◇今週のことば
我ら創価の信念は
平和主義・文化主義
教育主義・人間主義なり。
青年の熱と力で
新時代創る対話拡大を!
2022年2月28日
盂蘭盆御書 P1428
『一分の神通もなし、大石の天にのぼらんとせんがごとし、智慧は牛にるいし羊にことならず』
【通解】
今の僧等は、二百五十戒は名ばかりで、持戒ということに事を寄せて人をたぶらかし、一分の神通力もありません。大石が天に昇ろうとしてもできないようなものです。智慧の劣っていることは牛や羊のようで、たとえ千万人を集めたとしても父母の一苦をも救うこたができるでしょうか。
名字の言 真の「異体同心」の団結とは? 2022年2月28日
中学校の野球部監督を経験した友が、チームワークについての持論を語った。「投手は投手の役割、他の内・外野手やベンチの部員にもそれぞれの役割がある。皆で勝利を目指し、各人が自分の役割を果たしきる時、チームワークは、より強固になる」▼安易に誰かを頼ろうとする姿勢の人をいくら集めてもチームに勝算はない。まず一人一人が自身の使命を全うするから、団結が力となり、勝利が確実となる。これはどの分野にも通じよう▼音楽隊「創価ルネサンスバンガード」のコンサートをオンラインで見た。一糸乱れぬ素早い隊形変化も、各人が自らの持ち場で演技・演奏をやりきることで完成する。まさに至高のチームワークが光る圧巻のステージだった▼「異体同心」について戸田先生は語った。「『異体』は、各自の境遇であり、自己の個性を最大に生かす生活だ。『同心』は、信心であり、広宣流布という目的への自覚だ」と。また、池田先生は「団結」の鍵を「それは、一見、矛盾するようであるが、自らが『一人立つ』ことである」と強調する▼自分の可能性を最大限に発揮する。そして、広布の使命を深く自覚して立ち上がる。この両方があってこそ、本物の「異体同心」を築いていける。
寸鉄 2022年2月28日
苦労した分、生命の宝器が強く豊かに—戸田先生 広布の激闘に偉大な功徳
伝統の2月から師弟後継の3月へ。青年の成長が未来開く。壁破り飛翔を
「仏はうえてのごとく、衆生は田のごとく」御書。真心の語らいは必ず花咲く(新1435・全1056)
誠実な魂には動揺がない—作家ゴーリキー。今日より明日へ。真っすぐ信心貫く賢者に
花粉飛散が本格化。先手の対策で症状緩和。賢い健康管理で躍動の春へ。
〈社説〉2022・2・28 きょう「世界希少・難治性疾患の日」
◇"知ること"が寄り添う一歩
毎年2月の最終日は「世界希少・難治性疾患の日(RDD)」。
希少疾患は治療の必要性が高いが、患者数が少ないため、早期診断の確立や治療の研究・開発が進まない傾向にある。この希少疾患への理解を広げるために2008年、スウェーデンで始まった啓発運動が「RDD」である。100カ国以上が参加している。
日本は2010年から参加し、28日には「RDD 2022 in Tokyo」を開催。専門家による講演や病と闘っている人の話などをオンラインでライブ配信する。
現在、難病法による医療費助成の対象となる指定難病は338(21年11月現在)に上るが、世界には希少・難治性疾患が数千あるとされている。誰しも、こうした病と向き合う可能性がある。ゆえに、当事者任せではなく、社会全体で支えていくことが重要であろう。
本紙で掲載している信仰体験「生きるよろこび」では、がん、難病や障がいと向き合う学会員の姿を紹介している。絶望の淵に沈んでもなお、励ましを力に、「いかなる病さわりをなすべきや」(新1633・全1124)との御金言を抱き締め、勇気を絞り出す。その一歩が、蘇生のドラマを切り開いている。
埼玉の壮年部員。最愛の妻が15年前、指定難病「シャルコー・マリー・トゥース病」と診断された。筋肉に脱力と萎縮が起きる進行性の病。歩けなくなり、家族に頼りきりになった妻が思い詰め、離婚を切り出すと、夫は目を真っ赤にして「一緒に乗り越えよう」。二人で前を向いた。妻の祈る姿に勇気をもらうという夫は、「自分のことで精いっぱいのはずなのに、妻のご祈念帳にはたくさんの友人の名前が書いてあります。自分のこと以上に、人の幸せを祈っています。そんな妻は病に負けていないと思えるんです」と語っていた。
池田先生は「病気の姿を現していても、生命本来の偉大さ、尊さ、素晴らしさには何の変わりもありません。最上に尊貴な宝の存在なのです」(『健康の世紀へ 福徳長寿の智慧』)と。
闘病を孤独な闘いにさせない。その一歩は、周囲が病気のことを知り、理解することだ。"分かってくれている人がいる"。それだけで心は強く、大きくなるから。
☆随筆「人間革命」光あれ 厳寒に不屈の人華を 2022年2月21日
この冬は、例年にも増して寒さが厳しく、雪が多い。
日蓮大聖人は、御自身が「八寒を現身に感ず」(新1282・全955)という厳冬を幾たびも耐え忍ばれつつ、皆の労苦を思いやられていた。
とりわけ雪深い年にも、求道の信心で真心を尽くす門下を讃えておられる。
「し(知)らず、釈迦仏の御使いか、過去の父母の御使いかと、申すばかりなく候」(新1247・全925)——そのまま北国・雪国で歯を食いしばって、広宣流布に挑む尊き創価家族への御照覧と深く拝される。
聖教新聞を配達してくださっている「無冠の友」、また常に天候との戦いが続く農漁光部の方々をはじめ、わが宝友の健康と絶対無事故、福徳安穏を強盛に祈らずにはいられない。
さらに、いまだ打ち続くコロナ禍の中、医療従事者をはじめ、大切な人命を守るために日夜奮闘しておられる方々に、心からの感謝を捧げたい。
約二年に及ぶ、この感染症のパンデミック(世界的大流行)により、日本と世界で亡くなられた全ての方々のご冥福を日々、祈念申し上げている。そして一日も早い収束と、危機の時代を皆の力で超克しゆくことを誓い合ってまいりたい。
◇
一緒に越えよう
一九五〇年(昭和二十五年)の初冬、みぞれの降る夕べであったと記憶する。
事業の苦境の打開に師弟して奔走する中、戸田先生が笑いながら言われた。
「世の中は、まったく寒いなぁ」
師も弟子も体調を崩しながらの悪戦苦闘であった。
私は着替えのシャツや靴下にも不自由し、オーバーなしで寒風に飛び出していく日々であった。
先生は、「でも大作、俺もおまえも冬の生まれだからな。一緒に乗り越えようや。頼むよ」と、心に熱い火を点してくださったのである。
この艱難の風雪を師子奮迅で戦い抜き、遂に翌年、師の第二代会長就任の晴れわたる五月三日を迎えた。
人知れず私たち師弟が身読した御聖訓を、あらためて、仕事や生活、闘病、介護、子育てなどで辛労を尽くしている友に贈りたい。
「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」(新1696・全1253)と。
◇自分だけでなく
今月は、大聖人の御聖誕満八百年である。忍難弘通の御生涯が胸に迫る。
「日蓮、生まれし時よりいまに一日片時もこころ(心)やす(安)きことはなし。この法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(新1892・全1558)
これは、若き南条時光へ吐露された御真情である。 この御書では、時光へ、こうも語り掛けておられる。
「殿一人にかぎ(限)るべからず、信心をすすめ給いて、過去の父母等をすく(救)わせ給え」(新1891・全1557)
今、わが後継の宝・青年部も、新生・女性部の華陽姉妹も、「青年・飛躍の年」の年頭から見事な拡大のドラマをつづっている。
御本仏は、世界へ開けゆく慈折広布に新たな光を投ずる、地涌の若人の勇舞をいかにお喜びであろうか。
◇皆で二月闘争へ
◇氷壁を破ろう! 熱き心で 弾む生命で
「伝統の二月」を貫く学会精神——それは、一言にしていえば「氷壁を破る」戦いだ。苦しみ悩む友に、「冬は必ず春」と、希望の灯を点じゆく開拓である。
七十年前(一九五二年)の「二月闘争」の出陣に際し、私が深く祈り願ったのは、蒲田支部の同志が、一人も残らず人間革命の体験と確信をつかむことであった。その歓喜の実証こそが、恩師の誓願された七十五万世帯の折伏という聖業に連なっていくからである。
組二世帯という折伏の目標に、「できるわけがない」との声もあがった。私は、「やらないうちに、できないということはありません。まずは、やってみませんか」と呼び掛けた。
どうすれば、皆が勇んで対話に打って出ていけるか——戸田先生は明快に、「認識」「評価」「実践」という三段階を踏むことが大事であると語られていた。
すなわち、誰かがやるだろうと人ごととするのではなく、一人ひとりが仏法対話を自分の挑戦と認識し、"この戦いが自身の宿命転換になる"と評価すれば、思い切って実践できる、と。
ゆえに、青年の私自身が先陣を切って、アパートの隣人など身近に縁した方々に語りに語った。対話の場があると聞けば、同志と足取りも軽く駆け巡った。
勇気を出して語っても、思いが通じず、落胆する友もいた。すると皆で「よく頑張りましたね」「全部、福徳になるからね」等とねぎらい、讃え合った。
「一人のために」語ること自体に大功徳がある。「仏の種」が蒔かれる。「冥の照覧」は絶対に間違いない。
だからこそ、どの座談会場でも、どんな人との語らいでも、一人ひとりが前を向いて明るく進めるよう、温かな励ましに徹した。
「あの友にも」「この人にも」と声を掛け合う中で、皆が異口同音に「いつの間にか目標を達成していた」と述懐する力が出たのだ。
そして蒲田支部の勢いは日に日に高まり、その波動は全国へ広がった。とともに、妙法に巡り合った友の蘇生と福運の物語が、幾重にも織り成されていった。この時、入会したご一家から、後にアメリカ広布のリーダーが羽ばたいたことも、誉れの歴史である。
◇義経の声を今に
関西の行進も、二月闘争の息吹から始まった。
それは、やがて「立正安国」の黎明を告げる民衆の大連帯へ発展を遂げる。
私と関西同志の忘れ得ぬ宝の一書がある。
二月闘争から五年を経た一九五七年(昭和三十二年)の七月三日、「大阪事件」の渦中に、戸田先生から賜った妙悟空著『人間革命』である。
当時、夕張炭労による学会員への人権侵害事件の解決のために、北海道で戦い、勝利した後、私は空路、大阪へ向かわねばならなかった。大阪府警に出頭するためである。
乗り換えの羽田空港で、戸田先生は、厳父のごとく「征って来なさい!」と言われた。そして別れ際に、ご自身の「出獄」の日を記念して、この日、発刊されたばかりの一冊を手渡してくださったのだ。
大阪への機中、この書を拝し、勇気百倍、不二の闘志を燃え上がらせて、私は無実の容疑による「入獄」という試練に踏み出していったのである。
後日、私は、この書の扉に「戸田城聖先生ヨリ 給ハリシモノ也」「昭和三十二年七月三日ニ」と記し、裏表紙の見返しに一詩を書き留めた。江戸時代後期の漢詩人・梁川星巌が、関西を舞台とした源義経を詠んだ七言絶句である。
「雪は笠檐に灑ぎ
風は袂を捲く
呱々 乳を索むるは
若為なる情ぞ
他年 鉄拐峯頭の嶮
三軍を叱咤するは
是れ此の声」
——幼子三人を連れ、平家の追っ手を逃れて雪中を歩む常盤御前。雪は編み笠のひさしに降り積もり、風は着物のたもとを巻き上げる。赤子の牛若丸(源義経)は、どんな思いなのか、母の乳を求め、泣き叫んでいる。
後年、義経は平家追討の大将軍となって一ノ谷の合戦に臨み、険しい鉄拐山の上から鵯越を駆け下って敵を打ち破った。全軍を叱咤した、この大号令の声こそ、雪中、母の懐で泣いていた牛若丸の声なのだ——と。
この詩に託し、私は壮大な逆転劇を心に期した。
横暴な権力の魔性に、善良な庶民がどれほど苦しみ泣かされてきたことか。
だが、今に見よ! 父母の涙を知る正義の青年群が力をつけ、いかなる大難にも屈せぬ、師子王の陣列を必ず築いてみせる。そして、断じて民衆の凱歌を轟かせてみせるのだ、と。
この私の決心を、関西の友は我が心とし、「負けたらあかん!」と常勝の錦州城を築き上げてくれたのだ。
◇飛躍は祈りから
「伝統の二月」を、全世界の同志が"私自身、そして私たちの対話で飾ろう"と励んでくれている。
インドでは、毎年二月を「カマタ(蒲田)キャンペーン」と掲げ、広布の前進がいやまして加速する。
三十年前(一九九二年)の二月十一日——戸田先生生誕の日に、首都ニューデリーで、私はマハトマ・ガンジーが展開した非暴力の民衆運動を巡って記念講演を行った。
第二次世界大戦中、ガンジーが最後の獄中闘争に臨んでいた、まさに同じ頃、恩師も日本の軍国主義に抗して獄中にあったのである。
ガンジーは訴えた。
"祈りとは、自分自身との戦いであり、逆境や絶望を克服しゆく勇気の挑戦であるのだ"と。
今、私たちの広布誓願の祈りは、仏教源流の天地・インドをはじめ、全世界を包む時代となった。
コロナ禍でも、創価家族の心は、自在に通い合う。
先日の本部幹部会では、兵庫女性部の「ひまわり合唱団」の皆さんが、ブラジルSGIの愛唱歌をはつらつと歌い上げてくれた。兵庫・関西と縁の深いブラジルの友も喜ばれている。
兵庫の未来部と青年部の代表も"大楠公"を凜々しく大合唱し、感動を呼んだ。
恩師のもとで熱唱した正義の魂を、従藍而青の若人が歌い継いでくれていることは、何と頼もしいことか。
牧口先生と戸田先生が、共に線を引かれ、大切にされていた御聖訓に、「よき師と、よき檀那と、よき法と、この三つ寄り合って祈りを成就し、国土の大難をも払うべきものなり」(新695・全550)と仰せである。
この「師弟不二」にして「異体同心」という最極の絆で結ばれた我らは、広布と人生の祈りを一つ一つ成就し、断固、社会と世界の大難を変毒為薬していくのだ。地上から"悲惨"の二字をなくしたいと願われた恩師の心を継いで、立正安世界を祈り開いていくのだ!
創価の若き世界市民には、人類の良識から、深い信頼と期待が託されている。
熱き心の連帯と弾む生命で、分厚い氷壁をも破り、地球民族の平和と尊厳の春へ、不屈の人華を咲かせ、いよいよの飛躍を頼む!
2022年2月28日月曜日
2022年2月27日日曜日
2022.02.27 わが友に贈る
信心は諦めや無力感との
間断なき闘いだ。
未来を開く力は
自分自身の胸中に!
この確信を強く深く!
清澄寺大衆中 P894
『此れを申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために建長五年四月二十八日安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして浄円房と申す者並びに少少の大衆にこれを申しはじめて其の後二十余年が間退転なく申す』
【通解】
これを言えば、必ず、日蓮の命にかかわることになるであろうと承知していたけれども、虚空蔵菩薩の御恩を報ずるために、建長5年4月28日、安房の国・東条の郷にある清澄寺の道善房の持仏望の南面において、浄円房という者、ならびに少々の大衆に、これを言い始めて、その後20余年の間、退転することなく言ってきた。
名字の言 車いすの壮年部員から学んだこと 2022年2月27日
生まれつきの病気で障がいを負った壮年と共に訪問・激励に歩き、大切なことを学んだ▼「そこ、段差がありますよ」「溝に気を付けて」と気遣いながら、電動車いすに乗ってさっそうと先導してくれる彼。「僕の目の高さは1メートルちょっと。この高さだから気付けることがいっぱいあるんです」。休憩中、スマホをサクサク操作し、友人にメッセージを送信。「どうですか、女子高生並みの早打ちでしょう」と笑顔で語る▼彼は会館で同志を迎える王城会の一員でもある。弘教も実らせた。「僕が頑張れば周りが喜んでくれる。心の中の池田先生がほほ笑んでくれる。こんな醍醐味はありませんよ」。つらいこともずいぶんあったろう。だが、それを乗り越えてきたゆえの強さ、明るさ、温かさを感じさせる人柄に触れ、こちらまで幸せな気持ちになった▼豊かさとは何か。物、お金、社会的な立場……。どれも大切な要素だろう。しかしそれも"自分だけよければ"との幸福観では、かえって心が貧しくなり、不幸になりかねない▼悩みや試練さえ糧にして人間革命に挑む。全てを人生の財産にしていく。その道を照らす師匠、支え合う同志、不屈の信仰——この「心の宝」を持つ人こそが真の豊かさを知り、幸福になる。
寸鉄 2022年2月27日
宿縁に催されて、生を仏法流布の国土に受けたり—御書。皆、尊き仏の使い(新729・全574)
各地で「女性部の日」。日々の深き祈りと活躍で広布は伸展。幸の春風を
難は宿命転換の好機なのだ—恩師。題目根本に自身の課題勝ち越えて飛躍
時間がないからと善事を延ばしてはならぬ—哲人ヒルティ 決意即行動で勇気の一歩
除雪中の事故に注意を。高所は命綱着用、複数人で。高齢者は無理をせず
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 3・16(上)
空高く翻れ! 創価後継の旗
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は小説『人間革命』第12巻「後継」の章から、3・16「広宣流布記念の日」の意義について紹介します。
【背景】
「大作、あとはお前だ。頼むぞ!」
1958年(昭和33年)3月1日、静岡で創価学会が宗門に建立寄進した大講堂落慶の式典が開催された。戸田先生は前年の暮れ、生涯の願業となる75万世帯の弘教を達成。衰弱した体を押して式典に出席し、終了後、後事の一切を池田先生に託した。
祝賀行事が始まって1週間が過ぎた頃、3月16日に時の首相が来訪するとの報が入る。戸田先生は、この日に青年部を集結させようと提案。当日は首相の代理の出席となったが、命の火がまさに燃え尽きんとする中で、広宣流布のバトンを渡す後継の青年の育成に、最後の最後まで力を注いでいく。
◇次代の責任と使命を青年に
〈1958年(昭和33年)3月、戸田城聖のもとに、かねてから親交のあった、当時の首相から16日に総本山に参詣したいとの連絡が入った〉
戸田は、にこやかに笑みを浮かべながら伸一に言った。
「よい機会だ。この日に、青年部を登山させようじゃないか。そして、将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしよう」
彼が、模擬試験と言ったのは、広宣流布の全責任と使命を、次代を担う青年たちに託すために、その成就を想定した、模擬的な儀式を行うことを意味していた。(中略)
広宣流布が進めば、梵天も、帝釈も、正法を求めて集い来ることは、間違いない。大梵天王・帝釈等とは、現実に即して考えるならば、法華経を守護する働きを担う社会の指導者層といってよい。つまり、一国の宰相はもとより、各国、各界の指導者が、大聖人の仏法に共感し、讃嘆する日が来ることを、一つの儀式というかたちをもって、戸田は示そうとしたのである。
戸田城聖は、目を輝かせながら言った。
「広宣流布がなされれば、首相をはじめ各界の指導者が、この仏法を信奉して、世界の平和と繁栄を祈念する日がやって来る。いや、その時代を、青年の手で、必ずつくっていくのだ。伸一、ぼくは、この三月十六日の式典を、"広宣流布の印綬"を君たちに託す儀式にしようと思っているんだよ。この式典の全責任は、君がもつのだ。思い通りに、力いっぱいやりたまえ」
戸田の口調は穏やかであったが、その目は光り、ただならぬ決意と気迫を漂わせていた。
「はい、見事な後継の誓いの集いにいたします」
彼は、伸一の返事に、笑顔で頷いた。くつろいだ和服姿の襟元からのぞく、戸田の首筋の皺が、痛々しいまでに体のやつれを物語っていた。伸一には、恩師の命の火は、まさに燃え尽きんとしていることが直感された。
(321〜323ページ)
◇広布への一念が真価を発揮
〈"広宣流布の模擬試験"を行う——その知らせは、瞬く間に、関係組織の隅々にまで流れた〉
人づてに知らせを受けた青年たちは、それが何を意味するのか理解しかねた。しかし、体調の思わしくない師の戸田城聖が、この日を楽しみにし、青年部の来るのを待っていると聞き、何か計り知れない、大きな意義を込めた式典が行われることを感じ取った。
青年部員の多くは、総登山の役員として、既に登山したか、三月後半には登山することになっていた。そこに青年部の登山が重なることになる。十六日は日曜日とはいえ、時間を確保することは容易ではなかった。
しかし、愚痴や文句を言う人は、誰一人としていなかった。万障繰り合わせて、是が非でも、戸田のもとに馳せ参じようとしていた。
戸田は、折に触れて、「いざという時、広宣流布の戦場に駆けつけられるかどうかだ」と語ってきたが、青年たちは、今、その時が来たと思った。広宣流布への決定した一念は、まことの時に、その真価が発揮されるといえよう。
財も、地位も、名誉も欲せず、ただひたすら広宣流布を夢見てきた青年たちにとっては、師匠・戸田城聖が指揮を執る晴れの式典に参加できることは、無上の誉れであり、喜びであった。胸躍らせながら、直前に迫ったこの日を待った。
戸田の胸中には、広宣流布の模擬的な式典を行うという構想が、既に三月一日の大講堂落慶法要の前から、描かれていたのである。
彼は、首相が落慶法要に参列できず、日を改めて総本山に参詣したいとの知らせを受けた時から、その折に青年部を登山させ、広宣流布成就の日の姿を象徴的に示す儀式を、挙行しようと決めていた。また、その式典が、自らの手で青年たちを訓練する、最後の機会になるであろうことを感じていた。
(324〜325ページ)
◇学会は宗教界の王者である
〈およそ6000人の青年が集結し、広宣流布を記念する式典が行われた。席上、戸田城聖は、後継の青年たちに師子吼した〉
「妙法のもとには、皆、平等です。そして、個人も、国家も、幸せと繁栄を得るには、正法を根幹とする以外にはない。ゆえに、われわれには、広宣流布を断じてなさねばならぬ使命がある。それを今日、私は、君たち青年に託しておきたい。未来は、君たちに任せる。頼むぞ、広宣流布を!」
それは、戸田の命の叫びであった。稲妻に打たれたような深い感動が、六千余の青年たちの胸を貫いた。束の間、凜とした厳粛な静寂が辺りをつつんだ。感動は、決意となって青年たちの胸中に吹き上げ、次の瞬間、嵐のような拍手が天に舞った。空には、広宣流布の誓いに燃え立つ青年をつつみ込むように、白雪を頂いた富士がそびえ立っていた。
戸田は、一同を見渡すと、力強い口調で語った。
「創価学会は、宗教界の王者であります。何も恐れるものなどない。諸君は、その後継者であるとの自覚を忘れることなく、広宣流布の誉れの法戦に、花の若武者として、勇敢に戦い進んでもらいたい」
創価学会は、宗教界の王者である——その言葉は、戸田が生涯をかけた広宣流布の、勝利の大宣言にほかならなかった。また、彼が青年たちに放った、人生の最後の大師子吼となったのである。
戸田は、こう言って話を結んだ。
「今日は、少し話が長すぎてしまった。話しておきたいことは、たくさんあるのだが、これくらいにしておこう」
彼が、名残惜しそうに話を打ち切ると、盛んな拍手が、しばし鳴りやまなかった。青年たちは、病み、衰えた師の体内から発せられた、鮮烈な魂の光彩を浴びた思いに駆られていた。
(352〜353ページ)
◇弟子たちの新たな誓いの日
〈式典の終了後、戸田城聖は雪化粧をした富士山を眺め、思いを馳せた〉
戸田の脳裏に、獄中に逝いた師の牧口常三郎の面影が浮かんだ。牧口が柱と頼む弟子は、自分をおいて誰もいなかったことを、彼は、しみじみと思い返した。
最愛の恩師を亡くし、憤怒に身を焦がしながら、敗戦の焼け野原に、ただ一人立ったあの日から十三星霜——彼の腕で育った若人たちは、さっそうと広宣流布の"長征"に旅立ったのである。
戸田は、心で牧口に語りかけた。
"先生! 戸田は、あなたのご遺志を受け継いで、広宣流布の万代の基盤をつくりあげ、ただ今、後事の一切を、わが愛弟子に託しました。先生のご遺志は、青年たちの胸のなかで、真っ赤な血潮となって脈打っております。妙法広布の松明が、東洋へ、世界へと、燃え広がる日も、もはや、遠くはございません"
彼の胸に、にっこりと笑みを浮かべ、頷く牧口の顔が映じた。吹き渡る春風が、彼の頬をなでた。
山本伸一は、車駕と共に歩みを運びながら、戸田を仰いだ。戸田は、静かに目を閉じ、口もとには、ほのかな微笑を浮かべていた。伸一には、それは、生涯にわたる正法の戦いを勝利した、広宣流布の大将軍が凱旋する姿に思えた。
しかし、晴れやかではあるが、そのやつれた相貌から、妙法の諸葛孔明・戸田城聖の命は、まさに燃え尽きようとしていることを、感じないわけにはいかなかった。
伸一は、戸田を仰ぎ見ながら、ひとり誓うのであった。
"先生、広宣流布は、必ず、われら弟子の手でいたします! どうか、ご安心ください"
広宣流布の印綬は、今、弟子・山本伸一に託された。創価後継の旗は、戸田の顔前に空高く翻ったのである。太陽に白雪の富士はまばゆく輝き、微笑むように、その光景を見守っていた。
この三月十六日は、のちに「広宣流布記念の日」となり、広宣流布を永遠不滅ならしめる、弟子たちの新たな誓いの日となった。
(355〜356ページ)
間断なき闘いだ。
未来を開く力は
自分自身の胸中に!
この確信を強く深く!
清澄寺大衆中 P894
『此れを申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために建長五年四月二十八日安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして浄円房と申す者並びに少少の大衆にこれを申しはじめて其の後二十余年が間退転なく申す』
【通解】
これを言えば、必ず、日蓮の命にかかわることになるであろうと承知していたけれども、虚空蔵菩薩の御恩を報ずるために、建長5年4月28日、安房の国・東条の郷にある清澄寺の道善房の持仏望の南面において、浄円房という者、ならびに少々の大衆に、これを言い始めて、その後20余年の間、退転することなく言ってきた。
名字の言 車いすの壮年部員から学んだこと 2022年2月27日
生まれつきの病気で障がいを負った壮年と共に訪問・激励に歩き、大切なことを学んだ▼「そこ、段差がありますよ」「溝に気を付けて」と気遣いながら、電動車いすに乗ってさっそうと先導してくれる彼。「僕の目の高さは1メートルちょっと。この高さだから気付けることがいっぱいあるんです」。休憩中、スマホをサクサク操作し、友人にメッセージを送信。「どうですか、女子高生並みの早打ちでしょう」と笑顔で語る▼彼は会館で同志を迎える王城会の一員でもある。弘教も実らせた。「僕が頑張れば周りが喜んでくれる。心の中の池田先生がほほ笑んでくれる。こんな醍醐味はありませんよ」。つらいこともずいぶんあったろう。だが、それを乗り越えてきたゆえの強さ、明るさ、温かさを感じさせる人柄に触れ、こちらまで幸せな気持ちになった▼豊かさとは何か。物、お金、社会的な立場……。どれも大切な要素だろう。しかしそれも"自分だけよければ"との幸福観では、かえって心が貧しくなり、不幸になりかねない▼悩みや試練さえ糧にして人間革命に挑む。全てを人生の財産にしていく。その道を照らす師匠、支え合う同志、不屈の信仰——この「心の宝」を持つ人こそが真の豊かさを知り、幸福になる。
寸鉄 2022年2月27日
宿縁に催されて、生を仏法流布の国土に受けたり—御書。皆、尊き仏の使い(新729・全574)
各地で「女性部の日」。日々の深き祈りと活躍で広布は伸展。幸の春風を
難は宿命転換の好機なのだ—恩師。題目根本に自身の課題勝ち越えて飛躍
時間がないからと善事を延ばしてはならぬ—哲人ヒルティ 決意即行動で勇気の一歩
除雪中の事故に注意を。高所は命綱着用、複数人で。高齢者は無理をせず
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 3・16(上)
空高く翻れ! 創価後継の旗
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は小説『人間革命』第12巻「後継」の章から、3・16「広宣流布記念の日」の意義について紹介します。
【背景】
「大作、あとはお前だ。頼むぞ!」
1958年(昭和33年)3月1日、静岡で創価学会が宗門に建立寄進した大講堂落慶の式典が開催された。戸田先生は前年の暮れ、生涯の願業となる75万世帯の弘教を達成。衰弱した体を押して式典に出席し、終了後、後事の一切を池田先生に託した。
祝賀行事が始まって1週間が過ぎた頃、3月16日に時の首相が来訪するとの報が入る。戸田先生は、この日に青年部を集結させようと提案。当日は首相の代理の出席となったが、命の火がまさに燃え尽きんとする中で、広宣流布のバトンを渡す後継の青年の育成に、最後の最後まで力を注いでいく。
◇次代の責任と使命を青年に
〈1958年(昭和33年)3月、戸田城聖のもとに、かねてから親交のあった、当時の首相から16日に総本山に参詣したいとの連絡が入った〉
戸田は、にこやかに笑みを浮かべながら伸一に言った。
「よい機会だ。この日に、青年部を登山させようじゃないか。そして、将来のために、広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしよう」
彼が、模擬試験と言ったのは、広宣流布の全責任と使命を、次代を担う青年たちに託すために、その成就を想定した、模擬的な儀式を行うことを意味していた。(中略)
広宣流布が進めば、梵天も、帝釈も、正法を求めて集い来ることは、間違いない。大梵天王・帝釈等とは、現実に即して考えるならば、法華経を守護する働きを担う社会の指導者層といってよい。つまり、一国の宰相はもとより、各国、各界の指導者が、大聖人の仏法に共感し、讃嘆する日が来ることを、一つの儀式というかたちをもって、戸田は示そうとしたのである。
戸田城聖は、目を輝かせながら言った。
「広宣流布がなされれば、首相をはじめ各界の指導者が、この仏法を信奉して、世界の平和と繁栄を祈念する日がやって来る。いや、その時代を、青年の手で、必ずつくっていくのだ。伸一、ぼくは、この三月十六日の式典を、"広宣流布の印綬"を君たちに託す儀式にしようと思っているんだよ。この式典の全責任は、君がもつのだ。思い通りに、力いっぱいやりたまえ」
戸田の口調は穏やかであったが、その目は光り、ただならぬ決意と気迫を漂わせていた。
「はい、見事な後継の誓いの集いにいたします」
彼は、伸一の返事に、笑顔で頷いた。くつろいだ和服姿の襟元からのぞく、戸田の首筋の皺が、痛々しいまでに体のやつれを物語っていた。伸一には、恩師の命の火は、まさに燃え尽きんとしていることが直感された。
(321〜323ページ)
◇広布への一念が真価を発揮
〈"広宣流布の模擬試験"を行う——その知らせは、瞬く間に、関係組織の隅々にまで流れた〉
人づてに知らせを受けた青年たちは、それが何を意味するのか理解しかねた。しかし、体調の思わしくない師の戸田城聖が、この日を楽しみにし、青年部の来るのを待っていると聞き、何か計り知れない、大きな意義を込めた式典が行われることを感じ取った。
青年部員の多くは、総登山の役員として、既に登山したか、三月後半には登山することになっていた。そこに青年部の登山が重なることになる。十六日は日曜日とはいえ、時間を確保することは容易ではなかった。
しかし、愚痴や文句を言う人は、誰一人としていなかった。万障繰り合わせて、是が非でも、戸田のもとに馳せ参じようとしていた。
戸田は、折に触れて、「いざという時、広宣流布の戦場に駆けつけられるかどうかだ」と語ってきたが、青年たちは、今、その時が来たと思った。広宣流布への決定した一念は、まことの時に、その真価が発揮されるといえよう。
財も、地位も、名誉も欲せず、ただひたすら広宣流布を夢見てきた青年たちにとっては、師匠・戸田城聖が指揮を執る晴れの式典に参加できることは、無上の誉れであり、喜びであった。胸躍らせながら、直前に迫ったこの日を待った。
戸田の胸中には、広宣流布の模擬的な式典を行うという構想が、既に三月一日の大講堂落慶法要の前から、描かれていたのである。
彼は、首相が落慶法要に参列できず、日を改めて総本山に参詣したいとの知らせを受けた時から、その折に青年部を登山させ、広宣流布成就の日の姿を象徴的に示す儀式を、挙行しようと決めていた。また、その式典が、自らの手で青年たちを訓練する、最後の機会になるであろうことを感じていた。
(324〜325ページ)
◇学会は宗教界の王者である
〈およそ6000人の青年が集結し、広宣流布を記念する式典が行われた。席上、戸田城聖は、後継の青年たちに師子吼した〉
「妙法のもとには、皆、平等です。そして、個人も、国家も、幸せと繁栄を得るには、正法を根幹とする以外にはない。ゆえに、われわれには、広宣流布を断じてなさねばならぬ使命がある。それを今日、私は、君たち青年に託しておきたい。未来は、君たちに任せる。頼むぞ、広宣流布を!」
それは、戸田の命の叫びであった。稲妻に打たれたような深い感動が、六千余の青年たちの胸を貫いた。束の間、凜とした厳粛な静寂が辺りをつつんだ。感動は、決意となって青年たちの胸中に吹き上げ、次の瞬間、嵐のような拍手が天に舞った。空には、広宣流布の誓いに燃え立つ青年をつつみ込むように、白雪を頂いた富士がそびえ立っていた。
戸田は、一同を見渡すと、力強い口調で語った。
「創価学会は、宗教界の王者であります。何も恐れるものなどない。諸君は、その後継者であるとの自覚を忘れることなく、広宣流布の誉れの法戦に、花の若武者として、勇敢に戦い進んでもらいたい」
創価学会は、宗教界の王者である——その言葉は、戸田が生涯をかけた広宣流布の、勝利の大宣言にほかならなかった。また、彼が青年たちに放った、人生の最後の大師子吼となったのである。
戸田は、こう言って話を結んだ。
「今日は、少し話が長すぎてしまった。話しておきたいことは、たくさんあるのだが、これくらいにしておこう」
彼が、名残惜しそうに話を打ち切ると、盛んな拍手が、しばし鳴りやまなかった。青年たちは、病み、衰えた師の体内から発せられた、鮮烈な魂の光彩を浴びた思いに駆られていた。
(352〜353ページ)
◇弟子たちの新たな誓いの日
〈式典の終了後、戸田城聖は雪化粧をした富士山を眺め、思いを馳せた〉
戸田の脳裏に、獄中に逝いた師の牧口常三郎の面影が浮かんだ。牧口が柱と頼む弟子は、自分をおいて誰もいなかったことを、彼は、しみじみと思い返した。
最愛の恩師を亡くし、憤怒に身を焦がしながら、敗戦の焼け野原に、ただ一人立ったあの日から十三星霜——彼の腕で育った若人たちは、さっそうと広宣流布の"長征"に旅立ったのである。
戸田は、心で牧口に語りかけた。
"先生! 戸田は、あなたのご遺志を受け継いで、広宣流布の万代の基盤をつくりあげ、ただ今、後事の一切を、わが愛弟子に託しました。先生のご遺志は、青年たちの胸のなかで、真っ赤な血潮となって脈打っております。妙法広布の松明が、東洋へ、世界へと、燃え広がる日も、もはや、遠くはございません"
彼の胸に、にっこりと笑みを浮かべ、頷く牧口の顔が映じた。吹き渡る春風が、彼の頬をなでた。
山本伸一は、車駕と共に歩みを運びながら、戸田を仰いだ。戸田は、静かに目を閉じ、口もとには、ほのかな微笑を浮かべていた。伸一には、それは、生涯にわたる正法の戦いを勝利した、広宣流布の大将軍が凱旋する姿に思えた。
しかし、晴れやかではあるが、そのやつれた相貌から、妙法の諸葛孔明・戸田城聖の命は、まさに燃え尽きようとしていることを、感じないわけにはいかなかった。
伸一は、戸田を仰ぎ見ながら、ひとり誓うのであった。
"先生、広宣流布は、必ず、われら弟子の手でいたします! どうか、ご安心ください"
広宣流布の印綬は、今、弟子・山本伸一に託された。創価後継の旗は、戸田の顔前に空高く翻ったのである。太陽に白雪の富士はまばゆく輝き、微笑むように、その光景を見守っていた。
この三月十六日は、のちに「広宣流布記念の日」となり、広宣流布を永遠不滅ならしめる、弟子たちの新たな誓いの日となった。
(355〜356ページ)
2022年2月26日土曜日
2022.02.26 わが友に贈る
"国土泰平・天下安穏は
万民の楽うところなり"
全世界の民衆の幸福を
心一つに祈り抜き
平和への連帯を今こそ!
経王殿御返事 P1124
『わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき』
【通解】
災いも転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか。
名字の言 元世界王者・具志堅用高氏の真骨頂 2022年2月26日
石垣島や西表島を中心に生息する特別天然記念物のカンムリワシ。絶滅危惧種にも指定され、活動が活発になる2月ごろに観察会が行われる。今年も勇壮な姿が確認され、喜びが報じられた▼「カンムリワシ」の異名で世界を制したボクシングの具志堅用高氏。"100年に一人の天才"とも評されたが、"練習が作り上げた努力型のボクサー"と自らを語った。悩みのパワー不足は徹底した鍛錬で克服。強打と速さで強豪と渡り合った▼王座防衛中も、試合前は不安と恐怖に襲われた。だがゴングが鳴れば練習通りに体が動き、常に冷静な試合運びを見せた。"不安が大きいほど彼の神経は集中する""強い相手ほど鮮やかに倒した"——氏の真骨頂は逆境の中でこそ光った(『負けたくなかった』中公新書ラクレ)▼紙一重の勝負で、勝利を引き寄せる大きな要因は精神力。その力は不断の努力と挑戦によって築かれる。スポーツジャーナリストの二宮清純氏は"技術の追求こそがメンタル面の強化につながる"と述べている▼池田先生は長編詩に詠んだ。「人間誰しも/敵に負ける前に/己に負ける」「立ちはだかる壁に逡巡する前に/己の影に/ひるんでいるのだ」と。自らを制覇する「勇気の人」に栄冠は輝く。
寸鉄 2022年2月26日
会長が育む若者は目的観持ち人間的に光っている—パラグアイ総長。未来開く大陣列
青年幹へ後継の友が弘教拡大。皆が新時代の主役。希望の哲理を堂々と語れ
壮年・男子部が呼吸を合わせれば力は倍加。悩みも喜びも共有し共に成長
「給付金受け取れます」—コロナを絡めた詐欺に要注意。不審な点は即相談
各地で火災。煙草、コンロが原因のケース多数と。消し忘れないかよく確認
☆青年・飛躍の源流——二月闘争70周年 第4回 「一人」を大切にする心
今年1月の本部幹部会に、池田先生はメッセージを寄せた。
「あの70年前の二月闘争の折、私は蒲田支部の同志と報恩の弘教に奔走しながら、凍てつく夜空に冴え光る満天の星を、よく仰ぎました。そして広大な宇宙の中で、久遠からの誓いの友と、妙法流布に生き抜く『歓喜の中の大歓喜』のロマンを朗らかに語り合ったのです」
そして「大桜」と合わせて「大心」——「大いなる心」としたためた書を贈った。
二月闘争の当時、「支部200世帯」を目指す同志に、不思議と、目標に追われる息苦しさはなかった。池田先生は、貧しさや病の宿命と戦う同志に、何より「希望」を与えてくれた。先生と一緒にいると、心が広々と、大きくなる気がした。
◇夜空を指さし
1952年(昭和27年)より前のことだが、座談会の後、ある女子部の友は、男子部と一緒に歩く池田先生と、帰り道が同じになった。
信心の話をしているかと思ったら、先生は宇宙の話をしていた。「いい空だね。見てごらん」と夜空を指さし、「ほら、あの星がね——」と。
日々を生きるのに懸命で、悠々と宇宙の話をする人など周りにいなかった。印象があまりに鮮烈で、しばらくは先生のことを「宇宙の人」と、女子部の仲間で呼んでいた。
50年(同25年)に池田先生の紹介で入会した友がいた。その友は、先生が住む大森の「青葉荘」に、指導を受けによく通った。
「戸田先生は世界広布を実行されている王者です」
「宗教革命をするんです。宗教革命とは、血を流すことではなく、無血革命です」
「私は小説も書きますから、見ていてください」
全てその頃、先生から聞いた話だという。「今思えば、池田先生の生命の中に、広宣流布の構想が既に出来上がっていたのだと思います」
また別の友は、自宅で開かれた男子部の会合で、「今にアメリカ、ヨーロッパ、アフリカに支部をつくるんだ。広布をするんです」と先生が話すのを耳にしている。
日本はまだ占領下で、海外渡航すらできない時代。「大空に向かって針をプツンと刺したような、夢のまた夢の話でした」「しかし、真剣な顔で話されている先生を目の当たりにして、ものすごく新鮮に聞こえました」
そして15年とたたないうちに、第3代会長となった先生の手で、それらの支部結成は全て実現することになる。
◇楽しく行こう!
二月闘争の火ぶたが切られると、池田先生は最前線の「組」を歩きに歩いた。一緒に祈り、語らい、励ました。支部幹事として、支部長・支部婦人部長(当時)を支える「陰の戦い」に徹したのである。
折伏は難事中の難事である。勇気を出して、相手の家を訪ねても、追い返され、悪口を浴びせられ、悔し涙を流すことも多かった。だが弘教ができなくても、池田先生は、同志のことを決して怒らなかったという。
「どうだった?」とまず成果を聞く幹部も多かった中、先生は結果にかかわらず、「全部、福徳になるからね」「よく頑張りましたね」と笑顔でたたえた。
折伏への道中、緊張して足がすくんでいる同志を見ると、「学会歌を歌って、楽しく行きましょう!」と。
結集の少ない会合に行った時は、まずしんしんと題目をあげ、「お元気ですか!」「頑張りましょう!」と、集まった同志を励ますことに全身全霊を尽くすのだった。
こうした「一人への励まし」が、友の生命に希望の灯をともした。先生に会うと、喜びと戦う勇気が湧いてきた。
池田先生は振り返る。
「支部の百人近い組長全員が主役に! 皆が勝利者に! 一人が百歩前進するよりも、百人が一歩前進を!
私は、一つの『組』も落とさない決心で、一人一人が功徳を実感できるようにと、祈り、支部内を縦横無尽に走り回った。
新しい人材を見つけ、新しい力を結集する。そこに勝利のカギがあるからだ」(「随筆 新・人間革命」)
「一人が立ち上がる。そして、その一人が新たな一人と共に立ち上がっていく。広宣流布とは、どこまでも地道な戦いだ。
二月闘争の精神は、今も不滅である。一対一の絆。これが、最も大切なのである。目の前の一人の背後には、家族や友人がいる。無数の縁が広がっている。一人を誠実に励まし、希望を送ることは、私たちがまだ知らない誰かをも勇気づけていく大いなる因となるのだ。
恩師は断言された。『学会は、どんどん大きくなるだろうが、一人を大切にする心を忘れないかぎり、盤石だよ』」(「随筆『人間革命』光あれ」)
二月闘争たけなわの頃、先生がある同志宅に立ち寄ると、母が学会活動で家を空けるなか、5歳の少年が祖母と留守番をしていた。
先生は「今に君もしっかり僕たちと頑張るんだよ」と励ましながら、一枚の紙に絵を描き始めた。
富士山の絵だった。頂上には旗が立っていて、何人もの人が山頂を目指している。一番下に、麓から登り始める一人を加えた。
先生は少年に語った。
「これが君なんだよ! 将来、君も一緒に、広宣流布の山を登っていこうよ」
小説『新・人間革命』に池田先生はつづっている。
「創価学会とは励ましの世界である。励ましは慈悲の発露であり、この実践のなかに仏法がある。広宣流布とは、励ましのスクラムを地域へ、世界へと広げゆく聖業なのだ」(第29巻「清新」の章)
二月闘争の当時、学会はまだ1万世帯にも満たない小さな教団だった。
しかし、戸田先生の命を受けて第一線に躍り出た青年の激闘が源流となって、御書に仰せの通り「わとうども二陣三陣つづきて」(新1227・全911)と人材の流れが広がり、師弟の誓願である世界広宣流布の未来が開かれていくのである。
☆御書と未来へ 第7回 多様性を尊重し合う社会を
〈御文〉
『「如来」とは、三界の衆生なり。この衆生寿量品の眼開けてみれば、十界本有と実のごとく知見せり。』(御義口伝、新1050・全753)
〈通解〉
(経文に説かれている)「如来」とは、久遠実成の釈尊だけではなく、さらには三界の衆生である。寿量品の眼を開けて、この三界の衆生を見れば、そのまま十界本有の当体である、とありのままに知見できるのである。
〈池田先生が贈る指針〉
全ての人に、本有の仏の生命が具わっている。人種や民族、性別などあらゆる差異を超えて、一人一人が桜梅桃李の個性を自体顕照しゆく存在なのだ。
誰もが自分らしく生き生きと輝ける社会へ! 平等性と多様性を最大に尊重し合う"地球民族の共和"を、自身の足下から、創価の世界市民が創り開くのだ。
万民の楽うところなり"
全世界の民衆の幸福を
心一つに祈り抜き
平和への連帯を今こそ!
経王殿御返事 P1124
『わざはひも転じて幸となるべし、あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき』
【通解】
災いも転じて幸いとなるであろう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか。
名字の言 元世界王者・具志堅用高氏の真骨頂 2022年2月26日
石垣島や西表島を中心に生息する特別天然記念物のカンムリワシ。絶滅危惧種にも指定され、活動が活発になる2月ごろに観察会が行われる。今年も勇壮な姿が確認され、喜びが報じられた▼「カンムリワシ」の異名で世界を制したボクシングの具志堅用高氏。"100年に一人の天才"とも評されたが、"練習が作り上げた努力型のボクサー"と自らを語った。悩みのパワー不足は徹底した鍛錬で克服。強打と速さで強豪と渡り合った▼王座防衛中も、試合前は不安と恐怖に襲われた。だがゴングが鳴れば練習通りに体が動き、常に冷静な試合運びを見せた。"不安が大きいほど彼の神経は集中する""強い相手ほど鮮やかに倒した"——氏の真骨頂は逆境の中でこそ光った(『負けたくなかった』中公新書ラクレ)▼紙一重の勝負で、勝利を引き寄せる大きな要因は精神力。その力は不断の努力と挑戦によって築かれる。スポーツジャーナリストの二宮清純氏は"技術の追求こそがメンタル面の強化につながる"と述べている▼池田先生は長編詩に詠んだ。「人間誰しも/敵に負ける前に/己に負ける」「立ちはだかる壁に逡巡する前に/己の影に/ひるんでいるのだ」と。自らを制覇する「勇気の人」に栄冠は輝く。
寸鉄 2022年2月26日
会長が育む若者は目的観持ち人間的に光っている—パラグアイ総長。未来開く大陣列
青年幹へ後継の友が弘教拡大。皆が新時代の主役。希望の哲理を堂々と語れ
壮年・男子部が呼吸を合わせれば力は倍加。悩みも喜びも共有し共に成長
「給付金受け取れます」—コロナを絡めた詐欺に要注意。不審な点は即相談
各地で火災。煙草、コンロが原因のケース多数と。消し忘れないかよく確認
☆青年・飛躍の源流——二月闘争70周年 第4回 「一人」を大切にする心
今年1月の本部幹部会に、池田先生はメッセージを寄せた。
「あの70年前の二月闘争の折、私は蒲田支部の同志と報恩の弘教に奔走しながら、凍てつく夜空に冴え光る満天の星を、よく仰ぎました。そして広大な宇宙の中で、久遠からの誓いの友と、妙法流布に生き抜く『歓喜の中の大歓喜』のロマンを朗らかに語り合ったのです」
そして「大桜」と合わせて「大心」——「大いなる心」としたためた書を贈った。
二月闘争の当時、「支部200世帯」を目指す同志に、不思議と、目標に追われる息苦しさはなかった。池田先生は、貧しさや病の宿命と戦う同志に、何より「希望」を与えてくれた。先生と一緒にいると、心が広々と、大きくなる気がした。
◇夜空を指さし
1952年(昭和27年)より前のことだが、座談会の後、ある女子部の友は、男子部と一緒に歩く池田先生と、帰り道が同じになった。
信心の話をしているかと思ったら、先生は宇宙の話をしていた。「いい空だね。見てごらん」と夜空を指さし、「ほら、あの星がね——」と。
日々を生きるのに懸命で、悠々と宇宙の話をする人など周りにいなかった。印象があまりに鮮烈で、しばらくは先生のことを「宇宙の人」と、女子部の仲間で呼んでいた。
50年(同25年)に池田先生の紹介で入会した友がいた。その友は、先生が住む大森の「青葉荘」に、指導を受けによく通った。
「戸田先生は世界広布を実行されている王者です」
「宗教革命をするんです。宗教革命とは、血を流すことではなく、無血革命です」
「私は小説も書きますから、見ていてください」
全てその頃、先生から聞いた話だという。「今思えば、池田先生の生命の中に、広宣流布の構想が既に出来上がっていたのだと思います」
また別の友は、自宅で開かれた男子部の会合で、「今にアメリカ、ヨーロッパ、アフリカに支部をつくるんだ。広布をするんです」と先生が話すのを耳にしている。
日本はまだ占領下で、海外渡航すらできない時代。「大空に向かって針をプツンと刺したような、夢のまた夢の話でした」「しかし、真剣な顔で話されている先生を目の当たりにして、ものすごく新鮮に聞こえました」
そして15年とたたないうちに、第3代会長となった先生の手で、それらの支部結成は全て実現することになる。
◇楽しく行こう!
二月闘争の火ぶたが切られると、池田先生は最前線の「組」を歩きに歩いた。一緒に祈り、語らい、励ました。支部幹事として、支部長・支部婦人部長(当時)を支える「陰の戦い」に徹したのである。
折伏は難事中の難事である。勇気を出して、相手の家を訪ねても、追い返され、悪口を浴びせられ、悔し涙を流すことも多かった。だが弘教ができなくても、池田先生は、同志のことを決して怒らなかったという。
「どうだった?」とまず成果を聞く幹部も多かった中、先生は結果にかかわらず、「全部、福徳になるからね」「よく頑張りましたね」と笑顔でたたえた。
折伏への道中、緊張して足がすくんでいる同志を見ると、「学会歌を歌って、楽しく行きましょう!」と。
結集の少ない会合に行った時は、まずしんしんと題目をあげ、「お元気ですか!」「頑張りましょう!」と、集まった同志を励ますことに全身全霊を尽くすのだった。
こうした「一人への励まし」が、友の生命に希望の灯をともした。先生に会うと、喜びと戦う勇気が湧いてきた。
池田先生は振り返る。
「支部の百人近い組長全員が主役に! 皆が勝利者に! 一人が百歩前進するよりも、百人が一歩前進を!
私は、一つの『組』も落とさない決心で、一人一人が功徳を実感できるようにと、祈り、支部内を縦横無尽に走り回った。
新しい人材を見つけ、新しい力を結集する。そこに勝利のカギがあるからだ」(「随筆 新・人間革命」)
「一人が立ち上がる。そして、その一人が新たな一人と共に立ち上がっていく。広宣流布とは、どこまでも地道な戦いだ。
二月闘争の精神は、今も不滅である。一対一の絆。これが、最も大切なのである。目の前の一人の背後には、家族や友人がいる。無数の縁が広がっている。一人を誠実に励まし、希望を送ることは、私たちがまだ知らない誰かをも勇気づけていく大いなる因となるのだ。
恩師は断言された。『学会は、どんどん大きくなるだろうが、一人を大切にする心を忘れないかぎり、盤石だよ』」(「随筆『人間革命』光あれ」)
二月闘争たけなわの頃、先生がある同志宅に立ち寄ると、母が学会活動で家を空けるなか、5歳の少年が祖母と留守番をしていた。
先生は「今に君もしっかり僕たちと頑張るんだよ」と励ましながら、一枚の紙に絵を描き始めた。
富士山の絵だった。頂上には旗が立っていて、何人もの人が山頂を目指している。一番下に、麓から登り始める一人を加えた。
先生は少年に語った。
「これが君なんだよ! 将来、君も一緒に、広宣流布の山を登っていこうよ」
小説『新・人間革命』に池田先生はつづっている。
「創価学会とは励ましの世界である。励ましは慈悲の発露であり、この実践のなかに仏法がある。広宣流布とは、励ましのスクラムを地域へ、世界へと広げゆく聖業なのだ」(第29巻「清新」の章)
二月闘争の当時、学会はまだ1万世帯にも満たない小さな教団だった。
しかし、戸田先生の命を受けて第一線に躍り出た青年の激闘が源流となって、御書に仰せの通り「わとうども二陣三陣つづきて」(新1227・全911)と人材の流れが広がり、師弟の誓願である世界広宣流布の未来が開かれていくのである。
☆御書と未来へ 第7回 多様性を尊重し合う社会を
〈御文〉
『「如来」とは、三界の衆生なり。この衆生寿量品の眼開けてみれば、十界本有と実のごとく知見せり。』(御義口伝、新1050・全753)
〈通解〉
(経文に説かれている)「如来」とは、久遠実成の釈尊だけではなく、さらには三界の衆生である。寿量品の眼を開けて、この三界の衆生を見れば、そのまま十界本有の当体である、とありのままに知見できるのである。
〈池田先生が贈る指針〉
全ての人に、本有の仏の生命が具わっている。人種や民族、性別などあらゆる差異を超えて、一人一人が桜梅桃李の個性を自体顕照しゆく存在なのだ。
誰もが自分らしく生き生きと輝ける社会へ! 平等性と多様性を最大に尊重し合う"地球民族の共和"を、自身の足下から、創価の世界市民が創り開くのだ。
2022年2月25日金曜日
2022.02.25 わが友に贈る
今日もまた明日もまた
喜び勇んで前進!
