苦労は「力」に
悩みは「智慧」に
悲しみは「優しさ」になる。
勇気と忍耐の人に
幸福の春は必ず訪れる。
松野殿女房御返事 P1394
『女人の御身としてかかる濁世末代に法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ帝釈は掌を合わせてをがませ給ひ地神は御足をいただきて喜び釈迦仏は霊山より御手をのべて御頂をなでさせ給うらん』
【通解】
女性の身として、このような末法の濁った世にありながら法華経を供養なされたのですから、大梵天王も天眼をもって御覧になり、帝釈天は合掌して礼拝され、地神は、御足を大切に押し戴いて喜び、釈迦仏は霊山浄土から御手をさしのべて、あなたの頭をなでられることでしょう。
名字の言 きょうは「立春」。実りの季節へ新たなスタート 2022年2月4日
まだまだ寒い日は続くが、きょうは「立春」。暦の上では、もう春が始まった。この日を迎えたことを「春立つ」というが、この"立つ"には、「それまで存在しなかった現象が現れる」という意味もある。伸びる日脚に、着実な春の訪れを感じる▼二十四節気は立春に始まる。茶摘みの最盛期とされる八十八夜や、稲の開花期に当たる二百十日などは、立春の日を"起点"として数えている。いわば、ようやく迎えた春は、より実りの多い季節へ進みゆく"新たなスタート"ともいえよう▼ある男子部員は自身の広布拡大の実証で「青年・飛躍の年」を勝ち開こうと、折伏に挑戦した。ちょうどその頃、自分が病を抱えていることが判明した。彼は深く思った。"この試練をさらなる境涯革命のための「出発点」にしてみせる"▼そして先頃、これまで仏法対話を重ねてきた知人が入会を決意した。男子部員は真剣な祈りを重ねる中、病を乗り越え、自他共の幸福の人生を力強く歩む▼池田先生は「嵐が来ようが、怒濤が押しよせようが、つねに汝自身が、厳然として光り輝いていればそれでよいのだ」と。困難の冬をも喜びの春の因と定め、信心根本に不屈の前進を続ける。そこにこそ、人生勝利の開花もある。
寸鉄 2022年2月4日
どんな人にも長所がある—戸田先生。見つけ、生かしていくのが名リーダー
東京・中野の日。広布の誓いに生きる最強の団結 さあ民衆の凱歌へ大行進
「東洋哲学研究所の日」諸経の王・法華経の光を遍く世界へ。使命更に大
厳冬を越えて花は爛漫。苦難の烈風も題目第一で希望の薫風に。今日、立春
乳幼児の火傷事故増と。加湿器、炊飯器、ポット…配置場所は子ども目線で
〈社説〉 2022・2・4 きょう「東洋哲学研究所の日」
◇創立60年 法華経の大光を民衆へ
1961年(昭和36年)2月4日、池田先生は恩師・戸田先生から託された東洋広布の大願を胸に、釈尊成道の地であるインドのブッダガヤへ。この時、先生は一つの「着想」を得た。それは、東洋の思想・哲学の研究機関の創立という構想であった。
アジア旅の中で、その構想はさらに具体化する。小説『新・人間革命』では、こう語られている。
「日本を代表する東洋の哲学、民族、文化の研究機関にしていくんだ」「(広宣流布とは)仏法をもって人間の生命を開拓し、平和と文化の花を咲かせていく運動です」(第3巻「平和の光」の章)
ここで構想として示された機関こそ現在の東洋哲学研究所(東哲)だ。インドでの着想を淵源として、きょう2月4日は「東洋哲学研究所の日」となった。
構想の翌年である62年(同37年)1月27日、前身の東洋学術研究所が設立。創立者の池田先生は、発足式で呼び掛けた。
「最高の思想界の王者でいきましょう。もっとも深く、もっとも厳正に、全世界の人の思想の眼を開いていこう」
東哲は、法華経を中心として研さんを深め、国内外の識者らと協働しながら、この60年、世界の宗教・思想の学術研究など多くの事業に取り組んできた。
なかでも、世界17カ国・地域で開催し、これまでに100万人に迫る観賞者を誇っているのが、東哲が企画・制作する「法華経——平和と共生のメッセージ」展だ。
"目で見る法華経の世界"とのコンセプトで、各言語に翻訳された法華経写本資料や仏教芸術等を紹介。東洋思想の真髄たる法華経の精神を、学識者のみならず、各国の人々に広く伝える「文明間・宗教間対話」の役割を果たしてきた。
池田先生は98年、同展の淵源となった「法華経とシルクロード」展を観賞し、その感動をつづった。
「経文の文字は生きていた。光っていた。躍っていた。文字は文字ではなかった。命であった」
法華経の"命"とは何か。それは、一人の人間の無限の可能性を信じる生命尊厳の思想である。
コロナ禍の危機が浮き彫りにした分断や対立などの深き闇を照らし晴らす大光こそ、法華経の思想であろう。
