の苦しみだけにあるのではない。煩悩にどう向き合い、そこからどのような行動に踏み出すかにあります。
日蓮大聖人も、法華経の「一切の苦・一切の病痛を離れ、能く一切の生死の縛を解かしめたまう」の文について、「離の字をば明とよむなり」(御書773ページ)と説きました。
自分を取り巻く問題と真正面から向き合い、状況を明らかにして行動を起こす中で、煩悩の苦しみを感じていた自分が、そのまま、幸福を自ら切り開く存在になっていけることを説いた変革の原理なのです。
また仏教では、その変革の波動は、相互連関を織り成す関係性の網を通して、周囲や社会にも大きく広げていくことができると促しています。
状況に縛られるのではなく、自分の手で関係性を紡ぎ出し、状況を変えていくという視点は、興味深いことに、哲学者のハンナ・アーレントが、「フマニタス(真に人間的なもの)」について論じた際に提起していたものでもありました(以下、ジェローム・コーン編『アーレント政治思想集成1』齋藤純一・山田正行・矢野久美子訳、みすず書房)。
彼女は、師であるヤスパースの「公共的領域への冒険」の言葉を通し、こう述べています。
真に人間的なものは孤立したままでは得ることはできず、「自分の生ならびに人格を『公共的領域への冒険』に委ねることによってのみ達成されうる」と。
そしてその冒険は、「関係性の網の目のなかに、私たちが自分自身の糸を紡いでいくということ」であると位置づけました。
私が何よりも共感したのは、「それがどのような結果を生むかは、私たちにはけっしてわかりません」と断りながらも、アーレントが深い確信をもって語った次の結論です。
「この冒険は人間を信頼することにおいてのみ可能であると申し上げておきたいと思います。つまり、なかなかそれとしてイメージを結ぶことは難しいけれども、根本的な意味であらゆる人間が人間的なものに対して信頼を抱くことです。そうでなければ冒険は不可能です」
その信頼とは、「根本的な意味で」とあるように、自分自身への信頼や、周囲の人々に対する信頼にとどまらず、"自分たちの生きる世界にどこまでも希望を失わず向き合う"という意味での信頼をも含んでいるのではないでしょうか。
◇タンザニアの女性が勝ち取ったもの
国連機関のUNウィメンは昨年、「私のいる場所から」と題し、厳しい環境に置かれながらも人々のために行動し、SDGs推進の一端を担う女性たちを紹介しました。
その中に、タンザニアでソーラー発電の技術者として活躍する女性がいます。
障がいのある彼女は、苦労を重ねながら技術を身につけ、その知識を自分の村のために生かす努力を続けてきました。
当初、多くの男性は、彼女の仕事を認めようとしませんでした。
しかし、彼らの家にソーラー器具を設置して光を灯し、壊れた時には修理を行う中で、次第に彼女の仕事に敬意を払う男性たちも出始めるようになったといいます。
彼女は語っています。
「日が沈むと暗闇に包まれていたかつての村に、今は光が灯ります。たった今ですが、二人の子供が、私の直したソーラーランタンを引き取りに来ました。大きな笑顔を浮かべていました。きっと今夜宿題をすることができるのでしょう」(UN Women日本事務所のウェブサイト)
ここでは、再生可能エネルギーの導入が進むだけでなく、女性に対する見方が少しずつ改められ、子どもたちが勉強する環境も整えられている——まさに"民衆のアジェンダ"の字義通り、一人の女性が立ち上がったことで、SDGsを前進させるプラスの連鎖が、タンザニアの村で実際に起きているのです。
私は、地道ながらも尊い彼女の取り組みに、アーレントの言う「自分自身の糸を紡いでいく」ことで、自分の今いる場所を照らし出す「フマニタス(真に人間的なもの)」の輝きをみる思いがしてなりません。
問題解決の力は、特別な人だけに具わっているわけではありません。
現実と向き合い、その重みの一端を引き受け、行動の波を起こす——。
困難を乗り越える力は、自分が感じた心の痛みを決意に変えることで、誰にでも発揮できる道が開けていくのです。
とりわけ青年には、みずみずしい感性と理想への情熱を燃やして、人々をつなぐ信頼と信頼との結節点となり、プラスの連鎖を巻き起こす大きなエネルギーがあります。
◇無力感を打ち払う青年部の取り組み
戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」以来、私ども創価学会とSGIの平和運動の中核を、一貫して担ってきたのも青年です。
現代社会に広がる"自分が行動したところで何も変わらないのではないか"との無力感を打ち払い、「今ここにいる自分だからこそ、果たせる使命がある」との思いに立って、意欲的な行動を広げています。
日本の青年部は、3年前からSOKAグローバルアクションの運動を行い、東日本大震災で深刻な被害を受けた東北の"心の復興"を後押ししてきたほか、中国や韓国との交流を通じた「アジアの友好」の推進と、「平和の文化」を建設し、核兵器の廃絶を目指す活動を進めてきました。
各国の青年部も、環境保護の活動や人権教育をはじめ、非暴力の意識を高める取り組みなど、現実変革への挑戦を続けています。
SDGsに焦点を当てた活動にも力を注いでおり、昨年11月には、「青年こそがSDGsの普及と推進をレベルアップさせる」と題する会議を国連本部で共催しました。
「持続可能な開発のための2030アジェンダ」担当のデビッド・ナバロ国連事務総長特別顧問は、会議でこう訴えました。
「世界中の青年が持続可能な開発の運動で活躍できる場を作らなければならない。青年は共に行動し、歓喜を共有し、信頼し合うことを求めている」
私どもが、SDGsの挑戦にかける思いもまったく同じであります。
青年は、目の前の脅威への不安を感じなければ動けないような消極的な存在ではありません。一つ一つの課題に立ち向かう挑戦の中に分かち合う喜びがあり、希望があると信じるからこそ前に進んでいくのです。
SDGsには、目標達成を義務づける拘束力はないものの、2030アジェンダの題名に記されているように、そこには「私たちの世界を変革する」との希望が息づいています。
その希望を自らの誓いとして立ち上がる青年の行動が広がっていけば、全ての目標に前進のギアを入れる力を生み出すことができるのではないでしょうか。
私どもSGIは、今後も青年を中心に、地域の課題からグローバルな脅威にいたるまで、問題解決のためのプラスの連鎖を巻き起こす挑戦に取り組んでいく決意です。
全てプラスに転じるのが
信仰者の生き方だ。
その原動力こそ信心だ。
"朗らか王"で進もう!
日女御前御返事 P1244
『此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり』
☆女性に贈ることば 二月七日
失敗しても、叱るより「今回は、あなたらしくなかったね」と言ったほうがいい。
壁を乗り越える自信と、乗り越える喜びを伝えてあげたい。
☆今日のことば365 二月七日
一冊の本のなかに、ひとつの世界があり、いろんな人生があります。人間一人が、実際に、自分で体験できる人生は、ひとつしかありませんが、読書は、あらゆる人生体験を教えてくれるのです。人は、一冊の本を読むごとに、人生を、より豊かにしていくことができるのです。
☆第42回「SGIの日」記念提言� 池田大作 2017年1月26日
私の師である創価学会の戸田城聖第2代会長が、「原水爆禁止宣言」を発表してから、今年で60周年になります。
牧口常三郎初代会長と共に、平和と人道のために戦い抜いた戸田会長の思想の柱は、仏法が説く生命尊厳の哲学に根差した「地球民族主義」にありました。
どの国で生まれ、どの民族に属そうと、誰一人、差別したり、踏み台にしたり、犠牲にすることがあってはならない——。
それは今思えば、「誰も置き去りにしない」という、国連が現在、国際社会を挙げて成し遂げようと呼び掛けているビジョンとも響き合う思想にほかなりませんでした。
その強い思いがあればこそ、戸田会長は、世界の民衆の生存権を根源から脅かす核兵器を"絶対悪"であるとし、核兵器禁止の潮流を民衆の連帯で築き上げることを、訴えずにはいられなかったのです。
1957年9月8日、台風一過の秋空の下、横浜・三ツ沢の競技場で5万人の青年らを前に叫ばれた、「いやしくも私の弟子であるならば、私のきょうの声明を継いで、全世界にこの意味を浸透させてもらいたい」(『戸田城聖全集』第4巻)との言葉は、今も耳朶を離れることはありません。
以来、私どもは、志を同じくする人々や団体と連携しながら、核兵器の禁止と廃絶を求める運動を重ねてきました。
時を経て、核兵器の非人道性に対する認識が国際社会で幅広く共有される中、先月の国連総会で、核兵器禁止条約の交渉開始を求める歴史的な決議が採択されました。
3月からニューヨークの国連本部で始まる交渉会議を通し、核時代に終止符を打つ道が開かれることを強く願ってやみません。
世界では今、こうした核兵器の問題をはじめ、相次ぐ紛争や急増する難民など、多くの課題が山積しています。
しかし私は、人類の行く末を悲観する必要はないと考えます。
なぜなら、青年の数だけ希望があり、未来があると固く信じるからです。
確かに、昨年からスタートした国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」において、最も配慮すべき存在の筆頭に、子どもと若者が挙げられているように、その多くが貧困や格差などの厳しい状況に直面している現実があります。
しかし一方で、平和構築における青年の役割を強調した安全保障理事会の「2250決議」をはじめ、若い世代の力に着目した動きが国連で相次いでいます。
SDGsを定めた国連の「持続可能な開発のための2030アジェンダ」では、若者を"変革のための重要な主体"と位置づけ、その力の発揮に期待を寄せていますが、まさに私の確信もそこにあるのです。
青年の存在と活躍こそ、地球的問題群を解決する原動力であり、2030年に向けた国連の挑戦の生命線である——と。
そこで今回は、「青年」に焦点を当てながら、SDGsが目指す"平和で公正かつ包摂的な社会"を築くための方途について論じたいと思います。
◇地球温暖化防止の「パリ協定」が発効
第一の柱は、「同じ地球で共に生きる」との思いに立った連帯を、青年を中心に広げることです。
昨年11月、地球温暖化防止の新たな国際枠組みとなるパリ協定=注1=が発効しました。
4月の署名式で175カ国・地域が一斉に調印を果たす中、協定の採択(2015年12月)から1年たらずで発効するという画期的なスピードです。長らく不可能と言われてきたことが、今では世界中の国々で協力して臨もうとする流れに変わってきたのです。
潮目の変化が生じたのは、異常気象や海面上昇など、気候変動の影響が次々と目に見える形で現れ、どの国にとっても喫緊の課題であるとの「認識の共有」が進んだことが大きかったと思われます。
貧困の解消をはじめとする17の分野、169項目に及ぶSDGsの目標を前進させるには、温暖化防止対策のような「認識の共有」に基づく行動の連帯を、あらゆる分野で築いていかねばなりません。
SDGsの多岐にわたる目標を前にして、達成を危ぶむ声もあります。
しかし、目標の数の多さは、それだけ大勢の人が深刻な問題に直面していることの証左であり、どれ一つとしてそのままにしてよいものではないはずです。紛争にしても災害にしても、直接的な被害に加えて人々を苦しめるのは、"自分たちのことが見過ごされているのではないか"との思いではないでしょうか。
焦眉の難民問題についても、昨年5月の世界人道サミットに続き、難民と移民に関する国連サミットが9月に行われましたが、国際協力は思うように進んでいません。
その現状に対し、国連のアントニオ・グテーレス新事務総長は就任決定直後(昨年10月)のインタビューでこう述べました。
「こうした動きを逆転させ、難民保護を本来のグローバルな責任として受け入れてもらえるよう、全力を尽くしていきます。それは単に、難民条約に盛り込まれているだけではありません。全世界のあらゆる文化や宗教にも深く根づいた理念です。イスラム教にも、キリスト教にも、アフリカを含む各地にも、そして仏教やヒンズー教にも、難民を保護するという強い意識が見られます」(国連広報センターのウェブサイト)
グテーレス事務総長が訴える通り、難民問題への対応を強化することが急務であり、しかも、そのための精神的な基盤は、さまざまな形で世界に息づいているものなのです。
ゆえに大切なのは、どれだけ問題が大きく、解決が困難であろうと、互いに連帯しながら、人々のためにできることを積み上げていくアプローチではないでしょうか。
◇釈尊の教えを貫く応病与薬の励まし
仏教の出発点も、人々の苦しみを一緒になって乗り越えることにありました。
釈尊は、後に八万法蔵と呼ばれるほどの多くの教えを残しましたが、その大半は、目の前にいる人々の悩みや苦しみと向き合う中で語られたものでした。
釈尊は、教えを説く対象を限定することなく、「われは万人の友である。万人のなかまである」(『仏弟子の告白』中村元訳、岩波書店)との信念のままに、行く先々で出会ったさまざまな人々に法を説いたのです。
