2018年5月15日火曜日

2018.05.15 わが友に贈る

何事も受け身では
真の喜びは得られない。
時を創り 道を開こう!
わが一念を定めた時
生命も環境も躍動する。

椎地四郎殿御書 P1448
『先日御物語の事について彼の人の方へ相尋ね候いし処仰せ候いしが如く少しもちがはず候いき、これにつけてもいよいよはげまして法華経の功徳を得給うべし、師曠が耳離婁が眼のやうに聞見させ給へ』

【通解】
先日話されていたことについて、彼の人の方に尋ねたところ、あなたが仰せになられたのと少しの違いもなかった。
これにつけてもいよいよ信心に励んで法華経の功徳を得られるがよい。師曠(しこう)の耳、離婁(りろう)の眼のように、聞き、見ていきなさい。

〈寸鉄〉 2018年5月15日
師子王は前三後一—御書青年よ眼前の戦いに全力を!今が大成長の好機と
福島県婦人部の日。うつくしまを照らす太陽の母よ!弾む心で対話を拡大
沖縄本土復帰46年。戦争は二度と起こさせぬ!誓いの友ありて楽土永久に
国連の「国際家族デー」。家庭こそ平和創出の礎。我らは和楽の信心で前進
母親の3分の2が子供と遊ぶ最中に携帯操作と。子は大人の鑑と意識持ち

☆5・3「創価学会の日」「創価学会母の日」記念特集(下) インタビュー アメリカ・エマソン協会元会長 サーラ・ワイダー博士
対話とは「聞くこと」「分かち合うこと」
全ての人が尊重される社会へ 心結ぶ「草の根」の運動を共に
女性の力を引き出す池田SGI会長の励まし

5・3「創価学会母の日」制定30周年を記念して、アメリカ・エマソン協会元会長で、コルゲート大学教授のサーラ・ワイダー博士に、婦人部の草の根の運動への期待を聞いた。(聞き手=萩本秀樹)

「母は太陽」——池田先生は、創価学会の活動を支え、周囲を希望の光で照らす婦人部を、心からたたえています。ワイダー博士と先生の対談集『母への讃歌』(潮出版社)も、女性への敬愛と感謝に満ちた言葉にあふれています。

5・3「創価学会母の日」を、心から祝福申し上げます。これまで私が重ねてきた婦人部の皆さまとの交流は、どれも心に残るものばかりです。
池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が女性に送る励ましの言葉には「現実」と「理想」の両方が力強く表現されています。
家庭内や教育環境で、仕事をする上で、また社会の態度という意味で、女性が軽視され続けてきた現実を、会長はよく理解されています。残念なことに、私たちは今なお、会長が長編詩「母」で表現したような、希望が見いだしにくい社会に生きています。
すなわち、「灰色に染まりぬく公害の社会/濁りの音に狂いゆく窒息の都会/光明の道のない閉じこめられた地球/もはやそこには出口がない」と。
この長編詩は1971年に書かれたものですが、現代にも語り掛ける内容です。学会歌「母」の歌詞となった部分は有名ですが、私は長編詩の全編を読むことをお勧めします。会長はその中で、慈愛・包容・洞察・忍耐・誠実という、女性が理想とすべき資質を強調されているのです。
また会長が、しばしば母を「春」のイメージと結び付けていることも印象的です。女性の尊厳を思う時、それはある意味で"冬"の歴史でした。しかし、いかに冬が永遠に見えようとも、必ず春は来るとのメッセージが、会長の言葉に込められています。
会長自身が、ただ春を待つのではなく、前進し、行動することを大切にする人でもあります。私たちは、共に「道」を歩んでいくのであり、決して一人ではないとの励ましは、心にぬくもりを与えてくれます。
2006年に池田会長ご夫妻とお会いし、私はそれを身にしみて感じました。教育者は時に孤独を感じやすい職業ですが、会長が私の研究を心からたたえてくださったからこそ、私は、自分も他者に劣らぬ重要な存在であると、自覚することができたのです。

ワイダー博士と池田先生の対談では、博士のお母さまから歴史上の女性に至るまで、さまざまな女性像が話題になりました。博士はアメリカ屈指の教養大学であるコルゲート大学で女性学などを教えておられますが、女性の役割は近年、どう変化していますか。

初めて女性学の講座を教えた時、ある学生が、古の哲学者から近現代の平和指導者まで、世界の"偉人"と呼ばれる人物の言葉を集めてきました。どの言葉にも、女性を軽視する表現が含まれていたのです。
いずれの時代、いずこの場所も、この蔑視の風潮と無縁ではありません。
現代にあっては、世界各地の女性が、ラディカル(radical)な抵抗と主張に立ち上がるべきであると、私は考えます。
ラディカルには「根本的」という意味があります。大地とつながる根(root)を、私たちは大切にしなくてはなりません。科学的にも根というのは、木々の全体について多くのことを教えてくれる存在です。
一方で、根を比喩的に捉えた時、歴史上、どれほど多くの人たちが、戦争や暴力によって"根を引き抜かれ"てきたことか。居場所を追われ、命を奪われてきたのです。
根に思いを馳せることは、「共に生きる意味」を問い掛けることでもあります。そして私たちには、還るべきルーツ(roots)があります。ルーツを学び、それが私たちにどう影響を与えているかを知れば、これから取るべき行動が見えてきます。
共に暴力と戦う。人類は共生できると信じて、立ち上がる。この世界は暴力に支配される必要も、非道に独裁される必要も、恐怖に根を張る必要もないことを知り、団結によって得られる創造的な力を認め合って生きていく。これら全てが、私たちのルーツです。
女性が果たすべき役割について考える時、アメリカの女性詩人アドリエンヌ・リッチは、男性優越主義の中で生まれた科学や学問を「アウトサイダーの目」で見る重要性を訴えました。それは「省略されていることを見てとり、語られなかったことを聴き」とる能力であり、それこそが、真の非暴力の力であると呼び掛けています(『血、パン、詩。 アドリエンヌ・リッチ女性論』大島かおり訳・晶文社)。
女性の権利の促進においては、大多数の犠牲の上に、少数の人が恩恵を受けてきたといえます。私たちは、一握りの女性だけではなく、全ての女性、そして全ての人々が尊重される社会を築いていかなくてはなりません。それが今日の、そしてこれからの私たちの課題です。

