絶対無事故で
有意義な連休に!
早めのライト点灯など
車の運転も安全第一で。
"百千万億倍の用心"を!
四条金吾殿御返事 P1185
『今度の命たすかり候は偏に釈迦仏の貴辺の身に入り替らせ給いて御たすけ候か』
【通解】
このたび私の命が助かったことは、ひとえに釈迦仏が、あなたの身に入りかわって助けてくださったと思っております。
〈寸鉄〉 2019年9月14日
「此を去って彼に行くには非ざるなり」御書。今いる所で輝くのが日蓮仏法
東京・北区の日。地域に信頼広げる創価の北極星広布と人生の勝利者たれ
家庭でも職場でも居てもらいたい人に—牧口先生信頼こそ宝。誠実第一で
携帯会社の偽メッセージに注意。クリックで詐欺サイトへ。声掛けを徹底
各地で流感が早めの流行と。入念な手洗いや嗽を今から励行。基本が大事
☆ロータスラウンジ 第9回 化城喩品第七(上)
因縁——衆生を目覚めさせる永遠なる「師弟の絆」
法華経について、皆で学び、深めよう——「ロータスラウンジ——法華経への旅」の第9回は、「化城喩品第七」�です(前回は8月20日付。原則、月1回掲載)。
■大要
前回の「授記品第六」の最後、釈尊が遠い過去からの因縁を説くと宣言したのを受け、弟子たちに語り始めます。
三千塵点劫というはるか昔に、釈尊は大通智勝仏("大いなる神通と智慧によって最も勝れた仏"との意)の十六番目の王子として生まれ、法華経を説法しました。その時に発心し、結縁した衆生が今、再び過去からの因縁で、法華経を聴くことができたと述べます。
さらに、「化城宝処の譬え」を通し、二乗の覚りを修行の終着点としていたのは化城のようなもので、真実の宝処は一仏乗であると語ります。
内容を追ってみましょう。
●シーン1
「大通智勝仏」が、「好成」という国土、「大相」という時代に出現しました。
それは三千塵点劫(別掲「三千塵点劫」参照)というはるか昔であるが、私、釈尊は仏の力によって、今の出来事のように知ることができると述べます。
●シーン2
釈尊は比丘(出家した男性信者)に、「大通智勝仏の寿命は、五百四十万億那由他劫である」と告げ、成仏するまでの様子が述べられます。
——大通智勝仏は道場に坐して、魔軍を破って、まさに覚られようとした。ところが、十小劫もの間、心身共に動じることなく坐しても、法を得られずにいました。
その間、?利天は壮大な師子座(仏が座る処)を供養し、梵天王たちは天華を降らせ、四天王たちは天鼓を鳴らし続け、覚りを得られるように応援しました。そして、十小劫を過ぎて成仏できたのです。
大通智勝仏には、出家する以前に、十六人の王子がいました。子どもたちは、父が覚りを得たことを聞き、父のもとに向かいます。王子たちの祖父である転輪聖王も、臣下や人民を連れて向かいます。そして、皆で仏の徳を賛嘆します。
十六人の王子は、父の大通智勝仏に、「法を説いてください」と、説法を請います——。
●シーン3
釈尊は比丘に告げます。
「大通智勝仏が覚りを得た時、世界は震動し、日月が照らせない所まで、明るく照らされました」
次に、十方の梵天(仏法を護る守護神)が、大通智勝仏の説法を請う様子が、詳細に記されていきます。
その中には、御書でも引用されている「願わくは此の功徳を以て 普く一切に及ぼし 我等と衆生とは 皆共に仏道を成ぜん」(法華経298ページ)との、梵天王の願いが記されています。
●シーン4
十六人の王子や梵天たちの要請に応え、大通智勝仏が説法します。
「是れ苦、是れ苦の集、是れ苦の滅、是れ苦の滅の道なり」(同299ページ)、「無明は行に縁たり……生滅すれば則ち老死憂悲苦悩滅す」(同ページ)と、四諦と十二因縁の法が説かれます。(四諦・十二因縁は「なるほど」を参照)
教えを聞いた人々は皆、解脱することができました。
十六人の王子は出家して沙弥(正式な比丘となる前の見習い僧)となりました。その様子を見ていた転輪聖王の臣下たちも出家しました。
それから二万劫の後、大通智勝仏は「妙法蓮華」の教えを八千劫にわたって説いた後、八万四千劫の間、禅定に入りました。仏が禅定している間、十六人の王子は、仏の代わりに、菩薩として「妙法蓮華経」を説き、無数の衆生を教化します。