釈尊の評伝を綴った哲学者カール・ヤスパースも、「仏陀の出現は知識の教師としてではなく、救済の道の告知者としてなのである」(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)と記しています。
「救済の道」との表現はインド医学の用語を踏まえたものであるとヤスパースは述べていますが、まさに釈尊の説法の底流にあったのは、病気になった人に最も適した薬を施すような"応病与薬"の励ましだったといえましょう。
釈尊は、仲間になった弟子にも、「比丘たちよ、遊行せよ、多くの人々の福利のために、多くの人々の安楽のために」(『原始仏典』第1巻、畝部俊英ほか訳、講談社)と、声をかけました。
民族や社会的階層の隔てなく、悩める人々の所に足を運ぶ実践を重ねた釈尊と弟子たちは、「四方の人」と呼ばれたのです。
釈尊には、生命の尊厳に対する深い確信がありました。全ての人に尊極の生命が具わっており、厳しい環境にあっても生命に具わる可能性を開花させることができるとの確信です。
当時の社会では、自分の今の姿や未来は、過去からの宿命で一切が定められ、変えることはできないと説く「宿命論」が支配的である一方で、人間生活の出来事には特別な原因や条件はないとする「偶然論」の思想も説かれていました。
「宿命論」の思想は、どれだけ努力しても運命は変えられず、自分の境遇をただ受け入れるしかないとのあきらめを植え付け、人間の心から希望を奪い去るものでした。
また「偶然論」も、どんな行いをしようと結果には関係ないと考えるために、人生を無軌道にしてしまうばかりか、他の人々を傷つけても意に介さない状態を招きました。
釈尊は、こうした呪縛や悪弊などから人々を解き放つため、「生れを問うことなかれ。行いを問え。火は実にあらゆる薪から生ずる」(『ブッダのことば』中村元訳、岩波書店)と呼び掛けました。
人生は全て動かし難いものと決定づけられているのではなく、今この瞬間の「行い」で切り開くことができると説いたのです。
仏教では、自らの一念の変革によって、未来の結果(果)につながる今現在の状態(因)そのものを変えることができると訴えるとともに、原因と結果の関係を方向づける「縁」の重要性を提起しています。
つまり、「因」が同じでも、そこにどのような「縁」が結びつくかによって、一人一人に現れる「果」は異なってくる、と。
この視座に立って、生命の尊厳と可能性への確信を抱きながら、生きる希望を失いかけた人に寄り添い、共に前へ進もうと励ます生き方を、仏教は促しているのです。
◇内なる力引き出すエンパワーメント
大乗仏教では、自他共の幸福を目指す生き方を「菩薩」と名付け、維摩経には、その精神を象徴する言葉が記されています。
「疾病の(多い)中劫にあっては、彼は良質の薬となり、それによって人々は解脱し、諸病もなく幸福になる。
飢饉の(多い)中劫にあっては、食物や飲み物となり、飢えと渇きとを除いて、人々に法を説く。
武器の中劫にあっては、彼らは慈愛心を修め、多くの衆生、幾百幾万の衆生を、憎悪のないところへおちつける」(長尾雅人訳、『大乗仏典7 維摩経・首楞厳三昧経』所収、中央公論新社)と。
「四苦」と呼ばれる生老病死の悩みを抱える人々への励ましはもとより、社会で深刻な問題が起きた時、「一切衆生の病を以て是の故に我病む」との維摩経の文のごとく、脅威が自分に及んでいようといまいと、同苦の心で、今いる場所から行動を起こしていく。
その行動は、維摩経の「無尽燈」の法門=注2=のように、目の前の一人を希望の光で照らすだけでなく、尽きることのない輝きをもって周囲や社会をも明るく照らし出していくと、仏教は説きます。
私どもSGIが、国連の活動を支援し、地球的問題群の解決を目指す行動を続けてきた基底にあるのも、この「菩薩」の精神にほかなりません。
これまで難民救援活動の支援や、災害時の復興支援などにも取り組んできましたが、活動の柱として最も重視してきたのは、「民衆の民衆による民衆のためのエンパワーメント(内発的な力の開花)」です。
エンパワーメントが引き出す内発的な力こそが、「無尽燈」のように、尽きることのない変革のエネルギーとなり、希望の光明になると信じるからです。
◇「化城宝処」の譬え
釈尊の教えの精髄である法華経には、「化城宝処」という譬えがあります。
——ある隊商の一行が、険路をよく知る導師の案内で、砂漠を進んでいた。しかし途中で疲労の極みに達し、これ以上、前に進めないとあきらめかけた。
ここで引き返しては、皆の苦労が無駄になると考えた導師は、神通力を用いて前方に城をつくり、あの場所まで進もうと励ます。
元気を取り戻した隊商の一行は、城にたどりつき、休息することができた。
疲れが癒えたのを見届けた導師は、これは皆のために現した幻の城(化城)であると明かす。そして、本当の目的地(宝処)は近くにあり、共にそこまで進んでいこうと声をかけた——という話です。
釈尊が重ねてその意味を述べた偈において「宝所」と言葉は変わっていますが、この話を貫く主題は、「共に宝所に至るべし」との一節にあります。
それは、どれだけつらく絶望しそうになっても、手を携えて前に進もうと自他共の幸福を求め抜く、人間精神の大宣言ともいうべき輝きを放っているのです。
また、先ほどの因果の関係から捉え直せば、砂漠で疲労困憊し(因)、本来は立ち止まってしまうところ(果)を、励ましの言葉を得て(縁)、目的地にたどりつけた(異なる果)とも位置づけられましょう。
法華経の精神を根幹に、13世紀の日本で仏法を展開した日蓮大聖人は、ここでいう化城と宝処は決して別々のものではなく、「化城即宝処」(御書732ページ)であると説きました。
宝処にたどりつくという結果もさることながら、「共に宝所に至るべし」との心で、一緒に進む過程そのものが尊い、と。
人々の苦しみとそれに対する励ましが因縁和合して、前に踏み出す一歩一歩が「念念の化城」と現れるだけでなく、それがそのまま、自他共に尊極の生命が輝く「念念の宝処」となっていくと強調したのです。
◇エスキベル博士が培ってきた信念
私は以前、SDGsに先立つ形で、2015年まで推進された国連のミレニアム開発目標について、「目標の達成はもとより、悲劇に苦しむ一人一人が笑顔を取り戻すことを最優先の課題とすることを忘れてはなりません」と呼び掛けたことがあります。
数値的な改善ばかりに目を奪われると、苦境に置かれた人々への配慮が後回しにされ、また、目標達成への息吹を長続きさせることも難しくなってしまうと考えたからです。
この点、アルゼンチンの人権活動家であるアドルフォ・ペレス=エスキベル博士が語っていた言葉が思い起こされます。
「人間は、人間としての共通の目的を目指して進むとき、自由や平和を志向しているとき、尋常ではない能力を発揮する」(『人権の世紀へのメッセージ』東洋哲学研究所)
こうした信念は、厳しい社会情勢が続いても、未来への希望を決して手放さなかった中南米諸国の民衆と連帯を深める中で、博士が培ってきたものでした。
博士は、民衆の行動をたたえながら、こう述べています。
「民衆の生活をさらに踏み込んで見てみると、老若男女を問わず、民衆は、英雄になろうなどとは思っていません。ただ、奇跡が起きて『一輪の花』が咲くことを日々求めているだけなのです。その開花は、日常生活という戦いのなかにあります。つまり、人生に対して子どもが見せる笑顔のなかに咲き、希望を創り出し、希望の光で道を照らすなかに咲きます。『すべての努力は、自分たちの解放のためなのだ』と気づく瞬間のなかに咲いていくのです」(同)
非常に味わい深い言葉だと思います。
SDGsの目標達成は、いずれも容易ならざる挑戦です。
しかし、苦しんでいる人々に寄り添い、エンパワーメントの波を起こす中で、自分たちの身の回りから「一輪の花」を咲かせることはできるはずです。
そして、その何よりの担い手となりうるのが青年ではないでしょうか。
冒頭で触れた国連安保理の「2250決議」が、平和構築に青年が参画する重要性を呼び掛けたのと同様に、あらゆる分野で青年が活躍の機会を得ることができれば、そこから突破口が開けるはずです。
◇難民選手団の決意
昨年8月、ブラジルのリオデジャネイロで行われたオリンピックに、難民選手団が初出場し、感動の輪を広げました。
出場にあたり、選手が口々に語っていた決意は、胸に深く残りました。
「オリンピックの舞台で走ることで、自分と同じ境遇にある難民に、人生は変えられるというメッセージを送りたい」
「これまでの人生を思い返し、それを自分の強さに変えたい。難民がより良い人生を送れるように願って、私は走りたい」(UNHCR駐日事務所のウェブサイト)
これらの言葉が象徴するように、青年の青年たる真骨頂は、過去の姿でも、未来の姿にあるのでもない。
自分自身の"今の姿"をもって、同じ時代を生きる人たちの力になりたいという心にこそ、輝くのではないでしょうか。
SDGsが掲げる「誰も置き去りにしない」とのビジョンは、青年にとって、遠く離れた場所にある指標でも、いつか成し遂げるべき未来のゴールでもないと思います。
それは、「同じ人間として同じ地球で共に生きる」ことと同義であり、日々の行動を通して「生きる喜びを分かち合う社会」を築く生き方に等しいものなのです。
青年が、今いる場所で一隅を照らす存在になろうと立ち上がった時、そこから、周囲の人々が希望と生きる力を取り戻す足場となる、安心の空間が形づくられていきます。
その安心の空間に灯された「共に生きる」という思いが、そのまま、国連が目指す「誰も置き去りにしない」地球社会の縮図としての輝きを放ち、同じような問題に苦しむ他の地域の人々を勇気づける光明となっていくに違いないと、確信するのです。
◇苦しむ人々の立場に身を置く
私は3年前の提言で、SDGsの達成を図る上で、青年たちが「最も影響力のある存在」になると強調しました。
また、青年の限りない力を引き出す世界市民教育を、国連と市民社会との協働によって推進することを提案しました。
それだけに、韓国で昨年行われた国連広報局/NGO(非政府組織)年次会議で、「世界市民教育——SDGsを共に達成しよう」がテーマに掲げられ、青年が数多く参加する中、世界市民教育の推進を約し合う「慶州行動計画」が採択されたことを、心から歓迎するものです。
国家や社会の真価は、軍事力でも経済力でもなく、"最も苦しんでいる人のために何ができるか"の一点にこそ現れます。
教育には、そうした社会のベクトルを形づくる働きを持続的に生み出す力があります。
中でも世界市民教育は、どんな場所で起きた出来事にも、同じ人間としての眼差しをもって向かい直す「縁」となり、問題解決への行動の連帯を育む「縁」となるものです。それは、グローバルな課題を人間一人一人の生き方に引き寄せながら、その人自身が持つ可能性を開花させていく源泉にほかなりません。
この世界市民教育の推進を通し、�苦しむ人々の立場に自分の身を置く経験を重ね、�共に生きる社会を築くために何が必要かを見いだし、�皆で力を合わせて足元から「安心の空間」をつくり出していく——。
私は、こうした教育による「縁」の波動を広げ、青年の力を引き出す中で、時代変革の潮流は勢いを増すと信じるものです。
◇多くの国で強まる排他主義の動き
第二の柱は、分断や格差の拡大を乗り越える社会の土壌づくりです。
グローバル化が急速に進む中、生まれ育った国を離れて他国に移り住む人が増加の一途をたどっており、世界全体で2億4400万人に及んでいます。
21世紀に入ってから、その数は4割も増えました。
世界経済の長引く停滞と相まって、排他主義の動きが強まり、移民とその家族に対する風当たりが厳しくなっています。
「ヨーロッパのほとんどの諸国は、移民や亡命者、そのほか抱えている問題に直面すると、連帯意識が低下します。ほぼ全ての政治指導者たちが、選挙運動となると『外国からの貧しい人々との連帯意識よ、さようなら』と悲しくも言うことを、私は報告せざるを得ません」(ジェレミー・ローゼン編『世界はなぜ争うのか』渥美桂子訳、朝倉書店)
これは、オーストリアのフランツ・フラニツキ元首相が、3年前にウィーンで開催された宗教間対話の会議で述べた言葉です。
近年、ヨーロッパに限らず、世界の多くの国で、憎悪に基づき差別を扇動するヘイトスピーチや、排他的な政治主張が顕著になってきていることが懸念されてなりません。
国連では、昨年9月に行われた難民と移民に関する国連サミットを機に、国際的な人の移動の拡大が引き起こす社会の不安を希望に変えるためのキャンペーンを立ち上げました。
この現実と向き合うにあたって、受け入れ国で広がる不安を考慮しなければ、解決が遠のいてしまうことは否めません。
しかし、その上で大切になるのは、国連のキャンペーンが呼び掛けるように、正当な懸念を踏まえつつも、排他主義への傾斜を克服する道を模索することであり、難民や移民の人々を巡る議論を人間的なものにしていく共通の努力ではないでしょうか。
◇平和を望むなら平和の準備を!
