2022年2月21日月曜日

2022.02.21 わが友に贈る

◇今週のことば
「南無妙法蓮華経を
勧めて持たしむるなり」
折伏行は最極の善事だ。
朗らかに語り抜いて
伝統の2月を勝ち飾れ!
2022年2月21日

四条金吾殿御返事 P1151
『だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし』

【通解】
弟子と師匠が心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない。

名字の言 57歳で映画デビューした俳優のどんぐりさん 2022年2月21日
おかっぱ頭に、大阪弁の特徴的な甲高い声——俳優の竹原芳子(どんぐり)さんは、証券会社の営業、宝くじ売り場の販売員、裁判所の臨時事務官などを経て、57歳で映画デビューを果たした▼芸能界入りを目指したのは50歳の時。反対する意見も多かった。だが彼女は年齢を理由に"自分なんてこんなもんだ"と決め付けず、自分の可能性を信じようと決めた。「人間は年齢じゃない」「いくつになっても挑戦できる」と(『還暦のシンデレラガール』サンマーク出版)▼先日、専門学校に通う67歳の壮年を訪ねた。彼は会社を定年退職した2年前、新しい挑戦を決意。室内造形科で家具の製造などを学ぶ。現在は国家資格の「家具製作技能士」を目指し、勉学に励んでいるという。「実技はいいのですが、学科がね。何しろ、覚えたそばから忘れていくので」。そう言って笑う表情から、充実の毎日が伝わってきた▼かつては、多くの人が定年後を"余生"と捉えてきた。そうした考えに対して、池田先生はつづっている。「これからは、長年培ってきた力をもって、地域に、希望を、活力を与える"与生"であらねばならない」▼理想に燃えて生きる人は若々しい。その姿は、人生100年時代の希望である。

寸鉄 2022年2月21日
青年が妙法で起てば革命できぬわけがない—戸田先生。わが勝利史を刻め
「『菩薩』とは、仏果を得る下地なり」御書。学会活動は自他の尊厳輝かす聖業(新1029・全738)
粘り強さを持つ人は必ず物になる—文豪。今日も友の中へ。一人を味方に
予防を謳う不適切商品に注意—厚労省。まずは消毒、マスク等の対策から
水素で走る電車が公開、数社が共同開発と。総力で英知を集めて脱炭素へ

〈社説〉 2022・2・21 40回を数えた「SGI提言」
◇足元から着実な行動の一歩を
「池田SGI会長は1983年から毎年、記念提言を発表されています。これほど継続的かつ一貫して、国連改善の道筋を具体的に示してきた人物は、世界を見ても池田会長だけです」(元国連事務次長のアンワルル・チョウドリ氏)
国連関係者をはじめ、各界に反響を呼んでいる池田先生の「SGIの日」記念提言。通算40回目を数える今回は「人類史の転換へ 平和と尊厳の大光」と題して発表された。
これまで取り上げられてきたテーマは、核兵器廃絶や軍縮、人権、気候変動など多岐にわたり、仏法の視座から地球的問題群の本質に光が当てられてきた。とりわけ喫緊の課題解決の方途として、一人の人間における着実な行動に重きが置かれている点に、その特質があるといえよう。
数々の平和構築への提案は、各国でのセミナー等を通して、広く国際社会に発信され、学会としても市民社会での連帯を広げながら、その実現に取り組んできた。実際、提言に学んだ学会の運動が「持続可能な開発のための教育の10年」の制定や「核兵器禁止条約」の採択などに向けた潮流に、弾みをつける草の根の力となった。
池田先生は、共生のビジョンを絶えず示してきた理由について、2012年のSGI提言で「提言は、師との誓いを果たす実践に他なりません」とつづっている。40回にわたる提言で、池田先生が終始、核兵器の脅威に言及してきたのも、戸田城聖先生の遺訓である「原水爆禁止宣言」を原点に、恩師の叫びを五体に刻み付けた後継の弟子として、なさねばならない使命であるとの思いからだ。
この創価の師弟に脈打つ平和実現の精神こそ、人類の未来を指し示す羅針盤である。世界全体がコロナ禍という暗雲に包まれる渦中にあって、今こそ求められるのは、本年の提言で紹介された"何のため""誰のため"との目的観を明確にして足元から行動を起こす「正視眼」的な生き方であろう。
先日、本紙の投稿欄に、提言を学んだ壮年の決意が寄せられていた。「身近なことから実践したい。それは、友の心に希望の灯をともす対話であると信じる」と。
今いる場所で起こした変革は、希望の波動を広げ、地球的課題を打開しゆく原動力となる。そう確信して、眼前の一人に語り掛け、心の絆を結んでいきたい。

