「共戦」の心熱き
東海道の同志よ!
誓いの峰へ出発だ!
「正義」の師子吼で
新時代の夜明けを!
生死一大事血脈抄 P1337
『総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か』
◇人生の座標
「自分が人間として向上していこう」という姿勢の心は、優秀な心であり、それ自体、優しさに通じる。人を押しのけて、自分だけは、という姿勢の心は、倣慢の心であり、怒りを含んだ醜い心です。
☆随筆民衆凱歌の大行進No.14 行学で飾る創立の月�
紅葉の秋にも、凛然と咲く花がある。秋の花は試練の冬に挑みゆく友への励ましの花だ。
過日、創価大学では、伝統の菊花展が行われ、見る人の心を希望の大輪で彩ってくれた。
地元の加住菊友会の方々をはじめ、ご関係の皆様への感謝は尽きない。
東京牧口記念会館の庭園には、初代会長・牧口常三郎先生と、二代会長・戸田城聖先生の胸像が立っている。
その牧口先生の胸像を囲むように、植樹された花樹がある。寒風に咲く山茶花である。花言葉は「困難に打ち勝つ」。
創価の父が、「苦難に打ち勝て!」「必ず勝利の春は来る!」と励ましを送っておられることを、我らは忘れまい。
創立の月を寿いで来日された世界55カ国・地域の尊きリーダーたちは、埼玉県の各地の同志・友人とも、麗しい交流交歓会を繰り広げた。
その翌日(11月10日)、晴れわたる秋空のもと、世界広布の指導者たちと、私も妻も、嬉しい嬉しい再会の一時をもつことができた。
一人ひとりの瞳が光っていた。一人ひとりの声が弾んでいた。一人ひとりの命が躍動していた。
それぞれの誓願の国土社会で、言うに言われぬ苦労を重ね、妙法流布の道なき道を開拓し抜いてきた、崇高な地涌の菩薩たちである。皆、国境も民族も超えた「異体同心」の心で集われていた。
私は、はるばる皆を送り出してくれた母国の方々とも、一緒にお会いしている思いであった。
いつも研修を陰で支えている通訳や役員の友の笑顔も、眩しく晴れがましかった。
この"創価家族"のスクラムにこそ、世界市民の究極の連帯があり、人類の平和と共生への希望があると、私たちは声高らかに宣言したい。
今、日本そして世界の男女青年部の友が、対話の拡大に躍進してくれている。立派に成長を遂げている。伸びゆく力を皆で讃嘆してあげたい。
とともに、青年を応援してくれている壮年・婦人の皆様方にも、心から感謝を申し上げたい。
この一年、人を励まし、人を育てるという無上の陰徳を、皆で積んだ。創価の威光勢力もいやまし、無限の陽報が顕れないわけがない。
ともあれ、仏法対話は、最高の仏の仕事であり、生命の鍛錬である。
御書には『持たるる法だに第一ならば持つ人随って第一なるべし』(P465、「持妙法華問答抄」)と仰せである。
宇宙第一の法を持った皆様方が、どれほど尊貴な存在か。その法を語り弘める功徳は、計り知れない。たとえ、思うように対話が実らないことがあったとしても、落ち込む必要など全くない。
聞法下種こそ、第一義の実践である。勇気を出して挑戦していること自体が生命の勝利なのだ。
牧口先生は、東京で入会した青年の親を折伏するため、戦前と戦中の二度にわたり(昭和15年、17年)、福島県の郡山に赴いている。
その際、「水泳を覚えるには、水に飛び込む以外にない。畳の上では、いくら練習しても実際に覚えられるものではありません。勇気を出して自ら実験証明することです」と励まされ、両親を入会に導かれた。
再度の郡山訪問の折には、二本松にも足を運ばれている。
当時、軍部政府からの圧迫は強まり、既に機関紙「価値創造」は廃刊。そんな緊迫下でも、牧口先生は「母を折伏したい」という一青年の思いに応えて対話し、母親を信心させておられる。
いかなる時も、青年のために、勇んで動かれる先師であられた。
この牧口先生の闘魂と行動を受け継ぐのが、わが誉れの青年部である。
御書には、『日蓮生れし時より・いまに一日片時も・こころやすき事はなし、此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり』(P1558、「上野殿御返事」)と記されている。
立正安国の大哲学は、打ち続く災害や戦乱等に民衆が苦しみ切っていた乱世に、日蓮大聖人御自身が大難に耐え、不惜身命で妙法弘通に進み抜かれる中に確立された。
未来を切り開く慈悲と希望の大法である。難を乗り越える信心である。
今、勇気の対話に挑戦している同志の中には、人知れず、体調や仕事、家庭などの苦悩を抱えている方もいるだろう。
だが、自らも悩みと格闘しながら、自他共の幸福を祈り、人のため社会のため、労苦を惜しまず信念の対話に打って出る──これほど気高い人生があるだろうか。
オーストリアの詩人・ホフマンスタールは、「苦しまないところからは、ほんのその場限りの、大して価値のないものしか生まれては参りません」と綴っている。
偉大な思想は、苦難に屈せず実践を貫いていく渦中にこそ、わが血肉となり、骨格となっていくのである。