自らの目標に向かって
最後まで走り抜く執念が
人生勝利の道を開く!
松野殿御返事 P1386
『とても此の身は徒に山野の土と成るべし惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず人久しといえども百年には過ず其の間の事は但一睡の夢ぞかし』
【通解】
どんなことをしてみても、この身は、空しく、山野の土となってしまう。惜しんでも、どうしようもない。どんなに惜しんでも、惜しみ遂げることができない。人は、 いくら長く生きたとしても、百年を過ぎることはない。その間のことは、ただ一睡の夢である。
名字の言 トインビー博士の受験の思い出 2022年2月25日
2月は受験シーズン。国立大学の2次試験の前期日程は、きょうから始まる。家族も周囲も温かくサポートしていきたい▼受験は、子どもたちの多くが初めて迎える、人生の大きな岐路。カツ丼(必ず勝つ!)を食べるなど験担ぎにあやかりたくなるが、それも人それぞれだ。ある受験生の未来部員は「今、一番家族にしてほしいことは『静観』——静かに見守ってほしい」▼池田先生が未来部員に贈る指針集『希望の翼』(新装改訂版)で、20世紀を代表する歴史学者トインビー博士の受験の思い出を紹介している。奨学生としての入学試験に臨んだ博士。合格しなければ、経済的な理由で、その学校に行くことはできない。大変なプレッシャーだった▼博士の両親は言った。"ベストを尽くせばいいんだよ。それ以上のことは、誰にもできはしないのだから"と。この一言が博士の心の支えになった。池田先生は、「他人を気にしてあせったり、必要以上に心配することはありません。自分らしく、堂々とベストを尽くせばいいのです。自分に勝つ人、その人が、本当の勝利者だからです」▼進路は文字通り「進む路」。受験生の皆さんが悔いなく実力を発揮し、自分らしく「希望の道」を進めるよう祈り待ちたい。
寸鉄 2022年2月25日
「仏法を学せん人、知恩・報恩なかるべしや」御書。感謝の心持つ人が勝利者(新58・全192)
池田華陽会が"つながるPJ"で励ましの輪、拡大伸びやかに歓喜の舞を!
勇気を失うことは全てを失うこと—チャーチル宰相。不屈の祈りで進め!氷壁を破れ
笑顔には抑うつ緩和する力が—研究。挨拶一つも心込めれば自分も明るく
冬は高齢者の運動機会が減。"ながら"ストレッチでもOK。共に健康人生
☆第7回本部幹部会・兵庫総会 池田先生の指針——未来を照らす価値創造の文明を
◇仏法は「無限の希望」の哲学
◇題目で乗り越えられない難はない
第20回SGI総会、21世紀兵庫希望総会。本当に、ご苦労さま。
世界から集われた57カ国・地域、1000人近い代表の方々に、SGIを代表して、謹んで御礼申し上げたい。
第一にも第二にも、お体を大切にしていただきたい。
生活も、仕事も、広宣流布の活動も、「健康第一」である。健康になろう、健康になろうと祈り、努力し、注意しながら、「知恵」を使って、健康を保ち、長生きしていただきたい。また全員が、裕福になっていただきたい。
はじめに、先の大震災(=阪神・淡路大震災)で被災された皆さまに、あらためてお見舞い申し上げたい。亡くなられた方々のことは、これまでも毎日、追善させていただいた。これからも追善していく決心である。
◇法華経の兵法で
日蓮大聖人の仏法は、「無限の希望」の哲学である。
大聖人は、ご自身が、どんなに迫害されようが、悪口されようが、平然と、また毅然と難を忍ばれた。仏の異名である「能忍」の名のとおり、能く忍ばれたのである。
ご自身の一身のことなど、いささかも考えられない。ただ不幸な民衆のため、さらには全人類のため、末法万年のためにどうすればよいか。いちばん身近な問題から、いちばん遠くの問題まで考えておられた。あらゆる大難をはね返しながら、太陽のごとく赫々と希望の大光を民衆に送り続けてくださったのである。
大聖人は、こう断言しておられる。
「真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」(全1170・新1598)——真実に、一切衆生にとって、身心の難(肉体面、精神面の苦難)を防止し、打ち勝つ秘術は、ただ南無妙法蓮華経なのである——。
題目で乗り越えられない難はない。仏法に行き詰まりはない。
南無妙法蓮華経とは、難をすべて打ち破り、悠々と自在に人生を開きゆく、「秘密の術」なのである。
大聖人が「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(全1192・新1623)と仰せられたのも、その意味である。「法華経の兵法」、すなわち信心を根本にしていけば、必ず一切を乗り越えていけるのである。
妙法は永遠である。ゆえに、妙法を信じ、実践する人々の福徳も、また永遠である。何があろうと、創価学会は、永遠不滅なのである。妙法こそ「幸福の秘術」であり、「平和の秘術」であり、「希望の秘術」であると申し上げておきたい。
◇不屈の精神が次代をつくる
この(1995年)10月22日で、20世紀最大の歴史学者トインビー博士が亡くなられて20年——。
博士は、東洋の大乗仏教に深い関心を寄せておられた。そして私に会いたいとの手紙を寄せられたのである。高齢の博士の体調を考え、私のほうからロンドンを訪れての語らいとなった。
〈1969年9月、トインビー博士から池田先生へ、「人類の直面する基本的な諸問題について、対談をしたいと希望します」との書簡が届いた。両者の対談は72年5月と翌73年5月に、あわせて40時間におよんだ。その対談集『21世紀への対話』(邦題)は、これまで31言語で出版されている〉
(博士とは)連日、真剣な語らいが続いた。8時間におよぶ日もあった。
私たちは語りあった。「困難な環境にどのように対応するかが、文明創造のバネとなる」と。
博士の歴史観の一つの結論は、「挑戦と応戦」の理論である。"自然をはじめとする環境が人間に試練をあたえる時、その挑戦に屈服せず、雄々しく応戦しゆく、たくましき社会から、新しい文明が生みだされる"という洞察であった。
その意味で、ここ兵庫は、大震災の大試練を乗り越え、立ち上がってこられた。その不屈の精神は、やがて日本をリードし、21世紀の文明の大きな核となっていくことを、私は確信してやまない。一つの縮図として、日本の将来にとって非常に重要な焦点が兵庫であると私は思う。
またトインビー博士は、「文明はその基盤をなす宗教の質によって決まる」と強調されていた。そして「新しい文明を生みだし、それを支えていくべき未来の宗教というものは、人類の生存をいま深刻に脅かしている諸悪と対決し、これらを克服する力を、人類に与えるものでなければならない」と。
壮大な文明論の次元から、宗教の重大な存在意義を理解されていたのである。
だからこそトインビー博士は、仏法の人間主義を基調とした、私どもの「平和」と「文化」と「教育」の運動を信頼し、熱い期待を寄せてくださっていた。
ご自身の文明論、歴史観の結論として、創価学会に着目され、私どもの運動の発展を、こよなく楽しみにされていたのである。
◇生命を輝かせ
対談を終えるにあたって、「私個人に何か忠告がありましたら」とたずねたところ、博士はこう語られた。
「私が池田さんに個人的なアドバイスをするというのは、ちょっと差し出がましいことだと思います。というのは、私は学問の世界の人間であり、池田さんは行動の人であり、きわめて重要な組織の責任ある指導者だからです。
したがって私にいえることは、ただ、池田さんと私とは人類が今後どう生きていくべきかについて見解が一致した、池田さん御自身が主張された中道こそ、今後、歩むべき道であるということです。私は、創価学会がはるかな未来を展望していることを確認しました。これは、われわれすべてがとらねばならない態度です」
少しも尊大さのない、謙虚な博士であられた。
また博士は確信されていた。「知識」がとまどい、あとずさりするところにも、「希望」は敢然と足を踏みだす。そして、未来の果てまで生命を輝かせながら、なにものにも屈せず進んでいく——と。
希望が力である。希望は「勇気」と「知恵」から生まれる。「知識」だけからは生まれない。そして信心とは「無限の希望」を生む知恵である。「永遠の希望」を生む知恵である。
わがSGIは、どこまでも「希望」の光で、人類の闇を照らしてまいりたい。希望輝く創価(価値創造)の文明を築いてまいりたい。
SGI各国のご繁栄と、皆さま方のご多幸、ご健康、ご活躍を、心からお祈りして、本日のスピーチを終わります。ありがとう!
喜び勇んで前進!
自らの目標に向かって
最後まで走り抜く執念が
人生勝利の道を開く!
松野殿御返事 P1386
『とても此の身は徒に山野の土と成るべし惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず人久しといえども百年には過ず其の間の事は但一睡の夢ぞかし』
【通解】
どんなことをしてみても、この身は、空しく、山野の土となってしまう。惜しんでも、どうしようもない。どんなに惜しんでも、惜しみ遂げることができない。人は、 いくら長く生きたとしても、百年を過ぎることはない。その間のことは、ただ一睡の夢である。
名字の言 トインビー博士の受験の思い出 2022年2月25日
2月は受験シーズン。国立大学の2次試験の前期日程は、きょうから始まる。家族も周囲も温かくサポートしていきたい▼受験は、子どもたちの多くが初めて迎える、人生の大きな岐路。カツ丼(必ず勝つ!)を食べるなど験担ぎにあやかりたくなるが、それも人それぞれだ。ある受験生の未来部員は「今、一番家族にしてほしいことは『静観』——静かに見守ってほしい」▼池田先生が未来部員に贈る指針集『希望の翼』(新装改訂版)で、20世紀を代表する歴史学者トインビー博士の受験の思い出を紹介している。奨学生としての入学試験に臨んだ博士。合格しなければ、経済的な理由で、その学校に行くことはできない。大変なプレッシャーだった▼博士の両親は言った。"ベストを尽くせばいいんだよ。それ以上のことは、誰にもできはしないのだから"と。この一言が博士の心の支えになった。池田先生は、「他人を気にしてあせったり、必要以上に心配することはありません。自分らしく、堂々とベストを尽くせばいいのです。自分に勝つ人、その人が、本当の勝利者だからです」▼進路は文字通り「進む路」。受験生の皆さんが悔いなく実力を発揮し、自分らしく「希望の道」を進めるよう祈り待ちたい。
寸鉄 2022年2月25日
「仏法を学せん人、知恩・報恩なかるべしや」御書。感謝の心持つ人が勝利者(新58・全192)
池田華陽会が"つながるPJ"で励ましの輪、拡大伸びやかに歓喜の舞を!
勇気を失うことは全てを失うこと—チャーチル宰相。不屈の祈りで進め!氷壁を破れ
笑顔には抑うつ緩和する力が—研究。挨拶一つも心込めれば自分も明るく
冬は高齢者の運動機会が減。"ながら"ストレッチでもOK。共に健康人生
☆第7回本部幹部会・兵庫総会 池田先生の指針——未来を照らす価値創造の文明を
◇仏法は「無限の希望」の哲学
◇題目で乗り越えられない難はない
第20回SGI総会、21世紀兵庫希望総会。本当に、ご苦労さま。
世界から集われた57カ国・地域、1000人近い代表の方々に、SGIを代表して、謹んで御礼申し上げたい。
第一にも第二にも、お体を大切にしていただきたい。
生活も、仕事も、広宣流布の活動も、「健康第一」である。健康になろう、健康になろうと祈り、努力し、注意しながら、「知恵」を使って、健康を保ち、長生きしていただきたい。また全員が、裕福になっていただきたい。
はじめに、先の大震災(=阪神・淡路大震災)で被災された皆さまに、あらためてお見舞い申し上げたい。亡くなられた方々のことは、これまでも毎日、追善させていただいた。これからも追善していく決心である。
◇法華経の兵法で
日蓮大聖人の仏法は、「無限の希望」の哲学である。
大聖人は、ご自身が、どんなに迫害されようが、悪口されようが、平然と、また毅然と難を忍ばれた。仏の異名である「能忍」の名のとおり、能く忍ばれたのである。
ご自身の一身のことなど、いささかも考えられない。ただ不幸な民衆のため、さらには全人類のため、末法万年のためにどうすればよいか。いちばん身近な問題から、いちばん遠くの問題まで考えておられた。あらゆる大難をはね返しながら、太陽のごとく赫々と希望の大光を民衆に送り続けてくださったのである。
大聖人は、こう断言しておられる。
「真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり」(全1170・新1598)——真実に、一切衆生にとって、身心の難(肉体面、精神面の苦難)を防止し、打ち勝つ秘術は、ただ南無妙法蓮華経なのである——。
題目で乗り越えられない難はない。仏法に行き詰まりはない。
南無妙法蓮華経とは、難をすべて打ち破り、悠々と自在に人生を開きゆく、「秘密の術」なのである。
大聖人が「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(全1192・新1623)と仰せられたのも、その意味である。「法華経の兵法」、すなわち信心を根本にしていけば、必ず一切を乗り越えていけるのである。
妙法は永遠である。ゆえに、妙法を信じ、実践する人々の福徳も、また永遠である。何があろうと、創価学会は、永遠不滅なのである。妙法こそ「幸福の秘術」であり、「平和の秘術」であり、「希望の秘術」であると申し上げておきたい。
◇不屈の精神が次代をつくる
この(1995年)10月22日で、20世紀最大の歴史学者トインビー博士が亡くなられて20年——。
博士は、東洋の大乗仏教に深い関心を寄せておられた。そして私に会いたいとの手紙を寄せられたのである。高齢の博士の体調を考え、私のほうからロンドンを訪れての語らいとなった。
〈1969年9月、トインビー博士から池田先生へ、「人類の直面する基本的な諸問題について、対談をしたいと希望します」との書簡が届いた。両者の対談は72年5月と翌73年5月に、あわせて40時間におよんだ。その対談集『21世紀への対話』(邦題)は、これまで31言語で出版されている〉
(博士とは)連日、真剣な語らいが続いた。8時間におよぶ日もあった。
私たちは語りあった。「困難な環境にどのように対応するかが、文明創造のバネとなる」と。
博士の歴史観の一つの結論は、「挑戦と応戦」の理論である。"自然をはじめとする環境が人間に試練をあたえる時、その挑戦に屈服せず、雄々しく応戦しゆく、たくましき社会から、新しい文明が生みだされる"という洞察であった。
その意味で、ここ兵庫は、大震災の大試練を乗り越え、立ち上がってこられた。その不屈の精神は、やがて日本をリードし、21世紀の文明の大きな核となっていくことを、私は確信してやまない。一つの縮図として、日本の将来にとって非常に重要な焦点が兵庫であると私は思う。
またトインビー博士は、「文明はその基盤をなす宗教の質によって決まる」と強調されていた。そして「新しい文明を生みだし、それを支えていくべき未来の宗教というものは、人類の生存をいま深刻に脅かしている諸悪と対決し、これらを克服する力を、人類に与えるものでなければならない」と。
壮大な文明論の次元から、宗教の重大な存在意義を理解されていたのである。
だからこそトインビー博士は、仏法の人間主義を基調とした、私どもの「平和」と「文化」と「教育」の運動を信頼し、熱い期待を寄せてくださっていた。
ご自身の文明論、歴史観の結論として、創価学会に着目され、私どもの運動の発展を、こよなく楽しみにされていたのである。
◇生命を輝かせ
対談を終えるにあたって、「私個人に何か忠告がありましたら」とたずねたところ、博士はこう語られた。
「私が池田さんに個人的なアドバイスをするというのは、ちょっと差し出がましいことだと思います。というのは、私は学問の世界の人間であり、池田さんは行動の人であり、きわめて重要な組織の責任ある指導者だからです。
したがって私にいえることは、ただ、池田さんと私とは人類が今後どう生きていくべきかについて見解が一致した、池田さん御自身が主張された中道こそ、今後、歩むべき道であるということです。私は、創価学会がはるかな未来を展望していることを確認しました。これは、われわれすべてがとらねばならない態度です」
少しも尊大さのない、謙虚な博士であられた。
また博士は確信されていた。「知識」がとまどい、あとずさりするところにも、「希望」は敢然と足を踏みだす。そして、未来の果てまで生命を輝かせながら、なにものにも屈せず進んでいく——と。
希望が力である。希望は「勇気」と「知恵」から生まれる。「知識」だけからは生まれない。そして信心とは「無限の希望」を生む知恵である。「永遠の希望」を生む知恵である。
わがSGIは、どこまでも「希望」の光で、人類の闇を照らしてまいりたい。希望輝く創価(価値創造)の文明を築いてまいりたい。
SGI各国のご繁栄と、皆さま方のご多幸、ご健康、ご活躍を、心からお祈りして、本日のスピーチを終わります。ありがとう!
2022年2月24日木曜日
2022.02.24 わが友に贈る
感染症が拡大する中で
子育てに奮闘する家庭を
温かく励ましていこう!
「何か困っていないか」と
細かな気配りと配慮を!
経王殿御返事 P1125
『法華経の功力を思ひやり候へば不老不死目前にあり』
【通解】
法華経の功力を思うと、不老不死は目前にある。
名字の言 98歳の女性部員が続けてきた日課 2022年2月24日
御年98歳。自営する喫茶店のカウンターに元気に立ち続ける"看板ママさん"がいる。「中高年の希望」と評判の女性部員だ▼石油ショック、バブル経済の崩壊など数々の危機を身をもって知る彼女が、多くの人生模様を見てきた実感をしみじみと語っていた。「派手な人、口ばかりの人は、いつの間にかいなくなっちゃった。やっぱり、コツコツ、コツコツ真面目に生きた人が、最後は輝くもんだねえ」▼彼女自身、水の流れるような地道な信心で、人生の起伏を乗り越えてきた。その中で、ずっと続けてきた日課がある。毎朝、池田先生ご夫妻の写真の前で、決意を固めて出発すること。"今日はあの人と仏法対話します""今日はこの人のために題目を"と。「私は先生の弟子なんだ。そう思うとエネルギーが無限に湧くんです!」▼思想家の新渡戸稲造がつづっている。「老人は過去に生き、青年は現在に生きる」(原文は英語、佐藤全弘訳)。その上で、どこまでも前を見つめ、決意に燃えて挑戦の日々を送る人は若々しい。広布を目指し、師弟の道を歩めば「永遠の青春」を生きられる▼ちなみに、彼女の地区には99歳で仏法対話に励む先輩、90歳で現役美容師の後輩もいる。皆さん、青春真っ盛りだ。
寸鉄 2022年2月24日
苦しい時も、楽しい時も御本尊を忘れるな—恩師 最後は"題目の人"が勝つ
「日蓮さきがけしたり」御聖訓。我らは御本仏に直結。今日も勇み広布へ(新1227・全910)
悩みを通して智は来る—ギリシャの箴言。青春の苦闘は財産。君よ果敢に立ち向かえ!
子を乗せた自転車の転倒事故など—8割が停止中に発生と。目を離さずに
SNSで違法薬物の売買横行と。好奇心で人生が破滅。社会全体から根絶
〈社説〉 2022・2・24 ポーリング対談から35周年
◇他者に尽くす菩薩道の実践を
歴史上で唯一、二つのノーベル賞(化学賞・平和賞)を単独受賞した「現代化学の父」。それが、アメリカの故ライナス・ポーリング博士である。きょう2月24日、博士と池田先生が初の出会いを刻んでから35周年を迎えた。1987年のこの日、博士はサンフランシスコの自宅から800キロの道のりを越えて、先生がいるアメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパス(当時)に駆け付けた。
当時は、東西冷戦のさなか。核兵器廃絶と平和運動に人生をささげる2人の巨人の対談は、"核の力より人間精神の力こそ偉大"との理念を共有するなど、1時間半にも及んだ。
以来、2人の語らいは4度。この間、対談集『「生命の世紀」への探求』が出版・翻訳され、世界各国で読み親しまれている。
先生が93年、米クレアモント・マッケナ大学で「十界論」に触れて講演した際、講評に立った同博士は名だたる学者らの前で語った。「私たちは十界論のうちの『ナンバー・ナイン(九界)』、つまり菩薩の精神に立って行動するよう努力すべきです」「私たちには、創価学会があります。そして、宗教本来の使命である平和の建設に献身される池田会長がいます」と。
菩薩の精神とは、悟りを求めて不断の努力を重ねる「求道」とともに、他者のために行動する「利他」の実践をそなえる。「自他共の幸福へ、自らを高め、行動する」のが菩薩道の生き方である。
博士自身、人々のため、世界の平和のために、民衆救済への、いわば菩薩の精神を貫き行動した一人だ。多くの悪意の非難・中傷などの圧迫をはねのけ、反核運動を半世紀にわたって続けた。だからこそ、池田先生と学会の平和思想に共鳴したのだろう。
日蓮仏法の肝心たる"菩薩道の実践"を現代に展開しているのが創価学会である。唱題によって"強く、清らかな生命"を涌現し、他者の苦に思いを巡らせて真心の励ましを送る。こうした「利他」の生き方への転換にこそ、差異やエゴから生じる争いを乗り越えゆく直道がある。
地球上にあらゆる問題が山積する今こそ、一人一人が生命の境涯を高め、人のため、社会のために行動する"菩薩道の実践"を貫きたい。その広がりの先に、人間と自然が調和し、平和と共生の社会が実現することを確信する。
☆青年・飛躍の源流——二月闘争70周年 第3回 確信の祈り、確信の対話
「二月闘争」の開始に当たって池田先生は、"組2世帯の折伏"という目標とともに、蒲田支部の同志に、その具体的な実践を訴えた。
「祈りから始める」
「近隣を大切にする」
「体験を語る」
この三つである。いずれも、池田先生が自ら実行してきたことだった。
先生が住んでいた大森の「青葉荘」の近隣には、複数の学会員がいた。
市ケ谷にあった戸田先生の会社で身を粉にして働き、広布の活動に東奔西走する先生だったが、在宅かどうかは、聞こえてくる朗々たる題目の声で分かったという。
◇生命の勝利の炎
近隣のある友は、自宅での座談会に、急きょ先生に参加してもらった。折伏に苦戦していることを話すと、先生は「ちょっと外へ行ってきます」と。紙芝居をやっていた人を連れてきて対話し、入会が決まった。
「先生の力はとにかくすごいよ。結局、題目の力でしょうね」
先生が座談会を担当する時は、必ず早くに会場を訪れ、唱題した。そして、三々五々集ってくる同志を「ご苦労さま」「よくいらっしゃいましたね」と温かく励ますのが常であった。
広布の戦いは、祈りで決まる。あの56年(同31年)の「大阪の戦い」も、関西本部常住の御本尊の前に端座することから始まったように、先生のこの姿勢は一貫していた。
先生はつづる。
「『祈り』とは、観念ではありません。燃え上がる生命の勝利の炎です。この一念の炎があれば、祈った瞬間、生命はすでに勝っている」
「広布の目標に、『よし、戦うぞ!』『断じて勝ってみせるぞ!』と挑む。この『現在』の決意の一念が『因』となって境涯が開け、不可能をも可能にしていく力が発揮できるのです。私も、この師子奮迅の連続闘争で勝ってきました」(『御書と師弟1』)
また近隣には、51年(同26年)5月3日、戸田先生の第2代会長就任の日に、池田先生の折伏で入会した友がいた。先生は、朝は青葉荘で、夜は自宅を訪れ、勤行を教えてくれたという。
「先生の帰宅は、近所の私たちにはすぐに分かりました。いつも高くて大きい声で、『同志の歌』など学会歌を歌って帰ってこられたからです」
先生は、地域で堂々と創価の旗を掲げ、信仰の喜びの輪を広げていった。当時を述懐して先生は語る。
「特別な作戦などない。要は、一人ひとりが、自分のいる場所で、自分の身近な縁に目を向けて、そこから、勇気の対話の一歩を踏み出すことだ。
ここで戦うと腹を決めれば、会う人、縁する人に向き合う一念が変わる。自分の祈りが深まれば相手も環境も変わる。それを避けていたら、いつまでも、自分の『本国土』とはならないのだ」(「随筆『人間革命』光あれ」)
◇波動は全国へ
池田先生の真剣な祈りと励ましに触れ、蒲田支部の広布の戦線は東京を越え、函館、名古屋、大宮、水戸、浜松、沖縄など全国へ広がった。
蒲田支部から転任した同志によって、関西での折伏第1号が実ったのも、二月闘争のさなかである。
先生が、「"まさか"が実現」と世間を驚嘆させた「大阪の戦い」の栄光は、それからわずか4年半後のことである。
雪国の秋田にも、二月闘争の勢いの中で広布の灯がともった。蒲田支部を源流として発展した秋田は今年1月、先生との不滅の原点「雪の秋田指導」から40年を迎えた。
こうした、全国を舞台にした拡大戦の中で、「もう一つの二月闘争」ともいうべき戦いが繰り広げられたのが、多摩川を挟んだお隣の神奈川・川崎である。先生もガス橋や丸子橋を渡って、幾たびとなく座談会に入った。
新丸子の座談会でのこと。新来者の一人の青年が、ガムをかみ、柱に寄りかかって、不遜な態度だった。会場に漂う嫌な空気を断ち切るように、先生は毅然と言った。
「だらしない格好で、大聖人の偉大な仏法を聞き、正邪を判断することはできません。学んでいくこともできません。道を求めてこられた、ほかの方の邪魔になります。どうぞお帰りください」
驚いた青年は、居住まいを正し、真剣に先生の御書講義に耳を傾けた。2日後に、その青年は入会したという。
確信の祈り。確信の対話。礼儀正しく、それでいて、会えば必ず温かい声を掛けてくれる。"指導は会員が受けに来るもの"と構えていた幹部も多かった中で、組の隅々まで自ら進んで足を運ぶ——。
24歳の池田先生の振る舞いは、それまでのリーダーと全く違っていた。その姿を模範に、友も懸命に祈り動き、精いっぱい語っていった。
池田先生は述べる。
「信心に励む中で自らが実感する体験や喜び、確信を、飾らずにありのまま伝えていけばよいのです。それが真実の言葉です」
「相手の幸福を真剣に願って誠実に語る一言。満々たる生命力から発せられる確信と歓喜の一言。友の苦悩を突き破る勇気と希望の一言。その『一言』こそが、相手の生命の仏性を呼びさましていくのです。ゆえに『一文一句』でも語ること自体が立派な折伏行であり、その尊き聖業に福徳が薫らないわけがない」
「私が二十四歳の時にわが故郷・大田の地で拡大の指揮を執った折にも、この思いを胸に戦いました」(『勝利の経典「御書」に学ぶ11』)
◇「何でもこい」と希望に燃えて 原田会長を中心に各部代表者会議
第13回各部代表者会議が22日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
池田大作先生はメッセージを贈り、誠心誠意で広布のさまざまな陰の労苦を担う友の奮闘に感謝。
変わらざる信心の真心を尽くす南条時光を「法華経の御いのちをつがせ給うこと、三世の諸仏を供養し給えるにてあるなり。十方の衆生の眼を開く功徳にて候べし。尊しとも申すばかりなし」(新1869・全1512)と称賛された御文を拝しつつ、妙法流布のために祈り、心を砕き、行動していくことは、たとえ地道であっても三世永遠の仏天の威光勢力を増し、全人類の仏知見(仏の智慧)を開いていくことである。これほど深い聖業はないし、これほど大きな功徳もない——と強調した。
次いで、70年前の「二月闘争」を走り抜いた1952年(昭和27年)2月25日。各地区、各組からの報告が終わり「200世帯」で締め切られようとしたその時、地区担当員(現・地区女性部長)の方が「ちょっと待って!」「もう1世帯、弘教が実った!」と大歓喜の笑顔で飛び込んできて、劇的な「201世帯目」となった歴史に言及。「一人と仏縁を結べば、横には世界へ、縦には未来へ、限りない幸福と平和の波動が広がる」と訴えた。
最後に、ある年の2月、友が決意を込めて作成した文集に、「希望に燃えて」と題する一文を寄せた歴史を述懐。その結びにつづった「何でもこい!と、戦おう。そして勝とうよ」との言葉を今再び、全宝友に贈りたいと述べ、「弥生3月、青年部幹部会の大成功を祈ります!」と呼び掛け、メッセージを結んだ。
原田会長は、3・16「広宣流布記念の日」の歴史に言及しつつ、広布拡大の結果をもってこそ、「3・16」を迎えることができると力説。青年を先頭に各部一体で前進し、勇気の対話で飛躍の実証を示そうと望んだ。
さらに、小さな油断や慢心から広布の城は崩れると述べ、透徹した信心と団結で魔を打ち破り、「3・16」から「4・2」「5・3」へ、連続勝利のリズムをと訴えた。
また、長谷川理事長、谷川主任副会長、押金少女部長があいさつした。
子育てに奮闘する家庭を
温かく励ましていこう!
「何か困っていないか」と
細かな気配りと配慮を!
経王殿御返事 P1125
『法華経の功力を思ひやり候へば不老不死目前にあり』
【通解】
法華経の功力を思うと、不老不死は目前にある。
名字の言 98歳の女性部員が続けてきた日課 2022年2月24日
御年98歳。自営する喫茶店のカウンターに元気に立ち続ける"看板ママさん"がいる。「中高年の希望」と評判の女性部員だ▼石油ショック、バブル経済の崩壊など数々の危機を身をもって知る彼女が、多くの人生模様を見てきた実感をしみじみと語っていた。「派手な人、口ばかりの人は、いつの間にかいなくなっちゃった。やっぱり、コツコツ、コツコツ真面目に生きた人が、最後は輝くもんだねえ」▼彼女自身、水の流れるような地道な信心で、人生の起伏を乗り越えてきた。その中で、ずっと続けてきた日課がある。毎朝、池田先生ご夫妻の写真の前で、決意を固めて出発すること。"今日はあの人と仏法対話します""今日はこの人のために題目を"と。「私は先生の弟子なんだ。そう思うとエネルギーが無限に湧くんです!」▼思想家の新渡戸稲造がつづっている。「老人は過去に生き、青年は現在に生きる」(原文は英語、佐藤全弘訳)。その上で、どこまでも前を見つめ、決意に燃えて挑戦の日々を送る人は若々しい。広布を目指し、師弟の道を歩めば「永遠の青春」を生きられる▼ちなみに、彼女の地区には99歳で仏法対話に励む先輩、90歳で現役美容師の後輩もいる。皆さん、青春真っ盛りだ。
寸鉄 2022年2月24日
苦しい時も、楽しい時も御本尊を忘れるな—恩師 最後は"題目の人"が勝つ
「日蓮さきがけしたり」御聖訓。我らは御本仏に直結。今日も勇み広布へ(新1227・全910)
悩みを通して智は来る—ギリシャの箴言。青春の苦闘は財産。君よ果敢に立ち向かえ!
子を乗せた自転車の転倒事故など—8割が停止中に発生と。目を離さずに
SNSで違法薬物の売買横行と。好奇心で人生が破滅。社会全体から根絶
〈社説〉 2022・2・24 ポーリング対談から35周年
◇他者に尽くす菩薩道の実践を
歴史上で唯一、二つのノーベル賞(化学賞・平和賞)を単独受賞した「現代化学の父」。それが、アメリカの故ライナス・ポーリング博士である。きょう2月24日、博士と池田先生が初の出会いを刻んでから35周年を迎えた。1987年のこの日、博士はサンフランシスコの自宅から800キロの道のりを越えて、先生がいるアメリカ創価大学ロサンゼルス・キャンパス(当時)に駆け付けた。
当時は、東西冷戦のさなか。核兵器廃絶と平和運動に人生をささげる2人の巨人の対談は、"核の力より人間精神の力こそ偉大"との理念を共有するなど、1時間半にも及んだ。
以来、2人の語らいは4度。この間、対談集『「生命の世紀」への探求』が出版・翻訳され、世界各国で読み親しまれている。
先生が93年、米クレアモント・マッケナ大学で「十界論」に触れて講演した際、講評に立った同博士は名だたる学者らの前で語った。「私たちは十界論のうちの『ナンバー・ナイン(九界)』、つまり菩薩の精神に立って行動するよう努力すべきです」「私たちには、創価学会があります。そして、宗教本来の使命である平和の建設に献身される池田会長がいます」と。
菩薩の精神とは、悟りを求めて不断の努力を重ねる「求道」とともに、他者のために行動する「利他」の実践をそなえる。「自他共の幸福へ、自らを高め、行動する」のが菩薩道の生き方である。
博士自身、人々のため、世界の平和のために、民衆救済への、いわば菩薩の精神を貫き行動した一人だ。多くの悪意の非難・中傷などの圧迫をはねのけ、反核運動を半世紀にわたって続けた。だからこそ、池田先生と学会の平和思想に共鳴したのだろう。
日蓮仏法の肝心たる"菩薩道の実践"を現代に展開しているのが創価学会である。唱題によって"強く、清らかな生命"を涌現し、他者の苦に思いを巡らせて真心の励ましを送る。こうした「利他」の生き方への転換にこそ、差異やエゴから生じる争いを乗り越えゆく直道がある。
地球上にあらゆる問題が山積する今こそ、一人一人が生命の境涯を高め、人のため、社会のために行動する"菩薩道の実践"を貫きたい。その広がりの先に、人間と自然が調和し、平和と共生の社会が実現することを確信する。
☆青年・飛躍の源流——二月闘争70周年 第3回 確信の祈り、確信の対話
「二月闘争」の開始に当たって池田先生は、"組2世帯の折伏"という目標とともに、蒲田支部の同志に、その具体的な実践を訴えた。
「祈りから始める」
「近隣を大切にする」
「体験を語る」
この三つである。いずれも、池田先生が自ら実行してきたことだった。
先生が住んでいた大森の「青葉荘」の近隣には、複数の学会員がいた。
市ケ谷にあった戸田先生の会社で身を粉にして働き、広布の活動に東奔西走する先生だったが、在宅かどうかは、聞こえてくる朗々たる題目の声で分かったという。
◇生命の勝利の炎
近隣のある友は、自宅での座談会に、急きょ先生に参加してもらった。折伏に苦戦していることを話すと、先生は「ちょっと外へ行ってきます」と。紙芝居をやっていた人を連れてきて対話し、入会が決まった。
「先生の力はとにかくすごいよ。結局、題目の力でしょうね」
先生が座談会を担当する時は、必ず早くに会場を訪れ、唱題した。そして、三々五々集ってくる同志を「ご苦労さま」「よくいらっしゃいましたね」と温かく励ますのが常であった。
広布の戦いは、祈りで決まる。あの56年(同31年)の「大阪の戦い」も、関西本部常住の御本尊の前に端座することから始まったように、先生のこの姿勢は一貫していた。
先生はつづる。
「『祈り』とは、観念ではありません。燃え上がる生命の勝利の炎です。この一念の炎があれば、祈った瞬間、生命はすでに勝っている」
「広布の目標に、『よし、戦うぞ!』『断じて勝ってみせるぞ!』と挑む。この『現在』の決意の一念が『因』となって境涯が開け、不可能をも可能にしていく力が発揮できるのです。私も、この師子奮迅の連続闘争で勝ってきました」(『御書と師弟1』)
また近隣には、51年(同26年)5月3日、戸田先生の第2代会長就任の日に、池田先生の折伏で入会した友がいた。先生は、朝は青葉荘で、夜は自宅を訪れ、勤行を教えてくれたという。
「先生の帰宅は、近所の私たちにはすぐに分かりました。いつも高くて大きい声で、『同志の歌』など学会歌を歌って帰ってこられたからです」
先生は、地域で堂々と創価の旗を掲げ、信仰の喜びの輪を広げていった。当時を述懐して先生は語る。
「特別な作戦などない。要は、一人ひとりが、自分のいる場所で、自分の身近な縁に目を向けて、そこから、勇気の対話の一歩を踏み出すことだ。
ここで戦うと腹を決めれば、会う人、縁する人に向き合う一念が変わる。自分の祈りが深まれば相手も環境も変わる。それを避けていたら、いつまでも、自分の『本国土』とはならないのだ」(「随筆『人間革命』光あれ」)
◇波動は全国へ
池田先生の真剣な祈りと励ましに触れ、蒲田支部の広布の戦線は東京を越え、函館、名古屋、大宮、水戸、浜松、沖縄など全国へ広がった。
蒲田支部から転任した同志によって、関西での折伏第1号が実ったのも、二月闘争のさなかである。
先生が、「"まさか"が実現」と世間を驚嘆させた「大阪の戦い」の栄光は、それからわずか4年半後のことである。
雪国の秋田にも、二月闘争の勢いの中で広布の灯がともった。蒲田支部を源流として発展した秋田は今年1月、先生との不滅の原点「雪の秋田指導」から40年を迎えた。
こうした、全国を舞台にした拡大戦の中で、「もう一つの二月闘争」ともいうべき戦いが繰り広げられたのが、多摩川を挟んだお隣の神奈川・川崎である。先生もガス橋や丸子橋を渡って、幾たびとなく座談会に入った。
新丸子の座談会でのこと。新来者の一人の青年が、ガムをかみ、柱に寄りかかって、不遜な態度だった。会場に漂う嫌な空気を断ち切るように、先生は毅然と言った。
「だらしない格好で、大聖人の偉大な仏法を聞き、正邪を判断することはできません。学んでいくこともできません。道を求めてこられた、ほかの方の邪魔になります。どうぞお帰りください」
驚いた青年は、居住まいを正し、真剣に先生の御書講義に耳を傾けた。2日後に、その青年は入会したという。
確信の祈り。確信の対話。礼儀正しく、それでいて、会えば必ず温かい声を掛けてくれる。"指導は会員が受けに来るもの"と構えていた幹部も多かった中で、組の隅々まで自ら進んで足を運ぶ——。
24歳の池田先生の振る舞いは、それまでのリーダーと全く違っていた。その姿を模範に、友も懸命に祈り動き、精いっぱい語っていった。
池田先生は述べる。
「信心に励む中で自らが実感する体験や喜び、確信を、飾らずにありのまま伝えていけばよいのです。それが真実の言葉です」
「相手の幸福を真剣に願って誠実に語る一言。満々たる生命力から発せられる確信と歓喜の一言。友の苦悩を突き破る勇気と希望の一言。その『一言』こそが、相手の生命の仏性を呼びさましていくのです。ゆえに『一文一句』でも語ること自体が立派な折伏行であり、その尊き聖業に福徳が薫らないわけがない」
「私が二十四歳の時にわが故郷・大田の地で拡大の指揮を執った折にも、この思いを胸に戦いました」(『勝利の経典「御書」に学ぶ11』)
◇「何でもこい」と希望に燃えて 原田会長を中心に各部代表者会議
第13回各部代表者会議が22日、原田会長を中心に、東京・信濃町の広宣会館(学会本部別館内)で行われた。
池田大作先生はメッセージを贈り、誠心誠意で広布のさまざまな陰の労苦を担う友の奮闘に感謝。
変わらざる信心の真心を尽くす南条時光を「法華経の御いのちをつがせ給うこと、三世の諸仏を供養し給えるにてあるなり。十方の衆生の眼を開く功徳にて候べし。尊しとも申すばかりなし」(新1869・全1512)と称賛された御文を拝しつつ、妙法流布のために祈り、心を砕き、行動していくことは、たとえ地道であっても三世永遠の仏天の威光勢力を増し、全人類の仏知見(仏の智慧)を開いていくことである。これほど深い聖業はないし、これほど大きな功徳もない——と強調した。
次いで、70年前の「二月闘争」を走り抜いた1952年(昭和27年)2月25日。各地区、各組からの報告が終わり「200世帯」で締め切られようとしたその時、地区担当員(現・地区女性部長)の方が「ちょっと待って!」「もう1世帯、弘教が実った!」と大歓喜の笑顔で飛び込んできて、劇的な「201世帯目」となった歴史に言及。「一人と仏縁を結べば、横には世界へ、縦には未来へ、限りない幸福と平和の波動が広がる」と訴えた。
最後に、ある年の2月、友が決意を込めて作成した文集に、「希望に燃えて」と題する一文を寄せた歴史を述懐。その結びにつづった「何でもこい!と、戦おう。そして勝とうよ」との言葉を今再び、全宝友に贈りたいと述べ、「弥生3月、青年部幹部会の大成功を祈ります!」と呼び掛け、メッセージを結んだ。
原田会長は、3・16「広宣流布記念の日」の歴史に言及しつつ、広布拡大の結果をもってこそ、「3・16」を迎えることができると力説。青年を先頭に各部一体で前進し、勇気の対話で飛躍の実証を示そうと望んだ。
さらに、小さな油断や慢心から広布の城は崩れると述べ、透徹した信心と団結で魔を打ち破り、「3・16」から「4・2」「5・3」へ、連続勝利のリズムをと訴えた。
また、長谷川理事長、谷川主任副会長、押金少女部長があいさつした。
2022年2月23日水曜日
2022.02.23 わが友に贈る
広布の主役は自分自身!
「私がやる!」との
自発・能動の信心から
歓喜のドラマが始まる。
今日も挑戦の一歩を!
建長寺道隆への御状 P173
『念仏は無間地獄の業禅宗は天魔の所為真言は亡国の悪法律宗は国賊の妄説と云云』
【通解】
念仏は無間地獄の業であり、禅宗は天魔の所為であり、真言は亡国の悪法であり、律宗は国賊の妄説である。
名字の言 日本で最初に認識された色は? 2022年2月23日
いにしえの日本で、最初に認識された色は「赤・白・青・黒」の4色だったとされる。「朝・昼・夕・夜」と、太陽の動きに伴う景色の変化に由来するという▼夜明けとともに空が明るくなると「明し」(赤)。日中に物の形がハッキリ顕れるさまは「顕し」(白)。夕刻は風景が漠然として見えるから「漠し」(青)。日が沈み、闇に包まれると「暗し」(黒)となる▼隣の中国では、この4色を四季に配した。青春(青)、朱夏(赤)、白秋(白)、玄冬(黒)である。両国で「黒」とされた夜や冬は、人生における苦境に重ねられることも多い。誰しも、心が不安と絶望で黒く塗りつぶされる「苦悩の闇夜」「試練の厳冬」のような時がある▼日蓮大聖人は「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」(新1696・全1253)と仰せだ。夫に先立たれ、苦しい生活の中でも、けなげに信心を貫く女性門下に対する励ましである。これまでどれほど多くの友が、この一節を抱き締め、胸中の闇を晴らす光としてきたか▼「我らが持つは太陽の仏法。"題目の人""忍耐の人"に歓喜の朝は訪れる」と「わが友に贈る」にあった(1月30日付)。幸福・勝利の春を呼ぶ、広布への祈りと実践を絶やすまい。
寸鉄 2022年2月23日
人生の正しい軌道は勇気と努力。そして勝利だ—恩師。日々、新たな決意で
「師子王の子は師子王となる」御書。池田門下の誇り胸に。拡大の劇、今こそ(新1681・全1216)
前方を絶えず見つめるのが若者だ—哲人ヘーゲル。先駆は青年の使命!突破口頼む
閲覧中の瞬きは通常時の4分の1—医師。ドライアイの因と。休憩を賢く
列島各地で長引く寒波。最優先は安全。無冠の皆様の健康と無事故を祈念
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第16回 マリー・キュリー
〈マリー・キュリー〉
私たちは自分の運命を切り開こうと
努力しながら、しかも同時に
全人類への責任を持たねばならない。
かの大科学者アインシュタインは語った。「名のある人々のなかで、マリー・キュリーはただひとり、その名声によってそこなわれなかった人物である」と。
マリー・キュリー——夫ピエールと共に新たな放射性元素を発見し、その5年後の1903年にノーベル物理学賞を受賞(女性初)。11年にはノーベル化学賞にも選ばれ、2度のノーベル賞に輝いた唯一の女性として知られる。
彼女には「各人が自分の運命をきりひらいていこうと努力しながら、しかも同時に全人類にたいして責任をわけもたねばならない」という信念があった。地位や名誉のためではなく、世界や未来のために学び続ける。だからアインシュタインは「いつも自分を社会に仕えるしもべと考え、その謙虚さはけっして自己満足というものを知りませんでした」と、マリーを称賛してやまなかったのだろう。
イギリスの歴史専門誌「BBCヒストリー」は2018年、「史上最も世界に影響を与えた女性」の第1位にマリーを選出。時を超え、国を超えて、広く尊敬を集める。創価女子短期大学(東京・八王子市)には"向学のシンボル"として彼女の像が設置され、アメリカ創価大学には科学棟「キュリー棟」が立つ。
マリーは1867年11月、帝政ロシアの支配下にあったポーランドのワルシャワに、5人きょうだいの末っ子として誕生した。父は中学校の物理と数学の教師、母は女学校の校長という家庭で育ち、幼い頃から読書や勉強に励んだ。
8歳になると、大きな試練に襲われる。長姉を病気で失い、さらに2年後には母を結核で亡くしたのだ。相次ぐ家族との別れに、一家は悲嘆に暮れた。それでもマリーは前を向き、15歳の時に最優秀の成績で女学校を卒業する。
だが、当時のポーランドでは、どんなに優秀であっても、女性がそれ以上、学問を続けることはできなかった。マリーは家計を助けるため、16歳で家庭教師として働きだした。時を同じくして「移動大学」で学び始める。そこは警察の厳重な監視の目を避けながら学ぶ、正規ではない"秘密の大学"だった。祖国の復興を目指す青年たちが設立し、皆で教え合い、知性を磨き合っていたのだ。
青春時代、彼女は友人への手紙に記している。「第一原則、誰にも、何事にも、決して負けないこと」。決して負けない。一歩も退かない——この強き心が、後のキュリー夫人を生んだのである。
〈マリー・キュリー〉
どんな環境でも、やり方次第で
いくらでも立派な仕事ができる。
雨のち晴れを信じて進むのです。
向学の志に燃えるマリーが目指したのは、フランス・パリ大学への留学だった。だが、一家の厳しい経済状況では、留学のめどが立たない。そこで彼女はポーランドの地方で3年間、家庭教師として住み込みで働くなど懸命に資金をため、24歳で姉夫婦が暮らすパリへ。女性に対して門戸が開かれたパリ大学で、苦学して物理学と数学の学士を取得した。
その中でフランス人物理学者のピエールと出会い、1895年に結婚。2年後には長女を出産する。
母になったマリーが次なる目標として掲げたのは博士号の取得だった。研究テーマに選んだのは、フランスの物理学者ベクレルによって報告されていた「ウラン化合物が不思議な放射線を発する」現象の究明である。
さまざまな実験の末、その性質を「放射能」と名付けたキュリー夫妻は、まだ人類に知られていない元素があることを突き止める。発見した未知の元素に「ポロニウム」「ラジウム」とそれぞれ命名し、その存在を証明するため、二人は大きな実験室で作業できるよう、パリ大学に掛け合った。
しかし希望はかなわず、やっとの思いで借りられたのは、物理化学学校の医学生の解剖室として使われていた"物置小屋"。それでも幾多の苦難を乗り越えてきたマリーには「どんなに不適当な場所にいても、やり方しだいで、いくらでもりっぱな仕事ができるものだ」との確信があった。
実験室は、夏は焼けるように暑く、冬は凍るように寒く、雨漏りもした。そんな過酷な環境でも二人は地道に作業を続けた。そして研究開始から4年がたった1902年、ラジウム塩の抽出という世界初の快挙を成し遂げたのである。
03年、放射能研究の功績が認められ、夫妻でノーベル物理学賞を受賞。マリーは博士号も取得し、翌年には次女を出産した。
ところが——。全てが順風満帆に思えた時に、人生最大の悲劇が起きる。パリ大学の教授に就いていたピエールが荷馬車にひかれ、この世を去ってしまったのだ。当時、マリーは38歳。8歳と1歳の子どもを残し、あまりにも突然の別れだった。
絶望に沈む彼女を支えたのは、ピエールとの「誓い」にほかならなかった。"何があっても二人の使命を完遂する"——人類への貢献を果たすため、マリーは涙を拭い、講師を経て、夫の後任としてパリ大学の教授に就任する。
女性や外国人ゆえの差別、偉業に対する妬みから迫害を受けることもあったが、マリーは屈しなかった。夫の遺志を継ぎ、研究を積み重ねた結果、44歳で2度目のノーベル賞(化学賞)に輝く。
彼女は後年、娘に宛てた手紙にこうつづっている。
「私たちはきっと勇気をもちつづけるでしょう。雨のあとは、きっと晴れというしっかりとした希望をもっていなければなりません」
女性科学者の道を開き、放射線治療の礎を築いたマリー。第1次世界大戦が勃発すると、長女イレーヌと共に各地の野戦病院を巡回し、負傷者の救護に尽くした。
晩年は後進の育成に力を注ぎ、亡くなる数カ月前まで研究所で仕事を続けたという。イレーヌもまた、夫と共にノーベル化学賞を受賞。マリーが66年の生涯を閉じた翌年(1935年)のことである。
〈キュリー夫人を語る池田先生〉
「悲哀に負けない強さ」にこそ
マリーの偉大さがある。
順風満帆の人生など、ありえない。
困難に勝つには使命を自覚すること。
そこに希望が生まれるからです。
50年前の1972年4月30日、フランスを訪問していた池田先生は、パリ郊外に立つマリーが暮らした家へ。香峯子夫人と並んで歩いていた友に、こう語っている。
「私は、マリー・キュリーの偉大さは、二つのノーベル賞を取ったということより、『悲哀に負けない強さ』にこそあると思う。順風満帆の人生など、ありえない。むしろ困難ばかりです。それを乗り越えるには、自分の使命を自覚することです。そこに希望が生まれるからです」
その後も、随筆やスピーチでマリーの言葉や生き方を通し、多くの同志に励ましを送ってきた。
「『ひとりひとりの個人の運命を改善することなくしては、よりよき社会の建設は不可能』とは、ポーランドの生んだ大科学者・キュリー夫人の有名な洞察であった。
かつて全体主義の抑圧のもとで、『一人』が軽んじられ、人間の心が置き去りにされてきた苦渋が長く続いた。だからこそ、『皆、宝塔』『皆、仏』と説いている、最極の人間尊敬の仏法が輝いていくのは、当然な法則だ。(中略)誰もが、この世で幸福と勝利を勝ち取る権利があるからだ」(本紙2005年2月18日付「随筆 人間世紀の光」)
「夫人は手紙につづっている。
『よい年とは、健康な年、気持ちのはればれとした年、仕事のよくできる年、毎日毎日生きる喜びを感じ、未来にばかり希望をつないで、いたずらに月日のすぎてゆくのを待ったりしない年のことです』
いたずらに時を空費し、無駄に過ごすことがあってはならない。一日一日が重要だ。一年一年が貴重である」(05年1月2日、創価大学代表協議会でのスピーチ)
2008年2月には、創価女子短期大学の特別文化講座「永遠に学び勝ちゆく女性 キュリー夫人を語る」を本紙で連載。短大生をはじめ、全ての創価の女性たちへのエールをつづった。
——どんな人でも、どんな時代に生きても、その人には、その人にしかできない使命がある。平凡であっていい。「自分らしく」輝いてほしい——そう期待を込め、先生は呼び掛けている。
「大切なのは、『私は自分にできることをやりきった!』と言えるかどうかです。
順境のなかでは、人間の真の力は発揮できない。逆境に真正面から立ち向かっていくとき、本当の底力がわいてくる。逆境と闘うから、大いなる理想を実現することができるのです」
「私がやる!」との
自発・能動の信心から
歓喜のドラマが始まる。
今日も挑戦の一歩を!
