我らの題目は
苦悩を歓喜に転じ
歓喜を大歓喜に変える。
「苦楽ともに思い合せて」
唱題第一で前進しよう!
開目抄下 P232
『散善微弱なるは動せしむること能わず』
【通解】
散乱した心でなす微弱な善根によっては、生死の業苦を動かすことができない。
〈寸鉄〉 2019年9月19日
御聖訓「是を耳に触るる一切衆生は功徳を得る」。勇気胸に正義を語り抜け
「これからは青年の力で決まる」戸田先生。若人らしく大胆に!日々挑戦
一生の仕事を見つけた人は幸福である—歴史家。誓願に生きる誉れの人生
食品ロスの削減は温暖化対策でも重要—報告書。持続可能な社会へ今こそ
高齢者、誤飲事故に注意。医薬品の包装物や入れ歯等多く。周囲も気配りを
☆ワールドトゥデイ 世界の今 イグアスの滝を望むパラグアイの国境地帯 2019年9月12日
◇「世界一の支部をつくってください」
創価家族のスクラムは192カ国・地域に広がり、広宣流布は「世界同時進行」である。新連載「WORLD TODAY——世界の今」では、写真を大きく使ったレイアウトで海外の広布伸展の様子を伝える。第1回は、イグアスの滝を望むパラグアイの国境地帯で活動する「イグアス支部」の今を追った。(記事=佐口博之、写真=上沢尚之)
世界三大瀑布の一つ、南米のイグアスの滝。幅4000メートル、最大落差80メートル。轟音とともに舞い上がる水煙。鮮やかな虹が天に向かって弧を描く。その絶景は大自然が生んだ奇跡としか言いようがない。
この"世界一の滝"は、パラグアイSGIの友にとって特別な場所だ。滝を望むパラグアイの国境地帯には「イグアス」の名を冠した支部がある。
——1974年、池田大作先生はブラジルを訪問する予定であった。しかし、学会に対する誤解などがもとでビザが発給されず、ブラジル行きはなくなった。
この時、パラグアイ音楽隊は、先生の前で決意の演奏を届けようと、ブラジルを目指していた。だが、彼らも入国は許されなかった。それでも、ブラジル国境のイグアスの滝までは、バスで入ることができた。
"ここで演奏しよう! 池田先生にも届くはずだ"
彼らは轟音と競うかのように、力いっぱい奏でた。
当時、音楽隊員だったパラグアイSGIのヤマモト副理事長は「"必ず先生をパラグアイにお迎えしよう"——皆が誓いを立てた瞬間でした」と振り返る。
念願がかなったのは93年2月のこと。同国を初訪問した先生は総会の席上、力強く呼び掛けた。「世界一のイグアスの滝、世界一の水力発電を有するイグアス支部の皆さま! 世界一の支部をつくってください」
◇多彩な文化と伝統が融合 師弟に生き抜く心は一つ
8月中旬、首都アスンシオンから約300キロ、車で約5時間半かけて、イグアス支部総会に向かった。
同支部の活動の舞台は、パラグアイ東部のシウダー・デル・エステ市と、そこから約40キロ西にあるイグアス移住地(イグアス市)が中心だ。
この二つの地域は、文化も習慣も大きく異なり、一般的には交流が少ないという。だが、支部総会(エステ市栄光文化会館)で見たのは、イグアス広布に向かって、心一つに前進する友また友の姿であった。
この日一番の大拍手が起こったのは、御本尊授与の場面だった。新たに、日系、台湾系、ベネズエラ出身の4人の友が入会したのである。
それは、イグアス支部の特色を物語っていた。
フェルナンド・モンヘロさん(支部長)は語る。
「イグアスには伝統があり、エステには多様性があります。メンバー構成は日系、台湾系、現地出身がそれぞれ3分の1です。アルゼンチンやブラジル、さらにインド出身のメンバーも元気に活動していますよ」
イグアス支部では「伝統」と「多様性」を見事に融合させ、人材の園を大きく広げていた。
◇
