常に前を向こう!
常に一歩進もう!
仏法は「本因妙」だ。
「今」を生き抜く人が
最後に必ず勝利する。
御義口伝巻上 P725
『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり』
【通解】
いま日蓮と弟子檀那が南無妙法蓮華経と信じ唱えるが故に、自ずから求めずして、これ以上ない大宝珠を得るのである。
〈寸鉄〉 2018年5月24日
人間革命こそ現代社会に必要な哲学―市議。自分が変わる。我らが模範に
愛知広布原点の日。堅塁の同志が元気なら学会は盤石。拡大の一番星輝け
「衆流あつまりて大海と」御書。笑顔一つ、声一つ。日々の振舞が信頼の土台
昨年の詐欺1万8千件で被害額も増加―警察庁。「私は大丈夫」と過信せず
7年後に介護職員34万人不足する恐れ。長寿時代の焦点だ。公明よ舵取れ
☆「抜苦与楽」の実践 2018年5月15日
◇生きる力を引き出す医師に
今回の「生老病死を見つめて」では、医師として、長年にわたりハンセン病医療に携わってきた壮年の体験を通して、「抜苦与楽」の実践について考えたい。
◇心に刻む御聖訓
『一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし』(御義口伝、御書758ページ)
◇「絶対に治らない病」との偏見
仏法では「抜苦与楽」の実践が説かれている。抜苦与楽とは、"苦を取り除き、楽を与えること"であり、仏の崇高な慈悲の行為を指す。
御書に、「一切衆生のさまざまな苦悩は、ことごとく日蓮一人の苦である」(758ページ、通解)と仰せのように、日蓮大聖人は苦しみにあえぐ全民衆を救うために一人立たれ、妙法を弘通された。あらゆる人々の苦悩に同苦し、力強い励ましを送るところに、日蓮仏法の魂はある。
池田先生は抜苦与楽について語っている。
「"同苦"とは、単なる"同情"ではありません。苦しみを乗り越えるには、その人自身が生命の底力を湧き起こして、自ら強く立ち上がる以外ない」「大聖人は、門下が仏の力を奮い起こして、断じて幸福を勝ち取るよう、厳愛をもって励まされたのです」
この指導のままに、40年以上にわたりハンセン病医療と啓発活動に取り組んできたのが長尾榮治さん(74)=香川池田正義県総合長、四国副ドクター部長=である。
◇ ◆ ◇
ハンセン病は、らい菌が体内に侵入して発病する慢性の感染症で、末梢神経や皮膚などが侵されていく。らい菌の感染力は弱いが、かつては遺伝するかのように誤解されてきた。さらに、有効な治療薬がなかったために、絶対に治らない病気と恐れられた。
「多くの患者さんが差別され、忌み嫌われて、不当な苦しみを味わわされてきたハンセン病の歴史があるのです」と、長尾さんは語る。
長尾さんの入会は1962年(昭和37年)、18歳の時。先に入会していた両親は、高松市内で班長・班担当員(当時)として広布に奔走していた。班にはハンセン病の国立療養所である「大島青松園」に暮らす人々がいて、両親は激励のため、頻繁に同園に足を運んでいたという。
長尾さんも入会後、両親と共に青松園の座談会に参加。次第に、ハンセン病に関心を持つようになる。
大学の医学部を卒業後、高知や愛媛での病院勤務を経て、75年、大島青松園に赴任した。
長尾さんは当時を振り返る。
「青松園に赴任した当時は、すでに『プロミン』などの有効な治療薬が使用されていて、世界的にハンセン病は治癒可能な病となっていました。日本では、『らい予防法』が施行され、福祉の増進にも力を注ぐことが定められました。しかし、依然として患者さんたちは隔離をされた状態が続けられていました。ハンセン病への偏見が根深く浸透していたのです」
◇自分に何ができるかを問う
青松園に赴任して入所者と向き合っていく中で、長尾さんはあることに気付いた。
それは、多くの人が、病状の治まった"元患者"であるということだ。
しかし、後遺症等によって視力が低下したり、手足が不自由になったりするなど、身体に障がいが残っていて、社会での自立が困難になっている人が多かった。
「入所者の多くは、"ハンセン病は感染力が強く、治らない""血筋が悪い"とされていた頃に発症しています。治療より隔離に重点が置かれていた時代に人生の大半を過ごし、結果的に治療薬の恩恵を受けた時期も遅く、後遺症や合併症に対する十分な治療も行われなかったのです」
加えて社会には、隔離政策によって、かえって強い恐怖感が広く植え付けられることになり、治癒した後でも、不信と排除は続いていた。