かつてフラニツキ元首相とお会いした時(1989年10月)、文化交流や青年交流の重要性を巡って、「ジェット機で何時間とかの距離よりも、『心の距離』が大切です」と語っておられたことを思い出します。
その折、元首相のご両親が、第2次世界大戦中に、迫害されたユダヤ人を自宅にかくまった話にも話題が及びました。
緊迫した状況下にあって、宗教や民族の違いなど一切関係なく、人間としての道を貫き、行き場を失った人々を守ったのです。
こうした戦時中の体験を振り返った会談の最後で、元首相は次のように述べられました。
「『平和を望むなら、戦争の準備をせよ』というラテン語の格言があります。しかし、これを私は、こう置き換えて行動しているのです。『平和を望むなら、平和の準備をせよ』と」
その信念を伺ったのは、ベルリンの壁が崩壊する1カ月前のことでした。
フラニツキ元首相が89年2月に、オーストリアとハンガリーの国境にあった鉄条網の撤去に合意したことで、9月には東側の国から西側へ移動できる道が開かれました。
この国境開放が、ベルリンの壁の崩壊にもつながっていったのです。
ベルリンの壁について、統一ドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー初代大統領は、「人間性を拒否する政治が石となった」(加藤常昭『ヴァイツゼッカー』清水書院)と指摘していましたが、こうした深刻な分断を21世紀の世界で繰り返すようなことがあってはならないと思います。
民族や文化を同じくする人が周りにいることが、大きな安心感につながるとしても、社会で緊張が高まった時に、その集団意識が他の人々への激しい差別や敵対心に転化しかねないことに、十分留意しなければなりません。
先に私は、「生れを問うことなかれ。行いを問え」との釈尊の言葉を引きましたが、人間を一つの属性だけで色分けして差別をすることは誤りというだけでなく、社会を蝕む分断の温床となってしまうのです。
また、現在の世界の状況を考えるにつけ、排他主義の動きにひそむ危険と"同根"のように感じてならない問題があります。
それは、多くの国が経済の停滞に直面する中、市場原理に基づく経済的合理性を最優先する風潮が強まり、そのしわ寄せが、弱い立場に置かれた人々をさらに深刻な状態に追い込む傾向がみられることです。
確かに、経済的合理性の追求が、成長や発展への活力を生んできた面はあります。しかしそれは、あくまでも一つの要素であって、全てではないはずです。
そのことが見失われ、経済的合理性を何よりも優先する時流が強まっていけば、重要な判断が半ば機械的に下され、社会で生きる多くの人々の思いが介在する余地が狭められてしまう恐れはないでしょうか。
排他主義が善悪二元論的な思想によって突き動かされる時、わずかなためらいも心から締め出されてしまうのと同じように、経済的合理性の追求において、人間性という胸にとどめるべき判断の伴侶が不要とされるならば、どんな犠牲も顧慮しない冷酷な心情が暴走しかねないと思うのです。
◇公正さに関するセン博士の議論
この問題を考えるにあたって重要な示唆を与えると思うのが、経済学者のアマルティア・セン博士が提起した、社会正義における公正さを巡る議論です(以下、『正義のアイデア』池本幸生訳、明石書店を引用・参照)。
考察を進める上で、博士が手がかりとして着目したのは、倫理と法に関する古典的なサンスクリット文献において、正義を表す「ニーティ」と「ニヤーヤ」の二つの言葉が区別して用いられていることでした。
博士は、ニーティが「制度、規則、組織」の正しさに関心を向けるのに対し、ニヤーヤは「実際に何がどのように起こるのか」という結果、特に「人々が実際に送ることのできる暮らし」に焦点を当てるものだったと指摘します。
その上で、「制度、規則、組織の役割は、それ自体重要ではあるが、単に我々が持つに至った制度や規則だけではなく、実際に現れた世界と不可避的に結びついた、より広く、より包括的なニヤーヤの視点から評価されなければならない」と強調しました。
またセン博士は、二つの概念の違いが実際の政治に現れた例として、古代インドのアショカ王と宰相カウティリヤの治政を、次のように対比させています。
——紀元前4世紀に『実利論』を著したカウティリヤは、アショカ王の祖父に宰相として仕えた人物で、その最大の関心は「政治上の成功」と、経済効率の高い成果を生み出す「制度の役割」に注がれていた。
一方、アショカ王の治政は専ら「人々の行為」に焦点を合わせたものだった。
アショカ王の思想には、「社会の豊かさは、力によって強制されるのではなく、人々の自発的な良い行ないを通して達成することができる」との確信が含まれていた——と。
◇偏見や暴走に流されない楔
こうしたアショカ王の思いは、自らが率いた他国への侵略が惨劇を引き起こしたことに対し、激しい悔恨の念にさいなまれ、仏教への信仰を深める中で培われたものでした。
仏教の根幹には「中道」という思想があります。「ニヤーヤ」の概念に敷衍して言えば、一切の基準を人間の幸不幸に置き、自分の行動の影響が及ぶ人々の姿を思い浮かべながら、それが道に適ったものなのか、どこまでも心を砕く思想というべきものです。
一方の「ニーティ」的な思想は、セン博士が「今日の多くの経済学者は、金で動かされる人間観をカウティリヤと共有している」と懸念の言葉を述べているように、現代の社会でも大きな位置を占めています。
しかし、そこで何よりも重視されるのは、成長率や利潤の最大化といった数値的なアップであって、数字に換算しにくいために軽視されがちな弱い立場の人々の存在が、切り捨てられてしまう恐れがあります。
同様に、ヘイトスピーチに象徴される排他主義は、「自分たち」と「他の集団に属する人々」との対を、一切の例外なく、「善」と「悪」との対に置き換えてしまうものです。
では、分断をもたらす排他主義や、犠牲を顧みない経済的合理性の追求に抗する、社会の楔となるものは何か——。
私は、一人一人の顔といった具体的な像をもって心に立ち現れる「友情」のような、確固たる結びつきではないかと考えます。
「私の経験では、伝統的な偏見を徐々になくしてゆくのは、個人的な付き合いであった。どんな宗教、国籍、あるいは人種の人とでも、その人と個人的に付き合えば、かならずその人が自分と同じ人間であることがわかるものである」(『交遊録』長谷川松治訳、社会思想社)
かつて対談した歴史家のアーノルド・J・トインビー博士の言葉です。
友情のかけがえのなさは、私自身、世界の人々と交流を重ねる中で身をもって実感してきたものでした。80点近くに及ぶ対談集の一つ一つも、歩んできた人生や信仰は違っても「平和を願う心情」に変わりはないことの証しであり、「次の世代に歴史の教訓を伝え残したい」との互いの思いが相まった"友情の結晶"にほかなりません。
◇移民たちを支えたアダムズの活動
移民の人々を取り巻く状況についても、ジョン・デューイ協会のジム・ガリソン元会長とラリー・ヒックマン元会長とのてい談で、語り合ったことがあります。
その際、アメリカで先駆的な社会活動を行った、ジェーン・アダムズの取り組みが話題になりました。
トインビー博士の叔父の名を冠した、ロンドンにある福祉施設のトインビー・ホール=注3=を訪問し、感銘を受けたアダムズが、自分も同様の活動を行いたいと始めたものです。
19世紀末、アダムズが施設を開設したシカゴの貧困地域に暮らしていたのは、大半が移民でした。
アダムズの評伝によると、経済的な困窮と劣悪な環境に苦しむ移民にとって、ハル・ハウスと呼ばれたこの施設は「自由に息ができる唯一の避難場所」になったといいます。
そこでは、「自分たちの言語を話し、音楽を奏で、自分たちの文化を生きることができた」と(アンゲリーカ・U・ロイッター/アンネ・リュッファー『ピース ウーマン』松野泰子・上浦倫人訳、英治出版を引用・参照)。
こうして移民の人々は、アダムズらの手助けを得ながら、アメリカでの新しい生活の基盤を固めていくことができたのです。
また、"人類を結びつけることは分離させることよりも価値がある"との信念で行動したアダムズに影響を受けた若者たちが、社会科学者やソーシャルワーカーの第一世代になっていきました。彼らの粘り強い研究と調査によって、移民をはじめ貧困に苦しむ人々を救う法律の改正も進んでいったのです。
ヒックマン元会長は、アダムズらの活動は、「ますますグローバル化(地球一体化)する世界と向き合う私たちにとって、重要な教訓を与えてくれます」(『人間教育への新しき潮流』第三文明社)と述べていましたが、私も深く同意します。
◇当時、活動を支えた人々は語っています。
「ハル・ハウスで働いていた私たちは、世界じゅうを善くするなどという大それた望みは持ちませんでした。ただ、自分たちのまわりのさびしい人々の友だちになりたいと、それだけをいつも考えていました」(ジャッドソン『ジェーン・アダムスの生涯』村岡花子訳、岩波書店)と。
それは、アダムズ自身の信条とも重なり合っていました。
「わたくしたちは、友だちになり隣人になることができます。あの人たちから、人間の暮らしのほんとうの姿をおしえてもらい、わたくしたちの誇る『文明』のどこに、たりない点があるかを知ることができます」(同)というのが、彼女の思いだったからです。
このように、互いの思いを通わせ合う中で、人間の心を深部で揺り動かすものこそ、一対一の友情ではないでしょうか。
インドネシアのアブドゥルラフマン・ワヒド元大統領も、社会で声高に叫ばれる対立の構図に流されないよう、警鐘を鳴らしていたことを思い起こします。
イスラム団体の指導者を長らく務めたワヒド元大統領は、「文明と文明との間にみられる差異は、本来、"衝突するか否か"の問題ではない」(『平和の哲学 寛容の智慧』潮出版社)とし、他者への無理解や偏見を克服することが一番の課題になると強調していたのです。
その上で、何度も友情の大切さを訴えつつ、自らの留学経験に触れ、「青年には、自身の利益だけを考える人ではなく、社会の利益を考える人、世界の平和共存のために行動する人になってもらいたい」(同)と、青年交流への強い期待を寄せていました。
私も、宗教や文化的背景の異なる世界の人たちと友情の絆を一つ一つ結ぶ中で、平和のための連帯を築いてきただけに、ワヒド元大統領の言葉が深く胸に染みます。
戸田第2代会長の「地球民族主義」や「原水爆禁止宣言」を基盤に、私が1996年に戸田記念国際平和研究所を創立した際、初代所長にイラン出身の平和学者のマジッド・テヘラニアン博士に就任していただいたのも、そうした友情が機縁となったものでした。
◇「不戦の世代」を築き上げる挑戦
世界は、単なる国の集まりでもなければ、宗教や文明だけで構成されているものでもありません。
固有の背景を持ちながらも"誰一人として同じではない人間"の営みが織り成す中で、世界は息づいています。
民族や宗教といった枠組みに基づいて、他の人々を一律に判断するのは、本来は限りなく豊かな一人一人の人間の実像をゆがめる結果を招いてしまう。
そうではなく、一対一の友情を通し、互いの存在のかけがえのなさを心の底から感じた時に、民族や宗教といった差異も、友の姿によって照らし出された多様性の輝きに包まれていくのではないでしょうか。
その友情という磁場があればこそ、自分の生き方に迷った時には"羅針盤"となって、進むべき道を見いだすことができる。
また、社会が誤った方向に傾きかけた時には、その傾斜を立て直す方途を浮かび上がらせる"映し鏡"ともなっていきます。
私どもSGIが、一貫して民間交流の裾野を広げる努力を続け、特に青年交流に力を入れる中で、顔と顔とが向き合う一対一の友情を大切に育んできた理由もそこにあります。
国と国が緊張関係に陥った時や、宗教対立が深まった時でも、友情の絆を足場に、憎悪の扇動に押し流されない。一人一人の顔を思い浮かべながら、友が悲しむような社会にしては断じてならないと、対立から共存への流れを自分の足元からつくり出す——。
暴力の連鎖を断ち切り、友好を深め合う「不戦の世代」をグローバルに築き上げることに、その眼目はあるのです。
何より、友との語らいには喜びが宿っています。言葉を交わすこと自体が楽しく、互いの存在が励みになるのが友情です。
であればこそ友情は、困難な課題に立ち向かう勇気の支えとなるのです。
若い世代の間で、友情の水嵩が増していけばいくほど、社会は必ず大きく変わっていきます。
いかなる分断の濁流も押し返す、多様性の尊重に基づいた「平和の文化」のうねりは、青年たちの友情から力強く巻き起こっていくと、私は期待してやまないのです。
◇包括的に解決を図るアプローチ
最後に、第三の柱として挙げたいのは、どんな困難に直面しても、状況を好転させる力を地域で高めていくことです。
SDGsには、以前のミレニアム開発目標と比べて多くの違いがありますが、特に重要だと思うのは、市民社会の声を十分に踏まえる形で採択された点です。
国連では制定作業にあたり、女性や若者をはじめ、さまざまな人たちとの対話を進めたほか、重点的に取り組んでほしい課題を投票する調査を行い、700万人以上が参加しました。
30歳未満の若者が参加者の7割以上を占める中、調査で上位となった、教育、保健、雇用など多くの項目が、SDGsに盛り込まれました。
こうした経緯を踏まえて、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」には、次の一文が記されています。
「すでに幾百万もの人々が、このアジェンダに関わり、自分のものにしようとしている。これは『民衆の民衆による民衆のためのアジェンダ』であり、その一点がアジェンダを成功に導くと、我々は信じる」
このような"民衆のアジェンダ"という骨格を据えることは、私が5年前、SDGsを制定する出発点となった「リオ+20」(国連持続可能な開発会議)に寄せた提言で、強く呼び掛けた点でもありました。
多くの人が自分に関わる課題として、行動を起こしていかなければ、どんな目標も力を得ることは難しいと考えたからです。
"民衆のアジェンダ"であるSDGsには、もう一つの特徴があります。
貧困や飢餓といったテーマごとの前進を図ったミレニアム開発目標とは異なり、全ての課題は相互に深く関連し包括的に解決を進める必要があるとの認識に立って、新たなアプローチが志向されていることです。
つまり、個々の取り組みを連動させる形で、他の多くの目標も前進させる"好循環"を生み出すことが目指されているのです。
例えば、安全な水の確保が進んでいけば(SDGsにおける目標6)、病気や感染症に苦しむ人が減り(目標3)、毎日、長時間の水くみをしてきた女性の負担が軽減し、仕事に就く道も開かれ(目標5)、極度の貧困から脱することができ(目標1)、子どもたちも学校に通えるようになる(目標4)——といったプラスの連鎖です。
これは、「ネクサス(関係)アプローチ」と呼ばれ、SDGsの開始前から、国連大学の研究所で研究が進められてきたほか、実際に各地で試みられてきたものでした。
