2019年9月28日土曜日

2019.09.28 わが友に贈る

日蓮仏法は
人生の羅針盤だ。
共に学び成長しよう!
最高峰の哲学を胸に
幸福勝利に大道を!

聖人御難事 P1190
『我等現には此の大難に値うとも後生は仏になりなん、設えば灸治のごとし当時はいたけれども後の薬なればいたくていたからず』

【通解】
私たちは今はこのように仏法の為に、大難にあっていますが、後には必ず仏になることができるのです。それはたとえば、灸治のようなものです。その時は熱くて痛いけれども、後には薬となるのですから、痛くても本当は痛くないのです。

〈寸鉄〉 2019年9月28日
新時代の夜明けを開くのは青年なり—戸田先生。世界の友と団結固く前進
群馬県婦人部の日。人材王国支える太陽の連帯。弾む生命で破竹の拡大を
社会に何か望むより、何が奉仕できるか考えよ—大統領。主体者の気概で
食中毒は秋も多く。丁寧な手洗い、食品の十分な加熱等で予防。油断せず
ひったくりが頻発。歩きスマホやイヤホン装着は危険招く。警戒心持って

☆地域を歩く 北海道・占冠村 2019年9月20日
◇環境激変の時代に光る自他共に励ます生き方
人口減少社会に突入した日本。その中で住民が増えている自治体もある。昨年、人口増加率で全国一となったのが、北海道のほぼ中心部にある占冠村だ。
新千歳空港から車で1時間半ほど。同村を訪れると、村のキャッチフレーズが目に飛び込んできた。「自然体感占冠」。
その言葉が象徴するように、同村は東京23区とほぼ同じという総面積のうち、94%が山林だ。
そんな"人里離れた"ともいえる村の人口が3年前と比べ、2割も増えた。今年7月末現在、1435人が暮らす。
この謎を解く鍵は、東部のトマム地域のリゾート施設群にある。
人口減少が続く道内でも、リゾート施設がある地域に限って見れば、近年の好調なインバウンド(訪日外国人旅行者)により、労働者が増加する傾向が鮮明になっている。
「ただ、私たちが村に来た2008年当時の第一印象は、今まで住んだ地域のどこよりも『何もない』というものでしたけどね(笑い)」
こう振り返るのは、阿部満春さん。妻・志真子さんと共に、村を含む南富良野支部で支部長・支部婦人部長を務める。
阿部さんは新潟県で生まれ育ち、大学進学のために北海道へ。各地を転々とした後、リゾート施設への就職を機に村にやって来た。「それまで学会員として、さまざまな悩みを題目根本に乗り越えてきましたが、ここに来てすぐの頃、大きな『壁』に直面しました」
それは、村が他の市街地から遠く離れていたこともあり、自身を励ましてくれる学会家族が近くにいなかったこと。
リゾート施設は繁閑の差が激しい。不規則な勤務体系や職場の人間関係に悩み、次第に祈る気力も失い、悶々とする日々が続いた。
そんなある日、ふと池田先生の指針「自分で自分を励ませる人に」が目に留まった。
阿部さんは振り返る。「これしかない。人に頼るのをやめ、自分で頑張ろうと思いました」

