2014年5月30日金曜日

2014.05.30 わが友に贈る

会合や打ち合わせは
終了時間の厳守を!
リーダーの話は
要点を絞って明確に。
万全の準備で臨め!

上野殿御返事 P1540
『あはれ法華経のよきかたきよ、優曇華か盲亀の浮木かとおぼしめしてしたたかに御返事あるべし』

◇希望の明日へ
戦争のない世界を築くも築かないも人間しだいである。それを不可能と諦めてしまうか、あくまでもその難行に挑戦していくか、ここに二十一世紀の命運がかかっている。考古学者の説くところによると、人間の歴史四百万年の中で、集団同士がぶつかりあう戦争の歴史は一万年にも満たないのである。したがって戦争のない人間社会の実現は決して不可能ではないという確信がわくであろう。
平6・1・26

☆世界広布新時代第7回各部代表者会議へのメッセージ
本年は、創価の父・牧口常三郎初代会長の法難(1944年11月18日に巣鴨の東京拘置所で獄死)から70年——。間もなく、生誕の日である6月6日を迎える。
名誉会長は、牧口会長の崇高な「死身弘法」の生涯を偲びつつ、世界五大陸の大学・学術機関から授与された350の「名誉学術称号」を、この偉大な殉教の先師へ、一番苦楽を分かち合ってきた創価の友と共に、ここに謹んで捧げたいと語った。さらに、全ては不二の同志に譲り託す栄誉であり、それぞれの国の同志が未来永遠に守られ、栄えゆくための証しであるとの真情を述べた。
続いて『現在に眼前の証拠あらんずる人・此の経を説かん時は信ずる人もありやせん』(P1045、「法蓮抄」)の一節を拝し、次のように力説。
「ともあれ、勝つしかない。一つ一つ勝利の現証を示していく以外、広布の道は開けない。勝たなければ、同志も励ませない。学会を守ることもできない。この決心、この祈り、この執念で、私は戦い勝ってきました。あとに続くのは、私が薫陶してきた直弟子の君たちである」
「現実には、皆、宿命との戦いもある。病気や子育て、家族の介護、人間関係等々、言うに言われぬ苦労も尽きないであろう。
しかし、戸田先生は言われた。『自分が悩み苦しみながら、それでも民衆の中に飛び込んで、皆を励まし救っていく。だから仏になれる。だから家族も眷属も大功徳に包まれるんだよ』と。
リーダーが試練と戦っているからこそ、学会は悩める友の味方になれる。ゆえに、何があっても臆さず、一切を御本尊に任せて題目を唱え、希望に終えて悠然と勝ち越えていただきたい」と強く望んだ。

2014年5月29日木曜日

2014.05.29 わが友に贈る

「心の固きに仮りて
神の守り則ち強し」
強盛な信心に立つ人を
諸天は厳然と守る!
断じて健康・無事故で。

御義口伝巻下 P790
『一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり所謂南無妙法蓮華経は精進行なり』

◇希望の明日へ
世界的に見るならば、今なお「戦争はまだ、続いて」いる。それでは、文明社会ではない。"畜生道の地球"である。これを革命するために、学会は戦っている。
平5・7・15

☆アメリカ創価大学第10回卒業式へのメッセージ
一、人類の宝であり、21世紀の希望である、わがアメリカ創価大学10期生の皆さん! 晴れのご卒業、誠におめでとう!
送り出してくださったご家族、励ましてくださったご友人の方にも、心からのお祝いを申し上げます。
さらに、常日頃より大学を見守り、支えてくださっているご来賓の先生方、また、学生を温かく激励し薫陶してくださった教員と職員の方々に、心からの感謝を申し上げます。
光栄にも、本日の式典では、世界最高峰の経済学者・哲学者であり、私たちの敬愛してやまないアマルティア・セン博士が、祝福の記念講演を行ってくださいます。
信念の大知性の啓発が、若きリーダーの前途にとって、どれほど、かけがえのない励ましとなることでしょうか。厚く厚く御礼申し上げます。
一、今、私のまぶたには、誉れも高き栄光の10期生として、アリソビエホの丘から勇躍と旅立ちゆく、晴れがましい皆さん方の英姿が鮮明に映じております。皆、本当によく学び抜き、鍛え抜いてくれました。
10期生の皆さんは、先輩たちの良き伝統を立派に継承し、深化させながら、アメリカ創価大学が万代まで勝ち栄えゆく盤石なる大発展の礎を見事に創り上げてくれました。
私は、開拓の誇りに満ちた皆さん方の一人一人と固い固い握手を交わしながら、その努力と功労を労(ねぎら)い、最大に讃えたいのであります。
ありがとう! 本当にありがとう!
一、きょうは、皆さん方が挑みゆく十年、二十年、さらには百年先へと心を広げ、共々に語り合うような思いで、3点にわたり祝福のメッセージを送ります。
第一に申し上げたいことは、「誓いは光なり。新たな未来を照らし出せ!」ということです。
文学にせよ、絵画にせよ、音楽にせよ、偉大な芸術作品には、それぞれに偉大な主題があります。
偉大な人生にも偉大な主題があります。
皆さんが、この創価の学舎で心に刻んだ青春の誓いは、偉大な使命の人生を貫く主題であるといっても、決して過言ではないでしょう。
青春の誓いは、波瀾万丈の人生航路にあって、確固たる羅針盤となり、進むべき針路を厳然と指し示すとともに、混迷の闇を打ち破る光明となるものであります。
アマルティア・セン博士は、若き日に、愛する故郷ベンガルを襲った大飢饉の惨状を目の当たりにしたことが、救世の経済学者として歩みゆかれる原点になったと伺っております。
人間が人間として、人間らしく幸福に、尊厳に生きることができる社会を、何としても築いていかねばならない──人生を賭して、貧困をはじめ「人間の安全保障」の先駆的研究などに、一貫して取り組まれてきたセン博士の胸中には、その烈々たる大情熱が常に燃え盛っているに違いありません。
皆さんも、眼前の課題に一つ一つ粘り強く取り組み、臆さず、焦らず、惑わず、力をつけながら、遠大な理想を追求し抜いていってください。
そのたゆまぬ不屈の挑戦こそが、人類史の新たな地平を照らし出していくからであります。
一、第二に、「生命は無限なり。自他共に希望の力を解き放て!」と申し上げたい。
非暴力の大英雄ガンジー翁に「マハトマ」(偉大なる魂)との尊称を贈った詩聖タゴールは、セン博士に「永遠に生きる者」との意義を持つ「アマルティア」の名を授けられました。
その絶大なる期待に応え抜いてこられたセン博士の探究と貢献の足跡は、まさに永遠なる光彩を放っております。
大教育者であったタゴールは、「人間の最大の力は自分の内にある」(蛯原徳夫訳「真理の呼び声」『タゴール著作集第8巻』所収、第三文明社)と断言されました。心から賛同します。
なかんずく、青年の生命に秘められた可能性は無限であります。皆、自分が思っている以上の十倍も、百倍も、いな、仏典に記される表現でいうならば百千万億倍もの生命の力を備えているのであります。
その力を開いていく要諦は、どこにあるか。
タゴールの慧眼は鋭く洞察していました。
「完全な善に生きることは、自分の生命を限りなく実現していくことにほかならない」(美田稔訳「サーダナ」前掲書所収)と。
生命尊厳の哲理に立脚して、民衆の幸福のため、社会の繁栄のため、世界の平和のため、善の行動に徹していく。それは、立ちはだかる試練や苦難との戦いの連続であります。
しかし、その激闘の中にこそ、真の「人間革命」があり、一切を勝ち開いていく価値創造の力、すなわち「創価」という生命の希望の力が自他共に尽きることなく解き放たれていく。この信条を、私は後継の皆さんに託しておきたいのであります。
一、そして第三に、「友情は宝なり。勇敢なる世界市民の平和の連帯を広げゆけ!」と申し上げたい。
思えば、タゴールが、自ら創設した学園を発展させ、セン博士の母校であるタゴール国際大学(ヴィシュヴァ・バーラティ大学)の創立を構想されたのは、ここ南カリフォルニアの地でした。
詩聖は、陽光輝くオレンジの果樹園で思索しながら、民族や国家の違いを超えて人類を結びゆく、新たな学府を創立したい──そう決意して、帰国後、大学の建設に着手されたのであります。それは、わがアメリカ創価大学の建学の精神とも、深く強く響き合っております。
若き世界市民が、教育という普遍の広場で、いかなる差異の壁も超えて、闊達な友情を結び合うことこそ、人間を不幸に陥れる、あらゆる悪と戦い、人類の悲願である平和を構築していく"非暴力の武器"であります。
私は、このアメリカ創価大学の開設に尽力してくださった「人権の母」ローザ・パークスさんとの友情を思い起こします。パークスさんは、一生涯、交友を大切にされた方です。
パークスさんの公民権運動の戦いが、歴史を変える力となった陰にも、その豊かな幅広い友人のネットワークがあったと指摘されております。
ともあれ、この世界のいずこにも負けない、麗しく開かれた友情のキャンパスから躍り出る皆さんは、行くところ向かうところ、信頼と誠実の対話を交わしながら、明るく賢く朗らかに、勇敢なる世界市民の連帯を広げていただきたいのであります。
私は、大切な大切な皆さんが世界の晴れ舞台で、思う存分に舞いゆく未来を最大の楽しみとし、生き甲斐としつつ、見守り続けてまいります。
一、最後に、もう一人の「人権の母」エレノア・ルーズベルトの言葉を贈り、お祝いのメッセージとさせていただきます。
「我々は現在の危機にあたって、自らに向き合う勇気を持たなければなりません」「人類に善なる価値をもたらすために、自らが持てるあらゆる知識を駆使し、力を合わせていかなければなりません。
そのように行動した時、私たちには恐れるものなど、何もないのです」
栄光の10期生、万歳!
喜びあふれる誉れのご家族、万歳!
愛する皆さんに、健康あれ! 幸福あれ! 勝利あれ!
どうか、お元気で!

2014年5月28日水曜日

2014.05.28 わが友に贈る

偉大な使命に生きる
副役職者の奮闘こそ
広宣流布の力なり!
わが誉れの地域に
人材の連帯を築け!

四条金吾殿御返事 P1186
『李広将軍と申せしつはものは虎に母を食れて虎に似たる石を射しかば其の矢羽ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立つ事なし、後には石虎将軍と申しき』

◇希望の明日へ
戦争は絶対に起こしてはならない。無数の民衆が苦しむ。戦争が起こる前にこそ、平和の宗教、生命の尊厳の思想が広まらねばならない。その基盤のうえに、新しい人類の共同体がつくられるべきである。
平4・2・21

2014年5月27日火曜日

2014.05.27 わが友に贈る

地域で 職場で
清々しい挨拶から
一日のスタートを!
生命力あふれる姿で
信頼の光を広げよう!

乙御前御消息 P1220
『妙楽大師のたまはく「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」等云云、人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ、是は御ために申すぞ古への御心ざし申す計りなし』

◇希望の明日へ
地震を阻止しようとしても、人間の理性の力は及ばない。しかし、人間自身に端を発する問題は、人間の理性の力によってつねに阻止しうる。迫りくる、いかなる戦争の脅威をも、人間自身の手で阻止できるのである。
平3・1・15

☆名誉会長と共に新時代を開く 第20回 粘り強く勝利の根を張れ
明るく朗らかな、希望あふれる未来部の皆さん!
野には、あちらこちらで、タンポポが黄色い花を咲かせ、白い綿毛をパラシュートのように軽やかに飛ばしていきます。
私が少年時代から大好きな詩に、「踏まれても 踏まれても なお咲く タンポポの笑顔かな」とあります。
このたくましいタンポポの"元気の秘密"は、どこにあるのでしょうか?
それは、大地の中に伸びる長い「根っこ」にあります。
目に見えない土の中でガッチリと根を張っていくから、強いのです。
日蓮大聖人は、『陰徳あれば陽報あり』(P1178、「陰徳陽報御書」)と記されております。
分かりやすくいえば、人が見ていないところで「善い行い」をすれば、それが根っことなって素晴らしい花を咲かせるように、必ず「善い報い」を受けていくことができるという法則です。
未来部の皆さんが、今、地道に粘り強く、努力を重ねていくことは、一番大事な根っこを伸ばしているのです。広宣流布のための会合に出ることも、偉大な福運に変わります。
どうか、さまざまな悩みや苦しみがあっても、題目を朗々と唱え、「よし、壁を破ろう!」と勇気を出して、思い切りチャレンジしていってください。
わが後継の皆さんには、乗り越えられない試練など絶対にないことを、私は断言しておきます。
さあ、元気はつらつと学び、グングン成長して、人類の未来に、幸福の花を、勝利の花を、平和の花を咲かせていこう!
皆さんの健康を祈り、題目を送ります。親孝行を頼みます!

2014年5月26日月曜日

2014.05.26 わが友に贈る

◇今週のことば
新会員は希望の宝なり。
皆で心から大切に。
フレッシュな息吹で
共に祈り 共に行動を!
共々に人間革命の劇を!
2014年05月26日

崇峻天皇御書 P1173
『中務三郎左衛門尉は主の御ためにも仏法の御ためにも世間の心ねもよかりけりよかりけりと鎌倉の人人の口にうたはれ給へ』

◇希望の明日へ
日本には、戦前、韓半島や中国、東南アジアで、暴虐のかぎりを尽くしてきた歴史がある。日本が犯した過ちについて、戸田先生から幾度となく話をうかがった。とともに、少年のころ、父や長兄からも繰り返し聞かされたものである。そのころ、私は小学生。五年生ぐらいだったろうか。だが、二人の戦争への怒り、日本の侵略への憤りを、少年の魂に深く刻んだ。仏法者として、今日まで世界の平和へと駆けてきた私の行動の原点は、当然、戸田先生である。恩師に学んだ平和観と世界観が根本にある。とともに、父と長兄の、こうした平和への願いが大きなバネとなってきたことは、間違いない。
平2・9・30

☆勝利の人間学 第52回 平和と正義の若き連帯を
◇周囲に希望を送る存在に
互いに尊敬し、成長を競い合って、健闘を讃えていくのが、我ら創価のスクラムである。
妬んだり、責め立て合ったりするような陰湿な世界は、まったく無縁なのである。
大変であればあるほど、温かな励ましの言葉、勇気の出る言葉をかけていくのだ。
日蓮大聖人は、『人のために火をともせば・我がまへあきらかなるがごとし』(P1598、「食物三徳御書」)と仰せである。
友を元気にすれば、自分も元気になる。皆に希望を送れば、共々に希望の明るい未来が開かれる。どこまでも仲良く朗らかに、平和と正義の青年の連帯を広げていただきたい。

◇新たな広布の開拓闘争を
青年の心の力は無限である。それを解き放っていくカギが、「一念三千」の法理である。
わが師・戸田城聖先生は言われた。
「信心を、一言でいうならば、『心』を決めることである。同じ決めるのであれば、『勝つ!』と決めなさい」と。
断じて勝ってみせると決める。真剣に祈る。そして勇敢に行動する。やり切ったことが、すべて永遠の財産となる。
「決めて」「祈って」「行動する」──この勝利のリズムで、新たな広布の開拓闘争を勝ちまくれ!

◇若き熱と力が新時代を創る
「新しき世紀をつくるものは、青年の熱と力である」と恩師は叫ばれた。
この師子吼を、私は自分への呼びかけと受け止めた。「君の熱と力で時代を変えよ」と。
今また、新時代を創るのは青年しかない。それは青年に託された特権なのだ。
ゆえに、君たちよ! 何の遠慮もいらない。決然と挑むのだ。大胆に進むのだ。理想も高く、情熱を燃やし、不屈の魂で挑戦するのだ。
いよいよ「創価青年大会」が始まった。
やるからには、「これだけ成功させた」という自身の最高の勝利の歴史を創ろう! 君たちの勇戦で、万年に輝く「青年学会」を築いてくれ給え! 歌声も高らかに!

2014年5月25日日曜日

2014.05.25 わが友に贈る

偉大な建設は
挑戦から生まれる。
未来を担う友よ
失敗を恐れるな!
大胆に打って出よ!