SDGsには17分野にわたる169の項目がありますが、多岐に及ぶ課題の関連性を見いだしながら、同時進行的に解決を図っていくアプローチといえます。
気候変動や格差の拡大など、ミレニアム開発目標では対象となっていなかった課題がSDGsに多く追加されています。
しかし、いずれも元をたどれば、人間がつくり出したものである以上、人間の手で解決できないはずはない。行動を起こし、一つでも問題解決の足がかりを築ければ、そこから一点突破で、他の問題も解決に導く歯車を回すことができるのではないでしょうか。
◇関係性の網に自分の糸を紡ぐ
大乗仏教には、この問題解決のダイナミズムを示唆するような「煩悩即菩提」の法理が説かれています。
人間の幸福は、悩みや苦しみをもたらす煩悩をなくすことや、そこから離れることで得られるのではなく、悩みや苦しみを抱える自分自身の生命にこそ、菩提(人生を切り開く智慧や力)が秘められているとする、"視座の逆転"を提示した法理です。
問題は、煩悩の苦しみだけにあるのではない。煩悩にどう向き合い、そこからどのような行動に踏み出すかにあります。
日蓮大聖人も、法華経の「一切の苦・一切の病痛を離れ、能く一切の生死の縛を解かしめたまう」の文について、「離の字をば明とよむなり」(御書773ページ)と説きました。
自分を取り巻く問題と真正面から向き合い、状況を明らかにして行動を起こす中で、煩悩の苦しみを感じていた自分が、そのまま、幸福を自ら切り開く存在になっていけることを説いた変革の原理なのです。
また仏教では、その変革の波動は、相互連関を織り成す関係性の網を通して、周囲や社会にも大きく広げていくことができると促しています。
状況に縛られるのではなく、自分の手で関係性を紡ぎ出し、状況を変えていくという視点は、興味深いことに、哲学者のハンナ・アーレントが、「フマニタス(真に人間的なもの)」について論じた際に提起していたものでもありました(以下、ジェローム・コーン編『アーレント政治思想集成1』齋藤純一・山田正行・矢野久美子訳、みすず書房)。
彼女は、師であるヤスパースの「公共的領域への冒険」の言葉を通し、こう述べています。
真に人間的なものは孤立したままでは得ることはできず、「自分の生ならびに人格を『公共的領域への冒険』に委ねることによってのみ達成されうる」と。
そしてその冒険は、「関係性の網の目のなかに、私たちが自分自身の糸を紡いでいくということ」であると位置づけました。
私が何よりも共感したのは、「それがどのような結果を生むかは、私たちにはけっしてわかりません」と断りながらも、アーレントが深い確信をもって語った次の結論です。
「この冒険は人間を信頼することにおいてのみ可能であると申し上げておきたいと思います。つまり、なかなかそれとしてイメージを結ぶことは難しいけれども、根本的な意味であらゆる人間が人間的なものに対して信頼を抱くことです。そうでなければ冒険は不可能です」
その信頼とは、「根本的な意味で」とあるように、自分自身への信頼や、周囲の人々に対する信頼にとどまらず、"自分たちの生きる世界にどこまでも希望を失わず向き合う"という意味での信頼をも含んでいるのではないでしょうか。
◇タンザニアの女性が勝ち取ったもの
国連機関のUNウィメンは昨年、「私のいる場所から」と題し、厳しい環境に置かれながらも人々のために行動し、SDGs推進の一端を担う女性たちを紹介しました。
その中に、タンザニアでソーラー発電の技術者として活躍する女性がいます。
障がいのある彼女は、苦労を重ねながら技術を身につけ、その知識を自分の村のために生かす努力を続けてきました。
当初、多くの男性は、彼女の仕事を認めようとしませんでした。
しかし、彼らの家にソーラー器具を設置して光を灯し、壊れた時には修理を行う中で、次第に彼女の仕事に敬意を払う男性たちも出始めるようになったといいます。
彼女は語っています。
「日が沈むと暗闇に包まれていたかつての村に、今は光が灯ります。たった今ですが、二人の子供が、私の直したソーラーランタンを引き取りに来ました。大きな笑顔を浮かべていました。きっと今夜宿題をすることができるのでしょう」(UN Women日本事務所のウェブサイト)
ここでは、再生可能エネルギーの導入が進むだけでなく、女性に対する見方が少しずつ改められ、子どもたちが勉強する環境も整えられている——まさに"民衆のアジェンダ"の字義通り、一人の女性が立ち上がったことで、SDGsを前進させるプラスの連鎖が、タンザニアの村で実際に起きているのです。
私は、地道ながらも尊い彼女の取り組みに、アーレントの言う「自分自身の糸を紡いでいく」ことで、自分の今いる場所を照らし出す「フマニタス(真に人間的なもの)」の輝きをみる思いがしてなりません。
問題解決の力は、特別な人だけに具わっているわけではありません。
現実と向き合い、その重みの一端を引き受け、行動の波を起こす——。
困難を乗り越える力は、自分が感じた心の痛みを決意に変えることで、誰にでも発揮できる道が開けていくのです。
とりわけ青年には、みずみずしい感性と理想への情熱を燃やして、人々をつなぐ信頼と信頼との結節点となり、プラスの連鎖を巻き起こす大きなエネルギーがあります。
◇無力感を打ち払う青年部の取り組み
戸田第2代会長の「原水爆禁止宣言」以来、私ども創価学会とSGIの平和運動の中核を、一貫して担ってきたのも青年です。
現代社会に広がる"自分が行動したところで何も変わらないのではないか"との無力感を打ち払い、「今ここにいる自分だからこそ、果たせる使命がある」との思いに立って、意欲的な行動を広げています。
日本の青年部は、3年前からSOKAグローバルアクションの運動を行い、東日本大震災で深刻な被害を受けた東北の"心の復興"を後押ししてきたほか、中国や韓国との交流を通じた「アジアの友好」の推進と、「平和の文化」を建設し、核兵器の廃絶を目指す活動を進めてきました。
各国の青年部も、環境保護の活動や人権教育をはじめ、非暴力の意識を高める取り組みなど、現実変革への挑戦を続けています。
SDGsに焦点を当てた活動にも力を注いでおり、昨年11月には、「青年こそがSDGsの普及と推進をレベルアップさせる」と題する会議を国連本部で共催しました。
「持続可能な開発のための2030アジェンダ」担当のデビッド・ナバロ国連事務総長特別顧問は、会議でこう訴えました。
「世界中の青年が持続可能な開発の運動で活躍できる場を作らなければならない。青年は共に行動し、歓喜を共有し、信頼し合うことを求めている」
私どもが、SDGsの挑戦にかける思いもまったく同じであります。
青年は、目の前の脅威への不安を感じなければ動けないような消極的な存在ではありません。一つ一つの課題に立ち向かう挑戦の中に分かち合う喜びがあり、希望があると信じるからこそ前に進んでいくのです。
SDGsには、目標達成を義務づける拘束力はないものの、2030アジェンダの題名に記されているように、そこには「私たちの世界を変革する」との希望が息づいています。
その希望を自らの誓いとして立ち上がる青年の行動が広がっていけば、全ての目標に前進のギアを入れる力を生み出すことができるのではないでしょうか。
私どもSGIは、今後も青年を中心に、地域の課題からグローバルな脅威にいたるまで、問題解決のためのプラスの連鎖を巻き起こす挑戦に取り組んでいく決意です。
2017年2月6日月曜日
2017.02.06 わが友に贈る
◇今週のことば
仏縁を結ぶ「勇気」
心を動かす「確信」
信頼を生む「誠実」
地涌の誇りも高く
幸の眷属を広げゆけ!
2017年2月6日
兄弟抄 P1083
『各各随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金はやけば真金となる』
☆女性に贈ることば 二日六日
負けるな! 断じて負けるな!
幸福が人生の目的だ。
そのために努力を!
そのために忍耐を!
生き抜くのだ。
愉快に生き抜くのだ。
強く生き抜くのだ。
☆今日のことば365 二月六日
信頼と尊敬に包まれた美しい人生の送れる人は、必ず、深く父母や師、また国家社会から受けた恩を知っている人だといえないだろうか。
☆二月闘争 65周年 池田先生の行動に学ぶ 2017年2月1日
「師弟の精神」は絶対勝利の力
〈拡大の要諦〉
・祈りから出発
・近隣を大切に
・体験を語る
恩師・戸田先生の願業である75万世帯の実現へ、池田先生が当時の支部における弘教の限界を打ち破った「二月闘争」から65周年。師の構想実現のため、弟子はいかに戦い、勝ったのか。その行動に学ぶ。
1951年(昭和26年)5月3日、戸田先生は会長就任式で宣言した。
「私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします」
当時の会員数は約3000人。"戸田先生は、うんと長生きされるのだろう"と考える幹部もいたほど、「75万世帯の折伏」を、ほとんどの人が"夢物語"と受け止めたのである。
実際、広布は遅々として進まず、その年の12月の拡大は、全国で466世帯。このままでは、75万の達成には、100年以上もかかってしまう——。
年が明けた52年(同27年)1月、戸田先生は叫んだ。
「『雁行進』は、今月をもって、一切、打ち切りとする!」
雁は、横一列の編隊を組んで飛ぶ鳥である。横一線で、お互いが張り合っているのであれば、勢いも出るだろう。だが、馴れ合いになれば、惰性に陥るだけだ。
戸田先生は、「驀進あるのみ」と訴え、24歳の池田先生を蒲田支部の支部幹事に任命した。
闘争に臨む覚悟を、池田先生はつづっている。
「戸田先生が広布の大師匠として立たれた今、いったい誰が『戸田先生! 戸田先生!』と叫び抜いて、真実の『師弟不二の道』を示すのか」
「創価の師弟に流れ通う『絶対勝利の血脈』を、学会総体にみなぎらせるのだ」
「師と共に」「師のために」——この弟子の決定した一念こそ、一切の戦いの根本であることを、池田先生は、「二月闘争」で示したのである。
◇
「二月闘争」で、池田先生は現在の「ブロック」に当たる「組」に焦点を当て、「組2世帯の弘教」という明確な目標を掲げた。
組には入会から日の浅い友もいた。組中心の戦いに対して、"できるわけがない"と言いだすリーダーまでいた。
だが、組単位の活動は、戸田先生の構想である。組中心の活動が軌道に乗るのか、停滞するのか——。
それは、師の広布の構想を実現する戦いであり、今後の学会の命運を決する試金石でもあった。
池田先生は「新しい人」を信じた。「新しい人」には、「新しい力」があるからだ。同志の勇気を鼓舞し、自ら広布の最前線に飛び込んで励ましを送っていった。
率先の行動を起こし、同志と共に動き、共に語りながら、先生は「二月闘争」で、三つの具体的な取り組みを展開した。
1点目は「祈りから始める」ということである。
先生は会合が始まる前に会場に到着し、必ず御本尊の前に座った。その姿を、蒲田支部の友は模範とした。祈りから出発することが、伝統となった。
2点目は「近隣を大切にする」である。
先生は当時、大田区内の「青葉荘」というアパートに住んでいた。近隣に爽やかにあいさつをし、時には子どもたちと、一緒に遊んだこともあった。
やがて、自らの部屋で開いた座談会に、隣近所の人たちが参加するように。入会する人も出た。
3点目は「体験を語る」。
先生は青年に、信仰体験を持つ壮年・婦人と一緒に対話に歩くよう訴えた。それは、「各部一体の団結」の先駆けであった。
また、自らの体験を語りながら、同席した友にも、体験や教学の基本を語るよう促すこともあった。その中で、皆が自信と確信を深めていったのである。
◇
「二月闘争」の勝利は、2月だけに終わらなかった。蒲田支部は"三月闘争""四月闘争"も勝ち、その後も連続勝利の歴史を刻んだ。
その勢いは、四国や九州、東北、北海道など、全国に波及していった。「二月闘争」によって、恩師の願業実現への突破口が開かれたのである。
「二月闘争」とは、「壁を破る」先駆の戦いである。その精神は今、世界広布新時代を担う青年にも受け継がれている。
野中正博さん(東京・大田総区、区男子部主任部長)は、祖父と母が「二月闘争」の折に入会した。
9年前、条件のいい職場へ転職を勝ち取った。それまでは、仕事が多忙で、学会活動への参加は難しかったが、転職を機に、挑戦を開始。弘教も実らせた。
一昨年12月、先生が大田池田文化会館を訪問した。師の激励に応えようと、大田総区男子部は昨年2月、訪問激励に率先。翌月の記念総会を、1200人の男子部の陣列で飾った。野中さんも、師の青春の故郷で、人材の拡大に奔走した。
野中さんは現在、区牙城会委員長としても奮闘。「学会厳護」の使命に燃え、同志の激励に駆ける。
桑田啓子さん(同、総区女子部主任部長)の原点は、「二月闘争」50周年の時。この時、初めて友人を入会に導いた。
「"勝ってこその信心"。それが『二月闘争』の精神ということを教わりました」
祖母は、「二月闘争」の火ぶたを切った、鵜の木三丁目の集会所の「緊急組長会」に出席。「201世帯目」の弘教を実らせた。
緊急組長会で、池田先生は"戸田先生の誕生月を広布拡大でお祝いしよう"と語った。その心に、皆が呼吸を合わせたことが、「壁を破る」拡大を成し遂げた原動力となった。
桑田さんも今、"先生と共に"との心で、仲良き華陽姉妹と、地域で対話の花を咲かせている。
◇
「二月闘争」の魂は今、世界の友にも広がっている。
昨年2月、インド創価学会(BSG)では、「カマタ(蒲田)キャンペーン」と題し、各地区で「二月闘争」を研さん。
友の心は勇気でみなぎり、対話に躊躇していたメンバーも歓喜をもって弘教に飛び出した。皆に「アイ アム シンイチ・ヤマモト(私は山本伸一だ)!」との決意があふれた。
時を同じくして取り組んだのが、「黄金地区」の達成である。
その内容は、地区で�1回の地区座談会に16人の新来者が参加�1カ月で60人の訪問激励を行う、というもの。
これまでにない戦いだったが、1000を超える地区が黄金地区を達成し、BSGは15万5000人の陣列を築き上げた。
75万世帯の達成へ、さらには今日の世界広布への「驀進」の原動力となった「二月闘争」。池田先生はつづっている。
「学会員は皆、偉大な菩薩である。ひとたび使命を自覚するならば、必ず第一級の広布の闘士として、本領を発揮できないわけがない。破れぬ壁など、断じてないのである」
仏縁を結ぶ「勇気」
心を動かす「確信」
信頼を生む「誠実」
地涌の誇りも高く
幸の眷属を広げゆけ!
2017年2月6日
兄弟抄 P1083
『各各随分に法華経を信ぜられつるゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金はやけば真金となる』
☆女性に贈ることば 二日六日
負けるな! 断じて負けるな!
幸福が人生の目的だ。
そのために努力を!
そのために忍耐を!