そうした現実とどのように向き合うべきか、長尾さんは悩み続けたという。
長尾さんは語る。
「入所者の多くは、家族や親族との関係を断たれたままで、療養所の中で人生を終えていくしかないという絶望感や諦めの心に覆われていました。当初、そうした方に対して私が言えたのは、『皆さんの死に水を取らせてください』ということだけでした。
医師として『同苦』はできても、どうすることが『与楽』になるのか分からずに悩みました。ハンセン病医療に取り組むことは、『自分に何ができるか』を、問い続ける戦いでもあったのです」
◇「精神的な束縛」を解き放つ
長尾さんは次第に、治療に必要なことは"病自体の治癒を図る"だけではないとの思いを強くしていった。
本当に大切なのは、"患者が精神的な束縛から解き放たれ、心身共に社会の中で生き抜く力を取り戻すこと"であり、これこそが"抜苦与楽による病の克服なのだ"と考えるようになっていったのだ。
また、そのためには社会的な接点とつながりを模索し、ハンセン病への正しい知識を普及させるとともに、元患者自身が生きがいある人生を確立していくことが重要だとも思うようになったという。
「実際、全国の療養所の学会員の元に、壮年部や婦人部の同志が足しげく激励に通っていました。座談会も活発に行われ、その励ましに奮い立って、親族との交流に何十年ぶりかに挑戦する人も出てきました」
長尾さんは、沖縄の療養所をはじめ、タイやミャンマーなどにも赴任。特に沖縄では、地域医療にも参加し、入所者の外部病院への受診を可能にしたり、療養所を一般医療に開放したりするなど、入所者と一緒に地域との交流を促進しながら、啓発活動や入所者の社会復帰に取り組んできた。
この間、日本では96年に「らい予防法」等が廃止され、隔離政策などがようやく改められた。その後、98年7月には、元患者らが「国のハンセン病政策は、基本的人権を侵害するもの」として、国家賠償を求めて、熊本地裁に提訴。2001年5月、地裁は国に対して賠償を命じ、原告側の勝訴となった。さらに政府が控訴を断念し、翌月からハンセン病の療養所入所者等への補償法が公布された。
長尾さんは、こうしたハンセン病患者の戦いにも関わってきた。その中で、仏法の「生命尊厳」「万人尊敬」の精神に照らして、あらためて感じたことがある。
それは、どんな状況にあっても、「人間として生きる希望を失ってはいけない」ということであり、「よりよく生きるためには、人生の苦難と戦わなければいけない」という点である。
日蓮仏法では、人間にはあらゆる苦難を乗り越える力が本来、具わっていると説く。だからこそ長尾さんは、「一番苦しんだ人が、必ず幸せになる」との信念で、医師として患者の生きる力を引き出すための励ましを送り続けてきた。
長尾さんは語る。
「かつて池田先生はドクター部に対して、医療の技術だけをもつ『病気の医師』でなく、人間の生命を最も輝かせる生き方を示す『人間の医師』であってほしいと語られました。『人間の医師』とは、相手に同苦するとともに、希望を送り、生きる力を引き出す医師だと思います。この『人間の医師』こそ『抜苦与楽』の実践者だと肝に銘じ、さらに成長していきます!」
◇取材メモ
長尾さんが、心に刻んできた御聖訓がある。
「若し爾らずんば五体を地に投げ徧身に汗を流せ、若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め若し爾らずんば奴婢と為って持者に奉えよ」(御書537ページ)
――信心は観念ではなく、五体を大地にたたきつけるような思いで仏道修行に取り組み、汗を流しての実践に生きる中に、その真髄がある――。長尾さんはこの御文を身読しようと、33歳で庵治(現・高松市内)の総ブロック長(当時)に就任して以来、一貫して仕事と活動の両立に挑戦。一人の悩みに寄り添うことに徹し、真心の励ましを送り続けてきた。
この間、家族の病気や経済的な悩み、そして医療訴訟といった試練にも直面したが、妻・早苗さん(73)=県婦人部主事=の支えもあり、信心根本に全てを乗り越えてくることができた。
尽きせぬ感謝を胸に、長尾さんは11年前から精神科医師として高松市内の病院に勤務し、心の病に苦しむ人々の治療に取り組んでいる。
「心の病を持つ患者さんの中には、ハンセン病同様に、偏見と差別に苦しんでいる人もいます。その人たちのために少しでも力になりたいと思い、自身の専門とは全く畑違いの分野ですが、63歳から挑戦中です」
そう笑顔で語る長尾さんの姿からは、医師として、また、信仰者としての「慈悲」と「同苦」の心を強く感じた。(秀)