2022年2月12日土曜日

2022.02.12 わが友に贈る

「一は万が母」だ。
決意に燃えた一人から
広宣流布の波動が起きる。
本部幹部会の視聴から
わが二月闘争を堂々と!

松野殿御返事 P1382
『忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり』

【通解】
絶対に、法華経を受持する者を互にそしることがあってはならない。その理由は、法華経を持つ者は必ず皆仏なのであり、仏をそしれば罪を得るからである。

名字の言 "宇宙の始まりの音"を受信できる? 2022年2月12日
昔ながらのラジオを使うと、パチパチという雑音が時折入る。その中に、宇宙誕生の起源とされる「ビッグバン」の名残が含まれていると聞いて驚いた▼138億年前の大爆発の際、宇宙は超高温の光に満ちていた。その光の名残が電磁波となって、地球に届いているという。これを宇宙背景放射と呼ぶ。"宇宙の始まりの音"を今も受信できると思うと胸が躍る▼とはいえ、ビッグバンによる宇宙誕生説は確定した理論ではない。大爆発以前にも何らかの形で宇宙は存在し、永遠の時を刻んでいるとする説もある。池田先生が対談した天文学者のウィックラマシンゲ博士も「宇宙は無限」だと主張していた▼仏法において宇宙は「無始無終」であり、人間の生命は宇宙と一体だと見る。先生は折に触れ、妙法の功力をラジオやテレビの電波に例えて語ってきた。電波のように目に見えないが、宇宙には仏の大生命力が遍満している。「この仏界に、自分のチャンネルを合わせることを、仏道修行という」と▼御書に「題目を唱え奉る音は、十方世界にとずかずという処なし」(新1121・全808)と仰せである。星冴ゆる季節に、友の心に届けと、祈りと語らいを重ねる。何と美しい広布のロマンだろう。

寸鉄 2022年2月12日
「悪は多けれども、一善にかつことなし」御書。信心の団結は嵐に負けず(新2055・全1463)
尊き「新聞長」の奮闘に感謝。皆様の労苦ありて"師弟の言論城"は発展
なりたいと思う方向へ進めるのが妙法—戸田先生根本は御本尊への強き信
感染禍で人間の安全保障に再び脚光と。"一人"の尊厳と幸福が時代の焦点
漏洩最多のパスワードは「123456」と。危険軽視せず。設定を再確認

〈社説〉 2022・2・12 あす「世界ラジオデー」
◇心のこもった声が人を元気に
「世界ラジオデー」は1946年(昭和21年)2月13日、国連による放送が始まったことを記念したもの。日本のラジオ放送の始まりは1925年(大正14年)3月である。
テレビやパソコンの普及により、一時は"ラジオ離れ"が指摘されたが、近年は、インターネットラジオが登場し、ラジオのリスナーは増加傾向にある。
特にコロナ禍による"巣ごもり需要"も相まって、スマートフォンでラジオを聴けるサービス「radiko(ラジコ)」の月間ユーザー数は、一昨年の数カ月間だけで150万人も増加したという。radikoの青木貴博社長は、コロナ禍の中でラジオは「生活者に精神的な癒やしを与える役割を果たした」と強調する。
本紙でも昨年2月から、ポッドキャスト番組「ラジオ SEIKYO LABO」がスタート。これまでに22回配信し、紙面制作への熱い思いを担当記者の「声」にして届けてきた。
新聞校閲、紙面レイアウト、方面・県版の取材秘話など、毎回テーマを変えて行われるトークは「聖教を何倍も楽しめる」と好評だ。特に、出演した記者の声に「元気をもらった」との感想が多い。中には、入院中の病室や治療の前に聴いているというリスナーもいた。
聞き手は、声から話し手の心を読み取ることができる。例えば、声が上ずったり、小さくなったりするときは、自信がないことが伝わる。感情を抑えても、声のトーンで分かってしまう場合もある。
同じ言葉であっても、どんな思いで発しているのか、声からその心が読み取れる。ラジオなどの音声メディアが、情報収集のツールとしてよりも、人の体温まで伝えられるメディアとして見直される理由もそこにあろう。
池田先生は『青年抄』の中で「言葉の力は 心で決まる/心が根底にあるから/言葉が生きてくる/同じことを言っても/言う人の心の深さで/まったく力は違ってくる」と述べている。
コロナ禍で、多くの人が不安や不自由を感じている。直接会えなくても、SNSや電話などの通信手段を駆使すれば、心のこもった声を友に届けることはできる。
励ましを送りたい相手のことを思い浮かべ、希望と勇気を生む言葉を発信していきたい。

☆御書と未来へ 第5回 華陽の宝友に幸薫れ
〈御文〉
『この法華経ばかりに、この経を持つ女人は一切の女人にすぎたるのみならず、一切の男子にこえたりとみえて候』(四条金吾殿女房御返事、新1542・全1134)

〈通解〉
この法華経のみには、この経を受持する女性は、一切の女性よりすぐれているだけでなく、一切の男性を超えている、と説かれています。

〈池田先生が贈る指針〉
全ての女性が幸福で、一人ももれなく尊厳に輝け! これが御本仏のお心であり、創価の師弟の誓願である。
妙法と生きゆく青春に不幸はない。必ず自分らしく勝ち光り、和楽と福徳の境涯を開けるのだ。
華陽姉妹こそ、第一の希望の翼である。朗らかに桜梅桃李の連帯を広げ、生命の大歓喜の飛躍を平和の明日へ!