松野殿御返事 P1382
『忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり』

◇希望の明日へ
元来、戦争でもっとも犠牲を強いられるのは、つねに民衆である。決して国家の中枢にある権力者ではない。権力者は時代をたくみに泳ぎ、必ず保身をはかっていく。その構図を、ひときわ鮮烈に感じさせるのが、かの沖縄戦である。その犠牲は女性や幼い子どもにまで及んでいる。それに対し、国を戦争に導き、国民に戦闘を命じていた権力者は、どうであったか。はるか後方にあって命を永らえたのみならず、戦後も権力の座にとどまり、富や名声を享受した者は、少なくない。なんたる矛盾、なんたる非合理であろうか。権力の恐ろしさ、戦争の恐ろしさ、そして人間の恐ろしさを痛感してならない。
昭63・3・23

☆名誉会長と共に新時代を開く 第19回 生命の鍛錬を! 幸福の礎を
列島各地で創価青年大会への取り組みが素晴らしい。
青年が皆、元気でうれしい。青年が大成長している。皆で応援していきたい。
婦人部・壮年部も一体となって、若き友を、わが子のように、弟・妹のように温かく励ましてくださっている。
大会を支えてくださる全ての皆様方のご健康と無事故、大会の大成功を心から祈りたい。

戸田先生は喝破された。
「もはや、日本の国も、世界も、青年の嵐の如き絶賛の支持がなければ、何もできない時代が来た」と。
未来を託すのは青年だ。共に何かをつくり上げていく中で、心が通う。人は育つ。
人材育成といっても、特別なことではない。会合の行き帰りも、悩みや夢を語り合う機会となろう。
"後輩を自分以上の人材に""必ず偉大な使命がある"──その信念と祈りが、相手の生命に響くのだ。
誰人であれ、試練のない人生などありえない。病や経済苦、人間関係で行き詰まることもある。それらを乗り越えるには、生命の鍛錬が必要だ。
青年大会を通し、自らの壁を破る中で揺るぎない信心の確信をつかんでいける。一生の幸福の礎が築かれる。
信心で勝った皆さんの姿自体が、人間革命の劇であり、学会の真実を雄弁に伝えていく。

現代社会にあって、人間の豊かなつながりが、いかに大事か。
仏法では、共同体を栄えさせるための徳目を説いている(四摂事)。
それを、分かりやすく言えば──
人に何かを与え、励ましや哲学を贈り、不安や恐怖などを取り除くこと。思いやりのある言葉をかけること。他者のために行動すること。人々の中に入って、上も下もなく平等に、一緒に行動することだ。
大いに友情を広げ、宝の思いでをつくってもらいたい。世界中の誓いの青年と共に!

◎クリーンデー、友好を深める戦い、お疲れ様でした(^^♪

2014.05.24 わが友に贈る

歌声あるところ
希望の前進あり!
「誓いの青年よ」を
高らかに歌いながら
創価の新時代の勝利を!

御義口伝巻下 P781
『法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり』

◇希望の明日へ
元来、戦争でもっとも犠牲を強いられるのは、つねに民衆である。決して国家の中枢にある権力者ではない。権力者は時代をたくみに泳ぎ、必ず保身をはかっていく。その構図を、ひときわ鮮烈に感じさせるのが、かの沖縄戦である。その犠牲は女性や幼い子どもにまで及んでいる。それに対し、国を戦争に導き、国民に戦闘を命じていた権力者は、どうであったか。はるか後方にあって命を永らえたのみならず、戦後も権力の座にとどまり、富や名声を享受した者は、少なくない。なんたる矛盾、なんたる非合理であろうか。権力の恐ろしさ、戦争の恐ろしさ、そして人間の恐ろしさを痛感してならない。
昭63・3・23

☆「生命の光 母の歌」 最終章 未来へ喜びの交響曲を(下)
池田SGI会長 ゲーテは高らかに歌いました。
「大いなる誠実な努力も
ただ たゆまずしずかに続けられるうちに
年がくれ 年があけ
いつの日か晴れやかに日の目を見る
芸術も同じだ また学問も
しずかに まじめに はぐくまれ
ついには永遠に模範的なものが
すべての者の財産となる」(内藤道雄訳「敬愛するフランクフルトの18人の友に」、『ゲーテ全集2』)──と。
わが創価の同志の中にも、音楽をはじめ、芸術の分野で奮闘する友が多くいます。日々、たゆまず努力を重ね、使命の花を爛漫と咲かせています。信仰によって自身を向上させながら、心を鍛え、技を磨き、創造の道を歩んでいます。
博士は芸術家として、常にどういうことを心掛けてこられたのでしょうか。

サイフェルト博士 芸術家は、それぞれが違った個性を持っています。
真の芸術家は、内面においても、それが画家であろうと、演奏家であろうと、何であろうと、自分に与えられた才能を、きちんと認識しているということでしょうか。そして、それは自身の芸術と真摯に向き合い、人間としても、他の人に何かを伝えていくという責任と結びついているのです。そのためには、どれだけ自分を開くことができるかも問われてきます。
私について言えば、「声」ということになります。
声は他の人と交換できないものです。技術や技量によって、人に何かを与えたり、贈ったりすることができます。それは全て心から発せられるものであり、他の人に笑顔や喜びを届け、感動を与えることが可能なのです。
本当に素晴らしいことだと思いませんか? 不思議ですね。なぜなら、それができるのは天与のものなのですから。
だから私は、コンサートの前には、自らが感じ取ったことを他の人にも伝えられるよう、力を与えてください、と祈るのです。

池田 よく分かります。
仏法の最高の経典である「法華経」には、苦悩渦巻く娑婆世界で"天の音楽"を奏でながら、人々に限りない希望と勇気を贈る「妙音菩薩」が登場します。
芸術家の使命は計り知れません。民音(民主音楽協会)の音楽事業は、世界の芸術家と手を携えて、平和と文化の交流の舞台を民衆の大地に広げ、人類の心を結んできました。

サイフェルト 私も、東欧の国境が鉄のカーテンで隔てられていた難しい状況下で、文化の交流に取り組みました。とても難しい時代でした。妥協を迫られたことも多々ありました。
ただ、交流やプロジェクト、または私のアイデアに賛同して協力してくださる方々は、いつもいました。共産主義体制における著名人の中にも、人間性を失わずにいた人たちがいましたので、その方々とは本当に素晴らしい文化的なプロジェクトを実施することができました。
しかし、私たちの支援者は、それぞれ本国の共産圏陣営で重要な地位に就いており、かなり危ない橋を渡りながら援助してくださっていたことも確かです。その方々の協力の下、大勢の芸術家、とりわけ、体制派に属さない芸術家を数年にわたって招聘することができたのです。

池田 冷戦下の厳しい状況が続く中で、今では想像もつかない困難があったことでしょう。
そうした中でも、イデオロギーや体制の違いを超え、同じ平和を願う人間として、文化の交流、芸術の交流を行ってきたこと自体が、一条の光明だったのではないでしょうか。

サイフェルト ええ。もちろん、そこには、研ぎ澄まされた感覚で、絶妙な駆け引きが必要とされました。お互い、それまでに築き上げてきた信頼の基盤があったからこそ、実現したのです。
いかなる協力・提携関係においても、一番大切なのは、それが相互の信頼や尊敬の上に成り立っていることなのです。
彼らとの数十年にわたるお付き合いの中で、心に残る出会いが数多くありました。そこで知り合った芸術家は"またここにお招きしたい、もう一度ここで何かしていただきたい"と思う方々ばかりでした。
彼らの一番の功績は、何といっても人々に希望を与えたことです。それはあたかも、いつもは閉ざされた世界にあって、窓が開いているかのようでした。

池田 貴重な歴史の証言です。
迂遠のようでも、国や立場を超えた人間交流、市民交流こそが平和の基盤となり、共生の未来への潮流を生み出します。これは、私自身が各地で交流を重ねる中で実感してきたことでもあります。
初めてソ連を訪問した折(1974年)、モスクワの宿舎のホテルで「鍵番」をされていた無口なご婦人との出会いを思い起こします。お会いするごとに妻の方からあいさつの声を掛けて、親しくなりました。
「私たちの訪問は平和のためです」と語ると、彼女はポツリと言いました。
「私の夫も戦争で死んだのです」と。平和を願う心が響き合う語らいとなりました。
いずこの国であっても、人間には「生老病死」の現実があります。病気の苦しみ、生活の苦労、愛する家族との死別──人間に光を当ててみれば、誰しも何らかの苦悩があるものです。その次元に立って心を開けば、必ず理解し合えます。そして対話を重ねていけば、変化が生まれます。
対話はあらゆる差異を超えて、相互理解と友情の橋を架ける──これが私の揺るがぬ確信です。

サイフェルト 本当にそう思います。私自身も、とても大切にしてきた点ですし、常に橋を架ける役割に徹してきました。橋は"架け過ぎる"ということはありませんから。
あらためて、民音の公演で訪れた日本では、素敵な経験をすることができました。聴衆も素晴らしかったです。日本の皆さんは本当にいい人たちです。
日本とヨーロッパ、オーストリアでは、人との付き合い方が全然違います。ヨーロッパでは、どちらかというと、誰かが近寄ってくるのを待っていて、仲良くなるのに時間がかかります。日本ではすぐに親しくなることができ、よく一緒に笑ったりもしました。

池田 民音について過分なお言葉をいただきましたが、民音の半世紀にわたる音楽文化運動は、一流のアーティストや識者の協力はもとより、日本各地の推進委員の方々をはじめ、多くの真心の庶民による崇高にして真剣な支援によって進められています。創立者として、感謝は尽きません。

サイフェルト それは素晴らしいことです。
「橋を架ける」ことについて、ゴットフリート・ベンの素敵な詩がありますね。"人生というものは、流れる川に橋を架けることである"
川は常に流れては涸れ、また新たに流れを作る。そこに橋を架け続けるのだ、すなわちどんな変化があっても、前途を開く努力を続けていくのだ、と。これは私にとっての処世訓といっても過言ではありません。

池田 感銘しました。
音楽は、いかなる困難な壁をも超え、世界を結ぶ──それが私たちの体験であり、実感です。決意であり、信念です。
今、私の胸には、貴国の大詩人リルケの叫びが響いております。
「光のきらめきのなかで 生き 創れ」
「立て 身を伸ばせ 光へ向って!」(田代崇人訳「光へ向って」、『リルケ全集第1巻詩集I』)
闇が深ければ深いほど、暁は近い。不安や絶望が深まるほど、平和と幸福への願望は強まります。
その時に、人々を結合させ、希望の光源となる文化の役割が、いかに大きいか。
これでいったん、対談は終わりますが、私たちの平和への戦いは続きます。
これからも、未来へ向かって、"生命の讃歌""喜びの交響曲"を奏でゆくような楽しい対話を繰り広げていきましょう!
サイフェルト博士ご一家のますますのご健勝とご活躍を、妻と共に心より祈っております。
長い間、本当にありがとうございました。

◎きょうから希望の明日へは「戦争」です

2014年5月23日金曜日

2014.05.23 わが友に贈る

会場提供の皆様に
心からの御礼を!
近隣への配慮も大切に。
地域の宝城ありて
広布は朗らかに前進!

弥三郎殿御返事 P1451
『名を揚るか名をくだすかなり、人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり、釈迦多宝十方の仏来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし』

◇希望の明日へ
青春に一書を持てる人は幸せである。悪い書物は悪友と同じように、自分を堕落させていく。良き"一書"は、すばらしき親友と同じく、生涯にわたって自分を高めてくれる。
平4・11・1

☆生命の光 母の歌」 最終章 未来へ喜びの交響曲を(中)
サイフェルト博士 今日、近代的な技術により、若い人たちにとってネットワークを築いたり、世界的なスケールでコンタクトを取り合ったり、情報を共有し合ったり、新しいことを知り、それに取り組んだりすることが、20年、30年前に比べて簡単にできるようになりました。
差異というものは、いつの時代でもありますし、あって当然です。各人が、自身のアイデンティティーと文化的価値を持ち続けながら、隣人(他者)とその文化的環境を理解、尊敬し、違いを尊重しながら、共通項を見いだし、"共存"する努力をしていくことが要請されています。

池田SGI会長 自分たちの文化を大切にしながら、相手の異なる個性や文化を認め、尊重し、良い面を学び合い、吸収し合っていくことは、グローバル社会を生きる私たちが心すべき要諦ですね。
閉鎖的では、硬直化し、独善的になりかねない。"開かれた心"で交流してこそ、自身の可能性の新たな発見もあるのではないでしょうか。
これからの青年のために、視野を広げ、心の世界を大きくする機会を、一段と増やしていきたいものですね。

サイフェルト そう思います。私には義理の娘がいます。彼女は上海出身の中国人ですが、私たちの間には、日常の些細なこと、意識しないところでも、まだまだ文化的な違いがたくさんあることに気づかされます。
しかし、だからこそ、正面から向き合うことが大事なのだと思います。つまり、ばかにされたと感じるような時も、いじけるのではなく、文化の違いから生じる差異をすぐに理解できずに異論がある場合には、オープンに意見を述べ合うことが重要です。
そうした意味において、若いうちに自国以外の文化についても、知っていくことが非常に重要になってきます。外国語の習得も、自身の視野を広めることになると言われますね。専門分野の領域を超えた学生間の交流を、より推進していくことが望まれます。
かつて、息子が日本へ学びに行く機会がありました。それは当時、高校修了資格試験を終えたばかりの彼にとって、その後の将来を左右するほど、大変貴重な体験になったのです。
文化は、人間を人間たらしめるものです。そして文化的な教育は、これで十分施したということはできません。ここで言う「文化」とは、了見の狭い、偏狭な意味合いの「民族の文化」ではなく、「世界市民としての文化」です。

池田 深く共感します。創価教育が志向してきた大きな焦点です。今年の「SGIの日」記念提言でも、「青年」と共に「世界市民教育の推進」を国連の国際共通目標とするよう、提唱しました。これは時代の流れではないでしょうか。
アメリカ創価大学で進めている多様性を重んじた教育について、昨年行われた、ある雑誌の調査では、アメリカに約250校あるリベラルアーツ(一般教養)大学の中で、米国外からの留学生の割合で1位、人種の多様性(留学生を含まない)で5位、在学中に米国外への留学を経験する比率が100%で1位であると評価されました。
日本の創価大学でも現在、47カ国・地域の148大学と学術協定を結ぶなど、世界市民教育に力を注いでいます。
この4月には、待望の「国際教養学部」を開設しました。幅広い教養と専門性、高度な英語運用・コミュニケーション能力を備えた「グローバル人材」を育成するのが目的です。
創価大学からは、貴国のクラーゲンフルト大学にも多くの留学生を送り出すことができました。同大学評議会の一員であられたご主人のウンカルト博士が、両大学の交流に尽力してくださったご高恩は、一生忘れません。

サイフェルト ありがとうございます。夫が、かなり関わった事業です。今も喜んでいるでしょう。
平和のため、未来のために、私たちは、どこまでも沈黙してはいけません。いくつになっても、言わなければならない時は、発言しなければなりません。そしてそういう時、私はいつも創価の皆さまから力をいただいているのです。
人の一生は本当に短すぎると思います。年を重ねれば重ねるほど、自身の残された時間を過ごすのに、より慎重になっていくものです。だからこそ、たとえ社会の第一線を退いた世代でも、「自分の人生はまだまだこれからだ」と決意し、前向きに生きていくことが大切です。私も、自身の文化的な人間形成ということを、四六時中、念頭に置きながら、学び続けています。
若い世代に継承することだけでなく、自分自身が、スポンジが水を吸収するように成長し続けていく。そして語っていくことが大切だと思っています。

池田 同感です。共に対談集を発刊した、平和学者エリース・ボールディング博士が、私に言われていた言葉を思い出します。
それは──今日という日は、満100歳の人たちが100年前に生まれた日であり、また100年後に満100歳となる赤子が生まれている日でもある。
私たちは、「200年」の範囲に生きる人々と共に、皆で「より大きな共同体の一部」をなしている。
「私たちはこの一生の中で、若者から年配者にいたるまでの、何と多くのパートナーに接することでしょう」──と。
ボールディング博士は、大変な闘病の中、亡くなる最期まで平和への志に生き抜かれました。お見舞いに訪れた次代の女性リーダーには、このように語り残されたと伺いました。「平和の文化は、放っておいては実現しません。自分かつくらなければ。一緒にやるのです」「歩みを止めないで! 自身がやっていることに喜びを持って!」と。

