2014年8月12日火曜日

2014.08.12 わが友に贈る

不規則な生活や
偏った食事は
体の不調の原因に。
聡明な自己管理で
心身共に充実の日々を!

富木殿御書 P970
『我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』

◇希望の明日へ
抑圧的な権力者−−彼らの本質は、じつは臆病なのである。臆病だからこそ、自らを守る"威厳のよろい"として、権威を求める。また人々に尊敬され、忠誠を誓わせないと安心ができない。だからこそ、なおさら彼らは、権威もいらぬ、名誉も財産も何もいらぬ、命さえいらぬという"信念の人"が恐ろしい。自分の権威を認めない者がいることが気になってしかたがないのである。そして、自らの臆病と不安を人々に悟られることを、また強く恐れている−−。
平2・12・9

☆勝利の人間学 第57回 一人から平和の大潮流を
◇民衆の声を力に
絶対に平和であらねばならない。
戦争だけはしない、させないということを、人類の共通の理念にしていくべきである。
ラテン語の格言には「平和を願うならば、戦争の準備をせよ」とあった。
しかし、断じてそうではない。「平和を願うならば、平和の準備をせよ」である。
「平和の準備」とは何か。それは、平和を願う民衆の声を結集していくことだ。なかんずく、青年の大情熱の声こそが力だ。
日蓮大聖人は、『輪宝とは我等が吐く所の言語音声なり』(P733、「御義口伝」)と仰せである。
「声」こそ「輪宝(車輪をかたどった宝器)」である。この「非暴力の武器」「文化の武器」を使って、我らは21世紀を「平和の世紀」「生命尊厳の世紀」としていくのだ。
◇鍵は全て人間にあり
平和を壊すのも人間、平和を創るのも人間である。解決の鍵は、全て人間にある。
ゆえに、我らは人間の「内なる悪」と戦い、仏という極善の生命を開発する道を選ぶ。この人間革命の道が即、平和の道であるからだ。
平和は違い彼方にあるものではない。
自分が今いる場所で、友と会い、誠実に対話を重ねる。どこまでも、一人を大切にする。そこから、平和の大潮流は生まれるのだ。
特に、聡明な女性たちの"草の根の語らい"こそ、その最も確かな原動力である。
◇自他共の喜びの青春
御本仏は、『すべての衆生が受ける、それぞれ異なる苦しみは、ことごとく日蓮一人の苦しみである』(P758、通解、「御義口伝」)と仰せになられた。
なんという大慈大悲であろうか。仏法とは、究極の「慈悲」の法である。御本尊に祈り、勇気をもって広宣流布に励むなかで、人を深く思いやる境涯を開くことができる。
人の不幸の上に、自分の幸福を築かない。自他共に喜びあふれる青春を進みゆくのだ。
生命尊厳の哲理を持つ青年よ、悩める友へ、苦しむ友へ、励ましと希望の光を送ろう! 君たちの友情で、平和の地球を輝かせるのだ。