◇今週のことば
眼前の一人との語らいが
未来へ 世界へ広がる。
「弥よ申し聞かすべし」
友の幸せを祈って
希望の声を凛々と!
2018年5月21日
上野殿御返事 P1563
『父母の恩のおもき事は大海のごとし現世をやしなひ後生をたすけざれば一�のごとし』
【通解】
父母の恩の重く深いことは大海のようであり、現世だけを養い、後生を助けないのは、一しずくの水のように僅かなものである。
〈寸鉄〉 2018年5月21日
韓日両国の青年部が友情総会。師弟に生き抜く心は一つ。宝の橋を万代へ
池田先生の"山光提言"の日。地域に励ましの光を。鳥取・島根よ太陽と輝け
妙の一字の智剣を以て生死煩悩の繩を切るなり—御書。祈り強く。勝利の源
5月は自転車月間。イヤホンや携帯のながら運転は厳禁。呉々も無事故で
頻繁に怒る親の子どもは怒りっぽいと。家庭こそ人格育む教育環境と銘記
☆世界宗教の仏法を学ぶ 第4回 持続の信心——日々、新たな決意で出発
連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導や励ましを教学のテーマ別に掲載。併せて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第4回のテーマは「持続の信心」です。
◇小説「新・人間革命」第26巻「奮迅」の章
【あらすじ】1978年(昭和53年)、学会では「広布第二章の『支部制』」がスタートし、山本伸一会長は年頭から激励を開始する。2月19日には、東京・立川文化会館で開催された「信越男子部幹部会」へ。会場には、山本伸一の闘魂に満ちあふれた力強い声が響いた。
「『さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて!
決められた決勝点は取り消すことができないのだ』
これは、ホイットマンの詩集『草の葉』にある、有名な一節であります」
集った青年たちは、伸一の指導の一切を吸収するのだとばかりに、眼を輝かせて、耳を澄ましていた。
このホイットマンの言葉は、伸一が若き日から深く心に刻み、暗唱してきた詩であり、これまでに何度となく、多くの青年たちに伝えもしてきた。
「さあ、出発しよう——とは、過去にとらわれるのではなく、晴れやかに、未来をめざして生きる青年の姿です。"いよいよ、これからだ"という日々前進の心意気です。間断なき挑戦の気概です。
信心は持続が大切ですが、持続とは、単に、昨日と同じことをしていればよいという意味ではありません。それでは惰性です。"さあ、出発しよう"と、日々、新たな決意で、自分を鼓舞して戦いを起こし続けていくのが、本当の持続の信心なんです。
毎日、毎日が、新しい出発であり、勝利の日々であってこそ、人間革命も、人生の大勝利もあることを知ってください。
悪戦苦闘——これは、広宣流布のため、自身の人生の勝利を飾るために、必ず経なければならない道程なんです。偉業を成した人は、皆が、迫害、非難、中傷にさらされ、ありとあらゆる苦難と戦っています。
創価の大道を開いてくださった初代会長の牧口先生も、第二代会長の戸田先生も、軍部政府の弾圧と命を懸けて戦われています。私たちは、その師子の子どもです。勇んで悪戦苦闘のなかに身を置き、それを突き抜けていくなかに、自身の人間革命があるんです」
人生は波瀾万丈であり、悪戦苦闘しながら進んでいかなければならない日々もある。しかし、その試練に挑み立つ時、自らが磨かれ、鍛えられ、強く、大きく、成長していくのだ。
山本伸一は、一段と強い語調で語った。
「悪戦苦闘は、われらにとって、避けがたき宿命的なものです。しかし、決められた決勝点、すなわち、われらの目的である広宣流布、また、一生成仏、人間完成、福運に満ちた勝利の実証を示すという、人生の決勝点は取り消すことはできない。
たとえば、ひとたび飛行機が飛び立ったならば、飛び続けなければ次の目的地に着くことはできません。その途中には、強風もある。雷雲も発生するかもしれない。ましてや、われわれは、地涌の菩薩の聖業であり、人生の最極の目的である広宣流布のための戦いを起こした。悪戦苦闘を覚悟するのは当然です。私は、皆さんが苦闘を誇りとして、信心の確信と歓喜を胸に、凜々しく進んでいかれることを、日々、真剣に祈っております」
※ホイットマンの言葉は、ウォルト・ホイットマン著『詩集 草の葉』(富田砕花訳、第三文明社)から
◇理解を深めるために
●「不退の心」こそ成仏の道
ここでは、信心の実践において重要な「受持」について解説します。
「受持」とは、正法を信じて心に受け入れ、忘れずに持つことです。日蓮大聖人は、末法の凡夫が成仏するための観心の修行は、南無妙法蓮華経の御本尊を受持することに尽きるとして、「受持即観心」の法門を示されました。
御書には、「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり」(1136ページ)とあります。
御本尊を信受すること以上に、信仰を持ち続け、一生涯信心を貫くことは、非常に難しいことです。御書に、「法華経の信心を・とをし給へ」(1117ページ)とあるように、大聖人は弟子や門下に対し、御書のいたる所で、信心を貫き通していくことの重要性を強調されています。
また、「成仏は持つにあり」との仰せのように、「持つ」とは、競い起こる難と戦い、仏の教えを実践していくという能動的な姿勢にほかなりません。
「信心を貫き通す」「持ち続ける」というのは、いかなる障魔が現れようとも決して紛動されることなく、生涯、不退の信心を貫くことです。そこにこそ、一生成仏の道があるのです。
◇日蓮大聖人の御書から 「上野殿御返事(水火二信抄)」について
●水の流れるような実践を
日蓮大聖人は「上野殿御返事(水火二信抄)」で、信心に取り組む姿勢に「火の信心」と「水の信心」があるとして、次のように仰せです。
「聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」(御書1544ページ)
具体的に「火の信心」というのは、火が一時的に激しく燃え上がるように、感激した時には真剣に唱題や弘教に励みますが、永続性のない信心です。
一方、「水の信心」は、派手で目立った行動はなくとも、心堅固に、常に水が流れるように、不退の決意と使命感をもって、生涯、信・行・学を持続し抜いていく人の信心です。
私たちが実践するべきは、「水の信心」です。
創価学会第2代会長の戸田城聖先生は語られました。
「たゆまず流れ出ずる水の信心であれ! 溜まり水は、動かないから腐ってしまう。人間も同じだ。進まざるは退転である」と。
私たちは、どこまでも水の流れるような信心を続けていきましょう。