2009年7月3日金曜日

2009.07.03 わが友に贈る

「七月三日」の
魂は不滅なり!
創価の岩窟王よ
栄光の未来を
燦然と勝ち開け。

開目抄下 P232
詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし

◇希望の明日へ
大聖人は、御自身を「民が子」(御書一三三二�)と仰せになられて、一生涯、民衆とともに、民衆のなかで戦われた。
学会員は大聖人の真の門下である。民衆の最大の味方である。口先ではなく、肉弾戦で民衆のために走り続けてきたのは学会である。この精神は永遠である。絶対に偉ぶってはならない。庶民を味方にする戦いなのだから、庶民になりきって戦っていく。この簡単なことがみな、なかなか実践できない。

◇今日のことば365
戦争ほど
残酷なものはない
戦争ほど
悲惨なものはない

☆御書と師弟 不退転の信心
信心とは、断じて貫き通すことです。御本尊に祈り抜き、「法華経の兵法」で戦い切っていくならば、勝ち越えられない試練などない。そこに必ず、無上の幸福境涯が開かれていくことは、御書に照らして絶対に間違いありません。

この「十軍」に対して大兵を起こすとは、まず、自分自身の「己心の魔」との真剣勝負であります。
そして、胸中の魔性に打ち勝つ要諦とは、第一に「不退転の信心」であると、大聖人は教えてくださっているのであります。
何があろうと、わが信仰の戦闘を続行しゆく「不退の人」こそが「勝利の人」です。

前へ前へ進む信心こそ、「大悪」を打ち破り、「大善」に転じ切っていく力です。
「進まざるは退転」である。もう一歩、あと一歩と忍耐強く攻め抜く。勝利をつかむ最後の一瞬まで前進をやめない。この心が大切なのです。この一念が勝敗を決するのです。