広布のロマンあふれる
明るい集いに参加すれば
皆が元気に笑顔になる。
わが地区・ブロックに
幸福の花を咲かせよう!
秋元御書 P1072
『信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし』
【通解】
信心の心が完全であれば、人々が平等に成仏できることを悟った広大な仏の智慧の水は乾くことはありません。
名字の言 「地域の灯台たれ」——師との誓い輝く農漁光部の友 2022年2月17日
きょうは「農漁光部の日」。人々の食を支える農業や漁業に携わる友に感謝をささげたい▼一年中、カキが収穫できる養殖方法を始め、地域ブランドに育てた三重の壮年。昨年は緊急事態宣言が発出されていない地域に営業を行い、コロナ禍前の2・5倍以上の売り上げに。そんな中、コロナ禍で大打撃を受けた老舗養殖会社の再建を託され、「地域のためなら」と引き受けた。これまで手掛けた新規ブランドと老舗会社の有名ブランドの二刀流で奮闘する▼兵庫の婦人は昨年11月、地域フェスタの講師に招かれ、家族で作った酒米・山田錦から芳醇な日本酒が誕生するまでの歩みを語った。新型コロナの影響で酒米にも減反要請が出たが、「山田錦が減った分、ふるさと納税の返礼品にもなっている食用米の注文が増えて。ほんまに守られています」。婦人の胸には「自分が地域を守る」との誓いが輝く▼池田先生は45年前のきょう、農漁光部に「地域の灯台たれ」との指針を贈った。「皆さんの地域を頼みます! 今いるところで、幸せの大城を築いてください」と。この指針は世代を超え、友の心に刻まれている▼「師と共に」「地域の灯台に」と行動するからこそ、自分の殻を破れる。原点を忘れない人は強い。
寸鉄 2022年2月17日
地球民族主義提唱70年。世界の民衆がともに喜び繁栄—。光る先見の思想
農漁光部の日。「食は命」支える尊き奮闘に感謝。郷土で輝く"希望の灯台"
「仏の使いは、仏と同じ力を発揮できる」恩師。この確信で祈りから出発
男女学生部が折伏に先駆誠実の対話で結ぶ真実の友情は宝。自信満々語れ
公明推進で不妊治療への保険適用が拡大。現場の声聞き更に全力で応えよ
〈社説〉 2022・2・17 きょう「農漁光部の日」
◇「地域の灯台」として輝く
「立春」が過ぎ、間もなく「雨水」(19日)を迎える。この時期は、雪が雨に変わり、氷が解け、春に向けて農作業の準備を始める頃といわれる。立春などの二十四節気は、太陽の動きを基準に定められ、農作業を進める参考にもなっている。自然と向き合い、命を育み、食を支える、大切な農業・漁業に従事する皆さま方に、感謝の思いは尽きない。
きょう17日は「農漁光部の日」。その淵源は、1977年のこの日に開かれた第1回「農村・団地部勤行集会」。池田先生は、「心の力は偉大です。何があっても負けない、強い、強い信心の一念があれば、一切の環境を変えていくことができる。それが『三変土田』の法理です」と励ましを送った。以来、同部の友は、「地域の灯台たれ」「学会の灯台たれ」との指針を胸に、信心根本に厳しい環境を乗り越え、前進してきた。
長野県上田市でサクランボや高原野菜を栽培する壮年の一家がある。自然が相手の農業だけに、さまざまな苦難があったが、最大の試練は2019年の台風19号だった。降り続く雨に危険を感じ、自宅より車で5分ほど離れた農作業場に避難した。翌朝、目にしたのは、鉄砲水で数百メートル先に流されたわが家。ビニールハウスや農業機械は跡形もなく流失していた。
想像を絶する光景に言葉を失ったが、状況を知った同志がすぐに駆け付け、励ましてくれた。その思いに一家は奮起。今こそ信心で立ち上がる時と復旧に挑んだ。
あの日から、2年余の月日が流れた。壮年は生活の糧を得るため、スキー場や野菜の出荷場でも働いた。この春には、再建した自宅で新たな生活をスタートする。
組織にあっては地区部長、聖教新聞の配達員と、地域の灯台として最前線に立ってきた。「池田先生、同志の支えがあって今があります。だから、断じて負けられません」と。間もなく、サクランボ畑のビニールハウスの整備から、本格的な農作業が始まる。「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)との御金言を胸に、希望の春に向けて力強く前を向く。
池田先生は"農漁光部の友が、太陽の仏法を掲げて放ちゆかれる生命の光が、いかなる試練にも負けない社会の「レジリエンス(困難を乗り越える力)」となっていく"と。農漁光部の友の無事安穏を祈り、感謝し、エールを送りたい。
☆第7回本部幹部会・兵庫総会への池田先生のメッセージ
一、愛する常勝関西、そして、愛する常勝兵庫から、創価の春へ、大歓喜の飛躍を遂げゆく本部幹部会、ならびに晴れやかな兵庫総会、誠にご苦労さま!