建長寺道隆への御状 P173
『念仏は無間地獄の業禅宗は天魔の所為真言は亡国の悪法律宗は国賊の妄説と云云』
【通解】
念仏は無間地獄の業であり、禅宗は天魔の所為であり、真言は亡国の悪法であり、律宗は国賊の妄説である。
名字の言 日本で最初に認識された色は? 2022年2月23日
いにしえの日本で、最初に認識された色は「赤・白・青・黒」の4色だったとされる。「朝・昼・夕・夜」と、太陽の動きに伴う景色の変化に由来するという▼夜明けとともに空が明るくなると「明し」(赤)。日中に物の形がハッキリ顕れるさまは「顕し」(白)。夕刻は風景が漠然として見えるから「漠し」(青)。日が沈み、闇に包まれると「暗し」(黒)となる▼隣の中国では、この4色を四季に配した。青春(青)、朱夏(赤)、白秋(白)、玄冬(黒)である。両国で「黒」とされた夜や冬は、人生における苦境に重ねられることも多い。誰しも、心が不安と絶望で黒く塗りつぶされる「苦悩の闇夜」「試練の厳冬」のような時がある▼日蓮大聖人は「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる」(新1696・全1253)と仰せだ。夫に先立たれ、苦しい生活の中でも、けなげに信心を貫く女性門下に対する励ましである。これまでどれほど多くの友が、この一節を抱き締め、胸中の闇を晴らす光としてきたか▼「我らが持つは太陽の仏法。"題目の人""忍耐の人"に歓喜の朝は訪れる」と「わが友に贈る」にあった(1月30日付)。幸福・勝利の春を呼ぶ、広布への祈りと実践を絶やすまい。
寸鉄 2022年2月23日
人生の正しい軌道は勇気と努力。そして勝利だ—恩師。日々、新たな決意で
「師子王の子は師子王となる」御書。池田門下の誇り胸に。拡大の劇、今こそ(新1681・全1216)
前方を絶えず見つめるのが若者だ—哲人ヘーゲル。先駆は青年の使命!突破口頼む
閲覧中の瞬きは通常時の4分の1—医師。ドライアイの因と。休憩を賢く
列島各地で長引く寒波。最優先は安全。無冠の皆様の健康と無事故を祈念
☆ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち 第16回 マリー・キュリー
〈マリー・キュリー〉
私たちは自分の運命を切り開こうと
努力しながら、しかも同時に
全人類への責任を持たねばならない。
かの大科学者アインシュタインは語った。「名のある人々のなかで、マリー・キュリーはただひとり、その名声によってそこなわれなかった人物である」と。
マリー・キュリー——夫ピエールと共に新たな放射性元素を発見し、その5年後の1903年にノーベル物理学賞を受賞(女性初)。11年にはノーベル化学賞にも選ばれ、2度のノーベル賞に輝いた唯一の女性として知られる。
彼女には「各人が自分の運命をきりひらいていこうと努力しながら、しかも同時に全人類にたいして責任をわけもたねばならない」という信念があった。地位や名誉のためではなく、世界や未来のために学び続ける。だからアインシュタインは「いつも自分を社会に仕えるしもべと考え、その謙虚さはけっして自己満足というものを知りませんでした」と、マリーを称賛してやまなかったのだろう。
イギリスの歴史専門誌「BBCヒストリー」は2018年、「史上最も世界に影響を与えた女性」の第1位にマリーを選出。時を超え、国を超えて、広く尊敬を集める。創価女子短期大学(東京・八王子市)には"向学のシンボル"として彼女の像が設置され、アメリカ創価大学には科学棟「キュリー棟」が立つ。
マリーは1867年11月、帝政ロシアの支配下にあったポーランドのワルシャワに、5人きょうだいの末っ子として誕生した。父は中学校の物理と数学の教師、母は女学校の校長という家庭で育ち、幼い頃から読書や勉強に励んだ。
8歳になると、大きな試練に襲われる。長姉を病気で失い、さらに2年後には母を結核で亡くしたのだ。相次ぐ家族との別れに、一家は悲嘆に暮れた。それでもマリーは前を向き、15歳の時に最優秀の成績で女学校を卒業する。
だが、当時のポーランドでは、どんなに優秀であっても、女性がそれ以上、学問を続けることはできなかった。マリーは家計を助けるため、16歳で家庭教師として働きだした。時を同じくして「移動大学」で学び始める。そこは警察の厳重な監視の目を避けながら学ぶ、正規ではない"秘密の大学"だった。祖国の復興を目指す青年たちが設立し、皆で教え合い、知性を磨き合っていたのだ。
青春時代、彼女は友人への手紙に記している。「第一原則、誰にも、何事にも、決して負けないこと」。決して負けない。一歩も退かない——この強き心が、後のキュリー夫人を生んだのである。
〈マリー・キュリー〉
どんな環境でも、やり方次第で
いくらでも立派な仕事ができる。
雨のち晴れを信じて進むのです。
向学の志に燃えるマリーが目指したのは、フランス・パリ大学への留学だった。だが、一家の厳しい経済状況では、留学のめどが立たない。そこで彼女はポーランドの地方で3年間、家庭教師として住み込みで働くなど懸命に資金をため、24歳で姉夫婦が暮らすパリへ。女性に対して門戸が開かれたパリ大学で、苦学して物理学と数学の学士を取得した。
その中でフランス人物理学者のピエールと出会い、1895年に結婚。2年後には長女を出産する。
母になったマリーが次なる目標として掲げたのは博士号の取得だった。研究テーマに選んだのは、フランスの物理学者ベクレルによって報告されていた「ウラン化合物が不思議な放射線を発する」現象の究明である。
さまざまな実験の末、その性質を「放射能」と名付けたキュリー夫妻は、まだ人類に知られていない元素があることを突き止める。発見した未知の元素に「ポロニウム」「ラジウム」とそれぞれ命名し、その存在を証明するため、二人は大きな実験室で作業できるよう、パリ大学に掛け合った。
しかし希望はかなわず、やっとの思いで借りられたのは、物理化学学校の医学生の解剖室として使われていた"物置小屋"。それでも幾多の苦難を乗り越えてきたマリーには「どんなに不適当な場所にいても、やり方しだいで、いくらでもりっぱな仕事ができるものだ」との確信があった。
実験室は、夏は焼けるように暑く、冬は凍るように寒く、雨漏りもした。そんな過酷な環境でも二人は地道に作業を続けた。そして研究開始から4年がたった1902年、ラジウム塩の抽出という世界初の快挙を成し遂げたのである。
03年、放射能研究の功績が認められ、夫妻でノーベル物理学賞を受賞。マリーは博士号も取得し、翌年には次女を出産した。
ところが——。全てが順風満帆に思えた時に、人生最大の悲劇が起きる。パリ大学の教授に就いていたピエールが荷馬車にひかれ、この世を去ってしまったのだ。当時、マリーは38歳。8歳と1歳の子どもを残し、あまりにも突然の別れだった。
絶望に沈む彼女を支えたのは、ピエールとの「誓い」にほかならなかった。"何があっても二人の使命を完遂する"——人類への貢献を果たすため、マリーは涙を拭い、講師を経て、夫の後任としてパリ大学の教授に就任する。
女性や外国人ゆえの差別、偉業に対する妬みから迫害を受けることもあったが、マリーは屈しなかった。夫の遺志を継ぎ、研究を積み重ねた結果、44歳で2度目のノーベル賞(化学賞)に輝く。
彼女は後年、娘に宛てた手紙にこうつづっている。
「私たちはきっと勇気をもちつづけるでしょう。雨のあとは、きっと晴れというしっかりとした希望をもっていなければなりません」
女性科学者の道を開き、放射線治療の礎を築いたマリー。第1次世界大戦が勃発すると、長女イレーヌと共に各地の野戦病院を巡回し、負傷者の救護に尽くした。
晩年は後進の育成に力を注ぎ、亡くなる数カ月前まで研究所で仕事を続けたという。イレーヌもまた、夫と共にノーベル化学賞を受賞。マリーが66年の生涯を閉じた翌年(1935年)のことである。
〈キュリー夫人を語る池田先生〉
「悲哀に負けない強さ」にこそ
マリーの偉大さがある。
順風満帆の人生など、ありえない。
困難に勝つには使命を自覚すること。
そこに希望が生まれるからです。
50年前の1972年4月30日、フランスを訪問していた池田先生は、パリ郊外に立つマリーが暮らした家へ。香峯子夫人と並んで歩いていた友に、こう語っている。
「私は、マリー・キュリーの偉大さは、二つのノーベル賞を取ったということより、『悲哀に負けない強さ』にこそあると思う。順風満帆の人生など、ありえない。むしろ困難ばかりです。それを乗り越えるには、自分の使命を自覚することです。そこに希望が生まれるからです」
その後も、随筆やスピーチでマリーの言葉や生き方を通し、多くの同志に励ましを送ってきた。
「『ひとりひとりの個人の運命を改善することなくしては、よりよき社会の建設は不可能』とは、ポーランドの生んだ大科学者・キュリー夫人の有名な洞察であった。
かつて全体主義の抑圧のもとで、『一人』が軽んじられ、人間の心が置き去りにされてきた苦渋が長く続いた。だからこそ、『皆、宝塔』『皆、仏』と説いている、最極の人間尊敬の仏法が輝いていくのは、当然な法則だ。(中略)誰もが、この世で幸福と勝利を勝ち取る権利があるからだ」(本紙2005年2月18日付「随筆 人間世紀の光」)
「夫人は手紙につづっている。
『よい年とは、健康な年、気持ちのはればれとした年、仕事のよくできる年、毎日毎日生きる喜びを感じ、未来にばかり希望をつないで、いたずらに月日のすぎてゆくのを待ったりしない年のことです』
いたずらに時を空費し、無駄に過ごすことがあってはならない。一日一日が重要だ。一年一年が貴重である」(05年1月2日、創価大学代表協議会でのスピーチ)
2008年2月には、創価女子短期大学の特別文化講座「永遠に学び勝ちゆく女性 キュリー夫人を語る」を本紙で連載。短大生をはじめ、全ての創価の女性たちへのエールをつづった。
——どんな人でも、どんな時代に生きても、その人には、その人にしかできない使命がある。平凡であっていい。「自分らしく」輝いてほしい——そう期待を込め、先生は呼び掛けている。
「大切なのは、『私は自分にできることをやりきった!』と言えるかどうかです。
順境のなかでは、人間の真の力は発揮できない。逆境に真正面から立ち向かっていくとき、本当の底力がわいてくる。逆境と闘うから、大いなる理想を実現することができるのです」
2022年2月22日火曜日
2022.02.22 わが友に贈る
友の幸福を祈り抜き
勇気を出して対話に挑む。
その「挑戦」自体に
無量の福徳が積まれる。
さあ自身の壁を破ろう!
日厳尼御前御返事 P1262
『叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず』
【通解】
あなたの願いが叶うか叶わないかは御信心によるのである。まったく日蓮のとがではない。
名字の言 画家の壮年部員の「生きる証し」 2022年2月22日
いかなる分野であれ、使命の道に徹する人の言葉には、共感できる味わい深さがある。画家の壮年部員を訪ねた時、部屋の壁に彼の作品が掲げてあった。信心根本に"絵描きとして生きる"と決心し、最初に手掛けたという、城の絵だった▼彼は語った。「実際の築城は土台から造っていく。しかし、私が絵にする場合はまずカンバスに天守閣の最上部を描き、下方にいくほど裾野が広がっていく構図で仕上げます」と。その言葉は、今日までの彼の生き方を思わせた▼幼少期、小児まひを患い、足が不自由になった。絵との出あいは中学生の時。絵筆を持った彼は実感した。"私の心はどこまでも自由だ"。以来、絵画に没頭した▼後年、人形の顔などを描く職人に。長い下積み生活を経て、40代で本格的に画家の道を歩みだした。壮年にとって絵を描くことは「生業」以上に「生きる証し」だった。彼の生きざまがにじみ出たような"何にも縛られない"前衛的な作品は高く評価され、ヨーロッパの美術展で入賞も果たした▼わが心に描く"理想の頂"が高ければ高いほど、そこへ到達するまでの道は長く険しい。だが、その前進の一歩一歩の中で、人間革命の真価と、絶対的幸福の境涯は光り輝いていく。
寸鉄 2022年2月22日
御書「臆病にては叶うべからず」。二月闘争の総仕上げへ!勇敢にもう一歩(新1623・全1193)
鳥取広布原点の日。模範と光る立正安国の大城。皆が青年の心で希望拡大
誠は組織の推進力—牧口先生。大誠実のリーダーに友は奮起す。名指揮を
添付文書開くと感染するウイルスメール猛威と。確認・用心に"過剰"なし
感染者の数は減少傾向も高止まり。基本の対策は変わらず。今が正念場だ
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で——池田先生の連載エッセーから 第18回 石川
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「石川——創造を続ける文化王国」〈2014年2月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。2月は、戸田先生の誕生月。その生まれ故郷である石川は、豊かな自然と伝統文化が薫る。厳寒の冬を越え、生命が躍動する春へ——忍耐強い北陸の友の姿に学び、地道な対話拡大で、地域に幸福の花を咲かせていきたい。
北国に
文化の勝利の
旗高し
文化とは、創造です。
創造とは、一日一日の暮らしのなかで、いのちを伸びやかに開花させることでしょう。
それは、先人たちが営々と築いてきた伝統を受け継ぎ、学び、活かしながら、自分は自分らしく挑戦と知恵を添えて、生き生きと未来を創り、開いていくことです。そこに、途切れることのない文化の創造のリレーがあります。
その象徴が、世界に燦たる伝統文化の花の都・石川県です。
江戸時代、加賀百万石は「天下の書府」と謳われ、文化の花が絢爛と咲き誇りました。この流れの奥深くに、私は、戦乱の破壊の世から平和の創造の世へ、大転換を願い求めてやまなかった女性たちの祈りを感じ取ります。
石川には、今も日々の生活に、凜とした文化の彩りがあり、薫りがあります。茶道や美術などに寄せられる人々の関心が、全国でも高いと聞きました。
その文化を愛する気風から、かけがえのない生命と人生を見つめ、今日という日を共々に丁寧に生きようという心ばえが伝わってくると言っても、過言ではないでしょう。
◇常に師と共に
〈石川県は、戸田先生の生誕の地である。池田先生は恩師を思いつつ、その故郷を何度も訪れてきた〉
朗らかに
また忍耐の
北陸は
人間王者と
厳と生きぬけ
私の人生の師匠・戸田城聖先生は、一九〇〇年の二月十一日、石川県の塩屋(現・加賀市内)に誕生されました。
戦時中の晩秋、恩師は、生命尊厳の哲学を掲げて、命を賭して軍国主義の横暴と戦うさなか、ご自身の人生の起点を確かめるように、塩屋を訪れています。軍部政府の弾圧で投獄されたのは、その翌年(一九四三年)です。
一生涯、生まれ故郷に変わらざる愛情を注がれておりました。その師の最晩年、私は名代として北陸を訪れました。東京に戻り、故郷の方々の元気な様子をご報告すると、実に嬉しそうな笑みを浮かべられたのです。
以来、いつも恩師とご一緒に帰郷を果たす思いで、幾たびも北陸を訪問してきました。
恩師が逝去されて二年後(一九六〇年)の生誕の月・二月には、兼六園や、さらに卯辰山にも友と足を運び、金沢の美しい格調ある街並みを一望しました。壮麗な白山も仰ぎました。
陰暦二月を表す「如月」には、草木が蘇生する「生更ぎ」という意義があります。私たちは、偉大な人間王者であられた師の生命をわが胸に脈打たせながら、郷土を深く知り、新たな人材の大樹を伸ばし、生命尊厳の文化の花を咲かせゆこうと誓い合ったのです。
◇冬が春をつくる
〈厳冬にも負けない北陸の人々。池田先生は、"人生の冬"を勝ち越えてきた婦人を紹介し、地道に歩みを重ねる北陸の同志をたたえた〉
私と妻がよく知る野々市市の婦人は、長女を出産した後、難病に罹り、失明されました。追い打ちをかけるように、最愛の夫の事故死が重なったのです。
不遇を嘆く日々のなかで、「必ず宿命は転換できる。絶対に幸福になれる」と、力強く励ましてくれる友の温もりに触れ、教えてもらった不屈の生命哲学を抱きしめて前を向き、勇気の一歩を踏み出しました。
幼い娘さんといったん離れ、盲学校の寮生活で、鍼・灸・マッサージの勉強に励みました。三年後、立派に資格を取得し、娘さんとの希望の生活が始まりました。努力の積み重ねで、開業したお店も繁盛し、やがて自宅も建てることができたのです。
けなげな母は、必死の奮闘を通して見えてきたものがあると振り返ります。それは「人間の底力」であり、「人の優しさ」であり、「生きる喜び」であった、と。地元の小学校の要請に応えて、子どもたちに語りかけていることは、「人生には、いろいろ苦しみがあります。でも、どんな困難でも、乗り越えていく力が私たちにはあるんです」という"負けない哲学"です。
今の白山市の生まれで、江戸時代を代表する女性俳人と讃えられる加賀千代は詠みました。
「梅咲や 何が降ても 春ははる」
たとえ、冷たい雨が降ろうが、雪が降ろうが、ひとたび一輪の梅が咲いたからには、それは春の訪れにちがいありません。
冬は必ず春となる。
冬が春をつくる。
能登で地域貢献に奔走してきた女性リーダーは、「他の人ではありません。自分の一念で、どんなことでも全部、幸福の春へと打開できるのですね」と清々しく語っていました。
誰が見ていなくとも、真剣に誠実に信念の行動を貫き、誰に褒められずとも、粘り強くベストを尽くして、自らの立てた誓いを果たしてみせる——この北陸の友の生命の息吹を、私は敬愛してやみません。
〈結びに池田先生は、自身が青春時代に親しんだ哲学者の言葉に託して、青年を育てゆく石川そして北陸に万感の期待を寄せる〉
「人を作ることは世界を創造することであらう」とは、森村(現・かほく市)が生んだ、近代日本の哲学者・西田幾多郎博士の言葉です。
人材が育ちゆく天地・北陸には、無限の可能性を秘めた青年が満ち、勇気と知恵を贈る啓発が満ちています。ゆえに、無限の希望があります。
春遠からじ。
冬を勝ち越えた北陸の春には、誉れ高き生命の凱歌が轟きます。
わが恩師
生まれし天地
石川に
春 満開の
母の曲あれ
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第3巻所収)
勇気を出して対話に挑む。
その「挑戦」自体に
無量の福徳が積まれる。
さあ自身の壁を破ろう!
日厳尼御前御返事 P1262
『叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず』
【通解】
あなたの願いが叶うか叶わないかは御信心によるのである。まったく日蓮のとがではない。
名字の言 画家の壮年部員の「生きる証し」 2022年2月22日
いかなる分野であれ、使命の道に徹する人の言葉には、共感できる味わい深さがある。画家の壮年部員を訪ねた時、部屋の壁に彼の作品が掲げてあった。信心根本に"絵描きとして生きる"と決心し、最初に手掛けたという、城の絵だった▼彼は語った。「実際の築城は土台から造っていく。しかし、私が絵にする場合はまずカンバスに天守閣の最上部を描き、下方にいくほど裾野が広がっていく構図で仕上げます」と。その言葉は、今日までの彼の生き方を思わせた▼幼少期、小児まひを患い、足が不自由になった。絵との出あいは中学生の時。絵筆を持った彼は実感した。"私の心はどこまでも自由だ"。以来、絵画に没頭した▼後年、人形の顔などを描く職人に。長い下積み生活を経て、40代で本格的に画家の道を歩みだした。壮年にとって絵を描くことは「生業」以上に「生きる証し」だった。彼の生きざまがにじみ出たような"何にも縛られない"前衛的な作品は高く評価され、ヨーロッパの美術展で入賞も果たした▼わが心に描く"理想の頂"が高ければ高いほど、そこへ到達するまでの道は長く険しい。だが、その前進の一歩一歩の中で、人間革命の真価と、絶対的幸福の境涯は光り輝いていく。
寸鉄 2022年2月22日
御書「臆病にては叶うべからず」。二月闘争の総仕上げへ!勇敢にもう一歩(新1623・全1193)
鳥取広布原点の日。模範と光る立正安国の大城。皆が青年の心で希望拡大
誠は組織の推進力—牧口先生。大誠実のリーダーに友は奮起す。名指揮を
添付文書開くと感染するウイルスメール猛威と。確認・用心に"過剰"なし
感染者の数は減少傾向も高止まり。基本の対策は変わらず。今が正念場だ
☆忘れ得ぬ旅 太陽の心で——池田先生の連載エッセーから 第18回 石川
月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「石川——創造を続ける文化王国」〈2014年2月号〉を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。2月は、戸田先生の誕生月。その生まれ故郷である石川は、豊かな自然と伝統文化が薫る。厳寒の冬を越え、生命が躍動する春へ——忍耐強い北陸の友の姿に学び、地道な対話拡大で、地域に幸福の花を咲かせていきたい。
北国に
文化の勝利の
旗高し
文化とは、創造です。
創造とは、一日一日の暮らしのなかで、いのちを伸びやかに開花させることでしょう。
それは、先人たちが営々と築いてきた伝統を受け継ぎ、学び、活かしながら、自分は自分らしく挑戦と知恵を添えて、生き生きと未来を創り、開いていくことです。そこに、途切れることのない文化の創造のリレーがあります。
その象徴が、世界に燦たる伝統文化の花の都・石川県です。
江戸時代、加賀百万石は「天下の書府」と謳われ、文化の花が絢爛と咲き誇りました。この流れの奥深くに、私は、戦乱の破壊の世から平和の創造の世へ、大転換を願い求めてやまなかった女性たちの祈りを感じ取ります。
石川には、今も日々の生活に、凜とした文化の彩りがあり、薫りがあります。茶道や美術などに寄せられる人々の関心が、全国でも高いと聞きました。
その文化を愛する気風から、かけがえのない生命と人生を見つめ、今日という日を共々に丁寧に生きようという心ばえが伝わってくると言っても、過言ではないでしょう。
◇常に師と共に
〈石川県は、戸田先生の生誕の地である。池田先生は恩師を思いつつ、その故郷を何度も訪れてきた〉
朗らかに
また忍耐の
北陸は
人間王者と
厳と生きぬけ
私の人生の師匠・戸田城聖先生は、一九〇〇年の二月十一日、石川県の塩屋(現・加賀市内)に誕生されました。
戦時中の晩秋、恩師は、生命尊厳の哲学を掲げて、命を賭して軍国主義の横暴と戦うさなか、ご自身の人生の起点を確かめるように、塩屋を訪れています。軍部政府の弾圧で投獄されたのは、その翌年(一九四三年)です。
一生涯、生まれ故郷に変わらざる愛情を注がれておりました。その師の最晩年、私は名代として北陸を訪れました。東京に戻り、故郷の方々の元気な様子をご報告すると、実に嬉しそうな笑みを浮かべられたのです。
以来、いつも恩師とご一緒に帰郷を果たす思いで、幾たびも北陸を訪問してきました。
恩師が逝去されて二年後(一九六〇年)の生誕の月・二月には、兼六園や、さらに卯辰山にも友と足を運び、金沢の美しい格調ある街並みを一望しました。壮麗な白山も仰ぎました。
陰暦二月を表す「如月」には、草木が蘇生する「生更ぎ」という意義があります。私たちは、偉大な人間王者であられた師の生命をわが胸に脈打たせながら、郷土を深く知り、新たな人材の大樹を伸ばし、生命尊厳の文化の花を咲かせゆこうと誓い合ったのです。
◇冬が春をつくる
〈厳冬にも負けない北陸の人々。池田先生は、"人生の冬"を勝ち越えてきた婦人を紹介し、地道に歩みを重ねる北陸の同志をたたえた〉
私と妻がよく知る野々市市の婦人は、長女を出産した後、難病に罹り、失明されました。追い打ちをかけるように、最愛の夫の事故死が重なったのです。
不遇を嘆く日々のなかで、「必ず宿命は転換できる。絶対に幸福になれる」と、力強く励ましてくれる友の温もりに触れ、教えてもらった不屈の生命哲学を抱きしめて前を向き、勇気の一歩を踏み出しました。
幼い娘さんといったん離れ、盲学校の寮生活で、鍼・灸・マッサージの勉強に励みました。三年後、立派に資格を取得し、娘さんとの希望の生活が始まりました。努力の積み重ねで、開業したお店も繁盛し、やがて自宅も建てることができたのです。
けなげな母は、必死の奮闘を通して見えてきたものがあると振り返ります。それは「人間の底力」であり、「人の優しさ」であり、「生きる喜び」であった、と。地元の小学校の要請に応えて、子どもたちに語りかけていることは、「人生には、いろいろ苦しみがあります。でも、どんな困難でも、乗り越えていく力が私たちにはあるんです」という"負けない哲学"です。
今の白山市の生まれで、江戸時代を代表する女性俳人と讃えられる加賀千代は詠みました。
「梅咲や 何が降ても 春ははる」
たとえ、冷たい雨が降ろうが、雪が降ろうが、ひとたび一輪の梅が咲いたからには、それは春の訪れにちがいありません。
冬は必ず春となる。
冬が春をつくる。
能登で地域貢献に奔走してきた女性リーダーは、「他の人ではありません。自分の一念で、どんなことでも全部、幸福の春へと打開できるのですね」と清々しく語っていました。
誰が見ていなくとも、真剣に誠実に信念の行動を貫き、誰に褒められずとも、粘り強くベストを尽くして、自らの立てた誓いを果たしてみせる——この北陸の友の生命の息吹を、私は敬愛してやみません。
〈結びに池田先生は、自身が青春時代に親しんだ哲学者の言葉に託して、青年を育てゆく石川そして北陸に万感の期待を寄せる〉
「人を作ることは世界を創造することであらう」とは、森村(現・かほく市)が生んだ、近代日本の哲学者・西田幾多郎博士の言葉です。
人材が育ちゆく天地・北陸には、無限の可能性を秘めた青年が満ち、勇気と知恵を贈る啓発が満ちています。ゆえに、無限の希望があります。
春遠からじ。
冬を勝ち越えた北陸の春には、誉れ高き生命の凱歌が轟きます。
わが恩師
生まれし天地
石川に
春 満開の
母の曲あれ
(『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第3巻所収)
2022年2月21日月曜日
2022.02.21 わが友に贈る
◇今週のことば
「南無妙法蓮華経を
勧めて持たしむるなり」
折伏行は最極の善事だ。
朗らかに語り抜いて
伝統の2月を勝ち飾れ!
2022年2月21日
四条金吾殿御返事 P1151
『だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし』
【通解】
弟子と師匠が心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない。
名字の言 57歳で映画デビューした俳優のどんぐりさん 2022年2月21日
おかっぱ頭に、大阪弁の特徴的な甲高い声——俳優の竹原芳子(どんぐり)さんは、証券会社の営業、宝くじ売り場の販売員、裁判所の臨時事務官などを経て、57歳で映画デビューを果たした▼芸能界入りを目指したのは50歳の時。反対する意見も多かった。だが彼女は年齢を理由に"自分なんてこんなもんだ"と決め付けず、自分の可能性を信じようと決めた。「人間は年齢じゃない」「いくつになっても挑戦できる」と(『還暦のシンデレラガール』サンマーク出版)▼先日、専門学校に通う67歳の壮年を訪ねた。彼は会社を定年退職した2年前、新しい挑戦を決意。室内造形科で家具の製造などを学ぶ。現在は国家資格の「家具製作技能士」を目指し、勉学に励んでいるという。「実技はいいのですが、学科がね。何しろ、覚えたそばから忘れていくので」。そう言って笑う表情から、充実の毎日が伝わってきた▼かつては、多くの人が定年後を"余生"と捉えてきた。そうした考えに対して、池田先生はつづっている。「これからは、長年培ってきた力をもって、地域に、希望を、活力を与える"与生"であらねばならない」▼理想に燃えて生きる人は若々しい。その姿は、人生100年時代の希望である。
寸鉄 2022年2月21日
青年が妙法で起てば革命できぬわけがない—戸田先生。わが勝利史を刻め
「『菩薩』とは、仏果を得る下地なり」御書。学会活動は自他の尊厳輝かす聖業(新1029・全738)
粘り強さを持つ人は必ず物になる—文豪。今日も友の中へ。一人を味方に
予防を謳う不適切商品に注意—厚労省。まずは消毒、マスク等の対策から
水素で走る電車が公開、数社が共同開発と。総力で英知を集めて脱炭素へ
〈社説〉 2022・2・21 40回を数えた「SGI提言」
◇足元から着実な行動の一歩を
「池田SGI会長は1983年から毎年、記念提言を発表されています。これほど継続的かつ一貫して、国連改善の道筋を具体的に示してきた人物は、世界を見ても池田会長だけです」(元国連事務次長のアンワルル・チョウドリ氏)
国連関係者をはじめ、各界に反響を呼んでいる池田先生の「SGIの日」記念提言。通算40回目を数える今回は「人類史の転換へ 平和と尊厳の大光」と題して発表された。
これまで取り上げられてきたテーマは、核兵器廃絶や軍縮、人権、気候変動など多岐にわたり、仏法の視座から地球的問題群の本質に光が当てられてきた。とりわけ喫緊の課題解決の方途として、一人の人間における着実な行動に重きが置かれている点に、その特質があるといえよう。
数々の平和構築への提案は、各国でのセミナー等を通して、広く国際社会に発信され、学会としても市民社会での連帯を広げながら、その実現に取り組んできた。実際、提言に学んだ学会の運動が「持続可能な開発のための教育の10年」の制定や「核兵器禁止条約」の採択などに向けた潮流に、弾みをつける草の根の力となった。
池田先生は、共生のビジョンを絶えず示してきた理由について、2012年のSGI提言で「提言は、師との誓いを果たす実践に他なりません」とつづっている。40回にわたる提言で、池田先生が終始、核兵器の脅威に言及してきたのも、戸田城聖先生の遺訓である「原水爆禁止宣言」を原点に、恩師の叫びを五体に刻み付けた後継の弟子として、なさねばならない使命であるとの思いからだ。
この創価の師弟に脈打つ平和実現の精神こそ、人類の未来を指し示す羅針盤である。世界全体がコロナ禍という暗雲に包まれる渦中にあって、今こそ求められるのは、本年の提言で紹介された"何のため""誰のため"との目的観を明確にして足元から行動を起こす「正視眼」的な生き方であろう。
先日、本紙の投稿欄に、提言を学んだ壮年の決意が寄せられていた。「身近なことから実践したい。それは、友の心に希望の灯をともす対話であると信じる」と。
今いる場所で起こした変革は、希望の波動を広げ、地球的課題を打開しゆく原動力となる。そう確信して、眼前の一人に語り掛け、心の絆を結んでいきたい。
☆青年・飛躍の源流——二月闘争70周年 第2回 自ら動く——率先垂範
"戸田先生のために、組2世帯の折伏をして、支部で200世帯を完遂しましょう"
池田支部幹事の気迫は、蒲田支部の緊急組長会(1952年〈昭和27年〉1月29日)に集った同志を圧倒した。
ある婦人は証言する。
「池田先生の戸田先生を思う一念が伝わってきて、行くときは寒かったけれど、帰りになると頬が紅潮して、『よーし! やろう。負けるもんか』と大歓喜の姿で家路に就きました」
だが中には、「今までの倍なんてできるかね。支部幹事は大風呂敷を広げたね」と、会場から鵜の木駅へ戻る道すがら、語り合う組長もいた。
その話を聞いた池田先生は、「広げた風呂敷で全部包めばいいんでしょう」と悠然と語る一方で、電光石火の行動を開始した。支部内を訪問・激励に走りに走った。座談会も一日に2カ所、3カ所と掛け持ちした。状況の厳しい組の会合には、決まって先生の姿があった。
当時の支部婦人部長が述懐している。
「この率先垂範のお姿に支部内の空気は一変し、先生の一念で組長さんたちは皆、やる気になっていったのです」
「会うと必ず声を掛けて激励してくださる先生を見て誰もが、先生は会った人を必ず変えていく力がある。元気にする力があると思いました」
「支部—地区—班—組」という新たな体制が敷かれて1カ月。蒲田支部にも、約100の「組」が誕生したばかり。組長の中には、入会して日が浅く、折伏の仕方が分からない人もいた。
そこから、拡大の火を起こしたいなら、会合で呼び掛けるだけでは十分でないことは明らかだった。
「大きな単位のみに注意を向けていると、どうしても指示や伝達が中心となり、信心の息吹や感動が伝わりにくい。いつしか惰性におちいってしまうものである」
「『組』単位に——という、この時の実践は、こうした硬直化を打ち破る、いわば"組織の人間化"への挑戦であった。わが生命をふりしぼって、地域のすみずみにまで、清新な『信心』の息吹を脈動させていく。その戦いであった」(1990年11月、大田区記念勤行会でのスピーチ)
◇一緒に行こう
池田先生は組長をはじめ最前線の同志を一日何十人と励ますだけでなく、折伏の現場へ同志と共に足を運んだ。
その姿に触れ、それまで座談会場で待っているばかりだった幹部も、勇んで友と一緒に打って出るようになった。
ある同志が日曜日の早朝、先生が住んでいた大田区大森の青葉荘を突然、「友人の所に一緒に折伏に行ってください」と訪ねた時のこと。
先生は布団から起き上がるなり、それをくるくると巻き上げると「行ってあげるよ」と。
毎日の激闘で疲労困憊。肺病との闘いも続いていたにもかかわらず、少々無遠慮なお願いも喜んで引き受けた。宗教の正邪を理路整然と語りつつ、同志にも「○○について話をしてください」などと発言の機会を与え、言葉に詰まると、話を引き取って、分かりやすく説明してあげるのだった。
蒲田支部の同志にとって、先生と行く折伏は、友人を入会に導くだけでなく、自身が信行学を学ぶ場ともなったのである。
先生はつづる。
「御義口伝には、『妙法蓮華経』の五字を人間の身に配して、『足は経なり』(全716・新997)と明かされている。法のため、友のために『自ら動く』こと、『足を運ぶ』ことから、妙法の福徳は大きく広がる。
わが同志は、日々の生活を必死にやりくりしながら、勝利の実証を示さんと奮闘した。無理解な悪口を浴びても、相手の幸福を祈り、仏縁を忍耐強く育み広げていった。何とけなげな、何と尊い方々であるか。折伏ができずに悩む。それは、まさに『仏の悩み』そのものではないか」(「随筆『人間革命』光あれ」)
◇座談会が発火点
こうしたリーダー率先の行動とともに、池田先生が重視したのが「座談会の充実」だった。
他支部の座談会が、その場の状況に委ねた対話に終始したのに対し、蒲田支部では、池田先生の発案で、例えば十界論の担当、体験を語る担当などを事前に決め、綿密なプログラムを組んだ。次々と斬新な企画を立て、参加した人に"来て良かった"と喜びを送った。
池田先生自身が座談会を担当する時は、必ず開始時間よりも前に来て、御本尊の前に端座したことも、語り草となっている。自宅の青葉荘でも幾度となく座談会を開き、隣人たちに自身の体験を語っては、仏法の偉大さを訴えた。
「あの蒲田支部の『二月闘争』も、座談会が発火点となり、起爆力となった。文京でも、札幌でも、大阪でも、山口でも、荒川でも、葛飾でも、勝利また勝利の回転軸は、座談会であった。座談会の勝利が、広布の勝利を開いたのである」
「座談会の歴史こそ、わが人生の『今生人界の思出』となって、三世永遠に光り輝くのだ。私の胸の奥深くにも、座談会で出会いを結んだ、すべての方々が思い出深く刻まれて、離れることはない」(「随筆 人間世紀の光」)
「二月闘争」のさなかに発行された52年2月の「大白蓮華」。その巻頭言で戸田城聖先生は、"組織をどのように運営すればよいか"というテーマを取り上げた。
「例えば自動車を動かすにはタンクの中にガソリンをつめればよい、ごく簡単な答ではないか」「組織を動かすのは、信仰に対する絶対の確信と情熱である。その信仰に対する確信と情熱を組織の中へエネルギーとしてみなぎらす事である」
「ことに青年の確信と情熱が信仰によって清められ、しこうしていやましに高められた時に組織はグングンと活動するのである」
24歳の池田青年が蒲田支部で繰り広げた闘争は、この恩師の指導をそのまま体現したものにほかならなかった。
池田先生は教えている。
「『師弟不二ならば、一切を勝利できる』——これが、仏法の要諦であり、学会精神の真髄である」
「『師弟』に徹する一念を根幹に、蒲田支部は一丸となった。御金言通りの『異体同心』の結合体となったのだ」(同)
「南無妙法蓮華経を
勧めて持たしむるなり」
折伏行は最極の善事だ。
朗らかに語り抜いて
伝統の2月を勝ち飾れ!
2022年2月21日
四条金吾殿御返事 P1151
『だんなと師とをもひあわぬいのりは水の上に火をたくがごとし』
【通解】
弟子と師匠が心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚くようなものであり、叶うわけがない。
名字の言 57歳で映画デビューした俳優のどんぐりさん 2022年2月21日
おかっぱ頭に、大阪弁の特徴的な甲高い声——俳優の竹原芳子(どんぐり)さんは、証券会社の営業、宝くじ売り場の販売員、裁判所の臨時事務官などを経て、57歳で映画デビューを果たした▼芸能界入りを目指したのは50歳の時。反対する意見も多かった。だが彼女は年齢を理由に"自分なんてこんなもんだ"と決め付けず、自分の可能性を信じようと決めた。「人間は年齢じゃない」「いくつになっても挑戦できる」と(『還暦のシンデレラガール』サンマーク出版)▼先日、専門学校に通う67歳の壮年を訪ねた。彼は会社を定年退職した2年前、新しい挑戦を決意。室内造形科で家具の製造などを学ぶ。現在は国家資格の「家具製作技能士」を目指し、勉学に励んでいるという。「実技はいいのですが、学科がね。何しろ、覚えたそばから忘れていくので」。そう言って笑う表情から、充実の毎日が伝わってきた▼かつては、多くの人が定年後を"余生"と捉えてきた。そうした考えに対して、池田先生はつづっている。「これからは、長年培ってきた力をもって、地域に、希望を、活力を与える"与生"であらねばならない」▼理想に燃えて生きる人は若々しい。その姿は、人生100年時代の希望である。
寸鉄 2022年2月21日
青年が妙法で起てば革命できぬわけがない—戸田先生。わが勝利史を刻め
「『菩薩』とは、仏果を得る下地なり」御書。学会活動は自他の尊厳輝かす聖業(新1029・全738)
粘り強さを持つ人は必ず物になる—文豪。今日も友の中へ。一人を味方に
予防を謳う不適切商品に注意—厚労省。まずは消毒、マスク等の対策から
水素で走る電車が公開、数社が共同開発と。総力で英知を集めて脱炭素へ
〈社説〉 2022・2・21 40回を数えた「SGI提言」
◇足元から着実な行動の一歩を
「池田SGI会長は1983年から毎年、記念提言を発表されています。これほど継続的かつ一貫して、国連改善の道筋を具体的に示してきた人物は、世界を見ても池田会長だけです」(元国連事務次長のアンワルル・チョウドリ氏)
国連関係者をはじめ、各界に反響を呼んでいる池田先生の「SGIの日」記念提言。通算40回目を数える今回は「人類史の転換へ 平和と尊厳の大光」と題して発表された。
これまで取り上げられてきたテーマは、核兵器廃絶や軍縮、人権、気候変動など多岐にわたり、仏法の視座から地球的問題群の本質に光が当てられてきた。とりわけ喫緊の課題解決の方途として、一人の人間における着実な行動に重きが置かれている点に、その特質があるといえよう。
数々の平和構築への提案は、各国でのセミナー等を通して、広く国際社会に発信され、学会としても市民社会での連帯を広げながら、その実現に取り組んできた。実際、提言に学んだ学会の運動が「持続可能な開発のための教育の10年」の制定や「核兵器禁止条約」の採択などに向けた潮流に、弾みをつける草の根の力となった。
池田先生は、共生のビジョンを絶えず示してきた理由について、2012年のSGI提言で「提言は、師との誓いを果たす実践に他なりません」とつづっている。40回にわたる提言で、池田先生が終始、核兵器の脅威に言及してきたのも、戸田城聖先生の遺訓である「原水爆禁止宣言」を原点に、恩師の叫びを五体に刻み付けた後継の弟子として、なさねばならない使命であるとの思いからだ。
この創価の師弟に脈打つ平和実現の精神こそ、人類の未来を指し示す羅針盤である。世界全体がコロナ禍という暗雲に包まれる渦中にあって、今こそ求められるのは、本年の提言で紹介された"何のため""誰のため"との目的観を明確にして足元から行動を起こす「正視眼」的な生き方であろう。
先日、本紙の投稿欄に、提言を学んだ壮年の決意が寄せられていた。「身近なことから実践したい。それは、友の心に希望の灯をともす対話であると信じる」と。
今いる場所で起こした変革は、希望の波動を広げ、地球的課題を打開しゆく原動力となる。そう確信して、眼前の一人に語り掛け、心の絆を結んでいきたい。
☆青年・飛躍の源流——二月闘争70周年 第2回 自ら動く——率先垂範
"戸田先生のために、組2世帯の折伏をして、支部で200世帯を完遂しましょう"
池田支部幹事の気迫は、蒲田支部の緊急組長会(1952年〈昭和27年〉1月29日)に集った同志を圧倒した。
ある婦人は証言する。
「池田先生の戸田先生を思う一念が伝わってきて、行くときは寒かったけれど、帰りになると頬が紅潮して、『よーし! やろう。負けるもんか』と大歓喜の姿で家路に就きました」
だが中には、「今までの倍なんてできるかね。支部幹事は大風呂敷を広げたね」と、会場から鵜の木駅へ戻る道すがら、語り合う組長もいた。
その話を聞いた池田先生は、「広げた風呂敷で全部包めばいいんでしょう」と悠然と語る一方で、電光石火の行動を開始した。支部内を訪問・激励に走りに走った。座談会も一日に2カ所、3カ所と掛け持ちした。状況の厳しい組の会合には、決まって先生の姿があった。
当時の支部婦人部長が述懐している。
「この率先垂範のお姿に支部内の空気は一変し、先生の一念で組長さんたちは皆、やる気になっていったのです」
「会うと必ず声を掛けて激励してくださる先生を見て誰もが、先生は会った人を必ず変えていく力がある。元気にする力があると思いました」
「支部—地区—班—組」という新たな体制が敷かれて1カ月。蒲田支部にも、約100の「組」が誕生したばかり。組長の中には、入会して日が浅く、折伏の仕方が分からない人もいた。
そこから、拡大の火を起こしたいなら、会合で呼び掛けるだけでは十分でないことは明らかだった。
「大きな単位のみに注意を向けていると、どうしても指示や伝達が中心となり、信心の息吹や感動が伝わりにくい。いつしか惰性におちいってしまうものである」
「『組』単位に——という、この時の実践は、こうした硬直化を打ち破る、いわば"組織の人間化"への挑戦であった。わが生命をふりしぼって、地域のすみずみにまで、清新な『信心』の息吹を脈動させていく。その戦いであった」(1990年11月、大田区記念勤行会でのスピーチ)
◇一緒に行こう
池田先生は組長をはじめ最前線の同志を一日何十人と励ますだけでなく、折伏の現場へ同志と共に足を運んだ。
その姿に触れ、それまで座談会場で待っているばかりだった幹部も、勇んで友と一緒に打って出るようになった。
ある同志が日曜日の早朝、先生が住んでいた大田区大森の青葉荘を突然、「友人の所に一緒に折伏に行ってください」と訪ねた時のこと。
先生は布団から起き上がるなり、それをくるくると巻き上げると「行ってあげるよ」と。
毎日の激闘で疲労困憊。肺病との闘いも続いていたにもかかわらず、少々無遠慮なお願いも喜んで引き受けた。宗教の正邪を理路整然と語りつつ、同志にも「○○について話をしてください」などと発言の機会を与え、言葉に詰まると、話を引き取って、分かりやすく説明してあげるのだった。
蒲田支部の同志にとって、先生と行く折伏は、友人を入会に導くだけでなく、自身が信行学を学ぶ場ともなったのである。
先生はつづる。
「御義口伝には、『妙法蓮華経』の五字を人間の身に配して、『足は経なり』(全716・新997)と明かされている。法のため、友のために『自ら動く』こと、『足を運ぶ』ことから、妙法の福徳は大きく広がる。
わが同志は、日々の生活を必死にやりくりしながら、勝利の実証を示さんと奮闘した。無理解な悪口を浴びても、相手の幸福を祈り、仏縁を忍耐強く育み広げていった。何とけなげな、何と尊い方々であるか。折伏ができずに悩む。それは、まさに『仏の悩み』そのものではないか」(「随筆『人間革命』光あれ」)
◇座談会が発火点
こうしたリーダー率先の行動とともに、池田先生が重視したのが「座談会の充実」だった。
他支部の座談会が、その場の状況に委ねた対話に終始したのに対し、蒲田支部では、池田先生の発案で、例えば十界論の担当、体験を語る担当などを事前に決め、綿密なプログラムを組んだ。次々と斬新な企画を立て、参加した人に"来て良かった"と喜びを送った。
池田先生自身が座談会を担当する時は、必ず開始時間よりも前に来て、御本尊の前に端座したことも、語り草となっている。自宅の青葉荘でも幾度となく座談会を開き、隣人たちに自身の体験を語っては、仏法の偉大さを訴えた。
「あの蒲田支部の『二月闘争』も、座談会が発火点となり、起爆力となった。文京でも、札幌でも、大阪でも、山口でも、荒川でも、葛飾でも、勝利また勝利の回転軸は、座談会であった。座談会の勝利が、広布の勝利を開いたのである」
「座談会の歴史こそ、わが人生の『今生人界の思出』となって、三世永遠に光り輝くのだ。私の胸の奥深くにも、座談会で出会いを結んだ、すべての方々が思い出深く刻まれて、離れることはない」(「随筆 人間世紀の光」)
「二月闘争」のさなかに発行された52年2月の「大白蓮華」。その巻頭言で戸田城聖先生は、"組織をどのように運営すればよいか"というテーマを取り上げた。
「例えば自動車を動かすにはタンクの中にガソリンをつめればよい、ごく簡単な答ではないか」「組織を動かすのは、信仰に対する絶対の確信と情熱である。その信仰に対する確信と情熱を組織の中へエネルギーとしてみなぎらす事である」
「ことに青年の確信と情熱が信仰によって清められ、しこうしていやましに高められた時に組織はグングンと活動するのである」
24歳の池田青年が蒲田支部で繰り広げた闘争は、この恩師の指導をそのまま体現したものにほかならなかった。
池田先生は教えている。
「『師弟不二ならば、一切を勝利できる』——これが、仏法の要諦であり、学会精神の真髄である」
「『師弟』に徹する一念を根幹に、蒲田支部は一丸となった。御金言通りの『異体同心』の結合体となったのだ」(同)
2022年2月20日日曜日
2022.02.20 わが友に贈る
「友の喜び友の歎き
一つなり」御聖訓。
苦楽を共にする繋がりに
真の歓喜がある。
仏縁を広げる語らいを!
上野殿母尼御前御返事 P1515
『法門の事、日本国に人ごとに信ぜさせんと願して候いしが願や成熟せんとし候らん、当時は蒙古の勘文によりて世間やわらぎて候なり子細ありぬと見へ候、本より信じたる人人はことに悦ぶげに候か』
【通解】
法門のことを、日本国の人々に信じさせたいと願ってきたが、その願いが成就しようとしているのであろうか。
今は、蒙古から国書が届いたことで、世間の非難も和らいでいる。これは訳のあることであると思われる。もとから日蓮を信じてきた人々は、ことに喜んでいるようである。
名字の言 列島を感動の渦で包んだ北京五輪 2022年2月20日
北京五輪がきょう閉幕する。日本は金銀銅合わせて冬季大会史上最多となるメダルを獲得。連日、氷雪を溶かすほどの熱戦を展開し、列島を感動の渦で包んだ▼幾つもの名場面が生まれた今大会。スノーボード女子ビッグエアの決勝では、4位につけていた岩渕麗楽選手が最終ジャンプで女子初の超大技に挑んだ。惜しくも着地に失敗したが、競技後に思わぬ光景が。ライバルたちが次々と駆け寄り、彼女の挑戦をたたえたのだ▼メダルが懸かった大一番でも、あえて最高難度の技にチャレンジする——その勇気に皆、心を揺さぶられたのだろう。同時に、前人未到への"挑戦権"を得るまでの努力の過程に、敬意を表さずにはいられなかった▼41歳で初のメダリストに輝いたアルペンスキー男子滑降のヨアン・クラレイ選手(フランス)が語っていた。「私の母は、私がすること全て時間がかかったと言いました……歩くこと、話すこと。私のスポーツのキャリアも、全く同じでした」▼人は誰もが何かの才能を持っている。その芽を伸ばすのは努力を惜しまず、挑戦を積み重ねる力だろう。使命の場所は違えど"ここが私の本舞台"と決めて、わが未踏の原野の開拓に挑み続ける。そこに勝利者の条件がある。
寸鉄 2022年2月20日
御書「即の一字は南無妙法蓮華経」。悩みも祈りで変革。煩悩即菩提の仏法(新1021・全732)
東京「荒川の日」50周年。常勝の庶民の都。模範の友情拡大で本陣を牽引!
各地で男子部が対話拡大 生命尊厳の哲理を堂々語れ!君の勇気に皆が続く
国連「世界社会正義の日」誰も置き去りにしない—同苦の心が人類共生の鍵
北京五輪が閉幕へ。不屈の挑戦から生まれた感動の劇。我らも人生の金を
☆御書と未来へ 第6回 誓願の人生は黄金に輝く
〈御文〉
『日蓮は日本国の東夷東条、安房国の海辺の旃陀羅が子なり。いたずらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせんこと、あに石に金をかうるにあらずや。各々なげかせ給うべからず。』(佐渡御勘気抄、新1196・全891)
〈通解〉
日蓮は、日本国の都から東に遠く離れた東条郷、安房国の海辺の旃陀羅(=古代インドにおける最下層の身分)の子である。むなしく朽ちるであろうこの身を法華経のためにささげることは、ちょうど石を金に替えるようなものではないか。あなた方は嘆かれてはならない。
〈池田先生が贈る指針〉
流難の佐渡へ向かう前に、悠然と郷里の知友へ送られたお手紙である。 庶民の生まれを誇りとされ、命に及ぶ大難を勝ち越えて、全民衆を救済する妙法を弘め抜いてくださった。
御本仏の大誓願に連なる我らである。広布に戦う生命は、黄金の輝きを放つのだ。満800年の聖誕月、大歓喜の一念で仏法を語ろう!
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第33回 観世音菩薩普門品第二十五・陀羅尼品第二十六
◇どんな苦境にあろうとも、広布に本気で立ち上がった人を、諸天が守らないわけがない。
■観世音菩薩普門品
観世音菩薩が、三十三種に身を変えながら説法し、娑婆世界で一切衆生を救済することが説かれます。それでは大要を追ってみましょう。
◇
その時、無尽意菩薩が立ち上がって、釈尊に合掌して言います。
「観世音菩薩は、どうして観世音という名前なのでしょうか」
釈尊は、無尽意菩薩に告げます。
「もし、計り知れない百千万億の、あらゆる苦悩を受ける衆生が、この観世音菩薩の名を聞いて、一心に名を称えれば、観世音菩薩は即時にその音声を観じて、皆を苦悩から解放するであろう」
続いて、観世音菩薩の威神力によって、七難から逃れられることが説かれます。
「大火に入っても焼かれることはない」「大水に流されても助かる」「刀や杖で斬りつけられそうになっても、その刀や杖が折れて傷つけられない」「悪鬼が害を加えようとしても加えられない」「罪があるにせよ、ないにせよ、足かせで縛られたり、鎖でつながれたりしても解放される」……。
さらに、貪欲・瞋恚・愚癡の三毒からも解放されると語ります。
観世音菩薩の名前を一度でも供養するなら、六十二億恒河沙の菩薩に供養し尽くすのと同じ、百千万億劫にわたって消えることのない福徳が得られると述べます。
無尽意菩薩は、釈尊に言います。
「観世音菩薩は、なぜこの娑婆世界で自在に、衆生のために法を説くのですか。方便の力はいかほどでしょうか」
釈尊は、無尽意菩薩に告げます。
「仏身をもって救済される者には、観世音菩薩は仏身を現して、その者のために法を説くのである」
さらに、観世音菩薩が、辟支仏から始まり、帝釈天、天の大将軍、長者、子ども等々、三十三種に身を変じ、さまざまな世界で自由自在に衆生を救済していくことを語ります。
その後、無尽意菩薩が、自身が着けていた宝の首飾りを、観世音菩薩に供養しようとします。しかし、観世音菩薩は受け取りません。
そこで、釈尊が受けるように勧めると、観世音菩薩は首飾りを受け取り、それを二つに分け、一つを釈尊に、もう一つを多宝仏に捧げます。
その時、持地菩薩が立ち上がって、釈尊に言います。「衆生がこの観世音菩薩品を聞くならば、その人の功徳は少なくありません」
この普門品を説く時、説法の場にいた八万四千の衆生は、皆、仏と等しい阿耨多羅三藐三菩提(仏の完全な覚り)の心を起こします。
■陀羅尼品
諸天善神が、法華経弘通の人を守護することが説かれます。それでは大要を追ってみましょう。
◇
その時、薬王菩薩が立ち上がって、釈尊に言います。
「法華経を受持し、読誦し、学び、書写すれば、どれくらいの功徳を得られるのでしょうか」
釈尊は、薬王菩薩に告げます。
「もし八百万億那由他恒河沙の諸仏を供養したとしたら、その功徳はどうだろうか」
薬王菩薩は、「とてつもなく大きい功徳です」と答えます。
釈尊は言います。
「法華経の一つの偈(詩句形式の文)でも受持し、読誦し、信解し、修行したら、その功徳は、とてつもなく大きい」
薬王菩薩は、釈尊に言います。
「私は今、説法者(法華経を弘める人)に陀羅尼(魂を込めた言葉のようなもの)を与えて、守護します」
そして、陀羅尼を唱え、「もし、法華経を弘める人を迫害し、誹る人は、諸仏を迫害し、誹る人です」と語ります。
釈尊が、薬王菩薩をたたえます。
「すばらしい、すばらしい。薬王よ。この弘教者をあわれみ、守護するために陀羅尼を説いた。多くの衆生が大きな利益を得るであろう」
その時、勇施菩薩が、釈尊に言います。
「法華経を受持する人を護るために、陀羅尼を説きます。この陀羅尼によって悪い夜叉や羅刹などが、受持者の弱いところを探して攻撃しようとしても、できないようにします」
毘沙門天、持国天も、陀羅尼を唱えて、行者の守護を誓います。
さらに、十羅刹女と鬼子母神をはじめ、多くの鬼神も誓いを立てます。
「私たちもまた、法華経の行者を護って、その患いを取り除きたいのです。もしも、行者の弱いところを探し、攻撃しようとする奴らがいても、そうはさせません!」
「(悪い奴らが)私の頭に乗って、踏みにじろうとも、それはまだいい。しかし、行者を悩ませることは許さない。夢の中でさえ、行者を悩ませはしない!」
「もしも、妙法の説法者を悩ませ、乱すならば、その者の頭は阿梨樹の枝のごとく、七つに分かれるでしょう。父母を殺す罪のごとき大罪を得ることになるでしょう!」
「私たちもまた、説法者を護って、安穏にし、もろもろの患いを打ち払い、もろもろの毒薬を消させてみせます!」
釈尊は、鬼女たちの誓いを喜んで、たたえます。
「すばらしい、すばらしい。法華経の名前を受持する者を護っただけでも、その福は計り知れない。いわんや、それ以上の修行をし、供養している者を護る功徳となれば、なおさらです。まさに、あなたたちは、このような行者を護りなさい!」
仏がこの品を説く時、説法の場の六万八千の衆生が覚りを得ます。
【『法華経の智慧』から】 信心の大確信の炎を
観音菩薩とは、寿量品で示された久遠の本仏の生命の一分です。宇宙と一体の本仏の「限りない慈愛」を象徴的に表したのが観音です。だから久遠の本仏を離れては、観音菩薩の生命はない。
◇
観世音菩薩の「世」の一字には、深い意味がある。現実の「世」から離れないのです。「世」とは社会です。「社会の幸福」への挑戦なのです。「世」と対比すれば、「音」とは、個々の生命の叫びであり、「個人の幸福」への希求です。"社会の繁栄"と"個人の幸福"を一致させていこうというのが観世音であり、法華経なのです。
◇
一人立って、「私が必ず、広宣流布をいたします」と誓願の題目を唱えていくのです。御本尊に「阿修羅のごとく戦わせてください」と祈るのです。それで、力が出ないわけがない。勝利できないわけがない。
たとえ今、どんな苦境にあろうとも、「広宣流布のために」本気で立ち上がった人を、諸天が守らないわけがない。その信心の大確信の「炎」を教えているのが陀羅尼品なのです。(普及版〈下〉「観世音菩薩普門品」「陀羅尼品」)
【コラム】 福智の二法
「観世音菩薩普門品」には、観世音菩薩について、「弘誓の深きこと海の如し」(法華経634ページ)と教えられています。
衆生を救済するための、あらゆる神通力と勇気の源泉は、深き誓いにあったのです。
さらに、誓いを果たした観世音菩薩は、「福聚の海は無量なり」(同638ページ)と、無量の福徳が集まった大海のごとき大境涯を得たと記されています。
この経文について「御義口伝」には、「依正・福智共に『無量』なり。いわゆる、南無妙法蓮華経は福智の二法なり」(新1104・全792)と仰せです。
妙法の力によって周囲の環境も、自分自身も、くめども尽きぬ福徳と智慧があふれていくのです。
日蓮大聖人の仏法は、誓願の仏法です。広宣流布を使命と定めた「誓願の祈り」と「慈悲と勇気の行動」のあるところ、地域も栄え、自身も福徳にあふれた栄光の人生を歩んでいくことができるのです。
一つなり」御聖訓。
苦楽を共にする繋がりに
真の歓喜がある。
仏縁を広げる語らいを!
