南岸低気圧の接近による
冷え込みや降雪に警戒!
「前々の用心」で
最新の情報を確認し
絶対無事故の行動を!
御義口伝巻下 P769
『不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり』
【通解】
不軽菩薩が四衆を礼拝すれば、増上慢の四衆の仏性もまた不軽菩薩を礼拝する。これはちょうど「鏡に向かって礼拝する時、そこに映っている自分の姿もまた自分を礼拝する」のと同じである。
名字の言 御書根本の大道を 2022年2月10日
ある地区の座談会で80代の壮年が御書講義を行った後、しみじみと語っていた。「学会員じゃなかったら、人さまの前で講義ができるような人間には絶対になれなかった……」▼昔は貧しくて学校に行けず、読み書きができなかったという。ならばと御書や学会指導を書き写し、文字を覚えた。難解な仏法用語が理解できず泣きたくなる時も。それでも必死に学び続け、やがて教学部教授に登用された。壮年には確信がある。「御書は分からなくても真剣に学べば、必ずわが胸に太陽が昇る!」▼別の地区では、少年少女部員が朗々と御書を拝読していた。「どうですか、前途洋々でしょう」と目を細める地区部長。拍手に包まれ、とびきりの笑顔を輝かせる子らの姿が印象的だった▼世代や立場を超え、生命尊厳の仏法哲理を学び合い、自他共の幸福を目指す連帯は今、192カ国・地域に広がった。この輪に連なり、どれほど苦悩する庶民が人生に希望を見いだしてきたか▼「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」(新261・全329)。一切衆生の幸福を願われた大聖人の御境涯に接すれば、自らの境涯が開かれる。絶対勝利の人生へ、永遠に御書根本の大道を歩もう。
寸鉄 2022年2月10日
「題目を弘めんと思うばかりなり」御書。広布の炎を赤々と。拡大に勇戦(新1892・全1558)
「御書講義」が公式HPで配信中。人生勝利の哲学を胸に二月闘争を邁進!
青年こそ勇敢で偉大な行動を起こせる力を持つ—哲人。時代変革の旗手に
花粉症は早期対策で症状が緩和—医師。ピークの前に受診。服薬等を賢く
濃厚接触の通知装う詐欺メール横行。不審な内容はすぐ削除。慌てず撃退
〈社説〉2022・2・10 2・17「電子書籍の日」
◇"読書の喜び"が人間つくる
「学校向けの電子書籍の定額読み放題サービス」が、出版社から相次いでいる。教育現場のデジタル化が進む中、子どもたちが使う教科書や図書館の本に、電子書籍を活用する学校が増えてきたためだ。「本」を巡る環境が劇的に変わりつつあるともいえよう。
2月17日は「電子書籍の日」。スマートフォンやタブレットで手軽に読書ができる電子書籍は、情報社会の進展に合わせ、この十数年間で大きく拡大した。昨年はコロナ禍での"巣ごもり需要"も相まって、紙の書籍販売額が15年ぶりに増加する一方、電子出版はさらに大幅に伸びている。9割近くをコミックが占めるが、活字文化に触れる"文字もの"の電子書籍も着実に増えてきている(全国出版協会・出版科学研究所調べ)。
また、楽天ブックスの昨年の調査によると、読書における媒体の利用状況は、紙の書籍のみが53%、紙と電子書籍の併用が40%、電子書籍のみが4%だった。かつて電子書籍の影響で紙の書籍の減少が危惧されたが、実際は電子書籍のみを利用している人はごく少数にとどまり、利用者の半数近くは、併用している傾向にあった。
ここで、どちらが良いかを論じても生産的ではあるまい。紙であれ電子であれ、"書籍"であって、どちらも生かしながら読書の裾野を広げることが最も大事だと考えたい。
池田先生は、若い世代に「『読書の喜び』を知っている人と知らない人とでは、人生の深さ、大きさが、まるっきり違ってしまう」と語っている(『青春対話』)。
また、活字(文字)文化の長所について、「『想像力』と『思考力』を鍛える」点を挙げ、「テレビで見るのと、読むのとは根本的に違う」「『見る』だけでは、感覚的なものです」と指摘。そして「『読む』ということは、頭脳・生命の中に刻みこまれる。自分をつくる大事な『糧』となり、滋養となる」(同)と。
読書は、知識や情報を得るためだけのものではない。人間をつくり、人生を豊かにするものだ。
往古、かのアレキサンダー大王はホメロスの叙事詩を愛読していたといわれる。「読書」は2千年をはるかに超える人類の文化だ。今、紙の書籍と並んで電子書籍の広がりが、「読書の喜び」の広がりへ、活字・文字文化の振興へとつながりゆくことを期待したい。
☆四季の励まし 「目の前の一人」を幸福に 2022年1月30日
◇池田先生の言葉
なぜ、語り掛けるのか?