イグアス支部の「伝統」は、イグアス移住地から始まった。戦後、農業の開拓民としてパラグアイに渡ってきた日系人とその子孫が中心だった。
移住地の歴史を知るために、移住資料館を訪れた。
密林を農地に切り開くことから始まった移住当時の苦労の様子が、数々の写真から感じ取れる。
今、移住地に広がる多くの大農園もまた、先駆者の汗と努力の結晶にほかならない。
移住の歩みを丁寧に説明してくれた資料館のスタッフは長年、学会員との交流があった。「移住地の学会員の方々は、昔から本当に熱心でしたよ。エネルギーに満ちあふれていましたね」と語ってくれた。
広島から移住したキミタダ・ナガハマさん(支部指導員)は1968年、この移住地で折伏を受けた。
「朝・昼・晩、何度断っても、学会員が仏法を語りに来たんです(笑い)。"もう勘弁してくれ"と言っても、全く引き下がらない。あまりに真剣だったので、私も腹をくくり、試してみようと決めたんです」
以来、ナガハマさんは真面目に信心に励んだ。すると、仕事が軌道に乗りだし、将来への不安が希望に変わった。苦手だったスペイン語も、仏法を伝えたい一心で学んだという。イグアス支部の支部長を18年務め、80歳を超えた現在も最前線を歩く。「かつては日系移民が中心の組織でしたが、今は多国籍です。新しい人が多いから伸びしろがあり、今後が楽しみです」
ユリコ・オオニシさん(支部婦人部長)の義父母であるフミヒサ・オオニシさん、テイコさん夫妻もイグアス支部の先駆者だった。97年、末期がんの診断を受けたテイコさんは、家族を集めて語った。
「生きているうちに広布の会館を建てたい」
そして翌98年2月、念願の「イグアス・オオニシ会館」が完成した。誰よりも喜んだテイコさんは、その数カ月後、安らかに霊山へ旅立った。
同会館は今、全同志の信心触発の場になっている。
「母は亡くなる直前、『やっと信心のいろはが分かった気がする』と語っていました。どこまでも広布のために行動する母でした」(オオニシ支部婦人部長)
この求道の心こそイグアス支部の「伝統」である。
イグアス支部の「多様性」は、シウダー・デル・エステ市の発展とともに、一段と高まっている。
ここには、91年に竣工した世界最大級の発電能力を誇るイタイプダムがあり、ダム関係で働く人が多い。
また、パラグアイとブラジルをつなぐ国境の橋周辺にはショッピングエリアがあり、安価な電気製品や化粧品、衣類などを求めて、隣国からも買物客が連日、押し寄せている。こうした街の発展に伴い、ビジネスの関係で移住してきた人々も増えている。中でも、台湾からの移住者が一大拠点を形成している。
一方で、近年、治安の悪化が著しいという。
15年前から同市で暮らすモンヘロ支部長は言う。「多様性のある地域柄、ちょっとしたことで衝突が増えています。根底に人間への不信があると思います」
入会は1998年。自身もかつて人間不信から自暴自棄になり、アルコール中毒に陥った経験がある。そんな時、叔父から折伏を受けた。仏法を学ぶ中で、どうせ生きるならば、人のために尽くす人生を歩みたいと思ったという。時間はかかったが、酒も断った。
モンヘロ支部長の信念は「率先して行動する」こと。一人一人の"差異"を理解しながら、励ましを送っている。「創価の世界が広がれば、地域は変わります。今の5倍の拡大を目指します」と意気込む。
イグアス支部の「伝統」と「多様性」を融合させゆく力とは何か。台湾出身のイー・シューチンさん(婦人部支部指導員)が語っていた。「私たちは世界一の師匠のもと、日々、祈りを合わせています。だからこそ、多様性を力に変え、団結していけるんです」
そして、あの日、池田先生が示した指針こそが、イグアス支部の大きな原動力となっている。
「世界一の支部をつくってください」