生き抜くのだ。
愉快に生き抜くのだ。
強く生き抜くのだ。
☆今日のことば365 二月六日
信頼と尊敬に包まれた美しい人生の送れる人は、必ず、深く父母や師、また国家社会から受けた恩を知っている人だといえないだろうか。
☆二月闘争 65周年 池田先生の行動に学ぶ 2017年2月1日
「師弟の精神」は絶対勝利の力
〈拡大の要諦〉
・祈りから出発
・近隣を大切に
・体験を語る
恩師・戸田先生の願業である75万世帯の実現へ、池田先生が当時の支部における弘教の限界を打ち破った「二月闘争」から65周年。師の構想実現のため、弟子はいかに戦い、勝ったのか。その行動に学ぶ。
1951年(昭和26年)5月3日、戸田先生は会長就任式で宣言した。
「私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします」
当時の会員数は約3000人。"戸田先生は、うんと長生きされるのだろう"と考える幹部もいたほど、「75万世帯の折伏」を、ほとんどの人が"夢物語"と受け止めたのである。
実際、広布は遅々として進まず、その年の12月の拡大は、全国で466世帯。このままでは、75万の達成には、100年以上もかかってしまう——。
年が明けた52年(同27年)1月、戸田先生は叫んだ。
「『雁行進』は、今月をもって、一切、打ち切りとする!」
雁は、横一列の編隊を組んで飛ぶ鳥である。横一線で、お互いが張り合っているのであれば、勢いも出るだろう。だが、馴れ合いになれば、惰性に陥るだけだ。
戸田先生は、「驀進あるのみ」と訴え、24歳の池田先生を蒲田支部の支部幹事に任命した。
闘争に臨む覚悟を、池田先生はつづっている。
「戸田先生が広布の大師匠として立たれた今、いったい誰が『戸田先生! 戸田先生!』と叫び抜いて、真実の『師弟不二の道』を示すのか」
「創価の師弟に流れ通う『絶対勝利の血脈』を、学会総体にみなぎらせるのだ」
「師と共に」「師のために」——この弟子の決定した一念こそ、一切の戦いの根本であることを、池田先生は、「二月闘争」で示したのである。
◇
「二月闘争」で、池田先生は現在の「ブロック」に当たる「組」に焦点を当て、「組2世帯の弘教」という明確な目標を掲げた。
組には入会から日の浅い友もいた。組中心の戦いに対して、"できるわけがない"と言いだすリーダーまでいた。
だが、組単位の活動は、戸田先生の構想である。組中心の活動が軌道に乗るのか、停滞するのか——。
それは、師の広布の構想を実現する戦いであり、今後の学会の命運を決する試金石でもあった。
池田先生は「新しい人」を信じた。「新しい人」には、「新しい力」があるからだ。同志の勇気を鼓舞し、自ら広布の最前線に飛び込んで励ましを送っていった。
率先の行動を起こし、同志と共に動き、共に語りながら、先生は「二月闘争」で、三つの具体的な取り組みを展開した。
1点目は「祈りから始める」ということである。
先生は会合が始まる前に会場に到着し、必ず御本尊の前に座った。その姿を、蒲田支部の友は模範とした。祈りから出発することが、伝統となった。
2点目は「近隣を大切にする」である。
先生は当時、大田区内の「青葉荘」というアパートに住んでいた。近隣に爽やかにあいさつをし、時には子どもたちと、一緒に遊んだこともあった。
やがて、自らの部屋で開いた座談会に、隣近所の人たちが参加するように。入会する人も出た。
3点目は「体験を語る」。
先生は青年に、信仰体験を持つ壮年・婦人と一緒に対話に歩くよう訴えた。それは、「各部一体の団結」の先駆けであった。
また、自らの体験を語りながら、同席した友にも、体験や教学の基本を語るよう促すこともあった。その中で、皆が自信と確信を深めていったのである。
◇
「二月闘争」の勝利は、2月だけに終わらなかった。蒲田支部は"三月闘争""四月闘争"も勝ち、その後も連続勝利の歴史を刻んだ。
その勢いは、四国や九州、東北、北海道など、全国に波及していった。「二月闘争」によって、恩師の願業実現への突破口が開かれたのである。
「二月闘争」とは、「壁を破る」先駆の戦いである。その精神は今、世界広布新時代を担う青年にも受け継がれている。
野中正博さん(東京・大田総区、区男子部主任部長)は、祖父と母が「二月闘争」の折に入会した。
9年前、条件のいい職場へ転職を勝ち取った。それまでは、仕事が多忙で、学会活動への参加は難しかったが、転職を機に、挑戦を開始。弘教も実らせた。
一昨年12月、先生が大田池田文化会館を訪問した。師の激励に応えようと、大田総区男子部は昨年2月、訪問激励に率先。翌月の記念総会を、1200人の男子部の陣列で飾った。野中さんも、師の青春の故郷で、人材の拡大に奔走した。
野中さんは現在、区牙城会委員長としても奮闘。「学会厳護」の使命に燃え、同志の激励に駆ける。
桑田啓子さん(同、総区女子部主任部長)の原点は、「二月闘争」50周年の時。この時、初めて友人を入会に導いた。
「"勝ってこその信心"。それが『二月闘争』の精神ということを教わりました」
祖母は、「二月闘争」の火ぶたを切った、鵜の木三丁目の集会所の「緊急組長会」に出席。「201世帯目」の弘教を実らせた。
緊急組長会で、池田先生は"戸田先生の誕生月を広布拡大でお祝いしよう"と語った。その心に、皆が呼吸を合わせたことが、「壁を破る」拡大を成し遂げた原動力となった。
桑田さんも今、"先生と共に"との心で、仲良き華陽姉妹と、地域で対話の花を咲かせている。
◇
「二月闘争」の魂は今、世界の友にも広がっている。
昨年2月、インド創価学会(BSG)では、「カマタ(蒲田)キャンペーン」と題し、各地区で「二月闘争」を研さん。
友の心は勇気でみなぎり、対話に躊躇していたメンバーも歓喜をもって弘教に飛び出した。皆に「アイ アム シンイチ・ヤマモト(私は山本伸一だ)!」との決意があふれた。
時を同じくして取り組んだのが、「黄金地区」の達成である。
その内容は、地区で�1回の地区座談会に16人の新来者が参加�1カ月で60人の訪問激励を行う、というもの。
これまでにない戦いだったが、1000を超える地区が黄金地区を達成し、BSGは15万5000人の陣列を築き上げた。
75万世帯の達成へ、さらには今日の世界広布への「驀進」の原動力となった「二月闘争」。池田先生はつづっている。
「学会員は皆、偉大な菩薩である。ひとたび使命を自覚するならば、必ず第一級の広布の闘士として、本領を発揮できないわけがない。破れぬ壁など、断じてないのである」
2017年2月5日日曜日
2017.02.05 わが友に贈る
「青年」とは
「希望」の異名だ!
青年の心で
青年と共に歩む人も
断じて行き詰まらない!
弥三郎殿御返事 P1451
『但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』
☆女性に贈ることば 二月五日
親や周囲が、思春期の特徴をよく理解することだ。子どもの言うことをよぐ聞いてあげる。子どもをありのまま受け入れる。さらに子どもがほっとする居心地のいい家庭をつくる。そういう努力をはらいながら、思春期は勇気をもって耐える期間であると受け止めて、接していってはどうだろうか。
☆今日のことば365 二月五日
主義主張に戦う者は、生涯、駒を進めることを瞬時も忘れてはならない。自己の使命を強く決意した、崇高なる戦いほど強力なものはない。いかなることも、逞しく建設していけるものだ。もし使命に目覚めないならば、人間ほど弱く脆く汚いものはないだろう。
☆誓いの天地 東京・北区 2017年1月20日
◇わが町に光る 希望の北極星
◇"喜び多き"勝利の道を
「『半平』の明かりが見えるとほっとする。王子に帰ってきた気がしてね」と常連客は言う。
JR王子駅で降りると目に飛び込む「半平」の看板。旬の食材を生かした釜飯やすき焼きが大好評の、駅前を象徴する食事処だ。
4代目店主として店を切り盛りするのが、藤原一郎さん(喜多創価区、男子部副本部長)。
創業70年。終戦後、"若い人にご飯をおなかいっぱい食べさせてあげたい"と祖母らが開業した。
北区は戦後の高度成長期に人口が急増し、集団就職で上京する若者も多かった。祖母は、身寄りのない女性を引き取り、一緒に職を探して面倒を見たこともあった。
半平のすぐそばにある王子百貨店では、たびたび戸田先生の講義が行われていた。「婦人訓」が発表されたのも、この会場である。
ある時、祖母は知人に誘われて講義へ。女性を最大に尊敬する戸田先生の心に触れ、入会を決めた。
以来、藤原さん一家は、広布の会場として自宅を提供してきた。
円高や大手チェーン店の進出などで、経営が苦しくなる時もあった。座談会に集う友を笑顔で迎えながら、"この座談会が最後か"と覚悟したことも、一度や二度ではない。だが、そのたびに家族一丸となって広布拡大に挑み、経営難や家族の病等の一切の困難を、信心で乗り越えてきた。
藤原さんは毎年のように弘教を実らせ、これまで15人を入会に導いた。牙城会の区大学校団長としても模範の人材育成に取り組む。
半平は近年、寄席やジャズといったイベントの会場としても親しまれ、地域の祭りでは休憩所に。老若男女が心を通わせる、交流の場としてにぎわう。
「"楽しいひととき"を送り続け、王子の発展に尽くしたい」。創業100周年のその先を見つめつつ、藤原さんは力を込める。
◇
荒川を挟んで埼玉県と接する北区は、桜の名所である飛鳥山公園など、情緒豊かな景観が広がる。
JRの駅の数は23区で最も多く、区内のほぼ全域が駅から徒歩10分圏内。都心へのアクセスも良く、子育ての環境も充実している。
中でも区の北西端の浮間はマンション建設が進み、転入する青年世代も多い。
浮間本部で女子部本部長を務める磯夢月さん(喜多池田区)は、創価女子短期大学を卒業後、大手都市銀行に勤務する。
信心の原点は、富士中学生合唱団での活動。ゴルバチョフ元ソ連大統領をはじめ、池田先生との会見のために訪れる識者を、歌声と笑顔で歓迎した。一つの出会いに全精力を注ぐ先生の姿を目の当たりにし、磯さんは"私の師匠は先生だ。生涯、先生の弟子として広布に生き抜こう"と誓った。
銀行に入った直後、仕事が思うようにいかず、苦しい日々が続いた。祈りを重ねては、先生の指導を学んで奮起した。職場で"なくてはならない存在"になろうと決め、猛勉強。4期連続で支店長表彰を受け、常務賞にも選ばれた。
そうした磯さんの姿に、職場の先輩が入会を決意するなど、信頼が着実に広がっている。
「信心の確信を築かせていただいた職場に、感謝の毎日です。短大出身の誇りを胸に、後輩の模範となっていきたい」
夜空に光り、真北を示す北極星のように、創価の青年が希望の輝きを放っている。
◇栄光の共戦譜
「大東京の難攻不落の『北の砦』こそ、わが誉れの北区創価学会」——池田先生が北総区の友に寄せる期待は、一貫して変わらない。
1984年(昭和59年)8月18日、先生は懇談会で、北区を拠点に名を轟かせた室町時代の名将・太田道灌を通し、「北の砦」の使命を語った。
さらに「北」は「喜多」に通ずると語り、「喜び多き喜多区でいこう!」と、人生勝利の要諦を打ち込んだのである。
先生自らが範を示し、北区の共戦の歴史は織り成されてきた。
本部幹部会で"座談会に全力を"と訴えた先生は、即座に最前線へ。東十条支部北地区の座談会(68年10月19日)では自ら司会を務めた。
参加者の質問や悩みに誠実に答え、先生は「生涯、強盛な信心を貫いていくならば、必ず幸福になります」「本当に強い人というのは、自分に負けない人のことなのです」と。その場で、新来者4人が入会を決意している。
JR田端駅近くに立つ北文化会館を池田先生が訪れたのは、1992年(平成4年)1月17日。
先生は、全同志の健康、長寿を祈念し、「強い人間は幸福です。勝った人は幸福です」「『北区ここにあり!』の思いで戦っていきなさい」と万感の期待を語った。
関口和子さん(喜多創価区、婦人部副本部長)は、長女の聖子さん(女子部副本部長)が前年12月から入院し、途方に暮れていた。
そのことを近藤ヨシ子さん(総区婦人部主事)が報告すると、先生は、"病気になったことで、幸福の因を積んだことになるんだよ""御本尊に全て任せて祈っていくんだよ"と心からの伝言を。
さらに、関口さん一家に寄り添う近藤さんにも、"人のために祈る。それはすでに仏です。仏の所作です。人のために尽くす。その功徳は生々世々に伝わっていく"と、ねぎらいの言葉を掛けた。
医師からは厳しい見通しが告げられた。時を同じくして、夫の金型加工会社の経営が悪化し、工場を閉鎖。多額の借金がのしかかる。
「でも、気持ちは負けませんでした。"池田先生が御本尊にお任せするんだとおっしゃっているんだから、その通りにお応えしていこう!"って」と和子さん。
病院の個室や屋上で「今日も元気で」を口ずさみ、自らを鼓舞。祈りを重ねた。一進一退の闘病の末、病状は好転。7年をかけ、聖子さんは見事に病を克服する。
2012年、今度は和子さんが病魔に襲われた。進行性の乳がんでステージ3。しかし、つかんだ確信が揺らぐことはなかった。
1年8カ月の抗がん剤治療等を経て、主治医は「前例がないほど薬が効きました。完全奏効です」と。現在まで再発はない。
長年、自宅を広布の会場に提供してきた関口さん一家。父と同居するために新居を探していた昨年1月17日、不動産会社から連絡があり、破格の条件で転居が決まる。
新居の詳細を知って和子さんは驚いた。かつて御祈念帳に書き連ねたが、いつしか忘れていた些細な点までも、全てが希望にかなっていた。工場の借金も完済できた。
「池田先生と広布に生きる感謝でいっぱいです」と、和子さんは喜びをかみしめる。
原点の「1・17」から25年。友の表情には充実と満足が光る。
荻野修さん(喜多戸田区、区主事)は、"北区は、いい人がいっぱいいるね"との、先生の慈愛の一言が忘れられないと振り返る。
19歳で入会した荻野さん。独立して卸売りを手掛けていた、入会30年の節目の時だった。
「先生の期待にお応えしたい。その一点で全てを勝ち開いてきました」。社会で実証を示し、第一線で激励に走る荻野さんの姿は、友の信心の模範となっている。
西川よしのさん(喜多牧口区、区婦人部主事)も、「1・17」に激励を受けた一人だ。
すばらしき
北区は喜多区と
うたわなむ
大東京を
四方に見つめて
この折に先生が詠んだ和歌を、西川さんは心に抱きしめてきた。
夫の事業の苦闘や子の病。その全てを勝ち越え、自治会などの責任者として地域に尽くしてきた。
池田先生はつづっている。
「仏法は勝負であり、人生もまた勝負である。この厳しき闘争のなかで、断固として、勝ち続ける! そこに、最も『喜び多い』痛快なる人生があるのだ」
歓喜の勝ちどきへ、「北の砦」の友は金剛の団結で驀進する。
「希望」の異名だ!
青年の心で
青年と共に歩む人も
断じて行き詰まらない!
