水の流れるような
持続の信心の人が
最後に必ず勝つ!
地道な実践を貫く
忍耐と建設の日々たれ!
上野殿母御前御返事 P1583
『このさけはたたかにさしわかして、かつかうをはたとくい切りて一度のみて候へば火を胸にたくがごとし、ゆに入るににたり、あせにあかあらいしづくに足をすすぐ、此の御志はいかんがせんとうれしくをもひ候ところに両眼よりひとつのなんだをうかべて候』
【通解】
この酒を暖かに沸かして、ワカミドリをはたと食い切って、一度飲むと、火を胸に焚いたようになりました。湯に入ったようです。汗で垢が洗われ、滴で足が濯がれました。このお志に、どう感謝したらよいかと、嬉しく思っているところに、両眼から一滴の涙が浮かんできました。
〈寸鉄〉 2019年9月29日
きょう青年教学試験2級求道と行学錬磨の青春尊し。皆、広布後継の道を
「日中国交正常化の日」。両国の若者が池田先生の卓識の伝承者に—元大使
青年の成長を祈っていけ—戸田先生。創立100年の主役を育てる好機は今!
10月から幼児教育・保育無償化。公明よ未来を見据えた施策で貢献続けよ
温暖化対策が不十分だと2100年までに氷河は半減—国連。行動の時だ
☆負けじ魂ここにあり わが生命の学園生 第22回 関西校 2000〜02年度
◇交野の道は「栄光の道」! 青春の最終目的地へ行く真っ直ぐな大道である。
この一本の道は
それは それは
二十一世紀の
指導者を目指しゆく
凜々しき
あまりにも凜々しき
優秀な男子の生徒が!
そして また
純潔な
美しき清純の瞳を
輝かせた
女子の生徒が!
ある時は 急ぎ足で
ある時は 賑やかに
ある時は
ゆったりと歩み通った
一生涯に わたる
忘れ得ぬ
「希望の道」であった。
……
2000年6月19日。関西創価学園の校内放送が響き渡った。
創立者・池田先生から贈られたばかりの散文詩「交野の道は『一本の道』『栄光の道』」が朗読されたのである。
詠われた「一本の道」とは、最寄り駅付近から学園へと真っすぐ延びる通学路のこと。先生がたびたび登下校中の生徒たちを見守り、励ましを送った思い出の道である。
先生は散文詩の中で、1978年に作詞した愛唱歌「この道」に言及。「いつの日か この歌の/二番 三番を作ろうと思いつつ/月日が経ってしまった。/有志の方々で二番 三番を/作っていただきたいことを/私は念願したい」とつづった。
突然の発表に、驚き、喜ぶ学園生。早速、生徒たちは作詞に取り掛かった。
それからわずか2日後の21日、再びうれしい知らせが舞い込んできた。先生から2番、3番の歌詞が届けられたのだ。
「池田先生の"励ましのスピード"に、ただただ驚きました」と振り返るのは、学園のレオナルド合唱団でピアノ伴奏を担当していた居田雄一さん(高校26期)。
すぐさま、この歌の作曲者である音楽教員が、新たな歌詞のイメージに合わせて曲をアレンジ。趣のあるゆったりとした原曲は、未来に伸びゆく軽やかなテンポの曲調へと生まれ変わった。
翌月の7・17「栄光の日」の記念行事では、"誓いの道"を貫く決意を込め、「この道」の歌を全校で大合唱。以来、多くの学園生に親しまれてきた。
合唱団の居田さんは教員を志し、大阪音楽大学に進学。大学卒業後、採用試験の不合格が続いたが、4度目の挑戦で合格を勝ち取った。現在は、東京の小学校で音楽科の教員として奮闘する。学園で誓った「音楽の道」「教育の道」を進み続けている。
◇人生の勝利を
2000年7月14日、全国高校野球選手権・大阪大会の開会式。会場の大阪ドームに、はつらつとした声がこだました。
「宣誓!」
右手を高く掲げ、誓いの言葉を述べるのは、関西創価高校の硬式野球部主将。トーナメントの抽選会で1番を引き、選手代表として宣誓の大役を任されたのだ。
