2022年2月20日日曜日

2022.02.20 わが友に贈る

「友の喜び友の歎き
一つなり」御聖訓。
苦楽を共にする繋がりに
真の歓喜がある。
仏縁を広げる語らいを!

上野殿母尼御前御返事 P1515
『法門の事、日本国に人ごとに信ぜさせんと願して候いしが願や成熟せんとし候らん、当時は蒙古の勘文によりて世間やわらぎて候なり子細ありぬと見へ候、本より信じたる人人はことに悦ぶげに候か』

【通解】
法門のことを、日本国の人々に信じさせたいと願ってきたが、その願いが成就しようとしているのであろうか。
今は、蒙古から国書が届いたことで、世間の非難も和らいでいる。これは訳のあることであると思われる。もとから日蓮を信じてきた人々は、ことに喜んでいるようである。

名字の言 列島を感動の渦で包んだ北京五輪 2022年2月20日
北京五輪がきょう閉幕する。日本は金銀銅合わせて冬季大会史上最多となるメダルを獲得。連日、氷雪を溶かすほどの熱戦を展開し、列島を感動の渦で包んだ▼幾つもの名場面が生まれた今大会。スノーボード女子ビッグエアの決勝では、4位につけていた岩渕麗楽選手が最終ジャンプで女子初の超大技に挑んだ。惜しくも着地に失敗したが、競技後に思わぬ光景が。ライバルたちが次々と駆け寄り、彼女の挑戦をたたえたのだ▼メダルが懸かった大一番でも、あえて最高難度の技にチャレンジする——その勇気に皆、心を揺さぶられたのだろう。同時に、前人未到への"挑戦権"を得るまでの努力の過程に、敬意を表さずにはいられなかった▼41歳で初のメダリストに輝いたアルペンスキー男子滑降のヨアン・クラレイ選手(フランス)が語っていた。「私の母は、私がすること全て時間がかかったと言いました……歩くこと、話すこと。私のスポーツのキャリアも、全く同じでした」▼人は誰もが何かの才能を持っている。その芽を伸ばすのは努力を惜しまず、挑戦を積み重ねる力だろう。使命の場所は違えど"ここが私の本舞台"と決めて、わが未踏の原野の開拓に挑み続ける。そこに勝利者の条件がある。

寸鉄 2022年2月20日
御書「即の一字は南無妙法蓮華経」。悩みも祈りで変革。煩悩即菩提の仏法(新1021・全732)
東京「荒川の日」50周年。常勝の庶民の都。模範の友情拡大で本陣を牽引!
各地で男子部が対話拡大 生命尊厳の哲理を堂々語れ!君の勇気に皆が続く
国連「世界社会正義の日」誰も置き去りにしない—同苦の心が人類共生の鍵
北京五輪が閉幕へ。不屈の挑戦から生まれた感動の劇。我らも人生の金を

☆御書と未来へ 第6回 誓願の人生は黄金に輝く
〈御文〉
『日蓮は日本国の東夷東条、安房国の海辺の旃陀羅が子なり。いたずらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせんこと、あに石に金をかうるにあらずや。各々なげかせ給うべからず。』(佐渡御勘気抄、新1196・全891)

〈通解〉
日蓮は、日本国の都から東に遠く離れた東条郷、安房国の海辺の旃陀羅(=古代インドにおける最下層の身分)の子である。むなしく朽ちるであろうこの身を法華経のためにささげることは、ちょうど石を金に替えるようなものではないか。あなた方は嘆かれてはならない。

〈池田先生が贈る指針〉
流難の佐渡へ向かう前に、悠然と郷里の知友へ送られたお手紙である。 庶民の生まれを誇りとされ、命に及ぶ大難を勝ち越えて、全民衆を救済する妙法を弘め抜いてくださった。
御本仏の大誓願に連なる我らである。広布に戦う生命は、黄金の輝きを放つのだ。満800年の聖誕月、大歓喜の一念で仏法を語ろう!

☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第33回 観世音菩薩普門品第二十五・陀羅尼品第二十六
◇どんな苦境にあろうとも、広布に本気で立ち上がった人を、諸天が守らないわけがない。

■観世音菩薩普門品
観世音菩薩が、三十三種に身を変えながら説法し、娑婆世界で一切衆生を救済することが説かれます。それでは大要を追ってみましょう。

その時、無尽意菩薩が立ち上がって、釈尊に合掌して言います。
「観世音菩薩は、どうして観世音という名前なのでしょうか」
釈尊は、無尽意菩薩に告げます。
「もし、計り知れない百千万億の、あらゆる苦悩を受ける衆生が、この観世音菩薩の名を聞いて、一心に名を称えれば、観世音菩薩は即時にその音声を観じて、皆を苦悩から解放するであろう」
続いて、観世音菩薩の威神力によって、七難から逃れられることが説かれます。
「大火に入っても焼かれることはない」「大水に流されても助かる」「刀や杖で斬りつけられそうになっても、その刀や杖が折れて傷つけられない」「悪鬼が害を加えようとしても加えられない」「罪があるにせよ、ないにせよ、足かせで縛られたり、鎖でつながれたりしても解放される」……。
さらに、貪欲・瞋恚・愚癡の三毒からも解放されると語ります。
観世音菩薩の名前を一度でも供養するなら、六十二億恒河沙の菩薩に供養し尽くすのと同じ、百千万億劫にわたって消えることのない福徳が得られると述べます。
無尽意菩薩は、釈尊に言います。
「観世音菩薩は、なぜこの娑婆世界で自在に、衆生のために法を説くのですか。方便の力はいかほどでしょうか」
釈尊は、無尽意菩薩に告げます。
「仏身をもって救済される者には、観世音菩薩は仏身を現して、その者のために法を説くのである」
さらに、観世音菩薩が、辟支仏から始まり、帝釈天、天の大将軍、長者、子ども等々、三十三種に身を変じ、さまざまな世界で自由自在に衆生を救済していくことを語ります。
その後、無尽意菩薩が、自身が着けていた宝の首飾りを、観世音菩薩に供養しようとします。しかし、観世音菩薩は受け取りません。
そこで、釈尊が受けるように勧めると、観世音菩薩は首飾りを受け取り、それを二つに分け、一つを釈尊に、もう一つを多宝仏に捧げます。
その時、持地菩薩が立ち上がって、釈尊に言います。「衆生がこの観世音菩薩品を聞くならば、その人の功徳は少なくありません」
この普門品を説く時、説法の場にいた八万四千の衆生は、皆、仏と等しい阿耨多羅三藐三菩提(仏の完全な覚り)の心を起こします。

