師弟の誓いに生きる
人生は強く朗らか!
どんな壁も打ち破れる。
常に心で師と対話し
不二の広布の大道を!
乙御前御消息 P1220
『一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり』
【通解】
一隻の船に乗りあわせてしまえば、もし船頭の舵取りが悪ければ一同に船中の人びとは命を損なってしまうでしょう。またどんなに体が強くても心が弱ければ多くの能力があってもなんの役にも立ちません。
【先生の指導】
リーダーの責任は重大である。だれが、どう頑張っているか、何が課題なのか─すべてを緻密につかんでいなければ、広宣流布の″将の将″は務まらない。一切はリーダーの勝利への執念で決まるのである。
戸田先生は語っておられた。
「本当に苦労した幹部、本当に磨き上げた幹部、そういうものに、一人一人がなっていただいて、御本尊にほめられるようになろうではないか」
「折伏に信心に、純真な態度をとり、『さすがに信心していればこそ、ああなられたのだ』という手本をとれば、その姿が真に折伏になっている」
仏法は勝負である。自分に勝ち、社会に勝ち、人生に勝つ。その力を、実証を必ずつかんでいけるのが、日蓮大聖人の仏法である。
「私は勝った!」「この勝利の姿を見よ!」
こう叫べる人生は幸福である。人間王者である。
名字の言 豪雪地の球児が壁破り初の甲子園へ 2022年2月11日
来月開催される第94回選抜高校野球大会に、福島県の只見高校が「21世紀枠」で初出場する。先日、只見町に暮らす同志に電話をした▼「ロードワークをする野球部員に道で出会うと、皆が元気にあいさつをしてくる。その彼らが甲子園に行く!」と大変な喜びようだった。人口4000人弱で高齢化も進む町にあって、15人の野球部員の存在は"町民の希望"に違いない▼只見町はこの冬も大人の背丈を越す積雪だという。先の友は「毎日、雪を掘ってるよ」と。一般に言う「雪かき」程度では、"雪の壁"に閉ざされたままとのことだった▼只見高校の出身のある男子部員。彼は地元のスポーツ少年団の野球チームで監督などを歴任してきた。豪雪地の球児たちは、長い冬に練習環境が制限されるなど、試練の壁も多い。だが彼は「環境の有利、不利が一番の問題ではない。心と体を鍛え、全てに打ち勝つ強い人に!」と歴代のメンバーを育てた。実はその頃の少年たちが今春、只見高校の野球部員として"夢の舞台"を駆ける▼不遇の環境を嘆き、「とても無理だ。できるわけがない」と諦めてしまえば、壁は破れない。道も開けない。究極は"人数"ではない。"本気の人"が奮い立てば歴史は変わる。
寸鉄 2022年2月11日
人間革命は全ての人々の究極目的—元国連次長。恒久平和築く根本の哲学
国際部結成の日。語学と人格で心の"懸け橋"を。希望の世界市民と輝け!
善きことは飾り気がなく目立たぬ—文豪。陰の人に感謝し称えゆく幹部に
人との交流は脳の健康を保つ—医師。若々しく友情を広げる多宝会が証明
首都圏などで雪の影響続く。路面凍結による転倒に注意。余裕ある行動を
〈社説〉 2022・2・11 きょう戸田城聖先生の生誕日
◇「一人立つ精神」の継承を
氷雪もとかす熱気で折伏・弘教のドラマが相次ぐ70周年の伝統の2月。日蓮大聖人が御聖誕され、第2代会長・戸田城聖先生が生まれたこの月、先生の生誕地・石川でも誓願の同志が躍動している。
これまで13世帯の折伏を成就してきた加賀市の男子部リーダーは、本年も拡大の突破口を開こうとモバイルSTBを活用。1月の本部幹部会を22人と視聴し、そのうち3人と唱題を継続するなど仏縁を大きく広げている。
また、リーダー率先の戦いに触発を受け、聖教新聞の購読を推進した友や、勇気の対話で友人が入会を決意した男子部大学校生など、それぞれが自身の新たな「二月闘争」の歴史を刻んでいる。
きょう2月11日は、戸田先生の生誕日である。先生は戦時下の軍部政府の弾圧で壊滅した学会を再建するため、敗戦後の焦土に、ただ一人立ち上がられた。自作の「同志の歌」には、「妙法流布の 大願を 高くかかげて 独り立つ」とうたわれ、同時に「旗持つ若人」に「競うて来たれ 速やかに」と呼び掛けられている。
一人立つ師子に呼応し、共戦の師子が立つ。先生はこの大確信で、病気や貧困にあえぐ庶民の中に飛び込み、人間革命の哲理を教え、生きる勇気を送り、女性の幸福を願い、青年の奮起を期待された。この恩師と、不二の弟子・池田先生の大闘争があったればこそ、今日の創価の民衆城が築かれたことに深く感謝し、"広布の誓願"に生き抜く師弟の魂を継承していきたい。
3月の青年部幹部会を目指し、青年部の友が、小説『新・人間革命』の研さんに励んでいる。第8巻「宝剣」の章では、山本伸一が戸田先生から受け継いだ「一人立つ精神」の重要性を語る。
「広宣流布を推進する責任は、自分にあるということを決意していただきたい」「青年ならば、一人立つことだ。そこから、すべては変わっていく」と。大切なのは、広布のために、師と共に戦おうと一人立つことである。
師匠ならば、どうされるか——常にその思索を重ね、広布にまい進する中に、「一人立つ精神」の継承があろう。そして、この魂を次の世代に伝えていくのが、師と同じ時代に生き、薫陶を受けてきた私たちの使命と責任である。
今こそ一人一人が"新時代の山本伸一"との自覚に立ち、地域に模範の広布城を築いていきたい。
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 青年の心
◇新しい力が壁を破る!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。今回は折々の随筆から、「青年」に関する言葉を掲載します。
子よ大樹と仰ぎ見む
私は、恩師に見出され、「嵐に負けずに伸びよ」と、師弟の大地に植えられた一本の若木であった。
わが心に原点の大地を持つゆえに、私はいかなる苦難も耐えられる。絶対に負けない。恐れない。
一日一日、青年の心をもって、胸中で師匠・戸田先生と対話しながら、新たな決意を燃やして生き抜き、戦い抜いてきた。
だから勝った。だから、全民衆を護りゆく「大樹」の創価学会を築くことができた。一点の後悔もない。
そして、わが愛する青年諸君こそ、私が生命を注いで鍛え磨いた、正義の宝剣である。私が未来の世界に贈る、希望の大樹なのだ!
