2018年5月6日日曜日

2018.05.06 わが友に贈る

花の婦人部総会は
全員が幸福劇の主役!
この楽しき語らいから
希望も平和も生まれる。
皆で感謝の大応援を!

減劫御書 P1466
『智者とは世間の法より外に仏法を行(おこなわ)ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり』

【通解】
智者は、世間の法と別のところに仏法を行ずることはない。世間の治世の法を十分に心得ている人を、智者というのである。

〈寸鉄〉 2018年5月6日
学会の素晴らしさは各人が自発で他者に尽くす点—博士。共生世紀の旗手
音楽隊・鼓笛隊が堂々と列島を行進!勇気と歓喜を送る現代の妙音菩薩よ
再会は人生において愉快—周総理。親戚・旧友を大切に。誠実に信頼拡大
帰らむには第一・心に深き・用心あるべし—御書。最後まで無事故の連休を
後絶たぬ架空請求被害。脅迫や急かす話ほど冷静に。心配なら即通報・相談

☆地域を歩く 群馬・高崎市 2018年4月27日
◇成長の節を刻める"人と人をつなぐ場"
群馬県は、人口当たりの高等教育機関(大学、短期大学、専門学校、高等専門学校)の学校数が都道府県別ではトップクラスである(文部科学省調べ)。中でも、中核市である高崎市には、近県を中心に全国から学生が集まる。見知らぬ土地で新生活を始める学生たちに、地域の同志はどう関わってきたのか。今月中旬、高崎市の学生部メンバー、"元学生部"の壮年・婦人を取材した。

男子学生部員の塚本大介さんは現在、高崎経済大学の2年生。教員を目指し、昼は勉強に励む一方、夜はスーパーで働いて生活費を工面する。さらに学習支援などのボランティアにも汗を流す。
塚本さんは兵庫・姫路市で生まれ育った。高崎行きが決まった1年前、幼い頃からお世話になってきた近所の同志の勧めで入会した。
「高崎には知り合いがいなかったので不安でした。でも、姫路にいた時と変わらず、学会の方々が温かく接してくださったので、今日まで進んでこられました」
塚本さんが「常に助けられています」と語る地域の同志が、梅山忠浩さん(副支部長)・徳子さん(支部副婦人部長)夫妻。塚本さんが多忙で会合に行けない時、夫妻は訪問・激励に来てくれた。
「特別なことはしていません。自分たちにできることは何でもしようと決めています」と語る夫妻はそれぞれ金沢、東京で学生部時代を送った。
夫・忠浩さんは大学卒業直後、同窓の友らと共に池田先生との出会いに恵まれた。寸暇を割いて青年と会い、成長への期待を込めて激励する先生の振る舞いに感動した。
一方、妻・徳子さんは勉強に行き詰まっていた大学3年生の時、先生と懇談する機会があった。先生は生活や将来のことを細かく聞いてくれた。その真心に応えて報恩の道を歩もうと誓った。
「学生部員を見ると、自分たちの姿と重なります」(忠浩さん)
「せめて地域に来た学生部員を見守っていきたいんです」(徳子さん)
塚本さんは現在、学生部の人材グループ「誓城会」に所属。小説『新・人間革命』を通して学会精神を学ぶ。「自分も目の前の一人に向き合い、相手に心を開いてもらえるような人に成長したい」
小瀧淳美さん(県主事)は、自身の先天性弱視や父親の病気を機に、1952年(昭和27年)に家族で入会した。その後、池田先生が「大白蓮華」に寄せた巻頭言「青年よ世界の指導者たれ」に触発され、東京外国語大学へ。高崎に住みながら、「行学の二道」に励む中で、68年(同43年)には、通訳等に携わる学生部の代表「近代羅什グループ」として、池田先生に広布の人生を誓った。
そんな小瀧さんら学生部員を、婦人部として応援していたのは小林増枝さん(婦人部副本部長)。
小林さんは、高校を卒業し、服飾関係の女学校に進学すると同時に東京へ。懸命に学び、働いたものの、自信を持てずにいた時、人間革命の思想を知り、63年(同38年)に入会を果たした。
高崎に戻って学会活動に励む中、苦難に動じないように。感謝の思いで人材育成に尽くしたいと思うようになった。
「学生部員と一緒に仏法対話に行って『あなたも学生部ですか?』と言われたこともありましたね(笑い)」
その後、小瀧さんも、小林さんも経済的な苦境など、宿命の嵐に襲われた。しかし、それぞれ2人の娘を、大学に送って立派に育て上げた。
「何があっても負けなかったのは、若い学生部時代に築かせてもらった"信心の基礎"があったからです」(小瀧さん)
現在、小瀧さんは町内会の区長として、地域貢献に励む。一方、小林さんは、近所に住む教職員と交流するなど、今なお地域で友好拡大の模範を示し続けている。
岡村真理子さん(支部婦人部長)たちに支えられ、苦境を乗り越えてきたのは、上武大学に通う土田彩実さん(2年生)。
土田さんには養護教諭になる夢がある。中学時代、勉強や部活動でストレスがたまったことがあった。そんな時、心ゆくまで話を聞いてくれたのが保健室の先生だった。
その後、大学進学のために、実家のある新潟・見附市から1人で高崎に来た。慣れない生活の中で再びストレスを感じるようになった。
そんな時に寄り添ってくれたのが、婦人部や女子部の先輩だった。
土田さんの予定や体調を気遣いながら、会合への行き帰りや食事など、ちょっとした時間を共にし、悩みに耳を傾けてくれた。
「大げさかもしれませんが、本当に救われた気がしました」(土田さん)
一方の岡村さんは「私の娘も、進学先で学会の方々にお世話になったから、寄り添ってあげたいと思ったんです」と。
現在、思春期の子どもを支援する「ピア・カウンセリング」について学ぶ土田さん。「"心の手当て"をしてくれる学会の先輩方のように、私も悩みを持った子どもたちを励ましていきます」
土田さんの話に耳を傾けていた岡村さんが、思わず涙ぐんだ。「一段と成長された姿を見て、実家のお母さんも『高崎に行って良かった』と喜ばれると思います」

4月は、今から57年前に高崎支部が結成された月でもある。
池田先生は、信心に励む当時の高崎の青年への真情を小説『新・人間革命』にこうつづった。「どんなに辛いこと、苦しいことがあっても、決して負けずに、大指導者になるために、堂々と生き抜いてください。皆さんの青年時代の勝利を、私は、心から祈り念じています」
学生時代は短い。しかし、そこで築いた信心の原点は、人生を大きく開く原動力になる。
高崎市の友は、多くの学生部員が成長の節を刻める"人と人をつなぐ場"を、日々の活動の中でつくっている。