■陀羅尼品
諸天善神が、法華経弘通の人を守護することが説かれます。それでは大要を追ってみましょう。

その時、薬王菩薩が立ち上がって、釈尊に言います。
「法華経を受持し、読誦し、学び、書写すれば、どれくらいの功徳を得られるのでしょうか」
釈尊は、薬王菩薩に告げます。
「もし八百万億那由他恒河沙の諸仏を供養したとしたら、その功徳はどうだろうか」
薬王菩薩は、「とてつもなく大きい功徳です」と答えます。
釈尊は言います。
「法華経の一つの偈(詩句形式の文)でも受持し、読誦し、信解し、修行したら、その功徳は、とてつもなく大きい」
薬王菩薩は、釈尊に言います。
「私は今、説法者(法華経を弘める人)に陀羅尼(魂を込めた言葉のようなもの)を与えて、守護します」
そして、陀羅尼を唱え、「もし、法華経を弘める人を迫害し、誹る人は、諸仏を迫害し、誹る人です」と語ります。
釈尊が、薬王菩薩をたたえます。
「すばらしい、すばらしい。薬王よ。この弘教者をあわれみ、守護するために陀羅尼を説いた。多くの衆生が大きな利益を得るであろう」
その時、勇施菩薩が、釈尊に言います。
「法華経を受持する人を護るために、陀羅尼を説きます。この陀羅尼によって悪い夜叉や羅刹などが、受持者の弱いところを探して攻撃しようとしても、できないようにします」
毘沙門天、持国天も、陀羅尼を唱えて、行者の守護を誓います。
さらに、十羅刹女と鬼子母神をはじめ、多くの鬼神も誓いを立てます。
「私たちもまた、法華経の行者を護って、その患いを取り除きたいのです。もしも、行者の弱いところを探し、攻撃しようとする奴らがいても、そうはさせません!」
「(悪い奴らが)私の頭に乗って、踏みにじろうとも、それはまだいい。しかし、行者を悩ませることは許さない。夢の中でさえ、行者を悩ませはしない!」
「もしも、妙法の説法者を悩ませ、乱すならば、その者の頭は阿梨樹の枝のごとく、七つに分かれるでしょう。父母を殺す罪のごとき大罪を得ることになるでしょう!」
「私たちもまた、説法者を護って、安穏にし、もろもろの患いを打ち払い、もろもろの毒薬を消させてみせます!」
釈尊は、鬼女たちの誓いを喜んで、たたえます。
「すばらしい、すばらしい。法華経の名前を受持する者を護っただけでも、その福は計り知れない。いわんや、それ以上の修行をし、供養している者を護る功徳となれば、なおさらです。まさに、あなたたちは、このような行者を護りなさい!」
仏がこの品を説く時、説法の場の六万八千の衆生が覚りを得ます。

【『法華経の智慧』から】 信心の大確信の炎を
観音菩薩とは、寿量品で示された久遠の本仏の生命の一分です。宇宙と一体の本仏の「限りない慈愛」を象徴的に表したのが観音です。だから久遠の本仏を離れては、観音菩薩の生命はない。

観世音菩薩の「世」の一字には、深い意味がある。現実の「世」から離れないのです。「世」とは社会です。「社会の幸福」への挑戦なのです。「世」と対比すれば、「音」とは、個々の生命の叫びであり、「個人の幸福」への希求です。"社会の繁栄"と"個人の幸福"を一致させていこうというのが観世音であり、法華経なのです。

一人立って、「私が必ず、広宣流布をいたします」と誓願の題目を唱えていくのです。御本尊に「阿修羅のごとく戦わせてください」と祈るのです。それで、力が出ないわけがない。勝利できないわけがない。
たとえ今、どんな苦境にあろうとも、「広宣流布のために」本気で立ち上がった人を、諸天が守らないわけがない。その信心の大確信の「炎」を教えているのが陀羅尼品なのです。(普及版〈下〉「観世音菩薩普門品」「陀羅尼品」)

【コラム】 福智の二法
「観世音菩薩普門品」には、観世音菩薩について、「弘誓の深きこと海の如し」(法華経634ページ)と教えられています。
衆生を救済するための、あらゆる神通力と勇気の源泉は、深き誓いにあったのです。
さらに、誓いを果たした観世音菩薩は、「福聚の海は無量なり」(同638ページ)と、無量の福徳が集まった大海のごとき大境涯を得たと記されています。
この経文について「御義口伝」には、「依正・福智共に『無量』なり。いわゆる、南無妙法蓮華経は福智の二法なり」(新1104・全792)と仰せです。
妙法の力によって周囲の環境も、自分自身も、くめども尽きぬ福徳と智慧があふれていくのです。
日蓮大聖人の仏法は、誓願の仏法です。広宣流布を使命と定めた「誓願の祈り」と「慈悲と勇気の行動」のあるところ、地域も栄え、自身も福徳にあふれた栄光の人生を歩んでいくことができるのです。