教化された衆生は、それぞれの師である菩薩と共に、さまざまな仏の国土に生まれ、師の化導をうけます。(これが「在在諸仏土 常与師?生」〈法華経317ページ〉です)
十六人の王子は、それぞれ仏となって、無量の菩薩・声聞を眷属とし、十方の世界で法を説きます。
その十六番目の仏が、私、釈尊であり、私に教化された衆生が、今の声聞たちであり、滅後の声聞たちであると明かします。
「私は十六番目の菩薩として、かつてあなたがたのために法華経を説いた。このゆえに方便を用いてあなたがたを導き、仏の智慧に向かわせてきたのである。この"本因縁"を以て、今、法華経を説いて、あなたがたを仏道に入らせるのである」(法華経318ページ、趣意)
このように、釈尊と声聞たちの「宿世の因縁」が説かれ、さらに、有名な「化城宝処の譬え」が語られます。(「化城喩品第七」�に続く)
なるほど
四諦(苦諦・集諦・滅諦・道諦)は、仏教の最も基本となる四つの真理のことです。
迷いのこの世は一切が苦しみであることを「苦諦」。
苦しみが生じる原因は執着であることを「集諦」。
執着を滅することで、苦しみを克服し、覚りを得ることを「滅諦」。
そして、苦しみを克服し、覚りを得るためには、八つの修行の道(八正道)があることを「道諦」と、それぞれ言います。
十二因縁は、苦悩へと至る過程を、無明、行、識、名色、六処(六入)、触、受、愛、取、有、生、老死(老死憂非苦悩)の12項目に分けて説いたものです。
無明から行が起こり……と、順々に過程を経て老死という苦が起こります。逆に、無明が滅すれば行が滅し……と、順々に滅していくことで老死が滅します。このように、苦悩の生成消滅の因果を知ることで、苦悩から解放されるという教えです。
池田先生は「四諦・十二因縁の法は、仏の悟りの一面を示した方便の教えです。いろいろ言うべきことはあるが、要するに、これらの教えの基本は"苦しみの原因である煩悩を滅することによって、安穏な境地を得る"という点にある。しかし、煩悩を滅するというのは方便であり、仏の本意は、自分が得た無上の悟りを万人に得させることにあります」と語っています。
苦悩を滅することで安楽を得るのではなく、苦悩を歓喜、幸福へと転じていくのが、日蓮大聖人の太陽の仏法です。
◇『法華経の智慧』から 慈悲と智慧の清流
魔軍を破るとは、根本的には煩悩に打ち勝つことを意味していると思われる。しかし、煩悩に勝つことだけが悟りではない。それは悟りの一面です。衆生を救う慈悲と智慧が現れてこそ、本当の悟りなのです。(中略)
慈悲・智慧と言い、煩悩と言っても、「空」であり、実体論的にとらえてはならないことは言うまでもない。そのうえで、分かりやすく言うならば、仏の悟りは、煩悩を「断ずる」のではなく、慈悲と智慧が、煩悩や業を「包み返す」のです。「煩悩・業・苦の流転」を押し返して、「慈悲と智慧の清流」になる。生命の「悪の波」を「善のうねり」へと変える。
煩悩に煩わされないという意味では、静寂で澄みきった境地だけれども、同時に真の躍動があるのです。それは大海のごとき境涯です。いかなるときも、深みでは絶対の静寂と安定がある。
そしてつねに「善のうねり」が生命に躍っている。妙法の働きが「如如として来る」ので、如来です。これが、妙法と完全に一体化した仏の悟りの姿です。
(普及版〈上〉「化城喩品」)
◇三千塵点劫 計り知れない時間を表す
大通智勝仏の滅後から釈尊在世に至るまでの時が長遠であることを表すのに「三千塵点劫」という語が出てきます。
三千塵点劫とは、どのくらいの時間なのでしょうか。
時間を表す単位の「劫」とは、それ自体も計りがたい長遠な時間を表します。
まず、三千大千世界(古代インドの世界観で全宇宙)の国土を粉々にすりつぶして塵とします。
その塵をもって東方に進み、千の世界を過ぎるごとに塵を一つずつ落としていきます。そして、全ての塵を下ろし尽くした後に、通り過ぎた全ての世界を集めて、粉々にすりつぶします。
こうしてできた全ての塵を、一粒を一劫として数えた時間が、三千塵点劫になります。
このように、数えようにも数えられないような時間を、単なる数字で表すよりもイメージを使うことで、"計り知れない"ことを実感させようとしているのです。