2014年11月18日火曜日

2014.11.18 わが友に贈る

全同志の奮闘ありて
学会は大躍進・大勝利!
「大願とは法華弘通なり」
世界広布新時代を開く
福徳の人生を共々に!

開目抄下 P230
『仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓同時なるがごとし、法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし』

◇人生の座標
自らが決めた道を歩めること自体、幸福なのである。ゆえに、健康な時に労を惜しまず、働くことである。努力することである。"徹する姿勢"--これこそ、幸福のカギである。わが道に徹してこそ、後悔なき所願満足の人生が開かれていく。

☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第8回 シンガポールのビル群
私は、シンガポールの友に長編詩を贈りました。その一節に——
「ああ 獅子の子よ
未来を見つめゆく
獅子の子よ
強き者には
絶えざる『鍛え』のあることを忘れまい」
「今日の課題に懸命に挑め!
足下の己の使命に徹せよ!
そこに 鍛錬があり
やがて その頭上には
永遠なる凱歌の栄冠が輝きゆこう」と綴りました。
青春も人生も勝負です。厳しい環境にたじろぐ自分や、立ちはだかる壁に弱気になる自分との連続闘争です。
過ぎ去った過去にとらわれる必要はありません。「今」を勝っていけばいいのです。この一日、この一瞬から、新しい戦いが始まる。
仏典では、百獣の王であるライオンを、「師子」と名づけています。
日蓮大聖人は、この「師子」の心を、たびたび教えてくださっています。
『(苦難が襲ってきた時に)師子王のような心を持つ者は、必ず仏になることができる』(P957、趣意、「佐渡御書」)
『一人一人が師子王の心を奮い起こし、どのように人が脅そうとも、決して恐れてはならない。師子王は百獣を恐れない。師子の子もまた同じである』(P1190、通解、「聖人御難事」)
すなわち、師子王とは、勇気の人なのです。
勇気とは——
つらいことがあっても何度も立ち上がる「負けじ魂」です。
目の前の課題に全力でぶつかる「挑戦の精神」です。
日々、自分自身を磨き鍛え抜く「求道の心」です。
さらに大聖人は、『師子の『師』は師匠、師子の『子』は弟子のことである』(P771、通解、「御義口伝」)と明かされています。
師匠と弟子が心を一つにすれば、最高の勇気と智慧と力が湧き立つのです。
牧口先生には、戸田先生という弟子がいました。戸田先生には、私がいました。そして、私には、皆さんがいます。
ゆえに、私たち創価の師弟に、恐れるものは何もないのです。