サイフェルト 感動しました。心から共感します。
思い出したことが一つあります。面白い物語です。
──あるところに、2人の駆け出しの聖職者がいました。
彼らは、生命がいつから始まるのか、つまり生殖の段階なのか、出生時なのか、議論していました。
そばのベンチに老婦人が座っていました。聖職者たちは「彼女なら知っているだろう。聞いてみよう」と言って質問します。
「私たちは、人生が一体いつ始まるのかと思案しているところなのですが、あなたはどのようにお考えになりますか」
老婦人の答えはこうでした。「そりゃあ、子どもが成長して巣立っていって、夫と飼い犬が亡くなった時さ」と──(笑い)。
そう、その老婦人は、まさにその時点から自分の人生について考え、そして彼女自身の人生を"生きる"時間を得たのです。

池田 難しい哲学の言葉は使わなくても、現実の大地に根を張ってたくましく朗らかに生き抜いてきたおばあちゃんにはかなわない。どこの国でも、母は偉大です。
日蓮大聖人が、門下の女性に「年は・わかうなり福はかさなり候べし」(P1135、「四条金吾殿女房御返事」)と激励されたお手紙もあります。
正しい信仰を貫き、行動していけば、年齢を重ねるごとに、いよいよ若々しく、福徳が増していく、と教られています。誰もがそうした人生を歩んでいきたいと心の奥深くで願っているのではないでしょうか。
今日のSGIを築いてこられた多くのお母さんたちは、年配になっても、若々しい心で、人々のため、社会のために、尽くしてくれています。

サイフェルト 私はSGIの婦人部の方々から、たくさんの精神の宝をいただきました。多くの力をいただきました。このことを、感謝の思いを込めて言わせていただきたいのです。感謝することは、何かをお願いすることより非常に大切なことです。
東京の信濃町に、素晴らしい、新しい建物──「広宣流布大誓堂」が落成したとも伺いました。
あらためて、おめでとうございます!
日本に行くと、いつも本当に温かい世界に触れて、幸せを感じます。ぜひまた創価学園や創価世界女性会館などを訪問したいと、強く願っています。

池田 オーストリアのSGIの婦人部の皆さんも、博士のような偉大なリーダーからさまざまに学ぶ機会をいただき、心から感謝し、喜んでいます。
日本の各地の女性リーダーも、博士との出会いの思い出を今も懐かしく大切にしています。

サイフェルト ありがとうございます。
私は「奇跡を信じないものは現実主義者ではない」という言葉を座右の銘にしています。偏狭で近視眼的になった学者や、自分の考えのみによって全てのことを判断してしまうような人たちが、これに該当します。本当に気の毒です。都会から離れた地域にいる農家の女性のほうが、はるかに精神的に富んでいます。
例えば、乳母車にいる子どもの手から人形が滑り落ちてしまって泣いていたら、(その悲しみに同苦して)空の星が震えている──そんな捉え方ができるのです。
"重大な"政治的出来事や経済的動向などより、人生に起こる些細で劇的な出来事こそが、実は世界をも揺り動かしているということを感じて、最も重要視していくべきと思うのです。

池田 豊かな感性が伝わってくるようです。「アフリカの環境の母」と讃えられたワンガリ・マータイ博士とお会いした際、印象的な話をされていました(2005年2月)。
博士が幼き日、母に「どうして空は落ちてこないの」と聞いたところ、「周囲の山々にいる大きな水牛の大きな角が空を支えているから」と答えてくれ、とても安心できたそうです。自然がどれだけ人間を守っているか、そのありがたみが子ども心に鮮やかに刻まれていった。それが後に、あの4,000万本もの植樹運動に結実しゆく揺籃となっていったわけです。
小さいことのようで、それがその人の心の奥底を動かし、人生を方向づけていく出来事があるものです。それは、いわゆる哲学や科学や政治、経済などの次元だけでは捉えきれない人生の実像です。
恩師は、よく言われていました。
「いかに優れた思想、哲学でも、たった一人の人間を救うことさえ容易ではない。できたとしても、せいぜい気休めの慰めぐらいのことではないか。ましてや、一国を根底からまるまる見事に救ったことなどない」──と。
だからこそ、一人の人間生命の尊厳性と可能性を信じ抜き、その人間革命を目指すことから全てを出発する創価の運動の深い意義もあり、平和・文化・教育の活動へ展開する必然的要請もあると思っております。

2014年5月22日木曜日

2014.05.22 わが友に贈る

人を育てるには
会って語ることだ。
共に行動することだ。
自分が戦うことだ。
励ましのリーダーたれ!

檀越某御返事 P1295
『雪山童子の跡ををひ不軽菩薩の身になり候はん、いたづらにやくびやうにやをかされ候はんずらむ、をいじににや死に候はんずらむあらあさましあさまし、願くは法華経のゆへに国主にあだまれて今度生死をはなれ候わばや』

◇希望の明日へ
日興上人の仰せに「本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し」(P1613)−−(インドの釈尊の言葉が中国語や日本語に翻訳されたように)大聖人が使われた日本の尊い言葉についても、広宣流布の時には、仮名を用いて書かれた御書を訳して、インドへも、中国へも流布していくべきである−−と。この仰せ通り、御書を正しく翻訳し、世界中に流布しているのは、創価学会だけである。
平3・11・30

2014年5月21日水曜日

2014.05.21 わが友に贈る

自分らしく
輝くための信仰だ。
祈り、行動する中で
わが心を磨きゆけ!
栄光の劇の主役たれ!

御義口伝巻上 P716
『我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり』

◇希望の明日へ
文学のなかには、政治がある。社会がある。苦悩があり、希望への歌があり、心の宇宙がある。人間の実相を照らさんとする魂の光がある。ゆえに恩師戸田先生は、つねに青年に「世界の大文学を読め」と厳しかった。逝去の寸前まで「大作。今、何を読んでいるのか」と問われた。今、青年たちに同じ期待を寄せている。
平2・7・31

☆「生命(いのち)の光 母の歌」 最終章 未来へ喜びの交響曲を(上)
サイフェルト博士 この語らいに、読者の皆さんから寄せられた、たくさんの反響を伺いました。本当にうれしいです!
以前に池田会長が紹介された、目の見えないご両親を支える(中学生の)お嬢さんからも手紙を頂戴し、涙する思いで拝見しました。自分もそうでしたから、彼女がどれほど苦労してきたか、よく分かります。そして、ご両親からたくさんの愛情を受けて育ってこられたことも、よく分かります。
彼女のように、人一倍、苦労をしている若者には励ましが必要です。温かく励ましていけばいくほど、その人は大きく人生を開いていくことができるのです。

池田SGI会長 博士はすぐに返事を書かれ、激励してくださいました。その真心とスピードに、博士から手紙を預かったSGIの婦人部のリーダーが深い感銘を受けておりました。
人一倍苦労しているといえば、今の季節、私が心から声援を送りたいのが、新たな職場や学校で奮闘する皆さんです。
ちょうど日本は4月に新年度が始まったばかりで、彼らの凜々(りり)しい挑戦の姿が光っているのです。
私も、大切なフレッシュマンたちに「清々(すがすが)しい挨拶を!」「朝に勝とう!」「愚痴をこぼさず前へ!」の3点の指針を贈ったことがあります。
実はこの時期、日本では「五月病」という言葉を、よく耳にします。新入生や新入社員の中には、新しい環境になじめず、勉強が手につかなくなったり、落ち込んだりしてしまうケースがあるのです。
大学卒業者の場合、昨年の調査では、就職しても3年以内に離職する人が3割を超えました。社会全体で取り組まねばならない課題になっています。

サイフェルト 職場の居心地が悪かったり、合わなかったりということもあるでしょう。しかし本来、働くこと自体が大切なのです。仕事に就くことが難しい場合もあります。

池田 いずこの職場であれ、就職の際に抱(いだ)いていた理想と現実の間に大なり小なりギャップがあります。そこをどう受けとめていくか。これは時代を超え、国を超えて、共通する青年の課題でしょう。
私の恩師・戸田城聖先生は、仕事について悩む青年に信仰の実践の大切さを教えるとともに、先師の牧口常三郎先生が提唱した「美」「利」「善」の価値論を通して、次のように励まされていました。
──職業は、「自分が好き(美の価値)であり、得(利の価値)であり、社会に貢献できる(善の価値である)仕事」に就くのが理想だが、現実はそうはいかない。だからこそ青年らしく、へこたれずに、まず今の職場で、"なくてはならない人"になるよう全力で努力することだ。そうすれば最後には、自分にとって「好きであり、得であり、社会に大きな善をもたらす仕事」に到達できる。途中で重ねた苦労は全部貴重な財産になるよ──と。
誰にも、自分にしかない使命がある。しかし、その使命は「いつか」「誰か」が教えてくれるわけではありません。特に若い時は「学びの時代」「鍛えの時代」と捉えて挑戦していくことです。
もちろん、職場等での理不尽な待遇などに黙って我慢しろという意味ではありません。自分一人で抱えず、しかるべき人に相談していくことが大事です。
スイスの思想家ヒルティは"仕事の上手な仕方"のポイントの一つに、「思いきってやり始めること」を挙げていました。〈草間平作訳『幸福論 第1部』〉
私の体験の上からも、そう思います。

サイフェルト その通りですね。働くことに関連して、私には息子がいるのですが、まだ主人が健在だったころ、大学を無事卒業して喜んでいた息子に「何か私たちが手助けできることはない?」「これから何がしたい?」と聞いたことがあります。すると、「まあ、本当のところ、まずは世界を見て回りたいなあ」なんて言ったのです!(笑い)
当然、そんな考えには同調できませんでした。

池田 ご子息が今、立派に成長され、貴国で社会貢献の職務に就いておられることは、よく伺っております。

サイフェルト 私は常に仕事に責任を持ち、自分の力で人生を切り開くことを第一義に考えてきました。人が何らかの地位を得て、他の人々のために貢献できるということは、本来、神からの恵みであり、天与のたまものなのです。
人は、自分自身に対する責任について免責されるべきではないと思います。なぜなら、それこそが生きる意味そのものだからです。人は張り合いや責任感がなくなると、自分自身の存在自体に疑問を持つようになっていきます。ですから、子どもたちには、より早い時期から人生の厳しさや本来の生きる意義を理解させることが大切だと思います。
それがいかに重要かということは、私自身の経験からも言えます。子どもや青少年を教育するということは、若い人たちに「生死(しょうじ)」や「自身の環境や他者に対して負うべき責任」に関して考えるチャンスを与えるということなのです。
困難は全て、克服するためにあるのです。私自身、さまざまな苦労を重ねてきましたが、自分が今まで歩んだ人生を取り換えようとは思いません。この人生が一番いいと思っています。

池田 自分の人生に悔いはない。一番良かった──そう言い切れることこそ、大勝利の人生の証しでしょう。
かつて対談した日本の実業家・松下幸之助氏(松下電器産業〈現・パナソニック〉創業者)は「若い時の苦労は、買ってでもせにゃ、あきまへんな」と語っておられました。松下氏ご自身が小学校を中退して働き、大変な苦労をして事業を起こし、世界的に発展させていかれた方でした。"経営の神様"と仰がれてきました。
人生は、働き、苦労すること自体に大きな価値がある。たとえ財産があっても、楽をし、遊んでばかりの人生では、退屈で空虚なものになってしまう。それではかえって不幸です。
また、博士のご家族がそうであったように、親は子に、折に触れて、人生の苦難と戦った自身の体験や信念を伝えていくことが大切ですね。それは特に、子どもたちが社会に出るに当たって、何よりの"心の宝"の贈り物となるでしょう。
私の恩師は「艱難汝を玉にす」という言葉がお好きでした。
私は21歳の時から恩師の会社で働きましたが、師はあえて一番大変なところ、一番苦労するところに私を就かせました。後になって、その意味がよく分かりました。本当にありがたい師でした。

サイフェルト 子どもたちには「仕事があることは幸福なのだ」と教えていくべきなのです。
確かに、今日のヨーロッパを見れば、残念ながら、博士号まで取っでも、勤め先の無い学術者があふれかえっており、困難な時代です。
子どもたちが親に対し、自分たちの境遇が親に比べて、ずっと悪いと訴えるケースも増えているようです。"確かに最初は何もないところから始めたかもしれないけれど、今はいい暮らしをしているじゃないか""それに比べて、子ども世代は何不自由ない生活から突然、困難な状況に置かれてしまっている!"とさえ言うのです。
なぜこのような見方をするのか、背景を探る必要があると思われます。

池田 今、若い世代を取り巻く雇用環境は、実に厳しい。
国際労働機関(ILO)によれば、2013年は、世界全体の失業者が初めて2億人を超えて2億200万人(失業率は6%)に達しました。中でも若者の失業率は全体の2倍以上の13%を超え、世界全体で約7450万人の25歳未満の若者が失業中と言います。また、1日に1.25ドル以下で暮らさざるを得ない労働者(ワーキングプア)は、改善されつつあるものの、3億7500万人にものぼると推定されています。
多くの若者が、定職がない、低賃金、劣悪な職場環境、不安定な雇用形態、男女間の待遇の格差などで苦しんでいます。
私は今年の「SGIの日」記念提言でも、国連の新しい国際共通目標として「青年」という分野も含めることを訴えました。
そして、�「ディーセント・ワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)の確保に各国が全力を挙げること�社会が直面する問題を解決するプロセスに「青年の積極的な参加」を図ること�国境を超えた友情と行動の連帯を育む青年交流を拡大すること──を目標に設定するよう提案しました。
青年が、自分らしく、自らの夢に向かって力を発揮していける社会の基盤をつくらなければなりません。

サイフェルト 素晴らしい提案です。
もう一つ、若者が自分らしく力を発揮するという点で、聖書には「隣人を自分と分け隔てなく愛せよ」とありますが、実のところ自分自身を愛することは非常に難しく、それは多くの人が抱えている問題でもあると思います。
大切なのは、自己の価値を認め、自分を好きになり、少なくとも自らを受け入れることではないでしょうか。そうすることから、希望が生まれます。そうすれば、ちょっとしたことで簡単に傷ついてしまうような脆(もろ)さはなくなると思うです。
私自身、非常にそのことで悩んでは闘ってきました。時には心を強くして、精神的暴力から身を守らなければならないこともありました。その際、同じような考えを持つパートナーが身近にいれば緩和されるでしょうが、独り身だったら少なくとも良き友人が必要です。これは自己の限界を破っていくために通らなければならない道です。私自身もそうでした。

池田 私の恩師は、青年に「自分自身に生きよ」と言われました。
自分の中には尊極なる"仏の生命"がある。幸福の源泉がある。そう説いたのが仏法です。
運命と戦い、人生を切り開いていくのも自分です。そう決めて、自分らしく生き抜く人は、いかなる毀誉褒貶(きよほうへん)にも惑わされません。全ての縁を生かしていくことができます。
今、お話があったように、青春時代は"良き友"の存在が大切です。
仏法でも「"蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)"との交わりで、蓬(よもぎ)のように曲がっていた心が感化を受け、麻のように真っすぐ素直になる」との譬(たと)えが記されています。
良き友との交流を通し、人はより良い人生の道を進むことができる。自分では気づかない自分の長所や強さを発見でき、自他共に輝いて生きていくことができる。良き友人を持った人生は幸福です。

2014年5月20日火曜日

2014.05.20 わが友に贈る

「御みやづかいを
法華経とをぼしめせ」
職場は自身を磨く道場。
誠実な振る舞いで
なくてはならない人に!

