2022年2月18日金曜日

2022.02.18 わが友に贈る

行き詰まった時こそ
御書を真剣に拝そう!
教学は境涯を開く力だ。
「法華経に勝る兵法なし」
この確信の炎を赤々と!

守護国家論 P67
『法華経より外の四十余年の諸経には十界互具無し十界互具を説かざれば内心の仏界を知らず内心の仏界を知らざれば外の諸仏も顕われず』

【通解】
法華経より以外の四十余年の爾前の諸経には十界互具を説いていない。十界互具を説かなければ衆生の内心の仏界を知らない。衆生の内心の仏界を知らなければ外の諸仏も顕れない。

名字の言 飛躍は挑み続ける鍛錬の中に 2022年2月18日
北京冬季五輪を見ていて、気付いたことがある。試合後のインタビューで、「今の競技を振り返って、どうですか」との質問に、何人かの選手が同じ内容の答えを発していた。「4年間、頑張ってきた結果です」と▼成績はさまざまだったが、他選手との競争や自身のパフォーマンスの出来栄えなどを超えた、深い思いがあったのだろう。それは、この日まで一心に努力してきたアスリートとしての「矜持」に違いない▼ある女性部員は、高校時代からの友人に仏法対話を重ねてきた。だが、友人は聞く耳を持たなかった。時は流れ、互いに結婚。後年、同じ小学校に通う娘同士も友達になった。その間も友人との語らいは途絶えなかった▼ある日、遊びに来た友人の娘が、仏壇の経机にあるメモに何げなく目を留めた。「○○○○さんと幸せになります」——名前は友人の旧姓だった。帰宅した娘は家族にそのことを話した。その後、友人は一家で入会した▼池田先生は「人生のオリンピックに敗者はいない。いるとすれば、それは『挑戦しなかった』人だけである」と。人は"近道"では大きく成長できない。険難の道に挑み続ける鍛錬の中で飛躍を遂げる——今日の苦闘の一歩は勝利のゴールに続いている。

寸鉄 2022年2月18日
青年の最高の修行は約束を守る事だ—恩師。何事も"必ずやる"と腹を決め
九州壮年部の日。先駆の勇将が立てば皆が奮起!鉄壁の団結で勝利へ前進
難問答に巧みにして其の心に畏るる所無く—仏典 勇気と智慧と誠実で語れ
脳は何歳でも成長。経験豊かな中高年が最も充実—医師。生涯青春の心で
プラごみも汚れを落とせば資源に—環境省が指針発表。小さな積み重ねを

〈社説〉 2022・2・18 きょう「エアメールの日」
◇友への思いを手紙に託して
きょう2月18日は、「エアメールの日」。1911年、インド北部のアラハバードで開かれた博覧会のアトラクションとして、会場から8キロ離れた駅まで約6000通の手紙が初めて飛行機で運ばれた。この郵便飛行は、切手に飛行機の絵の消印が押され、公式の航空郵便と認められたという。「エアメールの日」は、この事績にちなむ。
エアメールと聞くと、縁に赤と青の特徴的なデザインが施されている封筒を思い浮かべる人も多いだろう。国際郵便のルールを決める国連専門機関「万国郵便連合(UPU)」は、このデザインの郵便物を、船便で郵送をしないようにと定めている。UPUは、世界のどの国からでも、決められた金額の切手を貼れば手紙を届けることのできる、国際郵便の持続可能な発展を目指している。
人と人を結ぶこと、そこに手紙の変わらぬ使命があるからだ。
「一人にさせない。つながりを持っていこう」——。長引くコロナ禍で直接会うことが難しい時期が続く中、千葉の男子部のリーダーはメンバーへの定期的な手紙の投函を決意した。その結果、以前からなかなか会うことのできなかったメンバーがオンライン開催の会合に参加。その後、対面での会合にも参加するようになり、話を聞いてみると「短い文章だったけれど、気に掛けてくれる気持ちが伝わりました」と。会うことのできない状況でも続けた友への励ましの手紙は、メンバーの宝物になったという。
池田大作先生とトインビー博士の対談集『21世紀への対話』。本年、対話開始から50周年を迎える。このほど、31言語目となるデンマーク語版が発刊された。この対談が始まるきっかけは、1969年にトインビー博士から届いた、池田先生との対談を要請する一通のエアメールだった。そのエアメールは、創価学会の貴重な書簡として保管されている。
現在の航空郵便でも、日本からアメリカへは5日から7日かかる。用件を伝えるだけなら、インターネットを通じたメールの方が早い。しかし、届いた手紙やはがきには人のぬくもりを感じたり、そのものが大切な思い出となったりすることもある。コロナ禍が続く今、懐かしい友やなかなか会うことのできない友へ真心の手紙をつづってみてはどうだろうか。