☆2月度座談会拝読御書 一生成仏抄
◇御文
『衆生というも仏というも、またかくのごとし。迷う時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。譬えば、闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるがごとし。只今も、一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。これを磨かば、必ず法性真如の明鏡と成るべし。
深く信心を発して、日夜朝暮にまた懈らず磨くべし。いかようにしてか磨くべき。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、これをみがくとはいうなり。』(御書新版317ページ12行目〜17行目、御書全集384ページ2行目〜5行目)

◇[池田先生の指針から]仏界涌現の直道
日蓮大聖人の仏法の唱題行は、自身の生命変革をもたらす最高の仏道修行です。また、題目を唱えることは、自身の仏の生命を呼び覚ますことです。唱題こそが仏界涌現の直道です。
涌現された仏の智慧と慈悲の生命は、自身の生命境涯を豊かにし、自他ともの幸福を実現していく。さらに、自行化他の唱題が広がっていけば、仏の慈悲の生命に彩られた民衆の連帯が可能になり、人類の宿命をも転換していけるのです。
      ◇ ◇ ◇
「妙法」は、万人の苦悩を除く大良薬である。また、万人の幸福を実現する大宝蔵です。その妙法を根本に、そして妙法に徹して、生ききるのです。自身の生命を妙法に染め上げるのです。自身の生命を妙法で固めるのです。
私たちの現実は、次から次へ悩みがある。しかし、自分が妙法蓮華経であると定めて、"いかなる苦難も乗り越えていける""断じて幸福を勝ち取っていくことができる"との大確信で、すべてに向かって勇敢に挑戦していくことです。
「我は妙法蓮華経なり」との深い信心を貫くならば、勇気をもって、いかなる課題にも挑戦していける。勇気を現していけるかどうか、そこに人生の勝利の鍵があります。(中略)
どのような障魔が競い起こっても、一歩も退かない。驚かない。何事にも打ち勝っていけるのが、妙法蓮華経です。それを深く確信することが大事なのです。(『池田大作全集』第34巻「『一生成仏抄』講義」)

◇不退の信心貫き 幸福境涯を築く
[キーワード�]一念を転換する祈り
いかなる迷いの生命も、苦悩に満ちた環境も、自らの一念の転換によって、希望の方向へ、幸福の方向へと必ず変えていくことができる——その根幹が、南無妙法蓮華経の「唱題行」です。
拝読御文の直前で日蓮大聖人は、仏の住む国土である「浄土」といっても、苦悩が充満する「穢土」といっても、別々の国土があるわけではなく、そこに住む私たちの「心の善悪」によって、違いが現れると仰せです。同様に、「衆生(凡夫)」と「仏」も別々の存在ではなく、生命状態が、「迷い」であるか、「悟り」であるかの違いであると示されます。
その例えとして、拝読御文では「鏡」を挙げられています。曇っている鏡でも、よくものを映す鏡でも、鏡であることには変わりません。「これを磨かば、必ず法性真如の明鏡と成るべし」と仰せのように、私たちは南無妙法蓮華経の唱題行を実践することで、無明に覆われた生命を磨き、本来具わっている悟りの生命を顕していくことができるのです。
そもそも、法華経以前の爾前経では、九界の迷いの生命を断じ尽くさなければ、成仏はできないとされていました。一方、法華経では、万人に等しく仏性が具わっていることが説かれ、凡夫がその身のままで、今世において成仏できるという、一生成仏の法理が明かされています。
成仏とは、自らの内に仏の生命を開くことです。唱題行の実践を貫く中に、絶対的な幸福境涯を築く道はあるのです。

[キーワード�]たゆまず題目を
本抄では、「唱題行」の姿勢として、「深く信心を発して」「日夜朝暮にまた懈らず」との二つの要点が示されています。すなわち、日蓮仏法においては、どこまでも"強盛な信心"を奮い起こすこと、そして"持続の信心"を貫くことが、成仏の何よりの肝要です。
とはいえ、日頃から信心に励んでいたとしても、時に思いもよらない試練に直面して、"自分には無理だ"と諦めて無気力に陥ることや、"信心しているのに、なぜ?"と葛藤することもあるでしょう。
大聖人は「月々日々につより給え。すこしもたゆむ心あらば、魔たよりをうべし」(新1620・全1190)と仰せです。広布も人生も、一日一日が、成仏を妨げようとする障魔との絶えざる戦いと言えます。
大事なことは、困難の時こそ、勇気を出して御本尊の前に座り、真剣に題目を唱えることです。そうすることで、「試練は宿命転換の好機」との確信が深まり、不退の心で困難に立ち向かい、乗り越えていけます。そして必ず、幸福をつかんでいくことができるのです。
池田先生は語っています。
「題目は『前進』の力です。題目は『勝利』の力です。あらゆる戦いは、まず祈ることから始まります。題目を唱えぬいた人には、誰もかないません」
栄光の人生を築く一切の原動力は、強盛な祈りである——。そう確信して、いかなる時も、たゆまず題目を唱えながら、日々、朗らかに前進していきましょう。