除病御書 P1298
『但し貴辺此の病を受くるの理或人之を告ぐ予日夜朝暮に法華経に申し上げ朝暮に青天に訴う除病の由今日之を聞く喜悦何事か之に過ぎん、事事見参を期せん』

◇希望の明日へ
書物は、その時代のみならず、未来まで思想を残す。また国境を超え、東洋と西洋、資本主義と共産主義等の違いをも超えて、豊かな"精神の対話"をもたらしていく。特に若き世代に何らかの示唆を与え、地道ではあっても、人類の偉大なる進歩につながっていく。"文化の開花"に貢献する出版の仕事は、本来、あまりにも尊いものである。
平2・4・15

2014年5月19日月曜日

2014.05.19 わが友に贈る

◇今週のことば
地区部長と婦人部長は
希望と信頼の太陽なり。
「わが地区に来れ」と
喜び光る座談会を!
 創価家族の絆で前進だ。
2014年05月19日

御義口伝巻上 P748
『師とは師匠授くる所の妙法子とは弟子受くる所の妙法吼とは師弟共に唱うる所の音声なり』

◇希望の明日へ
青年は、良書を求め、読みぬいていただきたい。どこへ行っても、どのような人に対しても、自在に話を展開し、深い感銘を与えるだけの力を培っていただきたい。青春時代の今、やっておかなければ、必ず悔いを残すことになるからだ。
平2・1・21

2014年5月18日日曜日

2014.05.18 わが友に贈る

会合に集えない
友を大切に!
悩みに耳を傾け
励ましを重ねる中で
希望の連帯は拡大!

生死一大事血脈抄 P1337
『日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに還つて日蓮を種種の難に合せ結句此の島まで流罪す、而るに貴辺日蓮に随順し又難に値い給う事心中思い遣られて痛しく候ぞ』

◇希望の明日へ
読書について一言えば、"読む"ことも「心を耕すクワ」と言える。じつは、本そのものの中に、知恵や幸福があるわけではない。本来、それらは全部、自分の中にある。しかし、読書というクワで、自分の心、頭脳、生命を耕してこそ、それらは芽を出し始める。"文化"すなわち「カルチャー(culture)」の語は、"耕す"すなわち「カルチベイト(cultivate)」からきていることは有名である。自分を耕し、自分を豊かに変えていく。そこに文化の基本がある。あらゆる賢人が読書を勧めている。人生の"実りの秋"に、大きな精神の果実をつけるために、今こそ、あらゆる良書に挑戦してほしい。
平1・10・10

☆名誉会長と共に新時代を開く 第18回 堂々と絶対の安穏の道を
新しい広宣流布の開拓をするのは今だ。皆、本当に頑張っている。なかんずく婦人部の皆様に一段と光を当て、心からの感謝を捧げたい。全ての同志を最大に賞讃したい。
広布の功労は不滅だ。妙法の功徳は無量である。
御聖訓には仰せである。
『国中の人々に、一人から二人へと妙法が広がり、やがて千万億の人が題目を唱えるようになれば、思いもよらぬほどの功徳が、あなたの身に集まることでしょう。その功徳は、あたかも露を集めて大海となり、微塵を積んで須弥山となるようなものです』(P1241、通解、「妙密精進御消息」)
信心一筋に生きる皆様を、諸天が護らないわけがない。
もうすでに、絶対の安穏の軌道に入っているのだ。何があろうと負けないで、堂々と広布へ進む。生老病死の苦しみも、信心を強める糧にする。その姿自体が、偉大な勝利だ。私は、一人一人と握手を交わし、讃え、ねぎらいたい気持ちでいっぱいである。

人生には、つらいことや悲しいこと、絶望の淵に沈むこともあるかもしれない。
無数の尊い命が奪われた戦時中、正義の獄中闘争を貫かれた戸田先生は、ありとあらゆることで苦しんだからこそ、今、大勢の人を励ませるのだ、大衆のリーダーとして、人の心が分かる人間になれたのだと語っておられた。
煩悩即菩提である。妙法は、「煩悩の薪」を焼いて幸福前進の智慧の炎に転じていける究極の大法である。
題目をあげれば、わが年命に太陽が昇る。自分が太陽になれば、全ての闇は消える。亡くなった人も、題目の光りで救っていける。いわんや、生きている人を幸福にできないわけがない。信心は、生き抜く力の源泉である。「変毒為薬」の希望の大道なのである。

2014.05.17 わが友に贈る

青年を大事にする。
青年を信頼する。
青年を励ます。
この広布の要諦を
断じて忘れるな!

二乗作仏事 P594
『師子身中の虫の自ら師子を食うが如し、外道には非ず多く我が仏法を壊りて大罪過を得ん』

◇希望の明日へ
読書は自分自身の中にある英知を磨くものである。充実した、また、晴ればれとした心の世界を開くものである。ゆえに、いくら、たくさんの知識をもっていても、謙虚に自分の"内なる世界"を見つめない人は、真の読書の人とはいえない。わが"内なる光"を発見するための精神の航海。わが"内なる宇宙"への旅それが読書なのである。
平1・10・10

2014年5月16日金曜日

2014.05.16 わが友に贈る

新入会の同志と共に
御書を拝そう!
たゆまぬ教学の研鑽が
強固な信心をつくる。
挑戦と成長の日々を!

三三蔵祈雨事 P1468
『されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり』

◇希望の明日へ
若い時代に良書に触れ、その中から「自分の友達だ」「少年時代の親友だ」と呼べる書物や登場人物を見つけることが大事である。胸の中に、そうした"心の友"が生きている人は幸福である。人生が豊かになるし、楽しい。また、いざという時に強いし、人格にも味わいが出てくる。たとえば、優れた外国の本の登場人物と対話を交わし、"友だち"になる。そうすれば、その国の心を深く知った人ともいえる。また世界中の人々に通じる普遍的な人間性を磨いたことにもなる。その人は、単に語学力を鼻にかけただけの倣慢な人になるより、よほど"心の国際人"であるといえる。もちろん語学は絶対に必要である。大事なことは語学を身につけながら、同時に、その国の人の考え方を知り、心を学んでいくことである。
平1・10・10

2014.05.15 わが友に贈る

幸福の花は
忍耐の大地に咲く。
「今に見よ!」
負けじ魂を燃やし
何があっても前へ!

開目抄上 P200
『今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願しぬ』

◇希望の明日へ
本の読み方については、さまざまな意見がある。例えば、一人の作家を中心に読む。また自分のテーマを決めて読む。さらに、一冊ずつ、きちんと読み重ねる。反対に何冊も同時並行で読む。古典を中心に読む。自分の興味があるものから読む。良書をゆっくり、ていねいに精読する。多くの本を速読する、など。そして、読んだら短くても感想を書いたり、人に語ることを勧める人もいる。そうすれば、内容をより深く自分のものに
することができる。他にも読書の方法については、いろいろな考え方がある。必ずしも"こうでなければならない"というものはない。自分に合った読み方でいいし、自由に伸び伸びと読書の習慣をつけていけばいいのではないか。
平1・10・10

2014年5月14日水曜日

2014.05.14 わが友に贈る

受け身の姿勢では
本当の力は出ない。
自分が全責任を担う!
その自覚と決意で
勝利の道を切り開け!

盂蘭盆御書 P1430
『我が身は藤のごとくなれども法華経の松にかかりて妙覚の山にものぼりなん』

◇希望の明日へ
書物は真理と文化の懸け橋である。良質の書物がなければ、人類の英知は人々に伝わらず、貴重な精神遺産も後世に残らない。その意義から出版社は、真理探究と文化向上に貢献する尊い使命を担っている。
平1・4・29

2014年5月13日火曜日

2014.05.13 わが友に贈る

「わが地区を
日本一の人材城に!」
強き祈りこそ発展の力。
皆で心を合わせ
新たな地涌の連帯を!

辧殿尼御前御書 P1224
『第六天の魔王十軍のいくさををこして法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土をとられじうばはんとあらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵ををこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし』

◇希望の明日へ
知識を得るためだけではない、魂を養う読書は生涯の宝である。血肉となった教養には、単なる断片的な知識の集まりはかなわない。
『主婦の友』昭64・1月号

☆忘れ得ぬ旅太陽の心で第26回 ブルガリア
◇未来の生命に文化の光を
バラの花
 幸と香れや
  母子して

風が爽やかに香る皐月です。
5月には「こどもの日」と「母の日」があります。子の健やかな成長を願う母の慈愛と、母の健康長寿を祈る子の感謝とが温かく響き合う"母子の月"です。
この季節を、百花繚乱の花々が嬉しげに彩ってくれます。なかでも、"花の女王"として、ひときわ優雅な気品をたたえているのが、バラではないでしょうか。
バラは、一輪そこにあるだけで、部屋の佇まいを一変させる不思議な品格を持っています。
かつて私は、草の根の文化運動に奔走する健気な友に、一句を贈ったことがあります。
「牛乳瓶 バラ一本 さしにけり」と。
どんな場所でも、また、たとえ一人きりでも、一輪のバラのように凛と咲き誇って、周囲を明るく照らしていける。そこに真の人格の力があり、文化の力があると讃嘆したかったからです。

東欧のブルガリアは、その名も「バラの国」と称されます。もちろん、国の花もバラです。
私の胸中には、ブルガリアの美しい歓迎の歌が蘇ります。
「今日のこの素晴らしき日に どうぞ 一輪のブルガリアのバラを受け取ってください/そのバラに かぐわしい調べで/この山々を この海を そして私たち皆のことを あなたに語らせてください」と。
ブルガリアでは、世界で消費されるバラの香油(香水の原料)の約7割が生産されていると聞きました。
二つの山脈(バルカンとスレドナ・ゴラ)に囲まれた地域には、じつに約120キロにもわたってバラが栽培されている「バラの谷」が続いています。
この「バラの谷」に、武器を製造する拠点がおかれた時代もありました。しかし今では、とくに5月、6月、世界から人々が集う、香り豊かな"平和の花園"となっています。
それは、バラが武器に勝ち、文化が野蛮に打ち勝った象徴と言ってよいでしょう。
遠くからブルガリアの友が来日する際は、私も友情と平和の心をバラに託して歓迎しています。
ブルガリアと交流の深い広島県の「福山ばら祭」では、私と妻の信頼する青年たちが、凛々しい楽器演奏のパレードで、地域に貢献してくれています。

混迷の
 世にも 気高き
  バラの花
 平和の香りよ
  友誼の光よ

私が空路、白銀の雪が残るバルカンの山々を越えて、首都ソフィアに第一歩を印したのは、ブルガリア建国1300年(1981年)の佳節でした。
「美しきわが森よ 青春の香りがする」と民謡で歌われる通りの「森の都」です。彼方に仰ぐヴィトシャ山の連峰は壮麗でした。
到着した当初から、お会いした各界のリーダーの方々が強調されていたことがあります。
それは、ブルガリアは平和を愛する国であり、文化を重んずる国である。軍事の同盟には恒久性はなく、文化の同盟こそ重要なのである、ということです。
国土や軍事力、経済力の大きさよりも、人間の精神の大きさ、豊かさ、美しさ、絆を大切にされていたのです。
聡明な女性リーダーであるリュドミラ・ジフコヴァ文化大臣は毅然と語られました。
——世界は、これ以上、戦争の恐怖のもとで生きるべきではありません。子どもたちが、この世で一番大切な「お母さん」と「自由」という言葉を書けるようになる前に亡くなることがあってはなりません、と。
母と子が笑顔で暮らせる社会こそ、真に平和な世界と言えましょう。

シルクロードの東西を結ぶ「文明の十字路」ブルガリアでは、古代ローマ帝国、東方キリスト教を基盤としたビザンチン帝国、ブルガリア帝国、イスラムを根幹としたオスマン帝国など、激動の攻防の歴史が繰り返されるなかで、人々が苦難を乗り越え、豊饒なる文化を創造してきました。その文化の多彩さは、華やかなブルガリアの民族衣装を思わせます。
首都「ソフィア」の名は「知恵」という意味です。
ブルガリアの知恵は、困難の歴史を生き抜きながら育んできた珠玉の知恵であり、決して行き詰らない知恵でありましょう。
さらに、ソフィア市の紋章には「成長するが老いはしない」と刻まれています。
私は、試練に屈しないブルガリアの大地から、必ずや21世紀を潤す平和と共生の知恵が湧き出ずることを祈りつつ、お招きいただいたソフィア大学で「東西融合の緑野を求めて」と題する講演を行いました。

美しき
 生命の歌声
  こだまして
 平和の夜明けを
  心に開けり

ブルガリアが世界に誇る文化に、「合唱」があります。約3,600もの合唱団があり、とりわけ子どもたちの合唱団が多いと伺ったことがあります。
ブルガリアとの交流の折々に、少年少女たちは友好の合唱を披露してくれました。
「ヴィトシャの山から友情の翼をつけて空高く、世界へ飛んでいきましょう」との清らかな天の歌声も忘れられません。
日本の歌「赤とんぼ」「木曽節」「草津節」を見事に歌い上げてくれた真心にも感銘しました。
私がソフィアに続いて訪問した世界最古の町の一つとされる「古城の都」プロブディフでも、地元の少年合唱団が、ブルガリア語と日本語、ロシア語の歌で迎えてくれました。
この国の村々では、たくさんの女性が民謡を愛し、3人以上集まれば、その場で合唱が始まると言われます。
ある時は食卓で賑やかに、ある時は農作業の場で力強く、ある時は赤子の揺籃の傍らで優しく、生活の舞台で歌われ続けてきた民謡は、7万曲にもおよぶというのです。
多彩なブルガリア民謡のなかで、ゆったりとした曲からは、「ヤヴァシ、ヤヴァシ(ゆっくり、ゆっくり)」と一歩また一歩、足元から幸福を築きゆく姿も連想されます。
地声による迫力ある歌も特徴的です。そこには、ブルガリアのシンボルである獅子のごとく、何ものにも負けない勇気の響きを感じます。
声は命。歌は心です。苦しい時も、くよくよしている時も、声高らかに歌えば、生命の奥底から活力が湧き、悩みを吹き飛ばしてくれます。
歌のあるところ、明るい前進の息吹があり、歌のあるところ、豊かな心が満ち溢れます。
約500年にもわたる、外国の残酷な支配に屈しなかったブルガリアの民衆の強さを支えたのも、歌うことであり、合唱であったのです。
そして、ぶつかり合うような異なる音さえ結び、深いハーモニーを創り出す合唱は、平和の象徴です。
私が創立した民主音楽協会では、これまでブルガリアの主要な合唱団・合唱舞踊団を8度、日本に招聘してきました。

ブルガリアの格言に「我らが戸口にも太陽は昇る」とあります。たくましい楽観主義に生きて、人々を照らす太陽は、女性です。
大文豪ヴァーゾフの小説では、戦場から息子が無事に帰ってくるのを待ちわびる母が、連行されていく敵軍の捕虜に心を痛めて差し入れをするという、胸に迫る場面があります。
「いい人たちなのに…かわいそうに、この人たちの母親は…自分の息子たちがどうしてるか知っているだろうか?」と。
戦時中、私の母も、憲兵に連行されていく敵国人の捕虜について、「かわいそうに! かわいそうに! その人のお母さんは、どんなに心配していることだろうね」と語っていたことを思い起こします。
苦難に立ち向かう「不屈の魂」と、他者を大切にする「慈愛の心」こそ、平和の文化の翼と言ってよいでありましょう。

獅子となれ
 不屈の魂
  皆が生命に

私が共に対談集を発刊した、東欧を代表する芸術史家ジュロヴァ博士のご家族も、「美しき獅子の魂」を持つ方々です。
残虐なファシズムと戦い、父君は何度も死刑宣告を受け、母君は投獄されるところを、妊娠していたために、かろうじて免れました。
戦乱で思うように学べなかった母君は、戦後、多くの子を育てながら、自らも学校に通い、織物工学技術を習得して、子どもたちに素敵な自作の服をプレゼントしてくれました。学び続ける喜び、また、生活を彩る芸術を教えてくれたのです。
父君は、人生の生き方を伝えてくれました。
第一に、試練に対して忍耐強く生きる。
第二に、チャンスの時には、大胆に行動する。
第三に、忍耐の時か、勇敢に行動に打って出る時かを、知恵で見きわめる。
そして常々、父君は「いかなる状況にあっても人間は人間である」と、最も重要な人間性の価値を教えてくれたと言います。
ジュロヴァ博士は、女性が世界で果たすべき使命とは「人間生命が持つ価値と精神性を守りゆくことです」と断言されていました。だからこそ、平和のために積極的に行動する広島の女性たちの姿に驚嘆し、最大に讃えておられたのです。

生命は
 清く美しく
  人生は
   強く逞しく

ブルガリアに「生命の水」という民話があります。
遠い彼方に、飲めば歳をとらず、若返り、丈夫になる「生命の水」が湧き出ている。それを持って帰ってきた者が、王の後継者となると決まった。王の3人の息子が「生命の水」を求めて旅に出た。十字路に来ると"無事に帰れる道""帰れる可能性のある道""帰れない道"があった。末の弟は、妻や婚約者の待つ兄たちに安全な道を譲り、自分は最も困難な"帰れない道"を選んで、道中、生きとし生けるものを救いつつ進んだ。そして結局、「生命の水」を発見し、最終的に善き指導者となったのは、末の弟だった、と。
苦難の道を乗り越えて、生命の尊厳を探究し、他の生命を救い、平和を築いていく。
このブルガリアの偉大な使命の道を、私の友たちも勇敢に進んでいます。私が創立した創価大学からブルガリアに留学し、そのまま第二の祖国と決めて、社会に貢献している友もいます。皆が良き市民として、人のため、地域のために行動し、生き生きと人間共和のスクラムを広げております。
青年詩人ボテフが「分ち合おう」と叫んだごとく、共々に苦労を分かち合いながら!