この精神の宝の探究を重ね、民衆に伝え続けてきた、東哲の60年に敬意を表しつつ、偉大な思想戦へのさらなる挑戦を望みたい。
☆第47回SGI提言� 地球大に開かれた「連帯意識」を
◇脅威の克服へ国際協力を強化
◇アインシュタインが鳴らした警鐘
次に第二の柱として提起したいのは、地球大に開かれた「連帯意識」の重要性です。
今回のパンデミックのように、各国が一致して深刻な脅威として受け止めた危機は、あまり前例がないといわれます。
しかし国際協力は十分には進まず、ワクチンの追加接種を進める国がある一方で、昨年末までに国民の4割が接種を終えた国はWHOの加盟国(194カ国)の半数にとどまっており、ワクチンの世界的な供給における著しい格差が浮き彫りになっています。
なかでもアフリカ諸国でワクチンが入手できない状況が続いており、接種を終えた人は全人口の約8%にすぎないのです。
ワクチンの到着を待つ人々が多くの国に残されている中で、"国際協力の空白地帯"を早急に解消することが求められます。
この現状を前にして、心ある人々の胸に去来するであろう思いと重なるような言葉を、かつて、科学者のアルバート・アインシュタイン博士が投げかけていたことがありました。
第2次世界大戦後、アメリカとソ連による冷戦が表面化して緊張が走った時(1947年)、世界が分断ではなく連帯の道を進むように訴えていた言葉です(『晩年に想う』中村誠太郎・南部陽一郎・市井三郎訳、講談社)。
博士は、中世のヨーロッパで多数の人命を奪い、「黒死病」の名で恐れられたペストに言及し、「例えば黒死病の流行が全世界を脅やかしているような場合なら、話は別になる」のではないかとして、こう力説しました。
「このような場合には、良心的な人々と専門家とが一致して黒死病と闘うための賢明な計画を作成するでしょう。とるべき手段について彼らの意見が一致すれば、彼らは各政府にたいしてその計画を委ねるでしょう」
「各国政府はこれについて重大な異議をさしはさむことなく、採るべき手段について迅速に意見の一致をみるでしょう。各国政府はよもや、この問題を解決する場合に、自国だけが黒死病の害を免れて他国は黒死病によって多数の民が斃されるというような手段をとろうと考えることはないでしょう」と。
翻って現在、博士が想定したような感染症と闘うための「賢明な計画」と「採るべき手段」については、WHOのパンデミック宣言の翌月(2020年4月)に、「ACTアクセラレーター」と呼ばれる新型コロナ対策の国際的な協力体制が発足しました。その中にあるCOVAXファシリティー〈注1〉の枠組みを通し、途上国へのワクチンの公平な分配を目指す活動が進められています。
以来、これまで144カ国・地域に、合計で10億回分を超えるワクチンが供給されてきました。
ただし、資金協力の遅れやワクチンの確保競争などの影響で、COVAXが当初に計画していた「20億回分の供給」には、まだ遠く及ばない状況にあり、COVAXへのさらなる支援強化が求められます。
昨年10月、イタリアのローマで開催されたG20サミット(主要20カ国・地域首脳会議)では、途上国へのワクチンや医療製品の供給を促進することが合意されました。
G20のハイレベル独立パネルが報告書で強調したように、世界全体からみれば、パンデミックのリスクを軽減するための必要な能力や資源が不足しているわけでも、新型コロナに効果的に対応するための科学的なノウハウや資金がないわけでもありません。
アインシュタイン博士が感染症のケースを想定して挙げていたような、「賢明な計画」と「採るべき手段」が、COVAXの活動や、G20の方針などによって明確化された今、パンデミックを克服するための最後の鍵を握るのは、自国だけでなく他国の人々を脅威から守るという、地球大に開かれた「連帯意識」の確立ではないでしょうか。
◇世界保健機関の創設を巡る歴史
歴史を振り返れば、WHOが創設されるきっかけとなったのは、国連憲章の制定のために1945年4月から6月まで開催された、サンフランシスコ会議での議論でした。
当初、保健衛生問題は議題にのぼる予定はなかったものの、その重要性を指摘する声があがりました。
その結果、国連憲章の第55条で、国際協力を促進すべき分野の一つとして「保健」が明記されたほか、第57条が規定する専門機関の中に「保健分野」の機関が含まれることになったのです。
設立に向けて1946年に行われた会議では、第2次世界大戦での敵味方の違いを超えて、各国が参集することが望ましいとの提案を受け、日本やドイツやイタリアなどからも代表がオブザーバーとして参加しました。