上野殿母尼御前御返事 P1515
『法門の事、日本国に人ごとに信ぜさせんと願して候いしが願や成熟せんとし候らん、当時は蒙古の勘文によりて世間やわらぎて候なり子細ありぬと見へ候、本より信じたる人人はことに悦ぶげに候か』
【通解】
法門のことを、日本国の人々に信じさせたいと願ってきたが、その願いが成就しようとしているのであろうか。
今は、蒙古から国書が届いたことで、世間の非難も和らいでいる。これは訳のあることであると思われる。もとから日蓮を信じてきた人々は、ことに喜んでいるようである。
名字の言 列島を感動の渦で包んだ北京五輪 2022年2月20日
北京五輪がきょう閉幕する。日本は金銀銅合わせて冬季大会史上最多となるメダルを獲得。連日、氷雪を溶かすほどの熱戦を展開し、列島を感動の渦で包んだ▼幾つもの名場面が生まれた今大会。スノーボード女子ビッグエアの決勝では、4位につけていた岩渕麗楽選手が最終ジャンプで女子初の超大技に挑んだ。惜しくも着地に失敗したが、競技後に思わぬ光景が。ライバルたちが次々と駆け寄り、彼女の挑戦をたたえたのだ▼メダルが懸かった大一番でも、あえて最高難度の技にチャレンジする——その勇気に皆、心を揺さぶられたのだろう。同時に、前人未到への"挑戦権"を得るまでの努力の過程に、敬意を表さずにはいられなかった▼41歳で初のメダリストに輝いたアルペンスキー男子滑降のヨアン・クラレイ選手(フランス)が語っていた。「私の母は、私がすること全て時間がかかったと言いました……歩くこと、話すこと。私のスポーツのキャリアも、全く同じでした」▼人は誰もが何かの才能を持っている。その芽を伸ばすのは努力を惜しまず、挑戦を積み重ねる力だろう。使命の場所は違えど"ここが私の本舞台"と決めて、わが未踏の原野の開拓に挑み続ける。そこに勝利者の条件がある。
寸鉄 2022年2月20日
御書「即の一字は南無妙法蓮華経」。悩みも祈りで変革。煩悩即菩提の仏法(新1021・全732)
東京「荒川の日」50周年。常勝の庶民の都。模範の友情拡大で本陣を牽引!
各地で男子部が対話拡大 生命尊厳の哲理を堂々語れ!君の勇気に皆が続く
国連「世界社会正義の日」誰も置き去りにしない—同苦の心が人類共生の鍵
北京五輪が閉幕へ。不屈の挑戦から生まれた感動の劇。我らも人生の金を
☆御書と未来へ 第6回 誓願の人生は黄金に輝く
〈御文〉
『日蓮は日本国の東夷東条、安房国の海辺の旃陀羅が子なり。いたずらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせんこと、あに石に金をかうるにあらずや。各々なげかせ給うべからず。』(佐渡御勘気抄、新1196・全891)
〈通解〉
日蓮は、日本国の都から東に遠く離れた東条郷、安房国の海辺の旃陀羅(=古代インドにおける最下層の身分)の子である。むなしく朽ちるであろうこの身を法華経のためにささげることは、ちょうど石を金に替えるようなものではないか。あなた方は嘆かれてはならない。
〈池田先生が贈る指針〉
流難の佐渡へ向かう前に、悠然と郷里の知友へ送られたお手紙である。 庶民の生まれを誇りとされ、命に及ぶ大難を勝ち越えて、全民衆を救済する妙法を弘め抜いてくださった。
御本仏の大誓願に連なる我らである。広布に戦う生命は、黄金の輝きを放つのだ。満800年の聖誕月、大歓喜の一念で仏法を語ろう!
☆ロータスラウンジ——法華経への旅 第33回 観世音菩薩普門品第二十五・陀羅尼品第二十六
◇どんな苦境にあろうとも、広布に本気で立ち上がった人を、諸天が守らないわけがない。
■観世音菩薩普門品
観世音菩薩が、三十三種に身を変えながら説法し、娑婆世界で一切衆生を救済することが説かれます。それでは大要を追ってみましょう。
◇
その時、無尽意菩薩が立ち上がって、釈尊に合掌して言います。
「観世音菩薩は、どうして観世音という名前なのでしょうか」
釈尊は、無尽意菩薩に告げます。
「もし、計り知れない百千万億の、あらゆる苦悩を受ける衆生が、この観世音菩薩の名を聞いて、一心に名を称えれば、観世音菩薩は即時にその音声を観じて、皆を苦悩から解放するであろう」
続いて、観世音菩薩の威神力によって、七難から逃れられることが説かれます。
「大火に入っても焼かれることはない」「大水に流されても助かる」「刀や杖で斬りつけられそうになっても、その刀や杖が折れて傷つけられない」「悪鬼が害を加えようとしても加えられない」「罪があるにせよ、ないにせよ、足かせで縛られたり、鎖でつながれたりしても解放される」……。
さらに、貪欲・瞋恚・愚癡の三毒からも解放されると語ります。
観世音菩薩の名前を一度でも供養するなら、六十二億恒河沙の菩薩に供養し尽くすのと同じ、百千万億劫にわたって消えることのない福徳が得られると述べます。
無尽意菩薩は、釈尊に言います。
「観世音菩薩は、なぜこの娑婆世界で自在に、衆生のために法を説くのですか。方便の力はいかほどでしょうか」
釈尊は、無尽意菩薩に告げます。
「仏身をもって救済される者には、観世音菩薩は仏身を現して、その者のために法を説くのである」
さらに、観世音菩薩が、辟支仏から始まり、帝釈天、天の大将軍、長者、子ども等々、三十三種に身を変じ、さまざまな世界で自由自在に衆生を救済していくことを語ります。
その後、無尽意菩薩が、自身が着けていた宝の首飾りを、観世音菩薩に供養しようとします。しかし、観世音菩薩は受け取りません。
そこで、釈尊が受けるように勧めると、観世音菩薩は首飾りを受け取り、それを二つに分け、一つを釈尊に、もう一つを多宝仏に捧げます。
その時、持地菩薩が立ち上がって、釈尊に言います。「衆生がこの観世音菩薩品を聞くならば、その人の功徳は少なくありません」
この普門品を説く時、説法の場にいた八万四千の衆生は、皆、仏と等しい阿耨多羅三藐三菩提(仏の完全な覚り)の心を起こします。
■陀羅尼品
諸天善神が、法華経弘通の人を守護することが説かれます。それでは大要を追ってみましょう。
◇
その時、薬王菩薩が立ち上がって、釈尊に言います。
「法華経を受持し、読誦し、学び、書写すれば、どれくらいの功徳を得られるのでしょうか」
釈尊は、薬王菩薩に告げます。
「もし八百万億那由他恒河沙の諸仏を供養したとしたら、その功徳はどうだろうか」
薬王菩薩は、「とてつもなく大きい功徳です」と答えます。
釈尊は言います。
「法華経の一つの偈(詩句形式の文)でも受持し、読誦し、信解し、修行したら、その功徳は、とてつもなく大きい」
薬王菩薩は、釈尊に言います。
「私は今、説法者(法華経を弘める人)に陀羅尼(魂を込めた言葉のようなもの)を与えて、守護します」
そして、陀羅尼を唱え、「もし、法華経を弘める人を迫害し、誹る人は、諸仏を迫害し、誹る人です」と語ります。
釈尊が、薬王菩薩をたたえます。
「すばらしい、すばらしい。薬王よ。この弘教者をあわれみ、守護するために陀羅尼を説いた。多くの衆生が大きな利益を得るであろう」
その時、勇施菩薩が、釈尊に言います。
「法華経を受持する人を護るために、陀羅尼を説きます。この陀羅尼によって悪い夜叉や羅刹などが、受持者の弱いところを探して攻撃しようとしても、できないようにします」
毘沙門天、持国天も、陀羅尼を唱えて、行者の守護を誓います。
さらに、十羅刹女と鬼子母神をはじめ、多くの鬼神も誓いを立てます。
「私たちもまた、法華経の行者を護って、その患いを取り除きたいのです。もしも、行者の弱いところを探し、攻撃しようとする奴らがいても、そうはさせません!」
「(悪い奴らが)私の頭に乗って、踏みにじろうとも、それはまだいい。しかし、行者を悩ませることは許さない。夢の中でさえ、行者を悩ませはしない!」
「もしも、妙法の説法者を悩ませ、乱すならば、その者の頭は阿梨樹の枝のごとく、七つに分かれるでしょう。父母を殺す罪のごとき大罪を得ることになるでしょう!」
「私たちもまた、説法者を護って、安穏にし、もろもろの患いを打ち払い、もろもろの毒薬を消させてみせます!」
釈尊は、鬼女たちの誓いを喜んで、たたえます。
「すばらしい、すばらしい。法華経の名前を受持する者を護っただけでも、その福は計り知れない。いわんや、それ以上の修行をし、供養している者を護る功徳となれば、なおさらです。まさに、あなたたちは、このような行者を護りなさい!」
仏がこの品を説く時、説法の場の六万八千の衆生が覚りを得ます。
【『法華経の智慧』から】 信心の大確信の炎を
観音菩薩とは、寿量品で示された久遠の本仏の生命の一分です。宇宙と一体の本仏の「限りない慈愛」を象徴的に表したのが観音です。だから久遠の本仏を離れては、観音菩薩の生命はない。
◇
観世音菩薩の「世」の一字には、深い意味がある。現実の「世」から離れないのです。「世」とは社会です。「社会の幸福」への挑戦なのです。「世」と対比すれば、「音」とは、個々の生命の叫びであり、「個人の幸福」への希求です。"社会の繁栄"と"個人の幸福"を一致させていこうというのが観世音であり、法華経なのです。
◇
一人立って、「私が必ず、広宣流布をいたします」と誓願の題目を唱えていくのです。御本尊に「阿修羅のごとく戦わせてください」と祈るのです。それで、力が出ないわけがない。勝利できないわけがない。
たとえ今、どんな苦境にあろうとも、「広宣流布のために」本気で立ち上がった人を、諸天が守らないわけがない。その信心の大確信の「炎」を教えているのが陀羅尼品なのです。(普及版〈下〉「観世音菩薩普門品」「陀羅尼品」)
【コラム】 福智の二法
「観世音菩薩普門品」には、観世音菩薩について、「弘誓の深きこと海の如し」(法華経634ページ)と教えられています。
衆生を救済するための、あらゆる神通力と勇気の源泉は、深き誓いにあったのです。
さらに、誓いを果たした観世音菩薩は、「福聚の海は無量なり」(同638ページ)と、無量の福徳が集まった大海のごとき大境涯を得たと記されています。
この経文について「御義口伝」には、「依正・福智共に『無量』なり。いわゆる、南無妙法蓮華経は福智の二法なり」(新1104・全792)と仰せです。
妙法の力によって周囲の環境も、自分自身も、くめども尽きぬ福徳と智慧があふれていくのです。
日蓮大聖人の仏法は、誓願の仏法です。広宣流布を使命と定めた「誓願の祈り」と「慈悲と勇気の行動」のあるところ、地域も栄え、自身も福徳にあふれた栄光の人生を歩んでいくことができるのです。
2022年2月19日土曜日
2022.02.19 わが友に贈る
感染症対策に奮闘する
医療・介護等の従事者に
最大の感謝とエールを!
体調を崩さないよう
皆で題目を送ろう!
守護国家論 P37
『兵者を打つ刻に弱兵を先んずれば強敵倍力を得るが如し』
【通解】
強い敵兵と戦う時に、こちらが弱い兵を先に向かわせると、強い敵は、ますます力を得る。
【先生の指導から】
大事なのは、師弟の心が合うことだ。異体同心の祈りである。
「生きること、それは呼吸することではない。活動することだ」(『エミール』今野一雄訳、岩波文庫)とは、フランスの思想家ルソーの名句である。
行動が道を開く。今こそ広宣流布の時である。「難攻不落の山梨」を威風堂々と築いていただきたい。
名字の言 「今生人界の思い出」つづる二月闘争に 2022年2月19日
若き池田先生が広布拡大の突破口を開いた「二月闘争」から70周年。列島の津々浦々で今、弘教の波が大きく広がっている▼ある女性部のリーダーは、70人の友人に仏法の幸福哲学を語ると決め、その決意を会合で披歴した。「皆の前で発表すると、一念が明確になりました。不思議ですが、その数日後、対話した友達が入会を希望したのです」▼2月に地区部長の任命を受けた壮年は「一家和楽の土台を必ず築きます!」、中学時代の同級生に真心の対話を重ねる青年は「この信仰の素晴らしさを大確信で語り抜きます!」とそれぞれ力強い。一念の「念」は、「今」の「心」と書く。移ろいやすい心を定めることから、人間革命のドラマは始まる▼都内のある地域で先日、今年の第1号となる新入会者が生まれた。入会者の家族が「創価家族の皆さんの輪に加わることができ、本当にうれしい。皆さんと一緒に成長していきたい」と笑顔で語れば、地域の壮年リーダーは「こんな心晴れやかな日はありません。幸福のスクラムをさらに広げていきます」▼二月闘争も終盤戦。3・16「広宣流布記念の日」へ、広布に生きる歓喜を列島各地に広げる「今生人界の思い出」(新519・全467)をつづりゆこう。
寸鉄 2022年2月19日
「伝統の2月」の座談会。尊き仏子の歓喜と誓いに満ちて。心の絆結び前進
第2宮城総県の日。希望の春へ。不屈の東北魂で立正安国の対話を拡大!
大悪が大善に変わるのが妙法—牧口先生。苦難を飛躍のバネにする信心だ
大人の学びは"スキマ時間"の活用が大事と。多忙な中でも良書繙く努力を
大雪の影響続く。"例年通り"でない積雪の地域多く。油断なく無事故で
☆勇気の舞 凱歌の行進� 特別編 師弟不二の詩 ああ恩師 戸田城聖先生(下)
四六時中
常在戦場の師である。
幾たびとなく
真夜中に呼び出しも受けた。
隼のごとく馳せ参じるのが
常であった。
側に私を呼んでは
「勝つことを
千里の外に決する」
勝利への作戦会議が
二人だけで繰り返された。
困難を極める戦いは
すべて私に命じられた。
「わが弟子ならば
断じて勝て!
勝って当然だ」
慰労の言葉など皆無であった。
勝つことが
真の弟子の証しであるからだ。
私は走った。
一切をなげうち
無我夢中で戦い抜いた。
蒲田で 文京で 札幌で
大阪で 山口で 夕張で……
行く先々で
未聞の勝利の旗を打ち立て
広宣流布の活路を開いた。
師は最高首脳に
語っておられた。
「大作が行ったところは
すべて大発展している。
すべて大勝利している。
この現証を見よ!」
師匠と共に進めば
生命は燃え上がる!
師を思えば
勇気が出る!
力が湧く!
智慧は尽きない!
戸田先生は
民衆の幸福と平和のために
立正安国の戦いを起こされた。
それは——
「山に山をかさね
波に波をたたみ
難に難を加え
非に非をます」
権力の魔性との
大闘争であった。
大難来たり。
昭和三十二年の夏
北に夕張炭労事件起こり
西に大阪事件起こる。
若き闘将は
北海の大地に
民衆勝利の歌を轟かせ
そして自ら
大阪府警へと向かった。
忘れまじ
その途次の羽田空港で
逝去九カ月前の
衰弱の激しき師は
牢に赴く弟子に言った。
「もしも もしも
お前が死ぬようなことになったら
私も すぐに駆けつけて
お前の上にうつぶして
一緒に死ぬからな」
なんと尊き慈愛の言葉か!
それが師匠の心なのだ。
私は心で泣いた。
「先生のお身体には
指一本 触れさせぬ」
無実の容疑で捕らわれた私は
一身に難を受けた。
だが弟子は
創価の正義を天下に示した。
先生亡きあとの
昭和三十七年一月
法廷闘争に勝利し
私は無罪判決を勝ち取った。
重大なる広布の使命の
全責任を抱いた
後悔なき
名誉ある人生が仏法なのだ。
嫉妬の
卑劣極まる虚言など
誰が信ずるか!
これが
世界の王者の
勝利への絶叫であった。
有名になった強欲な
多くの弟子は
先生から去った。
代議士にもしてもらい
そしてまた
学会の重要な役職にありながら
その大恩も踏みにじった
卑怯な連中は
みな立ち去っていった。
わが師は
よく言われた。
増上慢に
成り下がった弟子は
もはや弟子ではなくして
恩知らずの敵である。
蓮祖の時代にあっても
日興上人 ただ お一人が
清流に立ち上がられた。
他の五老僧らは
みな濁流に流された。
あの戦争中
時の権力に怯えて
多くの幹部が
退転していった。
戸田先生お一人が
師の心を心として
厳然と立ち上がった。
偉大な大師匠である
戸田先生の弟子たる私は
師に出会った十九歳の時から
師の亡くなられるまで
来る日も来る日も
朝から真夜中まで
常に先生の近くでお仕えした。
それはそれは
悪戦苦闘の師を
お守りしながら
現在の学会の大発展の
基盤を作り上げたのだ。
これが
師弟の実相であることを
叫びたい。
いま私は
次の真の弟子の道を
青年たちに託したい。
これが大発展への
方程式であるからだ。
ありとあらゆる
三類の強敵の
怒濤の中にあって
私は一切を乗り切り
すべてを完勝した。
勝って師の笑顔が
見たかったのである。
ゆえに私にとって
永遠の師匠・戸田先生と
苦楽を共にし
歴史を創り上げた日々は
すべてが勝利であり
光り輝いている。
私は断固と勝利した。
一切に勝利した。
この実像が
師弟不二の
信力・行力なのだ。
ああ!
恩師と共に過ごし来た
あの日あの時は
すべてが
また すべてが
私にとっては
輝く黄金の思い出となっている。
師は——
仏法の王者であられた。
闘争の王者であった。
正義の王者であった。
これこそ
人間指導者の大賢人だ!
この王者と共に
月月・日日に
私は
青春の不朽の歴史を
綴ることができた。
恩師は
あまりにも偉大であり
私は幸福者であった。
いな 師も弟子も
永遠不滅の
幸福と勝利の生命が
輝きわたって
流転してゆくにちがいない。
師を念い
師をば語りて
世界まで
私は
一切の誓いを実現した。
師の構想の種子から
天空高く生い茂る
壮大なる大樹を育て上げた。
創価の会館は
民衆の大城となりて
全国 全世界に林立し
聖教新聞は
言論の大城となった。
創価大学 創価学園は
世界も注目する
教育の大城となった。
「戸田の命よりも
大切なり」と言われた
創価の組織は
仏法史上
いな人類史上に輝く
世界百九十カ国・地域への
壮大なる平和と文化と教育の
広がりとなった。(*1)
釈尊の未来記
そして
日蓮大聖人の
「仏法西還」という悲願は
完全に成就した。
「一閻浮提広宣流布」という
仏法の究極の予見である
人類の新しき平和の朝が
輝き始まってきたのは
皆様ご存じの通りだ。
私は
戸田大学の卒業生である。
師匠は
戸田先生お一人
弟子は
私ただ一人であった。
約十年間
万般にわたる教育を
なさってくださった。
その戸田大学の卒業生には
世界の大学・学術機関からの
知性の宝冠は二百を超えた。
名誉市民の称号は
四百六十を数えるに至った。
「世界一の壮挙である」と
著名な識者の方々は
誉め讃えてくださっている。(*2)
これは
すべてにわたって
恩師・戸田先生の
凱歌の栄誉であられる。
師匠の勝利は
弟子の勝利。
弟子の勝利が
師匠の勝利なのだ。
全生命を賭しながら
一生涯
師匠に仕えきった者が
次の師匠となる。
これが
仏法の方程式だ。
これが
師弟不二である。
人間にとって
師弟に勝るものはない。
師を持たぬ者は
人間の愚者と
なってしまうからだ。
師を持たぬ者は
勝手気ままな
驕慢になってしまうからだ。
一家に親子があるごとく
社会には師弟が
必ずあるものだ。
それが古より
世界万般の鉄則であった。
師の恩を
遂に果たせり
今世かな
私の心には
いつも いつでも
笑顔輝く戸田先生がいる。
いまもなお
「先生なら どうされるか」
師との対話の日々の連続である。
いかに暗黒の時代に遭遇しても
偉大なる師を念うときに
必ず一本の光の大道が
広がってくるのだ。
ああ!
師匠は鑑である。
師匠は希望である。
師匠は力である。
心に師を持つ人生には
絶対に逡巡はない。
心に師を持つ人生には
断じて敗北はない。
おお!
わが恩師
戸田先生!
世界第一の師匠
戸田先生!
永遠の人生の師
戸田先生!
弟子・池田大作は
晴れ晴れと勝ちたり。
師弟不二の詩を
不滅の歴史と残したり。
一段と
決意深まる
師弟かな
今日も晴れ晴れと
妙法流布の正義の大道を!
私は絶対に
後悔の人生をつくらない。
凜々たる勇気で
価値ある勝利の歴史を
勇み歩んでいくのだ。
これが
仏法であるからだ。
これが
師弟の道の法則であるからだ。
二〇〇七年二月四日 立春の日
わが師・戸田城聖先生の
百七回目の誕生日を祝して
(*1)現在は192カ国・地域
(*2)現在の名誉学術称号は398、名誉市民称号は824
医療・介護等の従事者に
最大の感謝とエールを!
体調を崩さないよう
皆で題目を送ろう!
守護国家論 P37
『兵者を打つ刻に弱兵を先んずれば強敵倍力を得るが如し』
【通解】
強い敵兵と戦う時に、こちらが弱い兵を先に向かわせると、強い敵は、ますます力を得る。
【先生の指導から】
大事なのは、師弟の心が合うことだ。異体同心の祈りである。
「生きること、それは呼吸することではない。活動することだ」(『エミール』今野一雄訳、岩波文庫)とは、フランスの思想家ルソーの名句である。
行動が道を開く。今こそ広宣流布の時である。「難攻不落の山梨」を威風堂々と築いていただきたい。
名字の言 「今生人界の思い出」つづる二月闘争に 2022年2月19日
若き池田先生が広布拡大の突破口を開いた「二月闘争」から70周年。列島の津々浦々で今、弘教の波が大きく広がっている▼ある女性部のリーダーは、70人の友人に仏法の幸福哲学を語ると決め、その決意を会合で披歴した。「皆の前で発表すると、一念が明確になりました。不思議ですが、その数日後、対話した友達が入会を希望したのです」▼2月に地区部長の任命を受けた壮年は「一家和楽の土台を必ず築きます!」、中学時代の同級生に真心の対話を重ねる青年は「この信仰の素晴らしさを大確信で語り抜きます!」とそれぞれ力強い。一念の「念」は、「今」の「心」と書く。移ろいやすい心を定めることから、人間革命のドラマは始まる▼都内のある地域で先日、今年の第1号となる新入会者が生まれた。入会者の家族が「創価家族の皆さんの輪に加わることができ、本当にうれしい。皆さんと一緒に成長していきたい」と笑顔で語れば、地域の壮年リーダーは「こんな心晴れやかな日はありません。幸福のスクラムをさらに広げていきます」▼二月闘争も終盤戦。3・16「広宣流布記念の日」へ、広布に生きる歓喜を列島各地に広げる「今生人界の思い出」(新519・全467)をつづりゆこう。
寸鉄 2022年2月19日
「伝統の2月」の座談会。尊き仏子の歓喜と誓いに満ちて。心の絆結び前進
第2宮城総県の日。希望の春へ。不屈の東北魂で立正安国の対話を拡大!
大悪が大善に変わるのが妙法—牧口先生。苦難を飛躍のバネにする信心だ
大人の学びは"スキマ時間"の活用が大事と。多忙な中でも良書繙く努力を
大雪の影響続く。"例年通り"でない積雪の地域多く。油断なく無事故で
☆勇気の舞 凱歌の行進� 特別編 師弟不二の詩 ああ恩師 戸田城聖先生(下)
四六時中
常在戦場の師である。
幾たびとなく
真夜中に呼び出しも受けた。
隼のごとく馳せ参じるのが
常であった。
側に私を呼んでは
「勝つことを
千里の外に決する」
勝利への作戦会議が
二人だけで繰り返された。
困難を極める戦いは
すべて私に命じられた。
「わが弟子ならば
断じて勝て!
勝って当然だ」
慰労の言葉など皆無であった。
勝つことが
真の弟子の証しであるからだ。
私は走った。
一切をなげうち
無我夢中で戦い抜いた。
蒲田で 文京で 札幌で
大阪で 山口で 夕張で……
行く先々で
未聞の勝利の旗を打ち立て
広宣流布の活路を開いた。
師は最高首脳に
語っておられた。
「大作が行ったところは
すべて大発展している。
すべて大勝利している。
この現証を見よ!」
師匠と共に進めば
生命は燃え上がる!
師を思えば
勇気が出る!
力が湧く!
智慧は尽きない!
戸田先生は
民衆の幸福と平和のために
立正安国の戦いを起こされた。
それは——
「山に山をかさね
波に波をたたみ
難に難を加え
非に非をます」
権力の魔性との
大闘争であった。
大難来たり。
昭和三十二年の夏
北に夕張炭労事件起こり
西に大阪事件起こる。
若き闘将は
北海の大地に
民衆勝利の歌を轟かせ
そして自ら
大阪府警へと向かった。
忘れまじ
その途次の羽田空港で
逝去九カ月前の
衰弱の激しき師は
牢に赴く弟子に言った。
「もしも もしも
お前が死ぬようなことになったら
私も すぐに駆けつけて
お前の上にうつぶして
一緒に死ぬからな」
なんと尊き慈愛の言葉か!
それが師匠の心なのだ。
私は心で泣いた。
「先生のお身体には
指一本 触れさせぬ」
無実の容疑で捕らわれた私は
一身に難を受けた。
だが弟子は
創価の正義を天下に示した。
先生亡きあとの
昭和三十七年一月
法廷闘争に勝利し
私は無罪判決を勝ち取った。
重大なる広布の使命の
全責任を抱いた
後悔なき
名誉ある人生が仏法なのだ。
嫉妬の
卑劣極まる虚言など
誰が信ずるか!
これが
世界の王者の
勝利への絶叫であった。
有名になった強欲な
多くの弟子は
先生から去った。
代議士にもしてもらい
そしてまた
学会の重要な役職にありながら
その大恩も踏みにじった
卑怯な連中は
みな立ち去っていった。
わが師は
よく言われた。
増上慢に
成り下がった弟子は
もはや弟子ではなくして
恩知らずの敵である。
蓮祖の時代にあっても
日興上人 ただ お一人が
清流に立ち上がられた。
他の五老僧らは
みな濁流に流された。
あの戦争中
時の権力に怯えて
多くの幹部が
退転していった。
戸田先生お一人が
師の心を心として
厳然と立ち上がった。
偉大な大師匠である
戸田先生の弟子たる私は
師に出会った十九歳の時から
師の亡くなられるまで
来る日も来る日も
朝から真夜中まで
常に先生の近くでお仕えした。
それはそれは
悪戦苦闘の師を
お守りしながら
現在の学会の大発展の
基盤を作り上げたのだ。
これが
師弟の実相であることを
叫びたい。
いま私は
次の真の弟子の道を
青年たちに託したい。
これが大発展への
方程式であるからだ。
ありとあらゆる
三類の強敵の
怒濤の中にあって
私は一切を乗り切り
すべてを完勝した。
勝って師の笑顔が
見たかったのである。
ゆえに私にとって
永遠の師匠・戸田先生と
苦楽を共にし
歴史を創り上げた日々は
すべてが勝利であり
光り輝いている。
私は断固と勝利した。
一切に勝利した。
この実像が
師弟不二の
信力・行力なのだ。
ああ!
恩師と共に過ごし来た
あの日あの時は
すべてが
また すべてが
私にとっては
輝く黄金の思い出となっている。
師は——
仏法の王者であられた。
闘争の王者であった。
正義の王者であった。
これこそ
人間指導者の大賢人だ!
この王者と共に
月月・日日に
私は
青春の不朽の歴史を
綴ることができた。
恩師は
あまりにも偉大であり
私は幸福者であった。
いな 師も弟子も
永遠不滅の
幸福と勝利の生命が
輝きわたって
流転してゆくにちがいない。
師を念い
師をば語りて
世界まで
私は
一切の誓いを実現した。
師の構想の種子から
天空高く生い茂る
壮大なる大樹を育て上げた。
創価の会館は
民衆の大城となりて
全国 全世界に林立し
聖教新聞は
言論の大城となった。
創価大学 創価学園は
世界も注目する
教育の大城となった。
「戸田の命よりも
大切なり」と言われた
創価の組織は
仏法史上
いな人類史上に輝く
世界百九十カ国・地域への
壮大なる平和と文化と教育の
広がりとなった。(*1)
釈尊の未来記
そして
日蓮大聖人の
「仏法西還」という悲願は
完全に成就した。
「一閻浮提広宣流布」という
仏法の究極の予見である
人類の新しき平和の朝が
輝き始まってきたのは
皆様ご存じの通りだ。
私は
戸田大学の卒業生である。
師匠は
戸田先生お一人
弟子は
私ただ一人であった。
約十年間
万般にわたる教育を
なさってくださった。
その戸田大学の卒業生には
世界の大学・学術機関からの
知性の宝冠は二百を超えた。
名誉市民の称号は
四百六十を数えるに至った。
「世界一の壮挙である」と
著名な識者の方々は
誉め讃えてくださっている。(*2)
これは
すべてにわたって
恩師・戸田先生の
凱歌の栄誉であられる。
師匠の勝利は
弟子の勝利。
弟子の勝利が
師匠の勝利なのだ。
全生命を賭しながら
一生涯
師匠に仕えきった者が
次の師匠となる。
これが
仏法の方程式だ。
これが
師弟不二である。
人間にとって
師弟に勝るものはない。
師を持たぬ者は
人間の愚者と
なってしまうからだ。
師を持たぬ者は
勝手気ままな
驕慢になってしまうからだ。
一家に親子があるごとく
社会には師弟が
必ずあるものだ。
それが古より
世界万般の鉄則であった。
師の恩を
遂に果たせり
今世かな
私の心には
いつも いつでも
笑顔輝く戸田先生がいる。
いまもなお
「先生なら どうされるか」
師との対話の日々の連続である。
いかに暗黒の時代に遭遇しても
偉大なる師を念うときに
必ず一本の光の大道が
広がってくるのだ。
ああ!
師匠は鑑である。
師匠は希望である。
師匠は力である。
心に師を持つ人生には
絶対に逡巡はない。
心に師を持つ人生には
断じて敗北はない。
おお!
わが恩師
戸田先生!
世界第一の師匠
戸田先生!
永遠の人生の師
戸田先生!
弟子・池田大作は
晴れ晴れと勝ちたり。
師弟不二の詩を
不滅の歴史と残したり。
一段と
決意深まる
師弟かな
今日も晴れ晴れと
妙法流布の正義の大道を!
私は絶対に
後悔の人生をつくらない。
凜々たる勇気で
価値ある勝利の歴史を
勇み歩んでいくのだ。
これが
仏法であるからだ。
これが
師弟の道の法則であるからだ。
二〇〇七年二月四日 立春の日
わが師・戸田城聖先生の
百七回目の誕生日を祝して
(*1)現在は192カ国・地域
(*2)現在の名誉学術称号は398、名誉市民称号は824
2022年2月18日金曜日
2022.02.18 わが友に贈る
行き詰まった時こそ
御書を真剣に拝そう!
教学は境涯を開く力だ。
「法華経に勝る兵法なし」
この確信の炎を赤々と!
守護国家論 P67
『法華経より外の四十余年の諸経には十界互具無し十界互具を説かざれば内心の仏界を知らず内心の仏界を知らざれば外の諸仏も顕われず』
【通解】
法華経より以外の四十余年の爾前の諸経には十界互具を説いていない。十界互具を説かなければ衆生の内心の仏界を知らない。衆生の内心の仏界を知らなければ外の諸仏も顕れない。
名字の言 飛躍は挑み続ける鍛錬の中に 2022年2月18日
北京冬季五輪を見ていて、気付いたことがある。試合後のインタビューで、「今の競技を振り返って、どうですか」との質問に、何人かの選手が同じ内容の答えを発していた。「4年間、頑張ってきた結果です」と▼成績はさまざまだったが、他選手との競争や自身のパフォーマンスの出来栄えなどを超えた、深い思いがあったのだろう。それは、この日まで一心に努力してきたアスリートとしての「矜持」に違いない▼ある女性部員は、高校時代からの友人に仏法対話を重ねてきた。だが、友人は聞く耳を持たなかった。時は流れ、互いに結婚。後年、同じ小学校に通う娘同士も友達になった。その間も友人との語らいは途絶えなかった▼ある日、遊びに来た友人の娘が、仏壇の経机にあるメモに何げなく目を留めた。「○○○○さんと幸せになります」——名前は友人の旧姓だった。帰宅した娘は家族にそのことを話した。その後、友人は一家で入会した▼池田先生は「人生のオリンピックに敗者はいない。いるとすれば、それは『挑戦しなかった』人だけである」と。人は"近道"では大きく成長できない。険難の道に挑み続ける鍛錬の中で飛躍を遂げる——今日の苦闘の一歩は勝利のゴールに続いている。
寸鉄 2022年2月18日
青年の最高の修行は約束を守る事だ—恩師。何事も"必ずやる"と腹を決め
九州壮年部の日。先駆の勇将が立てば皆が奮起!鉄壁の団結で勝利へ前進
難問答に巧みにして其の心に畏るる所無く—仏典 勇気と智慧と誠実で語れ
脳は何歳でも成長。経験豊かな中高年が最も充実—医師。生涯青春の心で
プラごみも汚れを落とせば資源に—環境省が指針発表。小さな積み重ねを
〈社説〉 2022・2・18 きょう「エアメールの日」
◇友への思いを手紙に託して
きょう2月18日は、「エアメールの日」。1911年、インド北部のアラハバードで開かれた博覧会のアトラクションとして、会場から8キロ離れた駅まで約6000通の手紙が初めて飛行機で運ばれた。この郵便飛行は、切手に飛行機の絵の消印が押され、公式の航空郵便と認められたという。「エアメールの日」は、この事績にちなむ。
エアメールと聞くと、縁に赤と青の特徴的なデザインが施されている封筒を思い浮かべる人も多いだろう。国際郵便のルールを決める国連専門機関「万国郵便連合(UPU)」は、このデザインの郵便物を、船便で郵送をしないようにと定めている。UPUは、世界のどの国からでも、決められた金額の切手を貼れば手紙を届けることのできる、国際郵便の持続可能な発展を目指している。
人と人を結ぶこと、そこに手紙の変わらぬ使命があるからだ。
「一人にさせない。つながりを持っていこう」——。長引くコロナ禍で直接会うことが難しい時期が続く中、千葉の男子部のリーダーはメンバーへの定期的な手紙の投函を決意した。その結果、以前からなかなか会うことのできなかったメンバーがオンライン開催の会合に参加。その後、対面での会合にも参加するようになり、話を聞いてみると「短い文章だったけれど、気に掛けてくれる気持ちが伝わりました」と。会うことのできない状況でも続けた友への励ましの手紙は、メンバーの宝物になったという。
池田大作先生とトインビー博士の対談集『21世紀への対話』。本年、対話開始から50周年を迎える。このほど、31言語目となるデンマーク語版が発刊された。この対談が始まるきっかけは、1969年にトインビー博士から届いた、池田先生との対談を要請する一通のエアメールだった。そのエアメールは、創価学会の貴重な書簡として保管されている。
現在の航空郵便でも、日本からアメリカへは5日から7日かかる。用件を伝えるだけなら、インターネットを通じたメールの方が早い。しかし、届いた手紙やはがきには人のぬくもりを感じたり、そのものが大切な思い出となったりすることもある。コロナ禍が続く今、懐かしい友やなかなか会うことのできない友へ真心の手紙をつづってみてはどうだろうか。
☆勇気の舞 凱歌の行進� 特別編 師弟不二の詩 ああ恩師 戸田城聖先生(上)
わが師は
偉大なる知性の人であった。
慈愛深き人生であられた。
厳しかった。
優しかった。
その胸には常に
張り裂けんばかりに
邪悪に対する
闘争心が燃えていた。
正義の人であった。
私は
若き十九歳の時に
この偉大な師匠と
巡り会った。
その場所は
大田区であった。
一瞬にして私は
師子の胸に抱かれた。
わが身を捨てて
大法と正義に戦い抜く
この師のもとに座して
涙を流した。
高貴な信念が
常に燃え上がっている
人生であられた。
深い信仰の心に
燃え上がる慈悲を感じた。
来る日も来る日も
苦難の連続であった。
邪悪との戦いであった。
信念の道を歩む
闘争であった。
中傷 批判の波は
激しかった。
「創価」といえば
多くの人びとが
必ず悪口 中傷した。
いな 無認識のままに
一番大事な信念を持つ人を
嫌う風潮の日本の
心の小さい人びとは
みな横を向いて
笑って悪口を投げかけた。
そのなかを
わが師・戸田城聖は
ある時は笑顔で
ある時は厳しい口調で
そしてまた
ある時は朗らかに
大声で笑いながら
広宣流布の指揮を執った。
何も恐れなかった。
透徹した眼光の師であった。
いかなる嘘も偽りも
決して見逃さなかった。
ひとたび
弾劾の師子吼が放たれるや
いかなる傲岸不遜な悪人も
恐れ戦き震え上がった。
春風の笑みの師であった。
悲哀と絶望に凍てつく
庶民の心を温かく とかした。
太陽のごとく
大らかに万人を包まれた。
勇気と希望の光を放って
無窮の生きる力を贈られた。
師弟不二
この絆にて
広布かな
ともあれ師弟は
永遠にして不滅である。
師弟は
過去から現在へ
そして未来を貫く
生命の金剛の結合である。
法華経の化城喩品第七には
「在在の諸仏の土に
常に師と倶に生ず」と
峻厳に記されている。
我らは常に
いつの世も
いかなる時代も
師と共に生まれ
師と共に戦い
師と共に勝って
誉れの広宣流布の
大道を歩み抜くのだ。
「大難なくば
法華経の行者にはあらじ」との
如説修行の先師・
牧口常三郎先生に
戸田先生は仕えに仕え
尽くしに尽くされた。
法難の牢獄にまで
勇み お供なされた。
戦時中 正義のわが師は
二年間 牢獄に入れられた。
最極の正しき大善人を
国家は いじめ抜いたのだ。
初代の会長は獄死した。
わが師・戸田城聖は断固と
この敵討ちを決意した。
人間の王者は怒った。
自ら巌窟王になって
崇高な師をいじめた悪逆の敵と
断じて戦い抜いてみせると
宣言した。
これは有名な歴史である。
獄中にあって
「仏とは生命なり」
「われ地涌の菩薩なり」
と大悟され
焼け野原の東京で
妙法流布の大願に
ただ一人 立たれた。
死身弘法を決意せる師は
正義の旗持つ若人を求め
不惜身命の弟子の出現を
待ちに待っていた。
恩師あり
妙法ありて
わが一生
昭和二十二年の八月十四日
今生の師弟の出会いあり。
この日この時
久遠の師弟の魂は
固く強く結ばれ
「不二の詩」を奏でながら
創価の新しき大車輪は
回転し始めたのだ。
わが誉れの青春譜の
幕は切って落とされた。
昭和三十三年の四月二日
恩師の御逝去のその日まで
十一星霜
三千八百八十五日にわたり
師事し常随給仕せり。
一年ごとに
弟子は増えてきた。
それと比例して
いわれなき迫害も
一段と高まってきた。
「真実の法華経の
如説修行の行者の
師弟檀那とならんには
三類の敵人 決定せり」
師弟の道は
嵐の道であった。
恐ろしきは人の心よ!
先生の事業は破綻し
莫大な借財が襲いかかった。
世間の非難の集中砲火に
先生の大恩を受けた
最高幹部を先頭に
手のひらを返すがごとく
忘恩にも裏切り去った。
嘲笑って立ち去った。
すべての弟子の心も
揺れ動いた。
多くの幹部たちまでが
卑劣にも去っていった。
私は悔し涙で
今に見ろ! と
彼らを軽蔑した。
一人の愛弟子は宣言した。
——私は
いかなる処罰を受けようとも
最善を尽くし抜いて
師をお守りして
この一生を終えるのだ。
一切の財産もいらない。
師の命ずるままに
私の生命を捧げる。
なんと意気地なき弟子たちよ!
なんと卑怯な弟子らよ!
なんと増上慢の愚者どもよ!
なんと卑劣極まる者たちよ!
彼らには
人間の真髄の振る舞いなど
まったくない。
邪となって臆病に狂い
動き回っていった。
弟子は叫んだ。
荘重に誓いを
天下に放つがごとく
師子吼した。
下劣な愚かな輩よ!
永劫に君たちを
諸天は絶対に助けない。
哀れな君たちよ!
気の毒なお前たちよ!
盗賊が断罪を
宣告されるよりも
もっと 恥と苦しみは
続行していくにちがいない。
真の信心なき彼らは
先生を師とは仰げなかった。
本有無作なる
先生の振る舞いを
軽んじて
広宣流布の師たる内証を
知ろうとはしなかった。
日興上人は仰せである。
「この法門は
師弟子をただして仏になる」
直弟子は激怒した。
いな ただ一人 覚悟したのだ。
命を賭して
師匠を厳護することを!
死して後世に
弟子の模範を示すことを!
私は胸を病んでいた。
喀血も続いていた。
阿修羅のごとく
一心不乱に戦い続けた。
私の心を見抜き
先生は言われた。
「大作!
お前は死のうとしている。
俺に命をくれようとしている。
それは困る。
断じて生き抜け!
俺の命と交換するんだ」
師匠は
弟子を心から愛した。
弟子は
師匠を心から尊敬した。
それは
荘厳なる師弟の劇であった。
マハトマ・ガンジーは言った。
「弟子は
わが子以上である。
弟子たることは
第二の誕生である」
私には
弟子の誇りがあった。
誰が見ていなくともよい。
誰が知らなくともよい。
広宣流布の大師匠のもと
大仏法を真実に行じゆく
そして戦い抜く誇りを持って
突進した。
私には悔いがない。
師弟を師弟のままに貫き
戦い抜いてきたことを
絶対に後悔しない。
私は勝ったのだ!
ある日ある時
打開策に行き詰まり
土砂降りの雨の中を
師と共に二人して
歩みながら
私は申し上げた。
「必ず将来
先生にお乗りいただく
車も購入します。
学会もビルを建てます!」
先生は
黙って頷かれた。
その目に
涙が光っていた。
私はお誓いした。
「負債は
すべて私が返済します。
そして先生には
学会の会長として
広宣流布の指揮を
執っていただきます」
言葉に尽くせぬ
苦難の連続であった。
明日をも知れぬ
疾風怒濤の日々であった。
そのなかで師匠は
ただ一人の弟子を信じて
次々と
広宣流布の構想の翼を広げ
その実現を託した。
「学会も新聞を出そう!」
「大学をつくろう!
創価大学だ!」
師匠の絶対の信頼——
これに勝る光栄があろうか!
おお!
そして迎えた
あの第二代会長就任の
晴れわたる
昭和二十六年の五月三日!
師匠の栄光こそ
弟子の随喜であった。
先生は
断言なされた。
会員七十五万世帯の達成を!
それは
断じて勝ち取らねばならぬ
わが青春の誓願となった。
真の弟子への
師の期待はあまりにも大きい。
それゆえに
来る日も
また来る日も
獅子が わが子を
谷底に突き落とすがごとき
厳愛の訓練が続いた。
御書を真剣に拝そう!
教学は境涯を開く力だ。
「法華経に勝る兵法なし」
この確信の炎を赤々と!
守護国家論 P67
『法華経より外の四十余年の諸経には十界互具無し十界互具を説かざれば内心の仏界を知らず内心の仏界を知らざれば外の諸仏も顕われず』
【通解】
法華経より以外の四十余年の爾前の諸経には十界互具を説いていない。十界互具を説かなければ衆生の内心の仏界を知らない。衆生の内心の仏界を知らなければ外の諸仏も顕れない。
名字の言 飛躍は挑み続ける鍛錬の中に 2022年2月18日
北京冬季五輪を見ていて、気付いたことがある。試合後のインタビューで、「今の競技を振り返って、どうですか」との質問に、何人かの選手が同じ内容の答えを発していた。「4年間、頑張ってきた結果です」と▼成績はさまざまだったが、他選手との競争や自身のパフォーマンスの出来栄えなどを超えた、深い思いがあったのだろう。それは、この日まで一心に努力してきたアスリートとしての「矜持」に違いない▼ある女性部員は、高校時代からの友人に仏法対話を重ねてきた。だが、友人は聞く耳を持たなかった。時は流れ、互いに結婚。後年、同じ小学校に通う娘同士も友達になった。その間も友人との語らいは途絶えなかった▼ある日、遊びに来た友人の娘が、仏壇の経机にあるメモに何げなく目を留めた。「○○○○さんと幸せになります」——名前は友人の旧姓だった。帰宅した娘は家族にそのことを話した。その後、友人は一家で入会した▼池田先生は「人生のオリンピックに敗者はいない。いるとすれば、それは『挑戦しなかった』人だけである」と。人は"近道"では大きく成長できない。険難の道に挑み続ける鍛錬の中で飛躍を遂げる——今日の苦闘の一歩は勝利のゴールに続いている。
寸鉄 2022年2月18日
青年の最高の修行は約束を守る事だ—恩師。何事も"必ずやる"と腹を決め
九州壮年部の日。先駆の勇将が立てば皆が奮起!鉄壁の団結で勝利へ前進
難問答に巧みにして其の心に畏るる所無く—仏典 勇気と智慧と誠実で語れ
脳は何歳でも成長。経験豊かな中高年が最も充実—医師。生涯青春の心で
プラごみも汚れを落とせば資源に—環境省が指針発表。小さな積み重ねを
〈社説〉 2022・2・18 きょう「エアメールの日」
◇友への思いを手紙に託して
きょう2月18日は、「エアメールの日」。1911年、インド北部のアラハバードで開かれた博覧会のアトラクションとして、会場から8キロ離れた駅まで約6000通の手紙が初めて飛行機で運ばれた。この郵便飛行は、切手に飛行機の絵の消印が押され、公式の航空郵便と認められたという。「エアメールの日」は、この事績にちなむ。
エアメールと聞くと、縁に赤と青の特徴的なデザインが施されている封筒を思い浮かべる人も多いだろう。国際郵便のルールを決める国連専門機関「万国郵便連合(UPU)」は、このデザインの郵便物を、船便で郵送をしないようにと定めている。UPUは、世界のどの国からでも、決められた金額の切手を貼れば手紙を届けることのできる、国際郵便の持続可能な発展を目指している。
人と人を結ぶこと、そこに手紙の変わらぬ使命があるからだ。
「一人にさせない。つながりを持っていこう」——。長引くコロナ禍で直接会うことが難しい時期が続く中、千葉の男子部のリーダーはメンバーへの定期的な手紙の投函を決意した。その結果、以前からなかなか会うことのできなかったメンバーがオンライン開催の会合に参加。その後、対面での会合にも参加するようになり、話を聞いてみると「短い文章だったけれど、気に掛けてくれる気持ちが伝わりました」と。会うことのできない状況でも続けた友への励ましの手紙は、メンバーの宝物になったという。
池田大作先生とトインビー博士の対談集『21世紀への対話』。本年、対話開始から50周年を迎える。このほど、31言語目となるデンマーク語版が発刊された。この対談が始まるきっかけは、1969年にトインビー博士から届いた、池田先生との対談を要請する一通のエアメールだった。そのエアメールは、創価学会の貴重な書簡として保管されている。
現在の航空郵便でも、日本からアメリカへは5日から7日かかる。用件を伝えるだけなら、インターネットを通じたメールの方が早い。しかし、届いた手紙やはがきには人のぬくもりを感じたり、そのものが大切な思い出となったりすることもある。コロナ禍が続く今、懐かしい友やなかなか会うことのできない友へ真心の手紙をつづってみてはどうだろうか。
☆勇気の舞 凱歌の行進� 特別編 師弟不二の詩 ああ恩師 戸田城聖先生(上)
わが師は
偉大なる知性の人であった。
慈愛深き人生であられた。
厳しかった。
優しかった。
その胸には常に
張り裂けんばかりに
邪悪に対する
闘争心が燃えていた。
正義の人であった。
私は
若き十九歳の時に
この偉大な師匠と
巡り会った。
その場所は
大田区であった。
一瞬にして私は
師子の胸に抱かれた。
わが身を捨てて
大法と正義に戦い抜く
この師のもとに座して
涙を流した。
高貴な信念が
常に燃え上がっている
人生であられた。
深い信仰の心に
燃え上がる慈悲を感じた。
来る日も来る日も
苦難の連続であった。
邪悪との戦いであった。
信念の道を歩む
闘争であった。
中傷 批判の波は
激しかった。
「創価」といえば
多くの人びとが
必ず悪口 中傷した。
いな 無認識のままに
一番大事な信念を持つ人を
嫌う風潮の日本の
心の小さい人びとは
みな横を向いて
笑って悪口を投げかけた。
そのなかを
わが師・戸田城聖は
ある時は笑顔で
ある時は厳しい口調で
そしてまた
ある時は朗らかに
大声で笑いながら
広宣流布の指揮を執った。
何も恐れなかった。
透徹した眼光の師であった。
いかなる嘘も偽りも
決して見逃さなかった。
ひとたび
弾劾の師子吼が放たれるや
いかなる傲岸不遜な悪人も
恐れ戦き震え上がった。
春風の笑みの師であった。
悲哀と絶望に凍てつく
庶民の心を温かく とかした。
太陽のごとく
大らかに万人を包まれた。
勇気と希望の光を放って
無窮の生きる力を贈られた。
師弟不二
この絆にて
広布かな
ともあれ師弟は
永遠にして不滅である。
師弟は
過去から現在へ
そして未来を貫く
生命の金剛の結合である。
法華経の化城喩品第七には
「在在の諸仏の土に
常に師と倶に生ず」と
峻厳に記されている。
我らは常に
いつの世も
いかなる時代も
師と共に生まれ
師と共に戦い
師と共に勝って
誉れの広宣流布の
大道を歩み抜くのだ。
「大難なくば
法華経の行者にはあらじ」との
如説修行の先師・
牧口常三郎先生に
戸田先生は仕えに仕え
尽くしに尽くされた。
法難の牢獄にまで
勇み お供なされた。
戦時中 正義のわが師は
二年間 牢獄に入れられた。
最極の正しき大善人を
国家は いじめ抜いたのだ。
初代の会長は獄死した。
わが師・戸田城聖は断固と
この敵討ちを決意した。
人間の王者は怒った。
自ら巌窟王になって
崇高な師をいじめた悪逆の敵と
断じて戦い抜いてみせると
宣言した。
これは有名な歴史である。
獄中にあって
「仏とは生命なり」
「われ地涌の菩薩なり」
と大悟され
焼け野原の東京で
妙法流布の大願に
ただ一人 立たれた。
死身弘法を決意せる師は
正義の旗持つ若人を求め
不惜身命の弟子の出現を
待ちに待っていた。
恩師あり
妙法ありて
わが一生
昭和二十二年の八月十四日
今生の師弟の出会いあり。
この日この時
久遠の師弟の魂は
固く強く結ばれ
「不二の詩」を奏でながら
創価の新しき大車輪は
回転し始めたのだ。
わが誉れの青春譜の
幕は切って落とされた。
昭和三十三年の四月二日
恩師の御逝去のその日まで
十一星霜
三千八百八十五日にわたり
師事し常随給仕せり。
一年ごとに
弟子は増えてきた。
それと比例して
いわれなき迫害も
一段と高まってきた。
「真実の法華経の
如説修行の行者の
師弟檀那とならんには
三類の敵人 決定せり」
師弟の道は
嵐の道であった。
恐ろしきは人の心よ!