朗らかに
 天まで響けや
  大合唱
 誓いの道を
  喜び悔いなく

2014年5月12日月曜日

2014.05.12 わが友に贈る

◇今週のことば
続ける。繰り返す——
これが広布を開く王道。
誠実な対話を重ねれば
仏縁は大きく育つ。
信念の語らいを悠々と!
2014年05月12日

御講聞書 P813
『父母の成仏即ち子の成仏なり、子の成仏即ち父母の成仏なり』

◇希望の明日へ
良書を読めば、時代を見極め、リードしていく視点を培える。また仏法の視点をもてば読書を通して、十界の諸相をはらむ人生と社会の姿が明確に浮き彫りにされてくる。さらに良書からは、御書に説かれる妙法の法理の一分を随所にくみとることができる。私は若き日より、仏法を根幹に、現実の社会と生活のうえで懸命に戦い、勝ってきた。その激闘のなかで、本を読む力も戸田先生によって培われ、現実への洞察の"眼"も養った。私が折あるごとに数々の名作を紹介するのも、こうした意味からである。
平1・1・21

☆5・9「音楽隊の日」60周年へのメッセージ
師子吼の題目を唱え抜きながら、民衆を励まし、鼓舞する、君たち音楽隊の妙音の響きこそ、創価の師弟の魂が脈動する、わが学会の絶対勝利の音律であります
これからも、音楽隊は、私と一緒に、人間勝利の凱歌を、楽しく勇壮に、世界の果てまで轟かせてくれ給え!
君たちと共に作った新・学会歌 『誓いの青年(きみ)よ』 を高らかに歌い響かせながら、新時代の大行進の先陣を頼む!

【新指針】
一、民衆を励まし鼓舞する妙音の楽雄たれ!
一、平和と文化を担い立つ広布の英雄たれ!
一、社会で世界で勝利する創価の世雄たれ!

2014年5月11日日曜日

2014.05.11 わが友に贈る

断じて師と共に!
強き誓願から
無限の力が湧く!
その心で戦い抜く人に
栄光の人生は輝く!

唱法華題目抄 P1
『かりそめにも法華経を信じて聊も謗を生ぜざらん人は余の悪にひかれて悪道に堕つべしとはおぼえず』

◇希望の明日へ
芸術が、ある程度、"宇宙生命に内在する力を発現させたもの"だとすれば、芸術作品に触れて、歓喜するということは、それを通じて宇宙生命に触れるということでもある。芸術は"宇宙生命に出あう扉"ともなり得るわけである。このように、自己と他者が、芸術を通じて、宇宙の根源のリズムに共感し、感動を共有していくところに、普遍的な人類の心の連帯が可能になると信じる。美に出あうとき、人間は人間に立ち戻る。生命に立ち戻る。立ち戻った人間という平等の次元では、いっさいの"壁"はなくなる。
平4・7・31

☆NZのニュースサイト「スクープ・インデペンデント・ニュース」掲載 SGI会長のインタビュー(下)
──平和構築のために、異なる宗教間の協力は可能だと思われますか。また、どうすれば最も効果的に協力を推進できるとお考えですか。

そうした協力は可能であるし、むしろ、積極的に努力を傾けていかねばならないと思います。私自身、仏法者の一人として、世界平和の構築に向けて人間と人間との心の連帯を育むために、40年以上にわたって、異なる宗教的背景を持つ各国のリーダーや各界の識者の方々との「対話」を重ねてきました。
その経験を踏まえて実感することは、宗教的な教義に関する見解や、信仰の根幹部分を支える思想は違っていても、「平和を求める思い」や「世界が直面する問題への懸念」、また「人類の未来に対する切なる希望」といった面では、同じ人間として共感できる部分が明確に存在しているという点です。
例えば、インドネシアの元大統領で同国最大のイスラム団体の指導者であったワヒド氏は、私との対談で、「青年には、自身の利益だけを考える人ではなく、社会の利益を考える人、世界の平和共存のために行動する人になってもらいたい」(『平和の哲学 寛容の智慧』潮出版社)と切望しておられました。
こうした思いは、信じる宗教は違っても、心ある人々の胸に等しく宿っているものではないでしょうか。
では、どのようにして「宗教間協力」を築いていけばよいのか──。
私は、紛争や環境破壊、貧困や災害といったグローバルな問題について、具体的なテーマを一つ一つ掲げながら、"自分たちは何をなすべきで、どのような智慧や精神を社会に発信していくべきか"について対話を進めて、具体的な活動についても協力を模索したり、意見交換を行っていく──いわば「問題解決志向型」のアプローチが有益ではないかと考えます。
人類史を振り返ると、宗教的な対立が原因となって起こった紛争は少なくありません。
しかし近年、宗教の違いなど関係なく、人々を苦しめるグローバルな脅威が"共通の課題"として深刻さを増す中で、「宗教と精神性は、動機づけ、包摂性、参加および持続可能性にとって強力なプラスの社会・文化的な力であり得る」(『宗教と開発』ジェフリー・ハインズ著、阿曽村邦昭・阿曽村智子訳、麗澤大学出版会)といった、宗教が果たす役割への期待も寄せられるようになってきました。
実際、SGIの代表も参加しましたが、東日本大震災の数カ月後(2011年6月)にジュネーブで開催されたUNHCR(国運難民高等弁務官事務所)とNGO(非政府組織)の年次協議会でも、「保護の強化──信仰を基盤とした団体の役割について」と題する分科会が行われるなど、宗教団体の役割に焦点が当たるようになってきているのです。
その意味から言えば、それぞれの宗教が、「破壊」ではなく「建設」、「分断」ではなく「連帯」を求める"人間の善性"を呼び覚まし、地球的問題群の解決に向けての貢献の行動を重ねて切磋琢磨し、その磨かれた人間精神の発現を通して、さらに協力関係を深めていく──こうした挑戦を、国連を軸に本格的に進めていくべき時代を、私たちは迎えているのではないでしょうか。
この挑戦について考える時、チェコのハベル元大統領が21世紀を展望して述べた、「来たるべき世紀のヨーロッパに課せられている唯一無二の重要課題は、〈最良の自己〉であること、すなわち、その最良の精神的伝統を蘇らせ、それを通じて、新たな形の地球規模の共生の実現に創造的に関わっていくことである」(『ヨーロッパは書く』ウルズラ・ケラーほか編、新本史斉ほか訳、鳥影社・ロゴス企画)との言葉が思い浮かんできます。
ここでいう"ヨーロッパ"という主語を、"それぞれの宗教"に置き換えてみれば、21世紀の世界で宗教が果たすべき役割が、明確な姿を帯びてくるのではないかと、私は考えるのです。
さまざまな団体や機関と同様に、私が創立した三つの研究機関(東洋哲学研究所、戸田記念国際平和研究所、池田国際対話センター)でも、一貫して「宗教間対話」とともに「文明間対話」に意欲的に取り組んできました。
その最大の目的も、宗教や民族や文化といった豊かな多様性を互いに尊重しながら、対話を通じて、それぞれが〈最良の自己〉とは何かを見つめ直し、地球的問題群の解決のために互いの差異の垣根を超えて行動する道を、一緒になって模索することにありました。
現在、国連では、貧困や飢餓などに苦しむ人々の状況を改善するための「ミレニアム開発目標」に続く、2015年以降の新しい国際共通目標の検討が進められています。
この取り組みを、人類史を画する挑戦と位置づけ、新しい国際共通目標の達成を共に目指していく中で、「宗教間対話」、そして「宗教間協力」を軌道に乗せていくべきであると、私は呼び掛けたいのです。

──絶え間なく変化する現代世界において、インターネットや情報技術の役割をどのようにお考えですか。こうした現代社会において、私たち一人一人は、どのように行動していくべきであると思われますか。

今から30年ほど前(1982年)に基本概念が確立し、冷戦終結を機に急速に広まっていった「インターネット」をはじめとする情報通信技術の飛躍的な発展──いわゆる「情報革命」と呼ばれる新しい時代の波は、かの18世紀の「産業革命」に匹敵するインパクトを世界に及ぼしています。
その結果、瞬時にして世界各地で起きた出来事やニュースが伝わるというグローバルな情報伝達が可能になるとともに、冷戦時代には想像もできなかった、自由かつ柔軟なコミュニケーションの場がネット上で形成されるようになり、伝達手段という技術的意味合いにおいては、遠く離れて住む人々の交流を長らく隔ててきた地理的・物理的な制約は、急速に取り払われました。
そして何といっても、「情報革命」の大きな意義は、知識や情報が一部の人やグループに独占されることを防ぎ、民主的に、多くの人々に共有できる道を開いた点にあるといえましょう。
私たちは長い間、新聞やテレビなどのマスメディアが一方的に発信する情報に接してきたわけですが、貴紙のようなインターネット上のニュースサイトが、独自の視点でさまざまな問題を取り上げることの意義は大きく、その取り組みによって、人々が新たな問題に目を向けるようになったり、多様な視点に気づくことができるようになったりしたことは、社会の健全化の基盤となるものです。
私どもSGIも、長年にわたって途上国の視点に立ったニュースを配信してきた国際通信社IPS(インタープレスサービス)と共同で、「核兵器のない世界を目指して」と題するサイトをインターネット上に開設し、記事や論考を発信するプロジェクトを進めてきました。
2年前に行われたリオ+(プラス)20(国連持続可能な開発会議)の公式関連行事として、SGIが教育をテーマに円卓会議を開催した際、IPSのコスタンツォ中南米総局長が「私たちメディアが発信する情報は、読者の意識を高めることができます。報道の力によって、社会的な問題への関与が生まれます。メディアは情報提供によって、教育に携わっていると考えられます」と強調していましたが、貴紙をはじめとするインターネット上のニュースサイトの役割は、今後ますます大きくなっていくと思えてなりません。
もちろん一方で、情報技術の発展がもたらした可能性を悪用する動きもみられ、ネット空間が偏見や憎悪に基づく対立を増幅する温床として利用されたり、恣意的な情報操作やステレオタイプ(紋切り型)的なイメージの吹聴によって世論が巧みに誘導されたりしてしまう危険性も、よく指摘されるところです。その意味からえば、まさに「技術」を善の方向に生かすか、悪用するかは、それを使う「人間」の側にかかっていると言えましょう。
また、ネットで検索すれば、どんな知識もたちどころに閲覧できるようになったのは便利に違いありませんが、そうしたデータの多くは玉石混交であり、場合によってはミスリードを目的にした悪意に基づくものさえあります。
ゆえに、貴国やオーストラリアなどの国々が取り組んでいるような、「メディアリテラシー(情報や知識を主体的・批判的に読み解く力)」を磨くための教育を、世界全体で進めていくことが喫緊の課題であります。
私の師であり、教育者であった、創価学会の戸田城聖第2代会長は、「知識を智慧と錯覚しているのが、現代人の最大の迷妄である」「知識が即智慧ではない。知識は智慧を開く門にはなるが、知識自体が決して智慧ではない」と喝破していましたが、どれだけ情報を集めても、かえって自分の考える力を埋没させたり、悪意の情報に流されてしまえば、本末転倒になってしまう。「知識」へのアクセスがより簡易になり、多くの人々に開かれた時代であればこそ、その「知識」を正しい方向に生かしていく「智慧」を育むことが欠かせないのではないでしょうか。
私は、こうした「智慧」の源泉となるものは、自分の生き方の基盤に"何のため"という目的観を据えることであり、メディアリテラシーの力を磨く努力とともに、そうした確固たる人生の目的観を涵養(かんよう)する「人間教育」に焦点を当てていくことが、一切の基盤になると考えるものです。

──池田SGI会長は以前、牧口初代会長の著作を通し、ニュージーランドについて言及されたことがありますが、「水半球」の中心と位置づけられるニュージーランドの担う役割とは、どのようなものとお考えですか。

創価学会の牧口初代会長は、"国家に奉仕する人間"を育むことが教育の最優先課題とされていた戦前の日本にあって、「子どもたちの幸福」を第一義に掲げた教育者でした。
その一方で地理学にも造詣が深く、20世紀初頭(1903年)に著した『人生地理学』(以下、『牧口常三郎全集第1巻』第三文明社を参照。引用は現代表記に改めた)で、地球の姿を従来のように国境線が引かれた平面図として捉える見方だけでなく、人間の生活に与える影響という面から地球を「陸界」と「水界」に二分して捉える視座を提示し、具体的にロンドンを一方の極とした「陸半球」と、ニュージーランドをもう一方の極にした「水半球」を、それぞれ球体を示す円形の地図として紹介していました。
その上で牧口会長は、海を他の国々との間を隔てる"壁"とみなすのではなく、他の国々との間をつなぐ"道"と捉えて、世界に「平和の道」「友情の道」「調和の道」を開いていく気風を育むことが重要になる、と訴えました。
そうした限りない可能性に満ちた海を中心に構成される「水半球」の中心に、貴国ニュージーランドが位置していることは、現代的な視座からみても、極めて意義深いと、私には思えてなりません。
歴史を振り返れば、第2次世界大戦中、「大西洋」が第1次世界大戦に引き続いて戦場となっただけでなく、ニュージーランドと日本が面する「太平洋」もまた、激しい戦闘が繰り広げられた場所となりました。
こうした歴史の教訓を踏まえて、「水半球」から平和と共生のゾーンを広げるためには、貴国が長い歳月をかけて育んできた「多様性を尊重する文化」に加えて、明確な非核政策に基づいて「南太平洋非核地帯」の成立に尽力した努力のような、悲惨な戦争を二度と起こさない断固たる意志が欠かせません。
また、貴国は、世界でいち早く国政レベルでの女性参政権を実現させるなど、人権保障の確立に力を入れると同時に、社会福祉制度の充実を図ってきたことで知られており、「人権」と「人道」を国家の重要目的に据えていることは、世界の多くの国が後に続くべきモデルとなる存在に他なりません。
牧口会長は、先の『人生地理学』(以下、『牧口常三郎全集第2巻』第三文明社を参照。引用は現代表記に改めた)において、国家間の競争の主軸を、自国の利益を限りなく求めるあまりに他国に多大な犠牲をもたらすことを厭わない「軍事的競争」「政治的競争」「経済的競争」から、他国や世界全体への貢献を良い意味で競い合い、その努力を通じて自国の姿をさらに良いものへと磨き上げていく「人道的競争」へと転換しなければならないと訴えていました。
私は、こうした「人道的競争」を21世紀の世界においてリードしていくのが、ニュージーランドであると考えております。
いつまでも、弱肉強食的で冷徹な"ゼロサム・ゲーム(覇権争い)"によって、多くの国の人々が虐げられるような世界の状態を、続けて良いはずがありません。
そうではなく、自他共の平和と幸福を追求する「人道的競争」を通じて、どの国の人々の尊厳も輝く"ウィン・ウィン(共存共栄)"の世界を目指す必要があり、私は、貴国のリーダーシップに日本をはじめとして多くの国が続く形で、こうした新しい地球社会が建設されていくことを、強く願っているのです。

2014.05.10 わが友に贈る

楽しい所に人は集まる。
皆の真剣な姿に触れて
自分も!と立ち上がる。
豊かな発想で
未来部に励ましの光を!

