◇今週のことば
任用試験の友と共進!
「一文一句なりとも
かたらせ給うべし」
最極の生命哲理を
楽しく学び語ろう!
2018年5月28日
船守弥三郎許御書 P1445
『かかる地頭万民日蓮をにくみねだむ事鎌倉よりもすぎたり、みるものは目をひききく人はあだむ』
【通解】
この地の地頭や万民が日蓮を憎みねたむ事は鎌倉よりも激しい。日蓮を見る者は目配せをし、日蓮の名を聞く人は怨んでいる。
〈寸鉄〉 2018年5月28日
アメリカ創価大学で希望の卒業式。創立者の心を胸に。生涯、平和の大道を
宮城県婦人部の日。わが地域に慈愛と励ましの光を!福光の太陽は燦たり
他人の幸福を促進する事は人間全ての義務—哲人利他の汗光る人生は誉れ
ストレスに強い人の共通点—何でも話せる相手がいる事と。同志の絆は宝
不審火相次ぐ。建物周辺に可燃物を置くな。整理整頓で犯罪の火種を消せ
☆誓いの天地 岐阜市 2018年5月21日
◇使命の舞台で地域を支える
金華山にそびえ立つ岐阜城、鵜飼で有名な長良川。岐阜市は、歴史と文化が輝く町である。
戦国武将・織田信長が、この地一帯を平定し、地名を「岐阜」と改めて昨年で450年。その名は、古代中国の名君・周の文王が決起した「岐山」、孔子が生まれた「曲阜」に由来するともいわれる。
名古屋から電車で約20分とアクセスがよく、岐阜駅周辺は開発が進む。病院数や医師数は全国平均を上回るなど、東海地方で屈指の医療環境が整い、子どもからお年寄りまで、誰もが住みよい街づくりが進められている。
荒木栄子さん(稲葉圏、女子部部長)は介護福祉士としてグループホームで働く。
仕事を始めたばかりの頃は、利用者と思うようにコミュニケーションが取れず、感情的になってしまうこともあった。
悩みながらも、女子部の活動に参加する中で、"自分に足りないのは、相手のことを第一に考えて接する姿勢"と気付いた。
以来、毎朝、利用者の顔を思い浮かべ、健康を祈ってから出勤。次第に、利用者の言葉の後ろにある心に思いを馳せるようになった。相手を受け入れ、寄り添っていく心の余裕が生まれた。
その中で考案した職場の改善方法が評価され、2014年(平成26年)には、全国のグループホーム事業所が参加する実践・研究報告会に、中部地区の代表として参加した。
不規則な勤務形態の中でも学会活動に率先し、婦人部の先輩と共に地道に訪問・激励に歩く荒木さん。
「未来部から創価家族の中で育ちました。恩返しの思いで、地域に華陽のスクラムを広げていきます」
◇
岐阜市で生まれ育った浦田一将さん(長良大勝圏、ニュー・リーダー)・拓馬さん(同)は、双子の兄弟。兄の一将さんは建築関係の会社に勤める傍ら、ボランティアで高校生を相手にバレーボールのコーチを。高校の講師として働く拓馬さんも、バレー部の監督を務める。
父の影響でバレーボールを始め、小中高と全国大会に出場。高校時代には兄弟そろって地元・岐阜で開かれた国体にも出場した。
一将さんは昨年、牙城会大学校に入校。友人の幸福を祈り、弘教に挑んだ。
そうした中、縁あって現在のコーチの話が舞い込んだ。"バレーボールで地域に貢献したい"との願いが形になり、題目の力を実感した。昨年からヤング男子部の本部責任者に。拓馬さんも今年、男子部大学校1期生となった。
2人には、大切にしている書籍がある。それは池田先生から贈られた『青春対話』。高校時代、部活動での決意を認めた手紙に対して届けられたものだ。
未来を担う子どもと接する立場となり、再び同書を繙くように。「自身が対話拡大の先頭に立つとともに、子どもたちに、負けじ魂や団結の大切さを伝えていきたい」。2人は声を弾ませた。
◇栄光の共戦譜
●天下にそびゆる広布の城を
1959年(昭和34年)3月26日、岐阜市を訪れた池田先生は、幹部への指導会で御書を拝しつつ、語った。
「信心することも折伏することも、全部が自分の幸福のためです」
「今、どんなに苦しい宿命と戦っていても、必ず転換できる。宿命を転換し、福運を積み切っていく信仰が、日蓮仏法なのです」
大確信の講義。友の心に広宣の炎が燃え上がる。
60年(同35年)5月3日、広布史に燦然と輝く池田先生の第3代会長就任のその日、岐阜支部が誕生。
青年会長の指揮のもと、一段と広布は拡大し、72年(同47年)3月11日、岐阜本部が落成する。
開館式には先生が出席し、集まった地元の会員に温かく語った。