それは、
「目の前の一人」を
幸福にするためである。
これが釈尊以来の
仏教の根本精神であり、
そして、末法の御本仏・
日蓮大聖人に貫かれ、
わが創価学会が
受け継いでいる
仏の根幹の願いである。
「伝統の二月闘争」は、
地涌の使命に目覚めた
一人一人が、決然と
立ち上がって始まった、
痛快なる
対話の拡大劇である。
あの友の幸福を、
わが後輩の成長を——
すべて一つ一つ
深く祈念しながら、
足取り軽く
最前線へと飛び込む。
この「祈り即実行」の
繰り返しを、
弛まず貫いていくことだ。
人の心を打つのは、
話術の巧みさではない。
美辞麗句でもない。
"君よ立て!"との、
生命からほとばしる
必死の思いが、
友の心に働き掛けるのだ。
励ましとは、
炎の一念がもたらす魂の
触発なのである。
一人一人が
現実に直面している
生活の悩みと格闘し、
生命の境涯を
変革していく、
その軌道の中にしか、
真の
社会変革の道もないし、
立正安国もない。
この出発点にある
人間革命を開いていく
大道こそ、
一人への「励まし」だ。
励まされた一人が
立ち上がり、
目の前の一人に
励ましの襷を渡す。
その一人がまた次の一人に
励ましの襷を
つないでいく——。
この信心のリレーが、
一人一人の
人間革命の力走を
紡ぎ出していくのだ。
【写真説明】凜とした冬の青空の下、咲く菜の花の黄色がまぶしい。2002年(平成14年)2月、池田大作先生が熱海市の静岡研修道場を訪れた際に撮影した。
2月ごろから咲き始める菜の花の鮮やかな色彩は、春への希望を抱かせる。先生は、かつて詠んだ。「菜の花も 春だ春だと 立ち上がる」。そして"我らも勝利の春に向かって、多彩な友情の花々を咲かせたい"とつづった。
本年は、1952年(昭和27年)に池田先生が恩師・戸田城聖先生の願業・75万世帯への突破口を開いた「二月闘争」から70年。私たちも人生の希望の季節へ、共に励まし、友情の大輪を咲かせよう。
☆青年・飛躍の源流——二月闘争70周年 第1回 明確な目的と目標
70年前の2月、蒲田支部を舞台にした「二月闘争」で24歳の池田大作先生は、当時の限界を打ち破る「支部201世帯」の弘教を成し遂げ、恩師・戸田城聖先生の願業「75万世帯」へ、飛躍の突破口を開いた。まさに「青年・飛躍」の源流にほかならない。5回にわたり、若き先生の戦いに、広布拡大の要諦を学ぶ。
東京・大田区鵜の木3丁目。多摩川の流れに程近い、閑静な住宅街の一角に、その建物はあった。今、同じ場所には、建て替えられた2階建ての集会所が立っている。
1952年(昭和27年)1月29日、ここで蒲田支部の緊急組長会が開かれた。
24歳の若き池田支部幹事は、青年らしく訴えた。
"2月は日蓮大聖人の御聖誕の月であり、2月11日は戸田先生の誕生の日です。私たちがこの信心に巡り合えたのは、戸田先生が広布に一人立たれたおかげです。報恩感謝の思いで、この2月を戦い切り、先生の誕生の月をお祝いしようではありませんか"
「わが初陣」。池田先生がそう振り返る「二月闘争」の火ぶたは切られた。戸田先生の経営する会社に入社し、影が身に添うごとく仕えて3年。ここから、192カ国・地域へと広がる世界広布の指揮は始まったのである。
二月闘争から9カ月前の51年(同26年)5月3日。戸田先生は第2代会長の就任式で宣言した。
「私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします」
「達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。遺骸は、品川の沖に投げ捨てなさい!」
参加した同志は、決意に身震いしたものの、現実の目標として受け止めた者は、ほとんどいなかった。中には"7万5千の間違いでは"と耳を疑う人、"戸田先生は長生きされるのだろう"と考える人もいた。当時の会員数は実質、約3千人である。
それでも戸田先生は、広宣流布の未来を見据え、矢継ぎ早に手を打っていった。
会長就任直前の4月には、当時の二十数支部を、蒲田支部を含む12支部に再編。同月20日に聖教新聞を創刊する。
5月には、広宣流布の「金剛不壊の大車軸」として、創価学会常住の御本尊を発願。
6月に婦人部、7月に男子部、女子部を結成。同月22日の臨時総会で、創価学会版の御書全集発刊を発表する。