撰時抄 P292
『正法の強敵と申すは悪王悪臣よりも外道魔王よりも破戒の僧侶よりも、持戒有智の大僧の中に大謗法の人あるべし』

◇希望の明日へ
人間は、優れた芸術によって、人類と自然と宇宙が一体であることを感じられるようになる。人類が築き上げ、創出してきた、地球上のあらゆる芸術。それは、その時代、その民族や個人を"表現の場"としながら、それぞれの民族や個人が宇宙生命と出あい、触発され、うたいあげた「魂の歌」「生命の軌跡」の結晶である。
平4・7・31

☆NZのニュースサイト「スクープ・インデペンデント・ニュース」掲載 SGI会長のインタビュー(上)
──池田SGI会長は、2013年の「SGIの日」記念提言で「生命の尊厳」について触れておられますが、人間の本能の、どのような側面が平和に貢献し、また、どのような側面が平和を妨げると思われますか。

私は昨年の提言で、国連などで目指すべき世界像として焦点となっている「持続可能な地球社会」を建設するための方途を展望しました。
「生命の尊厳」は、その建設への挑戦を進めるにあたって、精神的基軸に据えるべきものとして提起したものに他なりません。
人間には、「家族との暮らしを大切にしたい」という感情もあれば、「強く力ある存在になりたい」という感情もあります。
一見すれば、前者が穏健的で後者が好戦的な印象がありますが、状況次第ではそれが全く逆転します。
例えば、ある集団と別の集団との対立が深刻化した時、多くの人々を最終的に暴力に駆り立ててしまうのは前者の感情の働きであり、一方で後者の感情は、ガンジーやキング博士のように憎悪や差別の渦に打ち勝つために、自身の内なる生命から "非暴力" という限りない勇気と希望を湧き出す働きともなるからです。
その意味では、人間の何らかの本能そのものが、戦争や暴力を引き起こす本質的な原因ではないと言えましょう。
実際、ユネスコ(国連教育科学文化機関)で採択された声明(1989年の「暴力についてのセビリア声明」)でも、「戦争あるいはその他の暴力行動は、私たち人間の本性のなかに遺伝的にプログラムされている──という言い方は、科学的に正しくありません」と強調されている通りです。
むしろ思想家のオルテガが、現代は「 『風潮』 の時代」であり、思想や政治など「あらゆるものの中に吹き荒れている皮相的な旋風に対して抵抗する人はほとんどいない」( 『大衆の反逆』 神吉敬三訳、筑摩書房)と警告したように、集団心理や暴力的な扇動に人々が押し流されない社会の気風を育むことが、最重要の課題となります。私は、その基盤となるのが「生命の尊厳」から発する"同苦"の精神だと考えるのです。
「愛する家族を大切にしたい」という感情が戦争や暴力の方向に押し流されないようにするには、他の集団の人々も自分と同じく「かけがえのない家族を失いたくない」と切実に願っていることに思いを馳せることが欠かせません。また、「強く力ある存在になりたい」という感情が、他の人々の生命や尊厳を脅かす方向に向かわないようにするには、「他の人々の犠牲や不幸の上に、自分の幸福を追求しない」との自戒を忘れないことが大切になります。
ゆえに私は昨年の提言で、社会で常に顧みられるべき精神性として、「他者と苦楽を共にしようとする意志」「生命の無限の可能性に対する信頼」「多様性を喜び合い、守り抜く誓い」の三つの指標を提起しました。
つまり、ここで「意志」「信頼」「誓い」との言葉を用いたように、社会の悪しき風潮に押し流されず、平和と共生の土塁を堅固に築くためには、「生命の尊厳」に根差した一人一人の揺るがない信念が重要となってくるのであり、その生き方を広げるために、私どもSGIでは、国連の推進する「平和の文化」や「人権文化」の建設に民衆レベルで取り組む活動を続けてきたのです。

──市民社会のエンパワーメント(内発的な力の開花)を目指すSGIの活動に関連して、一人一人の人間が「消極的暴力」の根絶のためにできる役割とはなんでしょうか。また、そのための行動が、社会の「レジリエンス(脅威や問題を乗り越えて社会を立て直す力)」に、どんな影響を与えることができると思われますか。

一般に暴力というと、暴行や殺人から戦争にいたるまで、何らかの力を行使して人々の生命を奪ったり、負傷させたりする行為──すなわち、「物理的暴力」の問題を想起しますが、もう一つの暴力として、その横行を決して見過ごしてはならないのが、直接的に危害を加えないまでも、差別的な言葉や抑圧的な態度などで人々の権利を脅かし、尊厳を傷つける「消極的暴力」です。
この「消極的暴力」は、それ自体、苦しみや痛みを他者に与えるばかりでなく、その横行を放置しておけば、何かのきっかけで社会が混乱した時に、より多くの人が、他の集団を排除するための「物理的暴力」に走ったり、その行為を簡単に容認してしまう状況を招く"温床"ともなりかねません。
近年、多くの国で社会問題になっているヘイト・クライム(憎悪犯罪)とヘイト・スピーチ(憎悪表現)を見ても明らかなように、この二つは、直接的な暴力か否かの区別はあっても、"憎悪に基づいて他者を意図的に傷つける"という点では同根なのです。
その関係を表したのが「憎悪のピラミッド」と呼ばれるもので、社会的分断や紛争は突然起きるのではなく、�先入観による行為�偏見による行為�差別行為�暴力行為�ジェノサイド(大量虐殺)、の5段階で問題がエスカレートし、暴力の渦が強まる中で、取り返しのつかない惨劇が引き起こされるのです。
その意味で重要なのは、「憎悪のピラミッド」の下層──つまり、問題の端緒において、そうした行為を許してはならないと、自らの行動を戒めるのみならず、周囲の人々にも働きかけることだと言えましょう。そこで思い起こされるのは、ガンジーの令孫として「非暴力の精神」の普及に努めるアルン・ガンジー氏が、私との対談で語っていた言葉です。
「 『消極的暴力』 とは、間接的で、自分でも気づかないうちに暴力に加担しているものです。他人に圧力をかける。抑えつける。差別する。強制的に何かをさせる……肉体的でないので、見過ごされてしまいがちです。祖父は、悪の行為を 『見逃す』 ことや、 『見て見ぬ振りをする』 のも、 『暴力』 の一種だと言っていました」
私ども創価学会の牧口常三郎初代会長は、第2次世界大戦中に、日本の軍部権力による思想的弾圧に対して信念の闘争を貫き、獄中で生涯を閉じましたが、その牧口会長も投獄される前年に、同様の警鐘を鳴らしていました。「不善を善と考え、悪と異なると思い、法律に触れさえしなければ不善は構わないと誤解するところに、現代の病根があり、独善主義や偽善主義が横行する所以がある」( 『牧口常三郎全集第10巻』 第三文明社、現代表記に改めた)と。
私どもSGIは、こうした牧口会長の信念の闘争を原点としながら、憎悪と暴力の渦にのみ込まれないよう、常に社会を平和と共存の方向へと向け直す力を高める努力を、民衆レベルで進めてきました。
SGIは、民族や人種の違いを超えて"一対一の対話"を進めることを通し、友情という根を社会に幾重にも深く張ることに日頃から取り組んできましたが、これはレイシズム(人種差別主義)に基づく扇動や、排他的な集団心理に人々が押し流されることを防ぐ、社会の「頑強性」を高めることにつながるものと思います。
政治や経済などで国家間の緊張が高まった時も、民衆レベルでの教育交流や文化交流に一貫して取り組み、対話と相互理解を行うためのチャンネルを断じて閉ざさないように心掛けてきました。
また、国家と国家との友好を深める取り組みは自分の世代だけで終わらせて良いものではなく、世代から世代へ友誼の心を継承し、平和共存のための教訓(知恵)を受け継いでいくことが重要と考え、青年世代の交流の拡大に努めてきました。
苦しんでいる人を支援する挑戦は、SGIに限らず、さまざまなNGOや市民団体が取り組んできたものでもあり、私たちは、志を同じくする団体や人々と協力しながら、引き続き社会の「レジリエンス」を高める民衆の連帯を広げていきたいと思います。

2014年5月9日金曜日

2014.05.09 わが友に贈る

「仏は文字に依って
衆生を度し給うなり」
広布は聖教と共に!
本紙を支えてくださる
全ての方々に感謝!

松野殿御返事 P1386
『退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならばあら面白や法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし金の繩を以つて八の道を界へり、天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり』

◇希望の明日へ
"利害の時代"から"芸術の時代"への転換−−そのためには、芸術が、"万人に開かれる"ことが必要である。宗教にせよ、科学にせよ、"万人に開かれた"ものであってこそ、大きな価値を生む。限られた特権的な人々の独占物であった時代は、過去のことである。
平4・6・29

☆勝利の人間学第51回 わが地域を「幸福の楽土」に
◇近隣こそ広布の最前線
日蓮大聖人は、信頼する門下に、『其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ』(P1467、「高橋殿御返事」)と励まされている。
「其の国」とは、どこか──それは、まず自分たちの住む地域から始まる。わが近隣こそ、御本仏から任された広布の最前線である。私も若き日から、自らのアパートをはじめ、地元の方々を大切にしてきた。顔を合わせるたびに声を掛け、心を通わせた。
元気な挨拶一つでも、「いい青年がいるな」「感じのいいお嬢さんだな」と、安心してもらえるものだ。皆さんは、誠実な振る舞いで心を開き、使命の地域に「信頼と希望の絆」を織り成していただきたい。
誠実に聡明に善友の連帯を
大聖人は南条時光に『友達の一日に十度・二十度来れる人なりとも千里・二千里・来れる人の如く思ふて礼儀いささか・をろかに思うべからず』(P1527、「上野殿御消息」)と仰せになられた。親しい間柄であっても、遠来の友を迎えるような礼儀と真心で、誠実に接していくことを教えられている。
とともに、『悪知識を捨てて善友に親近せよ』(P1244、「日女御前御返事」)とも戒めておられる。仏法は最高の人間学である。真実の友情を結び、崩れざる連帯を聡明に広げる道である。

◇地区が広宣勝利の起点
広宣流布の前進の鍵は「地区」にある。
一歩また一歩、活力あふれ、人材光る「地区」を築いていく──最も尊い闘争である。
わが後継の青年部も、自身の「地区」から勝利のドラマを創っていくのだ。
仕事が忙しくて、地区の活動に間に合わない時も、参加できない時もあるだろう。
しかし、その場に行けなくても、報告・連絡はできる。智慧を使い、連携を取り合っていく。その呼吸の一致から、波動は生まれる。
力ある人材とは、責任をもつ人のことだ。
君が、貴女が、「わが地区の広布の主役なり。太陽なり」との自覚と誇りをもって、颯爽と、広布の新風を起こしてくれ給え!

2014年5月8日木曜日

2014.05.08 わが友に贈る

「月月・日日に
つより給へ」
さあ新たな前進だ!
わが一念の変革から
一切は始まる!

一生成仏抄 P384
『此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へば一生成仏更に疑あるべからず、故に経文には「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑有る事無けん」とのべたり、努努不審をなすべからず』

◇希望の明日へ
有名や地位、人気や栄誉だけを求める政治家や芸術家は、幻を追う人生しか、生きられない。幻のごとき、底の浅い芸術しかできるはずがない。芸術は人間の表現である。人格と一体である。自分をつくらず、鍛えず、浅い人生や人格で、立派な芸術を生めるはずはない。
平4・6・20

☆5・5「創価学会後継者の日」記念大会へのメッセージ
きょう5月5日は、広宣流布の未来にとって、一番大切な、一番希望あふれる「後継者の日」です。宝の皆さん方、一人一人に題目を送りながら、私は、全世界の同志と共に、この記念の集いを見つめています。
富士中学生合唱団と富士少年希望少女合唱団の皆さんの素晴らしい歌声も、私の命に響いています。それぞれの人材グループの頼もしい成長の様子も、本日の立派な活動報告の内容も全部、嬉しく伺っています。
担当者の方々も、いつもいつも、本当にありがとうございます。

世界広宣流布のこれからの新時代を、全て託しゆく皆さんに私は、きょう、三つの後継をお願いしたい。
第1に「正義の誇り」です。
わが創価学会は、最も苦しみ悩んでいる庶民の味方となって戦い抜いてきました。広宣流布とは、生命を最高に光り輝かせて、人類の幸福と平和を実現していく正義の中の正義です。皆さんは、その後継者です。
これほど価値ある、これほど偉大な青春は、絶対にありません。どうか、この誇りに胸を張って、今は学びに学んで、力をつけていってください。
第2に「前進の勇気」です。
日蓮大聖人は『月月・日日につより給へ』(P1190、「聖人御難事」)と仰せになられました。
妙法は、人間を不幸にするあらゆる魔性を打ち破って前進する力です。若くして、この力を持った皆さんは、行く手に何が立ちはだかろうとも、題目を唱え、勇気を奮い起こして、前へ前へ突き進んでください。
学会っ子は太陽の子です。師子王の子です。どんなことがあっても、クヨクヨしたりメソメソしたりせず、歌声朗らかに前進していくのです。
第3に「勝利への忍耐」です。
1972年(昭和47年)の5月5日、私は、イギリスの大歴史家トインビー博士と2年越しの対談を開始しました。
博士に青年へのアドバイスを尋ねると、一言、「忍耐強くあれ!」と答えられました。大事なのは、忍耐です。
仏法でも、仏の別名を「能忍」(よく忍ぶ)、すなわち最も忍耐強い人といいます。
人々を幸福にする誓いを果たすため、忍耐強く戦い通して、最後は必ず勝利する。
皆さんのお父さんやお母さん方が、私と共に貫いてきた、この創価の負けじ魂を、皆さんも断じて受け継いでくれ給え!

尊き皆さん全員の健康と成長、勝利と栄光を祈り、ずっと見守り続けていくことを申し上げ、お祝いのメッセージといたします。ご家族にも、くれぐれもよろしくお伝えください。
2014年5月5日
「正義の走者」を歌いつつ

2014年5月7日水曜日

2014.05.07 わが友に贈る

新聞休刊日

佐渡御書 P956
『身命に過たる惜き者のなければ是を布施として仏法を習へば必仏となる』

◇希望の明日へ
世界は、写真芸術、写真文化の隆盛へと進んでいる。と同時に、時代も、戦争から平和へ、非人間性から人間性へと動きつつある。また、そうでなければならない。写真の果たす役割も、"戦争の記録"をはじめとする"告発の武器"に加えて、"平和の映像詩"ともいうべき性格へと、今後、大きく開いていくであろう。
平4・3・8

☆名誉会長と共に新時代を開く 第17回 誓願の祈りで 世界の友と
晴れ渡る5月3日から、我ら創価家族は、希望に燃えて新出発した。
この日、私は広宣流布大誓堂で、完成記念署名を御宝前に備え、全同志の健康と幸福と勝利、亡くなられた方々の三世永遠の安穏を祈って勤行・唱題した。そして、新しき広宣流布の大道がいやまして開かれ、後継の人材が全世界に躍り出ることを、深く強く祈念した。
昨年の落成以来、大誓堂には日本全国はもとより、世界70カ国・地域の友が集い、誓願の祈りを捧げた。本当に素晴らしいことである。
創価学会常住の御本尊には、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」とお認めである。慈悲の精神を根底に、正義と真実を師子吼し、平和と幸福の大法を弘通しゆく。ここに全人類の宿命を転換する道がある。いかなる障魔も打ち破り、異体同心の団結で、常楽我浄の功徳あふれる前進を、今再び開始してまいりたい。

広布は破竹の勢いだ。功労の同志も、青年も、皆、本当によく戦ってくれている。
戸田先生は語られた。
「焦らずに信心していくんだよ。信心で、どんなことも必ず幸福の軌道に乗る。祈りとして叶わざるはなく、どんな悩みも解決できる」
そして、この大確信を持って、悩める人に、また、正しき人生を求める人に、信心を教えていこうではないかと呼び掛けられた。
一人の「歓喜の信心」「率先の信心」「勇気の信心」から全てが変わっていく。どうか、あの友も、この友も、朗らかに聡明に包み、励ましながら、新時代の地湧のスクラムを広げ、仏縁と福運の花園を咲き誇らせていただきたい。

2014年5月6日火曜日

2014.05.06 わが友に贈る

親孝行できる人は
心豊かな人だ。
感謝を言葉にして
父母に伝えよう!
笑顔とともに!