「10年、20年、30年とまじめに信心に励んでいってください。幸せな功徳に満ちた家庭を築いていってください」
この日、役員として参加していた宇野松子さん(長良大勝圏、圏副婦人部長)。作業していた部屋の裏口の扉が突然開き、先生が入ってきた。
「陰で支えてくださる役員の皆さん、ご苦労さま!」
そして、裏庭で宇野さんら婦人の役員と記念のカメラに納まった。「陰の人を大切にされる先生の慈愛を感じました」と宇野さん。
夫の陞さん(同、副本部長)も、男子部の部隊長として整理役員を務めていた。
その日、開館式の途中から雨が降りだした。先生は式典終了後、雨の中で片付けをしている青年部員を見つけると、側にいた幹部に言った。
「大切な青年が雨に濡れているじゃないか。すぐ中に入れてあげなさい」
近くにいた陞さんは、青年を思う師匠の真心に、衝撃にも似た感動を覚えた。
以来、宇野さん夫妻は、師との原点を胸に広布拡大にまい進。松子さんがこれまでに実らせた弘教は、100世帯を超す。秘訣は、「よく話を聞くこと」、そして「日頃の心の交流」と。今年も弘教を成就した。
陞さんは保護司を12年。自治会長も長く務め、学会では現在、圏の地域部長として奮闘する。夫妻は「報恩の心で、広布のため、地域のために二人三脚で前進します」と朗らかに語る。
◇
「よし、行こう! 岐阜へ!」
第3代会長辞任から1年後の80年(同55年)5月10日、先生は、名古屋から岐阜へ向かった。岐阜文化会館(当時)の周辺に咲き誇る、レンゲ草の花々が先生夫妻を迎えた。
障魔の嵐を耐え、広布の道を真っすぐに進んできた岐阜の友。11日に行われた支部結成20周年記念の支部長会で、先生は呼び掛けた。
「師子は鎖を断ち切った!」「私は何も変わらない。恐れるな! さあ、私と共に戦おう!」
ドクター部の川瀬晴美さん(岐阜圏、副圏長)はこの日、救護役員として、先輩と2人で待機していた。先生は会合終了後、わざわざ2人のもとを訪れ、ねぎらってくれた。
「君は将来、どのような進路に進みたいのですか」と尋ねる先生に、川瀬さんは、大学で教員として働きたいと決意を述べた。
先生は「分かった」と頷き、渾身の励ましを。漠然と抱いていた大学教員という夢が、不動の誓願に変わった瞬間だった。
川瀬さんは当時、臨床検査技師として大学病院で働いていたが、誓いを果たすため、医学部の研究生に。男子部では副本部長、壮年部でも支部長、本部長など、広布の最前線を走りながら、時には深夜まで研究にいそしんだ。
2006年(平成18年)、念願の医学博士号を取得。県内の大学で教壇に立ちつつ、山間部の遠隔医療にも携わる。「先生との約束を果たそうと挑戦を続けてきたからこそ、今の私があります。生涯、師との誓いに生きる人生を貫きます」
◇
先生は同日、各務原文化会館へ。その帰路、会員宅を訪れ、居合わせた同志を激励している。
神谷千代子さん(長良圏、地区副婦人部長)は、長男・広志さん(同、副圏長)の妻・和美さん(同、婦人部副本部長)と、幼い孫の友子さん、清志さんを連れて、4人で駆け付けた。
「先生は私たちを包み込むように、両手をばっと広げられ、子どもたちの頭をなでてくださいました」
先生は「お孫さんだね」と優しく千代子さんに語り掛け、心からの期待の言葉を贈った。
千代子さんは貧乏のどん底の中、59年(昭和34年)に入会。みかん箱に御本尊を御安置して祈った。数年後、左官職人だった夫が独立し、経済的にも安定していった。50年以上前から自宅を広布の会場に提供している。
"皆が楽しく暮らせる地域に"と始めた、ちぎり絵の同好会には多くの友人が参加。92歳の今も、押し車を使いながら対話に歩く日々だ。
和美さんは大病を乗り越え、地域活動にも率先。孫の友子さんは地区婦人部長として広布に駆ける。清志さんは関西創価中学・高校、創価大学を卒業し、愛知県で教育関係の仕事に従事する。
今、4人の子ども、8人の孫、6人のひ孫に囲まれる千代子さん。
「先生のお陰で、"私ほど幸せな者はいない"と言える境涯になりました。その感謝を忘れず、"いよいよ、これから"との心で広布に走ります」
◇
先生は岐阜の友への万感の思いをつづっている。
「広宣流布の歴史を着実に進めてきた天下の岐阜よ! 天下にそびゆる、広宣流布の栄光城よ! いついつまでも勝ちゆけ! そして、日本一の楽しき同志の和楽の団結を示してくれ給え!」
本年12月の岐阜広布65周年へ、友は天下に輝く栄光の人材城を築きゆく。