弥三郎殿御返事 P1451
『但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり』
☆女性に贈ることば 二月五日
親や周囲が、思春期の特徴をよく理解することだ。子どもの言うことをよぐ聞いてあげる。子どもをありのまま受け入れる。さらに子どもがほっとする居心地のいい家庭をつくる。そういう努力をはらいながら、思春期は勇気をもって耐える期間であると受け止めて、接していってはどうだろうか。
☆今日のことば365 二月五日
主義主張に戦う者は、生涯、駒を進めることを瞬時も忘れてはならない。自己の使命を強く決意した、崇高なる戦いほど強力なものはない。いかなることも、逞しく建設していけるものだ。もし使命に目覚めないならば、人間ほど弱く脆く汚いものはないだろう。
☆誓いの天地 東京・北区 2017年1月20日
◇わが町に光る 希望の北極星
◇"喜び多き"勝利の道を
「『半平』の明かりが見えるとほっとする。王子に帰ってきた気がしてね」と常連客は言う。
JR王子駅で降りると目に飛び込む「半平」の看板。旬の食材を生かした釜飯やすき焼きが大好評の、駅前を象徴する食事処だ。
4代目店主として店を切り盛りするのが、藤原一郎さん(喜多創価区、男子部副本部長)。
創業70年。終戦後、"若い人にご飯をおなかいっぱい食べさせてあげたい"と祖母らが開業した。
北区は戦後の高度成長期に人口が急増し、集団就職で上京する若者も多かった。祖母は、身寄りのない女性を引き取り、一緒に職を探して面倒を見たこともあった。
半平のすぐそばにある王子百貨店では、たびたび戸田先生の講義が行われていた。「婦人訓」が発表されたのも、この会場である。
ある時、祖母は知人に誘われて講義へ。女性を最大に尊敬する戸田先生の心に触れ、入会を決めた。
以来、藤原さん一家は、広布の会場として自宅を提供してきた。
円高や大手チェーン店の進出などで、経営が苦しくなる時もあった。座談会に集う友を笑顔で迎えながら、"この座談会が最後か"と覚悟したことも、一度や二度ではない。だが、そのたびに家族一丸となって広布拡大に挑み、経営難や家族の病等の一切の困難を、信心で乗り越えてきた。
藤原さんは毎年のように弘教を実らせ、これまで15人を入会に導いた。牙城会の区大学校団長としても模範の人材育成に取り組む。
半平は近年、寄席やジャズといったイベントの会場としても親しまれ、地域の祭りでは休憩所に。老若男女が心を通わせる、交流の場としてにぎわう。
「"楽しいひととき"を送り続け、王子の発展に尽くしたい」。創業100周年のその先を見つめつつ、藤原さんは力を込める。
◇
荒川を挟んで埼玉県と接する北区は、桜の名所である飛鳥山公園など、情緒豊かな景観が広がる。
JRの駅の数は23区で最も多く、区内のほぼ全域が駅から徒歩10分圏内。都心へのアクセスも良く、子育ての環境も充実している。
中でも区の北西端の浮間はマンション建設が進み、転入する青年世代も多い。
浮間本部で女子部本部長を務める磯夢月さん(喜多池田区)は、創価女子短期大学を卒業後、大手都市銀行に勤務する。
信心の原点は、富士中学生合唱団での活動。ゴルバチョフ元ソ連大統領をはじめ、池田先生との会見のために訪れる識者を、歌声と笑顔で歓迎した。一つの出会いに全精力を注ぐ先生の姿を目の当たりにし、磯さんは"私の師匠は先生だ。生涯、先生の弟子として広布に生き抜こう"と誓った。
銀行に入った直後、仕事が思うようにいかず、苦しい日々が続いた。祈りを重ねては、先生の指導を学んで奮起した。職場で"なくてはならない存在"になろうと決め、猛勉強。4期連続で支店長表彰を受け、常務賞にも選ばれた。
そうした磯さんの姿に、職場の先輩が入会を決意するなど、信頼が着実に広がっている。
「信心の確信を築かせていただいた職場に、感謝の毎日です。短大出身の誇りを胸に、後輩の模範となっていきたい」
夜空に光り、真北を示す北極星のように、創価の青年が希望の輝きを放っている。
◇栄光の共戦譜
「大東京の難攻不落の『北の砦』こそ、わが誉れの北区創価学会」——池田先生が北総区の友に寄せる期待は、一貫して変わらない。
1984年(昭和59年)8月18日、先生は懇談会で、北区を拠点に名を轟かせた室町時代の名将・太田道灌を通し、「北の砦」の使命を語った。
さらに「北」は「喜多」に通ずると語り、「喜び多き喜多区でいこう!」と、人生勝利の要諦を打ち込んだのである。
先生自らが範を示し、北区の共戦の歴史は織り成されてきた。
本部幹部会で"座談会に全力を"と訴えた先生は、即座に最前線へ。東十条支部北地区の座談会(68年10月19日)では自ら司会を務めた。
参加者の質問や悩みに誠実に答え、先生は「生涯、強盛な信心を貫いていくならば、必ず幸福になります」「本当に強い人というのは、自分に負けない人のことなのです」と。その場で、新来者4人が入会を決意している。
JR田端駅近くに立つ北文化会館を池田先生が訪れたのは、1992年(平成4年)1月17日。
先生は、全同志の健康、長寿を祈念し、「強い人間は幸福です。勝った人は幸福です」「『北区ここにあり!』の思いで戦っていきなさい」と万感の期待を語った。
関口和子さん(喜多創価区、婦人部副本部長)は、長女の聖子さん(女子部副本部長)が前年12月から入院し、途方に暮れていた。
そのことを近藤ヨシ子さん(総区婦人部主事)が報告すると、先生は、"病気になったことで、幸福の因を積んだことになるんだよ""御本尊に全て任せて祈っていくんだよ"と心からの伝言を。
さらに、関口さん一家に寄り添う近藤さんにも、"人のために祈る。それはすでに仏です。仏の所作です。人のために尽くす。その功徳は生々世々に伝わっていく"と、ねぎらいの言葉を掛けた。
医師からは厳しい見通しが告げられた。時を同じくして、夫の金型加工会社の経営が悪化し、工場を閉鎖。多額の借金がのしかかる。
「でも、気持ちは負けませんでした。"池田先生が御本尊にお任せするんだとおっしゃっているんだから、その通りにお応えしていこう!"って」と和子さん。
病院の個室や屋上で「今日も元気で」を口ずさみ、自らを鼓舞。祈りを重ねた。一進一退の闘病の末、病状は好転。7年をかけ、聖子さんは見事に病を克服する。
2012年、今度は和子さんが病魔に襲われた。進行性の乳がんでステージ3。しかし、つかんだ確信が揺らぐことはなかった。
1年8カ月の抗がん剤治療等を経て、主治医は「前例がないほど薬が効きました。完全奏効です」と。現在まで再発はない。
長年、自宅を広布の会場に提供してきた関口さん一家。父と同居するために新居を探していた昨年1月17日、不動産会社から連絡があり、破格の条件で転居が決まる。
新居の詳細を知って和子さんは驚いた。かつて御祈念帳に書き連ねたが、いつしか忘れていた些細な点までも、全てが希望にかなっていた。工場の借金も完済できた。
「池田先生と広布に生きる感謝でいっぱいです」と、和子さんは喜びをかみしめる。
原点の「1・17」から25年。友の表情には充実と満足が光る。
荻野修さん(喜多戸田区、区主事)は、"北区は、いい人がいっぱいいるね"との、先生の慈愛の一言が忘れられないと振り返る。
19歳で入会した荻野さん。独立して卸売りを手掛けていた、入会30年の節目の時だった。
「先生の期待にお応えしたい。その一点で全てを勝ち開いてきました」。社会で実証を示し、第一線で激励に走る荻野さんの姿は、友の信心の模範となっている。
西川よしのさん(喜多牧口区、区婦人部主事)も、「1・17」に激励を受けた一人だ。
すばらしき
北区は喜多区と
うたわなむ
大東京を
四方に見つめて
この折に先生が詠んだ和歌を、西川さんは心に抱きしめてきた。
夫の事業の苦闘や子の病。その全てを勝ち越え、自治会などの責任者として地域に尽くしてきた。
池田先生はつづっている。
「仏法は勝負であり、人生もまた勝負である。この厳しき闘争のなかで、断固として、勝ち続ける! そこに、最も『喜び多い』痛快なる人生があるのだ」
歓喜の勝ちどきへ、「北の砦」の友は金剛の団結で驀進する。
2017年2月4日土曜日
2017.02.04 わが友に贈る
悩める友に寄り添い
最大の理解者になろう!
賢明に耳を傾け
同苦しゆくことが
我らの対話の真髄だ。
上野殿御消息 P1527
『かくれての信あればあらはれての徳あるなり』
☆女性に贈ることば 二月四日
苦しい時は、この間が永遠に続くような気がするものです。
しかし、そうではない。冬はいつか必ず春になります。永遠に続く冬はない。
誰よりも苦しんだあなたが、誰よりも人の心がわかるあなたなのです。誰よりもつらい思いをしたあなたは、誰よりも人の優しさに敏感なあなたのはずです。
☆今日のことば365 二月四日
弁解せぬ 人生であれ
堅実なる 人生であれ
健康なる 人生であれ
☆永遠なれ創価の大城 第15回 師弟共戦の勝利道 2017年1月25日
広宣流布の大願へ心勇みて
快活な対話を 新たな自分の二月闘争を!
朝夕に
宝友の健勝
祈る日日
諸天よ護れや
地涌の舞をば
日蓮大聖人は、佐渡や身延で厳しい冬を堪え忍ばれた。
「北国の習なれば冬は殊に風はげしく雪ふかし」(御書一〇五二ページ)、「雪つもりて山里路たえぬ」(同一五五四ページ)等と仰せの通りだ。その中でも、訪ねてきた門下を最大に励まされるなど、麗しい師弟の交流は絶えなかった。御書に厳と記されている。
我ら創価家族も、風雪に負けず、励まし合って前進していきたい。
特に聖教新聞の配達でご苦労をおかけする尊き「無冠」の皆様の絶対無事故とご健康を、更に強盛に祈ってまいります。
◇
今、「世界広布新時代」の朝を迎えた。その先頭を、「午前八時の太陽」の勢いで、地涌の青年たちが走り、広布拡大をリードしてくれている。
「若い世代のあいだに、責任感と率先して物事を行なう気構えとが、今や働きつつある」——戦後まもなく、こう語って青年に信頼を寄せたのが、大科学者アインシュタイン博士であった。
博士は九十五年前(一九二二年)に日本を訪れ、来日最初の講演会を慶応大学で行った。この記念すべき講演を、二十二歳の戸田先生は牧口先生と一緒に聴講され、生涯の誇りとされていた。
博士が旅の最後に訪れ、美しい風光を喜び讃えたのは、福岡の門司(現・北九州市)である。
その九州で今、皆が青年の心で「先駆」の使命を担い、拡大に挑んでいる。頼もしい限りだ。
アインシュタイン博士は、こんな言葉も残している。「高貴な思想と行為に導きうるのは、偉大でかつ純粋な個性の実例のみである」と。
率先垂範の「実例」がありてこそ、新たな価値創造の波動も広がる。
我らの掲げる「青年の拡大」も、先駆の「一人」から始まるのだ。
◇報恩の心で立つ
「いざ往かん
月氏の果まで
妙法を
拡むる旅に
心勇みて」
日蓮大聖人の立宗七百年の大佳節に当たる一九五二年(昭和二十七年)の一月、戸田先生が詠まれた和歌である。
当時の学会は、およそ六千世帯。しかし、恩師の眼は、日本を遙かに超え、東洋広布、さらに世界広布の壮大なる未来を見つめておられた。
妙法流布の使命に生きる人生が、どれほど尊貴であるか。全同志にその福徳と歓喜を知ってもらいたいと、先生は念願されていたのだ。
だが、残念ながら、一月の弘教も、どの支部とも伸び悩んでいた。
先生は"このままでは広宣流布はできない"と嘆かれ、二十四歳の私を蒲田支部の支部幹事に抜擢された。希望の突破口を開く使命を青年に託してくださったのだ。
一月二十九日、大田区・鵜の木の集会所で、蒲田支部の緊急の会合を行った。私には、新出発に際し、同志と共有したい誓いがあった。それは——
我々はなぜ、この信心に巡り合えたのか。
末法の御本仏・日蓮大聖人が不惜身命で妙法を弘め遺してくださったゆえである。今日では、恩師が戦時下の獄中闘争を勝ち越え、広布の大願に一人立たれたゆえである。
その奇しき縁に思いを致せば、報恩感謝の念が込み上げる。時あたかも大聖人の御聖誕の月、恩師の誕生の月を迎える。
であれば、この二月、我らは広布拡大の勝利をもって、お祝いしようではないか!——と。
会場に戸田先生の姿はなかった。それでも集った弟子たちは、師がここにおられるが如く、前進を誓い合ったのである。
◇「一人」に全力で
私は懸命だった。私と同じ心で、壮年も婦人も立ち上がってくれた。自らの折伏の挑戦が、師匠の生涯の願業である七十五万世帯の拡大に直結することを、皆が自覚し始めたのだ。
具体的には、師が示された通り、当時の組織の最小単位の「組」を軸に、「組」をもり立て、折伏を推進していった。
つまり、一切の焦点を少人数の語らい、一対一の対話、心通う座談会に定めたのだ。ゆえに——
まず、真剣に祈ろう!
近隣を大切に、身近なつながりから勇気と真心の対話を広げていこう!
自信満々、生き生きと信心の体験を語ろう!
この対話の最前線こそ広布の主戦場だ。ゆえに全精魂を注ぎ、全力を尽くすのである。
勇気を出して、一人の友に会う。相手の幸福を祈り、誠実に、情熱込めて語っていく。その一人立つ挑戦が、己心の壁を破り、友の心を動かす。ここに、大聖人が「声も惜まず」と言われた"随力弘通"の実践がある。
大聖人は、四条金吾を讃え語られた。
「貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや」(御書一一一七ページ)と。
師と心を合わせ、自分が縁を結んだ人びとに正義を語っていくことが、流通すなわち世の中に妙法を流れ通わせるのだ。
◇善き「縁」を宝に
蒲田支部には、当時、約百の「組」があった。私は、中心者の組長など最前線に立つ方々を、一軒一軒訪問し、親しく語り合い、励ますことを重要な日課としていた。
その中に戦前に入会されていた一家があった。組長の壮年は、牧口先生の折伏である。
牧口先生は、家族の信心に猛反対だった壮年を訪ね、諄々と対話された。「学会は人間の幸福と社会を善くするためにあるのです」と。その「立正安国」の大確信に触れて、壮年は発心した。
先師が縁し、種を蒔かれた方を、孫弟子の私が励ますという不思議なご縁である。ご一家は目標を遙かに上回る弘教を推進してくださった。
一つ一つの縁を「仏縁」としゆく対話と弘教の喜びは勇気の波動となり、誰も彼もが「やらんかな!」の意気を爆発させた。どんどん功徳爛漫の体験が生まれ、新たな対話の勇者たちが陸続と誕生したのだ。
そして、遂に壁を破る弘教二百一世帯——大田区内はもちろん、神奈川の川崎、東京の目黒、品川など各区に、更に首都圏、全国まで広布の陣列は広がっていった。
人と人の縁は、自分が考えるよりも深く広い。家族・親戚の縁、近隣・地域の縁、仕事や学校の縁……大切に結んだ善き縁が、また新たな宝の縁をつないでくれる。
師弟共戦と異体同心で「広宣流布の大願」を成就しゆく勝利道が、晴れ晴れと開かれたのである。
◇
この一九五二年の二月一日、大阪支部長心得として関西入りしたのが、蒲田支部出身の我が友・白木義一郎君であった。
戸田先生が、「大阪にも一日も早く支部を作るべきです」との私の進言に応えて、手を打ってくださったのである。
我らが"常勝関西"の起点も、「二月闘争」と軌を一にしているのだ。
関西との宿縁は深厚である。この一月二十五日で、横暴な権力の弾圧による「大阪事件」の無罪判決から五十五年となる。共に祈り戦ってくださった同志、とりわけ婦人部の関西魂は変わらない。
今再び、威風堂々たる「折伏の関西」の大行進を嬉しく見守っている。
◇火ぶたは青年が
広宣流布のため、立正安国のため、「師弟共戦」の心で走った天地には、宝友との「今生人界の思出」が輝いている。
男子部の第一部隊長として奔走した、墨田・江東・江戸川など城東方面。支部長代理として前進を指揮した、文京・豊島など有縁の各地。夏季指導の荒川、総ブロック長を務めた葛飾もそうだ。
本陣・大東京の勝利が日本全国の勝利を開くゆえに、私は東京中を何度も何度も駆け巡ってきた。愛する同志の幸福と安穏を祈り、国土世間の変革を念じながら!