日蓮大聖人は、「一」は「万の母」と仰せになられました。
一切は、一人への勇敢にして誠実な対話から始まります。
1952年(昭和27年)の2月。あの二月闘争に呼応して、私と不二の心で立ち上がった若き盟友が体当たりの開拓で、関西第1号となる折伏を実らせました。まさに、その人知れぬ挑戦から、今日の"世界の大関西"の行進が始まったのです。
威風も堂々たる関西広布70周年、本当におめでとう!
今、わが従藍而青の(楠木)正行たる青年たちが先頭に躍り出て、創価家族一体で挑んでいる一人一人との真心の仏法対話から、どれほど明るく大きな未来が開かれゆくことか、計り知れません。
◇「立正安国」の不屈の誓願胸に "我らは不幸な人の味方なり"と
一、この70星霜、「友の喜び友の歎き一つなり」(新1267・全934)との御聖訓さながらに、関西の宝友と私は、広布と人生の苦楽を分かち合ってきました。
大阪事件の時、獄中の私に、関西の同志が御書を届けてくれたこともよみがえります。拘置所の差し入れ許可証が貼付された御書は、今も大切に保管されています。
私たちは御書根本という金剛の絆で結ばれているがゆえに、何も恐れない。関西の友と深く拝してきた御金言があります。
「思えば、あなたと日蓮とは、師弟の関係である。しかしながら、煩悩ある凡夫の身は、国主に従うものであるがゆえに、この難にあおうとしているのであろうか。感涙を抑えることができない」「たとえ、身は、この難にあったとしても、心は、仏心と同じである。今生では修羅道に交わったとしても、未来世は必ず、仏国に住むことであろう」(新1454・全1069、通解)と。
乱れた世にあって、いかに苦難の連続であろうと、妙法流布に生きゆく我らは、仏と同じ心、大聖人と同じ心で、自他共に三世永遠に不退の幸福境涯を開きながら、法華経の「三変土田」、御書の「立正安国」の仰せのままに、勇んで社会へ飛び込んでいく。
これが、牧口先生、戸田先生、両先生を原点とする学会精神です。
この不撓不屈の誓願を、私は大阪事件の無罪判決の前夜、縁も深き兵庫の尼崎で師子吼しました。
「私どもは日蓮大聖人の弟子としての自覚と信念をもって、不幸な人の味方となり、そして真実に全民衆が、安心して暮らしていける世の中を築き上げよう」と。
そして今、コロナ危機や自然災害など、打ち続く試練の時代に、創価の生命尊厳の連帯は、日本はもとより全世界で、いやまして民衆の依怙依託となり、いかなる困難も乗り越える「変毒為薬」という究極の「レジリエンス」の力を発揮していくのであります。
その希望と勇気と団結のモデルの天地こそ、わが大関西であり、わが大兵庫であると宣言したい。
◇関西よ兵庫よ 今再びの正義の大前進を 幸福常勝の「春の曲」を朗らかに
一、70年前の8月、私は特急「つばめ」号で淀川の鉄橋を渡り、夕焼け空に浮かぶ大阪城を仰ぎながら、関西へ第一歩をしるしました。以来、この大関西に永遠に崩れぬ民衆の平和と安穏の錦州城を築くために、久遠よりの誓いの友と共戦を開始し、貫いてきました。
あの阪神・淡路大震災の折、ここ神戸の文化会館をはじめ、各会館を民衆厳護の城として、地涌の勇者たちが救援・復興に死力を尽くしてくれた尊き歴史も、どうして忘れられるでしょうか。
いよいよ創立100周年への記念事業として、世界が見つめる新たな関西の大講堂も建設されます。御書に「城の主剛ければ、守る者も強し」(新1320・全979)と説かれるごとく、誉れの師弟城の城主たる皆さん一人一人の強盛なる信心と異体同心の陣列で、諸天の守護を一段と強く広げていってください。そして、「法華経に勝る兵法なし」と胸を張り、今再びの正義の大行進を朗らかに、幸福常勝の「春の曲」を奏でていただきたいのであります。
本日の兵庫総会を記念して、以前、「兵庫女性部の日」である3月16日に記した二つの書を贈ります。
「大兵庫
天晴れ 地晴れ
満月乃
功徳につつまれ
この世 飾れと」
「大兵庫乃
建設を
君ぞ頼む」
最後に、全国、全世界の全同志の健康と和楽と凱歌の人生を祈りに祈って、私のメッセージとします。どうか、お元気で!