共に歌ってきた「紅の歌」に私は詠んだ。
「子よ大樹と仰ぎ見む」
私は君たちを信ずる!
君たちの成長と勝利を、悔いなき人生を、私はひたすらに祈り待っている!
(『随筆 平和への大道』、125ページ)
◇一対一の結びつきで
蒲田支部の二月闘争は、七十五万世帯の折伏への突破口を開いた。それは、いわゆる組織を動かした成果ではなかった。
この時、私は二十四歳の無名の青年にすぎない。
支部の壮年、婦人には、初対面の方々も多かった。
お会いして、誠実に語り合わずして、どうして信頼されようか。自分が真剣に戦わずして、どうして共に動いていただけようか。
だから私は勇んで飛び込んでいった。自身の悩みや宿命と必死に戦う人間群の真っ直中へ! かけがえのない一人ひとりの生命と向き合い、心に訴えた。人間革命と広宣流布の誓願に生き抜く尊き使命と喜びを!
この一対一の人間の結びつきを根幹として、新たな人材を見つけ、励ましを送り続けたのだ。
その結果、かつてない多くの友が折伏に挑戦し、同志の行くところ、集うところ、対話の花が咲いた。この一カ月、蒲田の同志が繰り広げた対話は、何千回にも及んだに違いない。
「新しい人」「新しい力」による「新しい対話」が、爆発的に広がった。まさに地涌の底力によって、壁は破られ、「新しい歴史」の扉が開かれたのである。
(『随筆 民衆凱歌の大行進』、223ページ)
◇消えることなき聖火
繰り返し繰り返し、御書を拝し、一節一節を行動に移していくことだ。
そうすれば生命が覚えていく。確信になっていく。深く「心肝」に染めた御文は、必ず人生勝利の土台となり、宿命転換の力となる。
御書に仰せではないか。
「法華経にそめられ奉れば必ず仏になる」(全1474・新1951)
「此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし」(全1448・新1721)
自分自身が、いかなる人生の荒波も乗り越えながら、多くの友を幸福の港へと運ぶ、偉大な賢者の大船となれるのだ。
「御書とともに」走った青春には、生涯消えることなき聖火が宿る。その求道の炎を、いやまして燃え上がらせ、未来の広布の大指導者として羽ばたけと願ってやまない。
(『随筆 我らの勝利の大道』、90ページ)
◇「負けじ魂」持つ闘士
それぞれの誓願の国土においても、使命の人生においても、艱難があり、試練がある。しかし学会っ子は、大変であればあるほど、勇み立つ「負けじ魂」を持った闘士である。
大聖人は、あらゆる大難を乗り越え、末法広宣流布を担う「地涌の菩薩」について、「よくよく心を鍛えられた菩薩なのであろう」(全1186・新1608、通解)と述べられている。
苦難に負けないこと、屈しないこと、そして乗り越えること——それは言い換えれば、本来、鍛え抜かれた偉大な生命を持っているということなのである。
地涌の生命の底力が、どれほど深く、どれほど強く、どれほど大きいか。
御書には、ありとあらゆる大難の怒濤を勝ち越えていく力を、厳然と記し留めてくださっている。
眼を開いて見れば、皆が大聖人に直結する、尊貴な地涌の菩薩なのである。
あの凜々しい青年も!
あの清々しい乙女も!
いかに時代の混迷の闇が深くとも、胸中に希望の光を抱いて、創価の青年たちは粘り強く、前へ前へと歩みを進めていくのだ。
(『随筆 希望の大道』、42ページ)
◇「つねに伸びていく」
思えば、先師・牧口常三郎先生は、晩年まで「われわれ青年は!」と叫び、「暦の年じゃない。つねに伸びていくのだ」と言われていた。
牧口先生が、青年の青年たる所以とされていたのは「実践」であり、なかんずく「大善」を行うことであった。
すなわち、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を持ち、日蓮大聖人の立正安国の教えを実践し、弘めゆく「大善」である。広宣流布という菩薩の行に生き抜く中に、自他共の幸福が、そして社会の平和と繁栄があると、先師は訴えられたのだ。
牧口先生が創立以来の伝統の座談会を、「大善生活法実証座談会」と銘打たれたのは、七十五年前(2017年当時)の一九四二年(昭和十七年)の二月であった。
当時の創価教育学会の機関紙「価値創造」には、東京の大塚支部、池袋支部、中野支部、北多摩支部など各地で、活発に実証座談会が行われていたことがうかがえる。
牧口先生自ら蒲田支部等の座談会に足を運び、同志の悩みに耳を傾けながら励ましを送られたという記録も残っている。
この年の二月十一日、つまり戸田先生の誕生日に、牧口先生は青年部の会合に出席し、明治維新の立役者が二十代の若者だったことを通して激励された。"広宣流布は、青年のリーダーシップによらねばならない"と。それは、戸田先生が常に語られた言葉でもある。
(『随筆 永遠なれ創価の大城』、174ページ)