「二月闘争」から六十五星霜——今や東京中、日本中、そして世界中で、後継の青年たちが「新時代の二月闘争」の火ぶたを切ろうとしている。
日蓮大聖人は、東京の同志の大先輩たる池上兄弟に、三障四魔に打ち勝つ闘魂を注がれた。
「此れより後も・いかなる事ありとも・すこしもたゆ(弛)む事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(同一〇九〇ページ)
さあ、感激の同志よ! いよいよ勇気を奮い起こし、いよいよ声を励ましながら、朗らかに前進しようではないか!
青年の
生命で開く
新時代
平和の柱ぞ
我ら創価は
最大の理解者になろう!
賢明に耳を傾け
同苦しゆくことが
我らの対話の真髄だ。
上野殿御消息 P1527
『かくれての信あればあらはれての徳あるなり』
☆女性に贈ることば 二月四日
苦しい時は、この間が永遠に続くような気がするものです。
しかし、そうではない。冬はいつか必ず春になります。永遠に続く冬はない。
誰よりも苦しんだあなたが、誰よりも人の心がわかるあなたなのです。誰よりもつらい思いをしたあなたは、誰よりも人の優しさに敏感なあなたのはずです。
☆今日のことば365 二月四日
弁解せぬ 人生であれ
堅実なる 人生であれ
健康なる 人生であれ
☆永遠なれ創価の大城 第15回 師弟共戦の勝利道 2017年1月25日
広宣流布の大願へ心勇みて
快活な対話を 新たな自分の二月闘争を!
朝夕に
宝友の健勝
祈る日日
諸天よ護れや
地涌の舞をば
日蓮大聖人は、佐渡や身延で厳しい冬を堪え忍ばれた。
「北国の習なれば冬は殊に風はげしく雪ふかし」(御書一〇五二ページ)、「雪つもりて山里路たえぬ」(同一五五四ページ)等と仰せの通りだ。その中でも、訪ねてきた門下を最大に励まされるなど、麗しい師弟の交流は絶えなかった。御書に厳と記されている。
我ら創価家族も、風雪に負けず、励まし合って前進していきたい。
特に聖教新聞の配達でご苦労をおかけする尊き「無冠」の皆様の絶対無事故とご健康を、更に強盛に祈ってまいります。
◇
今、「世界広布新時代」の朝を迎えた。その先頭を、「午前八時の太陽」の勢いで、地涌の青年たちが走り、広布拡大をリードしてくれている。
「若い世代のあいだに、責任感と率先して物事を行なう気構えとが、今や働きつつある」——戦後まもなく、こう語って青年に信頼を寄せたのが、大科学者アインシュタイン博士であった。
博士は九十五年前(一九二二年)に日本を訪れ、来日最初の講演会を慶応大学で行った。この記念すべき講演を、二十二歳の戸田先生は牧口先生と一緒に聴講され、生涯の誇りとされていた。
博士が旅の最後に訪れ、美しい風光を喜び讃えたのは、福岡の門司(現・北九州市)である。
その九州で今、皆が青年の心で「先駆」の使命を担い、拡大に挑んでいる。頼もしい限りだ。
アインシュタイン博士は、こんな言葉も残している。「高貴な思想と行為に導きうるのは、偉大でかつ純粋な個性の実例のみである」と。
率先垂範の「実例」がありてこそ、新たな価値創造の波動も広がる。
我らの掲げる「青年の拡大」も、先駆の「一人」から始まるのだ。
◇報恩の心で立つ
「いざ往かん
月氏の果まで
妙法を
拡むる旅に
心勇みて」
日蓮大聖人の立宗七百年の大佳節に当たる一九五二年(昭和二十七年)の一月、戸田先生が詠まれた和歌である。
当時の学会は、およそ六千世帯。しかし、恩師の眼は、日本を遙かに超え、東洋広布、さらに世界広布の壮大なる未来を見つめておられた。
妙法流布の使命に生きる人生が、どれほど尊貴であるか。全同志にその福徳と歓喜を知ってもらいたいと、先生は念願されていたのだ。
だが、残念ながら、一月の弘教も、どの支部とも伸び悩んでいた。
先生は"このままでは広宣流布はできない"と嘆かれ、二十四歳の私を蒲田支部の支部幹事に抜擢された。希望の突破口を開く使命を青年に託してくださったのだ。
一月二十九日、大田区・鵜の木の集会所で、蒲田支部の緊急の会合を行った。私には、新出発に際し、同志と共有したい誓いがあった。それは——
我々はなぜ、この信心に巡り合えたのか。
末法の御本仏・日蓮大聖人が不惜身命で妙法を弘め遺してくださったゆえである。今日では、恩師が戦時下の獄中闘争を勝ち越え、広布の大願に一人立たれたゆえである。
その奇しき縁に思いを致せば、報恩感謝の念が込み上げる。時あたかも大聖人の御聖誕の月、恩師の誕生の月を迎える。
であれば、この二月、我らは広布拡大の勝利をもって、お祝いしようではないか!——と。
会場に戸田先生の姿はなかった。それでも集った弟子たちは、師がここにおられるが如く、前進を誓い合ったのである。
◇「一人」に全力で
私は懸命だった。私と同じ心で、壮年も婦人も立ち上がってくれた。自らの折伏の挑戦が、師匠の生涯の願業である七十五万世帯の拡大に直結することを、皆が自覚し始めたのだ。
具体的には、師が示された通り、当時の組織の最小単位の「組」を軸に、「組」をもり立て、折伏を推進していった。
つまり、一切の焦点を少人数の語らい、一対一の対話、心通う座談会に定めたのだ。ゆえに——
まず、真剣に祈ろう!
近隣を大切に、身近なつながりから勇気と真心の対話を広げていこう!
自信満々、生き生きと信心の体験を語ろう!
この対話の最前線こそ広布の主戦場だ。ゆえに全精魂を注ぎ、全力を尽くすのである。
勇気を出して、一人の友に会う。相手の幸福を祈り、誠実に、情熱込めて語っていく。その一人立つ挑戦が、己心の壁を破り、友の心を動かす。ここに、大聖人が「声も惜まず」と言われた"随力弘通"の実践がある。
大聖人は、四条金吾を讃え語られた。
「貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや」(御書一一一七ページ)と。
師と心を合わせ、自分が縁を結んだ人びとに正義を語っていくことが、流通すなわち世の中に妙法を流れ通わせるのだ。
◇善き「縁」を宝に
蒲田支部には、当時、約百の「組」があった。私は、中心者の組長など最前線に立つ方々を、一軒一軒訪問し、親しく語り合い、励ますことを重要な日課としていた。
その中に戦前に入会されていた一家があった。組長の壮年は、牧口先生の折伏である。
牧口先生は、家族の信心に猛反対だった壮年を訪ね、諄々と対話された。「学会は人間の幸福と社会を善くするためにあるのです」と。その「立正安国」の大確信に触れて、壮年は発心した。
先師が縁し、種を蒔かれた方を、孫弟子の私が励ますという不思議なご縁である。ご一家は目標を遙かに上回る弘教を推進してくださった。
一つ一つの縁を「仏縁」としゆく対話と弘教の喜びは勇気の波動となり、誰も彼もが「やらんかな!」の意気を爆発させた。どんどん功徳爛漫の体験が生まれ、新たな対話の勇者たちが陸続と誕生したのだ。
そして、遂に壁を破る弘教二百一世帯——大田区内はもちろん、神奈川の川崎、東京の目黒、品川など各区に、更に首都圏、全国まで広布の陣列は広がっていった。
人と人の縁は、自分が考えるよりも深く広い。家族・親戚の縁、近隣・地域の縁、仕事や学校の縁……大切に結んだ善き縁が、また新たな宝の縁をつないでくれる。
師弟共戦と異体同心で「広宣流布の大願」を成就しゆく勝利道が、晴れ晴れと開かれたのである。
◇
この一九五二年の二月一日、大阪支部長心得として関西入りしたのが、蒲田支部出身の我が友・白木義一郎君であった。
戸田先生が、「大阪にも一日も早く支部を作るべきです」との私の進言に応えて、手を打ってくださったのである。
我らが"常勝関西"の起点も、「二月闘争」と軌を一にしているのだ。
関西との宿縁は深厚である。この一月二十五日で、横暴な権力の弾圧による「大阪事件」の無罪判決から五十五年となる。共に祈り戦ってくださった同志、とりわけ婦人部の関西魂は変わらない。
今再び、威風堂々たる「折伏の関西」の大行進を嬉しく見守っている。
◇火ぶたは青年が
広宣流布のため、立正安国のため、「師弟共戦」の心で走った天地には、宝友との「今生人界の思出」が輝いている。
男子部の第一部隊長として奔走した、墨田・江東・江戸川など城東方面。支部長代理として前進を指揮した、文京・豊島など有縁の各地。夏季指導の荒川、総ブロック長を務めた葛飾もそうだ。
本陣・大東京の勝利が日本全国の勝利を開くゆえに、私は東京中を何度も何度も駆け巡ってきた。愛する同志の幸福と安穏を祈り、国土世間の変革を念じながら!
「二月闘争」から六十五星霜——今や東京中、日本中、そして世界中で、後継の青年たちが「新時代の二月闘争」の火ぶたを切ろうとしている。
日蓮大聖人は、東京の同志の大先輩たる池上兄弟に、三障四魔に打ち勝つ闘魂を注がれた。
「此れより後も・いかなる事ありとも・すこしもたゆ(弛)む事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(同一〇九〇ページ)
さあ、感激の同志よ! いよいよ勇気を奮い起こし、いよいよ声を励ましながら、朗らかに前進しようではないか!
青年の
生命で開く
新時代
平和の柱ぞ
我ら創価は
2017年2月3日金曜日
2017.02.03 わが友に贈る
わが心を変革すれば
環境は劇的に変わる。
逆風を飛翔の力に!
悩みを躍進のバネに!
"今いる場所"で勝て!
