2019年9月11日水曜日

2019.09.11 わが友に贈る

厳しい残暑の日々。
水分補給や室温調整など
引き続き熱中症への
注意を忘れずに!
健康第一で進もう!

曾谷殿御返事 P1056
『何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し』

【通解】
いかに法華経を信じていても、謗法があれば必ず地獄に堕ちるのである。漆千ばいの中に蟹の足を一つ入れたようなものである。

〈寸鉄〉 2019年9月11日
会長は人類が行動の模範とすべき人—学部長。励ましと正義の対話我らも
人間の偉さは肩書でなく実力があるか否か—恩師青年よ自己の錬磨怠らず
夏の疲れが出る季節だ。白馬が駆ける如き唱題で生命力満々と躍動の秋へ
気候変動は、今日、対策を開始すべき課題—識者。足元から取り組みの一歩
常温保存できる液体ミルクを災害備蓄にする動き拡大と。公明の実績光る

☆世界広布新時代第42回本部幹部会から(活動体験) 静岡清水区 村尾耕吾区副総合長 2019年9月10日
◇苦難に負けず師と共に前へ
一、1957年、私は鳥取県で母と共に入会しました。当初は信心に反対していた父も、母の変わっていく姿と、自らのアキレス腱断裂を機に入会。兄姉も含め、家族6人で信心に励みました。
母は、聖教新聞の配達員として、広大な地域を何十年も徒歩で配っていました。
私も子どもの頃、雪の日には母を手伝い、白銀の道を一軒一軒、配達した思い出が残っています。
高校卒業後は大手電機メーカーに就職。以来、ずっと静岡の清水の地で暮らしています。男子部でも第一線で戦い、誉れの創価班1期生として学会厳護の任務にも挑戦しました。
壮年部に移行してからは、支部長、本部長、分区長などを務め、職場では工場のライン担当から工務課へ異動となり、日本各地や海外の工場の立ち上げ、技術指導に奔走しました。とりわけスペインへの長期出張の際、破邪顕正のために戦う同志の皆さんと交流できたことが、最高の信心の財産になっています。
一、2010年には清水総区(当時)の新聞長という新たな使命を頂きました。心は張り切っていたのですが、体はだるくて仕方ありません。妻が「首の後ろが腫れている」と言うので病院に行きました。
診断は、悪性リンパ腫の一つである「濾胞性リンパ腫」。医師からは「すでにステージ4で、すぐに治療を進めないと来年までの保証はできない」と告げられました。
信心しているおかげか、不思議と動揺はありませんでした。"この病魔に勝つことが新しい役職を頂いた責任"と、入院前には友人に「これが最後のお願いになるかもしれないから」と訴え、16部の聖教購読推進ができました。
入院後も、ベッドのそばには常に聖教新聞を置いておきました。病室を訪れる看護師や薬剤師から、「これは何の新聞ですか」と質問を受けるたびに、紙面を通じて仏法対話。担当医も、日々、聖教紙面を目にするうちに「学会はすごいね」と言うまでになりました。
とはいえ、入院が長くなると、次第に気持ちも弱っていくものです。夜、池田先生へのお手紙を書いていたら、どうしても涙があふれて止まらなくなりました。それを見回りにきた看護師に見られ、遺書でも書いているのかと勘違いされたこともありました(笑い)。
このお手紙に対して、池田先生から「お題目を送っています」とのご伝言を頂きました。先生が祈ってくださっているんだと思うと、闘う勇気が湧きました。
病室からでも、できることをやろうと、支部・地区で奮闘してくださっている新聞長にも電話やメールで激励を続けました。
闘った功徳なのか、当初1カ月は6人部屋で、何かと気を使い、睡眠不足で体調を崩しがちだったのですが、無菌室に空きが出て1人部屋として使わせてもらえることに。唱題することができ、生命力がみなぎりました。
顔見知りになった看護師や薬剤師からも相談を持ち掛けられるようになり、「元気で頑張って」と励ますたびに、「どっちが患者なのか分からない」と言われるほどでした。御書の全編拝読も達成。治療でも副作用が全く表れず、順調に体調が回復していきました。
一、しかし、さらなる試練が襲いました。娘の夫が交通事故で急逝したのです。憔悴し切った娘を見ることは、自分の病気以上に、つらかったです。それでも唱題に唱題を重ね、なんとか退院することができました。
濾胞性リンパ腫は、他のがんと比べて再発率が高く、完全に治すことが難しい病気です。私自身、退院後も、たびたび通院し、抗がん剤治療を行いました。そして、日々の唱題と地道な学会活動を根本に闘い続けてきました。
聖教の代配も25年以上になります。新聞長としても、自らが先頭に立って推進に挑戦。購読先には、小まめに連絡を取り、その人に合った記事を伝え続けました。娘にも少しでも元気になってもらいたいと、よい記事を見つけたら読むように勧めました。
また、壮年部の購読推進ゼロ地区をなくすため、地区新聞長と徹底して訪問・激励に取り組みました。新聞長が集っての購読推進体験談大会も定期的に開催。代表が披露する推進の苦労話に、共感と称賛、笑顔が広がり、いつも大盛況です。今では毎月、全地区の壮年が元気いっぱい購読推進に挑戦しています。
少しずつですが娘も元気を取り戻し、昨年には良い人に巡り合い、再婚することができました。来年には孫も生まれる予定です。新たに御本尊を受持する時、ずっと見守ってくださった地域の同志に祝福され、「ありがとうございます」と満面の笑みで応えた娘の顔は、誰よりも娘の幸福を祈り続けてきた妻と、私にとって何よりの「心の財」となりました。
一、暮らし始めて48年目を迎える清水の地にも恩返ししようと、現在は自治会長を務めています。長年、町内のソフトボールチームやママさんバレーの監督を通じて交流を深めてきた方々にも学会理解が広がり、「8・24」を目指しての聖教拡大でも、新規13部を含め、32部と過去最高を達成することができました(拍手)。
私が入院する前に購読してくださった方々も、「あの時、最後って言ったのに。しぶといね」(笑い)と笑いながら、今では長期購読者になってくださっています。昨年は、長年の愛読者2人を入会に導くことができました(拍手)。
病気との闘いは、これからも続きます。しかし私にとって、まさに「やまひは仏の御はからひ」(御書1480ページ)です。病気や悩みがあったからこそ、今、同志を心から励ますことができます。
池田先生や同志と共に戦える一日一日に感謝し、何があっても朗らかに、まずは本年の11・18「世界聖教会館」の完成を目指して、戦い抜いていきます(拍手)。