2018年5月8日火曜日

2018.05.08 わが友に贈る

「人を敬う」行動は
最高の「人の振る舞い」。
自他共の仏性を信じ抜く
創価の対話運動こそ
よき社会を築く力だ!

妙法曼陀羅供養事 P1306
『されば此の良薬を持たん女人等をば此の四人の大菩薩前後左右に立そひて此の女人たたせ給へば此の大菩薩も立たせ給ふ乃至此の女人道を行く時は此の菩薩も道を行き給ふ』

【通解】
この妙法の良薬を持った女性等を、上行菩薩をはじめとする四人の大菩薩が前後左右に立ちそって、この女性が立たれたなら、この大菩薩たちも立たれ、この女性が道を行く時には、この大菩薩たちも、その道を行かれるのです。

〈寸鉄〉 2018年5月8日
「仏の種は法華経より外になきなり」御書。情熱で語り抜け!必ず花と咲く
常勝埼玉師弟の日。鉄桶の団結に勝る力なし。彩の国に拡大の金字塔築け
任用試験の申し込み13日まで。最極の幸福学学ぶ喜び、あの友この友にも
高齢運転者は無違反でも過信禁物—警視庁。悲劇は突然。周囲も注意の目
日本の子ども、37年連続減少と。一人も漏れなく使命の宝。励ましを更に

☆第22回農漁村ルネサンス体験主張大会から(中) 岩手県二戸市 小笠原幸子さん
◇酪農家に嫁いで悪戦苦闘 「乳質改善大賞」に輝く
岩手県の最北地域にある二戸市で、夫と酪農を営んでいます。
私は東京の荒川区生まれ。2004年、再婚を機に、酪農家に嫁ぎました。
50歳になる私を、村の方は「久しぶりに花嫁が来た」と、胴上げまでしてくれました。
田舎暮らしは想像以上に大変でした。夜は真っ暗で、静か過ぎて不気味。怖さを紛らわせようと題目に力がこもります。
それより戸惑ったのは地域の方言です。話の半分以上が分かりません。寒い日はマイナス15度。雪深く、とても外に出る気分にはなれません。
「どうしてこんな所に来ちゃったんだろう」と、涙を流したこともありました。
思い出すのは、つらかったことばかり。前の夫との離婚。職場でいじめに遭ったこと。子どもたちを育てるため、ラーメン屋で深夜まで働いたこと。娘の修学旅行のお金の工面に駆けずり回ったこと……。
唯一の支えは、高等部時代に「幸せになるんだよ」と池田先生が励ましてくださったことです。負けそうになるたびに思い出し、泣きながら唱題しました。
酪農家の一日は長く、夫はとても多忙です。その夫を少しでも手伝いたいと、牛舎に一歩踏み込みました。すると牛が一斉に私を見るのです。その牛の目が怖い。
慣れてくると、今度は臭いがきつい。その上、私は牛乳が大の苦手。よく酪農家に嫁いだなと思います。「よし、"五十の手習い"。できることから始めよう」と決めました。
夫に言われるままに、早朝の餌やりから始めました。35頭の牛一頭一頭、体重が違うので餌の量も違うのです。
経験豊富な夫は「だいたいこれぐらい」と簡単に言いますが、その「これくらい」が分かりません。100円ショップでホワイトボードを買い、毎回の餌の量を書き込みました。私なりの"見える化"でした。
一頭一頭、搾乳もしました。午前中いっぱいかかります。糞尿の掃除も大変でした。夜も牛の体調管理にフル稼働、作業は深夜にまで及びます。それが一年365日続きます。
そんな私にも転機が訪れました。牛の初出産に立ち会った時でした。陣痛で母牛が暴れるのです。必死で母牛を支え、題目を唱えながらなだめました。
牛にも題目が届いたのか、少しずつ落ち着いてきました。足が出てきました。生命が誕生した瞬間は何とも言えません。涙があふれました。
「よく頑張ったねえ」。母牛に声を掛けました。この時から私は牛に愛情を感じるようになりました。
牛への愛情が深まると、気になることが出始めました。牛舎の天井いっぱいに広がっているクモの巣、あちこちに散らばっている空き缶など、男性目線では気にならないことが気になるのです。
私は心を込めて片付けました。また牛舎の敷きわらは牛が滑りやすいので、おがくずに変えてみました。すると臭いの吸収効果もあり、快適になりました。
次第に「小笠原さんの牛舎は、弁当も食べられるくらいきれいだよ」と組合で評判になりました。
牛のストレスが軽減されると、おいしく、質のいい乳が出るようになりました。"甘くて濃厚な牛乳"と味も評判になりました。岩手県では毎月2回、乳質検査が行われます。その厳しい検査の結果、うちの牧場が、なんと「乳質改善大賞農家」という輝かしい賞を受賞することができ、それも連続受賞という画期的な評価をいただきました。
当初、地域の方から「あの嫁は、すぐに逃げ出すよ」と言われた私が、「幸子さん、岩手中央酪農業協同組合の青年婦人会議の委員長をお願いできないか」と期待されるようになったのです。
びっくり仰天でした。池田先生は私たち農漁光部に「地域の灯台たれ」と言われていますので、新たな任をお受けしました。お陰で組合の先輩の皆さまから多くのことを学ばせていただきました。
2012年には「東北酪農青年婦人会議酪農発表大会」で、組合を代表して登壇することになりました。都会から地方に移住することを「Iターン」と言いますが、私は、酪農家としての日々を愛する、という意味で「愛ターン」と題して発表。思いもかけず、優勝してしまいました。
東北を代表して全国大会に出場することになり、村の人たちは「幸子さんは、私らの誇りだよ」と、自分のことのように喜んでくれました。
全国大会当日、夫は、涙を流して喜んでくれました。いつも支えてくれる、愛する夫への恩返しができたかなと思っております。夫は未入会ですが、活動に励む私を最大に応援してくれています。きょうは、夫と次女も参加しています(拍手)。
今では、苦手だった牛乳もシチューにして、おいしくいただけるようになりました。「んだんだ」と私が言うと、東京の友人から「幸子さん、今なんて言ったの」と言われるくらい方言に堪能な、岩手"二戸ウーマン"になりました。
夜空に輝くきれいな星を仰ぎながら、夫と一緒に仕事に励める今、私は本当に幸せです!
東日本大震災から7年。東北復興のけん引力となるべく、これからも、地域の方々と力を合わせ、健康を増進する、おいしい牛乳の生産に全力を挙げてまいります。