「各各師子王の心を
取り出して」御聖訓。
誓願の祈りこそ
不屈の勇気の源泉!
唱題根本に進みゆけ!
御義口伝巻上 P718
『疵を蔵くし徳を揚ぐは上慢を釈す、自ら省ること能わざるは我慢を釈す』
◇人生の座標
じつは、人間は、大抵の人が、心の中に「優しさ」をもっている。生まれた時から冷たい心しかなかったという人はいないでしょう。
しかし、大きくなるにつれて、自分が傷つくのを恐れたりして、優しさを胸の中に埋めたままにしていると、やがて本当に冷たい人間になってしまうのです。
☆ジャパンタイムズ寄稿 「エンパワーメントの連鎖」
私たち人類は現在、さまざまな脅威に直面している。この9月、気候変動がもたらす影響と対応策をめぐるサミットが国連本部で開催されたが、120カ国以上の首脳が参加する大規模なものとなった。同サミットの直前には数十万もの人々がニューヨークで対策強化を求める行進をしたことも記憶に新しい。
気候変動に限らず、地球社会にとって最悪のシナリオを回避するためには、政治的なリーダーシップの結集はもとより、今までの社会のあり方を見つめ直し、変革を強力に後押しするグローバルな市民の連帯と行動の波を広げることが欠かせない。危機の克服は、つまるところ、その推進力となり、逆境をも新しい未来を創造する糧(かて)としていく「レジリエンスの力(社会を回復する力)」を社会としてどれだけ鍛え上げ、発揮していけるかにかかっているからだ。
直面する脅威に立ち向かう「レジリエンスの力」を育み、持続可能な地球社会の建設を担う市民の連帯を強める原動力となるのが、「教育」である。
折りしも本年は、国連「ESDの10年」の最終年にあたり、今月に岡山と名古屋で「ESDに関するユネスコ世界会議」が開催される。
会議を機に新たにスタートする「ESDに関するグローバル・アクション・プログラム」の趣旨文では、「持続可能な開発は、政治的な合意、金銭的誘因、また技術的解決策だけでは達成できない。我々の思考と行動の変革が必要であり、教育にはこの変革を実現する重要な役割がある」と謳(うた)っているが、私は、このESD推進の新たな枠組みにおいて、「エンパワーメント」を機軸に据えることが欠かせないのではないかと考えている。
「持続可能性」の追求といっても、確かな目的観が心に宿らなくては、事態の悪化を押し返す力は生み出されない。"大切なものを守りたい""かけがえのないものを未来に残したい"——一人一人の中でその具体的な思いが像を結び、周りの人々と共有されてこそ、人間の内なる可能性とエネルギーは縦横に開花する。教育によるエンパワーメントの真価は、そうした自発的行動の連鎖を巻き起こすことにある。
その何よりの実例が、私の大切な友人であったケニアの環境運動家ワンガリ・マータイ博士が取り組んだ植林運動だ。エンパワーメントを重視し、人々の「納得」と「手応え」を大切にした運動は、今や全世界に受け継がれ、100億本を超える植樹を達成するまでに至っている。
持続可能な地球社会への大道は、自分の今いる場所で一つまた一つと波動を広げる人々の「喜び」と「誇り」によって切り開かれるのだ。
愛する地域を守り、思いを未来へ伝える。それは何か特別な活動ではない。例えば、今回の会議が開催される岡山の70歳の女性のエピソードを伺った。
不慮の事故で夫を亡くされたその方は、失意の底にあった時、地域の人々の粘り強い励ましで立ち上がった。その地域は過疎が進む山間部で、県の限界集落対策のモデル地域にも指定されている。彼女は今度は自分が地域に恩返しがしたいと、高齢者福祉施設でのボランティア活動に加わり、また孤立しがちな高齢者の家にも訪問するようになり、「人に喜んでもらえることが私の喜び」と語っているという。
この体験は、エンパワーされた一人がいかに変革の担い手たり得るかを示す一例といえよう。
今、自分が人生のページを綴(つづ)っている地域での出来事に対し、粘り強く向き合い、できることを一つ一つ果たしていくことは、とりもなおさず、「未来への責任感」、ひいては「地球に生きる責任感」の地歩を固めながら、持続可能な社会を建設していく作業につながっているのではないだろうか。
このように自身の内なる可能性に目覚め、わが地域から変革の行動を起こしゆく人こそ、今、最も求められている人であろう。
教育によるその輩出・育成の方途を探求してきたESDの10年の経験は、地域に足場を置き、未来への課題に人々と協働しつつ、主体的に取り組む中で得られる「学び」が、どれほど重要な鍵を握っているかを幾重にも教えてくれている。ESDを推進する地道な市民運動は、世界各地に広がり、一定の基盤をつくり上げてきた。
大事なことは、この運動の潮流を一人一人が主役となっていかに高め、ネットワークを強めていくかである。
その意味で、今月に行われる「ESDに関するユネスコ世界会議」の意義は深く、実りある成果が得られることを大いに期待したい。