友の幸福を祈り抜き
勇気を出して対話に挑む。
その「挑戦」自体に
無量の福徳が積まれる。
さあ自身の壁を破ろう!
日厳尼御前御返事 P1262
『叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず』
【通解】
あなたの願いが叶うか叶わないかは御信心によるのである。まったく日蓮のとがではない。
名字の言 画家の壮年部員の「生きる証し」 2022年2月22日
いかなる分野であれ、使命の道に徹する人の言葉には、共感できる味わい深さがある。画家の壮年部員を訪ねた時、部屋の壁に彼の作品が掲げてあった。信心根本に"絵描きとして生きる"と決心し、最初に手掛けたという、城の絵だった▼彼は語った。「実際の築城は土台から造っていく。しかし、私が絵にする場合はまずカンバスに天守閣の最上部を描き、下方にいくほど裾野が広がっていく構図で仕上げます」と。その言葉は、今日までの彼の生き方を思わせた▼幼少期、小児まひを患い、足が不自由になった。絵との出あいは中学生の時。絵筆を持った彼は実感した。"私の心はどこまでも自由だ"。以来、絵画に没頭した▼後年、人形の顔などを描く職人に。長い下積み生活を経て、40代で本格的に画家の道を歩みだした。壮年にとって絵を描くことは「生業」以上に「生きる証し」だった。彼の生きざまがにじみ出たような"何にも縛られない"前衛的な作品は高く評価され、ヨーロッパの美術展で入賞も果たした▼わが心に描く"理想の頂"が高ければ高いほど、そこへ到達するまでの道は長く険しい。だが、その前進の一歩一歩の中で、人間革命の真価と、絶対的幸福の境涯は光り輝いていく。
寸鉄 2022年2月22日
御書「臆病にては叶うべからず」。二月闘争の総仕上げへ!勇敢にもう一歩(新1623・全1193)
鳥取広布原点の日。模範と光る立正安国の大城。皆が青年の心で希望拡大
誠は組織の推進力—牧口先生。大誠実のリーダーに友は奮起す。名指揮を
添付文書開くと感染するウイルスメール猛威と。確認・用心に"過剰"なし
感染者の数は減少傾向も高止まり。基本の対策は変わらず。今が正念場だ
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で——池田先生の連載エッセーから 第18回 石川
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「石川——創造を続ける文化王国」〈2014年2月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。2月は、戸田先生の誕生月。その生まれ故郷である石川は、豊かな自然と伝統文化が薫る。厳寒の冬を越え、生命が躍動する春へ——忍耐強い北陸の友の姿に学び、地道な対話拡大で、地域に幸福の花を咲かせていきたい。
北国に
文化の勝利の
旗高し
文化とは、創造です。
創造とは、一日一日の暮らしのなかで、いのちを伸びやかに開花させることでしょう。
それは、先人たちが営々と築いてきた伝統を受け継ぎ、学び、活かしながら、自分は自分らしく挑戦と知恵を添えて、生き生きと未来を創り、開いていくことです。そこに、途切れることのない文化の創造のリレーがあります。
その象徴が、世界に燦たる伝統文化の花の都・石川県です。
江戸時代、加賀百万石は「天下の書府」と謳われ、文化の花が絢爛と咲き誇りました。この流れの奥深くに、私は、戦乱の破壊の世から平和の創造の世へ、大転換を願い求めてやまなかった女性たちの祈りを感じ取ります。
石川には、今も日々の生活に、凜とした文化の彩りがあり、薫りがあります。茶道や美術などに寄せられる人々の関心が、全国でも高いと聞きました。
その文化を愛する気風から、かけがえのない生命と人生を見つめ、今日という日を共々に丁寧に生きようという心ばえが伝わってくると言っても、過言ではないでしょう。
◇常に師と共に