また、当時の情勢下で画期的な意義をもったのは、新しい専門機関のあり方を検討する際に、通常の加盟国とは別に「準加盟国」の資格を設けることで、植民地支配の状態が解消されないままで独立が果たせずにいた多くの地域にも参加の道を開いた点です。
新しい専門機関の名称についても、国連加盟国だけを想定したような「国連」という文字ではなく、「世界」という文字が冠されることが決まり、1948年4月に正式に発足をみたのがWHOだったのです。
◇戸田第2代会長が提唱した「地球民族主義」の先見性
私は以前(1993年3月)、サンフランシスコ会議が開催された会場を訪れたことがあります。
その際に行ったスピーチで、SGIとして国連支援に取り組んできた思いについて、創価学会の戸田城聖第2代会長の信念に触れながら、こう述べました。
「実は、私の恩師・戸田第2代会長は、この国連憲章の誕生と相前後して出獄し、創価学会の再建に着手いたしました。
恩師は、日本の軍国主義による2年間の投獄に屈することなく、新たな人間主義の民衆運動を開始したのであります。
それは国連憲章の理念と深く強く一致しております。まさしく戦争の流転の歴史を、根源的に転換せんとする熱願の発露でありました。私どもは、この恩師の精神を原点として、生命と平和の哲理に目覚めた民衆の連帯を全世界に広げてきたのであります。
国連の支援も恩師の遺訓でありました。国連は20世紀の英知の結晶である。この希望の砦を、次の世紀へ断じて守り、育てていかねばならない——と」
このように、戦時中の教訓を踏まえて戸田会長が熱願としていたのは、一国の進むべき道の転換にとどまらず、世界全体の進むべき道の転換にほかなりませんでした。
そして、その信念を凝縮する形で戸田会長が70年前(1952年2月)に提唱したのが、「地球民族主義」の思想だったのです。
当時、朝鮮戦争などで国際社会の緊張が急激に高まる中にあって、人類が悲劇の流転史から抜け出すための要諦として「地球民族主義」を掲げ、その言葉に"どの国の民衆も、絶対に犠牲になってはならない。世界の民衆が、ともに喜び、繁栄していかねばならない"との思いを託したのです。
パンデミックが続く今、改めてWHOの創設の経緯を顧みた時に、その名称に冠された「世界」の文字に込められた意義が、戸田会長の「地球民族主義」の思想とも重なり合う形で胸に迫ってきます。
昨年、国連総会で181カ国の支持を得て採択された政治宣言でも、グローバルな連帯の重要性が次のように示されていました。
「我々は、国籍や場所を問わず、いかなる差別もすることなく、すべての人々、特に脆弱な状況にある人々を新型コロナウイルス感染症から守る必要性について平等に配慮し、連帯と国際協力を強化することを約束する」
本来、パンデミックの対応で焦点とすべきは、国家単位での危機の脱出ではなく、脅威を共に乗り越えることであるはずです。
昨年の提言でも強調しましたが、自国の感染者数の増加といった"マイナス"の面ばかりに着目すると、他国との連携よりも、自国の状況だけに関心が傾きがちになってしまう。
そうではなく、世界に同時に襲いかかった脅威に対して、「どれだけの命を共に救っていくのか」という"プラス"の面に目を向けて、いずれの国もその一点に照準を合わせることが、難局を打開する突破口になるはずです。
仏法にも、「人のために、夜、火をともせば(照らされて)人が明るいだけではなく、自分自身も明るくなる。それゆえ、人の色つやを増せば自分の色つやも増し、人の力を増せば自分の力も勝り、人の寿命を延ばせば自分の寿命も延びるのである」(御書新版2150ページ、趣意。※新規収録の御文)との教えが説かれています。
このような自他共に広がる「プラスの連関性」を足場として、協力と支援の明かりを灯す国が増えれば、脅威の闇を消し去る方向につながっていくのではないでしょうか。私はそこに、地球大に開かれた「連帯意識」を確立する道があると考えるのです。
その意味で肝要なのは、政治宣言で認識が共有されていたように、"国籍や場所を問わず、いかなる差別もなく平等に命を守る"との精神であると言えましょう。
◇医療に関わる人々の存在は「世の宝」
時代状況は異なりますが、仏典においても、人々の命を救う上でその一点を外してはならないとのメッセージが、ある医師の信念の行動を通して描かれています。
——釈尊在世のインドにおいて、マガダ国にジーバカ(耆婆)という名の青年がいた。
タクシャシラーという別の国に名医がいることを知ったジーバカは、その国まで足を運び、医術のすべてを修得した。