先生の事業は破綻し
莫大な借財が襲いかかった。
世間の非難の集中砲火に
先生の大恩を受けた
最高幹部を先頭に
手のひらを返すがごとく
忘恩にも裏切り去った。
嘲笑って立ち去った。
すべての弟子の心も
揺れ動いた。
多くの幹部たちまでが
卑劣にも去っていった。
私は悔し涙で
今に見ろ! と
彼らを軽蔑した。
一人の愛弟子は宣言した。
——私は
いかなる処罰を受けようとも
最善を尽くし抜いて
師をお守りして
この一生を終えるのだ。
一切の財産もいらない。
師の命ずるままに
私の生命を捧げる。
なんと意気地なき弟子たちよ!
なんと卑怯な弟子らよ!
なんと増上慢の愚者どもよ!
なんと卑劣極まる者たちよ!
彼らには
人間の真髄の振る舞いなど
まったくない。
邪となって臆病に狂い
動き回っていった。
弟子は叫んだ。
荘重に誓いを
天下に放つがごとく
師子吼した。
下劣な愚かな輩よ!
永劫に君たちを
諸天は絶対に助けない。
哀れな君たちよ!
気の毒なお前たちよ!
盗賊が断罪を
宣告されるよりも
もっと 恥と苦しみは
続行していくにちがいない。
真の信心なき彼らは
先生を師とは仰げなかった。
本有無作なる
先生の振る舞いを
軽んじて
広宣流布の師たる内証を
知ろうとはしなかった。
日興上人は仰せである。
「この法門は
師弟子をただして仏になる」
直弟子は激怒した。
いな ただ一人 覚悟したのだ。
命を賭して
師匠を厳護することを!
死して後世に
弟子の模範を示すことを!
私は胸を病んでいた。
喀血も続いていた。
阿修羅のごとく
一心不乱に戦い続けた。
私の心を見抜き
先生は言われた。
「大作!
お前は死のうとしている。
俺に命をくれようとしている。
それは困る。
断じて生き抜け!
俺の命と交換するんだ」
師匠は
弟子を心から愛した。
弟子は
師匠を心から尊敬した。
それは
荘厳なる師弟の劇であった。
マハトマ・ガンジーは言った。
「弟子は
わが子以上である。
弟子たることは
第二の誕生である」
私には
弟子の誇りがあった。
誰が見ていなくともよい。
誰が知らなくともよい。
広宣流布の大師匠のもと
大仏法を真実に行じゆく
そして戦い抜く誇りを持って
突進した。
私には悔いがない。
師弟を師弟のままに貫き
戦い抜いてきたことを
絶対に後悔しない。
私は勝ったのだ!
ある日ある時
打開策に行き詰まり
土砂降りの雨の中を
師と共に二人して
歩みながら
私は申し上げた。
「必ず将来
先生にお乗りいただく
車も購入します。
学会もビルを建てます!」
先生は
黙って頷かれた。
その目に
涙が光っていた。
私はお誓いした。
「負債は
すべて私が返済します。
そして先生には
学会の会長として
広宣流布の指揮を
執っていただきます」
言葉に尽くせぬ
苦難の連続であった。
明日をも知れぬ
疾風怒濤の日々であった。
そのなかで師匠は
ただ一人の弟子を信じて
次々と
広宣流布の構想の翼を広げ
その実現を託した。
「学会も新聞を出そう!」
「大学をつくろう!
創価大学だ!」
師匠の絶対の信頼——
これに勝る光栄があろうか!
おお!
そして迎えた
あの第二代会長就任の
晴れわたる
昭和二十六年の五月三日!
師匠の栄光こそ
弟子の随喜であった。
先生は
断言なされた。
会員七十五万世帯の達成を!
それは
断じて勝ち取らねばならぬ
わが青春の誓願となった。
真の弟子への
師の期待はあまりにも大きい。
それゆえに
来る日も
また来る日も
獅子が わが子を
谷底に突き落とすがごとき
厳愛の訓練が続いた。
2022年2月17日木曜日
2022.02.17 わが友に贈る
広布のロマンあふれる
明るい集いに参加すれば
皆が元気に笑顔になる。
わが地区・ブロックに
幸福の花を咲かせよう!
秋元御書 P1072
『信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし』
【通解】
信心の心が完全であれば、人々が平等に成仏できることを悟った広大な仏の智慧の水は乾くことはありません。
名字の言 「地域の灯台たれ」——師との誓い輝く農漁光部の友 2022年2月17日
きょうは「農漁光部の日」。人々の食を支える農業や漁業に携わる友に感謝をささげたい▼一年中、カキが収穫できる養殖方法を始め、地域ブランドに育てた三重の壮年。昨年は緊急事態宣言が発出されていない地域に営業を行い、コロナ禍前の2・5倍以上の売り上げに。そんな中、コロナ禍で大打撃を受けた老舗養殖会社の再建を託され、「地域のためなら」と引き受けた。これまで手掛けた新規ブランドと老舗会社の有名ブランドの二刀流で奮闘する▼兵庫の婦人は昨年11月、地域フェスタの講師に招かれ、家族で作った酒米・山田錦から芳醇な日本酒が誕生するまでの歩みを語った。新型コロナの影響で酒米にも減反要請が出たが、「山田錦が減った分、ふるさと納税の返礼品にもなっている食用米の注文が増えて。ほんまに守られています」。婦人の胸には「自分が地域を守る」との誓いが輝く▼池田先生は45年前のきょう、農漁光部に「地域の灯台たれ」との指針を贈った。「皆さんの地域を頼みます! 今いるところで、幸せの大城を築いてください」と。この指針は世代を超え、友の心に刻まれている▼「師と共に」「地域の灯台に」と行動するからこそ、自分の殻を破れる。原点を忘れない人は強い。
寸鉄 2022年2月17日
地球民族主義提唱70年。世界の民衆がともに喜び繁栄—。光る先見の思想
農漁光部の日。「食は命」支える尊き奮闘に感謝。郷土で輝く"希望の灯台"
「仏の使いは、仏と同じ力を発揮できる」恩師。この確信で祈りから出発
男女学生部が折伏に先駆誠実の対話で結ぶ真実の友情は宝。自信満々語れ
公明推進で不妊治療への保険適用が拡大。現場の声聞き更に全力で応えよ
〈社説〉 2022・2・17 きょう「農漁光部の日」
◇「地域の灯台」として輝く
「立春」が過ぎ、間もなく「雨水」(19日)を迎える。この時期は、雪が雨に変わり、氷が解け、春に向けて農作業の準備を始める頃といわれる。立春などの二十四節気は、太陽の動きを基準に定められ、農作業を進める参考にもなっている。自然と向き合い、命を育み、食を支える、大切な農業・漁業に従事する皆さま方に、感謝の思いは尽きない。
きょう17日は「農漁光部の日」。その淵源は、1977年のこの日に開かれた第1回「農村・団地部勤行集会」。池田先生は、「心の力は偉大です。何があっても負けない、強い、強い信心の一念があれば、一切の環境を変えていくことができる。それが『三変土田』の法理です」と励ましを送った。以来、同部の友は、「地域の灯台たれ」「学会の灯台たれ」との指針を胸に、信心根本に厳しい環境を乗り越え、前進してきた。
長野県上田市でサクランボや高原野菜を栽培する壮年の一家がある。自然が相手の農業だけに、さまざまな苦難があったが、最大の試練は2019年の台風19号だった。降り続く雨に危険を感じ、自宅より車で5分ほど離れた農作業場に避難した。翌朝、目にしたのは、鉄砲水で数百メートル先に流されたわが家。ビニールハウスや農業機械は跡形もなく流失していた。
想像を絶する光景に言葉を失ったが、状況を知った同志がすぐに駆け付け、励ましてくれた。その思いに一家は奮起。今こそ信心で立ち上がる時と復旧に挑んだ。
あの日から、2年余の月日が流れた。壮年は生活の糧を得るため、スキー場や野菜の出荷場でも働いた。この春には、再建した自宅で新たな生活をスタートする。
組織にあっては地区部長、聖教新聞の配達員と、地域の灯台として最前線に立ってきた。「池田先生、同志の支えがあって今があります。だから、断じて負けられません」と。間もなく、サクランボ畑のビニールハウスの整備から、本格的な農作業が始まる。「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)との御金言を胸に、希望の春に向けて力強く前を向く。
池田先生は"農漁光部の友が、太陽の仏法を掲げて放ちゆかれる生命の光が、いかなる試練にも負けない社会の「レジリエンス(困難を乗り越える力)」となっていく"と。農漁光部の友の無事安穏を祈り、感謝し、エールを送りたい。
☆第7回本部幹部会・兵庫総会への池田先生のメッセージ
一、愛する常勝関西、そして、愛する常勝兵庫から、創価の春へ、大歓喜の飛躍を遂げゆく本部幹部会、ならびに晴れやかな兵庫総会、誠にご苦労さま!
日蓮大聖人は、「一」は「万の母」と仰せになられました。
一切は、一人への勇敢にして誠実な対話から始まります。
1952年(昭和27年)の2月。あの二月闘争に呼応して、私と不二の心で立ち上がった若き盟友が体当たりの開拓で、関西第1号となる折伏を実らせました。まさに、その人知れぬ挑戦から、今日の"世界の大関西"の行進が始まったのです。
威風も堂々たる関西広布70周年、本当におめでとう!
今、わが従藍而青の(楠木)正行たる青年たちが先頭に躍り出て、創価家族一体で挑んでいる一人一人との真心の仏法対話から、どれほど明るく大きな未来が開かれゆくことか、計り知れません。
◇「立正安国」の不屈の誓願胸に "我らは不幸な人の味方なり"と
一、この70星霜、「友の喜び友の歎き一つなり」(新1267・全934)との御聖訓さながらに、関西の宝友と私は、広布と人生の苦楽を分かち合ってきました。
大阪事件の時、獄中の私に、関西の同志が御書を届けてくれたこともよみがえります。拘置所の差し入れ許可証が貼付された御書は、今も大切に保管されています。
私たちは御書根本という金剛の絆で結ばれているがゆえに、何も恐れない。関西の友と深く拝してきた御金言があります。
「思えば、あなたと日蓮とは、師弟の関係である。しかしながら、煩悩ある凡夫の身は、国主に従うものであるがゆえに、この難にあおうとしているのであろうか。感涙を抑えることができない」「たとえ、身は、この難にあったとしても、心は、仏心と同じである。今生では修羅道に交わったとしても、未来世は必ず、仏国に住むことであろう」(新1454・全1069、通解)と。
乱れた世にあって、いかに苦難の連続であろうと、妙法流布に生きゆく我らは、仏と同じ心、大聖人と同じ心で、自他共に三世永遠に不退の幸福境涯を開きながら、法華経の「三変土田」、御書の「立正安国」の仰せのままに、勇んで社会へ飛び込んでいく。
これが、牧口先生、戸田先生、両先生を原点とする学会精神です。
この不撓不屈の誓願を、私は大阪事件の無罪判決の前夜、縁も深き兵庫の尼崎で師子吼しました。
「私どもは日蓮大聖人の弟子としての自覚と信念をもって、不幸な人の味方となり、そして真実に全民衆が、安心して暮らしていける世の中を築き上げよう」と。
そして今、コロナ危機や自然災害など、打ち続く試練の時代に、創価の生命尊厳の連帯は、日本はもとより全世界で、いやまして民衆の依怙依託となり、いかなる困難も乗り越える「変毒為薬」という究極の「レジリエンス」の力を発揮していくのであります。
その希望と勇気と団結のモデルの天地こそ、わが大関西であり、わが大兵庫であると宣言したい。
◇関西よ兵庫よ 今再びの正義の大前進を 幸福常勝の「春の曲」を朗らかに
一、70年前の8月、私は特急「つばめ」号で淀川の鉄橋を渡り、夕焼け空に浮かぶ大阪城を仰ぎながら、関西へ第一歩をしるしました。以来、この大関西に永遠に崩れぬ民衆の平和と安穏の錦州城を築くために、久遠よりの誓いの友と共戦を開始し、貫いてきました。
あの阪神・淡路大震災の折、ここ神戸の文化会館をはじめ、各会館を民衆厳護の城として、地涌の勇者たちが救援・復興に死力を尽くしてくれた尊き歴史も、どうして忘れられるでしょうか。
いよいよ創立100周年への記念事業として、世界が見つめる新たな関西の大講堂も建設されます。御書に「城の主剛ければ、守る者も強し」(新1320・全979)と説かれるごとく、誉れの師弟城の城主たる皆さん一人一人の強盛なる信心と異体同心の陣列で、諸天の守護を一段と強く広げていってください。そして、「法華経に勝る兵法なし」と胸を張り、今再びの正義の大行進を朗らかに、幸福常勝の「春の曲」を奏でていただきたいのであります。
本日の兵庫総会を記念して、以前、「兵庫女性部の日」である3月16日に記した二つの書を贈ります。
「大兵庫
天晴れ 地晴れ
満月乃
功徳につつまれ
この世 飾れと」
「大兵庫乃
建設を
君ぞ頼む」
最後に、全国、全世界の全同志の健康と和楽と凱歌の人生を祈りに祈って、私のメッセージとします。どうか、お元気で!
☆第7回本部幹部会・兵庫総会 原田会長のあいさつ
◇「二月闘争」70周年を報恩の心で邁進 試練の時こそ地涌の慈悲の力を
一、「第7回本部幹部会」ならびに「兵庫総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
1995年、平和旅でアメリカの地を訪れていた池田先生は、大震災の渦中にあった関西の同志に思いをはせ、次のように語られました。
「わが偉大なる関西の友は、自分のことをさしおいてまで、人々のもとに足を運び、激励を続けている」「人の面倒をみた人、友を励まし続けた人。その人には、だれもかなわない」
まさに今、兵庫の友、関西の友の不屈の姿は、全世界の希望と輝いています。兵庫の同志の皆さま、本当におめでとうございます(拍手)。
一、本年は「伝統の2月」の淵源となった「二月闘争」70周年。戸田先生が、75万世帯の達成を願業に掲げ、第2代会長に就任されてより9カ月がたつも、弘教は思うように進まず、支部で月100世帯前後が限界だった1952年の2月、その突破口を開くべく、蒲田支部の支部幹事として指揮を執られたのが、当時24歳の池田先生でした。
先生は支部で201世帯の弘教を敢行され、前途に立ち塞がる壁を見事に打ち破り、75万世帯の達成へと、学会を飛翔させたのであります。
この広布史を画する歴史的な戦いが、いかにして実現されたのか。共に戦った蒲田支部の当時のリーダーが証言されていました。
池田先生は、折伏・弘教を進める上で、三つの基本を、蒲田の同志に教えられました。
一、折伏は、祈りから始める。
二、折伏は、隣近所を大切にすることから始める。
三、折伏は、体験を語っていく。
これらは、全て池田先生が自ら実践されたことであり、また、この一つ一つを改めて深めていく時、「人間革命の信心」と「広宣流布の信心」の真髄が、この簡潔明瞭な3点に凝縮されていると、感銘を禁じ得ません。
また、先生が"200世帯やりましょう"と、目標をおっしゃった時、その方は夢のような数に、思わず、「できません」と答えたそうです。すると先生は、温かくも間髪を入れずに優しく「やればいいんでしょう」と即答されました。
"誰かにやらせる"のではなく、"自分がやる"。この責任感こそ一切の出発点であります。
中には、池田先生が"大風呂敷を広げた"などと、揶揄する人もいたそうです。しかし、それを耳にされた先生は悠然と、「広げた風呂敷で包めばいいんでしょう」とおっしゃったそうです。まさに有言実行。「結果」をもって実証を示し、模範を示してこられた先生の戦いに、私たちは学び、続いていくことを、決意し合いたいと思います。
一、70年の時を経て今、私たちはコロナ禍という壁に立ち向かっています。
かつて池田先生は、「世界広布新時代」の開幕(2014年)を前に、このようにご指導くださいました。「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」と。
御書には仰せであります。「因縁和合して、自在神通の慈悲の力を施し、広く衆生を利益すること滞り有るべからず」(新728・全574)
私たち一人一人の生命に「因」として内在している地涌の使命は、大きな逆境や試練という「縁」と和合した時、一切衆生を救いゆく"自在なる慈悲の力"を発揮するのであります。
すなわち、まさに今こそが、自分自身にとっての、また学会にとっての、目の覚めるような発迹顕本の時——こう心を定めて、断じて目前の壁を打破し、「世界宗教・創価学会」として、雄々しく飛翔してまいりたい(拍手)。
一、「二月闘争」を貫く精神は、恩師の誕生月を、広宣流布の拡大をもってお祝いしたいとの、報恩の真心でありました。
こうして池田先生が命懸けで築かれた創価学会を、守り、発展させていくことは、私たち池田門下にとっての、報恩の戦いであります。
かつて先生は、こうご指導くださいました。
「戸田先生は語られた。『経文にも和合僧といって、現代でいうならば、その教団の発展、進歩のために、組織をもっとも大切にしてきている。和合僧——という組織を大切にすることは、現代においては、最高の広宣流布への構築に奉仕している仏道修行である、ともいっておきたい』。広布のために、和合僧を厳護せよ!——この恩師の叫びを、断じて忘れてはならない」という大事なご指導であります。
学会の組織を離れて、師弟も広布も、人間革命もありません。
ゆえに、コロナ禍という未曽有の状況下にあって、自分自身が大変であるにもかかわらず、何としてもわが責任を果たそうと、創意工夫を重ねながら、同志を励まし、諸活動を推進してくださるリーダーの皆さまの福運は、計り知れません。
日蓮大聖人は、大難を前に広布の陣列から脱落した者たちの本質を、「我賢しと思わん僻人」(新1291・全960)——すなわち「自分のほうが賢いと思っている、ひねくれ者」と喝破されています。
感謝の人は、謙虚です。恩知らずは傲慢です。
私たちは、因果の理法の厳然たるを見つめながら、池田先生と同志への感謝の心を新たにして、報恩の戦いに邁進してまいりたい。
池田先生は二月闘争の歴史を通して、小説『新・人間革命』で教えてくださいました。
「師を求め、師とともに戦おうとする時、広宣流布に生きる、師の生命の脈動が流れ通うといってよい」と。
さあ、池田先生を求め、先生と共に戦い、わが発迹顕本から、社会に地域に、希望の陽光を送っていこうではありませんか。
明るい集いに参加すれば
皆が元気に笑顔になる。
わが地区・ブロックに
幸福の花を咲かせよう!
秋元御書 P1072
『信心のこころ全ければ平等大慧の智水乾く事なし』
【通解】
信心の心が完全であれば、人々が平等に成仏できることを悟った広大な仏の智慧の水は乾くことはありません。
名字の言 「地域の灯台たれ」——師との誓い輝く農漁光部の友 2022年2月17日
きょうは「農漁光部の日」。人々の食を支える農業や漁業に携わる友に感謝をささげたい▼一年中、カキが収穫できる養殖方法を始め、地域ブランドに育てた三重の壮年。昨年は緊急事態宣言が発出されていない地域に営業を行い、コロナ禍前の2・5倍以上の売り上げに。そんな中、コロナ禍で大打撃を受けた老舗養殖会社の再建を託され、「地域のためなら」と引き受けた。これまで手掛けた新規ブランドと老舗会社の有名ブランドの二刀流で奮闘する▼兵庫の婦人は昨年11月、地域フェスタの講師に招かれ、家族で作った酒米・山田錦から芳醇な日本酒が誕生するまでの歩みを語った。新型コロナの影響で酒米にも減反要請が出たが、「山田錦が減った分、ふるさと納税の返礼品にもなっている食用米の注文が増えて。ほんまに守られています」。婦人の胸には「自分が地域を守る」との誓いが輝く▼池田先生は45年前のきょう、農漁光部に「地域の灯台たれ」との指針を贈った。「皆さんの地域を頼みます! 今いるところで、幸せの大城を築いてください」と。この指針は世代を超え、友の心に刻まれている▼「師と共に」「地域の灯台に」と行動するからこそ、自分の殻を破れる。原点を忘れない人は強い。
寸鉄 2022年2月17日
地球民族主義提唱70年。世界の民衆がともに喜び繁栄—。光る先見の思想
農漁光部の日。「食は命」支える尊き奮闘に感謝。郷土で輝く"希望の灯台"
「仏の使いは、仏と同じ力を発揮できる」恩師。この確信で祈りから出発
男女学生部が折伏に先駆誠実の対話で結ぶ真実の友情は宝。自信満々語れ
公明推進で不妊治療への保険適用が拡大。現場の声聞き更に全力で応えよ
〈社説〉 2022・2・17 きょう「農漁光部の日」
◇「地域の灯台」として輝く
「立春」が過ぎ、間もなく「雨水」(19日)を迎える。この時期は、雪が雨に変わり、氷が解け、春に向けて農作業の準備を始める頃といわれる。立春などの二十四節気は、太陽の動きを基準に定められ、農作業を進める参考にもなっている。自然と向き合い、命を育み、食を支える、大切な農業・漁業に従事する皆さま方に、感謝の思いは尽きない。
きょう17日は「農漁光部の日」。その淵源は、1977年のこの日に開かれた第1回「農村・団地部勤行集会」。池田先生は、「心の力は偉大です。何があっても負けない、強い、強い信心の一念があれば、一切の環境を変えていくことができる。それが『三変土田』の法理です」と励ましを送った。以来、同部の友は、「地域の灯台たれ」「学会の灯台たれ」との指針を胸に、信心根本に厳しい環境を乗り越え、前進してきた。
長野県上田市でサクランボや高原野菜を栽培する壮年の一家がある。自然が相手の農業だけに、さまざまな苦難があったが、最大の試練は2019年の台風19号だった。降り続く雨に危険を感じ、自宅より車で5分ほど離れた農作業場に避難した。翌朝、目にしたのは、鉄砲水で数百メートル先に流されたわが家。ビニールハウスや農業機械は跡形もなく流失していた。
想像を絶する光景に言葉を失ったが、状況を知った同志がすぐに駆け付け、励ましてくれた。その思いに一家は奮起。今こそ信心で立ち上がる時と復旧に挑んだ。
あの日から、2年余の月日が流れた。壮年は生活の糧を得るため、スキー場や野菜の出荷場でも働いた。この春には、再建した自宅で新たな生活をスタートする。
組織にあっては地区部長、聖教新聞の配達員と、地域の灯台として最前線に立ってきた。「池田先生、同志の支えがあって今があります。だから、断じて負けられません」と。間もなく、サクランボ畑のビニールハウスの整備から、本格的な農作業が始まる。「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)との御金言を胸に、希望の春に向けて力強く前を向く。
池田先生は"農漁光部の友が、太陽の仏法を掲げて放ちゆかれる生命の光が、いかなる試練にも負けない社会の「レジリエンス(困難を乗り越える力)」となっていく"と。農漁光部の友の無事安穏を祈り、感謝し、エールを送りたい。
☆第7回本部幹部会・兵庫総会への池田先生のメッセージ
一、愛する常勝関西、そして、愛する常勝兵庫から、創価の春へ、大歓喜の飛躍を遂げゆく本部幹部会、ならびに晴れやかな兵庫総会、誠にご苦労さま!
日蓮大聖人は、「一」は「万の母」と仰せになられました。
一切は、一人への勇敢にして誠実な対話から始まります。
1952年(昭和27年)の2月。あの二月闘争に呼応して、私と不二の心で立ち上がった若き盟友が体当たりの開拓で、関西第1号となる折伏を実らせました。まさに、その人知れぬ挑戦から、今日の"世界の大関西"の行進が始まったのです。
威風も堂々たる関西広布70周年、本当におめでとう!
今、わが従藍而青の(楠木)正行たる青年たちが先頭に躍り出て、創価家族一体で挑んでいる一人一人との真心の仏法対話から、どれほど明るく大きな未来が開かれゆくことか、計り知れません。
◇「立正安国」の不屈の誓願胸に "我らは不幸な人の味方なり"と
一、この70星霜、「友の喜び友の歎き一つなり」(新1267・全934)との御聖訓さながらに、関西の宝友と私は、広布と人生の苦楽を分かち合ってきました。
大阪事件の時、獄中の私に、関西の同志が御書を届けてくれたこともよみがえります。拘置所の差し入れ許可証が貼付された御書は、今も大切に保管されています。
私たちは御書根本という金剛の絆で結ばれているがゆえに、何も恐れない。関西の友と深く拝してきた御金言があります。
「思えば、あなたと日蓮とは、師弟の関係である。しかしながら、煩悩ある凡夫の身は、国主に従うものであるがゆえに、この難にあおうとしているのであろうか。感涙を抑えることができない」「たとえ、身は、この難にあったとしても、心は、仏心と同じである。今生では修羅道に交わったとしても、未来世は必ず、仏国に住むことであろう」(新1454・全1069、通解)と。
乱れた世にあって、いかに苦難の連続であろうと、妙法流布に生きゆく我らは、仏と同じ心、大聖人と同じ心で、自他共に三世永遠に不退の幸福境涯を開きながら、法華経の「三変土田」、御書の「立正安国」の仰せのままに、勇んで社会へ飛び込んでいく。
これが、牧口先生、戸田先生、両先生を原点とする学会精神です。
この不撓不屈の誓願を、私は大阪事件の無罪判決の前夜、縁も深き兵庫の尼崎で師子吼しました。
「私どもは日蓮大聖人の弟子としての自覚と信念をもって、不幸な人の味方となり、そして真実に全民衆が、安心して暮らしていける世の中を築き上げよう」と。
そして今、コロナ危機や自然災害など、打ち続く試練の時代に、創価の生命尊厳の連帯は、日本はもとより全世界で、いやまして民衆の依怙依託となり、いかなる困難も乗り越える「変毒為薬」という究極の「レジリエンス」の力を発揮していくのであります。
その希望と勇気と団結のモデルの天地こそ、わが大関西であり、わが大兵庫であると宣言したい。
◇関西よ兵庫よ 今再びの正義の大前進を 幸福常勝の「春の曲」を朗らかに
一、70年前の8月、私は特急「つばめ」号で淀川の鉄橋を渡り、夕焼け空に浮かぶ大阪城を仰ぎながら、関西へ第一歩をしるしました。以来、この大関西に永遠に崩れぬ民衆の平和と安穏の錦州城を築くために、久遠よりの誓いの友と共戦を開始し、貫いてきました。
あの阪神・淡路大震災の折、ここ神戸の文化会館をはじめ、各会館を民衆厳護の城として、地涌の勇者たちが救援・復興に死力を尽くしてくれた尊き歴史も、どうして忘れられるでしょうか。
いよいよ創立100周年への記念事業として、世界が見つめる新たな関西の大講堂も建設されます。御書に「城の主剛ければ、守る者も強し」(新1320・全979)と説かれるごとく、誉れの師弟城の城主たる皆さん一人一人の強盛なる信心と異体同心の陣列で、諸天の守護を一段と強く広げていってください。そして、「法華経に勝る兵法なし」と胸を張り、今再びの正義の大行進を朗らかに、幸福常勝の「春の曲」を奏でていただきたいのであります。
本日の兵庫総会を記念して、以前、「兵庫女性部の日」である3月16日に記した二つの書を贈ります。
「大兵庫
天晴れ 地晴れ
満月乃
功徳につつまれ
この世 飾れと」
「大兵庫乃
建設を
君ぞ頼む」
最後に、全国、全世界の全同志の健康と和楽と凱歌の人生を祈りに祈って、私のメッセージとします。どうか、お元気で!
☆第7回本部幹部会・兵庫総会 原田会長のあいさつ
◇「二月闘争」70周年を報恩の心で邁進 試練の時こそ地涌の慈悲の力を
一、「第7回本部幹部会」ならびに「兵庫総会」の開催、誠におめでとうございます(拍手)。
1995年、平和旅でアメリカの地を訪れていた池田先生は、大震災の渦中にあった関西の同志に思いをはせ、次のように語られました。
「わが偉大なる関西の友は、自分のことをさしおいてまで、人々のもとに足を運び、激励を続けている」「人の面倒をみた人、友を励まし続けた人。その人には、だれもかなわない」
まさに今、兵庫の友、関西の友の不屈の姿は、全世界の希望と輝いています。兵庫の同志の皆さま、本当におめでとうございます(拍手)。
一、本年は「伝統の2月」の淵源となった「二月闘争」70周年。戸田先生が、75万世帯の達成を願業に掲げ、第2代会長に就任されてより9カ月がたつも、弘教は思うように進まず、支部で月100世帯前後が限界だった1952年の2月、その突破口を開くべく、蒲田支部の支部幹事として指揮を執られたのが、当時24歳の池田先生でした。
先生は支部で201世帯の弘教を敢行され、前途に立ち塞がる壁を見事に打ち破り、75万世帯の達成へと、学会を飛翔させたのであります。
この広布史を画する歴史的な戦いが、いかにして実現されたのか。共に戦った蒲田支部の当時のリーダーが証言されていました。
池田先生は、折伏・弘教を進める上で、三つの基本を、蒲田の同志に教えられました。
一、折伏は、祈りから始める。
二、折伏は、隣近所を大切にすることから始める。
三、折伏は、体験を語っていく。
これらは、全て池田先生が自ら実践されたことであり、また、この一つ一つを改めて深めていく時、「人間革命の信心」と「広宣流布の信心」の真髄が、この簡潔明瞭な3点に凝縮されていると、感銘を禁じ得ません。
また、先生が"200世帯やりましょう"と、目標をおっしゃった時、その方は夢のような数に、思わず、「できません」と答えたそうです。すると先生は、温かくも間髪を入れずに優しく「やればいいんでしょう」と即答されました。
"誰かにやらせる"のではなく、"自分がやる"。この責任感こそ一切の出発点であります。
中には、池田先生が"大風呂敷を広げた"などと、揶揄する人もいたそうです。しかし、それを耳にされた先生は悠然と、「広げた風呂敷で包めばいいんでしょう」とおっしゃったそうです。まさに有言実行。「結果」をもって実証を示し、模範を示してこられた先生の戦いに、私たちは学び、続いていくことを、決意し合いたいと思います。
一、70年の時を経て今、私たちはコロナ禍という壁に立ち向かっています。
かつて池田先生は、「世界広布新時代」の開幕(2014年)を前に、このようにご指導くださいました。「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」と。
御書には仰せであります。「因縁和合して、自在神通の慈悲の力を施し、広く衆生を利益すること滞り有るべからず」(新728・全574)
私たち一人一人の生命に「因」として内在している地涌の使命は、大きな逆境や試練という「縁」と和合した時、一切衆生を救いゆく"自在なる慈悲の力"を発揮するのであります。
すなわち、まさに今こそが、自分自身にとっての、また学会にとっての、目の覚めるような発迹顕本の時——こう心を定めて、断じて目前の壁を打破し、「世界宗教・創価学会」として、雄々しく飛翔してまいりたい(拍手)。
一、「二月闘争」を貫く精神は、恩師の誕生月を、広宣流布の拡大をもってお祝いしたいとの、報恩の真心でありました。
こうして池田先生が命懸けで築かれた創価学会を、守り、発展させていくことは、私たち池田門下にとっての、報恩の戦いであります。
かつて先生は、こうご指導くださいました。
「戸田先生は語られた。『経文にも和合僧といって、現代でいうならば、その教団の発展、進歩のために、組織をもっとも大切にしてきている。和合僧——という組織を大切にすることは、現代においては、最高の広宣流布への構築に奉仕している仏道修行である、ともいっておきたい』。広布のために、和合僧を厳護せよ!——この恩師の叫びを、断じて忘れてはならない」という大事なご指導であります。
学会の組織を離れて、師弟も広布も、人間革命もありません。
ゆえに、コロナ禍という未曽有の状況下にあって、自分自身が大変であるにもかかわらず、何としてもわが責任を果たそうと、創意工夫を重ねながら、同志を励まし、諸活動を推進してくださるリーダーの皆さまの福運は、計り知れません。
日蓮大聖人は、大難を前に広布の陣列から脱落した者たちの本質を、「我賢しと思わん僻人」(新1291・全960)——すなわち「自分のほうが賢いと思っている、ひねくれ者」と喝破されています。
感謝の人は、謙虚です。恩知らずは傲慢です。
私たちは、因果の理法の厳然たるを見つめながら、池田先生と同志への感謝の心を新たにして、報恩の戦いに邁進してまいりたい。
池田先生は二月闘争の歴史を通して、小説『新・人間革命』で教えてくださいました。
「師を求め、師とともに戦おうとする時、広宣流布に生きる、師の生命の脈動が流れ通うといってよい」と。
さあ、池田先生を求め、先生と共に戦い、わが発迹顕本から、社会に地域に、希望の陽光を送っていこうではありませんか。
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2022年2月16日水曜日
2022.02.16 わが友に贈る
"一身の安堵を思うなら
四表の静謐を祈るべき"
分断の時代を超えて
全民衆を結びゆく
立正安国の対話を共に!
四信五品抄 P342
『問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖畏厳恩蔵宣摩導等に勝出すること百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ』
【通解】
質問する。あなたの弟子が、すこしの理解もなく、ただ一回だけ声を出して南無妙法蓮華経と唱えた場合、その人の修行段階はどのようなものなのか。
答える、この人は、単に四味・三教の最後の修行段階の者や、爾前の円教の人を超えるだけでなく、さらには真言宗などの様々な宗派の開祖である善無畏・智儼・慈恩大師・吉蔵・道宣・達磨・善導らよりも勝れること百千万億である。是非とも、日本国中の人々よ、私の弟子たちを軽んじるべきではない。
名字の言 日々の信心の実践が最高の供養に 2022年2月16日
沖縄には正月が3回あるといわれる。元日、旧暦の正月、そして先祖や故人を供養するグソー(後生)の正月だ。旧暦の1月16日に行うことから"ジュウルクニチー(十六日祭)"とも呼ばれ、今年はきょうがその日に当たる▼幼い頃に母を失い、18歳で入会した沖縄の男子部員。祈る中、念願の正社員となり、信仰の確信を得て学会活動に励む。だが程なく父も病で他界した▼同志から励ましを受け、彼は亡き両親への報恩を誓い立ち上がる。育ての親である叔母へ感謝を込め、仏法対話を重ねた。かつては周囲に心を閉ざしていたおいが、試練に負けず力強く生きている。その姿に感動した叔母は進んで学会に入会した▼日蓮大聖人は、亡き親のために毎日、自我偈を読誦し追善回向する門下を「これこそ実の孝養にては候なれ」(新1427・全1051)とたたえられた。"常盆""常彼岸"とする仏法では、日々の信心の実践が最高の供養と説く▼池田先生は、勇気ある信心の人は「亡くなった家族をも、皆、成仏させることができる」と。広布に尽くす福徳は先祖代々、子孫末代までも包み込み、縁する友を照らす光となる。自他共の幸福を目指す「人間革命」の生き方の中に、追善回向の本義はある。
寸鉄 2022年2月16日
大聖人御聖誕満800年の日に心新た。世界の同志と広布即平和の大道を勇躍
千葉の日。源流の誇りは友の胸に赤々。有縁の地から勝利の旭日昇る拡大
折伏する人には偉大な生命力が湧く—戸田先生。君の歓喜が突破口を開く
6割が暗証番号使い回し—調査。被害遭う危険が増。人ごとと思わず対策
冬は頭痛が起こりやすい時期—医師。適度な運動、睡眠、食事が鍵。聡明に
〈社説〉 2022・2・16 きょう大聖人 御聖誕満800年
◇誓願の御生涯を鑑に勝利劇を
今年のNHK大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。鎌倉幕府の執権・北条義時の一代記を描いている。
彼の晩年、後鳥羽上皇は幕府を朝廷の支配下に置くべく、義時追討の命を下す。「承久の乱」(1221年)である。
これに対抗した幕府側が激戦を制し、後鳥羽上皇ら乱の首謀者は配流されるという衝撃の結末を迎える。
貴族による支配から武士による支配へ。歴史の大転換が起こった。
この翌年の貞応元年(=承久4年〈1222年〉)2月16日、日蓮大聖人は御聖誕された。きょうで満800年を迎える。
「大白蓮華」2月号では、この佳節を記念する新連載「日蓮大聖人——誓願と大慈悲の御生涯」が始まった。
読者からはさっそく、「妻と毎日、御書の拝読に挑戦しています。連載を読み、今まで以上に、御書や大聖人の御生涯を学んでいこうと決意しています」「大聖人が仏法の研さんを始められたのは今の中学・高校生の年齢。まさに"青年の心意気"で時代を見つめ、妙法の智慧を開かれたことでしょう」など、喜びと求道心あふれる声が寄せられている。
混乱する秩序、頻発する自然災害……。激動する社会を見つめながら、「日本第一の智者となし給え」(新1206・全893)との誓願を立て、研さんと修行の道に入られた大聖人。
やがて祈りの中で、「明星のごとくなる大宝珠」(同)という智慧を得られる。
池田先生は、「民衆を根本から救いたいとの大誓願を持ち、必死に求道され、開覚されたのです」「つねに『誓願』があって『悟り』がある。立宗後も、大難を超えられながら誓願を貫くことによって、悟りを深められ、ついには発迹顕本されて、末法の御本仏の御境地を顕されていくのです」と講義されている。
「大白蓮華」新連載に、「『一人の人間』が、偉大な仏の境涯を開いていけることを証明されたのが、日蓮大聖人の御生涯です」と。
命に及ぶ迫害をも勝ち越え、民衆救済の大誓願を貫かれた御一生は、"人間とはかくも偉大なり"との証明であり、それを現代に示してきたのが大聖人に直結する創価の師弟にほかならない。
さあ、「二月闘争」も後半戦。大聖人の御生涯に学び、鑑としながら、わが舞台で、人間革命の勝利劇をつづっていこう。
☆勇気の源泉——創立者が語った指針 苦難の時こそ希望を燃やして——池田先生が贈る詩心の大国・モンゴルの箴言
●2000年5月 創価教育同窓の集い
〈創価大学が初の卒業生を輩出してから25年となる2000年5月5日、同大学で「創価教育同窓の集い」が開かれた。席上、創立者の池田先生に対し、モンゴル文学大学(当時)から「名誉学長」の称号が贈られた。池田先生はスピーチの中で、詩情豊かなモンゴルの言葉を紹介しつつ、母校に集った同窓生を心から歓迎した〉
草原のモンゴルは「詩心の大国」であります。
貴国で最も有名な国民詩人ナツァグドルジは、謳っています。
「人間の精神は自由なものだ! これを迫害し、束縛することは断じて許せぬ」と。
これが大詩人の「確信の叫び」であります。
また、モンゴルの「ことわざ」は、大変にわかりやすく、真理をついたものが多い。いくつかを紹介させていただきます。
「ひとりでいる虎よりも、集まって枝にとまっているカササギの方が強い」と。
どんなに力を持っていても、一人だけでは偉大なことは成し得ない。大切なのは団結です。
同じく「一本の木だけでは、燃料にならない。一人の人間だけでは、家にならない」と。
力を合わせることです。自分勝手に一人よがりで生きるのは、みじめであり、敗北の人生となってしまう。堂々と人間の中で、語り合い、ぶつかり合い、励まし合い、切磋琢磨し合ってこそ成長するのです。それが人間です。
さらに、こうも言われています。
「一日で知り合いになり、千日の友情を続ける」
「甘えを学ぶより困難を学べ」
「もので身を飾るより、学問で身を飾れ」
「真剣に努力し続けるならば、運命はあなたに味方する」と。
仏法の英知にも通じる人生の哲学が光っています。
さらに、いわく。
「徳の高い人は何十万年も長生きする」
「干ばつのときに春のすばらしさを知り、困難にあったときに真の友情を知る」
「苦難に陥ったときに、友の真価がわかる」
「苦労を味わったことのある人は、『幸福とは何か』を知っている」と。
どれも、有名な貴国のことわざです。
貴モンゴル文学大学のある女子学生は、愛するお父さんの言葉をこう詩に詠んでおります。
「ふるさとの石を、大切に持って行きたまえ! そうすれば、いずこにあっても、ふるさとの山や河が、汝を尊敬し、汝を見守るであろう!」と。美しい心の言葉であります。
私は、ドイツの印象派の詩人・フライシュレンの詩の一節を諸君に捧げたい。
「心に太陽を持て、
あらしが吹こうが、雪が降ろうが、
空は雲に閉ざされ、
地上は争いに満たされようが!
心に太陽を持て、
そうすれば、なんでも来るがよい!
どんなに暗い日でも、
あふれる光で明るく照らされる!」(高橋健二編『ドイツの名詩名句鑑賞』郁文堂)
偉大なる創価同窓の皆さん!
全国各地から、そして海外からも、はるばると、ようこそ母校に帰ってきてくださいました。本当に私はうれしい。
私の創立した学舎に集ってくださった皆さまです。今や、世界中で活躍しておられます。
私は、教育の大切さを、しみじみと感じます。創立者として、本当に幸福です。
◇勝つための人生
〈続いて池田先生は、モンゴル文学大学ツェンドアヨーシ学長(当時)が書いた小説に触れ、力強くエールを送った〉
学長が執筆された有名な小説があります。
それは、一人の賢い英雄が、モンゴルの大自然の脅威や戦争の危機など、あらゆる試練に勇敢に立ち向かう。そして、生き生きと「智慧」を発揮して、すべてを朗らかに打開しながら、人々を救い、平和に貢献していくという、まことに痛快きわまりないドラマであります。
貴国の箴言には、「希望があれば窮しない」——絶対に行き詰まらない、「力があれば屈しない」——絶対に負けない、とあります。
いかなる圧迫があろうとも、それ以上に、自分が希望を燃え上がらせ、自分が力をつけ、自分が強くなればよい。その人が真実の勝利者であります。
私も40年間、この「師子王の心」で戦い、勝ってきました。
あらゆる迫害も、陰険な策謀も、すべて打ち破り、堂々と乗り越えてきました。
私は「師子」です。皆さんも「師子」であっていただきたい。
わが創価同窓の諸君も、私に続いて、一人ももれなく、今世のそれぞれの立場の大闘争を、断じて勝ちぬいていっていただきたい。負ければ悲惨です。負ければ哀れです。
「勝つための人生」であり、「勝つための学問」であり、「勝つための信仰」なのです。皆さん全員が、一人も残らず、「私は勝った!」と言える人生であっていただきたい。
私の母もまた、ニッコリと微笑んで、「私の人生は勝ったよ」と。それが最期の言葉でありました。
人生の最終章が、どうかで、人生の勝敗は決まる。ゆえに諸君は、「創価同窓生として、私は勝った!」と言い切れる尊き一生を送っていただきたいのであります。
◇平和を守る連帯を
〈池田先生は、来賓として出席した詩人のドルマー氏の詩を紹介。同窓の友に向け、苦難を恐れず進みゆこうと呼び掛けた〉
(ドルマー)先生の有名な詩である「青き惑星」には、こう謳われております。
「わが花の惑星よ!
君(=地球)は
生きとし生けるものを繋ぐ
命の血脈なり(中略)
戦禍によって
この宝石を
蹂躙させてなるものか!
この世界は
賢者たちこそが
守っていくことができる」
まことに壮麗な「平和の讃歌」であります。
私たちは、先生方とともに、美しい地球を守りゆく、この「賢者のネットワーク」を、雄大に広げていきたいのであります。
私はかつて、フランスの文豪、アンドレ・マルロー氏と対談し、ご自宅にも伺いました。対談は一冊の本(『人間革命と人間の条件』)になりました。
氏の言葉に「精神のもつあらゆる価値の中でもっとも実り多きものは、一体感と勇気です」(ピエール・ガラント『アンドレ・マルロー』斎藤正直訳、早川書房)とあります。
また、ルネサンスの巨人、ダ・ヴィンチの名言には「大きな障害にぶつかればぶつかるほど強さをます」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』下、杉浦明平訳、岩波文庫)と。
次元は異なりますが、日蓮大聖人も、御自身を迫害しぬいた平左衛門尉らを「善知識」と、とらえておられた。障害が大きければ大きいほど、強くなる——私も、そのように生きてきました。
諸君も生涯、そうであっていただきたい。
さらに、古代ローマの哲人皇帝、マルクス・アウレリウスは言いました。
「人生は戦いであり、旅のやどりであり、死後の名声は忘却にすぎない。しからば我々を導きうるものはなんであろうか。一つ、ただ一つ、哲学である」(マルクス・アウレーリウス『自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫)
偉大な人間は、地位や名声ではなく、「人間にとっての本当の価値」を探究する。
そして、この「哲学」の究極が、偉大な仏法なのであります。
創価同窓、万歳!
バヤルララー! バヤルララー! バヤルララー!(モンゴル語で「ありがとうございました」)
四表の静謐を祈るべき"
分断の時代を超えて
全民衆を結びゆく
立正安国の対話を共に!
四信五品抄 P342
『問う汝が弟子一分の解無くして但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位如何、答う此の人は但四味三教の極位並びに爾前の円人に超過するのみに非ず将た又真言等の諸宗の元祖畏厳恩蔵宣摩導等に勝出すること百千万億倍なり、請う国中の諸人我が末弟等を軽ずる事勿れ』
【通解】
質問する。あなたの弟子が、すこしの理解もなく、ただ一回だけ声を出して南無妙法蓮華経と唱えた場合、その人の修行段階はどのようなものなのか。
答える、この人は、単に四味・三教の最後の修行段階の者や、爾前の円教の人を超えるだけでなく、さらには真言宗などの様々な宗派の開祖である善無畏・智儼・慈恩大師・吉蔵・道宣・達磨・善導らよりも勝れること百千万億である。是非とも、日本国中の人々よ、私の弟子たちを軽んじるべきではない。
名字の言 日々の信心の実践が最高の供養に 2022年2月16日
沖縄には正月が3回あるといわれる。元日、旧暦の正月、そして先祖や故人を供養するグソー(後生)の正月だ。旧暦の1月16日に行うことから"ジュウルクニチー(十六日祭)"とも呼ばれ、今年はきょうがその日に当たる▼幼い頃に母を失い、18歳で入会した沖縄の男子部員。祈る中、念願の正社員となり、信仰の確信を得て学会活動に励む。だが程なく父も病で他界した▼同志から励ましを受け、彼は亡き両親への報恩を誓い立ち上がる。育ての親である叔母へ感謝を込め、仏法対話を重ねた。かつては周囲に心を閉ざしていたおいが、試練に負けず力強く生きている。その姿に感動した叔母は進んで学会に入会した▼日蓮大聖人は、亡き親のために毎日、自我偈を読誦し追善回向する門下を「これこそ実の孝養にては候なれ」(新1427・全1051)とたたえられた。"常盆""常彼岸"とする仏法では、日々の信心の実践が最高の供養と説く▼池田先生は、勇気ある信心の人は「亡くなった家族をも、皆、成仏させることができる」と。広布に尽くす福徳は先祖代々、子孫末代までも包み込み、縁する友を照らす光となる。自他共の幸福を目指す「人間革命」の生き方の中に、追善回向の本義はある。
寸鉄 2022年2月16日
大聖人御聖誕満800年の日に心新た。世界の同志と広布即平和の大道を勇躍
千葉の日。源流の誇りは友の胸に赤々。有縁の地から勝利の旭日昇る拡大
折伏する人には偉大な生命力が湧く—戸田先生。君の歓喜が突破口を開く
6割が暗証番号使い回し—調査。被害遭う危険が増。人ごとと思わず対策
冬は頭痛が起こりやすい時期—医師。適度な運動、睡眠、食事が鍵。聡明に
〈社説〉 2022・2・16 きょう大聖人 御聖誕満800年
◇誓願の御生涯を鑑に勝利劇を
今年のNHK大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。鎌倉幕府の執権・北条義時の一代記を描いている。
彼の晩年、後鳥羽上皇は幕府を朝廷の支配下に置くべく、義時追討の命を下す。「承久の乱」(1221年)である。
これに対抗した幕府側が激戦を制し、後鳥羽上皇ら乱の首謀者は配流されるという衝撃の結末を迎える。
貴族による支配から武士による支配へ。歴史の大転換が起こった。
この翌年の貞応元年(=承久4年〈1222年〉)2月16日、日蓮大聖人は御聖誕された。きょうで満800年を迎える。
「大白蓮華」2月号では、この佳節を記念する新連載「日蓮大聖人——誓願と大慈悲の御生涯」が始まった。
読者からはさっそく、「妻と毎日、御書の拝読に挑戦しています。連載を読み、今まで以上に、御書や大聖人の御生涯を学んでいこうと決意しています」「大聖人が仏法の研さんを始められたのは今の中学・高校生の年齢。まさに"青年の心意気"で時代を見つめ、妙法の智慧を開かれたことでしょう」など、喜びと求道心あふれる声が寄せられている。
混乱する秩序、頻発する自然災害……。激動する社会を見つめながら、「日本第一の智者となし給え」(新1206・全893)との誓願を立て、研さんと修行の道に入られた大聖人。
やがて祈りの中で、「明星のごとくなる大宝珠」(同)という智慧を得られる。
池田先生は、「民衆を根本から救いたいとの大誓願を持ち、必死に求道され、開覚されたのです」「つねに『誓願』があって『悟り』がある。立宗後も、大難を超えられながら誓願を貫くことによって、悟りを深められ、ついには発迹顕本されて、末法の御本仏の御境地を顕されていくのです」と講義されている。
「大白蓮華」新連載に、「『一人の人間』が、偉大な仏の境涯を開いていけることを証明されたのが、日蓮大聖人の御生涯です」と。
命に及ぶ迫害をも勝ち越え、民衆救済の大誓願を貫かれた御一生は、"人間とはかくも偉大なり"との証明であり、それを現代に示してきたのが大聖人に直結する創価の師弟にほかならない。
さあ、「二月闘争」も後半戦。大聖人の御生涯に学び、鑑としながら、わが舞台で、人間革命の勝利劇をつづっていこう。
☆勇気の源泉——創立者が語った指針 苦難の時こそ希望を燃やして——池田先生が贈る詩心の大国・モンゴルの箴言
●2000年5月 創価教育同窓の集い
〈創価大学が初の卒業生を輩出してから25年となる2000年5月5日、同大学で「創価教育同窓の集い」が開かれた。席上、創立者の池田先生に対し、モンゴル文学大学(当時)から「名誉学長」の称号が贈られた。池田先生はスピーチの中で、詩情豊かなモンゴルの言葉を紹介しつつ、母校に集った同窓生を心から歓迎した〉
草原のモンゴルは「詩心の大国」であります。
貴国で最も有名な国民詩人ナツァグドルジは、謳っています。
「人間の精神は自由なものだ! これを迫害し、束縛することは断じて許せぬ」と。
これが大詩人の「確信の叫び」であります。
また、モンゴルの「ことわざ」は、大変にわかりやすく、真理をついたものが多い。いくつかを紹介させていただきます。
「ひとりでいる虎よりも、集まって枝にとまっているカササギの方が強い」と。
どんなに力を持っていても、一人だけでは偉大なことは成し得ない。大切なのは団結です。
同じく「一本の木だけでは、燃料にならない。一人の人間だけでは、家にならない」と。
力を合わせることです。自分勝手に一人よがりで生きるのは、みじめであり、敗北の人生となってしまう。堂々と人間の中で、語り合い、ぶつかり合い、励まし合い、切磋琢磨し合ってこそ成長するのです。それが人間です。
さらに、こうも言われています。
「一日で知り合いになり、千日の友情を続ける」
「甘えを学ぶより困難を学べ」
「もので身を飾るより、学問で身を飾れ」
「真剣に努力し続けるならば、運命はあなたに味方する」と。
仏法の英知にも通じる人生の哲学が光っています。
さらに、いわく。
「徳の高い人は何十万年も長生きする」
「干ばつのときに春のすばらしさを知り、困難にあったときに真の友情を知る」
「苦難に陥ったときに、友の真価がわかる」
「苦労を味わったことのある人は、『幸福とは何か』を知っている」と。
どれも、有名な貴国のことわざです。
貴モンゴル文学大学のある女子学生は、愛するお父さんの言葉をこう詩に詠んでおります。
「ふるさとの石を、大切に持って行きたまえ! そうすれば、いずこにあっても、ふるさとの山や河が、汝を尊敬し、汝を見守るであろう!」と。美しい心の言葉であります。
私は、ドイツの印象派の詩人・フライシュレンの詩の一節を諸君に捧げたい。
「心に太陽を持て、
あらしが吹こうが、雪が降ろうが、
空は雲に閉ざされ、
地上は争いに満たされようが!
心に太陽を持て、
そうすれば、なんでも来るがよい!
どんなに暗い日でも、
あふれる光で明るく照らされる!」(高橋健二編『ドイツの名詩名句鑑賞』郁文堂)
偉大なる創価同窓の皆さん!
全国各地から、そして海外からも、はるばると、ようこそ母校に帰ってきてくださいました。本当に私はうれしい。
私の創立した学舎に集ってくださった皆さまです。今や、世界中で活躍しておられます。
私は、教育の大切さを、しみじみと感じます。創立者として、本当に幸福です。
◇勝つための人生
〈続いて池田先生は、モンゴル文学大学ツェンドアヨーシ学長(当時)が書いた小説に触れ、力強くエールを送った〉
学長が執筆された有名な小説があります。
それは、一人の賢い英雄が、モンゴルの大自然の脅威や戦争の危機など、あらゆる試練に勇敢に立ち向かう。そして、生き生きと「智慧」を発揮して、すべてを朗らかに打開しながら、人々を救い、平和に貢献していくという、まことに痛快きわまりないドラマであります。
貴国の箴言には、「希望があれば窮しない」——絶対に行き詰まらない、「力があれば屈しない」——絶対に負けない、とあります。
いかなる圧迫があろうとも、それ以上に、自分が希望を燃え上がらせ、自分が力をつけ、自分が強くなればよい。その人が真実の勝利者であります。
私も40年間、この「師子王の心」で戦い、勝ってきました。
あらゆる迫害も、陰険な策謀も、すべて打ち破り、堂々と乗り越えてきました。
私は「師子」です。皆さんも「師子」であっていただきたい。
わが創価同窓の諸君も、私に続いて、一人ももれなく、今世のそれぞれの立場の大闘争を、断じて勝ちぬいていっていただきたい。負ければ悲惨です。負ければ哀れです。
「勝つための人生」であり、「勝つための学問」であり、「勝つための信仰」なのです。皆さん全員が、一人も残らず、「私は勝った!」と言える人生であっていただきたい。
私の母もまた、ニッコリと微笑んで、「私の人生は勝ったよ」と。それが最期の言葉でありました。
人生の最終章が、どうかで、人生の勝敗は決まる。ゆえに諸君は、「創価同窓生として、私は勝った!」と言い切れる尊き一生を送っていただきたいのであります。
◇平和を守る連帯を
〈池田先生は、来賓として出席した詩人のドルマー氏の詩を紹介。同窓の友に向け、苦難を恐れず進みゆこうと呼び掛けた〉
(ドルマー)先生の有名な詩である「青き惑星」には、こう謳われております。
「わが花の惑星よ!
