新聞休刊日
立正安国論 P17
『世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず』
【通解】
世の中は上下万民あげて正法に背き、人々は皆悪法に帰している。それゆえ、守護すべき善神はことごとく国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して他の所へ行ったまま帰ってこない。 そのために善神、聖人に代わって、魔神、鬼神が来て、災いが起こり、難が起こるのである。じつにこのことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである。
☆四季の励まし 「常勝」の心で希望の春へ 2022年2月6日
◇池田先生の言葉
人生においても、
社会においても、
立ちはだかる試練を前に、
「不可能」と決めつけて、
諦めてしまえば、
それまでである。
しかし、どんな困難も、
打開できないわけがないと
一念を定め、
挑戦していけば、
そこから、
未だかつてない
「可能性」を引き出し、
「希望」を
創りあげることができる。
たとえ今、
試練の冬にあろうとも、
心は閉じこもりはしない。
一歩、
北風に踏み出す勇気に、
戦う力、負けない力が
湧き上がる。
その心には、
もう勝利の春が
始まっているのだ。
信心の途上で
起こってくる苦難は、
すべて意味がある。
なかなか出口が見えない
困難な状況であっても、
時がたち、
長い目で見ていけば、
「なるほどそうだったのか」
「このためにあったのか」と
必ず分かるものである。
ゆえに目先の出来事に
一喜一憂する必要はない。
広布に生き抜く時、
転換できぬ「宿命」など
絶対にない。
皆が、地涌の菩薩であり、
幸福になる権利がある。
皆が、人生の檜舞台で、
風雪の冬を陽光の春へ、
苦悩を歓喜へと転ずる
大ドラマの主人公であり、
名優であるのだ。
常勝とは、
不撓不屈の異名だ。
「断じて勝つ!
最後は勝つ!」という
大確信であり、
大闘争心だ。
この「負けじ魂」が
あるところ、
いかなる逆境も、
すべて自身の人間革命と、
三世永遠にわたる
成仏の大境涯を開く
糧となることを忘れまい。
【写真説明】光まばゆき世界への玄関口・神戸港。1995年(平成7年)10月、池田大作先生がカメラに収めた。友の福徳と安穏を祈りつつ——。
阪神・淡路大震災から9カ月後だった。先生はこの関西指導で、兵庫池田文化会館での「21世紀兵庫希望総会」「SGI総会」に出席。師弟の絆で結ばれた不屈の同志に語った。「日蓮大聖人の仏法は、『無限の希望』の哲学である」と。
私たちには、勝利の経典・御書がある。いつも勇気を与えてくれる師匠がいる。ゆえに、いかなる壁が立ちはだかろうとも断じて負けない。寒風の中に、春の気配が漂い始める2月。頭を上げて、前進の一歩を踏み出そう。
☆ONE GOSHO この一節とともに! 報恩抄
◇報恩の心で拡大に疾駆
「自らの勇敢な挑戦と成長こそ、最高の恩返しとなる」——今回は、「真の報恩の道」を歩み抜く仏法者の生き方を心に刻む。
◇御文
『仏教をならわん者の、父母・師匠・国恩をわするべしや。この大恩をほうぜんには、必ず仏法をならいきわめ智者とならで叶うべきか。』(新212・全293)
◇通解
仏教を学ぶものが、どうして父母、師匠、国土や社会の恩を忘れてよいであろうか。この大恩を報ずるためには、必ず仏法を学び究めて、智者とならなければ叶うことではない。
◇背景
日蓮大聖人は若き日、安房国(現在の千葉県南部)の清澄寺で修学に励まれた。出家に際しての師匠が道善房である。
本抄は、道善房の逝去の報を聞かれた大聖人が、建治2年(1276年)7月、亡き師匠への追善と報恩謝徳のために、身延で認められた御書である。修学時代の兄弟子である浄顕房と義浄房に、本抄を道善房の墓前でも読むよう伝言を添え、託された。
本抄で大聖人は、師恩に報いるための御自身の求道と弘教の御生涯を示されるとともに、「三大秘法の南無妙法蓮華経」の無量の功徳を明かされ、人類の未来を救う道を開いたことを宣言されている。
◇解説
日蓮大聖人は本抄の冒頭で、恩に報いた動物の説話や中国古代の賢人の故事を引かれ、なおのこと仏法者は、父母や師匠、国土・社会の恩を忘れてはならないと強調されている。
開目抄にも「仏弟子は必ず四恩をしって知恩・報恩をいたすべし」(新58・全192)とあるように、大聖人は「恩を知る」ことの大切さを諸御抄の中で説かれている。
自身の周囲に目を向け、自分が多くの人に支えられて生きていることに気付き、感謝の念を持つ。つまり、今まで"当たり前"だと思っていたことに深い意味を感じ、大きな恩があると「知る」ことが、報恩への第一歩である。
そして、そうした全ての恩に報いるためには、仏法を学び究め、真の智者となって、人々を導いていかなければならないと示されている。
大聖人は、別の御書の中で仏道を志した真情を振り返られ、「本より学文し候いしことは、仏教をきわめて仏になり、恩ある人をもたすけんと思う」(新1195・全891)と仰せになっている。"恩ある人を生死の苦しみから助けたい"——日蓮仏法の「出発点」には、「報恩の一念」があったのである。大聖人はその誓いのまま、度重なる大難にも屈することなく、正法を掲げ、民衆救済の方途を確立された。
本抄は"正法を弘める大聖人の大功徳が故・道善房に集まる"と結ばれている。道善房は臆病であり、最後まで念仏への執着を断ち切れなかった。そのような師匠であっても、弟子の妙法流布の功徳によって救うことができるのである。
また、本抄は若き日の兄弟子であった浄顕房、義浄房に宛てられたが、二人に送られた別の御書には「よき弟子をもつときんば、師弟仏果にいたり、あしき弟子をたくわいぬれば、師弟地獄におつといえり」(新1211・全900)と仰せである。
弟子の勝利が師匠の勝利である。こう決めて広宣流布に生き抜くことこそ、真の報恩の人生である。
その大道を歩んできたのが創価の師弟であり、なかんずく池田先生にほかならない。
1952年(昭和27年)、若き池田先生は、大聖人の御聖誕の月であり、恩師・戸田先生の誕生月でもある2月を荘厳しようと、蒲田支部の同志と共に、圧倒的な弘教拡大を成し遂げた。その「二月闘争」によって戸田先生の願業であった75万世帯への突破口が開かれたのである。また、恩師亡き後、師の写真を上着の内ポケットに納め、世界中を駆け巡り、仏法を192カ国・地域に広げた。
池田先生はつづっている。
「報恩は誓願を生みます。報恩は行動を生みます。報恩は勇気を生みます。報恩は勝利を生みます。報恩に徹する人は、自身の生命を最高に磨き、境涯を最大に勝ち光らせることができるのです」
"師匠のために"との決定した一念から、無限の力が湧き上がる——これが、創価の師弟が示してきた広布拡大の方程式である。
「二月闘争」から70周年。
報恩の心を赤々と燃やし、勇気の対話拡大で、不滅の師弟の原点を築きゆこう!