辧殿御消息 P1225
『おのおのは随分の日蓮がかたうどなり、しかるをなづきをくだきていのるにいままでしるしのなきはこの中に心のひるがへる人の有るとをぼへ候ぞ、をもいあわぬ人をいのるは水の上に火をたき空にいゑをつくるなり』
☆女性に贈ることば 二月三日
挑戦なきところに青春はない。あくなき挑戦の気概にこそ、青春は脈動する。
☆今日のことば365 二月三日
思想や人生観は、その人の人生行路を決定づける。容姿とか、財産とか、家庭の境遇とかに自信をなくして、卑屈な人生観を持てば、すべて世のなかが、ゆがんだ鏡に映されるように、曲がってみえてしまうものだ。
☆仏法の教え 「教学部教授講座」のために 2017年1月24日
社会の繁栄と平和を築く信仰
人々の胸中に「人間主義の哲学」を
共感と希望広げる対話を粘り強く
◇「立正安国論」について
「立正安国論」は、日蓮大聖人が文応元年(1260年)7月16日、鎌倉幕府の実質的な最高権力者、北条時頼に提出された国主諫暁の書です。
「立正安国」とは、「正を立て、国を安んず」と読みます。人々の心に正法を確立し(立正)、社会の繁栄と平和を築く(安国)との意味であり、客(北条時頼を想定)と主人(大聖人を想定)との十問九答の問答形式で記されています。
災難の根本原因が、正法に背く「謗法」にあることを明かし、このまま謗法が続けば、三災七難のうち、まだ起きていない「自界叛逆難」(内乱)と「他国侵逼難」(外国の侵略)の二難が必ず起こると警告され、「実乗の一善」に帰依するよう促されています。
最後に客が、謗法の教えを捨て、正法に帰依することを誓い、その言葉が本書全体の結論となっています。
◇第1段〜第8段の大意
第1段(御書17ページ1行目〜14行目)
相次いで起こる天災や疫病。なすすべもなく人々が苦しむ世の中を客は嘆き、その原因がどこにあるのかと主人に尋ねる。主人は、世の人が皆、正法に背き悪法を信じているために、国土を守護すべき善神が去り、その後に悪鬼、魔神が入り、それが災難を引き起こしているのであると「災難の根源」を明かし、「神天上の法門」を説く。
第2段(同17ページ15行目〜20ページ13行目)
先の答えに対する根拠を求めた客に対して、主人は四経(金光明経、大集経、仁王経、薬師経)を引いて説明する。
第3段(同20ページ14行目〜21ページ16行目)
客が、当時の仏教が隆盛する姿を示して反論する。主人は、当時の僧侶が実は、正法に背く悪侶であることを、経文を示しながら説く。
第4段(同21ページ17行目〜24ページ4行目)
悪侶とは誰のことを指しているのか、客が問う。主人は、法然を名指しし、法然の著した『選択集』こそが、正法誹謗の邪説であることを明らかにしていく。
第5段(同24ページ5行目〜25ページ18行目)
法然を悪侶とした主人に対し、客は憤る。法然の念仏も釈尊の経典から生まれたものに変わりはなく、主人が釈尊に背いていると指摘し、帰ろうとする。
対して主人は笑みを浮かべて客をとどめ、まず、仮の教えを尊ぶ誤りを指摘。中国と日本の例を現証として挙げ、法然の法華経誹謗の罪を説いていく。
第6段(同26ページ1行目〜12行目)
客は主人の言葉を聞き、少し態度を和らげる。しかし、これまで高僧が多くいたが、念仏を禁じる説を誰も言い出したことはなく、低い身分の主人がそう言うのは僭越だと語る。
主人は謗法呵責の教えを語り、過去に念仏を禁止する勘状(意見書)が出された事実も述べる。
第7段(同26ページ13行目〜30ページ7行目)
客が災難を治める具体的な方法を問う。主人は、涅槃経・仁王経等を挙げながら、謗法の人を戒めて正法を行じる人を重んじれば、国家は安穏になると述べ、国中の謗法を断つように勧める。
第8段(同30ページ8行目〜18行目)
"謗法の輩を断ぜよ"との主人の言葉に客は、斬罪は仏法の教えに反しないかと問う。主人は、涅槃経等では斬罪が説かれているが、それは釈尊以前の事例であり、釈尊以後は、謗法への布施を止めることがそれに通じると述べる。
◇第9段(同31ページ1行目〜32ページ17行目)
●大意
これまでの疑いや迷いが晴れた客は、主人が言った通りに謗法に対する供養を止め、正法を行じる僧を重んじていくとの決意を表明する。
主人はその申し出を喜んだ上で、七難のうち、まだ現実のものとなっていない他国侵逼難、自界叛逆難の二難が起こらないように、速やかにその決意を実行するよう訴える。
汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し(御書32ページ14行目〜17行目、編年体御書170ページ15行目〜17行目)
●通解
あなたは早速ささやかな信仰の心を改めて、速やかに、本当に成仏へ至らせる教えである唯一の善い法に帰依しなさい。
そうすれば三界は皆、仏国である。仏国であるなら、どうして衰微することがあるだろうか。
十方の国土は、ことごとく宝土である。宝土であるなら、どうして破壊されることがあるだろうか。こうして国土が衰微することなく破壊されることもなければ、身は安全であり、心は動揺せず安定しているだろう。これらの一言一句を信じて敬わなければならない。
◇池田先生の指導から
「実乗の一善」とは、実大乗教たる法華経であり、一切衆生は本来、仏なりと教える、最高の人間尊厳の大法である。そして、一人ひとりの人間が、この妙法に則って、胸中の仏の生命を開いていく時、その人の住む場所も、仏国土と輝いていくのである。
つまり、時代、社会の創造の主体である、一人ひとりの人間の内発性の勝利を打ち立て、社会の繁栄と平和を創造していこうとするのが日蓮仏法である。そして、その原理を説き明かしたのが、この「立正安国論」であった。
衆生に仏を見る仏法は、すべての人間に絶対の尊厳性と無限の可能性を見いだす。それは、揺るがざる民主の基盤を形成する哲理となるにちがいない。また、自らに内在する仏の生命を顕していくということは、他者への慈悲の心を育むことでもある。
いわば、「実乗の一善に帰せよ」とは、「偏頗な生命観、人間観を排して、生命の尊厳に立ち返れ」「エゴを破り、慈悲を生き方の規範にせよ」「真実の人間主義に立脚せよ」との指南といってよい。ここに、人類の繁栄と世界の平和のための、普遍の哲理がある。
(小説『新・人間革命』第4巻「立正安国」の章)
◇第10段(同32ページ18行目〜33ページ4行目)
●大意
客は自らの謗法を速やかに改めることを決意するとともに、自分と同じように邪義に惑わされている世の多くの人々を覚醒させる実践に励むことを誓う。
弥よ貴公の慈誨を仰ぎ益愚客の癡心を開けり、速に対治を回して早く泰平を致し先ず生前を安じて更に没後を扶けん、唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ(御書33ページ3行目〜4行目、編年体御書171ページ3行目〜5行目)
●通解
あなた(主人)の慈悲あふれる訓戒を、いよいよ仰ぎ、ますます自分の愚かな心が開いていこう。速やかに謗法を滅する方策をめぐらせて、早く天下泰平を実現し、まず生前を安穏なものとして、さらに没後も救われるものにしていきたいと思う。
ただ自分一人が信じるだけではなく、他の人々の誤りをも制止していこう。
◇池田先生の指導から
仏教経典の多くが対話や問答によって成立しているように、「立正安国論」も、権力者と仏法者という立場の異なる両者が対話を通じて議論を深めていく形となっています。
最初は、杖を携えて旅をする客人(権力者)が主人(仏法者)のもとを訪れ、天変地異が相次ぐ世相を嘆く場面から始まります。
しかし二人は、災難をただ嘆き悲しんでいるのではない。災難が繰り返される状況を何としても食い止めたいとの「憂い」を共有しており、そこに立場の違いを超えての"対話の糸口"が生まれます。
そして始まった対話では、両者が互いの信念に基づいた主張を真剣に交わしていく。その中で、客人が示す怒りや戸惑いに対して、主人がその疑念を一つずつ解きほぐしながら議論を深めるという、魂と魂とのぶつかり合いが織り成す生命のドラマを経て、最後は心からの納得を得た客人が、「唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ」(御書33ページ)と決意を披歴する形で、主人と「誓いの共有」を果たす場面で終わっています。
では、対話を通じて両者が見いだした結論は何か。それは、仏典の精髄である「法華経」で説かれた"全ての人間に等しく備わる無限の可能性"を信じ抜くことの大切さでした。
つまり、人間は誰しも無限の可能性を内在しており、かけがえのない尊厳を自ら輝かすことのできる力が備わっている。その尊厳の光が苦悩に沈む人々の心に希望をともし、立ち上がった人がまた他の人に希望をともすといったように、蘇生から蘇生への展転が広がっていく中で、やがて社会を覆う混迷の闇を打ち払う力となっていく——との確信であります。
(2012・1・26付、第37回「SGIの日」記念提言)
環境は劇的に変わる。
逆風を飛翔の力に!
悩みを躍進のバネに!
"今いる場所"で勝て!
辧殿御消息 P1225
『おのおのは随分の日蓮がかたうどなり、しかるをなづきをくだきていのるにいままでしるしのなきはこの中に心のひるがへる人の有るとをぼへ候ぞ、をもいあわぬ人をいのるは水の上に火をたき空にいゑをつくるなり』
☆女性に贈ることば 二月三日
挑戦なきところに青春はない。あくなき挑戦の気概にこそ、青春は脈動する。
☆今日のことば365 二月三日
思想や人生観は、その人の人生行路を決定づける。容姿とか、財産とか、家庭の境遇とかに自信をなくして、卑屈な人生観を持てば、すべて世のなかが、ゆがんだ鏡に映されるように、曲がってみえてしまうものだ。
☆仏法の教え 「教学部教授講座」のために 2017年1月24日
社会の繁栄と平和を築く信仰
人々の胸中に「人間主義の哲学」を
共感と希望広げる対話を粘り強く
◇「立正安国論」について
「立正安国論」は、日蓮大聖人が文応元年(1260年)7月16日、鎌倉幕府の実質的な最高権力者、北条時頼に提出された国主諫暁の書です。
「立正安国」とは、「正を立て、国を安んず」と読みます。人々の心に正法を確立し(立正)、社会の繁栄と平和を築く(安国)との意味であり、客(北条時頼を想定)と主人(大聖人を想定)との十問九答の問答形式で記されています。
災難の根本原因が、正法に背く「謗法」にあることを明かし、このまま謗法が続けば、三災七難のうち、まだ起きていない「自界叛逆難」(内乱)と「他国侵逼難」(外国の侵略)の二難が必ず起こると警告され、「実乗の一善」に帰依するよう促されています。
最後に客が、謗法の教えを捨て、正法に帰依することを誓い、その言葉が本書全体の結論となっています。
◇第1段〜第8段の大意
第1段(御書17ページ1行目〜14行目)
相次いで起こる天災や疫病。なすすべもなく人々が苦しむ世の中を客は嘆き、その原因がどこにあるのかと主人に尋ねる。主人は、世の人が皆、正法に背き悪法を信じているために、国土を守護すべき善神が去り、その後に悪鬼、魔神が入り、それが災難を引き起こしているのであると「災難の根源」を明かし、「神天上の法門」を説く。
第2段(同17ページ15行目〜20ページ13行目)
先の答えに対する根拠を求めた客に対して、主人は四経(金光明経、大集経、仁王経、薬師経)を引いて説明する。
第3段(同20ページ14行目〜21ページ16行目)
客が、当時の仏教が隆盛する姿を示して反論する。主人は、当時の僧侶が実は、正法に背く悪侶であることを、経文を示しながら説く。
第4段(同21ページ17行目〜24ページ4行目)
悪侶とは誰のことを指しているのか、客が問う。主人は、法然を名指しし、法然の著した『選択集』こそが、正法誹謗の邪説であることを明らかにしていく。
第5段(同24ページ5行目〜25ページ18行目)
法然を悪侶とした主人に対し、客は憤る。法然の念仏も釈尊の経典から生まれたものに変わりはなく、主人が釈尊に背いていると指摘し、帰ろうとする。
対して主人は笑みを浮かべて客をとどめ、まず、仮の教えを尊ぶ誤りを指摘。中国と日本の例を現証として挙げ、法然の法華経誹謗の罪を説いていく。
第6段(同26ページ1行目〜12行目)
客は主人の言葉を聞き、少し態度を和らげる。しかし、これまで高僧が多くいたが、念仏を禁じる説を誰も言い出したことはなく、低い身分の主人がそう言うのは僭越だと語る。
主人は謗法呵責の教えを語り、過去に念仏を禁止する勘状(意見書)が出された事実も述べる。
第7段(同26ページ13行目〜30ページ7行目)
客が災難を治める具体的な方法を問う。主人は、涅槃経・仁王経等を挙げながら、謗法の人を戒めて正法を行じる人を重んじれば、国家は安穏になると述べ、国中の謗法を断つように勧める。
第8段(同30ページ8行目〜18行目)
"謗法の輩を断ぜよ"との主人の言葉に客は、斬罪は仏法の教えに反しないかと問う。主人は、涅槃経等では斬罪が説かれているが、それは釈尊以前の事例であり、釈尊以後は、謗法への布施を止めることがそれに通じると述べる。
◇第9段(同31ページ1行目〜32ページ17行目)
●大意
これまでの疑いや迷いが晴れた客は、主人が言った通りに謗法に対する供養を止め、正法を行じる僧を重んじていくとの決意を表明する。
主人はその申し出を喜んだ上で、七難のうち、まだ現実のものとなっていない他国侵逼難、自界叛逆難の二難が起こらないように、速やかにその決意を実行するよう訴える。
汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん、此の詞此の言信ず可く崇む可し(御書32ページ14行目〜17行目、編年体御書170ページ15行目〜17行目)
●通解
あなたは早速ささやかな信仰の心を改めて、速やかに、本当に成仏へ至らせる教えである唯一の善い法に帰依しなさい。
そうすれば三界は皆、仏国である。仏国であるなら、どうして衰微することがあるだろうか。
十方の国土は、ことごとく宝土である。宝土であるなら、どうして破壊されることがあるだろうか。こうして国土が衰微することなく破壊されることもなければ、身は安全であり、心は動揺せず安定しているだろう。これらの一言一句を信じて敬わなければならない。
◇池田先生の指導から
「実乗の一善」とは、実大乗教たる法華経であり、一切衆生は本来、仏なりと教える、最高の人間尊厳の大法である。そして、一人ひとりの人間が、この妙法に則って、胸中の仏の生命を開いていく時、その人の住む場所も、仏国土と輝いていくのである。
つまり、時代、社会の創造の主体である、一人ひとりの人間の内発性の勝利を打ち立て、社会の繁栄と平和を創造していこうとするのが日蓮仏法である。そして、その原理を説き明かしたのが、この「立正安国論」であった。
衆生に仏を見る仏法は、すべての人間に絶対の尊厳性と無限の可能性を見いだす。それは、揺るがざる民主の基盤を形成する哲理となるにちがいない。また、自らに内在する仏の生命を顕していくということは、他者への慈悲の心を育むことでもある。
いわば、「実乗の一善に帰せよ」とは、「偏頗な生命観、人間観を排して、生命の尊厳に立ち返れ」「エゴを破り、慈悲を生き方の規範にせよ」「真実の人間主義に立脚せよ」との指南といってよい。ここに、人類の繁栄と世界の平和のための、普遍の哲理がある。
(小説『新・人間革命』第4巻「立正安国」の章)
◇第10段(同32ページ18行目〜33ページ4行目)
●大意
客は自らの謗法を速やかに改めることを決意するとともに、自分と同じように邪義に惑わされている世の多くの人々を覚醒させる実践に励むことを誓う。
弥よ貴公の慈誨を仰ぎ益愚客の癡心を開けり、速に対治を回して早く泰平を致し先ず生前を安じて更に没後を扶けん、唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ(御書33ページ3行目〜4行目、編年体御書171ページ3行目〜5行目)
●通解
あなた(主人)の慈悲あふれる訓戒を、いよいよ仰ぎ、ますます自分の愚かな心が開いていこう。速やかに謗法を滅する方策をめぐらせて、早く天下泰平を実現し、まず生前を安穏なものとして、さらに没後も救われるものにしていきたいと思う。
ただ自分一人が信じるだけではなく、他の人々の誤りをも制止していこう。
◇池田先生の指導から
仏教経典の多くが対話や問答によって成立しているように、「立正安国論」も、権力者と仏法者という立場の異なる両者が対話を通じて議論を深めていく形となっています。
最初は、杖を携えて旅をする客人(権力者)が主人(仏法者)のもとを訪れ、天変地異が相次ぐ世相を嘆く場面から始まります。
しかし二人は、災難をただ嘆き悲しんでいるのではない。災難が繰り返される状況を何としても食い止めたいとの「憂い」を共有しており、そこに立場の違いを超えての"対話の糸口"が生まれます。
そして始まった対話では、両者が互いの信念に基づいた主張を真剣に交わしていく。その中で、客人が示す怒りや戸惑いに対して、主人がその疑念を一つずつ解きほぐしながら議論を深めるという、魂と魂とのぶつかり合いが織り成す生命のドラマを経て、最後は心からの納得を得た客人が、「唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ」(御書33ページ)と決意を披歴する形で、主人と「誓いの共有」を果たす場面で終わっています。
では、対話を通じて両者が見いだした結論は何か。それは、仏典の精髄である「法華経」で説かれた"全ての人間に等しく備わる無限の可能性"を信じ抜くことの大切さでした。
つまり、人間は誰しも無限の可能性を内在しており、かけがえのない尊厳を自ら輝かすことのできる力が備わっている。その尊厳の光が苦悩に沈む人々の心に希望をともし、立ち上がった人がまた他の人に希望をともすといったように、蘇生から蘇生への展転が広がっていく中で、やがて社会を覆う混迷の闇を打ち払う力となっていく——との確信であります。
(2012・1・26付、第37回「SGIの日」記念提言)
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