爽やかな応対を!
大誠実で心をつかめ
地域で 職場で
太陽と輝け!
日女御前御返事 P1244
『かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人・現在には幸をまねぎ後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて闇に燈の如く険難の処に強力を得たるが如く・彼こへまはり此へより・日女御前をかこみ・まほり給うべきなり』
◇四季の語らい
年齢とともに、たとえ記憶力は落ちても、総合的な判断力、人間理解力、人生への洞察力は若い人よりも鍛えられている。それらを、いよいよ発揮していくことである。老年期は、それまで以上に「人間としての自分」が問われる年代でもある。社会的地位や立場等を離れても、心に豊かな"何か"を持っているかどうか−−それが問われる。
◇今日のことば365
人生にあって
笑いのないということは
花のパッと開かないのと同じだ
いかなる葛藤の社会であっても
ユーモアだけは忘れたくない
☆各部代表者会議でのスピーチ
恩を知る人生は美しい。
報恩こそ人間の道である。仏法の道である。
人材を育てたところが勝つ。人材を伸ばす指導者こそ、最も偉大なのである。
師子吼の題目を唱える人は、絶対に行き詰まることはない。
師子王が吼えれば、百獣は恐れおののく。そのように、あらゆる魔性を披ることができる。病魔も破ることができる。
全宇宙の諸天善神が私たちの味方となるのだ。何も心配はいらない。何も恐れる必要はない。
薪を加えるほど火が盛んになるように、難に遭うほど、旺盛な大生命力をわきたたせていける。仏の境涯を開いていける。それを大聖人は、身をもって教えてくださった。
偉大なる仏の力がみなぎれば、障魔に負けるわけがない。
その大宇宙のような広大な境涯を涌現していく、ただ一つの条件がある。
それは「信」である。「但し御信心によるべし」「能く能く信ぜさせ給うべし」と仰せの通りである。
どんなに鋭い剣があっても、それを使う人が臆病であれは、何の役にも立たない。
大聖人は「法華経の剣は信心のけなげ(勇)なる人こそ用る事なれ」と仰せになられた。
苦難に襲われたその時に、「勇敢な信心」「潔い信心」「勇猛な信心」「強盛な信心」があるかどうかだ。