弥源太殿御返事 P1226
『日蓮は法華経の行者なる故に三種の強敵あつて種種の大難にあへり然るにかかる者の弟子檀那とならせ給う事不思議なり定めて子細候らん相構えて能能御信心候て霊山浄土へまいり給へ』

◇希望の明日へ
芸術は、生命の"聖なる世界"からの光であり、また、そこへ導く門でもある。
平3・6・7

◇大歓喜で「5・3」を迎えた全同志に和歌

満天下
 勝利を開けり
  師弟の日
 世界に たなびく
  創価の大旗よ

負けないと
 微笑み光る
  母の舞
 諸天は捧げむ
  功徳の万花を

友どちと
 誓いの歌を
  賑やかに
 破竹の行進
  青年(きみ)の力で

2014.05.05 わが友に贈る

陽光輝く5月。
友人との語らいなど
充実の日々を!
仏縁を広げゆく中で
わが生命は磨かれる!

聖愚問答抄下 P500
『此の妙法蓮華経を信仰し奉る一行に功徳として来らざる事なく善根として動かざる事なし』

◇今週のことば
創価とは従藍而青なり。
わが後継の未来部よ
強く大きく育ちゆけ!
人類の希望の宝を
皆で応援し伸ばそう!
2014年05月05日

◇希望の明日へ
芸術にこそ人間性の象徴がある。平和の響きがある。社会の栄光がある。芸術の心を大切にする国こそ、真に"豊かな国"である。
平3・6・7

☆随筆 民衆凱歌の大行進 第5回「輝かしき五月の三日」
「よろこばしい青春よ きたれ ここに
そして見よ 明けはなれゆく朝を」
英国の詩人ブレイクは歌い上げた。
今、創価の若人が、新たな希望の朝を告げている。なんと輝かしき5月3日であろうか!
先日、ある関西の青年から届いた便りに、「5月3日の誕生花の一つはタンポポです」とあった。
タンポポは、けなげだ。
踏まれても、踏まれても立ち上がる。他の草花が成長する一足前に、春を告げて黄色い花を咲かせる。
そして、一つの花から200もの冠毛をつけた種子を飛ばし、新たな生命を育んでいく。
どんな困難の嵐も乗り越え、あの地でも、この地でも、朗らかに対話の花を爛漫と咲かせる広布の母たちの姿と、重なってならない。
5月3日は「創価学会母の日」である。広布一筋の偉大な婦人部の皆様方に、心から感謝申し上げたい。

共戦の
 正義の同志(とも)に
  凱歌あり

仏法は、なかんずく法華経は、いったい「誰のため」に説かれたのか──。
740年前の5月に、日蓮大聖人が認められた「法華取要抄」には、明快に記されている。
『滅後衆生の為なり』(P334)、『我等が為なり』(P335)と。
濁悪の世に生きる民衆のために仏法はある。民衆を苦しめる悪とは、どこまでも徹して戦う。ここに、仏法者としての生き方がある。
昭和54年(1979年)の5月3日。
私は、横浜の神奈川文化会館に到着した。会長職を辞した直後である。会館にも、眼前に広がる山下公園にも、多くの同志が連日のように集まってこられた。
この学会員ほど、尊く、美しく、誠実な人びとが、どこにいようか! 私はいかなる立場であれ、会員のために戦い続ける! それが正義であるからだ。
御聖訓の通りに生き抜く人生である。ゆえに法難は当然だ。私は、命より大切な学会を死守するのみだ。
目の前に洋々と広がる海を眺め、世界の広宣流布へ新しき開拓の誓いを込め、私は「共戦」、そして「正義」と書き留めた。
この神奈川文化会館での誓いから35年──。
当時、約90カ国・地域であったSGIは今や192カ国・地域へと大発展を遂げ、若き「共戦」の陣列が澎湃と躍り出ている。これが、何よりの「正義」の「勝利」の証しである。
神奈川では、先月、懐かしい宿縁深き鶴見の天地で、国内最大級の会館となる記念講堂の定礎式が盛大に執り行われた。
わが後継の神奈川青年部の意気軒昂の総会(4月29日)の模様も、頼もしく伺った。
席上、この春、医師としてスタートした女子部員が体験発表を行った。まだ母のお腹にいた時、父をがんで亡くした乙女である。
彼女の母もまた、かつて高等部の時、姉妹して、あの山下公園に駆けつけてくれた学会っ子であった。
夫に先立たれて間もなく、2歳の長男と乳飲み子の長女を抱えて奮闘する若き母を、私の妻は「絶対に幸せになりますよ。絶対に!」と励まし、見守り続けてきた。一つ一つ変毒為薬して、輝く幸福勝利の実証を示されているご一家の晴れ姿が、本当に嬉しい。
ともあれ、苦楽を共にしてきた神奈川家族の希望の笑顔は、私の誇りである。
「全部、自分たちで責任をもって考えよ」
私は恩師から、そのような訓練を受けてきた。
哲学者ベーコンも、「若い人々は判断するより考案することに適し、忠告より実行に適し、決まりきった仕事より新しい企画に適している」と綴っている。
指示を受けてから腰を上げる。与えられたことだけを細々とこなす。それでは前進の力は生まれない。
広宣流布の責任を進んで担い立ち、未来の勝利を開いていく。それが青年だ。
60年前、私は青年部の室長に任命された。広布の飛躍的前進へ、一切の活動の企画・立案を意図したものであったが、恩師は何をすればいいかを明示されることはなかった。
皆がロマンを感じられるようにするにはどうすべきか。時代の動向を見据えて、どう手を打つか。あらゆる角度から、熟慮を重ねた。
就任直後、私は青年部の会合に参加した感想を、日記にこう記した。
「この人、この青年、二十年後、必ず檜舞台に立たせねば──。責務重大なり」
広布の未来は、どこまでいっても人材で決まる。
人材を見つけ、人材を伸ばしていく以外にない。
そして、御書の一節を記した。
『命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり』(P986、「可延定業書」)と。
一瞬一瞬が勝負だった。
今できることを一歩一歩と着実に進めていった。
任命から1カ月余で青年部は5,000人結集を達成し、半年後には倍増の1万人結集を成し遂げたのである。
昭和33年(1958年)5月3日。私が本部総会で、創立以来の歩みを踏まえ、7年ごとの前進を期す「七つの鐘」という構想を発表したのも、青年部の室長の時代であった。
この「七つの鐘」のリズムの中で、学会は幾多の嵐を越えて発展してきた。
初代会長・牧口常三郎先生の殉教という歴史が刻まれたのは、「七つの鐘」の2番目の時であった。
当時、軍国主義という誤った思想が民衆を狂わし、国は破滅への一途をたどっていた。その中で、牧口先生は、わが命をも顧みず、仏法の正義を掲げて思想の乱れを糺されたのである。
この厳然たる事実が、アジアをはじめ、世界での信頼につながり、今日の学会の揺るがぬ礎になっていることは、言うまでもない。
今、学会は2001年から2050年までを「第2の七つの鐘」と位置づけ、前進を続けている。そして明2015年の「5・3」は、ちょうど2番目の鐘が鳴り終わる節目である。
この時、勇んで躍り出て、人間勝利の鐘を響かせる、地涌の世界市民は誰か。
それは、後継の宝の青年である! わが敬愛する直弟子の君たち、貴女たちである! 成長頼もしい未来部のみんなである!
今、「第2の七つの鐘」の2番目の総仕上げへ、青年部は「SOKAグローバルアクション」と銘打ち、生命尊厳と平和の思想を社会へと発信している。
いよいよ、埼玉・長野、また群馬・三重・沖縄・愛知を先頭に、全国各地で「創価青年大会」が行われる。
どうか諸君は、「我らの熱と力で新たな栄光の歴史を創ってみせる!」と大いに夢とロマンを広げ、思う存分に戦ってもらいたい。
そして、創価の青年らしく堂々と、華陽の乙女らしく清々しく、仏法を語り、地域に正義の旗を打ち立てていくのだ。その挑戦こそが、必ずや「世界広布新時代」に、希望の鐘を打ち鳴らしていくからだ。

60年前の昭和29年(1954年)5月3日。戸田先生は、両国の旧国技館で語られた。
さまざまな悩みを抱えていたとしても、「しっかり信心して、来年のきょうは、功徳をうけた顔で、われもわれもと集まっていただきたい」と。
私も今、同じ心である。
さあ、明年の5月3日へ、勢いよく出発だ!
かのブレイクは叫んだ。
「私は進み続ける そして何ものも私の進路を妨げることはできない」と。
そうだ! 一歩でも半歩でも人間革命し、輝かしき歓喜と功徳の花また花で、わが地域を包みゆこう! 新学会歌「誓いの青年よ」の歌声も高らかに!

誓いたる
 勝利の道を
  勇み征け

2014年5月4日日曜日

2014.05.04 わが友に贈る

交通事故に注意!
速度超過や運転中の
携帯電話は厳禁。
疲れたら休憩を。
油断を排し魔を破れ!

十法界明因果抄 P435
『二乗は此等の報恩皆欠けたり故に一念も二乗の心を起すは十悪五逆に過ぎたり』

◇希望の明日へ
文化、芸術とは、万人に開かれたものであるべきであろう。一部の限られた人々のものであってはならない。人間なくして芸術は存在しない。芸術は人間のためにある。また芸術は、平和を導くための大いなる"武器"ではないだろうか。文化交流、芸術交流が進めば進むほど、平和への潮流はより大きくなると確信している。
平2・9・6

☆未来の翼〜世界が君を待っている〜 第2回 ニューデリーの虹
虹は、天空が贈ってくれる喜びの笑顔であり、希望の笑顔です。
悠久の大国インドの首都ニューデリーで天が見せてくれた二重の虹も、会心の"笑顔"でした。
西には黄金の夕日が輝き、東には深緑の大地から七彩の虹が光の弓のように湧き立っていました。
この日、私は、インドのラジブ・ガンジー首相の写真展の開幕式に出席しました(1997年10月19日)。
式が始まる直前、この季節のニューデリーにはめずらしく、にわか雨が降り始めました。ほこりっぽい空気が慈雨で清められ、一陣の風が大地を駆け抜けると、あたりはぐっと涼しくなりました。
来賓の方々と、「雨は、きっと喜びの雨でしょう」と語り合ったことが懐かしく思い出されます。
大きな二重の虹を見たのは、式典を終えて、宿舎に戻ったばかりの時でした。壮大なる天空の芸術に、手元のカメラのシャッターを切りました。
実は、この前の日、私は、もう一つの虹に心をはずませていました。インド創価学会の文化祭の最後の演目で、未来部の友が元気いっぱい舞台に躍り出てきた姿に、「希望の虹」を見たのです。
インドの無限の未来が、輝きを放っていました。
七色の虹は、「多様性」や「共存」の象徴ともいわれます。
亡きラジブ首相が撮影した写真には、インドの大地を彩る、その多様性の共存が、鮮やかに映し出されていました。
浜辺で砂遊びをする少女、遊牧民の少年、市場で店を構える商人、じゅうたん織りの職人──一葉ごとに民衆を愛する心があふれていました。まさに虹のように多彩に輝くインドの躍動がありました。そこに写っている誰一人が欠けてもインドではないという、断固たる信念が光っていたのです。
また、牙をむいて威嚇(いかく)するトラ、建設現場での人々の暮らし、演奏会の舞台裏、色とりどりのシルクのパラソル──生活の中で見たもの、触れたものを、飾らず、素直な心で、ラジブ首相はカメラに収めていました。
"格好なんてつけなくていいんだ。ありのままの自分で光っていくんだよ" と、写真は語りかけてくるようでした。
インドには、4000年以上も前から文明が発達し、長い歴史のなかで、多様な民族、そして宗教が存在してきました。
現在、公用語はヒンディー語ですが、インドの紙幣には、17もの言語が印刷されています。 "車で1時間ほど走れば異なる言語が飛び交う" と言われるほど、多言語であり、多民族が共存する国なのです。
みんなの中には、「これだけ 『違うもの』 が一緒になると、うまくやっていけないのでは?」と考える人もいるでしょう。
もちろん、対立もあれば、衝突もあります。それでもインドは、幾千年の歴史の中で、民族や宗教や言語の違いを残しつつ、「精神の統一」を生み出してきました。
インドの広大な大地は、人々に大きな心を育んできたのです。
皆さんのクラスや部活にも、いろいろな人がいるでしょう。育った環境も違えば、性格が合わない人もいる。でも、みなが同じような人ばかりだったら、どうでしょうか。こぢんまりと、まとまっても、おもしろくないでしょう。
むしろ違っていいのです。違うからこそ、触発があり、新たな発見があり、自分にどんな個性があるのかも分かる。いろんな人がいるから学び合えるし、互いに成長できる。大きな心で違いを認め、包み込んでいけばいいのです。
しかし人間は、「違い」ゆえに、人を差別し、分かり合えないと決めつけるクセがあります。
インドの大地で悟りを開いた釈尊は、「私は人の心に見がたき一本の矢が刺さっているのを見た」と説きました。
私は、アメリカの名門ハーバード大学で行った講演で、この「見がたき一本の矢」を、「差異(違い)へのこだわり」であると論じました。
自分の心に突き刺さった「一本の矢」を抜き去り、同じ人間として相手と向き合ってこそ、心と心の間には、美しい「友情の虹」がかかります。
世界の平和とは──この「友情の虹」を、自分から友だちへ、周囲の人々へ、一本また一本とかけていく挑戦の中に輝くのです。
「差異」は、地球を平和で包み、幸福で彩る「彩」へと変えられる。その力が、皆さんの中にあることを、断じて忘れないでください。
「傷つくことを恐れてはいけません。世の中はさまざまな痛みであふれていますが、それらに立ち向かってこそ、強く勇敢になって、偉大なことを成し遂げられる自分になるのです」
これは、ラジブ首相が少年のころ、大好きなお母さんに言われた言葉です。
私がラジブ首相と東京でお会いしたのは、1985年11月。お母さんのインディラ・ガンジー首相が暗殺され、その後を継いで首相に就任して1年後のことでした。
明るい笑顔。毅然(きぜん)とした振る舞い。不屈の信念と誠実さが伝わってきました。会見はこの一度だけでしたが、首相が「青年こそ未来そのものです」と語った声は、今も私の胸に響いています。
ラジブ首相は、もともとパイロットでした。しかし、お母さんの言葉を心に刻み、苦難を恐れず、政治の世界に飛び込んだのです。
ある時、"好きだったパイロットの仕事をやめた気持ちは?"と聞かれた時、こう答えました。
「どんな仕事をしていても、満足するかどうかは自分の手の中にある。一つのことを決定したあと、前のことで後悔することは、良いことではないし、私は後悔はしていない。また、私は後悔する暇もない」
信念に生き抜く人に、後悔はありません。いわんや、偉大な仏法を持った皆さんには、後悔なんて必要がない。仏法は「本因妙」といって、常に「さあ今から!」「これからだ!」と、前へ前へ進んでいく希望の哲学だからです。
青春の力は無限です。失敗も、苦難も、悩みも、全てをわが成長の力に変えていける。
英語で「虹」のことは? そう、「レインボー(Rainbow)」です。
単語を見てみると、そのなかに、「雨(Rain)」が入っています。まさに、「雨が降るから、虹がかかる」のです。
青春の日々だって、同じです。勉強が大変。友だちのことで悩む。部活が思うようにいかない。自分の性格がイヤだ……そうして流した心の涙や、努力の汗は、全てみんなを彩る七色の虹となる。
青春の悩みや労苦は、全て自身を限りなく成長させてくれる"恵みの雨"にできるのです。
そして、虹が輝くためには、太陽の光が必要です。
日蓮大聖人は、『苦と悟り、楽を楽と開いて、苦しくても楽しくても南無妙法蓮華経と唱えきっていきなさい』(P1143、通解、「四条金吾殿御返事」)と、苦難に立ち向かう弟子を励まされています。
題目を唱えれば、自分の長所も短所も、喜びも悲しみも、苦しみも楽しみも、一切を最善の方向へと生かしていくことができる。
どんな時でも題目を唱える人は、わが心の大空に悠然と太陽を昇らせて、必ず「勝利の虹」をかけることができるのです。
私がインドの大地を初めて踏みしめたのは、1961年2月のことでした。この時、釈尊が悟りを開いたブッダガヤを訪れました。
その後、79年2月の訪問では、40人のインドのメンバーとお会いし、こう申し上げました。
「ガンジス川の悠久の流れも一滴から始まります。と同じく、今はメンバーは少なくとも、自身がその一滴であるとの自覚で、洋々たる未来を信じて前進していきましょう」
友と語り合った4日後の2月11日、恩師・戸田城聖先生の誕生日の夜には満月が出ました。
戸田先生のお写真を側に置き、「月氏の国(インド)」の果てまで幸福の光を広げたいとの師の願いを胸に、インドの友の栄光の未来を、私は強盛に祈りました。
次にインドを訪れたのは92年の2月。日蓮大聖人の御聖誕770周年である16日は満月でした。この日、私はインドの友と質間会を開きました。
一人のメンバーが、遠慮がちに手を挙げて、質問してくれました。
「周りの皆さんは 『雄弁』 や 『知性』 『慈愛』 を目標にがんばっていますが、私にはなかなかできません」
真剣な悩みでした。ゆえに私も真剣に、真心込めて答えました。
「ありのままの自分でよいのです。題目をあげきりながら、自分らしく、伸び伸びと進んでいけばよいのです」
「ありのままの"凡夫"そのもので進んでいく。題目根本に、少しずつでも向上していく。これが正しい姿であり、人間らしい生き方ではないでしょうか」
キラキラとはじけるような友の笑顔を、よく覚えています。
虹は、太陽の光が空気中の水滴に当たり、屈折して分解され、七色に見える現象です。一色に見える光の中に七色があるのです。
私たちもまた、ありのままの自分の中に、色鮮やかな人間の輝きが秘められています。ゆえに、飾らず、誠実に接していけば、その輝きが友の心に映るのです。自分らしく真剣に向上しゆく姿が信頼を広げ、友情を広げるのです。
こうしてインドの広宣流布は、進んでいきました。
ブッダガヤ訪問から今年で53年。インドには、今や、7万人の人間主義の連帯が広がっています。一滴の水は、悠久の大河となって未来へと流れています。
今年の3月、ニューデリー近郊の創価菩提樹園で青年大会が開かれ、未来部、青年部の友らが見事な歌声を披露してくれました。
君たちと同年代の若き友が、口々に、師弟に生きる誇り、仏教発祥の国の広宣流布への誓いを述べていたと伺いました。
この様子を戸田先生がご覧になったら、どれほど喜ばれるだろうか──私の胸は熱くなりました。インド独立の大英雄マハトマ・ガンジーも、あの人なつこい笑顔で見つめておられるでしょう。
マハトマ・ガンジーは、言いました。
「成さねばならないことを何かあっても成すということが、『誓い』 なのです。それが、強さの砦になるのです」
「誓い」は力です。自分の中に秘められた輝きに、強さに、智慧に、何倍もの力を与えてくれます。
世界には、あの地この地に、「誓いに生きる」友がいます。
皆さんが、その友とスクラムを組み、世界に「平和の虹」をかける日を、私は祈り、待っています。