君(=地球)は
生きとし生けるものを繋ぐ
命の血脈なり(中略)
戦禍によって
この宝石を
蹂躙させてなるものか!
この世界は
賢者たちこそが
守っていくことができる」
まことに壮麗な「平和の讃歌」であります。
私たちは、先生方とともに、美しい地球を守りゆく、この「賢者のネットワーク」を、雄大に広げていきたいのであります。
私はかつて、フランスの文豪、アンドレ・マルロー氏と対談し、ご自宅にも伺いました。対談は一冊の本(『人間革命と人間の条件』)になりました。
氏の言葉に「精神のもつあらゆる価値の中でもっとも実り多きものは、一体感と勇気です」(ピエール・ガラント『アンドレ・マルロー』斎藤正直訳、早川書房)とあります。
また、ルネサンスの巨人、ダ・ヴィンチの名言には「大きな障害にぶつかればぶつかるほど強さをます」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』下、杉浦明平訳、岩波文庫)と。
次元は異なりますが、日蓮大聖人も、御自身を迫害しぬいた平左衛門尉らを「善知識」と、とらえておられた。障害が大きければ大きいほど、強くなる——私も、そのように生きてきました。
諸君も生涯、そうであっていただきたい。
さらに、古代ローマの哲人皇帝、マルクス・アウレリウスは言いました。
「人生は戦いであり、旅のやどりであり、死後の名声は忘却にすぎない。しからば我々を導きうるものはなんであろうか。一つ、ただ一つ、哲学である」(マルクス・アウレーリウス『自省録』神谷美恵子訳、岩波文庫)
偉大な人間は、地位や名声ではなく、「人間にとっての本当の価値」を探究する。
そして、この「哲学」の究極が、偉大な仏法なのであります。
創価同窓、万歳!
バヤルララー! バヤルララー! バヤルララー!(モンゴル語で「ありがとうございました」)
2022年2月15日火曜日
2022.02.15 わが友に贈る
後輩を自分以上の人材に
との一念で先輩が支える。
そこに盤石な未来が!
広布を担う尊き友に
温かな声掛けと応援を!
上野殿御返事 P1540
『かまへておほきならん人申しいだしたるらんはあはれ法華経のよきかたきよ、優曇華か盲亀の浮木かとおぼしめしてしたたかに御返事あるべし』
【通解】
大身の人(身分や地位などの高い人)から、(圧迫を加えようとして)言いだしてきたことに対しては、「ああ、法華経のよい敵よ!(三千年に一度咲く)優曇華の花や、一眼の亀が奇跡的に巡り合える浮木(のように、あいがたい敵)である」とお考えになって、したたかに(強く)ご返事をなされるがよい。
名字の言 戸田先生の「地球民族主義」の提唱から70年 2022年2月15日
紛争の絶えないアフガニスタンでは、民家にも当然のように武器が置かれている。銃を手にする子どももいる。だが、誰も争いを望んでなどいない。人々の多くは花や詩を愛している。農民から王侯貴族まで一緒に集まり、季節の花をテーマに即興詩を吟じ合う光景は珍しくないという(中村哲著『希望の一滴』西日本新聞社)▼どんな国や地域にも、大切にしている文化がある。そして平和で豊かに安心して暮らしたいという庶民の願いに国境はない▼70年前の2月17日、第2代会長・戸田城聖先生は「地球民族主義」を提唱した。その理念を継いだ池田先生は国家、イデオロギー、歴史的背景などの差異を超えた対話によって、確かな友情と信頼の絆を世界で結んできた▼新入会の青年が語っていた。以前は紛争などのニュースに触れても無関心だったが、池田先生の思想と行動を学ぶうちに意識が変わったと。「もし自分がそこにいたら、犠牲者の家族だったら……。真剣に考え始め、平和への祈りと対話を決意しました」▼平和創造の戦いを"ひとごと"ではなく"わがこと"として捉え、足元の地域から行動を起こす創価のスクラムは、全世界に広がった。この絆こそ人類の安穏の未来を開く希望である。
寸鉄 2022年2月15日
「他人なれども、かたらいぬれば命にも替わる」御書。真の友情は生涯の宝(新1538・全1132)
変毒為薬できない試練など絶対にない—戸田先生 題目第一で諦めの壁破れ
本部幹部会のネット配信今日まで。共々に希望の春へ!大歓喜の飛躍を。
コロナ禍の影響で半数の若者が無気力に—調査。今こそ励ましの光を友へ
情報漏洩の原因は紛失と誤操作が半分以上。確認で防げるミス。意識強く
☆質問BOX 全ての人に恩があるのでしょうか?
◇回答
確かに、家族や友人だけでなく、あらゆる人に恩があると言われても、実感できないかもしれません。しかし、そう思えるように成長していけるのが、この信仰なのです。
日蓮大聖人は、御自身を讒言や迫害で苦しめてきた、悪人や国主がいたからこそ、経文通りの難を受け、法華経を身で読むことができたとされ、それらの人々を「恩深き人」(新1215・全937)とまで、仰せになりました。
次元は異なりますが、私たちもまた、日々の生活で関わる人々の中には、意見の合わない人や、苦手に思う人もいるでしょう。それでも、相手の幸せを祈り、誠実に接していけば、その人は自分の境涯を広げるための、きっかけとなります。全ての人は、自身の人間革命を成し遂げるための「恩深き人」となっていくのです。
☆みんなで学ぶ教学 第25回 報恩
◇何事にも負けない勇気が湧く
"恩を知り、恩に報いていくこと"は、自身の境涯を開き、豊かな人生を歩む源泉となっていきます。今回の「みんなで学ぶ教学」は、「報恩」がテーマです。悩みを抱え、唱題していた新入会者のリホさんは、支部女性部長のユリコさんに電話しているようです。
ユリコ こんばんは。どうしたのかしら?
リホ 実は、仕事で行き詰まって、悩んでいたんですけど、お題目を唱えていたら、いつも励ましてくれる地区の皆さんの顔が浮かんで、"負けずに頑張ろう"と前向きになれたんです。
改めて、"信心して良かったな""地区の皆さんと出会えて良かったな"と思って。そのことを誰かに伝えたかったんです。
ユリコ そう思えることは、すごいことよ! リホさんが成長している証拠ね。
リホ そうなんですか?
ユリコ そうよ。そのリホさんの思いは、信心において重要な「報恩」につながっているからなのよ。
リホ 「報恩」ですか……。会合でよく聞く言葉ですが、どういう意味でしたっけ?
ユリコ 「報恩」とは、"恩を知り、恩に報いていくこと"よ。
現代では、あまりなじみのない言葉かもしれないけれど、仏法では、とても大切なことなの。
リホ 確かに、普段の生活の中では聞き慣れないです。
ユリコ 池田先生は「信心とは、ある意味で、『自己中心性』との戦いです。報恩がなければ、自己の殻を破れないし、人間革命の完成もないのです」とつづられているの。
"恩に報いていこう"という心がなければ、"自分さえ良ければいい"というような狭い境涯を打ち破り、人間革命していくことはできないわ。
リホ なるほど……。とても大切なことなんですね。
ユリコ 日蓮大聖人は「仏法を修学する人は、知恩、報恩がなくてはならない」(新58・全192、通解)と仰せよ。
仏法者は、自分が関わる、全ての存在からの恩を知るべきであると教えられているの。「報恩」に生きることで、全ての人に感謝できるような、大きな境涯を開いていけるのよ。
リホ 数え切れないくらい、多くの人に恩がある……。
ユリコ そして恩を知ったからこそ、今度は自分が周囲の恩に報いていくべきであると仰せよ。「この大恩に報いるには、必ず仏法の奥底を学び行じて、智者とならなければならない」(新212・全293、通解)ともつづられているの。
民衆の幸福を実現しゆく、広宣流布に生き抜くことこそが、人間として最高の報恩となることを教えられているのよ。
リホ "恩に報いる"ことの大切さが分かりました。
ユリコ だから、恩を知れば、感謝の気持ちになって自分の見ている世界が明るくなっていくわ。さらに一歩深く、報恩を誓うと、何があっても負けない勇気が湧いてくるのよ。私は今、"報恩の心"で、かつてない対話の拡大をしていこうと決意しているわ。
リホ 分かりました。
私も、お世話になっている地区の皆さんに、勝利の報告をするためにも、学会活動に挑戦しながら、必ず仕事の行き詰まりを突破していきます!
☆大学校生とナットクTALK テーマ:自行化他
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。今回のテーマは「自行化他」。部活の席上、中村団長が島田ニュー・リーダーと語り合います。
登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。35歳。
島田ニュー・リーダー 部活や座談会によく参加する男子部大学校4期生。27歳。
Q.題目と折伏両方やらないとダメ?
A.自他共の幸福こそ学会の目的
中村区男子部大学校団長 いよいよ伝統の2月だね。今年は、池田先生が恩師・戸田先生の願業成就へ拡大の突破口を開いた「二月闘争」70周年。お互い、題目根本に折伏にも取り組んでいこう。
島田ニュー・リーダー 気合が入っていますね(笑い)。部活や座談会に参加したり、勤行・唱題にチャレンジしたりしていて、自分としては学会活動を頑張っているつもりなんですけど……。やっぱり折伏も挑戦しないとダメなんですかね?
中村 創価学会の信仰は「自他共の幸福」の実現を目指しているからね。島田君は任用試験で「信・行・学」について勉強したと思うけど、「行」には「自行」と「化他行」があることって覚えているかな?
島田 うーん、なんとなく……。
中村 「自行」は自分が法の功徳を得るために修行すること。「化他行」とは他人に功徳を受けさせるために仏法を教える実践をいうんだ。
島田 つまり、「自行」が勤行・唱題で、「化他行」が折伏っていうことですよね?
中村 その通り! この二つは、車の両輪のようなものなんだ。両方を実践することで、車が前進するように僕たちの人間革命や宿命転換も進んでいく。
島田 正直、友人に信仰の話をする勇気がなかなか出ないんです。その分、題目をあげる時、大事な友人の幸せも一緒に祈っています。
中村 島田君は優しいね。「仏になる法華経を耳にふれぬれば、これを種として必ず仏になるなり」(新697・全552)と仰せだよ。友人の幸せのためにも信心を伝えていくことが大事なんだ。
島田 折伏した相手は、必ず幸せになれるっていうことですか?
中村 そう。その時は信心をしなくても、いつか必ず発心する時がくる。だから、「一文一句」(新1793・全1361)でも語っていくんだ。友人の幸福を願い、信じて仏法を語ることは最高に尊い行動だよ。その挑戦で、自身の生命にも仏や菩薩の境涯を呼び起こし、成長することができる。学会活動に真面目に取り組んできた島田君ならできるよ!
島田 分かりました! この2月は、もっと信心の確信をつかんでいくためにも、勇気を出して折伏に挑戦していきます!
中村 島田君のような「新しい人」だからこそ「新しい力」を持っている。池田先生は、そうした「新しい力」と共に、「二月闘争」に臨まれたんだ。題目と折伏の実践を通し、令和という新時代の「二月闘争」を勝利で飾ろう!
との一念で先輩が支える。
そこに盤石な未来が!
広布を担う尊き友に
温かな声掛けと応援を!
上野殿御返事 P1540
『かまへておほきならん人申しいだしたるらんはあはれ法華経のよきかたきよ、優曇華か盲亀の浮木かとおぼしめしてしたたかに御返事あるべし』
【通解】
大身の人(身分や地位などの高い人)から、(圧迫を加えようとして)言いだしてきたことに対しては、「ああ、法華経のよい敵よ!(三千年に一度咲く)優曇華の花や、一眼の亀が奇跡的に巡り合える浮木(のように、あいがたい敵)である」とお考えになって、したたかに(強く)ご返事をなされるがよい。
名字の言 戸田先生の「地球民族主義」の提唱から70年 2022年2月15日
紛争の絶えないアフガニスタンでは、民家にも当然のように武器が置かれている。銃を手にする子どももいる。だが、誰も争いを望んでなどいない。人々の多くは花や詩を愛している。農民から王侯貴族まで一緒に集まり、季節の花をテーマに即興詩を吟じ合う光景は珍しくないという(中村哲著『希望の一滴』西日本新聞社)▼どんな国や地域にも、大切にしている文化がある。そして平和で豊かに安心して暮らしたいという庶民の願いに国境はない▼70年前の2月17日、第2代会長・戸田城聖先生は「地球民族主義」を提唱した。その理念を継いだ池田先生は国家、イデオロギー、歴史的背景などの差異を超えた対話によって、確かな友情と信頼の絆を世界で結んできた▼新入会の青年が語っていた。以前は紛争などのニュースに触れても無関心だったが、池田先生の思想と行動を学ぶうちに意識が変わったと。「もし自分がそこにいたら、犠牲者の家族だったら……。真剣に考え始め、平和への祈りと対話を決意しました」▼平和創造の戦いを"ひとごと"ではなく"わがこと"として捉え、足元の地域から行動を起こす創価のスクラムは、全世界に広がった。この絆こそ人類の安穏の未来を開く希望である。
寸鉄 2022年2月15日
「他人なれども、かたらいぬれば命にも替わる」御書。真の友情は生涯の宝(新1538・全1132)
変毒為薬できない試練など絶対にない—戸田先生 題目第一で諦めの壁破れ
本部幹部会のネット配信今日まで。共々に希望の春へ!大歓喜の飛躍を。
コロナ禍の影響で半数の若者が無気力に—調査。今こそ励ましの光を友へ
情報漏洩の原因は紛失と誤操作が半分以上。確認で防げるミス。意識強く
☆質問BOX 全ての人に恩があるのでしょうか?
◇回答
確かに、家族や友人だけでなく、あらゆる人に恩があると言われても、実感できないかもしれません。しかし、そう思えるように成長していけるのが、この信仰なのです。
日蓮大聖人は、御自身を讒言や迫害で苦しめてきた、悪人や国主がいたからこそ、経文通りの難を受け、法華経を身で読むことができたとされ、それらの人々を「恩深き人」(新1215・全937)とまで、仰せになりました。
次元は異なりますが、私たちもまた、日々の生活で関わる人々の中には、意見の合わない人や、苦手に思う人もいるでしょう。それでも、相手の幸せを祈り、誠実に接していけば、その人は自分の境涯を広げるための、きっかけとなります。全ての人は、自身の人間革命を成し遂げるための「恩深き人」となっていくのです。
☆みんなで学ぶ教学 第25回 報恩
◇何事にも負けない勇気が湧く
"恩を知り、恩に報いていくこと"は、自身の境涯を開き、豊かな人生を歩む源泉となっていきます。今回の「みんなで学ぶ教学」は、「報恩」がテーマです。悩みを抱え、唱題していた新入会者のリホさんは、支部女性部長のユリコさんに電話しているようです。
ユリコ こんばんは。どうしたのかしら?
リホ 実は、仕事で行き詰まって、悩んでいたんですけど、お題目を唱えていたら、いつも励ましてくれる地区の皆さんの顔が浮かんで、"負けずに頑張ろう"と前向きになれたんです。
改めて、"信心して良かったな""地区の皆さんと出会えて良かったな"と思って。そのことを誰かに伝えたかったんです。
ユリコ そう思えることは、すごいことよ! リホさんが成長している証拠ね。
リホ そうなんですか?
ユリコ そうよ。そのリホさんの思いは、信心において重要な「報恩」につながっているからなのよ。
リホ 「報恩」ですか……。会合でよく聞く言葉ですが、どういう意味でしたっけ?
ユリコ 「報恩」とは、"恩を知り、恩に報いていくこと"よ。
現代では、あまりなじみのない言葉かもしれないけれど、仏法では、とても大切なことなの。
リホ 確かに、普段の生活の中では聞き慣れないです。
ユリコ 池田先生は「信心とは、ある意味で、『自己中心性』との戦いです。報恩がなければ、自己の殻を破れないし、人間革命の完成もないのです」とつづられているの。
"恩に報いていこう"という心がなければ、"自分さえ良ければいい"というような狭い境涯を打ち破り、人間革命していくことはできないわ。
リホ なるほど……。とても大切なことなんですね。
ユリコ 日蓮大聖人は「仏法を修学する人は、知恩、報恩がなくてはならない」(新58・全192、通解)と仰せよ。
仏法者は、自分が関わる、全ての存在からの恩を知るべきであると教えられているの。「報恩」に生きることで、全ての人に感謝できるような、大きな境涯を開いていけるのよ。
リホ 数え切れないくらい、多くの人に恩がある……。
ユリコ そして恩を知ったからこそ、今度は自分が周囲の恩に報いていくべきであると仰せよ。「この大恩に報いるには、必ず仏法の奥底を学び行じて、智者とならなければならない」(新212・全293、通解)ともつづられているの。
民衆の幸福を実現しゆく、広宣流布に生き抜くことこそが、人間として最高の報恩となることを教えられているのよ。
リホ "恩に報いる"ことの大切さが分かりました。
ユリコ だから、恩を知れば、感謝の気持ちになって自分の見ている世界が明るくなっていくわ。さらに一歩深く、報恩を誓うと、何があっても負けない勇気が湧いてくるのよ。私は今、"報恩の心"で、かつてない対話の拡大をしていこうと決意しているわ。
リホ 分かりました。
私も、お世話になっている地区の皆さんに、勝利の報告をするためにも、学会活動に挑戦しながら、必ず仕事の行き詰まりを突破していきます!
☆大学校生とナットクTALK テーマ:自行化他
男子部大学校生からの質問に答える連載「大学校生とナットクTALK」。今回のテーマは「自行化他」。部活の席上、中村団長が島田ニュー・リーダーと語り合います。
登場人物
中村区男子部大学校団長 20歳の時に入会。情熱に燃える新進気鋭のリーダー。35歳。
島田ニュー・リーダー 部活や座談会によく参加する男子部大学校4期生。27歳。
Q.題目と折伏両方やらないとダメ?
A.自他共の幸福こそ学会の目的
中村区男子部大学校団長 いよいよ伝統の2月だね。今年は、池田先生が恩師・戸田先生の願業成就へ拡大の突破口を開いた「二月闘争」70周年。お互い、題目根本に折伏にも取り組んでいこう。
島田ニュー・リーダー 気合が入っていますね(笑い)。部活や座談会に参加したり、勤行・唱題にチャレンジしたりしていて、自分としては学会活動を頑張っているつもりなんですけど……。やっぱり折伏も挑戦しないとダメなんですかね?
中村 創価学会の信仰は「自他共の幸福」の実現を目指しているからね。島田君は任用試験で「信・行・学」について勉強したと思うけど、「行」には「自行」と「化他行」があることって覚えているかな?
島田 うーん、なんとなく……。
中村 「自行」は自分が法の功徳を得るために修行すること。「化他行」とは他人に功徳を受けさせるために仏法を教える実践をいうんだ。
島田 つまり、「自行」が勤行・唱題で、「化他行」が折伏っていうことですよね?
中村 その通り! この二つは、車の両輪のようなものなんだ。両方を実践することで、車が前進するように僕たちの人間革命や宿命転換も進んでいく。
島田 正直、友人に信仰の話をする勇気がなかなか出ないんです。その分、題目をあげる時、大事な友人の幸せも一緒に祈っています。
中村 島田君は優しいね。「仏になる法華経を耳にふれぬれば、これを種として必ず仏になるなり」(新697・全552)と仰せだよ。友人の幸せのためにも信心を伝えていくことが大事なんだ。
島田 折伏した相手は、必ず幸せになれるっていうことですか?
中村 そう。その時は信心をしなくても、いつか必ず発心する時がくる。だから、「一文一句」(新1793・全1361)でも語っていくんだ。友人の幸福を願い、信じて仏法を語ることは最高に尊い行動だよ。その挑戦で、自身の生命にも仏や菩薩の境涯を呼び起こし、成長することができる。学会活動に真面目に取り組んできた島田君ならできるよ!
島田 分かりました! この2月は、もっと信心の確信をつかんでいくためにも、勇気を出して折伏に挑戦していきます!
中村 島田君のような「新しい人」だからこそ「新しい力」を持っている。池田先生は、そうした「新しい力」と共に、「二月闘争」に臨まれたんだ。題目と折伏の実践を通し、令和という新時代の「二月闘争」を勝利で飾ろう!
2022年2月14日月曜日
2022.02.14 わが友に贈る
新聞休刊日
立正安国論 P17
『世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず』
【通解】
世の中は上下万民あげて正法に背き、人々は皆悪法に帰している。それゆえ、守護すべき善神はことごとく国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して他の所へ行ったまま帰ってこない。 そのために善神、聖人に代わって、魔神、鬼神が来て、災いが起こり、難が起こるのである。じつにこのことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである。
☆四季の励まし 「常勝」の心で希望の春へ 2022年2月6日
◇池田先生の言葉
人生においても、
社会においても、
立ちはだかる試練を前に、
「不可能」と決めつけて、
諦めてしまえば、
それまでである。
しかし、どんな困難も、
打開できないわけがないと
一念を定め、
挑戦していけば、
そこから、
未だかつてない
「可能性」を引き出し、
「希望」を
創りあげることができる。
たとえ今、
試練の冬にあろうとも、
心は閉じこもりはしない。
一歩、
北風に踏み出す勇気に、
戦う力、負けない力が
湧き上がる。
その心には、
もう勝利の春が
始まっているのだ。
信心の途上で
起こってくる苦難は、
すべて意味がある。
なかなか出口が見えない
困難な状況であっても、
時がたち、
長い目で見ていけば、
「なるほどそうだったのか」
「このためにあったのか」と
必ず分かるものである。
ゆえに目先の出来事に
一喜一憂する必要はない。
広布に生き抜く時、
転換できぬ「宿命」など
絶対にない。
皆が、地涌の菩薩であり、
幸福になる権利がある。
皆が、人生の檜舞台で、
風雪の冬を陽光の春へ、
苦悩を歓喜へと転ずる
大ドラマの主人公であり、
名優であるのだ。
常勝とは、
不撓不屈の異名だ。
「断じて勝つ!
最後は勝つ!」という
大確信であり、
大闘争心だ。
この「負けじ魂」が
あるところ、
いかなる逆境も、
すべて自身の人間革命と、
三世永遠にわたる
成仏の大境涯を開く
糧となることを忘れまい。
【写真説明】光まばゆき世界への玄関口・神戸港。1995年(平成7年)10月、池田大作先生がカメラに収めた。友の福徳と安穏を祈りつつ——。
阪神・淡路大震災から9カ月後だった。先生はこの関西指導で、兵庫池田文化会館での「21世紀兵庫希望総会」「SGI総会」に出席。師弟の絆で結ばれた不屈の同志に語った。「日蓮大聖人の仏法は、『無限の希望』の哲学である」と。
私たちには、勝利の経典・御書がある。いつも勇気を与えてくれる師匠がいる。ゆえに、いかなる壁が立ちはだかろうとも断じて負けない。寒風の中に、春の気配が漂い始める2月。頭を上げて、前進の一歩を踏み出そう。
☆ONE GOSHO この一節とともに! 報恩抄
◇報恩の心で拡大に疾駆
「自らの勇敢な挑戦と成長こそ、最高の恩返しとなる」——今回は、「真の報恩の道」を歩み抜く仏法者の生き方を心に刻む。
◇御文
『仏教をならわん者の、父母・師匠・国恩をわするべしや。この大恩をほうぜんには、必ず仏法をならいきわめ智者とならで叶うべきか。』(新212・全293)
◇通解
仏教を学ぶものが、どうして父母、師匠、国土や社会の恩を忘れてよいであろうか。この大恩を報ずるためには、必ず仏法を学び究めて、智者とならなければ叶うことではない。
◇背景
日蓮大聖人は若き日、安房国(現在の千葉県南部)の清澄寺で修学に励まれた。出家に際しての師匠が道善房である。
本抄は、道善房の逝去の報を聞かれた大聖人が、建治2年(1276年)7月、亡き師匠への追善と報恩謝徳のために、身延で認められた御書である。修学時代の兄弟子である浄顕房と義浄房に、本抄を道善房の墓前でも読むよう伝言を添え、託された。
本抄で大聖人は、師恩に報いるための御自身の求道と弘教の御生涯を示されるとともに、「三大秘法の南無妙法蓮華経」の無量の功徳を明かされ、人類の未来を救う道を開いたことを宣言されている。
◇解説
日蓮大聖人は本抄の冒頭で、恩に報いた動物の説話や中国古代の賢人の故事を引かれ、なおのこと仏法者は、父母や師匠、国土・社会の恩を忘れてはならないと強調されている。
開目抄にも「仏弟子は必ず四恩をしって知恩・報恩をいたすべし」(新58・全192)とあるように、大聖人は「恩を知る」ことの大切さを諸御抄の中で説かれている。
自身の周囲に目を向け、自分が多くの人に支えられて生きていることに気付き、感謝の念を持つ。つまり、今まで"当たり前"だと思っていたことに深い意味を感じ、大きな恩があると「知る」ことが、報恩への第一歩である。
そして、そうした全ての恩に報いるためには、仏法を学び究め、真の智者となって、人々を導いていかなければならないと示されている。
大聖人は、別の御書の中で仏道を志した真情を振り返られ、「本より学文し候いしことは、仏教をきわめて仏になり、恩ある人をもたすけんと思う」(新1195・全891)と仰せになっている。"恩ある人を生死の苦しみから助けたい"——日蓮仏法の「出発点」には、「報恩の一念」があったのである。大聖人はその誓いのまま、度重なる大難にも屈することなく、正法を掲げ、民衆救済の方途を確立された。
本抄は"正法を弘める大聖人の大功徳が故・道善房に集まる"と結ばれている。道善房は臆病であり、最後まで念仏への執着を断ち切れなかった。そのような師匠であっても、弟子の妙法流布の功徳によって救うことができるのである。
また、本抄は若き日の兄弟子であった浄顕房、義浄房に宛てられたが、二人に送られた別の御書には「よき弟子をもつときんば、師弟仏果にいたり、あしき弟子をたくわいぬれば、師弟地獄におつといえり」(新1211・全900)と仰せである。
弟子の勝利が師匠の勝利である。こう決めて広宣流布に生き抜くことこそ、真の報恩の人生である。
その大道を歩んできたのが創価の師弟であり、なかんずく池田先生にほかならない。
1952年(昭和27年)、若き池田先生は、大聖人の御聖誕の月であり、恩師・戸田先生の誕生月でもある2月を荘厳しようと、蒲田支部の同志と共に、圧倒的な弘教拡大を成し遂げた。その「二月闘争」によって戸田先生の願業であった75万世帯への突破口が開かれたのである。また、恩師亡き後、師の写真を上着の内ポケットに納め、世界中を駆け巡り、仏法を192カ国・地域に広げた。
池田先生はつづっている。
「報恩は誓願を生みます。報恩は行動を生みます。報恩は勇気を生みます。報恩は勝利を生みます。報恩に徹する人は、自身の生命を最高に磨き、境涯を最大に勝ち光らせることができるのです」
"師匠のために"との決定した一念から、無限の力が湧き上がる——これが、創価の師弟が示してきた広布拡大の方程式である。
「二月闘争」から70周年。
報恩の心を赤々と燃やし、勇気の対話拡大で、不滅の師弟の原点を築きゆこう!
立正安国論 P17
『世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る言わずんばある可からず恐れずんばある可からず』
【通解】
世の中は上下万民あげて正法に背き、人々は皆悪法に帰している。それゆえ、守護すべき善神はことごとく国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して他の所へ行ったまま帰ってこない。 そのために善神、聖人に代わって、魔神、鬼神が来て、災いが起こり、難が起こるのである。じつにこのことは、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである。
☆四季の励まし 「常勝」の心で希望の春へ 2022年2月6日
◇池田先生の言葉
人生においても、
社会においても、
立ちはだかる試練を前に、
「不可能」と決めつけて、
諦めてしまえば、
それまでである。
しかし、どんな困難も、
打開できないわけがないと
一念を定め、
挑戦していけば、
そこから、
未だかつてない
「可能性」を引き出し、
「希望」を
創りあげることができる。
たとえ今、
試練の冬にあろうとも、
心は閉じこもりはしない。
一歩、
北風に踏み出す勇気に、
戦う力、負けない力が
湧き上がる。
その心には、
もう勝利の春が
始まっているのだ。
信心の途上で
起こってくる苦難は、
すべて意味がある。
なかなか出口が見えない
困難な状況であっても、
時がたち、
長い目で見ていけば、
「なるほどそうだったのか」
「このためにあったのか」と
必ず分かるものである。
ゆえに目先の出来事に
一喜一憂する必要はない。
広布に生き抜く時、
転換できぬ「宿命」など
絶対にない。
皆が、地涌の菩薩であり、
幸福になる権利がある。
皆が、人生の檜舞台で、
風雪の冬を陽光の春へ、
苦悩を歓喜へと転ずる
大ドラマの主人公であり、
名優であるのだ。
常勝とは、
不撓不屈の異名だ。
「断じて勝つ!
最後は勝つ!」という
大確信であり、
大闘争心だ。
この「負けじ魂」が
あるところ、
いかなる逆境も、
すべて自身の人間革命と、
三世永遠にわたる
成仏の大境涯を開く
糧となることを忘れまい。
【写真説明】光まばゆき世界への玄関口・神戸港。1995年(平成7年)10月、池田大作先生がカメラに収めた。友の福徳と安穏を祈りつつ——。
阪神・淡路大震災から9カ月後だった。先生はこの関西指導で、兵庫池田文化会館での「21世紀兵庫希望総会」「SGI総会」に出席。師弟の絆で結ばれた不屈の同志に語った。「日蓮大聖人の仏法は、『無限の希望』の哲学である」と。
私たちには、勝利の経典・御書がある。いつも勇気を与えてくれる師匠がいる。ゆえに、いかなる壁が立ちはだかろうとも断じて負けない。寒風の中に、春の気配が漂い始める2月。頭を上げて、前進の一歩を踏み出そう。
☆ONE GOSHO この一節とともに! 報恩抄
◇報恩の心で拡大に疾駆
「自らの勇敢な挑戦と成長こそ、最高の恩返しとなる」——今回は、「真の報恩の道」を歩み抜く仏法者の生き方を心に刻む。
◇御文
『仏教をならわん者の、父母・師匠・国恩をわするべしや。この大恩をほうぜんには、必ず仏法をならいきわめ智者とならで叶うべきか。』(新212・全293)
◇通解
仏教を学ぶものが、どうして父母、師匠、国土や社会の恩を忘れてよいであろうか。この大恩を報ずるためには、必ず仏法を学び究めて、智者とならなければ叶うことではない。
◇背景
日蓮大聖人は若き日、安房国(現在の千葉県南部)の清澄寺で修学に励まれた。出家に際しての師匠が道善房である。
本抄は、道善房の逝去の報を聞かれた大聖人が、建治2年(1276年)7月、亡き師匠への追善と報恩謝徳のために、身延で認められた御書である。修学時代の兄弟子である浄顕房と義浄房に、本抄を道善房の墓前でも読むよう伝言を添え、託された。
本抄で大聖人は、師恩に報いるための御自身の求道と弘教の御生涯を示されるとともに、「三大秘法の南無妙法蓮華経」の無量の功徳を明かされ、人類の未来を救う道を開いたことを宣言されている。
◇解説
日蓮大聖人は本抄の冒頭で、恩に報いた動物の説話や中国古代の賢人の故事を引かれ、なおのこと仏法者は、父母や師匠、国土・社会の恩を忘れてはならないと強調されている。
開目抄にも「仏弟子は必ず四恩をしって知恩・報恩をいたすべし」(新58・全192)とあるように、大聖人は「恩を知る」ことの大切さを諸御抄の中で説かれている。
自身の周囲に目を向け、自分が多くの人に支えられて生きていることに気付き、感謝の念を持つ。つまり、今まで"当たり前"だと思っていたことに深い意味を感じ、大きな恩があると「知る」ことが、報恩への第一歩である。
そして、そうした全ての恩に報いるためには、仏法を学び究め、真の智者となって、人々を導いていかなければならないと示されている。
大聖人は、別の御書の中で仏道を志した真情を振り返られ、「本より学文し候いしことは、仏教をきわめて仏になり、恩ある人をもたすけんと思う」(新1195・全891)と仰せになっている。"恩ある人を生死の苦しみから助けたい"——日蓮仏法の「出発点」には、「報恩の一念」があったのである。大聖人はその誓いのまま、度重なる大難にも屈することなく、正法を掲げ、民衆救済の方途を確立された。
本抄は"正法を弘める大聖人の大功徳が故・道善房に集まる"と結ばれている。道善房は臆病であり、最後まで念仏への執着を断ち切れなかった。そのような師匠であっても、弟子の妙法流布の功徳によって救うことができるのである。
また、本抄は若き日の兄弟子であった浄顕房、義浄房に宛てられたが、二人に送られた別の御書には「よき弟子をもつときんば、師弟仏果にいたり、あしき弟子をたくわいぬれば、師弟地獄におつといえり」(新1211・全900)と仰せである。
弟子の勝利が師匠の勝利である。こう決めて広宣流布に生き抜くことこそ、真の報恩の人生である。
その大道を歩んできたのが創価の師弟であり、なかんずく池田先生にほかならない。
1952年(昭和27年)、若き池田先生は、大聖人の御聖誕の月であり、恩師・戸田先生の誕生月でもある2月を荘厳しようと、蒲田支部の同志と共に、圧倒的な弘教拡大を成し遂げた。その「二月闘争」によって戸田先生の願業であった75万世帯への突破口が開かれたのである。また、恩師亡き後、師の写真を上着の内ポケットに納め、世界中を駆け巡り、仏法を192カ国・地域に広げた。
池田先生はつづっている。
「報恩は誓願を生みます。報恩は行動を生みます。報恩は勇気を生みます。報恩は勝利を生みます。報恩に徹する人は、自身の生命を最高に磨き、境涯を最大に勝ち光らせることができるのです」
"師匠のために"との決定した一念から、無限の力が湧き上がる——これが、創価の師弟が示してきた広布拡大の方程式である。
「二月闘争」から70周年。
報恩の心を赤々と燃やし、勇気の対話拡大で、不滅の師弟の原点を築きゆこう!
2022年2月13日日曜日
2022.02.13 わが友に贈る
◇今週のことば
「信は智慧の種なり」
勇気ある信心の挑戦が
新たな突破口を開く。
皆の智慧と工夫と団結で
楽しく躍動の座談会を!
2022年2月13日
教行証御書 P1283
『仏法渡つて今に七百余年前代未聞の大法此の国に流布して月氏漢土一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ有り難けれ有り難けれ』
【通解】
仏法が渡来して七百余年、前代未聞の大法がこの国に流布して、インド・中国をはじめ全世界の一切衆生が仏になることができるとはなんとありがたいことか。
名字の言 後継の若芽を伸ばすために 2022年2月13日
「未来っ子の城」と称される支部が福岡市城南区にある。若い世代が多い地域とはいえ、少年少女部員会には約30人が参加する。そこでは高・中等部の"お兄さん・お姉さん"が世話役になり、子どもたち同士が力を合わせて会合を切り盛り。実に麗しい光景だ▼なぜこれほど後継の若芽が伸びているのか。「池田先生の心に触れることが全ての源です」と支部女性未来本部長。特に力を注いできたのは、先生のスピーチ映像の配信を一緒に視聴すること。そして、心に残ったことをノートに書き、決意や感想を家族と語り合うメンバーを増やしてきた▼正義、勇気、希望、誠実……。そうした生き方の大切さを説く、師の慈愛あふれる声、言葉、姿に触れる中で、変わらない子は一人もいなかったという。感情を顔に出さない子が、ほほ笑むようになった。自閉症の子が作文コンクールに挑戦した。不登校だった子は学校に行けるように。感動、感動のドラマの連続だった▼「今の法門説き聞かせ候えば、未来までの仏種になる」(新2010・全1486)。広布の人材を育てるには、子らの心に「成長の種」をまくことだ▼大人が精いっぱいの真心で祈り励まし、「師弟の心」を伝えていく。これにまさる種はない。
寸鉄 2022年2月13日
何があろうと根本に信心だけは忘れるな—恩師。今日も必勝の祈りで出発
東京・葛飾の日。師弟共戦こそ我らの誇り!新時代の二月闘争を断固と勝利
御書「一の師子王吼うれば百子力を得て」。題目は利剣。拡大の波を私から(新1745・全1316)
高い塔ほど基礎は広く—詩聖タゴール。励ましの裾野を拡大。そこに広布伸展の鍵
コアラが絶滅危惧種に。気候変動で森林火災増加も因。環境守る主体者に
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第3回 歓喜の祈り
◇富木尼御前御返事
『我らは仏に疑いなしとおぼせば、なにのなげきかあるべき。きさきになりてもなにかせん。天に生まれてもようしなし。竜女があとをつぎ、摩訶波舎波提比丘尼のれちにつらなるべし。あらうれし、あらうれし。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱えさせ給え。』(新1317・全976)
◇勇気の指標 著作から
日蓮仏法は、何かにすがるような弱々しい信仰ではありません。
不撓不屈の信念で希望を引き出すのが、日蓮仏法の祈りです。この仏の智慧と力の源泉が、南無妙法蓮華経の唱題行なのです。大生命力を引き出せるかどうかは、どこまでも信心によるのです。
◆◇◆
諸天をも揺り動かすような確信の祈りであってこそ、わが胸中の仏の生命を自由自在に現していくことができるのです。
この内発の力によって立ち上がった一人こそ、真正の勇者です。その勇者は、自身の生命が躍動しているから、そのまま、周りの人に勇気と希望を送ることができるのです。
◆◇◆
私どもは、偉大な「人間革命の仏法」を持っています。いかなる困難にあっても、自身の抱いた目標を貫徹する強い意志力と忍耐力は、わが胸中にある。それも無限にあるのです。
◆◇◆
「ちかいし願やぶるべからず」(全232・新114)と仰せの通り、誓願を貫き通す覚悟が、自他共の人生を無限に勝ち開きます。(中略)
師弟の大誓願を胸に、一人立つ真正の勇者として、「人間革命の勝利王」のスクラムを、いやまして広げていこうではありませんか!
◇諸天を動かす誓願の唱題を 十河智美 総神奈川女性部長
先日、池田華陽会のメンバーから、"仏法対話し、友人が入会を決意しました!"との喜びの報告を伺いました。
今、各地の池田華陽会が、はつらつと前進し、女性部の桜梅桃李のスクラムが躍動しています。
喜びの春へ、富木尼御前を励まされた大確信の一節を拝します。
日蓮大聖人は、病気がちだった富木尼御前に、"女人成仏の道を開いた「竜女」の跡を継ぎ、必ず成仏できる"と、魂を揺さぶるように激励されます。
さらに、未来には成仏して、"一切衆生が喜んでお会いしたいと願う仏"(一切衆生喜見如来)として敬愛された摩訶波舎波提比丘尼と同列に連なるとまで仰せです。
"絶対に幸せになれる。勝利できる。何も心配ない"——病と闘う彼女の不安を打ち破り、境涯をパッと開かれるような大聖人のお言葉です。けなげに信心を貫いていた尼御前は、どれほど勇気づけられたことでしょう。
永遠に崩れることのない成仏の大境涯を開く源こそ、「あらうれし、あらうれし」との、大確信と大歓喜の祈りであることを心に刻んでいきたいと思います。
◇仏界を自由自在に
「日蓮仏法は、何かにすがるような弱々しい信仰ではありません」——池田先生は御文を拝し、このように講義されています。
私自身、祈りの姿勢を一変させることができた体験があります。
支部婦人部長(当時)だった時、広布拡大に挑むも、弘教が進まず、悩んだことがありました。祈っても祈っても結果に結び付かず、"こんなに頑張っているのに、どうして?"と、苦しくなっていきました。
そんな時、会合で、ある方の"どれだけ題目を唱えれば祈りがかなうのでしょうか"との質問に、幹部の方が答えているのを聞きました。
"策や方法ではなく、あなたが「題目しかない」と確信して祈っているかどうか。その一念が大事ですよ"
目からうろこが落ちる思いでした。結果を焦るあまり、"かなう・かなわない"にばかり執着している自分に気付いたのです。
"そうだ! 広布のため、師匠のためにと題目を唱えている。友人を幸せにしようと悩んで祈っている。この地涌の菩薩の祈りがかなわないわけがない!"——命の底から喜びが込み上げ、歓喜と感謝の祈りに徹することができました。
そして、会合から帰ったその日に、友好を深めてきた友人に対話すると、入会を希望されたのです。
以来、その歓喜のままに同志の皆さんを励ます中で、次々と弘教が実っていきました。あれだけ悩んでいたことがうそのように、壁を破る拡大を果たせたのです。
確信と歓喜の祈りに勝るものはありません。
先生は、私たちに具わる何ものにも負けない仏の生命を、「内発の力」と表現されています。「仏界の生命という『内発の力』は、誰も、何者も、奪い去ることはできません」「負けずに祈り抜く。その心が、すでに仏です。断固として現実の勝利となって現れていきます」
そして、諸天を揺り動かすような誓願の祈りこそが、「わが胸中の仏の生命を自由自在に現していく」要諦であることを教えてくださっています。
◇広布の勝利の峰へ
今、神奈川の女性部の友が、各地で「二月闘争」の先頭を走っています。そこにはコロナ禍をはじめ、いかなる試練にも負けない、誓願の祈りが光っています。
ある地域の圏女性部長は、息子さんの不登校やご両親の介護、大好きだったお姉さんの逝去と、幾度も試練の風雪に襲われました。"もう立ち上がれない"とさえ思ったこともありましたが、師匠と同志の励ましに支えられ、今こそ「まことの時」と、宿命を使命に変える題目で立ち上がってこられました。
全てを勝ち越えてきた彼女の圏では、小説『新・人間革命』を学びながら前進。多くの友が、さまざまな困難に直面しながらも、"今こそ宿命転換の好機"と、希望を胸に生き生きと広布拡大に駆けています。
70周年の「二月闘争」から、「3・16」へ。そして本年の広布勝利の峰へ。
誓願の祈りを根本に、正義と勇気の師子吼で、師弟共戦の凱歌のドラマをつづっていきましょう!
◇メモ
「富木尼御前御返事」は、建治2年(1276年)3月、下総国(千葉県北部など)の門下・富木常忍の妻である尼御前に宛てられた御消息である。夫の富木常忍が亡き母の遺骨を奉じて、身延の日蓮大聖人をお訪ねした折、富木常忍に託して病身の尼御前に与えられた。
「信は智慧の種なり」
勇気ある信心の挑戦が
新たな突破口を開く。
皆の智慧と工夫と団結で
楽しく躍動の座談会を!
2022年2月13日
教行証御書 P1283
『仏法渡つて今に七百余年前代未聞の大法此の国に流布して月氏漢土一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ有り難けれ有り難けれ』
【通解】
仏法が渡来して七百余年、前代未聞の大法がこの国に流布して、インド・中国をはじめ全世界の一切衆生が仏になることができるとはなんとありがたいことか。
名字の言 後継の若芽を伸ばすために 2022年2月13日
「未来っ子の城」と称される支部が福岡市城南区にある。若い世代が多い地域とはいえ、少年少女部員会には約30人が参加する。そこでは高・中等部の"お兄さん・お姉さん"が世話役になり、子どもたち同士が力を合わせて会合を切り盛り。実に麗しい光景だ▼なぜこれほど後継の若芽が伸びているのか。「池田先生の心に触れることが全ての源です」と支部女性未来本部長。特に力を注いできたのは、先生のスピーチ映像の配信を一緒に視聴すること。そして、心に残ったことをノートに書き、決意や感想を家族と語り合うメンバーを増やしてきた▼正義、勇気、希望、誠実……。そうした生き方の大切さを説く、師の慈愛あふれる声、言葉、姿に触れる中で、変わらない子は一人もいなかったという。感情を顔に出さない子が、ほほ笑むようになった。自閉症の子が作文コンクールに挑戦した。不登校だった子は学校に行けるように。感動、感動のドラマの連続だった▼「今の法門説き聞かせ候えば、未来までの仏種になる」(新2010・全1486)。広布の人材を育てるには、子らの心に「成長の種」をまくことだ▼大人が精いっぱいの真心で祈り励まし、「師弟の心」を伝えていく。これにまさる種はない。
寸鉄 2022年2月13日
何があろうと根本に信心だけは忘れるな—恩師。今日も必勝の祈りで出発
東京・葛飾の日。師弟共戦こそ我らの誇り!新時代の二月闘争を断固と勝利
御書「一の師子王吼うれば百子力を得て」。題目は利剣。拡大の波を私から(新1745・全1316)
高い塔ほど基礎は広く—詩聖タゴール。励ましの裾野を拡大。そこに広布伸展の鍵
コアラが絶滅危惧種に。気候変動で森林火災増加も因。環境守る主体者に
☆御書根本の大道 池田大作先生の講義に学ぶ 第3回 歓喜の祈り
◇富木尼御前御返事
『我らは仏に疑いなしとおぼせば、なにのなげきかあるべき。きさきになりてもなにかせん。天に生まれてもようしなし。竜女があとをつぎ、摩訶波舎波提比丘尼のれちにつらなるべし。あらうれし、あらうれし。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱えさせ給え。』(新1317・全976)
◇勇気の指標 著作から
日蓮仏法は、何かにすがるような弱々しい信仰ではありません。
不撓不屈の信念で希望を引き出すのが、日蓮仏法の祈りです。この仏の智慧と力の源泉が、南無妙法蓮華経の唱題行なのです。大生命力を引き出せるかどうかは、どこまでも信心によるのです。
◆◇◆
諸天をも揺り動かすような確信の祈りであってこそ、わが胸中の仏の生命を自由自在に現していくことができるのです。
この内発の力によって立ち上がった一人こそ、真正の勇者です。その勇者は、自身の生命が躍動しているから、そのまま、周りの人に勇気と希望を送ることができるのです。
◆◇◆
私どもは、偉大な「人間革命の仏法」を持っています。いかなる困難にあっても、自身の抱いた目標を貫徹する強い意志力と忍耐力は、わが胸中にある。それも無限にあるのです。
◆◇◆
「ちかいし願やぶるべからず」(全232・新114)と仰せの通り、誓願を貫き通す覚悟が、自他共の人生を無限に勝ち開きます。(中略)
師弟の大誓願を胸に、一人立つ真正の勇者として、「人間革命の勝利王」のスクラムを、いやまして広げていこうではありませんか!
◇諸天を動かす誓願の唱題を 十河智美 総神奈川女性部長
先日、池田華陽会のメンバーから、"仏法対話し、友人が入会を決意しました!"との喜びの報告を伺いました。
今、各地の池田華陽会が、はつらつと前進し、女性部の桜梅桃李のスクラムが躍動しています。
喜びの春へ、富木尼御前を励まされた大確信の一節を拝します。
日蓮大聖人は、病気がちだった富木尼御前に、"女人成仏の道を開いた「竜女」の跡を継ぎ、必ず成仏できる"と、魂を揺さぶるように激励されます。
さらに、未来には成仏して、"一切衆生が喜んでお会いしたいと願う仏"(一切衆生喜見如来)として敬愛された摩訶波舎波提比丘尼と同列に連なるとまで仰せです。
"絶対に幸せになれる。勝利できる。何も心配ない"——病と闘う彼女の不安を打ち破り、境涯をパッと開かれるような大聖人のお言葉です。けなげに信心を貫いていた尼御前は、どれほど勇気づけられたことでしょう。
永遠に崩れることのない成仏の大境涯を開く源こそ、「あらうれし、あらうれし」との、大確信と大歓喜の祈りであることを心に刻んでいきたいと思います。
◇仏界を自由自在に
「日蓮仏法は、何かにすがるような弱々しい信仰ではありません」——池田先生は御文を拝し、このように講義されています。
私自身、祈りの姿勢を一変させることができた体験があります。
支部婦人部長(当時)だった時、広布拡大に挑むも、弘教が進まず、悩んだことがありました。祈っても祈っても結果に結び付かず、"こんなに頑張っているのに、どうして?"と、苦しくなっていきました。
そんな時、会合で、ある方の"どれだけ題目を唱えれば祈りがかなうのでしょうか"との質問に、幹部の方が答えているのを聞きました。
"策や方法ではなく、あなたが「題目しかない」と確信して祈っているかどうか。その一念が大事ですよ"
目からうろこが落ちる思いでした。結果を焦るあまり、"かなう・かなわない"にばかり執着している自分に気付いたのです。
"そうだ! 広布のため、師匠のためにと題目を唱えている。友人を幸せにしようと悩んで祈っている。この地涌の菩薩の祈りがかなわないわけがない!"——命の底から喜びが込み上げ、歓喜と感謝の祈りに徹することができました。
そして、会合から帰ったその日に、友好を深めてきた友人に対話すると、入会を希望されたのです。
以来、その歓喜のままに同志の皆さんを励ます中で、次々と弘教が実っていきました。あれだけ悩んでいたことがうそのように、壁を破る拡大を果たせたのです。
確信と歓喜の祈りに勝るものはありません。
先生は、私たちに具わる何ものにも負けない仏の生命を、「内発の力」と表現されています。「仏界の生命という『内発の力』は、誰も、何者も、奪い去ることはできません」「負けずに祈り抜く。その心が、すでに仏です。断固として現実の勝利となって現れていきます」
そして、諸天を揺り動かすような誓願の祈りこそが、「わが胸中の仏の生命を自由自在に現していく」要諦であることを教えてくださっています。
◇広布の勝利の峰へ
今、神奈川の女性部の友が、各地で「二月闘争」の先頭を走っています。そこにはコロナ禍をはじめ、いかなる試練にも負けない、誓願の祈りが光っています。
ある地域の圏女性部長は、息子さんの不登校やご両親の介護、大好きだったお姉さんの逝去と、幾度も試練の風雪に襲われました。"もう立ち上がれない"とさえ思ったこともありましたが、師匠と同志の励ましに支えられ、今こそ「まことの時」と、宿命を使命に変える題目で立ち上がってこられました。
全てを勝ち越えてきた彼女の圏では、小説『新・人間革命』を学びながら前進。多くの友が、さまざまな困難に直面しながらも、"今こそ宿命転換の好機"と、希望を胸に生き生きと広布拡大に駆けています。
70周年の「二月闘争」から、「3・16」へ。そして本年の広布勝利の峰へ。
誓願の祈りを根本に、正義と勇気の師子吼で、師弟共戦の凱歌のドラマをつづっていきましょう!
◇メモ
「富木尼御前御返事」は、建治2年(1276年)3月、下総国(千葉県北部など)の門下・富木常忍の妻である尼御前に宛てられた御消息である。夫の富木常忍が亡き母の遺骨を奉じて、身延の日蓮大聖人をお訪ねした折、富木常忍に託して病身の尼御前に与えられた。
2022年2月12日土曜日
2022.02.12 わが友に贈る
「一は万が母」だ。
決意に燃えた一人から
広宣流布の波動が起きる。
本部幹部会の視聴から
わが二月闘争を堂々と!