「多くの人々のために身につけた医術を生かそう」と帰国したものの、ある時、国王の病気を治したことを機に重宝されるようになり、「これから後は国中の者たちの治療に当たる必要はない」と、限られた人の健康だけを守るように命じられてしまった。
それでも、マガダ国の首都で病気を患った人がいた時には、国王の許可のもと、その人の家に向かって治療にあたった。
カウシャーンビーという国で暮らす子どもが病気になった時にも、急いでかけつけて手術を行ったほか、頭痛に悩まされていた別の国の王を助けた時には、高額の報酬でその国に留まるよう誘われたが断った。
その後もジーバカは多くの病人を救い、人々から尊敬された——と(中村元・増谷文雄監修『仏教説話大系』第11巻、すずき出版を引用・参照)。
このように他国で医術を学んだ彼は、自国の限られた人だけでなく、市井の人々をはじめ、別の国の人々にも医術を施しました。
ジーバカという名前には、サンスクリット語で"生命"という意味もありますが、まさに彼はその名のままに、国や場所の違いを問わず、いかなる差別もせずに、多くの命を分け隔てなく救っていったのです。
釈尊在世の時代に尊い行動を貫いたジーバカについて、13世紀の日本で仏法を説き広めた日蓮大聖人は、「その世のたから(宝)」(御書新版1962ページ・御書全集1479ページ)と、たたえていました。
現代においても、コロナ危機が続く中で多くの医療関係者の方々が、連日、献身的な行動を重ねておられることに、感謝の思いが尽きません。
まさに、世の宝というほかなく、その医療従事者を全面的に支えながら、"国籍や場所を問わず、いかなる差別もなく平等に命を守る"との精神を礎にした、グローバルな保健協力を強化する必要があります。
◇新たな感染症に共同で備えるパンデミック条約を制定
◇主要国が担うべき特別の役割と責任
この点に関し、私は昨年の提言で、新型コロナ対策での協調行動の柱となり、今後の感染症の脅威にも十分に対応していけるような、「パンデミックに関する国際指針」を採択することを提唱しました。
WHOの総会特別会合で先月、今後のパンデミックに備えた国際ルールを策定するために、全加盟国に開かれた政府間交渉の機関を設ける決議が、全会一致で採択されました。
新型コロナへの対応を巡る教訓を踏まえ、ワクチンの公平な分配や情報の共有といった対応について、あらかじめ条約や協定のような形で明文化することを目指し、3月までに最初の会合を開催することが決まったのです。
次のパンデミックは"起きるかどうか"ではなく"いつ起こるか"という問題にほかならないと、多くの専門家が指摘していることを踏まえて、「パンデミック条約」のような国際ルールを早期に制定し、その実施のための取り組みを軌道に乗せることを改めて強く呼びかけたい。
今回のコロナ危機が示したように、どこかの場所で深刻化した脅威が、時を置かずして、地球上のあらゆる場所の脅威となるのが、現代の世界の実相にほかなりません。
昨年6月、イギリスで行われたG7サミット(主要7カ国首脳会議)でも、相互に結び付いた世界において保健分野の脅威に国境はないことが、首脳宣言で強調されていました。
そして、G7が担うべき特別の役割と責任の一つとして、「将来のパンデミックにおける共同の行動の引き金となるような世界的な手順を作成することにより、対応の速度を改善すること」が掲げられていたのです。
G7の国々はこの首脳宣言に基づいて、「パンデミック条約」の制定をリードし、その基盤となる協力体制についても率先して整備を進めるべきではないでしょうか。
私は以前、G7の枠組みにロシアとともに中国とインドを加える形で、「責任国首脳会議」としての意義を込めながら、発展的に改編することを提案したことがありました。
ここで言う「責任」とは、いわゆる大国としての義務のようなものではなく、人類共通の危機の打開を望む世界の人々の思いに対し、"連帯して応答していく意思"の異名とも言うべきものです。
人類共通の危機に対して、リスク管理的な発想に立つと、自国に対する脅威の影響だけに関心が向きがちになってしまう。
そうではなく、困難を乗り越えるための「レジリエンス」の力を一緒に育み、鍛え上げることが、今まさに求められています。
そして、その原動力となる「連帯」の精神は、気候変動をはじめとする多くの課題を打開する礎ともなっていくものです。
2022/01/29 17:08この「連帯」の精神に基づいて、いかなる脅威にも屈しない地球社会の建設を進めることこそが、未来の世代に対する何よりの遺産になると確信してやみません。