◇環境激変の時代に光る自他共に励ます生き方
唱題とともに再開したのが、いつの間にか滞っていた小説『新・人間革命』の研さん。どんなに疲れていても会員の激励に奔走する山本伸一の姿に、「俺も頑張ろう」と力が漲るようになった。
「ここに来て、あらためて先生や同志のありがたさが身にしみて分かりました」——状況が改善した今、阿部さんは恩返しの思いで、遠くに住む一人一人の友の励ましに走っている。
トマム地域を中心に急増する労働者の中でも、特に多いのが外国人だ。村の全人口の4分の1に上り、職場や地域で関わる人は多い。
阿部さんも、同僚や利用客に外国人が増えたため、現在、創価大学通信教育部の日本語教員養成コースに在学。独学で英語や中国語の習得にも挑む。また、妻・志真子さんも、幼稚園教諭の資格を持ち、外国人の子どもの教育に携わる。
一方、外国人と交流したいと、自ら望んで村にやって来る人もいる。
女子部の大石真澄さん(華陽リーダー)は滋賀県出身。創大を卒業した一昨年の春、村のリゾート施設に就職した。
かつて旅行で訪れたオーストラリアでは、現地の人々が、"外国人"である大石さんを温かく迎えてくれた。この経験が"日本に滞在する外国人を支援したい"という気持ちを芽生えさせた。
しかし、実際に働いてみると、異なる文化的背景や価値観を持つ人々がいる職場では、トラブルが付きもの。
大石さんの心の支えとなったのが創立者・池田先生の「たくましき楽観主義」という指針。これは大石さんが大学時代、部活でけがをして挫折を味わった時に出合ったものだ。「何でも大変だからこそ、やりがいを感じられるのだと思います。全ての人が気持ち良く過ごせるように、粘り強く努力しています」
この"心の強さ"を、上司も高く評価。現在、大石さんは若くしてマネジャーを務めている。
村全体を広布の舞台とする占冠地区。人口が急増するトマム地域だけでなく、村の至る所で、地区の友は信頼を広げている。本年の上半期には、富良野勝利県をけん引する広布の実証を示した。
地区部長を務める多湖栄三郎さんは2005年の入会。県で最も信心歴の短い地区部長だ。
「入会前は自分のことだけで精いっぱいだったよ」と語る多湖さんは、かつて仕事がうまくいかず、職を転々としていた。さらには人にだまされて莫大な借金を抱え、人間不信に陥り、自殺まで考えた。
そんなある日、仏法の話をしてくれたのが、以前の職場の同僚だった。最初は信じられなかったが、その熱心さに次第に心が動いていった。
入会後、唱題を実践し始めると、自身も驚くほど心が前向きになった。
村では、冬場の雪はね(積雪を除いて地表面を出すこと)を買って出るなど、ボランティアに尽力。現在、勤務するガソリンスタンドでは、灯油の配達をしながら、人々の話に耳を傾けるのが日課となっている。
武井一子さん(地区副婦人部長)は1964年(昭和39年)、学会員の生き生きとした姿に魅了されて学会に入会した。
信心で教わったのは、他者や環境を変えるにはまず自分が変わること。
武井さんは長年、村の介護ヘルパーとして活躍してきた。介護の状況は、人それぞれ異なる。利用者の一人一人に向き合うたび、その人にしかない個性や使命があると説く仏法の視点に確信を深めた。「いかなる状況でも、自分はいつも笑顔で利用者に接すると心に決めていました」
そんな信心の実践が最大に生きたのが、脳梗塞で倒れた義母の介護だった。昼夜を問わず、他界するまで5年間寄り添い続けた武井さんの姿に、夫・房雄さん(壮年部員)が感銘を受け、2005年、入会を果たした。
武井さんは現在、日本赤十字のボランティアやゲートボール愛好会など愛する村のために汗を流す。その姿は周囲が「武井さんのような生き方をしたい」と言うほど。
武井さんは感謝を口にした。「信心をしているからこそ、人に尽くす喜びという"人生の宝物"を得られたと思います」
「外国人が増えているなんて聞いた時は、信じられなかったわよ。東京と同じなのは面積だけだと思っていたのにね」
幼い頃から占冠村に住む森梅子さん(支部副婦人部長)がこう言うと、�橋貴美枝さん(地区婦人部長)はじめ、占冠地区の婦人部の友からどっと笑いが起こった。
森さんは言葉を継いだ。「でも、ここは、昔から一時滞在の人が多かったのよ」
占冠村に、森さんの母らをはじめとする学会員が誕生したのは昭和30年代。以来、JRの職員や学校の教員など、さまざまな職業の友が入れ替わりやって来たという。
JRに勤務する夫・智也さん(男子地区リーダー)と共に2年前に転入した齊藤順子さん(白ゆり長)は言う。
「ここに来たばかりの時は不安でしたが、婦人部の方々の励ましのおかげで、すぐに元気になり、子どもを授かることもできました。小さな村の中で学会を背負う皆さんの姿を、心から尊敬しています」
森さんは語る。「きっと大事なのは、短い間でも、お互いに信心の触発をし合うことなのよ」

地球規模で環境が激変する時代。
だからこそ、目の前の一人の可能性を信じ、関わり続けようとする姿が輝く。変化にとらわれて一喜一憂するのではなく、自分も他者も励ましながら、ゆっくりと、しかし着実に歩みを進める生き方が、いや増して光っていくに違いない。