だが現実の折伏は遅々としており、1支部で1カ月100世帯前後が限界だった。51年末の総世帯数は5728。100年かかっても75万世帯に届かないペースである。
◇75万への決定打
「大白蓮華」で戸田先生は、深い決意を改めて歌に詠んだ。
「一度は 死する命ぞ 恐れずに 仏の敵を 一人あますな」(51年12月)
「いざ往かん 月氏の果まで 妙法を 拡むる旅に 心勇みて」(52年1月)
のちに池田先生の会長就任式で、遺影と共に掲げられた、あの歌である。
52年1月5日の支部長会では、従来の地区委員が「地区部長」となり、「支部—地区—班—組」の体制が敷かれた。
さらに、戸田先生が放った75万世帯への決定打——。それが、わが後継者と頼む"懐刀"を、戦の最前線に送り込む決断だった。
「いよいよ大作を出すか」
戸田先生が弟子に命じたのは、蒲田支部の「支部幹事」だった。正役職ではない。支部長、支部婦人部長を支える副役職である。
先生は早速、支部長と大森駅西口の食堂で打ち合わせをし、「日本一の支部長にしてみせます」と宣言した。支部婦人部長宅を訪れると、「2月に200世帯の折伏をやりましょう」と意気込みを語った。
そして、1月29日の緊急組長会で"戸田先生のために組2世帯の折伏を"と訴えたのである。
青年の決意に、先輩幹部も心一つに立ち上がった。
なぜか。先生は振り返る。
「私が誰よりも真剣であったからだ。たった一人になっても、自分が師の構想を実現すると、誰よりも一生懸命であったからだ。立場や口先や要領で、人が動くはずがない。人を真剣にさせるものは、虚栄も気取りも捨てた、自分の真剣さ以外には絶対にない」(「随筆 新・人間革命」)
◇皆が主役の革命
「二月闘争」で先生は、なぜ、当時の限界に倍する201世帯の弘教を果たすことができたのか。第一の理由は、出発に当たって明確な目的と目標を示した点にあろう。
「目的」は「師恩に報いる」。それは師匠と苦楽を共にしてきた弟子の、率直な真情だった。
小説『新・人間革命』に、先生はつづっている。
「その日、集った蒲田支部の同志は、戸田城聖を思う伸一の指導に、まことの弟子の心を知った。皆、伸一を通して、戸田との一念の距離が近づいた思いがした。すると、戸田とともに広宣流布をしていくのだという使命感が脈打ち、勇気がわいてくるのを覚えるのであった。
師を求め、師とともに戦おうとする時、広宣流布に生きる、師の生命の脈動が流れ通うといってよい」(第3巻「平和の光」の章)
そして「目標」は「組2世帯の折伏」である。「組」は現在の「ブロック」に当たる広布の最前線である。
「今後は、『組本位』の、緻密にして強靱な活動に入るべき」というのが、当時の戸田先生の指導だった。だが幹部には、心のどこかに"組長には経験も力もない。組では戦えない"という先入観があった。
池田青年は違った。恩師の指導を真正面から受け止め、祈り、思索して、実践に移した。それはいわば、一つの「革命」であった。
「私が出した結論は、『組』が『地区』『支部』に従属するというような発想を変え、むしろ組織あげて『組』を支え、応援するということであった。発想の革命であり、組織を貫く思想の革命である」
「皆が"主役"となってこそ、民衆の革命ではないか」(「随筆 新・人間革命」)
「200世帯」と聞けば、はるかな目標に思えるが、「組2世帯」ならできるじゃないか——皆の一念が、"誰かがやるだろう"から、"まず自分がやる"という自発能動へと変わっていった。
52年といえば、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本がようやく独立を回復する頃。組長会に集った130人余りの身なりは貧しかった。だが、心には明々と人間王者の誇りが点火した。
池田先生は記している。
「戦いの第一歩は、明確な目標を決めることだ。目標が漠然としていては、誰もが"自分の挑戦課題"として受け止めることができない。ゆえに結局は、真剣になれないものである。
また、目標を押しつけてはいけない。皆が『よし、やろう!』と納得できるようにすべきである。
それには、中心者自身が、自分の責任で、たとえ一人になっても、掲げた目標は断じて達成するとの、決意を定めることだ。その決定した心に燃え盛る情熱の炎が、皆の胸に、広布に戦う心を燃え上がらせていくのである」(同)