☆第7回本部幹部会・兵庫総会 原田会長のあいさつ
◇「二月闘争」70周年を報恩の心で邁進 試練の時こそ地涌の慈悲の力を
一、「第7回本部幹部会」ならびに「兵庫総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
1995年、平和旅でアメリカの地を訪れていた池田先生は、大震災の渦中にあった関西の同志に思いをはせ、次のように語られました。
「わが偉大なる関西の友は、自分のことをさしおいてまで、人々のもとに足を運び、激励を続けている」「人の面倒をみた人、友を励まし続けた人。その人には、だれもかなわない」
まさに今、兵庫の友、関西の友の不屈の姿は、全世界の希望と輝いています。兵庫の同志の皆さま、本当におめでとうございます(拍手)。
一、本年は「伝統の2月」の淵源となった「二月闘争」70周年。戸田先生が、75万世帯の達成を願業に掲げ、第2代会長に就任されてより9カ月がたつも、弘教は思うように進まず、支部で月100世帯前後が限界だった1952年の2月、その突破口を開くべく、蒲田支部の支部幹事として指揮を執られたのが、当時24歳の池田先生でした。
先生は支部で201世帯の弘教を敢行され、前途に立ち塞がる壁を見事に打ち破り、75万世帯の達成へと、学会を飛翔させたのであります。
この広布史を画する歴史的な戦いが、いかにして実現されたのか。共に戦った蒲田支部の当時のリーダーが証言されていました。
池田先生は、折伏・弘教を進める上で、三つの基本を、蒲田の同志に教えられました。
一、折伏は、祈りから始める。
二、折伏は、隣近所を大切にすることから始める。
三、折伏は、体験を語っていく。
これらは、全て池田先生が自ら実践されたことであり、また、この一つ一つを改めて深めていく時、「人間革命の信心」と「広宣流布の信心」の真髄が、この簡潔明瞭な3点に凝縮されていると、感銘を禁じ得ません。
また、先生が"200世帯やりましょう"と、目標をおっしゃった時、その方は夢のような数に、思わず、「できません」と答えたそうです。すると先生は、温かくも間髪を入れずに優しく「やればいいんでしょう」と即答されました。
"誰かにやらせる"のではなく、"自分がやる"。この責任感こそ一切の出発点であります。
中には、池田先生が"大風呂敷を広げた"などと、揶揄する人もいたそうです。しかし、それを耳にされた先生は悠然と、「広げた風呂敷で包めばいいんでしょう」とおっしゃったそうです。まさに有言実行。「結果」をもって実証を示し、模範を示してこられた先生の戦いに、私たちは学び、続いていくことを、決意し合いたいと思います。
一、70年の時を経て今、私たちはコロナ禍という壁に立ち向かっています。
かつて池田先生は、「世界広布新時代」の開幕(2014年)を前に、このようにご指導くださいました。「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」と。
御書には仰せであります。「因縁和合して、自在神通の慈悲の力を施し、広く衆生を利益すること滞り有るべからず」(新728・全574)
私たち一人一人の生命に「因」として内在している地涌の使命は、大きな逆境や試練という「縁」と和合した時、一切衆生を救いゆく"自在なる慈悲の力"を発揮するのであります。
すなわち、まさに今こそが、自分自身にとっての、また学会にとっての、目の覚めるような発迹顕本の時——こう心を定めて、断じて目前の壁を打破し、「世界宗教・創価学会」として、雄々しく飛翔してまいりたい(拍手)。
一、「二月闘争」を貫く精神は、恩師の誕生月を、広宣流布の拡大をもってお祝いしたいとの、報恩の真心でありました。
こうして池田先生が命懸けで築かれた創価学会を、守り、発展させていくことは、私たち池田門下にとっての、報恩の戦いであります。
かつて先生は、こうご指導くださいました。
「戸田先生は語られた。『経文にも和合僧といって、現代でいうならば、その教団の発展、進歩のために、組織をもっとも大切にしてきている。和合僧——という組織を大切にすることは、現代においては、最高の広宣流布への構築に奉仕している仏道修行である、ともいっておきたい』。広布のために、和合僧を厳護せよ!——この恩師の叫びを、断じて忘れてはならない」という大事なご指導であります。
学会の組織を離れて、師弟も広布も、人間革命もありません。
ゆえに、コロナ禍という未曽有の状況下にあって、自分自身が大変であるにもかかわらず、何としてもわが責任を果たそうと、創意工夫を重ねながら、同志を励まし、諸活動を推進してくださるリーダーの皆さまの福運は、計り知れません。
日蓮大聖人は、大難を前に広布の陣列から脱落した者たちの本質を、「我賢しと思わん僻人」(新1291・全960)——すなわち「自分のほうが賢いと思っている、ひねくれ者」と喝破されています。
感謝の人は、謙虚です。恩知らずは傲慢です。
私たちは、因果の理法の厳然たるを見つめながら、池田先生と同志への感謝の心を新たにして、報恩の戦いに邁進してまいりたい。
池田先生は二月闘争の歴史を通して、小説『新・人間革命』で教えてくださいました。
「師を求め、師とともに戦おうとする時、広宣流布に生きる、師の生命の脈動が流れ通うといってよい」と。
さあ、池田先生を求め、先生と共に戦い、わが発迹顕本から、社会に地域に、希望の陽光を送っていこうではありませんか。