創価学会の日々の活動も、全ての人が輝く社会を築くための実践です。これまで日本やアメリカで婦人部との交流を重ねてこられた博士は、婦人部の活動が、現代社会でどのような価値を持っているとお考えでしょうか。

私は、戦争・被爆証言を集め、DVDや書籍に収めるなど、平和と文化のための運動を活発に広げている婦人部の皆さまを、心から尊敬しています。皆さまの活動は、人類を人間主義のもとに一つに結び、過去の惨劇を二度と繰り返してはいけないとの誓いに立ち返らせてくれるのです。
東京のほか、東日本大震災の被災地でも、婦人部の皆さまと交流する機会に恵まれました。震災後、すぐに行動を起こしたのは創価学会であり、婦人部の皆さまだったことも、存じ上げています。他者に真心の「ケア」を送る、強さと能力に感銘を深くします。
とりわけ素晴らしいのは、そうした行動が権力者や有名人でもない、庶民によるものであることです。特別な人が、特別な行為をするのではなく、それぞれが身近な場所で、自分にできる「何か」を見つける。その連続の中で生まれる力の大きさを、「草の根」の連帯は教えてくれるのです。
そして池田会長が、陰に隠れがちなそうした庶民を、最大にたたえておられることに、感動を禁じ得ません。
女性の権利について語る時、しばしば、女性に「力(パワー)」を「与える」という意味の「エンパワー」という表現が使われますが、会長の励ましから受ける印象は、それとはまた違うのです。
それは会長が、女性に力を「与える」というより、本来持つ力を「引き出す」との思いに立っているからではないでしょうか。

2012年、博士は仙台で「心を結びつける言葉の力」と題して講演されました。学会の活動の根幹も対話であり、「言葉の力」で悩める友を励ます実践です。対話が持つ力とは何か、また、その実践はどうあるべきか、博士の意見を聞かせてください。

仙台での講演は、比較的多人数が聴講していましたが、不思議にも私は、その一人一人と、心でつながっている感覚を覚えました。それは参加者が、私の全てを受け止めてくれているかのような思いに包まれたからです。
日本やアメリカで、もっと少人数の婦人部の方々と交流した時も、同じように感じました。皆が互いの意見や発言に興味を示し、何でも言い合える空間をつくり出している光景を、目の当たりにしたのです。
これは対話において不可欠なことです。しかし実際は、多くの場合で欠けている要素でもあります。
そうした「空間」をなぜ、婦人部の皆さまは上手につくり出せるのか。それは多くの人が、「共に行動する」ことの重要性を知っているからでしょう。家族や友人たちの話を聞き、自分自身が認められ、励まされた経験があるのではないでしょうか。
こうして皆さまの心には、他者の物語を真に気に掛ける、思いやりの「根」が張っているのです。
私は、対話とは「聞く力」だと考えます。池田会長との語らいも、婦人部の皆さまとの交流も、「聞く」行為に満ちていました。
相手は何を語るのか。それが自分に何をもたらすのか。そんな好奇心と興味にあふれた経験でした。相手を決めつけたり、自分が不安になる必要もない。そうした空間をつくることが、全ての女性に「声」を与えることになるのです。
また対話とは、「分かち合う力」ともいえます。自身が悩みを打ち明けるからこそ、周囲からアドバイスをもらうこともできます。真の人間関係を築く上で、これはとても重要です。
こうして対話は、「協働作業」となるのです。対話し、共に課題に向き合った時、すでに私たちは、協力して何かを生み出しているといえるでしょう。
そして最後に、対話とはそれ自体が目的であり、価値の創造であると訴えたいと思います。「教える側」と「教えられる側」に分かれるものではなく、形ある答えに到達する必要もないのです。
あなたの話を聞き、人生を分かち合いたい——現代に求められるのは、人生を豊かにする、そんな心と心の交流です。
そうした対話の先頭を行く、婦人部の皆さまに心からの敬意を表します。そして今後とも、「女性の世紀」を築きゆく活動を、共に続けていけることを念願しています。

Sarah Wider エマソン協会元会長。詩人。全米屈指の教養大学・コルゲート大学の教授として、女性学、英文学などの講座を担当している。池田先生との対談集『母への讃歌——詩心と女性の時代を語る』は日本語、英語のほかイタリア語でも発刊されている。