松野殿御返事 P1382
『忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり』
【通解】
絶対に、法華経を受持する者を互にそしることがあってはならない。その理由は、法華経を持つ者は必ず皆仏なのであり、仏をそしれば罪を得るからである。
名字の言 "宇宙の始まりの音"を受信できる? 2022年2月12日
昔ながらのラジオを使うと、パチパチという雑音が時折入る。その中に、宇宙誕生の起源とされる「ビッグバン」の名残が含まれていると聞いて驚いた▼138億年前の大爆発の際、宇宙は超高温の光に満ちていた。その光の名残が電磁波となって、地球に届いているという。これを宇宙背景放射と呼ぶ。"宇宙の始まりの音"を今も受信できると思うと胸が躍る▼とはいえ、ビッグバンによる宇宙誕生説は確定した理論ではない。大爆発以前にも何らかの形で宇宙は存在し、永遠の時を刻んでいるとする説もある。池田先生が対談した天文学者のウィックラマシンゲ博士も「宇宙は無限」だと主張していた▼仏法において宇宙は「無始無終」であり、人間の生命は宇宙と一体だと見る。先生は折に触れ、妙法の功力をラジオやテレビの電波に例えて語ってきた。電波のように目に見えないが、宇宙には仏の大生命力が遍満している。「この仏界に、自分のチャンネルを合わせることを、仏道修行という」と▼御書に「題目を唱え奉る音は、十方世界にとずかずという処なし」(新1121・全808)と仰せである。星冴ゆる季節に、友の心に届けと、祈りと語らいを重ねる。何と美しい広布のロマンだろう。
寸鉄 2022年2月12日
「悪は多けれども、一善にかつことなし」御書。信心の団結は嵐に負けず(新2055・全1463)
尊き「新聞長」の奮闘に感謝。皆様の労苦ありて"師弟の言論城"は発展
なりたいと思う方向へ進めるのが妙法—戸田先生根本は御本尊への強き信
感染禍で人間の安全保障に再び脚光と。"一人"の尊厳と幸福が時代の焦点
漏洩最多のパスワードは「123456」と。危険軽視せず。設定を再確認
〈社説〉 2022・2・12 あす「世界ラジオデー」
◇心のこもった声が人を元気に
「世界ラジオデー」は1946年(昭和21年)2月13日、国連による放送が始まったことを記念したもの。日本のラジオ放送の始まりは1925年(大正14年)3月である。
テレビやパソコンの普及により、一時は"ラジオ離れ"が指摘されたが、近年は、インターネットラジオが登場し、ラジオのリスナーは増加傾向にある。
特にコロナ禍による"巣ごもり需要"も相まって、スマートフォンでラジオを聴けるサービス「radiko(ラジコ)」の月間ユーザー数は、一昨年の数カ月間だけで150万人も増加したという。radikoの青木貴博社長は、コロナ禍の中でラジオは「生活者に精神的な癒やしを与える役割を果たした」と強調する。
本紙でも昨年2月から、ポッドキャスト番組「ラジオ SEIKYO LABO」がスタート。これまでに22回配信し、紙面制作への熱い思いを担当記者の「声」にして届けてきた。
新聞校閲、紙面レイアウト、方面・県版の取材秘話など、毎回テーマを変えて行われるトークは「聖教を何倍も楽しめる」と好評だ。特に、出演した記者の声に「元気をもらった」との感想が多い。中には、入院中の病室や治療の前に聴いているというリスナーもいた。
聞き手は、声から話し手の心を読み取ることができる。例えば、声が上ずったり、小さくなったりするときは、自信がないことが伝わる。感情を抑えても、声のトーンで分かってしまう場合もある。
同じ言葉であっても、どんな思いで発しているのか、声からその心が読み取れる。ラジオなどの音声メディアが、情報収集のツールとしてよりも、人の体温まで伝えられるメディアとして見直される理由もそこにあろう。
池田先生は『青年抄』の中で「言葉の力は 心で決まる/心が根底にあるから/言葉が生きてくる/同じことを言っても/言う人の心の深さで/まったく力は違ってくる」と述べている。
コロナ禍で、多くの人が不安や不自由を感じている。直接会えなくても、SNSや電話などの通信手段を駆使すれば、心のこもった声を友に届けることはできる。
励ましを送りたい相手のことを思い浮かべ、希望と勇気を生む言葉を発信していきたい。
☆御書と未来へ 第5回 華陽の宝友に幸薫れ
〈御文〉
『この法華経ばかりに、この経を持つ女人は一切の女人にすぎたるのみならず、一切の男子にこえたりとみえて候』(四条金吾殿女房御返事、新1542・全1134)
〈通解〉
この法華経のみには、この経を受持する女性は、一切の女性よりすぐれているだけでなく、一切の男性を超えている、と説かれています。
〈池田先生が贈る指針〉
全ての女性が幸福で、一人ももれなく尊厳に輝け! これが御本仏のお心であり、創価の師弟の誓願である。
妙法と生きゆく青春に不幸はない。必ず自分らしく勝ち光り、和楽と福徳の境涯を開けるのだ。
華陽姉妹こそ、第一の希望の翼である。朗らかに桜梅桃李の連帯を広げ、生命の大歓喜の飛躍を平和の明日へ!
☆2月度座談会拝読御書 一生成仏抄
◇御文
『衆生というも仏というも、またかくのごとし。迷う時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。譬えば、闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるがごとし。只今も、一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。これを磨かば、必ず法性真如の明鏡と成るべし。
深く信心を発して、日夜朝暮にまた懈らず磨くべし。いかようにしてか磨くべき。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、これをみがくとはいうなり。』(御書新版317ページ12行目〜17行目、御書全集384ページ2行目〜5行目)
◇[池田先生の指針から]仏界涌現の直道
日蓮大聖人の仏法の唱題行は、自身の生命変革をもたらす最高の仏道修行です。また、題目を唱えることは、自身の仏の生命を呼び覚ますことです。唱題こそが仏界涌現の直道です。
涌現された仏の智慧と慈悲の生命は、自身の生命境涯を豊かにし、自他ともの幸福を実現していく。さらに、自行化他の唱題が広がっていけば、仏の慈悲の生命に彩られた民衆の連帯が可能になり、人類の宿命をも転換していけるのです。
◇ ◇ ◇
「妙法」は、万人の苦悩を除く大良薬である。また、万人の幸福を実現する大宝蔵です。その妙法を根本に、そして妙法に徹して、生ききるのです。自身の生命を妙法に染め上げるのです。自身の生命を妙法で固めるのです。
私たちの現実は、次から次へ悩みがある。しかし、自分が妙法蓮華経であると定めて、"いかなる苦難も乗り越えていける""断じて幸福を勝ち取っていくことができる"との大確信で、すべてに向かって勇敢に挑戦していくことです。
「我は妙法蓮華経なり」との深い信心を貫くならば、勇気をもって、いかなる課題にも挑戦していける。勇気を現していけるかどうか、そこに人生の勝利の鍵があります。(中略)
どのような障魔が競い起こっても、一歩も退かない。驚かない。何事にも打ち勝っていけるのが、妙法蓮華経です。それを深く確信することが大事なのです。(『池田大作全集』第34巻「『一生成仏抄』講義」)
◇不退の信心貫き 幸福境涯を築く
[キーワード�]一念を転換する祈り
いかなる迷いの生命も、苦悩に満ちた環境も、自らの一念の転換によって、希望の方向へ、幸福の方向へと必ず変えていくことができる——その根幹が、南無妙法蓮華経の「唱題行」です。
拝読御文の直前で日蓮大聖人は、仏の住む国土である「浄土」といっても、苦悩が充満する「穢土」といっても、別々の国土があるわけではなく、そこに住む私たちの「心の善悪」によって、違いが現れると仰せです。同様に、「衆生(凡夫)」と「仏」も別々の存在ではなく、生命状態が、「迷い」であるか、「悟り」であるかの違いであると示されます。
その例えとして、拝読御文では「鏡」を挙げられています。曇っている鏡でも、よくものを映す鏡でも、鏡であることには変わりません。「これを磨かば、必ず法性真如の明鏡と成るべし」と仰せのように、私たちは南無妙法蓮華経の唱題行を実践することで、無明に覆われた生命を磨き、本来具わっている悟りの生命を顕していくことができるのです。
そもそも、法華経以前の爾前経では、九界の迷いの生命を断じ尽くさなければ、成仏はできないとされていました。一方、法華経では、万人に等しく仏性が具わっていることが説かれ、凡夫がその身のままで、今世において成仏できるという、一生成仏の法理が明かされています。
成仏とは、自らの内に仏の生命を開くことです。唱題行の実践を貫く中に、絶対的な幸福境涯を築く道はあるのです。
[キーワード�]たゆまず題目を
本抄では、「唱題行」の姿勢として、「深く信心を発して」「日夜朝暮にまた懈らず」との二つの要点が示されています。すなわち、日蓮仏法においては、どこまでも"強盛な信心"を奮い起こすこと、そして"持続の信心"を貫くことが、成仏の何よりの肝要です。
とはいえ、日頃から信心に励んでいたとしても、時に思いもよらない試練に直面して、"自分には無理だ"と諦めて無気力に陥ることや、"信心しているのに、なぜ?"と葛藤することもあるでしょう。
大聖人は「月々日々につより給え。すこしもたゆむ心あらば、魔たよりをうべし」(新1620・全1190)と仰せです。広布も人生も、一日一日が、成仏を妨げようとする障魔との絶えざる戦いと言えます。
大事なことは、困難の時こそ、勇気を出して御本尊の前に座り、真剣に題目を唱えることです。そうすることで、「試練は宿命転換の好機」との確信が深まり、不退の心で困難に立ち向かい、乗り越えていけます。そして必ず、幸福をつかんでいくことができるのです。
池田先生は語っています。
「題目は『前進』の力です。題目は『勝利』の力です。あらゆる戦いは、まず祈ることから始まります。題目を唱えぬいた人には、誰もかないません」
栄光の人生を築く一切の原動力は、強盛な祈りである——。そう確信して、いかなる時も、たゆまず題目を唱えながら、日々、朗らかに前進していきましょう。
決意に燃えた一人から
広宣流布の波動が起きる。
本部幹部会の視聴から
わが二月闘争を堂々と!
松野殿御返事 P1382
『忘れても法華経を持つ者をば互に毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり』
【通解】
絶対に、法華経を受持する者を互にそしることがあってはならない。その理由は、法華経を持つ者は必ず皆仏なのであり、仏をそしれば罪を得るからである。
名字の言 "宇宙の始まりの音"を受信できる? 2022年2月12日
昔ながらのラジオを使うと、パチパチという雑音が時折入る。その中に、宇宙誕生の起源とされる「ビッグバン」の名残が含まれていると聞いて驚いた▼138億年前の大爆発の際、宇宙は超高温の光に満ちていた。その光の名残が電磁波となって、地球に届いているという。これを宇宙背景放射と呼ぶ。"宇宙の始まりの音"を今も受信できると思うと胸が躍る▼とはいえ、ビッグバンによる宇宙誕生説は確定した理論ではない。大爆発以前にも何らかの形で宇宙は存在し、永遠の時を刻んでいるとする説もある。池田先生が対談した天文学者のウィックラマシンゲ博士も「宇宙は無限」だと主張していた▼仏法において宇宙は「無始無終」であり、人間の生命は宇宙と一体だと見る。先生は折に触れ、妙法の功力をラジオやテレビの電波に例えて語ってきた。電波のように目に見えないが、宇宙には仏の大生命力が遍満している。「この仏界に、自分のチャンネルを合わせることを、仏道修行という」と▼御書に「題目を唱え奉る音は、十方世界にとずかずという処なし」(新1121・全808)と仰せである。星冴ゆる季節に、友の心に届けと、祈りと語らいを重ねる。何と美しい広布のロマンだろう。
寸鉄 2022年2月12日
「悪は多けれども、一善にかつことなし」御書。信心の団結は嵐に負けず(新2055・全1463)
尊き「新聞長」の奮闘に感謝。皆様の労苦ありて"師弟の言論城"は発展
なりたいと思う方向へ進めるのが妙法—戸田先生根本は御本尊への強き信
感染禍で人間の安全保障に再び脚光と。"一人"の尊厳と幸福が時代の焦点
漏洩最多のパスワードは「123456」と。危険軽視せず。設定を再確認
〈社説〉 2022・2・12 あす「世界ラジオデー」
◇心のこもった声が人を元気に
「世界ラジオデー」は1946年(昭和21年)2月13日、国連による放送が始まったことを記念したもの。日本のラジオ放送の始まりは1925年(大正14年)3月である。
テレビやパソコンの普及により、一時は"ラジオ離れ"が指摘されたが、近年は、インターネットラジオが登場し、ラジオのリスナーは増加傾向にある。
特にコロナ禍による"巣ごもり需要"も相まって、スマートフォンでラジオを聴けるサービス「radiko(ラジコ)」の月間ユーザー数は、一昨年の数カ月間だけで150万人も増加したという。radikoの青木貴博社長は、コロナ禍の中でラジオは「生活者に精神的な癒やしを与える役割を果たした」と強調する。
本紙でも昨年2月から、ポッドキャスト番組「ラジオ SEIKYO LABO」がスタート。これまでに22回配信し、紙面制作への熱い思いを担当記者の「声」にして届けてきた。
新聞校閲、紙面レイアウト、方面・県版の取材秘話など、毎回テーマを変えて行われるトークは「聖教を何倍も楽しめる」と好評だ。特に、出演した記者の声に「元気をもらった」との感想が多い。中には、入院中の病室や治療の前に聴いているというリスナーもいた。
聞き手は、声から話し手の心を読み取ることができる。例えば、声が上ずったり、小さくなったりするときは、自信がないことが伝わる。感情を抑えても、声のトーンで分かってしまう場合もある。
同じ言葉であっても、どんな思いで発しているのか、声からその心が読み取れる。ラジオなどの音声メディアが、情報収集のツールとしてよりも、人の体温まで伝えられるメディアとして見直される理由もそこにあろう。
池田先生は『青年抄』の中で「言葉の力は 心で決まる/心が根底にあるから/言葉が生きてくる/同じことを言っても/言う人の心の深さで/まったく力は違ってくる」と述べている。
コロナ禍で、多くの人が不安や不自由を感じている。直接会えなくても、SNSや電話などの通信手段を駆使すれば、心のこもった声を友に届けることはできる。
励ましを送りたい相手のことを思い浮かべ、希望と勇気を生む言葉を発信していきたい。
☆御書と未来へ 第5回 華陽の宝友に幸薫れ
〈御文〉
『この法華経ばかりに、この経を持つ女人は一切の女人にすぎたるのみならず、一切の男子にこえたりとみえて候』(四条金吾殿女房御返事、新1542・全1134)
〈通解〉
この法華経のみには、この経を受持する女性は、一切の女性よりすぐれているだけでなく、一切の男性を超えている、と説かれています。
〈池田先生が贈る指針〉
全ての女性が幸福で、一人ももれなく尊厳に輝け! これが御本仏のお心であり、創価の師弟の誓願である。
妙法と生きゆく青春に不幸はない。必ず自分らしく勝ち光り、和楽と福徳の境涯を開けるのだ。
華陽姉妹こそ、第一の希望の翼である。朗らかに桜梅桃李の連帯を広げ、生命の大歓喜の飛躍を平和の明日へ!
☆2月度座談会拝読御書 一生成仏抄
◇御文
『衆生というも仏というも、またかくのごとし。迷う時は衆生と名づけ、悟る時をば仏と名づけたり。譬えば、闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるがごとし。只今も、一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。これを磨かば、必ず法性真如の明鏡と成るべし。
深く信心を発して、日夜朝暮にまた懈らず磨くべし。いかようにしてか磨くべき。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、これをみがくとはいうなり。』(御書新版317ページ12行目〜17行目、御書全集384ページ2行目〜5行目)
◇[池田先生の指針から]仏界涌現の直道
日蓮大聖人の仏法の唱題行は、自身の生命変革をもたらす最高の仏道修行です。また、題目を唱えることは、自身の仏の生命を呼び覚ますことです。唱題こそが仏界涌現の直道です。
涌現された仏の智慧と慈悲の生命は、自身の生命境涯を豊かにし、自他ともの幸福を実現していく。さらに、自行化他の唱題が広がっていけば、仏の慈悲の生命に彩られた民衆の連帯が可能になり、人類の宿命をも転換していけるのです。
◇ ◇ ◇
「妙法」は、万人の苦悩を除く大良薬である。また、万人の幸福を実現する大宝蔵です。その妙法を根本に、そして妙法に徹して、生ききるのです。自身の生命を妙法に染め上げるのです。自身の生命を妙法で固めるのです。
私たちの現実は、次から次へ悩みがある。しかし、自分が妙法蓮華経であると定めて、"いかなる苦難も乗り越えていける""断じて幸福を勝ち取っていくことができる"との大確信で、すべてに向かって勇敢に挑戦していくことです。
「我は妙法蓮華経なり」との深い信心を貫くならば、勇気をもって、いかなる課題にも挑戦していける。勇気を現していけるかどうか、そこに人生の勝利の鍵があります。(中略)
どのような障魔が競い起こっても、一歩も退かない。驚かない。何事にも打ち勝っていけるのが、妙法蓮華経です。それを深く確信することが大事なのです。(『池田大作全集』第34巻「『一生成仏抄』講義」)
◇不退の信心貫き 幸福境涯を築く
[キーワード�]一念を転換する祈り
いかなる迷いの生命も、苦悩に満ちた環境も、自らの一念の転換によって、希望の方向へ、幸福の方向へと必ず変えていくことができる——その根幹が、南無妙法蓮華経の「唱題行」です。
拝読御文の直前で日蓮大聖人は、仏の住む国土である「浄土」といっても、苦悩が充満する「穢土」といっても、別々の国土があるわけではなく、そこに住む私たちの「心の善悪」によって、違いが現れると仰せです。同様に、「衆生(凡夫)」と「仏」も別々の存在ではなく、生命状態が、「迷い」であるか、「悟り」であるかの違いであると示されます。
その例えとして、拝読御文では「鏡」を挙げられています。曇っている鏡でも、よくものを映す鏡でも、鏡であることには変わりません。「これを磨かば、必ず法性真如の明鏡と成るべし」と仰せのように、私たちは南無妙法蓮華経の唱題行を実践することで、無明に覆われた生命を磨き、本来具わっている悟りの生命を顕していくことができるのです。
そもそも、法華経以前の爾前経では、九界の迷いの生命を断じ尽くさなければ、成仏はできないとされていました。一方、法華経では、万人に等しく仏性が具わっていることが説かれ、凡夫がその身のままで、今世において成仏できるという、一生成仏の法理が明かされています。
成仏とは、自らの内に仏の生命を開くことです。唱題行の実践を貫く中に、絶対的な幸福境涯を築く道はあるのです。
[キーワード�]たゆまず題目を
本抄では、「唱題行」の姿勢として、「深く信心を発して」「日夜朝暮にまた懈らず」との二つの要点が示されています。すなわち、日蓮仏法においては、どこまでも"強盛な信心"を奮い起こすこと、そして"持続の信心"を貫くことが、成仏の何よりの肝要です。
とはいえ、日頃から信心に励んでいたとしても、時に思いもよらない試練に直面して、"自分には無理だ"と諦めて無気力に陥ることや、"信心しているのに、なぜ?"と葛藤することもあるでしょう。
大聖人は「月々日々につより給え。すこしもたゆむ心あらば、魔たよりをうべし」(新1620・全1190)と仰せです。広布も人生も、一日一日が、成仏を妨げようとする障魔との絶えざる戦いと言えます。
大事なことは、困難の時こそ、勇気を出して御本尊の前に座り、真剣に題目を唱えることです。そうすることで、「試練は宿命転換の好機」との確信が深まり、不退の心で困難に立ち向かい、乗り越えていけます。そして必ず、幸福をつかんでいくことができるのです。
池田先生は語っています。
「題目は『前進』の力です。題目は『勝利』の力です。あらゆる戦いは、まず祈ることから始まります。題目を唱えぬいた人には、誰もかないません」
栄光の人生を築く一切の原動力は、強盛な祈りである——。そう確信して、いかなる時も、たゆまず題目を唱えながら、日々、朗らかに前進していきましょう。
2022年2月11日金曜日
2022.02.11 わが友に贈る
師弟の誓いに生きる
人生は強く朗らか!
どんな壁も打ち破れる。
常に心で師と対話し
不二の広布の大道を!
乙御前御消息 P1220
『一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり』
【通解】
一隻の船に乗りあわせてしまえば、もし船頭の舵取りが悪ければ一同に船中の人びとは命を損なってしまうでしょう。またどんなに体が強くても心が弱ければ多くの能力があってもなんの役にも立ちません。
【先生の指導】
リーダーの責任は重大である。だれが、どう頑張っているか、何が課題なのか─すべてを緻密につかんでいなければ、広宣流布の″将の将″は務まらない。一切はリーダーの勝利への執念で決まるのである。
戸田先生は語っておられた。
「本当に苦労した幹部、本当に磨き上げた幹部、そういうものに、一人一人がなっていただいて、御本尊にほめられるようになろうではないか」
「折伏に信心に、純真な態度をとり、『さすがに信心していればこそ、ああなられたのだ』という手本をとれば、その姿が真に折伏になっている」
仏法は勝負である。自分に勝ち、社会に勝ち、人生に勝つ。その力を、実証を必ずつかんでいけるのが、日蓮大聖人の仏法である。
「私は勝った!」「この勝利の姿を見よ!」
こう叫べる人生は幸福である。人間王者である。
名字の言 豪雪地の球児が壁破り初の甲子園へ 2022年2月11日
来月開催される第94回選抜高校野球大会に、福島県の只見高校が「21世紀枠」で初出場する。先日、只見町に暮らす同志に電話をした▼「ロードワークをする野球部員に道で出会うと、皆が元気にあいさつをしてくる。その彼らが甲子園に行く!」と大変な喜びようだった。人口4000人弱で高齢化も進む町にあって、15人の野球部員の存在は"町民の希望"に違いない▼只見町はこの冬も大人の背丈を越す積雪だという。先の友は「毎日、雪を掘ってるよ」と。一般に言う「雪かき」程度では、"雪の壁"に閉ざされたままとのことだった▼只見高校の出身のある男子部員。彼は地元のスポーツ少年団の野球チームで監督などを歴任してきた。豪雪地の球児たちは、長い冬に練習環境が制限されるなど、試練の壁も多い。だが彼は「環境の有利、不利が一番の問題ではない。心と体を鍛え、全てに打ち勝つ強い人に!」と歴代のメンバーを育てた。実はその頃の少年たちが今春、只見高校の野球部員として"夢の舞台"を駆ける▼不遇の環境を嘆き、「とても無理だ。できるわけがない」と諦めてしまえば、壁は破れない。道も開けない。究極は"人数"ではない。"本気の人"が奮い立てば歴史は変わる。
寸鉄 2022年2月11日
人間革命は全ての人々の究極目的—元国連次長。恒久平和築く根本の哲学
国際部結成の日。語学と人格で心の"懸け橋"を。希望の世界市民と輝け!
善きことは飾り気がなく目立たぬ—文豪。陰の人に感謝し称えゆく幹部に
人との交流は脳の健康を保つ—医師。若々しく友情を広げる多宝会が証明
首都圏などで雪の影響続く。路面凍結による転倒に注意。余裕ある行動を
〈社説〉 2022・2・11 きょう戸田城聖先生の生誕日
◇「一人立つ精神」の継承を
氷雪もとかす熱気で折伏・弘教のドラマが相次ぐ70周年の伝統の2月。日蓮大聖人が御聖誕され、第2代会長・戸田城聖先生が生まれたこの月、先生の生誕地・石川でも誓願の同志が躍動している。
これまで13世帯の折伏を成就してきた加賀市の男子部リーダーは、本年も拡大の突破口を開こうとモバイルSTBを活用。1月の本部幹部会を22人と視聴し、そのうち3人と唱題を継続するなど仏縁を大きく広げている。
また、リーダー率先の戦いに触発を受け、聖教新聞の購読を推進した友や、勇気の対話で友人が入会を決意した男子部大学校生など、それぞれが自身の新たな「二月闘争」の歴史を刻んでいる。
きょう2月11日は、戸田先生の生誕日である。先生は戦時下の軍部政府の弾圧で壊滅した学会を再建するため、敗戦後の焦土に、ただ一人立ち上がられた。自作の「同志の歌」には、「妙法流布の 大願を 高くかかげて 独り立つ」とうたわれ、同時に「旗持つ若人」に「競うて来たれ 速やかに」と呼び掛けられている。
一人立つ師子に呼応し、共戦の師子が立つ。先生はこの大確信で、病気や貧困にあえぐ庶民の中に飛び込み、人間革命の哲理を教え、生きる勇気を送り、女性の幸福を願い、青年の奮起を期待された。この恩師と、不二の弟子・池田先生の大闘争があったればこそ、今日の創価の民衆城が築かれたことに深く感謝し、"広布の誓願"に生き抜く師弟の魂を継承していきたい。
3月の青年部幹部会を目指し、青年部の友が、小説『新・人間革命』の研さんに励んでいる。第8巻「宝剣」の章では、山本伸一が戸田先生から受け継いだ「一人立つ精神」の重要性を語る。
「広宣流布を推進する責任は、自分にあるということを決意していただきたい」「青年ならば、一人立つことだ。そこから、すべては変わっていく」と。大切なのは、広布のために、師と共に戦おうと一人立つことである。
師匠ならば、どうされるか——常にその思索を重ね、広布にまい進する中に、「一人立つ精神」の継承があろう。そして、この魂を次の世代に伝えていくのが、師と同じ時代に生き、薫陶を受けてきた私たちの使命と責任である。
今こそ一人一人が"新時代の山本伸一"との自覚に立ち、地域に模範の広布城を築いていきたい。
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 青年の心
◇新しい力が壁を破る!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。今回は折々の随筆から、「青年」に関する言葉を掲載します。
子よ大樹と仰ぎ見む
私は、恩師に見出され、「嵐に負けずに伸びよ」と、師弟の大地に植えられた一本の若木であった。
わが心に原点の大地を持つゆえに、私はいかなる苦難も耐えられる。絶対に負けない。恐れない。
一日一日、青年の心をもって、胸中で師匠・戸田先生と対話しながら、新たな決意を燃やして生き抜き、戦い抜いてきた。
だから勝った。だから、全民衆を護りゆく「大樹」の創価学会を築くことができた。一点の後悔もない。
そして、わが愛する青年諸君こそ、私が生命を注いで鍛え磨いた、正義の宝剣である。私が未来の世界に贈る、希望の大樹なのだ!
共に歌ってきた「紅の歌」に私は詠んだ。
「子よ大樹と仰ぎ見む」
私は君たちを信ずる!
君たちの成長と勝利を、悔いなき人生を、私はひたすらに祈り待っている!
(『随筆 平和への大道』、125ページ)
◇一対一の結びつきで
蒲田支部の二月闘争は、七十五万世帯の折伏への突破口を開いた。それは、いわゆる組織を動かした成果ではなかった。
この時、私は二十四歳の無名の青年にすぎない。
支部の壮年、婦人には、初対面の方々も多かった。
お会いして、誠実に語り合わずして、どうして信頼されようか。自分が真剣に戦わずして、どうして共に動いていただけようか。
だから私は勇んで飛び込んでいった。自身の悩みや宿命と必死に戦う人間群の真っ直中へ! かけがえのない一人ひとりの生命と向き合い、心に訴えた。人間革命と広宣流布の誓願に生き抜く尊き使命と喜びを!
この一対一の人間の結びつきを根幹として、新たな人材を見つけ、励ましを送り続けたのだ。
その結果、かつてない多くの友が折伏に挑戦し、同志の行くところ、集うところ、対話の花が咲いた。この一カ月、蒲田の同志が繰り広げた対話は、何千回にも及んだに違いない。
「新しい人」「新しい力」による「新しい対話」が、爆発的に広がった。まさに地涌の底力によって、壁は破られ、「新しい歴史」の扉が開かれたのである。
(『随筆 民衆凱歌の大行進』、223ページ)
◇消えることなき聖火
繰り返し繰り返し、御書を拝し、一節一節を行動に移していくことだ。
そうすれば生命が覚えていく。確信になっていく。深く「心肝」に染めた御文は、必ず人生勝利の土台となり、宿命転換の力となる。
御書に仰せではないか。
「法華経にそめられ奉れば必ず仏になる」(全1474・新1951)
「此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし」(全1448・新1721)
自分自身が、いかなる人生の荒波も乗り越えながら、多くの友を幸福の港へと運ぶ、偉大な賢者の大船となれるのだ。
「御書とともに」走った青春には、生涯消えることなき聖火が宿る。その求道の炎を、いやまして燃え上がらせ、未来の広布の大指導者として羽ばたけと願ってやまない。
(『随筆 我らの勝利の大道』、90ページ)
◇「負けじ魂」持つ闘士
それぞれの誓願の国土においても、使命の人生においても、艱難があり、試練がある。しかし学会っ子は、大変であればあるほど、勇み立つ「負けじ魂」を持った闘士である。
大聖人は、あらゆる大難を乗り越え、末法広宣流布を担う「地涌の菩薩」について、「よくよく心を鍛えられた菩薩なのであろう」(全1186・新1608、通解)と述べられている。
苦難に負けないこと、屈しないこと、そして乗り越えること——それは言い換えれば、本来、鍛え抜かれた偉大な生命を持っているということなのである。
地涌の生命の底力が、どれほど深く、どれほど強く、どれほど大きいか。
御書には、ありとあらゆる大難の怒濤を勝ち越えていく力を、厳然と記し留めてくださっている。
眼を開いて見れば、皆が大聖人に直結する、尊貴な地涌の菩薩なのである。
あの凜々しい青年も!
あの清々しい乙女も!
いかに時代の混迷の闇が深くとも、胸中に希望の光を抱いて、創価の青年たちは粘り強く、前へ前へと歩みを進めていくのだ。
(『随筆 希望の大道』、42ページ)
◇「つねに伸びていく」
思えば、先師・牧口常三郎先生は、晩年まで「われわれ青年は!」と叫び、「暦の年じゃない。つねに伸びていくのだ」と言われていた。
牧口先生が、青年の青年たる所以とされていたのは「実践」であり、なかんずく「大善」を行うことであった。
すなわち、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を持ち、日蓮大聖人の立正安国の教えを実践し、弘めゆく「大善」である。広宣流布という菩薩の行に生き抜く中に、自他共の幸福が、そして社会の平和と繁栄があると、先師は訴えられたのだ。
牧口先生が創立以来の伝統の座談会を、「大善生活法実証座談会」と銘打たれたのは、七十五年前(2017年当時)の一九四二年(昭和十七年)の二月であった。
当時の創価教育学会の機関紙「価値創造」には、東京の大塚支部、池袋支部、中野支部、北多摩支部など各地で、活発に実証座談会が行われていたことがうかがえる。
牧口先生自ら蒲田支部等の座談会に足を運び、同志の悩みに耳を傾けながら励ましを送られたという記録も残っている。
この年の二月十一日、つまり戸田先生の誕生日に、牧口先生は青年部の会合に出席し、明治維新の立役者が二十代の若者だったことを通して激励された。"広宣流布は、青年のリーダーシップによらねばならない"と。それは、戸田先生が常に語られた言葉でもある。
(『随筆 永遠なれ創価の大城』、174ページ)
人生は強く朗らか!
どんな壁も打ち破れる。
常に心で師と対話し
不二の広布の大道を!
乙御前御消息 P1220
『一つ船に乗りぬれば船頭のはかり事わるければ一同に船中の諸人損じ又身つよき人も心かひなければ多くの能も無用なり』
【通解】
一隻の船に乗りあわせてしまえば、もし船頭の舵取りが悪ければ一同に船中の人びとは命を損なってしまうでしょう。またどんなに体が強くても心が弱ければ多くの能力があってもなんの役にも立ちません。
【先生の指導】
リーダーの責任は重大である。だれが、どう頑張っているか、何が課題なのか─すべてを緻密につかんでいなければ、広宣流布の″将の将″は務まらない。一切はリーダーの勝利への執念で決まるのである。
戸田先生は語っておられた。
「本当に苦労した幹部、本当に磨き上げた幹部、そういうものに、一人一人がなっていただいて、御本尊にほめられるようになろうではないか」
「折伏に信心に、純真な態度をとり、『さすがに信心していればこそ、ああなられたのだ』という手本をとれば、その姿が真に折伏になっている」
仏法は勝負である。自分に勝ち、社会に勝ち、人生に勝つ。その力を、実証を必ずつかんでいけるのが、日蓮大聖人の仏法である。
「私は勝った!」「この勝利の姿を見よ!」
こう叫べる人生は幸福である。人間王者である。
名字の言 豪雪地の球児が壁破り初の甲子園へ 2022年2月11日
来月開催される第94回選抜高校野球大会に、福島県の只見高校が「21世紀枠」で初出場する。先日、只見町に暮らす同志に電話をした▼「ロードワークをする野球部員に道で出会うと、皆が元気にあいさつをしてくる。その彼らが甲子園に行く!」と大変な喜びようだった。人口4000人弱で高齢化も進む町にあって、15人の野球部員の存在は"町民の希望"に違いない▼只見町はこの冬も大人の背丈を越す積雪だという。先の友は「毎日、雪を掘ってるよ」と。一般に言う「雪かき」程度では、"雪の壁"に閉ざされたままとのことだった▼只見高校の出身のある男子部員。彼は地元のスポーツ少年団の野球チームで監督などを歴任してきた。豪雪地の球児たちは、長い冬に練習環境が制限されるなど、試練の壁も多い。だが彼は「環境の有利、不利が一番の問題ではない。心と体を鍛え、全てに打ち勝つ強い人に!」と歴代のメンバーを育てた。実はその頃の少年たちが今春、只見高校の野球部員として"夢の舞台"を駆ける▼不遇の環境を嘆き、「とても無理だ。できるわけがない」と諦めてしまえば、壁は破れない。道も開けない。究極は"人数"ではない。"本気の人"が奮い立てば歴史は変わる。
寸鉄 2022年2月11日
人間革命は全ての人々の究極目的—元国連次長。恒久平和築く根本の哲学
国際部結成の日。語学と人格で心の"懸け橋"を。希望の世界市民と輝け!
善きことは飾り気がなく目立たぬ—文豪。陰の人に感謝し称えゆく幹部に
人との交流は脳の健康を保つ—医師。若々しく友情を広げる多宝会が証明
首都圏などで雪の影響続く。路面凍結による転倒に注意。余裕ある行動を
〈社説〉 2022・2・11 きょう戸田城聖先生の生誕日
◇「一人立つ精神」の継承を
氷雪もとかす熱気で折伏・弘教のドラマが相次ぐ70周年の伝統の2月。日蓮大聖人が御聖誕され、第2代会長・戸田城聖先生が生まれたこの月、先生の生誕地・石川でも誓願の同志が躍動している。
これまで13世帯の折伏を成就してきた加賀市の男子部リーダーは、本年も拡大の突破口を開こうとモバイルSTBを活用。1月の本部幹部会を22人と視聴し、そのうち3人と唱題を継続するなど仏縁を大きく広げている。
また、リーダー率先の戦いに触発を受け、聖教新聞の購読を推進した友や、勇気の対話で友人が入会を決意した男子部大学校生など、それぞれが自身の新たな「二月闘争」の歴史を刻んでいる。
きょう2月11日は、戸田先生の生誕日である。先生は戦時下の軍部政府の弾圧で壊滅した学会を再建するため、敗戦後の焦土に、ただ一人立ち上がられた。自作の「同志の歌」には、「妙法流布の 大願を 高くかかげて 独り立つ」とうたわれ、同時に「旗持つ若人」に「競うて来たれ 速やかに」と呼び掛けられている。
一人立つ師子に呼応し、共戦の師子が立つ。先生はこの大確信で、病気や貧困にあえぐ庶民の中に飛び込み、人間革命の哲理を教え、生きる勇気を送り、女性の幸福を願い、青年の奮起を期待された。この恩師と、不二の弟子・池田先生の大闘争があったればこそ、今日の創価の民衆城が築かれたことに深く感謝し、"広布の誓願"に生き抜く師弟の魂を継承していきたい。
3月の青年部幹部会を目指し、青年部の友が、小説『新・人間革命』の研さんに励んでいる。第8巻「宝剣」の章では、山本伸一が戸田先生から受け継いだ「一人立つ精神」の重要性を語る。
「広宣流布を推進する責任は、自分にあるということを決意していただきたい」「青年ならば、一人立つことだ。そこから、すべては変わっていく」と。大切なのは、広布のために、師と共に戦おうと一人立つことである。
師匠ならば、どうされるか——常にその思索を重ね、広布にまい進する中に、「一人立つ精神」の継承があろう。そして、この魂を次の世代に伝えていくのが、師と同じ時代に生き、薫陶を受けてきた私たちの使命と責任である。
今こそ一人一人が"新時代の山本伸一"との自覚に立ち、地域に模範の広布城を築いていきたい。
☆希望の指針——池田先生の指導に学ぶ 青年の心
◇新しい力が壁を破る!
連載「希望の指針——池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。今回は折々の随筆から、「青年」に関する言葉を掲載します。
子よ大樹と仰ぎ見む
私は、恩師に見出され、「嵐に負けずに伸びよ」と、師弟の大地に植えられた一本の若木であった。
わが心に原点の大地を持つゆえに、私はいかなる苦難も耐えられる。絶対に負けない。恐れない。
一日一日、青年の心をもって、胸中で師匠・戸田先生と対話しながら、新たな決意を燃やして生き抜き、戦い抜いてきた。
だから勝った。だから、全民衆を護りゆく「大樹」の創価学会を築くことができた。一点の後悔もない。
そして、わが愛する青年諸君こそ、私が生命を注いで鍛え磨いた、正義の宝剣である。私が未来の世界に贈る、希望の大樹なのだ!
共に歌ってきた「紅の歌」に私は詠んだ。
「子よ大樹と仰ぎ見む」
私は君たちを信ずる!
君たちの成長と勝利を、悔いなき人生を、私はひたすらに祈り待っている!
(『随筆 平和への大道』、125ページ)
◇一対一の結びつきで
蒲田支部の二月闘争は、七十五万世帯の折伏への突破口を開いた。それは、いわゆる組織を動かした成果ではなかった。
この時、私は二十四歳の無名の青年にすぎない。
支部の壮年、婦人には、初対面の方々も多かった。
お会いして、誠実に語り合わずして、どうして信頼されようか。自分が真剣に戦わずして、どうして共に動いていただけようか。
だから私は勇んで飛び込んでいった。自身の悩みや宿命と必死に戦う人間群の真っ直中へ! かけがえのない一人ひとりの生命と向き合い、心に訴えた。人間革命と広宣流布の誓願に生き抜く尊き使命と喜びを!
この一対一の人間の結びつきを根幹として、新たな人材を見つけ、励ましを送り続けたのだ。
その結果、かつてない多くの友が折伏に挑戦し、同志の行くところ、集うところ、対話の花が咲いた。この一カ月、蒲田の同志が繰り広げた対話は、何千回にも及んだに違いない。
「新しい人」「新しい力」による「新しい対話」が、爆発的に広がった。まさに地涌の底力によって、壁は破られ、「新しい歴史」の扉が開かれたのである。
(『随筆 民衆凱歌の大行進』、223ページ)
◇消えることなき聖火
繰り返し繰り返し、御書を拝し、一節一節を行動に移していくことだ。
そうすれば生命が覚えていく。確信になっていく。深く「心肝」に染めた御文は、必ず人生勝利の土台となり、宿命転換の力となる。
御書に仰せではないか。
「法華経にそめられ奉れば必ず仏になる」(全1474・新1951)
「此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし」(全1448・新1721)
自分自身が、いかなる人生の荒波も乗り越えながら、多くの友を幸福の港へと運ぶ、偉大な賢者の大船となれるのだ。
「御書とともに」走った青春には、生涯消えることなき聖火が宿る。その求道の炎を、いやまして燃え上がらせ、未来の広布の大指導者として羽ばたけと願ってやまない。
(『随筆 我らの勝利の大道』、90ページ)
◇「負けじ魂」持つ闘士
それぞれの誓願の国土においても、使命の人生においても、艱難があり、試練がある。しかし学会っ子は、大変であればあるほど、勇み立つ「負けじ魂」を持った闘士である。
大聖人は、あらゆる大難を乗り越え、末法広宣流布を担う「地涌の菩薩」について、「よくよく心を鍛えられた菩薩なのであろう」(全1186・新1608、通解)と述べられている。
苦難に負けないこと、屈しないこと、そして乗り越えること——それは言い換えれば、本来、鍛え抜かれた偉大な生命を持っているということなのである。
地涌の生命の底力が、どれほど深く、どれほど強く、どれほど大きいか。
御書には、ありとあらゆる大難の怒濤を勝ち越えていく力を、厳然と記し留めてくださっている。
眼を開いて見れば、皆が大聖人に直結する、尊貴な地涌の菩薩なのである。
あの凜々しい青年も!
あの清々しい乙女も!
いかに時代の混迷の闇が深くとも、胸中に希望の光を抱いて、創価の青年たちは粘り強く、前へ前へと歩みを進めていくのだ。
(『随筆 希望の大道』、42ページ)
◇「つねに伸びていく」
思えば、先師・牧口常三郎先生は、晩年まで「われわれ青年は!」と叫び、「暦の年じゃない。つねに伸びていくのだ」と言われていた。
牧口先生が、青年の青年たる所以とされていたのは「実践」であり、なかんずく「大善」を行うことであった。
すなわち、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を持ち、日蓮大聖人の立正安国の教えを実践し、弘めゆく「大善」である。広宣流布という菩薩の行に生き抜く中に、自他共の幸福が、そして社会の平和と繁栄があると、先師は訴えられたのだ。
牧口先生が創立以来の伝統の座談会を、「大善生活法実証座談会」と銘打たれたのは、七十五年前(2017年当時)の一九四二年(昭和十七年)の二月であった。
当時の創価教育学会の機関紙「価値創造」には、東京の大塚支部、池袋支部、中野支部、北多摩支部など各地で、活発に実証座談会が行われていたことがうかがえる。
牧口先生自ら蒲田支部等の座談会に足を運び、同志の悩みに耳を傾けながら励ましを送られたという記録も残っている。
この年の二月十一日、つまり戸田先生の誕生日に、牧口先生は青年部の会合に出席し、明治維新の立役者が二十代の若者だったことを通して激励された。"広宣流布は、青年のリーダーシップによらねばならない"と。それは、戸田先生が常に語られた言葉でもある。
(『随筆 永遠なれ創価の大城』、174ページ)
2022年2月10日木曜日
2022.02.10 わが友に贈る
南岸低気圧の接近による
冷え込みや降雪に警戒!
「前々の用心」で
最新の情報を確認し
絶対無事故の行動を!
御義口伝巻下 P769
『不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり』
【通解】
不軽菩薩が四衆を礼拝すれば、増上慢の四衆の仏性もまた不軽菩薩を礼拝する。これはちょうど「鏡に向かって礼拝する時、そこに映っている自分の姿もまた自分を礼拝する」のと同じである。
名字の言 御書根本の大道を 2022年2月10日
ある地区の座談会で80代の壮年が御書講義を行った後、しみじみと語っていた。「学会員じゃなかったら、人さまの前で講義ができるような人間には絶対になれなかった……」▼昔は貧しくて学校に行けず、読み書きができなかったという。ならばと御書や学会指導を書き写し、文字を覚えた。難解な仏法用語が理解できず泣きたくなる時も。それでも必死に学び続け、やがて教学部教授に登用された。壮年には確信がある。「御書は分からなくても真剣に学べば、必ずわが胸に太陽が昇る!」▼別の地区では、少年少女部員が朗々と御書を拝読していた。「どうですか、前途洋々でしょう」と目を細める地区部長。拍手に包まれ、とびきりの笑顔を輝かせる子らの姿が印象的だった▼世代や立場を超え、生命尊厳の仏法哲理を学び合い、自他共の幸福を目指す連帯は今、192カ国・地域に広がった。この輪に連なり、どれほど苦悩する庶民が人生に希望を見いだしてきたか▼「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」(新261・全329)。一切衆生の幸福を願われた大聖人の御境涯に接すれば、自らの境涯が開かれる。絶対勝利の人生へ、永遠に御書根本の大道を歩もう。
寸鉄 2022年2月10日
「題目を弘めんと思うばかりなり」御書。広布の炎を赤々と。拡大に勇戦(新1892・全1558)
「御書講義」が公式HPで配信中。人生勝利の哲学を胸に二月闘争を邁進!
青年こそ勇敢で偉大な行動を起こせる力を持つ—哲人。時代変革の旗手に
花粉症は早期対策で症状が緩和—医師。ピークの前に受診。服薬等を賢く
濃厚接触の通知装う詐欺メール横行。不審な内容はすぐ削除。慌てず撃退
〈社説〉2022・2・10 2・17「電子書籍の日」
◇"読書の喜び"が人間つくる
「学校向けの電子書籍の定額読み放題サービス」が、出版社から相次いでいる。教育現場のデジタル化が進む中、子どもたちが使う教科書や図書館の本に、電子書籍を活用する学校が増えてきたためだ。「本」を巡る環境が劇的に変わりつつあるともいえよう。
2月17日は「電子書籍の日」。スマートフォンやタブレットで手軽に読書ができる電子書籍は、情報社会の進展に合わせ、この十数年間で大きく拡大した。昨年はコロナ禍での"巣ごもり需要"も相まって、紙の書籍販売額が15年ぶりに増加する一方、電子出版はさらに大幅に伸びている。9割近くをコミックが占めるが、活字文化に触れる"文字もの"の電子書籍も着実に増えてきている(全国出版協会・出版科学研究所調べ)。
また、楽天ブックスの昨年の調査によると、読書における媒体の利用状況は、紙の書籍のみが53%、紙と電子書籍の併用が40%、電子書籍のみが4%だった。かつて電子書籍の影響で紙の書籍の減少が危惧されたが、実際は電子書籍のみを利用している人はごく少数にとどまり、利用者の半数近くは、併用している傾向にあった。
ここで、どちらが良いかを論じても生産的ではあるまい。紙であれ電子であれ、"書籍"であって、どちらも生かしながら読書の裾野を広げることが最も大事だと考えたい。
池田先生は、若い世代に「『読書の喜び』を知っている人と知らない人とでは、人生の深さ、大きさが、まるっきり違ってしまう」と語っている(『青春対話』)。
また、活字(文字)文化の長所について、「『想像力』と『思考力』を鍛える」点を挙げ、「テレビで見るのと、読むのとは根本的に違う」「『見る』だけでは、感覚的なものです」と指摘。そして「『読む』ということは、頭脳・生命の中に刻みこまれる。自分をつくる大事な『糧』となり、滋養となる」(同)と。
読書は、知識や情報を得るためだけのものではない。人間をつくり、人生を豊かにするものだ。
往古、かのアレキサンダー大王はホメロスの叙事詩を愛読していたといわれる。「読書」は2千年をはるかに超える人類の文化だ。今、紙の書籍と並んで電子書籍の広がりが、「読書の喜び」の広がりへ、活字・文字文化の振興へとつながりゆくことを期待したい。
☆四季の励まし 「目の前の一人」を幸福に 2022年1月30日
◇池田先生の言葉
なぜ、語り掛けるのか?
それは、
「目の前の一人」を
幸福にするためである。
これが釈尊以来の
仏教の根本精神であり、
そして、末法の御本仏・
日蓮大聖人に貫かれ、
わが創価学会が
受け継いでいる
仏の根幹の願いである。
「伝統の二月闘争」は、
地涌の使命に目覚めた
一人一人が、決然と
立ち上がって始まった、
痛快なる
対話の拡大劇である。
あの友の幸福を、
わが後輩の成長を——
すべて一つ一つ
深く祈念しながら、
足取り軽く
最前線へと飛び込む。
この「祈り即実行」の
繰り返しを、
弛まず貫いていくことだ。
人の心を打つのは、
話術の巧みさではない。
美辞麗句でもない。
"君よ立て!"との、
生命からほとばしる
必死の思いが、
友の心に働き掛けるのだ。
励ましとは、
炎の一念がもたらす魂の
触発なのである。
一人一人が
現実に直面している
生活の悩みと格闘し、
生命の境涯を
変革していく、
その軌道の中にしか、
真の
社会変革の道もないし、
立正安国もない。
この出発点にある
人間革命を開いていく
大道こそ、
一人への「励まし」だ。
励まされた一人が
立ち上がり、
目の前の一人に
励ましの襷を渡す。
その一人がまた次の一人に
励ましの襷を
つないでいく——。
この信心のリレーが、
一人一人の
人間革命の力走を
紡ぎ出していくのだ。
【写真説明】凜とした冬の青空の下、咲く菜の花の黄色がまぶしい。2002年(平成14年)2月、池田大作先生が熱海市の静岡研修道場を訪れた際に撮影した。
2月ごろから咲き始める菜の花の鮮やかな色彩は、春への希望を抱かせる。先生は、かつて詠んだ。「菜の花も 春だ春だと 立ち上がる」。そして"我らも勝利の春に向かって、多彩な友情の花々を咲かせたい"とつづった。
本年は、1952年(昭和27年)に池田先生が恩師・戸田城聖先生の願業・75万世帯への突破口を開いた「二月闘争」から70年。私たちも人生の希望の季節へ、共に励まし、友情の大輪を咲かせよう。
☆青年・飛躍の源流——二月闘争70周年 第1回 明確な目的と目標
70年前の2月、蒲田支部を舞台にした「二月闘争」で24歳の池田大作先生は、当時の限界を打ち破る「支部201世帯」の弘教を成し遂げ、恩師・戸田城聖先生の願業「75万世帯」へ、飛躍の突破口を開いた。まさに「青年・飛躍」の源流にほかならない。5回にわたり、若き先生の戦いに、広布拡大の要諦を学ぶ。
東京・大田区鵜の木3丁目。多摩川の流れに程近い、閑静な住宅街の一角に、その建物はあった。今、同じ場所には、建て替えられた2階建ての集会所が立っている。
1952年(昭和27年)1月29日、ここで蒲田支部の緊急組長会が開かれた。
24歳の若き池田支部幹事は、青年らしく訴えた。
"2月は日蓮大聖人の御聖誕の月であり、2月11日は戸田先生の誕生の日です。私たちがこの信心に巡り合えたのは、戸田先生が広布に一人立たれたおかげです。報恩感謝の思いで、この2月を戦い切り、先生の誕生の月をお祝いしようではありませんか"
「わが初陣」。池田先生がそう振り返る「二月闘争」の火ぶたは切られた。戸田先生の経営する会社に入社し、影が身に添うごとく仕えて3年。ここから、192カ国・地域へと広がる世界広布の指揮は始まったのである。
二月闘争から9カ月前の51年(同26年)5月3日。戸田先生は第2代会長の就任式で宣言した。
「私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします」
「達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。遺骸は、品川の沖に投げ捨てなさい!」
参加した同志は、決意に身震いしたものの、現実の目標として受け止めた者は、ほとんどいなかった。中には"7万5千の間違いでは"と耳を疑う人、"戸田先生は長生きされるのだろう"と考える人もいた。当時の会員数は実質、約3千人である。
それでも戸田先生は、広宣流布の未来を見据え、矢継ぎ早に手を打っていった。
会長就任直前の4月には、当時の二十数支部を、蒲田支部を含む12支部に再編。同月20日に聖教新聞を創刊する。
5月には、広宣流布の「金剛不壊の大車軸」として、創価学会常住の御本尊を発願。
6月に婦人部、7月に男子部、女子部を結成。同月22日の臨時総会で、創価学会版の御書全集発刊を発表する。
だが現実の折伏は遅々としており、1支部で1カ月100世帯前後が限界だった。51年末の総世帯数は5728。100年かかっても75万世帯に届かないペースである。
◇75万への決定打
「大白蓮華」で戸田先生は、深い決意を改めて歌に詠んだ。
「一度は 死する命ぞ 恐れずに 仏の敵を 一人あますな」(51年12月)
「いざ往かん 月氏の果まで 妙法を 拡むる旅に 心勇みて」(52年1月)
のちに池田先生の会長就任式で、遺影と共に掲げられた、あの歌である。
52年1月5日の支部長会では、従来の地区委員が「地区部長」となり、「支部—地区—班—組」の体制が敷かれた。
さらに、戸田先生が放った75万世帯への決定打——。それが、わが後継者と頼む"懐刀"を、戦の最前線に送り込む決断だった。
「いよいよ大作を出すか」
戸田先生が弟子に命じたのは、蒲田支部の「支部幹事」だった。正役職ではない。支部長、支部婦人部長を支える副役職である。
先生は早速、支部長と大森駅西口の食堂で打ち合わせをし、「日本一の支部長にしてみせます」と宣言した。支部婦人部長宅を訪れると、「2月に200世帯の折伏をやりましょう」と意気込みを語った。
そして、1月29日の緊急組長会で"戸田先生のために組2世帯の折伏を"と訴えたのである。
青年の決意に、先輩幹部も心一つに立ち上がった。
なぜか。先生は振り返る。
「私が誰よりも真剣であったからだ。たった一人になっても、自分が師の構想を実現すると、誰よりも一生懸命であったからだ。立場や口先や要領で、人が動くはずがない。人を真剣にさせるものは、虚栄も気取りも捨てた、自分の真剣さ以外には絶対にない」(「随筆 新・人間革命」)
◇皆が主役の革命
「二月闘争」で先生は、なぜ、当時の限界に倍する201世帯の弘教を果たすことができたのか。第一の理由は、出発に当たって明確な目的と目標を示した点にあろう。
「目的」は「師恩に報いる」。それは師匠と苦楽を共にしてきた弟子の、率直な真情だった。
小説『新・人間革命』に、先生はつづっている。
「その日、集った蒲田支部の同志は、戸田城聖を思う伸一の指導に、まことの弟子の心を知った。皆、伸一を通して、戸田との一念の距離が近づいた思いがした。すると、戸田とともに広宣流布をしていくのだという使命感が脈打ち、勇気がわいてくるのを覚えるのであった。
師を求め、師とともに戦おうとする時、広宣流布に生きる、師の生命の脈動が流れ通うといってよい」(第3巻「平和の光」の章)
そして「目標」は「組2世帯の折伏」である。「組」は現在の「ブロック」に当たる広布の最前線である。
「今後は、『組本位』の、緻密にして強靱な活動に入るべき」というのが、当時の戸田先生の指導だった。だが幹部には、心のどこかに"組長には経験も力もない。組では戦えない"という先入観があった。
池田青年は違った。恩師の指導を真正面から受け止め、祈り、思索して、実践に移した。それはいわば、一つの「革命」であった。
「私が出した結論は、『組』が『地区』『支部』に従属するというような発想を変え、むしろ組織あげて『組』を支え、応援するということであった。発想の革命であり、組織を貫く思想の革命である」
「皆が"主役"となってこそ、民衆の革命ではないか」(「随筆 新・人間革命」)
「200世帯」と聞けば、はるかな目標に思えるが、「組2世帯」ならできるじゃないか——皆の一念が、"誰かがやるだろう"から、"まず自分がやる"という自発能動へと変わっていった。
52年といえば、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本がようやく独立を回復する頃。組長会に集った130人余りの身なりは貧しかった。だが、心には明々と人間王者の誇りが点火した。
池田先生は記している。
「戦いの第一歩は、明確な目標を決めることだ。目標が漠然としていては、誰もが"自分の挑戦課題"として受け止めることができない。ゆえに結局は、真剣になれないものである。
また、目標を押しつけてはいけない。皆が『よし、やろう!』と納得できるようにすべきである。
それには、中心者自身が、自分の責任で、たとえ一人になっても、掲げた目標は断じて達成するとの、決意を定めることだ。その決定した心に燃え盛る情熱の炎が、皆の胸に、広布に戦う心を燃え上がらせていくのである」(同)
冷え込みや降雪に警戒!
「前々の用心」で
最新の情報を確認し
絶対無事故の行動を!