2014年5月3日土曜日

2014.05.03 わが友に贈る

新時代の躍進へ
人材を見つけよう!
人材を育てよう!
わが地域から
平和と希望の大連帯を!

曾谷殿御返事 P1059
『命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候』

◇希望の明日へ
写真はあえて、その傾向性をいえば、"動"の芸術である。切迫感がある。絵画は、より"静"なる芸術といえよう。当然、優劣の問題ではない。ただ現代は"動"の時代であり、その時代性と歩調を合わせつつ、"今"を生きる人間と社会を表現するに当たって、写真は今後、いよいよ、大きな可能性を発揮すると確信している。
平1・11・26

☆希望の虹 〜世界の偉人を語る〜 第2回 看護の母 ナイチンゲール
みなさんは、「さつき晴れ」という言葉を聞いたことがあるでしょう。「さつき」とは、5月のこと。晴れわたった5月の空は、じつにさわやかです。
5月の5日は、わが創価学会の大切な大切な「後継者の日」です。みなさんが「さつき晴れ」の青空のような、かがやく心で、大きく、のびのびと成長していくことが、私の何よりの願いです。

「後継者の日」から一週間後の5月12日は、「国際ナース・デー(看護師の日)」です。これは"看護の母"として尊敬されるフローレンス・ナイチンゲールの誕生日を記念して決められたものです。
創価学会にも、看護の仕事をされている方の「白樺会」「白樺グループ」という集まりがあります。
また創価大学には、新たに「看護学部」ができて、みなさんの先輩たちが、一生けんめいに学んでいます。
こうした方々のお手本となっているのが、ナイチンゲールです。
ナイチンゲールは、今から200年ほど前の1820年、イギリス人の父母のもとに生まれました。
イタリアの花の都フィレンツェで誕生したので、その都の英語名であるフローレンスと名づけられました。
90年の生涯で、人類に、健康と幸福の花をおくり続けた、この偉大な女性のことを、きょうは、いっしょに学んでいきましょう。

みなさんも、かぜをひいたり、ケガをしたりして、看護師さんにお世話になったことがあると思います。大きらいな注射の時も、看護師さんにやさしくはげましてもらって、がまんできた経験はありませんか?
おさないころから体が強くなかった私も、そうでした。
とくに戦争中、肺結核という病気をかかえながら、無理をして鉄工所で働いていた時のことです。
ある日、体が重く苦しくて、たおれてしまいました。
その時、一人の看護師さんが、それはそれは親切に、めんどうを見てくださったのです。「ちゃんとした病院でみてもらいましょう」と、仕事場から病院まで付き添っていただきました。温かいはげましの真心は忘れられません。今でも感謝の題目を送っています。
ナイチンゲールも、かん者さんを安心させ、勇気づける、すばらしい人柄の持ち主でした。
ナイチンゲールの時代の病院は、今からは想像できないくらい、あちこちよごれていて、いやなにおいのする場所でした。病人の世話は、だれもやりたがらない仕事でした。
ナイチンゲールは、そのような時に、自分から進んで看護に取り組みました。そして、看護師という仕事を、だれからも尊敬される仕事に変えていったのです。
どうして、そんなことができたのでしょうか?
「人が喜ぶことをしたら、その人も自分も楽しく元気になれる」という生き方をつらぬいたからではないかと、私は思います。

ナイチンゲールの家は裕福な家庭でした。お母さんはやさしい人で、よく、同じ村のこまっている人に食べ物を届けてあげたり、病気の人のおみまいに行ったりしていたようです。おさないナイチンゲールも、母を見習って、近所にいる病人のお世話をすることがありました。「ぐあいは、いかがですか?」と声をかけ、薬を飲むのを手伝ってあげたのです。
そんなナイチンゲール自身がかぜをひいてしまい、何日も高い熱にうなされた時は、日ごろの彼女の助けに感謝していた、たくさんの人たちが、村じゅうから、おみまいに来てくれたといいます。
こうして、ナイチンゲールは、人のためにつくすことに喜びを感じるようになり、「看護師」を、自分の一生涯の仕事にしようと思い始めました。
しかし、じっさいに彼女が看護の仕事を始めることができたのは、30歳を過ぎてからでした。家族の大反対にあったからです。
そもそも当時は、裕福な家の女性がはたらくこと自体が"よくないこと"とされていました。ましてや、苦労の多い看護の仕事です。「看護師になりたい」と、ナイチンゲールが打ち明けると、お母さんは泣き出し、お父さんだけでなく、お姉さんまで大反対しました。
でも、彼女は決してあきらめませんでした。熱心に本を読み、看護の勉強を続けました。夢に向かって、何年も何年も努力をつみかさねたのです。
だんだん、味方をしてくれる人もふえ、お父さんの応援も勝ち取りました。そして仕事を始めると、それまでの勉強を役だて、みんながおどろくような、看護のゆき届いた最先端の病院づくりをリードしていったのです。
そんななか、イギリスと、ロシアとの間に戦争が始まりました。新聞からは、多くの兵士たちが命を落とし、けがをしていることが伝わってきます。
ナイチンゲールは立ち上がりました。彼女は自分から願い出て、だれも行きたがらない危険な地域の、あれ果てた病院に向かったのです。その深く尊い決意に、これまで反対しながらも見守ってきた、お母さんやお姉さんも心を動かされ、応援してくれるようになりました。
病院は、けがをしたり、病気になったりした兵士であふれていました。薬やベッドも満足にありません。でも、心を強くきたえてきたナイチンゲールは、断じて負けませんでした。寝る間もおしんで看病にあたりました。みんなが寝静まった夜も、ランプをもって病室を回り、苦しんでいる人がいれば、はげましていきました。
心も体も傷ついた兵士たちは、ナイチンゲールが通るのを見るだけで気持ちが休まり、よく眠れたそうです。
人々は、その姿を「ランプをもつ天使」と呼んで、感謝しました。
こうして、「人のために」がんばる看護師さんは、みなから尊敬される仕事になっていったのです。

日蓮大聖人は『人のために明かりをともせば、自分の前も明るくなる』(P1598、意味、「食物三徳御書」)と、言われています。
人が喜ぶことをすれば、自分の心も喜びでいっぱいになります。
みんなのお父さんやお母さん、また近所の学会員のみなさんも、同じ思いで、なやみがある人に会いに行き、話を聞いて一生けんめい、はげましておられます。
自分がなやみで大変であっても、それでも人のために行動します。時には、真心が理解されず、悪口を言われることもあります。でも、あきらめません。みんなで幸せになるために、ますます題目をとなえ、ますます元気になって、また行動していきます。これが、創価の生き方なのです。
その後継者である少年少女部のみなさんも、いつまでも、「人のためにという心」「人を思いやる心」を持ち続けてください。
その心には、「勝利の太陽」がのぼります。心に「勝利の太陽」がかがやけば、自分自身はもちろん、お父さんやお母さん、おじいさんやおばあさん、周りの友だち、さらには世界の人たちまで、明るく照らしていくことができます。
5月の青い空のもと、さあ、元気いっぱい自分の目標に向かって、いっしょに、がんばろうよ!

2014年5月2日金曜日

2014.05.02 わが友に贈る

誰が見ていなくとも
愚直な信心を貫く人が
尊き福徳の長者に!
三世に輝く「心の財」を
積みゆく日々たれ!

生死一大事血脈抄 P1338
『過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか釈迦多宝こそ御存知候らめ、「在在諸仏土常与師倶生」よも虚事候はじ』

◇希望の明日へ
ある瞬間の生命に、永遠が凝結している。その人の人間性、過去と未来、宿命、人生のドラマなどの実相が、鮮やかに映し出されている。写真とは、その永遠なる瞬間をとらえ、表現する芸術ではないだろうか。その意味で、写真家は、単なる記録者ではない。何より、人間性の真撃な追究者である。
平1・11・26

☆大白蓮華 巻頭言 2014年5月「創価の世雄よ 信心で勝て!」
「鉄の意志を持つかぎり、逆境も好機へと転じることができる」
これは、アフリカの人権の岩窟王マンデラ元大統領が、弾圧の獄中から愛娘へ送られた手紙の一節である。この揺るがぬ不屈の信念から、万人を包み、励まさずにはおかない笑顔が生まれたに違いない。
わが尊き同志たちも、厳しき現実の社会にあって、千差万別の逆境と戦っている。
身を切られるような窮地もあろう。一時は負けたように見えて、悔しさに血涙をしぼる時もある。
しかし、仏の異名は「世雄」。すなわち、社会で絶対に勝利しゆく大英雄である。この仏の大法を持った我らには、乗り越えられない苦難はないのだ。
日蓮大聖人の御在世も、門下たちには、讒言による所領の没収や勘当など、社会的、経済的な危機に及ぶ圧迫が打ち続いた。
けれども、皆が「なげきたるけしきなくて(嘆いた様子を見せないで)」(P1163、「四条金吾殿御返事」)、また「すこしも・ひるむ事なかれ」(P1090、「兵衛志殿御返事」)等々の御聖訓を胸に、断固として勝利の実証を示していったのである。
師・戸田城聖先生の事業を支えて、私も何度となく「これで万策尽きたか」という局面に立たされた。そのどん底からが、真の信心の戦いの始まりである。師子奮迅の力を奮い起こして、師をお守りし抜いた。
我らには、一切を踏みこたえ、断固として活路を切り開いていける「法華経の兵法」があるのだ。

「大悪をこれば大善きたる」(P1300、「大悪大善御書」)との御文を拝し、師は苦境の友を抱きかかえて激励された。
「妙法の力で、何百倍と変毒為薬して、大功徳を開ける時が来たんだよ!」「最後の勝利は、苦労した人間には敵わない」と。
どんな壁に突き当たっても、題目を唱え抜いて、智慧を出し、創意工夫を重ねて、粘り強く誠心誠意の努力を尽くしていくことだ。必ず必ず打開できる。
なぜ、艱難があるのか。永遠に仏になるためだ。「それでも負けなかった」「それでも耐えて勝った」と、この娑婆世界で苦闘する友に希望と勇気の光を贈るためである。ゆえに、臆さず惑わず、迎え撃つのだ。強気で悠然と、勝ち切ってみせるのだ。
草創の滋賀の夫妻は、幾度もの倒産から立ち上がり、機械一台から工場を起こした。広宣流布の闘争からも一歩も退かず、忘恩の悪侶とも戦い抜いた。
「恐れれば魔が笑う。創価の我らの底力を見よ! と、試練の方が音を上げるまで戦いました。労苦にただただ感謝です」——この偉大な父母の闘魂を、創価大学に学んだ子息が立派に受け継いでいる。
一人の勝利が職場を変える。地域を変える。
わが友の「世雄」の大生命こそ、不況にも災害にも屈しない、幸福と繁栄の社会を照らす太陽である。
さあ今日も、金剛不壊の信心で、題目の師子吼を轟かせ、人が見ようが見まいが、大誠実の行動で、悔いのない価値創造を成し遂げようではないか!

乱世にて
 苦難に挑む
  友ありて
 希望の笑顔
  社会に満つらむ

2014年5月1日木曜日

2014.05.01 わが友に贈る

さあ今日も
新たな課題に挑もう!
仏法の核心は
無限の向上にある。
人間革命の勝利者たれ!

開目抄 P231
『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』

◇希望の明日へ
古来、芸術とは、人間の精神性のやむにやまれぬ発露であり、さまざまな具体的"形"として結晶しつつ、そこに巧まずして、一個の"全一なるもの"を表象するものであった。確かに、個々の芸術活動は、限られた空間内での営みである。しかし、芸術に参画する人々の魂には、自らの活動という回路を通じて、宇宙的生命ともいうべき"全一なるもの"とつながり、一体化せんとする希求が脈打っていた。つまり、自分というミクロな世界が、宇宙というマクロな世界と融合しつつ作り出すダイナミックな一つの命−−。そこに生きた芸術がある。
平1・6・14

◇名字の言
使わない鉄はさびやすく、よどんだ水は濁りやすい。人生も同様だろう。逆に、挑戦を忘れない人は若々しい。何より崇高な目的に向かえば、人は永遠に"青春"を生きることができる。
新緑がもえ、全ての生命が輝く季節。老いも若きも新たな心で、新たな挑戦を開始しよう。
哲人エマソンの言葉に、こうあった。「世界中で価値のあるものはただひとつ、活動的な魂です」