「生涯にわたって、ともに励まし合う『友情の道』を、また、忍耐と努力で勝ち取る『勝利の道』を、そして永遠に輝く『栄光の道』を、堂々と歩み続けることを誓います!」
さわやかな決意に、万雷の拍手が送られた。
この大会、関西創価ナインは4回戦で涙をのんだ。「甲子園への道」は後輩たちに託されることになった。
新チームで臨んだ秋の大会。一戦一戦勝ち抜くごとに団結を強める学園は、初めて大阪を制覇する快進撃を見せ、近畿大会に駒を進めた。
1回戦を突破し、迎えた準々決勝。勝てば、春のセンバツ甲子園出場が確実となる注目の一戦である。相手は奈良の強豪校。試合は息詰まる投手戦となった。先制した関西創価は中盤で同点に追い付かれたが、執念の全員野球で2対1と接戦を制した。
勝利の報を聞いた池田先生は、「世界中 拍手をおくらむ 関西校」との句を贈り、祝福した。
その後、近畿大会で準優勝した関西創価は、晴れて21世紀最初となる翌春の甲子園出場校に選抜される。悲願だった甲子園の舞台で、ベスト4の快挙を成し遂げたのである。
大会直後の4月6日、学園の教職員と懇談した池田先生は、野球部の健闘を心からたたえた。
「本当に、よく頑張った。大変なことだ。日本中を熱中させたね。満点です!」
「勝ち負けは、時の運もある。創価の野球は全体野球だ。野球部のみんなが等しく勝ったんだ。だから勝利だ。優勝に、あと一歩のところで惜敗したことは、大ぜいの後輩たちのためにも、これから常勝の野球部をつくるためにも、よかったんだと思う。次も、思いっきりやることだ。それが人生の勝利につながるからだ」
さらに5月5日には、東京の創価大学で野球部員らと記念撮影。「日本中に『創価』の名を残したのだから、すごいことだ。本当にありがとう」「戦いは長い。第2回、第3回と挑戦していこう」とエールを送った。
当時、主将としてチームをけん引した大西広和さん(高校27期)は述懐する。
「甲子園の初戦で先制のホームを踏んだ際、地面が揺れるような大歓声に包まれました。あの時ほど、応援の力強さを感じたことはありません。創立者をはじめ、支えてくださった全ての方々に感謝し、必ず『人生の勝利』を飾り、お応えしようと決意しました」
大西さんは、創大でも硬式野球部主将として、全国ベスト4に貢献。卒業後は、生まれ育った奈良の銀行に勤務する一方、地元・京都で少年野球チームの監督を務めるなど、故郷を盛り上げる「報恩の道」を歩んでいる。
◇学は力なり
小学校から学園に学ぶ内海友子さん(高校27期)も中学・高校の6年間、交野の道を通い抜いた一人である。
学園時代、平和学者のヨハン・ガルトゥング博士と池田先生の対談を読み、「貧困のない社会」の建設に携わりたいと、海外の大学進学を目指していた。
高校3年となった2001年、英語が伸び悩んでいた内海さんの元に池田先生から書籍が贈られた。表紙を開くと、そこには「学は力なり」との言葉が揮毫されていた。
一段と勉学への情熱を燃え上がらせた内海さんは、2期生としてアメリカ創価大学に入学。ニューヨーク大学で経済学の修士課程を修めた後、世界銀行で5年間、途上国の経済成長などの研究に尽力した。
その後、5年間の苦学の末、ミネソタ大学で応用経済学の博士号を取得。途中、思うように結果が得られず、研究の壁にぶつかったが、諦めずに挑戦を重ねることができたのは、学園時代の原点があったからだ。
現在は、創大の国際教養学部で、経済学の講師を務める内海さん。「学問の道」で後輩の育成に力を注ぐ。
◇
池田先生は、散文詩につづった。
この道は「栄光の道」!
曲がりくねった
小道ではない。
青春の
最終目的地へ行く
真っ直ぐな
大道である。
多くの風景を
見せながら
真理と知性と
精神の勝利を
楽しく確実に
与えてくれる
人間王者の殿堂に行く
「尊き道」であった。