☆勇気の舞 凱歌の行進� 特別編 師弟不二の詩 ああ恩師 戸田城聖先生(上)
わが師は
偉大なる知性の人であった。
慈愛深き人生であられた。
厳しかった。
優しかった。

その胸には常に
張り裂けんばかりに
邪悪に対する
闘争心が燃えていた。
正義の人であった。

私は
若き十九歳の時に
この偉大な師匠と
巡り会った。
その場所は
大田区であった。

一瞬にして私は
師子の胸に抱かれた。
わが身を捨てて
大法と正義に戦い抜く
この師のもとに座して
涙を流した。

高貴な信念が
常に燃え上がっている
人生であられた。
深い信仰の心に
燃え上がる慈悲を感じた。

来る日も来る日も
苦難の連続であった。
邪悪との戦いであった。
信念の道を歩む
闘争であった。
中傷 批判の波は
激しかった。

「創価」といえば
多くの人びとが
必ず悪口 中傷した。
いな 無認識のままに
一番大事な信念を持つ人を
嫌う風潮の日本の
心の小さい人びとは
みな横を向いて
笑って悪口を投げかけた。

そのなかを
わが師・戸田城聖は
ある時は笑顔で
ある時は厳しい口調で
そしてまた
ある時は朗らかに
大声で笑いながら
広宣流布の指揮を執った。
何も恐れなかった。

透徹した眼光の師であった。
いかなる嘘も偽りも
決して見逃さなかった。
ひとたび
弾劾の師子吼が放たれるや
いかなる傲岸不遜な悪人も
恐れ戦き震え上がった。

春風の笑みの師であった。
悲哀と絶望に凍てつく
庶民の心を温かく とかした。
太陽のごとく
大らかに万人を包まれた。
勇気と希望の光を放って
無窮の生きる力を贈られた。

師弟不二
 この絆にて
   広布かな

ともあれ師弟は
永遠にして不滅である。
師弟は
過去から現在へ
そして未来を貫く
生命の金剛の結合である。

法華経の化城喩品第七には
「在在の諸仏の土に
常に師と倶に生ず」と
峻厳に記されている。

我らは常に
いつの世も
いかなる時代も
師と共に生まれ
師と共に戦い
師と共に勝って
誉れの広宣流布の
大道を歩み抜くのだ。

「大難なくば
法華経の行者にはあらじ」との
如説修行の先師・
牧口常三郎先生に
戸田先生は仕えに仕え
尽くしに尽くされた。

法難の牢獄にまで
勇み お供なされた。
戦時中 正義のわが師は
二年間 牢獄に入れられた。
最極の正しき大善人を
国家は いじめ抜いたのだ。

初代の会長は獄死した。
わが師・戸田城聖は断固と
この敵討ちを決意した。
人間の王者は怒った。
自ら巌窟王になって
崇高な師をいじめた悪逆の敵と
断じて戦い抜いてみせると
宣言した。
これは有名な歴史である。

獄中にあって
「仏とは生命なり」
「われ地涌の菩薩なり」
と大悟され
焼け野原の東京で
妙法流布の大願に
ただ一人 立たれた。

死身弘法を決意せる師は
正義の旗持つ若人を求め
不惜身命の弟子の出現を
待ちに待っていた。

恩師あり
 妙法ありて
   わが一生

昭和二十二年の八月十四日
今生の師弟の出会いあり。
この日この時
久遠の師弟の魂は
固く強く結ばれ
「不二の詩」を奏でながら
創価の新しき大車輪は
回転し始めたのだ。