〈石川県は、戸田先生の生誕の地である。池田先生は恩師を思いつつ、その故郷を何度も訪れてきた〉
朗らかに
また忍耐の
北陸は
人間王者と
厳と生きぬけ
私の人生の師匠・戸田城聖先生は、一九〇〇年の二月十一日、石川県の塩屋(現・加賀市内)に誕生されました。
戦時中の晩秋、恩師は、生命尊厳の哲学を掲げて、命を賭して軍国主義の横暴と戦うさなか、ご自身の人生の起点を確かめるように、塩屋を訪れています。軍部政府の弾圧で投獄されたのは、その翌年(一九四三年)です。
一生涯、生まれ故郷に変わらざる愛情を注がれておりました。その師の最晩年、私は名代として北陸を訪れました。東京に戻り、故郷の方々の元気な様子をご報告すると、実に嬉しそうな笑みを浮かべられたのです。
以来、いつも恩師とご一緒に帰郷を果たす思いで、幾たびも北陸を訪問してきました。
恩師が逝去されて二年後(一九六〇年)の生誕の月・二月には、兼六園や、さらに卯辰山にも友と足を運び、金沢の美しい格調ある街並みを一望しました。壮麗な白山も仰ぎました。
陰暦二月を表す「如月」には、草木が蘇生する「生更ぎ」という意義があります。私たちは、偉大な人間王者であられた師の生命をわが胸に脈打たせながら、郷土を深く知り、新たな人材の大樹を伸ばし、生命尊厳の文化の花を咲かせゆこうと誓い合ったのです。
◇冬が春をつくる
〈厳冬にも負けない北陸の人々。池田先生は、"人生の冬"を勝ち越えてきた婦人を紹介し、地道に歩みを重ねる北陸の同志をたたえた〉
私と妻がよく知る野々市市の婦人は、長女を出産した後、難病に罹り、失明されました。追い打ちをかけるように、最愛の夫の事故死が重なったのです。
不遇を嘆く日々のなかで、「必ず宿命は転換できる。絶対に幸福になれる」と、力強く励ましてくれる友の温もりに触れ、教えてもらった不屈の生命哲学を抱きしめて前を向き、勇気の一歩を踏み出しました。
幼い娘さんといったん離れ、盲学校の寮生活で、鍼・灸・マッサージの勉強に励みました。三年後、立派に資格を取得し、娘さんとの希望の生活が始まりました。努力の積み重ねで、開業したお店も繁盛し、やがて自宅も建てることができたのです。
けなげな母は、必死の奮闘を通して見えてきたものがあると振り返ります。それは「人間の底力」であり、「人の優しさ」であり、「生きる喜び」であった、と。地元の小学校の要請に応えて、子どもたちに語りかけていることは、「人生には、いろいろ苦しみがあります。でも、どんな困難でも、乗り越えていく力が私たちにはあるんです」という"負けない哲学"です。
今の白山市の生まれで、江戸時代を代表する女性俳人と讃えられる加賀千代は詠みました。
「梅咲や 何が降ても 春ははる」
たとえ、冷たい雨が降ろうが、雪が降ろうが、ひとたび一輪の梅が咲いたからには、それは春の訪れにちがいありません。
冬は必ず春となる。
冬が春をつくる。
能登で地域貢献に奔走してきた女性リーダーは、「他の人ではありません。自分の一念で、どんなことでも全部、幸福の春へと打開できるのですね」と清々しく語っていました。
誰が見ていなくとも、真剣に誠実に信念の行動を貫き、誰に褒められずとも、粘り強くベストを尽くして、自らの立てた誓いを果たしてみせる——この北陸の友の生命の息吹を、私は敬愛してやみません。
〈結びに池田先生は、自身が青春時代に親しんだ哲学者の言葉に託して、青年を育てゆく石川そして北陸に万感の期待を寄せる〉
「人を作ることは世界を創造することであらう」とは、森村(現・かほく市)が生んだ、近代日本の哲学者・西田幾多郎博士の言葉です。
人材が育ちゆく天地・北陸には、無限の可能性を秘めた青年が満ち、勇気と知恵を贈る啓発が満ちています。ゆえに、無限の希望があります。
春遠からじ。
冬を勝ち越えた北陸の春には、誉れ高き生命の凱歌が轟きます。
わが恩師
生まれし天地
石川に
春 満開の
母の曲あれ
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第3巻所収)