☆青年・飛躍の源流——二月闘争70周年 第2回 自ら動く——率先垂範
"戸田先生のために、組2世帯の折伏をして、支部で200世帯を完遂しましょう"
池田支部幹事の気迫は、蒲田支部の緊急組長会(1952年〈昭和27年〉1月29日)に集った同志を圧倒した。
ある婦人は証言する。
「池田先生の戸田先生を思う一念が伝わってきて、行くときは寒かったけれど、帰りになると頬が紅潮して、『よーし! やろう。負けるもんか』と大歓喜の姿で家路に就きました」
だが中には、「今までの倍なんてできるかね。支部幹事は大風呂敷を広げたね」と、会場から鵜の木駅へ戻る道すがら、語り合う組長もいた。
その話を聞いた池田先生は、「広げた風呂敷で全部包めばいいんでしょう」と悠然と語る一方で、電光石火の行動を開始した。支部内を訪問・激励に走りに走った。座談会も一日に2カ所、3カ所と掛け持ちした。状況の厳しい組の会合には、決まって先生の姿があった。
当時の支部婦人部長が述懐している。
「この率先垂範のお姿に支部内の空気は一変し、先生の一念で組長さんたちは皆、やる気になっていったのです」
「会うと必ず声を掛けて激励してくださる先生を見て誰もが、先生は会った人を必ず変えていく力がある。元気にする力があると思いました」
「支部—地区—班—組」という新たな体制が敷かれて1カ月。蒲田支部にも、約100の「組」が誕生したばかり。組長の中には、入会して日が浅く、折伏の仕方が分からない人もいた。
そこから、拡大の火を起こしたいなら、会合で呼び掛けるだけでは十分でないことは明らかだった。
「大きな単位のみに注意を向けていると、どうしても指示や伝達が中心となり、信心の息吹や感動が伝わりにくい。いつしか惰性におちいってしまうものである」
「『組』単位に——という、この時の実践は、こうした硬直化を打ち破る、いわば"組織の人間化"への挑戦であった。わが生命をふりしぼって、地域のすみずみにまで、清新な『信心』の息吹を脈動させていく。その戦いであった」(1990年11月、大田区記念勤行会でのスピーチ)

◇一緒に行こう
池田先生は組長をはじめ最前線の同志を一日何十人と励ますだけでなく、折伏の現場へ同志と共に足を運んだ。
その姿に触れ、それまで座談会場で待っているばかりだった幹部も、勇んで友と一緒に打って出るようになった。
ある同志が日曜日の早朝、先生が住んでいた大田区大森の青葉荘を突然、「友人の所に一緒に折伏に行ってください」と訪ねた時のこと。
先生は布団から起き上がるなり、それをくるくると巻き上げると「行ってあげるよ」と。
毎日の激闘で疲労困憊。肺病との闘いも続いていたにもかかわらず、少々無遠慮なお願いも喜んで引き受けた。宗教の正邪を理路整然と語りつつ、同志にも「○○について話をしてください」などと発言の機会を与え、言葉に詰まると、話を引き取って、分かりやすく説明してあげるのだった。
蒲田支部の同志にとって、先生と行く折伏は、友人を入会に導くだけでなく、自身が信行学を学ぶ場ともなったのである。
先生はつづる。
「御義口伝には、『妙法蓮華経』の五字を人間の身に配して、『足は経なり』(全716・新997)と明かされている。法のため、友のために『自ら動く』こと、『足を運ぶ』ことから、妙法の福徳は大きく広がる。
わが同志は、日々の生活を必死にやりくりしながら、勝利の実証を示さんと奮闘した。無理解な悪口を浴びても、相手の幸福を祈り、仏縁を忍耐強く育み広げていった。何とけなげな、何と尊い方々であるか。折伏ができずに悩む。それは、まさに『仏の悩み』そのものではないか」(「随筆『人間革命』光あれ」)

◇座談会が発火点
こうしたリーダー率先の行動とともに、池田先生が重視したのが「座談会の充実」だった。
他支部の座談会が、その場の状況に委ねた対話に終始したのに対し、蒲田支部では、池田先生の発案で、例えば十界論の担当、体験を語る担当などを事前に決め、綿密なプログラムを組んだ。次々と斬新な企画を立て、参加した人に"来て良かった"と喜びを送った。
池田先生自身が座談会を担当する時は、必ず開始時間よりも前に来て、御本尊の前に端座したことも、語り草となっている。自宅の青葉荘でも幾度となく座談会を開き、隣人たちに自身の体験を語っては、仏法の偉大さを訴えた。
「あの蒲田支部の『二月闘争』も、座談会が発火点となり、起爆力となった。文京でも、札幌でも、大阪でも、山口でも、荒川でも、葛飾でも、勝利また勝利の回転軸は、座談会であった。座談会の勝利が、広布の勝利を開いたのである」
「座談会の歴史こそ、わが人生の『今生人界の思出』となって、三世永遠に光り輝くのだ。私の胸の奥深くにも、座談会で出会いを結んだ、すべての方々が思い出深く刻まれて、離れることはない」(「随筆 人間世紀の光」)
「二月闘争」のさなかに発行された52年2月の「大白蓮華」。その巻頭言で戸田城聖先生は、"組織をどのように運営すればよいか"というテーマを取り上げた。
「例えば自動車を動かすにはタンクの中にガソリンをつめればよい、ごく簡単な答ではないか」「組織を動かすのは、信仰に対する絶対の確信と情熱である。その信仰に対する確信と情熱を組織の中へエネルギーとしてみなぎらす事である」
「ことに青年の確信と情熱が信仰によって清められ、しこうしていやましに高められた時に組織はグングンと活動するのである」
24歳の池田青年が蒲田支部で繰り広げた闘争は、この恩師の指導をそのまま体現したものにほかならなかった。
池田先生は教えている。
「『師弟不二ならば、一切を勝利できる』——これが、仏法の要諦であり、学会精神の真髄である」
「『師弟』に徹する一念を根幹に、蒲田支部は一丸となった。御金言通りの『異体同心』の結合体となったのだ」(同)