わが誉れの青春譜の
幕は切って落とされた。
昭和三十三年の四月二日
恩師の御逝去のその日まで
十一星霜
三千八百八十五日にわたり
師事し常随給仕せり。

一年ごとに
弟子は増えてきた。
それと比例して
いわれなき迫害も
一段と高まってきた。

「真実の法華経の
如説修行の行者の
師弟檀那とならんには
三類の敵人 決定せり」
師弟の道は
嵐の道であった。

恐ろしきは人の心よ!
先生の事業は破綻し
莫大な借財が襲いかかった。
世間の非難の集中砲火に
先生の大恩を受けた
最高幹部を先頭に
手のひらを返すがごとく
忘恩にも裏切り去った。
嘲笑って立ち去った。

すべての弟子の心も
揺れ動いた。
多くの幹部たちまでが
卑劣にも去っていった。
私は悔し涙で
今に見ろ! と
彼らを軽蔑した。

一人の愛弟子は宣言した。
——私は
いかなる処罰を受けようとも
最善を尽くし抜いて
師をお守りして
この一生を終えるのだ。
一切の財産もいらない。
師の命ずるままに
私の生命を捧げる。

なんと意気地なき弟子たちよ!
なんと卑怯な弟子らよ!
なんと増上慢の愚者どもよ!
なんと卑劣極まる者たちよ!
彼らには
人間の真髄の振る舞いなど
まったくない。
邪となって臆病に狂い
動き回っていった。

弟子は叫んだ。
荘重に誓いを
天下に放つがごとく
師子吼した。

下劣な愚かな輩よ!
永劫に君たちを
諸天は絶対に助けない。
哀れな君たちよ!
気の毒なお前たちよ!
盗賊が断罪を
宣告されるよりも
もっと 恥と苦しみは
続行していくにちがいない。

真の信心なき彼らは
先生を師とは仰げなかった。
本有無作なる
先生の振る舞いを
軽んじて
広宣流布の師たる内証を
知ろうとはしなかった。

日興上人は仰せである。
「この法門は
師弟子をただして仏になる」

直弟子は激怒した。
いな ただ一人 覚悟したのだ。
命を賭して
師匠を厳護することを!
死して後世に
弟子の模範を示すことを!

私は胸を病んでいた。
喀血も続いていた。
阿修羅のごとく
一心不乱に戦い続けた。

私の心を見抜き
先生は言われた。
「大作!
お前は死のうとしている。
俺に命をくれようとしている。
それは困る。
断じて生き抜け!
俺の命と交換するんだ」

師匠は
弟子を心から愛した。
弟子は
師匠を心から尊敬した。
それは
荘厳なる師弟の劇であった。

マハトマ・ガンジーは言った。
「弟子は
わが子以上である。
弟子たることは
第二の誕生である」

私には
弟子の誇りがあった。
誰が見ていなくともよい。
誰が知らなくともよい。
広宣流布の大師匠のもと
大仏法を真実に行じゆく
そして戦い抜く誇りを持って
突進した。

私には悔いがない。
師弟を師弟のままに貫き
戦い抜いてきたことを
絶対に後悔しない。
私は勝ったのだ!

ある日ある時
打開策に行き詰まり
土砂降りの雨の中を
師と共に二人して
歩みながら
私は申し上げた。

「必ず将来
先生にお乗りいただく
車も購入します。
学会もビルを建てます!」

先生は
黙って頷かれた。
その目に
涙が光っていた。

私はお誓いした。
「負債は
すべて私が返済します。
そして先生には
学会の会長として
広宣流布の指揮を
執っていただきます」

言葉に尽くせぬ
苦難の連続であった。
明日をも知れぬ
疾風怒濤の日々であった。

そのなかで師匠は
ただ一人の弟子を信じて
次々と
広宣流布の構想の翼を広げ
その実現を託した。
「学会も新聞を出そう!」
「大学をつくろう!
創価大学だ!」
師匠の絶対の信頼——
これに勝る光栄があろうか!

おお!
そして迎えた
あの第二代会長就任の
晴れわたる
昭和二十六年の五月三日!
師匠の栄光こそ
弟子の随喜であった。

先生は
断言なされた。
会員七十五万世帯の達成を!
それは
断じて勝ち取らねばならぬ
わが青春の誓願となった。

真の弟子への
師の期待はあまりにも大きい。
それゆえに
来る日も
また来る日も
獅子が わが子を
谷底に突き落とすがごとき
厳愛の訓練が続いた。