御義口伝巻下 P769
『不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり』
【通解】
不軽菩薩が四衆を礼拝すれば、増上慢の四衆の仏性もまた不軽菩薩を礼拝する。これはちょうど「鏡に向かって礼拝する時、そこに映っている自分の姿もまた自分を礼拝する」のと同じである。
名字の言 御書根本の大道を 2022年2月10日
ある地区の座談会で80代の壮年が御書講義を行った後、しみじみと語っていた。「学会員じゃなかったら、人さまの前で講義ができるような人間には絶対になれなかった……」▼昔は貧しくて学校に行けず、読み書きができなかったという。ならばと御書や学会指導を書き写し、文字を覚えた。難解な仏法用語が理解できず泣きたくなる時も。それでも必死に学び続け、やがて教学部教授に登用された。壮年には確信がある。「御書は分からなくても真剣に学べば、必ずわが胸に太陽が昇る!」▼別の地区では、少年少女部員が朗々と御書を拝読していた。「どうですか、前途洋々でしょう」と目を細める地区部長。拍手に包まれ、とびきりの笑顔を輝かせる子らの姿が印象的だった▼世代や立場を超え、生命尊厳の仏法哲理を学び合い、自他共の幸福を目指す連帯は今、192カ国・地域に広がった。この輪に連なり、どれほど苦悩する庶民が人生に希望を見いだしてきたか▼「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」(新261・全329)。一切衆生の幸福を願われた大聖人の御境涯に接すれば、自らの境涯が開かれる。絶対勝利の人生へ、永遠に御書根本の大道を歩もう。
寸鉄 2022年2月10日
「題目を弘めんと思うばかりなり」御書。広布の炎を赤々と。拡大に勇戦(新1892・全1558)
「御書講義」が公式HPで配信中。人生勝利の哲学を胸に二月闘争を邁進!
青年こそ勇敢で偉大な行動を起こせる力を持つ—哲人。時代変革の旗手に
花粉症は早期対策で症状が緩和—医師。ピークの前に受診。服薬等を賢く
濃厚接触の通知装う詐欺メール横行。不審な内容はすぐ削除。慌てず撃退
〈社説〉2022・2・10 2・17「電子書籍の日」
◇"読書の喜び"が人間つくる
「学校向けの電子書籍の定額読み放題サービス」が、出版社から相次いでいる。教育現場のデジタル化が進む中、子どもたちが使う教科書や図書館の本に、電子書籍を活用する学校が増えてきたためだ。「本」を巡る環境が劇的に変わりつつあるともいえよう。
2月17日は「電子書籍の日」。スマートフォンやタブレットで手軽に読書ができる電子書籍は、情報社会の進展に合わせ、この十数年間で大きく拡大した。昨年はコロナ禍での"巣ごもり需要"も相まって、紙の書籍販売額が15年ぶりに増加する一方、電子出版はさらに大幅に伸びている。9割近くをコミックが占めるが、活字文化に触れる"文字もの"の電子書籍も着実に増えてきている(全国出版協会・出版科学研究所調べ)。
また、楽天ブックスの昨年の調査によると、読書における媒体の利用状況は、紙の書籍のみが53%、紙と電子書籍の併用が40%、電子書籍のみが4%だった。かつて電子書籍の影響で紙の書籍の減少が危惧されたが、実際は電子書籍のみを利用している人はごく少数にとどまり、利用者の半数近くは、併用している傾向にあった。
ここで、どちらが良いかを論じても生産的ではあるまい。紙であれ電子であれ、"書籍"であって、どちらも生かしながら読書の裾野を広げることが最も大事だと考えたい。
池田先生は、若い世代に「『読書の喜び』を知っている人と知らない人とでは、人生の深さ、大きさが、まるっきり違ってしまう」と語っている(『青春対話』)。
また、活字(文字)文化の長所について、「『想像力』と『思考力』を鍛える」点を挙げ、「テレビで見るのと、読むのとは根本的に違う」「『見る』だけでは、感覚的なものです」と指摘。そして「『読む』ということは、頭脳・生命の中に刻みこまれる。自分をつくる大事な『糧』となり、滋養となる」(同)と。
読書は、知識や情報を得るためだけのものではない。人間をつくり、人生を豊かにするものだ。
往古、かのアレキサンダー大王はホメロスの叙事詩を愛読していたといわれる。「読書」は2千年をはるかに超える人類の文化だ。今、紙の書籍と並んで電子書籍の広がりが、「読書の喜び」の広がりへ、活字・文字文化の振興へとつながりゆくことを期待したい。
☆四季の励まし 「目の前の一人」を幸福に 2022年1月30日
◇池田先生の言葉
なぜ、語り掛けるのか?
それは、
「目の前の一人」を
幸福にするためである。
これが釈尊以来の
仏教の根本精神であり、
そして、末法の御本仏・
日蓮大聖人に貫かれ、
わが創価学会が
受け継いでいる
仏の根幹の願いである。
「伝統の二月闘争」は、
地涌の使命に目覚めた
一人一人が、決然と
立ち上がって始まった、
痛快なる
対話の拡大劇である。
あの友の幸福を、
わが後輩の成長を——
すべて一つ一つ
深く祈念しながら、
足取り軽く
最前線へと飛び込む。
この「祈り即実行」の
繰り返しを、
弛まず貫いていくことだ。
人の心を打つのは、
話術の巧みさではない。
美辞麗句でもない。
"君よ立て!"との、
生命からほとばしる
必死の思いが、
友の心に働き掛けるのだ。
励ましとは、
炎の一念がもたらす魂の
触発なのである。
一人一人が
現実に直面している
生活の悩みと格闘し、
生命の境涯を
変革していく、
その軌道の中にしか、
真の
社会変革の道もないし、
立正安国もない。
この出発点にある
人間革命を開いていく
大道こそ、
一人への「励まし」だ。
励まされた一人が
立ち上がり、
目の前の一人に
励ましの襷を渡す。
その一人がまた次の一人に
励ましの襷を
つないでいく——。
この信心のリレーが、
一人一人の
人間革命の力走を
紡ぎ出していくのだ。
【写真説明】凜とした冬の青空の下、咲く菜の花の黄色がまぶしい。2002年(平成14年)2月、池田大作先生が熱海市の静岡研修道場を訪れた際に撮影した。
2月ごろから咲き始める菜の花の鮮やかな色彩は、春への希望を抱かせる。先生は、かつて詠んだ。「菜の花も 春だ春だと 立ち上がる」。そして"我らも勝利の春に向かって、多彩な友情の花々を咲かせたい"とつづった。
本年は、1952年(昭和27年)に池田先生が恩師・戸田城聖先生の願業・75万世帯への突破口を開いた「二月闘争」から70年。私たちも人生の希望の季節へ、共に励まし、友情の大輪を咲かせよう。
☆青年・飛躍の源流——二月闘争70周年 第1回 明確な目的と目標
70年前の2月、蒲田支部を舞台にした「二月闘争」で24歳の池田大作先生は、当時の限界を打ち破る「支部201世帯」の弘教を成し遂げ、恩師・戸田城聖先生の願業「75万世帯」へ、飛躍の突破口を開いた。まさに「青年・飛躍」の源流にほかならない。5回にわたり、若き先生の戦いに、広布拡大の要諦を学ぶ。
東京・大田区鵜の木3丁目。多摩川の流れに程近い、閑静な住宅街の一角に、その建物はあった。今、同じ場所には、建て替えられた2階建ての集会所が立っている。
1952年(昭和27年)1月29日、ここで蒲田支部の緊急組長会が開かれた。
24歳の若き池田支部幹事は、青年らしく訴えた。
"2月は日蓮大聖人の御聖誕の月であり、2月11日は戸田先生の誕生の日です。私たちがこの信心に巡り合えたのは、戸田先生が広布に一人立たれたおかげです。報恩感謝の思いで、この2月を戦い切り、先生の誕生の月をお祝いしようではありませんか"
「わが初陣」。池田先生がそう振り返る「二月闘争」の火ぶたは切られた。戸田先生の経営する会社に入社し、影が身に添うごとく仕えて3年。ここから、192カ国・地域へと広がる世界広布の指揮は始まったのである。
二月闘争から9カ月前の51年(同26年)5月3日。戸田先生は第2代会長の就任式で宣言した。
「私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします」
「達成できなかったならば、私の葬式は出してくださるな。遺骸は、品川の沖に投げ捨てなさい!」
参加した同志は、決意に身震いしたものの、現実の目標として受け止めた者は、ほとんどいなかった。中には"7万5千の間違いでは"と耳を疑う人、"戸田先生は長生きされるのだろう"と考える人もいた。当時の会員数は実質、約3千人である。
それでも戸田先生は、広宣流布の未来を見据え、矢継ぎ早に手を打っていった。
会長就任直前の4月には、当時の二十数支部を、蒲田支部を含む12支部に再編。同月20日に聖教新聞を創刊する。
5月には、広宣流布の「金剛不壊の大車軸」として、創価学会常住の御本尊を発願。
6月に婦人部、7月に男子部、女子部を結成。同月22日の臨時総会で、創価学会版の御書全集発刊を発表する。
だが現実の折伏は遅々としており、1支部で1カ月100世帯前後が限界だった。51年末の総世帯数は5728。100年かかっても75万世帯に届かないペースである。
◇75万への決定打
「大白蓮華」で戸田先生は、深い決意を改めて歌に詠んだ。
「一度は 死する命ぞ 恐れずに 仏の敵を 一人あますな」(51年12月)
「いざ往かん 月氏の果まで 妙法を 拡むる旅に 心勇みて」(52年1月)
のちに池田先生の会長就任式で、遺影と共に掲げられた、あの歌である。
52年1月5日の支部長会では、従来の地区委員が「地区部長」となり、「支部—地区—班—組」の体制が敷かれた。
さらに、戸田先生が放った75万世帯への決定打——。それが、わが後継者と頼む"懐刀"を、戦の最前線に送り込む決断だった。
「いよいよ大作を出すか」
戸田先生が弟子に命じたのは、蒲田支部の「支部幹事」だった。正役職ではない。支部長、支部婦人部長を支える副役職である。
先生は早速、支部長と大森駅西口の食堂で打ち合わせをし、「日本一の支部長にしてみせます」と宣言した。支部婦人部長宅を訪れると、「2月に200世帯の折伏をやりましょう」と意気込みを語った。
そして、1月29日の緊急組長会で"戸田先生のために組2世帯の折伏を"と訴えたのである。
青年の決意に、先輩幹部も心一つに立ち上がった。
なぜか。先生は振り返る。
「私が誰よりも真剣であったからだ。たった一人になっても、自分が師の構想を実現すると、誰よりも一生懸命であったからだ。立場や口先や要領で、人が動くはずがない。人を真剣にさせるものは、虚栄も気取りも捨てた、自分の真剣さ以外には絶対にない」(「随筆 新・人間革命」)
◇皆が主役の革命
「二月闘争」で先生は、なぜ、当時の限界に倍する201世帯の弘教を果たすことができたのか。第一の理由は、出発に当たって明確な目的と目標を示した点にあろう。
「目的」は「師恩に報いる」。それは師匠と苦楽を共にしてきた弟子の、率直な真情だった。
小説『新・人間革命』に、先生はつづっている。
「その日、集った蒲田支部の同志は、戸田城聖を思う伸一の指導に、まことの弟子の心を知った。皆、伸一を通して、戸田との一念の距離が近づいた思いがした。すると、戸田とともに広宣流布をしていくのだという使命感が脈打ち、勇気がわいてくるのを覚えるのであった。
師を求め、師とともに戦おうとする時、広宣流布に生きる、師の生命の脈動が流れ通うといってよい」(第3巻「平和の光」の章)
そして「目標」は「組2世帯の折伏」である。「組」は現在の「ブロック」に当たる広布の最前線である。
「今後は、『組本位』の、緻密にして強靱な活動に入るべき」というのが、当時の戸田先生の指導だった。だが幹部には、心のどこかに"組長には経験も力もない。組では戦えない"という先入観があった。
池田青年は違った。恩師の指導を真正面から受け止め、祈り、思索して、実践に移した。それはいわば、一つの「革命」であった。
「私が出した結論は、『組』が『地区』『支部』に従属するというような発想を変え、むしろ組織あげて『組』を支え、応援するということであった。発想の革命であり、組織を貫く思想の革命である」
「皆が"主役"となってこそ、民衆の革命ではないか」(「随筆 新・人間革命」)
「200世帯」と聞けば、はるかな目標に思えるが、「組2世帯」ならできるじゃないか——皆の一念が、"誰かがやるだろう"から、"まず自分がやる"という自発能動へと変わっていった。
52年といえば、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本がようやく独立を回復する頃。組長会に集った130人余りの身なりは貧しかった。だが、心には明々と人間王者の誇りが点火した。
池田先生は記している。
「戦いの第一歩は、明確な目標を決めることだ。目標が漠然としていては、誰もが"自分の挑戦課題"として受け止めることができない。ゆえに結局は、真剣になれないものである。
また、目標を押しつけてはいけない。皆が『よし、やろう!』と納得できるようにすべきである。
それには、中心者自身が、自分の責任で、たとえ一人になっても、掲げた目標は断じて達成するとの、決意を定めることだ。その決定した心に燃え盛る情熱の炎が、皆の胸に、広布に戦う心を燃え上がらせていくのである」(同)
2022年2月9日水曜日
2022.02.09 わが友に贈る
"重い車に油を塗るように
船を水に浮かべるように"
友の心が「軽く」なる
賢明な励ましを送ろう!
そこから広布の前進が!
上野殿御返事 P1554
『夫れ海辺には木を財とし山中には塩を財とす、旱魃には水を財とし闇中には灯を財とし女人は夫を財とし夫は女人を命とし王は民を親とし民は食を天とす』
【通解】
海辺には木が財であり、また山中では塩が財である。旱魃では水が財であり、また闇の中では灯が財である。また、女人は夫を財とし、夫は妻を命としている。国王は民を親のように本とし、民は食物を天のように尊く思うのである
名字の言 「二月闘争」で入会した壮年が頼りにしたもの 2022年2月9日
かれこれ40年ぶりに再会した同級生らと談笑中、通信手段を回顧する話題になった。幼少期、自宅に電話はなく、近くの家の呼び出し電話にお世話になった。学校に上がった頃、家に黒電話が付き、ポケットベルや携帯電話を持ったのは社会人になってから……▼技術開発で便利になるのは歓迎である。だが、一同は「不便な通信環境の時代を過ごせてよかった」とも語った。その理由はこうだ。以前は誰かと瞬時に連携を取り合うことがかなわなかった。でもその分、出会えた時の喜びやありがたみ、反対にすれ違いや別離の悲哀などを十分に味わえた、と▼70年前、出稼ぎで上京中の壮年が「二月闘争」を展開した蒲田支部による弘教201世帯の中の1人として入会した。その後、帰郷した壮年は地域を折伏に歩いた▼入会間もない彼は、対話をしても相手の質問に答えられない。その場で先輩に連絡を取ろうにも手段がない。頼りは手に入れたばかりの御書全集と、自分自身でつかんだ信心の確信。彼は仏法の功徳や学会の未来を汗だくで語った。その熱意に打たれた友人は入会し、共に広布へ歩みだした▼便利な生活は技術の進歩で築けよう。だが、豊かな人生を勝ち開くのは、いつの時代も人の心である。
寸鉄 2022年2月9日
地涌の菩薩は「其の心に畏るる所無く」と法華経。青年よ対話の道を堂々と
きょう民音の日。文化は生命潤す偉大な力。支える推進委員の奮闘に敬意
たゆまず流れ出ずる水の信心であれ—戸田先生。日々挑戦の祈りから出発
熱戦続く北京五輪。限界突破の選手に拍手。我らも拡大の新記録を今こそ
トイレ修理等の高額請求に注意。若者の被害急増。"格安"に釣られず要確認
〈社説〉 2022・2・9 コロナ禍2年、本紙の取り組み
◇変わらないために変わり続ける
"伝統とは、変わらないために変わり続けること"——純米大吟醸「獺祭」を醸す旭酒造の桜井博志会長が本紙のインタビューで語った言葉だ。
何を変え、何を変えないのか。コロナ禍にあって、聖教新聞の制作現場では、葛藤と挑戦の日々が続いている。
2020年2月、新型コロナウイルスの第1波に見舞われ、全国で会合が中止に。1、2面を飾っていた会合報道ができなくなった。さらに外出自粛に伴い、対面での取材は極めて困難になり、中止や延期にせざるを得ない企画が続出。迫り来る危機感から、「真っ白の新聞が届く夢を見た」という記者もいた。
ウイルスの脅威に対する不安が日増しに高まる中、"今こそ、希望を紡ぐ記事や写真を届けたい"——編集、写真、レイアウトなど部署を超え、全国の支社・支局と結束し、アイデアを絞った。オンラインや電話での取材に切り替え、対面で行う際は感染防止対策に万全を期した。
「危機の時代を生きる」「世界の友は今」「紙上教学研さん『世界を照らす太陽の仏法』に学ぶ」「青年部と医学者による会議」「信仰体験 新型コロナに立ち向かう」などの連載を開始。動画にも注力し、池田先生のピアノ演奏や国内外の同志による合唱も配信した。
まさに手探りの試行錯誤。最大の励みは読者の皆さまからの声だった。「世界が不安に陥る中、今や私のライフライン(命綱)になっている」「同じ境遇の友が奮闘する体験に奮起した。懸命に祈る中、好待遇の転職が決まり、10人を超える友人への購読推進も実った」など。読者の要望や率直な意見から、オンラインミーティングに関する情報やコロナ禍での妊娠・出産、家事、育児、メンタルケアについても紙面に掲載した。
移動制限により、本紙記者に代わって奔走してくださった通信員。"信心の糧として聖教新聞を待つ人がいる"と配達してくださった「無冠の友」。こうした皆さまをはじめ多くの方の支えにより、困難を一つ一つ乗り越えてくることができた。
コロナ禍になって2年。いまだに終わりは見えない状況だが、苦難に負けない哲学、人々の心をつなぐメッセージを届けるため、これからも変化を恐れず、価値創造への挑戦を続けていきたい。
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第13回「御書発刊」 悩む"一人"の心に希望の灯をともせ
【「若き日の日記」1951年(昭和26年)6月9日から】
堂々と、自己の信念で
進みきれる人は、偉い人だ。
頑なでなく、偏狭でなく、
根本の真理を確信して。——
◇令法久住の布石
第2代会長・戸田先生が、弟子たちに"大楠公"を歌うよう言ったのは、『日蓮大聖人御書全集』(以下、御書)の完成を祝う集いの席上だった。1952年(昭和27年)春のことである。
"大楠公"は、南北朝時代の名将・楠木正成、正行の父子を歌った歌だ。
♪青葉茂れる桜井の……
一人また一人と出てきて舞ったが、戸田先生は首を横に振った。「ダメだ、次!」
最後に立ち上がったのが、24歳の若き池田先生であった。その瞬間、場の雰囲気は一変した。舞の途中で、手綱を持つような仕草をする戸田先生。馬上の父・正成のごとき恩師と、子・正行のごとき愛弟子・池田先生の"父子の呼吸"だった。
曲が終わると、戸田先生は言った。
「よし! もう一回!」
池田先生の舞は何度も繰り返された。
この年の4月28日、立宗700年の日に当たっての御書発刊は、両先生の"師弟の呼吸"の激闘があって実現した一大事業だった。
戸田先生が創価学会による御書の発刊について、固い誓いを述べたのは、第2代会長就任の翌月のことである。
「たとえ会員諸君が、不可能な難事業なるがゆえに、反対しようとも、決行すべき事業であることには変わりない」
実際、発刊のためには、いくつものハードルがあった。当時、学会員は5千人に満たず、御書に使用するインディアペーパーの発注などに要する経済的基盤がなかった。発刊を予定する立宗700年まで1年を切り、編纂、校正の時間も限られていた。しかし、御書発刊は、広布伸展のために、絶対に成し遂げなければならない"戦い"だった。
戦時中、軍部政府の弾圧で、多くの幹部が退転したことについて、戸田先生は、「信心の推進力となるべき、信心の何たるかを明かす教学がなかった。御書を読ませることを忘れていた」と述べている。
創価学会による御書発刊は、"令法久住の第一の布石"だった。
◇創価三代による結晶
"学会による御書の出版は了承するが、援助はしない"——学会の御書発刊事業に対する宗門の反応は、極めて冷淡なものだった。
戸田先生は、その時の心境を述べている。「難関は覚悟のうえであったが、宗門の援助が得られぬと決定した時には、胸にわき上がるものがあった……」
昭和初期、宗門では"御書新集"を出したことがあるが、「一生成仏抄」「生死一大事血脈抄」などの多数の重書が抜け落ち、他宗の誤った読み方を踏襲していた。戦時中には、軍部政府を恐れ、国家神道と衝突しそうな御書の御文を14カ所も削除。御書全集の発刊を禁止し、大謗法を犯した。
本来、日蓮正宗を自認する宗門こそ、聖典たる御書の発刊に尽力すべきであろう。しかし、立宗700年に向け、宗門が力を注いだのは、なんと「梵鐘(寺の鐘)」の鋳造だった。
戦時中、軍部に協力し、兵器資材として梵鐘を供出したため、戦後、再び造ろうとしたのである。宗門は、正法正義を守り抜く精神を失っていた。
聖教新聞の「寸鉄」で、戸田先生は宗門の姿勢を痛烈に戒めた。「御山でゴシュ(御酒)は作っても、ゴショ(御書)を作れぬ坊主が居るってね」
結局、恩師の陣頭指揮のもと、学会が一切の費用と校正作業等の人員を出し、御書発刊に総力を挙げたのである。
1951年(昭和26年)末に初校の作業が始まった頃、初代会長・牧口先生の霊艮閣版の御書が警視庁から戻ってきた。軍部権力に屈しなかった牧口先生、戸田先生が、43年(同18年)7月、治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕された際、刑事に押収されたものであった。
戸田先生は、牧口先生の御書をなでながら言った。「牧口先生も、御書発刊と聞いて、この御書校正の席においでになったんだよ。われわれと一緒に、校正をやってくださるのと同じことではないか」
この恩師の深い思いを誰よりも理解し、陰ながら支え抜いていたのが池田先生だった。
この時期、戸田先生の事業は、最悪の状況は脱したものの、思わしい状況ではなかった。池田先生はつづっている。
「(戸田)先生は、発刊の資金のことを悩んでおられた。私は先生の事業のいっさいの責任を担い、御書発刊という師の聖業を、陰で黙々と支えた。その奮闘は、先生だけがご存じであった」
大聖人の精神を守り抜くために命を懸けた創価三代の師匠の実践がなければ、御書の発刊は成し得なかった。
経典がいかに優れていても、持つ一人一人が日常的に触れ、"生活の柱"としていかなければ、その精神は形骸化してしまう。御書発刊以前から、日々、大聖人の御金言を拝し、恩師の講義を受け、さらに、御文を通して同志に励ましを送り続けていたのが池田先生であった。
◇「歓喜」とは学会精神
"御書が出来上がったら、自分で御書を開いて調べてほしい"——御書発刊の光明が見え始めていた頃、池田先生が、ある同志に引いた一節が、「御義口伝」の「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(新1097・全788)であった。
「『歓喜』っていうのは『学会精神』のことだよ。『広宣流布』のことだよ。歓喜がなければ折伏もできないじゃないですか。一人が一人を折伏して、だんだん拡大していくことを『大歓喜』というんだよ」
友は先生の激励に奮い立ち、御書根本に活動に励んでいくようになる。
70年前の2月、先生が蒲田支部幹事として、支部201世帯という拡大の金字塔を打ち立てた「二月闘争」の最中、御書の予約申し込みが行われていた。
ある同志が指導を受けるため、先生の住む青葉荘を訪ねた。この時、先生は大聖人の御金言を拝し続けていくことの大切さを語った。「御書を読みましょう。御書は分かっても分からなくてもいいから読むんですよ」
対話・拡大の中で御書を拝し、決意を新たにして、再び対話へと駆けていく——。その実践によって、御書の精神は自身の生命に刻まれていく。
先生は、激闘の中で御書をひもといた。日記には、日々、拝した御文がつづられている。
「凡夫は我が心に迷うて知らず覚らざるなり、仏は之を悟り顕わして神通と名くるなり……」(『若き日の日記』、1950年6月26日)、「……よき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」(同、51年3月23日)
御書の「発刊の辞」に、戸田先生は「大聖人の御書を敬い之に親しむこと天日(=太陽)を拝するが如く」と寄せている。毎日、日光を浴びるように、日常的に御書を開いていく——その実践を、池田先生は身をもって教えた。
学会の教学運動は加速度を増していき、1953年(昭和28年)11月、戸田先生は御書の再版を決定。池田先生は、男子部の第1部隊長や文京支部長代理を兼任しながら、十数回にわたって印刷所での校正作業に全魂を傾けた。
57年(同32年)も、「夕張炭労事件」の嵐が吹き荒れる中で、校正に当たっている。先生は、御書根本の励ましによって数々の拡大の金字塔を打ち立てていく陰で、経典の精神を守るための戦いにも尽力したのである。
御書を開くということ——それは、大聖人の精神を心に刻むことであり、創価三代の師匠の不滅の大闘争を継承するということである。
昨年11月18日、『日蓮大聖人御書全集 新版』が発刊され、池田先生は「序」に厳然と示した。
「この御書を抱きしめながら、創価の師弟は一丸となって『行学の二道』に邁進し、悩み苦しむ庶民一人一人の心に『人間革命』と『宿命転換』への無限の希望と勇気の灯をともしてきた」
「御書に展望された『仏法西還』さらに『一閻浮提広宣流布』の未来記を遂行してきたことは、創価の師弟の誉れである」
学会創立100周年へと飛躍する創価の弟子には、"仏の未来記"の新たなるドラマをつづりゆく重大な使命がある。
☆輝きの瞬間 2月の広布史
◇師弟共戦の魂光る2月11日
「実は、本日2月11日は、私の亡き恩師・戸田城聖創価学会第2代会長の誕生日なのであります」
1992年2月11日、池田先生はインドのガンジー記念館の招請を受けて行った講演の冒頭、恩師への思いを語った。
「私どもの『平和』と『文化』と『教育』の運動は、すべてこの恩師の精神と行動を受け継いだものであります」
2月11日——毎年巡り来る恩師の誕生日。この当日や前後の日に、池田先生は幾度となく、世界各地の要人や識者と会談。また、先生への名誉市民称号、名誉学術称号の授与式などが行われた。それらの席上、先生は恩師・戸田先生の偉業を宣揚し続けてきた。
93年の同日には、ブラジルのリオデジャネイロ連邦大学から名誉博士号が授与された。軍事政権時代には、先生の入国が拒まれるほど、創価学会に対する偏見が激しかったブラジルからの、第1号となる名誉学術称号だった。
先生は授与式で、「恩師は、戦後間もなく『地球民族主義』という理想を青年に提唱いたしました。当時は、全く評価されませんでしたが、民族紛争の激化に苦しむ現代世界は、この『共生の道』を志向し始めております」と、戸田先生の先見性を訴えた。
この日は、本紙に小説『人間革命』の最終回が掲載された日でもあった。先生は文末に、「わが恩師 戸田城聖先生に捧ぐ 弟子 池田大作」と記した。
翌94年2月11日、アジア平和旅の途次、先生は「偉大なる 恩師の写真を 胸に秘め 世界を旅せる 師弟不二かな」と詠んだ。96年の2月11日には「戸田記念国際平和研究所」を創立した。
70年前の「二月闘争」は、池田先生の"戸田先生の誕生月を広布拡大でお祝いしよう"との一念で築かれた広布史の金字塔である。
その戦いは、70年前だけではない。先生は毎年、恩師の誕生月を世界広布伸展の実証で荘厳してきた。「二月闘争」の精神は、後世永遠に輝く師弟共戦の魂である。
◇1961年2月4日 「仏法西還」の第一歩
「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」
1956年元日、戸田先生は、東洋広布への思いを和歌に詠んだ。アジアをはじめとする、世界広宣流布は、戸田先生の願業であった。それはそのまま、池田先生の誓願となった。
恩師が和歌を詠んだ5年後の61年1月28日、池田先生はアジア歴訪の旅へ。出発の5日前、訪問への思いを述べている。
——51年7月11日、戸田先生は男子青年部の結成式で、アジア、全世界へ大聖人の仏法を広宣流布するように叫ばれた。以来、この恩師の言葉を片時も忘れたことはない。今回、その東洋広布を成し遂げるために、アジアの地に第一歩をしるす、と。
池田先生は、香港、シンガポール、セイロン(現・スリランカ)をまわり、61年1月31日、インドに到着した。
2月4日、ブッダガヤを訪れ、「東洋広布」の石碑や「三大秘法抄」などを納めたステンレスケースを埋納。アジアの平和と繁栄を祈願した。
この日、先生は、世界の思想・哲学・文化を多角的に研究する機関の設立を決意している。
インド初訪問の時、現地のメンバーはいなかった。先生は、幾万、幾十万の地涌の同志が陸続と誕生することを祈念した。
師の祈りに呼応するように、その後、インド広布の水かさは着実に増していく。現在、インド創価学会(BSG)は目覚ましい発展を遂げ、25万人を超える平和の陣列を築いている。
御聖訓に「月は西より出でて東を照らし、日は東より出でて西を照らす。仏法もまたもってかくのごとし。正像には西より東に向かい、末法には東より西に往く」(新610・全508)と。
この「仏法西還」の未来記を現実のものとし、太陽の仏法が地球を包む時代を切り開いたのは、池田先生である。恩師の願業を断じて実現しようとする、先生の一念こそ、世界広布の源流である。
◇2月1日 牙城会の結成記念日
「牙城」とは、「大将のいる所」「城の本丸」「戦いの根拠地」を意味する。かつて中国で、大将の旗は、竿の先に動物の牙を飾ったことから牙旗と呼ばれ、その旗の立つ城を牙城と呼んだ。
1971年の初頭、池田先生は男子部の首脳幹部から、会館担当のメンバーの育成について相談を受ける。その10年ほど前から、男子部などが学会本部や会館の警備に当たり、戸締まりや火の元などの点検を行ってきた。
"陰の力"に徹し、広宣流布を支え、学会を守る中に、最も尊い仏道修行の姿がある。そこに、男子部の永遠の精神がある。
先生は、人材育成機関として、会館の警備に当たるメンバーの組織をつくることに賛同し、名称を提案した。「広宣流布の牙城を守る人材育成の組織だから、『牙城会』は、どうか」
戸田先生は、学会の草創期から「牙城」という言葉を重視し、池田先生と語り合ってきた。恩師が大切にした「牙城」を、池田先生は男子部の人材育成グループの名に贈ったのである。
同年2月1日から、メンバーは「牙城会」として任務を開始。この日が、事実上の結成記念日となった。その後、全国各地に築かれた、創価の法城を厳護する尊い使命を担うことになる。
先生は語っている。
「『牙城会』には、本部、会館を、学会員を厳然と守る使命がある。それは、私と同じ使命だよ」
昨年、結成50周年を記念し、牙城会の「永遠の指針」である「信念の人」「努力の人」「忍耐の人」に、新たに「報恩の人」「勝利の人」が加わった。先生は「誓願の人生の途上に何があろうとも、最後に『勝利の人』と勝ち誇れる正真正銘の実力を、鍛え上げてもらいたい」と期待を寄せた。
世界が危機に直面する中、牙城会のメンバーは一人立ち、社会に希望の光を送っている。「今日も戦う 勝利の城にて」——牙城会歌を高らかに響かせ、師子王のごとく、結成の月・2月を正義の言論で荘厳する。
◇1982年2月7日〜12日 厳寒の茨城指導
茨城の同志は、あの「2月」を忘れない。
悪僧の謀略に苦しむ同志を守りたい——。1981年11月、四国から開始された、池田先生の本格的な反転攻勢の激励行。82年2月の「厳寒の茨城指導」は、その一つの総仕上げとなった。
茨城は鹿島地域などを中心に、学会攻撃の烈風が激しく吹き荒れた。悪僧らは葬儀などの場でも、学会への悪口を繰り返した。しかし、茨城の同志は、ひたすら耐え続けた。
当時、先生の体調は決して万全ではなかった。それでも、"一人でも多くの同志と会いたい"と、2月7日、寒風の中、茨城へ。9日までは、開館間もない水戸の茨城文化会館で、各地から集ってきた友に、渾身の励ましを送った。
「結局は、求道の人、着実にして地道な信心の人、生活という足元をしっかりと固めてきた人が、人生の勝利者になっています」
「信心は忍耐です。大聖人門下ならば、何があっても微動だにしない信心に立つことです。現実という嵐に挑み、耐え忍んで、人生勝利の旗を掲げてください」
同会館を起点に、10日は日立、11日は鹿島、12日は土浦へと足を運び、寸暇を惜しんで激励。ピアノを演奏し、共に勤行をし、記念のカメラに納まった。
中でも11日は特別な一日となった。戸田先生の82回目の誕生日でもあるこの日、茨城の同志は82個の梅の鉢植えを飾って祝福した。
正午過ぎ、茨城文化会館で茨城県青年部総会が開会。池田先生の出席はなかった。だが、"師匠のもとから出発しよう"と、広宣流布の決意みなぎる、3500人の男女の青年たちが駆け付けた。
会合中、青年部幹部のもとに1枚のメモが回ってきた。"終了後、記念撮影"——皆の歓喜が爆発した。先生と共に会館の駐車場で撮影会が行われ、全員で凱歌の勝ちどきをあげた。
2020年、2月11日が「茨城青年部の日」に制定された。茨城の友は今、一人立つ精神を受け継ぎ、新たな歴史を築きゆく。
船を水に浮かべるように"
友の心が「軽く」なる
賢明な励ましを送ろう!
そこから広布の前進が!
上野殿御返事 P1554
『夫れ海辺には木を財とし山中には塩を財とす、旱魃には水を財とし闇中には灯を財とし女人は夫を財とし夫は女人を命とし王は民を親とし民は食を天とす』
【通解】
海辺には木が財であり、また山中では塩が財である。旱魃では水が財であり、また闇の中では灯が財である。また、女人は夫を財とし、夫は妻を命としている。国王は民を親のように本とし、民は食物を天のように尊く思うのである
名字の言 「二月闘争」で入会した壮年が頼りにしたもの 2022年2月9日
かれこれ40年ぶりに再会した同級生らと談笑中、通信手段を回顧する話題になった。幼少期、自宅に電話はなく、近くの家の呼び出し電話にお世話になった。学校に上がった頃、家に黒電話が付き、ポケットベルや携帯電話を持ったのは社会人になってから……▼技術開発で便利になるのは歓迎である。だが、一同は「不便な通信環境の時代を過ごせてよかった」とも語った。その理由はこうだ。以前は誰かと瞬時に連携を取り合うことがかなわなかった。でもその分、出会えた時の喜びやありがたみ、反対にすれ違いや別離の悲哀などを十分に味わえた、と▼70年前、出稼ぎで上京中の壮年が「二月闘争」を展開した蒲田支部による弘教201世帯の中の1人として入会した。その後、帰郷した壮年は地域を折伏に歩いた▼入会間もない彼は、対話をしても相手の質問に答えられない。その場で先輩に連絡を取ろうにも手段がない。頼りは手に入れたばかりの御書全集と、自分自身でつかんだ信心の確信。彼は仏法の功徳や学会の未来を汗だくで語った。その熱意に打たれた友人は入会し、共に広布へ歩みだした▼便利な生活は技術の進歩で築けよう。だが、豊かな人生を勝ち開くのは、いつの時代も人の心である。
寸鉄 2022年2月9日
地涌の菩薩は「其の心に畏るる所無く」と法華経。青年よ対話の道を堂々と
きょう民音の日。文化は生命潤す偉大な力。支える推進委員の奮闘に敬意
たゆまず流れ出ずる水の信心であれ—戸田先生。日々挑戦の祈りから出発
熱戦続く北京五輪。限界突破の選手に拍手。我らも拡大の新記録を今こそ
トイレ修理等の高額請求に注意。若者の被害急増。"格安"に釣られず要確認
〈社説〉 2022・2・9 コロナ禍2年、本紙の取り組み
◇変わらないために変わり続ける
"伝統とは、変わらないために変わり続けること"——純米大吟醸「獺祭」を醸す旭酒造の桜井博志会長が本紙のインタビューで語った言葉だ。
何を変え、何を変えないのか。コロナ禍にあって、聖教新聞の制作現場では、葛藤と挑戦の日々が続いている。
2020年2月、新型コロナウイルスの第1波に見舞われ、全国で会合が中止に。1、2面を飾っていた会合報道ができなくなった。さらに外出自粛に伴い、対面での取材は極めて困難になり、中止や延期にせざるを得ない企画が続出。迫り来る危機感から、「真っ白の新聞が届く夢を見た」という記者もいた。
ウイルスの脅威に対する不安が日増しに高まる中、"今こそ、希望を紡ぐ記事や写真を届けたい"——編集、写真、レイアウトなど部署を超え、全国の支社・支局と結束し、アイデアを絞った。オンラインや電話での取材に切り替え、対面で行う際は感染防止対策に万全を期した。
「危機の時代を生きる」「世界の友は今」「紙上教学研さん『世界を照らす太陽の仏法』に学ぶ」「青年部と医学者による会議」「信仰体験 新型コロナに立ち向かう」などの連載を開始。動画にも注力し、池田先生のピアノ演奏や国内外の同志による合唱も配信した。
まさに手探りの試行錯誤。最大の励みは読者の皆さまからの声だった。「世界が不安に陥る中、今や私のライフライン(命綱)になっている」「同じ境遇の友が奮闘する体験に奮起した。懸命に祈る中、好待遇の転職が決まり、10人を超える友人への購読推進も実った」など。読者の要望や率直な意見から、オンラインミーティングに関する情報やコロナ禍での妊娠・出産、家事、育児、メンタルケアについても紙面に掲載した。
移動制限により、本紙記者に代わって奔走してくださった通信員。"信心の糧として聖教新聞を待つ人がいる"と配達してくださった「無冠の友」。こうした皆さまをはじめ多くの方の支えにより、困難を一つ一つ乗り越えてくることができた。
コロナ禍になって2年。いまだに終わりは見えない状況だが、苦難に負けない哲学、人々の心をつなぐメッセージを届けるため、これからも変化を恐れず、価値創造への挑戦を続けていきたい。
☆君も立て——若き日の挑戦に学ぶ 第13回「御書発刊」 悩む"一人"の心に希望の灯をともせ
【「若き日の日記」1951年(昭和26年)6月9日から】
堂々と、自己の信念で
進みきれる人は、偉い人だ。
頑なでなく、偏狭でなく、
根本の真理を確信して。——
◇令法久住の布石
第2代会長・戸田先生が、弟子たちに"大楠公"を歌うよう言ったのは、『日蓮大聖人御書全集』(以下、御書)の完成を祝う集いの席上だった。1952年(昭和27年)春のことである。
"大楠公"は、南北朝時代の名将・楠木正成、正行の父子を歌った歌だ。
♪青葉茂れる桜井の……
一人また一人と出てきて舞ったが、戸田先生は首を横に振った。「ダメだ、次!」
最後に立ち上がったのが、24歳の若き池田先生であった。その瞬間、場の雰囲気は一変した。舞の途中で、手綱を持つような仕草をする戸田先生。馬上の父・正成のごとき恩師と、子・正行のごとき愛弟子・池田先生の"父子の呼吸"だった。
曲が終わると、戸田先生は言った。
「よし! もう一回!」
池田先生の舞は何度も繰り返された。
この年の4月28日、立宗700年の日に当たっての御書発刊は、両先生の"師弟の呼吸"の激闘があって実現した一大事業だった。
戸田先生が創価学会による御書の発刊について、固い誓いを述べたのは、第2代会長就任の翌月のことである。
「たとえ会員諸君が、不可能な難事業なるがゆえに、反対しようとも、決行すべき事業であることには変わりない」
実際、発刊のためには、いくつものハードルがあった。当時、学会員は5千人に満たず、御書に使用するインディアペーパーの発注などに要する経済的基盤がなかった。発刊を予定する立宗700年まで1年を切り、編纂、校正の時間も限られていた。しかし、御書発刊は、広布伸展のために、絶対に成し遂げなければならない"戦い"だった。
戦時中、軍部政府の弾圧で、多くの幹部が退転したことについて、戸田先生は、「信心の推進力となるべき、信心の何たるかを明かす教学がなかった。御書を読ませることを忘れていた」と述べている。
創価学会による御書発刊は、"令法久住の第一の布石"だった。
◇創価三代による結晶
"学会による御書の出版は了承するが、援助はしない"——学会の御書発刊事業に対する宗門の反応は、極めて冷淡なものだった。
戸田先生は、その時の心境を述べている。「難関は覚悟のうえであったが、宗門の援助が得られぬと決定した時には、胸にわき上がるものがあった……」
昭和初期、宗門では"御書新集"を出したことがあるが、「一生成仏抄」「生死一大事血脈抄」などの多数の重書が抜け落ち、他宗の誤った読み方を踏襲していた。戦時中には、軍部政府を恐れ、国家神道と衝突しそうな御書の御文を14カ所も削除。御書全集の発刊を禁止し、大謗法を犯した。
本来、日蓮正宗を自認する宗門こそ、聖典たる御書の発刊に尽力すべきであろう。しかし、立宗700年に向け、宗門が力を注いだのは、なんと「梵鐘(寺の鐘)」の鋳造だった。
戦時中、軍部に協力し、兵器資材として梵鐘を供出したため、戦後、再び造ろうとしたのである。宗門は、正法正義を守り抜く精神を失っていた。
聖教新聞の「寸鉄」で、戸田先生は宗門の姿勢を痛烈に戒めた。「御山でゴシュ(御酒)は作っても、ゴショ(御書)を作れぬ坊主が居るってね」
結局、恩師の陣頭指揮のもと、学会が一切の費用と校正作業等の人員を出し、御書発刊に総力を挙げたのである。
1951年(昭和26年)末に初校の作業が始まった頃、初代会長・牧口先生の霊艮閣版の御書が警視庁から戻ってきた。軍部権力に屈しなかった牧口先生、戸田先生が、43年(同18年)7月、治安維持法違反と不敬罪の容疑で逮捕された際、刑事に押収されたものであった。
戸田先生は、牧口先生の御書をなでながら言った。「牧口先生も、御書発刊と聞いて、この御書校正の席においでになったんだよ。われわれと一緒に、校正をやってくださるのと同じことではないか」
この恩師の深い思いを誰よりも理解し、陰ながら支え抜いていたのが池田先生だった。
この時期、戸田先生の事業は、最悪の状況は脱したものの、思わしい状況ではなかった。池田先生はつづっている。
「(戸田)先生は、発刊の資金のことを悩んでおられた。私は先生の事業のいっさいの責任を担い、御書発刊という師の聖業を、陰で黙々と支えた。その奮闘は、先生だけがご存じであった」
大聖人の精神を守り抜くために命を懸けた創価三代の師匠の実践がなければ、御書の発刊は成し得なかった。
経典がいかに優れていても、持つ一人一人が日常的に触れ、"生活の柱"としていかなければ、その精神は形骸化してしまう。御書発刊以前から、日々、大聖人の御金言を拝し、恩師の講義を受け、さらに、御文を通して同志に励ましを送り続けていたのが池田先生であった。
◇「歓喜」とは学会精神
"御書が出来上がったら、自分で御書を開いて調べてほしい"——御書発刊の光明が見え始めていた頃、池田先生が、ある同志に引いた一節が、「御義口伝」の「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(新1097・全788)であった。
「『歓喜』っていうのは『学会精神』のことだよ。『広宣流布』のことだよ。歓喜がなければ折伏もできないじゃないですか。一人が一人を折伏して、だんだん拡大していくことを『大歓喜』というんだよ」
友は先生の激励に奮い立ち、御書根本に活動に励んでいくようになる。
70年前の2月、先生が蒲田支部幹事として、支部201世帯という拡大の金字塔を打ち立てた「二月闘争」の最中、御書の予約申し込みが行われていた。
ある同志が指導を受けるため、先生の住む青葉荘を訪ねた。この時、先生は大聖人の御金言を拝し続けていくことの大切さを語った。「御書を読みましょう。御書は分かっても分からなくてもいいから読むんですよ」
対話・拡大の中で御書を拝し、決意を新たにして、再び対話へと駆けていく——。その実践によって、御書の精神は自身の生命に刻まれていく。
先生は、激闘の中で御書をひもといた。日記には、日々、拝した御文がつづられている。
「凡夫は我が心に迷うて知らず覚らざるなり、仏は之を悟り顕わして神通と名くるなり……」(『若き日の日記』、1950年6月26日)、「……よき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり」(同、51年3月23日)
御書の「発刊の辞」に、戸田先生は「大聖人の御書を敬い之に親しむこと天日(=太陽)を拝するが如く」と寄せている。毎日、日光を浴びるように、日常的に御書を開いていく——その実践を、池田先生は身をもって教えた。
学会の教学運動は加速度を増していき、1953年(昭和28年)11月、戸田先生は御書の再版を決定。池田先生は、男子部の第1部隊長や文京支部長代理を兼任しながら、十数回にわたって印刷所での校正作業に全魂を傾けた。
57年(同32年)も、「夕張炭労事件」の嵐が吹き荒れる中で、校正に当たっている。先生は、御書根本の励ましによって数々の拡大の金字塔を打ち立てていく陰で、経典の精神を守るための戦いにも尽力したのである。
御書を開くということ——それは、大聖人の精神を心に刻むことであり、創価三代の師匠の不滅の大闘争を継承するということである。
昨年11月18日、『日蓮大聖人御書全集 新版』が発刊され、池田先生は「序」に厳然と示した。
「この御書を抱きしめながら、創価の師弟は一丸となって『行学の二道』に邁進し、悩み苦しむ庶民一人一人の心に『人間革命』と『宿命転換』への無限の希望と勇気の灯をともしてきた」
「御書に展望された『仏法西還』さらに『一閻浮提広宣流布』の未来記を遂行してきたことは、創価の師弟の誉れである」
学会創立100周年へと飛躍する創価の弟子には、"仏の未来記"の新たなるドラマをつづりゆく重大な使命がある。
☆輝きの瞬間 2月の広布史
◇師弟共戦の魂光る2月11日
「実は、本日2月11日は、私の亡き恩師・戸田城聖創価学会第2代会長の誕生日なのであります」
1992年2月11日、池田先生はインドのガンジー記念館の招請を受けて行った講演の冒頭、恩師への思いを語った。
「私どもの『平和』と『文化』と『教育』の運動は、すべてこの恩師の精神と行動を受け継いだものであります」
2月11日——毎年巡り来る恩師の誕生日。この当日や前後の日に、池田先生は幾度となく、世界各地の要人や識者と会談。また、先生への名誉市民称号、名誉学術称号の授与式などが行われた。それらの席上、先生は恩師・戸田先生の偉業を宣揚し続けてきた。
93年の同日には、ブラジルのリオデジャネイロ連邦大学から名誉博士号が授与された。軍事政権時代には、先生の入国が拒まれるほど、創価学会に対する偏見が激しかったブラジルからの、第1号となる名誉学術称号だった。
先生は授与式で、「恩師は、戦後間もなく『地球民族主義』という理想を青年に提唱いたしました。当時は、全く評価されませんでしたが、民族紛争の激化に苦しむ現代世界は、この『共生の道』を志向し始めております」と、戸田先生の先見性を訴えた。
この日は、本紙に小説『人間革命』の最終回が掲載された日でもあった。先生は文末に、「わが恩師 戸田城聖先生に捧ぐ 弟子 池田大作」と記した。
翌94年2月11日、アジア平和旅の途次、先生は「偉大なる 恩師の写真を 胸に秘め 世界を旅せる 師弟不二かな」と詠んだ。96年の2月11日には「戸田記念国際平和研究所」を創立した。
70年前の「二月闘争」は、池田先生の"戸田先生の誕生月を広布拡大でお祝いしよう"との一念で築かれた広布史の金字塔である。
その戦いは、70年前だけではない。先生は毎年、恩師の誕生月を世界広布伸展の実証で荘厳してきた。「二月闘争」の精神は、後世永遠に輝く師弟共戦の魂である。
◇1961年2月4日 「仏法西還」の第一歩
「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」
1956年元日、戸田先生は、東洋広布への思いを和歌に詠んだ。アジアをはじめとする、世界広宣流布は、戸田先生の願業であった。それはそのまま、池田先生の誓願となった。
恩師が和歌を詠んだ5年後の61年1月28日、池田先生はアジア歴訪の旅へ。出発の5日前、訪問への思いを述べている。
——51年7月11日、戸田先生は男子青年部の結成式で、アジア、全世界へ大聖人の仏法を広宣流布するように叫ばれた。以来、この恩師の言葉を片時も忘れたことはない。今回、その東洋広布を成し遂げるために、アジアの地に第一歩をしるす、と。
池田先生は、香港、シンガポール、セイロン(現・スリランカ)をまわり、61年1月31日、インドに到着した。
2月4日、ブッダガヤを訪れ、「東洋広布」の石碑や「三大秘法抄」などを納めたステンレスケースを埋納。アジアの平和と繁栄を祈願した。
この日、先生は、世界の思想・哲学・文化を多角的に研究する機関の設立を決意している。
インド初訪問の時、現地のメンバーはいなかった。先生は、幾万、幾十万の地涌の同志が陸続と誕生することを祈念した。
師の祈りに呼応するように、その後、インド広布の水かさは着実に増していく。現在、インド創価学会(BSG)は目覚ましい発展を遂げ、25万人を超える平和の陣列を築いている。
御聖訓に「月は西より出でて東を照らし、日は東より出でて西を照らす。仏法もまたもってかくのごとし。正像には西より東に向かい、末法には東より西に往く」(新610・全508)と。
この「仏法西還」の未来記を現実のものとし、太陽の仏法が地球を包む時代を切り開いたのは、池田先生である。恩師の願業を断じて実現しようとする、先生の一念こそ、世界広布の源流である。
◇2月1日 牙城会の結成記念日
「牙城」とは、「大将のいる所」「城の本丸」「戦いの根拠地」を意味する。かつて中国で、大将の旗は、竿の先に動物の牙を飾ったことから牙旗と呼ばれ、その旗の立つ城を牙城と呼んだ。
1971年の初頭、池田先生は男子部の首脳幹部から、会館担当のメンバーの育成について相談を受ける。その10年ほど前から、男子部などが学会本部や会館の警備に当たり、戸締まりや火の元などの点検を行ってきた。
"陰の力"に徹し、広宣流布を支え、学会を守る中に、最も尊い仏道修行の姿がある。そこに、男子部の永遠の精神がある。
先生は、人材育成機関として、会館の警備に当たるメンバーの組織をつくることに賛同し、名称を提案した。「広宣流布の牙城を守る人材育成の組織だから、『牙城会』は、どうか」
戸田先生は、学会の草創期から「牙城」という言葉を重視し、池田先生と語り合ってきた。恩師が大切にした「牙城」を、池田先生は男子部の人材育成グループの名に贈ったのである。
同年2月1日から、メンバーは「牙城会」として任務を開始。この日が、事実上の結成記念日となった。その後、全国各地に築かれた、創価の法城を厳護する尊い使命を担うことになる。
先生は語っている。
「『牙城会』には、本部、会館を、学会員を厳然と守る使命がある。それは、私と同じ使命だよ」
昨年、結成50周年を記念し、牙城会の「永遠の指針」である「信念の人」「努力の人」「忍耐の人」に、新たに「報恩の人」「勝利の人」が加わった。先生は「誓願の人生の途上に何があろうとも、最後に『勝利の人』と勝ち誇れる正真正銘の実力を、鍛え上げてもらいたい」と期待を寄せた。
世界が危機に直面する中、牙城会のメンバーは一人立ち、社会に希望の光を送っている。「今日も戦う 勝利の城にて」——牙城会歌を高らかに響かせ、師子王のごとく、結成の月・2月を正義の言論で荘厳する。
◇1982年2月7日〜12日 厳寒の茨城指導
茨城の同志は、あの「2月」を忘れない。
悪僧の謀略に苦しむ同志を守りたい——。1981年11月、四国から開始された、池田先生の本格的な反転攻勢の激励行。82年2月の「厳寒の茨城指導」は、その一つの総仕上げとなった。
茨城は鹿島地域などを中心に、学会攻撃の烈風が激しく吹き荒れた。悪僧らは葬儀などの場でも、学会への悪口を繰り返した。しかし、茨城の同志は、ひたすら耐え続けた。
当時、先生の体調は決して万全ではなかった。それでも、"一人でも多くの同志と会いたい"と、2月7日、寒風の中、茨城へ。9日までは、開館間もない水戸の茨城文化会館で、各地から集ってきた友に、渾身の励ましを送った。
「結局は、求道の人、着実にして地道な信心の人、生活という足元をしっかりと固めてきた人が、人生の勝利者になっています」
「信心は忍耐です。大聖人門下ならば、何があっても微動だにしない信心に立つことです。現実という嵐に挑み、耐え忍んで、人生勝利の旗を掲げてください」
同会館を起点に、10日は日立、11日は鹿島、12日は土浦へと足を運び、寸暇を惜しんで激励。ピアノを演奏し、共に勤行をし、記念のカメラに納まった。
中でも11日は特別な一日となった。戸田先生の82回目の誕生日でもあるこの日、茨城の同志は82個の梅の鉢植えを飾って祝福した。
正午過ぎ、茨城文化会館で茨城県青年部総会が開会。池田先生の出席はなかった。だが、"師匠のもとから出発しよう"と、広宣流布の決意みなぎる、3500人の男女の青年たちが駆け付けた。
会合中、青年部幹部のもとに1枚のメモが回ってきた。"終了後、記念撮影"——皆の歓喜が爆発した。先生と共に会館の駐車場で撮影会が行われ、全員で凱歌の勝ちどきをあげた。
2020年、2月11日が「茨城青年部の日」に制定された。茨城の友は今、一人立つ精神を受け継ぎ、新たな歴史を築きゆく。
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